NYインディーズ界最後のイノセンス ハル・ハートリーの世界

90年代。インディーズ映画にハル・ハートリーという一陣の風が吹き抜けた。

3ヶ月連続特別寄稿

ハル・ハートリー作品を愛する執筆陣
による特別コラム

  • 《ハル・ハートリーと私と哲学の情(こころ)》 嶺川貴子(ミュージシャン)

    ハル・ハートリーの作品を初めて観たのは、’93年に日本公開された『トラスト・ミー』で、私はもう10代ではなかったけれど、主人公の高校生マリア、エイドリアン・シェリーに惹かれるように映画館へ行った。

    『トラスト・ミー』は、青春映画とは違う、でもその時の内側に向かう殺風景な色がそこにあるのに、でも鬱々というよりは飄々とした景色で、登場するマリアとマシューの二人の関係になぜか感激し興奮した。

    その後、映画に魅了された当時の私は、なんとネッド・ライフルに曲を書いてもらえないかと依頼したのだった!

    映画のサウンドトラックも手がけていたネッド・ライフルことハル・ハートリーにもし曲を書いてもらったらどうなるのだろうと..

    結局それは叶わなかったけれど、それが縁で、当時所属していたレコード会社でハートリー作品のサントラ盤を出すことになったり、そしてカバーアルバムも作り(今となってはだいぶ妙で不思議な作品)、短編集のVHSもリリースしたり、その経過で雑誌の対談をすることになりハートリーご本人にもお会いしたのだった(1*)

    写真でしか見ていなかったハートリーは、私のイメージを全く裏切らない人だった。

    その雑誌は1997年3月に発行されていたので、もう20年前のこと。私もどんな話をしたのか忘れてしまっていたのだけれど、今回読み直してみたら、ハートリー監督と’間’とか哲学の話をしていた。
    私はハル・ハートリーの作品にはそういうものを当時からたくさん感じていたのだと思う。

    昨年、クラウドファンディングで、「ヘンリーフール三部作」のBOXセットの出資を募っていることをTwitterでふと知り、私も参加者になった。

    すっかり時間は経過して、ハートリーの世界から、少し離れて現在を生きていた私だったけれど、元気で活動していることがうれしかったし、応援したいと思ったからだ。ハートリーの当時からの映画制作の姿勢を考えると、今クラウドファンディングで、というのがすごく彼らしいなと。

    そして、私のところにもDVDが届いた!

    今回、ハル・ハートリー復活祭ということで、久しぶりに昔の作品をいくつか観直してみたのだけど、あぁやっぱり私はハル・ハートリーの作品が好きだなぁとしみじみ思った。でも、懐かしい、と当時の感情を思い出すというよりも、今観て、より感じる部分があることに、ぐっときてしまった。

    そして、ある日、ふとハートリー作品のことを考えていた時、哲学の情(こころ)という言葉が降ってきた。
    それはなんだろう?と調べていたら、“タウマゼイン”という言葉が私の前に現れた。
    ”タウマゼイン”(θαυμάζειν/thaumazein)とはギリシャ語で「驚くこと」の意味だそうで、特に哲学の動機を示す語としてしばしば引用されるらしい( 2*)

    ギリシャ語は全くわからないけれど、辞書で調べてみると、θαυμά は奇跡や不思議で、ζειν は生活と出てきた。
    ハートリーの作品も、なんだかそんなものがいつも描かれているような気がする。

    なにか出来事が起こった時、出会った時、なぜだろう?と思ったり、 感じたりする、その化学的変化は時に驚異を引き起こして、それはとても静かな、例えば水に絵の具が溶けて、色も混ざり形も変えながら、最後に違う色になったり、その瞬間にその意味を見つけるような、途方もない思いを巡らすこと..

    ハル・ハートリーの作品に私はいつもそんな想像をしてしまう。
    だから、観る度に染みていくのだと思う。

    大真面目であるが故の、少し可笑しな感じ。
    だけど、本当に視線は優しいから。

    (1*) 『H』(ロッキング・オン・ジャパン)1997年3月号
    (2*) コトバンク タウマゼイン-92413 より

    ミュージシャン:嶺川貴子
    Takako Minekawa

    1996年『RoomicCube ~ a tiny room exhibition ~ 』、以降2000年の『Maxi On』まで国内と海外で8枚のアルバムをリリース。2013年5月にギタリストのDustin Wong(ダスティン・ウォング)との共作『ToropicalCircle 』をリリース、DustinWong& Takako Minekawaとしてデュオ・セットの活動を始める。これまでに、『Savage Imagination』『Are Euphoria』と3枚のアルバムをリリース。また同時にソロとしてのライブ活動も再開し、Sound Live Tokyo 2013『BOOMBOX-MELLOTRON PROJECT』でのラジカセメロトロンのパフォーマンス、SuperDeluxe『PROJECTA#2 Voice Issue』、Sound Live Tokyo 2015『東京都初耳区』のマルチチャンネルによるサウンドインスタレーション、Rosasのダンサー池田扶美代によるワークショップ&ショーケース『Powerlessness』への参加など。

    《あのころハル・ハートリーは僕のヒーローだった。》 豊島圭介(映画監督『ヒーローマニア‐生活‐』『森山中教習所』)

    『シンプルメン』に続いて前作の『トラスト・ミー』が日本で公開されたのが1993年。僕は大学生三年生で、世界で最も映画が見られる都市のひとつといわれた東京で、毎日浴びるように映画を見ていた時期だ。80年代にジム・ジャームッシュがインディーシーンを席巻したあと、しばらくスター不在だった座に、ポスト・ジャームッシュ的映画監督として紹介されたのがハル・ハートリーだった。同じころ『コントラクトキラー』と『マッチ工場の少女』をひっさげて登場したのがアキ・カウリスマキ。すでに唯一無二のスタイルを確立していたカウリスマキがまぎれもなく「作家」だったのに対して、ハートリーはどちらかというと「映画ファン的恥ずかしさ」を共有できる「先輩」みたいな存在だった。

    ゴダールの『はなればなれに』が好きで『シンプルメン』で俳優にダンスをさせたのだろうし、ブレッソンの「シネマトグラフ覚書」を読みふけりその理論を真似てあの堅苦しい芝居をつくったのだろうし、カラックスの『汚れた血』のラストに感銘をうけて『トラスト・ミー』のラストショットを撮ったのだろうし、などと想像し「映画っていいよね、先輩」と肩に手をかけて話しかけても怒られなさそうな存在。もしかしたら、手を伸ばせば届くかもしれないと思わせてくれるような距離感の、身近な憧れの存在がハル・ハートリーだった。

    機械工やアル中や大学生や不良少女。郊外にどこにでもいる市井の不器用な人々の物語を、振り付けされたような硬い芝居に落とし込み、呪文のような祈りのような棒読みセリフを強要し、状況説明のヒキのカットをほとんど使わず一般的には下手といわれる同サイズのカットを平気で並列し、ほとんどリフのみのギターでシンプルに音付けする。そんなオリジナルな手法で描かれる世界はほとんど神話的抽象性まで獲得していた。なにか崇高なものをみている気分になるというか。「いやいや、とはいえあんたテレビ直したこともないだろ!」と突っ込みたくなるような青いインテリ感も漂うのだが、それを補って余りあるほど、あのころハル・ハートリーはカッコよかった。

    20年以上経った今もその作品は輝きを失っていない。それは、弱くて頑固で不器用な人々に対するハートリーのシンパシーと寄り添うような眼差しが、スタイルやポーズじゃなくて本物だったからだ。最近やっとハートリーの21世紀になってからの作品群をまとめてみる機会があったが、その不器用な人々に対する眼差しは愚直なまでに変化していなかった。 『トラスト・ミー』の最後、警察車両に運ばれるマシューをすっくと立って見つめるマリアのように、ハートリーはいまだ世界をまっすぐに愚直に見つめていた。かつてのヒーローはまだまだ健在だったのだ。

    豊島圭介

    映画監督。『耳を腐らせるほどの愛』(non style石田明脚本)年内公開予定、 「Is”(アイズ)」(桂正和原作)をBSスカパー!などにて年内放送予定。 『森山中教習所』『ヒーローマニア-生活-』『ソフトボーイ』『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』 『花宵道中』。「女囚セブン」「黒い十人の女」「徳山大五郎を誰が殺したか?」 「ホリックxxxHOLiC」「殺しの女王蜂」。シャイカー所属。

    《この惑星で彷徨う、単純で誠実なシンプルメン。》 山中瑶子(映画監督)

    映画好きにとって、尋ねられて一番答えにあぐねる質問は「一番好きな映画は?」で間違いないと思うが、それ以上に映画を監督する身として構えてしまう「好きな映画監督は?」の問いに、わたしはいつも「エドワード・ヤンとハル・ハートリー」と答えている。好き、あるいは影響を受けた監督の名前をざっと10人は簡単に言えるが、その中からこの2人を挙げる理由として、“誠実さ”がある。2人の映画には、彼らの人間としての誠実さがよくあらわれているように思う。わたしもそんな映画作りを目指したいし、つまるところ誠実な人間としか深く付き合っていけない。だからひっそりと自己紹介の想いも込めて、そう答えているのだ。

    特にハートリーの映画は、ディスクを揃えて、お守りのようにそばに置いて繰り返し何回も見ている。

    初めて見たハートリー作品は、初長編監督作品でもある『アンビリーバブル・トゥルース』(1989)だ。確かわたしが高校3年半ばの2014年に、地元のTSUTAYAでパッケージの可愛さが目にとまり選び取ったのだけれど、つい最近知ったことだが、『シンプルメン』『愛・アマチュア』『はなしかわって』と共にハートリー4作品としてDVDを発売したのはちょうど2014年6月のことらしい。だから、たまたまリリース直後に出会えたということになる。

    1989年公開ということは、作られたのはもう30年も前なのだが、信じられないことに現在作られている映画よりもよほど世情を捉えまくっているというか、17歳のわたしには等身大だった。どの季節にもシネコンでやっている、女子高生と男子高生、時に相手は教師だったりもする恋愛映画に辟易する暇もないくらい、ハル・ハートリーの映画にのめり込んだわたしは、すぐにその後、残りの3作品を借りに自転車で走った。そしてそれから3年後の昨年、初めて撮った映画に『シンプルメン』のオマージュを入れ、今年の夏にハートリー本人に見てもらった。

    というか正直なところ、わたしはまだ大人になりたくない、とても子供っぽい人間性なので、とくべつ好きなものを見知らぬ人たちに教えたくない。だからこんなことになって光栄だが少しためらっている。

    こんなこと、というのは、わたしの処女作『あみこ』で『シンプルメン』をモロにオマージュしているがために、めぐりめぐってハートリーについてのコラムを依頼されていることだ。でも、やはりたくさんの人に見つかって愛されて欲しい。だから包み隠さずお勧めする。こんなに素晴らしいサイトがあるなんて嬉しくって踊りたい。

    そう、『シンプルメン』のどこをオマージュしたかと言えば、一番有名なダンスシーンである。そしてそれはハートリーがゴダールの『はなればなれに』をオマージュしていることも知られている(わたしはゴダールより先にハートリーの名を覚えた)。つまり『あみこ』は、オマージュのオマージュをしている。愛を込めてダンスシーンのオマージュをしたわけだが、わたしが思うハートリー作品の一番の魅力は、キャラクターに伴う会話表現である。

    『シンプルメン』は、兄弟2人が、「刑務所から脱獄中の元野球選手でアナーキストでテロリストの父親」を探すロードムービーだ。まずキャラクター設定からどうかしている。でもそんなことは大したことではないと言わんばかりにオフビートで進んでいく。音楽も単純で、基本的に静かだ。静かに暴走している。そこがたまらなく粋でかっこいい、おしゃれだ。しかし見終わって残るものはおしゃれな雰囲気ではなく、とてつもない誠実さだ。

    基本的に登場人物たちはずっとどこか噛み合っていない、へんてこな会話をしている。小さなボケも随所に織り込んでくる。そしてそれを喋る役者たちの顔にそれらしい表情は伴っておらず皆無表情に近いのだが、変な感じはしない。むしろ愛らしくて真実に迫っていると思う。どうせいつも取り繕って無理に噛み合わせようとして結局ただ流れて行くだけの会話をしている私たちは、いっそハートリー映画のような会話を日々したら良いのだと思う。きっと楽しい。

    この夏、『あみこ』をニューヨークで上映した際に、わたしはハートリーに会いに行った。長い廊下の奥からゆらゆらとやってきた長身の彼と、つたない英語で少し会話をし、そのまなざしを見て、『シンプルメン』のラスト、嘘のアリバイを警察に言うようにビルから頼まれて「嘘はつけないわ」と言った彼女のその言葉は、ハートリー自身のものだと確信して、帰りにちょっと泣いた。

    山中瑶子

    1997年生まれ、長野県出身。初監督作品『あみこ』がPFFアワード2017で観客賞を受賞。20歳でベルリン国際映画祭に招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。同作でポレポレ東中野の一週間レイトショー動員記録を大幅に塗り替える。新作は山戸結希プロデュースのオムニバス映画『21世紀の女の子』(2019年2月公開予定)。

    • ハル・ハートリー入門

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    • ハートリーと映画音楽

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    • ハートリー人名辞典

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    • クラウドファンド顛末記

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    • ハートリー全仕事解説

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    • 3ヶ月連続特別寄稿

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