ザ・シネマ 池田敏
-
COLUMN/コラム2014.05.03
【DVD吹き替え未収録】役者エディ・マーフィをどう解釈し、どう演じ直すか。日本が誇るべき文化、“吹き替え”の真髄がそこにある。
海外で作られた映画・ドラマ・アニメなどの台詞を翻訳し、新たに俳優陣が演じ直す “吹き替え”。日本の映画ファンには、様々な理由を挙げて“字幕派”を標榜する人がいるが、中には只の原語至上主義者もいて、これらを一緒くたにすることには違和感がある。一方、“吹き替え派”は、字幕より吹き替えのほうが作品を理解するのに必要な情報量が多いことに加え、吹き替えを手がけた日本のスタッフ・キャストがどう作品を解釈したかも味わうという大きなお楽しみを共有している。 外国作品を吹き替えで見るのが当たり前という国は多い。アートの国フランスもそうだし、米国こそ、まるで字幕を毛嫌いしているかのようだ。たとえば日本の宮崎駿監督のアニメには、そうそうたる顔ぶれのハリウッドスターが英語吹き替えに集結している。 よく日本の吹き替えは世界最高レベルといわれるが、1本の作品に声優として参加する俳優の数が多い事実は確かだ。米国アニメ「ザ・シンプソンズ」のオリジナル・キャストは主要6人で30人を超えるキャラを演じるが、日本の吹き替えでも台詞が一言しかない複数のキャラを少数の俳優が演じ分けることが多いとはいえ、最終的に映画1本に20人以上が出演することも。こんな“吹き替え”を、文化と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。 前置きが長くなった。エディ・マーフィ。1980年代のハリウッドに彗星のごとく現れ、多数のヒット作に主演しているスーパースターだ。近年では『ドリームガールズ』でアカデミー助演男優賞にノミネートされながら、自分が受賞を逃したと知ってすぐ授賞式の会場を後にするというホットなエピソードを残した。そんな破格の才能マーフィを、日本の吹き替え文化はどう解釈してきたのか。 マーフィが全米で注目を集めたのは、人気バラエティ番組「サタデーナイトライブ」でのこと。初出演当時はまだ19歳で脇役扱いだったが、その芸達者ぶりが認められ、そのシーズンが終わる頃には史上最年少でレギュラーに格上げされた。自身と同じアフリカ系をからかい、セレブたちも同等にコケにするという独自の過激な芸風で人気を博した。 そんなマーフィが映画デビューを飾ったのが1982年の『48時間』。相棒を殺されたジャック刑事(ニック・ノルティ)は、犯人について詳しい受刑者レジー(マーフィ)を48時間だけ釈放させ、捜査に同行させる。ザ・ポリスのヒット曲「ロクサーヌ」をエキセントリックに歌いながら、マーフィは登場。それまでのシリアスな空気を一瞬でユーモラスに変えてしまうだけでなく、主演のノルティを食いかねない、圧倒的存在感を見せた。 『48時間』が日本テレビ系で、続編『48時間PART2/帰って来たふたり』がフジテレビ系で放送された際、レジーを演じたのは下條アトム。実力派俳優だが、海外ドラマ『刑事スタスキー&ハッチ』でスタスキーの声を演じ続けた、吹き替えの名手でもある。“スタハチ”はバディもののお手本のようなドラマだが、そこで三枚目に近いスタスキーを演じた下條にマーフィ演じるレジーをアテさせたのは、下條のネームバリューとバディものを演じるスキルの高さ、両方が生む相乗効果を計算してのキャスティングだったと思う。相手役のノルティをアテたのが、『48時間』では故・石田太郎(吹き替えでは『新刑事コロンボ』も有名)、『48時間PART2~』ではアーノルド・シュワルツェネッガーなどタフガイ役を得意とする玄田哲章というのも、下條の軽妙さをより際立たせる。ちなみに、第1作と第2作の両方で樋浦勉が異なる悪役を演じているが、こんな洒落っ気も吹き替えの魅力だ。 そしてマーフィにとって、今なお語り継がれる代表作になったのが『ビバリーヒルズ・コップ』の3部作。マーフィが演じるのは、不況の町デトロイトで働く刑事アクセル。頭の回転が速く腕っぷしも強い、しかしユーモアを大事にする愛すべき男だ。そんなアクセルが友人を殺した犯人を追って高級住宅街ビバリーヒルズへ。そこでルールやモラルを重んじる地元警察の刑事たちと対立する。第1作の見ものはデトロイトとビバリーヒルズの文化ギャップを軽々と乗り越えるアクセルの活躍。冒頭の違法取引でのマシンガントークから、まさにマーフィの独壇場となっている。 気にしたいのは、『48時間』第1作ではまだ準主演だったマーフィが、『ビバリーヒルズ・コップ』では主演に格上げされている点。マーフィ自身のプロダクションも製作に名を連ねている。『48時間』の大ヒットを受け、映画会社パラマウントはマーフィと独占契約を結んだ(一説によれば5本の出演に対し1500万ドルも払うという破格の待遇だった)。なお余談だが、当初はシルヴェスター・スタローンの主演が予定されたが、スタローンは脚本を直したいといういつもの悪い癖(?)を出し、マーフィがアクセル役に抜擢された。 第1作がテレビ朝日系で放送された際、マーフィの声を演じたのは富山敬。アニメ界において『宇宙戦艦ヤマト』の古代進役といった二枚目役から『タイムボカン』シリーズのコミカルなナレーションまで幅広い役柄を演じた伝説の名優だ。洋画吹き替えでも二枚目から三枚目(TV『特攻野郎Aチーム』のクレージーモンキー役など)まで幅広くこなしたが、『ビバリーヒルズ・コップ』のアクセルもまた二枚目と三枚目の二面性を持ち、名人・富山の豊かな表現力がフルに発揮された。 しかし続編の『ビバリーヒルズ・コップ2』は、放送したのが第1作と異なりフジテレビ系だったためか、『48時間』2部作の下條アトムがアクセル役に。下條にとってもマーフィに慣れたのか、安定した吹き替えとなった。下條はマーフィのヒット作『星の王子ニューヨークへ行く』がフジテレビ系で放送された際も、主人公アキーム王子を好演した。 そして、いよいよこの人の出番だ。山寺宏一。最終的にマーフィのほとんどの作品で彼の声をアテる、まさに真打ちになっていく。ザ・シネマが放送する『ビバリーヒルズ・コップ3』は、山寺がアクセルを演じたテレビ朝日バーションだ。 なぜ山寺マーフィが待望されたか。それはマーフィ自身の芸風の変化に理由がある。往年の喜劇スター、ジェリー・ルイスに影響を受けたのか、少年時代から物真似の天才といわれたマーフィは、1人で何役も演じる芸を売りにすることが増える。『星の王子ニューヨークへ行く』でマーフィは、特殊メイクの力も借りて1人4役に挑戦。また、ルイス主演の『底抜け大学教授』をリメイクした『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』では1人7役に挑み、続編『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』ではマーフィ本人を含むとはいえ、1人9役にエスカレート。こうなるとマーフィの声は、“七色の声を持つ男”、山寺にしか演じられないというように評価が定まってしまう。 そんな山寺だが、実はマーフィ以外の仕事でも亡くなった富山敬の後を継いでキャスティングされることが多い。こうして星と星はつながり、マーフィは“吹き替え”界の大きな星座になっているのだ。 以上を通じ、“吹き替え”のスタッフやキャストが、作品や出演者をどう解釈し、それをどう日本語に乗せようと苦労しているのが、何となくでも見えてくるだろう。コンピュータの自動翻訳なんて足元にも及ばない、“吹き替え”の真髄がここにはある。■ Copyright © 2014 by PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
-
COLUMN/コラム2008.07.09
全米に続いて日本でも注目度上昇中の最先端コメディ集団“フラット・パック”の爆笑3作品がザ・シネマに到着!
コメディ・ファンは7月21日p.m.07:00からa.m.00:45、ザ・シネマから目が離せない。p.m. 07:00からの『俺たちニュースキャスター』、p.m.09:00からの『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』、p.m.11:00からの『アダルト♂スクール』、これら3本に共通するキーワードが“フラット・パック(Frat Pack)”である。 『ナイト ミュージアム』のベン・スティラー 『スクール・オブ・ロック』のジャック・ブラック 『俺たちフィギュアスケーター』のウィル・フェレル 『40歳の童貞男』のスティーヴ・カレル 『Gガール 破壊的な彼女』のルーク・ウィルソン 『シャンハイ・ヌーン』のオーウェン・ウィルソン 『ドッジボール』のヴィンス・ヴォーン という、7人の侍ならぬ“7人のお笑い”からなるフラット・パック。1950から60年代にはフランク・シナトラ中心の “ラット・パック(Rat Pack)”、1980年代には若手スター集団の“ブラット・パック(Brat Pack)”があったが、21世紀のハリウッドで大人気なのがフラット・パックだ。 全米興行ランキングでトップになっても、全米興収が1億ドル突破の大ヒットでも、米国のコメディが劇場公開されにくい日本。コメディ系スターの知名度はいつまで経っても上がらず、したがって彼らの次回作も公開されないという悪循環に陥っているが、むしろ本国ではコメディ系スターのブランド=フラット・パックが、面白かったとの観客の評判が彼らの次回作にも注目を集めるという、日本とは逆の現象を生んでいるのに! ここでは、駆け足だが、フラット・パックの魅力について語ってみたい。 まずフラット・パックの面々は、それぞれキャラが立っている。それを理解するのは彼らの各作品を見るほうが手っ取り早いが、ハイテンションのスティラー、ブラック、フェレル、普通っぽいウィルソン兄弟、ハイテンションも普通っぽいキャラもどちらもイケるカレルとヴォーン、彼らを組み合わせることで、只のバカ騒ぎに終わらない人間関係が描ける。『スクール・オブ・ロック』でのブラックのハイテンションとロックを学びだす子供たちのコントラストが分かりやすい例ではないか。キャラたちの対比があるからこそドラマとしての豊かさも生まれ、各作品を見ごたえあるものにしている。 またフラット・パックの映画にはいくつか共通項があり、それが“お約束”として機能する。 まず「パッと見一発で笑えること」。いい大人が子供の遊びに熱を上げる『ドッジボール』、どう見てもモデルに見えないスティラーがスーパーモデル兼スパイに扮した『ズーランダー』など、分かりやすくてとっつきやすい。 また、「“大きな男の子”の感性」も大事だ。大人になった男たちが学生クラブごっこを始める『アダルト♂スクール』や、40歳まで童貞を守った男性が主人公の『40歳の童貞男』など、思春期の男の子のように“モテたい!”と願うキャラたちは、誰もが共感できるはずだし、彼らの成長を祈りたくなる(TVであまりシモネタを見られないという米国のお国柄もあるが)。 そして「やんちゃなまでのヒーロー志向」。中でもフェレルやスティラーが得意とする役どころだが、フラット・パックの映画では、自分をヒーローだとカンちがいした主人公が一度挫折し、復活するパターンが多い(『ロッキー』世代だからか)。その前向きさも、見る者を元気にする。 そしてフラット・パックの7人は、上は1962年生まれのカレルから下は1971年生まれのルーク・ウィルソンまで、いずれもこの年代生まれ。だから各時代の“あれはカッコよかった・カッコ悪かった”“あれは笑えた・感動した”というセンスを共有している。自分たちが好きなモノにこだわる大人って、サマになるならチャーミングでカッコいいぞ。 一方、フラット・パックは只のお笑いスターの集まりではない。スティラーは監督やプロデューサーも、O・ウィルソンは脚本もこなす知性の持ち主だし、若いクリエイターやキャストと組んで新しいものを生み出そうという気概もある。今やハリウッドではフラット・パック人脈は拡大中だ。フラット・パックとの共演が多いドリュー・バリモアや、フラット・パックと関係ないが(ライバル?)戦略は近いと思わせるアダム・サンドラーなど、フラット・パックを中心に目を離せない顔ぶれは増殖中だ。 さて、今回放送の3作品だが、男女格差があった1970年代を懐かしがりながらもマチズモ(男性優位主義)を笑い飛ばす『俺たちニュースキャスター』、『天才マックスの世界』で注目された新鋭ウェス・アンダーソン監督の第2作だが、スティラーの赤いジャージ姿などフラット・パックらしさが強い『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』、Fraternity(男子学生クラブ/米国の大学によくある)を題材にしたことでフラット・パックというニックネームを生むきっかけとなった『アダルト♂スクール』と、多彩な作品がずらりと勢揃い。 日本でも昨年から今年にかけて、『ナイト ミュージアム』(スティラー、O・ウィルソンら出演)、『俺たちフィギュアスケーター』(フェレル主演)がヒットし、今夏からは『テネイシャスD 運命のピックをさがせ!』(ブラック主演、スティラー製作総指揮)、『俺たちダンクシューター』(フェレル主演)、『ゲット・スマート』(カレル主演)、『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』(スティラー監督・主演、ブラック共演)、『僕らのミライへ逆回転』(ブラック主演)が次々と公開される予定で、日本における“フラット・パック元年”になるかも? その前に、ぜひザ・シネマの本特集で予習しておこう!■