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COLUMN/コラム2025.09.17
トッド・フィールド16年振りの監督復帰作にして、ケイト・ブランシェット史上最高傑作!『TAR/ター』
映画監督のトッド・フィールドが、そのオファーを受けたのは、新型コロナのパンデミックが始まった頃だった。それは、クラシック音楽や指揮者を題材とするものであれば何でもいいという、至極漠然とした内容の依頼だった。 フィールドには、ずっと考えていたキャラクターがあった。それは、「子どもの頃に何が何でも自分の夢を叶えると誓うが、叶った途端、悪夢に転じる」という人物。クラシックの指揮者ならば、「ピッタリ」と思えた。 脚本を書き始めると、ある女優の顔がいつも思い浮かぶようになった。そして毎朝、椅子に座って執筆を進める際には、呟いた。「ハイ!ケイト、おはよう」と。彼の意中の人は、ケイト・ブランシェットだった。 ブランシェットは、『アビエイター』(2004)でアカデミー賞の助演女優賞、『ブルージャスミン』(13)で主演女優賞のオスカーを獲得している、現代の大女優。フィールドとは10年ほど前に出会って、主演作の企画を進めたが、諸般の事情で実現に至らなかった。 その際の打合せで、フィールドは知った。ブランシェットは一俳優のレベルを遥かに超えて、映画全体を理解する、フィルムメイカーのような視点を持っていることを。フィールドは彼女のことを、「我々の時代の偉大な知識人の一人」であると認識した。 フィールドは、元々は俳優。ウディ・アレンやスタンリー・キューブリックの作品に出演後、21世紀に入って監督デビューした。 第1作は『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)、続いては、『リトル・チルドレン』(06)。この2作でフィールドは、アカデミー賞脚色賞にノミネートされた。 しかしそれから十数年。映画化を試みた企画は数々あれど、すべてが流れてしまっていた。 今回の脚本は、3ヶ月で書き上げた。しかし、ブランシェットが主役を受けてくれなかったら、きっと「作ることはなかった」と言う。 届いた脚本を読んだブランシェットからは、即座に「出演OK」との連絡が来た。こうしてフィールドの、映画監督としての空白期間が、更に伸びることは避けられたのだった。 ブランシェットが演じる主人公の名前を、そのままタイトルにした、本作『TAR/ター』(2022)は、こうしてトッド・フィールド16年振りの新作として、世に放たれることになった。 ***** リディア・ターは、もうすぐ50歳。世界的な交響楽団ベルリン・フィル初の女性首席指揮者を務め、“マエストロ”と呼ばれる 彼女は、“EGOT”。テレビのエミー賞、音楽のグラミー賞、映画のオスカー(アカデミー賞)、舞台のトニー賞のすべてを受賞している、数少ない人物の内の1人である。 ベルリン・フィルで唯一録音を果たせていない、マーラーの「交響曲第5番」を、遂にライブ録音し発売する予定が控える。自伝の出版も、間もなくだ。 多忙なターを、公私共に支えるのは、オーケストラのコンサートマスターでヴァイオリン奏者のシャロン。彼女はターの同性の恋人で、養女を一緒に育てている。 ターのアシスタントは、副指揮者を目指すフランチェスカ。ターの厳しい要求に、懸命に応えていた。 そんな時に、ターがかつて指導した若手指揮者クリスタが自殺を遂げる。彼女はターに性的関係を強要され、去って行った者だった。ターはクリスタが指揮者として雇用されるのを妨害するメールを、各所に送っていた。それらのメールは素早く消去したが、時同じくしてターは、夢とも現ともつかない、幻聴や幻影に襲われるようになる。 そんなターは新たに、ロシア人の新人チェロ奏者オルガに心惹かれるようになる。彼女を取り立てるような、ターの言動や行動に、周囲はザワつく。 忠実だと思われたフランチェスカだったが、新たな副指揮者に選ばれなかったことから、ターを裏切る。そしてターのセクハラやパワハラがマスコミで取り上げられ、ネットで炎上するようになる。 クリスタの両親からは告発され、パートナーのシャロンは、養女と共に去っていく。ターは窮地に追い込まれるが…。 ***** フィールドは、クラシック音楽界に実在する人物や団体、実際の事件や根深い権威主義、性差別をベースにして、脚本を執筆した。監修を務めたのは、高名な指揮者のジョン・マウチェリ。「指揮者は何を考えているか」の著者で、レナード・バーンスタインと親交が深かったことでも知られる。バーンスタインは、アメリカを代表する“マエストロ”で、本作ではターの師匠だったという設定になっている。 準備期間は、コロナ禍の真っ最中だったことから、逆に十分な余裕ができた。実際に撮影に入る9ヶ月前から、フィールドとブランシェットは、ディスカッションを行った。「脚本に登場する人間関係はどれほど取引的なものなのか?」「登場人物全員が力構造に対して無言を貫いているのではないか?」「人は偉大な人物の物語を見るのは好きだが、その人たちが転落していく姿も同じくらい楽しめるものなのか?」等々。こうして、リディア・ターの人物像が、鮮明になった。 フィールド曰くターは、「…芸術に人生を捧げた結果、自分の弱みや嗜好をさらけ出すような体制を築き上げてしまったことに気づく。彼女はまるで全く自覚がないかのように、周囲に自分のルールを強要する」。しかし、「自覚していたとしても、非道は許されない」というわけだ ブランシェットが、役作りの本格的準備に入ったのは、2020年9月。実在の女性指揮者たちに関する文書や映像を、漁った。それと同時に、ターはベルリン・フィルで指揮するアメリカ人という設定なので、オーストラリア出身のブランシェットは、ドイツ語とアメリカ英語のマスターに、勤しんだ。 ピアノと指揮は、プロフェッショナルから本格的に学んだ。ブランシェットは子どもの頃に、ピアノを習っていた。10代半ばに練習をサボったのがバレた際、ピアノの先生から、「あなたはピアニストではなく、俳優だと思う」と言われたことがあったという。ピアノについては、「いつかまた」と思ってはきたが、結局はこの機会まで「映画のためでないと」できなかったというのも、まさに“俳優”と言えるかも知れない。本作に登場するすべての演奏シーンは、ブランシェット本人が演じている。 クランク・インまで、1年足らず。実はその間、『TAR/ター』とは別に、2本の出演作の撮影があった。 ブランシェットは、昼間にそれらの撮影を終えた後、夜になると、フィールドに電話を掛けてくる。そしてその後、役作りのための各レッスンに挑んだのだった。フィールドが言うように、彼女は「独学の達人」であり、ターが「25年かけて身に付けたであろう見事な技術」を、1年足らずで「やってのけた」わけである。 ブランシェットは、夫で劇作家のアンドリュー・アプトンと共に、母国オーストラリアで最も権威がある劇団「シドニー・シアター・カンパニー」の芸術監督を務めていたことがある。こうした権力の座に就いた経験も、ターの役作りに寄与する部分が、少なくなかったという。 2021年8月、遂にクランク・イン!ブランシェットは、オーケストラを指揮するシーンから、撮影に入った。コンサートホールは、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で撮影。ロケ地は、ベルリン、ニューヨークと、東南アジア。 ブランシェットの“独学”は続き、1日の撮影が終わると、「ピアノに直行するか、ドイツ語とアメリカ英語の指導を受けに行くか、あるいは指揮棒の振り方を教わりに」出向いた。また撮影がない日には、スタントマンが運転する8台の車に囲まれながら、時速100キロで滑走する練習を積んだ。 ターの私生活のパートナーで、ヴァイオリン奏者のシャロン役には、ドイツからニーナ・ホス。ターのアシスタント、フランチェスカ役は、フランス人のノエミ・メルランが演じた。 映画の後半、ターの心を泡立たせる存在となる、ロシア人チェロ奏者オルガ役に、フィールド監督は、「ロッテ・レーニャとジャクリーヌ・デュ・プレを合わせたような人」を望んだ。 ロッテ・レーニャは、1920年代から30年代にかけて、ナチス台頭前のドイツのミュージカル舞台で活躍し、「ワイマール文化の名花」と謳われた、オーストリア出身の歌手で女優。映画ファンの中には、『007』シリーズ第2作『ロシアより愛をこめて』(1963)で彼女が演じた、強烈な悪役ローザ・クレッブを思い浮かべる方が少なくないだろう。 ジャクリーヌ・デュ・プレは、国民的な人気を得ながら、不治の病のため早逝したイギリスの女性チェロ奏者。伝記映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(1998)では、エミリー・ワトソンが演じている。 オルガ役のオーディションには、多数の演奏家と俳優が参加した。選ばれたのは、実際にチェロ奏者として活動し、本作が俳優デビューとなる、ソフィー・カウアー。ロンドン郊外に住む、中流家庭出身の19歳だった。 フィールドは彼女のことを当初、オルガとは似ても似つかないと感じたが、演技を始めると、「彼女こそオルガだった」という。 イギリス人のカウアーは、ロシア訛りをYouTubeでマスターして、オーディションに臨んだ。そして役に選ばれた後も、演技への理解を深めるために、YouTubeを活用。名優マイケル・ケインの指導映像を参考にした。また彼女は、これ以上にない手本である、ニーナ・ホスやブランシェットの演技を、自分の撮影がない時もセットに来て、ずっとウォッチしていた。 ブランシェットはター役について、「…もうすぐ50歳で、人生において物理的にも抽象的な意味でも重要な変換期にいます。また、どの指揮者も未だかつて成し遂げたことのない野望も成し遂げようともしていますが、その時点でアーティストであり続ける唯一の方法は、そこから降りることだと悟ります」と語っている。 実際に様々なトラブルや軋轢が噴出することで、ターは名門ベルリン・フィルのTOPの座から降りざるを得なくなる。未見の方にはネタバレにもなるので詳しくは触れないが、ラスト、アジア某国でターが指揮する、ある趣向の演奏会の描写を観て、彼女が栄光の座から滑り置ちた象徴的なシーンと捉える方も少なくないだろう。 ブランシェットも脚本で初めて読んだ時、そのラストを、「なんて悲しいシーンなのか」と思った。しかしいざ撮影してみると、想像していたのとまったく逆で、「生命力にあふれた高揚感」を味わった。そして、「この結末こそ始まりである」と感じたという。 監督の解釈も、ブランシェットと同様で、ターはまだ、「自分の“楽器”を持っている」というものだった。 さてトッド・フィールドの16年振りの監督作となった『TAR/ター』は、完成してみると、「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」と絶賛を集め、彼女に4度目となるゴールデン・グローブ賞、ヴェネチア国際映画祭女優賞、全米・ニューヨーク、ロサンゼルスの各批評家協会賞等々をもたらした。 アカデミー賞では、主演女優賞はもちろん、作品賞・監督賞・脚本賞・撮影賞・編集賞の計6部門でノミネートされた。しかしこの年のアカデミー賞は「エブエブ」旋風が吹き荒れ、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)が、7部門もの大量受賞。その煽りを喰らって、ブランシェットもフィールドも、残念ながらオスカーを手にすることはできなかった。 しかし『TAR/ター』は、クラシック最高峰の楽団指揮者を最高の俳優が演じる、極上の音楽物であり、人間心理の“闇”を暴いた、背筋も凍るサイコ・サスペンスとして、観る者を強く揺さぶる作品。文字通りの「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」として、一見の価値ありなのは、間違いない。■ 『TAR/ター』© MMXXII Focus Features LLC. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2025.09.05
デヴィッド・フィンチャーが再創造した“北欧ノワール” ー『ドラゴン・タトゥーの女』
◆物語と社会批評性を継受する 2011年に公開されたアメリカ映画『ドラゴン・タトゥーの女』は、スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンによるベストセラー小説「ミレニアム」シリーズを、『セブン』(1995)『ソーシャル・ネットワーク』(2010)のデヴィッド・フィンチャーが新たに映画化した作品(以下「フィンチャー版」と記す)だ。既に同じ原作の映画『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(2009/以下「スウェーデン版」)が存在する中での再映画化はさまざまなリスクを伴っていたが、フィンチャーは原作の骨格を忠実に守りつつも、独自の美学を通じて「再創造」と呼ぶべき成果を上げたのだ。 ストーリーは雑誌「ミレニアム」の発行責任者ミカエル・ブルムクヴィスト(ダニエル・クレイグ)が、大財閥ヴァンゲル家にまつわる失踪事件を調査するという出だしから始まる。40年前に行方不明となった姪のハリエットをめぐり、閉ざされた一族の屋敷に滞在することになった彼は、調査の過程でヴァンゲル家の暗い歴史や、連続殺人の影へと迫っていく。 そんな捜索の過程で協力者として現れるのが、背中にドラゴンのタトゥーを背負った天才ハッカー、リスベット・サランデル(ルーニー・マーラ)だ。彼女は社会から逸脱した存在でありながらも、鋭い知能と強靭な意志を武器に、ミカエルとの奇妙な信頼関係を築いていく。 優秀なジャーナリストでもあったラーソンの小説は、単なる推理ミステリーにとどまらず、スウェーデン社会に巣食う女性差別や企業不正、そして右翼過激派の問題を暴き出す社会批評の書でもあった。フィンチャー版もその精神を受け継ぎ、雪深い北欧の風景は閉塞感を象徴し、物語に冷徹なサスペンスを加える。特に孤立した島の屋敷という舞台は、閉ざされた共同体に潜む暴力性を可視化させ、観客に社会的なテーマを強く突きつける。そしてジャーナリズムの使命や女性への暴力といった問題は、リスベットの存在を通してより鋭く提示される。彼女は被害者であると同時に、加害者に報復する主体であり、男性中心社会に対するアンチテーゼそのものなのだ。 ◆キャラクター造形とビジュアル表現 フィンチャー版のリスベットは、ルーニー・マーラの徹底した役作りにより、オーディエンスに強烈なまでに印象付けられていく。特殊メイクに頼らず実際にピアスを装着し、肉体そのものを役に変貌させることで、彼女はリスベットの痛みや孤独、そして怒りを生々しく表現したのだ。そしてパンクな装いは単なるファッションにとどまらず、社会への抵抗の象徴として力強く機能している。彼女は正義の化身ではなく、矛盾と傷を抱えた人間として描かれることで普遍化し、観る者の共感を呼ぶのだ。 またリスベットは、ミカエルとの関係性も重要な要素として併せ持っている。倫理的で冷静なジャーナリストであるミカエルと、社会からはみ出した破天荒なハッカーであるリスベット。両者の対比は物語に緊張感を与え、協働の過程で生まれる信頼が、サスペンスを越境した人間ドラマを築き上げていく。フィンチャー版ではこの関係性が繊細に描かれ、観客に深い余韻を残す。そして最後にかかる「イズ・ユア・ラヴ・ストロング・イナフ?」(リドリー・スコット監督による『レジェンド/光と闇の伝説』(1986)米公開版のエンディングとして有名)のカバーは、彼女のミカエルへの思いを代弁する。 あなたの愛は、海の岩のように強いの?わたしは求めすぎなのでしょうかー。 映像面では、フィンチャーが得意とする冷徹な画作りが、このようなミステリアスで哀しい物語を支える。暗色を基調とした画面設計、緻密な構図、そして色彩の徹底的な管理によって、観客は常に居心地の悪さを覚える。それは同時に、真相を追う緊張感へと没入させるギミックでもある。オープニングで用いられた、トレント・レズナーとアティカス・ロスによる「移民の歌」のカバーをバックに、タールで全てが覆われていくタイトルシークエンス(担当は後に『デッドプール』(2016)で監督デビューするティム・ミラーとBlur Studio)は、その不穏な世界観をダイレクトに提示する。 なにより特記すべきは、映像が単なる美的表現ではなく、物語の精神とリンクしている点だ。例えばリスベットのクローズアップは悲しみを誇張するのではなく、冷たい解像感によって別の感情へと訴えていく。また雪景と屋内の色温度の対比は、歴史とトラウマの二項対立を象徴するものだ。フィンチャーはビジュアルそのものを論理の延長として用い、観客を心理的に操作しているのである。 ◆撮影技術とフィンチャーの哲学 そんなフィンチャー版を視覚的に成立させたのは、撮影監督であるジェフ・クローネンウェスのはたらきによるといって過言ではない。使用カメラはRED One MXとRED Epic。Epicの5K収録をベースとし、4K仕上げにすることで、後のポストプロダクションでのリフレーミングやスタビライズに耐えうる設計がなされていた。これはフィンチャーの「24fpsレベルでのPhotoshop」という持論を体現するワークフローである。つまり撮りきりではなく、多数のテイクを重ねたうえでショットを厳選し、後に微細な合成をおこない、俳優の目線や言葉を統合して一つの最適解としてのショットを作り上げていく。そんな映画制作そのものが、作中の調査プロセスと同型をなしているといえる。 またレンズは歪みが少なく高解像を得られるZeiss Master Primeを用い、冷淡な観察者の視線を実現している。加えて照明は低照度で設計され、肌はキーより一段落として血色を抑える。また雪景の反射光や、室内のタングステン光を意図的に対置させることで、北欧の自然と人間社会の軋みを視覚的にあらわした。特にヴァンゲル家の屋敷では、窓外の雪の白と室内の黄が衝突し、それが歴史に縛られる一族の暗さを暗喩している。 シーンごとの光の設計も緻密で、リスベットの部屋はモニター光や蛍光灯をそのまま活かし、鈍い冷気を画面に定着させている。マルティン・ヴァンゲル(ステラン・スカルスガルド)の地下室では、色温度を中庸に保つことで、血の赤や金属の反射を過剰に演出せず、むしろ抑制された冷淡さで恐怖を増幅させている。これは観客に「感情的な恐怖」ではなく「制度的な暴力の冷酷さ」を伝える表現であり、フィンチャーらしい残酷さの描き方といえるだろう。 こうした技術的な設計は、北欧ノワールの文脈を踏まえながらも、フィンチャーならではの哲学を付与している。寒色の自然光と制度的な暴力というテーマはそのままに、ジェンダーの力学を先鋭化し、視覚的な言語でリスベットの位置づけを表象する。わずかに外された構図、中心からのずれは、彼女が社会の枠に収まらない存在であることを示す視覚的な符号だ。 『ドラゴン・タトゥーの女』は、こうしてノワールミステリーの枠組みを借りながら、フィンチャーが撮影からポストプロダクションに至るまでを精密に再構築し、物語のテーマと制作プロセスが同型をなす点で独自性を放つ。リスベットがシステムの隙間から真実を構成するように、フィンチャーもまた撮影後のショットを再配列し、冷徹でありながらも強烈なリアリティを獲得する。そこに我々は、映画の内容とと視覚的美学の結節点を覚えるのだ。 本作は興行的な大ヒットには至らなかったものの、批評面では高く評価された。米アカデミー賞では編集賞を受賞し、撮影賞や主演女優賞にもノミネート。特にマーラの演技は絶賛され、リスベット像を新たな次元へと引き上げた。以後の続編(2018年公開の『蜘蛛の巣を払う女』)で別の女優が演じることになっても、その存在感は依然として鮮烈である。■ 『ドラゴン・タトゥーの女』© 2011 Columbia Pictures Industries, Inc. and Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.09.02
タイで起きた洞窟遭難事故を異なる視点で描いた2作品を徹底比較!『13人の命』『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』
世界の注目を集めた「タムルアン洞窟の遭難事故」とは? 2018年の夏、東南アジアのタイで起きた「タムルアン洞窟の遭難事故」。現地の少年サッカー・チームのメンバー12人とコーチ1人が、全長10キロメートル以上もあるタムルアン洞窟へ遠足に出かけたところ、折からの大雨で水位が上昇したため外へ出られなくなってしまったのだ。救出にはタイ王国海軍の特殊部隊のほか、世界各国からプロダイバーや各種専門家、ボランティアがおよそ1万人も集結。文字通り世界中のメディアが固唾を飲んで見守る中、ダイバー1人が命を落とすという悲劇に見舞われながらも、13名全員を無事に救出という奇跡の生還が成し遂げられた。あまりにもドラマチックな出来事だったこともあり、これまでに数多くのドキュメンタリー映画や劇映画、ドラマ・シリーズの題材として取り上げられてきたが、9月のザ・シネマではその中から地元タイで制作された『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』(’19)と、ハリウッドの巨匠ロン・ハワードが監督した『13人の命』(’22)の2本を放送。どちらも同じ事件を基にした劇映画ではあるが、しかし題材へのアプローチは大きく異なっている。そこで今回は、それぞれの映画の見どころを比較解説してみたい。 まずは遭難事故の顛末を駆け足で振り返ってみよう。そもそもの発端は2018年6月23日、タイ北部のチェンライ県にて地元の少年サッカー・チーム「ムーバ(野生のイノシシ)」に所属する11歳~17歳のメンバー12人と、25歳のアシスタント・コーチが近隣のタムルアン洞窟を訪れ、探索するために内部へと進入。ところが折からの大雨によって洞窟内の水かさが増したため、全員が外へ出られなくなってしまったのだ。子供たちの帰りが遅いことを心配した親からの問い合わせで、チームのヘッド・コーチが行方を捜したところ、遠足に誘われたものの参加しなかったメンバーの少年から事情を知らされたという。そして、洞窟の近くに子供たちの自転車が置き去りにされたままであることを確認したヘッド・コーチは、すぐさま事態を察知して当局に通報したのである。 『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』 すぐさまタイ海軍の特殊部隊が現地へ向かったほか、地元在住の英国人洞窟ダイバー、ヴァーン・アンスワースの助言でタイ当局は英国洞窟救助会議(CBRC)に救援を要請。さらに、沖縄駐留の米軍やオーストラリア、中国、ベルギー、フランスなど各国のダイバーや専門家などが駆け付けたほか、近隣住民たちもボランティアとして水抜き作業や炊き出しなどに参加する。遭難から10日目の7月2日、英国人ダイバーたちが行方不明の13人全員の生存を確認。チェンライ県知事とタイ海軍を中心とした救助本部は当初、洞窟内の水が引くか子供たちが潜水技術を習得するまで、時間をかけて救助するつもりだったそうだが、しかし雨季が訪れると洞窟内は水没してしまうし、すでに洞窟内の酸素低下も進行している。もはや一刻の猶予もなかった。 問題は少年たちのいる場所から洞窟の入り口まで5~6時間かかること。しかも洞窟内は極端に狭い上に、水中を潜って移動せねばならない。大人でも洞窟ダイビングの経験がなければパニックに陥ってしまう。そこで、英国人ダイバーたちの助言もあって極めて特殊な救出方法が採用される。それは、酸素マスクとボンベ、ダイビングスーツを装着させた少年らやコーチに相当量の鎮静剤を投与し、眠らせた状態にしてダイバーたちが運ぶというもの。洞窟内へ酸素ボンベを運ぶ際に、元タイ海軍特殊部隊のボランティア、サマーン・クナンが命を落とすという悲劇に見舞われるも、遭難発生から16日目の7月8日に救出作戦を決行。3日間に渡って慎重に作戦を遂行した結果、13人全員を無事に救い出すことができたのである。当時、この奇跡的な生還劇は日本でも大きく報道されたので、記憶にあるという人も少なくないだろう。 『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』 同じ題材でも着眼点によって大きく異なる作品に かように、世界中の人々に大きなインパクトを与えた「タムルアン洞窟の遭難事故」。発生の直後から各国のテレビで特集が組まれ、ドキュメンタリー番組も作られたようだが、しかし最初に劇映画化したのは地元タイで制作された『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』である。演出と脚本を担当したのはアイルランド人を父親に持ち、イギリスやハリウッドでも活躍するタイの映画監督トム・ウォーラー。バンコクを拠点にする彼の制作会社がプロデュースを手掛けた。やはり地元制作の強みなのだろうか、実際に事故の現場となったタムルアン洞窟での撮影許可を得て現地ロケを敢行。ただし、必要に応じて別の洞窟やスタジオ・セットでの撮影も行われたという。しかし、本作において最も特徴的なのは、アイルランド在住のベルギー人ダイバーのジム・ウォーニーや中国人ダイバーのタン・シャオロン、ポンプ製造会社社長など、実際の救出作戦に携わった人々が本人役で出演していることであろう。そのほかのキャストも、主にアマチュア俳優を起用している。ウォーラー監督の演出は徹底してリアル。カメラが被写体からあえて距離を置くことで、疑似ドキュメンタリー的な説得力を備えているのだ。 一方、事故から4年後に作られたのが『13人の命』。『アポロ13』(’95)や『ラッシュ/プライドと友情』(’13)など実録物映画にも定評のある巨匠ロン・ハワードが演出を手掛け、ハリウッドのメジャー・スタジオ。MGMがプロデュースを担当した。コリン・ファレルやヴィゴ・モーテンセン、ジョエル・エドガートンなどハリウッドの大物スターたちがダイバー役で出演。地元タイからも数々の有名スターが起用されている。タイ当局による脚本の検閲を避けるためもあって、主なロケ地はオーストラリアのクイーンズランド州。一部でタイ・ロケも行っているようだが、しかし本編の大部分はゴールド・コーストの各地をタイに見立てて撮影されている。洞窟内のシーンはスタジオに建設された巨大セット。救助に携わった英国人ダイバーのリック・スタントンとジョン・ヴォランセンが監修を務めた。『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』がドキュメンタリー映画風に仕立てられていたのに対し、本作はまさに王道的なハリウッド流の実録ディザスター映画。同じ遭難事故を描いているはずなのに、両者を見比べると全く違う印象を受けるのが興味深いと言えよう。 『13人の命』 恐らく最大の違いは両者の視点である。『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』が事故発生から救出作戦までの全容を客観的に俯瞰し、その経過を現場に携わった人々それぞれの視点から多角的に捉えることで、なんとしてでも少年たちを救いたい!という熱い想いで心を一つにしていく関係者たちの人間模様をエモーショナルに描いていく。本人役を演じるジム・ウォーニーに焦点を当てたシーンもあるにはあるが、しかし基本的には全員が主人公だ。それに対して、『13人の命』は英国人ダイバーたちを明確な主人公として設定。慣れない異国の地で官僚主義的な現地当局の対応に悩まされつつ、前例のない救出作戦に挑んでいく勇敢な男たちの英雄的な活躍をスリルとサスペンスとアクションたっぷりに描く。前者が作戦決行へ向けて奔走する人々の群像劇をメインにする一方、後者は困難を極めた救出作戦の克明な描写に重点を置いているのも印象的。作り手がどこに着眼点を置くかによって、同じ題材でもこれだけ異なった作品に仕上がるという好例だ。 ちなみに、どちらの作品も洞窟内に閉じ込められたコーチと少年たちが、どのようにしてサバイブしたのかという詳細が全く描かれていないのだが、これにはちょっとした「大人の事情」が絡んでいる。というのも、サッカー・チーム「ムーバ」の物語だけは先にNetflixが著作権を押さえていたため、『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』でも『13人の命』でも劇中で描くことが許されなかったのだ。結局、『13人の命』が劇場公開およびウェブ配信された直後の’22年9月に、Netflixはサッカー・チーム「ムーバ」の少年たちを主人公にしたドラマ・シリーズ『ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出』を配信している。■ 『13人の命』 『13人の命』 © 2025 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved. 『THE CAVE サッカー少年救出までの18日間』© Copyright 2019 E Stars Films / De Warrenne Pictures Co.Ltd. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.08.21
新たな“ロック伝記映画”を誕生させた、バズ・ラーマン監督とニュースターのコラボ!『エルヴィス』
“キング・オブ・ロックンロール”!ギネスが認定する、「世界で最も売れたソロアーティスト」である、エルヴィス・プレスリー。 1935年1月8日生まれ。幼い頃から、ブルース、ゴスペル、R&B、カントリーなど様々な音楽の洗礼を浴びた彼は、それらすべてを吸収し、新しい時代の音楽だった“ロックンロール”シーンを切り開いていった。彼が居なかったら、ビートルズもクイーンも、存在しなかったなどとも言われる。 1950年代中盤から70年代まで、紆余曲折ありながらも、高い人気を誇った。しかし77年、突然の心臓発作で、42歳でこの世を去ってしまう。そのあまりにも早すぎた死もあって、エルヴィス・プレスリーは、今でも語り継がれる存在となっている。 そんな男の伝説的な生涯を描くことにチャレンジしたのは、オーストラリア出身のバズ・ラーマン監督。『ダンシング・ヒーロー』(92)で監督デビュー後、ハリウッドに招かれ、『ロミオ+ジュリエット』(96)『ムーラン・ルージュ』(2001)などで、第一線に躍り出た。 ラーマンの少年時代、家族が経営する映画館では、毎週土曜にエルヴィスの主演作を上映していた。彼は早くから、“キング・オブ・ロックンロール”の魅力に、触れてきたのである。 ラーマンはエルヴィスの人生を、「3つのステージに分かれていて、それぞれ50年代、60年代、70年代にぴたりと収まる…」と分析。エルヴィスを背景に、50~70年代のアメリカを描くことを目指した。 エルヴィスは、貧しい白人の家庭に生まれて、黒人コミュニティの側で育った。そんな出自があってこそ、多様な音楽を呑みこみ、スーパースターに上り詰めたのである。「人種問題を扱わずに、エルヴィス・プレスリーを語ることはできない…」 それが本作を作るに当たっての、ラーマンの決意だった。 ***** 1997年。エルヴィス・プレスリーの元マネージャー、トム・パーカー大佐は、死の床に就いていた。薄れていく意識の中で、彼は、エルヴィスとの日々を振り返っていく。 54年、カントリー歌手のマネージャーだったパーカーは、ツアー先でエルヴィスと出会う。まるで黒人のように歌う白人歌手で、腰をくねらせて歌い踊る姿に、女性ファンは熱狂した。 専属マネージャーとなったパーカーは、その手腕で、エルヴィスを全米の人気者へと、仕立て上げる。エルヴィスは、初のNo.1ヒット「ハートブレイク・ホテル」から、スター街道を驀進する。 それと同時にエルヴィスは、“骨盤ダンス”“黒人のマネ”などと揶揄もされ、白人の権力者たちからは、敵視される存在となった。パーカーは、エルヴィスの刑務所送りを回避するために、徴兵令に応じさせる。エルヴィスは、2年間の兵役を務めることとなった。 軍隊生活を終えて、復帰したエルヴィスの主戦場はハリウッドとなる。しかし社会変革の波が押し寄せ、音楽の世界にもビートルズなどが登場した60年代後半になっても、パーカーの方針で、似たようなストーリーの、安手な作品に主演を重ねることとなる。音楽活動もパッとせず、エルヴィスは段々と、時代遅れの存在となっていく。 キング牧師、ロバート・ケネディ上院議員が相次いで暗殺された1968年。この年の12月に、エルヴィスはTVの特別番組に出演する。クリスマス・ソングを歌えというパーカーの強要を無視。自らの音楽的ルーツを探り、アイデンティティーを見直すチャレンジを行い、見事復活を果たしたのだが…。 ***** 大きな注目を集めたのは、“キング・オブ・ロック”エルヴィス・プレスリーを、誰が演じるのか?大役を射止めたのが、オースティン・バトラーだった。 エルヴィスが逝ったのは、1977年8月16日。バトラーが生まれたのは、その14年と1日後の91年8月17日だった。子ども時代から父と一緒に名作映画を観ていたバトラーは、10代の頃からTVドラマや映画に出演。憧れの俳優は「ジェームズ・ディーンとマーロン・ブランド」だった。 そんなバトラーが、クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)の出演を終えた、2018年の暮れ。ロスの街を車で走っていたら、エルヴィスのクリスマスソングが流れてきた。その時、同乗していた友人が言った。「いつか君はエルヴィスの役を演じるべきだ」 その数週間後に、同じ友人の前でピアノの弾き語りを披露すると、更に熱くプッシュされた。「何とか映画化の権利を手に入れてでもエルヴィスを演じてくれ」と。 数日後、バズ・ラーマンがエルヴィスの映画を作るという情報が、バトラーの元に届いた。もちろんオファーなど、受けたわけではない。しかしこのタイミングに運命的なものを感じた彼は、「自分のもてるすべてを捧げ、役をつかもう」と、決心したのだった。 エルヴィスのファンだった祖母の家で、子ども時代にその楽曲や主演映画に慣れ親しんでいたというバトラー。『エルビス・オン・ステージ』(1970)をはじめ、手に入る限りのドキュメンタリーやライブ映像を見て、関連する書籍も読み漁った。 そんな中で、自分が母を亡くした23歳の時に、エルヴィスも最愛の母を失ったことを知ったという。 本格的なオーディションなどが行われる前に、自らがエルヴィスの曲を歌った映像を撮って、ラーマン監督に送ることを決めた。最初は初期の代表曲「ラブ・ミー・テンダー」をと思ったが、いざ撮影してみると、単なるモノマネのようにしか思えず、恥ずかしくなってしまった。 そんな時に、亡き母が死にそうになる悪夢を見た。完全にダウナーになったバトラーは、その気分を何かにぶつけようと、ピアノを弾きながら歌ったのが、「アンチェインド・メロディ」。エルヴィスがコンサートなどで、再三披露した楽曲だ。バトラーは、恋人に向けられたその歌詞を、母に捧げるように、歌ってみせた。 ラーマン監督は語っている。「オースティンが涙を流しながら『アンチェインド・メロディ』を歌う録画テープを送ってきたんだ…」。 また、それを見たすぐ後、ラーマンの元に、それまでまったく知り合いではなかった“名優”から、電話が入った。電話の主は、デンゼル・ワシントン。ブロードウェイで共演したバトラーのことを、エルヴィス役に推す内容だった。 ラーマンは、バトラーと会うことを決めた。ニューヨークへと呼ばれたバトラーは、その初日にラーマンと、エルヴィスや彼の人生について3時間ほど話した。その後、台本読みや様々なスクリーンテスト、音楽や演技のワークショップを経て、数か月後正式に、エルヴィス役を射止めたのだった。 バトラーが、エルヴィスになり切るための日々が、本格化する。週6日のヴォイストレーニングは、1年以上続いた。 そうした訓練のかいもあってか、本作では、60年代以前の若い頃のエルヴィスの歌声は、バトラーのものを主に使用。時折エルヴィスとバトラー、2人の声を融合させている。 さすがに晩年近くの、力強く象徴的なヴォーカルは、エルヴィス本人の声を使う他はなかったが。 エルヴィスの細かい所作を徹底的に叩き込む役割を果したのは、ポリー・ベネット。『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)で、ラミ・マレックがフレディ・マーキュリーになり切ることをサポートした実績の持ち主だ。 バトラーは、エルヴィスがインスパイアされたアーティストたちについても、徹底的にリサーチ。ビッグ・ママ・ソーントン、シスター・ロゼッタ・サーブ等々。更には、スピリチュアル音楽、オペラなど、エルヴィスに影響を与えた音楽を聴きまくった。 ラーマンと共に、ナッシュビルにロードトリップへと出掛けたのも、役作りの一環。バトラーは初めて、エルヴィスの妻だったプリシラ・プレスリーと会い、テネシー州メンフィスに在るエルヴィスの邸宅、グレイスランドを歩き回ったりした。 また、エルヴィスが270曲以上吹き込んだRCAスタジオを訪れた際は、彼が実際に使っていた機材で「ハートブレイク・ホテル」をレコーディング。その際にラーマンは、RCAの社員たちをスタジオに呼び込み、観客役を務めてもらった。バトラーは「見知らぬ人を前にしてパフォーマンスをする感覚」を、そこで体得したという。 本作は、2020年春の撮影開始が予定されていたが、コロナ禍で中断。そうした期間を含め、バトラーは3年近く、エルヴィス・プレスリーという役作りに取り組むこととなった。 本作で“信用できない”語り手を務めるのは、トム・パーカー大佐。エルヴィスは、パーカーとの縁を切ろうと再三試みるも、彼に多額の借金をしていたことから、結局は言いなりになる他はなかった。70年代に入って、ラスベガスのホテルでショーを続ける内に激太り。1977年8月に心臓発作に襲われて最期を遂げる。 ラーマン曰く、「“大佐”であったことはなく、“トム”でも“パーカー”であったことも一度もない」「音楽を聴き分ける耳を一切もち合わせていなかった」という、この世にもいかがわしい人物は、1909年オランダ生まれ。父を亡くした後、20歳の時に、アメリカに不法入国したとされるが、母国で殺人の嫌疑をかけられたため、アメリカに逃亡したという説も唱えられている。 国籍を取るために軍に入り、除隊後に、トム・パーカーと名乗るようになった。“大佐”というのも、愛称に過ぎない。エルヴィスが終生世界ツアーに出られなかったのは、パーカー大佐が、アメリカ合衆国のパスポートを保持していなかったためである。 パーカーは、音楽的センスは皆無だったが、エルヴィスのショーが若い観客に与える影響に魅了されたと、本作では描かれる。ラーマン監督はエルヴィスとパーカーを、「モーツァルトとサリエリのような関係…」と解釈。死の床にあるパーカーが、エルヴィスとの日々を回想する構成は、舞台から映画にもなった『アマデウス』(1984)から頂戴している。 難役である、このトム・パーカー大佐を演じたのは、アカデミー賞主演男優賞に2度輝く、トム・ハンクス。彼のキャリアでは極めて稀な、本格的な“悪役”と言える。 ハンクスのパーカー評は、「…天才であり、悪人でもあった。自制心の強い男であり、非常に賢いビジネスマンでもあり、10セント硬貨すら惜しむケチであったが、エルヴィス・プレスリーが登場するまで存在しなかった大型ショービジネスを開拓したパイオニアでもあった」というもの。 ハンクスはこの役を研究するために、プリシラ・プレスリーと話した。パーカーはエルヴィスの死後に、裁判でマネージャーとしての悪事を暴かれ、ギャンブル癖により財産を散財して亡くなっている。ハンクスはプリシラから、そんなパーカーへの不信感を聞けると期待したが、彼女のパーカー評は、予想とは違ったものだった。「彼はすばらしい人だった。今も生きていてくれたらいいのにと思う。私たちをとても大切にしてくれた。そして、それなりに“悪党”だった」 本作の撮影のほとんどは、オーストラリアはゴールドコーストのスタジオで行われた。バトラーが最初に撮影したのは、本作のクライマックスである、1968年12月のTVショーのシーンからであった。スタジオには、グレイスランドから、70年代にエルヴィスが伝説的なステージを行う、インターナショナルホテルのステージまで、見事なセットが組まれた。 本作の全米公開日は、エルヴィスの死後45年が経った、2022年の6月24日。バトラーの演技は、アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされるなど絶賛され、ゴールデングローブ賞の授賞式の際は、徹底した役作りの影響で、エルヴィスの南部訛りが抜けていないことが、話題となった。 バトラーはその後、『デューン 砂の惑星PART2』(2024)など出演作が目白押し。順調にスター街道を歩んでいる。 バズ・ラーマン監督は、『ダンシング・ヒーロー』『ロミオ+ジュリエット』『ムーラン・ルージュ』で見せた絢爛豪華で「クレイジーな語り口」は抑えながらも、自らの特質を活かして、新たな“ロック伝記映画”のスタイルを確立したと、高く評価された。 エルヴィス・プレスリーという“伝説”の映画化によって、バズ・ラーマンとオースティン・バトラー、2人のキャリアには、それぞれの新たな1頁が開かれたのである。■ 『エルヴィス』©2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2025.08.08
『ドミノ』=ハイコンセプトな心理スリラーの成立
「この作品のストーリーとタイトルは、ヒッチコック監督の『めまい』から着想を得ている。『ドミノ』のアイデアは、ロバートが“ヒッチコック風の映画を作りたい”と言ったことから始まったんだ。彼は“もしヒッチコックのキャリアが続いていたら、次にどんな作品を手がけていただろう”と考えたんだ」(※1) レヴェル・ロドリゲス(『ドミノ』作曲家。ロバート・ロドリゲスとプロデューサーの実子) ◆SF大作から、ウェルメイドな特殊能力映画へ ハリウッドが持つ資本力と高度なテクノロジーを最大限に活かし、日本の人気コミックを原作とする『アリータ:バトル・エンジェル』(2020/以下『アリータ』)を手がけた監督ロバート・ロドリゲス。ジェームズ・キャメロン(『アバター』シリーズ)が長年抱え続けてきた企画を実現させ、デジタルシネマの第一人者としてキャメロンの希求に応えたロドリゲスだったが、そんな彼が次回作に選んだ本作『ドミノ』は、『アリータ』とはじつに対照的な、小規模で実写ベースの心理スリラーだ。 だがプロットと物語は、かなりツイストの利いたものになっている。ベン・アフレック演じるオースティン警察の刑事ダニー・ロークは、3年前に7歳の娘ミニーが行方不明になり、自責の念を抱え続けていた。 ある日、そんな彼のもとに銀行強盗が計画されているというタレコミが入り、ダニーはその捜査に加わる。だが、現場に現れた謎の男(ウィリアム・フィクナー)を主犯と断定して追い詰めると、同行した警官が暗示をかけられたようにお互いを撃ち殺し、男は屋上から飛び降り姿を消してしまうー。 ダニーは逃走した人物の素性を知るべく、タレコミを入れた占術師ダイアナ(アリシー・ブラガ)に助けを求める。高度な読心能力を持つ彼女によれば、その謎の男はレブ・デルレーンといい、「ヒプノティクス」と呼ばれる精神操作で他者を意のままに操る、ダイアナと同じ秘密政府機関に所属していたというのだ。 映画はこうした出だしに始まり、ダニーは特殊能力で人を操る、脅威的な犯罪者との戦いを強いられていく。その過程で現実と錯覚の境界を揺さぶる世界へと踏み込み、彼は「現実そのものが仕組まれた幻なのでは?」という疑念へと追いやられていく。 ◆『めまい』に触発されて生まれた企画 本作のアイディアは、ロドリゲスがアルフレッド・ヒッチコックの古典的ミステリー『めまい』(1958)の1996年復元版を観たことが着想の起点だと語っている。同作は高所恐怖症の元刑事が、死んだ恋人とそっくりな女性に執着し、現実と虚構の狭間で憔悴していくサスペンスのマスターピースだ。ロドリゲスは35mmフィルム2倍の撮像領域を用いて高画質を得る「ヴィスタヴィジョン」を再現した高精細映像バージョンで『めまい』に触れ、創造力を大いに刺激されたのだ。 事実、『ドミノ』は『めまい』と、テーマやドラマ構造において似た点を持つ。主人公の認識の歪みや、幻想と現実の錯綜、失った愛する者への執着など、まさしく同じものを共有している。 しかしいっぽうで、『ドミノ』はロドリゲスらしさを強く主張する。たとえばストーリー前半の展開が後半にかけ、展開が意外な方向へと転じていく本作の構造は、彼が1996年に発表した『フロム・ダスク・ティル・ドーン』を彷彿とさせるものだ。本作も前半が犯罪スリラー、そして後半が吸血鬼ホラーとジャンルを越境していくサスペンスアクションで、『ドミノ』成立の布石として関係性を指摘できる。さらに視野を拡げれば、限られた制作条件をアイディアと表現力でカバーする姿勢は、7000ドルという低予算で制作された快作アクション『エル・マリアッチ』(1992)に通底するものだ。 なにより現実と見紛うバーチャル領域に誘導し、主人公を翻弄するこの映画の世界観そのものが、デジタルのマジックで我々をあざむくロドリゲスの演出スタイルを換言したものといえるだろう。 ◆ヒッチコックの嫡流、デ・バルマと共有する世界 それにしても、この『ドミノ』の、巧妙に人をサプライズへと導く手の込みようは尋常ではない。主役のダニー・ローク刑事を演じるベン・アフレックは、今やバットマン/ブルース・ウェインを当たり役に持つ人気俳優であり、おそらく誰もが本作で、彼は悲壮なヒーローを最後までまっとうするものと信じて疑わないだろう。いっぽうダニーを翻弄するトリックスターとして存在感を放つウィリアム・フィクナーは、『ダークナイト』(2009)でジョーカーにシマを荒らされるマフィアの構成員(表向きは銀行マン)が印象的で、その風体にはやがうえにもヴィランのタッチが染み付いている。こうした俳優のパブリックイメージも『ドミノ』の、物語を反転させる高等トリックの成立に一役買っているのである。 さらに面白いことに、『ドミノ』はヒッチコックはもとより、氏の嫡流であるサスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマの諸作と似たテイストを共有している。たとえば娘を誘拐されたことに脅迫観念を抱くダニーのキャラクター像は、デ・パルマが『めまい』に触発されて手がけた『愛のメモリー』(1976)の主人公マイケル(クリフ・ロバートソン)に同種の傾向が見られるし、政府の秘密機関が特殊能力者を手札にしようとたくらむ本作の中心的プロットは、デ・パルマが名優カーク・ダグラス主演で撮った超能力スリラー『フューリー』(1992)と異曲同工な印象を与える。むろんロドリゲスがこれらのテイストを拝借したのではなく(引用の意図は少なかれあったのかもしれないが)、ヒッチコックを創造の親とする彼らの作品が同じ轍を踏むところ、それは宿命的であり、作品がそう深掘りできる要素を含んでいるのを指摘したまでのことだ。 また前述でフィクナーの名を出す関係上『ダークナイト』に触れたが、同作の監督クリストファー・ノーランがハイコンセプトな諸作を連投してきたことが、ロドリゲスの先鋭的なたくらみに観客がすんなりと入り込めるベースを作っている。時間をさかのぼる編集で事件の真相に迫っていく『メメント』(2000)や、順行時間と逆行時間勢力の衝突を描いたタイムSF『TENET テネット』(2020)など、こうした先行者たちの野心的な試みが、奇異極まる『ドミノ』の存在を正当化させるのだ。偶然にも時空の歪みを捉えた同作の視覚表現が、夢の争奪戦を描いたノーランのスパイアクション『インセプション』(2010)のいくつかを連想させ、前掲のような論証への展開をうながしていく。 ◆なぜ『ドミノ』なのか? ちなみに、この映画の原題は先に触れた、人の心を操る「ヒプノティクス」(催眠)が本来のタイトルで、『ドミノ』は日本で独自につけられたものだ。ポスタービジュアルではベン・アフレックの背後にドミノ倒しの画像があしらわれており、それが影響して『ドミノ』が原題だと思っている人も少なくない。ご丁寧にも、このドミノ倒しの映像は劇中にも登場し、相手の心を圧倒的な能力で支配するヒプノティックを、ドミノ効果を持ち出して解説までしている。 しかも、このドミノは物語のサプライズ的な要素を含んでおり(それに関してここでは詳述を控えたい)、原題のわかりにくさをカバーする目的とはいえ、じつに秀逸な邦題だ。 なにより、この『ドミノ』というタイトルは、文頭のレヴェル・ロドリゲスが語るところの、本来のタイトルの目的を破壊することなく換言している。いわく、 「ヒッチコックは常に印象的な一語タイトルを得意としていた。『白い恐怖“Spellbound”』(1945)『めまい“Vertigo”』『サイコ“Psycho”』(1960)のようにね。「ヒプノティクス“Hypnotic”」というタイトルは彼にとって、すぐに浮かんだ素晴らしいアイデアだった。ただ問題は、ロバートがそのタイトルが何を意味するのか、それを必死に考えなければならなかった点だ」(※2) (※1)(※2)“Hypnotic” Composer Rebel Rodriguez on Scoring The Robert Rodriguez/Ben Affleck Head-Trip Thriller(https://www.motionpictures.org/2023/05/hypnotic-composer-rebel-rodriguez-on-scoring-the-robert-rodriguez-ben-affleck-head-trip-thriller/) 『ドミノ』©2023 Hypnotic Film Holdings LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.08.04
青春ドラマとしても秀逸な‘80年代のスラッシャー映画を代表する傑作!『エルム街の悪夢』
ホラー映画ブームを牽引したスラッシャー映画群 空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代のハリウッド。その背景には特殊メイクの技術革命と、ホームビデオの普及によるビデオソフト・ビジネスの興隆があったとされる。日進月歩で進化する特殊メイクは、かつてなら作り物然としていたモンスターの造形やスプラッター描写にリアリズムをもたらし、人々はより刺激の強い恐怖と残酷を求めるようになる。その結果、リック・ベイカーやトム・サヴィーニ、ロブ・ボッティンといった特殊メイク・アーティストたちが映画の看板としてスター扱いされるように。しかも、テレビ放送ではカットされる過激な恐怖シーンもビデオソフトならノーカットで楽しめるため、おのずとホラー映画の主な二次使用先はテレビからビデオへと移行。さらに、折からのビデオレンタル・ブームがホラー映画人気を後押しした。ゾンビからエイリアン、オカルトから狼男まで様々なサブジャンルがホラー映画の黄金時代を彩ったわけだが、中でも特にブームを牽引する存在だったのは「スラッシャー映画」である。 別名「ボディ・カウント映画」とも呼ばれ、凶暴で凶悪な殺人鬼が罪もない人々(主に能天気でチャラチャラした若者)を片っ端から血祭りにあげていく、その手を変え品を変えの人殺しテクニックでファンを熱狂させたスラッシャー映画群。ブームのルーツはジョン・カーペンター監督の『ハロウィン』(’78)とされているが、しかし起爆剤となったのは間違いなくショーン・S・カニンガム監督の『13日の金曜日』(’80)であろう。それまでのホラー映画というのは、あえて肝心な部分を見せないで不安や恐怖を盛り上げるというのが優れた演出のお手本とされた。特にメジャー・スタジオの映画は品位を保つため、血みどろ描写を見せすぎないことが暗黙のルール。ところが、パラマウント配給の歴然たるメジャー映画だった同作は、残酷な殺人シーンを細部まで見せまくって世界中に大きな衝撃を与えたのである。 関係者の予想をはるかに上回る大ヒットによって、即座にシリーズ化が決定した『13日の金曜日』。たちまち似たようなスラッシャー映画が大量生産されるようになる。しかも、2作目で初登場した連続殺人鬼ジェイソンがまたインパクト強烈で、おのずと第2・第3のジェイソンを狙った有象無象の殺人鬼たちがスクリーンで大暴れ。しかし、急速に盛り上がったブームは醒めるのも早く、ほどなくしてスラッシャー映画は飽和状態に陥ってしまう。そこへ現れたのが、カニンガム監督の愛弟子であるウェス・クレイヴン監督の『エルム街の悪夢』(’84)。夢の中で殺されると本当に死んでしまうという発想の斬新さも然ることながら、夢の世界を支配する変幻自在の殺人鬼フレディ・クルーガーというユニークなキャラクターの独創性、夢だからこそ何でもありの想像力豊かな恐怖シーンの面白さが大いに受け、製作費100万ドル強の低予算映画ながら全米興収5700万ドルを超える大ヒットを記録。傾きかけたスラッシャー映画の人気再燃に大きく貢献することとなったのだ。 少年少女の悪夢に巣食う殺人鬼フレディの正体とは? 舞台はアメリカ中西部の閑静な住宅地エルム街。女子高生ティナ・グレイ(アマンダ・ワイス)は、夜な夜な見る奇妙な悪夢に悩まされていた。鋭利な鉄製の爪がついた手袋をはめた、焼けただれた顔の不気味な男に追い掛け回されるという夢だ。しかも、夢の中で男にネグリジェを切り裂かれたところ、目が覚めると本当にネグリジェがズタズタとなっている。寝ている間に自分で裂いてしまったのか、それとも…?夢を恐れるあまり寝不足となった彼女は、そのことを学校の友人たちに打ち明けたところ、親友のナンシー(ヘザー・ランゲンカンプ)やその恋人グレン(ジョニー・デップ)もまた、同じ男の夢を見ていると知って驚く。 ある晩、ティナの母親がボーイフレンドとの旅行で家を留守にしたため、ひとりでは怖くて夜を過ごせないという彼女のため、ナンシーとグレンがティナの家に泊まることとなる。そこへ、ティナと付き合っている不良少年ロッド(ニック・コリ)が登場。ひとしきりセックスを楽しんだ後、ロッドと一緒に自室で寝ていたティナの夢に再び不気味な男が現れ、いよいよネグリジェだけではなく彼女の肉体を切り裂き始める。ベッドの中でのたうち回り、助けを求めて叫びながら血まみれになるティナ。驚いて飛び起きたロッドの目には、ひとりでもがき苦しむティナの姿しか映らず、何か得体のしれない力によって彼女が殺される様子をただ見ていることしかできなかった。ティナの悲鳴を聞いて駆けつけたナンシーとグレン。ドアを開けた2人はティナの無残な遺体を発見する。 警察は現場から逃走したロッドを殺人の容疑者として指名手配。捜査の責任者はナンシーの父親であるドナルド・トンプソン警部(ジョン・サクソン)だ。ナンシーの両親は離婚しており、彼女は母親と一緒に暮らしているのだが、母親マージ(ロニー・ブレイクリー)はアルコール中毒を抱えていた。しばらく学校を休んでいいというけど、こんな家に居たって気分が滅入るだけ。そう考えたナンシーが登校しようとしたところ、身を隠していたロッドが助けを求めて姿を現し、このチャンスを狙っていたトンプソン警部がロッドを逮捕する。自分を囮に使った父親へ腹を立てるナンシー。それに、いくら不良少年とはいえ、根は善良なロッドが人を殺すとは到底思えなかった。しかも、授業中に気付かぬうち眠ってしまった彼女は、夢の中であの不気味な男に襲われ、間一髪のところで目が覚める。夢の中でわざと火傷を負って、その痛みで眠りから覚めたのだが、気が付くと本当に火傷を負っていて驚くナンシー。夢の中で起きたことが現実になる。だとすれば、ティナを殺した犯人はロッドではなく夢に出てくる男かもしれない。 やがて留置所に入れられたロッドが不可解な死を遂げ、思い余ったナンシーは「夢の中に出てくる男」について両親に打ち明ける。そんなバカバカしい話が現実にあるわけない。寝不足のせいで変な妄想に取りつかれているのではないか。ろくでもない友達に影響されたのだろう。娘の切実な訴えに全く耳を貸さず、むしろ正気を疑うナンシーの両親。ところが、ナンシーから「夢の中の男」の特徴を聞かされた彼らは思わず狼狽する。それは、かつてエルム街の子供たちを次々と殺害し、法の裁きを逃れようとしたためエルム街の親たちによって始末された連続殺人鬼フレディ・クルーガー(ロバート・イングランド)だったのだ…! フレディの人物像や作品の世界観に影響を与えた監督の生い立ち 誰もが寝ている間に見る「夢」。しばしば恐ろしい悪夢を見るという人も少なくないだろう。もしも、その夢の中で起きた出来事が現実世界にも物理的な影響を与えるとしたら、夢で殺された人間が実際に死んでしまうことだってあり得るかもしれない。人間なら誰でも身近に感じる「夢」を、恐怖の根源としたことが成功の一因。しかも、本作では人が夢を見るプロセスや仕組みを正確に踏まえ、現実と似て非なる不条理な「悪夢」の恐怖世界を見事に映像化している。なかなか言葉では説明しづらい夢と現実の曖昧な境界線を、ちょっとした違和感や肌感覚の違いで表現していく映像センスの鋭さに舌を巻く。これは演出家の感性はもちろんのこと、撮影監督の技術力に負うところも大きいだろう。 さらには、自我に目覚め始めた思春期の繊細な若者たちが抱える不安と迷い、そんな我が子をいつまでも子ども扱いしようとする親たちとの深い溝といった、古今東西のどこにでもある普遍的なテーマをきっちりと描いた脚本の妙も見逃せない。しかも、親たちは子供を子供として過小評価し、なおかつ後ろめたい思いもあって重大な事実を隠していたため、大切な我が子らの命を危険にさらしてしまう。そう、かつて自分たちが手にかけた連続殺人鬼フレディ・クルーガーの存在だ。 性教育などはまさしくその好例だと思うが、大人が子供に必要な知識を与えないと不幸な結果を招くことになりかねない。未成年の望まぬ妊娠や性病感染などは知識不足が主な原因だ。子供の身を守りたいのであれば「知識」こそが最大の武器。そこにタブーがあってはならないのだが、しかし過保護な親ほど「子供にとって必要な知識と必要でない知識」を勝手に選別してしまう。そもそも、親とて所詮は長所も短所もある普通の人間。決して完ぺきではないし、常に頼りになるとも限らない。そのことに気付いたナンシーは腹をくくり、自分で自分の身を守るべく殺人鬼フレディに一人で立ち向かっていく。親から守られてきた子供が自立した大人へと成長する過程を、これほどの説得力で描いた作品もなかなかないだろう。 もちろん、冷酷非情な残酷さの中に奇妙なユーモアと愛嬌を併せ持つ殺人鬼フレディのユニークな個性、低予算ながら創意工夫を凝らした特殊メイクや想像力の限りを尽くした恐怖演出の面白さも功を奏したと思うが、しかしやはりどんなジャンルの映画であれ何よりも重要なのは脚本。思春期の悩みや親子間の溝などの普遍的な題材を描いた青春ドラマとして、本作がターゲットである若年層の観客から大いに支持されたであろうことは想像に難くない。実際、日本公開当時に高校生だった筆者は、主人公ナンシーの精神的な成長に我が身を重ねて共感しまくりだった。だからこそ世界中で大ヒットしたのだろうと強く思う。 ちなみに、『エルム街の悪夢』は’70年代末に起きた実際の出来事が元ネタになっているという。当時、ポル・ポト派の虐殺を逃れた若いモン族の移民男性らが、相次いで睡眠中に亡くなるという事件が発生。この不可解な現象をロサンゼルス・タイムズの記事で知ったクレイヴン監督は、中でも最後に読んだ記事のケースが強く印象に残ったという。それは難民キャンプにいた若者。誰かに殺されるという悪夢に悩まされていた彼は、恐怖のあまりもう2度と眠らないと家族に宣言。医者である父親が処方する睡眠薬も密かに捨てていた。しかし、寝ないにしても限度というものがある。ある晩、いよいよ寝落ちしてしまった彼を家族は寝室へ運び、ホッと胸をなで下ろしたのもつかの間、深夜になって叫び声が聞こえたので寝室へ駆けつけると、若者は既に事切れていたのだそうだ。この事件をヒントに生まれたのが、「夢の中で殺されると本当に死んでしまう」という本作の基本コンセプトだった。 殺人鬼フレディの名前は子供の頃のいじめっ子から拝借。クルーガーというドイツ風の苗字は、ナチスを連想させるという理由で採用したらしい。ただし、フレディというキャラクター自体は男性特有の破壊的な傾向、つまり「有害な男性性」の象徴だという。「男というのは守り育てるのではなく壊したがる」と語るクレイヴン監督。そこには、恐らく暴君だった彼自身の父親のイメージが映し出されているのかもしれない。厳格なバプテスト信者の家庭に育ったクレイヴン監督は、タバコやアルコールやダンスはもちろんのこと、映画もまた「悪魔の娯楽」として固く禁じられていたため、大人になるまで映画を見たことがなかった。中でも6歳の時に亡くなった父親は短気で暴力的な人物だったらしく、子供ながらにいつか本当に殺されると怯えていたそうだ。「フレディには危険な父親のイメージが重なる」というクレイヴン監督。そのうえで、「若さへの嫉妬と嫌悪」という中高年男性の典型的な思考パターンをフレディに投影したという。つまり、殺人鬼フレディは「純粋で未来のある若者が憎い」という妬みを原動力に凶行を重ねるのだ。恐らく、本作に出てくる大人たちが子供に対して無理解で独善的なこと、特に父親たちが偏見まみれで頑固で身勝手なのも、そうした監督自身の実体験を基にした大人像や父親像が大きく影響しているように思う。 劇場公開までの苦難の道のり 脚本が出来上がったのは’81~’82年頃(諸説あり)。既に『鮮血の美学』(’72)や『サランドラ』(’77)が興行的に成功していたクレイヴン監督は、ある程度の自信をもって各スタジオへ脚本を売り込んだのだが、しかし当時のスラッシャー映画は供給過多な状況だったため、どこへ行っても断られてしまったという。唯一関心を示したのが、当時まだ弱小の配給会社にしか過ぎなかったニューライン・シネマ。リナ・ウェルトミューラーやベルトラン・ブリエなどヨーロッパの名匠たちによるアート系映画を全米に配給したほか、日本の千葉真一が主演した和製カンフー映画『激突!殺人拳』(’74)シリーズをヒットさせたことでも知られる会社だ。当時はサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』(’81)を配給して大成功したばかり。製作会社としての実績はまだまだ乏しかったが、しかし社長のロバート・シェイは『死霊のはらわた』みたいなホラー映画を自分でも作りたいと思っていた。なので、彼にとっては願ってもないチャンスだったのだ。 ただ、当時のニューライン・シネマには重大な問題があった。資金がまるで無かったのである。そこで、当時すでに妻子のいたシェイは自らの全財産を投入。家族や友人からも金を借りまくり、さらには企業からも出資を募るべく奔走した。スタッフも最初のうちはタダ働き。ライン・プロデューサーのジョン・バロウズは、クレジットカードのキャッシュサービスを利用してスタッフの給料を支払った。当時注目の若手俳優だったチャーリー・シーンがグレン役に関心を示したが、しかし週給3000ドルというニューライン・シネマとしては高額なギャラを要求されて断念。その代わり、無名時代のジョニー・デップを発掘できたのだから結果オーライである。クランクアップ予定日にまで撮影の終わるめどが立たず、かといってスケジュールを延ばせば予算が増えるため、一部シーンの撮影はクレイヴンの師匠ショーン・S・カニンガム監督に頼んだらしい。 さらに、音楽スコアを担当した作曲家チャールズ・バーンスタインへのギャラ支払いが遅れたため音源を渡してもらえず、当時出産したばかりだった共同プロデューサーのサラ・ライシャーが病院からバーンスタインに電話をして説得。これでようやく劇場公開にこぎ着けられる!と思ったら、フィルム現像会社への支払いが滞ったため、封切り1週間前にフィルムが差し押さえられてしまい、シェイ社長がなんとか現像所と話し合いをつけて解決した。そんなこんなで’84年11月9日に公開された『エルム街の悪夢』は前述のとおり大ヒットを記録し、これを足掛かりにしてニューライン・シネマはハリウッド・メジャーの一角を占める大企業へと成長する。その後の『ニンジャ・タートルズ』(’90)シリーズも『ラッシュ・アワー』(’98)シリーズも『ファイナル・デスティネーション』(’00)シリーズも、さらに言えば『ロード・オブ・ザ・リング』(’01)シリーズも『ホビット』(’12)シリーズも『死霊館』(’13)シリーズも、この『エルム街の悪夢』の大成功がなければ存在しなかったかもしれない。■ 『エルム街の悪夢』© The Elm Street Venture
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COLUMN/コラム2025.07.25
現代の巨匠イーストウッド、監督生活50年のメモリアル『クライ・マッチョ』
ハリウッドの生きる伝説、クリント・イーストウッド。今年5月で、95歳となった。 俳優デビューは1955年。もう、70年も前の話だ。 暫し不遇の時を過ごした後、TVの西部劇シリーズ「ローハイド」(59~65)でブレイク。その後はヨーロッパに渡って、セルジオ・レオーネ監督の“マカロニ・ウエスタン”『荒野の用心棒』(64)『夕陽のガンマン』(65)『続・夕陽のガンマン』(66)の、いわゆる“ドル箱3部作”で、主演俳優の座に就く。 ハリウッド帰還後は、ドン・シーゲル監督の薫陶を受け、最大の当たり役でシリーズ化された『ダーティハリー』(71)などへの出演で、押しも押されぬ大スターとなる。 そして、『ダーティハリー』に主演する直前には、サイコスリラーである、『恐怖のメロディ』(71)で、監督デビューを飾った。 監督として“巨匠”と称されるようになるのは、『許されざる者』(92)以降。この作品と12年後の『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で、2度に渡って、アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞している。 監督生活50年にして、40本目の監督作(別の監督名がクレジットされているが、実質はイーストウッドが演出した作品やTVドラマなども含めると、40数本とカウントされる場合もある…)と謳われたのが、主演も兼ねた、本作『クライ・マッチョ』(2021)である。 実はこの作品が、イーストウッドの監督・主演作として世に出るまでには、長きに渡る紆余曲折があった。 はじまりは1970年代前半。N・リチャード・ナッシュが執筆した、「マッチョ」というタイトルの脚本だった。しかし売り込み先の映画会社に相手にされず、ナッシュはやむなく、「クライ・マッチョ」というタイトルに変えて小説化。75年に出版した。 これを読んで感銘を受けたのが、プロデューサーのアルバート・S・ラディ。『ゴッドファーザー』(72)などで知られる彼が、映画化権を獲得するに至った。 ラディが最初に、イーストウッドの元に『クライ・マッチョ』の企画を持ち込んだのは、1980年頃のこと。イーストウッドは、「登場人物の人間関係」や主人公であるマイク・マイロの「落ちぶれ具合」が気に入り、そんな主人公が、人生を取り戻すチャンスを得るのに、惹かれたという。 しかしこの役を演じるには、50歳の自分はまだ若すぎると、判断。自らは監督に専念して、主演にロバート・ミッチャム(1917~97)を迎えることを、提案した。しかしこのプランは、やがて立ち消えに。 その後『クライ・マッチョ』は、91年にロイ・シャイダー(1932~2008)主演で製作を開始したが、頓挫。2011年には、カリフォルニア州知事の任期を終えたアーノルド・シュワルツェネッガー(1947~ )の俳優復帰作として準備が進められるも、シュワちゃんの不倫・隠し子スキャンダルが祟って、中止の憂き目となった。 それでも映画化が諦めきれなかったラディの元に、1本の電話が入ったのは、2019年。「あの脚本、まだ手元にある?」その声の主は、イーストウッドだった。 最初のオファーから40年が経って、齢90を迎えんとしていた、イーストウッド。「今ならこの役を楽しんで演じられる」と、思ったのだという。 イーストウッドの監督・主演で、遂に映画化が実現することとなった。オリジナル脚本をできるだけ活かすという判断がされ、それ故にメインの時代設定が、1980年となった。 とはいえ、監督の意向を汲んでの、ある程度のリライトは必要となる。オリジナルを書いたナッシュは、2000年に87歳で亡くなっていたため、白羽の矢を立てられたのが、ニック・シェンク。 イーストウッド組には、『グラン・トリノ』(08)『運び屋』(18)に続いて、3度目の参加となるシェンク。彼は期せずして(?)、イーストウッドが自らの監督作で“老人”を演じた、非公式な三部作の、共通の書き手となってしまった。 ***** 1980年のアメリカ・テキサス。 かつてロデオ界のスターだったマイク・マイロは、競技本番での落馬や妻子の事故死など、重なる不幸もあって、いまや落魄の身。孤独な独り暮らしを送っていた。 そんな時マイロは、かつての雇い主で牧場経営者のハワードから、頼まれごとをする。今はメキシコに住む、別れた妻レタに引き取られた14歳の息子ラフォを、テキサスまで連れて来て欲しいという内容だった。 一歩間違えば、“誘拐犯”。しかしハワードに恩義のあるマイロは、断ることができなかった。 ラフォは、男の出入りが激しい母から逃れ、闘鶏用のニワトリ“マッチョ”と、ストリートで生活していた。そんな経緯から、猜疑心や警戒心が強く、迎えに来たマイロに対して、なかなか心を開かない。 そんな2人の、テキサスへの旅が始まった。国境へと向かうも、警察の検問を避け、レタの放った追っ手を躱すために、田舎町へと立ち寄る。 暫しこの地に身を隠すことを決めた2人は、食堂を営む女性マルタと知り合う。そして、何かと世話を焼いてくれる彼女とその家族と、交流を深める。 この町でマイロは、野生の暴れ馬を馴らす仕事を得る。彼は馬の調教を通じて、自分の知識と経験を、ラフォへと惜し気もなく伝える。2人の絆は、ぐっと深まっていった…。 このままこの地に落ち着くのも、悪くない。そんな気持ちも芽生えた2人が、国境を超える日は? ***** 一言で表せば、「老人と少年のロードムービー」である本作は、イーストウッドの様々な過去作を、想起させる作りとなっている。 まずは中年のカントリー歌手とその甥の旅を描く、『センチメンタル・アドベンチャー』(82)。年輩の者が若者に教えを施す、師弟関係を描いた作品としては、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(86)『ルーキー』(90)など。血の繋がりのない寄る辺なき者たちが集って、“疑似家族”を構成していく物語としては、『アウトロー』(76)や『ブロンコ・ビリー』(80)。 “師弟もの”と“疑似家族”のミクスチャーである、『ミリオンダラー・ベイビー』(04)『グラン・トリノ』(08)は、もちろんだ。特に白人の年配者がエスニックの若者を鍛える構図は、『グラン・トリノ』が最も近いかも知れない。 付け加えれば、旅の男マイロと田舎町に暮らすマルタにロマンスが芽生える辺りには、『マディソン郡の橋』(95)を思い起す向きもあるだろう。 マイロがこんなセリフを吐くのにも、イーストウッド過去作とのリンクを感じる。「マッチョってやつは過剰評価されている。人生にはそれより大事なものがある。それに気づいた時には遅すぎるんだ」 イーストウッドは、かつて一線級のアクションスターとして、“マッチョ”に類した役どころを散々演じてきた。しかし歳を重ねるにつれて、それを裏返したような作品を、多く手掛けるようになった。このセリフは、そんな本人の述懐のようで、実に味わい深い。 因みに本作は、イーストウッドが亡きドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げた“最後の西部劇”『許されざる者』以来という、“乗馬シーン”がある。実際に馬に跨るのは30年振りだったという、イーストウッドだが、「あぶみに足をかければ、感覚は戻ってくるものだよ」と、悠然たる構えでチャレンジしている。 とはいえ、このシーンの撮影初日には、スタッフ全員が興奮したというのも、無理はない。ファンにしてみても、「感涙もの」である。 主人公マイロと旅をする14歳の少年ラフォ役に抜擢されたのは、長編映画出演は初めてだった、エドゥアルド・ミネット。はるばるメキシコシティからやって来て、何百人も参加したオーディションを勝ち抜いた。 ミネットは、乗馬の経験はなかったが、トレーニングを受けて、あっと言う間にマスターしたという。 マイロの元雇い主で、息子を連れてくることを頼むハワード役には、高名なカントリー歌手で、映画出演も多いドワイト・ヨーカム。イーストウッド曰くヨーカムには、「馬の扱いに慣れている雰囲気がある」とのこと。 田舎町の食堂の女主人マルタには、メキシコ人女優のナタリア・トラヴェンが、起用された。 タイトルロールである、ニワトリのマッチョは、11羽の調教された雄鶏が演じている。それぞれに得意技があり、あるトリは人の手に乗るシーン、あるトリは、合図と共に襲いかかるシーンといった風に、使い分けられた。 撮影はコロナ禍真っ最中の、2020年後半。イーストウッド組の常連スタッフを集め、あらゆる感染対策を講じて、行われた。ニューメキシコ州をメキシコに見立てた、ロケ撮影がメインだった。 そんな中で、イーストウッドと言えば…の“早撮り”で事は進められた。プロデューサーも兼ねるイーストウッドとしては、“早撮り”は、予算を安く上げるという効果もあるが、それ以上に撮影現場に於いて、「勢いを殺ぎたくない」「やる気やエネルギーを絶やしたくない」という、イーストウッド一流の演出術である。 ラフォ役のミネットはイーストウッドに、「監督の希望通りに演技する」と伝えたという。しかしそれに対する回答は、「いや、君の好きなように、心地良いと思う方法でやってくれ」というものだった。メキシコの新人俳優は“巨匠”から、自分自身でラフォ役を掘り下げる自由を与えられたのだ。 ドワイト・ヨーカムはイーストウッドについて、「…撮り直しを好まないと聞いていたけど、僕のアドリブや思い付きを大歓迎してくれた」と、コメントしている。 ・『クライ・マッチョ』撮影中のクリント・イーストウッド監督 本作は逃走劇でもある筈なのに、追っ手が間抜けで弱すぎることもあって、サスペンスはほぼゼロ。またイーストウッド作品には付き物だった、暴力もほとんど登場しない。 食い足りなさを感じる向きもあるかも知れないが、イギリスの「アイリッシュ・タイムズ」紙に掲載された、次の評論が本質を言い表している気がする。「ほとんどなにもせずにすべてを表現できる彼の才能は、年齢を追うごとに磨きがかかっている」 本作が最後の作品かと言われたイーストウッドだったが、94歳の昨年、本作とはガラっとタッチを変えて、これも十八番と言える“絶望シネマ”調のサスペンス『陪審員2番』(2024)を発表した。今度こそ引退と言われているが、まだまだ嬉しい“裏切り”を待ちたい。■ 『クライ・マッチョ』© 2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2025.07.22
模造ではない、目指すは純正バンド・デシネ映画 ―『フィフス・エレメント』
「リュックは『ヴァレリアン』の読者であり、私と同じく、いくつかの映画が私の作品から、大なり小なり着想を得ていることに気づいていたんだ。SFというジャンルは寄り合い所帯みたいなもので、互いにテーマを借りたり、新しく持ち込んだりして、共通のベースをつくっていく。でも、グラフィックは想像力をはたらかせられる分野だ……それぞれが自分の世界を持っている。 それなのに、私は自分の知らないところで何本もの映画に協力しているような、おかしな気分だった。それに、こんなふうにコピーが横行すると、だんだんとオリジナリティのない定型ができてしまい、ひとつのデザインしか存在しないような状態になってしまう。今ではどのエイリアンも、宇宙船もみんな似たような形をしている。こんなのもったいないじゃないか。SFの素晴らしさは、好きなように想像力をはたらかせ、自由に創作できるごとなのに。 リュックと波長が合うことはすぐにわかったので、彼の星に乗り込む決心をした。壮大なスケールのフランス映画に参加すると思うと、心が踊ったね」 ジャン=クロード・メジエール ◆リュック・ベッソンの憂鬱と怒りが生んだSFアクション大作 西暦2259年、人類は地球に向かい凄まじいスピードで迫り来る、闇の勢力ミスター・シャドーの脅威にさらされていた。善良なる異星人モンドシャワンは、そんな未曾有の災厄を回避するべく、地球上の特別な寺院から5つのエレメント(守護の結晶)をすべて集める必要に迫られる。これらのエレメントのうち4つは何世紀にもわたり存在していたが、最も重要な「フィフス・エレメント」を乗せた彼らの宇宙船が、地球に到着する前に攻撃され、そして破壊されてしまう……。 リュック・ベッソンが1997年に発表した映画『フィフス・エレメント』は、23世紀のニューヨークを起点とし、選ばれし者たちが絶対悪と対峙していくSFアドベンチャー大作だ。地上でタクシー運転手をしている元特殊部隊員コーベン・ダラス(ブルース・ウィリス)は、空から自分の車上に落ちてきた謎の女性リー・ルー(ミラ・ジョヴォヴィッチ)と遭遇する。だがその彼女こそが、地球を救う「フィフス・エレメント」だったのだ。 やがてコーベンとルーは、神父ヴィト・コーネリアス(イアン・ホルム)やアイドルDJルビー・ロッド(クリス・タッカー)らと、4つのエレメントを求めて互いに協力する。いっぽう悪の武器商人ゾーグ(ゲイリー・オールドマン)と背後にいるミスター・シャドーは、その動きを阻止しようと彼らの前に立ちはだかる。 ベッソンはこの極めて黙示録的な要素の強い作品を、それとは対照的にカラフルで明るいものにした。同時期のSF映画に顕著な、宇宙船の暗い通路や薄暗い惑星に飽き飽きしていた彼は、陰鬱なリアリティよりも、このジャンルに陽気なクレイジーさを求めたのだ。 そして何よりもベッソンは、アメリカ映画が長い間、フランスの「バンド・デシネ」(同国におけるコミックの総称。以下:BD)から、グラフィックのインスピレーションを引き出していたことに不満を抱いていたのである。 ベッソンはキャリアの初期から、自作にBDからの影響があることを公言している。彼の初長編監督作『最後の戦い』(1983)は既にその傾向にあり、本作について記したコラム「『最後の戦い』に視認されるフランス・コミックの幻像」に詳述しているので参考にして欲しい。 中でも特に、フランスSFコミックの巨匠ジャン=クロード・メジエールの作調を大いに参考にしていた。彼が持つ、新しい世界を生み出すイマジネーションや、それを説得力をもって視覚化する圧倒的な描画力にベッソンは心酔し、自身が作品を生み出すうえで、メジエールは重要なガイドを担うことになる。 ◆『スター・ウォーズ』も影響された、メジエールのグラフィック ジャン=クロード・メジエール(Jean-Claude Mézières)は1938年9月23日・パリ生まれ。サン=マンデで少年時代を過ごし、戦時中に地下壕で隣人の息子、後の原作者ピエール・クリスタンと出会ったことが、創造者としての大きな転機となる。そしてBDの愛好家である兄の影響で、エルジェの『タンタンの冒険』シリーズに心酔。1953年(15歳)になると、「ムッシュ・カスターマン」誌にカラー16ページで描いた冒険マンガ『大追跡』を送っている。それを見て、メジエールの才能を伸ばすよう奨励したのは、他でもないエルジェだった。 そして同年、エコール・デ・アーツ・アプリケ(応用美術学校)で壁紙や布地のデザインを学ぶ。その2年後、「Coeurs Vaillants」誌に短編を発表。後のメビウスとして知られるジャン・ジローと知己を得る。 その後、アルジェリアでの兵役を経て、広告や雑誌のイラストレーターとして活動を開始。1965年にカウボーイになりたいという夢を追い、渡米してモンタナやアリゾナで移住生活を送り、そこで妻となるアメリカ人女性リンダと出会った。ユタ州ではソルトレイクシティ大学で教鞭をとるクリステンと再会し、初の共作短編『Le Rhum du Punch』(1966)を発表、二人の本格的なコラボレーションの出発点となった そして1967年、二人はフランスSFコミックの金字塔ともいえる『ヴァレリアン』を「Pilote」誌にて連載開始する。異なる時代と惑星の間を移動し、犯罪を追う2人の時空エージェント、ヴァレリアンとローレリーヌの活躍を描いたこのシリーズは、政治・社会的メッセージやユーモアを織り交ぜ、全23巻にわたる長期シリーズとなって国際的に翻訳され、アンゴレーム国際漫画祭グランプリ(1984)を起点に数々の賞を受賞した。 メジエールはBD以外にも、雑誌・新聞の挿絵や広告、フェスティバルのポスター、シルクスクリーンや写真作品など、カテゴリーを問わず幅広く活動。1970年代初頭から仏サン=ドニのパリ 第8大学で漫画制作の講師として、アンドレ・ジュイヤールやレジス・ロワゼルといった後進を育成している。2021年には自身の集大成となりらアートブック『L’Art de Mézières』を出版し、同年「最後の作品宣言」とともに引退 。2022年1月23日に83歳で逝去した。 そんなメジエールのグラフィック・スタイルは、SF漫画の視覚表現を飛躍的に進化させ、「スター・ウォーズ」(1977)を筆頭とする欧米のSF映画にも大きな影響を与えた。同作の監督ジョージ・ルーカスはメジエールとの直接的なコンタクトは避け、その影響を公にすることはなかったが、仏カルチャーサイト「franceinfo」の記事「"Star Wars" a-t-il tout piqué à la BD française ? Le (faux) procès de George Lucas」のような隠しようのない検証も散見される。メジエール自身はこうした潜在的な共通性を「その判断は観客の皆さんに委ねたい」として謙虚な姿勢を見せていたが、ベッソンはそうはいかなかったようだ。いつかフランスが模造ではない、純正BD映画を発表する機会をうかかっていたのである。 そしてベッソンは『フィフス・エレメント』が完成する6年前の1991年11月。『グレート・ブルー』(1988)や『ニキータ』(1990)で組んだプロダクションデザイナーのダン・ウェイルとともに、同作のデザインチームを結成するべく、満を持してメジエールとメビウスに声をかけた。そして二人はこれを承諾し、さらには互いの推薦のもと、5人の若手BDアーティストをプロジェクトに招き入れた。加えて5人を選考のうえ、合計13人のインターナショナルチームを結成していったのだ。彼らは1500平方メートルもある元・縫製工場を拠点に、パリで1年間にわたり映画のビジュアルイメージを構想。そして作業が終わる頃には、ベッソンの物語をあらゆる角度から描いた、約8000枚のスケッチが出来上がった。 中でもメジエールの描いた、高度に様式化された未来都市像はベッソンのイメージを喚起させるものだった。たとえばコーベンとルーが遭遇する場面で、メジエールは『ヴァレリアン』の一編で登場させたエア・キャブ(空飛ぶタクシー)を小さくしのばせておいたところ、ベッソンが「それをもっと大きく描いてみてくれ」と要求。そこでコミック用のタクシーに手を加えて描いたところ、コーベンの設定が最初のロケット工場の労働者から、急きょタクシードライバーへと変更された。こうした形で、メジエールのデザインが設定に影響を及ぼすことも少なくはなかったのだ。 『フィフス・エレメント』に登場するエアキャブは、「Valérian - Tome 15 - Les cercles du pouvoir」にその原型を見ることができる(書影はAmazonより。電子版はこちらにて購入可能)。 しかし、これらのデザインは予算の都合もあり、約半分が切り落とされ、ベッソンの計画も完全に遂行できたとは言い難かった。それでも『フィフス・エレメント』は、見事なまでにメジエールとBDが持つ世界観を実写へと置換し、同スケールのハリウッドSFとは一線を画すものとなった。そして本作をベースに、ベッソンは後年『ヴァレリアン』の実写映画化『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(2017)を実現させ、自身のメジエール対する愛情を究極的な形で示すことになる。 『フィフス・エレメント』は、そんな『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』製作のファーストステップとしても、極めて重要な役割を果たしているのだ。 ちなみに本作のデザイナープロジェクトチームの中には、メビウスのアシスタントを務めていたシルヴァン・デプレがいたことを補足しておきたい。彼はニューヨークの広告業界でアートディレクターとしてのキャリアをスタートさせ、90年代後半にはリドリー・スコット監督に雇われ、『グラディエーター』(2000)の絵コンテを手がけたことで知られている。ハリウッドの、BDからのイメージ借用に楔を打とうとした『フィフス・エレメント』は、後もこうした形で影響を与え続けている。■ 『フィフス・エレメント』©1997 GAUMONT. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.07.03
『オペラ座/血の喝采』アルジェント全盛期の最後を飾る傑作ジャッロを109分の4Kリマスター完全版で!
イタリア産B級娯楽映画そのものが衰退期にあった’80年代 ダリオ・アルジェントのキャリアにおいて「最後の完璧な傑作(last full-fledged masterpiece)」とも呼ばれるジャッロ映画である。ご存じの通り、処女作『歓びの毒牙(きば)』(’70)で空前のジャッロ映画ブームを巻き起こし、非の打ちどころなき大傑作『サスペリアPART2』(’75)でブームの頂点を極めたアルジェント。その後、当時のパートナーであった女優ダリア・ニコロディの影響でオカルトに傾倒した彼は、現代ドイツのバレエ学校に巣食う魔女の恐怖を描いた『サスペリア』(’77)がアメリカでも大ヒットを記録し、さらにはジョージ・A・ロメロ監督のメガヒット作『ゾンビ』(’78)の出資・配給を手掛けるなどビジネスマンとしての才能も発揮。久しぶりにジャッロの世界へ戻った『シャドー』(’82)と『フェノミナ』(’85)も評判となり、ランベルト・バーヴァ監督の『デモンズ』(’85)シリーズではプロデューサーとしても成功を収めた。’70~’80年代のアルジェントは、映画人として文字通りの全盛期だったと言えよう。 ところが、ハリウッド資本でアメリカ・ロケを行った『トラウマ/鮮血の叫び』(’93)以降、批評的にも興行的にも著しく失速することとなってしまう。中には『スリープレス』(’01)のような隠れた名作もあるにはあるものの、しかしすっかり往時の才気も輝きも失ったアルジェント映画にファンは失望し続けることに。まあ、それでもアルジェントが新作を撮ったと聞けば、「むむっ、きっと今度こそは…」と微かな期待を抱いてしまうのが哀しきファンの性(さが)なのですけどね…。そんなこんなで、我らの愛するアルジェントがまだ乗りに乗っていた’80年代、その最期を飾った傑作がこの『オペラ座/血の喝采』(’88)だったのである。 なおかつ、当時はイタリア産B級娯楽映画が滅亡の危機に瀕していた時代でもあった。敗戦国イタリアの過酷な現実を徹底したリアリズムで描いた『無防備都市』(‘45)や『自転車泥棒』(’48)など、一連のいわゆるネオレアリスモ映画群で早くも戦後復興を果たしたイタリア映画界。その中からヴィットリオ・デ・シーカやルキノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニなどの世界的な巨匠たちが台頭し、そのフェリーニの『甘い生活』(’60)とミケランジェロ・アントニオーニの『情事』(’60)が、同じ年のカンヌ国際映画祭で前者がグランプリを、後者が審査員特別賞を獲得したことで、いよいよイタリア映画は黄金時代を迎える。 その一方で、’50年代半ばよりハリウッドの各大手スタジオがローマの撮影所チネチッタで映画を撮影するように。当時、スタジオ・システムの崩壊で経営の危機に瀕したハリウッド映画界は人件費削減のため、熟練の職人スタッフをいくらでも安く雇うことができ、なおかつ撮影機材も豊富に揃っている映画大国イタリアに注目したのである。そこでハリウッド式の映画撮影術を学んだ地元イタリアの映画人たちは、わざわざセットを作らなくても古代遺跡がそこらじゅう沢山あるという環境を活かし、古代ギリシャやローマの英雄を主人公にしたハリウッド風の冒険活劇映画を低予算で量産する。その中のひとつ『ヘラクレス』(’58)がアメリカでも爆発的な大ヒットを記録したことから、いわゆる「ソード&サンダル映画」のブームが巻き起こったのだ。これがイタリア産B級娯楽映画の原点だったと言えよう。 その後も、マカロニ・ウエスタンにユーロ・スパイ・アクション、ゴシック・ホラーにジャッロにクライム・アクションにソフト・ポルノにと、世界的なトレンドの傾向を敏感に取り入れながら、ハリウッドを向こうに回して低予算の良質なB級エンターテインメントを世界中のマーケットへ提供したイタリア映画界。ところが、スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスの登場によってハリウッド映画の技術レベルが格段にアップし、なおかつ’80年代に入って『インディ・ジョーンズ』シリーズだの『E.T.』だの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズだのと、ハリウッドのジャンル系娯楽映画が特殊効果をふんだんに使った大作主義にどんどん傾倒していくと、さすがのイタリア映画も太刀打ちできなくなってしまう。例えば『ダーティハリー』(’71)のパクリはイタリアでも作れるが、しかし『ダイ・ハード』(’88)のパクリは技術的にも規模的にも極めて困難だったのである。 それでもなお、なんちゃって『コナン』やなんちゃって『マッド・マックス』、なんちゃって『ニューヨーク1997』などの低予算映画を頑張って作り続けたイタリア映画界だが、それこそ一連のルチオ・フルチ映画を例に出すまでもなく、作品の質はどんどん低下していくばかり。そうした中で唯一、ハリウッドに負けじと気を吐いていたのがアルジェントとその一派(ランベルト・バーヴァやミケーレ・ソアヴィ)だったわけだが、その勢いもそろそろ限界に近付きつつあった。実際、’90年代に入るとイタリアのジャンル系映画はほぼ死滅。職人監督たちは次々とテレビへ移行してしまう。よって、本作『オペラ座/血の喝采』はダリオ・アルジェント全盛期の終焉を象徴する映画であると同時に、長年世界中のファンに愛されたイタリア産B級娯楽映画の終焉を象徴する映画でもあったように思う。 オペラ「マクベス」の不吉なジンクスが血みどろの惨劇を招く…! 舞台はイタリアのミラノ。スカラ座ではヴェルディのオペラ「マクベス」のリハーサルが着々と進んでいる。これが初めてのオペラ演出となるホラー映画監督マルコ(イアン・チャールソン)は、本物のカラスを使用したアヴァンギャルドな演出で観客の度肝を抜こうと考えるが、しかし神経質で気位の高い主演のソプラノ歌手マーラ・チェコーヴァと意見が折り合わず、挙句の果てにリハーサルをキャンセルしたチェコ―ヴァが交通事故で大怪我を負ってしまう。代わりにマクベス夫人役を射止めたのは、チェコ―ヴァのアンダースタディを務める無名の新人歌手ベティ(クリスティナ・マルシラック)。この棚ボタ的な大抜擢に母親代わりのマネージャー、ミラ(ダリア・ニコロディ)は大喜びするも、しかしベティ本人はあまり表情が冴えない。というのも、「マクベス」の舞台は関係者に不幸を招くというジンクスがあるのだ。実際、本来主演するはずだったチェコ―ヴァは事故で重傷を負った。その直後から、ベティのもとには怪しげな電話がかかってくる。よりによってデビュー作が「マクベス」だなんて。ベティは何か不吉なことが起きるのではないかと不安で仕方なかった。 ほどなくしてオペラ「マクベス」は初日を迎え、マクベス夫人を堂々と演じ切ったベティは観客から大喝采を浴びる。スター誕生の瞬間だ。ところがその一方で、立ち入り禁止のボックス席に何者かが侵入し、気付いて追い出そうとした劇場スタッフが惨殺される。警察の捜査を担当するのは、熱心なオペラ・ファンでもあるサンティーニ警部(ウルバノ・バルベリーニ)。その晩、祝賀パーティを抜け出したベティは恋人でもある演出助手ステファノ(ウィリアム・マクナマラ)の自宅で過ごすが、しかしステファノが別室でお茶を入れている間に、正体不明の覆面殺人鬼に襲われる。粘着テープで口を塞がれたうえで柱に縛り付けられ、なおかつ目を閉じることができないよう目の下に針を貼り付けられたベティは、目の前でステファノが殺人鬼に殺される様子を強制的に見せられる。すぐに解放された彼女は、近くの公衆電話から匿名で警察へ通報。自ら名乗らなかった理由は、遠い過去の恐ろしい悪夢だ。幼い頃に有名なオペラ歌手だった母親を殺されたベティは、それ以来夜な夜な悪夢に悩まされたのだが、その夢の中に出てくる覆面の殺人鬼が今回の犯人とソックリだった。監督のマルコだけには真実を打ち明けるベティ。犯人は彼女の知人かもしれないと考えたマルコは、周囲を警戒するようにと忠告する。 その同じ晩、何者かが劇場の衣裳部屋へとこっそり侵入し、興奮して檻から逃げ出したカラスが数羽殺される。警察はその侵入者とステファノ殺しの犯人が同一人物だと考えるが、しかし手掛かりは何一つとして見つからなかった。さらに、同じような方法で衣装係ジュリア(コラリーナ・カタルディ・タッソーニ)が殺され、ベティは再びその一部始終を強制的に見せられる。犯人のターゲットがベティであることは間違いない。サンティーニ警部はベティの自宅に護衛の刑事を待機させるが、しかし警官を装った犯人によってミラが惨殺され、護衛のソアヴィ刑事(ミケーレ・ソアヴィ)も血祭りに挙げられる。自室へ追い込まれて逃げ場を失ったベティだったが、しかし以前からベティを秘かに見守っていた隣家の少女アルマ(フランチェスカ・カッソーラ)に救われ、古い通気口を伝って外へ脱出することに成功する。 なんとしてでも犯人の凶行を止めなくてはならないが、しかし警察はあまりにも頼りにならない。そこでベティとマルコは、劇場スタッフの協力を得て「ある秘策」を実行に移す。どういうことかというと、カラスに犯人捜しをさせようというのだ。高度な知性を持つカラスは、仲間を殺した犯人を覚えているに違いない。そこで、マルコたちは舞台演出を装ってカラスの大群を劇場に放ち、彼らに犯人を襲撃させようと考えたのだ。犯人は必ずや劇場のどこかでベティを見張っているはず。それを狙って罠を仕掛けようというわけだ。果たして、彼らの目論見通りに正体不明の殺人鬼を捕らえることは出来るのか…? 凝りに凝ったビジュアルに要注目! これはアルジェント作品において毎度のことではあるのだが、随所に明らかなご都合主義の目立つ脚本は賛否両論あることだろう。特に、劇場で焼死したはずの犯人が実は生きていました!現場で発見された焼死体をよくよく調べてみたらダミー人形だったのです!という終盤のどんでん返しに、悪い意味で腰を抜かした観客も少なくなかろう。共同脚本のフランコ・フェリーニによると、これは作家トマス・ハリスのハンニバル・レクター・シリーズ第1弾「レッド・ドラゴン」をヒントにした思いついたアイディアだったらしいが、あまりにも唐突過ぎて説得力に欠けたと言えよう。ただし、スイスを舞台にしたダメ押し的なクライマックスは、実のところストーリーの流れ上、必要だったのではないかと思う。どこか寓話的な本作のストーリーにおける本質は、毒親に育てられた主人公ベティが過去のトラウマと向き合い、長いこと自分を苦しめてきた悪夢を克服することで、毒親の呪縛からようやく解放されるという成長譚。その母親と関係のあった連続殺人鬼は、まさに過去から蘇った忌まわしき亡霊そのものであり、オペラ劇場を舞台にした直接的な対峙を経てスイスの大自然を背景に死闘を演じるというプロセスは、そこへ至るまでの彼女の精神的な成長を考えれば、極めて理に適ったものではないかと思う。 ちなみに本作、日本で劇場公開されたのは97分の短縮バージョンだった。これは出資元のオライオン・ピクチャーズが勝手に削ってしまったもので、当時は日本だけでなくアメリカやイギリスでもこのバージョンが上映されたらしいのだが、これがなんとも酷かった。例えば、母親から虐待を受けていると思しき隣家の少女アルマの伏線エピソードがごっそりカットされているため、この短縮バージョンだと唐突に現れた見ず知らずの少女がベティのピンチを救うという、まことに不自然かつご都合主義の極みみたいな展開になってしまう。筆者を含めて、このシーンに思わず首を傾げた観客は多かったはずだ。また、このバージョンではクライマックスの、スイスの大自然に戯れるベティが草むらでトカゲを解放してあげるシーンも削除されており、それゆえ「虐待を受けて育った少女が過去のトラウマから解放されるまでを描いた残酷なおとぎ話」という、アルジェントが本作で描かんとしたストーリーの趣旨も著しく損なわれてしまっている。公開時に賛否両論だった本作が正当な評価を受けるようになったのは、今回ザ・シネマでも放送される完全版がイタリア以外の各国でソフト化されるようになった’00年代以降のことだ。 その一方で、凝りに凝りまくったカメラワークは当時から非常に評価が高かった。本人も認めているように、もともともカメラで遊ぶの大好きなビジュアリストで、常にユニークなアングルや斬新なショットを創意工夫してきたアルジェントだが、本作ほど映像表現に技巧を凝らした作品はないだろう。中でも特にビックリしたのは、ドアの覗き穴を覗いていたベティのマネージャー、ミラが、向こう側の犯人に射殺されるシーン。アルジェントはわざわざ2メートルほどになる覗き穴の拡大模型を作成し、さらにはミラを演じる女優ダリア・ニコロディの右目と後頭部に特殊メイクを施して少量の火薬を仕込み、さらには彼女の遠く背後にある電話にも火薬を仕掛けることで、犯人の拳銃から発射された弾丸が覗き穴のシリンダーを突き破り、覗いているミラの右目から後頭部を貫通し、最終的に後方の電話機に当たるという一連の流れを、なんとスローモーションで一気に見せてしまったのだ。いやはや、変態ですな(笑)。 変態と言えば、犯人がベティの目の下にテープで幾つもの針を張り付けて目を閉じれないようにし、残忍な人殺しの一部始終を無理やり見せるという設定。なんて陰湿かつ変態なんだ!と思った観客も多いはずだが、実はこの設定、残酷シーンで目をつぶったり、手で目を塞いだりするなんてけしからん!せっかく苦労して撮ったのに失礼じゃないか!そんな不届き者の観客に無理やりでも残酷シーンを見せつけてやりたい!というアルジェントの強い憤りと願望から生まれたとのこと。これまた実に変態である。 さらなる見せ場としては、カメラがカラスの視点になって劇場を飛び回る終盤の「犯人捜し」シーンも印象的。ロケ地に使われたのはミラノのスカラ座ではなく、同じような規模で内装のソックリなパルマのレージョ劇場なのだが、このシーンの撮影では劇場の天井中央にあるシャンデリアを取り外し、その穴から複数台のカメラを装着した巨大な回転式クレーンビームを吊り下げて使用している。クレーンビームはリモートコントローラーで上下に移動でき、なおかつカメラもクレーンビームをレール代わりにして移動可能なため、それこそ自由自在に空を飛んでいるカラス視点の映像を撮ることができたのだ。 ショッキングだったのは、ウィリアム・マクナマラ演じる美青年ステファノが惨殺されるシーン。顎からナイフを突き刺す場面は古典的なトリックだとすぐに分かるが、しかしナイフの先が口の中へ突き抜けるクロースアップ・ショットはどうやって撮ったのか不思議だった。実はこれ、演じるマクナマラ本人の口から型抜きして作った、偽物の口を撮影に使用している。要するに、ダミーヘッドならぬダミーマウスだ。なるほど確かに、ブルーレイやDVDの該当シーンで映像を静止すると一目瞭然。よく見ると作り物である。 なお、撮影を担当したのは『ガンジー』(’82)でアカデミー賞に輝く名カメラマン、ロニー・テイラー。実はアルジェント、本作の撮影に入る数カ月前、オーストラリアで自動車メーカー、フィアットのCMを撮ったのだが、その際に広告代理店の手配したカメラマンがテイラーだった。3週間に及ぶ撮影期間中、映画について大いに語り合ったアルジェントとテイラーは意気投合。本作でも引き続きタッグを組むこととなり、以降も『オペラ座の怪人』(’97)と『スリープレス』で顔を合わせている。 大物オペラ歌手が顔を見せない意外な理由とは…? 当初、主人公ベティ役にジェニファー・コネリーを想定していたものの、しかし『フェノミナ』の二番煎じと思われることを恐れてボツにしたというアルジェント。ほかにも当時注目されていたオペラ歌手チェチリア・ガスディアも候補だったとか、一時はミア・サラに決まりかけたなどの諸説あるのだが、いずれにせよ最終的にはアルジェントの友人であるファッション・デザイナー、ジョルジオ・アルマーニの推薦で、スペインの若手女優クリスティナ・マルシラックに白羽の矢が立てられた。ところが彼女、最初からアルジェントに対して反抗的だったらしく、彼にとっては最も扱いづらい女優だったらしい。ただ、関係者のインタビューを総合すると、アルジェントだけでなくベテランのスタッフには同じく反抗的で、しかしウィリアム・マクナマラやコラリーナ・カタルディ・タッソーニなど同世代の若手共演者とは友好的だったらしいので、恐らくもともと「大人」に対して一方的な反感を持っていたのかもしれない。 そんなベティをオペラ歌手として指導し、正体不明の殺人鬼から守ろうとする演出家マルコ役には、『炎のランナー』(’80)で脚光を浴びたシェイクスピア俳優イアン・チャールソン。あのイアン・マッケランやアラン・ベイツも絶賛する天才的な役者だったが、本作の撮影中に交通事故を起こした際の病院検査でHIV感染が発覚し、その3年後に帰らぬ人となってしまった。サンティーニ警部を演じるウルバノ・バルベリーニは、イタリア有数の名門貴族バルベリーニ家の御曹司。『デモンズ』の主演でアルジェントに気に入られ、本作にも声をかけられたのだが、当初は演出助手ステファノ役をオファーされていたらしい。しかし、あっという間に殺されるような役は嫌だとアルジェントに直談判したところ、実年齢よりもだいぶ年上のサンティーニ警部役にキャスティングされたらしい。 そのステファノ役を演じるウィリアム・マクナマラは、『君がいた夏』(’88)や『ステラ』(’90)などで一時期注目されたハリウッドの端正な美少年俳優。当時の彼はイタリアとフランスの合作によるテレビの大型ミニシリーズ『サハラの秘密』(’87)に出演するためローマに滞在しており、招かれた業界パーティでたまたま知り合ったアルジェントに「ちょうど君にピッタリな役があるんだ!」と誘われたという。アメリカ人と言えば、衣装係ジュリアを演じるコラリーナ・カタルディ・タッソーニもニューヨーク生まれのイタリア系アメリカ人。父親がオペラ演出家、母親がオペラ歌手、祖父もプッチーニと組んだオペラ指揮者というオペラ一家の出身で、その父親がイタリアに活動の拠点を移したためローマで育ったという。彼女と言えば、なんといっても『デモンズ2』(’86)で最初にデモンズ化するサリー役のインパクトが強烈なのだが、あの演技を評価したアルジェントが彼女のためにジュリア役を書いてくれたという。これ以降、『オペラ座の怪人』と『サスペリア・テルザ 最後の魔女』(’07)でもアルジェントと組んでいる。 なお、フラッシュバック・シーンで犯人に殺されるブロンド女性は、『デモンズ2』でサリーの友達として顔を出していたマリア・キアラ・サッソ。大物オペラ歌手マーラ・チェコーヴァの助手を演じているイケメン俳優ピーター・ピッシュは、『デモンズ』の不良グループのメンバーだった。オペラの舞台裏シーンでは、その『デモンズ』でヒーローの親友役だったカール・ジニーの姿も。隣家の少女アルマの母親役は、『シャドー』で女性刑事を演じていたカローラ・スタニャーロ。本作の助監督を務めるミケーレ・ソアヴィも刑事とエキストラの1人2役で登場するし、そのソアヴィの無名時代からの親友で『アクエリアス』(’87)と『デモンズ3』(’89)に主演したバルバラ・クピスティも舞台関係者役で顔を出している。演出家マルコの恋人役は、当時アルジェントの恋人だったアントネッラ・ヴィターレ。ミラ役のダリア・ニコロディを含めて、アルジェント・ファミリー総出演という感じですな! ちなみに、結局最後まで顔が一切写らない大物オペラ歌手、マーラ・チェコーヴァだが、この役にはもともと大女優ヴァネッサ・レッドグレーヴが起用され、実際に撮影のため本人もローマまで足を運んでいたらしい。もちろん契約書にもサイン済み。彼女が関わる撮影期間は1週間の予定で、その分のギャラも支払われていた。ところが、1週間経っても出番がないことから、約束の期間が過ぎましたよということでレッドグレーヴはイギリスへ帰国。どうやら、製作陣は撮影開始までの待機期間を計算に入れていなかったらしい。えっ!まだ撮影始まってもいないのに帰っちゃったの!?と慌てても後の祭り。約25万ドルとギャラの金額も大きかったため、代役を立てる予算的な余裕などなかったことから、ミラ役のダリア・ニコロディが1人2役でチェコーヴァを演じることになった。ロングショットや下半身だけで顔を見せないのはそのためだ。 先述したように、オライオン・ピクチャーズが勝手に再編集を行ったことなどもあり、興行的には成功したものの心情的には失敗作だと考えていたというアルジェント。いつも以上に予算と情熱を注ぎこんだ企画だったため、当時はかなり落ち込んでしまったらしいが、今では自身のフィルモグラフィーの中で最も好きな作品の筆頭格だという。■ 『オペラ座/血の喝采』© 1987 RTI
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COLUMN/コラム2025.07.02
『フェイブルマンズ』と3人の映画監督
◆スピルバーグの半自伝作品 2022年にハリウッド最大のヒットメーカー、スティーヴン・スピルバーグが発表した映画『フェイブルマンズ』は、彼の長い監督生活の起点に触れる“自伝的要素“を含んだ作品であり、それを支えた家族の物語だ。スピルバーグのアバターともいえる主人公サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)は、母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)から買い与えられた8ミリキャメラで、小規模ながらも映画を手がけていく。そして夢を支援する彼女と、現実的な父バート(ポール・ダノ)との間で板挟みになりながら、サミーはさまざまな人との出会いや経験、そして創作活動を経て成長していくのだ。両親の離婚問題や、自身のルーツに依拠する不当ないじめなど深刻なエピソードを交えながら、単なるパーソナルな成功談ではない、ひとりの青年の青春ストーリーとして、映画は広い共感性へと通じていく。もちろん、その過程においてドラマチックな瞬間があり、映画は151分と長尺ながら、ひとときも観る者を飽きさせることはない。 ◆ジョン・フォードとの邂逅 稀代の天才監督は、なぜムービーキャメラを手にして映画の世界を目指したのか——? 作品はあくまでフィクションを建て前にしているが、ストーリーの軌跡や人物関係はスピルバーグの実人生に極めて忠実なものだ。ただその中で、あたかも創作であるかのようなエピソードが、本作のクライマックスとして置かれている。それが偉大な映画監督、ジョン・フォードとの出会いだ。 (以下『フェイブルマンズ』の結末に言及するので、鑑賞後にお読みいただくのが望ましい) 映画業界での働き口を求め、売り込みの手紙をありとあらゆるスタジオに送りつけたサミーは、CBSテレビジョンからの返信を頼りに『OK捕虜収容所』(第二次大戦中のナチス捕虜収容所を舞台にしたシットコム・コメディ)の共同製作者であるバーナード・ファイン(グレッグ・グランバーグ)に会いに行く。そして彼から、第三助手として雇おうかと打診されるのだ。ところが、やや反応が鈍かったサミーにファインは、「本当は映画がやりたんだろ。そうだ、向かいの部屋に史上最高の映画監督がいる」 と伝え、彼をその部屋へと通していく。 いったい「史上最高の映画監督」が誰なのか、サミーは釈然としないまま座って待機していると、背後にあるフレーム入りのポスター群が、その人物をゆっくりと特定していく。『駅馬車』…『我が谷は緑なりき』…『男の敵』…『捜索者』…『三人の名付親』…『静かなる男』…『怒りの葡萄』…『黄色いリボン』そして『リバティ・バランスを射った男』…。 それらを目で追い、高揚するサミーの気持ちを寸断するかのように、アイパッチを目にあてた男が入ってくる。そう、ジョン・フォードだ。秘書はサミーに向かって、「(会話は)5分ならいいそうよ、1分で終わるかもしれないけど」とうそぶき、フォードとの対面を急かす。 そのときのフォードは葉巻を吸い、威嚇的な態度でサミーを一瞥するが、壁にかかっている自作のスチールを指して「地平線はどこにある?」とサミーに質問する。すると彼は「下です」と回答し、別のスチールを指して同様の質問をしたフォードに「上です」と答える。するとフォードは、 「いいか、よく憶えておけ。地平線をいちばん下に置けば面白い画になる。そして地平線を上に置いても面白い画になる。だが地平線を真ん中に置いたら、クソつまらない画になるんだ。わかったか? わかったらとっとと出ていけ!」 と、手荒に助言を放ったのだ。 この『フェイブルマンズ』における印象的なやりとりは、同作において極めて突飛で、フィクション性を強く感じさせるエピソードだ。ところが、じつは全てが事実だというのだから驚かされる。スピルバーグは2011年、イマジン・エンターテインメントのオフィスでおこなわれた映画『カウボーイ & エイリアン』のプロモーションで、同作プロデューサーのブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、そして監督のジョン・ファヴローらと会談し、ジョン・フォードとの最初の出会いを語った。 それによると、スピルバーグはフォードと実際に遭遇したさい、彼は酔って顔全体にキスマークをつけ、オフィスに入って来たところを秘書が慌てて追い、ティッシュで拭き取ったという。そしてフォードは机の上に足をおろし、スピルバーグに「それで、キミは映画監督になりたいと聞いたが?」と訊ね、壁に飾られた絵画から地平線を見つけるよう要求したという。この一連の流れから明らかなように、フォードとの邂逅は、ほぼ映画でそのままに再現されていることがわかるだろう。 ただし細部で違いがあり、スピルバーグがフォードと会ったのはサミーと同じ18歳ではなく、15歳のときであり、さらにそれはファインの紹介によるものではなく、自身のいとこの一人が、たまたま彼の友人の友人の友人であったことから、このありそうもない出会いを得たという。 そもそもスピルバーグの業界入りは、『フェイブルマンズ』で描かれたように正統な手順を踏んでおらず、彼を語る上で伝説化されている。映画監督を志望していたスピルバーグは、ユニバーサル・ピクチャーズの観光ツアーに参加した後、トイレ休憩のときにバックロットに潜入し、半年以上そこで働いているふりをしたという。そのことが布石となり、後年に彼はユニバーサル映画の社長だったシド・シャインバーグに自作の短編映画『アンブリン』(1968)を気に入られ、テレビ監督として同スタジオと契約を交わしたのだ。 ◆デヴィッド・リンチ出演の背景 こうしたジョン・フォードとの出会いをさらに説得力あるものにしているのが、異例ともいる配役だ。スピルバーグはフォード役に、カルト映画の帝王デヴィッド・リンチをオファーしたのだ。 もともとスピルバーグは、フォードのキャスティングに友人のベテラン俳優をあてようと考えていた。しかし脚本を担当したトニー・クシュナーの夫がリンチの起用を提案し、それをスピルバーグは素晴らしいアイディアだと称賛したのである。そして自らリンチに連絡をとり、実現の運びとなったのだ。ところがリンチは自作以外の出演には消極的だったため、スピルバーグはリンチと共通の友人である女優ローラ・ダーンに救いを求め、リンチの説得にあたった。その狙いが功を奏し、リンチはスナック菓子のチートスと、衣装の撮影2週間前からの提供など変わった条件と共に出演を承諾。こうして、あの示唆に富む最後の5分間が誕生したのである。 リンチは英「エンパイア」誌の電話インタビューにおいて、オファーを受けた理由を以下のように語っている(※1)。出演を渋ったことに対しては、「わたしは演技に関して、意図的に距離を置いてきたんだ。ハリソン・フォードやジョージ・クルーニーのような俳優たちに、キャリアのチャンスを与えるべきだと考えていたからね」 とし、それでも出演した決め手を訊かれると、当該シーンが本当に気に入ったからだと述懐している。「ジョン・フォードなら、若い才能に指導をほどこすために、さまざまな知識や経験を活用できただろう。しかし彼は「地平線」のレクチャーを選んだんだ。じっさい画面中央に地平線があるのは、本当にクソつまらない画になるからね」 残念なことに、このインタビューから約一年後 リンチは78歳でこの世を去り、『フェイブルマンズ』は彼の最後のスクリーン出演となった。訃報が遺族からSNSを通じて発表された後、スピルバーグはアンブリン エンターテインメントを通じ、リンチへの感謝を込めた以下の追悼文を発表している(※2)。 「私はデヴィッドの作品の大ファンでした。『ブルー・ベルベット』『マルホランド・ドライブ』そして『エレファント・マン』――。これらは、手作り感あふれる独特の世界観で、彼が唯一無二のヴィジョンを持つ夢想家であることを証明しました。『フェイブルマンズ』でジョン・フォード役を演じてもらったとき、私は彼と知己を得たんです。私のヒーローの一人であるデヴィッド・リンチが、私の別のヒーローを演じる――。それはとても現実離れした、まるで彼自身の映画の一場面のような不思議な体験だったんです。世界はこれほどまでに独創的で、ユニークなヴォイスを失うことになってしまいました。しかし彼の映画は既に時代を超えて生き残っており、これからもずっとそうあり続けるでしょう」 スピルバーグはフォードを崇拝すると同時に、同業者としてリンチに関心を寄せていた。その証として、両者の共同作業ともいえる「地平線」のシーケンスに、スピルバーグは二人を立てるようなオチを添えている。フォードに映画制作のヒントをもらったサミーはオフィスを後にすると、意気揚々とした態度でスタジオのバックロットを歩き出す。そのときの彼を捉えたショットが、なんとフォードが「クソつまらない画」と非難しリンチが共感した、真ん中の地平線を捉えていたのである。そしてキャメラは、それに気づいたかのようにあたふたと、地平線が下に来るようフレーム修正の動きを見せるのだ。 この一連の演出には、スピルバーグらしいユーモアと謙遜の姿勢、そして未熟なサミーが失敗を繰り返しながら、先達から学んだことを糧にして映画界での成功を得る、そんな暗示が機能している。ひるがえってそれは、ジョン・フォードという偉大な映画人に尊崇の念を示しているのだ。 そしてデヴィッド・リンチは、そんなフォードが醸す神秘性と威圧的な存在感を、この『フェイブルマンズ』で見事に体現し、「地平線」のエピソードをじつに説得力あるものにした。それにも増して、ガブリエル・ラベルがスティーヴン・スピルバーグを投影したサミーを演じ、リンチがフォードを演じ、それをスピルバーグ本人が演出するという、巡るようなメタ構造を持つシチュエーションとして、本作を“自伝作品”以上の“映画的価値”を持つものへと発展させたのである。■ (※1)https://www.empireonline.com/movies/news/david-lynch-interview-john-ford-fabelmans-exclusive/ (※2)https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1028510489321633&id=100064880730053&set=a.634279698744716 『フェイブルマンズ』© 2022 STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.