イタリア産B級娯楽映画そのものが衰退期にあった’80年代

ダリオ・アルジェントのキャリアにおいて「最後の完璧な傑作(last full-fledged masterpiece)」とも呼ばれるジャッロ映画である。ご存じの通り、処女作『歓びの毒牙(きば)』(’70)で空前のジャッロ映画ブームを巻き起こし、非の打ちどころなき大傑作『サスペリアPART2』(’75)でブームの頂点を極めたアルジェント。その後、当時のパートナーであった女優ダリア・ニコロディの影響でオカルトに傾倒した彼は、現代ドイツのバレエ学校に巣食う魔女の恐怖を描いた『サスペリア』(’77)がアメリカでも大ヒットを記録し、さらにはジョージ・A・ロメロ監督のメガヒット作『ゾンビ』(’78)の出資・配給を手掛けるなどビジネスマンとしての才能も発揮。久しぶりにジャッロの世界へ戻った『シャドー』(’82)と『フェノミナ』(’85)も評判となり、ランベルト・バーヴァ監督の『デモンズ』(’85)シリーズではプロデューサーとしても成功を収めた。’70~’80年代のアルジェントは、映画人として文字通りの全盛期だったと言えよう。

ところが、ハリウッド資本でアメリカ・ロケを行った『トラウマ/鮮血の叫び』(’93)以降、批評的にも興行的にも著しく失速することとなってしまう。中には『スリープレス』(’01)のような隠れた名作もあるにはあるものの、しかしすっかり往時の才気も輝きも失ったアルジェント映画にファンは失望し続けることに。まあ、それでもアルジェントが新作を撮ったと聞けば、「むむっ、きっと今度こそは…」と微かな期待を抱いてしまうのが哀しきファンの性(さが)なのですけどね…。そんなこんなで、我らの愛するアルジェントがまだ乗りに乗っていた’80年代、その最期を飾った傑作がこの『オペラ座/血の喝采』(’88)だったのである。

なおかつ、当時はイタリア産B級娯楽映画が滅亡の危機に瀕していた時代でもあった。敗戦国イタリアの過酷な現実を徹底したリアリズムで描いた『無防備都市』(‘45)や『自転車泥棒』(’48)など、一連のいわゆるネオレアリスモ映画群で早くも戦後復興を果たしたイタリア映画界。その中からヴィットリオ・デ・シーカやルキノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニなどの世界的な巨匠たちが台頭し、そのフェリーニの『甘い生活』(’60)とミケランジェロ・アントニオーニの『情事』(’60)が、同じ年のカンヌ国際映画祭で前者がグランプリを、後者が審査員特別賞を獲得したことで、いよいよイタリア映画は黄金時代を迎える。

その一方で、’50年代半ばよりハリウッドの各大手スタジオがローマの撮影所チネチッタで映画を撮影するように。当時、スタジオ・システムの崩壊で経営の危機に瀕したハリウッド映画界は人件費削減のため、熟練の職人スタッフをいくらでも安く雇うことができ、なおかつ撮影機材も豊富に揃っている映画大国イタリアに注目したのである。そこでハリウッド式の映画撮影術を学んだ地元イタリアの映画人たちは、わざわざセットを作らなくても古代遺跡がそこらじゅう沢山あるという環境を活かし、古代ギリシャやローマの英雄を主人公にしたハリウッド風の冒険活劇映画を低予算で量産する。その中のひとつ『ヘラクレス』(’58)がアメリカでも爆発的な大ヒットを記録したことから、いわゆる「ソード&サンダル映画」のブームが巻き起こったのだ。これがイタリア産B級娯楽映画の原点だったと言えよう。

その後も、マカロニ・ウエスタンにユーロ・スパイ・アクション、ゴシック・ホラーにジャッロにクライム・アクションにソフト・ポルノにと、世界的なトレンドの傾向を敏感に取り入れながら、ハリウッドを向こうに回して低予算の良質なB級エンターテインメントを世界中のマーケットへ提供したイタリア映画界。ところが、スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスの登場によってハリウッド映画の技術レベルが格段にアップし、なおかつ’80年代に入って『インディ・ジョーンズ』シリーズだの『E.T.』だの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズだのと、ハリウッドのジャンル系娯楽映画が特殊効果をふんだんに使った大作主義にどんどん傾倒していくと、さすがのイタリア映画も太刀打ちできなくなってしまう。例えば『ダーティハリー』(’71)のパクリはイタリアでも作れるが、しかし『ダイ・ハード』(’88)のパクリは技術的にも規模的にも極めて困難だったのである。

それでもなお、なんちゃって『コナン』やなんちゃって『マッド・マックス』、なんちゃって『ニューヨーク1997』などの低予算映画を頑張って作り続けたイタリア映画界だが、それこそ一連のルチオ・フルチ映画を例に出すまでもなく、作品の質はどんどん低下していくばかり。そうした中で唯一、ハリウッドに負けじと気を吐いていたのがアルジェントとその一派(ランベルト・バーヴァやミケーレ・ソアヴィ)だったわけだが、その勢いもそろそろ限界に近付きつつあった。実際、’90年代に入るとイタリアのジャンル系映画はほぼ死滅。職人監督たちは次々とテレビへ移行してしまう。よって、本作『オペラ座/血の喝采』はダリオ・アルジェント全盛期の終焉を象徴する映画であると同時に、長年世界中のファンに愛されたイタリア産B級娯楽映画の終焉を象徴する映画でもあったように思う。

オペラ「マクベス」の不吉なジンクスが血みどろの惨劇を招く…!

舞台はイタリアのミラノ。スカラ座ではヴェルディのオペラ「マクベス」のリハーサルが着々と進んでいる。これが初めてのオペラ演出となるホラー映画監督マルコ(イアン・チャールソン)は、本物のカラスを使用したアヴァンギャルドな演出で観客の度肝を抜こうと考えるが、しかし神経質で気位の高い主演のソプラノ歌手マーラ・チェコーヴァと意見が折り合わず、挙句の果てにリハーサルをキャンセルしたチェコ―ヴァが交通事故で大怪我を負ってしまう。代わりにマクベス夫人役を射止めたのは、チェコ―ヴァのアンダースタディを務める無名の新人歌手ベティ(クリスティナ・マルシラック)。この棚ボタ的な大抜擢に母親代わりのマネージャー、ミラ(ダリア・ニコロディ)は大喜びするも、しかしベティ本人はあまり表情が冴えない。というのも、「マクベス」の舞台は関係者に不幸を招くというジンクスがあるのだ。実際、本来主演するはずだったチェコ―ヴァは事故で重傷を負った。その直後から、ベティのもとには怪しげな電話がかかってくる。よりによってデビュー作が「マクベス」だなんて。ベティは何か不吉なことが起きるのではないかと不安で仕方なかった。

ほどなくしてオペラ「マクベス」は初日を迎え、マクベス夫人を堂々と演じ切ったベティは観客から大喝采を浴びる。スター誕生の瞬間だ。ところがその一方で、立ち入り禁止のボックス席に何者かが侵入し、気付いて追い出そうとした劇場スタッフが惨殺される。警察の捜査を担当するのは、熱心なオペラ・ファンでもあるサンティーニ警部(ウルバノ・バルベリーニ)。その晩、祝賀パーティを抜け出したベティは恋人でもある演出助手ステファノ(ウィリアム・マクナマラ)の自宅で過ごすが、しかしステファノが別室でお茶を入れている間に、正体不明の覆面殺人鬼に襲われる。粘着テープで口を塞がれたうえで柱に縛り付けられ、なおかつ目を閉じることができないよう目の下に針を貼り付けられたベティは、目の前でステファノが殺人鬼に殺される様子を強制的に見せられる。すぐに解放された彼女は、近くの公衆電話から匿名で警察へ通報。自ら名乗らなかった理由は、遠い過去の恐ろしい悪夢だ。幼い頃に有名なオペラ歌手だった母親を殺されたベティは、それ以来夜な夜な悪夢に悩まされたのだが、その夢の中に出てくる覆面の殺人鬼が今回の犯人とソックリだった。監督のマルコだけには真実を打ち明けるベティ。犯人は彼女の知人かもしれないと考えたマルコは、周囲を警戒するようにと忠告する。

その同じ晩、何者かが劇場の衣裳部屋へとこっそり侵入し、興奮して檻から逃げ出したカラスが数羽殺される。警察はその侵入者とステファノ殺しの犯人が同一人物だと考えるが、しかし手掛かりは何一つとして見つからなかった。さらに、同じような方法で衣装係ジュリア(コラリーナ・カタルディ・タッソーニ)が殺され、ベティは再びその一部始終を強制的に見せられる。犯人のターゲットがベティであることは間違いない。サンティーニ警部はベティの自宅に護衛の刑事を待機させるが、しかし警官を装った犯人によってミラが惨殺され、護衛のソアヴィ刑事(ミケーレ・ソアヴィ)も血祭りに挙げられる。自室へ追い込まれて逃げ場を失ったベティだったが、しかし以前からベティを秘かに見守っていた隣家の少女アルマ(フランチェスカ・カッソーラ)に救われ、古い通気口を伝って外へ脱出することに成功する。

なんとしてでも犯人の凶行を止めなくてはならないが、しかし警察はあまりにも頼りにならない。そこでベティとマルコは、劇場スタッフの協力を得て「ある秘策」を実行に移す。どういうことかというと、カラスに犯人捜しをさせようというのだ。高度な知性を持つカラスは、仲間を殺した犯人を覚えているに違いない。そこで、マルコたちは舞台演出を装ってカラスの大群を劇場に放ち、彼らに犯人を襲撃させようと考えたのだ。犯人は必ずや劇場のどこかでベティを見張っているはず。それを狙って罠を仕掛けようというわけだ。果たして、彼らの目論見通りに正体不明の殺人鬼を捕らえることは出来るのか…?

凝りに凝ったビジュアルに要注目!

これはアルジェント作品において毎度のことではあるのだが、随所に明らかなご都合主義の目立つ脚本は賛否両論あることだろう。特に、劇場で焼死したはずの犯人が実は生きていました!現場で発見された焼死体をよくよく調べてみたらダミー人形だったのです!という終盤のどんでん返しに、悪い意味で腰を抜かした観客も少なくなかろう。共同脚本のフランコ・フェリーニによると、これは作家トマス・ハリスのハンニバル・レクター・シリーズ第1弾「レッド・ドラゴン」をヒントにした思いついたアイディアだったらしいが、あまりにも唐突過ぎて説得力に欠けたと言えよう。ただし、スイスを舞台にしたダメ押し的なクライマックスは、実のところストーリーの流れ上、必要だったのではないかと思う。どこか寓話的な本作のストーリーにおける本質は、毒親に育てられた主人公ベティが過去のトラウマと向き合い、長いこと自分を苦しめてきた悪夢を克服することで、毒親の呪縛からようやく解放されるという成長譚。その母親と関係のあった連続殺人鬼は、まさに過去から蘇った忌まわしき亡霊そのものであり、オペラ劇場を舞台にした直接的な対峙を経てスイスの大自然を背景に死闘を演じるというプロセスは、そこへ至るまでの彼女の精神的な成長を考えれば、極めて理に適ったものではないかと思う。

ちなみに本作、日本で劇場公開されたのは97分の短縮バージョンだった。これは出資元のオライオン・ピクチャーズが勝手に削ってしまったもので、当時は日本だけでなくアメリカやイギリスでもこのバージョンが上映されたらしいのだが、これがなんとも酷かった。例えば、母親から虐待を受けていると思しき隣家の少女アルマの伏線エピソードがごっそりカットされているため、この短縮バージョンだと唐突に現れた見ず知らずの少女がベティのピンチを救うという、まことに不自然かつご都合主義の極みみたいな展開になってしまう。筆者を含めて、このシーンに思わず首を傾げた観客は多かったはずだ。また、このバージョンではクライマックスの、スイスの大自然に戯れるベティが草むらでトカゲを解放してあげるシーンも削除されており、それゆえ「虐待を受けて育った少女が過去のトラウマから解放されるまでを描いた残酷なおとぎ話」という、アルジェントが本作で描かんとしたストーリーの趣旨も著しく損なわれてしまっている。公開時に賛否両論だった本作が正当な評価を受けるようになったのは、今回ザ・シネマでも放送される完全版がイタリア以外の各国でソフト化されるようになった’00年代以降のことだ。

その一方で、凝りに凝りまくったカメラワークは当時から非常に評価が高かった。本人も認めているように、もともともカメラで遊ぶの大好きなビジュアリストで、常にユニークなアングルや斬新なショットを創意工夫してきたアルジェントだが、本作ほど映像表現に技巧を凝らした作品はないだろう。中でも特にビックリしたのは、ドアの覗き穴を覗いていたベティのマネージャー、ミラが、向こう側の犯人に射殺されるシーン。アルジェントはわざわざ2メートルほどになる覗き穴の拡大模型を作成し、さらにはミラを演じる女優ダリア・ニコロディの右目と後頭部に特殊メイクを施して少量の火薬を仕込み、さらには彼女の遠く背後にある電話にも火薬を仕掛けることで、犯人の拳銃から発射された弾丸が覗き穴のシリンダーを突き破り、覗いているミラの右目から後頭部を貫通し、最終的に後方の電話機に当たるという一連の流れを、なんとスローモーションで一気に見せてしまったのだ。いやはや、変態ですな(笑)。

変態と言えば、犯人がベティの目の下にテープで幾つもの針を張り付けて目を閉じれないようにし、残忍な人殺しの一部始終を無理やり見せるという設定。なんて陰湿かつ変態なんだ!と思った観客も多いはずだが、実はこの設定、残酷シーンで目をつぶったり、手で目を塞いだりするなんてけしからん!せっかく苦労して撮ったのに失礼じゃないか!そんな不届き者の観客に無理やりでも残酷シーンを見せつけてやりたい!というアルジェントの強い憤りと願望から生まれたとのこと。これまた実に変態である。

さらなる見せ場としては、カメラがカラスの視点になって劇場を飛び回る終盤の「犯人捜し」シーンも印象的。ロケ地に使われたのはミラノのスカラ座ではなく、同じような規模で内装のソックリなパルマのレージョ劇場なのだが、このシーンの撮影では劇場の天井中央にあるシャンデリアを取り外し、その穴から複数台のカメラを装着した巨大な回転式クレーンビームを吊り下げて使用している。クレーンビームはリモートコントローラーで上下に移動でき、なおかつカメラもクレーンビームをレール代わりにして移動可能なため、それこそ自由自在に空を飛んでいるカラス視点の映像を撮ることができたのだ。

ショッキングだったのは、ウィリアム・マクナマラ演じる美青年ステファノが惨殺されるシーン。顎からナイフを突き刺す場面は古典的なトリックだとすぐに分かるが、しかしナイフの先が口の中へ突き抜けるクロースアップ・ショットはどうやって撮ったのか不思議だった。実はこれ、演じるマクナマラ本人の口から型抜きして作った、偽物の口を撮影に使用している。要するに、ダミーヘッドならぬダミーマウスだ。なるほど確かに、ブルーレイやDVDの該当シーンで映像を静止すると一目瞭然。よく見ると作り物である。

なお、撮影を担当したのは『ガンジー』(’82)でアカデミー賞に輝く名カメラマン、ロニー・テイラー。実はアルジェント、本作の撮影に入る数カ月前、オーストラリアで自動車メーカー、フィアットのCMを撮ったのだが、その際に広告代理店の手配したカメラマンがテイラーだった。3週間に及ぶ撮影期間中、映画について大いに語り合ったアルジェントとテイラーは意気投合。本作でも引き続きタッグを組むこととなり、以降も『オペラ座の怪人』(’97)と『スリープレス』で顔を合わせている。

大物オペラ歌手が顔を見せない意外な理由とは…?

当初、主人公ベティ役にジェニファー・コネリーを想定していたものの、しかし『フェノミナ』の二番煎じと思われることを恐れてボツにしたというアルジェント。ほかにも当時注目されていたオペラ歌手チェチリア・ガスディアも候補だったとか、一時はミア・サラに決まりかけたなどの諸説あるのだが、いずれにせよ最終的にはアルジェントの友人であるファッション・デザイナー、ジョルジオ・アルマーニの推薦で、スペインの若手女優クリスティナ・マルシラックに白羽の矢が立てられた。ところが彼女、最初からアルジェントに対して反抗的だったらしく、彼にとっては最も扱いづらい女優だったらしい。ただ、関係者のインタビューを総合すると、アルジェントだけでなくベテランのスタッフには同じく反抗的で、しかしウィリアム・マクナマラやコラリーナ・カタルディ・タッソーニなど同世代の若手共演者とは友好的だったらしいので、恐らくもともと「大人」に対して一方的な反感を持っていたのかもしれない。

そんなベティをオペラ歌手として指導し、正体不明の殺人鬼から守ろうとする演出家マルコ役には、『炎のランナー』(’80)で脚光を浴びたシェイクスピア俳優イアン・チャールソン。あのイアン・マッケランやアラン・ベイツも絶賛する天才的な役者だったが、本作の撮影中に交通事故を起こした際の病院検査でHIV感染が発覚し、その3年後に帰らぬ人となってしまった。サンティーニ警部を演じるウルバノ・バルベリーニは、イタリア有数の名門貴族バルベリーニ家の御曹司。『デモンズ』の主演でアルジェントに気に入られ、本作にも声をかけられたのだが、当初は演出助手ステファノ役をオファーされていたらしい。しかし、あっという間に殺されるような役は嫌だとアルジェントに直談判したところ、実年齢よりもだいぶ年上のサンティーニ警部役にキャスティングされたらしい。

そのステファノ役を演じるウィリアム・マクナマラは、『君がいた夏』(’88)や『ステラ』(’90)などで一時期注目されたハリウッドの端正な美少年俳優。当時の彼はイタリアとフランスの合作によるテレビの大型ミニシリーズ『サハラの秘密』(’87)に出演するためローマに滞在しており、招かれた業界パーティでたまたま知り合ったアルジェントに「ちょうど君にピッタリな役があるんだ!」と誘われたという。アメリカ人と言えば、衣装係ジュリアを演じるコラリーナ・カタルディ・タッソーニもニューヨーク生まれのイタリア系アメリカ人。父親がオペラ演出家、母親がオペラ歌手、祖父もプッチーニと組んだオペラ指揮者というオペラ一家の出身で、その父親がイタリアに活動の拠点を移したためローマで育ったという。彼女と言えば、なんといっても『デモンズ2』(’86)で最初にデモンズ化するサリー役のインパクトが強烈なのだが、あの演技を評価したアルジェントが彼女のためにジュリア役を書いてくれたという。これ以降、『オペラ座の怪人』と『サスペリア・テルザ 最後の魔女』(’07)でもアルジェントと組んでいる。

なお、フラッシュバック・シーンで犯人に殺されるブロンド女性は、『デモンズ2』でサリーの友達として顔を出していたマリア・キアラ・サッソ。大物オペラ歌手マーラ・チェコーヴァの助手を演じているイケメン俳優ピーター・ピッシュは、『デモンズ』の不良グループのメンバーだった。オペラの舞台裏シーンでは、その『デモンズ』でヒーローの親友役だったカール・ジニーの姿も。隣家の少女アルマの母親役は、『シャドー』で女性刑事を演じていたカローラ・スタニャーロ。本作の助監督を務めるミケーレ・ソアヴィも刑事とエキストラの1人2役で登場するし、そのソアヴィの無名時代からの親友で『アクエリアス』(’87)と『デモンズ3』(’89)に主演したバルバラ・クピスティも舞台関係者役で顔を出している。演出家マルコの恋人役は、当時アルジェントの恋人だったアントネッラ・ヴィターレ。ミラ役のダリア・ニコロディを含めて、アルジェント・ファミリー総出演という感じですな!

ちなみに、結局最後まで顔が一切写らない大物オペラ歌手、マーラ・チェコーヴァだが、この役にはもともと大女優ヴァネッサ・レッドグレーヴが起用され、実際に撮影のため本人もローマまで足を運んでいたらしい。もちろん契約書にもサイン済み。彼女が関わる撮影期間は1週間の予定で、その分のギャラも支払われていた。ところが、1週間経っても出番がないことから、約束の期間が過ぎましたよということでレッドグレーヴはイギリスへ帰国。どうやら、製作陣は撮影開始までの待機期間を計算に入れていなかったらしい。えっ!まだ撮影始まってもいないのに帰っちゃったの!?と慌てても後の祭り。約25万ドルとギャラの金額も大きかったため、代役を立てる予算的な余裕などなかったことから、ミラ役のダリア・ニコロディが1人2役でチェコーヴァを演じることになった。ロングショットや下半身だけで顔を見せないのはそのためだ。

先述したように、オライオン・ピクチャーズが勝手に再編集を行ったことなどもあり、興行的には成功したものの心情的には失敗作だと考えていたというアルジェント。いつも以上に予算と情熱を注ぎこんだ企画だったため、当時はかなり落ち込んでしまったらしいが、今では自身のフィルモグラフィーの中で最も好きな作品の筆頭格だという。■

『オペラ座/血の喝采』© 1987 RTI