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貧しくても家族の愛があれば生きていける!激動の時代を生き抜いた庶民の視点で韓国の歴史を綴る大河ドラマ
『TSUNAMI-ツナミ-』のユン・ジェギュン監督が、家族のために自分を犠牲にした男性の視点から20世紀後半の韓国史を描き出す。どんなに辛い時も笑顔を絶やさない主人公をファン・ジョンミンが好演。
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COLUMN/コラム2024.07.03
サム・ライミの『死霊のはらわた』シリーズ第3弾!なぜか邦題は、『キャプテン・スーパーマーケット』
“アクション”“SF”“恋愛”“コメディ”“ホラー”…云々。映画のジャンルを大別すると、例えばこのような区分けが為されるのが、一般的だ。 一方で、そんな真っ当なジャンル分けを、無効化してしまうようなジャンルもある。“ジョーズもの”“マッドマックスもの”“エイリアンもの”“ランボーもの”“ターミネーターもの”“ジュラシック・パークもの”…。メガヒット作など大きな話題になった映画の後を追って作られた、バッタもん、パチもん度が強い作品群だ。 “ホラー映画”に於いては、例えば“エクソシストもの”や“悪魔のいけにえもの”等々が存在する。今や真っ当な映画ジャンルに育ってしまった“ゾンビもの”は、元々はジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)や『ゾンビ』(78)のパチもの群がスタートだったのは、誰も否定できまい。 サム・ライミ監督の記念すべき長編デビュー作『死霊のはらわた』(81)は、ロメロの影響を受けた“ゾンビもの”の一端を担いながらも、新たに“死霊のはらわたもの”というジャンルを生んだ、記念すべきオリジンと言える。この作品以降、森の奥深い山小屋を舞台に、そこを訪れた者たちが死霊に憑依され、スプラッタ描写満載の惨劇が繰り広げられるホラーが、どれほどの数この世に送り出されたことか。 元々は「ホラーは苦手」だったというサム・ライミ。大学時代からの映画仲間ロバート・タパートに、「世に出るなら、低予算のホラーだ」と説き伏せられたことから、様々なホラー作品に触れて研究を重ね、『死霊のはらわた』を生み出すこととなった。 製作費は35万㌦という超低予算のこの作品は、国内外で話題となり、多くのシンパが誕生した。「ホラーの帝王」スティーヴン・キングは応援団長となって、大物プロデューサーであるディノ・デ・ラウレンティスを、ライミたちに紹介。その結果生まれたのが、前作の10倍=350万㌦の製作費を掛けた続編、『死霊のはらわたⅡ』(87)だった。「僕は8ミリ映画時代から、観客にウケさえすれば続編を作って来たからね」というライミだが、同じことをやるのは嫌だった。そこで『Ⅱ』では、ライミの高校時代からの親友であるブルース・キャンベルが前作で演じたアッシュというキャラが、中世ヨーロッパにタイムスリップし、そこで死霊憑きの軍団と戦うという内容を考えた。 しかし、この構想に乗る者はなかった。ラウレンティスからは、「前作と同じテイスト」をと、事実上の「リメイク」を求められ、「中世編」のアイディアは、お蔵入りとなった。 結果的に生まれた『死霊のはらわたⅡ』は、第1作の粗筋をなぞりつつ、ライミがこよなく愛するスラップスティック・コメディ「三ばか大将」風のギャグが満載された内容となった。観客層を広げるために、残酷描写は前作より抑えたが、その分レイ・ハリーハウゼン風のモデルアニメーションを導入したり、片腕を失ったアッシュが、“チェンソー”を装着して死霊と戦うなど、サービス精神も旺盛な、エンタメ作品に仕上がっている。『Ⅱ』のラストでは、アッシュが中世へとタイムスリップ。その時代の民に、“死霊ハンター”の英雄として迎えられる。このように、棚上げされた「中世編」のネタまで盛り込んだのは、映画作家としてのライミの意地と言うべきか? この『死霊のはらわたⅡ』が興行的な成功を収めたことによって、更にその続編に、ラウレンティスが製作資金を提供することになった。今度は好きな内容をやっても良いということだったので、ライミは『Ⅱ』のエンディングの続き、1度は棚上げになった、「中世編」のプロットを本格的に復活させることにした。 そして製作されたのが本作、『死霊のはらわた』シリーズ第3作となる、『キャプテン・スーパーマーケット』(93)である。 ***** スーパーの店員だったアッシュは、死霊との戦いの末に、中世イングランドへとタイムスリップ。その地を治めるアーサー王に、敵のヘンリー王一味と間違われて、死霊の巣喰う穴へと放り込まれる。 あわやの瞬間に彼を救ったのは、“片腕チェンソー”とライフル銃。民衆は掌を返したように、アッシュを“英雄”として迎える。 街の娘シーラと恋に落ちたアッシュ。民衆を死霊たちから守り、自らは元の時代に戻るためには、「死者の書」が必要なことを知る。「死者の書」を求めて、死霊の巣食う墓地へ向けて旅立つアッシュ。死霊に襲われ、逃げ込んだ風車小屋の中で、自分にそっくりの姿をした小人の悪霊の一団と戦うが、その1人に体内へと入り込まれた挙げ句、分身として“悪霊のアッシュ”が誕生してしまう。 アッシュはその分身を、ライフルで倒しチェンソーでバラバラにして埋葬する。そして遂に、「死者の書」の元へと辿り着く。 しかしアッシュは、「死者の書」を手に取る際に必要な呪文を忘れてしまっており、適当に誤魔化しながら持ち出したため、死霊軍団が復活。そのリーダーの座には、一旦は葬った筈の分身、“悪霊のアッシュ”が就く。 死霊軍団がアーサー王の城へと迫るも、アッシュは、自らが元の時代に戻ることしか頭にない。しかしシーラが死霊にさらわれると、一転。戦いの先頭に立つ決意をするが…。 ***** 開巻間もなく、前作の内容をダイジェスト風に紹介。その際に死霊に身体を乗っ取られる、アッシュの恋人リンダを、当時若手俳優として人気が高かった、ブリジット・フォンダが演じている。 実はブリジットは、『死霊のはらわたⅡ』の大ファン。僅かな出番ではあるが、シリーズを通じて最もネームバリューの高いスターの出演は、本人が熱望して決まったものだったという。 本作の原題は、「Army of Darkness」。『死霊のはらわた』の原題である、「Evil of Dead」が入っていない。これは、配給を担当したユニヴァーサルが公開タイトルを、「Evil of Dead Ⅲ」とすることに反対したためである。ライミは「Evil of Dead 中世編」とすることも考えたようだが、結局はユニヴァーサルの意向によって、シリーズの第3弾だとは、まったくわからないようなタイトルになってしまった。 因みに日本での公開タイトルが、アッシュがスーパーの店員という設定ぐらいしか由来がない、『キャプテン・スーパーマーケット』になってしまったのも、極めて不可解。実際に当時多くの映画ファンが、『死霊のはらわた』シリーズだとは気付かないままに、公開されている。 因みに後にサム・ライミのプロデュースで、ハリウッド映画を撮った清水崇監督によると、ライミにもこの邦題が伝わっていたという。その上で、「日本人はクレイジーだ」と面白がっていたそうな。 それにしても「Evil of Dead=死霊のはらわた」を外したタイトルになったのは、本作が前2作と違って、“ホラー”要素が極めて薄かったからなのか? 実際に本作では、「臆病で自惚れ屋でほら吹き」というアッシュのキャラの方向性が定まり、前作以上に、「三ばか大将」に影響を受けた笑いの要素が強くなっている。アッシュは1人でバカ騒ぎをして、酷い目に遭うギャグが繰り返される。 演じるブルース・キャンベルは、先にも記した通り、サム・ライミの高校時代からの親友。8㎜フィルムでインディーズ映画を撮ってきた仲間である。 演技を学ぶために大学に進学するも、『死霊のはらわた』を作るために退学し、アッシュを演じることとなった。そして彼は、最後まで生き残るファイナルガールならぬ“ファイナルボーイ”として、シリーズ全般で主役を演じることとなった。 『死霊のはらわた』第1作の後には、ライミが「エンバシー・ピクチャーズ」という、名の通った映画会社と初めて組んだ作品『XYZマーダーズ』(85)で主演する筈だった。しかし、無名の俳優は主役には据えられないという、「エンバシー」からの“口出し”によって、脇役に回る憂き目に遭う。『死霊のはらわたⅡ』の後には、ライミ初のハリウッドメジャー作品『ダークマン』(90)の蹉跌が待ち受けていた。こちらも主演にキャンベルを当てる構想が、ユニヴァーサルの意向によって、リーアム・ニーソンへと差し替えられたのだ。この作品のラストでは、ニーソンが変装したキャラの顔がキャンベルその人で、そのままストップしてエンドロールが流れる。これはライミとキャンベルによる、ユニヴァーサルへの意趣返しとしては、痛快ではあったが…。 インディーズ出身の監督が、出世していくプロセスで、その頃からの主演俳優をそのまま使っていくのが、いかに難しいことであるか。そうした意味で本作『キャプテン・スーパーマーケット』は、それまでに散々踏みにじられてきたライミとキャンベルの親友コンビにとって、メジャー作品でありながらその組合せが守られた、待望の作品だったわけである しかし本作でも、『ダークマン』に続いて、アメリカ国内配給を担当したユニヴァーサルによる、ポスト・プロダクションでの介入が行われた。ユニヴァーサルの意見は、「長すぎるし、最後が暗い」。そこで本作は15分カットされた上、アッシュが元の時代に戻る、事の顛末が大きく改変された。 ユニヴァーサルの命によって追加撮影されたヴァージョンでは、アッシュはスーパーの店員として平凡な日常に戻るも、その際にまたも呪文を唱え間違えたせいか、その場に死霊が出現。対決したアッシュは、見事に勝利を収め、拍手喝采を浴びる。 ご丁寧にもこの追加撮影分には、ブリジット・フォンダが再び出演しているが、今回放送されるヴァージョンは、ライミによるディレクターズ・カット版。ユニヴァーサルに「暗い」と断じられたラストが、どのようなものかは、その目で確かめて欲しい。 ラウレンティスとユニヴァーサル間のトラブルもあって、公開時期が遅くもなった本作。そうしたドタバタが続いたものの、「目指すのはエンターテイメント」「皆が笑ったりビックリするような映画を撮りたい」という、ライミの本領が見られる作品となっている。 因みに『死霊のはらわた』シリーズ以降のブルース・キャンベルは、ライミ作品に関しては、本編のどこかにちょこっと特別出演するような形が多い。例えば『スパイダーマン』3部作(2002~07)などは、全作違う役で出演している。 そしてドラマシリーズとしてライミがプロデュース、第1話を監督した、「死霊のはらわた リターンズ」(2015~18)には、30年後のアッシュ役で主演。再び、「臆病で自惚れ屋でほら吹き」ぶりを、たっぷりと見せてくれたのである。■ 『キャプテン・スーパーマーケット』© 1993 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.
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M・ナイト・シャマラン監督が予測不能な恐怖を生み出す!23の人格を持つ男の脅威に震える衝撃スリラー
前作『ヴィジット』で健在を示したM・ナイト・シャマラン監督が、予測不能な恐怖を次々と繰り出し完全復活を証明。ジェームズ・マカヴォイが23の人格を持つ誘拐犯に扮し、突然訪れる人格の変化を迫力満点に怪演。
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COLUMN/コラム2024.07.03
巨匠ジョン・カーペンターによるSFホラーの金字塔!その恐怖の舞台裏に迫る!『遊星からの物体X』
実は2度目の映画化だった ホラー映画の巨匠ジョン・カーペンター監督が手掛けた、SFホラー映画史上屈指の傑作である。舞台は雪に閉ざされた冬の南極観測基地。殺した人間や動物を体内に取り込んで細胞レベルからコピーし、本物と成り代わってしまう謎のエイリアンが犬を介して基地内へ秘かに侵入。一人また一人と隊員を殺しては同化し、さらにそこから分裂と増殖を繰り返していく。気心の知れた同僚が気付かぬうちに本人ソックリの怪物と入れ替わってしまう恐怖。誰が本物で誰が偽者なのか…?という疑心暗鬼とパラノイアを描いた、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を彷彿とさせる緊迫したストーリーの面白さも然ることながら、特定の形状を持たず自由自在に擬態・変態を繰り広げるグロテスクなエイリアンを、当時の最先端テクノロジーを駆使して表現したドロドロ&グチャグチャなSFXシーンの強烈なこと!あんな映像、当時は他で見たことなかった。いわゆるクリーチャー・エフェクトに革命をもたらした映画でもあったのだ。筆者は高校生だった’80年代半ばに東京都内の名画座で初めて見たのだが、あの時のスリルとショックと興奮は未だに忘れられない。 原作はアメリカの大物SF作家ジョン・W・キャンベルが、1938年にドン・A・スチュアートのペンネーム(元ネタは最初の妻ドナ・スチュアート)で発表した短編小説「影が行く」。キャンベルの母親は一卵性双生児だったそうで、息子でも見分けがつかないほど母親と瓜二つだが性格は真逆のおばさんと彼は折り合いが悪かったらしく、そこから「愛する人の中身が邪悪な別人だったら?」という小説のベースとなるアイディアが生まれたという。これが今までに2度、ハリウッドで映画化されている。 最初の映画化は’51年。『暗黒街の顔役』(’32)や『赤ちゃん教育』(’38)、『三つ数えろ』(’46)などでお馴染みの巨匠ハワード・ホークスがプロデュースを担当し、ホークス作品の編集者だったクリスチャン・ネイビイが監督を任されたRKO配給作品『遊星よりの物体X』である。実際は大半のシーンをホークスが演出したとも噂される同作は、ロバート・ワイズ監督の『地球の静止する日』(‘’51)と並んで、’50年代SF映画ブームの起爆剤となった名作。しかし、当時の技術では忠実な映画化が困難だったためか、原作の内容はだいぶ改変されてしまった。中でも最大の違いは地球外生命体の「物体X」である。フランケンシュタインの怪物みたいな容姿の「物体X」は植物が進化した知的生命体で、そのため感情や感覚がなく武器も通用しないという設定。一応、短時間で繁殖が可能という設定だけは残されたが、しかし他の生物を体内へ取り込んで擬態することはなく、ただ単に人間や動物の血を吸って殺すだけ。極めてオーソドックスなモンスターとなってしまった。 ‘51年版に多大な影響を受けていたカーペンター監督 それから20年以上の歳月が流れた’70年代半ば、ある人物が原作小説の再映画化に動き出す。当時、主にテレビ業界で活動していた新進の若手プロデューサー、スチュアート・コーエンだ。「影が行く」の映画化権を手に入れた彼は、知人だった『ゲッタウェイ』(’72)や『新・動く標的』(’75)のプロデューサー、デヴィッド・フォスターに再映画化を提案。これを気に入ったフォスターは、当時コンビを組んでいた『卒業』(’68)の名プロデューサー、ローレンス・ターマンと一緒にユニバーサルへ企画を持ち込んだところ承認されたというわけだ。さらにユニバーサルは、当時RKO作品の権利を所有していたウィルバー・スタークから『遊星よりの物体X』のリメイク権も獲得。その際の交換条件として、スタークは本作の製作総指揮に名前がクレジットされている。後にスタークは自分が脚本執筆に関わったと主張したそうだが、しかし実際は製作過程に一切タッチしていないという。 こうして企画の動き出した『遊星からの物体X』。発案者であるスチュアート・コーエンが当初より監督に想定していたのは、南カリフォルニア大学映画芸術学部時代の友人ジョン・カーペンターだった。そもそも彼が再映画化を思いついたきっかけは、自主制作のデビュー作『ダークスター』(’74)が劇場公開へ漕ぎ着けたばかりのカーペンターやダン・オバノンと、ロサンゼルスで食事をした際に『遊星よりの物体X』が話題に上ったこと。少年時代に同作を見て夢中になったというカーペンターは、当然ながらジョン・W・キャンベルの原作小説も熟読していた。何よりもカーペンターはハワード・ホークスの熱狂的な崇拝者である。再映画化の演出を任せるに適任と思われたが、しかし当時のカーペンターはまだ無名に等しかったため、ユニバーサルの重役陣が首を縦に振らなかった。 代わりにユニバーサルが企画を任せようとしたのが、『悪魔のいけにえ』(’74)を大ヒットさせたトビー・フーパー監督とその盟友の脚本家キム・ヘンケル。しかし、方向性を巡って制作陣と意見が折り合わなかったために2人は降板し、その後も様々な人物が入れ代わり立ち代わり携わったが、なかなか企画は前に進まなかったという。そうこうしているうちに、カーペンター監督の出世作『ハロウィン』(’78)が口コミで空前の大ヒットを記録。さらに、リドリー・スコット監督の『エイリアン』(’79)の大成功でSFホラーが注目されたことから、ユニバーサルは今や時の人となったカーペンター監督を起用して企画に本腰を入れるようになったのだ。 ちなみに、『ハロウィン』の劇中で『遊星よりの物体X』がテレビ放送されているのはご存知の通り。これがユニバーサルへのアピールだったのかどうかは定かでないが、しかし撮影監督のディーン・カンディが明かしたところによると、『ハロウィン』の撮影に入る前にカーペンター監督の自宅で見せられた「参考作品」が、他でもない『遊星よりの物体X』のビデオテープだったという。それくらい、同作はカーペンター監督に多大な影響を与えているのだろう。 閑話休題。予てより適任の脚本家を探していたコーエンは、『がんばれベアーズ』(’76)シリーズの脚本に感心して、同作の脚本家ビル・ランカスター(俳優バート・ランカスターの息子)を起用。改めて事前にRKO版を見たカーペンター監督とランカスター、そしてプロデューサー陣は、『遊星よりの物体X』のリメイクではなく原作小説の忠実な映画化という方向性で意見が一致したという。当時『ザ・フォッグ』(’80)のポストプロダクションに取り掛かっていたカーペンター監督は、その合間を縫ってランカスターと脚本の内容を打ち合わせたという。そのうえで、ランカスターはカーペンター監督が『ニューヨーク1997』(’81)を撮影中に脚本を執筆。’80年の暮れ頃には第一稿が完成していたという。それまで自作の脚本は自ら書いていたカーペンター監督だが、本作で初めて他人が書いた脚本に満足できたのだそうだ。 屋外シーンのロケ撮影にこだわったカーペンター監督だが、しかし南極大陸での撮影はさすがに不可能。そこで代替のロケ地として選ばれたのが、極北のアラスカおよびカナダのブリティッシュ・コロンビア州だった。撮影監督には『ハロウィン』以来の常連ディーン・カンディを起用。’81年6月(一部に8月説もあり)にアラスカで撮影はスタートした。冒頭のノルウェー隊のヘリがハスキー犬を追いかけるシーンだ。8月に入るとロサンゼルスのユニバーサル・スタジオで屋内シーンの撮影も開始、その一方で、ブリティッシュ・コロンビア州のスチュワート近郊の鉱山跡に理想的なロケ地を発見した制作チームは、まだ雪の少ない夏を利用して南極観測基地の実物大セットを建設し、そのまま冬を待つこととなる。 ロサンゼルスの屋内シーン撮影は10月に終了。12月に入るとカナダでのロケ撮影が始まる。その頃になるとスチュアート近郊も一面銀世界。夏の間に建てられた南極観測基地のセットは、すっかり降り積もった雪に覆われており、とても撮影用のセットとは思えない「本物」らしさ醸し出す。初日に現場へ着いたキャスト陣も「まるで、ずっとそこに建っていたみたいだ」と驚いたそうだ。プロダクション・デザインを担当したのはユニバーサル専属のベテラン、ジョン・ロイド。これは屋内シーンにも言えることだが、まるで実際にそこで人が暮らして来たような生活感の滲み出る彼の撮影用セットは、本作の陰鬱とした禍々しい空気感に圧倒的なリアリズムを与えていると言えよう。 ・『遊星からの物体X』撮影現場でのキャスト集合写真 特殊メイクの若き天才ロブ・ボッティンの功績 生活感が滲み出ると言えば、地味ながらも渋い名優たちが揃ったキャスティングも良かった。とりあえずメジャースタジオの大作映画であるため、主人公マクレディ役にはカーペンター映画の常連俳優でもある人気スター、カート・ラッセルを起用。かつてディズニー映画の人気ティーン・アイドル・スターだったラッセルは、カーペンター監督のテレビ映画『ザ・シンガー』(’79)のエルヴィス・プレスリー役で大人の俳優への脱却に成功し、『ニューヨーク1997』のスネーク・プリスキン役でタフガイ・スターの仲間入りを果たしたばかりだった。 そのラッセルの脇を固めるのは、西部劇スタントマン出身のカウボーイ俳優ウィルフォード・ブリムリー(生物学者ブレア役)にロバート・アルトマン作品の常連俳優ドナルド・モファット(観測隊隊長ギャリー役)、テレビ『L.A.ロー/七人の弁護士』(‘86~’94)も懐かしいリチャード・ダイサート(コッパー医師役)、『チャンス』(’80)の弁護士役や『ミッシング』(’81)の米国領事役が印象深いデヴィッド・クレノン(ヘリ操縦士パーマー役)などなど、名前は知らずとも顔は知っている’80年代ハリウッド映画の名脇役ばかり。後に『プラトーン』(’86)や『オールウェイズ』(’89)などで有名になる黒人俳優キース・デイヴィッドは、本作の最期まで生き残る機械技師チャイルズ役で映画デビューを果たし、カーペンター監督とは『ゼイリブ』(’88)でも組むことになる。 さて、本作の撮影と同時に進められたのが肝心要となるクリーチャー・エフェクトの制作。当初、プロデューサーのデヴィッド・フォスターとローレンス・ターマンは、自らが製作した『おかしなおかしな石器人』(’81)でユニークなクリーチャーをデザインしたデイル・カイパーズに白羽の矢を立てた。カーペンター監督がこだわったのは「着ぐるみモンスターだけは絶対に避ける」こと。その要望を基にデザインされたカイパーズのアイディアをカーペンターは気に入ったそうだが、しかしそのカイパーズが怪我で企画から降板せざるを得なくなる。そこでカーペンターが声をかけた代役が、製作スタート当時まだ21歳だった若手特殊メイクアップ・アーティスト、ロブ・ボッティンだった。 根っからのホラー&SF映画マニアだったボッティンは、弱冠14歳にして特殊メイクの神様リック・ベイカーに弟子入り。『ハロウィン』を見てカーペンター監督の大ファンになった彼は、『ロックンロール・ハイスクール』(’79)で仕事をしたディーン・カンディに頼んでカーペンター監督を紹介してもらい、『ザ・フォッグ』の特殊メイクに参加したほか幽霊船の船長役で出演まで果たしていた。その後、ボッティンは『ハウリング』(’81)で披露した狼人間の変身シーンでセンセーションを巻き起こし、その見事な仕事ぶりに感心したカーペンター監督によって本作に起用されたというわけだ。 ただし、もともとカーペンター監督はクリーチャー・エフェクトの造形・操作だけをボッティンに任せる予定で、クリーチャー・デザイン自体はデイル・カイパーズのものを採用するつもりだったらしい。当然ながら、若くて創造力とやる気に溢れるボッティンは、他人のデザインを実現するだけの仕事なんて不満でしかなく、そのうえカイパーズのデザインが『エイリアン』のギーガーのデザインに似ていることも気になった。そこでボッティンが出したデザイン代案が、まさに原作や脚本のイメージをそのまま具現化したような、まるでH・P・ラヴクラフトのクトゥルフ神話に出てくるようなニョロニョログチャグチャの異形のモンスター。独創性においてもインパクトにおいても格段に優れているのは一目瞭然で、おのずとこのロブ・ボッティン案が採用されることとなったのである。 ただ、やはりこの複雑怪奇で斬新すぎるクリーチャー・デザインを実際に映像化するのは至難の業だったようで、おかげでSFXシーンの撮影は延びに延びてしまう。全米公開の予定は’82年6月。しかし、3月に入ってもSFX撮影は終わらず、休日返上で1日18時間働きづくめだったボッティンは、食事の暇も惜しんでキャンディバーとソーダだけで腹ごしらえをしていたこともあり、極度の疲労で病院に担ぎ込まれてしまった。そこで助っ人として呼ばれたのが『ターミネーター2』(’91)や『ジュラシック・パーク』(’93)などでオスカーに輝くスタン・ウィンストン。犬小屋の変態シーンはウィンストンの仕事だ。また、エイリアンが巨大化するクライマックスはストップモーション・アニメで制作することになり、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのVFXマン、ランドール・ウィリアム・クックがミニチュア撮影を担当。ようやく完成したのはプレビュー試写の直前だったという。 劇場公開時に過小評価されてしまった理由とは? かくして、ユニバーサルが自信をもって贈るサマーシーズンのブロックバスター映画として、’82年7月25日に全米840の映画館で一斉に封切られた『遊星からの物体X』。ところが、今となっては信じられないことだが、批評的にも興行的にも当時は大惨敗を喫してしまう。その最大の原因が、過剰なまでにグロテスクなクリーチャー・エフェクト。犬の顔が食肉植物みたいにパカッ!と開いて無数の触手がヒュルヒュルと飛び出したり、人間の頭部が勝手にギューッと伸びて首から引きちぎれて転げ落ちたと思ったら、口から蜘蛛の脚みたいなものがニョキニョキと生えて歩き始めたり、人間や犬のボディパーツがグッチャグチャに入り交じったモンスターが巨大化したりと、思わず笑いがこぼれてしまうほどトゥーマッチなゴア描写は、それこそ特撮マニアであれば狂喜乱舞する見事な出来栄えだったが、しかし当時の大方の映画観客や批評家には刺激が強すぎたようで、「気持ちが悪すぎる!」「紛れもないゴミだ!」などと散々な言われようだった。中には「こんな映画、子供には見せられない!」との批評もあったそうで、それを読んだキース・デイヴィッドは「なら子供に見せなけりゃいいだろ!」と突っ込んだのだとか(笑)。ただ、確かに本作はその過激なゴア描写のせいでR指定を受けてしまい、それが客足の鈍化につながったことは否定できない事実だろう。特にサマーシーズンのブロックバスター映画にとって、子供連れのファミリー層に見てもらえないR指定は大きな痛手である。 さらに、本作は公開されたタイミングも悪かった。なにしろ、’82年サマーシーズンのブロックバスター映画といえば、『コナン・ザ・グレート』に『ロッキー3』、『マッドマックス2』(本国オーストラリアでは’81年12月公開)に『スタートレックⅡカーンの逆襲』、さらには『E.T.』に『ポルターガイスト』に『トロン』に『愛と青春の旅立ち』に『初体験リッジモントハイ』に『13日の金曜日3』にと、例年になく話題作が勢ぞろいした文字通りの「豊作の年」だったのだ。 もともとハリウッド映画の稼ぎ時というのは年末のホリデー・シーズンを軸とした冬だったが、しかしスティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』(’75)やジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(’77)の大成功をきっかけに、従来は映画館に客が入らないと言われた夏休みシーズンに、大手スタジオ各社がイチオシの大作映画を封切るケースが増えて行く。そのサマー・ブロックバスターが本格化した最初の年が、他でもない’82年だったとも言われるのだ。しかも、2週間前に公開されたのがまるで正反対の心温まるファミリー向けSF超大作『E.T.』、本作の同日公開がリドリー・スコットの『ブレードランナー』である。あまりにも話題作が目白押しすぎるうえ、社会現象となった『E.T.』ブームの真っ只中とあれば、さすがに分が悪すぎたと言えよう。 おかげで、カーペンター監督は次回作として予定されていたユニバーサルの『炎の少女チャーリー』をクビになったばかりか、同社で複数の映画を撮るという契約も破棄されてしまうことに。当然ながら、当時のカーペンターは大変なショックだったらしく、その後数年間はインタビューでも本作の話題を避けるほど深いトラウマを残したという。本作が正当な評価を得るようになったのは、’80年代半ばにビデオ発売されてからのこと。今ではエンターテインメント・ウィークリーやローリング・ストーン、エスクワイアやヴァラエティなど、各主要メディアの選ぶSF映画やホラー映画の歴代名作ランキングでは必ず上位に入って来るし、ギレルモ・デル・トロやエドガー・ライト、J・J・エイブラムスなど本作に影響を受けたと公言する映像作家も少なくない。筆者もVHSにLD、DVDにブルーレイと本作のソフトを買い続け、これまでにどれだけ繰り返し見てきたことか!もちろん、何度見たって飽きることなどナシ!これぞ理屈を超えた面白さ、紛うことなき「不朽の名作」である。■ 『遊星からの物体X』© 1982 Universal City Studios Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ザ・フォーリナー/復讐者
最愛の娘を失った元特殊工作員が鬼と化す!ジャッキー・チェンの無双アクションが炸裂する復讐サスペンス
ジャッキー・チェンが『007/カジノ・ロワイヤル』のマーティン・キャンベル監督と初タッグ。娘をテロで亡くした心の傷をシリアスに熱演する一方、復讐のため特殊工作員時代のスキルを全開させる活躍ぶりも痛快。
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COLUMN/コラム2024.07.01
大ヒットホラー『X エックス』と『Pearl パール』の生みの親タイ・ウェストの魅力に迫る!
出世作は惜しくも日本未公開 『ヘレディタリー/継承』(’18)や『ミッドサマー』(’19)の製作会社A24が新たに放つホラー映画として、ここ日本でも話題となったタイ・ウェスト監督のスラッシャー映画『X エックス』(’22)と、その前日譚に当たるサイコホラー『Pearl パール』(’22)が、7月のザ・シネマにて一挙放送される。そこで今回は、アメリカでは高く評価されながらも日本ではまだ知名度の低いタイ・ウェスト監督の作家性を紐解きつつ、その代表作となった『X エックス』と『Pearl パール』の見どころをご紹介したい。 アメリカ東海岸はデラウェア州の商業都市ウィルミントンに生まれ、本人曰く「典型的な郊外の中流家庭」に育ったというタイ・ウェスト監督。1980年生まれの「ミレニアル世代」だが、しかし少年時代にレンタル・ビデオで見た’70~’80年代のホラー映画に影響を受けて映画監督を志すようになった。本人が最も好きな映画として度々挙げているのは、ピーター・メダック監督の『チェンジリング』(’80)にニコラス・ローグ監督の『赤い影』(’73)、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(’80)にウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(’73)。なるほど、好みの傾向が分かろうというものですな。派手なショック演出よりも禍々しい雰囲気を重視し、ホラー要素よりも人間ドラマやテーマ性に比重が置かれ、じっくりと時間をかけて徐々に恐怖を盛り上げていく知的なホラー映画。それは、後のタイ・ウェスト監督作品にも共通する特徴と言えよう。 ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで映画作りを学んだウェスト監督は、恩師ケリー・ライカート(!)に紹介されたニューヨーク・インディーズ界の鬼才ラリー・フェッセンデンのプロデュースで、自身初の商業用長編作品となるヴァンパイア映画『The Roost』(’05・日本未公開)を発表。これがテキサス州で毎年開催される映画と音楽の大規模見本市「サウス・バイ・サウスウェスト」で評判となり、さらにハリウッド大手のパラマウントからDVD発売されたことから、ウェスト監督はイーライ・ロス監督の大ヒット・ホラー『キャビン・フィーバー』(’03)の続編『キャビン・フィーバー2』(’09)の演出を任されることとなる。 ところが、作品の方向性を巡ってウェスト監督とプロデューサー陣が真っ向から対立。あえてブラック・コメディ路線を狙った監督だが、しかしプロデューサーたちはその意図を理解してくれなかったという。『キャビン・フィーバー2』の撮影自体は’07年4月にクランクアップしていたそうだが、しかし劇場公開まで2年以上もお蔵入りすることに。その間に、プロデューサー側はウェスト監督に無断で追加撮影と再編集を行っており、これに強い不満を持ったウェスト監督は「アラン・スミシー名義」の使用を要求したが、しかし当時まだ彼は全米監督協会の会員でなかったために使用許可が下りなかったという。すこぶる評判の悪い同作だが、実はこういう裏事情があったのだ。 そんなタイ・ウェスト監督の出世作となったのが、’80年代のスラッシャー映画ブームにオマージュを捧げた『The House of the Devil』(‘09年・日本未公開)。これは、筆者がウェスト監督の才能に注目するきっかけとなった作品でもある。舞台は「悪魔崇拝者が子供たちを誘拐・虐待している」という噂が全米に広まり、いわゆる「サタニック・パニック」と呼ばれる集団ヒステリーが巻き起こった’80年代前半のアメリカ北東部。アパートの家賃支払いに困った10代の女子大生が、やけに時給の高いベビーシッターのアルバイトに応募したところ、それは生贄を求める悪魔崇拝カルトの仕掛けた罠だった…というお話だ。 生まれて初めて独り暮らしをすることになった貧乏学生のヒロイン。そんな彼女の抱える不安や心細さが、いかにも怪しげな古い大豪邸で過ごすひとりぼっちのアルバイトの不安や心細さと絶妙にシンクロし、やがてその漠然とした恐怖が現実のものとなっていく。細やかなディテールの積み重ねで、徐々に恐怖を煽っていくストーリーは地味ながらも圧倒的な真実味がある。なによりも、まるで本当に’80年代に作られた映画のような雰囲気に驚かされた。撮影では16ミリフィルムを使用。セットや衣装はもちろんのこと、オープニング・クレジットのフォントデザインからエンディング・クレジットの表示形式、劇中のカメラワークからチープな音楽スコアまで、’80年代の低予算スラッシャー映画のクリシェを徹底して模倣することで、当時の空気感までリアルに再現してしまうウェスト監督の演出力に感心させられる。この見事な作品が、いまだ日本で見ることが出来ないというのは実に惜しい。 タイ・ウェストの描くホラー映画の真髄とは? ちなみに、ここで注目したいのが『The House of the Devil』で主人公の親友を演じたグレタ・ガーウィグと、同作で911オペレーターの声を担当したレナ・ダナムの存在だ。ダナムは次作『インキーパーズ』(’11)にも脇役で出演している。ご存知、どちらも現在のアメリカのインディペンデント映画界を代表する女性作家にして、’00年代初頭にインディーズ映画のメジャー化に対抗する形で派生したサブジャンル「マンブルコア」(これを映画運動と見る向きもある)の代表的なフィルムメーカーに数えられている人たちだ。 マンブルコアとは自主製作映画の原点に立ち返り、現代アメリカ社会の日常に根差した身近なテーマを、自然体の即興芝居やモゴモゴとした聞き取りにくいセリフ(=マンブルコアの語源)、シンプルかつ自由な演出などを駆使して描いた、ウルトラ低予算の私小説的な映画群のこと。そのルーツはジョン・カサヴェテスやウディ・アレン、ミケランジェロ・アントニオーニやエリック・ロメールに求められる。アメリカでは’00年代に一世を風靡したマンブルコアだが、しかし日本では多くの作品が未公開のため認知度はそれほど高くない。とりあえず、ガーウィグが主演したノア・バームバック監督の『フランシス・ハ』(’12)や、そのガーウィグが監督した『レディ・バード』(’17)辺りは、’10年代以降のいわゆる「ポスト・マンブルコア」の系譜に属する作品。レナ・ダナムのテレビシリーズ『GIRLS/ガールズ』(‘12~’17)もマンブルコアの影響下にあると言えよう。他にもアダム・ウィンガードやジョー・スワンバーグ、デュプラス兄弟にアーロン・カッツ、「マンブルコアのゴッドファーザー」と呼ばれるアンドリュー・ブジャルスキーなどがマンブルコアの重要な作家と言われているが、実はタイ・ウェストもその仲間だった。 まあ、よくよく考えてみれば学生時代の恩師からして、マンブルコアの作家たちと親和性の高そうな「アメリカン・インディーズの至宝」ケリー・ライカートである。ガーウィグやダナムがウェスト作品に関わったように、ウェスト監督もウィンガードやスワンバーグの作品に役者として出演。マンブルコアの作家たちは互いの交流が活発だ。そもそもウェスト監督の『The House of the Devil』や『インキーパーズ』、ウィンガード監督の『サプライズ』(’11)や『ザ・ゲスト』(’14)などはマンブルコアのホラー版とも見做され、マンブルコアならぬ「マンブルゴア(マンブルコア+ゴア)」という造語まで生まれた。そういう視点でウェスト監督作品を改めて見返すと、「自分をホラー映画監督だとは思っていない」という彼の言葉にも少なからず納得できるだろう。 「恐怖というのは日常の延長線上にあるもの」というタイ・ウェスト監督。そのうえで、自身が作っているのはホラー映画ではなく、「ホラー映画へと変化する普通の映画」だと述べている。そういえば彼は『エクソシスト』や『シャイニング』を評価する理由として、前者は「病気の娘を抱えた女性」を描いており、後者は「家族を憎むアル中男」を描いている、どちらも「まずはドラマが優先でホラーは2番目」であることを挙げていたが、確かに彼自身の作品もホラー要素と同じかそれ以上にドラマ要素が重視される。そこはホラー映画ファンの間でも賛否の分かれるところで、実際にウェスト監督自身は「ハードコアなホラー映画マニアは僕のことを嫌っている」と感じているそうだ。 さて、その『The House of the Devil』でスクリームフェストやサターン賞などのジャンル系賞レースを賑わせたウェスト監督は、続くお化け屋敷映画『インキーパーズ』が初めて興行収入100万ドルを超えるスマッシュヒットを記録。友人のウィンガードやスワンバーグも参加したオムニバス・ホラー『V/H/Sシンドローム』(’12)や『ABC・オブ・デス』(’12)にも短編作品を提供し、かの有名な人民寺院の集団自殺事件をモデルにした実録恐怖譚『サクラメント 死の楽園』(’13)も話題となったが、しかし「ホラー映画だけの監督と思われたくない」との理由から挑んだ西部劇『バレー・オブ・バイオレンス』(’16)がまさかの大コケ。なんと、興行収入6万ドル強という桁外れ(?)の大失敗作となってしまったのだ。 それっきり、暫く映画の世界から姿を消してしまったウェスト監督。その間、『ウェイワード・パインズ 出口のない街』シーズン2や『アウトキャスト』、『エクソシスト』に『チェンバース:邪悪なハート』などなど、ホラー系やミステリー系のテレビシリーズのエピソード監督として活躍。脚本の執筆から資金集め、予算のやり繰りから完成後のプロモーションまで監督自身が奔走せねばならないインディペンデント映画に対して、完全なる雇われ仕事のテレビシリーズは余計なストレスが少ないため、色々な意味で良い骨休めになったという。そうして長い充電期間を過ごしたタイ・ウェスト監督が、およそ6年ぶりに挑んだ映画復帰作が『X エックス』だった。 極めてアメリカ的なメンタリティが根底に流れる『X エックス』 舞台は1979年。有名になることを夢見るポルノ女優志望のストリッパー、マキシーン(ミア・ゴス)は、映画プロデューサーを自称する恋人ウェイン(マーティン・ヘンダーソン)やその仲間たちと共に、自主制作のハードコアポルノ映画を撮影するためにテキサスの田舎へと向かう。彼らが辿り着いた先は、ハワード(スティーブン・ユーレ)にパール(ミア・ゴス)という高齢の老夫婦が暮らす広大な農場。その一角に建つ古い納屋を借りた一行は、老夫婦に内緒でこっそりとポルノ映画の撮影を始めるのだが、しかしマキシーンだけは老女パールの怪しげな様子が気にかかる。 実は、若い頃はマキシーンと同じくスターになることを夢見ていたパール。しかし、夢を実行に移すだけの勇気が彼女にはなく、田舎の片隅で後悔と不満を抱えたまま年老いていたのだ。そして今、フレッシュな若者たちの出現がパールの歪んだ承認欲求を刺激し、彼女を狂気へと駆り立てていく…。 以前から「いつか一緒に仕事をしよう」と言いながら実現しなかったA24の重役ノア・サッコに、ダメもとで脚本を送ったところすんなり企画が通ってしまったというウェスト監督。トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』(’74)から多大な影響を受けた作品であることは明白だが、それにしても’70年代のインディペンデント系ホラー映画の雰囲気が驚くほど忠実に再現されている。さすがはタイ・ウェスト監督。『The House of the Devil』と同じく、まるで実際に当時作られた映画みたいだ。ただし、今回は16ミリフィルムでの撮影は叶わなかった。’70~’80年代のインディーズ系ホラー映画の多くがそうだったように、当初は16ミリフィルムの使用を検討したというウェスト監督。しかし、本作が撮影されたのはコロナ禍のニュージーランド。通常よりもフィルムを現像するのに時間がかかるため、撮影期間中にラッシュを確認することが難しいことから断念、デジタルカメラで撮影せざるを得なかったという。 そんな本作でウェスト監督が描かんとしたのは、いわばアメリカ的な「起業家精神」。舞台となる’79年といえば、いわゆる「ポルノ黄金時代」の真っ只中である。今となっては信じられない話かもしれないが、当時は成人指定のハードコアポルノが映画市場を席巻し、中には『ディープ・スロート』(’72)や『ミス・ジョーンズの背徳』(’73)、『Debbie Does Dallas』(‘78・日本未公開)などのように、それこそメジャー映画並みの興行収入を稼ぐ作品まで登場、その『ディープ・スロート』の主演女優リンダ・ラヴレースや『グリーンドア』(’72)のマリリン・チェンバースなどはハリウッド・スターばりのセレブとなった。しかも、大半の作品は自主製作映画も同然のものばかり。つまり、無名の素人でも成功への足掛かりを掴むことが可能だったのだ。そんな一獲千金のチャンスを夢見てポルノ映画を撮影する、いわば「起業家精神」溢れるハングリーな若者たちを、田舎の片隅で叶わなかった若い頃の夢と満たされぬ欲望を抱えたまま年齢を重ね、静かに狂ってしまった老女パールがひとりまたひとりと殺していく不条理に、ある種の憐れみを込めた本作の恐怖の根源があると言えよう。 ちなみに、主人公をポルノ映画の撮影隊にした理由について、ウェスト監督は「ポルノとホラーは似ているから」と答えている。なるほど確かにその通り。どちらも低予算で作れるうえに、キャストやスタッフが無名でも客入りが期待できるため、他のジャンルに比べると極めて敷居が低い。特に’70年代当時は、それこそ本作に影響を与えた自主制作映画『悪魔のいけにえ』がメジャー級の大ヒットを記録し、そのおかげでトビー・フーパー監督もハリウッド入りしたように、ホラー映画はポルノ映画と同じく、映画界にコネのない人間がキャリアをスタートするに最適なジャンルだった。と同時に、その気軽さゆえ安易に量産されやすく、なおかつ金儲けのためにポルノなら本番シーン、ホラーならゴアシーンと刺激ばかりを追究するようになり、映画として大事なストーリー性や芸術性が蔑ろにされやすいという点でも似たものがあると言えよう。 ‘22年3月に全米公開され、興行収入1500万ドル超えというタイ・ウェスト監督のキャリアで最大のヒットを記録した『X エックス』。その半年後という異例のスピードで封切られたのが、若き日のパールを主人公にした前日譚『Pearl パール』である。 古き良きアメリカのダークサイドを浮き彫りにする『Pearl パール』 時は第一次世界大戦下の1918年。テキサスの田舎の農場に暮らす若い女性パール(ミア・ゴス)はハリウッド映画が大好きで、秘かに自分もスターとなることを夢見ている。しかし現実の彼女は保守的で厳格な母親(タンディ・ライト)に支配され、体の不自由な父親(マシュー・サンダーランド)の介護と農場の仕事に忙しく追われる毎日。そのうえ、若くして結婚した彼女は戦地へ出征した夫ハワード(アリステア・シーウェル)の帰りを待たねばならない。妻として娘として家庭に縛り付けられたパールに、自分の夢を追いかける自由などなかったのだ。 彼女の抑圧された願望や承認欲求を刺激するのが、街の小さな映画館のハンサムな若い映写技師(デヴィッド・コレンスウェット)。彼から「夢を追いかけるべきだ」と励まされるパールだが、しかし彼女にはそれだけの勇気も行動力もなかった。そんな折、義妹ミッツィ(エマ・ジェンキンス=プーロ)から軍隊慰問ショーのダンサーのオーディションがあると聞いたパール。この狭くて息苦しい田舎町から出ていく千載一遇のチャンスだ。ようやく人生に希望の光を見出した彼女は、親に内緒でミッツィと一緒にオーディションを受けることを決意。なにがなんでも合格して、スターになる夢を叶えたい。もはやそれしか考えられなくなったパールは、邪魔になる人間を次々と殺して狂気を暴走させていく…。 前作が’70年代のインディーズ系ホラー映画風だとすると、今回はハリウッド黄金期のテクニカラー映画風。中でも『オズの魔法使い』(’39)や’50年代のダグラス・サーク映画からの影響はかなり濃厚だ。当初はドイツ表現主義風のモノクロ映画にするという案もあったという。確かに、精神を病んだ人間の心象世界を表現するのにドイツ表現主義は適したスタイルだが、しかしパールの場合はちょっと病み方が違う。華やかな映画スターに憧れる彼女の心象世界は、むしろカラフルで煌びやかで狂気に満ちたものと考える方がしっくりとくる。ウェスト監督が言うところの「歪んだディズニー映画」だ。そこで落ちついたのが、ハリウッド黄金期のテクニカラー映画風スタイル。まだ映画がモノクロ&サイレントだった1910年代という時代設定からはズレるが、まあ、同時代を舞台にした『武器よさらば』(’57)とか『マイ・フェア・レディ』(‘64)みたいなものと受け止めればよかろう。 もともと『X エックス』の製作がスタートした当初は、シリーズ化の企画などなかったというウェスト監督。しかし以前に『サクラメント 死の楽園』で、撮影のために何もないところから建てた新興宗教コミュニティの巨大セットを取り壊した際に「勿体ない」と感じた彼は、今回もテキサスに見立ててニュージーランドに建てた農場のセットを、映画一本だけで取り壊してしまうのは惜しいと考え、同じセットを使ってもう一本映画を撮ろうと考えたという。そこで思いついたのが、殺人鬼の老婆パールがなぜサイコパスと化したか?を描く前日譚だったというわけだ。 脚本の執筆にはパール役のミア・ゴスも参加。たったの2週間で書き上げたそうで、『X エックス』の撮影が始まる前には既に『Pearl パール』の脚本も完成していたという。おかげで、後者のネタを前者に忍び込ませることも出来た。例えば、『X エックス』でパールは「ブロンドが嫌い」だと呟くが、その理由は続編『Pearl パール』で詳らかにされる。ほぼ同時に作られたからこそ可能になった仕掛けだ。実際、『X エックス』のクランクアップから3週間後に『Pearl パール』の撮影は始まっている。 浮かび上がるのは保守的な田舎の伝統的な家父長制にがんじがらめとなり、女というだけで人生の選択肢を狭められてしまったヒロイン、パールの痛みと哀しみだ。一見したところ平和で長閑な日常の裏で抑圧され、少しずつ狂気を醸成させていくパール。古き良き理想のアメリカが、誰のどんな犠牲の上に成り立っていたのか分かろうというものだろう。演じるミア・ゴスは、「もしパールが別の時代に生まれていて、もっと理解のある両親に恵まれていたら、あんな殺人鬼にはなっていなかったと思う」と語っているが、確かにその通りかもしれない。いわば、周りの環境が彼女をモンスターにしてしまったようなもの。だからこそ、本作は恐ろしくも哀しく切ないのだ。 そうそう、主演女優のミア・ゴスについても触れねばならないだろう。ラース・フォン・トリアーの『ニンフォマニアック』(’13)でデビューした頃から、そのクセの強い個性と大胆不敵な芝居が映画ファンの間で評判となりながら、しかし決定打と呼べるような代表作になかなか恵まれなかったゴス。この『X エックス』と『Pearl パール』の2作品で初の単独主演を果たし、ようやく女優としてブレイクすることとなった。「ミアが引き受けてくれなければ(『X エックス』も『Pearl パール』も)作ることはなかっただろう」というウェスト監督だが、なるほどマキシーン役もパール役も彼女以外に考えられないほどハマっている。ミア・ゴスなしではシリーズの成功もなかったはずだ。 なお、『X エックス』の後日譚に当たるトリロジー最終章『MaXXXine』(‘24・日本公開未定)もすでに完成しており、去る’24年6月24日にロサンゼルスのチャイニーズ・シアターでプレミア上映が行われたばかり。今回は1985年のロサンゼルスが舞台で、夢を叶えて有名なポルノ・スターとなったマキシーン(ミア・ゴス)が、一般作へのステップアップに挑む一方で謎の連続殺人鬼に命を狙われる。ウェスト監督曰く、ポール・シュレイダー監督の『ハードコアの夜』(’79)やゲイリー・シャーマン監督の『ザ・モンスター』(’82)、さらにはジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』(’84)やイタリアのジャッロ映画などに影響を受けたとのこと。共演陣もエリザベス・デビッキにケヴィン・ベーコン、ミシェル・モナハン、リリー・コリンズ、ジャンカルロ・エスポジトなどシリーズ中で最も豪華だ。’80年代キッズの映画マニアとしては期待度満点!日本公開の時期はまだ未定だが、とりあえずトリロジーの最終章をしっかりと見届けるためにも、ぜひこの機会にザ・シネマで『X エックス』と『Pearl パール』を楽しんでおいて頂きたい。■ 『X エックス』© 2022 Over The Hill Pictures LLC All Rights Reserved. 『Pearl パール』© 2022 ORIGIN PICTURE SHOW LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
レプリカズ
家族を亡くした科学者が暴走!禁断のクローン技術が招く衝撃を描いたキアヌ・リーヴス主演のSFサスペンス
最愛の家族を蘇らせるため最新クローン技術を利用する科学者の暴走をキアヌ・リーヴスが熱演。科学技術の進歩が倫理的な一線を越えてしまうことの是非を、家族思いの主人公を通じて身近な問題として訴えかける。
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COLUMN/コラム2024.06.21
ハリウッド映画のアクションを再定義した、監督ポール・グリーングラスのキャメラスタイル『ボーン・スプレマシー』
◆ダグ・リーマンが降りた理由 記憶を失くした男が自身のアイデンティティ(存在証明)を明らかにする過程で、命を狙われる危機に幾度となく遭遇する。だがそのつど、彼は高度な挌闘センスと優れた身体能力を発揮し、自分に危害を加えようとする者を瞬殺するのだ。それもまったくの無意識で——。 2002年に公開された『ボーン・アイデンティティー』は、「出自を追い求めるヒーロー」という、異色の設定を持つアクションスリラーとして観客の心を捉えた。スパイ小説の巨匠ロバート・ラドラムの古典的名作「暗殺者」の権利を取得した監督ダグ・リーマンが、さまざまな障壁を乗り越えて映画化へとこぎつけた執念の企画である。その甲斐あって、作品は全米興行成績1億2000万ドルを稼ぎだし、同ジャンルのものとしては空前の大ヒットを記録した。 ヒット映画の慣例として当然、続編製作のプロジェクトは動き出したものの、そこに最大の功労者であるリーマンの名はなかった。『ボーン・アイデンティティー』でリアリティを追求し、ハンドヘルト(手持ち)カメラや即興性を徹底させたその撮影スタイルにスタジオは難色を示し、見栄えのする派手なアクションシーンを追加するようリーマンに要求。彼はそれを拒んでファイナルカット(最終編集)の権利を剥奪されるなど、双方の間に深い溝が生じたのだ。だがこうしたリーマンの抵抗こそが、前述のようなシリーズを象徴する視覚スタイルを決定づけたのは言を俟たない。 ◆シネマヴェリテ 『ボーン・アイデンティティー』の続編として2004年に発表された本作『ボーン・スプレマシー』は、こうしたリーマンの意匠を汲みながら、新しい才能へのアクセスを余儀なくされた。そこで白羽の矢が立ったのが、イングランド出身のイギリス人監督ポール・グリーングラスだ。 グリーングラスのキャリアは、アルカイダのテロリストによるハイジャックを描いた『ユナイテッド93』(2006)のコラム「現場目撃のないテロ行為の再現『ユナイテッド93』」に詳しいのでそちらを読んでほしい。概略して補足すると、彼はドキュメンタリーやテレビドラマのディレクターから映像作家のキャリアを始め、ヘレナ・ボナム=カーターとケネス・ブラナー共演による1998年公開のラブコメディ『ヴァージン・フライト』で劇場映画監督デビューを果たす。そして2002年、北アイルランドでの差別撤廃を掲げる国民デモで軍隊が発砲し、13人の犠牲者を出した「黒い日曜日」の映画化『ブラディ・サンデー』を監督し、同作は第52回ベルリン国際映画祭金熊賞を、宮崎(﨑)駿監督の『千と千尋の神隠し』(2001)と共に受賞する。 この写実的映画の古典『アルジェの戦い』(1966)を彷彿とさせるようなセミドキュメンタリー調の作品を観た『ボーン・アイデンティティー』の製作総指揮フランク・マーシャルが、彼を『ボーン・スプレマシー』の監督にどうかとスカウトしたのである。もともと続編の監督選考条件として、「ダグ・リーマンと同じインディ系の監督を」という意向もあり、そこはリーマンと符号が合う。しかもマーシャルが観た『ブラディ・サンデー』は16mmネガフィルムで撮ったものを35mmにブローアップし、撮像のほとんどをハンドヘルトによって得た、いわゆる“シネマヴェリテ”的なリアル志向の強い作品だった。グリーングラスもメジャーを舞台にする新たな挑戦として、マーシャルからのオファーを受けることにしたのだ。 ◆暗殺者ジェイソン・ボーンの贖罪 そんなグリーングラスが『ボーン・スプレマシー』で目指したのは、「ボーン自身が暗殺者である事実とどう向き合うのか?」という“贖罪”をテーマに持つことだった。自分が暗殺者として存在し、誰かを殺めてきたことや、己れと関わる者が犠牲になってしまうことへの重責が、ジェイソン・ボーンを苛んでいく。 「重いテーマになるが、それが彼の宿命であり、もう一度ボーンの物語を描くのならば、宿命を避けることはできない」(※1) とグリーングラスは語る。本作の『ボーン・アイデンティティー』にない暗いトーンは、こうした作品志向に起因するものだ。 前作の最後、マリー(フランカ・ポテンテ)と一緒になって新たな人生を歩むはずのボーンは、あれからまだ記憶を取り戻せず、依然として追われる逃亡生活を続けていた。そしてある日、彼は潜伏していたインドのゴアで殺し屋に狙われ、追撃戦の果てにマリーを死なせてしまう。 いっぽうCIAではエージェントのパメラ・ランディ(ジョアン・アレン)が、組織内の公金横領事件の捜査にあたっており、その手がかりを追っていくうち、ボーンを生んだ殺人兵士の養成プロジェクト「トレッドストーン計画」の存在へと行き着く。そして容疑者が殺され巨額が消えたこの事件にボーンが関わっているのではと、彼との接触を図ろうとする——。 グリーングラスはトニー・ギルロイによって書かれていた第1稿を11ヶ月かけてさらに膨らませ、このようなボーン試練の章を組み立てたのである。ちなみにラドラムの同名原作(小説邦題「殺戮のオデッセイ」)は中国での副首相暗殺に端を発する物語で、拉致されたマリーを救うべくボーンが自分の名を騙る偽の人物と対峙する。このように映画において原作の影は薄いが、ボーンが唯一心を開いたマリーの受難と、ボーンの名が一人歩きし、陰謀に加担させられる状況のみ原作と共有している。 ◆強化されたアクションとリアリティ こうして『ボーン・スプレマシー』は、前作の優れた点をより鋭利にしただけでなく、さらなる進化を作品にもたらしている。とりわけ視覚的なリアリティに関しては、前作以上に強化されたレベルのものを提供しているのだ。 今回もインドのゴア、ドイツのミュンヘンやベルリン、モスクワという広範囲のロケ撮影を敢行。そして「スタイルはできるだけシンプルに」を目指したグリーングラスの演出は、劇中で交わされるセリフをより排除し、登場人物のソリッドな行動だけでストーリーを観客に提示する。「俳優が考えすぎると直感力を無くし、演技にリアリティが失せてしまう」と主張し、リハーサルを抜いて俳優に演技をさせたりもしている。 また過去にドキュメンタリー作品を何本も手がけてきたグリーングラスは、前作のダグ・リーマンが求めたリアリティをさらに突き詰め、アクション映画として影響力の高いスタイルを創造している。例えばリーマンがステディカムとハンドヘルトを併用した撮影だったのに対し、グリーングラスはほとんどのシーンをハンドヘルトで撮影した。キャメラを被写体と観客を結ぶ“間”の存在ではなく、キャメラそのものを観客の“眼”に見立てたのだ。グリーングラスは言う。 「フィックス(固定)撮影ではリアルな映像は生まれない。カメラがアクションを観客と同時体験することで臨場感は引き出せる」(※2) そうしたアプローチで得たラフショットのような画を、平均2秒とジッとしていない細切れのカッティングで編集している。構成されたショットはその総数3500。しかしノンリニアなデジタル編集以降の流れにありがちな、眼前で何が起きているのか分かりにくいカオス編集ではなく、被写体の目線誘導や距離関係を把握させる編集で、観る者を混乱させることはない。この巧技を提供したクリストファー・ラウズは、その後『ユナイテッド93』そして『キャプテン・フィリップス』 (2013) 『ジェイソン・ボーン』 (2016) と、グリーングラスの専属的なエディターとなっていく。また前作から連続登板したジョン・パウエルによるアンダースコアも、本作ではバングラドールという大型の両面太鼓を導入し、多動性を極めるショット構成にマッチした律動感で演出した。グリーングラスはリーマンの構築したボーンの世界観を踏襲しつつ、彼独自のボーンを創り上げたのだ。 こうしたアレンジのもとに完成した『ボーン・スプレマシー』は、2004年7月15日に公開され、全米興行成績で1億7600万ドルを稼ぎ出し、前作以上の成果をみせた。そしてジェイソン・ボーンの物語はシリーズへと拡張し、ラドラムが遺したもうひとつのボーン登場作『ボーン・アルティメイタム』の映画化 (2007)へと発展していく。 ・『ボーン・アルティメイタム』撮影中のマット・デイモン(中央)とポール・グリーングラス監督(右) ◆真のスタイルとは何か? 後年、グリーングラスはインタラクティブな質疑応答インタビュー「Reddit AMA」でのセッション(※3)で、自身の映像スタイルに関し、 「(手持ちカメラのスタイルは)三脚を買う金銭的な余裕がなかったのさ、なんてね(笑)。私は20代でドキュメンタリーを作り始め、それはしばしば危険な場所で撮影された。だからカメラを三脚で固定する時間がなく、カメラは自分の肩や手の中になければならなかったんだ。その後、映画を作り始めたとき、ドリーやトラックなどの古典的なスタイルで撮影することを学んだが、それには結婚式でスーツを着ているような居心地の悪さを覚えたよ。だから40代でドキュメンタリーを撮影していた頃の撮影に戻り、すべてがうまくいっているように感じたんだ」 と冗談混じりでユーザーに語っている。しかしグリーングラスはあくまで「スタイルは自分の内側からくるもの」と提言し、経験を通してより固定された視点を持つことこそ、映画制作の中心だと話題を結んでいる。これは若い映画製作者への助言ではあるが、同時にジェイソン・ボーンのシリーズ以降、自身のスタイルが乱用される傾向への戒めを含んだ文言といえるかもしれない。■ 『ボーン・アイデンティティー』(C) 2002 Universal Studios. All rights Reserved. 『ボーン・スプレマシー』(C) 2004 Universal Studios. All Rights Reserved.『ボーン・アルティメイタム』(C) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved. Photo Credit: David Lee
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PROGRAM/放送作品
(吹)トゥームレイダー ファースト・ミッション
美しきトレジャーハンターはこうして生まれた!世界的人気ゲームをアリシア・ヴィカンダー主演で再映画化
アンジェリーナ・ジョリー主演による人気ゲームの映画版をアリシア・ヴィカンダー主演でリブート。身体能力の高いタフな女性がトレジャーハンターへと覚醒していく姿を、スリリングな冒険アクション満載に描き出す。
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COLUMN/コラム2024.06.12
デ・パルマ“ギャング映画3部作”の最終便!円熟の業が光る『カリートの道』
『キャリー』(1976)『殺しのドレス』(80)など、ホラーやサスペンス作品のヒットを放ち、70年代後半からそうしたジャンルの旗手のように謳われた、ブライアン・デ・パルマ監督。 “スプリット・スクリーン”“360度パン”“スローモーション”…。華麗な技巧を駆使する彼を指して、「映像の魔術師」などと称賛する、熱烈なファンが生まれた。それと同時に、「ヒッチコックのエピゴーネン(亜流/模倣)」とディスる向きも、決して少なくはなかった。 80年代以降、そんなデ・パルマの新たなキャリアを切り開いたと言えるのが、“ギャング映画3部作”である。 その第1弾は、『スカーフェイス』(83)。キューバ移民の青年トニー・モンタナが、コカインの密売でのし上がるも、やがて自滅していくまでの物語。アル・パチーノを主演に迎え、ヒット作となるも、批評家の評価は高くなかった。しかしやがてカルト作として、熱狂的に支持されるようになる。 第2弾は、『アンタッチャブル』(87)。禁酒法時代のシカゴを舞台に、暗黒街の帝王アル・カポネを摘発しようとする、エリオット・ネスら捜査官たちの戦いの日々を描いた。 デ・パルマは、『ボディ・ダブル』(84)『Wise Guys』(86/日本では劇場未公開)といった作品が不振だったため、キャリアのピンチを迎えていたが、『アンタッチャブル』が大ヒットとなり、“信用”を取り戻す。 しかしその“信用”も、続く『カジュアリティーズ』(89)『虚栄のかがり火』(90)両作の大コケで、雲散霧消。その後、ある意味先祖返りのようなサイコ・サスペンス『レイジング・ケイン』(92)で、まあまあの興行成績と評価を得たが…、というタイミングで手掛けたのが、本作『カリートの道』(93)。デ・パルマの“ギャング映画”第3弾だった。 ***** 時は1970年代中盤。かつては、プエルトリコ系ギャングの出世頭だった、カリート・ブリガンテ。麻薬の密売で30年の刑期を喰らったが、親友の弁護士クラインフェルドの尽力によって、僅か5年で釈放され、生まれ育ったニューヨークのスパニッシュ・ハーレムへと帰還する。 カリートはすぐ、麻薬取引に絡むいざこざに巻き込まれ、手を血で染めてしまう。しかし足を洗うという覚悟は、揺るがなかった。 カリートは、ディスコの経営に勤しみながら、やがてバハマのパラダイス・アイランドに渡って、レンタカー屋を営むことを夢見る。そんな時、5年前に別れた恋人ゲイルと再会。ブロードウェイのダンサーを目指していた彼女は、ストリッパーに身を落としていたが、2人は再び愛し合うようになる。 夢の実現に邁進するカリートの行く手に、暗雲が差し込む。かつての仲間が、検事の手先となってカリートをハメようとしたり、のし上がってきたチンピラが、彼に挑発的な態度を取ったり…。 そんな時、クラインフェルドがカリートに救いを求めてきた。マフィアのボスの脱獄を手伝ってくれというのだ。 躊躇するも、自分を獄から放ってくれた親友の頼みを、断れない。カリートは、ゲイルの制止も振り切って、クラインフェルドの手助けをすることを決めたのだが…。 ***** 本作の原作者は、エドウィン・トレス。ニューヨークはスパニッシュ・ハーレムで生まれ育った、プエルトリコ系アメリカ人だが、法曹界に進み、地方検事補、弁護士を経て、ニューヨーク州最高裁判事にまでなった。 トレスは、厳しい判決を下す裁判官として名を馳せながら、小説家としてもデビュー。自らの出身地を主な舞台に、実際に会った人物や自らの目で見たものを書いたのが、「カリートの道」「After Hours」という、本作の原作となった2作である。 若き主人公カリート・ブリガンテが、麻薬ビジネスに足を踏み込んでから、伝説の麻薬王になり逮捕されるまでを描いたのが、「カリートの道」。投獄後、不当裁判で無罪を勝ち取ったカリートが、出所してから最期を迎えるまでのストーリーが、「After Hours」である。 カリートのキャラで、その生い立ちに関しては、トレス自身が投影されている部分もある。しかしカリートは、犯罪者。主要な要素は、トレスが友人たちからいただいたもので、名前を明かせない3人のモデルがいるという。 これらの小説には、発表後に直ぐ映画化の話が持ち上がる。プロデューサーのマーティン・ブレグマンの元に、脚本化されたものを持ち込んだのは、アル・パチーノだった。 ブレグマンは元々は、パチーノのエージェント。そうした関係性もあって、『セルピコ』(73)『狼たちの午後』(75)そして『スカーフェイス』(83)等、パチーノ主演作の製作を行ってきた。 今となっては誰が書いたかも知れない、この時点での脚本は、2つの小説「カリートの道」「After Hours」 を折衷したような、酷い仕上がりだったという。それを読んだブレグマンは、全くやる気が湧かなかったが、パチーノが主人公のカリートに惚れ込んでいた。やむなく原作に触れてみると、そこに描かれた、ストリートの生々しい雰囲気に、惹かれたという。 ブレグマンは、『ジュラシック・パーク』(93)の脚色が評判になっていたデヴィッド・コープに、仕事を依頼。原作に対するコープの第一印象は、「映画化するには分量が多すぎる」というものだった。 コープは、自分が70年代のスパニッシュ・ハーレムについて何も知らないのも気掛かりだった。この点は原作者のトレスの助力を得てリサーチし、クリアーしたという。 分量的な問題は、当時50代前半だったパチーノの年齢を考慮し、20代後半から30代前半のカリートが活躍する「カリートの道」ではなく、それ以降の物語である「After Hours」を軸に脚色することで、解決した。それなのにタイトルが『カリートの道』になったのは、マーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』(85)があったからである。 ブレグマンは、かつて『スカーフェイス』で組み、成果を出したブライアン・デ・パルマに監督をオファー。しかしデ・パルマの当初のリアクションは、芳しいものではなかった。「ラテン系ギャングの話」は、もうやりたくなかったのだ。 彼が考えを変えたのは、コープの脚本を読んでから。パチーノと再び仕事ができるのも、決め手になったという。かくて『スカーフェイス』から10年振りに、ブライアン・デ・パルマとアル・パチーノが組んだ、“ギャング映画”が誕生することとなった。 デ・パルマは原作者のトレスに、スパニッシュ・ハーレムを案内してもらった。ここで誰が撃たれ誰が刺された等々、事件の現場を巡りながら、スペイン系ギャングの生態をウォッチング。デ・パルマはそこで、彼らが持つ家族愛や宗教心、更には独自のラテン音楽などを見出した。 そしてクランク・イン。ロケは、原作者の生まれた場所にごく近い地域などで行われた。『スカーフェイス』でお互いのやり方を心得ていた、デ・パルマとパチーノのコミュニュケーションは、スムースだった。パチーノは、彼の動作の美しさを捉え、その演技を際立たせるようなデ・パルマ演出を、至極気に入っていたという。 本作は冒頭、駅で撃たれたカリートが搬送されていくさなかに、彼のモノローグによって回想が始まり、ここに至るまでの日々が描かれていく。これは“フィルム・ノワール”、代表的な例としては、プールに浮かぶ死体の回想から始まる、『サンセット大通り』(50)などで用いられた手法の、援用と言える。 そのような形で語られる物語には、数々の個性的な人物が登場する。中でも強烈な印象を残すのが、カリートの親友で、コカイン中毒の弁護士クラインフェルド。原作者がこれまでに会ってきた、ろくでもない弁護士たちの集合体で、悪の世界にどっぷりと浸かっているキャラクターである。 演じるショーン・ペンは、初監督作品『インディアン・ランナー』(91)が絶賛され、監督業に専念することを真剣に検討していたのを翻しての、本作への出演。それだけ、この役に入れ込んでいたのだろう。薄毛のカーリーヘアという、あまりにもインパクトの強い外見は、ペン本人のアイディア。この見た目を作るのに、自毛をかなり抜いたのだという。 後にアカデミー賞主演男優賞を2度受賞する、メソッド俳優の面目躍如であるが、ペンの執拗なリテイク要求が、デ・パルマをげんなりさせる局面もあったという。とはいえ両者の関係は、概ね良好に運んだ。 カリートが愛するゲイルには、ペネロープ・アン・ミラーがキャスティングされた。『レナードの朝』(90)『キンダガートン・コップ』(90)『チャーリー』(92)など、話題作・ヒット作への出演が続き、彼女への注目が高まっていた頃だった。 カリートが共に“楽園”に行こうとする、天使のように理想化された存在でありつつ、バストトップを曝しての、70年代っぽいストリップのシーンなども印象的である。 パチーノが作品の肝としてこだわったのは、クラインフェルドの裏切りが露見し、カリートとの関係が、決定的に断絶に至るシーンだった。そのシーンには、25ものパターンを用意。更には、脚本家のコープが撮影に立ち会ったのは、パチーノのリクエストだった。 最終的には、コープが撮影直前に書き直した脚本で、決まりとなった。カリートは負傷したクラインフェルドが入院する病室を訪ね、彼なりのやり方で落とし前をつける。因みにパチーノが訪れる病院の外観は、彼が出世作『ゴッドファーザー』(72)で、マーロン・ブランドを見舞ったのと同じ場所が使われた。 本作は、クライマックスの地下鉄を使っての逃走劇や、それに続くグランド・セントラル・ステーションのエスカレーターでの銃撃戦など、さすが「映像の魔術師」デ・パルマと思わせるシーンも、随所にある。しかし全般的には、これ見よがしな技巧に走り過ぎたりは、決してしていない。日本の任侠物などにも通じる“仁義の世界“の住人故に、足を洗い切れなかった男の悲劇が、鮮烈且つ抑制的に描かれている。 公開当時、大きな成果を上げることはなかった。またパチーノ×ブレグマン×デ・パルマの前作、『スカーフェイス』のようなカルト人気を得ることも叶わなかった。しかし、当時53歳。デ・パルマのフィルモグラフィーの中でも、彼の円熟したスキルが、最も楽しめる1本に仕上がっている。 そしてデ・パルマは、次作『ミッション:インポッシブル』(96)で再びデヴィッド・コープの脚本を得て(ロバート・タウンと共同)、彼のキャリアの中で最大のヒットをものする。■ 『カリートの道』© 1993 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.