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COLUMN/コラム2025.06.03
オカルト映画ブームを盛り上げたリチャード・ドナー監督の記念すべき出世作『オーメン』
時代の世相を如実に映し出していた’70年代のオカルト映画人気 ‘70年代のオカルト映画ブームを代表する名作である。アカデミー賞で作品賞を含む計10部門にノミネート(受賞は脚色賞と音響賞)されたウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(’73)の大ヒットをきっかけに、たちまち世界中で巻き起こったオカルト映画ブーム。ただし、そのルーツはロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)と言われており、実際に『エクソシスト』も同作の影響を抜きに語ることは出来ない。アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(’60)と並んで、いわゆるモダン・ホラーの金字塔とも称される『ローズマリーの赤ちゃん』だが、しかし公開当時はその成功が大きなムーブメントへと繋がることはなかった。これはひとえにタイミングの問題であろう。 カルト集団マンソン・ファミリーによる残忍な連続殺人事件が、全米はもとより世界中に大きな衝撃を与えたのは’69年夏のこと。折しも’60年代末から’70年代にかけて、アメリカではアントン・ラヴェイ率いるサタン教会が設立されるなどサブカルチャーの一環としてサタニズム(悪魔崇拝)が注目され、’73年には超能力者を自称するユリ・ゲラーがアメリカの国民的トーク番組「トゥナイト・ショー」への出演を機に欧米で大変なブームを巻き起こす。このユリ・ゲラー人気はほどなくして日本へも上陸。奇しくも同じ頃、日本でもベストセラー本「ノストラダムスの大予言」をきっかけに空前のオカルト・ブームが到来していた。ベトナム戦争やオイルショックによる世界的な経済不況、各国で頻発する過激派テロや犯罪増加による治安の悪化、ウォーターゲート事件に代表される権力の腐敗などなど、混沌とする国際情勢への漠然とした不安が、こうしたオカルトへ対する関心を世界中で高める要因になったのかもしれない。いずれにせよ、そういう時代だったのだ。 まさに機は熟した’70年代半ば。ホラー映画としては異例中の異例であるアカデミー作品賞ノミネートを果たし、全米年間興収ランキングでも『スティング』に次いで2位という大ヒットを記録した『エクソシスト』。これを皮切りに『魔鬼雨』(’75)や『悪魔の追跡』(’75)、『家』(’76)に『オードリー・ローズ』(’77)に『センチネル』(’77)に『マニトウ』(’78)に『悪魔の棲む家』(’79)にと、それこそ数えきれないほどのオカルト映画が作られたほか、イタリアの『デアボリカ』(’74)や『レディ・イポリタの恋人/夢魔』(’74)、日本の『犬神の悪霊(たたり)』(’77)にドイツの『ヘルスネーク』(’74)などなど、『エクソシスト』を露骨にパクったエピゴーネン作品も世界中で量産されることに。中には、脚本からカメラワークに至るまで『エクソシスト』を丸ごと完コピ(ただし製作費は本家の1/100くらい)したトルコ映画『Şeytan(悪魔)』(’74・日本未公開)なんて珍品もあった。そんな空前のオカルト映画ブームの真打として登場し、『エクソシスト』にも負けず劣らずの大成功を収めた作品がこの『オーメン』(’76)だった。 この世に恐怖と混乱をもたらす悪魔の子ダミアン それは6月6日午前6時のこと。ローマのアメリカ大使館に勤務するエリート外交官ロバート・ソーン(グレゴリー・ペック)は、出産のために妻キャサリン(リー・レミック)が入院するカトリック系病院へと駆けつける。付き添いのスピレット神父(マーティン・ベンソン)から死産だったことを告げられ、深くうなだれるロバート。長いこと子宝に恵まれなかったソーン夫妻にとって、まさしく待望の初産だったのである。しかも、キャサリンはもう2度と妊娠できない体だという。どうやって妻に伝えればいいのか…。ショックと失望で混乱するロバートに、スピレット神父が養子縁組を持ち掛ける。実は同じ時刻に同じ病院で生まれたものの、母親が死亡して身寄りのなくなった男児がいるというのだ。なんという偶然。これは神の思し召しかもしれない。養子であることを妻に隠して赤ん坊を引き取ったロバートは、この息子をダミアンと名付けて大切に育てるのだった。 それから5年後。ダミアン(ハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス)はいたずらっ子の可愛い少年へと成長し、ソーン家には明るい笑い声が響き渡っていた。そこへロバートの昇進の朗報が。駐英アメリカ大使に任命されてロンドンへ栄転することとなったのだ。このまま順調に行けば、いずれアメリカ合衆国大統領になることも夢ではないかもしれない。ところが、この頃からソーン夫妻とダミアンの周辺で不穏な出来事が重なっていく。盛大に行われたダミアンの5歳の誕生パーティ。そこで若い乳母(ホリー・パランス)が突然「ダミアン、全てはあなたのためよ」と叫び、公衆の面前で首つり自殺を遂げる。屋敷の周辺を徘徊する怪しげなロットワイラー犬。代わりにベイロック夫人(ビリー・ホワイトロー)というベテラン乳母が赴任してくるものの、しかしロバートもキャサリンも新しい乳母を依頼した覚えなどなかった。ソーン夫妻に隠れて「あなたをお守りするために来ました」とダミアンに告げるベイロック夫人、その言葉を聞いて不気味な笑みを浮かべるダミアン。息子の周辺を独断で仕切っていくベイロック夫人にソーン夫妻は困惑する。 一方その頃、ローマからやって来たブレナン神父(パトリック・トラウトン)がアメリカ大使館を訪れ、ダミアンの忌まわしき出生の秘密を知っているとロバートに警告する。当初は狂人の戯言と片付けていたロバートだったが、しかし教会へ向かったダミアンが恐怖のあまりパニックに陥る、動物園の動物たちがダミアンの存在を脅威に感じて暴れるなどの不可解な事件が相次いだため、改めてブレナン神父から話を聞いたところ、彼によればダミアンは悪魔の子供だという。しかも、キャサリンが第二子を妊娠しており、ダミアンと悪魔崇拝者たちは母子共に葬り去るつもりらしい。なんとバカげたことを!そもそも妻はもう妊娠できない体だ!デタラメを言うんじゃない!二度と我々に近づくな!怒りを露わにしたロバートだったが、その直後にブレナン神父は教会の屋根から落ちてきた避雷針が体を貫通して即死。そのうえ、妻キャサリンが本当に妊娠していたことも発覚する。 そんな折、以前より顔見知りだった報道写真家ジェニングス(デヴィッド・ワーナー)からコンタクトがある。首つり自殺をした若い乳母、避雷針が突き刺さったブレナン神父、それぞれ生前の写真に死の「予兆」を示すような影が写っているというのだ。不気味な影はジェニングス自身の写真にも写り込んでいた。まるで彼の死を預言するように。その頃、身重の妻キャサリンが大使公邸の吹抜け2階から転落する。辛うじてキャサリンは一命をとりとめたが、お腹の中の子は流産してしまった。やはりダミアンは本当に悪魔の子なのか。いったいソーン家の周辺で何が起きているのか。真相を確かめるべくローマへ向かったロバートとジェニングス。そこで亡きブレナン神父から聞かされた専門家ブーゲンハーゲン(レオ・マッカーン)に会った彼らは、もはや疑いようのない驚愕の事実と向き合うことになる…。 『オーメン』に成功をもたらした脚本と演出の妙とは? 劇中でも言及される新約聖書の預言書「ヨハネの黙示録」をヒントに、人間として地上に生まれた悪魔の子供が不思議な力と崇拝者たちによって守られ、世の中の混沌に乗じて超大国アメリカの権力中枢へ食い込もうと画策する…というお話。’70年代当時の不穏な世相を背景にした陰謀論的な筋書きは、それゆえ荒唐無稽でありながらどこか奇妙な説得力を持っている。そのうえで、本作はオカルト映画にありがちな超常現象やモンスターの類を一切排除し、徹底したリアリズムを貫くことで物語に信憑性を与えているのだ。ポランスキーが『ローズマリーの赤ちゃん』で採った手法と同じである。 ダミアンの周辺で起きる怪事件の数々は、なるほど確かに悪魔の仕業と言われればそうかもしれないが、しかし単に不幸な偶然が重なっただけとも受け取れる。その結果、ロバートもジェニングスも精神を病んだブレナン神父の妄想をうっかり信じ込んでしまい、不幸な結末へ向けて勝手に暴走してしまった…と解釈することも可能であろう。ローマで発覚する衝撃的な事実の数々だって、実のところ悪魔ではなく悪魔崇拝カルト集団の陰謀に過ぎないと考えることも出来る。もちろん、そうではないことも随所でしっかりと暗示されるわけだが、いずれにせよこのファンタジーとリアルの境界線ギリギリを狙った語り口が非常に上手い。ブームによって数多のオカルト映画が量産される中、本作が『エクソシスト』に匹敵するほどの支持を観客から得ることが出来たのは、この「世相を投影した脚本」と「リアリズムに徹した演出」があったからこそであろう。 本作の生みの親はドキュメンタリー畑出身の映画製作者ハーヴェイ・バーンハード。友人ボブ・マンガーとハリウッドのレストランで食事をしたところ、「もしヨハネの黙示録に出てくる反キリストが幼い少年だったら?」という話題になったという。これは映画のネタになる!と直感したバーンハードは、すぐさまアイディアを10ページほどの企画書にまとめ、ドキュメンタリー時代からの知人であるデヴィッド・セルツァーに脚本を依頼する。実は劇映画の脚本を書いた経験が乏しかったという当時のセルツァー。ドキュメンタリー作家として家族を養うことが厳しくなったため、脚本家としての実績を偽って周囲に売り込みをかけたところ、原作者ロアルド・ダールが降板した『夢のチョコレート工場』(’71)の脚本改訂版をノークレジットで担当したばかりだった。恐らく、バーンハードもその売り込みを信じたのかもしれない。それが結果として吉と出たのだから、まさしく「Fake It Till You Make It(本当に成功するまで成功したふりをしろ)」を地で行くような話ですな(笑)。 当初、主人公ロバート・ソーン役にチャールズ・ブロンソン、監督には『激走!5000キロ』(’76)などのB級アクション映画で知られるスタントマン出身のチャック・ベイルという顔合わせで、『エクソシスト』のワーナー・ブラザーズが出資することになっていたという『オーメン』。スイスでのロケハンも行われていたらしい。ベイル監督がカーチェイス・シーンの話ばかりするため、「一体どんな映画になるのか心配だった」というセルツァー。ところが、当時ワーナーで同時進行していた『エクソシスト2』(’77)に予算がどんどん持っていかれてしまい、最終的に本作の企画自体が暗礁へ乗り上げてしまった。そこで救いの手を差し伸べたのが20世紀フォックスのアラン・ラッド・ジュニア。このラッド・ジュニアの要望で監督がリチャード・ドナーに交代し、主演俳優にも天下の名優グレゴリー・ペックが起用されることとなったというわけだ。 それまで劇場用映画では全くヒットに恵まれず、主にテレビドラマの演出家として活躍していたドナー監督。本作における徹底したリアリズム路線を打ち出したのは彼だったという。実は、もともとセルツァーの書いたオリジナル脚本には超常現象やら魔女やらが登場し、ローマ郊外の墓地のシーンでは半人半獣のモンスターも出てくるはずだったらしい。しかし、物語に説得力を持たせることを最優先に考えたドナー監督は、脚本にあった非現実的な要素を極力排除することに。監督自身は本作をホラー映画ではなく、ヒッチコック・スタイルのサスペンス・スリラーと考えて取り組んだと振り返っている。 また、ベイロック夫人もオリジナル脚本では、一見したところ温厚そうな女性という設定だったが、しかしオーディションを受けた女優ビリー・ホワイトローの芝居に強い感銘を受けたドナー監督の判断で、本作における「悪の権化」を一手に担うようなキャラに変更。そのおかげで、普段は無邪気な少年にしか見えないダミアンの秘められた二面性が、ベイロック夫人の邪悪な存在によって引き出されていくという効果が生まれたようにも思う。そのベイロック夫人の台詞は演じるホワイトロー自身が書き直したとのこと。そうした大胆な路線変更の結果、脚本家のセルツァーをして「出来上がった映画は脚本よりも遥かに素晴らしかった」と言わしめるような作品に仕上がったのだ。 あのSFブロックバスター映画の成功も実は本作のおかげ…? ハリウッド史上屈指の大スターに数えられるオスカー俳優グレゴリー・ペックに、『酒とバラの日々』(’62)でオスカー候補になった名女優リー・レミックという主演陣の顔合わせも功を奏した。当時はまだまだ、ホラー映画がB級C級のジャンルと見做されていた時代である。出演する役者もジャンル系専門のB級スターか、もしくは落ち目の元人気スターと相場は決まっていた。それだけに、グレゴリー・ペックにリー・レミックという超一流キャストは興行的な理由ばかりでなく、観客を登場人物に感情移入させて物語に説得力を持たせるという意味においても効果は絶大だったと言えよう。脇を固めるのもデヴィッド・ワーナーにビリー・ホワイトロー、レオ・マッカーンなど、いずれも知る人ぞ知る英国演劇界の名優ばかり。演出だけでなく役者の芝居にも嘘くささがない。 なお、ホラー映画史上最もショッキングな名場面とも言われる首吊りシーンで強烈な印象を残す、若い乳母役のホリー・パランスは往年の名優ジャック・パランスの愛娘。実は、本作の以前にドナー監督はジャック・パランスとテレビで仕事をしたことがあり、その際に「何か機会があれば娘をよろしく頼む」と言われたそうで、その約束を果たすために声をかけたという。当時まだ駆け出しだったホリーはそのことを全く知らなかったそうで、エージェントの指示でドナー監督と会いに行ったところ、オーディションもカメラテストもなしで採用されたためビックリしたらしい。 一流と言えば、撮影監督を任されたカメラマン、ギルバート・テイラーの存在も忘れてはなるまい。ロマン・ポランスキーやリチャード・レスターとのコラボレーションで知られ、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』(’64)やヒッチコックの『フレンジー』(’72)でも高く評価されたテイラー。当時は映画界からセミ・リタイアして、自身がロンドン郊外に所有する農場で酪農に従事していたそうだが、その農場へ出向いたドナー監督が根気よく口説き落として現役復帰することに。空間のバランスと奥行きを細部まで計算し尽くした画面構図の美しさは、間違いなくテイラーの功績であろう。この極めてスタイリッシュなビジュアルが、映画全体の風格を高めたとも言える。そういえば、スティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』(’75)やジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(’77)あたりを契機に、かつてはBクラス扱いされていたホラーやSFなどのジャンル系映画を、メジャー・スタジオがAクラスの予算と人材を投じて作るようになったわけだが、本作や『エクソシスト』もその流れ作りに大きく貢献したのではないかと思う。 ちなみに、もともと本来のクライマックスではロバートのみならずダミアンも死亡し、エンディングはソーン親子3人全員の葬儀という設定だったのだが、撮影終了後にラフカット版を見たアラン・ラッド・ジュニアが「子供だけ生き残るってのはどうだろう?」と提案。これにドナー監督が同意したことから大急ぎで追加撮影が行われ、あの衝撃的なラストシーンが生まれたのである。ダミアン役のハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス少年は演技未経験の素人。それゆえドナー監督は、演技をさせるのではなく素のリアクションを引き出すことに腐心したそうなのだが、このラストシーンの撮影では「笑っちゃだめだからね!笑うんじゃないよ、笑うんじゃないよ、ぜーったいに笑うんじゃないよ!」とカメラの後ろからわざと煽りまくり、我慢しきれなくなったハーヴェイ少年が思わず笑みをこぼしたところでジ・エンドとなったわけだ。 かくして’76年6月6日に全米主要都市でプレミア上映が行われ、6月25日よりロードショー公開されて爆発的なヒットを記録した『オーメン』。キリスト教において「666」が獣(=悪魔)の数字であることを、世界中で広く知らしめたのは本作の功績のひとつである。脚本家セルツァー自身が書き下ろしたノベライズ本も、劇場公開に先駆けて出版されベストセラーに。2本の続編映画と1本のテレビ用スピンオフ映画、さらには1作目のリメイク版映画や2本のテレビ・シリーズも作られるなどフランチャイズ化され、最近ではダミアンの誕生に至る前日譚を描いた映画『オーメン:ザ・ファースト』(’24)も話題となった。そういえば’06年のリメイク版には、すっかり大人になったハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス(1作目のダミアン役)が取材レポーター役で顔を出していましたな。 本作で初めて劇場用映画の代表作に恵まれたドナー監督は、封切からほどなくして大物製作者アレクサンダー・サルキンドから映画『スーパーマン』(’78)のオファーを受け、そこからさらに『グーニーズ』(’85)や『リーサル・ウェポン』(’87)シリーズの成功へと繋がっていく。また、当時『スター・ウォーズ』の撮影監督ジェフリー・アンスワースが降板してカメラマンを探していたジョージ・ルーカスから問い合わせがあり、ドナー監督は後任として本作のギルバート・テイラーを推薦したという。ただし、テイラーからは「なんてことに巻き込んでくれたんだ!あの若者たちは何も分かっていない!まるでマンガみたいな映画じゃないか!」と文句を言われたのだとか(笑)。さらに、20世紀フォックスのアラン・ラッド・ジュニアは膨れ上がっていく『スター・ウォーズ』の予算を、『オーメン』の莫大な興行収入で賄ったとも言われている。もしかすると、本作の成功がなければ『スター・ウォーズ』も世に出ていなかったかも…?■
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COLUMN/コラム2025.05.26
パク・フンジョン監督が、3大スターと切り開いた、“韓国ノワール”の『新しき世界』
高校時代に映画好きになったという、1974年生まれのパク・フンジョン監督。映画学校などに通うことはなく、「映画を見て書き起こす」ことで、脚本を学んだという。 ゲームや漫画のシナリオなどを経て、2010年にキム・ジウン監督の『悪魔を見た』、リュ・スンワン監督の『生き残るための3つの取引』という2作の脚本で注目を集める。翌11年にはサスペンス時代劇『血闘』で、念願の監督デビューを果した。 監督第2作となる本作『新しき世界』(2013)は、そんなパク・フンジョンの、“ギャング映画への憧れ”から始まった企画。『ゴッドファーザー』『インファナル・アフェア』『エレクション』等々、洋の東西を問わず、白黒や善悪がはっきり分けられるような単純な世界観ではない、“ノワール映画”が大好きだった彼が、積年の夢を果した監督作品である。 ***** 韓国の巨大犯罪組織ゴールド・ムーン。そのTOPが、謎めいた交通事故で急死した。組織の幹部であるチョンチョンとイ・ジュングの、後継者争いが始まる。 チョンチョンの右腕イ・ジャソンは、実は潜入捜査官。カン課長の命を受け、組織に送り込まれて8年。警察に戻る日を心待ちにしていた。 しかしTOP不在の混乱を機に、組織を壊滅しようと目論んだカン課長が、「新世界プロジェクト」を発動。新たな指令を受けたジャソンは反発するが、逆らう術はなかった。 ジャソンの言葉に決して耳を傾けない、カン課長。それに対しチョンチョンは、同じ“韓国華僑”という出自のジャソンを「ブラザー」と呼び、信頼を寄せていた。任務と友情の板挟みとなったジャソンの苦悩は、日々深まっていく…。 カン課長は、一触即発状態のチョンチョンとイ・ジュングそれぞれに接触。2人の対立を煽る。チョンチョンは、組織に内通者が居ることを直感。その正体を探る。 チョンチョンから人目につかない倉庫に呼び出されたジャソンは、連絡係の女性刑事が瀕死の状態でドラム缶に詰められているのを見て、正体がバレたことを覚悟した。しかしチョンチョンが始末したのは、ジャソンも知らなかった、別の潜入捜査官だった。 本当に気付かれていないのか?ジャソンは、身も心も張り裂けそうになる。 警察の介入で、ゴールド・ムーンの跡目争いはエスカレートしていく。ジャソン、カン課長、チョンチョン…3人の男の運命は!?そして訪れる、“新しき世界”とは!? ***** 数々の“ノワール”の影響が見て取れる本作であるが、特に大きかったと思われるのが、香港作品の『インファナル・アフェア』シリーズ(2002~03)と、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』シリーズ(1972~90)。『インファナル・アフェア』3部作は、潜入捜査官のヤンと、逆に警察組織に送り込まれた、覆面マフィアのラウを主人公にした、香港ノワールの代表的な作品。2006年にはマーティン・スコセッシ監督により、ハリウッドで『ディパーテッド』としてリメイクされ、アカデミー賞の作品賞や監督賞などを受賞している。 イ・ジャソンの、正体は警察官ながら、マフィアに長年身を置いたことで、その仲間に友情やシンパシーを抱き、苦悩を深めるという人物像は、『インファナル・アフェア』でトニー・レオンが演じたヤンにカブるところがある。こうした主人公の中の“二律背反”は、チョウ・ユンファ主演の香港作品『友は風の彼方に』(1987)や、それをパクったタランティーノの監督デビュー作『レザボア・ドッグス』(92)、ジョニー・デップ主演の『フェイク』(97)等々、“潜入捜査官もの”では、定番とも言えるが。 実は『新しき世界』以前は、“潜入捜査官”という設定は、“韓国ノワール”には、ほとんどなかったのだという。そうした意味でも直近の傑作、『インファナル・アフェア』の存在は、大きかったと言える。 一方でそれ以上に色濃く感じられるのが、『ゴッドファーザー』の影響。巨大犯罪組織の跡目争いに、心ならずも巻き込まれていく主人公の苦悩は、『ゴッドファーザー』シリーズでアル・パチーノが演じた、マイケルと重なる。 また『ゴッドファーザー』が、イタリア移民によって構成された“ファミリー”の物語であったのと同様、『新しき世界』では、ジャソンとチョンチョンに、“韓国華僑”という少数派の設定を与えている。“韓国華僑”は韓国内に永住している、唯一の外国籍民族集団で、長らく差別的な扱いを受けてきた歴史がある。 パク・フンジョンは本作に関して、「ファミリーの歴史を叙事詩のように描く“エピック・ノワール”をやってみたかった」と語っているが、これは言い換えれば、自分なりの『ゴッドファーザー』を作ってみたかったということであろう。ネタバレになるので詳しくは述べないが、クライマックスにすべてが決着する“大殺戮”が展開する辺り、監督の「これがやりたかった!」感が、至極伝わってくる。 因みに『新しき世界』は、元は警察と巨大犯罪組織を巡る長いストーリーの構想から成り立っていた。それは「企業型の犯罪組織ゴールド・ムーンの誕生まで」から始まり、「新しいボスを迎えたゴールド・ムーンの内幕と警察の反撃」で終幕を迎える。映画化に当たって、最も商業的に適する部分として、その中間パートを抜き出して脚本化し、1本の作品に仕上げたのだという。 本作の肝となる3人の男、ジャソン、カン課長、チョンチョン。この3人のバランスをどう取るかが、作品の完成度に大きく関わってくる。結果的に、監督が構想していたキャラクターと、「ほぼ100パーセント、シンクロ」するキャスティングが行われた。 カン課長を演じたチェ・ミンシクは、シリアルキラーを演じた『悪魔を見た』で、脚本を担当していたパク・フンジョンと出会った。その際に沢山話をして、「何かを持っている」と感じたミンシクは、フンジョンと連絡を取り続けていた。 そして本作の「土台となる人物」ながら、「目立ってはいけない」黒幕的存在の、カン課長役のオファーを受ける。ミンシクの長いキャリアの中で、映画で警官を演じたのは、「初めて」だったという。 ミンシクは自らの出演が決まると、イ・ジョンジョに直接電話を掛けた。大先輩からの「映画に出ないか?」との誘いに乗って、それまでラブストーリーなどの出演が多かったジョンジェが、ジャソンを演じることとなった。 潜入捜査官のジャソンは、ほとんどのシーンで感情を隠さなければならない役どころ。ジョンジェは、「立っている」「苦悩に満ちる」などとしか書かれていない脚本を徹底的に分析し、監督言うところの「深みのある内面の演技」を見せた。 “静的”なジャソンとは対照的に、極めて“動的”なキャラクターであるチョンチョン役を引き受けたのは、監督の脚本作『生き残るための3つの取引』の主演だった、ファン・ジョンミン。 ソウルで上演中のミュージカル「ラ・マンチャの男」で主演を務めていたジョンミンは、公演のスケジュールと本作の撮影が丸かぶり。芝居が終わると深夜の高速バスで、ロケ地の仁川まで移動し、日中の撮影を終えると、高速鉄道でソウルまで戻って舞台に立つという、ハードな日々を送ることとなった。 イ・ジョンジェ曰く、最初の読み合わせの際に、ファン・ジョンミンの脚本は、もうボロボロになっていたという。ジョンミンは、ヘアスタイルから衣裳、セリフまで、アイディア出しを行い、撮影現場では、アドリブを多用した。 象徴的と言えるのが、チョンチョンの初登場シーン。中国の取引先から戻った彼は、飛行機のスリッパを履いたまま、到着ロビーに現れる。気ままで勝手放題なチョンチョンのキャラクターを表わすこのシーンは、まさにジョンミンのアイディアが元となっている。 チョンチョンは全羅道訛りで、常に悪態をつき続けるが、ジョンミンは脚本を貰った段階で監督に、自分でセリフを全部直すことを申し入れたという。具体的には、その地域の方言を話す者の力を借り、更には、悪口の数をぐっと増やして、最終的には自分の口に馴染むよう、書き直したのだという。 ジャソンが「正体がバレたか?」と震え上がる、裏切者の粛正シーンでは、雨垂れで血が付いた手を洗い、口をすすぐ演技を見せる。これも脚本上では、「後ろ姿を見せる」としか書かれておらず、100%ジョンミンのアドリブだった。 これらのアドリブはもちろん、ジョンミンが悪目立ちするためにやったものではない。チョンチョンがいくら暴れても、主役はジャソンである。助演のチョンチョンがエネルギッシュであればあるほど、静的なジャソンが立つという計算の元に行われた。 本作のラストシーンでは、時代を遡って、イ・ジャソンとチョンチョンの6年前の出会いが描かれるが、実はこちらも脚本には存在しなかった。2人の“絆”を描くために、ジョンジェとジョンミンで話し合って、監督とも相談。クランクアップを迎える日に、急遽撮影されたものだったという。メインキャストの2人が、自分たちなりの“プリクエル=前日譚”を作ってみようと考えて、実現したものだった。 イ・ジョンジェ、チェ・ミンシク、ファン・ジョンミンという3大スターの出演がトントン拍子に決まった際は、「かなり当惑」し、「恐れさえ」感じたというパク・フンジョン監督。しかしキャラクターと「ほぼ100パーセント、シンクロ」する、3人のキャスティングは、最高の化学反応を見せたのである。『新しき世界』は、2013年2月に韓国で公開。すでに旬を過ぎたジャンルと思われていた“ヤクザ映画”が新たな展開を見せたと評価され、470万人を動員する大ヒットを記録した。 ファン・ジョンミンは韓国3大映画祭のひとつ、「青龍芸術大賞」で主演男優賞を受賞。イ・ジョンジェは「大鐘賞」の人気賞に輝いた。 当時ソニー・ピクチャーズによるハリウッドリメイクが決定とのニュースが流れた。しかしこれはご多分に漏れず、その後実現したとの報はない。 それよりも気掛かりなのは、パク・フンジョンが当時語っていた“3部作”構想。先に挙げた通り、本作の“前日譚”として、「企業型の犯罪組織ゴールド・ムーンの誕生まで」、後日談として、「新しいボスを迎えたゴールド・ムーンの内幕と警察の反撃」が存在した筈だったが、いつの間にか立ち消えとなってしまったようだ。 歳月が流れる中、『The Witch 魔女』シリーズ(2018~)で、女性アクションの新生面を開いた、パク・フンジョン監督。メインキャストは男・男・男の、『新しき世界』のシリーズ化は、時勢もあって、もはや関心外なのだろうか?■ 『新しき世界』© 2012 NEXT ENTERTAINMENT WORLD Inc. & SANAI PICTURES Co. Ltd. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.05.03
壮大なスケールと奇想天外なストーリー展開で普遍的な家族愛を描いたオスカー7部門制覇の大傑作!『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
独創的で型破りな演出はインディーズ映画の鬼才ダニエルズの十八番 『ムーンライト』(’16)や『ミッドサマー』(’19)、『関心領域』(’23)などの話題作・問題作で高い評価を受ける製作会社A24にとって、同社史上最高額の興行収入(1億4340億ドル)を稼ぎ出す大ヒットを記録し、’23年の第95回アカデミー賞では最多となる11部門にノミネート、そのうち作品賞以下7部門で受賞するという快挙を成し遂げた傑作である。中でも特に授賞式で注目を集めたのは、名もなき平凡な中国系アメリカ人の夫婦を演じたミシェル・ヨー(主演女優賞)とキー・ホイ・クァン(助演男優賞)の2人だ。 香港アクション映画のスーパースターとして活躍した’80年代より、40年に及ぶ輝かしいキャリアを誇ってきたマレーシア出身のベテラン女優ヨーと、ベトナム難民として渡ったアメリカで『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(’84)と『グーニーズ』(’85)に出演して人気が爆発したものの、しかし当時のハリウッドではアジア系の役柄が極めて少なかったために後が続かず、本作が実に20年以上ぶりのカムバック作品となった元名子役クァン。どちらも人生と業界の荒波を乗り越えてきたサバイバーである2人が、ハリウッドにおける年齢や性別や人種の見えない壁を見事に打ち破り、文字通り奇跡のようなオスカー初ノミネート&初受賞を果たしたのだから、本人たちだけでなく映画ファンとしても大いに感慨深いものがあったと言えよう。 なおかつ、これが長編劇映画2作目だった若手監督コンビ、ダニエルズ(ダニエル・クワンとダニエル・シャイナート)による、あまりにも自由で斬新で独創的かつ画期的なストーリーテリング術も多くの映画ファンを驚かせた。無人島で遭難した青年が海岸で発見した死体と共に我が家を目指して大冒険を繰り広げるという、処女作『スイス・アーミー・マン』(’16)も相当にシュールでヘンテコな映画だったが、本作はそれを遥かに上回る奇妙奇天烈なハチャメチャさが際立つ。不条理コメディにSFにホラーにカンフー・アクションにと数多のジャンルをクロスオーバーし、目まぐるしいスピードで縦横無尽にマルチバースを飛び回る天衣無縫なストーリーは一見したところ意味不明で難解だが、しかしその荒唐無稽と混沌の中から「私の人生、本当にこれで良かったのか?」という疑問を抱えたヒロインの様々な想いが走馬灯のように浮かび上がり、慌ただしい日常の中ですれ違う親子や夫婦の愛情と絆を描いた普遍的なファミリー・ドラマへと昇華される。その大胆不敵かつ巧妙な脚本と演出には、恐らく観客の誰もが舌を巻くはずだ。 忙しい日常に疲れ切った平凡な主婦が全宇宙の危機を救う!? ひとまず、なるべく分かりやすく整理しながらストーリーを解説してみたい。主人公はコインランドリーを経営する中国系アメリカ人の中年女性エヴリン(ミシェル・ヨー)。20年前に親の反対を押し切って、夫ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)と駆け落ち同然で結婚して渡米し、ひとり娘ジョイ(ステファニー・スー)をもうけたエヴリンだったが、しかし移民一世としての生活はまさに苦労の連続。辛うじてビジネスは軌道に乗ってきたものの、しかし忙しくて慌ただしい毎日の中で家族との溝は深まるばかり。優しくてお人好しなウェイモンドはいまひとつ頼りにならず、最近では交わす会話も殆んどなくなっている。娘ジョイとはさらに微妙で気まずい間柄。アメリカで生まれ育った移民二世のジョイとはカルチャーギャップがあり、なおかつ彼女がレズビアンであることを頭では分かっても心情的に受け入れられないエヴリンは、たまに娘が恋人ベッキー(タリー・メデル)を連れて実家へ顔を出しても素っ気ない態度を取ってしまう。ジョイもそんな母親に愛憎入り交じる感情を抱いており、あまり実家へ寄り付かなくなっていた。 そんな、ただでさえ訳ありの家族にさらなる問題が発生。コインランドリーが国税庁の監査対象になってしまい、膨大な資料をまとめた書類を提出せねばならなくなったのだ。折しも、高齢で介護の必要になった父親ゴンゴン(ジェームズ・ホン)が中国から来たばかり。本当は息子の欲しかった父親は、幼い頃からエヴリンに対して非常に厳しかった。エヴリンが必死になって働いてきたのは、そんな父親に認めて欲しいという想いもあったからなのだが、しかしいまだ家父長気分の抜けない父親は偉そうにふんぞり返るばかり。税金の申告書作成に加えて、英語も全く話せない我がまま老人の父親の世話、さらには店の切り盛りもせねばならないエヴリンは、もはやストレスと疲労で崩壊寸前だった。 監査官ディアドレ(ジェイミー・リー・カーティス)と面談して書類をチェックしてもらうため、ウェイモンドとゴンゴンを連れて国税庁へとやってきたエヴリン。すると、いきなり豹変したウェイモンドが不可解なことを口走る。自分はアルファバースからやって来たアルファ・ウェイモンド。アルファバースのエヴリンが生んでしまった強大な悪の化身ジョブ・トゥパキが、多元宇宙(マルチバース)の全てにカオスをもたらそうとしている。それを止めることが出来るのは、この世界のエヴリン、つまり君しかいない!というのだ。 なんのことだかさっぱり分からず困惑するエヴリンだったが、しかしそんな彼女の前に別の宇宙から来たジョブ・トゥパキの刺客たちが次々と襲いかかる。これに対抗して全宇宙を救うためには「バース・ジャンプ」が必要だ。これまでの人生で目標を立てては挫折し、夢を抱いては諦めてきたエヴリン。そのたびに枝分かれした「別の人生」の数だけマルチバースが存在する。ある世界ではカンフーの達人、ある世界では映画スター、ある世界では歌手など、様々な才能を開花させている別バージョンのエヴリンたち。何も持たない最低の自分を生きている現世界のエヴリンは、バース・ジャンプによって別世界のエヴリンたちと繋がり、それぞれの特技を自分のモノにしていく必要があるのだが、しかし「最強の変なこと」をしなくてはジャンプすることが出来ない。ありったけの知恵を絞って突拍子もないバカなことを繰り出し、マルチバースを飛び回りながら別世界の自分たちを体験していくエヴリン。そんな彼女の前に現れた邪悪な宿敵ジョブ・トゥパキをひと目見て、エヴリンは思わず愕然とする。それはほかでもない、アルファバースの我が娘ジョイだったからだ…! エヴリン役はミシェル・ヨーにとってキャリアの集大成 親の愛情を得るため期待に応えねばとの重圧に苦しみ、それゆえ夢を諦めて挫折ばかりしてきた現世界のエヴリンが、親の愛情と期待に応えようとして限界まで精神を追い込まれた結果、冷酷で虚無的な怪物ジョブ・トゥパキと化してしまった別世界のジョイと対峙することで、現世界の我が娘ジョイの抱えた孤独や痛みをようやく理解し、断絶していた親子の絆を取り戻していく。と同時に、様々な別世界の「成功した自分」を体験したエヴリンは、結局のところ「理想通りの完璧な人生」などあり得ないことを知り、さらには優しいだけが取り柄の夫ウェイモンドの秘めた「真の強さ」に気付かされ、過去の選択や挫折、果たせなかった夢や希望を悔やむよりも、今ある生活と家族・友人を慈しみ大切にすべきであることに思い至る。奇想天外でぶっ飛んだ壮大なスケールのアクション・エンターテインメントは、実のところ平凡でささやかな日常の有難さを謳いあげた、微笑ましくも心温まるファミリー・ドラマなのだ。 そもそもの発端は、ダニエル・クワン監督が『マトリックス』(’99)と『ファイト・クラブ』(’99)をヒントにして、独自のマルチバース企画を思いついたことだったのだとか。そこへ、自身が中国系アメリカ人であるクワン監督の個人的な経験を基にした、アジア系移民家庭アルアルを詰め込んだ家族のドラマが加わったというわけだ。それにしても、一見したところ脈絡のない展開や意味不明のシュールなギャグ、目まぐるしく変化するスピーディで複雑な編集に困惑させられる観客も多かろうと思うが、しかしよくよく見ていると細かいカットのひとつひとつまで入念に計算されていることが分かる。 実際、脚本にはその場面で使用する全てのカットが詳細に記入されていたらしい。そのうえで、異なるバースをクロスカットで繋ぐなどの工夫を凝らすことで、脈絡のないように見える混沌とした展開の中から、言わんとすることの意味を観客が直感的に汲み取れるよう導いていくのだ。実に巧妙。映像言語をフル稼働した独創的な語り口は本作の醍醐味と言えよう。しかも、ウォン・カーワイやジャッキー・チェン、ガイ・リッチーといったダニエルズが敬愛する映画人や、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』や映画『カンフーハッスル』(’04)、『ジュラシック・パーク』(’90)に『2001年宇宙の旅』(’68)などへのオマージュも盛りだくさん。とりあえず、決して頭で理解しようとせず、映像の流れに身を委ねて感じ取るべし。それが本作の正しい鑑賞法である。 もちろん、主人公エヴリンを演じるミシェル・ヨーも圧倒的に素晴らしい。忙しい日常に疲れ果て、家族との不和に悩まされる平凡な主婦が、バース・ジャンプによって体得した様々な特技を駆使して世界を救わんと戦う。笑いあり涙ありシリアスあり、カンフー・アクションにサスペンスもあり。喜怒哀楽、静と動の全てをいっぺんに詰め込んだエヴリンというキャラクターは、「40年間のキャリアはこの作品のためのリハーサルだった」とミシェル本人が語るように、文字通り役者人生の集大成的な難役だったと言えよう。もともとこの役は男性という設定で、当初はジャッキー・チェンにオファーされたらしい。モデルだった彼女が女優デビューするきっかけとなったのが、ジャッキーと共演したテレビCMだったことを考えると数奇な巡り会わせと言えよう。 ちなみに、バース・ジャンプ中の格闘技大会シーンでミシェル・ヨーに顔を蹴り飛ばされ、続くアクション映画の撮影シーンで同じくミシェルに顔をパンチされる女性は西脇美智子。かつて’80年代に「ボディビル界の百恵ちゃん」として人気を博した日本の元ボディビルダーで、一時期は香港のカンフー映画スターとして活躍したこともあった。’90年代末からはハリウッドを拠点にスタントウーマンとして活動しているが、本作ではミシェルのスタンドイン(撮影準備の代役)を兼ねていたそうだ。■ 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』© 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.04.21
「SHOGUN 将軍」への道は、ハリウッド製“忠臣蔵”映画『47RONIN』が開いた!?
日本人にはなじみ深い物語である、「忠臣蔵」。当然ご存じの方が多数であろうが、18世紀はじめ=江戸時代中期に実際に起こった、“赤穂事件”がベースとなっている。 江戸城は松の廊下で、赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介への刃傷沙汰に及び、即日切腹となった。こうしたトラブルは「両成敗」が旨である筈なのに、吉良へはお咎めのないまま、赤穂藩はお取り潰しに。 この処断を不服に感じた、赤穂藩家老の大石内蔵助をはじめ47人の浪士が、雌伏の時を経て、事件から1年9ヶ月後に、江戸本所の吉良邸に討ち入り。上野介の首を刎ねて主君の仇を取り、本懐を遂げるというのが、大体のあらましである。 この“赤穂事件”の顛末を基に大幅な脚色を加えた、「仮名手本忠臣蔵」が、文楽や歌舞伎の演目として確立して以来、「忠臣蔵」は今日まで、映画、演劇、TVドラマ等々の格好の題材となってきた。亡君への忠義を果し武士の意地を通すといったテーマが、日本人の心に響きやすかったのであろう。NHKの大河ドラマやテレビ東京の12時間ドラマなどでも繰り返し取り上げられ、20~30年前までは、年末年始の風物詩とも言えた。 また折りに触れて、現代物に翻案。『サラリーマン忠臣蔵』(1960)『OL忠臣蔵』(97)『なにわ忠臣蔵』(97)等々の作品では、武家社会を企業や極道の世界に置き換えて、「忠臣蔵」の“仇討ち”の世界が展開された。 映画でもTVでも、時代劇の製作本数がすっかり減ってしまった近年になると、以前ほどは「お馴染み」とは言えなくなってきた。それでも赤穂浪士の討ち入りを、その予算面から取り上げた『決算!忠臣蔵』(2019)や、吉良上野介の弟が替え玉に仕立て上げられる『身代わり忠臣蔵』(2024)といった、“曲球”のような映画作品が、時折登場している。 そんな「忠臣蔵」であるが、当然のように日本以外の人々には未知の物語である。ところが“日本通”を自認する者によって、突然「忠臣蔵」を題材にした外国映画が、製作されることがある。 筆者の古い記憶にあるのは、『ベルリン忠臣蔵』(1985)。40年前、統一前の西ドイツで製作された作品である。 筆者はこの作品、未見でありながら、タイトルだけは矢鱈と印象に残っていた。今回鑑賞を試みたが、配信は当然されておらず、ソフトなども入手困難。そのため作品データや実際に観た者の話頼りになってしまう点は、ご容赦願いたい。 ストーリーは、ハンブルグに“大石内蔵助”を名乗る怪人が現れ、悪徳企業を成敗するというもの。舞台は記した通り、ハンブルグであり、ベルリンは邦題だけ。本篇には一切登場しないという。 鑑賞者によると、監督のハンス・クリストフ・ブルーメンブルグはじめ製作サイドは、「忠臣蔵」についてそれなりにリサーチをした努力は感じられたが、内蔵助の正体が、日本で“柔道”を修行したドイツ人。更には内蔵助抹殺のために、日本から“忍者”がやってくるという、トンデモ展開である。しかしながらドイツ人気質というか、コメディ仕立てなどではなく、至極生真面目で退屈な作品に仕上がっているという。 2010年代に入って、本作『47RONIN』(2013)製作の報が聞こえてきた際、まず浮かんだのは、この『ベルリン忠臣蔵』だった。主演はキアヌ・リーヴスで、四十七士の1人を演じるという設定を聞いて、思った。これは「ヤバい」と。 日本人キャストとしては、真田広之、浅野忠信、菊地凛子というハリウッド経験組。更にオーディションなどを経て選ばれた、柴咲コウ、赤西仁、田中泯といった有名どころが出演すると聞いても、その危惧は全然薄れることはなかった。 監督に選ばれたのは、カール・リンシュ。CM業界では実績を残しているクリエイターだが、長編映画を手掛けるのは、初めて。 リンシュは11歳の頃に、「少しの間だけ」日本に住んだことがあった。そして、四十七士の物語について、「少しは知っていた」という。 本作については、細々とストーリーなど説明しても仕方ない。とりあえず観て、それぞれに感想を抱いて欲しいと思うので、「少しだけ」日本に住んでいて、「少しは」四十七士の物語を知っていたリンシュによって、どんな構想の下で、いかなる映像世界がクリエイトされたかを、挙げていこう。 リンシュが本作のオファーを受けた時に考えたのは、「綿密な時代考証による大河ドラマではなく、よりファンタジーに使い映画を作るチャンス」ということだった。 そんな彼が、特殊効果スーパーバイザーのクリスチャン・マンツと話し合った際に、度々名前が挙がった、偉大な日本人アーティストが2人居る。それは、リンシュが子ども心に魅了されていたという、「葛飾北斎」。そしてもう1人は、「宮崎駿」。リンシュとマンツは、「宮崎駿のアニメの実写版のような映画」「北斎の版画の中にしか存在しないような日本」を目指すことで、一致したのである。 リンシュはシナリオハンティングで、日本の30都市を10日間くらいかけて回ったというが、こだわったのは、「日本文化のひとつの解釈」。画面に登場する、建物と屋根の組み合わせなどが、日本にはないものであったり、衣裳のデザインが、“着物”と似て非なるものになったのは、すべてそうした“こだわり”から生じたと言って、差し支えなかろう。 またリンシュらが、日本の民話などを詳しくリサーチした結果も、然り。四十七士の物語の舞台は、天狗や魔女の龍、出島の鬼といった、クリーチャーたちが跋扈する世界となってしまった。中国の神話由来の筈の麒麟も含めて…。 因みに本作の主役で、四十七士の仲間になる、キアヌ・リーヴス演じるカイは、天狗に拾われ、剣術や妖術、この世の理などを教わったという設定。しかしカイの育ての親である天狗は、我々が“天狗”と聞いてイメージするそれとは、ヴィジュアル的にはまったくの異物であることを付け加えておく。 本作は、2011年3月14日にブダペストでクランクイン。続いて、イギリスのシェパートンスタジオで、撮影が行われた。 当初は翌2012年の11月公開予定だったが、撮り直し(!)や視覚効果のためにスケジュールが遅れ、まず2013年の2月に延期。それもリスケジュールされ、12月まで延ばされた。 当時流行りの3Dでの製作だったこともあって、製作費は当初の予算を大きくオーバーし、一説には、2億2,500万㌦まで膨れ上がったと言われる。これだと全世界で4~5億㌦以上の興行収入を上げるメガヒットにならないと、大赤字になってしまう。 危機感を持った製作のユニバーサル・ピクチャーズは、ポストプロダクションの段階で、ある決定を行う。カール・リンシュ監督を、編集作業から外したのである。 そんなスッタモンダを経て、ようやく完成した本作は、まずは日本、続けてアメリカで公開。結果的には、日本での興行収入が5億円を切ったことに象徴されるように、世界的にも損益分岐点どころか、製作費にも達しない結果となった。 さて本作『47RONIN』を、日本人キャストは、どのように思っていたのだろうか?それは公開当時よりも、ごく最近「エミー賞」で作品賞をはじめ14冠、「ゴールデングローブ賞」で4部門を制覇するという、赫々たる成果を上げたドラマシリーズ、「SHOGUN 将軍」(2024)に関連するインタビューから、窺い知れる。『47RONIN』で大石内蔵助を演じた真田広之は、2003年の『ラスト サムライ』で、ハリウッド映画に初出演。それ以来居をアメリカに移して20年余、実績を積み上げてきた。 彼はハリウッドに渡った時から、例えば着物の着方や武器の扱い方、特殊な歩き方等々、日本文化の描写について、現場で意見を言い、間違っている部分があれば、直すように申し入れてきた。時には無償で監修を行うほど、熱心に。『ラスト サムライ』のエドワード・ズウィック監督には、「影の監督」とまで言われている。 しかしそんな真田も、「俳優として物申せることには限界がある」と、長くもどかしさや悔しさを感じてきた。またハリウッドでの経験を重ねる内に、各部門のトップに修正や調整を依頼することにためらいを感じるようにもなった。曰く、「彼らにはプライドがあり、多くを指摘するのは難しいから」である。 そうした真田が、積み重ねてきたキャリアで得た信頼を軸に、無念を晴らしたと言えるのが、「SHOGUN 将軍」だった。アメリカのディズニー系の製作ながら、プロデューサーとして、シナリオ作り、スタッフやキャスト選びから撮影現場、ポストプロダクションまで隈なく眼を光らせた。そして、主要なセリフは“日本語”で、アメリカの視聴者は字幕を読むという、前代未聞の時代劇ドラマシリーズを作り上げたのである。 そんな真田が、ハリウッドでのキャリアのちょうど中間点に出演した、『47RONIN』に関しては、こんな風に語っている。「僕は全員日本人俳優を雇うならこの役をお引き受けしましょうと伝えましたが、その時にはもうスタッフィングは決まっていたので、そこまでは条件に出せませんでした」。 結果として、全員が日本人俳優ではない上に、日本人であり侍なのに全編英語で撮るということになってしまったという。 真田は「SHOGUN 将軍」のVFXについて、「こんなに高い建物がここにあってはいけない、屋根の色が違う、五重塔はここにはない、安土城がカラフルすぎて中国系に見えてしまう……」等々、細々と指摘を行ったという。これはどう考えても、『47RONIN』のVFXを踏まえてのこととしか思えない。 しかしながら真田は、こんなことも言っている。「日本の赤穂事件を題材にした映画が、ハリウッドで大予算で作られるということそのものが大事だと、その時は思ったんですね。興行的には厳しかったですが実績としては残った。ハリウッドのなかで一つの布石になったと思っています」『47RONIN』「SHOGUN 将軍」の両作に出演。共に真田に対するヴィラン的な役柄を演じた浅野忠信も、「SHOGUN 将軍」で、「…リベンジが果たせたのかもしれない」旨のコメントを発している。 本作『47RONIN』がなければ、「SHOGUN 将軍」の成功はなかった!それが最大に前向きに、本作の存在意義を語る言葉なのかも知れない。■ 『47RONIN』© 2013 Universal City Studios Productions LLLP. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.04.18
陰鬱な物語が、ジュリア・ロバーツの出世作、リチャード・ギアの代表作『プリティ・ウーマン』に変身した経緯
1980年代の終わり頃、J・F・ロートンという名の、当時まだ20代だった脚本家が書いた、その作品のタイトルは、『3000』。 リッチなビジネスマンが、コカイン中毒の娼婦を、ロサンゼルスはハリウッド・ブルバードの街角で拾うのが、物語の発端となる。ビジネスマンは娼婦と、1週間の契約を結ぶ。その間は高級品を買い与えるなど贅沢三昧をさせるが、最後には同じ街角で、彼女のことを棄ててしまう…。 タイトルは、1週間の契約金として、ビジネスマンが娼婦に払う、“3,000㌦”に由来。何とも暗いお話で、リライトが重ねられたこの脚本の、何稿目であるかは定かでないが、娼婦が薬物の過剰摂取で死んでしまうという、救いのないラストを迎えるバージョンもあったという。 この脚本を、ある映画会社が買い取り、製作を進めることとなった。ところがその会社が潰れてしまったため、冷徹なビジネスマンと哀れなジャンキー娼婦の陰鬱な物語は、雲散霧消…と思いきや、何とディズニー・スタジオの手に渡り、その子会社であるタッチストーン・ピクチャーズで映画化されることとなる。 『3000』の主役である、娼婦のヴィヴィアンと、ビジネスマンのエドワード。誰が演じるか?共に数多くのスターの名前が、取り沙汰された。 ミシェル・ファイファー、サンドラ・ブロック、メグ・ライアン、マドンナ、クリスティン・デイヴィス、サラ・ジェシカ・パーカー、ドリュー・バリモア、カレン・アレン、ダイアン・レイン、モリー・リングウォルド、ウィノナ・ライダー、ジェニファー・コネリー…。単に名前が挙がっただけの者から、実際にオーディションを受けた者、オファーされながらもセックス・ワーカー役を演じることに難色を示した者まで、当時のハリウッド若手女優ほぼすべてが、ヴィヴィアンの候補だったとも言える。 そんな中で、ディズニーに企画が渡る前から有力候補としてピックアップされ、本人も強い意欲を示していたのが、ジュリア・ロバーツ。とはいえ67年生まれのジュリアは、87年に映画デビューしたばかり。サリー・フィールドやドリー・パートン、シャーリー・マクレーンといったベテラン勢と共演して、ゴールデングローブの助演女優賞を獲得し、初めてオスカーの候補にもなった、『マグノリアの花たち』(89)も、まだ世に出る前。即ち、「駆け出し」だった。 当然製作陣からは、もっと著名なスター女優を求める声が出た。そのためジュリアのヴィヴィアン役にGOサインが出るまでには、短くない時を要したという。 ヴィヴィアンより年上であるエドワード役には、多くの中堅俳優が擬せられた。クリストファー・リーヴやダニエル・デイ=ルイス、ケヴィン・クライン、バート・レイノルズ、シルヴェスター・スタローン、アルバート・ブルックス、ジョン・トラヴォルタ、ショーン・コネリー、トム・セレック、スティング…。アル・パチーノは、ジュリア・ロバーツとセリフの読み合わせまで行い、サム・ニール、トム・コンティ、チャールズ・グローディンといった辺りも、ジュリアとスクリーンテストを行っているが、決定に至らなかった。 そんな中で監督を引き受けたのは、ゲイリー・マーシャル。ヴィヴィアン役にジュリア・ロバーツが正式に決まった辺りで、彼はこう考えたという。~100%「ビューティフル」な人たちを起用したい~。 そこで白羽の矢が立ったのが、リチャード・ギアだった。『ミスター・グッドバーを探して』(77)『天国の日々』(78)といった作品で注目を集め、『アメリカン・ジゴロ』(80)そして『愛と青春の旅立ち』(82)で決定的な人気を得たギアだったが、80年代後半、アラフォーを迎えた頃には、ダライ・ラマ14世によるチベット仏教の教えに傾倒。そんなこともあって、出演作が少なくなっていた。 ギアの元に届けられた脚本は、企画のスタート時よりは、暗さを軽減。ジェントルマンが、貧しく教養のない女性を拾って、淑女に育て上げるという、「マイ・フェア・レディ」「ピグマリオン」風味が、強くなっていたと言われる。しかしながらギアにとってこの時点でのエドワードのキャラは、コミュ障の上、セクシャルな快楽だけ求めるような、冷酷で自分本位な男と映った。そんな役だったら、やりたくはない。 監督のゲイリー・マーシャルとは、初対面から意気投合。ダライ・ラマやドストエフスキーの話で盛り上がったというギアは、自分が脚本に感じた不満を、マーシャルにぶつけたという。またギアは、相手役が「ほぼ新人」のジュリアだったことにも、不安を抱いていた。 そこでマーシャルは、ジュリアの初主演作『ミスティック・ピザ』(88)のビデオをギアに見せて、彼女の演技が「素晴らしい」ことを、認識させた。その上でジュリアを引き連れ、ニューヨークに住む、ギアの元へと向かった。 まだまだ出演を断る意向の方が勝っていたというギアだったが、ジュリアとの初対面の際に、彼の心変わりを誘うアクションがあった。後年ギアの語ったところによると、テーブルの向かいに座ったジュリアが、手に取ったポストイットを裏返して、彼に渡してきたのだという。そこには「『お願い、イエスと言って』と書いてあった」。18歳年下のジュリアのこの哀願を、とても可愛らしく思ったギアは、出演をOKし、数週間後に正式な契約書を交わすこととなったのである。 ギアとジュリア、マーシャルの3人はミーティングを行い、様々なアイディアを出し合った。そして打合せの後の脚本の手直しでは、ギアの意見が全面的に取り入れられることになった。 ヴィヴィアンからは、ジャンキーの設定をカット。もっと知的で、やむにやまれず娼婦の仕事をしている女性となった。因みに、ヴィヴィアンが「生まれ落ちた時と場所が悪かった」というのは、ジュリアの考えを監督が採用したものである。またジョージア州出身のジュリアに訛りが残っていたことから、ヴィヴィアンを同じ地の出身としたのも、監督の気遣いだった。 エドワードは、クールさを保ち続けるキャラだったのを変更。偶然拾ったヴィヴィアンを本物のレディに仕立てようとする中で、やがて彼女に夢中になっていく。お互いがそれぞれが属する世界から飛び出し、その世界を広げていくのである。 ヴィヴィアンに感化されたエドワードは、企業を乗っ取っては解体する、情け容赦のない実業家から変身。思いやりのある経営者へと、成長を遂げる。 作品タイトルが『3000』から、劇中に流れるロイ・オービソンの楽曲に因んだ『プリティ・ウーマン』に正式に変わったのが、いつの時点かは判然としない。しかし内容的にも、登場人物と大まかな筋書きだけ残して、この改題に沿ったような、変更が行われたわけである。 因みに、3人のミーティングが行われた時点でのエンディングは、エドワードに棄てられたヴィヴィアンが、娼婦仲間の親友とバスでディズニーランドに向かうというもの。親友がはしゃぐ横で、ヴィヴィアンは虚ろな瞳で窓の外を見て、「The End」となる…。 これがどのような形の“ハッピーエンド”に変わったかは、未見の方には、観てのお楽しみとしておく。 2人の主役が固まった後、ジュリアは役作りとして、実際に身体を売っている女性たちに、リサーチを行うことにした。マーシャル監督の妻バーバラは看護師で、ロスの無料クリニックでボランティアを行っていた関係で、そこによく来るセックスワーカーの若い女性たちと知り合いだった。彼女たちをバーバラに紹介されたジュリアは、一緒にドライヴに出掛けるなど時間を取って親しくなり、なぜその仕事を選んだのかや、どんな暮らしを送ってるかなどを、詳しく聞き込んだ。 そして本作『プリティ・ウーマン』は、1989年7月24日にクランク・インを迎えた。エドワードとヴィヴィアンが過ごすメインの舞台は、実在の超高級ホテル「リージェント・ビバリー・ウィルシャー」の1泊4,000㌦のスイートルーム。しかし娼婦が主人公の話ということもあってか、ロケの許可は下りず、ホテルは外景しか使えなかった。そのため実際は、すでに営業を停止しているホテルの中に作ったセットで、メインの撮影が行われた。 エドワードがヴィヴィアンと遭遇するシーンで運転している車は、イギリスの「ロータス・エスプリ」。これもまた、「フェラーリ」や「ポルシェ」に協力を断られたが故の、苦肉の策であったという。 撮影中も随時、セリフの書き換えなどが行われたというが、声を荒げたり等はしないマーシャル監督の演出の下、ギアとジュリアの関係も良好だった。 本作中で有名な、エドワードがダイアモンドとルビーの詰まった宝石箱をヴィヴィアンに見せるシーン。彼女の手が宝石箱に触れた瞬間、彼がふたを閉めるシーンは、ギアによるアドリブだった。吃驚したジュリアは、甲高い声で思わず笑い出してしまう。この“笑い”が、後々彼女のトレードマークとなっていったのは、ご存じの方も多いだろう。 ギアとのラブシーンには、「おじけづいて緊張した」というジュリア。ナーバスになり過ぎて、蕁麻疹が出たのに加え、額に血管が浮き出てしまった。それを監督とギアが、マッサージして沈めてくれた。 撮影で疲れ切って帰宅すると、留守番電話には、ギアからの伝言が入っている。「きょうはお疲れさま。じゃあ、またあす」 ジュリアはギアが、エドワード役を一歩下がって演じ、演技面での静の部分を受け持ってくれたことに対して。「…彼のおかげでヴィヴィアンが面白いキャラクターに仕上がった…」と、深く感謝。ギアがそうしてくれなかったら、「彼女はいかれた女の子で終わったかもしれない…」と、後に述懐している。 本作には、ホテルの支配人役で、マーシャル組の常連俳優、ギアとの共演経験もあるヘクター・エリゾンドが、出演している。劇中でヴィヴィアンのレディへの成長をサポートする役回りの彼の存在は、ジュリア本人の助けともなった。演技のことから詩のことまで、2人で色々なことを話したという。 やがてクランクアップを迎え、打上げパーティ。ドラムを叩ける監督と、本作劇中でも披露した通りのピアノの名手ギアに、ギターの弾けるスタッフ2人、そしてコントラバスが弾けるジュリアでクインテットを組んで、様々な曲を演奏した。大いにパーティが盛り上がる様は、今でもYouTubeでご覧いただける。 さて1990年3月。『プリティ・ウーマン』が全米で公開されると、この年の№1ヒットとなった。12月公開の日本でも、配給収入30億を突破!今で言えば50億興行となるなど、全世界での興行成績は、4億5,000万㌦にも達した。 ジュリア・ロバーツは、一躍スターの仲間入り。リチャード・ギアも、TOPスターに返り咲くこととなった。 これほどのメガヒットを記録したこともあり、本作の続編を望む声は絶えなかったが、結局製作されることはなかった。監督と主演2人の組合せが実現しない限り、PART2を作ることはないというのが、3人の間での共通認識であった。マーシャル監督が2016年に亡くなったことにより、その機会は永久に失われたのである。 その代わりというわけでもないが、99年には、同じ座組。ゲイリー・マーシャル監督にリチャード・ギア、ジュリア・ロバーツ、更に脇をヘクター・エリゾンドが固めるラブコメ『プリティ・ブライド』が製作され、スマッシュヒットを飛ばしている。 ジュリアは2019年のインタビューで本作について、こんな風に語っている。「今、あの映画を作ることができるとは思えない」。娼婦を主人公とした、男性優位のシンデレラストーリー。それは現代の基準で考えると、批判が避けられない。至極もっともなコメントである。 しかしその上でジュリアは、付け加えている。「だからと言って、みんなが楽しむことができなくなるとは思いません」 1990年の本作『プリティ・ウーマン』に於ける、ジュリア・ロバーツの清新な輝きと、リチャード・ギアの円熟味は、決して失われることはない。それがまた、映画の醍醐味とも言えるだろう。■ 『プリティ・ウーマン』© 1990 Touchstone Pictures. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2025.04.03
香港アクション映画の伝統に対するリスペクトが込められた、ドニー・イェン主演の猟奇犯罪カンフー・スリラー!『カンフー・ジャングル』
武術の達人ばかりを狙った連続殺人鬼の正体とは!? どちらも香港電影金像奨の最優秀作品賞に輝く『イップ・マン 序章』(’08)と『孫文の義士団』(’09)の大ヒットで名実ともにアジアを代表するトップスターとなり、幼少期から訓練を積んだ中国武術に裏打ちされた圧倒的な身体能力で「宇宙最強」とも呼ばれるようになったアクション俳優ドニー・イェンが、その『孫文の義士団』のテディ・チャン監督と再びタッグを組んだ本格的なカンフー映画である。 なおかつ、エンディングに表示される「アクション映画の出演者とスタッフに敬意を表して」とのテロップ通り、全編に渡って香港アクション映画の新旧レジェンドたちがゲスト出演および裏方スタッフとして携わっており、長きに渡って香港映画界を支えてきた武侠映画やカンフー映画の伝統に対するオマージュが捧げれている。巨匠ツイ・ハークが製作した『ガンメン/狼たちのバラッド』(’88)や『チャイニーズ・ゴースト・ストーリーⅡ』(’90)などで助監督を務め、香港版『ミッション・インポッシブル』と呼ばれた『ダウンタウン・シャドー』(’97)やジャッキー・チェン主演の『アクシデンタル・スパイ』(’01)などのアクション映画を手掛けてきたチャン監督の、偉大なる先輩や仲間たちへの大いなる愛情とリスペクトが詰め込まれた作品とも言えよう。 香港の中区警察本部に大怪我をした男性がひとりで訪れる。男性の名前はハーハウ・モウ(ドニー・イェン)。中国本土出身のハーハウは広東省仏山にある武術館・合一門(ごういつもん)の館主で、今は香港で警察学校の教官をしているのだが、一門の名声をあげるため他流派の武術家に試合を挑んだところ誤って相手を殺してしまい、自ら警察に自首してきたのである。裁判で有罪判決を受けたハーハウは、5年の懲役刑に服すこととなった。 それから3年後、拳術の達人マック・ウィンヤンが殺される。現場の状況から当初は交通事故だと思われたのだが、しかし検視の結果、マックは全身を素手で殴られて撲殺されたことが判明。この謎めいた事件に世間は騒然とする。その頃、刑務所のテレビでニュースを見たハーハウは、事件捜査を担当するロク警部(チャーリー・ヤン)に連絡したいと看守に訴えるも、無視されたことから刑務所内で大乱闘を起こす。3年間ずっと模範囚だったハーハウが、なぜ乱闘騒ぎを起こしてまで会いたがっているのか。面会に訪れたロク警部とタイ刑事(ディープ・ン)に、ハーハウは「犯人は必ずまた人を殺す」「7人の武術家たちが危ない」「捜査に協力させてくれ」と言って釈放を求めるが、ロウ警部は犯罪者の戯言だと考えて相手にしなかった。 ところがその直後、ハーハウが名前を挙げていた7人の武術家のひとり、脚技の達人タム・キンイウ(シー・シンユー)の死体が発見される。今度は蹴り殺されていた。拳術の達人が殴り殺され、脚技の達人が蹴り殺される。決して偶然ではなかろう。恐らく同一人物の犯行だ。警察の捜査に協力するため仮釈放されたハーハウは、「犯人が狙う順番はカンフーの決まり文句通り」「拳術、脚技、擒拿(きんな)術、武器、内家、五門合など」「各技のトップを殺していく」と連続殺人犯の犯行動機を分析し、次のターゲットは擒拿術の達人ワン・チー(ユー・カン)と推理するが、一歩遅くワンの職場に駆け付けると既に殺された後だった。ところが、そこでハーハウは犯人と思しき怪しげな男を発見。懸命に追いかけるも逃がしてしまい、そのままハーハウ自身も忽然と行方をくらましてしまう。 ハーハウは故郷の仏山を訪れていた。武術館をひとりで守っている亡き師匠の娘で妹弟子のシン・イン(ミシェル・バイ)に会うためだ。ふと見ると、連続殺人犯が現場に残した武器と同じものがあった。それは清代の武術対決にて、敗者に送られた恩賞「堂前の燕」のレプリカ。数か月前に武術館へ来た男が残していったという。男の名前はフォン・ユィシウ(ワン・バオチャン)。果たして、なぜフォンは武術の達人ばかり狙って人殺しを繰り返すのか。大きな手掛かりを得たハーハウは妹弟子シンを伴ってロク警部と合流し、連続殺人を食い止めるためフォンを捕らえようとするも、犠牲者はさらに増えていく…。 そこかしこに顔を出す香港アクションのレジェンドたちも見逃すな! 功名心のあまり対戦相手を殺してしまった無敵の武術家の前に立ちはだかる連続殺人鬼が、武術を殺すか殺されるかの真剣勝負だと信じて疑わず、武術界を勝ち抜いて頂点を極めるという妄執に取り憑かれたモンスターだったという皮肉な話。原題の「一個人的武林」の武林とは武侠小説に出てくる言葉で、いわゆる「武術界」のことを指す。タイトル全体の日本語訳は「ひとりで向き合う武術界」。そもそも「武林」とは武術家ひとりひとりの心の中にあるべきもの、つまり武術家それぞれに己の理想世界があることを意味するのだが、しかし自信過剰で慢心した者は最強の武術家である自分が文字通りの武術界をひとりで制しようと考えるわけで、その心の持ちようによって「ひとりで向き合う」の意味が大きく変わってしまう。現在のフォンが後者であるように、かつてのハーハウも後者だった。これは、大きな過ちを犯したことで「勝つことが全てじゃない」「名を成すことなど重要じゃない」と気付き、人生にはもっと大切なものがあると悟ったベテラン武術家が、過去の自分を怪物化したような強敵に立ち向かうことで、己の罪に決着をつけて心の平安を得る物語だと言えよう。 『孫文の義士団』の大成功を受けて、引き続き歴史劇アクションに挑もうと考えたというテディ・チャン監督。しかし脚本の執筆に時間がかかってしまい、その間に同種の作品が次々と公開されたため、当初の構想をそのまま現代劇に移し替えることにしたという。その結果生まれたのが、武侠物的な概念や精神を21世紀に落としこんだカンフー・アクション『カンフー・ジャングル』だったというわけだ。彼がそこまで武侠物やカンフーに強くこだわったのは、長らく香港映画の屋台骨を支えたそれらのジャンルがすっかり衰退してしまったから。かつて’60~’80年代にかけて、ショウ・ブラザーズの武侠アクションやゴールデン・ハーヴェストのカンフー・アクション、ジョン・ウー監督らによるノワール映画などで黄金時代を築いた香港映画界。しかし’90年代に入ってジャッキー・チェンやチョウ・ユンファ、ジョン・ウー監督にリンゴ・ラム監督など、優秀な人材が次々にハリウッドへ流出すると斜陽の時代へ突入し、さらには香港の中国返還と中国本土の経済成長によって規模の小さな香港映画界は巨大な中国映画市場へ呑み込まれ、香港独自のアクション映画の伝統ももはや風前の灯となった。そんな現状に対する忸怩たる思いと、それでもなお伝統の灯を絶やさんとする仲間たちや偉大なる先輩たちに対する深い尊敬の念が、恐らくチャン監督を突き動かしたのかもしれない。 冒頭でも言及したように、本作にはそんな香港アクション映画の新旧レジェンドたちが大挙して参加。中でも古くからの香港映画ファンにとって感慨深いのは、’70年代ショウ・ブラザーズの看板スターにして「アジアの映画王」とも呼ばれた伝説のアクション俳優デヴィッド・チャンが屋台のオヤジさん役を演じ、屋台の常連客にふんしたゴールデン・ハーヴェストの創業社長レイモンド・チョウと顔を合わせる場面であろう。他にも、『インファナル・アフェア』(’02)シリーズのアンドリュー・ラウ監督や『新ポリス・ストーリー Pom Pom』('84)や『チョウ・ユンファのマカオ極道ブルース』('87)のジョー・チョン監督、『マトリックス』('99)シリーズの武術指導でも有名なディオン・ラムに『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』('91)や『チャーリーズ・エンジェル』('00)の武術指導で知られるユエン・チュンヤン、『ワイルド・ブリット』('90)や『狼たちの絆』('91)などジョン・ウー作品でもお馴染みのカースタント監督ブルース・ローなどが登場。本編のラストに全員紹介されるので要チェックだ。 もちろん、主人公ハーハウを演じるドニー・イェンと狂気に取り憑かれた殺人犯フォン役のワン・バオチャンによる、もはや壮絶としか言いようのない圧巻のカンフー・バトルも見逃せない。シリアスからコメディまで幅広くこなせる芸達者な中国本土出身の俳優で、当時はアクション映画のイメージなどほぼなかったワン・バオチャンだが、実は幼少期から少林寺に入門して訓練を積んだという本格的な武術家。『イノセントワールド-天下無賊-』('04)のプロモーションで香港を訪れた際に憧れのドニー・イェンと初対面し、是非一緒にアクション映画をやりたいと猛アピールしていたらしい。念願叶って前作『アイスマン』(’14)でドニーと初共演。続く本作で敵役としてガッツリと全面対決することとなったのだ。 そのドニー・イェン自身がアクション監督を担当。当初の構想ではドニーがひとりで全てのアクションを振りつけるつもりだったが、しかし別の作品とスケジュールが被ったため不可能となり、代わりに香港アクション協会の会長でもある『男たちの挽歌』(’86)や『チャイニーズ・ウォリアーズ』(’87)のトン・ワイ、『ドラゴン・イン/新龍門客棧』(’92)や『ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝』(’11)のユン・ブンなど超一流の武術指導者たちが、それぞれの持ち味を生かした振り付けを担当。おかげでバラエティも個性も豊かなカンフー・アクションを存分に楽しむことが出来る。中でも、車やトラックの行き交う公道を舞台にして繰り広げられるクライマックスの頂上決戦は手に汗握る迫力だ。■ 『カンフー・ジャングル』© 2014 Emperor Film Production Company Limited Sun Entertainment Culture Limited All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2025.04.02
デ・パルマ監督のヒッチコック愛が詰め込まれた賛否両論の問題作『ボディ・ダブル』
レーティング審査の限界に挑んだデ・パルマ アルフレッド・ヒッチコックを敬愛する熱心なヒッチコキアンとして知られ、『悪魔のシスター』(’72)や『愛のメモリー』(’76)、『殺しのドレス』(’80)に『ミッドナイト・クロス』(’81)など、ヒッチコック的な演出技法を駆使したサスペンス映画の数々で高い評価を得たブライアン・デ・パルマ監督。中でも、この『ボディ・ダブル』(’84)ほどヒッチコック映画からの引用で埋め尽くされた作品はないだろう。さながら、ヒッチコキアンとしての集大成的な一本である。 と同時に、本作はデ・パルマ監督が「私のキャリアでこれほど激しく非難された映画はない」と振り返るほど、劇場公開時に猛バッシングを受けた問題作でもあった。ちょうど当時のデ・パルマ監督は、『殺しのドレス』の大胆な性描写とショッキングな残酷描写が物議を醸し、ギャング映画『スカーフェイス』(’83)の血生臭い暴力描写や過激なセリフも問題視されたばかり。どちらの作品も映画協会のレーティング審査で大揉めし、一度受けた成人指定を取り消すために再編集を余儀なくされた。なにしろ、客層の限定される成人指定映画を上映してくれる映画館は少ない。興行を考えれば譲歩せざるを得ないだろう。苦渋の選択である。 で、これが大いに不満だったデ・パルマ監督は、本作で性描写と暴力描写の限界ギリギリに挑んでやろうと考えたらしい。『スカーフェイス』が暴力的だって?『殺しのドレス』がエロティックだって?舐めんなよ!これが本物のエロスとバイオレンスじゃい!!というわけだ。いやはや、ほぼ逆ギレみたいなもんですな(笑)。で、その結果またもやレーティング審査で成人指定を受けてしまい、それを撤回させるために再編集を施すことに。そのうえ、全米公開されるや「女性蔑視」「暴力的」「変態ポルノ」などとマスコミから猛攻撃を食らい、デ・パルマ監督自身も「ミソジニスト」のレッテルを張られることとなってしまった。今でこそカルト映画として熱烈なファンのいる「ボディ・ダブル」だが、劇場公開時は興行的にも批評的にも惨敗だったのだ。 売れないハリウッド俳優がハマっていく巧妙な罠…! 舞台は映画産業のメッカ、ロサンゼルス。売れない俳優ジェイク・スカリー(クレイグ・ワッソン)は、昔なじみの映画監督ルービン(デニス・フランツ)が手掛けるB級ホラー映画のバンパイア役に起用されるも、撮影中に閉所恐怖症の発作を起こしてクビになってしまう。しかも、自宅アパートへ帰ると恋人キャロル(バーバラ・クランプトン)の浮気現場に遭遇。居候だったジェイクが部屋を出ることになる。踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。ホームレスになったジェイクは友人の家を転々としながら、仕事を求めて幾つものオーディションを受けるのだが、しかしここは生き馬の目を抜くハリウッド。若くもない地味な無名俳優にチャンスなどなかなか転がっていない。 そんなある日、ジェイクはオーディション会場でよく見かける俳優サム(グレッグ・ヘンリー)と親しくなる。ジェイクの窮状を知ったサムは、自分が留守の間に住み込みで家の管理を頼めないかと相談を持ち掛ける。そこはL.A.一帯を見渡せる高台のお洒落な豪邸。本来の家主はヨーロッパへ旅行中の金持ちなのだという。ただ、植物の水やりが毎日欠かせないため、友人であるサムが留守番を任されていたのだが、急に地方巡業の仕事が決まったため困っていたらしい。宿なしのジェイクにとっては願ってもない話。まるで宇宙船のような建物から眺めるL.A.の夜景に見とれていると、サムが望遠鏡を覗いて見るように勧める。言われた通りの方角を望遠鏡で眺めると、その先には大豪邸の寝室でストリップダンスを踊る女性(デボラ・シェルトン)の姿が。薄暗くて顔はよく見えないが、かなりの美人と思われる。サムによると、彼女は毎晩きっちり同じ時刻に裸で踊っているらしい。 かくして、見知らぬ他人の家の留守番代行をすることになったジェイクは、例のストリップダンスをこっそり眺めるのが秘かな愉しみとなる。ところがある晩、彼は先住民と思しき怪しげなの男が女性の家を見張っていることに気付く。その翌日、たまたま女性の家の前を車で通りかかったジェイクは、その怪しい男が彼女の車を尾行する現場を目撃。思わず自分も彼らの後を追いかける。高級ショッピングモールから海沿いのお洒落なモーテルへと、先住民の男の不穏な動きを監視しつつ、女性の行く先を延々とつけて回るジェイク。すると、先住民の男が女性のハンドバッグを奪って走り去る。必死になって追いかけるジェイク。しかし、トンネルに差し掛かったところで、ジェイクは再び閉所恐怖症の発作に襲われ、ハンドバッグから何かを抜き取った犯人を取り逃がしてしまった。 女性の名前はグロリア・レヴェル。その後も引き続き、グロリアの自宅を望遠鏡で覗いていたジェイクは、いよいよ先住民の男がグロリアの邸宅へ侵入する様子を目撃。男は巨大なドリルを手にグロリアへ襲いかかる。慌てて彼女の家へ助けに駆け付けるジェイクだったが、既にグロリアは殺されてしまっていた。警察の現場検証に立ち会うジェイク。マクリーン刑事(ガイ・ボイド)は大富豪であるグロリアの資産を狙った夫による犯行の線を疑う。しかし、ジェイクの目撃証言によると犯人は正体不明の先住民。ハンドバッグから盗んだのは豪邸のカギだったようだ。捜査は難航すること必至だった。 グロリアを救えなかった罪悪感で酒浸りになったジェイクだが、放心状態で眺めていたケーブルテレビの映像に目を奪われる。新作ポルノ映画の予告編に出てくる女優の独特なストリップダンスが、死んだグロリアのものとソックリだったのだ。そこでポルノ映画の撮影現場に潜入した彼は、例のダンスを踊る人気ポルノ女優ホリー・ボディ(メラニー・グリフィス)に接近。やがて、ジェイクはホリーがグロリアのボディ・ダブル=替え玉であったことに気付く。つまり、毎晩同じ時間に薄暗い寝室でストリップを踊っていた女性はグロリアではなく、正体不明のリッチな依頼人から「友人をからかうため」との理由で雇われたホリーだったのだ。果たして、その依頼人とはいったい誰なのか…? 観客の目を欺き混乱させるデ・パルマ監督の巧妙な演出 いやあ、全編これヒッチコック映画へのオマージュのオンパレードですな!全体的なコンセプトとしては、『裏窓』(’54)と『めまい』(’58)を足して『ダイヤルMを廻せ!』(’54)で割った感じと言えよう。主人公が極度の閉所恐怖症を抱えていて、それがいざという時の弱点になってしまうのは、『めまい』における高所恐怖症のバリエーション。望遠鏡で殺人事件を目撃してしまう展開は『裏窓』そのままだ。『ダイヤルMを廻せ!』の要素については、謎解きの種明かしにも深く関わるので明言を避けるものの、これまた分かりやすい引用である。前半と後半でヒロインが入れ替わるのは勿論『サイコ』('60)。海岸で抱き合うジェイクとグロリアの周囲をカメラが360度グルグル回るのは、『めまい』や『トパーズ』(’69)などで使われたヒッチコックお得意の演出。クライマックスには、カメラをトラックバックしながらズームアップするという、あの有名な「めまいショット」も再現している。いずれにせよ、元ネタは誰が見ても一目瞭然だ。そこがサスペンス映画ファンにとっては面白い点だが、しかし同時に弱点でもあったように思う。というのも、いずれもデ・パルマ自身が過去の作品で引用してきたネタばかリだからだ。 『裏窓』ネタは『悪魔のシスター』や『ミッドナイト・クロス』で、『めまい』ネタは『愛のメモリー』でより明確にガッツリと応用されていたし、『サイコ』を模倣したヒロインの交代は『殺しのドレス』でもやっている。360度回転するカメラは『ミッドナイト・クロス』のクライマックスの方が効果的だったし、劇中劇のB級ホラー映画をオープニングとエンディングに使用するのも同作と全く同じ。複雑に入り組んだショッピングモール内でジェイクがグロリアを追跡するシーンは、『殺しのドレス』の美術館シーンの再現である。デ・パルマ作品を追いかけてきたファンにしてみれば、それもこれも既視感のあるシーンばかリ。これが、劇場公開時に当たらなかった原因のひとつではないかと思う。実際、日本公開時に劇場へ足を運んだ筆者が少なからずガッカリした理由はこれだった。 とはいえ、久しぶりに見直すとこれがなかなか面白い。確かに新鮮味こそないものの、しかし全編に渡ってこれでもかと溢れ出るデ・パルマ監督のヒッチコック愛が微笑ましいし、何よりも繰り返し見るたびに新しい発見がある。なるほど、ここもあの映画からの引用だったのか!ここが実はあのシーンの伏線になっていたのね!などなど、何度も見直すことで初めて気付かされる仕掛けがそこかしこに隠されているのだ。また、先述したように過激な性描写と残酷描写で物議を醸した本作だが、よくよく見ると直接的な描写が殆どないことにも気付かされるだろう。これは『スカーフェイス』で問題になった電動ノコギリ・シーンにも言えることだが、デ・パルマ監督は実際にスクリーンに映っていないものを観客に生々しく想像させることで映っていると思い込ませ、まるでそのものズバリの場面を見てしまったかのように錯覚させるのが非常に上手いのだ。本作はまさにその好例である。 そして、この「思い込み」と「錯覚」こそが全編を通して貫かれる本作のテーマだったりする。オープニングからして、どこかの砂漠かな?それにしてはやけに作り物っぽいなと思ったら映画のセット。でもあれ?これってバンパイア映画だったっけ?と思ったら劇中劇でした…といった具合に、見る者の思い込みと錯覚を誘発するようなトリックをそこかしこに仕込むことで、観客を巧みに翻弄して混乱させていく。まあ、唐突に始まるジェイクとグロリアの抱擁シーンなど、映像的な見せ場を優先したご都合主義な場面がないわけではないが、しかし全体的にはデ・パルマ監督の技巧派ぶりを堪能できる作品と言えよう。 窮地を救った女優メラニー・グリフィスの大胆な演技にも要注目! デ・パルマ監督が本作のアイディアを思いついたのは『殺しのドレス』の撮影中。ベテラン大物女優アンジー・ディッキンソンの大胆なヌード・シーンが話題となった同作だが、実はクロース・アップショットはヴィクトリア・ジョンソンという若い無名女優のヌードが使われていた。要するに代役=ボディ・ダブルだ。このボディ・ダブルが犯罪の重要なカギとなるような映画を作ろうと考えたのである。当初は『殺しのドレス』と同じく学生時代を過ごしたニューヨークを舞台にするつもりだったデ・パルマ監督だが、しかし長いことロサンゼルスに住んでいながら一度もロサンゼルスを舞台にした映画を撮ったことがないことに気付き、舞台設定をロサンゼルスの映画業界およびポルノ業界に変更したという。そう、本作は映画業界もポルノ業界も文字通りイケイケだった、’80年代のバブリーで華やかなロサンゼルスを鮮やかに記録した、さながらタイムカプセル的な作品としても見逃せないのだ。 冒頭でジェイクがホットドッグを買い食いする店は、ロサンゼルスの観光名所として有名なテイル・オー・ザ・パルプ。その向こう側には大型ショッピングモール、ビバリーセンターが見える。今ではその前に別の建物が出来てしまい、さらには高層ホテルのソフィテルも建っているため、あの場所からビバリーセンターが背景に映ることはもはや不可能だろう。また、ジェイクがグロリアを追跡してランジェリーの試着室を覗き見するのは、超高級ショッピング街ロデオ・ドライヴにある富裕層向けのショッピングモール、ロデオ・コレクション。当時はまだオープンしたばかりで、映画のロケに使われたのは本作が初めてだったらしい。自宅を追い出されたジェイクが居候する友人宅のアパートは、かつてジョージ・ラフトやユージン・パレットなどのハリウッドスターも住んでいた映画業界人専用の高級アパート、ハリウッド・タワー。また、サムの紹介でジェイクが住み込む高台の豪邸は、ハリウッド・ヒルズに実在するケモスフィアと呼ばれる有名なモダン建築で、ロサンゼルスの歴史文化記念物にも指定されている。ほかにも、今はなきタワー・レコードのビデオ店や、すっかり様変わりしてしまったファーマーズ・マーケットなども出てくる。35年以上に渡ってロサンゼルスと日本の間を行き来し、その移り変わりを見てきた筆者にとっては感慨深いことこのうえなし。そうでなくともL.A.好きにはたまらないはずだ。 謎解きの重要なカギを握るヒロイン、ホリー役として、デ・パルマが最初に白羽の矢を立てたのは、当時ハードコア・ポルノ映画の女王として日本でも人気だった女優アネット・ヘヴン。なにしろ、ストリップ・シーンやオナニー・シーンなど脱ぎまくらねばならない役柄なので、ハリウッドで引き受けてくれる女優がいるとはとても考えられなかったからだ。実際に本人と会って話をしたデ・パルマ監督は、頭も切れるしセリフの覚えもいいし演技も上手いヘヴンにいたく感心して出演をオファー。デ・パルマが何者か知らなかったヘヴンは、当初は会ってもくれなかったらしいが、関係者の仲介でミーティングが実現し、本人も出演に乗り気だった。ところが、カメラテストのためヘヴンがハリウッドの撮影スタジオを訪れた際に、彼女がポルノ女優だと知ったコロンビア映画幹部が激怒。重役会の猛反対で白紙撤回されてしまう。改めて何人もの女優に声をかけたが、軒並み断らたらしい。そんな窮地を救ったのがメラニー・グリフィスだった。 当時、俳優スティーブン・バウアーの妻だったメラニーは、夫が『スカーフェイス』に出演していた縁でデ・パルマ監督とも親しい間柄だったという。デ・パルマ本人から『ボディ・ダブル』のヒロイン探しに困っていると聞いた彼女は、「だったらあたしがやる!」とその場で名乗りを上げたのだそうだ。まさに灯台下暗しである。結果的に、これが絶妙なキャスティングだった。『殺しのドレス』や『ミッドナイト・クロス』のナンシー・アレンに相当するような役柄で、少女のように無邪気でキュートな親しみやすさを残しながら、一方でセックスには自由奔放かつ大胆。役作りにはアネット・ヘヴンも協力し、ポルノ女優ならではの立ち振る舞いを勉強したという。コメディエンヌとしての勘の良さも垣間見せるメラニーは素晴らしい好演で、全米批評家協会賞では見事に助演女優賞を獲得している。これを機に、それまで女優としていまひとつ芽の出なかった彼女は一気に注目されるようになった。メラニー本人も、本作がなければ『サムシング・ワイルド』('86)や『ワーキング・ガール』('88)の成功はなかっただろうと語っている。 一方、なにかと主演俳優が地味過ぎるという批判される本作だが、しかしジェイク役のクレイグ・ワッソンもサム役のグレッグ・ヘンリーも役柄のイメージにはピッタリだ。確かにどちらも有名スターではないものの、だからこそ本作の売れない俳優という設定にハマると言えよう。これが例えばジョン・トラヴォルタやアル・パチーノのようなスターだったら全くもって説得力がない。残念ながらワッソンはその後『エルム街の悪夢3/惨劇の館』('87)くらいしか代表作はないが、既に前作『スカーフェイス』でデ・パルマに起用されていたヘンリーは、その後も『レイジング・ケイン』('92)や『ファム・ファタール』('02)でもデ・パルマと組み、最近では『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの祖父役としてもお馴染みだ。デ・パルマ組と言えば、B級映画監督ルービン役のデニス・フランツも忘れてはならない。『フューリー』(’78)以来、デ・パルマ映画には欠かせない顔だったフランツ。本作の映画監督ルービンはデ・パルマ監督をモデルに役作りしたそうで、劇中で着用している衣装も実はデ・パルマ監督の私服を借りたらしい。その後、シーズン6から途中参加した国民的警察ドラマ『ヒルストリート・ブルース』(‘81~’87)の好演が評価されたフランツは、これまた国民的人気を誇った警察ドラマ『NYPDブルー』(‘93~’05)に主演。エミー賞のドラマ・シリーズ部門主演男優賞を4度も受賞し、すっかりテレビ界の大物スターとなった。 個人的に当時お気に入りだったのは、グロリア役を演じているデボラ・シェルトン。元ミスUSAのビューティー・クィーンで、正直なところ演技力はそれほどでもないのだが、ジェイクが一目惚れするのも無理ないくらいに美人で、なおかつ後姿がゴージャスだという理由で起用されたという。ただ、やはりセリフに難があったためか、デ・パルマ監督の判断で声は名女優ヘレン・シェイヴァーが吹き替えている。また、本作はフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの大ヒット曲「リラックス」が劇中でミュージック・ビデオ風に使用され、リード・ボーカリストのホリー・ジョンソンらバンド・メンバーが劇中のポルノ映画に出演していることでも当時話題になった。同じく劇中のポルノ映画には、後にスクリーム・クィーンとして有名になるB級映画女優ブリンク・スティーヴンスも登場。当時はメジャー映画の脱ぎ役エキストラとして引っ張りだこだった彼女だが、実は『サイコ3』('86)などでヌード・シーンのボディ・ダブルを請け負っていた。あと、『ゴーストバスターズ』('84)の破壊神ゴーザを演じていた女優スラヴィトザ・ジャヴァンが、ジェイクを怪しんで警備員に通報するランジェリーショップ店員役で顔を出しているのも見逃せない。■ 『ボディ・ダブル』© 1984 Columbia Pictures Industries, Inc. 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COLUMN/コラム2025.03.06
現代の巨匠イーストウッドが、実在の英雄を通して捉えた“イラク戦争”『アメリカン・スナイパー』
クリス・カイル、1974年生まれのテキサス州出身。8歳の時に、初めての銃を父親からプレゼントされて、ハンティングを行った。 カウボーイに憧れて育ち、ロデオに勤しんだが、やがて軍入りを希望。ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が、国際テロ組織アルカーイダが関与する自爆テロで攻撃されるなど、祖国が外敵から攻撃されていることに触発されて、アメリカ海軍の特殊部隊“ネイビー・シールズ”を志願した。 2003年にイラク戦争が始まると、09年に除隊するまで4回、イラクへ派遣された。そこでは主に“スナイパ-”として活躍し、166人の敵を射殺。これは米軍の公式記録として、最多と言われる。 味方からは「レジェンド〜伝説の狙撃手」と賞賛されたカイルは、イラクの反政府武装勢力からは、「ラマディの悪魔」と恐れられ憎悪された。そしてその首には、賞金が掛けられた。 4度ものイラク行きは、カイルの心身を蝕み、精神科医からPTSDの診断を受けた。カイルは民間軍事支援会社を起こし、それと同時に、自分と同じような境遇に居る帰還兵たちのサポートに取り組んだ。彼らを救うことが、自分自身の癒やしにもなると考えたのである。 兵士は銃に愛着があるため、それがセラピーになる場合がある。カイルは帰還兵に同行して牧場に行き、射撃を行ったり、話を聞いたりした…。 こうした歩みをカイル本人が、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリスと共に著した“自伝”は、2012年に出版。100万部を超えるベストセラーとなった。 脚本家のジェイソン・ホールは、カイルの人生に注目。2010年にテキサス州へと訪ねた。 その後カイルと話し合いながら、脚本の執筆を進めた。彼が自伝を書いているのも、そのプロセスで知ったが、結果的にそれが原作にもなった。 ホールは、俳優のブラッドリー・クーパーに、映画化話を持ち込む。クーパーは、『ハングオーバー』シリーズ(2009〜13)でブレイク。『世界にひとつのプレイブック』(12)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、まさに“旬“を迎えていた。 クーパーはこの企画の権利を、ワーナー・ブラザースと共に購入。映画化のプロジェクトがスタートした。 当初はクーパーの初監督作として検討されたが、いきなりこの題材では、荷が重い。続いて『世界にひとつのプレイブック』や『アメリカン・ハッスル』(13)でクーパーと組んだデヴィッド・O・ラッセルが候補になるが、これも実現しなかった。 その後、スティーブン・スピルバーグが監督することとなった。当初積極的にこの企画に取り組んだスピルバーグだったが、シナリオ作りが難航すると、降板。 そこで登場するのが、現代ハリウッドの巨匠クリント・イーストウッド!一説には、スピルバーグが後任を依頼するため連絡を取ったという話があるが、イーストウッド本人は、「おれはスピルバーグの後始末屋と思われているけど、それは偶然だ」などと発言しているので、真偽のほどは不明である。 イーストウッドによると、依頼が来た時は他の映画の撮影中。仕事とは関係なく、本作の原作を読んでいるところだった。 カイルは父親から、「人間には三種類ある。羊と狼と番犬だ。お前は番犬になれ」と言われて、育った。そのため、羊のような人々を狼から守ることこそ、自分の使命だと考えていた。 それが延いては、家族と一緒にいたいという気持ちと、戦友を助けたいという気持ちの板挟みになっていく。この葛藤はドラマチックで、映画になると、イーストウッドは思った。 まずは「脚本を読ませてくれ」と返答。その際依頼者から、プロデューサーと主演を兼ねるクーパーが、「ぜひクリントに監督をお願いしたい」と言ってると聞いて、話が決まったという。 クーパーは幼少の頃から、いつか仕事をしてみたいと思っていた俳優が、2人いた。それは、ロバート・デ・ニーロとクリント・イーストウッドだった。 デ・ニーロとの共演は、『世界にひとつのプレイブック』で実現した。イーストウッドについては、『父親たちの星条旗』(06)以降、いつも彼の監督作のオーディションに応募してきた。本作で遂に、夢が叶うこととなったのである。 こうして、本作にとってはクーパー曰く、「完璧な監督」を得ることとなった。実は、この物語の主人公であるクリス・カイル自身も、もし映画化するなら、「イーストウッドに監督してもらいたい」と、希望していたという。 イーストウッドが監督に決まった頃、ジェイソン・ホールは脚本を一旦完成。クーパーら製作陣に、渡した。 その翌日=2013年2月2日、クリス・カイルが、殺害された。犯人は、イラク派遣でPTSDとなった、元兵士の男。カイルは男の母親から頼まれて、救いの手を差し伸べた。ところが、セラピーとして連れ出した射撃練習場で、その男に銃撃され、命を落としてしまったのである。 クーパーもイーストウッドも、まだカイルと、会っていなかった。対面する機会は、永遠に失われた。 脚本に加え、製作総指揮も務めることになっていたジェイソン・ホールは、葬儀後にカイルの妻タヤと、何時間も電話で話をした。タヤは言った。「もし映画を作るなら、正しく作ってほしい」 イーストウッドが監督に就いたことと、この衝撃的な事件が重なって、映画化の方向性は決まり、脚本は変更となった。焦点となるのは、PTSD。戦場で次々と人を殺している内に、カイルが壊れていく姿が、描かれることとなった。 イラクへの派遣で、カイルの最初の標的となるのは、自爆テロをしようとした、母親とその幼い息子。原作のカイルは、母親の方だけを射殺するが、実際は母子ともに、撃っていた。 原作に書かなかったのは、子どもを殺すのは、読者に理解されないだろうと、カイルが考えたからだった。しかしイーストウッドは、それではダメだと、本作で子どもを狙撃する描写を入れた。 後にカイルには、再び子どもに照準を合わさなければならない局面が訪れる。その際、イラク人たちを「野蛮人」と呼び、狙撃を繰り返してきたような男にも、激しい内的葛藤が起こる。そして彼が、実はトラウマを抱えていたことが、詳らかになる。 もう一つ、原作との大きな相違点として挙げられるのが、敵方の凄腕スナイパー、ムスタファ。原作では一行程度しか出てこない存在だったが、イーストウッドは彼を、カイルのライバルに設定。その上で、その妻子まで登場させる。 即ち、ムスタファもカイルと同様に、「仲間を守るために戦う父親」ということである。この辺り、太平洋戦争に於ける激戦“硫黄島の戦い”を題材に、アメリカ兵たちの物語『父親たちの星条旗』(06)と、それを迎え撃つ日本兵たちを描いた『硫黄島からの手紙』(06)を続けて監督した、イーストウッドならではの演出と言えるだろう。 ブラッドリー・クーパーは、カイルになり切るために、肉体改造を行った。クーパーとカイルは、ほぼ同じ身長・年齢で、靴のサイズまで同じだったが、クーパーが84㌔ほどだったのに対し、筋肉質のクリスは105㌔と、体重が大きく違ったのである。 そのためクーパーは、成人男性が1日に必要なカロリーの約4倍である、8,000キロカロリーを毎日摂取。1日5食に加え、エネルギー補給のために、パワーバーやサプリメント飲料などを取り入れる生活を送った。 筋肉質に仕上げるため、数か月の間は、朝5時に起床して、約4時間のトレーニングを実施。それで20㌔近くの増量に成功した。 撮影に入っても、体重を落とさないための努力が続く。いつも手にチョコバーを握り、食べ物を口に押し込んだり、シェイクを飲んだり。撮影最終日にクーパーが、「助かった、これでもう食べなくて済む!」と呟くのを、イーストウッドは耳にしたという。 役作りは、もちろん増量だけではない。“ネイビー・シールズ”と共に、本物さながらの家宅捜査や、実弾での訓練などを行った。細かい部分では、クリス・カイルが実際に聴いていた音楽のプレイリストをかけ、常時リスニングしていたという。 こうした粉骨砕身の努力が実り、クーパーのカイルは、その家族や友人らが驚くほど、“激似”に仕上がった。 カイルの妻タヤ役に決まったのは、シエラ・ミラー。イーストウッド作品は、撮影前の練習期間がほとんどなくて、リハーサルもしない。クーパーは撮影までに、タヤ役のシエナ・ミラーとスカイプで何度か話して、夕食を1度一緒に食べた。その時彼女は妊娠していたが、それが2人の絆を深めることにも繋がったという。 クーパーとミラーはタヤ本人から、夫が戦地に居た時に2人の間で交わしたEメールをすべて見せてもらった。ミラーは目を通すと思わず、口に出してしまった。「すごい、あなたは彼のことを本当に愛していたのね」 これにより、カイル夫妻のリアルな夫婦関係を演じるためのベースができた。そのため撮影が終わって数週間、ミラーは役から抜け出すのに、本当に悲しい気持ちになってしまったという。 撮影は、2014年3月から初夏に掛けて行われた。戦争で荒廃したイラクでの撮影は難しかったため、代わりのロケ地となったのは、モロッコ。クーパーはじめ“ネイビー・シールズ”を演じる面々は、アメリカ国内で撮影して毎日自宅に帰るよりも、共に過ごす時間がずっと長くなったため、本物の“戦友”のようになったという。 その他のシーンは、カリフォルニアのオープンセットやスタジオを利用して、撮影された。 イラクの戦場に居るカイルと、テキサスに居るタヤが電話で会話するシーン。クーパーとミラーはお互いの演技のために、電話を通じて本当に喋っていた。 妊娠しているタヤが病院から出て来て、携帯電話でカイルに、「男の子よ」と言った後のシーンは、ミラーにとっては、それまでの俳優人生の中で、最も「大変だった」。喜びを伝える電話の向こう側から、銃声が響き渡る。それは愛する夫が、死の危険に曝されているということ…。 脚本のジェイソン・ホールの言う、「兵士の妻や家族たちにとって、戦争とは、リビングルームでの体験だった」ということが、最も象徴的に表わされたシーンだった。 因みにミラーが、演技する時に複雑に考えすぎていると、イーストウッドは、「ただ言ってみればいい」とだけ、彼女に囁いた。ミラーにとっては、「最高のレッスン」になったという。 脚本には、カイルが運命の日に、銃弾に倒れてしまうシーンも存在した。しかし遺族にとってはあまりにもショッキングな出来事であるため、最終的にカットされることになった。 完成した本作を観て、カイルの妻タヤは、「…私の夫を生き返らせてくれた。私は、夫と2時間半を過ごした」と、泣きながら感想を述べた。 本作はアメリカでは、賞レースに参加するため、2014年12月25日に限定公開。明けて15年1月16日に拡大公開となった。 世界興収で5億4,742万ドルを超えるメガヒットとなり、イーストウッド監督作品史上、最大の興行収入を上げた。 その内容を巡っては、保守派とリベラル派との間で「戦争賛美か否か」の大論争が起こった。イラク戦争を正当化しようとする映画だという批判に対してイーストウッドは、「個人的に私はイラク戦争には賛成できなかった」と、以前からの主張を繰り返した。 そして「これは戦争を賛美する映画ではない。むしろ終わりのない戦争に多くの人が従事しいのちすら失う姿を描いているという意味では、反戦映画とも言える」と発言している。 この作品のエンドクレジットでは、クリス・カイルの実際の葬儀の模様を映し出した後、後半部分はまったくの“無音”になる。そこにイーストウッドの、“イラク戦争”そして出征した“兵士たち”への想いが、滲み出ている。■ 『アメリカン・スナイパー』© 2014 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited and Ratpac-Dune Entertainment LLC
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COLUMN/コラム2025.03.05
アクションもユーモアも格段にパワーアップした大人気韓流バディ・アクションの第2弾!『コンフィデンシャル:国際共助捜査』
韓国と北朝鮮に、今度はアメリカも加わった最強タッグ! 2017年1月に韓国で公開されるや観客動員数781万人の大ヒットを記録し、年間興収ランキングでも『神と共に 第一章:罪と罰』や『タクシー運転手』に次ぐ堂々の第3位をマークした韓流クライム・アクション『コンフィデンシャル/共助』。韓国と北朝鮮の刑事がタッグを組んで凶悪犯罪に立ち向かうという意表を突くプロットも然ることながら、北朝鮮から来たエリート捜査員チョルリョンを演じるイケメン俳優ヒョンビンのクールなカッコ良さ、それとは対照的に不器用で冴えない韓国の叩き上げ刑事ジンテを演じる名脇役ユ・ヘジンとのユーモラスな凸凹コンビぶり、そして『ジェイソン・ボーン』シリーズも真っ青なド迫力のアクション・スタントなどが成功の要因と言えよう。 その後、’20年のコロナ禍にテレビシリーズ『愛の不時着』(‘19~’20)が大手動画配信サービスに提供され、これがアジアのみならず欧米・南米など世界各国で空前の大ヒットを記録したことから、同作に主演したヒョンビンの時ならぬ世界的ブームが到来。この機を逃がすまいと5年ぶりに制作されたのが、ファンからの要望の声も高かったシリーズ第2弾『コンフィデンシャル:国際共助捜査』(’22)だった。 物語の始まりはニューヨーク。国際的な犯罪組織のボス、チャン・ミョンジュン(チン・ソンギュ)がFBIに逮捕される。匿名の情報提供があったのだ。担当した韓国系アメリカ人のFBI捜査官ジャック(ダニエル・ヘニー)は得意顔だが、しかしその直後に北朝鮮から来た特殊捜査官リム・チョルリョン(ヒョンビン)にミョンジュンの身柄を横取りされてしまう。朝米合意のもとピョンヤンへ送還するというのだ。さすがにこればかりはFBIも手出しは出来ない。仕方なく、空港まで警備に当たるFBI。ところが、その途中に犯罪組織の差し向けた武装集団にマンハッタンのど真ん中で襲撃され、激しい銃撃戦の末にミョンジュンを逃がしてしまう。 北朝鮮の偵察総局がミョンジュンの足取りを追ったところ、偽造パスポートを使ってベトナムから韓国へと潜入していることが判明。かつて北朝鮮では軍が外貨稼ぎのため薬物を製造していたことがあった。チョルリョンの仲間でもあったミョンジュンは優秀な兵士だったが、金の魅力に取り憑かれて道を誤ってしまい、麻薬製造の技術者と10億ドルを持って国外へ消えてしまったのだ。恐らく韓国に麻薬ビジネスの元締めがいるのだろう。韓国でミョンジュンを探し出し、元締めを突き止めて10億ドルを取り返してこい。そう上司から命じられたチョルリョンは、5年ぶりに韓国のソウルへ赴くこととなる。 その頃、捜査中に頑張り過ぎて怪我をしてしまったソウル警察広域捜査隊のカン・ジンテ刑事(ユ・ヘジン)は、内勤業務であるサイバー捜査チームに転属されていた。そこへ元上司が現れ、1週間後に控えた米朝会議の準備でチョルリョンがソウルへ来ることを伝える。もちろんそれは表向きの理由であって、実際は麻薬密輸犯チャン・ミョンジュンの逮捕が目的だ。ところが、前回の相棒だったジンテとその家族が殺されかけたため、今回は相棒刑事の希望者が全くいないらしい。そこで、是非ともまたジンテにミョンジュンと組んで欲しいというわけだ。退屈な内勤仕事にウンザリしていたジンテには朗報だったが、しかし夫や家族の安全を気遣う妻ソヨン(チャン・ヨンナム)は猛反対。妻に頭の上がらないジンテは断らざるを得ないのだが、しかし結局は妻に内緒で引き受けてしまう。 久しぶりの再会を喜ぶチョルリョンとジンテ。ただし、チョルリョンは10億ドルの存在を隠しており、ジンテもまた国家情報院が常に監視していることを黙っている。最近になって市場へ出回り始めた新種ドラッグの販売網から、すぐに犯罪組織のしっぽを掴む2人だったが、しかしミョンジュン逮捕に執念を燃やすFBI捜査官ジャックが韓国へ上陸し、警察の捜査を横取りしようとする。おかげで、あともう一歩のところでミョンジュンを取り逃がすことに。お互いの存在が目の上のタンコブのように邪魔なチョルリョンとジンテ、ジャックの3人だが、しかし敵を捕らえるため一致団結せねばならない。そこへ、チョルリョンに猛アタックするジンテの義妹ミニョン(イム・ユナ)も紅一点メンバーとして加わり、大胆かつ奇想天外なアイディアを駆使しながら捜査を進めていく。当初は資金洗浄を担当する韓国系アメリカ人から、預けていた10億ドルを回収することが目的と思われたミョンジュン。ところが、その裏には全く別の恐るべき極秘テロ計画があった…。 朝鮮半島の平和、南北統一への夢と希望は今回も健在 前作よりも明らかにコメディ要素が強くなっているのは、キム・ソンフン監督から『2つの顔の猟奇的な彼女』(’07)や『ダンシング・クィーン』(’12)などのロマンティック・コメディで知られるイ・ソクフン監督へバトンタッチしたことの影響であろう。見た目は美人だが性格が非モテすぎるミニョンに「これでも少女の頃はイケてたの!」なんて言わせてみたり(演じるイム・ユナはアイドル・グループ少女時代の元メンバー)、キーボードで殴ったという理由で暴行事件をサイバー捜査隊へ持ち込んだボンクラ捜査官にジンテが「だったら札束で殴ったら金融犯罪?電卓ならデジタル犯罪か!?」と文句を垂れるシーンなど、切れ味抜群の捧腹絶倒なギャグ&ユーモアがテンコ盛り!前作では妻を殺されたチョルリョンの復讐というサブプロットがあったため、どう転んでも悲壮感が漂うことは避けられなかったのだが、今回のストーリーにはそうした悲劇的要素もあまりないことから、前作以上にコミカルで楽しい純然たるアクション・エンターテインメントに仕上がっている。 そのうえで本作は、北朝鮮のチョルリョンに韓国のジンテ、そしてアメリカのジャックと、それぞれのキャラクターに朝鮮半島の安全保障を巡る各国の思惑や立場の違いを投影させていくわけだが、最終的にどこの国も権力を握っている奴らはクソだらけ!いつだって現場の人間が振り回され犠牲にされるだけじゃん!もうさ、みんなお互いに腹を割って話し合って国民同士仲良くすればいいんじゃね!?という、極めてシンプルながらも普遍的で力強い友好と和平のメッセージをガッツリと打ち出してくれる。もちろん、そう簡単にいかないのが現実ではあるものの、しかし権力者たちの政治的な思惑によって国民同士までいがみ合うほどバカバカしいことはあるまい。たとえ国家間では相容れぬことがあったとしても、せめて民間レベルでは相互理解と親睦を深めて欲しい。さすれば、いずれは南北統一への道も切り拓かれよう。そんな、朝鮮半島の平和な未来へ対する作り手の希望が如実に伝わってくるような作品でもある。 もちろん、映画としての大きな売りであるアクションの演出にも一切の手抜きはない。最大の見どころのひとつが、オープニングにおけるマンハッタンでの大規模な市街戦シーン。実はこれ、コロナ禍でニューヨークでのロケが不可能だったため、なんと半年以上をかけて韓国のソウルにニューヨークの街角をオープンセットとして再現してしまったらしい。いやあ、これは全く分からなかった。また、クライマックスのアクションは実際に高層ビルの屋上やゴンドラの上で10日間に渡って撮影を敢行。もちろん危険な場面ではCGも使ってはいるものの、グリーンスクリーンだけでは出せないリアルなスリルと緊張感を高めている。前回のティッシュに代わって今度はハエ叩きを駆使した、ヒョンビンの超絶格闘アクションも見ものだ。 観客動員数698万人と前作よりも若干減らしたものの、それでも’22年度の年間興収ランキングでは再び第3位を獲得する大ヒットとなった『コンフィデンシャル:国際共助捜査』。今のところ何ら具体的なアナウンスはないものの、おのずと第3弾への期待も高まろうというもの。それこそマ・ドンソクの『犯罪都市』シリーズのように、今後も継続的に新作を出して欲しいアクション映画シリーズである。■ 『コンフィデンシャル:国際共助捜査』© 2022 CJ ENM CO., LTD., JK FILM ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2025.03.04
鬼才ヴァーホーヴェンが全体主義・軍国主義を痛烈に皮肉った超グロテスクSFバトル・アクション!『スターシップ・トゥルーパーズ』
アメリカ社会の不都合な真実に斬り込み続けたハリウッド時代のヴァーホーヴェン ポール・ヴァーホーヴェンらしいエロスとバイオレンスとグロテスクが満載の、実に悪趣味かつ不真面目で皮肉に満ちたSFバトル・アクション映画である。折しも、当時のヴァーホーヴェンはハリウッド映画史上屈指の失敗作『ショーガール』(’95)が盛大にコケてしまったばかリ。同作が「中身のない低俗なポルノ映画!」「あまりにも不愉快だ!」と轟轟の非難を浴びたように、この『スターシップ・トゥルーパーズ』(’97)も「ファシズムを賛美する不届きな映画だ!」「戦争の恐怖や残酷を美化するのか!」などと厳しく批判されたのだが、しかしヴァーホーヴェン作品をこよなく愛する映画ファンであればお分かりの通り、オランダ時代から権威だの権力だの規範だのと呼ばれるものに容赦なく唾を吐き続け、幼少期に第二次世界大戦の地獄を経験してトラウマとなったヴァーホーヴェンが、ファシズムを賛美したり戦争を美化したりするはずなどなかろう。いやはや、これだから冗談や皮肉の通用しない一部の野暮な批評家には困ったもんですな。 とにもかくにも、実は興行的にまずまずの成功を収めた本作だったが、しかし一時はハリウッドを代表するヒットメーカーとも呼ばれたヴァーホーヴェン監督の地位と名誉を回復するには至らず、本作の直後あたりから本人もヨーロッパへ戻ることを考え始めたという。しかしながら、『ショーガール』がアメリカン・ドリームの下世話で醜い裏側を赤裸々に暴露した風刺映画として今ではカルトな人気を誇っているように、本作も公開から30年近くを経てようやく、アメリカ帝国主義を痛烈に揶揄した型破りな反戦映画として正当な評価を得るようになったと思う。 そもそも、オランダ時代から人間の醜悪な部分や社会の不都合な真実にズバズバと容赦なく斬り込み、あえて見る者の神経を逆なですることで問題提起していくような映画を作り続け、80歳を過ぎてもなお新作を発表するごとに物議を醸しているヴァーホーヴェン監督。その姿勢はハリウッド時代も基本的に変わらず、当時はアメリカのメディアでも「メジャー映画で最も挑発的な監督」などと呼ばれたもんである。例えば、出世作『ロボコップ』(’87)や『トータル・リコール』(’90)では金の力が倫理や道徳を凌駕するアメリカ型資本主義の行き着く先に警鐘を鳴らし、『氷の微笑』(’92)ではアメリカ人男性の根深いマチズモやミソジニーの問題を浮き彫りに。いずれの映画でもヨーロッパ人の視点から、アメリカ的なるものへ鋭い批判の目を向けてきたと言えよう。 ヴァーホーヴェンのオランダ時代からの盟友デレク・デ・リント曰く、オランダ人は良くも悪くも率直で、そこがアメリカ人には嫌われてしまう要素とのことだが、中でもヴァ―ホーヴェンはその傾向が特に強いのだとか(笑)。まるで悪戯好きな子供のように、人があまり触れられたくないところ、隠したがるようなところをわざと突っついて面白がってみせる。なるほど、そう言われると確かに、ヴァ―ホーヴェンの映画はどれも多かれ少なかれそんな感じですな!ただ、上記の3作品が少なくとも表面的にはハリウッド的な娯楽映画に徹していたのに対して、『ショーガール』と『スターシップ・トゥルーパーズ』は悪ノリ的な社会風刺がちょっと前面に出過ぎてしまった嫌いがある。そこが劇場公開時に誤解や反感を招いてしまった原因なのかもしれない。 巨大昆虫型エイリアンとの全面戦争に駆り出されていく若者たち 地球上で民主主義が崩壊してしまい、全体主義的・軍国主義的な世界統一政府「地球連邦」が樹立された近未来。男女平等が実現して貧富の格差も是正される一方、人々は軍隊経験のある市民(シチズン)とそれ以外の一般民(シビリアン)に分けられている。力こそが正義という価値観のもと、兵役で国家のために命を投げ出した市民のみに「市民権」や「選挙権」が与えられていたのだ。さらに銀河系の植民地化を図って宇宙進出を果たした人類だったが、しかしグレンダス星に棲息する凶暴かつ原始的な巨大昆虫型エイリアン(通称バグス)の縄張りを侵したことから紛争が勃発。なんとしてでもバグスを壊滅させるため、地球連邦軍は兵役志願者の若者を積極的に募っていた。 主人公は南米ブエノスアイレスに暮らす裕福な高校生ジョニー・リコ(キャスパー・ヴァン・ディーン)。才色兼備の優等生カルメン(デニス・リチャーズ)と交際し、テレパシー能力を持つ秀才カール(ニール・パトリック・ハリス)や同じアメフト部の女子選手ディジー(ディナ・メイヤー)らと青春を謳歌するジョニーは、彼らと同様に地球連邦軍への入隊を希望するものの、しかし大事な息子を危険に晒したくない両親から猛反対されてしまう。それでも決意の揺るがぬ彼はギリギリの成績で高校を卒業すると、元軍人の教師ラズチャック(マイケル・アイアンサイド)に背中を押されて兵役を志願し、起動歩兵隊へ配属されることとなる。また、カルメンは宇宙船パイロットを目指して艦隊アカデミーへ、カールはその特殊能力を活かせるエリート集団・軍事情報部へとそれぞれ進んでいくのだった。 起動歩兵隊のブートキャンプで若者らを待っていたのは、鬼のように厳しくも情に厚つい訓練教官ズィム(クランシー・ブラウン)によるウルトラハードなトレーニングの日々。そんな中でエース(ジェイク・ビジー)やシュガー(セス・ギリアム)など新しい仲間との友情を深め、自分を追いかけて転属してきたディジーとの再会を果たし、教官ズィムにも認められて分隊長に昇格したジョニーだったが、しかしキャリアを優先させるために恋愛が邪魔になったカルメンから別れを切り出され、そのショックから訓練中の判断ミスで死亡事故を招いてしまう。やはり自分には軍人など向いていなかったんだ。そう考えて除隊を申し出たジョニー。ところが、バグスによる奇襲攻撃で地球の各地へ小惑星が飛来し、ジョニーの故郷ブエノスアイレスも壊滅してしまう。これを受けて地球連邦軍はバグスとの全面戦争を開始。両親を殺された復讐に燃えるジョニーも起動歩兵隊へ復帰し、敵の本拠地・グレンダス星へと降り立つのだったが…? ある一面におけるアメリカの本質を見抜いていたヴァーホーヴェン ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士」の実写映画化に当たる本作。しかし、実のところもともとは全くのオリジナル企画だったらしい。脚本を書いたのは『ロボコップ』のエド・ニューマイヤー。人類が昆虫型エイリアン(ニューマイヤーの妻が大の昆虫嫌いだったらしい)と戦うという基本コンセプトのもと、タカ派愛国主義や排外主義を風刺したコメディ色の強い「第7居留区の昆虫戦争」なるSF映画の概略を書き上げ、やはり『ロボコップ』で組んだプロデューサー、ジョン・デイヴィソンのもとへ持ち込んだところ、ハインラインの小説とソックリであるとの指摘を受けたという。そこで2人はストーリーの内容を「宇宙の戦士」寄りに大きく軌道修正し、同作の実写映画化作品として企画を進めることに。ただし、全体主義や軍国主義への風刺という根幹だけは変えなかった。また、原作の重要な要素であるパワードスーツを削除するなどの改変は、SFファンの間でも大きく賛否の別れるところである。 いずれにせよ、先にハインラインの小説を読んで「退屈」「右翼的」と嫌悪感を抱いていたヴァーホーヴェン監督は、出来上がった脚本を読んでナチス・ドイツ占領下のオランダにおける自身の戦争体験と重ね合わせ、これを全体主義や軍国主義、ファシズムの本質を炙り出す風刺コメディとして描くことを思いつく。本作に出てくる地球連邦軍の兵士や将校の制服がナチスっぽいのもそのため。銃で撃たれて脳みそが飛び散ったり、戦闘で人体がバラバラに破壊されたりのウルトラ・グロテスクな描写も、ヴァ―ホーヴェンの実体験に基づいた「戦争の真実」だと言えよう。さらにヴァーホーヴェンはレニー・リーフェンシュタールのナチス・プロパガンダ映画『意志の勝利』(’34)を参考にし、メインキャストにもいわゆる「アーリア人種」的な特徴を備えた白人俳優ばかりを集めた。『女王陛下の戦士』(’77)や『ブラック・ブック』(’06)のような戦争ドラマばかりでなく、例えば時代劇アクション『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(’85)でもナチスを物語のモチーフに使っているヴァーホーヴェンだが、本作も同じだったというわけだ。 そのうえでヴァーホーヴェン監督は、『スターシップ・トゥルーパーズ』を「アメリカ社会の現実を投影した作品」だと語っている。誰もが銃器を簡単に手に入れることができ、金や権力などのパワーが倫理や道徳よりもモノを言い、自国の利益のためなら他国への内政干渉や侵略行為も平然と行う暴力的な国。しかし、本人たちには自分らがファシストだという自覚など一切なく、むしろ自由社会のリーダーだと自負している。これは、そんなマッチョで身勝手で独善的なアメリカ帝国主義を、思いっきり茶化して風刺した残酷なおとぎ話。いわば、ある一面におけるアメリカという国の本質を、当時からヴァーホーヴェン監督は鋭く見抜いていたわけですな。 ちなみに、本作の製作時にヴァーホーヴェンがアメリカのファシストとして危険視していたのが、当時まだテキサス州知事だった第43代合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ。それから30年近くを経て、そのブッシュ氏が真っ当な常識人に見えるほどの危険人物が大統領(しかも二期目だよ!)となり、映画も真っ青のディストピア社会を作り上げていくことになろうとは、さすがのヴァーホーヴェンも予想していなかったに違いない。■ 『スターシップ・トゥルーパーズ』© 1997 TriStar Pictures, Inc. and Touchstone Pictures. All Rights Reserved.