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PROGRAM/放送作品
ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝
今度は邪悪な古代皇帝が現代に蘇る!キャストもアクションもパワーアップした冒険シリーズ第3弾
冒険野郎リックに扮するブレンダン・フレイザーが続投する一方、ジェット・リー&ミシェル・ヨーの中国アクション・スターが新たに参戦。兵馬俑の復活など中国という舞台を活かしたミイラ・アクションも妙味。
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NEWS/ニュース2024.01.25
『ワイルド・スピード【ザ・シネマ新録版】』TV初放送直前 爆走!完成披露試写会イベントレポート
『(吹)ワイルド・スピード【ザ・シネマ新録版】【4Kレストア版】』の完成披露試写会が1月23日(火)に都内で開催され、楠大典、高橋広樹、甲斐田裕子、園崎未恵ら吹替メインキャスト4人による舞台挨拶とトークイベント、さらにはプレゼント抽選会が実施されました。イベントレポートを速報でお届けします。 レポートはこちらから!
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PROGRAM/放送作品
(吹)ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝
今度は邪悪な古代皇帝が現代に蘇る!キャストもアクションもパワーアップした冒険シリーズ第3弾
冒険野郎リックに扮するブレンダン・フレイザーが続投する一方、ジェット・リー&ミシェル・ヨーの中国アクション・スターが新たに参戦。兵馬俑の復活など中国という舞台を活かしたミイラ・アクションも妙味。
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COLUMN/コラム2023.12.29
鮮やかに遂げた、ストリート・レース映画の復権 —『ワイルド・スピード』
◆誰もが知るミッション遂行シリーズの“起点” 米秘密機関の特命を受け、国益をおびやかす組織や治安を乱す敵の行動を、車を駆使して阻止するアクション映画シリーズ『ワイルド・スピード』。共にミッションを遂行する仲間を「ファミリー」と称し、なによりチューンドカーによる物理的法則を無視したアクション描写など、マイルドヤンキーをたぎらせる要素に満ちたこのフランチャイズは、2024年の現在までに10本のシリーズ正編と1本のスピンオフ作品を生み、世界じゅうのファンに支持されている。 ハリウッド映画の数ある長寿シリーズの中で、もっとも理屈を必要としないパッショナブルな臭気を放ち、また死闘を繰り広げた相手が味方となって参入したり、次回作へと続くドラマの引きの強さなど、いずれも我が国の「少年マンガ」を思わす属性に鼻腔をくすぐられる人も少なくないだろう。 とりわけこのシリーズが持つ、少年マンガのテイストに近い要素は、ゆったりと大きな路線変更のカーブを描きながら、現在のスタイルを形成している点ではないだろうか。柔道マンガが野球マンガになった『ドカベン』や、コメディがシリアス格闘ものへと変遷していった『キン肉マン』など、長期にわたり人気を博したコミックスに同様のケースが見られる。『ワイスピ』(『ワイルド・スピード』の略称にして愛称)もそれらと同じく、2001年公開の1作目は現在と異なるジャンルに足場を置いていたのだ。 ◆道を切り拓いたロジャー・コーマンへのリスペクト 段取り的だが、ここで本作のストーリーを概説しておきたい。高額な積荷を狙い、ロサンゼルスでチューンドカーを使ったトラック・ジャックが頻発。一連の犯行にはストリート・レース界のキング、ドミニク・トレット(ヴィン・ディーゼル)が関与していると睨んだLAPDのブライアン・オコナー(ポール・ウォーカー)は、ドミニクとの接触を図るためにレーシングクルーとして潜入捜査に踏み込む。だがレースを経て彼との仲間意識を強めたブライアンは、自分の忠誠心がどこにあるかというアイデンティティ崩壊へと追い詰められていく。 こうしたストーリーからも明らかなように、本作はもともと公道で違法にレースをおこなう「ストリート・レース」というアウトロー文化を描いた作品だ。映画と同レースとの関係は古いもので、1947年に公開された『The Devil on Wheels』(日本未公開)を起点に40年代後半から70年代のハリウッドで量産され、メジャーなところではジェームズ・ディーン出演による『理由なき反抗』(1955)あたりを連想する人は多いだろう。 特にこのジャンルに関し、独自の嗅覚でもって量産展開を果たしたのは、B級映画の帝王と呼ばれた映画監督/プロデューサーのロジャー・コーマンだ。彼は若者の反抗心がエクスプロイテーション・シネマ(搾取映画)の題材として興行的価値を有すると判断し、ストリート・レースの血統を持つ『速き者、激しき者』(1954)や『T-Bird Gang』(1959/日本未公開)、そして『デス・レース2000年』(1975)といったカーアクション映画を製作。カーレース映画というジャンルの広義な拡張と啓蒙を担ってきた。 『ワイルド・スピード』は、そんなコーマンプロデュースの『速き者、激しき者』から原題“The Fast and the Furious”を、そして『T-Bird Gang』からストーリー設定を一部借りることで、本作が置かれるべきジャンルの位置付けと、先導者であるコーマンに対する敬意をあらわしている。ちなみに後者のストーリーは、白いサンダーバードの強盗団に父を殺された息子が、警察から送り込まれた囮として連中に接近し、復讐を果たすというものだ。 本作の監督を担当したロブ・コーエンによると、ニューヨークのクイーンズ地区でおこなわれたストリート・レースの記事を読んだことが企画の発展につながったという。そして「実際の現場を見て圧倒された」と語り、その迫真性は映画の中で不足なく描写されている。 加えてこの映画の成立に寄与したのは、当時の最新技術だ。中でも俳優の運転映像を可能にするため、時速120kmでチューンドカーの実物大レプリカを牽引することができる特殊リグを導入したり、またデジタルツールがプラクティカルなカーショットを補強するなど、シリーズの礎となるメイキングプロセスを本作で構築している。 ただコーエンはストリート・レースの違法性をいたずらに正当化することなく、非合法な娯楽に興じる者をトラック・ジャックをはたらく犯罪集団という設定にリンクさせており、そこに監督の道徳感が顕在している。ゆえに現在まで続くシリーズでの正義行動は、ドミニクの贖罪が発露だと考えると符号が合う。悪の道はたやすく、正義の道は果てしなく困難であることを示すかのように。 ◆当時の車事情と、新録吹き替え版の意義に思う そんな大きな軌道変更の末にミッション遂行路線を邁進している『ワイスピ』だが、現在にいたるも維持している制作姿勢がある。それはいかに大きなアクションシークエンスであろうと、メインとなる車だけはプラクティカルでの撮影が主とされている点だ。 筆者はシリーズ8作目『ワイルド・スピード ICE BREAK』(2017)のワークプリントを、配給元である東宝東和の会議室で観た経験を持つ。これは未完成のバージョンだが、逆に言えば劇中のどの要素がデジタルで、どの要素が実物なのかを視認できる絶好の機会を与えてくれる。たとえばクライマックスにおける原子力潜水艦は全てがCGによるもので、そこに絡むドミニクらファミリーたちの車は、いかにアクロバティックな走りをしていようが、ほぼライブアクションでの撮影が徹底されているのだ。当然のポリシーといえばそうだろうが、。ヴァーチャル・プロダクションの進化によって、全ての要素がデジタル由来のものといえるような状況下にありながら、そこには最初の『ワイルド・スピード』の創作精神が今も脈づいていることを実感できる。 製作からじき四半世紀が立とうとし、立派なクラシックとなった感のある本作。こうして改めて観直すと、時代なりの車事情をそこに感じることができる。それぞれの登場人物のキャラクターに応じた車種の選択はもとより、ストリート・レースにおいては安価でチューニングベースとして扱いやすいという事情もあり、日本車の存在感が際立つ。またクライマックスでのブライアンとドミニクの直接対決レースでは、前者のスープラが後者のダッチ・チャージャーと互角の勝負を見せるなど、シェアを拡げる日本車とアメリカンカーとの代理戦争を見るかのようだ。 このたひザ・シネマでは、本作『ワイルド・スピード』の新録吹き替えを実施し、シリーズに統一感を与える独自の試みに挑んでいる。時代に応じたクラシックの吹き替えは海外古典文学の「新訳」に等しく、非常に生産性の高い行為だと筆者は実感している。ただそれを肯定するいっぽう、個人的には初期作をヴォイスキャストで一貫させることに、1作目の独立性が目減りしてしまうような寂しさを覚えなくもない。それだけ今と性質の異なる『ワイスピ』として、本作固有の価値と存在意義はとてつもなく大きいのだ。■ 『ワイルド・スピード』© 2001 Universal Studios. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ワイルド・スピード【ザ・シネマ新録版】【4Kレストア版】
ストリートカーレースのカリスマと潜入捜査官の友情と対決を描く大ヒットカーアクションシリーズ第1弾
西海岸を舞台に違法なチューンナップを施した日本車によるストリートカーレース“ゼロヨン”の世界と、強盗アクションを組み合わせスマッシュヒット。悪のカリスマを演じたヴィン・ディーゼルは一躍人気スターに。
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COLUMN/コラム2019.12.27
遅れてきたアクション映画界の大型ルーキー、快進撃を続けるジェイソン・ステイ サム!
今、最も旬なアクションスターは誰か? アクション映画界は長らくシルベスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェン、スティーヴン・セガール、チャック・ノリスといったメンバーが、寡占ともいえるほ業界を牛耳ってきた。しかし、スタローンは73歳、シュワルツェネッガーは72歳、ジャッキー65歳、セガールは67歳で、ノリスに至っては79歳なのである。人類の平均寿命が延び、年金の支給開始がどんどん後ろ倒しになり、定年後も再雇用やセカンドキャリアが当たり前になっている昨今だとしても、いくらなんでも70代の後期高齢者にアクション映画界をいつまで背負わせているのかと怒られても致し方なしの状況は非常に問題だ。アクションスターの後継者問題は非常に深刻なレベルにあり、特に欧米のアクションスターの人材枯渇っぷりはみていて心配になるレベル。アクションスターという存在が、絶滅危惧種と言われても否定できない状態になっている。 しかしぼくのように年がら年中アクション映画ばかり観ている輩からすると、「心配ご無用!」と太鼓判を押したくなる新進気鋭の若手アクションスターがここにいる。ジェイソン・ステイサムである。 1967年、イングランド中部ダービーシャーで生まれたステイサムは、地元の露店で働きながら、カンフー、キックボクシング、空手といった武道を習得。またサッカー選手としても活躍し、のちに映画で共演することになる元プロサッカー選手ヴィニー・ジョーンズと共にフィールドを駆け回っていた時期もあった。しかし何と言ってもステイサムの才能が開花したのは、水泳の飛び込み競技。イギリス代表候補になるほど卓越した成績を残していたが、ステイサムはアスリートの道ではなくファッションモデルとしてキャリアを積み始める。トミー・ヒルフィガー、グリフィン、リーバイスといった有名ブランドのモデルを務めるだけでなく、シェイメンやイレイジャーといったバンドのミュージックビデオにも出演。そしてステイサムがモデルとして契約していたブランドのフレンチ・コネクションがある映画のスポンサーとなっており、その宣伝もかねてステイサムはその映画に出演することになる。新人監督ガイ・リッチーの長編監督デビュー作であり、ステイサムの映画デビュー作でもある『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(98年)は、その年のイギリス映画のナンバー1ヒット作となり、主人公グループの一人を演じたステイサムも映画俳優として注目を集めるようになっていく。さらに続くガイ・リッチー監督作『スナッチ』(00年)にも引き続き出演。本作では狂言回しの主人公を演じ、俳優としてのステータスは一気に上がったのであった。 ステイサムの転機となったのは2001年に公開された『ザ・ワン』(01年)。ジェット・リーという稀代のアクションスターと共演したこの映画を皮切りに、ステイサムは本格的にアクション俳優としての活動を開始。リュック・ベッソン率いるヨーロッパ・コープ社制作の『トランスポーター』シリーズ(02年~)では、無敵の運び屋フランク・マーティンに扮し、ステイサムの身体能力をフルに発揮したアクションとド派手なカースタンを披露。ステイサム主演で第3作まで作られる人気シリーズとなり、興行収入もうなぎ上りで『トランスポーター3 アンリミテッド』(08年)ではついに世界興収が1億ドルを突破することになる。他にも、アドレナリンを出し続けないと死んでしまう劇薬を投与された殺し屋の活躍を描く『アドレナリン』シリーズ(06年~)、シルベスター・スタローンが消耗品扱いをされてきたかつてのアクションスターを結集して制作した大傑作『エクスペンダブルズ』シリーズ(10年~)、チャールズ・ブロンソン主演作のリメイクとなる『メカニック』シリーズ(11年~)といった人気シリーズに次々と出演。確実に数字を見込めるアクションスターとしてその方向性は確定していくことになる。 しかし興収が1億ドルを突破するようなアクション大作にだけ出演する、単なるアクション俳優で終わらないのがステイサム。『バンク・ジョブ』(08年)や『ブリッツ』(11年)といった渋めのスリラーでもその存在感をアピールし、『SAFE/セイフ』『キラー・エリート』(共に11年)、『PARKER/パーカー』『バトルフロント』(共に13年)のような単発の佳作アクション映画にも主演。まさに八面六臂の大活躍で、アクション映画俳優としての地位を確立したのだった。 ステイサムのアクションの魅力は、幼少期に経験した様々な格闘技をベースにしたガチンコのファイトコレオグラフィと、抜群の身体能力を活かしたスタント。さらに水泳競技で鍛え上げた無駄のない肉体美の躍動だ。大先輩のスタローンやシュワルツェネッガーのように巨大な筋肉の鎧ではなく、最盛期の総合格闘家ヴァンダレイ・シウバのように発達した広背筋と強くしなやかな筋肉がステイサムの強さの説得力となっているのだ。 閑話休題。ここでアクション映画界に存在する“もう一つの頂”、『ワイルド・スピード』シリーズ(01年~)に話を移そう。元々ヴィン・ディーゼルと故ポール・ウォーカーのコンビが繰り出すド派手なカーアクションで人気になったこのシリーズだが、シリーズ第5弾『ワイルド・スピード MEGA MAX』(11年)からDSS捜査官ルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)が参戦した辺りから肉弾アクションも増量。それに伴って興行収入も倍々ゲーム状態で増加している人気シリーズである。 そんな人気シリーズの第6弾『ワイルド・スピード EURO MISSION』(13年)では、これまでアメリカ、日本、ブラジルといった世界をまたにかけて活躍するワイスピ一家が、ついにヨーロッパに乗り込んだ作品で、イギリス特殊部隊出身のオーウェン・ショウ率いる犯罪集団との激闘を描くアクション大作だ。ハイウェイで戦車とのカーチェイスや、巨大輸送機とのカーチェイスなどド派手なアクションが続く本作は、ワイスピ一家がオーウェンを逮捕して終わるのだったが、エンドクレジット後に流れた映像は、まさに世界を震撼させるものであった。そこでは東京で瀕死の重傷を負ったワイスピ一家の主要メンバーであるハンの姿が。シリーズ第3弾『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(06年)で事故死したとされていたハンは、謎の人物によって殺されていたのだった。その人物こそオーウェンの実兄であり元SAS最強の男デッカード・ショウ、演じるのはジェイソン・ステイサムその人であったのだ! ステイサムのワイスピシリーズ参戦のニュースは衝撃をもって世界で迎えられた。続く『ワイルド・スピード SKY MISSION』(15年)では、ステイサム演じるデッカードが本格的に参戦。タイマンでホブスをボコり、カーチェイスでもワイスピ一家の強豪を上回る腕前を披露。たった一人でこれまでの主要登場人物全員を出し抜くチート状態で、ワイスピ一家はシリーズ最大の危機を迎えることになる。 主演陣のひとりであるポール・ウォーカーが撮影中に事故死するという悲劇を乗り越えて制作された『SKY MISSION』は、世界興収15億ドルを突破するというシリーズ最大の興収を記録。殺されずに逮捕されて刑務所に収監されたデッカードは、必ずや後続のシリーズでふたたび最強の敵としてワイスピ一家の前に立ちふさがるに違いない……映画を観たすべての観客がそう思ったはずだ。 しかし続く『ワイルド・スピード ICE BREAK』(17年)ではいきなりデッカードは弟のオーウェンと共にワイスピ一家側として参戦。さらにデッカード兄弟の母親であるマグダレーン(オスカー女優ヘレン・ミレン!)まで登場し、ショウ家は家族総出で謎のハッカー・サイファー(オスカー女優シャーリーズ・セロン!)と激戦を繰り広げることになる。この前作最強の敵が、次作では強力な味方となって、さらにコメディ的な役割も担う展開を、ぼくは勝手に“魁!男塾システム”と呼んでいるのだが、このシステムによってステイサムは前述の人気シリーズに加えてワイスピシリーズにもレギュラー参戦することになったのだ。 そしてワイスピシリーズ初の長編スピンオフ『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』では、デッカードはいきなり主役に昇格。ホブスとともに無敵の改造人間ブリクストン(イドリス・エルバ!)と激闘を展開するデッカードには、さらに強力な助っ人MI6エージェントのハッティ(ヴァネッサ・カービー)が登場。しかも何とハッティはデッカードの妹ということで、ワイスピ一家の増殖スピード以上にショウ家の増殖スピードが早すぎて、ますますステイサムはワイスピに必要不可欠な人材になっているのである。 という感じで、自身のシリーズ物を何作も抱えつつ、『エクスペンダブルズ』『ワイルド・スピード』という世界的なメガヒットシリーズでも重要な登場人物を演じ、さらに小粋なサスペンスや小品アクション映画にも多数出演。つまり今のアクション映画界はステイサム抜きでは語れない状態なのである。52歳にして意気軒高なステイサム。あと20年はその活躍から目が離せないぞ。■ 『ワイルド・スピード EURO MISSION』©2013 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード SKY MISSION』© 2015 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード ICE BREAK』© 2017 Universal City Studios Productions LLLP. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
ステルス
人工知能を備えた最強のステルス戦闘機が暴走してしまう!爆音が響く迫力の音速エア・アクション
『ワイルド・スピード』でストリート・レースを描いたロブ・コーエン監督が、今度は戦闘機バトルでスピードの限界に挑戦する。コクピットと俳優以外は背景までフルCGで描き出すリアルな空中シーンが迫力満点。
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COLUMN/コラム2019.08.30
ドラゴン・クリーチャー映画の技術史『ドラゴンハート』
■フルスケールモデルが主流だったドラゴンの創造 本稿では1996年にロブ・コーエン監督が手がけたファンタジー映画『ドラゴンハート』にちなみ、西洋を代表する空想の怪物「ドラゴン」が実写作品の中でどのように可視化されてきたのかを振り返り、その技術的手法と本作とを文脈づけていく。 映画におけるドラゴンの初登場は諸説あるが、代表的なものとして名匠フリッツ・ラングが手がけた独サイレント映画『ニーベルンゲン』(24)が挙げられるだろう。北欧神話とゲルマン民族説話をブレンドさせ、二部構成で映画化した本作において、英雄ジークフリートとドラゴンとの戦いが描写されている。その表現はフルスケールの着ぐるみに複数の役者が入り、可動部を内部で操作していくスタイルだが、ドイツの一大製作会社ウーファの当時の資本力を象徴する、大がかりでスペクタキュラーな画作りには誰もが瞠目させられるだろう。またロシアの英雄イリア・ムウロメツの活躍を描いた同国作品『豪勇イリヤ 巨竜と魔王征服』(56)に出てくる三つ首のドラゴンもフルスケールモデルで作られ、火炎放射器で火を吐くギミックが仕込まれている。他にもB級モンスター映画を量産したバート・I・ゴードンの『魔法の剣』(61)にもフルスケールのドラゴンが登場。あまり満足とはいえない動きを見せるが、本作のドラゴンも大型クリーチャーならではの醍醐味を堪能させてくれる。 こうしたフルスケールモデルはドラゴン描写の常道であるかのように受け継がれ、『未来世紀ブラジル』(85)『12モンキーズ』(96)の鬼才テリー・ギリアムが監督した中世コメディ『ジャバーウォッキー』(77)のドラゴンや、ミヒャエル・エンデ原作の児童ファンタジー『ネバーエンディング・ストーリー』(84)の白毛におおわれたファルコンなど、80年代初頭くらいまで比較的多く見ることができた。その後こうしたフルスケール効果は、体の一部をメカニカルパペットとして造形するなどパーツ的な活用へと縮小され、徐々に主流を外れていく。 またフルスケールモデルと並行してドラゴン描写を支えたのが、人形を一コマずつ動かして撮影するストップモーション・アニメーションである。同手法の第一人者であるレイ・ハリーハウゼンが手がけた『シンバッド七回目の航海』(58)に登場する無翼のドラゴンや、3台のカメラで撮影した映像を三面スクリーンに投影する「シネラマ」方式の劇映画『不思議な世界の物語』(62)においても、特撮の神様と謳われたジョージ・パル製作・監督のもと、ジム・ダンフォースら優れたモデルアニメーション作家たちが個性的なドラゴンをクリエイトしている。 ストップモーション・アニメーションはフルスケールでは難しい飛行描写や四足歩行の人間型でない動きを表現できるなど、この手法ならではの利点もある。しかし生物的リアリティという観点からは、どちらもやや画竜点睛を欠く印象は否めなかった。だが1981年、このストップモーション・アニメの手法を拡張させ、ドラゴンの描写に革命をおよぼす作品が登場する。それが『ドラゴンスレイヤー』である。 生贄の悪習を終わらせるべく、魔法使いとその弟子がドラゴン討伐をするこの映画には、生物学的な法則にのっとったリアルな動きのドラゴン「ヴァーミスラックス」が登場する。可動のミニチュアモデルを使用するところまでは従来どおりだが、モデルにロッド(支持棒)を取り付け、コマ撮りではなくモーション・コントロール・システムで動かすことで、モーションブラー(動きのぶれ)を発現させて動きを自然にしているのである。ストップモーション特有のカクカクした視覚現象を取り払ったその技法は「ゴーモーション」と名付けられ、架空の怪物に恐ろしいまでの現実感を付与させたのである。 本作以降、ドラゴンの基本的な容姿や動きの法則は、本作のヴァーミスラックスに準じたものと言っても大げさではない。例えばピーター・ジャクソン監督が手がけた『ホビット』三部作(12〜14)において、原作では細身の四つ足だった巨竜スマウグが二足型に改変されたのも、また最近の例として『ゴジラ/キング・オブ・モンスターズ』(19)に登場するキングギドラのクロールスタイルの動きも、全てが『ドラゴンスレイヤー』にその影響を感じることができる。 ■映画初となるCGドラゴンの登場 『ドラゴンハート』に登場するドラゴン「ドレイコ」は、そんな『ドラゴンスレイヤー』のクリエイターたちが生み出したドラゴンの進化系だ。先の『ドラゴンスレイヤー』でヴァーミスラックスの原型制作を担当したモデルアニメーターのフィル・ティペットがプロジェクトへと招かれ、よりリアリティを突き詰めるべく制作に乗り出したのである。 なによりドレイコは、CGによって創造された初のドラゴンとして特筆に値する。恐竜映画『ジュラシック・パーク』(93)が無機的な表現にとどまっていったCGアニメーションを生物表現へと発展させ、約6分間におよぶデジタル恐竜のショット群を作り出した。しかし『ドラゴンハート』はその4倍となる182ショット、約23分間に及ぶ登場場面を生み出し、しかもその製作費用だけで2200万ドルが費やされ、その額はドレイコの声を担当したショーン・コネリーの出演料をも凌駕する。 この『ドラゴンハート』の誕生によって、映画に登場するドラゴン映画は技術的な死角を克服し、神話的なモンスターがリアリティを伴って観客の眼前に迫るのを難しいものとはしなくなった。そして本作以降、ドラゴン・クリーチャー映画はその製作本数を大幅に増やすこととなる。しかもただ出てくるだけでなく、劇中における役割にも変化をもたらし、今となってはドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(11〜19)のような、作品テーマの根幹に関わってくるような扱いにまで発展しているのだ。 ■技術の劣化を感じさせない物語 とはいえ、今の成熟したデジタル技術に目慣れた視点から見れば、ドレイコはテクスチャー(質感)の甘さや カメラムーブにマッチしきれていない合成処理におぼつかなさを覚えるだろう。全体的なルックは実写とアニメーションの中点に留まっており、現実にそこに存在するというリアリティはまだ完全には追いきれていない。 しかし『ドラゴンハート』は、CGキャラクターの生成に飛躍的な成果をもたらした作品として、ドラゴンという枠のみならず映画の歴史にそのタイトルを刻んでいる。技術の画期性は経年とともに薄れてきているが、それを1990年代に創り出すのは容易なことでなかったし、現在の観点や価値基準に照らし合わせて当時の技術や演出スタイルを批判するのはフェアではない。このコラムの冒頭で詳述した『ニーベルンゲン』のように、ベーシックではあるが表現の歩み出しとして圧倒的なインパクトを放っている。 なにより本作は、こうした経年とは関係なく、観る者を魅了するドラマがある。人間の王子を蘇らせるために、自らの心臓(ドラゴンハート)を与えたドレイコ。だが彼の心を共有した王子は残酷な暴君へと変貌し、ドレイコは人間への不信をつのらせていく。映画は彼がデニス・クエイド演じるドラゴンスレイヤーとの接触を経て、人間との関係を修復させ、そして未来に希望を託すのである。ドラゴンが人語を解し、会話するというユニークな設定。そしてその設定を活かしたドラマの妙。誰もその魅力を否定することはできない。 ちなみに監督のロブ・コーエンと、筆者は『ステルス』(05)の取材で会っている。そのとき彼に自分が『ドラゴンハート』のファンだと伝えると、 「あの映画のドレイコの飛翔シーンや、彼が吐く火球がもたらす爆発効果は、本作や『デイライト』そして『トリプルX』などに活かされている。なによりも自分がVFXを多用する作品のきっかけとなった映画だから、とても嬉しいよ」 と、取材時間がつきそうになるとメールアドレスを筆者に渡し「聞き足りないことがあればメールくれ」とまで言ってフォローしてくれた。そんな監督の思慮深さが、この作品を観ると併せて思い出されるのだ。■
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PROGRAM/放送作品
ワイルド・スピード 【4Kレストア版】
ストリートカーレースのカリスマと潜入捜査官の友情と対決を描く大ヒットカーアクションシリーズ第1弾
西海岸を舞台に違法なチューンナップを施した日本車によるストリートカーレース“ゼロヨン”の世界と、強盗アクションを組み合わせスマッシュヒット。悪のカリスマを演じたヴィン・ディーゼルは一躍人気スターに。
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COLUMN/コラム2016.05.18
ドリー・尾崎の映画技術概論 〜第2回:編集〜
■編集の成り立ち 「編集」は、映画を映画たらしめる最大の要素だ。ショットとショットを繋ぐことで、そこに意味を持つドラマやストーリーが生まれる。さらには時間や空間の跳躍を可能にし、無限の表現や可能性をもたらしてくれるのだ。 まず成り立ちだが、アメリカ映画を主体として考えた場合、起源は110年前にさかのぼる。『大列車強盗』(1903)で知られるエドウィン・S・ポーターが、イギリスで発展の途中にあった「ショットとショットを編んでストーリーを語る」という概念を自作に用い、編集のベースを築いたといっていい。さらにそれを『國民の創生』(1915)『イントレランス』(1916)のD・W・グリフィスが精巧に磨き上げた、というのが定説だ。前者は物事を順々に追っていく絵物語的な構成や、別地点を捉えたショットどうしを交差させるパラレル(並行)アクションなどを確立させ、後者は過去回想や、ショットからショットへのよりシームレスな連結、パラレルアクションのさらなる多層化など、ジャンルの草創期において編集技法の基礎を形作っている(グリフィスが「アメリカ映画の父」と称されるゆえんはそこにある)。 併せて1920年代のロシアでは、ショットのつなぎ方によって違う印象を観る者に抱かせる「クレショフの実験効果」や、ショットとショットの衝突が新たな要素や概念を生む「弁証法モンタージュ」など、レフ・クレショフやセルゲイ・エイゼンシュテイン(『戦艦ポチョムキン』(1925))といった映画作家たちの手で、編集が高度に理論化されていく(ロシアで編集理論が発達したのは、識字率の低い民衆に社会主義を啓蒙するためとも、またフィルムが高額だったためとも諸説ある)。 大略ではあるが、こうした世界各地での研究によって映画の編集は様々な方法を確立させ、より完成されたものになっていったのである。 ■アナログ編集からデジタル編集へ 編集の作業だが、映画がフィルムを媒体としていた頃は、フィルムを切り貼りして繋げるアナログなプロセスが踏まえられてきた。撮影したネガから編集用の素材プリントを焼き、それをもとにエディター(編集者)と以下スタッフらによって「粗編集」が施される。さらにはその粗編集を監督やプロデューサー、あるいは撮影監督らの意向にしたがい完成版へと整えていき、最終的には完成した形に沿ってネガを編集していく(ファイナル・カット)。こうしたスタイルの作業を「リニア(線形)編集」といい、「ムビオラ」や「ステインベック」「KEM」といった、スコープで映像を覗きながら編集点をチェックしていく専用機が、それを下支えしてきたのである。 デジタルを媒体とする現在、映画は撮影された映像をHDDに取り込んで管理し、コンピュータ上で専用ソフトを用いて編集作業をする「ノンリニア(非線形)編集」が主流となっている。初めの頃は撮像済みのフィルムをスキャンしてデジタルデータへと変換する必要があったが、カメラ自体がデジタル機器化し、フィルムレスになった現在、フルデジタルによるワークフローが確立されている。 ■デジタル・ノンリニア編集への布石~コッポラの「エレクトロニック・シネマ」構想とルーカスの「EditDroid」~ 映画におけるノンリニア編集の可能性は、デジタルの興隆以前から模索されてきた。初期のものでは1970年代に「CMX」という、ビデオベースのリニア、ならびにノンリニア編集システムが開発されている。しかし映画の世界へと持ち込むにはコストが高く、パフォーマンスも不充分であるなど問題が多かった。 こうしたビデオベースの編集システムが映画に用いられたのは、1982年、フランシス・フォード・コッポラ監督によるミュージカル恋愛劇『ワン・フロム・ザ・ハート』の製作現場においてだ。かねてより「エレクトロニック・シネマ」という構想を抱いてきたコッポラは、撮影から編集まで映画を一貫した体勢のもとに創造できないかという計画を練っていた。同作で実現したそれは、大型トレーラーに音響と映像コントロール機器を搭載し、それをスタジオと連動させることで、撮影から編集までを一括管理のもとに行なえるというものである。編集に関していえば、103CエディターとソニーのベータマックスSLO-383ビデオレコーダーを用い、オフライン編集(ネガ編集のためのデータ作成)を可能とするシステムが組まれている。同作の北米版2枚組DVDに収録された映像特典“Electronic Cinema”の中で、Avid社のデジタル編集システムの共同開発者であるトム・オハニアンは「このコンセプトこそが後のデジタル・ノンリニア編集の先駆け」だと称揚している。 また、そんなコッポラの弟子筋にあたる『スター・ウォーズ』(77〜)シリーズのジョージ・ルーカス監督が開発に関わった「EditDroid」という編集システムも無視できない。これは映像素材をレーザーディスクに保存し、それをコンピュータで操作し編集を実行するというものだった。高額やスローアクセスなどのデメリットもあり、残念ながら普及はしなかったものの、これもデジタル・ノンリニア編集のコンセプトを持ち、後のAvid編集システムのベースとなった重要なシステムといえる。 そう、そして時代はコンピュータとデジタル技術の発展を促し、それをベースとする編集システムを世に送り出していく。1989年、Avid社は自社製ワークステーションとソフトウェアによるノンリニア編集システム「Avid」を開発。映画に新たなデジタル編集の革命をもたらした。膨大な撮影素材に素早くアクセスできることで、作業に格段のスピードを与え、結果、フィルムプリントを繋いでいた頃と比べてショットの組み合わせが多様になり、より巧妙で複雑な編集を可能にしたのだ。 ■デジタル編集の功罪? カオス・シネマ こうしたデジタル編集システムを最大限に活かした監督に、オリバー・ストーンがいる。氏は伝説的ロックグループを描いた映画『ドアーズ』(91)でEditDroidを試験的に用い、最大8台のカメラで撮影した50万フィートに及ぶ素材を140分、約3900ショットにまとめている。さらにはAvidとしのぎを削ったデジタル編集システム「LIGHTWOEKS」を導入し、オプチカル合成ショットだけでなんと2000ものショット数を超える『JFK』(91)を手がけたのだ(ジョー・ハッシングとピエトロ・スカリアは本作で第64回米アカデミー編集賞を受賞)。さらにNFLの試合を圧倒的な迫力で演出した『エニィ・ギブン・サンデー』(99)では、6人もの編集担当が9台のワークステーションを駆使し、全編7000ショットに迫らんとする細切れのショット編集を極めている。70年代には1000~2000ショットを平均としたハリウッド映画に比べると、驚異的ともいうべき数字の膨れ上がり方だ。 こうしたストーンの編集アプローチは、近年「カオス・シネマ」と呼ばれ、一部では揶揄される傾向にあるようだ。『トランスフォーマー』(07〜)シリーズのマイケル・ベイや『ボーン・スプレマシー』(04)『キャプテン・フィリップス』(13)のポール・グリーングラスなど、ショットを細切れにさばいて編集する監督の存在は、今や決して珍しくはない。彼らがトライする、めまぐるしくショットの変わる編集はアクション・シークエンスをエキサイティングに表現し、観客の興奮を大いに高める。だがいっぽうで、一連の動きの流れを分かりづらくしているという批判も存在する。 ただ、デジタル・ノンリニア編集が「カオス・シネマ」の悪しき創造主なのかと問われれば、そこは微妙だ。かつてマイケル・ベイはアクション大作『ザ・ロック』(96)をAvidで編集し、上層部を招いてスクリーン試写をしたところ、ガチャガチャして画面上の状況がわかりづらいという指摘を受け、再編集を余儀なくされるという失敗を経験している。以来、当人はデジタル編集には警戒心を持って臨んでいると語っており、またポール・グリーングラスは「シネマヴェリテ」と呼ばれるドキュドラマの手法のもと『ブラディ・サンデー』(02)を手がけ、もとよりショットを積みかさねて臨場感を出すやり方は自己流のものだ。 映画編集の第一人者であり、Avid編集システムを用いた『イングリッシュ・ペイシェント』(96)で第69回米アカデミー編集賞を受賞したウォルター・マーチは、編集をテーマにした自著「映画の瞬き 映画編集という仕事」の中で以下のように語っている。 「ショット構成の素早い編集は、アメリカ映画において大きな流れとしてあり、CM(コマーシャル)やMV(ミュージックビデオ)など異なる映像分野からの人材起用が一因としてある」 また『カッティング・エッジ 映画編集のすべて』という、ハリウッド映画の編集史にフォーカスを定めた秀逸なドキュメンタリー(2004年制作)において、『未知との遭遇』(77)『シンドラーのリスト』(93)の巨匠スティーブン・スピルバーグは、 「映像が氾濫している時代の若者は、優れた映像処理能力を持っている。それに応じて映画のショット構成も早くなっているのでは?」 と論じ、こうした傾向に理解を示しつつも懐疑的だ。 確かにマーチの指摘どおり、先述したマイケル・ベイや『ゴーン・ガール』(15)のデヴィッド・フィンチャー、あるいは『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16)のザック・スナイダーなど、現在活躍中の監督の多くはCM、MV分野を出自とし、80年代以降のブロックバスター・ムービーに大量投入された流派のクリエイターたちだ。またスピルバーグの論も、その懸念を含めて然りである。映画は構成された画の一つ一つに、読み解くことで成立する独自の記号や文法があり、CMやMVとは異なる編集時間を持つべきだ、とマーチは自著にて綴っている。 ただカメラがデジタル化され、記録容量の増大にともなって映像素材も膨大なものとなった現在、編集ショット数の増加傾向は「大きな流れ」としてあるものといえる。つまり「カオス・シネマ」も、それ自体が時代の趨勢によって確立されたものであり、デジタル・ノンリニア編集が生んだひとつの「成果」といえはしないだろうか? ■映画は観客の要求に応えるもの〜ロブ・コーエンが語る編集の極意〜 先の編集テンポ問題を提示した『カッティング・エッジ』において、ひとり面白い反応を見せていた人物がいる。『ワイルド・スピード』(01)の監督ロブ・コーエンだ。 ヴィン・ディーゼルをスターダムに押し上げた『トリプルX』(02)の中で、コーエン監督はあらゆる角度から捉えたエクストリームアクションのショットを構成し、独自の編集スタイルを打ち立てている。そして敵のレーダーに感知されない最新型ステルス戦闘機のエリート操縦士たちと、人工知能を搭載した無人ステルス戦闘機との壮絶なエアバトルを描いた『ステルス』(05)では、その超音速戦闘シーンを細切れのショット編集で見せ、「カオス・シネマ」を実践した一人といえる。当人はそのことを、以下のように語っている。 「僕の年齢は編集センスは70歳から始まり、どんどん逆行し、今や27歳くらいに思えてならない」 『ステルス』の日本公開時、筆者は来日インタビューで監督本人に会ったさい、先の抽象的な証言の真意を訊ねた。若返っていると感じる編集センスは、デジタル編集システムの恩恵なのか? とー。そこで氏はこう答えてくれたのである。 「デジタルの成果というよりも、若い観客に応えて作品を形成していったら、僕自身の編集センスが自然と若くなっていったのさ。お客さんが喜ぶものに従えば、自分のスタイルや方向性なんて自然と定まってくるものだよ」 編集スタイルの変化を時代の趨勢とせず、観客の声なき希求への返答と捉えたコーエン監督。ちょっとキザったらしく優等生っぽいが、編集という観点から商業映画の本質を捉えた、含蓄ある証言ではないだろうか。 ちなみにこのときのインタビュー、人工知能の反乱をスリリングに描いた点について、名作『2001年宇宙の旅』(68)の続編である『2010年』(84)からの影響ではないかと監督に指摘したところ、 「私を名匠キューブリックではなく、ピーター(ハイアムズ)と比較するのかキミは、ガッハッハ‼︎」 と豪快に笑いつつ、暴走ぎみな毒舌発言を連発していた。まぁ、そこは本テーマどおり「編集」をほどこし、あくまでも綺麗な美談として本項を閉じたい。■ Copyright © 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. 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