‘70年代オカルト映画ブームの起爆剤となったのが『エクソシスト』(’73)、ブームの頂点を極めたのが『オーメン』(’76)だったとすると、そのトリを飾ったのが『悪魔の棲む家』(’79)だったと言えるかもしれない。『エクソシスト』同様にアメリカで実際に起きた悪霊事件の映画化。ジェイ・アンソンが執筆した原作ノンフィクション『アミティヴィルの恐怖』は全米ベストセラーとなり、日本でも翻訳出版されて、それなりに話題を呼んでいたことを、当時小学生だった筆者も記憶している。いわば鳴り物入りの映画化であって、全米興行収入ナンバー・ワンの大ヒットもある程度は想定の範囲内だったに違いない。とはいえ、その後40年近くに渡って、非公式を含む続編やリメイクが延々と作られ続けることは誰も予想しなかっただろう。しかもその数、現在までに合計で18本!『エクソシスト』関連作が6本、『オーメン』関連作が5本であることを考えると、他よりもケタ違いに多いのである。

 なぜそこまで、『悪魔の棲む家』シリーズに人々は惹かれるのか。まずはそこを振り返ることから始めた上で、その原点である’79年版の見どころを解説していきたい。


 ことの発端は1974年11月13日。ニューヨーク州ロングアイランドの閑静な町アミティヴィルで、一家6人が射殺されるという惨劇が発生する。犯人は一家の23歳になる長男ロナルド・デフェオ。当初はマフィアの犯行を主張していた(実際、デフェオ家はマフィアに関りがあったとされる)ロナルドだったが、警察に証言の矛盾点を指摘されたことから、自分が両親と4人の弟や妹をショットガンで殺害したことを認めたのである。

 それから1年余り経った1975年12月19日、惨劇のあったアミティヴィルの家にラッツ一家が移り住んでくる。ジョージ・ラッツと妻キャシー、そしてキャシーの連れ子3人だ。夫婦はいわくつきの物件であることを承知した上で、8万ドルという破格の安さに惹かれて家を買ったのだが、しかし彼らが引越しをして以来、家では様々な怪現象が発生したという。それは日に日に深刻となっていき、移り住んでから28日後の1976年1月14日、ラッツ一家は着の身着のままでアミティヴィルの家を逃げ出す。以上が、事件の大まかなあらましである。

 ラッツ一家にとっては、これで一件落着したかに思えた悪霊騒動。しかしその後、マスコミや霊能者、心霊学者など大勢の人間が彼らの周りに寄って集まり、怪現象の真偽を巡って全米が注目する一大論争へと発展してしまうのである。

 もともと世間に公表するつもりなどなかったというラッツ夫妻。だが、ある人物によって記者会見を無理強いされたと生前のインタビュー(夫婦共に故人)で主張している。それが、ロナルド・デフェオの弁護士ウィリアム・ウェバーだ。夫婦から相談を受けていたウェバーは、どうやらラッツ夫妻を自らの売名行為に利用しようとしたらしい。当時デフェオ事件の回顧録を執筆していたというウェバーは、一家の体験を自著に盛り込もうと提案したそうなのだが、夫婦はこれを断ったらしい。だからなのか、ジェイ・アンソンの著書がベストセラーになると、ウェバーはその内容を自分がラッツ夫妻に入れ知恵した創作だと雑誌「ピープル」で告白し、そもそも一連の悪霊騒動は家を購入した時点から夫婦が計画していた金儲けのペテンだとまで証言している。もちろん、どちらの主張が正しいのかは分からない。

 さらにことをややこしくしたのが、超常現象研究家でヴァンパイア研究家を自称するスティーブン・キャプランだ。当時ラジオにたびたび出演して知名度のあったキャプランは、ラッツ夫妻から屋敷の調査を依頼されたという。しかし、その結果を世間に公表すると断ったところ、ためらった夫妻が調査依頼を撤回したことから、キャプランは悪霊騒動がインチキであると考え、それ以降テレビや雑誌、自著などでラッツ夫妻を激しく非難するようになる。これまた双方の主張に食い違いがあるのだが、いずれにせよキャプランによるラッツ夫妻への批判活動が、悪霊騒動に世間の注目を集める要因の一つになったと言えよう。

 一方、ラッツ夫妻の主張を支持する人々も現れる。その筆頭が、映画『死霊館』シリーズのモデルとなったことでも有名な霊能者ウォーレン夫妻だ。そのあらましは『死霊館 エンフィールド事件』の冒頭でも描かれているが、彼らはテレビ局やラジオ局の取材クルーなどと共に屋敷を調査し、凶悪な悪霊が家に取り憑いていると証言している。また、テレビの心霊番組ホストとしても知られる超心理学者ハンス・ホルザーも、霊能者エセル・マイヤーズと共に屋敷を調査しており、ロナルド・デフェオは土地に取り憑いた先住民の幽霊に憑依されて一家惨殺の凶行に及んだと主張している。ただし、彼の場合は弁護士ウィリアム・ウェバーの依頼で調査を行ったという事実を留意しておくべきだろう。つまり、ロナルド・デフェオ裁判の不服申し立ての根拠として利用されようとした可能性があるのだ。

 

 このようなメディアを巻き込んだ論争の最中、1977年に出版されたのが『アミティヴィルの恐怖』。出版社から推薦されたノンフィクション作家ジェイ・アンソンに執筆を任せたラッツ夫妻は、自分たちの主張を一冊の本にまとめることで、一連の騒動や論争に終止符を打つつもりだったのかもしれない。これが真実なのだと。とはいえ、ラッツ夫妻を含む関係者の全員に、何らかの売名的な意図が垣間見えることも否めない。まあ、ラッツ夫妻やウォーレン夫妻らの主張を完全に否定するわけではないが、しかし疑いの余地があることもまた確かだ。同じことは反対側の人々に対しても言えるだろう。結局のところ真相は闇の中。そうした周辺のゴタゴタ騒ぎや、土地にまつわる虚実入り乱れた伝説と噂、実際に起きた血なまぐさい一家惨殺事件の衝撃が混然一体となって、「アミティヴィル事件」に単なる悪霊騒動以上の興味と関心を惹きつけることになったように思える。それこそが、今なお根強い『悪魔の棲む家』人気の一因になっているのではないだろうか。

 で、そのノンフィクション本『アミティヴィルの恐怖』を映画化した’79年版『悪魔の棲む家』。これは劇場公開時から指摘されていることだが、ドキュメンタリー的なリアリズムを重視するあまり、とても地味な映画に仕上がっていることは否めないだろう。あくまでも娯楽映画なので、いくらでも派手な脚色や誇張を加えることはできたはずだ。しかしそうしなかったのは、やはり『暴力脱獄』(’67)や『マシンガン・パニック』(’73)、『ブルベイカー』(’80)などの、骨太なアクション映画や社会派映画で鳴らした名匠スチュアート・ローゼンバーグ監督ならではのこだわりなのだろう。ゆえに、『エクソシスト』や『オーメン』のショッキングな恐怖シーンを見慣れた当時の観客が、少なからず物足りなさを覚えたことは想像に難くない。劇場公開時にはまだ小学生で、なおかつソ連在住という特殊な環境にあったため、物理的に見ることのできなかった筆者などは、いわゆるスプラッター映画全盛期の’80年代半ばに名画座で初めて本作を見たので、なおさらのことガッカリ感は強かったと記憶している。

 ところが、である。それからだいぶ経って久しぶりにちゃんと見直したところ、意外にもガラリと大きく印象が変わった。要は、古典的な「お化け屋敷」映画として、非常に完成度の高い作品なのだ。中でも、悪魔に魅入られた父親が徐々に狂っていく過程は、下手に悪魔やモンスターがバンバン飛びだしてくるよりも、よっぽど観客の精神的な不安感や恐怖感を盛り上げて秀逸。まるで目のような窓が2つ付いた家の不気味な外観もインパクト強いし、ハエのクロースアップなどの何気ない描写の積み重ねがまた、地味ながらも確実に不快感を煽る。確かに派手な特殊メイクやSFXは皆無に等しいものの、全編に漂う禍々しい雰囲気は捨てがたい。それこそ、『呪いの家』(’44)や『たたり』(’63)の系譜に属する正統派のゴーストストーリーだと言えよう。

 なお、限りなくラッツ夫妻の主張する「事実」に沿った本作だが、しかしそれでも一部にドラマチックな変更はなされている。その代表例が、ロッド・スタイガー演じるデラニー神父のエピソードであろう。モデルとなった神父は、お払いの際に悪魔のものらしき声を聞いただけで、ハエの大群やポルターガイスト現象に襲われたという事実などはないし、ましてや後に失明してしまったわけでもない。あくまでも脚色だ。ちなみに、なぜハエの大群なのかというと、新約聖書に出てくる悪魔ベルゼブブがヘブライ語で「ハエの王」を意味するから。キリスト教に疎い日本人にはちょっと分かりづらいかもしれない。

 先述したように、その後も延々と続編が作られて長寿シリーズ化した『悪魔の棲む家』。個人的には、デフェオ一家惨殺事件をモデルにした『悪魔の棲む家PART2』(’82)も、イタリア映画界の革命世代を代表するダミアノ・ダミアーニ監督らしい「反カトリック教会」精神が貫かれていて、とても興味深く感じる作品だった。また、本作とは真逆のアプローチで、派手な残酷描写やショックシーンをふんだんに盛り込んだ、リメイク版『悪魔の棲む家』(’05)も、本作と見比べると非常に面白い。昨年全米公開されたばかりのシリーズ最新作『Amityville: The Awakening』は、なんとジェニファー・ジェイソン・リーとベラ・ソーンの主演。日本での劇場公開に期待したいところだが、ん~、やっぱりビデオスルーになるのかなあ…。■

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