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PROGRAM/放送作品
荒野の七人
豪華キャストが一堂に集結!黒澤明監督の『七人の侍』をリメイクした人気西部劇シリーズ第1作
黒澤明監督『七人の侍』を、ジョン・スタージェス監督が舞台を西部に移してリメイク。スティーヴ・マックィーンやチャールズ・ブロンソンの出世作でもある。のちに、デンゼル・ワシントン主演のリメイク作が公開。
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COLUMN/コラム2021.04.30
世界のクロサワ作品が大いなる“西部劇”にアレンジされるまで。『荒野の七人』
村民たちが農作業で細々と生計を立てている、メキシコの寒村。ところが収穫期になると、山賊の頭目カルヴェラが、35人もの手下を引き連れて襲来し、農民たちの汗と涙の結晶を、「殺さぬ程度に」残して、奪っていってしまう。 毎年繰り返される傍若無人な振舞いに耐えかねて、反抗を企てる村民もいた。しかしそうした者を、カルヴェラは容赦なく、撃ち殺すのだった…。 困り果てた村民たちは、長老に相談する。そして、「銃を買って、戦うべし」との声に従い、ミゲルら3人は、村民たちから集めた金を持って、国境の街へと出掛けた。 そこで彼らは、目にした。先住民の埋葬を巡って起こった騒動を、度胸とガンさばきで見事に収めた、2人の拳銃使い、クリスとヴィンの姿を。 クリスを頼れる人物と見込んだミゲルたちは、「銃の買い方と撃ち方を教えてくれ」と、彼に懇願。それに対しクリスは、「銃を買うよりは、ガンマンを雇った方が良い」と教え、結果的に自ら助っ人となった。 そんなクリスに、ヴィンも合流。しかし40名近くの盗賊に対抗するには、2人では到底足りない。 1人僅か20㌦の報酬にも拘わらず、クリスの昔馴染みやお尋ね者など、腕利きのガンマンたちが、集まった。そして最後に、先住民の埋葬騒ぎに居合わせ、クリスとヴィンに憧れを抱いた青二才の若者チコが、仲間に加わる。これで助っ人は、“7人”となった。 ミゲルたちの寒村まで案内された“7人”と、カルヴェラ率いる山賊団の、命懸けの戦いが始まる…。 *** 本作『荒野の七人』(1960)は、多くの方がご存知の通り、本邦が誇る「世界のクロサワ」こと、黒澤明監督の不朽の名作『七人の侍』(54)の、“西部劇”版リメイクである。そしてここから、スティーヴ・マックィーンやチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ロバート・ヴォーンなど、次々とスターが育ったことでも、広く知られる作品である。 オリジナルの『七人の侍』が、アメリカで公開されたのは、1956年の7月。「これは西部劇の傑作になる!」と最初に目を付け、僅か250㌦で、東宝からリメイク権を買ったのは、プロデューサーのルー・モーハイムだった。 その後本作に関わる多くの人物が、モーハイムと同じような思いを抱いたが、それは至極当然のこと。黒澤が最も尊敬し、その後を追ったのは、「西部劇の神様」ジョン・フォードだったからだ。 因みに東宝はリメイク権を売るに当たって、『七人の侍』の脚本を執筆した原作者たち=黒澤、橋本忍、小国英雄の3人には、何の断りもなかったという…。 リメイクが動き始めた当初の構想では、やはり『七人の侍』を観て大いに気に入った、オスカー俳優のアンソニー・クインが主演。そしてクインに薦められて『七人の侍』を鑑賞後、夢中になって、モーハイムからリメイク権を買い取るに至ったユル・ブリンナーが、監督を務める筈だった。 当時のブリンナーは、『王様と私』(56)でアカデミー賞主演男優賞を獲得した、スター俳優。その初めての監督作になるかも知れなかった本作だが、結局彼は監督デビューを断念する。そして、後に『ハッド』(63)や『ノーマ・レイ』(79)などの社会派作品を手掛けることになる、マーティン・リットに監督を依頼した。 リットは脚本に、ウォルター・バーンスタインを起用。実は『荒野の七人』の原型は、この時にバーンスタインが書いたものと言われる。彼の名は諸事情があって、作品にクレジットされてはいないのだが。 その後リットは、このプロジェクトから去る。余談ではあるが、彼と黒澤作品の縁はこの後も続き、『羅生門』(50)をポール・ニューマン主演で、やはり“西部劇”にリメイクした、『暴行』(64)の監督を務めている。 リットと入れ替わるように、独立系のプロデューサーである、ウォルター・ミリッシュが、本作に参画。そして彼が白羽の矢を立てたのが、『OK牧場の決斗』(57)などで、“西部劇”をはじめとする“男性アクション”の担い手として評価が高かった、ジョン・スタージェスだった。 スタージェスが監督に本決まりとなり、更には製作者としてもクレジットされることとなった。そんなプロセスの中で、キャスティング作業も本格化していく。 オリジナルの『七人の侍』で志村喬が演じた、リーダーの勘兵衛に当たるクリス役には、ユル・ブリンナー。そしてスタージェスの前作『戦雲』(59)の出演者から、スティーヴ・マックィーン、チャールズ・ブロンソンが抜擢された。 マックィーンの役名は、ヴィン。オリジナルでは、加東大介が演じた勘兵衛の腹心の部下・七郎次と、稲葉義男が演じた参謀的存在の五郎兵衛をミックスした存在である。ブロンソンのオライリーは、千秋実がやった平八に当たるが、オリジナル版のムードメーカー的な存在と違って、腕が立つキャラクターとなっている。 三船敏郎の菊千代と、木村功の勝四郎を合わせた若造キャラのチコ役には、1950年代に「ドイツのジェームス・ディーン」と呼ばれて人気を博した後、ハリウッドへと進出した、ホルスト・ブッフホルツが決まる。 カウントしてもらえばわかるが、ここまでの4人で、『七人の侍』の内の6人分のキャラが、消化されてしまっている。即ち、ブラッド・デクスターが演じたハリーと、ロバート・ヴォーンが演じたリーの2人は、オリジナルの『七人の侍』には存在しない。本作『荒野の七人』のために創造された、キャラクターなのである。 七面倒な書き方になってしまったが、これはオリジナル版とそのリメイク版である本作の違いを示す上で、避けて通ることができない部分である。 因みにデクスターは、スタージェスの『ガンヒルの決斗』(59)に出演していた縁からの出演。ヴォーンは、『都会のジャングル』(59)でアカデミー賞助演男優賞候補となったことが注目されての、起用だったと言われる。 ここでヴォーンの出演を決めたことが、ジェームズ・コバーンの起用にも繋がる。ヴォーンとコバーンは、大学時代からの友人同士。コバーンは『七人の侍』のリメイク企画が進められていることを、ヴォーンから聞いて、スタージェスに連絡を取ったのである。 実は本作の製作された1960年のハリウッドは、俳優たちのストライキが予定されていた。無事にクランクインするためには、スト突入の前に、主要キャストの契約を済ませねばならない。 そのため急ピッチでキャスティングを進めている最中に、コバーンがやって来た。彼に当てられたのは、宮口精二が演じた、『七人の侍』の中で最も腕利きの、剣の達人久蔵に相当するブリット役。オリジナル版のアメリカ公開時、連日劇場に足を運ぶほどの熱烈なファンだったというコバーンは、配役を聞いて、小躍りしたという。 こうして“7人”が、遂に決まった。本作が『七人の侍』の忠実なリメイクと言われることが多い割りには、“西部劇”に翻案するに当たっては、登場するキャラクターから、様々な点で知恵を巡らしてアレンジしたのである。 そもそも最初の脚本では“7人”は、南北戦争の敗残兵という設定。オリジナル版での、戦国時代の戦乱の中で主家を失った侍=浪人者に準拠していた。リーダーも老成した勘兵衛により近いキャラで、スペンサー・トレイシーが演じるイメージだったという。 黒澤は後に、南北戦争の敗残兵の方が良かったと語っている。しかしこれは、オリジナルに忠実であって欲しいという、原作者の欲目であろう。 結果的に『荒野の七人』は、南北戦争の敗残兵ではなく、“ならず者”のガンマンの集まりとなった。各々のガンマンは、これまで少なからぬ悪行を行ってきたことを窺わせる。それがきっかけを得て、弱者である農民たちの味方となる。 これはハリウッド製西部劇の伝統とも言える、“グッド・バッド・マン”のパターンに則っている。悪い奴ではあっても、心の底に人間味を持っており、最終的には善行を施すというわけだ。 因みに『荒野の七人』が、オリジナル版から離れた原因のひとつには、メキシコロケもあった。本作に先立ってメキシコで撮影された、ロバート・アルドリッチ監督、ゲイリー・クーパー×バート・ランカスターの2大スター共演作『ベラクルス』(54)に於ける、メキシコ人の描き方に問題があったため、「アメリカ映画は来るな!」という声が高まっていた中での、ロケだったのである。 撮影現場には、メキシコ政府から派遣された検閲官が同席。脚本がチェックされ、何度も手直しせざるを得なかった。 オリジナル版で農民たちは、野武士の襲来を撃退するのに、端から浪人者を用心棒として雇うことを目的に、町へと出る。しかし、先に記した通り本作では、「銃を買って、戦う」ために、農民は街に出る。クリスのアドバイスを受けて初めて、ガンマンたちを雇うことを決心するのである。 こうした回りくどい展開になったのは、正にメキシコ政府の横槍に応じた結果である。付け加えれば、農作業に勤しむ村民たちが、その割りには、汚れひとつないような真っ白なシャツを着ているのも、検閲官の指示によるものだったという。 随所に施した“西部劇”仕様に加えて、本作はこのような、当初は想定しなかった改変も加えられている。そして上映時間は、オリジナル版の207分という長尺に対して、その6割ほどの128分。 “7人”と野武士の対決に於いて、オリジナル版では、緻密な作戦計画が段階的に実行されていく。それに対して本作は、山賊との対決が、かなりシンプル且つ直線的に描かれる。 あまりに機能的に事を運び過ぎるため、ちょっと納得し難い展開もある。優勢に立ったカルヴェラが、“7人”の命を奪わずに、わざわざ逃がす際に、銃器まで返す。これは、ご愛嬌で済ますべきなのか? 今どきの言い方では、あからさまな「死亡フラグ」である。 戦いの顛末として、“7人”の内4人までが斃れるのは、オリジナル版と同じ。だが長丁場となった対決の中で、1人また1人と命を落としていくオリジナル版に対し、本作では最終決戦で、4人の命が一気に奪われる。とにかく、簡潔且つスピーディなのだ。 ここで、敢えて言いたい! だからこそ本作は、ワールドワイドに大衆的な人気を得たのではないだろうか? 私が本作を初めて観たのは、今から40年以上前の十代前半=中坊の頃。池袋文芸坐で、本作後にスタージェスが、マックィーン、ブロンソン、コバーンを再度起用した、『大脱走』(63)との2本立てだった。 そして『七人の侍』の何度目かのリバイバル上映を観たのは、それよりも後。正直に言えばその時は、オリジナル版の重さや暗さ、そして長さにノレず、「『荒野の七人』の方が面白い」と思ったのである。 その後何度も鑑賞を繰り返す内に、社会的なテーマや哲学的な深みまで持った『七人の侍』の素晴らしさを、「格別のもの」と感じるようになっていく。しかしながら両作初見の際に、当時の映画少年として感じたことは、必ずしも間違ってはいまい。 何はともあれ、『七人の侍』から本作『荒野の七人』が受け継いだ、野盗の略奪に苦しむ農民を救うために、プロフェッショナルが集結して力を尽くすというプロットは、ハリウッドの黄金期を支えたジャンルのひとつ“西部劇”に、新風を巻き起こすこととなる。 ガンマンに、「家族も、子どもも、帰る家もない」などと嘆かせ、そのキャラに陰影を持たせる。これもまた、それまでの“西部劇”とは一味違った、極めて斬新なアプローチだったと言われる。 そして本作は、ジョン・フォードらが作った、大いなる“西部劇”の時代の終末期の作品となった。4年後には、セルジオ・レオーネ監督による、イタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタンの『荒野の用心棒』(64)が登場。“西部劇”の歴史は塗り替えられる。 『荒野の用心棒』は、やはり黒澤明監督の『用心棒』(61)のリメイク。…と言っても、無断でパクった作品であり、後に裁判を経て、公式なリメイクとなったのであるが。『荒野の用心棒』の主演は、クリント・イーストウッドに決まる前、有力候補だったのが、チャールズ・ブロンソン。レオーネが、本作のオライリー役を見ての、オファーだった。 そんなこんなも含めて、『荒野の用心棒』が本作の影響下にあったのは、多くが指摘するところである。付記すればレオーネは、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(66)に、本作でカルヴェラを演じたイーライ・ウォラックを起用。これもウォラックが、オリジナル版の野武士の頭目にはなかったユーモアや愛嬌を、カルヴェラ役に加えたのを、買ってのことだったと思われる。 『荒野の七人』は、ハリウッド製の大いなる“西部劇”と“マカロニ・ウエスタン”の、ミッシングリンク的な位置にある作品と言える。そして後々まで、多くのファンに愛され続ける作品となった。 続編が3本製作され、1990年代末にはTVシリーズ化。更にアントワン・フークア監督、デンゼル・ワシントン主演で、リメイク版『マグニフィセント・セブン』(2016)が製作されている。 それは偉大なる『七人の侍』に、“西部劇”としての創意工夫を加えて見事にアレンジした、本作『荒野の七人』の素晴らしさの証左と言えよう。■ 『荒野の七人』© 1960 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
レマゲン鉄橋
敗軍にとっては脱出路、勝軍にとっては進撃路となる“橋”をめぐる攻防戦を描く、戦争娯楽映画の傑作
『タワーリング・インフェルノ』の監督による戦争娯楽作。本作でロバート・ヴォーンが築いた“まるでドイツ軍人に見えないドイツ軍人はヒーロー”というパターンは、『ワルキューレ』のトム・クルーズにも引き継がれた。
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COLUMN/コラム2020.01.03
アクション映画の歴史を変えたスティーヴ・マックイーンの代表作。『ブリット』
映画史上最高にクールな男スティーヴ・マックイーンが主演した、映画史上最高にクールなアクション映画である。人気テレビ西部劇『拳銃無宿』(‘58~’61)で脚光を浴び、『荒野の七人』(’60)と『大脱走』(’63)で映画界のスターダムを駆け上がったマックイーン。主演作『シンシナティ・キッド』(’65)も大ヒットし、『砲艦サンパブロ』(’66)ではアカデミー主演男優賞候補にもなった。そんな人気絶頂の真っただ中に公開され、全米年間興行収入ランキングで5位のメガヒットを記録した作品が、この『ブリット』(’68)だった。 舞台はサンフランシスコ。ミステリー作家ロバート・L・フィッシュがロバート・L・パイク名義で執筆した原作小説では、東海岸のボストンが舞台となっていたものの、当時のサンフランシスコ市長ジョゼフ・L・アリオートは映画撮影の積極的な誘致に乗り出しており、ロケ撮影にとても協力的だったことから同市が選ばれたという。実際、ここがアメリカ西海岸であることを忘れさせるような、サンフランシスコ市街地のお洒落でヨーロッパ的な佇まいは、スタイリッシュなムードを全面に押し出した本作において、もうひとつの主役とも言えるほど重要だ。 さて、そのサンフランシスコ市警の腕利き警部補ブリット(スティーヴ・マックイーン)が本作の主人公。上院議員チャルマース(ロバート・ヴォーン)に呼び出された彼は、シンジケート撲滅のため上院公聴会で証言する情報屋ジョー・ロスの保護を任される。ところが、チャルマース議員と警察しか知らない隠れ家の安ホテルへ2人組の殺し屋が現れ、ロスに瀕死の重傷を負わせたうえに護衛の刑事まで銃撃する。しかも、どうやらロス自身が殺し屋たちを部屋へ招き入れたらしい。なにかがおかしいと直感したブリットは、医師の協力を得て病院で死亡したロスの死体を隠し、まだ彼が生きていると見せかけて殺し屋をおびき出そうとする。 ストーリー自体は、正直なところ特筆すべきものでもない。謎めいたように思える事件の全容も、蓋を開けてみれば拍子抜けするほど単純だ。それよりも本作の面白さは、その後のハリウッド産アクション映画に多大な影響を与えたと言ってもいい、ピーター・イェーツ監督の徹底的にリアリズムを追究したアクション&バイオレンス描写にあると言えよう。中でも、今や伝説となっているカーチェイス・シーンは全ての映画ファン必見。坂道だらけのサンフランシスコ市街で、殺し屋2人組の乗った1968年型ダッジ・チャージャーと、ブリットが運転する1968年型フォード・マスタングGT390が凄まじい追跡劇を繰り広げるのだ。 そもそも、ピーター・イェーツ監督が本作に起用されたのも、カー・アクション演出の腕前を買われてのことだった。母国イギリスで撮った『大列車強盗』(’67)で、実に15分にも及ぶカーチェイス・シーンを披露したイェーツ監督。同作を見たマックイーン直々に指名された彼は、これが念願のハリウッド・デビューとなった。ロケでは実際にサンフランシスコの道路を封鎖して撮影を敢行。2人のカー・スタントマンがマックイーンの代役としてマスタングを運転しているが、しかしクロースアップではマックイーン本人がハンドルを握っている。なにしろ、カーレーサーとしても活躍した人だけあって、ハンドル捌きはプロのスタントマンも顔負けだ。車内の運転席から撮ったカーチェイス映像も、バックミラーにマックイーンの顔が映っているカットは本人の運転である。 一方、敵のダッジ・チャージャーを運転しているのは、殺し屋役を兼ねたカー・スタントマン、ビル・ヒックマン。彼は『フレンチ・コネクション』(’71)や『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』(’73)でも圧倒的なカーチェイスを披露している。なお、途中でカーチェイスに巻き込まれるバイクを運転しているドライバーは、『大脱走』でマックイーンのバイク・スタントの代役を務めたバド・イーキンズだ。どれもまだCGやVFXが存在しない時代の、文字通り命がけのリアルなスタントばかり。その度肝を抜かれるような迫力は、公開から50年以上を経た今も全く色褪せない。 『ブリット』は『ダーティ・ハリー』のルーツ!? もちろん、主人公ブリット警部補役を演じるスティーヴ・マックイーンの、クールで寡黙でニヒルでスマートなヒーローぶりも抜群にカッコいい。どこまでも冷静沈着で任務に忠実。上からの圧力にも決して折れず、時にはルールを無視することも厭わず、とことんまで犯罪者を追い詰めていく。そんな彼を上司のベネット署長(サイモン・オークランド)も全面的に信頼し、「いざとなったら俺が守ってやる」とまで言ってくれるんだから泣ける。 相棒のデルゲッティ刑事(ドン・ゴードン)ら同僚や部下の多くも、あえて口には出さないけれどブリットに厚い信頼を寄せている様子。この男同士のベタベタしない、暗黙のうちの友情ってのもいいのだよね。いけ好かないチャルマース議員に口うるさく非難されたブリットが、同じくチャルマース議員から人種的偏見で担当を外された黒人医師(ジョージ・スタンフォード・ブラウン)と、さり気なく視線を交わすだけでお互いに理解し合う瞬間の、あのなんとも言えない雰囲気も最高。近所の雑貨屋で買い物をするブリットの姿から、その人となりを雄弁に描くなど、セリフに頼らないイェーツ監督の人間描写・心理描写が素晴らしい。 そんなブリット警部補を演じるにあたってマックイーンが参考にしたのは、当時ゾディアック事件を担当して全米の注目を集めていた、サンフランシスコ市警の名物刑事デイヴ・トッシ。そう、あの『ダーティ・ハリー』(’71)シリーズのハリー・キャラハン警部のモデルにもなった人物だ。映画ポスターにも出てくるブリット愛用のショルダー・ホルスターも、実はトッシ刑事のトレードマークだった。サンフランシスコでのオール・ロケ、ハードなバイオレンス描写、ラロ・シフリンによるファンキーなジャズ・スコアなどを含め、本作は『ダーティ・ハリー』の先駆的な作品とも言えるのではないかと思う。 最後に共演陣にも目を向けてみよう。憎まれ役であるチャルマース議員を演じるロバート・ヴォーンは、これが人気テレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』(‘64~’68)終了後の初仕事だった。『荒野の七人』で共演したマックイーンに説き伏せられての出演だったという。それまでダンディなスパイ・ヒーローを颯爽と演じていた人が、今度は一転して鼻持ちならない傲慢な政治家を演じたのだから勇気が要ったのではないかと思うのだが、よっぽど本作の印象が強かったせいなのか、以降の彼は『タワーリング・インフェルノ』(’74)を筆頭に悪役をオファーされることが多くなる。 ブリットの恋人キャシー役には、その後ハリウッドの美人女優の代名詞ともなるジャクリーン・ビセット。当時はまだ頭角を現し始めた頃で、出番もそれほど多くはないのだが、犯罪捜査の殺伐とした世界に生きるブリットの、ある意味で救いともなるような存在として重要な役割だ。脇役でいい味を出しているのは、何と言ってもベネット署長役のサイモン・オークランドだろう。コワモテだけど頼りになるオヤジさんという雰囲気がいい。マックイーンとは『砲艦サンパブロ』でも共演済み。そういえば、デルゲッティ刑事役のドン・ゴードンも、『パピヨン』(’73)と『タワーリング・インフェルノ』でマックイーンと共演していた。ロバート・デュバルがタクシー運転手役で顔を出しているのも要注目。ちなみに、ブレットがタレコミ屋エディと待ち合わせするシーンで、レストランの席に座っているエディの連れの女性は、フォーク歌手ジョーン・バエズの妹ミミ・ファリーニャである。■ 『ブリット』© Warner Bros. Entertainment Inc., Chad McQueen and Terry McQueen
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PROGRAM/放送作品
ブリット
坂の街シスコをマックィーンの駆る68年型マスタングが激走!! 痛快!アクション・サスペンス!!
今も男性誌で特集が組まれる不朽のファッション・アイコン、マックィーン。そのカッコよさの真髄が見られる刑事アクション。坂の街サンフランシスコを爆走するカーチェイスシーンは今や映画史の伝説!
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PROGRAM/放送作品
絞首台の決闘
住人を騙して地域社会に紛れ込む悪党。ヤツの正体はオレが暴く!元保安官、執念のガンファイト!!
『シンバッド七回目の航海』で知られる活劇監督が描く、孤高の男vsアウトローという図式の王道西部劇。物語の鍵となる、悪党一味のエディを演じるのは、『荒野の七人』でブレイクする直前のロバート・ヴォーン。