ザ・シネマで『ブレードランナー』ファイナルカット版の日本語吹き替えを、わざわざ放送用に新録すると聞いてうれしくなっています。しかもハリソン・フォードの声は定番の磯部勉さん。僕同様、期待している吹き替えファンは多いことでしょう。地上波でも局制作の吹き替え洋画番組が少なくなっている中、これは快挙といえるかもしれません。
さてしかし、僕のような吹き替えファンがいるいっぽうで、関係者のお話をうかがうと「吹き替えにニーズなどあるのか」「吹き替えはオリジナル俳優の演技に対する冒涜ではないのか」「どうして吹き替えがいいのかわからない。字幕だけやっていればいいのではないか」というご意見も、いまだにあるようです。そこで以下では、そうした方達に向けて、吹き替えの意義や魅力について、一吹き替えファンの立場からお話をさせていただきたいと思います。
おっと早まらないでください。「字幕より吹き替えがいい」と強固に主張するつもりは毛頭ありません。早々と結論を先に書いてしまいますが、要は「吹き替えも字幕もそれぞれにいいところがある(同様にマイナス面もある)」ということです。
吹き替え派vs字幕派の論争は、テレビで吹き替え放送が始まった1950年代からずっと続いてきました。媒体が限られていた時代には重要問題だった対立項も、現在の選択肢の多い視聴環境では、僕はもはや不毛だと考えています。これも後で詳しく述べます。しかし「それぞれお好きなように」ではやはり悲しい。字幕ファンにも吹き替えの利点や魅力を少しでも知ってもらいたいのです。
というわけで、以下で書くことは吹き替えファンなら言わずもがなの自明のことで、僕自身もこれまで場所や機会をいただいては、繰り返し述べてきたことでもあります。なので、そうした吹き替えファンの方はスルーしていただいてけっこうです。むしろ先にあげたような「吹き替えの意義がわからない」という方や「ちょっと興味がある」という方達に向けて筆を進めます。
ここが吹き替えのよいところ!
まず最初の「吹き替えにニーズなどあるのか」ですが、ここにユーザが1人確実に存在します。そもそも一定数のニーズがないのにチャンネルや番組枠が開設できるほど世の中は酔狂ではありません。関係者のお話では、アンチ意見もある一方で「よくぞ吹き替え枠の番組を作ってくれた」という声も多く届いているようです。シネコン時代に入り、劇場用の吹き替え版が多く作られ、必ずしも年少者とは限らない広い層の観客を動員しているという事実もあります。
単に「わかりやすい」ということだけではありません。日本の吹き替えの歴史は既に半世紀以上にも及びます。元の俳優や映画のファンがいるように、長い時間をかけて支持され信頼されてきた声優さん、及びそのファンが存在し、人気の吹き替え作品があることを、字幕ファンには知っていただきたいと思います。
「吹き替えはオリジナル俳優の演技に対する冒涜ではないのか」、これは、もっとも重要な論点でしょう。冒涜というのはきつい言葉ですが、元の俳優の大ファンであるならば、その表現もわかります。そこまでいかなくとも、声やセリフまわしも含めてその俳優の演技を、ひいては映画を楽しみたいのだ、という気持ちは、僕も吹き替えファンである前に映画ファンですからよく理解しているつもりです。
声優さん達は元の俳優の演技や個性を日本語で表現すべく、昔も今も最大限に努力されています。吹き替えファンの眼や耳も厳しいので、そうした中で「○○なら誰々」と評価されている人の演技は、けっして「冒涜」とは思いません。
しかし「なによりも元の俳優の声、あるいは原語の表現こそを聴きたいのだ」という方に対しては、むりやり吹き替え版を勧める気はありません(あたりまえの話です。反論する余地も理由もありません)。ただ、オリジナル音声+字幕で観ることが「当然」「常識」「正しい」と主張されると、これにはちょっと反論したくなります。映画にはさまざまな観方があります。俳優で観る人もいれば、別の要素を重要視する人もいます。どちらが「正しい」「間違い」ということではないのです。
フランスなどヨーロッパの幾つかの国では外国映画は劇場であっても、字幕ではなくて吹き替えで公開されることのほうが「一般的」「常識」です(映画祭やフィルムセンターなどでの例外はあります)。日本よりも厳格にフィックス(=その俳優専門の)声優が決まっているようですが、似ているとはいっても他人は他人です。つまりこれは、映画的に「元の俳優の声」以上に優先されるべき事項がある、もしくは字幕版になんらかのマイナス面がある、と判断されているということです。
端的にいえば、それは「セリフの情報量の一致」ということになります。