■性具の王様「電動バイブ」の開発秘話

 本作のタイトル『ヒステリア』とは、日本で定着しているドイツの外来語「ヒステリー」の英語読みである。感情をコントロールできなくなって、泣いたり怒ったりの激しいリアクションを示してしまうアレだ。もともとは「子宮」を指す言葉で、古来の医学では性交渉が久しくおこなわれていないと、子宮が肉体を圧迫し、女性の感情を乱すものとされてきた。そのことから、先述の症状を総じて「子宮性病的興奮状態(ヒステリー)」と呼ぶようになっていったのである。しかし後年、医学の発展とともに研究がなされ、こうした科学的、医学的根拠の乏しい診断は姿を消していく。そして、先の精神状態を称する言葉として「ヒステリー」が残ったのである。

 この映画は、そんなヒステリーの治療に用いられ、のちに女性用の性具として発展を遂げる振動按摩機、いわゆる「電動バイブレーター」の開発に迫った作品だ。開発者はモーティマー・グランヴィル(ヒュー・ダンシー)という、イギリスの医師。頃は産業革命によって同国が著しい発展を遂げた、ヴィクトリア朝後期の時代である。グランヴィルはそんな発展を医療の分野にも求めようと、近代医学の理想を勤め先の病院で唱えていた。ところが、古い治療を続ける医師たちからは理解を得られず、転職する先々の病院でつまはじきにされてしまう。

 ある日、縁あってグランヴィルは女性医療の権威・ダリンプル医師のもとで働くことになるのだが、そこには先述したヒステリーを抱える女性たちが後を絶たず訪れていた。こうした患者の症状を和らげるために、グランヴィルはダリンプル病院の伝統ともいえる有効的治療=すなわち女性の局部に直接手を入れ、刺激を与えるという療法を施していたのだが、そのあまりの患者数の多さに自らの手が追いつかず、彼は腱鞘炎を起こしてしまう。

 映画はそんなグランヴィル医師が、ヒステリー治療の革命的な打開策となる電動バイブを生み出すまでを、笑いと感動のもとに描いていく。キャストもグランヴィル医師を演じるヒュー・ダンシー(『ジェイン・オースティンの読書会』(07))を筆頭に、『未来世紀ブラジル』(85)のジョナサン・プライスやルパード・エヴェレット(『アナザー・カントリー(84)』)、そして今や『インフェルノ』『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(16)で注目の女優となったフェリシティ・ジョーンズなど堂々たる英国人役者を揃え、興味が先行する際どいテーマを、エレガントかつ説得力のあるものにしている。

■史実との違いーーグランヴィル医師は電動バイブを発明していない!?

 しかし、この「ヒステリア』、先のごとく電動バイブ開発史を取り扱っているものの、映画は実際とかなり違うようだ。

 治療器具として技術革新されてきた、電動バイブの軌跡をたどるレイチェル・メインズの研究書「ヴァイブレーターの文化史」によると、ヒステリー治療のための器具開発は世界で同時多発的におこなわれており、グランヴィル医師の発明はあくまでその一翼を担うものであった、と論じられている。

 それどころかグランヴィルは、女性を快楽へと導く電動バイブを自ら作り出しておきながら「女性に使うべきではない」と主張した人物として知られ、映画で描かれている内容に食い違いを生じさせているのだ。

 以下、史実とされる電動バイブ開発の流れを大略的に記しておくと、19世紀、産業革命による鉄道などの旅客輸送が発達し、それらの振動がヒステリー治療に有効であるとの医学的見解が出てきた。加えて電力の普及が、これまで手技によっておこなわれてきた治療に成り代わる、機械式按摩装置の発明を世界的に展開させていくのである。映画ではグランヴィルが友人の愛用する電動ホコリ払い機に閃きを得て電動バイブを発明するが、そこまで現実は単純明快なものではない。

 また先に挙げたグランヴィルの「女性は使うな」発言だが、氏は装置の強度な振動に注意をはらい、強靭な肉体の男性治療のみに使うことを使用マニュアルに記している。それもそのはず、グランヴィルの開発した最初の電動バイブはバッテリー式で、装置としてかなり巨大であり、映画に出てくるようなコンパクトなものではなかったのだ。

 さらに言及すると、グランヴィルが開発したとされる電動バイブ第一号機は、じつは他人が作ったものとする説も存在する(「ヴァイブレーターの文化史」には、サウペトリエール病院に勤務していた精神科医オギュスト・ビグルーが発明したとの記述あり)。そうなると、もはや映画そのものが成り立たないではないか。

 なので本作は、あくまで史実を基にしたフィクションであることを理解したうえで楽しむのが理想だろう。この映画で電動バイブ開発史を真剣に学ぼうとか、卒業論文のテーマにしようなどど向学心を先走らせてはいけない。もっとも、電動バイブにそこまでして執着する人に、それはそれである種の好ましさを覚えはするのだが。

■女優も脚本家もアメリカ人、そして監督も女性のアメリカ人

 この映画『ヒステリア』は本質的に、電動バイブの開発史に主眼を置いたものではない。監督を手がけたターニャ・ウェスクラーは、本作を手がけた動機についてこう語っている。

「わたしはこの映画を、グランヴィル医師のロマンティック・コメディとして作ったの」(*1)

 そう、劇中でグランヴィルは、ダリンプル医師の長女シャーロット(マギー・ギレンホール)と出会う。シャーロットは女性の地位向上を推進する人物で、女の立場に気を配らず、日々手技による診療に明け暮れるグランヴィルを非難する。そんな彼女との接触こそが、グランヴィルに電動バイブの開発をうながし、ひいては女性の性の独立に貢献していく。そしてソリの合わなかったグランヴィルとシャーロットは、やがて共に惹かれあっていくのだ。このストーリーラインを引き出して見ると、二人のラブロマンスを成立させるために、史実がじつに巧く加工されていることがわかる。

 そもそも本作はイギリス、フランス、ドイツ資本による合作映画で、産業革命たけなわのロンドンを舞台にしているが、製作の核となる部分はアメリカ人スタッフとキャストが担っている。ウェスクラー監督は1970年にシカゴで生まれ、コロンビア大学で芸術修士号を得て、映画の世界に入ってきたアメリカ人だし、シャーロットを演じたマギー・ギレンホールも、ハリウッドを代表するアメリカ人スターだ。そして脚本を手がけたスティーブン&ジョナー・リサ・ダイヤー兄妹もハリウッドライターとして、本作の後の2015年には“Away and Back”というロマンティック・コメディドラマの脚本を手がけ、プライムタイム・エミー賞テレビ映画のスペシャル番組部門にノミネートされている。

 つまりこの『ヒステリア』は、テンプレとして存在するアメリカ映画のスタイルのひとつ「ソリの合わない男女が出会い、初対面での悪印象が行動を共にすることで愛へと変わる」といったロマンティック・コメディを、イギリス産業革命時代の性具開発という、希少なテーマにリンクさせた珍妙さこそが最たる味わいなのだ。

 ただ監督が女性であることから、こうした女性的に際どいテーマに踏み込んでいける理由も納得できるし、そういう意味では奇跡の融合でもあり、両者が出会うべくして生まれた作品だ、とも解釈できるだろう。

 ちなみにグランヴィルと同時期、電動電動を用いた医療装置を数多く考案し、はからずも電動バイブの開発に影響を与えたのが、かの医学博士ジョン・ハーヴェイ・ケロッグである。あの朝食シリアルでおなじみ「ケロッグコーンフレーク」の生みの親であり、その半生は“The Road to Wellville”(96・監督/アラン・パーカー)というタイトルで映画化されている(邦題は『ケロッグ博士』)。氏の開発品は、むしろ性行為を抑制させる目的のものが多かったのだが、英国の名優アンソニー・ホプキンス扮するケロッグ博士の「健康のためなら死んでもいい」とでも言いたげな独自医療への執心ぶり、ならびに当時の医療事情を汲んだ描写は本作『ヒステリア』とほんのり似通ったところがあるので、ぜひ合わせてご覧になられるといい。■

PHOTO©LIAM DANIEL2© 2010 HYSTERIA FILMS LIMITED, ARTE FRANCE CINÉMA AND BY ALTERNATIVE PICTURES S.A.R.L.