飯森:そろそろ「インモラル物語」の話題に移りましょうか。これはセックスにまつわる4つの短編で構成されたオムニバス映画ですが、第1話の「満潮」というのがフェラチオの話なんですよね。この中でいきなり、可愛い女の子の唇のドアップが映る。先ほど述べた、肖像画がポッと出てくるような独特のテンポ感で、ワイド画面いっぱいに唇が写るんです。これは何なんだろう、という気がするんですよ。ボロフチックさんは、女性の体は本当に美しいんだ、それをフィルムに収めたかったんだということを語っているので、単純に引いて美しく寄っても美しいという理由だけなのかもしれないですが。

なかざわ:そもそも彼は、被写体=オブジェクトに対して強い執着というか、こだわりがあったみたいですね。なので、自分の映画に出てくる小道具や美術セットも、重要なものは彼自身がデザインをして作っていたらしいんですよ。彼の映画には、自分が好きなものや興味あるもの、こだわっているものだけで完璧な世界を作り上げたいという執念のようなものを感じます。以前に見た’83年撮影のインタビュー映像で、一番好きなのは短編アニメーションを作ることだと言っていました。なぜなら、他人とコラボレーションをする必要がないから。自分だけで全てをコントロールし、支配できるからなんでしょう。

飯森:「インモラル物語」でも、監督だけじゃなく撮影、編集、美術とか、何でもかんでも自分でやっていますよね。

なかざわ:そう、だからボロフチック以外の撮影監督や美術デザイナーが仮にクレジットされていたとしても、彼らは監督から指示されたことを実行するだけの人たちに過ぎないらしいんです。ボロフチック作品のイギリス盤ブルーレイ・シリーズには、初期短編時代から携わってきたスタッフのインタビュー映像が収録されているんですけれど、彼らの話によるとボロフチック作品においてスタッフが自分のアイデアを持ち込むということは、一番やっちゃいけないことだったみたいですね。良かれと思って照明の位置を変えるとか。監督の意図に沿わないものは全てやり直しさせられる。彼の頭の中では具体的なディテールに至るまでビジョンが既に出来上がっていて、あとはスタッフに命じてそれを再現するだけ、ということなんでしょうね。

飯森:ただ、もともと僕は変にアートぶった難解至極な映画ってあまり好きじゃなくて、うちで放送しないからぶっちゃけて言っちゃいますけれど、そういう意味でボロフチックさんの「愛の島ゴトー」も実は苦手なんですが、そんな僕でも「インモラル物語」は非常に楽しく見ることができる。なにか特別に言いたいことがあるわけじゃなくて、ただひたすら美しくエロを撮りたかっただけじゃないのかなって思うんです。

なかざわ:人間の営みとしてのセックスであったり、欲望としてのセックスであったりと、そのまま包み隠さずに描くことが恐らく目的ではないかなとも思います。そこに何かしらの、理に適ったストーリーを求めちゃいけない。

飯森:第1話の「満潮」にしたって、「お前ちょっとフェラしてくれよ」ってことで、可愛い従姉妹を連れて海へ行き、しゃぶってもらって、はいスッキリした、はいオシマイ!っていうね(笑)。ただ、例えばフランスのノルマンディ地方の荒涼としたような海辺の家から2人が連れ立って行く姿とか、自転車で坂を登り詰めていくと突然目の前にバーンと海岸が広がる様子とか、一つ一つのシーンのどれを取っても極めて美しく撮られている。それだけで大いに満足できるんですよ。あれが「インモラル物語」の中では一番無内容なエピソードなのかな、恐らく。

なかざわ:そうですね。

飯森:その次の第2話「哲学者テレーズ」というのも、これまたこれで無内容だった。厳格なカトリックの家庭に育てられている女の子が、大したことじゃないんだけど外出して遊んできたところを母親に見つかって、反省しなさい!ということでお仕置き部屋に入れられる。で、最初はしおらしく泣いているんだけれど、そのうちやることなくて独りエッチを始めるという、延々それだけを映している話です。

なかざわ:一応、宗教的な要素は強いですけれどね。

飯森:そうですね、ボロフチックさんは宗教も嫌いだったのかもしれない。宗教的な人たちが出てきて、そんなことやっちゃいけません!と言うような展開はよく出てきますよね。でも、そんなこと言ったってやりたいものはやりたいんだよ!と。「修道女の悶え」も同様ですが、やるなって言う方が無理な話じゃないですか、というのが彼の基本的なスタンスなんでしょう。

なかざわ:ポーランドという共産圏に生まれ育ったという、彼自身のバックグランドも影響しているかもしれません。

飯森:ポーランドは共産圏でありながら熱心なカトリック国ですからね。だからロシア語と似た言語なのにアルファベットがキリル文字じゃなくてローマ字なんです。ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世【注43】もポーランド出身でしたしね。そういう国なので、共産党への反発なのか、それとも厳格なカトリシズムへの反発なのか、それとも単に抑圧的な権力のメタファーとして描いているのか、そのへんは定かじゃないんですけれど。

なかざわ:個人的には、カトリック教会への反発があるようにも感じます。彼はグラフィック・デサイナーとして、長いこと共産党プロパガンダのポスターを作っていましたから、さほど共産主義の理念に対して抵抗を持っていたようにも思えないので。

飯森:いずれにせよ、女性が欲望を催して、自らの指で処理するまでの過程を、丁寧かつ美しく描いた「哲学者テレーズ」は、出歯亀的な好奇心をそそるという意味でも興味深く見ることができます。で、その次からですよね、凄いことになるのは。第3話「エルザベット・バトリ」の題材はバートリ・エルジェーベト【注44】という、中世のハンガリーに実在した女性貴族。“血の伯爵夫人”として有名で、よくホラー映画の題材にもなります。ハマー・フィルム【注45】の「鮮血の処女狩り」【注46】とか。

なかざわ:若い処女の血を浴びて自らの若さを保つという。

飯森:ただこの伝説、話が話なだけに、どうしてもエログロなトラッシュ映画【注47】になりがちで。村中の処女という処女を集めてきて虐殺し、その血で満たされたバスタブに浸かったらお肌がツルッツルになった美魔女、という、まさに悪趣味としか言いようのない伝説なわけですから。でもそれをボロフチックさんが描くと、一気にハイレベルなアートになってしまう。村の若い娘達をさらってきて、一堂に集めて裸にした時の、髪の色の違い、胸の形の違い、乳首の色の違い、あとテレビでは見せられませんが陰毛の色の違い。それらがまさに十人十色で、女性の裸体というのは集団になるとこれほどまでに個性的で美しいのかと驚かされます。

なかざわ:そういえば、バートリ・エルジェーベトの話は、中田秀夫監督【注48】の「劇場霊」【注49】でも描かれていましたよね。劇中劇ですけれど。

飯森:あと彼女が着ているドレスなども、トルコ支配の影響を受けた、いかにもハンガリーらしい東西折衷の独特のエスニックなテイストがあって、西欧文化圏との違いがよく分かります。絢爛たる歴史絵巻の風情ですよ。

なかざわ:しかも演じているのはパロマ・ピカソ【注50】。あのパブロ・ピカソ【注51】の娘です。本業は確かファッション・デザイナーだったと思いますけれど。

飯森:演技力のあまり要求されない役柄ですからね。セリフもないですし。で、最後の第4話「ルクレチア・ボルジア」がルクレツィア・ボルジア【注52】の話ですね。ボルジア家の乱れに乱れた、それこそ近親相姦までやっているような、権力者の性の倒錯を描いている。

なかざわ親子でサンドイッチ3Pしちゃいますからね。しかも、パパはローマ教皇。

飯森:にも関わらず、批判めいた感じがあまりない。最後には教会の腐敗を大声で糾弾していた修道士が処刑され、それと交互するようにルクレツィアが近親相姦で産んだ子供の誕生をにこやかに祝福する姿が描かれているのだけれど、一体どっちを悪者として捉えているのか分からない。つまり、近親相姦で乱交3Pしている方を批判的に見ているとは思えないんです。それこそ、楽しげにやってるね♪くらいのノリで。逆に、説教台の上からヒステリックに「バチカンは腐っている!」って叫んでいる奴の方を、グロテスクに描いているように見えるわけです。


<注43>1920年生まれ。在位期間は’78年~’05年。2度の暗殺未遂事件も話題になった。’05年没。
<注44>1560年生まれ。自らの若さと美貌を保つため、農村の若い処女を次々と殺害しては、その血を浴びていた。有力な名門貴族だったため、その残虐行為は見逃されていたが、被害者の脱走がきっかけで逮捕され有罪となった。1614年没。
<注45>’50年代~’70年代に一世を風靡したイギリスの映画会社。ホラー映画やSF映画で人気を博した。
<注46>1971年製作。実の娘の若さと美貌に嫉妬した中年の貴婦人が、村の若い娘たちを殺してはその血の風呂に浸かり、まんまと若返ることに成功する。イングリッド・ピット主演。
<注47>文字通りトラッシュ=ゴミ映画のこと。一部のコアな映画マニアは、親愛の情と皮肉を込めて低予算のB級C級映画をそう呼ぶ。
<注48>1961年生まれ。日本の映画監督。代表作は「リング」(’98)、「仄暗い水の底から」(’02)など。リメイク版「リング2」(’05)でハリウッド進出。
<注49>2015年製作。舞台劇の小道具に使われる呪われた人形が、次々と関係者を殺していく。
<注50>1949年生まれ。ティファニーの宝飾デザイナーとして知られる。
<注51>1881年生まれ。スペイン出身の20世紀を代表する世界的な芸術家。1973年没。
<注52>1480年生まれ。ルネッサンス期のイタリアを支配したボルジア家の出身で、汚職で悪名高いローマ教皇アレクサンデル6世の娘。1519年死去。


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『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.