COLUMN/コラム2021.12.10
時代ごとにアップデートされる“A STAR IS BORN”の物語。『アリー/スター誕生』
1932年に製作された、ジョージ・キューカー監督の『栄光のハリウッド』を下敷きにして生まれた、“スター誕生=A STAR IS BORN”の物語。 最初の映画化作品は、ウィリアム・A・ウェルマン監督、ジャネット・ゲイナー、フレドリック・マーチ主演の『スタア誕生』(1937)。 続いてはジュディ・ガーランドとジェームズ・メイスン主演で、邦題も同じ『スタア誕生』(54)。こちらは、“オリジナル”である『栄光のハリウッド』のジョージ・キューカーが、メガフォンを取った。 この2作の『スタア誕生』は、舞台が映画界だった。それを音楽界に変えた3度目の映画化が、『スター誕生』(76)。監督はフランク・ピアソン、主演はミュージシャンとしても一流の、バーブラ・ストライサンドとクリス・クリストファーソンだった。 そして4度目となったのが、現代の歌姫レディー・ガガをヒロインに迎え、その相手役と監督を、ブラッドリー・クーパーが務めた、本作『アリー/スター誕生』(2018)である。こちらの舞台もまた、音楽の世界となっている。
ここで、物語の基本的なフォーマットを紹介する。才能がありながら、埋もれている女性アーティストが居る。一方で、TOPスターでありながらも、アルコールに溺れるなどで札付きとなっている、男性アーティストが居る。 偶然の出会いから、男性が女性の才能を見出して、引き上げる役割を果たす。女性がTOPスターの座に就くと同時に、愛し合うようになっていた2人は、ゴールイン!結婚生活をスタートする。 しかし女性が輝かしいスター街道を驀進するのと反比例するかのように、男性のキャリアは、下降の一途を辿る。やがて、女性が最高の栄誉を授与されるステージ(映画界→アカデミー賞/音楽界→グラミー賞)に、泥酔して現れた男性は、最悪の失態を犯してしまう。 アルコールなどへの依存から、何とか立ち直ろうとする男性だが、このままでは最愛の女性の輝かしき未来をも傷つけてしまうことを自覚。遂には、自ら命を絶つ。 悲しみの底に沈む女性だったが、やがて深く愛した男性のためにもと、再びステージに立つ…。
原題は同じ「A STAR IS BORN」4回の映画化に於いて、紹介したような物語の流れは、大きくは変わらない。しかし邦題が時代の移り変わりと共に変遷していったように、1937年、54年、76年、そして2018年と、その時代やキャストに応じてのアレンジが為されている。「37年版」と「54年版」の『スタア誕生』は、先に記した通り、映画界=ハリウッドが舞台。両作共にヒロインの名は、エスター・ブロジェットで、彼女を引き上げる男性スターの名は、ノーマン・メインである。 37年版で初代ヒロインとなったジャネット・ゲイナー(1906~1984)は、清楚で健気な印象と確かな演技力で、1920年代後半から30年代に掛けて絶大な人気を誇った、TOPスター。10代の頃に映画界に入るも、2年間は鳴かず飛ばず。しかし二十歳の時に主演作を得て、それから間もなくアカデミー賞主演女優賞を獲得している。 そんなゲイナーは、田舎からスターを夢見て、ハリウッド入りし、やがて銀幕のヒロインの座を掴むエスターの役には、ぴったりであった。逆に言えばこの作品では、ゲイナーの魅力と演技力とに頼ってしまってか、フレドリック・マーチ(1897~1975)が演じるノーマンが、エスターの俳優としての“才能”を見出すシーンが、存在しない。ただ彼女に惹かれて、情実でハリウッドに導いたようにしか見えないのが、難点と言える。 とはいえ、オープニングとエンディングで、「これこそ映画の夢の物語だ!」と明示する「37年版」は、ハリウッドというステージを舞台にした、寓話とも言える作りとなっている。そんなお固いことは、指摘するだけ野暮なのかも知れない。
2本目の『スタア誕生』=「54年版」も、ハリウッドを舞台にしたエスターとノーマンの物語である。こちらでエスターを演じたのは、ジュディ・ガーランド(1922~69)。 10代の頃に『オズの魔法使い』(39)で、少女スターとして人気を博したジュディだったが、早くから神経症と薬物中毒に悩まされるようになる。20代の頃の彼女は、撮影現場では遅刻やすっぽかしの常習犯として、トラブルメーカーとなっていた。 そのため映画出演も途絶えた彼女にとって、「54年版」は、実に4年振りの映画出演。当時の夫であるシドニー・ラフトがプロデューサーを務め、ジュディにとってはまさにカムバックを賭けた、起死回生の1作だった。 そんな背景もあって「54年版」は、エンターテイナーとしてのジュディの実力が、遺憾なく発揮される仕掛けとなっている。ヒロインのエスターは、全国を巡演するバンドの歌い手。彼女が歌と踊りを披露するステージに、ジェームズ・メイスン(1909~84)が扮する泥酔したノーマンが乱入するのが、2人の出会いとなる。 これがきっかけで、やがてノーマンは、エスターの歌声に触れることになる。「37年版」と違って、ノーマンがエスターの才能を発見する描写が、きちんとされているのだ。 やがてスターダムにのし上がった彼女が主演するミュージカル映画のシーンが、本編のストーリーと直接関係ないにも拘わらず、ふんだんに盛り込まれる。そんなこともあって、「37年版」が2時間足らずの上映時間だったのに対して、「54年版」の現行観られるバージョンは、3時間近い長尺となっている。 さて「37年版」「54年版」共に、ラストは有名な、エスターのスピーチ。亡き夫に最大限の哀悼を示す言葉として、「私はノーマン・メイン夫人です」と名乗ったところで終幕となる。これは長らく、感動的な名ラストと謳われ続けた。
邦題で“スタア”が“スター”へと変わる、「76年版」の『スター誕生』。バーブラ・ストライサンド(1942~ )とクリス・クリストファーソン(1936~ )という、当時人気・実力ともTOPクラスのミュージシャンを擁した“音楽版”としての魅力としては、コンサートなどステージでのパフォーマンスや、主人公2人が楽曲を作り上げていくシーンなどが挙げられる。前2作の“映画版”にはなかった、2人の才能のコラボを堪能できるわけだ。 それに加えて、バーブラという時代のスター、“70年代の顔”が自ら製作総指揮に乗り出し、ヒロインを演じたことによって生じた、改変が散見される。 バーブラの役名は、エスター・ホフマン。「37年版」「54年版」のヒロインから、エスターの名は残しながらも、“ホフマン”というユダヤ系に多い姓に変えている。しかも前作までのエスターが、撮影所の所長や広報マンの意見で、芸名をヴィッキー・レスターに変えられるくだりは、カット。エスターが本名のままで芸能活動を続けていくのは、バーブラ本人の“ユダヤ系アメリカ人”という、アイデンティティへのこだわりであろう。 相手役であるクリストファーソンが演じる、ノーマン・メインならぬジョン・ノーマン・ハワードの取る行動は、まさに70年代のロッカー。酒とドラッグに塗れる日々を送り、バイクでステージに乗り入れて音響装置を大破させるような無茶苦茶をやらかしてしまう。 前2作では、ジャネットとジュディのエスターは、ノーマンのやらかすことを、心配こそすれ、彼に声を荒げるようなマネは、決してしなかった。それに対しバーブラのエスターは、パートナーのジョンの無茶な行動に対し、時には怒りを爆発させ、別れを告げようとさえする。 最も大きな違いは、ラストシーン。ステージに立ったエスターは、「私はノーマン・メイン夫人です」などと名乗らない。そして2人の想い出の曲を熱唱して、〆となる。このラストが、77年の日本公開時には、かなりの論議を呼んだことを、鮮明に憶えている。ジュディの『スタア誕生』を懐かしむ者が多かった頃、バーブラの『スター誕生』を、彼女の自己主張が強く出過ぎと批判したり嫌悪する声は、決して小さくなかったのである。 いま観るとさほどのことはなく、このラストは、続く「2018年版」でも踏襲されている。しかし「76年版」が作られたのは、まだまだそんなことが論議になる、時代だったのである。
そして本作=「2018年版」の『アリー/スター誕生』。前作から実に42年の歳月を経てのリメイクとなる。これほどの間が空いたのは、“ボーイ・ミーツ・ガール”且つ、地位のある男性が年下の女性を引き立てるような古臭い物語が、もはや有効ではないと、見限られたからではなかったのか? しかしそこに、新たな息吹をもたらす者が、現れた。本作の監督であり、ミュージシャンのジャクソン(ジャック)・メインを演じた、ブラッドリー・クーパー(1975~ )である。 2010年代はじめの頃は、クリント・イーストウッド監督がビヨンセとレオナルド・ディカプリオ主演で、『スター誕生』を映画化というニュースが、大々的に流されたこともあった。結局は、『アメリカン・スナイパー』(2014)でイーストウッドの薫陶を受けたクーパーが、その企画を引き継いで、初監督に挑戦することとなった。
ヒロインのアリーに決まったのが、レディー・ガガ(1986~ )。この起用はクーパーの熱望によるものだが、その期待に応えた彼女は、歌唱やパフォーマンスのみならず、本格的な主演は初めてとは思えないほどの、見事な演技を見せる。「76年版」と同じく、“音楽版”として、主人公2人が、楽曲を作り上げていくシーンが見せ場のひとつとなる。演じるのが、プロのミュージシャン同士だった前作と違って、今作のためにブラッドリー・クーパーは、ギターとピアノ、ヴォーカルを猛レッスン。特にヴォイストレーニングには、1日4時間・週5日というペースで、半年間を費やしたという。 そのかいもあって、クーパーがレディー・ガガと共に作り上げたサウンドトラックは、多くの国で第1位を獲得するに至った。主題歌の「シャロウ 〜『アリー/ スター誕生』 愛のうた」は、アカデミー賞で歌曲賞を受賞。グラミー賞ではガガとクーパーは、“最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス”に輝いた。
そんな「2018年版」に於いて、前3作との大きな違いとして挙げられるのが、男性像が実に細やかに描かれていることである。「37年版」「54年版」のノーマン、「76年版」のジョンも、ヒロインに対しては優しい男だったが、「2018年版」のジャックは、彼ら以上に“男性的優位性”や“マッチョイムズ”とは縁遠い。それだけにヒロインに対しては、「対等」の意識を以て、より優しく振舞う。 ジャックが壊れていく背景も、明確に描かれる。まずはアルコール依存症の父に育てられたという、家庭環境。それに加えて“難聴”という、ミュージシャンにとっては致命的な疾患の進行がある。 ジャックはそうした苦悩を抱えている故に、アルコール漬けとなっていくわけだが、それははっきりと、心身を脅かす“病”として描かれている。愛するアリーの支えだけでは、どうにもならないのだ。 クーパー監督によって行われた、こうした男性側の描き方のアップデート。これこそが、古臭い物語と一蹴されかねない“A STAR IS BORN”を、現代に通じる物語に再構築する肝だったとも言える。 因みにヒロインがはっきりと、自分の才能を披露するシーンがあるのは、これまでに書いてきた通り、「54年版」「76年版」「2018年版」の3作。そのヒロインである、ジュディ・ガーランド、バーブラ・ストライサンド、レディー・ガガの3人が、それぞれの時代を代表する“ゲイ・アイコン”として、セクシャル・マイノリティの者たちから、圧倒的な支持を得る存在であったことは、単なる偶然とは思えない。 3人ともいわゆる、見目麗しい美女などではなく、その中身と才能で眩い輝きを放つタイプである。ハリウッドの歴史の中で、“A STAR IS BORN”の物語が永らえてきたのには、その時代ごとにそうしたヒロインを得てきたことも、必要不可欠な要素だったと言えよう。■
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