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90sカルチャーはこんなにヤバく、おもしろかった

 ソフィア・コッポラという人物と現在彼女が立っている場所を語ろうとする時、90年代にNYと東京の二つの都市で起こっていた出来事はとても大きな意味を持つ。現在、映画やアートやファッションの分野で有名になった人物たちが、ほんの20歳やそこらだったこの時期に互いに強く結びついていたということは、知れば知るほど驚かされるばかりだ。今は大人になってみんな少しは落ち着いたのかもしれないけれど、彼女たちに対して「ベテラン」という言葉は似合わないし使いたくない。なぜって、当時のソフィアが「沢山トライして、沢山失敗して、沢山学べばいい」と語っていたように、彼女たちが出会った90年代というのは前例のないことをどんどんやったラッドな時代だったし、その精神はきっと永遠のものだと思うから。

 映画監督フランシス・フォード・コッポラとアーティストのエレノア・コッポラの長女として生まれたソフィアは、幼いころから映画のセットに囲まれ、ドミノという名で子役を演じたり、15歳でシャネルのインターンをしたり、17歳では父親と共作で脚本を書いてその衣装も担当するなど(オムニバス映画『ニューヨーク・ストーリー』('89)収録『ゾイのいない人生』)恵まれた環境を生かして様々な経験をしてきた。ソフィアを知る人々は口を揃えて彼女のことを物静かな人だと言うが、本人に言わせるとこうだ。「行動は言葉よりその人を語る。やりたいことはどんどんやりましょう」

 90年にはソニック・ユースのPV(『Mildred Pierce』)に出演しているから、この時すでにキム・ゴードンやサーストン・ムーアとの付き合いは始まっていたようだ。90年代初期にソフィアは母のエレノアとNY にやってきており、母に連れられ観に行ったのが当時マーク・ジェイコブスがデザインしていたペリー・エリスのグランジコレクションだった。ソフィアとマークは初対面で意気投合し、その友情は現在まで数々のコラボレーションを重ねながら続く。おもしろいのは、やはりこのコレクションがきっかけでマークとキム&サーストン、さらにはまだ全くの無名だったクロエ・セヴィニーまでもが出会っていたということで、この時彼らが制作したソニック・ユースのPV(『Sugar Kane』(’92))はラリー・クラークの『KIDS』('95)より3年も前の、実質的にクロエのデビュー作であったし、そんなこんなで当時のNYのカルチャー的磁場というか磁力の凄さを感じずにはいられない。

 91~92年はソフィア史的に本当に重要な時期で、やはり有名な映画監督の娘である大親友のゾエ・カサヴェテス(93年に二人はTV番組『HI-OCTANE』を手がける)、後の夫となるスパイク・ジョーンズ(99〜03年結婚)、数年後『ヴァージン・スーサイズ』でコラボレーションするマイク・ミルズやマーク・ゴンザレスなどスケーター/アーティストたちともみんなこの頃に出会っている。ソフィアのキャリアに多大な影響を与えた編集者の故・林文浩(a.k.a.チャーリー・ブラウン)と知り合ったのもやはり92年頃のようだし、さらにゴシップ的な話をすると当時の彼氏はキアヌ・リーヴスだった。

 93年にビースティ・ボーイズの手がけるアパレルブランドX−LARGEの女の子版、X−GIRLをキム・ゴードンとデイジー・フォン・ファースが始めることになった時、路上でゲリラショーをやろうと言い出したのはソフィアとスパイクだった(デイジー曰く「お互い気になってた二人が一緒に過ごす口実で思いついたんだと思う!笑」)。94年にはビースティの東京ライブの前座でX−GIRLのショーをやることになり、ソフィアはデイジーの代理でキムと来日している。

 キムに影響されたソフィアは95年、LAの幼なじみ、ステファニー・ハイマンと自身のブランドmilkfed.をスタート。ステファニーの妹レスリーはそのカタログモデルを務めたほか、長女役で『ヴァージン・スーサイズ』にも抜擢された。milkfed.代官山店の準備のため96年頃のソフィアは頻繁に来日しており、新宿のパークハイアットを定宿にしていたという。また同じ年には、キムやソフィアなど、アメリカのガールズクリエイターを取りあげる「BABY GENERATION」展が渋谷パルコで行われた。この頃に東京の友人たちと遊んだ経験が後の『ロスト・イン・トランスレーション』 (’03)に生かされていることは明らかで、また日本におけるmilkfed.の成功はソフィアにまとまった収入をもたらし、その後の活動を支える資金になったという。

 ああ、残念だけれどそろそろまとめに入らなくてはならない。ソフィアに『ヴァージン・スーサイズ』('99)の原作本をくれたのがサーストン・ムーアだったというのは有名な話だ。すでに誰かが進めていたこの映画の内容が性や暴力を強調したものだと知ったソフィアは「私がこの作品を守る」と少女の側に寄り添った脚本を書き、見事権利を奪取。98年に撮影開始となった。個人的な話で恐縮だが、そのスチールを撮っていたのがイギリスの写真家コリーヌ・デイだったと知り、彼女の活動も追っていた私はうわ、こことここも繋がるのか!とかなり驚いた。『ヴァージン~』の映像はすべてが光を閉じ込めたように魅力的だが、この時の二人の感性は双子のように共鳴し合っており、正直クレジットのない現場写真はどちらが撮ったものだか私には見分けがつかない。そして現夫であるフェニックスのトーマス・マーズはこのサントラに参加しているだけでなく、超端役で劇中にも出演しているのでこの機会にぜひ探してみてほしい。
 
 ご存知のとおり『ヴァ―ジン~』は世界で熱狂的に受け入れられ、90年代の終わりにソフィアは映画監督として輝かしいデビューを飾った。それはあらゆることに挑戦しながら自分のやるべきことを探していた女の子が、これだというものを見つけた決定的な瞬間だった。

 

aggiiiiiii(アギー)

オルタナティブカルチャーZINE『KAZAK』発行人。ライオットガールや英米のガールズカルチャーに関心があり、独自に研究中。2015年にひきつづき、今年もVOGUE girlのウェブサイトにて新連載が始まったほか、「ザ・シネマ」ウェブサイトではコメディ俳優の似顔絵も描いています。兵庫県出身、東京在住。ZINEのお取扱店などはブログをご覧ください。
www.kazakmagazine.blogspot.jp

連載中!!
VOGUE girl
http://voguegirl.jp/lifestyle/20160203/feminism-introduction/

ザ・シネマHP内「本当は面白い!アメリカン・コメディ」
https://www.thecinema.jp/special/americancomedy/

  • KAZAK #5「CORINNE DAY」

    リアルでダーティーなファッション写真で90年代以降のカルチャーに革命を起こしたイギリスの写真家、コリーヌ・デイのファンジン。無名のケイト・モスを大抜擢して注目を集めた伝説の『The Face』(90年7月号)撮影時の背景、生い立ち、闘病、2000年に発売された写真集『Diary』のことなど。

  • KAZAK #6「GRRRLS」

    2013年6月に西海岸へ8日間の旅をした記録。ポートランドでアーティストの女の子と友だちになり、ミランダ・ジュライのあしあとをたどってバークレーを歩き、サンフランシスコでミシェル・ティー原作のダイク映画のプレミアへもぐりこみ、SHE&HIMのライブを観るなど。

  • 『ブリングリング』オフィシャルファンジン 

    2013年のソフィア・コッポラ監督『ブリングリング』公開直前、ゲリラ的に全国に登場し、一瞬でなくなってしまったツチノコのようなファンジン。読んでから映画を観ると、より理解ができる内容だった。配給会社の協力のもと、KAZAKチームで制作を担当。

「マリー・アントワネット」

 前作『ロスト・イン・トランスレーション』(03)でアカデミー賞を受賞したソフィア・コッポラが、デビュー作でタッグを組んだキルステン・ダンストを再び主演に迎え、18世紀に激動の生涯を送ったフランス王妃の苦悩と喜びを描く。
 祖国オーストリアの運命を背負って14歳でフランスの王族へ嫁いだマリーは、いつまでたっても自分に関心のない夫・ルイ16世のため孤独に耐える一方で、世継ぎを望む周囲からの重圧にも日々苦しめられていた。その反動のように着飾ることに夢中となり、華やかなドレスに身を包んで貴族仲間と派手に遊ぶことを愛したマリーだったが、やがてそれが貧しい生活を送る国民の反感を買うことになる。
 撮影はフランス政府の協力のもと、実際に王妃が暮らしたパリ郊外のヴェルサイユ宮殿にて行われた。パステルカラーのコスチュームや縦に大きく膨らませた髪型など、当時マリーが流行らせたスタイルを基に、自身のファッションセンスにも定評のあるコッポラが遊び心を加えたビジュアルはそれだけでも一見の価値がある。

text:aggiiiiiii

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