◆カルトな支持を誇るマイケル・J・フォックス主演作

 1996年に公開された映画『さまよう魂たち』は、マイケル・J・フォックスの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』トリロジー(1985〜1989)を別格とする主演作の中でも、とりわけカルトな人気を誇る異色のゴーストコメディだ。

 マイケルが演じるのは、臨死体験の後に妻を亡くしてしまった中年男のフランク。彼はその体験によって、最近に亡くなった人の霊体と接触する能力を得る。そしてこのスキルを悪用し、ゴースト仲間の助けを借りてニセの幽霊騒ぎを演出し、ゴーストバスタービジネスで大儲けを実行していたのだが……。

 映画は恐ろしい悪霊やクレイジーなキャラクターの登場、そしてコメディとシリアスの配分に優れたストーリーなどの好要素にあふれ、加えてプラクティカルエフェクトとデジタルエフェクトの融合による、大胆な視覚スペクタクルを存分に堪能することができる。

 なにより本作は、ニュージーランドを拠点に活動していた映画監督ピーター・ジャクソンの、初めて手がけたハリウッド作品として映画ファンの熱い支持を得ているのだ。

『ロード・オブ・ザ・リング』(2001〜2003)そして『ホビット』(2012〜2014)両三部作で世界的な映画作家となったジャクソンだが、キャリア初期は『バッド・テイスト』(1987)『ミート・ザ・フィーブル 怒りのヒポポタマス』(1989)など、残酷だが絶妙にコミカルな、嗜好性の強いホラーSFやブラックコメディを手がけ、特に彼が1992年に発表した『ブレインデッド』は、ゾンビの軍団が芝刈り機で粉々に粉砕されるという、映画史上最も血量の多いシーンで世界に悪名をとどろせていた。

・『さまよう魂たち』撮影現場でのマイケル・J・フォックス(中央左)とピーター・ジャクソン監督(中央右)。最左はロバート・ゼメキス。

 こうした初期3作では、造形物や特殊メイク、特殊効果が多用されていたが、作品ごとにファシリティを編成しては解散するという非効率さにジャクソンは疑問を覚え、『ブレインデッド』公開後の1992年12 月、視覚効果の制作チームを結成する方向に舵を向けた。それがWETAである。名前のコンセプトは 「Wingnut Effects and Technical Allusions」の頭文字をとったものだが、頑丈な姿をした、ニュージーランド生息のコオロギにちなんで付けられたものだ。

 そんなジャクソンの転機となったのが、ケイト・ウィンスレット主演『乙女の祈り』(1994)で、これは1950年代のキリスト教会で2人の少女が親友になり、後に母親を殺害したパーカー・ハルム事件に基づくクライムファンタジー。彼は同作でCGを用いた場面を設定し、開発のための設備導入を、この映画の製作費でおこなったのだ。これが2000年に分社化する「WETAデジタル」の起点である。ちなみに同スタジオはフィジカルエフェクト部門の「WETAワークショップ」と、CGなどデジタルエフェクトを専門に扱う「WETAデジタル」の2部門で編成されている。

◆WETAデジタルの確立

『乙女の祈り』が事実に基づく話だったことから、その反動でジャクソンは次回作を、映画的な創意に満ちた話にしようと模索した。そこで以前より原案として考えていた、ペテン師が幽霊を使って人を怖がらせ、金を稼ぐ話を膨らませようとしたのである。

 そのあらすじが代理人を通して『テールズ・フロム・ザ・クリプト』の劇場版を開発中だったロバート・ゼメキスの目に止まり、発想に感心したゼメキスは単独の作品として『さまよう魂たち』の映画化を進行させたのだ。

 フランク役にマイケル・J・フォックスが選ばれたのもゼメキス由来で、彼は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で仕事をしたマイケルはどうかとジャクソン側に提案し、ジャクソンはこれを快諾。マイケルに脚本を送り、彼はその面白さを称賛して出演OKを出したのだ。 

 同時にWETAは世界市場を舞台にすることで、自社の規模を急速に拡大する必要があった。脚本から想定されたVFXショットは約570(『乙女の祈り』は30ショット)。今日の基準に照らし合わせると決して多くはないが、新進気鋭の監督とニュージーランドの小さなVFXスタジオにとっては膨大なものだった。加えて公開が1996年10月のハロウィン期から7月のサマーシーズンへと早められ、製作は急務となったのである。

 そこでユニバーサル側は他の視覚効果スタジオにVFXを分担させることを提案したが、WETAはショウリール用に自社で手がけた100のVFXショットをユニバーサルに見せ、自社をメインとする資金提供をものにした。1台しかなかったコンピューターを40台に増設し、技術的インフラを整え、CGアーティストを12人から40人に増員。壁紙やカーペットの下を滑空して犠牲者を襲う恐ろしい死神や、最も困難をともなうクライマックスのワームホールシークエンスなど、複雑で膨大なエフェクトの創造に対応したのである。

『さまよう魂たち』はジャクソンが取り組んできた作品の中で、あまり大ヒット作とは言えなかったものの、プロジェクトにおける投資とシステムの拡張が功を奏し、1996年公開の商業長編映画で使用されたデジタル効果が、これまでで最も多く含まれた作品となった。そしてWETAはハリウッドの外側にいながら、世界トップクラスの特殊効果が実現可能であることを証明したのだ。

◆WETAを支えたゼメキスとの友情

『さまよう魂たち』でユニバーサルにささやかな利益をもたらしたピーター・ジャクソンとWETAは、念願だった『キング・コング』映画化の権利を同スタジオから得て、このプロジェクトに1年間近く取り組んだ。WETAワークショップが制作したマケットをスキャンし、CGのコングやスカルアイランドに生息する恐竜たち、そして正確を極めたデジタルによるマンハッタンをWETAデジタルが生み出すという創造のバトンパスが理想的に交わされ、またコングの毛並みの描写を極めるアニメーションテストが徹底しておこなわれるなど、いつ制作にGOが出てもいいようクルーたちは準備していたのだ。

 しかしユニバーサルの経営陣が交代し、当時『GODZILLA』や『マイティ・ジョー』(1998)といった巨大クリーチャー映画が同時に製作されていたため、撤退を余儀なくされたのだ。そして企画の棚上げはWETAの存続に危険信号を灯し、危うく生き残れなくなるところだったのである。

 しかし『さまよう魂たち』でプロデューサーを務めたロバート・ゼメキスが、ジョージ・ミラーから企画を譲り受けた監督作『コンタクト』(1997)のVFXにWETAを起用し、いくつかの視覚効果シーケンスを担当させた。それが同スタジオの維持につながったのである。ゼメキスはジャクソンを信頼しており、彼と作品を通じて良好な関係を築いていた。『さまよう魂たち』はそんな信頼関係の証であり、WETAを救った映画でもあったのだ(『キング・コング』が実現するのは、それから約9年後のこととなる)。

『コンタクト』で数ヶ月間、WETAのクルーは全員が忙しくしていたが、その間にジャクソンは映画会社ミラマックスと、別のプロジェクトを始動させることになる。原作はファンタジー文学の古典「指輪物語」。そう、後の『ロード・オブ・ザ・リング』なのは言を俟たない。■

『さまよう魂たち』© 1996 Universal City Studios,Inc. All Rights Reserved.