青野賢一 連載:パサージュ #15 常に立ち戻らされてしまう、あの夏の出来事──『サマー・オブ・84』

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青野賢一 連載:パサージュ #15 常に立ち戻らされてしまう、あの夏の出来事──『サマー・オブ・84』

目次[非表示]

  1. 地元での少年失踪事件
  2. サブカル思考にハマっている15歳
  3. 連続殺人事件の真相に切り込む
  4. 「めでたしめでたし」とはほど遠い結末
  5. 仮面の裏側にどんな素顔があるかわからない不安
 印象深い素人探偵ものが何作か公開された2010年代後半。キリスト教信仰の篤いケンタッキー州を舞台に、ひょんなことから自分の父親が猟奇的な連続殺人犯ではないかとの疑いを抱いた少年が真相を追い求める『クローブヒッチ・キラー』(2016)、陰謀論に傾倒し、ゲーム三昧の主人公がある女性の失踪事件をきっかけにさらなる謎に巻き込まれてゆく『アンダー・ザ・シルバー・レイク』(2018)といった作品がこれにあたるのだが、後味の悪さでいえば『サマー・オブ・84』(2017)が群を抜いているだろう。

地元での少年失踪事件

「サマー・オブ・84」
2017©Gunpowder & Sky LLC

 1984年6月のアメリカ・オレゴン州郊外の新興住宅地。少年デイビー(グラハム・ヴァーチャー)が町を自転車で走っていると、住民たちは愛想よく手を振ったりして彼とコミュニケーションをとる。庭のある戸建て住宅ばかりなのがアメリカという感じだ。そんな和やかな光景にデイビーの語りが重なる。「一見穏やかな日常 でも郊外でこそイカれたことが起きる」「恐怖は身近に潜んでる」。デイビーは自転車に乗って新聞配達のアルバイトをしているのだが「マッキー」と書かれたポストに新聞を入れようとして手が滑り地面に新聞を落としてしまう。拾いあげると「フリーポートの少年 いまだ失踪中」との見出し。それに目をやるデイビーのもとにこの家の住人である警察官のマッキー(リッチ・ソマー)が歩み寄る。マッキーに家具の移動の手伝いをお願いされたデイビーは快く承知しマッキー宅へ。古くて重たいシェルフをふたりで地下に運ぶと、南京錠がかけられたドアの奥がら「ガゴン」というような音が響き、デイビーは驚いてしまう。湯沸かし器の音だとマッキーは説明した。

サブカル思考にハマっている15歳

「サマー・オブ・84」
2017©Gunpowder & Sky LLC

 デイビーは15歳で両親とともにマッキーの家の隣に暮らしている(一方、マッキーは単身者だ)。デイビーの部屋にはUFOの写真や「下水設備に潜む人食い民族」「ハレー彗星が地球に」「ナチの秘密基地が月で発見」などの見出しの雑誌記事の切り抜きが貼られていて、このことから彼が陰謀論や都市伝説にハマっているのがわかる。こういう少年がその世界から抜け出せずに大人になると『アンダー・ザ・シルバー・レイク』の主人公である。さて、15歳男子といえば遊び盛り。デイビーはイーツ、ウッディ、ファラディという3人の友達とつるんで、近所で夜の鬼ごっこをしたり、イーツの部屋──離れの小屋で親の目を気にすることがない──でエロ本を眺めたりといった具合だ。彼ら4人のファッションはこの時代のティーンのそれを的確に表現しているのだが、このほかにもちょっとした小物や話題に1984年のムードが封じ込められていて手ぬかりなしである。
 15歳の夏を遊び倒すデイビーたちだが、あるとき「ケープメイの殺人鬼」と名乗る人物から新聞社宛に「少年13名と大人2名を殺害した」という内容の手紙が届いたことがニュースで報道された。手紙には被害者の名前と犯行日も記してあり、失踪者の情報と一致するという。先に触れた新聞記事のフリーポートの少年失踪もこれに含まれている。ニュースによれば「犯人像は白人男性で30代後半から40代の単身者 12~16歳の少年を標的にしています」とのこと。地元で起こったこの事件を知って事件や陰謀論大好きっ子のデイビーは大興奮。3人の友人とともにこの連続殺人犯を捕まえると息巻くのだった。やがていくつかの情報と自分が見たことから推理して、デイビーはマッキーこそが殺人鬼だと確証し、推理をイーツ、ウッディ、ファラディに披露。かくして「打倒マッキー作戦」の幕は切って落とされた。

連続殺人事件の真相に切り込む

 張り込みと尾行によってマッキーの行動パターンを把握したデイビーたちは、ゴミや郵便物からなんとか証拠をつかもうとするがなかなか核心には近づけない。そんな日々の描写の合間には、いかにも10代半ばの夏というエピソード──デイビーの幼なじみニッキー(ティエラ・スコビー)とデイビーとの淡い恋模様や、家からくすねてきた酒を回し飲みするといった──が挿入されており、こうしたクリシェを挟むことで、過去のジュブナイル作品へオマージュを捧げながら、物語の本筋の停滞を感じさせないような作りとなっている。
 デイビーたちの捜査は尾行や張り込みにとどまらず、盗聴のためのトランシーバー設置、庭の土の掘り返し、そしてマッキー宅への侵入と次第にヒートアップしてゆく。そのなかで証拠品を手に入れることができた4人組は、放送局で報道カメラマンをしているデイビーの父と母にマッキーが連続殺人犯だと説明するが、父は「単なるこじつけだ」といい、住居侵入やスパイ行為、器物損壊を責めた。そして父に先導されるかたちでマッキーのところに謝罪にゆくことに。自分たちのしたことを説明させられながらも、食い下がって質問を投げかけ、意見をいうデイビー。マッキー犯人説がどうしても捨てきれないデイビーだったが、仲間3人は諦めムードでおまけに父親からは外出禁止令が出されるのだった。現代劇であればおそらくこうした「強い父親像」とはならないのかもしれないが、本作の舞台が1984年であることを考えれば、「子どもの上位に立つ父親」という描き方は納得できるように思う。外出禁止のデイビーの部屋に仲間が集まっていると、マッキーが連続殺人犯を逮捕したというニュースがテレビで流れた。あまりにも出来すぎなこの逮捕にかえってマッキーへの疑いを募らせるデイビーは、自分が責任をとるからと3人を説得。マッキー宅の地下を父親が仕事で使っているカメラで映像として撮影するというこの案に最終的には仲間も協力することとなった。決行は町のお祭り「ベイ・フェスタ」の日。住民みんながフェスタに参加して家を空けているときに潜入するのだ。

「サマー・オブ・84」
2017©Gunpowder & Sky LLC

「めでたしめでたし」とはほど遠い結末

 マッキー宅にはデイビーがひとりで乗り込む予定だったが、ウッディとニッキーも一緒に潜入する運びとなった。マッキーを見張って状況を連絡する役目だったファラディは「マッキーはシロだ」と判断し、途中でその使命を放棄。別の場所で見張り役をしていたイーツのもとへ行き、イーツも監視をやめてファラディとその場を立ち去ってしまう。こうしてマッキー宅の地下室にいるデイビー、ウッディ、ニッキーを孤立させ、鑑賞者に手に汗にぎるスリルを味わせるのは実に見事だ。しかしそんな厳しい状況のなか、デイビーたちは確固たる証拠を映像に収めることに成功した。連続殺人鬼はデイビーが睨んだとおりマッキーだったのだ。デイビーたちは収録した証拠映像を警察署で流し、マッキー逮捕に向けて署が動き出した。程なくしてデイビーとウッディはデイビーの自宅へ。普通の青春映画ならマッキーが捕まるなりなんなりして、このスリリングなひと夏の冒険譚は幕を閉じるわけだが、そうはいかないのが本作。ラスト15分、思わず「ひっ」と声が出るシーンの連続なのだ。

仮面の裏側にどんな素顔があるかわからない不安

「サマー・オブ・84」
2017©Gunpowder & Sky LLC

 以前、本連載で取り上げた『アメリカン・スリープオーバー』(2011)のように、『サマー・オブ・84』もいわゆる「ひと夏映画」である。多くの、というかほとんどの「ひと夏映画」が大人になる過程の通過儀礼的側面を有している。つまりひと夏の経験は先に進むための機会ということになるのだが、本作にあってはデイビーのこのひと夏の経験は、年齢を重ねてもなお1984年の夏の出来事から逃れられないものであり、デイビーは常に「あの夏」に立ち戻らざるを得ない。ラスト15分のインパクトもさることながら、その後のデイビーの人生がまったく前向きに進む気がしないのが、この作品の恐ろしい点ではないだろうか。
 ところで、デイビーがこの事件の真相を解明しようとしたきっかけは何だったかといえば、もともと持ち合わせていた探偵趣味や未知なるものへの関心から生じた興味があったことは否めないのだが、それに加えて事件が解決されれば「誰かを救える」「犠牲者がこれ以上増えない」という思いも確かにあった。単に興味本位で首を突っ込んで事件に巻き込まれたわけではないのである。それだからこそ、この作品は重く、そして切ない。また本作からは、一見穏やかで友好的な隣人や身近な人物が実は自分のあずかり知らぬところで悪事を行っているかもしれないという恐怖も感じるだろう。舞台となる1984年はスマートフォンはおろか携帯電話もなく、インターネットも一般に普及していない時代。つまり、いま目の前で愛想よく挨拶をしてくれている隣人が持っているかもしれないもうひとつの顔は自宅でのそれ、という考え方でこと足りたのだが、現代ではこれらに加えてSNS上のペルソナなどもあるので、他者が何者かを推し量ることはより困難になっている。もちろん表裏のない方はたくさんおられるであろうが、いくつもの仮面を持っている人もそれと同じくらい存在してもおかしくはないだろう。便利になった一方で、気にかけなければならない事柄が増え不安が募る現在に本作を再見して、信じることと疑うことについて改めて考えさせられた。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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