ザ・シネマ 尾崎一男
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COLUMN/コラム2024.04.10
ピーター・ジャクソンとWETAの躍進ー『さまよう魂たち』
◆カルトな支持を誇るマイケル・J・フォックス主演作 1996年に公開された映画『さまよう魂たち』は、マイケル・J・フォックスの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』トリロジー(1985〜1989)を別格とする主演作の中でも、とりわけカルトな人気を誇る異色のゴーストコメディだ。 マイケルが演じるのは、臨死体験の後に妻を亡くしてしまった中年男のフランク。彼はその体験によって、最近に亡くなった人の霊体と接触する能力を得る。そしてこのスキルを悪用し、ゴースト仲間の助けを借りてニセの幽霊騒ぎを演出し、ゴーストバスタービジネスで大儲けを実行していたのだが……。 映画は恐ろしい悪霊やクレイジーなキャラクターの登場、そしてコメディとシリアスの配分に優れたストーリーなどの好要素にあふれ、加えてプラクティカルエフェクトとデジタルエフェクトの融合による、大胆な視覚スペクタクルを存分に堪能することができる。 なにより本作は、ニュージーランドを拠点に活動していた映画監督ピーター・ジャクソンの、初めて手がけたハリウッド作品として映画ファンの熱い支持を得ているのだ。 『ロード・オブ・ザ・リング』(2001〜2003)そして『ホビット』(2012〜2014)両三部作で世界的な映画作家となったジャクソンだが、キャリア初期は『バッド・テイスト』(1987)『ミート・ザ・フィーブル 怒りのヒポポタマス』(1989)など、残酷だが絶妙にコミカルな、嗜好性の強いホラーSFやブラックコメディを手がけ、特に彼が1992年に発表した『ブレインデッド』は、ゾンビの軍団が芝刈り機で粉々に粉砕されるという、映画史上最も血量の多いシーンで世界に悪名をとどろせていた。 ・『さまよう魂たち』撮影現場でのマイケル・J・フォックス(中央左)とピーター・ジャクソン監督(中央右)。最左はロバート・ゼメキス。 こうした初期3作では、造形物や特殊メイク、特殊効果が多用されていたが、作品ごとにファシリティを編成しては解散するという非効率さにジャクソンは疑問を覚え、『ブレインデッド』公開後の1992年12 月、視覚効果の制作チームを結成する方向に舵を向けた。それがWETAである。名前のコンセプトは 「Wingnut Effects and Technical Allusions」の頭文字をとったものだが、頑丈な姿をした、ニュージーランド生息のコオロギにちなんで付けられたものだ。 そんなジャクソンの転機となったのが、ケイト・ウィンスレット主演『乙女の祈り』(1994)で、これは1950年代のキリスト教会で2人の少女が親友になり、後に母親を殺害したパーカー・ハルム事件に基づくクライムファンタジー。彼は同作でCGを用いた場面を設定し、開発のための設備導入を、この映画の製作費でおこなったのだ。これが2000年に分社化する「WETAデジタル」の起点である。ちなみに同スタジオはフィジカルエフェクト部門の「WETAワークショップ」と、CGなどデジタルエフェクトを専門に扱う「WETAデジタル」の2部門で編成されている。 ◆WETAデジタルの確立 『乙女の祈り』が事実に基づく話だったことから、その反動でジャクソンは次回作を、映画的な創意に満ちた話にしようと模索した。そこで以前より原案として考えていた、ペテン師が幽霊を使って人を怖がらせ、金を稼ぐ話を膨らませようとしたのである。 そのあらすじが代理人を通して『テールズ・フロム・ザ・クリプト』の劇場版を開発中だったロバート・ゼメキスの目に止まり、発想に感心したゼメキスは単独の作品として『さまよう魂たち』の映画化を進行させたのだ。 フランク役にマイケル・J・フォックスが選ばれたのもゼメキス由来で、彼は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で仕事をしたマイケルはどうかとジャクソン側に提案し、ジャクソンはこれを快諾。マイケルに脚本を送り、彼はその面白さを称賛して出演OKを出したのだ。 同時にWETAは世界市場を舞台にすることで、自社の規模を急速に拡大する必要があった。脚本から想定されたVFXショットは約570(『乙女の祈り』は30ショット)。今日の基準に照らし合わせると決して多くはないが、新進気鋭の監督とニュージーランドの小さなVFXスタジオにとっては膨大なものだった。加えて公開が1996年10月のハロウィン期から7月のサマーシーズンへと早められ、製作は急務となったのである。 そこでユニバーサル側は他の視覚効果スタジオにVFXを分担させることを提案したが、WETAはショウリール用に自社で手がけた100のVFXショットをユニバーサルに見せ、自社をメインとする資金提供をものにした。1台しかなかったコンピューターを40台に増設し、技術的インフラを整え、CGアーティストを12人から40人に増員。壁紙やカーペットの下を滑空して犠牲者を襲う恐ろしい死神や、最も困難をともなうクライマックスのワームホールシークエンスなど、複雑で膨大なエフェクトの創造に対応したのである。 『さまよう魂たち』はジャクソンが取り組んできた作品の中で、あまり大ヒット作とは言えなかったものの、プロジェクトにおける投資とシステムの拡張が功を奏し、1996年公開の商業長編映画で使用されたデジタル効果が、これまでで最も多く含まれた作品となった。そしてWETAはハリウッドの外側にいながら、世界トップクラスの特殊効果が実現可能であることを証明したのだ。 ◆WETAを支えたゼメキスとの友情 『さまよう魂たち』でユニバーサルにささやかな利益をもたらしたピーター・ジャクソンとWETAは、念願だった『キング・コング』映画化の権利を同スタジオから得て、このプロジェクトに1年間近く取り組んだ。WETAワークショップが制作したマケットをスキャンし、CGのコングやスカルアイランドに生息する恐竜たち、そして正確を極めたデジタルによるマンハッタンをWETAデジタルが生み出すという創造のバトンパスが理想的に交わされ、またコングの毛並みの描写を極めるアニメーションテストが徹底しておこなわれるなど、いつ制作にGOが出てもいいようクルーたちは準備していたのだ。 しかしユニバーサルの経営陣が交代し、当時『GODZILLA』や『マイティ・ジョー』(1998)といった巨大クリーチャー映画が同時に製作されていたため、撤退を余儀なくされたのだ。そして企画の棚上げはWETAの存続に危険信号を灯し、危うく生き残れなくなるところだったのである。 しかし『さまよう魂たち』でプロデューサーを務めたロバート・ゼメキスが、ジョージ・ミラーから企画を譲り受けた監督作『コンタクト』(1997)のVFXにWETAを起用し、いくつかの視覚効果シーケンスを担当させた。それが同スタジオの維持につながったのである。ゼメキスはジャクソンを信頼しており、彼と作品を通じて良好な関係を築いていた。『さまよう魂たち』はそんな信頼関係の証であり、WETAを救った映画でもあったのだ(『キング・コング』が実現するのは、それから約9年後のこととなる)。 『コンタクト』で数ヶ月間、WETAのクルーは全員が忙しくしていたが、その間にジャクソンは映画会社ミラマックスと、別のプロジェクトを始動させることになる。原作はファンタジー文学の古典「指輪物語」。そう、後の『ロード・オブ・ザ・リング』なのは言を俟たない。■ 『さまよう魂たち』© 1996 Universal City Studios,Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.04.03
地の底から這い上がってきたサスペンスの芸術『恐怖の報酬(1977)【オリジナル完全版】』
「ハリウッドの監督の中には、“平凡さ”という黄金の神殿で自身を犠牲にすることのない、そんな知性と強さを持っている人はわずかしか存在しない。『恐怖の報酬』で共に仕事をする機会に恵まれた監督は、いい映画がウォール街の株のように機能しない事実を知っていたのだ」 タンジェリン・ドリームエドガー・フローゼ(『恐怖の報酬』音楽担当) ◆失敗作の十字架に張りつけられた傑作 1977年に公開されたサスペンス映画『恐怖の報酬』は、『フレンチ・コネクション』(1971)そして『エクソシスト』(1974)で時代の寵児となった監督ウィリアム・フリードキンの、輝きに満ちたキャリアを一気に曇らせた不運な傑作だ。わずかな振動でも大爆発を起こす消火用ニトログリセリン(液状爆薬)を、3百キロも先の火災現場まで運ぶ4人の男たち。映画はそんな彼らの恐怖で塗り固められたトラック輸送を、すさまじいまでの緊張感を通じて描き出していく。テレビドキュメンタリーの世界で演出の腕を極限まで磨いてきたフリードキンは、あたかも観客が物語の当事者であるかのごときスタイルを本作に適応させ、寡黙に作品の核心へと踏み込んでいくディレクティングを駆使し、121分間絶え間なく続く地獄を観る者に共有させていく。 「わたしのこれまでの作品は、『恐怖の報酬』を手がけるための予行演習だったのだ」 ウィリアム・フリードキン(自伝“THE FRIEDKIN CONNECTION~A MEMOIR“より) しかし、そんな自信に満ちた野心作も、いざ公開されるや興業成績は惨敗に終わり、一般的には「フリードキンの失敗作」として認識されることとなった。おりしも当時、アメリカ映画界では『スター・ウォーズ』(1977)旋風が吹き荒れ、オーディエンスの嗜好は陽性で希望に満ちた作品へとシフトしていき、暗い時代を反映したような『恐怖の報酬』は、完全に関心の外へと追いやられてしまったのだ。 さらには評論家たちの発するネガティブなレビューも、この映画の不調に拍車をかけた。ディテールを緻密に積み重ね、巨大な全体像を浮かび上がらせていくフリードキンの演出は、本作において「もったいぶって退屈」とみなされたのである。 加えて不運なことに、この映画には脅威的な作品が評価の物差しとして待ち構えていた。同じ原作の初映画化であるアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、イブ・モンタン主演のフランス映画『恐怖の報酬』(1953)だ、フリードキンはクルーゾー版のリメイクではなく、ジョルジュ・アルノーの小説の再映画化だと抗弁したが、評価の定まったマスターピースの影響から逃れることなど困難で、偉大な前作を敵に回し、そのつど不利な土俵に立たされてしまったのである。 なにより本作にとって気の毒だったのは、アメリカとは異なる地域において、本編を30分以上カットし再編集した「インターナショナル版」が公開されたことだ。これは同作の海外配給権を持つCICが監督に無断で作成したもので、(内容は後述するが)本編のあちこちに手を加えたせいで、その出来はまとまりを欠いていたのだ。 このように、本国での不評やクルーゾー版との不利な比較、そして短縮版の不出来な編集が大きなアダとなり、フリードキンの挑戦は、世界的なレベルで敗北を喫してしまったのである。 ◆堂々よみがえったサスペンスの芸術 そんな不当な評価を一転させたのが、この【オリジナル完全版】だ。2023年8月7日に87歳で亡くなったフリードキンは、キャリアも後半にさしかかったとき、二次収益媒体の拡大や高品質化に合わせて、過去作のデジタルレストアを精力的におこなっていた。『恐怖の報酬』も例外ではなく、レストアの対象としてリストに加えられ、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』に次いでその作業がおこなわれたのだ。 しかし本作の製作はユニバーサルにパラマウントという、リスクヘッジのための共同体制が権利を複雑なものにしており、長いことアクセスを困難なものにしたのである。しかしフリードキンは両社の権利がすでに失効していることを明らかにし、ワーナー・ブラザースに権利を取得させてレストア作業をおこなったのだ。その執念のもくろみは見事に奏功し、レストア済マスターを素材とするオリジナル完全版のDVDとBlu-rayリリースは商業的成功をおさめ、『恐怖の報酬』は初公開から約36年目にして、ようやく不当な評価をくつがえしたのである。 そしてレストア作業にともなう素材のDCP化によって、本作はDCP投影を主流とする現在のシネコンや映画館での上映も可能となり、2018年にはオリジナル完全版が日本公開されている。この上映に尽力した映画プロデューサーの岡村尚人氏は、1991年に日本でビデオ販売された121分のバージョンに接し、国内で短縮バージョンしか周知されていないことに不満を募らせ、オリジナル版公開の機会を長いこと伺っていたという。筆者(尾崎)も同じく、このビデオでリリースされたバージョンに触れて不当評価に異を唱えた一人だけに、氏の同作に賭けた情熱は痛いほどよくわかるし、その根強い意志と成し遂げた偉業には頭の下がる思いだ。 ・日本で121分全長版の内容を広く周知させ、後の【オリジナル完全版】国内公開の布石となった『恐怖の報酬』VHSビデオソフト(販売元/CIC・ビクター ビデオ株式会社)。これが当時、いきなりブロックバスター価格でリリースされたことも驚きだった(筆者所有)。 2024年の現在、『恐怖の報酬』のようなクラシックの2Kならびに4Kによるデジタルリマスター版上映は、コロナ禍やハリウッド俳優ストの影響による新作減少が遠因となってスタンダードになったといえる。そうした動きを活発化した要素のひとつとして、このオリジナル公開版の存在には敬意を払いたい。 ◆インターナショナル版との違い しかし、このように本来の形を取り戻した『恐怖の報酬』が当たり前に提供されるいま、むしろ短縮した「インターナショナル版」がどのようなものだったのか、気になる人もいるだろう。詳述して比較に触れるとネタバレを誘発するので、以下は鑑賞済みの人に向けたい。 オリジナル完全版(または米国公開版)とインターナショナル版との主な違いは、プロローグの全般的な削除と、エンディングの変更をそこに指摘することができる。前者は冒頭でニトログリセリンを運ぶ4人の男たちが一堂に会するまでの、それぞれの犯罪的バックストーリーを時間をかけて描いていくが、後者は爆破火災が起こる製油所から物語が始まる構成になっている。カットされた4人それぞれのエピソードは、回想という形で本編中に挿入されるが、そのポイントは不規則で徹底されておらず、まとまりを欠く起因のひとつとなっている。 またオリジナル完全版は悲観的な結末を示して物語を締めるバッドエンドなテイストを特徴とするが、インターナショナル版は希望的な余韻を残して終わる。このハッピーエンドはクルーゾー版とも趣を異にする展開で、それを安易かつ大衆に迎合した変更だと捉える向きもあった。繰り返すが、インターナショナル版は海外配給側が独自に生み出したもので、フリードキンは編集権の侵害を視野に訴える構えを見せてきた。 他にもシーンの前後を入れ替えるなどの細かな置き換えや、セリフや音楽の微修正や変更など、全体的な調整がはかられている。またタイトルは「魔術師」を意味する原題“Sorcerer“から、クルーゾー版と同様“Wages of Fear“(『恐怖の報酬』英訳タイトル)へと変えられている。これは本作にあえてクルーゾー版と関連を持たせる改題であると同時に、フリードキンの前作『エクソシスト』と似たホラーものだと勘違いされることを警戒しての措置だともいわれている。 ただインターナショナル版の場合、オリジナル完全版には存在しないショットが数か所ほど組み込まれており、独自の価値を有している。ちなみにインターナショナル版は該当エリアで過去にパッケージソフトが流通しており、また日本でもテレビ放送されたさいの録画ビデオや、あるいはそれらが無断で配信サイトに動画アップされているのをたまに見かけることがある。非合法なので積極的にお勧めはしないが、機会があれば参考までに観てほしい。■ 『恐怖の報酬(1977)【オリジナル完全版】』© MCMLXXVII by FILM PROPERTIES INTERNATIONAL N.V. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.03.13
オリジンに固執しないギリアム流ディストピア『12モンキーズ』
◆戦う監督テリー・ギリアム 1995年に公開された映画『12モンキーズ』は、ブルース・ウィリス演じる主人公が過去に時間移動し、ウイルスによる人類滅亡の起因となるバイオテロを未然に防ごうとするタイムSFだ。印象的なタイトルは動物愛護団体を隠れ蓑にするテロ組織の呼称で、監督はアニメーション作家から劇映画監督へと転身し、『バンデットQ』(1981)『未来世紀ブラジル』(1985)そして『バロン』(1988)などを手がけてきた鬼才テリー・ギリアムが担当。想像力豊かな主人公による体制との格闘をテーマとし、「夢」と「現実」の舞台を行き交うファンタジーを展開してきたギリアムには、まさにうってつけの題材といえる。 だがギリアムは作品そのものの魅力にとどまらず、公開をめぐる映画会社との闘争が、彼を語るうえで欠かせない要素となってきた。『未来世紀ブラジル』は上映時間の長さとブラックな幕切れに対し、配給元であるMCA=ユニバーサルの社長シド・シャインバーグが難色を示して再編集を要求。対してギリアムは上映時間の短縮にこそ応じたものの、結末をハッピーエンドにすることには首を縦に振らず、どちらも引かず譲らずの徹底抗戦が続いた。結局ギリアムが結末を変えずに全米一般公開を勝ち得たが、この一件によって彼は「戦う映画監督」というイメージを強固なものにしていく。 そして続く『バロン』も、ミュンヒハウゼン男爵の奇異極まる冒険の数々を描いた小説「ほら吹き男爵の冒険」を壮大なスケールと巨額の予算で実写化したが、チネチッタ(ローマの映画スタジオ)で撮影したことから従来とは異なる混乱が生じ、衣装や小道具の調達、セットの建設が遅れるなどのトラブルに見舞われた。製作費は増大し、たび重なる撮影の遅れによってつど撮影中止が検討された。こうした諸問題にギリアムは消耗戦を強いられたが、自分のイメージを具現化させることに全力を注ぎ、あたかも夢想で障害を乗り越えるバロンのように完成へとこぎつけたのである。 これら『未来世紀ブラジル』『バロン』における闘争は、ギリアムをハリウッドの完成保証人がブラックリストに載せるに充分なものだった。そのため彼は職人に徹し、真っ当な企画を手がけることで信頼回復を図ったのである。それが1991年に発表した『フィッシャー・キング』で、ホームレスと堕ちたDJスターとの奇妙な友情に迫る本作は、他者の脚本によるスター俳優主導型の現代劇であり、これまでのギリアム作品の創作基準からは大きく外れるものだった。しかし主人公を苛む魔物の幻覚や、群衆の動きがピタッと止まったユニオン駅でのダンスシーンなど、ファンタジックなイメージを忍ばせてギリアムらしさを堅持し、作品は好評を獲得した。そしてなにより、アメリカでの興行収入4,200万ドルを記録し、ギリアムに『12モンキーズ』への展開を与えたのだ。 ◆『ラ・ジュテ』とのドライな関係性 『12モンキーズ』もまた、他人の脚本によるスター俳優主導型の作品だが、その発生はユニークを極める。本作の脚本にはベースとなる既存作が存在し、オリジンは1969年に発表された『ラ・ジュテ』というフランスの中編映画で、ワンシーンを除く全編をモノクロのフォトモンタージュで構成した実験的な古典である。その独自性と完成度は作家のJ.G.バラードをして「独自の慣例をゼロから創造し、SFが必ず失敗するところを、この映画は意気揚々と成功する」と高く評価している。 舞台は第三次世界大戦による地表汚染によって、生存者が地下室で生きるパリ。地下収容所に囚われている主人公は、過去と未来に救いを求め、食料やエネルギー源を輸送できる時間のルートを確立する計画の実験台となる。選ばれた理由は、過去に鮮明なイメージを持っていること。彼は子どもの頃、両親と一緒に訪れたオルリ空港で男の死を目撃するという、鮮烈なイメージを抱いていたのだ。 時間移動による人類滅亡の回避と、その結果あきらかとなる主人公の鮮烈な過去イメージの正体など、『12モンキーズ』はプロットにおいて『ラ・ジュテ』を換骨奪胎させている。起点は同作に心酔する製作総指揮のロバート・コスバーグが、監督であるクリス・マルケルを説得し、ユニバーサルに権利を買わせて長編作品へとアダプトしたのだ。当初はマルケルも関わっていたが、乗り気でなかったことから企画の初期段階で降りている。しかし脚本を担当したデイヴィッド&ジャネット・ピープルズの手腕もあって、完成した『12モンキーズ』は『ラ・ジュテ』の良質なエッセンスに満ち、原点に対するリスペクトを具に感じることができるものとなった。 しかしギリアムはこの『ラ・ジュテ』を撮影時に観てはおらず、自身の作家性をまたぎ、批評家からオリジナルに言及されることに困惑したという。ただ同作を構成したフォトスチールをプリントし、ナレーションテキストを採録した写真集“La Jetee : ciné-roman“は目にしていた。そこでギリアムは、あえて似たようなイメージを回避し、『ラ・ジュテ』の成分はあくまでデイヴィッドとジャネットがオリジンより抽出したものと割り切り、自身は意識的に同作との差別化を図っている。 筆者(尾崎)はこれまでに2度、ギリアムにインタビューしたことがあるが、コンピュータに支配された世界で、複雑なゼロ定理解析を強いられるプログラマーの悲劇を描いた『ゼロの未来』(13)の取材では、「どうせお前らは本作を『未来世紀ブラジル』と比較するつもりだったんだろ? だからあえて違うものを撮ったんだ。私がやっている作品は、どれも総じて自分が見えている世界を、ひたすら歪めて表現しているんだよ」 と、既存のイメージに縛られることを嫌い、それを強調する姿勢を示していた。笑いの絶えないインタビューだったが、ささやかながらも筆者はそこに「戦う映画監督」の気性を垣間見たのである。このことからもギリアムは『12モンキーズ』が己れのイマジネーションを飛び超え『ラ・ジュテ』に誘引されることを好まなかったのは容易に想像できる。たとえそれが雇われ仕事であっても、自身の持つアート性を封じたくはなかったのだろう。 ちなみにギリアムが『ラ・ジュテ』に接したのは、『12モンキーズ』製作後のパリでのプレミアで併映されたものだったという。作品自体は素直に称賛しており、編集の技と、博物館の剥製が次々と映し出されるイメージが傑出していると答えている。 テリー・ギリアムが『12モンキーズ』撮影以前に読んだとされる『ラ・ジュテ』のフォトブック“La Jetée : ciné-roman“。映画本編のショットとは仕様テイクや配置が一部異なっており、本書は今でも独立した価値を持つ。(筆者所有) ◆ギリアムとブルース・ウィリス ところで今回のザ・シネマにおける『12モンキーズ』の放送は、俳優ブルース・ウィリスの特集に連動したものだ。そこでおあつらえ向きに、テリー・ギリアムが彼についての称賛を2015年に出版した自伝“Gilliamesque: A Pre-posthumous Memoir”(日本未刊行)の文中にて触れているので採り上げたい。ウィリスの起用は彼がギリアムと仕事をしたがっていたことに端を発するが、ギリアムはギリアムで『ダイ・ハード』(1990)で彼が演じるマクレーン刑事が、妻に電話をしながら足の裏に刺さったガラスを抜く、タフガイが弱さを見せるシーンがお気に入りだったという。それが実際にウィリス会い、彼自身のアイディアによるものだと知ったことで、がぜん自作に出て欲しいとなったのだ。ギリアムはこう綴っている、 「私は“ブルースにはスーパースター性は必要ない”と提唱していた。彼には何も持たずに撮影に来てほしい俳優なのだ。そして『12モンキーズ』では、ジムを備えたトレーラーハウスをセットに持ち込むことで、かろうじてそれに応えてくれた。実際のパフォーマンスに関しては、彼は確かに見事な成果をあげてくれた。そしてコンドームのようなスーツを着させられることに、自身が何らかの抵抗を感じていたとしても、彼はそれを私に決して話すことはなかったんだ」 相変わらず人をおちょくったような書き振りだが、ウィリスが現役を退いた今となっては、ギリアムなりの愛に満ちた称揚が胸に沁みるのである。■ 皮肉と自虐と攻撃性に満ちた内容で、読み手をグイグイと惹きつけるテリー・ギリアムの回想録“Gilliamesque: A Pre-posthumous Memoir”。日本でもこのパンチの効いた装丁のまま、翻訳出版されると嬉しい。(筆者所有) 『12モンキーズ』© 1995 UNIVERSAL CITY STUDIOS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2024.02.28
芸術の追求か、マーケティングの残骸か——『エクソシスト ディレクターズ・カット版』
『エクソシスト ディレクターズ・カット版』(本稿では以下『DC版』)は、悪魔に取り憑かれた少女リーガン(リンダ・ブレア)を救うため、母親クリス(エレン・バースティン)と二人の司祭ーメリン神父(マックス・フォン・シドー)そしてカラス神父(ジェイソン・ミラー)が凄絶な戦いに挑む史上最高の超常現象ホラー『エクソシスト』(1973 /本稿では以下『劇場公開版』)に約11分間の未公開シーンを追加した、ランニングタイム133分の拡張バージョンだ。 拡張とはいえ、いずれの追加シーンも『劇場公開版』の編集段階において存在したものだ。それらは配給元であるワーナー・ブラザースの指示によって改善点を指摘され、監督であるウイリアム・フリードキンが応じて再編集し、122分に短くしたものが初公開された。しかしこの『劇場公開版』を原作者であるウィリアム・ピーター・ブラッティは快く思っておらず、ことあるごとに、 「作品の精神を損ねた。カットして公開したのは間違いではなかったのか?」 と、フリードキンを責め苛んだという。 そんな状況に転機が訪れたのは1998年、イギリスBBCによって『劇場公開版』の25周年ドキュメンタリー『エクソシスト THE FEAR OF GOD』が製作され、この番組と併せて、未公開フッテージへのアクセスが認められたのである。そのときフリードキンは、映画界の動向として当時活況を呈していた、劇場公開とは違うバージョンをDVDで発表するムーヴメントにならった。そして『劇場公開版』をワークプリント時の状態に再編集することで、長い間の軋轢としてあった、ブラッティの意向に歩み寄る姿勢を見せたのだ。 こうして2000年に生み出された『DC版』は『The Version You've Never Seen』と題されて劇場公開、ならびにVHSとDVDでリリースされ、2010年には『Extended Director's Cut』と銘打ち、細かな変更を加えたバージョンをDVDとブルーレイで再リリースした。後者が今回の放送バージョンである。 ・『エクソシスト』撮影中のウィリアム・フリードキン(右)とリンダ・ブレア(左) ◆『ディレクターズ・カット版』に追加された要素 以下は実際に同バージョンをご覧になった方に向けて、具体的な追加シーンを列挙しておきたい。『劇場公開版』『DC版』問わず盛大なネタバレを含んでいるので、まずは本編を観てほしい。もっとも、いま『エクソシスト』に何の予備知識も持たずに接することができる、そんな幸福な人間がどれだけ存在するのかは知らないが。 【1】『劇場公開版』はイラクの採石場で、考古学者でもあるメリン神父が悪魔の彫像を発掘するシーンから幕を開ける。しかし『DC版』では、ジョージタウンにあるマクニール家を示すオープニングから始まる。 【2】リーガンの誕生日にクリスが夫に国際電話をかけたさい、「私は20分間も、このクソラインにいたのよ!」と交換手をなじるセリフがあるが、『DC版』では省略されている。 【3】リーガンの異常行動が何に起因するものなのかを調べる、彼女の診療シーンが追加された。同シーンではリーガンはマクニール医師に粗暴な振る舞いをして憑依の兆候を示し、クリスがリーガンに「お医者さんがただの神経症だと言ったじゃない」と伝えるシーンの根拠となる。 【4】クリスが撮影から自宅に帰って屋内を歩き回るシーンでは、悪魔の顔や彫像の画、新しい効果音や音楽などのデジタルエフェクトが追加。しかし『Extended Director's Cut』では、リーガンのドアに現れる悪魔パズズの顔の1つの効果が削除されている。 【5】リーガンが逆さまの状態で階段を駆け降りてくる、衝撃的な「蜘蛛歩き」のシーンが『DC版』に挿入された。同シーンではワイヤーがデジタル除去され、口から血をながしながら迫るテイクが使用されている。 【6】リーガンが精神科医の股間をつかむ前に、うなり声を発して悪魔(アイリーン・ディーツ)に変身する彼女の顔の新しいデジタル効果が追加。 【7】カラス神父がミサに行く前、父親と話そうとしているリーガンのテープを聞くシーンが追加された。 【8】シャロン(キティ・ウィン)が悪魔のうめき声をチューニングしようとしている新しいシーンと、メリン神父の弱さをほのめかす、クリスとの短い瞬間のやり取りが追加。 【9】カラス神父とメリン神父が悪魔祓いをおこなうために階段を上るシーンに、新しい音楽と部屋に入る前の短いショットが追加。メリン神父はクリスにリーガンのミドルネームをたずね、テレサだと答えた彼女に「素敵な名だ」と言うシーンなど。 【10】カラス神父とメリン神父が階段に腰を下ろし、「なぜリーガンが悪魔に選ばれてしまったのか?」を問答するシーン。「人間は獣のように野卑で下劣な存在で、醜悪なのだと思い知らすためだ」とメリンがカラスに諭すやりとりが『DC版』に加えられた。 【11】カラス神父が悪魔に憑依されている瞬間に窓を見上げると、彼の母親の顔がディゾルヴする新しいデジタル合成ショットが追加された。 【12】クリスがダイアー神父(ウィリアム・オマリー)にカラス神父のメダルを渡すと、彼はそれを彼女に返し、「あなたが持っておくべきだ」と言う場面。加えてリーガンがダイアー神父に微笑んで手を振り、ダイアー神父が手を振りかえす短いシーンが追加。 【13】『劇場公開版』では【12】で終わるエンディングを、ダイアー神父とキンダーマン刑事(リー・J・コッブ)の対話で終わるようにしている。キンダーマンは映画『カサブランカ』(1942)を引用し、「これは美しい友情の始まりだと思う」と結び、マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」のサウンドは、彼らが立ち去った後のクレジット内で流れる。 ◆原作者はなぜ『劇場公開版』を嫌ったのか? これらの多くは原作者のブラッティが物語に不可欠だと感じたシーンであり、特に【10】は、この映画の本質に触れており、小説家であるブラッディには自身の感覚を維持するために重要なものだった。しかしフリードキンは「それは本編を通じて自分が演出で語っている」と、真っ先にこのシーンを削除し、軋轢を決定づけてしまったのである。 またカットは他にも【11】ならびに【13】について、カラス神父が窓から落下して悪魔を道連れにした、キリストのような犠牲的行為を偲び、キンダーマン刑事とダイアー神父は亡くなった友人を思う。それはブラッティの当初のヴィジョンにはるかに近いものといえた。それさえもフリードキンは容赦なく切り刻んだのである。『DC版』は、経年をへて角のとれたブラッティとフリードキンの、ある種の「和解バージョン」と捉えれば、そこまで禁欲的に否定することもないのかもしれない。フリードキンは言う、 「ブラッティはいつも“普通の生活が再開するところを見せるべきだ“と考えていた。だからこのエンディングの再設定は、和解のためのものと言えるかもしれない。僕は変わったんだ。あの頃の自分にはもっとハードなエッジがあった。今はそのエッジがない」 ◆老画家の心残り いっぽうで、このエンディングの正当性について疑問を抱いた人物がいる。権威ある映画評論家の一人として知られるロジャー・エバートだ。彼は『DC版』の初公開時、この追加エンディングを、 「パーティーが終わった後もしゃべり続ける客のようなものだ」 と評し、フリードキンに対し、 「このバージョンは芸術というより、マーケティングと関係があるかもしれない。なぜならスタジオの考え方には明白な根拠がある、劇場再公開の口実となり、すでに旧版を所有している人たちにもビデオが売れるからだ」 と伝え、フリードキンの真意を引き出そうと彼を挑発している。監督はエバートの挑発にこう答えた。 「『DC版』が気に入らないと言うのはかまわない。だが、これをマーケティングと結びつけるのは的外れだ。このバージョンを公開するために、私たちはスタジオ(ワーナー・ブラザース)の壁を乗り越えなければならなかった。連中が我々を憎んでいるのは、我々が『エクソシスト』の編集をめぐり、彼らに強権を行使してさまざまな軋轢を呼び込んだからだ」と。 そして、自分にとって過去作への再アクセスがどういった意味を持つのか、フランスの画家ピエール・ボナールのエピソードに喩えてこう語っている。 「ボナールは老年になってから、絵筆を持ってルーブル美術館に入り、自分の絵に手を加え始めたという話を聞いたことがあるかい? 彼は追い出されたそうだ。でも“あれは自分の絵だ!“と言って、今とは違う見方をしていた。私も同じだ。もしチャンスがあれば、私は戻って自分のやったことをすべてやり直したい」 このエピソードが正しい美術史に基づくものなのかはここで論議しないが、言葉どおりフリードキンは自作『フレンチ・コネクション』(1971)や『恐怖の報酬』(1977)そして『クルージング』(1980)といった過去作のレストアに晩年を費やし、ときにそのグレーディングをめぐって撮影監督であるオーウェン・ロイズマンの反感を買ったりもした。しかしフリードキンはそんなロイズマンを招いて『エクソシスト』の4Kレストアを監修し、2023年8月7日にこの世を去っている。■ 『エクソシスト/ディレクターズ・カット版』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2023.12.29
鮮やかに遂げた、ストリート・レース映画の復権 —『ワイルド・スピード』
◆誰もが知るミッション遂行シリーズの“起点” 米秘密機関の特命を受け、国益をおびやかす組織や治安を乱す敵の行動を、車を駆使して阻止するアクション映画シリーズ『ワイルド・スピード』。共にミッションを遂行する仲間を「ファミリー」と称し、なによりチューンドカーによる物理的法則を無視したアクション描写など、マイルドヤンキーをたぎらせる要素に満ちたこのフランチャイズは、2024年の現在までに10本のシリーズ正編と1本のスピンオフ作品を生み、世界じゅうのファンに支持されている。 ハリウッド映画の数ある長寿シリーズの中で、もっとも理屈を必要としないパッショナブルな臭気を放ち、また死闘を繰り広げた相手が味方となって参入したり、次回作へと続くドラマの引きの強さなど、いずれも我が国の「少年マンガ」を思わす属性に鼻腔をくすぐられる人も少なくないだろう。 とりわけこのシリーズが持つ、少年マンガのテイストに近い要素は、ゆったりと大きな路線変更のカーブを描きながら、現在のスタイルを形成している点ではないだろうか。柔道マンガが野球マンガになった『ドカベン』や、コメディがシリアス格闘ものへと変遷していった『キン肉マン』など、長期にわたり人気を博したコミックスに同様のケースが見られる。『ワイスピ』(『ワイルド・スピード』の略称にして愛称)もそれらと同じく、2001年公開の1作目は現在と異なるジャンルに足場を置いていたのだ。 ◆道を切り拓いたロジャー・コーマンへのリスペクト 段取り的だが、ここで本作のストーリーを概説しておきたい。高額な積荷を狙い、ロサンゼルスでチューンドカーを使ったトラック・ジャックが頻発。一連の犯行にはストリート・レース界のキング、ドミニク・トレット(ヴィン・ディーゼル)が関与していると睨んだLAPDのブライアン・オコナー(ポール・ウォーカー)は、ドミニクとの接触を図るためにレーシングクルーとして潜入捜査に踏み込む。だがレースを経て彼との仲間意識を強めたブライアンは、自分の忠誠心がどこにあるかというアイデンティティ崩壊へと追い詰められていく。 こうしたストーリーからも明らかなように、本作はもともと公道で違法にレースをおこなう「ストリート・レース」というアウトロー文化を描いた作品だ。映画と同レースとの関係は古いもので、1947年に公開された『The Devil on Wheels』(日本未公開)を起点に40年代後半から70年代のハリウッドで量産され、メジャーなところではジェームズ・ディーン出演による『理由なき反抗』(1955)あたりを連想する人は多いだろう。 特にこのジャンルに関し、独自の嗅覚でもって量産展開を果たしたのは、B級映画の帝王と呼ばれた映画監督/プロデューサーのロジャー・コーマンだ。彼は若者の反抗心がエクスプロイテーション・シネマ(搾取映画)の題材として興行的価値を有すると判断し、ストリート・レースの血統を持つ『速き者、激しき者』(1954)や『T-Bird Gang』(1959/日本未公開)、そして『デス・レース2000年』(1975)といったカーアクション映画を製作。カーレース映画というジャンルの広義な拡張と啓蒙を担ってきた。 『ワイルド・スピード』は、そんなコーマンプロデュースの『速き者、激しき者』から原題“The Fast and the Furious”を、そして『T-Bird Gang』からストーリー設定を一部借りることで、本作が置かれるべきジャンルの位置付けと、先導者であるコーマンに対する敬意をあらわしている。ちなみに後者のストーリーは、白いサンダーバードの強盗団に父を殺された息子が、警察から送り込まれた囮として連中に接近し、復讐を果たすというものだ。 本作の監督を担当したロブ・コーエンによると、ニューヨークのクイーンズ地区でおこなわれたストリート・レースの記事を読んだことが企画の発展につながったという。そして「実際の現場を見て圧倒された」と語り、その迫真性は映画の中で不足なく描写されている。 加えてこの映画の成立に寄与したのは、当時の最新技術だ。中でも俳優の運転映像を可能にするため、時速120kmでチューンドカーの実物大レプリカを牽引することができる特殊リグを導入したり、またデジタルツールがプラクティカルなカーショットを補強するなど、シリーズの礎となるメイキングプロセスを本作で構築している。 ただコーエンはストリート・レースの違法性をいたずらに正当化することなく、非合法な娯楽に興じる者をトラック・ジャックをはたらく犯罪集団という設定にリンクさせており、そこに監督の道徳感が顕在している。ゆえに現在まで続くシリーズでの正義行動は、ドミニクの贖罪が発露だと考えると符号が合う。悪の道はたやすく、正義の道は果てしなく困難であることを示すかのように。 ◆当時の車事情と、新録吹き替え版の意義に思う そんな大きな軌道変更の末にミッション遂行路線を邁進している『ワイスピ』だが、現在にいたるも維持している制作姿勢がある。それはいかに大きなアクションシークエンスであろうと、メインとなる車だけはプラクティカルでの撮影が主とされている点だ。 筆者はシリーズ8作目『ワイルド・スピード ICE BREAK』(2017)のワークプリントを、配給元である東宝東和の会議室で観た経験を持つ。これは未完成のバージョンだが、逆に言えば劇中のどの要素がデジタルで、どの要素が実物なのかを視認できる絶好の機会を与えてくれる。たとえばクライマックスにおける原子力潜水艦は全てがCGによるもので、そこに絡むドミニクらファミリーたちの車は、いかにアクロバティックな走りをしていようが、ほぼライブアクションでの撮影が徹底されているのだ。当然のポリシーといえばそうだろうが、。ヴァーチャル・プロダクションの進化によって、全ての要素がデジタル由来のものといえるような状況下にありながら、そこには最初の『ワイルド・スピード』の創作精神が今も脈づいていることを実感できる。 製作からじき四半世紀が立とうとし、立派なクラシックとなった感のある本作。こうして改めて観直すと、時代なりの車事情をそこに感じることができる。それぞれの登場人物のキャラクターに応じた車種の選択はもとより、ストリート・レースにおいては安価でチューニングベースとして扱いやすいという事情もあり、日本車の存在感が際立つ。またクライマックスでのブライアンとドミニクの直接対決レースでは、前者のスープラが後者のダッチ・チャージャーと互角の勝負を見せるなど、シェアを拡げる日本車とアメリカンカーとの代理戦争を見るかのようだ。 このたひザ・シネマでは、本作『ワイルド・スピード』の新録吹き替えを実施し、シリーズに統一感を与える独自の試みに挑んでいる。時代に応じたクラシックの吹き替えは海外古典文学の「新訳」に等しく、非常に生産性の高い行為だと筆者は実感している。ただそれを肯定するいっぽう、個人的には初期作をヴォイスキャストで一貫させることに、1作目の独立性が目減りしてしまうような寂しさを覚えなくもない。それだけ今と性質の異なる『ワイスピ』として、本作固有の価値と存在意義はとてつもなく大きいのだ。■ 『ワイルド・スピード』© 2001 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.09.27
4Kレストアが引き出す、天才リック・ベイカーの造形マジック —『キングコング』—
◆美麗によみがえった1976年リメイク版 おそらく今回のキングコング特集放送において、これが最大の目玉と言えるのではないだろうか。この1976年公開『キングコング』4Kレストア版、日本での放送はザ・シネマが初となる。35mmオリジナルネガから4KスキャンしたDCP素材を、現権利を管理するスタジオカナルが修復し、パラマウント・ピクチャーズがカラーグレーディングをほどこし、イタリアに拠点を置くフィルム修復ラボL'Immagine Ritrovataがレストアをおこなった、2022年製作の放送マスターだ。これまでのHDバージョンに比べ、シャープネスと明るさが段違いに強化されたものになっている。 2023年の現在、巨大モンスター映画の古典『キング・コング』(1933)のリメイクといえば、多くの人がピーター・ジャクソン監督の手がけた2005年の同名タイトル作を真っ先に思い浮かべるのではないだろうか。オリジナル版の設定をそのまま受け継ぎ、ストップモーション・アニメーションというマジカルな手法で撮られたコングをCGIでリクリエイトした同作は、ジャクソン監督が偉大なるファンタジー文学「指輪物語」を『ロード・オブ・ザ・リング』三部作(2001〜2003)に発展させたような、愛情深いアプローチこそが支持の根幹にある。 そのため、最初のリメイクである本作の存在は、郷愁やレトロスペクティブというテコを用いて強引にこじ開けないと、あまり思い出してもらえない存在になってしまった。加えて、この映画を構成する要素に同時代性が密接に絡み、それを詳述しないことには、もはや存在価値が掴みづらい。人喰いザメの猛威を描いた『ジョーズ』(1975)を起点とするパニック映画の興隆が製作動機となったことや、大物プロデューサーのハッタリに満ちた興行感覚。また当時のエネルギー危機を反映した脚本の現代的アダプトなど、それらは映画本体の画質を向上させただけではわかりかねるだろう。むしろ高精細になったことで、アニマトロニクスで創造されたコングの作り物感があらわになり、興醒めするかもしれない。 しかし愛憎半ばに揶揄しながらも、この映画の最大のセールスポイントは、油圧可動によるコングの12メートルに及ぶラージスケールの巨大モデルで、これは現代においても記録的な映画撮影用のモンスターのモックアップとしてレコードを持つ。全高12メートル、重量6.5トン 3,100フィートの油圧ホースと4,500フィートの電気配線を含むアルミニウムのスケルトンによって構成されたそれは、歩行のみならず腰を捻り回すことができ、6人の操演者によって制御された油圧バルブによって腕を動かすことができた。その表皮は有名なかつらメーカーであり、コングのヘアデザイナーであるマイケル・ディノが担当し、アルゼンチンから輸入された2トンの馬の尾でコングの体毛を作成。作業に数ヶ月をかけ、100人のアシスタントが馬の毛を4種類の網に織り込み、それをラテックスのパネルに取り付け、モデルの金属フレームに接着している。 そんなメカニカルコングのデザインは、特殊効果アーティストのグレン・ロビンソンとイタリアの特殊メイクアーティスト、カルロ・ランバルディによって考案された。製作者であるイタリア人プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスは、もともと特殊効果担当として旧知の仲だったイタリアン・ホラー映画の巨匠、マリオ・バーヴァにコンタクトをとった。しかしバーヴァはイタリアを離れてプロジェクトに参加することを固辞し、代わりにバーヴァがランバルディを推薦したのだ。 またランバルディは、MGMの建設部門でロビンソンの指揮下、ヒロインを演じたジェシカ・ラングに絡むコングの機械アームも手がけている。それはケーブル操作によって、ラングを持ち上げるパフォーマンスを可能にしたのである。ところが安全装置がコングの指に取り付けられているため、手がきつく閉じすぎるのを防ぐ機能が、4Kクラスの解像度だと隠すことなく視認できてしまう。ラージスケールのモックアップといい、どちらも撮影現場で思うように可動せず、またロングショットではいかにも作り物然とした外観が懸念されたのか、劇中ではわずか15秒間程度しかフレームに写り込んでいない。 ・撮影現場での巨大な実物大キングコング ◆巨大アニマトロニクスとエイプスーツの実像に迫る しかし何より、このリメイク版『キングコング』のプロジェクトには致命的な欠点があった。当初、オリジナル版との差別化を明白にするために、コングのデザインがゴリラからかけ離れ、原始人のようなヒューマノイド型になっていたのだ。 これに異を唱えたのが、特殊メイクの第一人者リック・ベイカーだ。ベイカーはこのリメイク版の話を明友ジョン・ランディスから仄聞し、このありえないデザイン変更を嘆いた。そして「コングのモックアップは実用性に乏しい」と、この映画が失敗作になる確信を抱いていたのである。だが長年にわたってエイプスーツを作ってきた自分なら、愛するコングを無惨な運命から救えるのではと、プロジェクトへの参加を受諾。そしてデザインの根本的な軌道修正のために、ラウレンティスや監督のジョン・ギラーミンらを自宅に招き、自作のゴリラスーツ着込んで「コングはこうあるべきだ」というプレゼンを仕掛けたのだ。 ベイカーのパフォーマンスをいたく気に入ったラウレンティスは、プリプロダクションで彼をランバルディと競合させ、コングのコンセプトスーツを製作させた。そのさいランバルディはコング役のアルバート・ポップウェルに適合するように、かたやベイカーは自分自身を念頭に置いてコングをデザインしている。そして二人が半仕上げのスーツを提示したところで、ラウレンティスは後者のものを選んだのだ。ベイカーは『キングコング』がピントの外れた原人映画になることを防いだだけでなく、タイトルキャラクターをメインで創造する主導権を得たのである。 ◆1976年版はモデルアニメのアンチテーゼだったのか? 『キングコング』における、これらのプラティカルな取り組みは、高度な特殊効果に目なれた当時の観客に目配りすると同時に、ストップモーション・アニメーションに対するアンチテーゼでもあったとも言われている。しかし実際は予算と制作期間の都合から必然的にきたもので、ラウレンティスは企画当初、アニマトロニクスとストップモーションの併用を漠然と考えていたようだ。事実、モデルアニメーションの大家であるレイ・ハリーハウゼンに打診をしたものの、ストップモーションアニメにかけられる期間が足るものではなかったため、ハリーハウゼンはオファーを蹴っている。 こうした弱点を補強する形で、実物大のモックアップを作成し、またオリジナル版のエンパイア・ステート・ビルに代わって、当時新しく建設された世界貿易センタービルをクライマックスの舞台にすることで、この毀誉褒貶のリメイク版は現代ナイズを正当化させたのである。■ 『キングコング【4Kレストア版】』© 1976 STUDIOCANAL
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COLUMN/コラム2023.08.09
『北京原人の逆襲』私史 ―怪獣映画少年はいかに本作を愛したのか―
◆香港を破壊する巨大猿人のファーストインパクト 天突くほどの巨大な古代猿人が、香港の街を破壊するモンスターパニック映画『北京原人の逆襲』(監督/ホー・メンホア)は、『道』(1954)『天地創造』(1966)のディノ・デ・ラウレンティス製作、『タワーリング・インフェルノ』(1974)のジョン・ギラーミン監督によるリメイク版『キングコング』(1976)の製作に触発されて始動した企画だ。3000万ドルという、当時としては巨額のバジェットを誇る前者に対し、わずか50万ドル(600万香港ドル)という低予算で対抗したにもかかわらず、本家よりもはるかに面白い作品となった。 この「『キングコング』以上に面白かった」というのは、本作を語るうえでテンプレのごとくついてまわる常套句だが、決して盛ったものではなく、日本公開時に小学生だった筆者(尾崎)がオンタイムでそれを実感している。なにしろ開巻からいきなり巨大猿人“北京マン”(吹替版本編での呼称に準拠。以下同)が登場し、村を容赦なく蹂躙するのを見せられては、始まって30分経たないと全体像を見せないキングコングの分が悪くなるのも当然だ。加えて本作のヒロイン、野生美女サマンサ(イヴリン・クラフト)の気持ち程度のアニマル革をまとった半裸姿も、思春期前の少年には相当に刺激が強いものだった。 そしてなにより、半端でないスケールのミニチュアと着ぐるみを駆使した同作の特殊効果が、驚くほど日本人である自身のDNAに馴染むものだったのだ。 それもそのはずで、本作の特技撮影は『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967)の特技監督として知られる有川貞昌を筆頭に、東宝の優れた特撮スタッフが製作元のショウ・ブラザースに招聘されて担当しているからだ。 当時の東宝怪獣映画は、円谷英二の死去にともなう1969年の特殊技術課の廃止以降、ゴジラシリーズを子ども向けの低予算映画としてシフトチェンジさせ、残存スタッフでその命脈を保ってきた。それも1975年の『メカゴジラの逆襲』で休眠期に入り、本格的な怪獣映画の製作は1984年の『ゴジラ』まで潰えてしまう。 その間『日本沈没』(1973)や『ノストラダムスの大予言』(1974)などのパニック映画は折に触れて製作されていたし、私的にはまだ見ぬ『スター・ウォーズ』(1977)の公開に胸躍らせて飢餓感はなかったが(同作の日本公開は1978年7月1日)、それでも怪獣映画こそ心の花形だった少年は、なんともいえない心の空洞を感じていたのだ。 そんな状況下で、東宝のサウンドステージの数倍はあろうかというショウ・ブラザースのスタジオに、香港の街をミニチュアで精密に再現し、巨大なクリーチャーを大暴れさせた同作は、黄金期の東宝怪獣映画を彷彿とさせるものだったのである。 ◆東宝特撮映画の道筋を変えたかもしれない存在 ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)は1950年代後半から〜1970年代末まで香港映画の黄金時代を牽引した映画会社で、技術的な発展を視野に入れた同スタジオは、日本の撮影スタッフを積極的に招き入れていた。『北京原人の逆襲』は同社にとって初の本格怪獣映画として、日本の優れた特撮スタッフが持つノウハウを希求したのだ。 後年、筆者はこの映画の特撮班に助監督としてたずさわった川北紘一氏と、インタビュー取材やトークショーの相手役として何度かお仕事をご一緒させていただき、この『北京原人の逆襲』について話を聞いたことがある。そのとき川北監督は、「当時は映画の仕事がなかったからさ、ついていくしかなかったんだよ」とニコニコ笑いながら参加の動機を答えていたが、事実、それは先に記した東宝特撮映画の動向に裏付けられるだろう。ただこの仕事を境に川北は『さよならジュピター』(1984)の企画にほどなく関与し、また東宝の田中友幸プロデューサーが主導してきた「ゴジラ復活委員会」に尽力し、後に平成ゴジラシリーズの特撮監督を担っていく。こうした怪獣映画ルネッサンスの布石として、『北京原人の逆襲』の影響力は小さくないものと筆者は捉えている。いささか極論かもしれないが、1976年のあの段階で川北の香港渡航がなければ、以後の東宝特撮映画の流れはもう少し違ったものになっていたかもしれない。 しかしこうして力説するほどに『北京原人の逆襲』が重要視されているかというと、当方の熱量とはいささかの温度差がある。 『キングコング』の対抗馬として世に出ながら、本作は撮影スケジュールの遅れから本家より半年後の公開となった。そのもくろみ外れは興行に影響し、初公開後の1週間でわずか120万香港ドルの興行収入しか得られなかった。そして限定的なインターナショナル公開の後、1979年にはアメリカでは『GOLIATHON』と改題され、短縮バージョンで短い期間に配給され、知られざるまま消えてしまったのだ。 それから20年後の1999年、『パルプ・フィクション』(1994)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(2019)の監督クエンティン・タランティーノが、当時パートナー関係にあった映画会社ミラマックスをスポンサーにして立ち上げたレーベル「ローリング・サンダー・ピクチャーズ」とカウボーイ・ブッキング・インターナショナルの共同によってオリジナル版が再公開され、全米20か所で深夜上映された。 不遇にあったこの傑作が 晴々しい復権を得た瞬間である。 ◆出藍の誉、ここに極まれり それにしてもなぜ『北京原人の逆襲』に、自分はここまで惹かれるのだろう? 映画の出自が出自だけに、当然ストーリーは『キングコング』の鋳型に収めたような定型的なものだ。興行師が金儲けのために未踏の地で発見した巨大猿人を捕獲し、その存在を見せものにした興行を打とうとする。だが猿人は制御を失い、大都市に放たれて大暴れをする。彼が唯一心を通わせるヒロインの存在といい、どこまでも“美女と野獣”の寓話に忠実である。クライマックスで猿人が、自国を象徴する高層建築によじ登っていくところまで、折目正しく踏襲している。 しかし、こうした類似性に観る側も自覚的であれば「では違う部分はどこなのか?」と比較し、能動的に作品と接していくことになる。だから余計に『北京原人の逆襲』の良点が鮮やかに映るのだ。 また同作の公開時、仮想敵だった『キングコング』はすでに公開から1年が経過しており、比較対象として俎上にさえ上がらなかったことや、このギラーミン版はむしろ、1933年製作のオリジナル版『キング・コング』との比較にさらされ、作品自体の評価がネガティブに固定してしまった。それが『北京原人』の高評価の底上げになったといえなくもない。 また当時はそこまで思慮深く意識していなかったが、本家『キングコング』に先駆けて公開してやろうという『北京原人の逆襲』の哲学は、東宝が『スター・ウォーズ』公開までの間に『惑星大戦争』(1977)を製作したのと似たものを覚えてしまう。そんな同作のエクスプロイテーションを標榜する姿勢に、肌感覚で同じようなテイストを感じたのだろう。 そして日本を代表するベテラン造形師・村瀬継蔵が創造した北京マンのままならぬ容姿も、「猿人系モンスターはブサイクである」という東宝怪獣の屈折した美学にのっとっており、そこもまた同作に肩入れする要素だったといえる。 これらが複合的に撚り合わさり、『北京原人の逆襲』は当時の少年の心をグッと捉えたというのが、オンタイムで同作を観た者の剥き身の体験談である。映画史には残らないかもしれない、しかしこの映画の存在は、怪獣映画ジャンキーだった筆者の私史にしっかりと刻みつけられている。■ 『北京原人の逆襲』© 2004 CELESTIAL PICTURES LTD. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.07.27
“生身の戦い”に勝るものなし『レイジング・ファイア』
◆香港アクションの旗手ベニー・チャン最後の作品 正義感に燃えるチョン警部(ドニー・イェン)は、何年も追っていた凶悪犯ウォンによる麻薬取引現場への踏み込み捜査を直前に外され、代わりに向かった捜査員らが何者かによって殺害、麻薬も奪われてしまう。そして容疑者として浮かび上がったのは、チョンに恨みを抱く元警官のンゴウ(ニコラス・ツェー)だった……。 2021年公開の香港・中国合作によるアクション映画『レイジング・ファイア』は、かつては同じ警察組織で正義を全うしようとした二人の男が、善と悪とに立場をたがえ、怒りの拳を交える対立を描いた、身を切るような悲壮さに満ちた復讐劇だ。 本作はもともとメキシコの麻薬カルテルと香港警察との対立を描いたストーリーを映画化する予定で、撮影もおこなったが、製作費が莫大となって企画がペンディング状態に陥った。そんな窮状を見かねたドニー・イェンが監督のベニー・チャンを励まし、映画は軌道修正されて『レイジング・ファイア』として完成をみたのである。 だが残念なことに、ベニー・チャンは映画が公開される前年の8月に上咽頭がんのため亡くなり、作品の興行的成功を見届けることはできなかった。『香港国際警察/NEW POLICE STORY』(2004)を筆頭とするジャッキー・チェンとの一連のアクション作品や、ラリー・コーエン原案の携帯スリラー『セルラー』(2004)のリメイク『コネクテッド』(2008)など、堅実な職人ぶりで幅広い層のファンを得ていただけに、早逝を惜しむ声は多かった。そんなベニーの形見のような作品として、本作は忘れがたい印象を放つものとなったのである。 特に監督と同い年だったドニーの落胆は大きく、「ベニーの死は、人生には多くの悲しみを目撃しないといけないことや、手放さなければならないことがあるのを悟らせる。私は今も彼の笑顔を感じて、自分のもとを去っていったような気がしないんだ」と語っている。テレビドラマ『クンフー・マスター 洪熙官』(1994)や、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)のテレビ版リメイク『精武門』(1995)で仕事を共にし、以来、違う道程で同時代を走ってきた仲間への、惜しみない賞賛を含んだ別れのメッセージだ。 ◆善と悪とに袂を分つ、かっての同志 二人の警察官が袂を分かち、戦い合うという設定は、ハリウッド映画では定番ともいえるエモーショナルなものだ。たとえばコンピュータハッカーたちの決別と対立をテーマにした『スニーカーズ』(1992年 監督/フィル・アルデン・ロビンソン)や、秘密任務の犠牲となった部隊が国家に復讐をなそうとする『ザ・ロック』(1996年 監督/マイケル・ベイ)などが、その代表格といえるだろう。最近だと、キャプテン・アメリカとアイアンマンが正義行動の行方をめぐって対立する『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年 監督/ジョー&アンソニー・ルッソ)が、この条件に合致するものとして記憶に新しい。 このようなテンプレートはアクションを際立たせ、特に顕著なのは映画のクライマックスで展開される、市街地での白昼の銃撃戦だろう。同シークエンスはマイケル・マン監督によるクライムアクション『ヒート』(95)を彷彿とさせるもので、発砲が始まると同時にかの名作を連想した人は少なくないだろう。奇しくも『ヒート』がアル・パチーノとロバート・デ・ニーロという二大俳優の顔合わせで耳目をさらったように、ドニーとニコラスの15年ぶりの共演も、これになぞらえることができる。 ドニー・イェンとニコラス・ツェーの共演は、香港の伝統的アクションコミックを映画化した『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』(2006)以来となる。単に同じ作品に出演したというだけならば、二人には2007年公開の『孫文の義士団』(監督/テディ・チャン)があるが、本作では二人が同じフレームに収まり、そして彼にアクション指導をしたという、密接なコラボレーションを果たしているのだ。 そして『レイジング・ファイア』は『ヒート』の反復などではなく、さらにそこから先を大胆に攻め込んでいる。それが最後の、ドニーとニコラスが教会で繰り広げる格闘シーンだ。 片や両手にバタフライナイフ、片やスティックを手にした凶器戦から、ステゴロ(素手喧嘩)のバトルへとなだれ込んでいくこの展開にこそ、本作の価値と独自性を実感することができるのだ。そしてかつての盟友どうしが拳を交える、悲壮なクライマックスを繰り広げていくのである。 ドニーがディレクションしたアクションは、持てる力をすべて振り絞って出したようなハイレベルなもので、谷垣健治を筆頭に、ドニーのスタイルを映画に落とし込むことのできる優秀なスタントコーディネーターが配された。その成果は2022年の香港フィルムアワードの最優秀アクション・コレオグラフィー賞(電影金像奨 最佳動作設計)を受賞したことで明白だろう。 ◆ドニー・イェンを体現する劇中のキャラクター なにより筆者はこの最終バトルに、かって『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』のインタビューでドニー・イェンが放った、以下の発言を思い出さずにはおれない。 「このジャンルはワイヤーワークやCGの発達によって、年を追うごとに見せ場の演出がエスカレートしていく。なので、それが常に新鮮であるのはとても難しいんだ。だからこそ、生身の戦いやファイター同士の精神こそが、いつの時代にも新鮮さを保つんだよ」 まさにその言葉を体現するかのような、ドニーとニコラスの一騎打ち。そこにドニー・イェンの役者哲学の実践を見たように感じられてならない。“生身の戦い”に勝る普遍性などあろうか、と——。 なにより、ドニーのアクションに対する真摯で実直な姿勢は、そのまま劇中、聞き取り調査の席で警視監に正義への理念を吐露する、チョン警部にぴったりと重なるのである。 「(警察は)命を懸けて全うする仕事なのか? と若い警官たちは思うだろう。だがいつしか、プライドを持って奮闘することになる。危険を顧みず、犠牲をも恐れない。そして(自分たちがなすべきは)仕事を減らすことではなく、より良い仕事をすることだと考えるのだ」 腐敗した警官組織の中で正しさを維持しようとする主人公の言行は、アクションスターとしてのドニーの哲学に重なっていく。市場の拡大と共に映画のスケールも巨大化したアジア映画において、こうした基本をまっとうするドニー・イェンの姿に、映画においてもっとも重要な不変の魂を感じるのである。 ちなみに本作の最初のバージョンは、ランニングタイムが約3時間におよぶ「ディレクターズ・カット版」が編集で調整され、このバージョンはそれをさらにタイトにまとめたものとなる。カットの影響としては、ニコラス・ツェーの役が本来もっと邪悪な存在だったものが、ややソフトになったとのこと。いつか完全版が公開される日を待ちたい。■ 『レイジング・ファイア』© 2021 Emperor Film Production Company Limited Tencent Pictures Culture Media Company Limited Super Bullet Pictures Limited ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2023.05.29
『ツイスター』に隠顕する“ゴジラ”の存在
◆竜巻を追うストームチェイサーたちの衝突 1996年に公開されたアメリカ映画『ツイスター』は、米オクラホマ州で発生する竜巻(トルネード)に追跡システムを巻き込ませ、動きのジオメトリーデータを得ようとするライバルチームの衝突を描いたパニックアクションだ。物語の性質上、作品には巨大竜巻の猛威が見せ場として用意され、その破壊描写は怪獣映画並みのスケールを放つ。 怪獣映画といえば、本作の監督を務めたヤン・デ・ボンは、初のハリウッド版“ゴジラ”を監督デビュー作『スピード』(94)の後に手がける予定だった。しかし製作費の試算を兼ね、視覚効果のテストフィルムを大手VFXファシリティ(一説にはソニー・ピクチャーズ・イメージワークスと言われている)に作成させたところ、約1億2500万ドルという巨額が計上され(規定の予算は7000万ドルだった)、製作は難航。デ・ボンはプロジェクトを離脱したのである。結果的に侵略SF大作『インデペンデンス・デイ』(96)で大ヒットを記録したローランド・エメリッヒ監督が後を受け継ぎ、1998年に映画『GODZILLA』として完成を見ることとなる。ここで同作の真価を問うことはしないが、『トゥームレイダー2』(03)の取材で筆者が会ったデ・ボンいわく、「あれ(エメリッヒ版)は僕の知っているゴジラではないね。もし機会があるのならば、今でもゴジラ映画をやりたいと思っているよ」と後悔の念をにじませていた。 そのため、デ・ボンはゴジラに対する未練から、似た傾向のパニック映画をでっち上げたのだと思われがちだ。しかし『ツイスター』の企画は1994年から存在し、もともとはマイケル・クライトンとスティーヴン・スピルバーグの『ジュラシック・パーク』(93)コンビによる続投作品として温存されていたものだ。しかしスピルバーグは同作と『シンドラーのリスト』(93)を連作したために監督業の休止期間を置き、デ・ボンは『スピード』を観たスピルバーグから「監督を頼めないか」と打診されたのである。 なによりデ・ボンはシネマトグラファーとしての実績が長く、監督としては遅咲きだった。そのため前途多難なゴジラにキッパリと見切りをつけ、間を置くことなく『ツイスター』へと移行。好機を逃したくないという意識がはたらいたのである。 それでも『ツイスター』に、ヤン・デ・ボンが果たせなかったゴジラの幻像を見る人は少なくない。そこにはエメリッヒの『GODZILLA』が、ファンの望むゴジラ像とかけ離れていたことが起因として存在する。そして後述するが、デ・ボンの描いていた物語設定が魅力的だったことも要素として挙げられるだろう。 しかしながら、この竜巻パニック映画の制作プロセスをたどると「…やはりゴジラは無理だったのでは?」という印象も拭うことはできない。それほどまでに『ツイスター』は、デ・ボンの視覚スタイルにVFXを調合させるのがいかに難しかったかを示しているのだ。 ◆無軌道なカメラワークに竜巻をどう合成するのか? 先述したように、ヤン・デ・ボンはシネマトグラファーとして『ダイ・ハード』(88)や『ブラック・レイン』(89)『レッド・オクトーバーを追え!』(90)などのヒット作に関わり、独自の撮影スタイルを築き上げてきた。カメラモーションは多動的で、遠景から被写体へと寄る広範囲な空撮やドリー移動を好んで用い、加えてドキュメンタルなタッチを標榜し、カメラワークは不規則な動きをともなうシェイキーな傾向にあることを諸作が語っている。常時6〜8台のカメラを同時に駆使してショットを多く得るうえ、アクションと同時に会話が進行する素早い作劇演出を特徴としている。たとえば『スピード』の場合、主演のキアヌ・リーブスにスタントダブルをつけない方向で撮影がおこなわれている。それらの姿勢が『ツイスター』でも応用され、しかもなるべく現場でプラクティカル(実用的)な特殊効果を用い、ライブの臨場感を得ようとしたのだ。 ところが、竜巻の前兆となる曇天や雲の急激な動きの変化などはかろうじてフォローできたものの(不幸にも撮影時は好天続きだった)、さすがに本物をカメラに収めることまではできなかったのだ。そこで全ての竜巻をCGで創造し、それを実景にマッチムーブ(動きを含むプレートどうしを一致させ、合成するプロダクション処理)させる手段をとったのである。 こうした合成を可能にするためには、今でこそ最適なマッチムーブソフトウェアが存在するが、当時はボールのようなオブジェクト(対象物)を設置し場面同期のガイドを得て、マッチムーブ専門アニメーターの職人的な作業が創造を担っていた。だがデ・ボンのような複雑なカメラワークを常道とするものは、こうした手順をいっそう困難なものにさせたのである。 そこで本作では、ショット内に写り込んでいる建造物や木といった実景要素をオブジェクトにして、それらをコンピュータ上で生成した3Dの背景プレートに、2Dソフトでカメラの揺れや不規則なモーションを加えるという、初歩的だが非常に手間のかかるカメラトラッキングで対処したのだ。それらの開発は視覚効果ファシリティのILM(インダストリアル・ライト&マジック)が担当し、難題を解決へと導いたのである。 ◆現代において実感する『ツイスター』の画期性と挑戦心 こうして『ツイスター』の技術的な達成を称賛する反面、実作業の難易度はとてつもなく高く、これをテストケースにゴジラの実現を考慮しても見とおしが立ちにくい。事実、デ・ボンは、「『ツイスター』は『ゴジラ』と似ているようで違うものだ」とコメントし、自ら『ツイスター』とゴジラとの関連性を積極的には語っていない。そこには予算だけでなく、やはり自分の映像スタイルをゴジラに落とし込むことが難しい、技術的な問題があったのだと思えてならない。 1994年の第7回東京国際映画祭・京都大会のオープニングで『スピード』が上映されたとき、来日したヤン・デ・ボンは登壇して挨拶をおこなった。そこで氏は「僕のゴジラはスピーディで動きの激しいものになる」といった旨の宣言をし、場内を大いに沸かせている。事実 彼のゴジラは破壊を繰り返しながら北アメリカを縦断し、東部で待ち受ける巨大怪獣グリフォンと戦う「VS怪獣もの」になる予定だった。その激しいスピード感と移動感覚は、ある意味『ツイスター』の竜巻に換装されている。 2023年の現在、アクションを旨とする大型の映画は、スタジオに背景映像を投影して仮想現実空間を構築し、役者の演技やカメラモーションを得る「ヴァーチャル・プロダクション」が主流となっている。だが『ツイスター』は、スタジオに撮影の軸足を置かず、そのほとんどをライブでの撮影に求め、プラクティカルとデジタルエフェクツの両方をサポートさせて構築した、最後期の作品といえるだろう。 今やバーチャル・プロダクションは、実景によるロケーション撮影と見紛うほどのレベルとクオリティに達している。しかしライブがもたらす臨場感は俳優の演技のテンションを高め、おのずと観る者に説得力をもって伝わってくる。『ツイスター』は、こうした要素の創出に大きく貢献したのだ。 人間は何事もあきらめが肝心である。筆者は『ツイスター』の画期性を特記することで、幻に終わったヤン・デ・ボン版ゴジラへの決別をうながそうとしたが、むしろ火に油を注いで再燃させてしまったのかもしれない。 ちなみにデ・ボンは実際にゴジラを2シーン撮影したと取材で述べている。ひとつはエメリッヒ版のティーザー予告にもあった、ゴジラが背びれを浮かせて海上を進み、湾岸から上陸するまでのシーン。そしてもうひとつは、作戦本部で日本人の司令官がゴジラ迎撃の指揮をとるシーンだったという。この日本人司令官を演じているのが、誰あろう高倉健で、これらのフッテージ(未公開映像)はソニー・ピクチャーズの倉庫に眠っているというのが、デ・ボンのインタビュー時の見解である。■ 『ツイスター』© 1996 Warner Bros. and Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.04.10
「第2の挑戦」に想いを馳せて —『レモ/第1の挑戦』
◆殺人機械シリーズをライトに映画化 殺人罪の極刑を受け、死刑を執行された警官ウィリアムズ。だがそれは見せかけで、彼は蘇生され、ケネディ大統領によって発足された秘密機関《CURE》の特殊工作員として新たなキャリアを得る。そしてスーパーナチュラルな武術《シナンジュ》を会得し、銃器を必要としない殺人機械=デストロイヤーとなり、国益をおびやかす脅威的な敵を駆逐していく——。 元記者/編集者であるウォーレン・マーフィーとリチャード・サピアを生みの親とするアクションキャラクター《レモ・ウィリアムズ》は、1971年に出版された「デストロイヤーの誕生」を起点に、2023年の現在までに153巻のアドベンチャーノヴェルシリーズで活躍を繰り広げている。1985年公開のアメリカ映画『レモ/第1の挑戦』(以下『レモ』)は、そんなレモを新たなスクリーンヒーローとして、小説同様のシリーズ展開を企図された一本だった。 同作は前述の「デストロイヤーの誕生」から基本的なコンセプトと設定を受け継ぎ、アメリカの軍需産業で暗躍する腐敗した武器商人へと敵を替え(原作ではマフィア組織)、世界観を初っ端から大きく拡げている。 なにより本作がシリーズとして連続性を要求されたのは、ガイ・ハミルトンを監督に据えたことからも明白だ。スパイアクション映画の総本山ともいえる『007』シリーズを過去に4本も演出した人物から、そのノウハウを伝授してもらおうというのが製作サイドの狙いとしてあったのだ。 残念ながら『レモ』は大ヒットに恵まれず、シリーズ化のもくろみは潰えてしまったが、作品は恒久的にファンを増やし、現在もカルトな人気を誇っている。要因はフレッド・ウォード(『ライトスタッフ』(83)『トレマーズ』(90))演じる主人公レモの、観客の視座に寄せた大衆的なヒーロー像や、彼に奥義シナンジュを伝授する韓国人チュン(『キャバレー』(72)のジョエル・グレイ)の超人かつ禁欲的なキャラクターが、多くの人の心を捉えて離さないこと。加えてユーモアとシリアスを絶妙にブレンドさせた作風や、レモが恐怖心を抑制したすえに展開する極限アクションなどが挙げられる。 ◆ヒッチコックを超えろ! 自由の女神像でのアクション とりわけアクション面における本作の成果は大きく、そこはハミルトンの人選が奏功したといえる。氏はいわゆる「スネークピット(混乱のるつぼ)」を設定する達人として、その腕前を存分に発揮したのだ。特にそれが顕著なのは、本作最大の見せ場ともいえる、自由の女神像を舞台とするアクションシークエンスだろう。 当該描写は「デストロイヤーの誕生」にはないオリジナルで、発案はハミルトンによるものだ。本作のプリプロダクション当時、自由の女神は建造100周年を目前とした修復中にあり、周りが作業のために鉄骨の足場で囲まれていた。これを見た監督自身が、本編の見せ場にもってこいの場所だと判断したのだ。 自由の女神を用いたアクションシークエンスといえば、1942年にサスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックが発表した『逃走迷路』がそれを実現させていた。しかしハミルトンは、その見せ場をリアプロジェクション(背景投影)やマットペイント(合成画)、あるいはトラベリングマット(移動合成)といった特殊効果で加工せず、全てをライブで撮りきるプロセスに挑んだのだ。女神像のモックアップ(実物大模型)を用いるところは『逃走迷路』を踏襲しているが、『レモ』ではそれをさらに大きくし、胸部からトーチの先端までを精巧に再現した、約25メートルのモックアップをイスタパラパ(メキシコシティの管轄区域)の屋外に建造。俯角のショットは本物の女神像で、仰角ショットはモックアップでというふうに、両所で可能なアクションをカメラに収め、それらの映像素材を巧みに編集で繋ぎ合わせることにより、目も眩むような高度での戦いを創造したのである。スタントとアクションはハミルトンとスタント・コーディネーターのグレン・H・ランドールによって慎重に設計され、キャストに振り付けられた。またマンハッタンとメキシコとの異なる映像のルックは前者を基準にカメラフィルターなどで統一させ、違和感なくショットをひとつにしたのである。 なにより当時のメキシコはペソ安・ドル高という為替相場によって、ハリウッド映画における制作の重要な拠点となっていた。『レモ』もその類に漏れず、自由の女神像を中心に多くのセットは、同地のプロダクションセンターであるチェルブスコ・スタジオにて建造したものだ。この映画の制作元であるオライオン・ピクチャーズは7年前に設立したばかりの独立系スタジオで、作品に充てられる予算は限られていた。しかしプロダクションデザインを担当したジャクソン・デ・ゴヴィアは、効率的なセットデザインを提供して予算以上の成果を上げている。自由の女神像はもとより、レモがコンクリートの廊下を経てガス室のトラップに誘導されるまでの基地内のセットはドアを同じように設計し、カメラアングルの調整だけで3つしか作成していないハッチを10以上に見せる成果をもたらした。 こうしたセットデザイン手法の実績を買われ、デ・ゴヴィアは後年、アクション映画の革命的作品である『ダイ・ハード』(88)にも参加。同作では物語の舞台となるフォックス・プラザ(劇中ではナカトミ・ビルに設定)と精巧なミニチュアのモックアップを併用することで、ロサンゼルス・センチュリーシティを舞台とした大規模な都市破壊描写を可能にしたのだ。 ◆悠然と進行する「第2の挑戦」 それにしても「第1の挑戦」とは、なんと罪深いサブタイトルだろう(原題直訳は「レモ・ウィリアムズ:冒険の始まり」)。公開からじき40年が経とうとしているのに、今も続編を純粋な気持ちで待ち続けているファンがいる。 その間に、実現への動きがなかったわけではない。現に1988年、全米でTVムービー“Remo Williams: The Prophecy”が放送されている。このパイロットドラマは『レモ』で描かれた1年後を時代として設定し、冒頭には同作の本編クリップが挿入され、映画とのリンクを主張している。しかし配役は異なり、『私の愛したゴースト』(91)のジェフリー・ミークがタイトルキャラクターを(フレッド・ウォードは出演を固辞)、『猿の惑星』シリーズ(68〜73)や『ヘルハウス』(73)などで知られる名優ロディ・マクドウォールがチュンを演じている。唯一、音楽を担当したクレイグ・サファンが続投し、映画を反復するようなテーマ曲で関連性を強めている。 ◎Remo Williams: The Prophecy それからさらに時代を経た2014年、『キスキス,バンバン』(05)『アイアンマン3』(13)で知られるシェーン・ブラックを監督に、ソニー・ピクチャーズが『ファイト・クラブ』(13)の脚本家ジム・ウールズや、「デストロイヤー」シリーズ111から131を執筆した共同著者ジム・ムラニーと新たな『レモ』の制作を開始したことが報じられた(*1)。その後ウールズに代わって『ドラキュリアン』(87)の監督フレッド・デッカーが参加し、ムラニーと脚本に取り組む段取りとなっていたが、具体的な成果は得られていない。 しかし2022年に入り、企画はソニー・ピクチャーズ・テレビジョンに引き継がれたようで、ゴードン・スミスが『ヒットマン』シリーズのプロデューサーであるエイドリアン・アスカリエと一緒に「デストロイヤー」のテレビシリーズをリリースすることが発表された(*2)。 こうして悠然とした進捗をみせている『レモ』のリブート計画だが、我々にとって長年の祈願だった「第2の挑戦」を観ることができるのは、そう遠くない日のことかもしれない(半ばヤケクソぎみに)。■ (*1) https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/shane-black-direct-destroyer-sony-726801/ (*2) https://deadline.com/2022/12/the-destroyer-series-adaptation-1235192845/ 『レモ/第1の挑戦』© 1985 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved.