『エクソシスト ディレクターズ・カット版』(本稿では以下『DC版』)は、悪魔に取り憑かれた少女リーガン(リンダ・ブレア)を救うため、母親クリス(エレン・バースティン)と二人の司祭ーメリン神父(マックス・フォン・シドー)そしてカラス神父(ジェイソン・ミラー)が凄絶な戦いに挑む史上最高の超常現象ホラー『エクソシスト』(1973 /本稿では以下『劇場公開版』)に約11分間の未公開シーンを追加した、ランニングタイム133分の拡張バージョンだ。
拡張とはいえ、いずれの追加シーンも『劇場公開版』の編集段階において存在したものだ。それらは配給元であるワーナー・ブラザースの指示によって改善点を指摘され、監督であるウイリアム・フリードキンが応じて再編集し、122分に短くしたものが初公開された。しかしこの『劇場公開版』を原作者であるウィリアム・ピーター・ブラッティは快く思っておらず、ことあるごとに、
「作品の精神を損ねた。カットして公開したのは間違いではなかったのか?」
と、フリードキンを責め苛んだという。
そんな状況に転機が訪れたのは1998年、イギリスBBCによって『劇場公開版』の25周年ドキュメンタリー『エクソシスト THE FEAR OF GOD』が製作され、この番組と併せて、未公開フッテージへのアクセスが認められたのである。そのときフリードキンは、映画界の動向として当時活況を呈していた、劇場公開とは違うバージョンをDVDで発表するムーヴメントにならった。そして『劇場公開版』をワークプリント時の状態に再編集することで、長い間の軋轢としてあった、ブラッティの意向に歩み寄る姿勢を見せたのだ。
こうして2000年に生み出された『DC版』は『The Version You've Never Seen』と題されて劇場公開、ならびにVHSとDVDでリリースされ、2010年には『Extended Director's Cut』と銘打ち、細かな変更を加えたバージョンをDVDとブルーレイで再リリースした。後者が今回の放送バージョンである。
・『エクソシスト』撮影中のウィリアム・フリードキン(右)とリンダ・ブレア(左)
◆『ディレクターズ・カット版』に追加された要素
以下は実際に同バージョンをご覧になった方に向けて、具体的な追加シーンを列挙しておきたい。『劇場公開版』『DC版』問わず盛大なネタバレを含んでいるので、まずは本編を観てほしい。もっとも、いま『エクソシスト』に何の予備知識も持たずに接することができる、そんな幸福な人間がどれだけ存在するのかは知らないが。
【1】『劇場公開版』はイラクの採石場で、考古学者でもあるメリン神父が悪魔の彫像を発掘するシーンから幕を開ける。しかし『DC版』では、ジョージタウンにあるマクニール家を示すオープニングから始まる。
【2】リーガンの誕生日にクリスが夫に国際電話をかけたさい、「私は20分間も、このクソラインにいたのよ!」と交換手をなじるセリフがあるが、『DC版』では省略されている。
【3】リーガンの異常行動が何に起因するものなのかを調べる、彼女の診療シーンが追加された。同シーンではリーガンはマクニール医師に粗暴な振る舞いをして憑依の兆候を示し、クリスがリーガンに「お医者さんがただの神経症だと言ったじゃない」と伝えるシーンの根拠となる。
【4】クリスが撮影から自宅に帰って屋内を歩き回るシーンでは、悪魔の顔や彫像の画、新しい効果音や音楽などのデジタルエフェクトが追加。しかし『Extended Director's Cut』では、リーガンのドアに現れる悪魔パズズの顔の1つの効果が削除されている。
【5】リーガンが逆さまの状態で階段を駆け降りてくる、衝撃的な「蜘蛛歩き」のシーンが『DC版』に挿入された。同シーンではワイヤーがデジタル除去され、口から血をながしながら迫るテイクが使用されている。
【6】リーガンが精神科医の股間をつかむ前に、うなり声を発して悪魔(アイリーン・ディーツ)に変身する彼女の顔の新しいデジタル効果が追加。
【7】カラス神父がミサに行く前、父親と話そうとしているリーガンのテープを聞くシーンが追加された。
【8】シャロン(キティ・ウィン)が悪魔のうめき声をチューニングしようとしている新しいシーンと、メリン神父の弱さをほのめかす、クリスとの短い瞬間のやり取りが追加。
【9】カラス神父とメリン神父が悪魔祓いをおこなうために階段を上るシーンに、新しい音楽と部屋に入る前の短いショットが追加。メリン神父はクリスにリーガンのミドルネームをたずね、テレサだと答えた彼女に「素敵な名だ」と言うシーンなど。
【10】カラス神父とメリン神父が階段に腰を下ろし、「なぜリーガンが悪魔に選ばれてしまったのか?」を問答するシーン。「人間は獣のように野卑で下劣な存在で、醜悪なのだと思い知らすためだ」とメリンがカラスに諭すやりとりが『DC版』に加えられた。
【11】カラス神父が悪魔に憑依されている瞬間に窓を見上げると、彼の母親の顔がディゾルヴする新しいデジタル合成ショットが追加された。
【12】クリスがダイアー神父(ウィリアム・オマリー)にカラス神父のメダルを渡すと、彼はそれを彼女に返し、「あなたが持っておくべきだ」と言う場面。加えてリーガンがダイアー神父に微笑んで手を振り、ダイアー神父が手を振りかえす短いシーンが追加。
【13】『劇場公開版』では【12】で終わるエンディングを、ダイアー神父とキンダーマン刑事(リー・J・コッブ)の対話で終わるようにしている。キンダーマンは映画『カサブランカ』(1942)を引用し、「これは美しい友情の始まりだと思う」と結び、マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」のサウンドは、彼らが立ち去った後のクレジット内で流れる。
◆原作者はなぜ『劇場公開版』を嫌ったのか?
これらの多くは原作者のブラッティが物語に不可欠だと感じたシーンであり、特に【10】は、この映画の本質に触れており、小説家であるブラッディには自身の感覚を維持するために重要なものだった。しかしフリードキンは「それは本編を通じて自分が演出で語っている」と、真っ先にこのシーンを削除し、軋轢を決定づけてしまったのである。
またカットは他にも【11】ならびに【13】について、カラス神父が窓から落下して悪魔を道連れにした、キリストのような犠牲的行為を偲び、キンダーマン刑事とダイアー神父は亡くなった友人を思う。それはブラッティの当初のヴィジョンにはるかに近いものといえた。それさえもフリードキンは容赦なく切り刻んだのである。『DC版』は、経年をへて角のとれたブラッティとフリードキンの、ある種の「和解バージョン」と捉えれば、そこまで禁欲的に否定することもないのかもしれない。フリードキンは言う、
「ブラッティはいつも“普通の生活が再開するところを見せるべきだ“と考えていた。だからこのエンディングの再設定は、和解のためのものと言えるかもしれない。僕は変わったんだ。あの頃の自分にはもっとハードなエッジがあった。今はそのエッジがない」
◆老画家の心残り
いっぽうで、このエンディングの正当性について疑問を抱いた人物がいる。権威ある映画評論家の一人として知られるロジャー・エバートだ。彼は『DC版』の初公開時、この追加エンディングを、
「パーティーが終わった後もしゃべり続ける客のようなものだ」
と評し、フリードキンに対し、
「このバージョンは芸術というより、マーケティングと関係があるかもしれない。なぜならスタジオの考え方には明白な根拠がある、劇場再公開の口実となり、すでに旧版を所有している人たちにもビデオが売れるからだ」
と伝え、フリードキンの真意を引き出そうと彼を挑発している。監督はエバートの挑発にこう答えた。
「『DC版』が気に入らないと言うのはかまわない。だが、これをマーケティングと結びつけるのは的外れだ。このバージョンを公開するために、私たちはスタジオ(ワーナー・ブラザース)の壁を乗り越えなければならなかった。連中が我々を憎んでいるのは、我々が『エクソシスト』の編集をめぐり、彼らに強権を行使してさまざまな軋轢を呼び込んだからだ」と。
そして、自分にとって過去作への再アクセスがどういった意味を持つのか、フランスの画家ピエール・ボナールのエピソードに喩えてこう語っている。
「ボナールは老年になってから、絵筆を持ってルーブル美術館に入り、自分の絵に手を加え始めたという話を聞いたことがあるかい? 彼は追い出されたそうだ。でも“あれは自分の絵だ!“と言って、今とは違う見方をしていた。私も同じだ。もしチャンスがあれば、私は戻って自分のやったことをすべてやり直したい」
このエピソードが正しい美術史に基づくものなのかはここで論議しないが、言葉どおりフリードキンは自作『フレンチ・コネクション』(1971)や『恐怖の報酬』(1977)そして『クルージング』(1980)といった過去作のレストアに晩年を費やし、ときにそのグレーディングをめぐって撮影監督であるオーウェン・ロイズマンの反感を買ったりもした。しかしフリードキンはそんなロイズマンを招いて『エクソシスト』の4Kレストアを監修し、2023年8月7日にこの世を去っている。■
『エクソシスト/ディレクターズ・カット版』© Warner Bros. Entertainment Inc.