BLADE RUNNER

ザ・シネマ×HHO ブレードランナー 完全攻略


吹き替えを愛する者は、なにゆえ吹き替えを愛するのか! 文/とり・みき

 字幕の文字数は限られていて、実際に俳優が喋っている内容のごく一部しか画面には表れていません。かなりの情報がそぎ落とされています。また、字数節約のため、適当とは思えない極端な意訳も多い(もちろん、そうした創意工夫の中から歴史に残るような名字幕翻訳も数多く生まれました。そのことは否定するものではありません)。複数名が同時に喋っているシーンなどでは表示も混乱しますし、本来タイミングが一番重要なはずのギャグも、字幕版ではワンテンポ遅れて笑いが起きる、ということがよくあります(それ以前にギャグや皮肉の細かいニュアンスが字幕では伝わらないことも、ままあります)。

 この「セリフの“内容”をオリジナルとほぼ等しくできる」という面においては、圧倒的に吹き替えが字幕に勝ります。さらに、オリジナル至上主義の字幕ファンが見落としがちなことですが、字幕は実はオリジナルの画面をかなり隠しています。声よりも「画」の美しさを優先する人にとっては、字幕はけっこう大きなノイズと映ります。物理的な占有だけでなく、いちいち字幕に視線を移すことにより、大事なものを見落としたり画面に集中できなくなったりという弊害もあります。

 つまり視覚情報(画面)を尊重して保持するか、聴覚情報(俳優の声)を尊重して保持するか、という違いで、どちらも厳密にはオリジナルではないのです。加えて、聴覚情報を尊重しても、観客や視聴者に元の映画の言語の理解力がなければ、文字数の限られた日本語字幕に頼らざるをえなくなり「声」はともかく「内容」的な情報もまた欠落することになります。

 このように字幕には字幕の、吹き替えには吹き替えのよい面、そしてマイナス面が、それぞれにあるのです。それぞれの長所を踏まえ、字幕と吹き替えの両方で活躍している翻訳家の方も複数名いらっしゃいます。

アンチ吹き替え論はなぜ生まれたか

 さてしかし、長い間、日本では吹き替え支持派は劣勢でした。字幕派が吹き替え版を批判したり攻撃することはあっても、吹き替えファンが字幕版をダメだと主張することは、めったにありませんでした。それは日本の吹き替え版が劇場ではなくテレビで発達していったことに起因しています。

 吹き替えは常にテレビで流される洋画番組の他の問題点と一緒にされて論じられてきました。他の問題点とは、CMによる中断、放送時間に合わせるための大幅なカット、さらに効果音や音楽まで日本側で付け足す場合もあり、吹き替え版はいわばオリジナルの加工品とみなされ、そもそも比較するような対象ではなかったのです。

 問題点と書きましたが、制作している側にとっては、これらは至極当然の工夫であったでしょう。尺(時間)やCMは厳然と決められている基本条件なので、どうしようもありません。その中で原画の魅力を効果的に伝えるにはどうしたらいいか、現場では毎回頭をひねっていたはず。こうした試行錯誤の中で、ときどき突拍子もなく「吹き替えそれ自体が」面白い作品も登場するようになりました(もちろん間違った方向に暴走したり空回りした作品も数知れず、ですが)。

 けれども、当時はビデオも衛星放送もない時代。旧作の映画に触れる手段はテレビの洋画劇場くらいしかありませんでした(とくにリバイバル上映や名画座のない地方ではそうでした)。媒体が一つしかなければ、できるだけオリジナルに近い形で観たいと思う層には、CMあり、カットあり、遊びありのテレビの吹き替え版は、ますますまがいものに映ったでしょう。

 しかしいっぽうでは、そうした洋画番組は確実に視聴率を稼ぎ、僕のような吹き替えファンも多く生むことになりました。CMありカットあり、そして吹き替えであっても、そこから生まれる感動は「本物」だったのです。さらにそこから一歩進んで、先に述べたような「テレビ吹き替え独自の」ちょっとアヴァンギャルドな面白さにも僕らは気づいていきました。制作者や声優さんの熱い熱を感じていたのです。

 それでも長らく吹き替え版の優位を口に出すことは、はばかられました。家庭用ビデオ録画機が誕生してからも、最初はむしろオンエア機会の少ないノーカット字幕版のほうを喜んで録画していました。

 そして……時代は変わりました。

楽しみ方いろいろの21世紀へ!

 いまやBSやCS、そしてケーブルテレビで、ノーカットの字幕版が連日放送されています。さらに、どの地方都市にいっても普通にレンタル店があり、古い名作からマニアックな怪作までタイトルも充実しています。地上波ですら、吹き替えの洋画劇場の枠は減り、深夜に放送される映画はノーカット字幕版のほうが多くなりました。

 ですから、いまは字幕がいいか吹き替えがいいかなどという論争は意味をなさなくなった、と思っています。自分が映画に求める優先事項に応じて、字幕版を選択したり吹き替え版を選択すればよいのです。もちろんダメな吹き替えはありますが、同様にダメな字幕もあるのです。

 そしてさらに付け加えるなら、そうしたノーカット字幕版優勢の現在の視聴環境にあっては、いまこそ誰はばかることなく「あえて吹き替えを楽しむ」方向で吹き替え版を支持したって全然かまわないと思っています。僕のように吹き替え独自の遊びや名人芸を楽しみたい人は、たとえカットがあってもテレビ版の吹き替えで観たい。オフィシャル版はどうもお行儀がよすぎる、ということもありますし、古い作品は名声優の全盛時のお声でこそ聴きたいのです。

 僕にとっては、吹き替え版もまた元の映画同様その時代時代の「作品」なのですから。

とり・みき
マンガ家、吹き替え“愛好家”。代表作に『クルクルくりん』『愛のさかあがり』『山の音』など多数。94年、98年に星雲賞コミック部門受賞。95年、『遠くへいきたい』で文春漫画賞受賞。同95年、とり・みき&吹替愛好会として『吹替映画大事典』を上梓。以降、吹き替えに関するコラムを数多く執筆。
http://www.torimiki.com
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