NYインディーズ界最後のイノセンス ハル・ハートリーの世界

90年代。インディーズ映画にハル・ハートリーという一陣の風が吹き抜けた。

ハル・ハートリー入門

インディーズ界に屹立するピュアネスの砦
孤高の映画監督ハル・ハートリーの世界

  • 90年代初頭、ミニシアター文化が華やかなりし時に、ハル・ハートリーは颯爽と、ではなく、ふらりと力みのない風情で現れた。『アンビリーバブル・トゥルース』で長編デビューしたのは1989年だが、日本で本腰を入れて紹介されたのは長編第3作の『シンプルメン』(1992)が1992年の12月に、2作目の『トラスト・ミー』(1990)が翌1月に連続公開された時だっただろう。

    NYのインディーズ映画シーンは80年代にジム・ジャームッシュやスパイク・リーを輩出し、にわかに脚光を浴びるようになった。2人の作風が似ていたわけでもないのだが、同時期にニューヨーク大学映画学科で学んでいたこともあり、ハリウッドとは違うクールな動きが起きている震源地としてNYに世界中が注目していた。そして“ポスト・ジャームッシュ”を希求し始めた映画業界が次々とインディーズ監督を青田買いする流れの中で、若いハートリーにもチャンスが訪れたのだ。

    ハートリーがニューヨーク州立大学パーチェス校の仲間たちと作った『アンビリーバブル・トゥルース』はトロント映画祭で上映され、なんとハーヴェイ・ワインスタインのミラマックス社が配給に名乗りを上げた。ワインスタインは「売るためにはヌードが足りない」と撮り直しを要求したらしいがハートリーは応じなかった。この妥協しない姿勢はハートリーのキャリアを通じて一貫しているが、出発点から強固な意志と作家性を持っていたのだと感じさせる逸話である。

    果たしてヌードが不足していたせいかはわからないが、『アンビリーバブル・トゥルース』は日本で劇場公開されず(2014年に初上映)、1991年に「ニューヨーク・ラブ・ストーリー」という邦題でビデオリリースされている。レンタルした人は、摩天楼どころか高い建物すら存在しない、マンハッタンから50キロ以上離れた地味な町リンデンハーストが舞台なことに戸惑っただろう。

    『トラスト・ミー』と『シンプルメン』に話を戻すと、ハートリーのイメージと人気はこの2本が確立したと言っていい。ゴダールの影響やインテリ臭を隠すことなく(本人は労働階級出身だと語っているが)、唐突に踊り出し、唐突に失神し、リアリズムを歯牙にもかけない独特のセリフ回しで物語が進んでいく。真面目なのか不真面目なのかが判別できない作風に戸惑う人もいるが、『シンプルメン』で3人の男女が踊り出した瞬間に、もしくは『トラスト・ミー』でエイドリアン・シェリー扮するマリアが後ろ向きに飛び降りた瞬間に、多くの観客はハートリーの映画と恋に落ちたのだ。

    『トラスト・ミー』はサンダンス映画祭で脚本賞に輝き『シンプルメン』はカンヌ映画祭のコンペに出品された。デビュー作『アンビリーバブル・トゥルース』と併せた初期3作は“ロングアイランド三部作”とも呼ばれ、どの作品もハートリーの生まれ故郷リンデンハーストがあるロングアイランドを舞台にしている。

    ロングアイランドはマンハッタン島に隣接し、カニの爪のような形をした東西に延びる巨大な島だ。西端にはNY市のブルックリン区やクイーンズ区が、東部にはハンプトンなどのセレブが集まる高級別荘地が、さらに東端に行くと最果てのようなモントークのビーチと灯台がある。ハートリーが育ったリンデンハーストはマンハッタン寄りだが、ブルックリンのような下町の風情はなく、特徴の薄い典型的な郊外だ。

    ハートリーがNYのインディーズシーンから登場したにも関わらず、どこにも属していない孤高の風情をまとっているのはこの“なんでもない町”を被写体に選んだからではなかったか。『シンプルメン』の主人公兄弟は父の行方を追ってロングアイランドを旅するのだが、せいぜいたどり着くのはハンプトンの先まで。ロードムービーと呼ぶにはあまりにも慎ましく、そしてつましい。

    土地に縛られるほど強力な磁場もなく、かといって別に寄る辺があるわけでもない平凡人たちが、社会や家族に居心地の悪さを感じながら“善き人”でありたいともがく。ハートリーの描く世界がわれわれ日本人にとっても身近で親しみのあるものに感じられるのは、この“どこでもない”という宙ぶらりんな普遍性にあるのではないだろうか。

    そして今回放送される『FLIRT/フラート』は、ハートリーのフィルモグラフィでもとびきりの問題作である。キャリア初期から長編と並行してスケッチのような短編を作り続けているハートリーが、93年にニューヨークで撮った同名の短編を膨らませたオムニバス映画だ。

    「フラート」とはフラフラしている浮気性の人間の意味で、主人公は2人の異性の間でどっちつかずの態度を取っている遊び人。しかしいよいよ「どちらかに絞らねばならない!」という他人には本当にどうでもいい窮地に立たされる数時間を描いた、愛と嫉妬と拳銃にまつわる珍妙なコメディである。

    ハートリーは、この愚かな浮気男にまつわるスケッチを、別の街、別のシチュエーションに当てはめてみる試みを思いつく。ニューヨーク篇で男性だった主人公は、ベルリン編ではゲイの黒人男性に変わり、最後の東京篇ではアングラ舞踊をたしなむ日本人女性になる。それぞれのエピソードは微妙に異なる結末にたどり着くのだが、東京篇ではなんとハートリー監督本人が登場し“ハル”というヒロインの恋人を演じているのである。

    『FLIRT/フラート』の完成後、ハートリーが東京篇に主演した二階堂美穂と結婚したことは多くの人が知っているだろう。ビル・セイジ、マーティン・ドノヴァンら旧知の仲間と地元NYで作った小さな短編は、フラフラと漂いながらベルリンを経由して、やがて東京へとたどり着き、メタフィクショナルに現実とリンクする。

    かといって私小説ではない。「じゃあ何なのか?」と問われるとなんとも答え難いのだが、真摯でありながら捻くれていて、フラフラとつかみどころのないハートリーという作家性が最もダイレクトに現れているのは実は『FLIRT/フラート』ではないかと、何度か観直しているうちに確信めいたものを感じ始めている。

    ハル・ハートリー
    Hal Hartley

    1959年、ニューヨーク州リンデンハースト生まれ。ニューヨーク州立大学パーチェス校で映画製作を専攻し、『アンビリーバブル・トゥルース』(1989)で商業デビュー。続く『トラスト・ミー』(1990)、『シンプルメン』(1992)で人気を確立し、『ヘンリー・フール』(1997)でカンヌ国際映画祭脚本賞を受賞。2000年以降は日本での劇場公開が途絶えたが、2014年にリバイバル特集されて若い世代からも注目を集める。今年『ヘンリー・フール』、『フェイ・グリム』(2006)、『ネッド・ライフル』(2014)からなる「ヘンリー・フール三部作」のBOXセットを自らのプロダクションからリリース。クラウドファンディングによって日本語字幕化も実現させた。

    ライター:村山章

    1971年生まれ。映像編集スタジオを経て映画ライターに。惚れ込んだ映画の広報活動 を勝手にするバンド、ウィリアム・H・メイシーズのメンバー。配信作品のレビュー サイト「ShortCuts」代表。

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