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特集 バック・トゥ・ザ あの頃 かつて流行った、懐かしの映画たち。当時を知る世代には懐かしく、当時を知らない世代にはその時代の空気を教えてくれる。そんな映画を特集放送する、ザ・シネマの準レギュラー企画。

特集 バック・トゥ・ザ あの頃 80年代

マッドマックス2 愛と青春の旅だち 48時間 地獄のヒーロー フットルース ベティ・ブルー/愛と激情の日々 トップガン

巻頭エッセイ アメカジの着こなしは、全部80年代映画に教わった。文/モヒカン小川(雑誌「ライトニング」ディレクター)

 俺のアメカジ(というかアメリカンカルチャー全般)の原点は、すべて80年代にあるといっても過言ではない。もちろん“ライトニング”でも人気の「アメリカン・ゴールデンエイジ」と呼ばれる50年代の世界観も好きだし、最近アメカジ業界で流行の“アーリーセンチュリーもの(戦前もののことね)”も嫌いじゃない。

 でも、中学高校という多感な時期を過ごした1980年代の空気感、そしてあのイケてるのかイケてないのかわからない自由な着こなしが、やっぱり今の俺の根本にあるんだよね。それを教えてくれたのが当時の映画。映画館に行ったり、再放送を観たり、後にビデオを借りて何回も何回も観返して、ストーリーはもちろん、主人公の着ている服や靴、バイクやクルマのディテールをチェックしたもんです。

 今回、ザ・シネマが特集する「バック・トゥ・ザ あの頃/80年代」のラインナップは、俺が何回も観てファッションチェックしたり影響を受けた作品ばかり。いやはや、懐かしいぜ。

『マッドマックス 2』

「イケてるのかイケてないのかわからない自由な着こなし」と先に書いたが、それが堪能できる最たる映画が『マッドマックス2』。戦争後の荒廃した世界で、暴走族が枯渇した石油を争奪しあうというストーリーのオーストラリア映画だが、その暴走族のファッションがとにかく突き抜けてる。ダブルライダースのベストに革パンという逃げ場のないコーディネイトを見せる主演のメル・ギブソンなんてかわいいもんで、敵役は、モヒカン頭にアメフトのようなプロテクターをレザーに合わせる自由っぷり。

 前作の『マッドマックス』では、どちらかというと登場人物のファッションよりも、フォードXBファルコンをベースにカスタムされた“インターセプター”や、カワサキZ1000ベースのポリスバイクなど乗り物系の印象が強かったが、この2作目は登場人物の傾いたファッションに釘付けだった。とにかくぶっ飛んだファッションではあるけど、当時の俺にはすごくカッコよく見えた。俺も若かったんだな~。さすがにこの着こなしをすべて真似すると街を歩けない(というか補導されるorすごく不良に絡まれる)ので、当時は真似できなかったけど。しかしこの映画の影響で、後にプロテクターを多用した“バトルスーツ”が生まれ、ハード系バイカーファッションの一角を今でも担っていることを考えると、やはり『マッドマックス2』は名作だと思う。

 余談だが、5年ほど前にオーストラリア旅行に行った際、モヒカン頭にダブルライダースの俺を見た通りすがりのオージーに「マックス!」と叫ばれたことがある。バカにされてたのかも知らんが、ちょっと嬉しかったな(ちなみにNYでは「デニーロ!」と叫ばれたこともある♪)。

『ビバリーヒルズ・コップ』
今回の特集には間に合わなかったが、『ビバリーヒルズ・コップ』は3月、シリーズ123がザ・シネマに登場。乞うご期待!

 アメカジを語る上で、忘れちゃいけないのがデニム。王道アメカジでは、セルビッジデニムを使用したストレートモデルが基本だが、昨今のアメカジトレンドでは、シルエットがテーパード気味で若干細くなりつつある。がしかし、1980年代のデニムは、もっともっと細いスリムが幅を利かせていた。そして特徴的なのが「色」。穿きこみ過ぎて白に近いくらいの「水色」のデニムが多かったのを覚えてる。それを受けてか最初から色の落としてある「ブリーチデニム」が売り出されたのも1980年代。穿きこむと、味が出るというより汚くなってしまう、寿命の短いデニムだった。買った次の日にラー油をこぼして落ち込んだ記憶が甦るぜ。まぁそれはいいとして、『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィーも、『フットルース』のケビン・ベーコンも、みな一様に細身で色の薄いデニムを穿いていた。

『フットルース』『48時間』

 彼らのカッコは、いわゆる80年代を代表する「ザ・エイティーズ」スタイル。スタジャンに色落ちデニム、足元はアディダスのカントリーというエディ・マーフィーのスタイルや、デニムにスニーカー、何の変哲もないグレーのスウェットを腕まくりするというケビン・ベーコンの“ハイスクールの普段着ルック”に「これがアメリカなんだぁ」と憧れたもん。ケビンのカッコは、正直ちょっとダサいんだけど、そこが“逆に”カッコよくみえるんだよね。

 そして忘れちゃいけないのがエディ・マーフィーの出世作である『48時間』のニック・ノルティ。彼はブーツカットにウエスタンブーツ(おそらくトニーラマ)を合わせていて、とてもスタイリッシュに見えた。ヒッピームーブメントが花開いた70年代のユニフォームだったベルボトムの存在は知っていたが、俺にとってのブーツカット初体験はニック・ノルティだった。80年代後半、渋谷にチーマーが現れ、いわゆる“渋カジ”の波に俺も乗ったけど、あの頃はみんな一様にブーツカットにエンジニア、ライダースにインディアンジュエリーを着けていたっけ。あれから現在にいたるまで、俺の基本ファッションは全然進歩していない……。

 渋カジが流行り、渋谷にたむろするようになるまで、洋服はほとんどすべて上野のアメ横で買っていた。特に足しげく通ったのが、ミリタリーの老舗である中田商店。所狭しと並べられた革ジャンや軍放出品を眺めるだけでも楽しかったなぁ。もちろん当時は金などなく、新品のレザージャケットなどは高嶺の花。買えるのはベトナム放出品ばかりだった。

『地獄のヒーロー』

 80年代は、ベトナム戦争映画が乱立した時代。『地獄の黙示録』から始まり、『プラトーン』や『フルメタルジャケット』、『グッドモーニング,ベトナム』など名作揃いだが、この一連のベトナム作品の中で、俺がファッション的に影響を受けたのが『ランボー』と『地獄のヒーロー』だった。やっぱりヒーローただ一人が着ていればこそ、そのファッションを真似したくなるのであって、出てくる夥しい数の人間すべてが同じカッコをしていても、全く真似する気が起きないということが判明。軍服だけに、着こなしも部隊のみんなが一緒だし。その点、単独で戦うスタローンとチャック・ノリスは根性の入り方が違う。『ランボー』の冒頭、スタローンが街に入るシーンで着ていたM-65フィールドジャケットのカッコよさに惚れ、チャック・ノリスのラフなジャングルファティーグに恋をして、両方とも中田商店で購入した。今でもたまに着る、バリバリの現役なのだ。

『トップガン』

 80年代のミリタリー映画は、もちろんベトナムものだけじゃない。『トップガン』は、その後のフライトジャケットブームに火をつけた記念碑的な作品。ちなみにトップガンとは、アメリカ海軍戦闘機兵器学校のことで、パイロット達に空中戦技を指導するエリート養成機関。その劇中でトム・クルーズがバイク(GPZ900ニンジャ)に乗る時などに着用している、パッチがいろいろ付いたボア付きのジャケット(G-1)のクールさに、当時の多くの若者がヤラれたのだった。そもそもG-1とは海軍のパイロットのために開発された飛行服のこと。このG-1トップガンモデルのレプリカが飛ぶように売れ、これに端を発しMA-1やA-2などなど、海軍空軍入り交じってのフライトジャケットが街を席巻した。俺も、劇中で出てくるCWU-36/Pと呼ばれるフライトジャケットをアメ横に買いに行ったもん。G-1の素材はゴートスキンだが、こちらは耐熱アラミド繊維と呼ばれる難燃性素材で作られていて、なんともプロスペック。いい気になって「これ、燃えないんだぜ~」と言いながらライターであぶり、友人を驚かしていた。が、実は縫製糸は難燃性ではないということを知らず、悲しい結末を迎えてしまったのも今は昔である。海軍では自分のジャケットに好きなパッチを貼ることが許されていて、みな自分の所属した部隊や艦隊、記念パッチなどを自由に付けている。映画を観ながらパッチの意味を紐解くのも、『トップガン』のマニアックな楽しみ方のひとつだ。

『愛と青春の旅だち』
『愛と青春の旅だち』

 80年代を代表するもうひとつの海軍映画が『愛と青春の旅だち』。この映画は青春映画や恋愛映画としてカテゴライズされることが多いが、俺にとってこれはれっきとしたミリタリー映画である。アメリカ海軍が舞台の映画って、空軍モノと比べてとにかく男がモテる。この映画も、オネーチャンたちがこぞって海軍士官学校の男たちに色目を使う。泥臭い陸軍が女性にモテないのは理解できるが、なぜ空軍よりも海軍なのか。俺が思うに、答えは制服にある。映画のクライマックスでリチャード・ギアがバリっと着こなしている「ドレス・ホワイト」と呼ばれる海軍独自の純白の礼服が、なんともスマートでカッコいいのだ。ちなみに『トップガン』では、トム・クルーズが「サマー・ホワイト」と呼ばれる半袖の制服を着て、ケリー・マクギリスをナンパしていた。こんな、女性をとろけさせる海軍の制服を心ゆくまで堪能できるのは、『愛と青春の旅だち』をおいて他にない。

 俺が青春時代を過ごした80年代も、もはや30年前。あの頃、当たり前に手に入ったものも、いまではヴィンテージとして高値が付き始め、周りに溢れていたものが「復刻」というカタチで現代に甦ってきている。しかし、あれからどんなに月日がたっても、俺の根っこはそう簡単には変わらない。俺の基本ワードローブである革ジャンもブーツもデニムも、すべて80年代の映画から教わったし、クルマやバイクも、もしかしたら女性の好みも、80年代の映画から影響を受けている(女性の好みは洋画ではなく邦画の影響を受けてますが)。ここらで一度、ゆっくりとザ・シネマの80年代特集で自分の足元を見つめ直すのも悪くないな。

『トップガン』

80年代と音楽

 80年代はMTVの時代である。つまりPVの時代である。MTVの開局は1981年。これ以降、音楽は映像と永遠に別れられない関係になる。曲の世界観に見事にマッチした映像が、楽曲と完璧にシンクロしたテンポ感の編集で繋げられ、音楽の快感をとことんまで高める。当たり前のことを書いているようだが、これこそが80年代MTV時代の発明だった。

 音楽とは、これほどまでに気持ちの良いものだったのか!まさしく文化史上の画期的な大発明だ。その結果、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のように、映画界のトップ・クリエイターが参加し、映画顔負けのクオリティのPVが作られるようになった。逆に、映画界の方がPVの方法論を採用する例も出てきた。その代表例が『トップガン』である。

 プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーはそもそもMTV世代を狙って『フラッシュダンス』を仕掛け、その成功に勢いづいて、『ビバリーヒルズ・コップ』や『トップガン』を、次々とMTV世代に向けて放っていったのである。

70年代とファッション

 別名『トップガン』の“愛のテーマ”としても知られる、ベルリンの歌うTake my breath away(「愛は吐息のように」)は、アカデミー主題歌賞、ゴールデングローブ歌曲賞に輝くなど、高く評価された。この曲は、トム・クルーズが思いを寄せる女性教官ケリー・マクギリスの自宅を訪問し、食事を共にし、立ち去るまでの一連のシークェンスで流れる。カリフォルニアのサンセット、ビーチ沿いにどこまでも並ぶヤシの街路樹、その間を駆け抜けるトム・クルーズのニンジャ、オレンジに染まるマクギリス邸のキッチンや、ポーチに置かれたラタンの家具、といったカットが、ゆったりとした曲のテンポに合わせて繋げられ、いかにも80’sなムードが横溢している。

 ただし、PV的演出がもっともよく判るのは、むしろ冒頭で流れるご存知「デンジャー・ゾーン」の方だろう。これも『トップガン』のテーマとして誰もが知る曲だが、ロックの疾走感にあわせ、極めて細かいカット繋ぎで、空母甲板で離発着するF-14艦上戦闘機、立ち上がるカタパルト、炎を吹くエンジンノズルと爆音、デッキクルーが送る手信号のアップなどが次々と映し出されていき、生理的快感をいやが上にも刺激しまくるのだ。

 音楽と映像がテンポ的に融合した生理的な気持ち良さ、というものは、80年代以降の映画で当たり前に求められる要素となっていった。映画は、良くも悪くも、それ以前の時代とは異なり、快楽中枢を直接的・機械的に刺激してくる、“カイカン”と“ノリ”のメディアとしての側面を強めていった。テーマ性も芸術性も必要かもしれないが、まずは最低限“カイカン”と“ノリ”をクリアしていることが、ハリウッドでは求められるようになっていったのだ。

70年代とファッション

  80年代当時においては、流行りのミュージシャンによるロックやポップ・ミュージックのサントラ使いこそ、MTV世代映画の一大特徴だった。しかし、90年代以降は必ずしもロックやポップ・ミュージックに限定されなくなり、音楽と映像を融合させる技術は、映画監督に普通に求められるようになった。“カイカン”と“ノリ”のメディアを作る上での不可欠のセンスとなったのだ。そのためもあって、90年代以降はPV出身の映画監督が数多く登場している。マイケル・ベイ、デヴィッド・フィンチャー、ゴア・ヴァービンスキー、ザック・スナイダーといった今日ハリウッドの第一線で活躍する面々は、みなPV出身だ。

 なお、「デンジャー・ゾーン」を歌ったミュージシャンのケニー・ロギンスは、『トップガン』の2年前に『フットルース』の同名主題歌も歌っており、こちらは全米1位ヒットとなった。ただしこの『フットルース』は、80年代に特徴的な作品と言うよりも、『サタデー・ナイト・フィーバー』に連なる青春ダンス映画の系譜として語る方が相応しいだろう。

(文/編成部 飯森)

 

『地獄のヒーロー』

80年代とPOW/MIA

 ベトナム戦争に勝てなかったアメリカには70年代、挫折感や厭世主義、それと裏表の刹那主義、そして反体制ムードが蔓延していた。アメリカ映画も例外ではなく、そこからアメリカン・ニューシネマが生まれ、また、精神的に深い傷を負った帰還兵たちの苦悩を描く“ベトナム症候群”モノ映画も盛んに製作された。

 しかし80年代に入ってロナルド・レーガンが大統領に就任すると、時代空気は一気に入れ替わる。ベトナム後の閉塞感は吹き飛び、タフでマッチョで明るく能天気な、自信に満ちた姿をアメリカは取り戻していく。同時に、右傾化していくことになる。レーガンは2期8年、まさに80年代というディケイドを通じて、アメリカに君臨し続ける。

 そんな新しい時代空気の中、ハリウッドで流行したのが“POW/MIA奪還モノ”とでも言うべき、一連の戦争アクション映画だ。

 戦中・戦後直後のトラウマ厭戦期から脱したアメリカ人の一部は、「POW(Prisoner of War、すなわち捕虜)/MIA(戦闘中行方不明者)たちが、ベトナムによって未だに監禁されており、虐待・拷問されている!」と本気で信じ、実力をもって彼らを“救出”したいと願った。

『地獄のヒーロー2・復讐のブラドック』

 これには根拠が無い訳でもない。確かに戦争中には米兵が捕虜にされ、拷問を受け、“戦争犯罪告白文”に署名させられた事実があったからだ。08年の大統領選でオバマと戦った共和党のマケイン候補は、戦争中に北ベトナムの捕虜となり、プロパガンダに協力するよう拷問され、“戦争犯罪告白文”に署名させられた。映画『地獄のヒーロー2・復讐のブラドック』で描かれていることは、実は、部分的には実際にあったことなのである。

 しかしそのマケイン氏も、戦争末期の米国政府による対北ベトナム外交交渉「ホームカミング作戦」の結果、米軍撤兵直前の73年に釈放され、その他の捕虜たちもこの時点で解放されている。だが、それから10年近くを経た80年代でも、一部のアメリカ人たちは「まだまだ多数のPOW/MIAがベトナムの捕虜収容所で虐待されているに違いない!」と信じ続けていたのである。そして、それがアメリカとベトナムの間で外交懸案になっていたのだ。

 MIAではないが、同郷の戦友が戦争中ベトナムで失踪し、その後もベトナムに居つき、いつ死んでもおかしくない自滅型の生活を送っていると知った男が、その戦友を救出しにベトナムに戻るという物語『ディア・ハンター』が、1978年に公開される。これは、“ベトナム症候群”モノ映画に、POW/MIA奪還モノ映画のエッセンスを先取りして注入したような作品だ。1983年には『地獄の7人』が公開される。こちらはジーン・ハックマン演じる父親の元軍人が、MIAとなった息子を救い出すため、傭兵部隊を結成してベトナムに殴り込みをかけるという、“MIA奪還モノ”アクション映画の嚆矢だ。

 翌1984年には、原題Missing in Action(略してMIA)という、そのものズバリのタイトルの映画が公開される。これが邦題『地獄のヒーロー』として日本人には知られる作品であり、さらに翌85年のご存知『ランボー/怒りの脱出』へとブームは続いていく。

『地獄の7人』

 この2作は、元POWだった男がPOW/MIA問題解決のため政府から協力を求められるが、外交交渉やら証拠収集など悠長なことをやっている政府にしびれを切らし、個人的にベトナムの軍事施設に攻撃を仕掛け、超人的活躍でベトナム軍をやっつけ、見事POW/MIA米兵たちを救出し、最後は政府の弱腰外交や事なかれ主義を批判して終わる、という、極めて似通ったプロットを持っている。

 さらにここから、B級・Z級のエピゴーネンたちまで出現し、“POW/MIA奪還モノ”は80年代ハリウッド・アクション映画において1ジャンルを形成していったのである。

 これらを観た80年代アメリカ人は、さぞや溜飲を下げただろうが、「捕虜を10年以上監禁し虐待している」などと言われたベトナムは、きっといい迷惑だったに違いない。90年代初頭、アメリカ上院POW/MIA問題特別調査委員会(マケイン氏もそのメンバーだった)が1年半にわたって調査したが、その報告書には「誰であれアメリカ国民が、東南アジアにて生きて虜囚となっているということを証明する有力な証拠は、現時点においては存在しない」との結論が記された。アメリカとベトナムの国交回復は、その2年後の95年である。

 なお、アメリカ国防総省には、POW/MIAの捜索を任務とするJPACという機関が実在するが、これは遺骨収集団のようなもので、もちろんブラドックやランボーのような物騒な隊員はいない(はず)。

(文/編成部 飯森)

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