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PROGRAM/放送作品
リアリティ・バイツ
X世代の悩める若者たちのリアルがここに。ベン・スティラー監督&若手スターの豪華競演で綴る青春群像劇
人気俳優ベン・スティラーの長編初監督作。ジェネレーションXと呼ばれる1990年代の若者たちが、社会の現実の厳しさに悩みながら奮闘する姿を、ウィノナ・ライダーやイーサン・ホークら若手スターの競演で描く。
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COLUMN/コラム2022.04.11
ブルース・ウィリスのやりたい放題が炸裂したトンデモ超大作『ハドソン・ホーク』
今年3月30日、ブルース・ウィリスが“失語症”のために、俳優業を引退するという、衝撃的なニュースが飛び込んできた。この病気は、脳卒中や脳外傷などによって発症することが多く、会話や読み書きを含む言語能力が低下するというもの。 近年のウィリスと言えば、やたらと出演作が多く、しかもその大半が、劇場公開にまで至らない、いわゆるビデオストレート作品。そこから推して知るべしだが、評判が芳しくないものがほとんどであった。 そのため、アカデミー賞開催前夜に、「サイテー」の映画を選んで表彰する「ラジー賞=ゴールデンラズベリー賞」では、昨年=2021年にリリースされたウィリスの出演作8本を対象に、「ブルース・ウィリスが2021年に見せた最低演技部門」を新設。3月27日にはその中から、『コズミック・シン』(日本では昨年11月にDVD発売)が、「サイテー賞」に選出された。 しかしその3日後に、ウィリス引退の報が流れると、「ラジー賞」の主催団体は、この賞の設置を撤回。「もしも誰かの健康状態がその人の意思決定やパフォーマンスの要因になっているのならば、その人にラジー賞を与えるのは不適切…」との説明を行った。 いずれにしても、まだ67歳。ウィリスがスターダムにのし上がっていくのを、リアルタイムで目撃していた世代としては、「残念」という他はない。 ゴールデングローブ賞やエミー賞の獲得歴はあれど、アカデミー賞には、まったく縁のない俳優であった。そしてその逆に、件の「ラジー賞」の常連でもあった。今となってはそれも、“バカ映画”も含めて数多くの娯楽作品に出演を続けた、彼の勲章と言えるかも知れない。 ウィリスが世に出たのは、30歳の時。85年スタートのTVシリーズ「こちらブルームーン探偵社」(~89)に、当時は格上のスターだったシビル・シェパードの相手役として、オーディションで3,000人の候補者の中から選ばれたのである。 そこで人気を得た彼は、スクリーンの世界を目指す。その決定打となったのが、『ダイ・ハード』(88)のジョン・マクレーン役だった。たまたま事件現場に居合わせてしまった平凡な中年刑事が、愚痴をボヤきながらも機知の限りを尽くして、犯罪集団を壊滅へと追い込んでいく。 当時はシルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーなど、バリバリ大殺戮を繰り広げるような、筋骨隆々な無敵のヒーローものの全盛期。そんな中、見た目は冴えない中年男で、はじめは拳銃を撃つのも躊躇するようなマクレーン刑事は、至極新鮮に映ったものである(もっともそんな『ダイ・ハード』も、シリーズ化されて回を重ねていく内に、マクレーンの無敵ぶり・不死身ぶりが、ジェット戦闘機相手に、素手で挑んでも勝ってしまうほどに、インフレ化していくのだが…)。 何はともかく90年代は、『パルプ・フィクション』(94)『12モンキーズ』(96)『フィフス・エレメント』(97)『アルマゲドン』(98)『シックス・センス』(99)等々、非アクションも含めて、数多くのメガヒット作に出演。ウィリスは、TOPスターの地位を揺るぎないものにしていく。 しかしそんな最中でも、もちろんうまくいかなかった作品はある。近年ほどではないにしろ、当時から出演作が多かったウィリスの場合、結構な死屍累々。そんな中でもとびきりの“爆死”作品として語り継がれることになったのが、本作『ハドソン・ホーク』(91)である。 ***** 10年間のムショ暮らしをようやく終えた、エディ(演:ブルース・ウィリス)。彼は“ハドソン・ホーク”と異名を取る怪盗で、悪徳観察官から新たな“仕事”を持ち掛けられるも、今はただ落ち着いた生活を送りたため、その依頼を断わる。 かつての仲間で親友のトミー(演:ダニー・アイエロ)の元に身を寄せたエディだったが、悪の誘いは引きも切らない。結局エディは、マフィアのマリオ・ブラザースの脅迫に屈し、トミーと共にレオナルド・ダ・ヴィンチ作の芸術作品「スフォルツア」を盗み出すハメになる。 見事犯行に成功した2人だが、ニュースでは、失敗したものとして報じられる。そして盗んだ筈の「スフォルツア」が、オークションへと出品される。 エディは、オークション会場へと乗り込む。「スフォルツア」は、怪しげな富豪のメイフラワー夫妻に競り落とされるが、その瞬間に会場では大爆発が起こる。エディは隣り合わせた謎の美女アナ(演:アンディ・マクダウェル)の命を救うも、自らは落下物のために気を失う。 気付くと走る救急車の中で、マリオ・ブラザースの囚われの身となっていたエディ。決死の脱出に成功すると、今度は彼の前に、過去に因縁のあったCIA捜査官キャプラン(演:ジェームズ・コバーン)の一味が現れる。 再び気絶させられたエディが、次に目が覚めたのは、ローマ。そしてメイフラワー夫妻をTOPに頂く犯罪組織が、世界征服のために必要なものを、自分を使ってバチカンから盗ませようとしていることを知る。 マフィアにCIA、そしてバチカンまで絡んだ世紀の大陰謀に、エディは相棒トミー、謎の美女アナと共に立ち向かっていく…。 ***** 日本の劇場用プログラムに掲載されている、複数の解説コラムでは、お馴染みの「ルパン三世」に、やたらと言及している。なるほど、一流の腕を持つ怪盗ながら、ちょっと間抜けなところもあり、またセクシーな美女にはからっきし弱い辺り、「ルパン」的ではある。 実際に物語のベースとして参考にしたのは、『泥棒成金』(55)や『トプカピ』(64)『ピンクの豹』(63)『おしゃれ泥棒』(66)といった、往年の“泥棒映画”群。また大富豪夫妻が、珍奇な発明品を用いて世界征服を企む辺りは、60年代に『007』シリーズの大ヒットで次々と製作された、荒唐無稽なスパイ映画シリーズ『サイレンサー』(66~68)や『電撃フリント』(66~67)などの影響と言われる。『電撃フリント』の主役だったジェームズ・コバーンがCIAのエージェントを演じるのは、その流れであろう。 さてそんな本作誕生のきっかけは、製作から遡ること10年以上前の、1980年のある夜。ロバート・クラフトというミュージシャンが、ニューヨークのグリニッジビレッジにあるナイトクラブで演奏していた際、観客の1人だったウィリスが、ハーモニカを吹いたことに始まる。 2人は仲良くなり、当時はバーテンダーで生計を立てていたウィリスは、しばしばクラフトのステージに参加するようになった。クラフトのレパートリーの中でも、ウィリスが特にお気に入りだった楽曲が、「ハドソン・ホーク」。 これはクラフトがある昼下がりに、マンハッタンのウエストサイドを歩いていた際に、ハドソン川の方から風が吹いてきたのにインスピレーションを得て、作った曲だった。“ホーク”というのは、ミシガン湖を襲った暴風に付けられた名前で、それをハドソン側からの風に結び付けて、「ハドソン・ホーク」というタイトルにしたのである。 ウィリスはこの由来を聞いて、古典的なエンタメ作品のキャラのテーマにぴったりだと感じた。そしてクラフトの依頼で、この曲に歌詞を付けた。その際に、“ハドソン・ホーク”とその相棒トニーのキャラクターも出来上がったという。 しかし、当時はまだ無名の存在だったウィリスとクラフト。もしどちらかが映画を製作する立場になったら、「世界一の怪盗映画」にしようと誓い合ったが、これらのアイディアは暫し、凍結となった。 それから月日が流れて、TVの人気者となったウィリスは、『キャデラック・カウボーイ』(88/日本未公開)という作品に主演する際、“ハドソン・ホーク・プロ”と名付けた、自らのプロダクションで製作に参画した。この作品は当たらなかったが、次に主演したのが、『ダイ・ハード』。 その2年後には続編『ダイ・ハード2』(90)も大ヒットとなって、ウィリスは“スーパースター”の座を手に入れる。彼は勇躍、クラフトと共に、本作の製作に乗り出したわけである。 ウィリスは、本作のプロデューサーを、『ダイ・ハード』シリーズはじめ、『リーサル・ウェポン』シリーズ(87~98)、『マトリックス』シリーズ(99~ )など、ド派手なアクション大作で勇名を馳せた、ジョエル・シルバーに依頼。シルバーは、ドル箱シリーズの主演スターからの頼みを、むげには出来なかったものと思われる。 監督に決まったのは、フランシス・フォード・コッポラ門下の出身で、『ヘザース/ベロニカの熱い日』(89)という青春もののブラック・コメディが評判となった、マイケル・レーマン。相棒トニー役には、ウィリスと以前からの知り合いだった、ダニー・アイエロがキャスティングされる。アイエロはスパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、そのキャリアがピークを迎えた頃だった。 元々ミュージシャンでありコメディアンであったウィリスは本作に関して、「…出来るだけ突拍子もないコメディにしたかった」と語っている。ある意味でその願いは、実現することとなる…。 ニューヨーク、ロサンゼルスから、ローマ、ブダペスト、ロンドンと、大々的なロケーションを行うと同時に、複数の巨大セットを建てて行われた本作の撮影は、トラブルの連続。謎のヒロイン役は、イザベラ・ロッセリーニやイザベル・アジャーニの名が挙がった後、マルーシュカ・デートメルスに決まるも、クランクインして6週間後に、彼女は背中を痛めて降板となる。 その代役となったアンディ・マクダウェルによると、本作の撮影に臨んでは、セリフを覚えることよりも、製作側の突然の要求に柔軟な対応ができるよう準備していたという。現場がいかに混乱していたか、伝わってくる証言である。 主要スタッフの交代劇もあり、脚本の最後も書き直しが行われるなど、相次ぐトラブルに、製作費はどんどん膨れ上がる。最終的に、当時としては破格の4,000万㌦に達した。 アクションとミュージカルとコメディを融合させた本作で、“スーパースター”ブルース・ウィリスの思うがままに進行させたツケは、高くついた。全米公開の興収は、製作費の半分にも満たない、大コケ。 その年度の「ゴールデンラズベリー賞」では、作品賞、監督賞、脚本賞の3部門にわたって受賞を果たし、正真正銘の“サイテー作品”と認定された。思えばウィリスの引退まで続いた「ラジー賞」との因縁は、この時に始まったわけである。 本作後、先にも記した通り、ブルース・ウィリスは数々のメガヒット作に出演し、“スーパースター”としての地位を確固たるものにしていく。その中ではプロデューサーとして参画した作品もあるが、脚本にまで手を出した作品は、後にも先にも、本作1本に終わった。 本作を賞賛する声はほとんど聞かないが、30年余に渡って我々映画ファンを楽しませてくれた、稀代のアクションスター、ブルース・ウィリスが心底やりたかったことを、やり尽くした作品である。『ハドソン・ホーク』は、彼のフィルモグラフィーを振り返る上で、ある意味ハズせない1本と言える。■ 『ハドソン・ホーク』© 1991 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ドロップ・ゾーン
ジョン・バダム監督×ウェズリー・スナイプス主演でおくる、手に汗握る迫力のスカイアクション!
スカイダイビングを駆使するテロリスト集団に、単独で立ち向かう連邦捜査官の復讐と活躍を描いた追跡アクション。見所は機上、高層ビルからのスリリングなダイビングシーンに留まらず、機知にも富んだ隠れた良作!
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COLUMN/コラム2022.04.06
『ジョーズ』ブームの流れを汲むエログロ満載の海洋モンスター映画!『モンスター・パニック』
男は殺して女はレイプする!残酷でスケベな半魚人軍団が漁村を襲撃! ハリウッド映画にセックスとバイオレンスが溢れていた時代を象徴するようなモンスター映画である。1934年に映画界の自主規制条項ヘイズ・コードが実施されて以降、キリスト教のモラルに反するような性描写や暴力描写などが半ばご法度となってしまったハリウッド。ヘイズ・コード自体に法的な強制力があったわけではないが、しかし全米の映画館の大半はアメリカ映画製作者配給者協会(現在の映画協会)の承認した映画しか上映せず、その承認を得るためにはヘイズ・コードの条項を遵守したうえで審査を受ける必要があった。そのため、草創期のアメリカ映画には存在したセックスとバイオレンスが、30年以上に渡ってほとんど影をひそめてしまったのである。 もちろん、そうした実質上の「検閲」を意に介さないフィルムメーカーたちも存在はした。ハリウッドの映画業界とは縁もゆかりもなく、従ってヘイズ・コードの審査を通す必要もないインディペンデント映画の製作者たちだ。彼らはメジャーな映画をレンタルする経済的な余裕がない場末の映画館やドライブイン・シアターのため、安上がりで刺激的な内容の性教育映画やヌーディスト映画、スプラッター映画を供給したのである。ただ、それらの作品は上映できる場所が限られていたため、一般的な映画ファンの目に触れる機会はあまりなかった。しかし、社会の意識改革が進んだ’60年代半ばになるとヘイズ・コードの影響力も薄れ、’68年には廃止されて現在のレーティング・システムが導入されることに。’70年代以降はハリウッドのメインストリーム映画でもセックスとバイオレンスが本格的に解禁され、中でも商魂たくましいB級エンターテインメントの世界では我先にと過激さを競うようになる。血みどろの残酷描写とあられもない女体ヌードが満載の本作『モンスター・パニック』(’80)も、そんなハリウッドのエログロ全盛期に誕生した映画のひとつだった。 舞台はカリフォルニア州の小さな漁村ノヨ。豊かな自然に恵まれた平和な場所だが、しかしその水面下では住民同士の対立が深まっていた。というのも、数年前から地元に大きな缶詰工場の建設が計画され、その経済効果に期待する推進派と環境破壊を懸念する反対派が互いにいがみ合っていたのである。中でも推進派の代表格ハンク(ヴィック・モロー)と、反対派のリーダーであるネイティブ・アメリカンの青年ジョニー(アンソニー・ペーニャ)は犬猿の仲。人種差別主義者でもあるハンクはジョニーを目の敵にし、子分どもを率いてたびたび嫌がらせをしていたのだが、村人からの信頼も厚い中立派のジム(ダグ・マクルーア)の仲裁で、なんとか決定的な衝突が避けられているような状態だった。 そんなある日、沖合に出ていた漁船が正体不明の巨大生物に襲われて大破し、さらに地域で放し飼いにされていた犬たちが大量に殺される。これを反対派の仕業だと勝手に思い込んで報復を計画するハンク一味。しかし、真犯人は海から陸へ上がって来た半魚人の群れだった。やがて、海岸でデートをしている若いカップルが次々と半魚人に襲撃されていくのだが、しかし殺されるのは男性だけ。一方の女性は片っ端からレイプされてしまう。ジョニーの自宅でバーベキューを楽しんでいたジムの弟トミーと恋人リンダも被害に遭い、辛うじてトミーは一命を取り留めたものの、助けを呼ぶため車を走らせたリンダは、半魚人に襲われて端から転落死してしまった。ジョニーの証言によって村の危機を知ったジムは、缶詰工場の顧問を務める生物学者スーザン(アン・ターケル)の協力を得て真相究明に乗り出す。 以前から運営会社に環境破壊の危険性を警告していたスーザンは、会社が秘密裏に遺伝子操作で開発した新種のサーモンが工場から流出し、それを食べた海洋生物が突然変異でヒューマノイド化したと推測する。しかも、彼らは種を進化させるために人間の女性との交配を目論み、不要な男性は容赦なく殺していたのである。折しも、村では毎年恒例のサーモン祭が開かれようとしていた。住民や観光客に警戒を呼び掛けようとするジムとスーザン。しかし時すでに遅く、大量の半魚人軍団に襲撃されたサーモン祭は阿鼻叫喚の地獄と化してしまう…! 『モンスター・パニック』© 1980 New World Productions, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
スターゲイト
人類最大の謎スターゲイト、その解読は未曾有の大冒険の始まりだった!SFスペクタクル超大作!
空前の大ヒット作『インディペンス・デイ』のローランド・エメリッヒ監督が長年の宿願だった原案を映画化したSFアドベンチャー超大作! 大人気テレビドラマ・シリーズの原点となった記念碑的映画!
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COLUMN/コラム2022.04.06
ヌーヴェルヴァーグの先駆者シャブロルの代表作『いとこ同志』
「フランスのヒッチコック」とも呼ばれたシャブロルとは? ‘50年代後半から’60年代にかけて、フランス映画界を席巻した「ヌーヴェルヴァーグ」の大きな波。当時のヨーロッパではイギリスのフリー・シネマやドイツのニュー・ジャーマン・シネマなど、各国で新世代の先進的な若手映像作家が急速に台頭し、旧態依然とした映画界に変革を起こしつつあった。それはヨーロッパ最大の映画大国フランスでも同様。従来のスタジオシステムに囚われない若い才能が次々と登場し、その大きなうねりを人々は「新たな波=ヌーヴェルヴァーグ」と呼んだのである。 このヌーヴェルヴァーグのムーブメントには、大きく分けて「カイエ・デュ・シネマ派」と「セーヌ左岸派」が存在した。前者は雑誌「カイエ・デュ・シネマ」に寄稿していたフランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、エリック・ロメールなどの映画批評家たち、後者はパリのセーヌ左岸に集ったアラン・レネやアニエス・ヴァルダ、ルイ・マルなど主にドキュメンタリー出身の作家たち。その「カイエ・デュ・シネマ派」の中でも先陣を切って映画制作に乗り出し、トリュフォーやゴダールと並んでヌーヴェルヴァーグの旗手と目されたのがクロード・シャブロルだった。 とはいえ、当時のヌーヴェルヴァーグ作家群の中でも、シャブロルは少なからず異質な存在だったと言えよう。ゴダールは自己表現のために映画を利用し、シャブロルは映画そのものに奉仕すると言われるように、彼は特定のジャンルやイデオロギーに囚われることなく様々なタイプの映画に取り組む、純粋な意味での「映画作家」だった。なので、やがてヌーヴェルヴァーグの勢いが落ち着いていくと、商業映画に背を向けたゴダールやリヴェットが政治的に先鋭化し、資金繰りに窮したロメールはテレビへ活路を見出し、トリュフォーはメインストリームのアート映画を志向するなど、ヌーヴェルヴァーグの仲間たちが各々別の道を模索していく中、シャブロルは折から流行のスパイ・コメディなど大衆娯楽映画に進出する。恐らく彼にとっては、たとえ低予算のプログラム・ピクチャーであろうと、大好きな映画を撮り続けることが重要だったのだろう。 中でも彼が最も得意としたのはミステリー映画。アルフレッド・ヒッチコックやフリッツ・ラング、ジョゼフ・L・マンキーウィッツなどをこよなく愛し、ロメールと共著でヒッチコックの研究書も執筆したことのあるシャブロルは、’60年代後半から’70年代にかけて『女鹿』(’68)や『肉屋』(’69)など数々の優れたミステリー映画を発表し、一時は「フランスのヒッチコック」とも評されるようになる。ヌーヴェルヴァーグを一躍世に知らしめたと言われ、ベルリン国際映画祭では金熊賞を獲得した監督2作目『いとこ同志』(’59)にも、既にその兆候を垣間見ることが出来るだろう。 明暗を分ける「いとこ同志」の青春残酷物語 法学の試験を受けるため、田舎から大都会パリへとやって来た若者シャルル(ジェラール・ブラン)。真面目でシャイなお人好しの彼は、同じく法律を学ぶ従兄弟ポール(ジャン=クロード・ブリアリー)と同居することを条件に、過保護な母親の許しを得ることが出来たのだ。そのポールは、シャルルとまるで正反対の破天荒で不真面目なプレイボーイ。広い高級アパートに遊び仲間を集めては、夜な夜なドンチャン騒ぎを繰り広げている。その贅沢な暮らしぶりに圧倒される田舎者のシャルルだったが、少しずつグループの輪にも慣れていき、大都会での暮らしを満喫しつつ勉学に励む。日頃から傲慢で自堕落なポールも、実のところ根は悪い人間ではなかった。 そんなある日、シャルルはポールの取り巻きグループの女性フロランス(ジュリエット・メニエル)に一目惚れする。恋に落ちると周りが見えなくなってしまう初心で不器用なシャルル。それなりに恋愛遍歴を重ねてきたフロランスも、今どき珍しく純情で一途なシャルルに好感を抱き、デートの誘いに応じるようになる。ところがある時、約束の時間を間違えたフロランスがアパートでシャルルを待っていたところ、ポールとその悪友クロヴィス(クロード・セルヴァル)に忠告される。真面目過ぎるシャルルと遊び慣れた君とでは絶対に合わない、いずれ退屈して彼を傷つけることになるだけだ…と。なんとなくその場の雰囲気でポールとキスしたフロランスは、そのまま彼の恋人として同居することになる。 この予期せぬ展開に大きなショックを受けるシャルルだったが、それでもなんとか平静を装い、試験に合格して見返してやろうとする。なにより、女手ひとつで育ててくれた母親の恩に報いるためにも、試験に落ちるわけにはいかなかった。とはいえ、目の前でいちゃつく2人との共同生活はストレスで、なかなか勉強にも身が入らない。そんなシャルルの複雑な心境も考えず、勉強ばかりしないで一緒に遊ぼうよ!と無邪気に誘うポールとフロランス。おかげで、シャルルはあえなく試験に落第してしまう。一方、ろくに勉強などしなかったポールは、賄賂とコネを使ってちゃっかり合格を手に入れていた。恋人を横取りされたうえに、試験でも負けてしまったシャルル。やはり貧乏人は金持ちに敵わないのか。無力感と敗北感に苛まれた彼の心に、やがてポールへの殺意が芽生えていく…。 また、本作はシャブロルにとって最大の協力者である脚本家ポール・ジェゴフとの初仕事でもあった。ルイ・マル監督の『太陽がいっぱい』(’60)の脚本家としても知られ、シャブロルとは「カイエ・デュ・シネマ」時代からの親友だったジェゴフ。実は『美しきセルジュ』でも彼に手伝ってもらうつもりだったシャブロルだが、しかし当時のジェゴフは20世紀フォックス広報部の業務で忙しかったために叶わなかった。まあ、もとはといえば先にフォックスで仕事をしていたシャブロルが、スタッフ増員の際にジェゴフを引き入れたので、その経緯を考えれば無理を言えた義理ではなかったのだろう。その後、仕事に嫌気のさしたジェゴフはフォックスを退社。めでたく(?)本作での初コラボが実現することとなったわけだ。 基本的にジェゴフが草稿を書き上げ、そこにシャブロルが加筆・修正を加えていくというスタイルで完成した本作の脚本。元になったあらすじはシャブロルのものだが、しかし出来上がった脚本の99.5%はジェゴフのものだという。そんなジェゴフは相当に破天荒な人物だったそうで、なおかつ女性関係にもだらしなかったという。もしかすると、ポールのモデルは彼だったのかもしれない。ただまあ、若い頃のシャブロルもなかなかのヤンチャ坊主で、しかも女癖の悪さを治すために結婚したというほどの遊び人だったらしいので、反対にジェゴフがシャブロルをもとにしてポールの人物像を作り上げたとも考え得る。その辺りも興味深いところだ。 ちなみに、本作は後にシャブロルのミューズとして数々の映画に主演し、2番目の妻ともなる女優ステファーヌ・オードランとの初仕事でもある。ポールの友人で生真面目すぎる若者フィリップを振り回す、プラチナブロンドの浮気性女フランソワーズを演じているのがオードランだ。主演のジェラール・ブランとジャン=クロード・ブリアリーは、前作『美しきセルジュ』からの再登板。これが本格的な映画デビューだったフロランス役のジュリエット・メニエルは、化粧石鹸の広告で彼女を見かけたシャブロルによってスカウトされたという。■ 『いとこ同志』© 1959 GAUMONT
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PROGRAM/放送作品
マン・オン・ザ・ムーン
ジム・キャリー主演、カーネギーホールに立つことを夢見るコメディアンを演じた実話映画
2度のアカデミー賞監督賞に輝いたミロス・フォアマン監督が描く、実在したコメディアン、アンディ・カウフマンの生涯。ジム・キャリーが35歳という短い生涯を生きぬいた主人公を軽快に演じる。
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COLUMN/コラム2022.03.25
スティーヴ・マックィーン晩年の素顔も投影された遺作『ハンター』
もう40年以上の歳月が、流れてしまった。1980年11月7日…稀代のアクションスター、スティーヴ・マックィーン死去が報じられた際の衝撃を、今の若い映画ファンに伝えるのは、もはや至難の業かも知れない。 家庭環境に恵まれない不良少年だったマックィーンは、折り合いの悪かった継父によって、少年院に送り込まれる。退所後は数々の職を経て、海兵隊に入隊。3年間の軍隊生活を送った。 彼が演劇の勉強を始めたのは、20代になってから。そして30前後からスター街道をひた走り、やがて“キング・オブ・クール”と異名を取る、世界的な人気者となった。 1930年生まれ。思えばクリント・イーストウッドと、同い年である。マックィーンは「拳銃無宿」(58~61)、イーストウッドは「ローハイド」(59~65)という、それぞれTVの西部劇シリーズで世に出て、その後『ブリット』(68)『ダーティハリー』(71)という、それぞれに刑事アクションの歴史を塗り替える、大ヒット作のタイトルロールを演じた。 齢90を超えて未だに監督・主演作をリリースする、イーストウッドの驚くような頑健さ。それを思うと、マックィーンの享年50という短命には、改めてもの悲しい気分に襲われる。 筆者はマックィーンの、それほど熱心なファンだったわけではない。しかし70年代中盤から映画に夢中になった身には、マックィーンは、「絶対的なスター」と言える存在であった。 各民放が毎週ゴールデンタイムに劇場用映画を放送していた、TVの洋画劇場の全盛期。その頃確実に視聴率を取れる“四天王”と言われたのが、アラン・ドロン、ジュリアーノ・ジェンマ、チャールズ・ブロンソン、そしてスティーヴ・マックィーンだった。 マックィーンの他にポール・ニューマンやウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイら大スター競演のパニック映画超大作『タワーリング・インフェルノ』(74=日本公開は翌75年)以来、新作の日本公開が途絶えても(1976年にヘンリック・イプセンの戯曲『民衆の敵』を映画化した作品の製作・主演を務めたが、アメリカ本国でもまともに公開されず、日本では83年までお蔵入りとなった)、TVや名画座で彼と会うことは、困難ではなかった。筆者はまだビルになる前の池袋の文芸坐で、『荒野の七人』(60)『大脱走』(63)という、彼の代表作2本立てを楽しんだ記憶がある。 そんなマックィーン待望の新作が、5年振りに、しかも立て続けに日本公開されたのが、1980年だった。4月に『トム・ホーン』、そして12月に本作『ハンター』。しかし『ハンター』が公開された頃には、マックィーンはもう、この世の人ではなかったのだ…。 ***** 現代社会を生きる“バウンティ・ハンター=賞金稼ぎ”のラルフ・ソーソン、通称“パパ”。彼はロサンゼルスから逃げ出した犯罪者を追って、アメリカ各地へと赴いては逮捕し、ロスに戻って警察に引き渡すのが、主な仕事である。 彼の依頼主は、犯罪者に保釈金を貸し付ける業務を行っている、リッチー。逃亡されて、保釈金がパーになることを防ぐため、ソーソンに依頼を行うのである。 ソーソンの家は、いつも多くの人間が集まっては、ポーカーに勤しんでいる。時には、まったく面識のない者まで。 そんなザワついた家で、ソーソンを優しく迎えてくれるのは、彼よりかなり年下の女性ドティー。小学校の教師である彼女は、現在ソーソンの子どもを妊っている。 粗暴な大男、爆弾魔の兄弟、逃亡中に電車をジャックする凶悪犯、日々そんな者たちと、命を危険に晒しながら渡り合っているソーソンの悩みは深い。こんな自分が、父親になって良いのだろうか? 臨月を迎えて出産目前のドティーとソーソンの関係が、ギクシャクし始める。そんな時に、彼の命を狙う者が現れた。かつてソーソンがムショ送りにした男、ロッコだ。 ある夜、仕事を終えて自宅に戻ったソーソンは、ドティーがロッコに連れ去られたことを知る。その監禁先は、彼女が教壇に立つ小学校。 急ぎ車を飛ばすソーソンは、愛する女性と、生まれてくる我が子を救うことは、できるのか? ***** アメリカでは、西部の開拓時代さながらに、現代でも“賞金稼ぎ”という職業が認めらている。そして本作でマックィーンが演じる、ラルフ“パパ”ソーソンは、実在の“賞金稼ぎ”である。 マックィーンは“ディスレクシア=難読症”で、読書は苦手であったが、76年に出版されたソーソンの伝記は、むさぼるように一気に読み上げたという。そして彼を演じたいという気持ちを、強く持った。「少なくとも50年生まれてくるのが遅かった」と、常々口にしていたというマックィーン。その晩年に生活を共にした、3番目の妻であるバーバラは、彼のソーソンを演じたい気持ちには、「…善悪がはっきりしていた、あまり複雑ではなかった古い時代に戻りたいというロマンチックな考えが影響していたのではないか…」と分析している。 実際のソーソンは、マックィーンよりだいぶ大柄で髭面の巨漢。本作には、セリフもあるバーテンダーの役で登場しているが、バーバラは、ソーソンとマックィーンには、多くの共通点があることを指摘している。曰く、「カリスマ性」「年齢も同じぐらい」「誰からも軽く見られることを許さない」「自分独自のルールで行動する反逆児」等々。 いずれにしてもマックィーンがこの題材に惹かれたのには、彼のキャリアも大いに関係あるだろう。若き日の彼をスターダムに押し上げるきっかけとなったTVシリーズ「拳銃無宿」の主人公ジョッシュ・ランダルは、まさに開拓時代の“賞金稼ぎ”。それから20年が経ち、現代に生きる初老の“賞金稼ぎ”を演じることを決めたわけである。こうしてマックィーンの栄光のキャリアは、奇しくも“賞金稼ぎ”で始まり、“賞金稼ぎ”で幕を下ろすこととなったのだ。 『ハンター』の監督は、当初ピーター・ハイアムズが務める予定だった。ハイアムズは『破壊!』(74)『カプリコン1』(77)『アウトランド』(86)『シカゴ・コネクション/夢みて走れ』(86)など、一級のアクション演出で知られる監督。 ところが稀代のアクションスターであると同時に、稀代のトラブルメーカーとして知られるマックィーンとは、意見がぶつかってしまった。マックィーンは打合せの席で銃をぶっ放し、ハイアムズは脚本のみを残して、敢えなく降板となった。 後を受けたのが、バズ・クーリック。本作は、実際にソーソンが遭遇した事件をベースに、脚色してアクションを加味した構成となっているが、主にTVシリーズやTVムービーの監督として活躍してきたクーリックのアクション演出の腕前は、ハイアムズに遠く及ばない。そのため本作が、激しいアクションシーンを見せ場にしながらも、些か切れ味に欠け、ヌルく見える構成になったのは、否定できない。 時は80年代の頭、間もなくシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーの時代が訪れる直前。60年代から70年代をリードしたアクションスター、マックィーンの遺作が、こんな形になってしまったのは、ある意味象徴的とも言える。 しかし案外、本作はマックィーン本人がそんな作りを望んだのではないかと思わせる部分も、多い。ソーソンは若い女性をパートナーにしながら、古い自動車やおもちゃをこよなく愛するという設定。これは実際のソーソンをベースにしながらも、25歳下のバーバラと暮らし、アンティーク玩具のコレクターであったマックィーンの私生活も投影されている。 そうした意味で本作に於けるソーソンと、そのパートナーであるドティーや周囲の人物とのやり取りを追っていくと、他作品ではあまり見られない、マックィーンの柔和な表情が横溢していることがわかる。こうなると、微温的でヌルく見える構成・演出が、心地よく感じられるようにもなる。 本作の撮影中マックィーンは、ロケ地のシカゴで知り合った、家庭環境に恵まれない10代の少女の保護者になったり、田舎町でのロケでは、農場の夫婦と家族のような交流をしたり。これらの心温まるエピソードは、後年バーバラが明らかにしたことだが、その一方で死の影が、彼の肉体を確実に蝕み始めてもいた。 俳優人生を通して、多くのスタントシーンを自分自身で演じてきたことに、マックィーンは誇りを持っていた。しかし本作撮影に当たっては、「スタントをするには年を取り過ぎたし金を持ち過ぎた…」と、走る高架鉄道のパンタグラフにぶら下がる有名なシーンなどに取り組むのは、スタントマンに譲った。 異変が現れたのは、逃げる犯罪者を走って追いかけるシーンを、マックィーン自らが演じた際。シーン終わりには、ぜいぜいと息を切らして、そのまま立っていられなくなった。撮影後半の数週間は、絶えず咳き込んでいる状態であったという。 79年9月から始まった本作の撮影が一段落した12月、バーバラとの約束通りマックィーンが検査を受けると、右肺に大きな腫瘍が見つかり、致死性の高いがんである“中皮腫”であることがわかった。 翌80年春には、タブロイド紙が彼の余命が僅かであることを、すっぱ抜く。マックィーンは怪しげな民間療法も含めて、がんと戦い続けた。 随時伝えられる彼の病状に、世界中のファンがヤキモキしながら生還を祈った。しかしその願いもむなしく、マックィーンは、末期がんと判明して1年も経たない11月7日に、力尽きてこの世を去ったのである。 人生の最期に彼を慰めたのは、25歳下の若妻バーバラと、晩年に改宗して熱心に信仰した、福音主義教会。彼の遺灰は太平洋へと散骨されたが、バーバラと共に、ニール・アダムス、アリ・マッグロウと、別れた妻2人も列席したという…。■ 『ハンター』TM & Copyright © 2022 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ハドソン・ホーク
ブルース・ウィリス主演。ダ・ヴィンチの残した秘宝を巡る痛快アクション・アドベンチャー
ダ・ヴィンチが残した秘宝を巡り、ブルース・ウィリス扮する大怪盗ハドソン・ホークと世界征服を狙う謎の夫婦、さらにはCIAが入り乱れるアクション・アドベンチャー。ブルースは今作の脚本にも参加している。
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COLUMN/コラム2022.03.15
実写のように細心に、漫画のように大胆に!——『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』
◆香港大河アクション漫画の実写映画化 正義感の強い蹴りの達人・タイガーは、ある日レストランで不作法をはたらく秘密結社“江湖”と争い、脅威的なまでに強い用心棒に圧倒されてしまう。その用心棒はタイガーと同じ武術道場「龍虎門」で学び、長く彼の前から姿を消していた兄・ドラゴンだった……。 2006年に公開された『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』(以下:『DTG』)は、香港の伝統あるコミックス「龍虎門」の映画化で、タイトルは身寄りのない子どもたちが格闘を学ぶ養成校の名だ。邦題の頭につく「かちこみ」は「殴り込み」を意味し、物語は龍虎門で育った2人の兄弟と1人のアウトロー=突き技の神ドラゴン(ドニー・イェン)、蹴りの達人タイガー(ニコラス・ツェー)、そしてヌンチャクの天才ターボ(ショーン・ユー)が、師匠を殺した悪の大ボスを相手に人間のレベルを超えた戦いを繰り広げていく。 『DTG』の製作は香港内で注目の的となった。なぜならば当時、香港映画でコミックスの長編実写化といえば、その多くが日本のマンガ原作が主流をなしていたからだ。しかも「龍虎門」は香港コミックスの格闘ジャンルを確立させた、歴史の古い大河アクションである。1970年に発表されてから今日まで、途絶えることなく新作が発表され、作品の歴史は半世紀以上にわたる。「香港の若者なら必ず読んでいる、通過儀礼のような格闘コミックスなんだ。そんな作品のキャラクターを演じるなんて、信じがたい機会だよ」 とターボ役のショーン・ユーが筆者に語ったように、またとない題材への取り組みとなったのである。 また全編において展開される高速アクションと一体化した音楽は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(95)の川井憲次が担当。川井の起用はドニーの強い要望からきたもので、彼が日本でアクション監督を担当した『修羅雪姫』(01)のスコアに感銘を受けたという。その後、ツイ・ハークに推薦して『セブンソード』(05)の作曲に招き入れたことをきっかけに、自身の主演作に川井を指名していったという経緯がある。ドニーは「私のアクションの“リズム”を支える要素として、川井さんの音楽が果たす役割はとても大きい」と称賛してやまない。 ◆「アクション映画の真の勝負は数年後」とドニーは言った 「僕はアクション映画は公開したそのときよりも、公開されて数年後が勝負だと考えているんだ」 この『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』のプロモーションを通じ、筆者はドニー・イェンにインタビューをした過去がある。忘れもしない2007年2月12日、ハーバープラザ ホンコンに部屋をとっておこなわれた同取材は、ドニーが新作の撮影にかかりっきりで進行が遅れ、夕方の開始がなんと深夜の23時になってしまった。そんなアクシデントと併せ、忘れがたいイヴェントとして今も自分の中にある。取材が大幅に遅れたことへの苛立ちは不思議となく、むしろ強く覚えたのは、優先的にアクションに身を置こうとするドニーへの尊敬心だ。 なにより取材前、ドニーは撮影現場では決して妥協をしない、厳しい俳優だと仄聞していた。確かに本人に会ってみると、常にアクションのことを考えており、じつにストイックな印象を受ける。だが言葉に余計な飾りがないぶん、彼の口から出るアクション哲学には重い響きがあり、強い説得力を放っていたのだ(前チャプターで記したメイキングの事情は、そのときのドニーやショーンとの会話から起こしたものである)。 『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』© 2006 Mandarin Films Ltd. All Rights Reserved.