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拝啓 ソフィア・コッポラ様

『「ガーリー・グル」の追っかけ隊長』を自称しながら、約15年の編集遍歴をGIRLと名のつく媒体に関わってきた我が半生。媒体や肩書きが変わったけれど、常にプロフィールで記すのは「趣味ソフィア・コッポラとガールズ・カルチャーの研究」。インタビューがあれば誰より先に手を挙げ、コレクション会場では誰より先に彼女の席への導線を見いだし、ショー終了後には世界のどこの媒体よりダッシュしてきた。だがしかし。今回原稿を引き受けながらも、どうして自分がここまでソフィア・コッポラという世界に執着を覚えるのかと考えたとき、一向に筆が進まなかった。彼女への畏敬の念がそうさせるのか、本当に好きな人って、理屈抜きで「好き」なのであって、手前の持つ貧困な語彙では語り尽くせないし、どう表現していいのかが分からない。というか、「好き」ってそういうことだから。どうやったら、原稿が素敵に見えるかな。なーんて、メモってある名台詞や名シーン、彼女の私服のベストルックの説明を羅列して、表層的な原稿を何度か書いたが一向に腑に落ちない。ゆえ、素直に降参の旗を掲げ、41歳ソフィア・ファンの元ガールとしてと彼女への思いの丈をラブレターにしてみました。なお、私の駄文を彩ってくださったSTOMACHACHE.さんの素敵なイラストは、私の考える彼女の映画のメタファーとなっている。

拝啓 我が人生のグル、ソフィア・コッポラ様 

 素敵な人が皆着ているから。というだけで、MILKFED.を身につけて、英語も分からないのにソニックユースを聞いていた私が、あなたの世界にきちんと対峙したのは26歳の春。新橋ヤクルトホールで開催された試写『ヴァージン・スーサイズ』のスクリーンで、でした。当時カルチャー誌のエディターになって1年過ぎたはいいものの音楽も映画も詳しくない。私これで編集者としてやっていけるんだろうか、と20代ならではの不安と焦燥感とコンプレックス、その一方でわき上がる様々な欲望抱えて悶々と生きていた私の目の前に広がったのは、逆光の中に少女達が輝く映像美、懐かしくもあり新しさもあるサウンド・トラック、時代背景にリアルながらも、色褪せることのないスタイリング。そしてひりつくぐらいに痛々しくみずみずしいガール達の性と生を多幸的に描いたストーリーでした。その全てがむせかえるくらいに素敵すぎて、衝撃すぎて、今なお、帰り道の銀座線の窓から見えた景色すべてを鮮やかに思い出せます。そして地下鉄に揺られながら、私は思ったんです。「もしかしたら私の目指す場所はあの中にあるかもしれない」と。
人生とはわかりません。その後、幸運に幸運が重なり、あなたとの初めてのインタビューを担当することができました。そこで私がいかに『ヴァージン〜』に感銘を受け、自分の居場所を見つける事ができたか云々を必死で伝えたところ、あなたは照れくさそうに「yeah…」と、言葉少なめに頷いてくれたことを覚えています。そこからは神のいたずらか、表参道を一人歩くあなたと行き会って道案内をしたり(今思えば、あれは『ロストイン〜』の東京事務所への道のりだったようです)、あなたの親友レスリーと知り合いになり「今撮っているソフィアの新しい映画に出ない?」と誘ってもらうまでにはなれました。それは、私の地味な人生ハイライトでした。(とはいえ、自分のシゴトの都合で映画の現場に行く事ができなかったというオチ)
その後、もっとあなたの世界を理解したいと必死で英語を学び、サントラから知ったミュージシャンを掘り下げていくうちに、「まったくどうして音楽を知らない編集者以下の編集者」、から、「ちょっとだけ英語が話せて、ちょっとだけ音楽を知っている人」くらいにはなれたようです。ケヴィン・シールズのウィスパーヴォイスは耳にするだけで、見慣れた東京がまるで海外かのように見えてきますし、聞いた事もなかったバウ・ワウ・ワウも私の日常を色鮮やかに彩ってくれるファクターとなり、10ccに至ってはそのバンド名の意味を聞いて、のけぞったりもしましたし、英語の歌詞に心酔することができるようになったことは人生の大きな収穫です。
そして『ヴァージン〜』のビハインド・ザ・シーンで見た、あなたのメガフォンを取る姿——青いシャツにデニムにカウボーイハット。そして胸元には小さな星形のダイヤのネックレス。あるいはボーダーTシャツにデニムにマークジェイコブスのシューズ。——それは、その後にカルチャー誌からモード誌へと自分のいる場所が変わったものの、まだまだ自分のオシャレもモードも分からなかった私の教科書になりました。「ルイ・ヴィトン」「セリーヌ」「アライア」「シャルベ」「ハリー・ウィンストン」ほか常にハイエンドなアイテムに身を包みながらも、自分らしさを演出できる貴方に、「果たして自分のスタイルとは何だ?」「本当のモードってなんだろう」とエディターとしてのあり方までを示唆してくれ、憧れだった未知のモードの世界の扉を開き、各国コレクション会場であなたを見つけられるまでにあなたは私の中のおしゃれの扉を開き気づきをくれました。
ましてや、あなたがスクリーンに描き出した「ザ・逆光ワールド」しかりあなたの映し出す独特な「ソフィア的アングル」は、未だ私の絵作りの基本です。このファッションをどうやって撮影すれば魅力的に訴求できるのかしら? 迷った時は必ずあなたの映画やCM作品を見て気持ちを盛り上げながらコンテ用紙と向き合い、必死でイラストを描きあげるのです。
そして34歳で、あなたと同様に私も母となりました。そんな私の気持ちをなぞるように、『マリーアントワネット』のラストシーン。『サムウェア』のエル・ファニングに自分の母性を喚起され、思わぬシーンで涙したりしながら、「あ、そういや、もう、私、母親だったんだわ」なんて、自分がガールではなく、「元」ガールであることに気づかされたりいます。スティーブン・ドーフに親として共感し、エル・ファニングを娘のような気分で見る自分に驚かされ、『ブリングリング』では主人公の男の子に自分の息子を重ね合わせてハラハラしているのです。

日本の片田舎で、普通のサラリーマンの娘として育ち、ただただ雑誌の中の世界に憧れてコンプレックスと夢だけたくさん持っていた私が、今、こうして原稿を書き、色んなデザイナーや監督に会って話を訊けて、編集という場をいただけているのは、26歳のあの日、あの映画からが始まりだったと思います。
まだまだ勉強することは山のように。知らないことも、知らなければならないことも山のように。けれど、今日も日本のどこかで背伸びをしながら「おしゃれになりたい」「いつか何かを表現したい」と思う女の子たちに、元ガールとして夢を与えるお手伝いができればいいなと思っています。あなたがそうしてくれたように。

かつて手掛けた一冊はあなたへのオマージュです。

敬具

宮坂淑子

1974年生まれ。元VOGUE girl編集長。大学時代よりライターをスタートし、ロッキング・オンH、エル・ジャポン、エル・ガールにてファッションとカルチャーページを担当。エル・オンライン編集長を経てVOGUE girl編集長に。現在はコンデナスト・スタジオにてクリエイティブ・ディレクターとして2015AWのBEAMSほかファッション広告のクリエイティブディレクションや、メゾンやブランドのムービー制作等を担当中。趣味はソフィア・コッポラの研究とTOKYO MX鑑賞。激人見知りで、むこうみず。独自のモード評、子供とともに直面する社会問題等、収集のつかない日々を綴るブログもなんだかんだと媒体をまたぎながら5年目に突入する7歳男子のシングルマザー。
http://blog.vogue.co.jp/posts/253155

illust:STOMACHACHE.

「ヴァージン・スーサイズ」

 1970年代のアメリカ、ミシガン州郊外の町。ヘビトンボの季節に、13歳のセシリアをきっかけとして美しいティーンエイジャーの五人姉妹が次々とみずから命を絶った。まだ人生が始まったばかりの少女たちにいったい何があったのか、姉妹に心を惹かれていた近隣の少年たちが大人になって回想する。
 写真家やファッションデザイナーとして活躍していたソフィア・コッポラは、友人からこの作品の原作小説を手渡された時、すでに映画化の権利がよそにあったにかかわらず、つき動かされるようにして脚本を書き上げた。思春期の少女たちの繊細な感情に寄りそわれたそれは関係者の心をつよく揺さぶり、二年後に彼女はトロントでメガホンを握っていた。
 有名な映画監督を父に持つコッポラは、しかしその重圧を跳ねのけ、孤独でロマンティックな独自の世界観を映像化することに成功。本作はカンヌ国際映画祭で驚きとともに熱狂的に受け入れられ、デビュー作にしてその後のガーリーブームを牽引するコッポラの代表作となった。彼女を知るにはマスト・ウォッチの一作。

text:aggiiiiiii

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