青野賢一 連載:パサージュ #22 思いちがいが最大限の恐怖をもたらす──『ブラッドシンプル ザ・スリラー』

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青野賢一 連載:パサージュ #22 思いちがいが最大限の恐怖をもたらす──『ブラッドシンプル ザ・スリラー』

目次[非表示]

  1. 物語の内容を示唆するモノローグ
  2. 露呈する不倫、マーティの怒り
  3. 私立探偵の悪だくみ
  4. 探偵のミス、レイの思い込み
  5. 緊迫感をもたらすカット割り
  6. エンドロールに流れるモータウン・ヒットの意味
 兄のジョエルと弟のイーサン、ふたり合わせてコーエン兄弟の名で知られる彼ら。ジョエルは子どもの頃から8ミリ映画を撮り、ニューヨーク大学で映画を本格的に学ぶ。卒業後、映像関係の仕事をするなかでサム・ライミと知り合い、彼の監督作『死霊のはらわた』(1981)の編集助手を務めることとなったのはよく知られるところだろう。イーサンが大学を卒業すると、ふたりで脚本の執筆をスタート。それを映画化したのがインディペンデント作品『ブラッド・シンプル』(1984)である。彼らのデビュー作であるこの作品は1985年にインディペンデント・スピリット賞監督賞を受賞。次第に注目を集めるようになり、20世紀フォックス社との契約をもたらすこととなった。
 ハリウッド映画界で働く脚本家バートン・フィンクの「書けない」焦燥と奇妙で強烈な体験をじっとりとしたムードで描いた傑作『バートン・フィンク』(1991)でカンヌ国際映画祭パルムドール、監督賞を受賞。1996年の『ファーゴ』がカンヌ国際映画祭監督賞とアカデミー賞脚本賞を受賞すると、コーエン兄弟の知名度は飛躍的に高まった。今回ご紹介する『ブラッドシンプル ザ・スリラー』は、彼らのデビュー作『ブラッド・シンプル』のオリジナル・ネガを自ら再編集した1999年の作品。いうなれば『ブラッド・シンプル』のディレクターズ・カット版である。

物語の内容を示唆するモノローグ

 本作は「人生に不満は付き物だ」というモノローグで幕を開ける。ここで語られる内容は、その後の本篇の内容を抽象的だが端的に示すものだ。曰く「トラブルは必ず起きる」「ここテキサスの人間は──皆 自力で解決しようとする」。「ここテキサス」とあるように、舞台となるのはテキサスである。
 車のなかの男女が静かなトーンで会話をしている。夫から柄にパールが貼り込んである拳銃をもらった、それを使っていつか夫を撃ってしまいそう、夫はどこかおかしいのではないか、などと語るこの女性はアビー(フランシス・マクドーマンド)。運転する男はレイ(ジョン・ゲッツ)という名で、アビーの夫、マーティ(ダン・ヘダヤ)が経営するバーで働いている。レイはアビーに好意を抱いており、そのことを車内でアビーに告げた。忙しなく動くワイパーが強い雨を払いのけるが、水滴は次から次へとフロント・ガラスを叩く。するとアビーが突然「止めて レイ」といった。レイが後方を見ると、そこには1台のフォルクスワーゲン「ビートル」が。アビーたちの車を追い越してゆくビートル。レイはアビーがこのビートル(とその持ち主)を知っているのかと思い、彼女に問いかけたがそうではなく、アビーはレイと関係を持つべきかどうか迷っていたのだった。この認識の違いは程なく解消され、ふたりはモーテルにしけこむわけだが、このような些細な認識のズレ、思いちがいという事象は、物語が進むにつれて深刻な問題を引き起こすことになるのである。

露呈する不倫、マーティの怒り

「ブラッドシンプル ザ・スリラー」
© 1984 River Road Productions

 アビーとレイの関係は、マーティが雇った私立探偵(M・エメット・ウォルシュ)の働きによってすぐさまマーティの知るところとなる。モーテルのベッドでまどろむふたりの写真をマーティに渡す探偵はこんなことをいった。「相手は白人だったんだ 悪いほうに考えるな」。テキサスに対する負のイメージ、すなわち白人至上主義的な側面(1920年代半ばには全米最大規模のクー・クラックス・クランの組織がテキサス州にあった)を一手に引き受けたような人物──おまけにお寒いアメリカン・ジョークも大好物──がこの私立探偵なのだ。さて、そんな調査報告を聞いたマーティは当然怒り心頭。後日、ふたたび探偵と接触を図りある依頼をするのだった。
 ある依頼とはレイとアビーを殺害すること。報酬は1万ドルだ。このシーンでマーティはふたり、とりわけアビーを始末してもらうことへのためらいからか、口籠ってなかなか切り出そうとしないどころか、探偵に「どう思う」と質問までする。それを探偵がうまく挑発して依頼を引き出したのだ(正確にはマーティは「殺してくれ」とはひと言も発していないのだが)。マーティにアリバイを作らせるため「あんたは──釣りへ行け」と促す探偵。「終わったら連絡する 金を工面しておけ」。交渉が終わったふたりの顔はじっとりと汗ばんでいる。この湿度、どこか『バートン・フィンク』を思わせるところがあるのではないだろうか。
 夜になって、探偵はレイの家に忍び込む。寝室にはアビーとレイ。ふたりまとめて殺るにはもってこいのシチュエーションだ。まずアビーのバッグを漁って、彼女がマーティからもらった拳銃を見つけ出す。弾は3発。これを手に、抜き足差し足、寝室へと近づく探偵だったが、何を思ったか踵をかえし家の外に出た。そして彼の目線で見た「眠っているふたり」が映し出されたところでこのシークエンスは終了する。

私立探偵の悪だくみ

「ブラッドシンプル ザ・スリラー」
© 1984 River Road Productions

 場面が変わって、朝。電話ボックスからマーティに電話をかける探偵。マーティが「仕事は済んだのか」と尋ねると彼は「金をもらえば終わりさ」と返す。夜に探偵は金を受け取りにマーティの店へ。殺した証拠を見せろとマーティがいうと、探偵は大判の封筒を手渡した。なかには「3箇所ほどから血を流してベッドに横たわる」ふたりの写真。それを見て吐き気を催したマーティはトイレに向かう。探偵といえば、ひと仕事終えてあとは報酬をもらうだけにもかかわらず、その間なぜか落ち着きが感じられない様子だ。トイレから戻ってきたマーティと話をしているあいだ、探偵の顔のまわりには蠅か蜂と思しき虫が1匹まとわりついているが、彼はそれを気にせず会話を続ける(実はアビーとレイを殺害する取引をしていた車中でも、探偵の顔まわりには同様の虫がいた)。この様子から、探偵に余裕がないことがわかる。なぜ余裕がないかといえば、それは彼が何かを企んでいるからである。金を受け取った探偵はレイの家に忍び込んだ際に手に入れたアビーの拳銃でマーティの右胸あたりをズドンと一撃。「バカはお前のほうだ」と捨て台詞を吐き、札束を無造作にジャケットのポケットにねじ込んでピストルをマーティの方に蹴飛ばし、店をあとにした。

探偵のミス、レイの思い込み

「ブラッドシンプル ザ・スリラー」
© 1984 River Road Productions

 ここで思い出してほしいのは、アビーの銃に装填されていた弾が3発だったこと。マーティを撃つための4発目の弾が存在しないことを知っているわたしたちは、このことから「アビーとレイが3箇所ほどから血を流してベッドに横たわる」写真は偽造されたものだということがわかる。つまり探偵はアビーとレイを殺さずに報酬を受け取ったらマーティを始末し、その罪をアビーに着せようと企んでいたのだろう。この計画はうまく運んでいるかのようだったが、彼はここで重大なミスをふたつ犯してしまう。ひとつは引き上げるはずだったくだんの偽装写真をマーティがこっそり店の金庫内に保管したため、写真の入っていない封筒を持ち帰ってしまったこと。もうひとつは愛用のライターをうっかり店に置いてきてしまったことだ。
 そのすぐあと、レイがマーティのもとを訪れる。椅子に腰掛けるマーティの後ろ姿を目にしたレイがそちらに近づくと何かを蹴飛ばし、その瞬間、銃声が鳴り響いた。蹴飛ばしたのは先ほど探偵が置いていったアビーのピストル。それが衝撃で暴発したようだ。マーティに目をやると血を流しうなだれて動かない。アビーのピストルとマーティの惨状を見たレイは、事態をすっかり飲み込んだ。アビーがマーティを殺したのだと。
 アビーがマーティを撃ったのは、自分との関係があるからにちがいない。レイはそう考えたのだろう。そうなれば原因は自分にあるわけだし、また愛するアビーが殺人で逮捕され、はなればなれになるのは何より辛い。レイは床に滴る血液を自分の上着で必死に拭きとり、アビーの拳銃をマーティのジャケットのポケットに入れ、ピクリともしないマーティを担いで車に乗せて走り出した──。

緊迫感をもたらすカット割り

「ブラッドシンプル ザ・スリラー」
© 1984 River Road Productions

 どのくらい走っただろうか、ずいぶんと田舎のあたりまでやってきたレイの車。死体であるマーティを一瞥すると、レイは恐怖からか急ブレーキをかけ、車を止めて車外に飛び出した。そこは宅地として売出し中になっている広大な畑。周囲を見渡し、そこに埋める決心をして車に戻るとマーティの死体がない。見れば道路を這いつくばって前に進むマーティの姿。なんとマーティはまだ生きていたのだ。レイは逡巡しつつもマーティを生かしておくわけにはいかないと彼を葬り去るのだった。
 アビーがマーティを殺したと思い込んでしまったレイの行動は悲劇であると同時に、真相を知っている我々からすればヤキモキさせられ、また滑稽でもある。そして、そんな思いちがいに基づいたレイの行動がアビーに最大級の恐怖を味わわせることとなる。終盤の手に汗握る展開はぜひ本篇にてご覧いただければと思うが、アビーとレイが事件の真相に近づくにつれ、場面転換とカット割りが細かく行われ、緊迫感を高める効果を生んでいるのは実に見事。それから最後の最後でアビーのピストルから3発目の弾が放たれるのだが、このようにディテールが破綻なく完璧なのも嬉しいところだ。

エンドロールに流れるモータウン・ヒットの意味

「ブラッドシンプル ザ・スリラー」
© 1984 River Road Productions

 ところで本作のエンドロールに流れるご機嫌なナンバーは「It’s the Same Old Song」という曲。1965年に〈MOTOWN〉からリリースされたフォー・トップスのヒット・チューンだ。かつてふたりで夜通し踊った思い出の曲は、恋人が去ったいま聴くと違った意味を持ちわたしの心を締めつける、というような意味の歌詞を軽快なモータウン・ビートにのせて歌うこの曲は、実は作中にも一度流れている。物語の序盤、マーティのバーで働くムリス(サム=アート・ウィリアムズ)が店内のジュークボックスでかけるのだ。ジュークボックスから流れる「It’s the Same Old Song」は、賑やかな店内によく合う曲だし、黒人男性であるムリスがこのモータウン・クラシックを好むのも理解できる。ここではその程度の意味しか持たないように思うのだが、映画の最後にもう一度聴くと、同じ曲なのにどこか違った意味、ムードに感じるから面白い。まさに「It’s the Same Old Song」である。同じ物事でもなんらかの出来事の前後では捉え方、解釈が変わることは少なくないだろう。本作においては、不倫、殺人といったそこにある事実は、さまざまな要因と思い込みから、人によって違った意味が与えられてしまう。そんなところをこの曲はうまく表しているのではないだろうか。ムリスは話の展開に大きくは関わっていないが、本作のなかではかなりまともな人物。エンドロールを眺めながら、事の顛末を知った彼の「やれやれ」という声が聞こえてきそうだと思った。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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