COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
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NEWS/ニュース2026.03.24
「ザ・シネマ」思い出の映画に関するアンケート
いつもザ・シネマをご視聴いただきありがとうございます。 ザ・シネマより、思い出の映画に関するアンケートのお願いです。 あなたの「大切な1本」を教えていただけませんか? その映画にまつわるエピソードもぜひお聞かせください。 お寄せいただいたエピソードは、今後の放送ラインナップの参考にさせていただくほか、「視聴者の皆様の思い出の作品」として放送も検討しております。 皆様の映画愛あふれるご回答を、心よりお待ちしております。 アンケートはこちら
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COLUMN/コラム2026.03.23
虚構される“現実”——『カプリコン・1』から読み解く監督ピーター・ハイアムズ
◆火星着陸を捏造した、政府陰謀サスペンスの誕生 1970年代は「現実」が揺れ動いた時代だった。ベトナム戦争の長期化、そしてウォーターゲート事件によって、国家の語る真実そのものへの不信がアメリカ社会に深く浸透していったのだ。さらにテレビというメディアの普及は、世界を即時に共有する利便性と引き換えに、「映像として提示されたもの=現実」という認識の危うさをも拡張していく。 こうした状況下で生まれた映画『カプリコン・1』は、「現実とは何か」という問いをサスペンス・スリラーの形式で提示した作品だ。 このイギリス資本によるアメリカ映画は、火星着陸を目指す宇宙船「カプリコン1号」が生命維持装置の故障により、乗組員を降ろし無人で飛び立つ不測の事故から始まる。しかし政府は国民の宇宙開発への関心離れを恐れ、当初の目的を別な形で遂げようとする。それは避難した乗組員を撮影スタジオに送り込み、火星着陸をねつ造しようともくろんだのだ。 本作を監督したピーター・ハイアムズは、アメリカ大手ネットワークCBSに所属していたとき、アポロ11号の宇宙撮影を扱った自局の報道番組で、ニューヨークのスタジオからミズーリ州セントルイスで行われていた航行シミュレーションへと映像が切り替わる場面に着目した。そこで「実際に月へ行かなくても、スタジオとカメラの切り替えだけで訪れたように見せることができるのではないか」と着想を得たという。この発想こそが『カプリコン・1』の原点であり、ハイアムズは「映像は現実を容易に偽装しうる」というメディア的直観を物語の根幹に置いたのである。 しかし本作は陰謀論を肯定しているわけではなく、なぜ人はそれを信じてしまうのかという心理と社会構造を可視化している。政府が火星着陸の捏造に踏み切る動機は悪意ではなく、「国民の期待を裏切ることはできない」という政治的な要請にある。虚構は権力の逸脱というよりも、現実を維持するためのものとして導入される。この構造は皮肉でありながらも、きわめて現実的だ。 こうした取り組みと視点は、ハイアムズの出自と密接に結びついている。CBSのドキュメンタリーディレクターとして出発した彼は、「事実を記録する」行為に潜む演出性や恣意性を熟知していた。自身の劇場長編デビュー作『破壊!』(1974)が示すように、彼は徹底したリサーチを基盤に、現実から物語を作り上げていく作家である。ゆえに彼の関心は「虚構」そのものではなく、現実と虚構の「境界」に向けられている。 そうした資質は『カプリコン・1』において、巧みな二重構造として結実する。スタジオ内で作られる“偽の火星”という露骨な虚構と、それを真実として流通させる、国家とメディアのシステム。観客はその両方を同時に目撃することで、「どこからが現実なのか」という感覚を揺さぶられるのである。 ◆新聞記者を演じるエリオット・グールド(右) さらに本作は、ジャーナリスト(エリオット・グールド演じる新聞記者コールフィールド)という対抗者を配置することで、構図をより複雑にする。彼は陰謀を暴こうとするが、それ自体もまた、現実を再構成する行為にほかならない。ここでは国家もメディアも等しく「現実を編集するもの」として描かれ、単純な権力批判を超え「真実とは誰が構築するのか」という疑問が浮かび上がっていく。 『カプリコン・1』は、アポロ計画陰謀論という俗的なモチーフを足場としながら、それを越境し「現実のフィクション性」を暴き出す地点へと踏み込んでいる。同時にそれは1970年代という時代精神を映し出す鏡でもあった。そしてこの「現実を疑う視線」こそが、後のハイアムズ作品に通底する核となっていく。 ◆ハイアムズ的リアリズムの形成 ピーター・ハイアムズはしばしば「職人監督」と評される。しかしその呼称は、彼の本質を捉えきれていない。ハイアムズの出発点にあるのは、徹底した現実志向と、それを映像として再構築しようとする強い意志である。その資質が最も純粋に現れているのが、長編デビュー作『破壊!』だ。 本作において特に注目すべきは、徹底したリサーチ主義である。彼は脚本執筆に際し各地を巡り、警官や娼婦など現場の人間に直接取材を重ねた。物語はあらかじめ用意された枠組みに現実を当てはめるのではなく、現実の断片から組み上げていくのだという認識が、ここにはある。 この姿勢は当時の「実録性」志向と共鳴しつつも、『破壊!』を単なる同時代的に作品にとどめることはない。決定的なのは「現実をどう撮るか」という映像レベルの問いに踏み込んでいる点だろう。 その象徴が撮影手法だ。当時主流だった軽量カメラではなく、あえて重いパナビジョン系カメラを用いることで、機動性と引き換えに画の厚みを獲得した。ハイアムズがここで目指したのは現実の記録ではなく、「映画としての現実」の定着といえるだろう。実用光を活かしフィルライトを抑えたライティングは、コントラストの強い不安定な視界を生み出す。それは見やすさよりも、現実の不透明さをそのまま視覚化する試みといえる。この「見えすぎない映像」こそが、ハイアムズの作家性の核心である。均質に整えられた画面がもたらす安心感に対し、彼の映像は情報の欠落を含み、観客に解釈を委ねる。 このアプローチは『カプリコン・1』へと直結する。スタジオで再現された火星は整いすぎているがゆえに虚構性を露呈し、対照的に現実空間は荒々しく予測不能なものとして描かれる。そこには『破壊!』で確立された、現実のざらつきを捉える視線が明確に息づいている。 ハイアムズにとって映像とは記録でも演出でもなく、「現実をどう知覚するか」という問題そのものだ。リサーチと撮影の往復のなかで生じる歪みこそが、彼の映画に独特の緊張感をもたらす。『破壊!』が「現実をどう撮るか」を提示した作品であるならば、『カプリコン・1』はそれを「現実とは何か」という問いへと拡張した作品と解釈できる。この連続性において、常にシネマトグラファーを兼任し、現実と映像の関係を一貫して問い続ける、作家としての性質が屹立するのだ。 ◆過小評価されてきた作家の輪郭 ハイアムズのフィルモグラフィはジャンル横断的であり、その多様さが作家性の把握を難しくしてきた。結果として「器用だが個性に乏しい職人」という評価に回収されがちである。しかしそれは、彼の映画が内包する問題意識を見落とした見方にすぎない。 たとえば『2010年』(1984)において彼は、『2001年宇宙の旅』(1968)の神話性に対し、「観測可能な現実」として宇宙を再構築することで応答した。その抑制された光の設計は、『破壊!』以来の方法論の延長にある。そもそも宇宙開発という題材においても、彼の関心は偉業の再現ではなく、「それをいかに認識するか」にある。『カプリコン・1』はその極点に位置し、現実が計画的に構築されうることを暴き出す。 この問題意識はジャンルを問わず持続する。『アウトランド』(1981)においても、舞台が宇宙であっても描かれるのは監視と権力の構造であり、その本質は地上的である。環境が変わっても、人間の現実認識の枠組みは変わらないという視線が一貫している。 ではなぜ、ハイアムズは過小評価されてきたのか。その一因は、作品があまりにも「よく出来ている」点にある。娯楽として成立しているがゆえに、その背後にある思考が見えにくいのだ。そしてもう一つは、彼が過剰に語らない作家であることだろう。テーマは明示されるのではなく、映像と状況の配置のなかに深く埋め込まれる。そのため作品は一見してニュートラルに見えるが、実際には鋭い問いを内包している。 『破壊!』と『カプリコン・1』を重ね合わせて見れば、その輪郭は明らかになる。前者は現実を観察して再現し、後者はその現実が操作されうることを示した。この連続の上で、彼は一貫して「現実とは何か」を問い続けている。そしてこのメッセージは、現代においてさらに切実なものとなっている。情報と映像が氾濫する現在、「何が真実か」を見極めることはかつてなく困難になった。そうした状況において、『カプリコン・1』の問題提起はむしろ現在的な意味を帯びている。 ハイアムズの再評価とは、忘れられた職人の発見にあらず。それは現実と映像の関係を問い直す視線を、映画史の中に位置づけ直す試みといえる。その結節点として、『カプリコン・1』加えて『破壊!』は、いまなお鮮やかな光を放ち続けているのだ。■ 『カプリコン・1』(C) ITV plc (Granada International)
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COLUMN/コラム2026.03.13
グレタ・ガーウィグが、 ファッションドール『バービー』の映画化作品で 謳い上げた、多様性とフェミニズム!
1959年に、アメリカのマテル社から発売された、“バービー”人形。現在世界150カ国以上で販売され、これまでに、10億体以上が出荷されている。 “バービー”は、マテル社の創始者のひとり、ルース・ハンドラーという女性が、自分の娘が遊んでいるのを見たことが、きっかけとなって生まれた。娘は、大人の女性を象った紙人形に、自分の将来の姿を想像して、着せ替えを行っていたのである。 これをヒントにルースは、女の子たちが未来の自分を投影できるファッションドールのリリースを思いついた。人形の名は、娘のバーバラの愛称だった、“バービー”とした。“バービー”は、“革命”だった!女児向け人形と言えば、乳幼児型の“ミルク飲み人形”であるという、それまでの常識を、打ち破ったのだ。 本作『バービー』(2023)のオープニングでは、この“革命”が起こる瞬間を、戯画化して描き出す。スタンリー・キューブリック監督の不朽の名作、『2001年宇宙の旅』(1968)にオマージュを捧げる形で。 実は、そうした本作に辿り着くまでには、ハリウッドのご多分に漏れず、短くない歳月を要している。映画化の話は、まずは2009年、ユニヴァーサル・ピクチャーズが発表。それから5年後=2014年に、ソニー・ピクチャーズへと権利が移る。ソニーでも、プロジェクトは遅々として進まず。脚本家や監督が何度も変更される中、バービー役の候補に挙がったのは、コメディアンのエイミー・シューマーや女優のアン・ハサウェイだったと言われる。2018年に、今度はワーナー・ブラザースに映画化権が渡る。そこで、プロデューサーとして参加が決まったのが、マーゴット・ロビー。バービー役に、『ワンダーウーマン』(17)などのガル・ガドットを据える案もあったというが、結局ロビー自身が主演することになった。 そんなロビーが、脚本執筆のオファーを行ったのが、グレタ・ガーウィグ。ガーウィグはその時、監督作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(19)の編集作業中にして、長男を出産したばかりのタイミングだったという。 ガーウィグはパートナーのノア・バームバックと共に、脚本に取り掛かることとなった。やがて監督も、彼女に決まる。 ***** 定番のステレオタイプ・バービーをはじめ、マーメイドバービーや大統領バービー、変てこバービーまで、様々なタイプや職種のバービーが暮らす、“バービーワールド”。あらゆるタイプのケンも居て、彼らはバービーに気に入られたい一心で、日々競っていた。 物語の主人公は、ステレオタイプ・バービー(演;マーゴット・ロビー)。完璧で夢のような毎日を送っていたが、ある時急に“死”を意識し、肌にセルライトができたのに、気付く。 人形である自分の持ち主の女の子に会うことが、問題解決の鍵になると、バービーは知る。人間の暮らす現実世界へと向ったバービーに、定番のケン(演;ライアン・ゴズリング)が、呼んでもないのに同行する。 バービーは、自分の持ち主の女の子サーシャを探し当てる。しかし彼女から、バービー人形がいかに時代遅れなおもちゃであるかを説かれ、ショックを受ける。実はサーシャの母グロリアが、娘のバービー人形で遊ぶようになったことが、バービーに異変が起こった原因だった。バービーの発売元であるマテル社に勤める彼女は、加齢や娘との関係などに不安を抱え、それがバービーへと、伝染したのだった。 一方ケンは、現実世界はバービーワールドとは真逆に、男性が権力を持つ社会であることを知り、影響を受ける。バービーに先んじて、バービーワールドに戻った彼は、そこも男性優位な社会に、変えてしまおうとする。 現実世界でバービーは、マテル社へと招かれる。マテル社もまた、TOPをはじめ重役はすべて、男性が占めていた。 バービーの逃亡を、グロリア母娘が助ける。果してバービーの運命は!?そしてバービーワールドは、一体どうなるのか!?***** 母親がバービーを好きではなかったため、少女時代に、買ってもらうことはなかったという、ガーウィグ。近所の子たちから、お下がりのバービーをもらって遊ぶのが、楽しみだった。 そんな彼女が、ノア・バームバックと脚本を書くに当たって、与えられたネタは、人形だけ。ガーウィグ曰く、料理番組に出演して、「このスニーカーを使っておいしい料理を作ってください」と言われるようなもので、「途方に暮れた」という。 様々なタイプのバービーやケンたちを描くというアイディアが生まれたのは、マテル社との最初のミーティングだった。ガーウィグが、異なるキャラクターについて話し始めると、マテル社側から、「異なるキャラクターはいないよ。女性全員がバービーなんだ」と、言われた。そこでガーウィグは、「もし女性全員がバービーなら、バービーは女性全員ということですよね?」と確認を行い、「Yes」の返事を貰ったのだという。 これは、マテル社がブランドとして、どういう変化を遂げたのかに、大きく関わってくる話。定番の“バービー”人形は、白人で金髪の女性であり、プロポーションが非現実的なことが、折りに触れては批判されてきた。そこでマテル社は、時代に応じる形で路線変更。あらゆる人種の、あらゆる体型の、多様性に満ちたバービーを、次々とリリースする方向へと進んだ。 医師やサッカー選手、宇宙飛行士、消防士、そして大統領等々、職種的にもバリエーションに富み、近年では、車椅子のバービーやダウン症のバービーなども、登場している。 いわば、アメリカの歴史を反映しながら進化してきたとも言える、バービーの世界を“映画化”するということは、必然的に多様性やフェミニズムを描く作品になる。そうした意味で、『レディ・バード』(17)や『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』で、女性の成長や自立を描いてきたグレタ・ガーウィグは、まさに適任であった。ガーウィグは、メインのケン役には、ライアン・ゴズリングがぴったりだという自信があった。そこで彼に、当て書きをした。ゴズリングには、2人の娘がいて、バービー人形で遊んでいるのは、よく目にしていたという。娘たちに、「ケンの人形は持ってないのかい?」と問うと、「どこかにあるはず」と、適当に返事をされた。そしてその後、庭の腐ったレモンの下に、ケンが転がっているのが、見つかった。そこでゴズリングは、決意した。「僕がケンの物語を伝えないといけない!」と。 ガーウィグは、本作を監督するに当たって、ピーター・ウィアー監督に電話を掛けた。ウィアーの監督作で、ジム・キャリーが主演した『トゥルーマン・ショー』(98)は、主人公の生活の場が、すべて映画のセットのようになっているという、非現実的な世界。それを本作の参考にしたいと、思ったからである。ウィアーは撮影技術について、アドバイスしてくれた。2022年3月のクランク・インに向かって、バービーランドのセットはすべて、ロンドンのワーナー・ブラザース・スタジオ・リーブスデンに組まれた。ガーウィグは、バービーが誕生した1959年に因んで、バービーランドで繰り広げられるダンスは、50年代=ハリウッド黄金時代のミュージカルを彷彿とさせるものにしたいと考えた。そこでデザインは、当時のスタイルを踏襲。手描き風の、敢えて人工的な背景を用意した。 バービーランドは、あらゆるものがピンクという世界。そのセットを組むために、一時的に世界規模で、ピンクの塗料が品薄になるという事態を引き起こした。バービーの住むドリームハウスに関しては、マテル社製の現物を研究。壁も窓もなく、外から丸見えとなっている。 ガーウィグはセットに関して、大人っぽいデザインになりそうになると、「もっと子どもが考えそうな、夢の中みたいな感じにして」とダメ出し。軌道修正を図ったという。 撮影現場は和やかに、楽しいムードに包まれていたというが、マーゴット・ロビーが、プロデューサー兼主演として、マテル社に対して、譲らなかったことがある。それは、マーゴット演じるバービーの呼称。マテル社は、「ステレオタイプ・バービー」という呼び方に難色を示し、「オリジナル・バービー」に変えるよう、申し入れてきた。このリクエストを、マーゴットは拒否。「ステレオタイプ」という、否定的なニュアンスが込められている呼称にこそ、重要な意味があるとして、これを通したのである。グレタ・ガーウィグも、あるシーンに関して、自分の主張を断固通した。それは、現実世界にやって来たバービーが、老女と出会うエピソード。着せ替え人形のバービーは、基本的に歳を取ることはない。年齢を重ねた人間の女性と初めて出会って、「美しい」と心の底から感動する。唐突に挟まれるこのシーンが、「他のどのシーンにも繋がらない」ので、尺調整のために切っても問題ないと考えた映画会社は、「カット」を、提案した。それに対してガーウィグは、カットしたら、「この映画が何についての作品なのかわからなくなってしまう」と、主張。監督として、「映画の核心」だったこのシーンを、守り抜いたのである。因みに老女を演じたのは、2度のアカデミー賞に輝く、衣裳デザイナーのアン・ロス。当時90歳を超えた伝説的人物に、バービーが対峙して心を動かすシーンには、ハリウッドの歴史に対するリスペクトも籠められていた。 バービーは、2023年7月に全米公開となり、この年最大のヒット作となった。全世界興行収入は、10億ドルを突破!女性監督の作品としては、史上初の快挙となった。 マーゴット・ロビーとグレタ・ガーウィグ。2人の女性映画人は名実ともに、現在のハリウッドをリードする存在となった。■ 『バービー(2023)』(C) 2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2026.03.02
初公開から90年近くを経ても全く色褪せないファンタジー映画の大傑作!『オズの魔法使』 ※注:本レビューには一部ネタバレが含まれます
ユネスコの「世界の記憶」にも登録済み! ハリウッド映画史上、最も大衆から愛されてきた作品のひとつと呼んでも差し支えなかろう。カンザスの田舎に住む平凡な少女ドロシーが、愛犬トトと一緒に竜巻で飛ばされて魔法の国オズへと迷い込み、そこで親しくなった案山子やブリキ男、ライオンと共に大冒険を繰り広げるミュージカル仕立てのファンタジー映画『オズの魔法使』。1939年の全米初公開を皮切りに世界中へ配給され、これまでに幾度となくリバイバル公開もされてきた。一説によると、全世界で10億人以上が本作を見たとも言われている。 アメリカの映画業界誌バラエティが選んだ「史上最高の映画100選」では、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(’60)に次いで堂々の第2位。アメリカ映画協会が米国映画誕生100年を記念して発表した「アメリカ映画ベスト100」でも第6位にランクされている。主演女優ジュディ・ガーランドの歌うテーマ曲「虹の彼方に」はスタンダード・ソングとなり、日本を含む世界中のアーティストにカバーされ、全米レコード協会が中心となって選出された「20世紀の名曲」では第1位。『オズの魔法使』は見たことないけど「虹の彼方に」は知っている!という人も少なくないだろう。2007年にはユネスコの「世界の記憶」(旧称・記憶遺産)に登録。映画作品の登録はフリッツ・ラングの『メトロポリス』(’27)やルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』(’50)など、他にないわけではないが非常に稀だ。 また、1995年には本作の世界観を踏襲しながらその前日譚を描くブロードウェイ・ミュージカル『ウィキッド』が上演されて評判となり、2024年に公開された映画版『ウィキッド ふたりの魔女』も大ヒットしてシリーズ化された。そうそう、同年テレビ放送されたアメリカの国民的オーディション番組『アメリカン・アイドル』のシーズン22では、番組の広告キャンペーンに『オズの魔法使』のコンセプト・イメージが使われていたっけ。どうやら、封切りから90年近くを経た今もなお、『オズの魔法使』の「魔力」はまるで衰えることを知らぬようだ。 作られたきっかけはディズニーの『白雪姫』だった!? ご存知の通り、アメリカの児童文学作家L・フランク・ボームが1900年に発表し、新大陸アメリカで最初のお伽噺とも称される名作文学「オズの魔法使い」の映画化。黄金期のハリウッドで最大の映画会社だったMGMの社長ルイス・B・メイヤーが、ディズニー初の長編カラー・アニメ映画『白雪姫』(’37)の大成功に触発され、大物製作者サミュエル・ゴールドウィンが所有していた「オズの魔法使い」の映画化権を買い取ったのがそもそもの始まりだったという。実は当時、パラマウント映画が社運をかけて作ったオールスター・キャストの特撮ファンタジー映画『不思議の国のアリス』(’33)が大コケしたことから、ハリウッドでは「子供向けのお伽噺は当たらない」と言われていた。そのジンクスを『白雪姫』が覆したことから、商才に長けたメイヤー社長は当時すでにアメリカ国内で100万部以上を売り上げていた国民的お伽噺「オズの魔法使い」に着目したのである。 実際に映画化の陣頭指揮を任されたのは、’38年にワーナー・ブラザーズから移籍してきたばかりだったマーヴィン・ルロイ。実は、メイヤー社長が絶大な信頼を置いていた伝説的なMGM制作本部長アーヴィング・タルバーグが、’36年に37歳という若さで急逝してしまった。マーヴィン・ルロイといえば『哀愁』(’40)や『若草物語』(’49)の監督として有名だが、しかし当時はプロデューサーとしても次々とヒットを出しており、その才能を高く買ったメイヤー社長によって、タルバーグの後任としてワーナーから引き抜かれたのだ。また、後にMGMミュージカルの黄金時代を築くことになる製作者アーサー・フリードが、ルロイの助手を務めることに。メイヤー社長に『オズの魔法使』のプロデュースをやりたいと最初に申し出たのはフリードだったが、映画製作の経験に乏しいため助手に回された…という伝説もあるのだが、真偽のほどは定かでない。 いずれにせよ、アメリカ人の誰もが知る名作児童文学を、いかにしてファンの期待を裏切ることなく映画化するのか…というのは大変な挑戦だったはずだ。実際、完成するまでに少なくとも14名の脚本家と5名の監督が携わっている。そこでまずは、映画版『オズの魔法使』のストーリーを簡単におさらいしてみよう。 主人公の少女ドロシー(ジュディ・ガーランド)は、カンザスの農場でエムおばさん(クララ・ブランディック)にヘンリーおじさん(チャールズ・グレープウィン)、愛犬のトトと一緒に暮らしている。農場ではハンク(レイ・ボルジャー)とヒッコリー(ジャック・ヘイリー)、ジーク(バート・ラー)という3名の農夫が働いており、ドロシーは日頃から彼らにも可愛がられていた。そんなある日、意地悪な地主のガルチさん(マーガレット・ハミルトン)がドロシーに因縁をつけ、凶暴なトトを警察で殺処分してもらうと言って連れて行ってしまう。大きなショックを受けたドロシーは、隙を見て逃げてきたトトを連れて遠くの見知らぬ土地へ行こうとするのだが、しかしその途中で出会った占い師マーベル教授(フランク・モーガン)に「エムおばさんが心配している」と諭されて家へ戻ったところ、そこへ来襲した大きな竜巻に家ごと巻き込まれてしまう。 ドズン!という大きな音と共に地上へ落下した家。幸いにも無事だったドロシーがトトを抱いて、恐る恐る扉を開けて外へ出てみると、そこは色とりどりの花で埋め尽くされた不思議な魔法の国オズだった。すると、物陰から現れた小さな住人マンチキンたちから英雄のように扱われるドロシー。北の良い魔女グリンダ(ビリー・バーク)によると、マンチキンの町を支配していた東の悪い魔女が、ドロシーの家の下敷きになって死んだのだという。思いがけぬ歓迎ムードに喜ぶドロシーだったが、しかし一刻も早くカンザスの農場へ戻ってエムおばさんを安心させたい。そんな彼女にグリンダは西の悪い魔女が履いていたルビーの靴を与え、「黄色いレンガの道を辿ってエメラルドの都へ行き、そこで偉大なオズの魔法使いに会ってお願いすれば、カンザスへ帰ることが出来る」と教えてくれる。 グリンダの助言に従って、エメラルド・シティへ向かって歩き始めたドロシー。その途中で彼女は、ハンクによく似た知恵のない案山子(レイ・ボルジャー2役)、ヒッコリーによく似た心のないブリキ男(ジャック・ヘイリー2役)、ジークによく似た勇気のないライオン(バート・ラー2役)と仲良くなり、それぞれオズの魔法使いに会って、案山子は知恵を貰うため、ブリキ男は心を貰うため、ライオンは勇気をもらうため、ドロシーと一緒にエメラルドの都を目指すことになる。 その道すがら、姉である東の悪い魔女を殺されて復讐に燃える西の悪い魔女(マーガレット・ハミルトン2役)の妨害を受けながらも、なんとかエメラルドの都へ到着した一行。期待を胸にオズの魔法使いと謁見した彼らは、願いをかなえたければ西の悪い魔女のホウキを持ってくるよう命じられる。勇気を振り絞って魔女の住む城へと向かうドロシーたちだったが…? プロデューサー主導で作られた映画の舞台裏 「虹の彼方」にある見知らぬ世界に憧れる多感な少女ドロシーが、実際に遠く離れた夢の国で大冒険を繰り広げ、やっぱり愛する人たちのいる我が家が一番だと気付くというお話。土台となるアウトラインを書いたのは、ルロイの製作助手だったウィリアム・H・キャノンである。。それをもとに、ハーマン・J・マンキーウィッツやノエル・ラングレー、オグデン・ナッシュなど複数の脚本家たちに個別で発注され、それぞれが書いた草案を切り貼りしながらひとつの脚本にまとめていったようだ。その中で原作では銀だったドロシーの靴をルビーに変えたり、オズの国に出てくるキャラのソックリさんをカンザスに登場させたり、ラストを夢落ちにしてドロシーに「やっぱり、お家が一番」と悟らせるなど、映画版において最も重要な部分の脚色を手掛けたのが、当時まだ26歳だったラングレー。さらに、一度出来上がった脚本も制作陣や別の脚本家陣によってブラッシュアップされ、最終的にラングリーとフローレンス・ライアーソン、エドガー・アラン・ウルフの3人だけが、脚本家としてスクリーンにクレジットされたのである。 当初、監督として起用されたのは『黒騎士』(’52)や『ゼンダ城の虜』(’52)などの史劇大作で知られるリチャード・ソープだったが、しかしドロシー役のジュディ・ガーランドにブロンドのウィッグを被らせて厚化粧を施すなど、目指す作品の世界観があまり相応しくないと制作陣に判断され、撮影開始から2週間で解雇されることに。そこで、当時MGMが取り組んでいたもうひとつのブロックバスター映画『風と共に去りぬ』(’39)の撮影を控えていた名匠ジョージ・キューカーが本作の現場へ入り、ドロシーをはじめとする登場人物たちのメイクや衣装を変えさせるなど、完成版の土台となる重要な改変を行った。そのうえで、プロデューサーのルロイは後任監督として「男性映画の巨匠」と目されていたヴィクター・フレミングを起用。自他ともに硬派で知られたフレミング監督が本作の演出を引き受けたのは、自分の娘たちに愛や夢のある美しい映画を見せたかったからなのだそうだ。 こうして撮影の再開した本作は、その大部分をフレミング監督が演出。ところが、完成間際になってMGMは、フレミング監督を別の現場へ異動させることを決める。というのも、『風と共に去りぬ』の現場でキューカー監督と主演俳優クラーク・ゲーブルが衝突し、それが原因で撮影に支障をきたしてしまったため、公私共にゲーブルと仲の良かったフレミング監督が呼ばれたのである。フレミング監督の代打として白羽の矢が立ったのは、『ビッグ・パレード』(’25)や『ラ・ボエーム』(’26)など、サイレント映画の時代から数々の傑作を世に送り出してきた巨匠キング・ヴィダー。さらに、撮影終了から数か月後に行われた追加撮影をマーヴィン・ルロイが演出し、ようやく完成したというわけだ。 ちなみに、本作のように映画本編ではクレジットされていない監督や脚本家が何人も関わっているというケースは、古くよりハリウッド映画では決して珍しいことではなく、特に監督もスタッフもキャストもみんなが映画会社の専属で、それゆえ簡単に首をすげ替えることが出来たスタジオ・システムの時代は、それこそ日常茶飯事だったと言えよう。なにしろ、ノークレジットで脚本の書き直しを担当するスクリプト・ドクターなる職業が存在する業界だ。先に触れた『風と共に去りぬ』だって。3人の監督に加えて少なくとも5人の脚本家が携わっているそうだが、しかしスクリーンにはそれぞれ1人ずつしかクレジットされていない。それをひとつの作品としてまとめ上げるのはプロデューサー。今も昔も、ハリウッドではプロデューサーが最も強い権限を持っているのだ。 音楽にもカメラにも特撮技術にもハリウッドの職人技が光る MGM首脳陣がドロシー役に強く希望したのが、当時4年連続でハリウッドのマネーメイキング・スター(最も集客力のあるスター)のランキングで1位に輝いた天才子役シャーリー・テンプル。しかし非公式オーディションでテンプルの歌声を聴いたルロイとフリードは、さすがに天才少女でもこの役は荷が重いと感じたらしい。そのうえ、テンプルは20世紀フォックスの所属であったことから、最終的にMGM所属で当時人気急上昇中だったジュディ・ガーランドに落ち着いた。また、案山子役のレイ・ボルジャーは当初ブリキ男役だったが、しかし「案山子役は自分以外にありえない!」と考えてメイヤー社長に直談判。妻と一緒に粘り強く交渉した結果、見事に案山子役を勝ち取ったのである。おかげで案山子役からブリキ男役に変更されたのが、ミュージカル俳優として人気だったバディ・イブセン。ところが、当初ブリキ男のメイクに使われていたアルミのパウダーを肺に吸い込んでしまい、呼吸不全に陥ったイブセンは病院へ救急搬送されてしまう。結局、治療のため6週間に渡って入院する羽目となり、そのためMGMは代役としてジャック・ヘイリーを起用。イブセンが降板した経緯についてヘイリーは全く知らされていなかったらしく、問題のアルミのパウダーも秘かに練り粉へ変えられていたそうだ。 一方、ディズニーのアニメ『白雪姫』が美しい継母で成功したことから、ルロイは西の悪い魔女役にグラマラスな美人女優を起用してはどうかと提案。そこで選ばれたのが、当時『風雲児アドヴァース』(’36)でアカデミー助演女優賞を獲得したばかり、演技力も美貌も申し分ない名女優ゲイル・ソンダーガードだったのだが、しかしこれにアーサー・フリードが「やはり悪い魔女は醜くないと!」と猛反発。両者の板挟みになったソンダーガードは本人の希望で役を降りることとなり、代わりにマーガレット・ハミルトンが登板する。北の良い魔女グリンダを演じたビリー・バークは、ブロードウェイの伝説的な興行師フローレンツ・ジーグフェルドの妻であり、彼が製作した人気レビュー・ショー「ジーグフェルド・フォリーズ」の看板スターも務めた往年の舞台女優。撮影当時54歳とは思えぬ若々しさと美しさだ。ちなみに、レイ・ボルジャーやバディ・イブセンも「ジーグフェルド・フォリーズ」に出演経験がある。 充実したキャスト陣に加えて、本作の魅力を語る上で欠かせないのがハロルド・アーレンの作曲、E・Y・ハーバーグの作詞によるミュージカル・ナンバーの数々であろう。先述した「虹の彼方に」はもちろんのこと、「黄色いレンガの道をたどって」や「オズの魔法使いに会いに行こう」など、長年に渡って歌い継がれてきた名曲が盛りだくさん。アーレン一流のキャッチーなメロディと、ハーバーグが得意とする韻の踏み方の絶妙な歌詞の組み合わせは素晴らしい。誰もが簡単に覚えられて簡単に口ずさめる。実にキャッチー!これらの楽曲がなければ、本作の魅力は間違いなく半減していたはずだ。 もちろん、創意工夫を凝らしたカラフルで華やかなオズの国の美術セットや、魔女や猿が空を飛んだり竜巻が吹き荒れたりといったシンプルだが極めてクオリティの高い特撮、今の我々が見ても舌を巻くほど良く出来た案山子やライオンの特殊メイクなど、ハリウッドにおける職人技の粋を集めたような見どころばかり。中でも、セピア色のモノクロ映像で撮影されたカンザスの世界にいたドロシーが、扉の向こうに広がるカラフルなオズの国へワンカットで足を踏み入れていくシーンは何度見ても新鮮かつ衝撃的である。筆者も最初に見たときは「いったいどうやって撮影したんだ!?」と驚いたが、実はこれ、扉を開ける直前のシーンで既にモノクロ・フィルムからカラー・フィルムへ切り替わっており、扉の内側のセットを予めセピア色のペンキで着色し、同じくセピア色の衣装を着たジュディ・ガーランドの代役に扉を開けさせる…という極めてシンプルな方法で撮影されている。で、実際に扉を開けるとまずはカメラが先にフルカラーのオズの国へと入っていき、その間にカラフルな衣装を着たジュディが代役と入れ替わる…という寸法。実に見事なアイディアである。 こうして完成した『オズの魔法使』は、1939年8月より全米各地で順次公開。ニューヨークで行われたプレミアにはジュディ・ガーランドと、当時MGMが彼女とコンビで売り出していた青春映画スター、ミッキー・ルーニーが舞台挨拶に登壇。ルーニーはこの年から3年連続で、シャーリー・テンプルに代わってマネーメイキング・スターの1位に君臨していた。なので、2人がカリフォルニアから列車で到着したニューヨークのセントラル・ステーションには1万人のファンが集まり、ニューヨーク市警の警官250名と刑事25名が警備に当たるという事態に。さらに、プレミア会場となったブロードウェイのキャピトル・シアターには1万5千人がチケットを求めて行列し、辺り一帯が騒然となったのだそうだ。いずれにせよ、同年末に封切られた『風と共に去りぬ』にしてもそうだが、今から90年近くも前にこれだけのスケールでこれだけの完成度を誇る、もはや見事としか言いようのない娯楽大作映画が作られていたという事実に、改めて感嘆を禁じ得ない。こういう映画を何本も作れるほどの国力を持った豊かな国に、我が日本はその数年後、無謀な戦争を仕掛けていくことになるわけだ。 ちなみに、本作が日本で封切られたのは’54年のこと。戦争のせいで15年も公開が遅れてしまった。筆者が初めて見たのは、確か大学生だった’80年代末頃だろうか。銀座の映画館でリバイバル上映が行われたのだ。その際に、日本封切時の劇場パンフレットの復刻版を手に入れたのだが、北の良い魔女グリンダを「北の仙女グリンダ」と表記していたり、登場人物の名前も「ドロシイ」だの「ヒッコリイ」だの「ヘンリイ伯父さん」だのと綴られており、いろいろと時代を感じさせるような記述が多くて誠に面白い。■ 『オズの魔法使』(C) Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2026.02.25
選択の代償を問う、ネオ・ノワールの臨界点――『悪の法則』
◆欲望の入口と、取り消せない過ち 2013年公開の『悪の法則』は、成功者が“ほんのささやかな選択”によって破滅へ転落する過程を、冷酷に描いた作品である。主演のマイケル・ファスベンダーが演じるのは、テキサスで成功を収めた弁護士。美しい婚約者ローラ(ペネロペ・クルス)との結婚を控え、裕福で洗練された生活を送っている。社会的地位も愛も手にした彼が、なぜ破滅へと向かっていったのかー? その発端はあまりに軽率で、あまりに人間的な欲望によるものだった。 すべてにおいて満ち足りていたはずの弁護士は、さらなる富を求め、彼はクラブ経営者ライナー(ハビエル・バルデム)の口利きで、メキシコからのコカイン密輸計画に出資する。仲介人ウェストレイ(ブラッド・ピット)は、「麻薬ビジネスに手を出した時点で後戻りはできない」と繰り返し警告する。だが皮肉にも、人に助言を与える立場の弁護士自身が、その忠告を聞き入れなかった。自分だけは例外だと信じ、成功者特有の合理性と自信が、危険を過小評価させていったのだ。 ◆作品を支配する喪失の“影” 2012年8月20日、ロンドンで『悪の法則』の撮影に入っていたリドリー・スコットは、ロサンゼルスからの一本の電話を受ける。それは弟トニーの妻から、夫が行方不明だという知らせだった。のちにトニー・スコットはヴィンセント・トーマス橋から身を投げ、自ら命を絶っていたことが判明する。突然の死、そして明確な理由のない別れ。スコットは後年、「人生最悪の週末の始まりだった」と、このことを振り返っている。 トニーは『トップガン』(1986)や『クリムゾン・タイド』(1995)など娯楽性に富んだ作品で知られる、ハリウッド屈指のヒットメーカーだった。兄にとって彼は単なる家族ではなく、映画人生を並走してきた同志でもあった。若き日、霧の立ちこめる丘陵地帯でロッククライミングをしたとき、運動神経に優れた弟が先に崖を登り、ロープを垂らして兄を引き上げたという思い出を、スコットは静かに語っている。力尽きかけた兄を、弟は摩擦で傷ついた手を顧みず支えた。その記憶は、二人の関係そのものを示している。 トニーが遺したメモには、明確な理由が記されていなかったという。数年来、病気と闘っていたことが後に明らかになるが、それが死に直結するものではなかった。なぜ彼が死を選んだのか、兄はいまも完全には受け止めきれていない。 それでもスコットは、9月3日に撮影現場へ戻ることを選んだ。創作を続けること。それが悲嘆と向き合う唯一の方法だったのかもしれない。『悪の法則』は“選択と結果”を描く物語だが、その製作過程もまた選択を余儀なくされた。喪失に沈むのか、映画を完成させるのか……。スコットは後者を選んだ。 本作の脚本を書いたコーマック・マッカーシーは、人間の運命を容赦なく見つめる作家である。スコットは以前から彼の熱烈なファンで、『ブラッド・メリディアン』の映画化を試みたこともあったが、そのあまりの残虐性に断念した経緯を持つ。やがてマッカーシー側から『悪の法則』の脚本が送られてくると、スコットは一気に読み終え、即座に映画化を決意した。構造の緻密さや台詞の力、そして救いのない虚無。それは彼にとって挑むべき世界だったのである。 だが完成した本作は公開後、評価は真っ二つに割れた。難解だ、感情移入できない、まるでフランケンシュタインの怪物のようだ、と苛烈な批評も浴びた。いっぽうで、その冷酷さと哲学性を支持する声もあった。後年は再評価の機運が高まり、本作はネオ・ノワール的な「神話」として捉えられるようになったのである。 前述したように、喪失を抱えたまま完成した本作には、世界を突き放す視線が宿る。劇中、登場人物たちはひっきりなしに語り続けているが、お互いを本当に理解することはない。言葉は交わされても、救済がもたらされることはない。それはあたかも、理由のわからない死に直面した者の“心象風景”を見るかのようだ。 弁護士の選択が破滅を招いたように、現実でも人は選択を迫られる。しかし人生には、理由の説明されない出来事がある。そこに因果を見出せないとき、人はどう振る舞うのか。スコットは創作を続けることを選んだ。映画という虚構を通じて、理不尽と対峙する道を。 また本作にはブラック・コメディ的な側面もある。ライナーの饒舌さや、ファム・ファタール(悪女)として機能するマルキナ(キャメロン・ディアス)の過剰なまでの象徴性、そして至妙に哲学的な会話劇。だがその滑稽さはやがて凄惨な現実へと呑み込まれていく。ウェストレイの公開処刑、恋人の無残な運命。観客は物語的な正義を期待するが、提示されるのは因果の冷徹な帰結だけだ。 思えばこの映画の製作過程そのものが、因果の物語だった。撮影中に弟を失いながらも、スコットは完成へと舵を切った。理由なき死と向き合いながらも、なお物語を語り続ける。その姿勢は、作品に漂う虚無と響き合う。世界は理解を拒み、善意を裏切り、理屈を超えて動く。それでも人は選択し続けるしかない。 『悪の法則』はフィクションだ。しかし、そこに描かれる麻薬戦争の残酷さや非情な報復の暴力は、現実世界の延長線上にある。司法も正義も届かない領域が存在するという事実を、本作は過剰なまでに可視化する。観る者は本能的にその世界を拒絶するだろう。しかし同時に、自らの日常が決して無縁ではないことに気づくはずだ。。 甘美な夢だけが映画体験ではない。優れた映画は、私たちの倫理観を揺さぶり、見たくない現実を突きつける。『悪の法則』は、バッドテイストをエンターテインメントとして消費させることなく、むしろ悪の構造を剥き出しにし、その中に私たち自身の影を映し出す。最後に残るのは救済ではなく選択の重さであり、人は自由であるがゆえに結果から逃れられない。その冷厳な真理こそが、本作が到達した“悪の法則”である。■
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COLUMN/コラム2026.02.03
ジム・キャリーとキャメロン・ディアス。 2人の大スターを生んだ、 “カートゥーン・アニメ”調実写映画 『マスク(1994)』
本作『マスク(1994)』のオリジンは、いわゆる“アメコミ”。「ダークホース・コミック」によって、82年からリリースされたシリーズが、その原作である。 アンティークの店で、木製の古いマスクを購入した男スタンリー・イプキスが、その禍々しいパワーに取り憑かれる。それまで抑圧された人生を送ってきた彼は、過去に自分を見下した人間を次々と襲撃。血生臭い、復讐を果していく。この原作には、“人体損壊=スプラッタ描写”が、横溢。クライマックスでの警察との対決では、斧からマシンガンまで駆使する“マスク”によって、多くの警官たちが血祭りに上げられる…。 物語の下敷きには「ジキルとハイド」もある、そんな「マスク」の映画化権を取得したのは、ニュー・ライン・シネマ。人の夢の中に登場する殺人鬼フレディ・クルーガーを主人公にした、ホラー映画シリーズ『エルム街の悪夢』(84~)で当たりを取った映画会社である。 そんな成り立ちもあって、『マスク』は当初、『エルム街…』に続く、新たな“スプラッタ・ホラー”のシリーズに仕立てられる筈だった。そこで起用されたのが、『エルム街の悪夢3 惨劇の館』(87)の監督、チャック・ラッセル。 「子供のころからコミックの店に通っていた」ラッセルは、「マスク」のコミックにも既に触れていた。「いい映画が撮れる話」だと思っていると、ニュー・ラインが権利を買い取ったという情報が流れてきて、やがて監督の依頼が届いたという。 『エルム街の悪夢3 惨劇の館』に続いては、SFホラー『ブロブ/宇宙からの不明物体』(88) を手掛けていたラッセルは、はじめはニュー・ラインのオーダー通り、『マスク』を“ホラー”として成立させるために呻吟。しかしやがて、「100パーセント、コメディ」にするという構想に至った。 主演の候補には、ロビン・ウィリアムズやマーティン・ショート、リック・モラニス、ニコラス・ケイジやマシュー・ブロデリックなどの名が挙がったという。しかし、「コメディ」にすると決めたラッセルには、意中の人がいた。映画俳優としては、まだ“駆け出し”だった、ジム・キャリーである。 ***** 大都市エッジ・シティ。お人好しで非モテの銀行員スタンリー・イプキスは、ストレスの溜まる毎日。口座を開きに訪れた、ゴージャスな美女のティナに、心奪われるも、アプローチなどできる筈もない。 その夜、親友のチャーリーに誘われ、ナイトスポット「ココ・ボンゴ・クラブ」を訪れるも、締め出されてしまう。その場で再会したティナが、この「クラブ」の専属歌手であることを知るも、為す術もなく帰路に。 惨めな思いで夜道を行くと、川面に人の姿が。救助のため川に飛び込むも、人に見えたのは、木製のマスクだった。 這々の体で帰宅したスタンリーを迎えるのは、愛犬のマイロだけ。ふと拾ってきたマスクが気になって、顔に当ててみると、それは彼の顔に張りつき、竜巻を起こす。 気付くと、グリーンの顔に、ズートスーツを身に纏った姿へと、変身!人間離れした能力を手にしたスタンリーは、街へ出て、それまでに彼を酷い目に遭わせた者たちへの“仕返し”を行う。 朝になって、昨夜の狂乱は夢かと胸を撫で下ろしたスタンリーだったが、ケラウェイ警部補の訪問を受け、大暴れした緑色の顔の男を、警察が追っているのを知る。 しかし、その夜も“変身”。金庫破りを行った“マスク”は、「ココ・ボンゴ・クラブ」へ、大金を持って乗り込んだ。 ステージに立つティナと歌って踊り、客席は熱狂の渦に。そんな“マスク”に、ティナもメロメロになる。しかし彼女は、実は暗黒街の大悪党ドリアンの情婦だった。 警察とギャングの双方から追われる立場になった、スタンリー。昼には、気弱な銀行員の姿に戻ってしまう、彼の運命は!? ***** スタンリーが拾ったのは、北欧神話に登場するイタズラ好きの神“ロキ”の魂が宿った、古代の“マスク”という設定。“ロキ”と言えば、現在ではMCUの『マイティ・ソー』シリーズ(2011~ )や『アベンジャーズ』(2012)などで、トム・ヒドルストンが演じた敵役を思い起こす人が多いだろう。 そんな“マスク”を偶然手に入れて、一体化。日常の抑圧から解放された、もう1人の自分へと変身するスタンリー役に、ラッセル監督が白羽の矢を立てたのが、ジム・キャリーだった。 1962年生まれのキャリーは、ロサンゼルスの名門コメディクラブ出身のスタンダップ・コメディアン。80年代初頭は、有名人のモノマネを軸とした芸風だったが、その後オリジナルのキャラクターを生み出すことに、専念するようになる。 キャリーが人気者となったのは、90年から放送された、FOXテレビの「イン・リヴィング・カラー」。この番組で様々なキャラを演じて、「90年代のジェリー・ルイス」などと、賞賛されるようになる。映画には、80年代から出演。尊敬するクリント・イーストウッドの主演作『ダーティハリー5』(88)『ピンク・キャデラック』(89)などで脇を固めていた。本作『マスク』は、初主演作の『エース・ベンチュラ』(94)の撮影が終わる頃に、契約。『エース・ベンチュラ』は大ヒットを記録するのだが、まだその結果が出る前だったため、本作のキャリーの出演料は45万ドルと、かなり低く抑えられている。 ラッセルの本作での狙いは、テックス・エイヴリーが監督した、“カートゥーン・アニメ”のような、実写映画を作り上げることだった。エイヴリーは、1930年代後期から50年代半ばに掛けて、ワーナー、MGMを中心としたスタジオで活躍したアニメ作家。100本以上を監督し、バックス・バニーやダフィー・ダックなど、今日でも有名なキャラクターを生み出している。これらのキャラは、ゴムのように伸び縮みしたかと思うと、ガラスのように砕けて粉々になったり、まるで鋼鉄の如く、カチカチに固くなったりもする。本作ではこうした動きを、最新のCG技術を使って、表現することに挑戦した。 その中心となったのは、『スター・ウォーズ』や『ジュラシック・パーク』などで、ハリウッドのVFXをリードしてきた、ILM=インダストリアル・ライト&マジック。キャリーは撮影の準備で、ILMに出向いて、写真テストを行った。 これはキャリーの顔が、CGでどんな風に伸ばせるか、どうイジれるかをはかるためのテストだった。その結論は、「何もやる必要がない」。“ラバー・フェイス=ゴムのように伸縮自在な顔”と異名を取った、キャリーの面目躍如だった。 撮影に入って、“マスク”を演じる際の特殊メイクでは、キャリー自身の表情が反映されるように、顔の動きに合わせて動くラテックスが使われた。“マスク”の真っ白な歯は、入れ歯。サイズが大きく喋りにくいので、当初は歯を強調するショットのみ使って、他はCG処理を行う予定だった。しかしキャリーが、入れ歯をしたままで話す方法を編み出したため、CGの使用は減少。製作費のカットにも繋がったという。 因みにこの特殊メイクには、毎回4時間ほどが費やされた。キャリーにとってその時間は、「役に入り込む助け」になったという。 キャリーのしなやかな身のこなしと顔芸は、CGと大変相性が良く、まさにテックス・エイヴリー調の名シーンが、次々と生み出された。高い所から飛び降りた“マスク”が、ペチャンコになったかと思えば、「クラブ」のシーンでは、ティナの歌い踊るのを目の辺りにした“マスク”が、興奮のあまり、心臓が飛び出し、目ん玉も飛び出て、更にはアゴが外れて地面に落ちてしまう。 “マスク”とティナの公園のデートシーンでは、ハート型の煙の輪に、マスクの鼻から出た煙の矢が当たる。実はこれ、現場でキャリーが思いついたアイディア。監督に話したら、「たぶんできるだろう」というわけで、採用になったのだという。 そんなこんなで、ジム・キャリーなしでは、とても成立したとはと思えない、本作『マスクからは、もう1人。後の大スターが生まれたことを、忘れてはいけない。 ティナ役の、キャメロン・ディアスである。 当初この役は、「マリリン・モンローの再来」と言われたアンナ・ニコル・スミスが有力候補だったが、ラッセルはピンと来なかった。そんな時、キャメロンのモデルとしての宣材写真を目にして、オーディションへと呼んだのである。 ラッセルは、演技的にはズブの素人だったキャメロンのオーディションを何度も重ねた上、キャリーと即興演技をさせて、その相性の良さを確信。プロデューサーを説得して、本作が初演技となる、キャメロンの起用を実現した。撮影当時21歳だったキャメロンにとっては、まさに大抜擢だった。 ラッセルに、「今まで一緒に働いた中でいちばんテクニックを持った俳優」と言わしめたのは、ジャック・ラッセル・テリアという犬種のマックス。彼はスタンリーの愛犬マイロ役で、ご主人様のピンチを救うべく、縦横無尽の大活躍を見せる。 本作は、94年7月にアメリカで公開すると、大当たり。翌95年2月に公開した日本でもヒットを飛ばし、2,300万㌦の製作費に対し、世界中で3億5,000万ドルを売り上げる大成功を収めた。 45万ドルだったキャリーのギャラは、次作からは700万ドルに跳ね上がった。 当然続編を待望する声も上がったが、11年後の2005年に製作された『マスク2』には、ジム・キャリーもキャメロン・ディアスも出ておらず、評判も最悪。興行的にも大コケとなり、今では「なかったもの」扱いされている。 ジム・キャリーは近年のインタビューで、「再びマスクをかぶるには何が必要か」と問われ、「誰が正しいアイデアを持っている人がいればいいですね。お金の問題ではないですよ…」などと、返答。『マスク』続編への出演を、前向きに考えるようになっていることが、伝えられている。 キャメロン・ディアスも、「ジムが参加するなら。だって私は最初から、彼らに便乗してちゃっかり成功したんだもの」と、キャリーとの再共演を待望するような発言をしている。 60代になったジム・キャリーと、50代のキャメロン・ディアスによる、30数年ぶりの『マスク』の続編。観たいような、観たくないような…。■ 『マスク(1994)』(C) MCMXCIV NEW LINE PRODUCTIONS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2026.02.02
シリアスな歴史ドラマと奇想天外なホラー・フィクションをマッシュアップしたアクション・エンターテインメントの快作!『リンカーン/秘密の書』
実はかなり安直だった原作の誕生秘話 「奴隷解放の父」とも呼ばれる第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンが、実は人間の血に飢えた凶悪な吸血鬼軍団と死闘を繰り広げるヴァンパイア・ハンターだった!という、歴史上の事実とフィクションを巧みに融合した奇想天外なホラー・アクション映画だ。原作はアメリカの作家セス・グレアム=スミスが’10年に発表したベストセラー小説「ヴァンパイアハンター・リンカーン」。そう、グレアム=スミスといえば、日本でも翻訳出版されて話題になったマッシュアップ小説「高慢と偏見とゾンビ」の作者である。 マッシュアップ小説とは、既存の有名な古典文学(主に著作権保護期間が切れたもの)などに、それとは全く異質なジャンルの要素(主にホラーやSF)を混合(マッシュアップ)させた小説形式のこと。その原点と言われるのが、ジェーン・オースティンの英国文学「高慢と偏見」にゾンビ要素を加えた「高慢と偏見とゾンビ」だった。’09年に出版された同作は、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・ランキングで3位を獲得し、後に映画化もされるほどの大ヒットを記録。これを契機に、同じくジェーン・オースティンの「分別と多感」とモンスター・ホラーを融合した「Sense and Sensibility and Sea Monsters」や、レフ・トルストイのロシア文学「アンナ・カレーニナ」とサイバーパンクを融合した「Android Karenina」、ルイザ・メイ・オルコットの女性文学「若草物語」と人狼ホラーを融合した「Little Women and Werewolves」など、似たような趣旨のパロディ的なハイブリッド小説が相次いで登場する。そして、それらを総称する「マッシュアップ小説」という単語が新たに生まれ、ちょっとしたブームの様相を呈したというわけだ。 その「高慢と偏見とゾンビ」が出版された’09年のこと。サイン会を行うために全米各地の書店を巡っていたグレアム=スミスは、どこへ行っても同じキャンペーンが展開されていることに気付く。それがエイブラハム・リンカーン大統領の関連書籍と、ヴァンパイアを主人公にしたステファニー・メイヤーのヤング・アダルト小説「トワイライト」シリーズおよびその映画版の関連書籍。ちょうど当時はリンカーン大統領の生誕200周年に当たり、なおかつ映画版『トワイライト』シリーズが空前の大ブームを呼んでいたことから、アメリカ中の書店がリンカーン大統領と「トワイライト」シリーズの特設コーナーを設けていたのである。そこでふと、リンカーンとヴァンパイアをマッシュアップしたら面白いのでは?と考えたことから生まれた企画が「ヴァンパイアハンター・リンカーン」だったのである。 いやはや、なんとも安直な発想ではあるのだが、しかしまあ、アイディアの生まれるきっかけというのは往々にしてそういうもんなのだろう。いずれにせよ、既に広く知られた歴史上の人物の伝記物語にホラー・フィクションの要素を融合するというのは、まさしくマッシュアップ小説の方程式を応用した手法と言えよう。似たようなことを考えた作家は他にもいて、イギリスのヴィクトリア女王が実は魔物ハンターだった!というA・E・ムーラットの小説「Queen Victoria: Demon Hunter」が一足早く登場。ロシアの文豪ゴーゴリが特殊能力を使って魔界絡みの難事件を解決していくというロシア映画『魔界探偵ゴーゴリ』(‘17~’18)三部作もコンセプト的には近いものがあるだろう。 そんな「ヴァンパイアハンター・リンカーン」の映画化企画が浮上したのは、なんとまだ小説を執筆している最中のこと。作者グレアム=スミスが出版社に提出した企画書を手に入れたティム・バートン監督とティムール・ベクマンベトフ監督、そしてプロデューサーのジム・レムリーの3人からオファーがあったのだ。ちょうど当時、シェーン・アッカー監督の長編アニメ映画『9~9番目の奇妙な人形』(’09)を共同プロデュースしたばかりだったバートンとベクマンベトフ、レムリーの3人。また一緒に仕事をしたいと考えた3人は、たまたま目にした「ヴァンパイアハンター・リンカーン」の企画書を読んで気に入り、自分たちの手で映画化しようと考えたのだそうだ。 小説を脱稿した直後から映画化企画は始動。当時はまだ映画の脚本など書いたことのないグレアム=スミス自身が脚色を手掛けることとなり、プロデューサー・チームとの打ち合わせを何度も重ねたうえで、原作本が出版される前にはすでに脚本の第1稿が完成していたという。その過程で、当初はプロデュースに専念するつもりだったはずのベクマンベトフが演出も兼ねることに。そう、民主化後のロシアで作られた最初のブロックバスター映画であり、公開当時は日本でも大いに話題となったダーク・ファンタジー映画『ナイト・ウォッチ』(’04)の監督である。もともとカザフスタン出身でロシア映画界を拠点にしていたベクマンベトフは、それゆえアメリカの歴史に関する知識はあまりなかったそうだが、しかし史実を踏まえながらも大胆で自由な解釈を盛り込んだ映画の監督としては、「固定概念に縛られない」という意味でむしろ適任だったかもしれない。 ちなみに、グレアム=スミスは本作よりも一足先に劇場公開されたティム・バートン監督のヴァンパイア映画『ダーク・シャドウ』(’12)でも脚本を担当しているが、しかし企画がスタートしたのは本作『リンカーン/秘密の書』(’12)の方が先だったようだ。 南北戦争はヴァンパイアからアメリカを守るための戦いだった!? 物語の始まりは1818年のインディアナ州。貧しい小作人の息子である少年エイブラハム・リンカーンは、残忍な農園主ジャック・バーツ(マートン・チョーカシュ)から暴行を受けている親友の黒人少年ウィル・ジョンソンを救おうとするが、しかしそれが原因で父親トーマス(ジョゼフ・マウル)が農園の仕事を解雇されてしまったうえ、多額の借金を今すぐ返済せよと迫られる。そんなことを言われても、払える金などないと突っぱねるトーマス。その晩、リンカーン一家の狭い家に怪しい人影が侵入する。暗闇で目を輝かせる不気味な人影の主はバーツ。寝ている母親ナンシーに忍び寄るバーツの姿を目撃する幼いリンカーン少年だったが、恐ろしさのあまり何もできなかった。翌朝、母親ナンシーは原因不明の病気を発症し、ほどなくして息絶えてしまう。 それから9年後。父親トーマスも逝去して天涯孤独の身になった青年リンカーン(ベンジャミン・ウォーカー)は、母親の仇を撮るべく宿敵バーツを殺そうとするのだが、しかし拳銃で顔面に銃弾を撃ち込んでもバーツは死なない。それどころか、牙を剥き出しにして異様な怪力で襲い掛かってくる。なんと、バーツの正体はヴァンパイアだったのだ。まさに間一髪のところ、リンカーンを救ってくれたのは謎めいたヴァンパイア・ハンター、ヘンリー・スタージス(ドミニク・クーパー)。そのヘンリーによると、かつてヨーロッパから北米大陸へ渡って来たヴァンパイアたちは、はじめのうちこそ先住民や入植者を餌食にしていたが、やがてアフリカ大陸から黒人奴隷が連れてこられると彼らを都合の良い餌として売買するようになり、いつしかアメリカ南部に自分たちの帝国を築いて北部へも進出し始めたのだという。ヴァンパイア帝国を率いるのは、5000年以上も生きながらえるヴァンパイアの帝王アダム(ルーファス・シーウェル)。バースはその手下にしか過ぎない。そうと知ったリンカーンは、ヘンリーの指導の下でヴァンパイア・ハンターとなることを決意する。 過酷な修行を経て一人前のヴァンパイア・ハンターとなったリンカーン。拳銃の扱いが苦手な彼は斧を武器として選ぶ。イリノイ州のスプリングフィールドへ移り住んだリンカーンは、ジョシュア・スピード(ジミ・シンプソン)の経営する雑貨屋に住み込みで働きつつ、昼間は弁護士を目指して勉学に励み、夜はヴァンパイア・ハンターとして活動。さらに、幼馴染の黒人青年ウィル(アンソニー・マッキー)とも久しぶりに再会する。そんな折、リンカーンは客として店を訪れた上流家庭の令嬢メアリー・トッド(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)と相思相愛の中に。ヴァンパイア・ハンターとしての素性を隠しつつ、彼はメアリーとの愛を大切に育んでいく。ところが、宿敵バースがメアリーを狙っていると知った彼は、いよいよバースと対峙して仇を取ることに成功。その際に、ヘンリーもまたヴァンパイアであることを知ることになる。かつて愛する女性をアダムに惨殺され、自身もヴァンパイアにされてしまったヘンリー。実は、ヴァンパイアは同じヴァンパイアを殺すことが出来ない。そこで、ヘンリーはヴァンパイア狩りを続けるために人間をハンターとしてリクルートしていたのだ。 一方、リンカーンがヴァンパイア・ハンターであることに気付いたアダムは、親友ウィルを拉致して南部へ連れ去り、自分の陣地へリンカーンをおびき出そうとする。信頼するジョシュアに秘密をすべて打ち明け、ウィルを救い出すべくニューオーリンズへ向かうリンカーン。激しい死闘の末にウィルの奪還に成功したリンカーンだったが、しかし勢力を拡大するヴァンパイア軍団からアメリカを守るためには、彼らの食料供給源を断って弱体化させねばならないと思い至る。つまり奴隷制度の廃止だ。そのためにウィルやジョシュアの力を借りて政治の道を志し、やがて第16代アメリカ大統領に就任したリンカーン。いよいよ、ヴァンパイア帝国の打倒を賭けた南北戦争の火ぶたが切って落とされる…! 荒唐無稽な題材だからこそ作り手の姿勢は大真面目に! リンカーンの人生における大きな出来事や関係者については史実を踏まえつつ、そこへヴァンパイア・ホラー的なフィクションの要素を加えていった原作者グレアム=スミス。例えば、リンカーンが9歳の時に母親ナンシーが若くして亡くなったのは事実だが、しかし死因は当時のアメリカで流行していたミルク病という病気であって、当たり前だがヴァンパイアに血を吸われたからではない。また、ウィル・ジョンソンもジョシュア・スピードも実際にリンカーンと関わりのあった実在の人物だが、しかしウィルはリンカーンの身の回りの世話をする従者であり幼馴染の親友だったという事実はないし、むしろ生涯の親友だったのはジョシュアの方なのだが、しかし彼もまた劇中のようにリンカーン大統領のブレーンを務めたという事実はない。もちろん、どちらもリンカーンと一緒にヴァンパイアと戦ったりもしていない(笑)。 ちなみに、ヴァンパイア軍団を率いる最強ヴァンパイア、アダムは、原作には登場しない映画版オリジナルのキャラクター。小説ではヴァンパイア全体が敵であって、特定のヴィランは存在しなかったのだが、しかし映画では物語をコンパクトにまとめる必要があったため、アダムという分かりやすいラスボスを登場させることにしたという。なので、映画終盤の大きな見せ場である機関車での戦いも、地下鉄道と呼ばれる実在した奴隷亡命組織も小説には出てこない。さらに言えば、幼馴染の黒人青年ウィルも原作には登場せず。反対に、原作では重要キャラのひとりだった作家エドガー・アラン・ポーや政治家ウィリアム・スワードの存在は、映画版だと脚色の過程で丸ごと削られてしまった。 そんな本作を演出する上で、ティムール・ベクマンベトフ監督が最も強くこだわったのは、正統派の歴史ドラマとして大真面目にストーリーを語ること。なにしろ、設定自体が極めて荒唐無稽である。だからこそ、あたかもこれが歴史的な事実であるかのような調子で正々堂々と取り組まなければ、ただ単にバカバカしいだけの与太話でしかなくなってしまうからだ。実際、この方向性は結果として大正解。一歩間違えれば安っぽいB級映画となってしまいかねない物語に説得力を与え、最終的にAクラスのブロックバスター映画として仕上げることに成功している。まあ、それに関してはブロックバスター級にデカい予算の金額も少なからず関わってくるだろう。そこでふと思い出すのは、本作と同じように南北戦争や奴隷制度にホラー要素を絡めたジョージ・ヒッケンルーパー監督の『キリング・ボックス』(’93)。あの映画も荒唐無稽な設定を大真面目な歴史ドラマとして描くことで、戦争や人種差別の愚かさを浮き彫りにせんとしており、その目論見自体は決して間違っていなかったのだが、いかんせん予算が少なすぎたせいでお粗末な仕上がりとなってしまった。やはり、映画にとって「潤沢な予算」というのは必要不可欠な要素ですな。 もちろん、ベクマンベトフ監督作品のトレードマークであるハードでクレイジーな格闘アクションと、流れるようにダイナミックな場面転換の面白さにも要注目。格闘アクションの振り付けは、ベクマンベトフ監督の盟友イーゴル・ツァイが率いるカザフスタンのスタントチームが担当し、ブラジルの有名な格闘技カポエイラの要素を取り入れたという。なぜカポエイラなのか?と疑問に思う向きもあるかもしれないが、実はもともとアフリカから南米へ連れてこられた黒人奴隷たちが編み出した格闘技とも言われているので、ストーリーの趣旨や歴史的背景を考えると理に適ったチョイスと言えるだろう。このような細かい点においても本作の制作陣は、とことん大真面目に題材と向き合い取り組んでいるのだ。■ 『リンカーン/秘密の書』(C) 2012 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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NEWS/ニュース2026.02.01
【開局20周年】20人のイケおじカタログ '26春
【開局20周年】20人のイケおじカタログ '26春 3/20(金・祝)~3/22(日)10:15~ほか 2005年12月1日に誕生した洋画専門チャンネルザ・シネマは、洋画ファンの熱い思いに支えられ開局20周年を迎えました。日頃のご愛顧に感謝して、2025年11月から2026年3月まで、「20」をキーワードにしたスペシャル編成や感謝プレゼント企画など様々な“開局20周年企画”をお届けしてまいります! 最終月の3月は、洋画界の「イケおじ」俳優カタログを作成!年を経て男の色気を醸し出す50代前後での出演作を集めました。激シブ、永遠の2枚目、いつまでも強い、など様々なタイプの「イケおじ」を観て元気を出そう! ①ジョージ・クルーニー 『シリアナ』© 2005 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved 3/21(土)16:35『シリアナ』https://www.thecinema.jp/program/07243 ②マッツ・ミケルセン ※画像右『悪党に粛清を』© 2014 Zentropa Entertainments33 ApS, Denmark, Black Creek Films Limited, United Kingdom & Spier Productions (PTY), Limited, South Africa 3/21(土)25:15『悪党に粛清を [R15+]』https://www.thecinema.jp/program/07186 ③ジェイソン・ステイサム 『オペレーション・フォーチュン』© 2023 MIRAMAX DISTRIBUTION SERVICES, LLC. ALL RIGHTS RESERVED. MOTION PICTURE ARTWORK © 2023 STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED. 3/22(日)18:55『オペレーション・フォーチュン』https://www.thecinema.jp/program/07141 ④リチャード・ギア 『プリティ・ブライド』© 1999 Paramount and Touchstone Pictures. All Rights Reserved. 3/20(金・祝)10:40『プリティ・ブライド』https://www.thecinema.jp/program/07156 ⑤ルイス・クー
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NEWS/ニュース2026.01.22
ワン・イーボー(王一博)日本劇場公開5作品コンプリート放送
ワン・イーボー(王一博)日本劇場公開5作品コンプリート放送 ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ 俳優・ダンサー・レーサーという三つの顔を自在に行き来し、ストイックさとカリスマ性を兼ね備えた中国エンタメ界のトップスター、ワン・イーボー(王一博)が出演する日本劇場公開映画5作品をザ・シネマでコンプリート放送! 話題作『FPU ~若き勇者たち~』を3月15日(日)にCSベーシック初放送!さらに3月22日(日)から24日(火)にかけて、トニー・レオンと共演したスパイサスペンス『無名』、短編映画『銀幕の友』、青春ダンスドラマ『熱烈』、スカイアクション『ボーン・トゥ・フライ』、の計5作品をお届け。日本劇場公開されたワン・イーボー出演作を、ザ・シネマでコンプリート放送! さらにこの放送を記念して、ワン・イーボー映画関連グッズが抽選で13名様に当たるプレゼントキャンペーンも開催! ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ 《放送作品情報》 『FPU ~若き勇者たち~』 ★CSベーシック初放送 放送日:【字】 3月15日(日)深夜1:50、23日(月)夜9:00 ほか[PG12]危険地域に派遣された部隊の運命は?『インファナル・アフェア』の監督が描く迫力アクション<監督>リー・タッチウ<出演>ホアン・ジンユー、ワン・イーボー、チョン・チューシー、オウ・ハオほか<解説>『インファナル・アフェア』3部作のアンドリュー・ラウが製作総指揮を務め、中国からアフリカの紛争地に派遣された警察部隊の死闘を描く。大量の爆弾を投じる大爆破や狙撃手同士の銃撃戦など迫力のアクション満載。 © 2024 Zhongzhong (Huoerguosi) Films Co., Ltd. & Wanda Pictures (Huoerguosi) Co., Ltd. All Rights Reserved 『無名』 放送日:3月22日(日)【吹】午前11:30 【字】夜9:00 戦時下の上海で熾烈な諜報戦が巻き起こる!トニー・レオン&ワン・イーボー競演のスパイサスペンス<監督・脚本>チェン・アー<出演>トニー・レオン、ワン・イーボー、ジョウ・シュン、ホアン・レイ、森博之ほか<解説>アイドルグループ「UNIQ」の人気者ワン・イーボーが、トニー・レオンとの競演で映画初主演。日中戦争下の上海を舞台にしたスパイたちの息詰まる攻防を、香港ノワールを彷彿とさせる闇と色気の映像美で描き出す。 Copyright 2023 © Bona Film Group Company Limited All Rights Reserved 『銀幕の友』 放送日:【字】 3月23日(月)夜8:25 ほか映画への愛を込めて──ある田舎町での静かな日常をノスタルジックに綴ったワン・イーボー主演の短編映画<監督・脚本>チャン・ダーレイ<出演>ワン・イーボー、ジョウ・シュンほか<解説>長編デビュー作『八月』で金馬奨の最優秀作品賞を受賞した、モンゴル出身の新鋭監督チャン・ダーレイによる短編映画。映画愛とノスタルジーに満ちた世界の中で、『無名』のワン・イーボーが静の演技を魅せる。 © Bingchi Pictures 『熱烈』 放送日:【字】 3月23日(月)夕方6:05 ほかダンス競技ブレイキンで頂点を目指せ!ダンスの醍醐味と若者の情熱がほとばしる中国発の青春ドラマ<監督・脚本>ダー・ポン<出演>ワン・イーボー、ホアン・ボー、リウ・ミンタオ、シャオ・シェンヤンほか<解説>パリ五輪で新種目となり話題を集めたダンス競技ブレイキンをテーマに描く青春映画。アイドルグループ「UNIQ」に所属し『無名』で映画初主演を果たしたワン・イーボーが、本格的なブレイキンで魅了する。 © Hangzhou Ruyi Film Co., Ltd. 『ボーン・トゥ・フライ』 放送日:【字】3月24日(火)夕方6:45 ほか★スカパー!無料放送(3月1日(日)深夜2:00)でもご覧いただけます!これぞ中国版『トップガン』!新世代ステルス戦闘機テストパイロットの成長を描くスカイアクション<監督・脚本>リウ・シャオシー<出演>ワン・イーボー、ユー・シー、チョウ・ドンユイ、フー・ジュンほか<解説>アイドルグループ「UNIQ」に所属し『無名』で映画初主演を飾ったワン・イーボーが、成長途上の戦闘機テストパイロットを熱演。戦闘機の撮影経験が豊富なリウ・シャオシー監督によるリアルな飛行シーンは必見 © 2023 Shanghai PMF Pictures Co., Ltd. & Mr. Liu Xiaoshi ワン・イーボー日本劇場公開5作品コンプリート放送記念プレゼントキャンペーン 放送を記念して、ワン・イーボー出演映画の関連グッズを抽選で13名様にプレゼント! ■賞品映画『FPU 若き勇者たち』ブロマイド&パンフレット・・・5名様映画『無名』トートバッグ・・・1名様映画『熱烈』B1ポスター・・・2名様映画『熱烈』プレスシート・・・3名様映画『銀幕の友』B1ポスター・・・2名様 ■応募期間:2026年1月22日(木)12:00〜3月31日(火) 23:59 応募はこちら
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COLUMN/コラム2026.01.20
撮影監督ロジャー・ディーキンス、伝説に挑む ―『ブレードランナー 2049』
◆続編を引用しない設計――『ブレードランナー 2049』撮影思想の出発点 『ブレードランナー 2049』の撮影設計において、同作の撮影監督であるロジャー・ディーキンス(ASC, BSC)が最初に確立したのは、この続編を1982年版『ブレードランナー』の視覚的延長として扱わないという明確な方針だった。連続性がある以上、オリジナル作品のビジュアル言語を参照することは避け難いが、ディーキンスはそれを意識的に排除し、「2049年という時間を新たに構築する」ことを優先している。 この判断はスタイル論ではなく、制作工程全体に関わる設計思想といえるだろう。オリジナルがフィルム撮影や実景合成、ミニチュアや光学処理によって成立していたのに対し、『ブレードランナー 2049』は完全なデジタル撮影とVFX統合を前提とした時代の産物だ。ディーキンスは両者を無理に接続することを拒み、技術的条件の異なる映画を、視覚的ノスタルジーによって結びつけることを回避した。 プリプロダクション段階では、監督であるドゥニ・ヴィルヌーヴ、プロダクションデザイナーのデニス・ガスナーと密に連携し、建築物を中心としたリファレンス収集が行われた。北京の高密度都市、ロンドンのブルータリズム建築、バービカン・センタやサウスバンク・センターといった実在の構造物は、未来的造形のヒントというより、管理社会における空間の圧迫感と人間の孤立を可視化するためのモデルとして機能している。 ディーキンスの過去作を振り返ると、『ノーカントリー』(2007)では風景が暴力を語り、『プリズナーズ』(2013)では閉塞した郊外空間が心理的圧力として作用し、『ボーダーライン』(2015)では国境地帯の地形そのものが物語の緊張を生成していた。いずれも共通しているのは、環境を説明的に撮るのではなく、フレーミングと光によって物語構造を支えるという姿勢だろう。 『ブレードランナー 2049』においてもその方法論は踏襲されているが、スケールは飛躍的に拡張されている。未来都市を俯瞰するショットは必要最低限に抑えられ、人物に対する中距離〜近距離のショットが視覚構造の中心を占めている。巨大な建築物は背景として存在するものの、それはスペクタクルを誇示するものではなく、キャラクターを囲い込み、分断する装置として機能している。 このように『ブレードランナー 2049』の撮影設計は、続編でありながら過去作を参照とせず、ディーキンス自身が長年培ってきた「空間と人物の関係性を撮る」という思想を、最大規模のSF映画に適用する試みとして出発している。本作の革新性は、技術的選択以前に、この設計段階での明確な切り分けにあったと言えるだろう。 ◆撮影主導型ワークフロー――フォーマット選択と照明設計の実際 『ブレードランナー 2049』の撮影における最大の特徴は、VFX比率の高い大作でありながら、ポストプロダクションに主導権を委ねない撮影主導型ワークフローが徹底されている点にある。ロジャー・ディーキンスは本作においても、撮影段階で画調と質感を確定させるという原則をいっさい崩していない。 カメラシステムにはArri Alexa XT Studio、Alexa Plus、Alexa Miniが併用され、すべてオープンゲートで収録された。一般的な2.39:1前提の撮影とは異なり、本作では1:1.55のフルフレーム比率を基準とし、IMAX版(1:1.70〜1:1.90)への展開を内包したフレーミングが行われている。これは単なる上映フォーマット対応ではなく、画面内の垂直方向情報を積極的に活用するための設計であり、巨大建築と人物のスケール差を強調する効果を生んでいる。 Arri 65の使用も検討されたが、最終的には見送られている。ディーキンスは、センサーサイズの大きさがもたらすスペクタクル性よりも、被写体との距離感、レンズ運用の自由度、機動性を優先した。レンズにはArri/Zeiss Master Primeが選択され、絞りを開きすぎないことで被写界深度を一定以上に保ち、セットの空間構造を画面内に残している。これは人物を背景から切り離すのではなく、環境に埋め込むという本作の視覚方針と直結している。 照明設計においては、美術セットと一体化した建築的ライティングが採用された。ウォレス社内部のシークエンスでは、10kWフレネルを円環状に配置した回転式照明装置、あるいは水面反射やディマーチェイサー制御を組み合わせることで、無窓空間に擬似的な太陽光の移動を再現している。光源は常にフレーム外に存在し、壁面や床に投影される反射と影のみが画面に現れる。この設計により、巨大空間に時間軸とリズムが与えられ、単調さが回避されている。 DIT(デジタル・イメージング・テクニシャン)の運用においても、ディーキンスは過度な柔軟性を排している。使用されたLUT(ルックアップテーブル)は『ボーダーライン』で構築したものを基礎とし、コントラストと彩度を抑えた状態で現場モニターに反映された。これにより、撮影・照明・美術・VFXの各部門が完成形に近い画を共有しながら作業を進めることが可能となった。ポストプロダクションでのカラーグレーディングは補正的な役割にとどまり、ルックの再構築は行われていない。 このように『ブレードランナー 2049』の撮影プロセスは、デジタル技術を前提としながらもフィルム時代的な「現場完結型」の思想を高度にアップデートしたものだと言える。ディーキンスは本作において、最新の撮影環境を用いながら、撮影監督が映像設計の最終責任者であるという立場を明確に示しているのだ。 ◆空間と色彩の統合設計――VFX最小化思想と『1917 命をかけた伝令』への技術的連続 『ブレードランナー 2049』におけるロジャー・ディーキンスの最大の成果は、VFX依存度の高いSF大作において、実写空間を最終成果物として成立させる統合設計を完成させた点にある。本作のビジュアルは撮影・美術・照明・VFXが並列に存在するのではなく、撮影を基軸として厳密に階層化されている。 ディーキンスは一貫して、グリーンスクリーン使用の最小化を主張した。ラスベガスの荒廃都市に巨大彫像群、ウォレス社内部やKのアパートといった主要ロケーションの多くは、物理的セットや実景背景幕、そして実照明を基礎として構築されている。CGは主に建築物の延長、遠景の補完、ホログラム表現といった不可避領域に限定され、光源としての役割はほとんど担っていない。この方針により、VFXは撮影された光を拡張する存在に留まり、光そのものを生成する立場から排除されている。 色彩設計においても、ポストでの自由度は意図的に狭められた。ラスベガス・シークエンスにおける極端なアンバー〜オレンジ支配は、照明用ゼラチン(Moroccan Pink、Golden Amber等)とレンズ前フィルターによって撮影段階で決定されている。ディーキンスはこの画調を完成形として現場で確定させ、カラーグレーディングでは輝度と階調の整理にとどめた。これはデジタル撮影時代において極めて異例なアプローチであり、撮影監督の判断をポスト工程よりも上位に置く明確な意思表示でもある。 ホログラム表現、とりわけジョイ(アナ・デ・アルマス)の存在感は本作のVFX思想を象徴している。ディーキンスは透明度や発光量を極限まで抑え、「存在しないことがわかる程度」に留める設計を選択した。実際の女優をセット内で撮影し、背景プレートとの合成を前提にすることで、照明条件の一致と質感の統一が確保されている。これは、後年におけるデジタル・スティッチングにも通じる考え方であり、VFXを成立させるために撮影を合わせるのではなく、撮影の論理にVFXを従属させる姿勢が一貫している。 この思想は『1917 命をかけた伝令』(2019)において、さらに先鋭化する。疑似ワンショット/ワンテイク構造を成立させるために、照明、カメラワーク、そして美術や演出が完全に同期する必要があった同作では、ディーキンスはVFXを縫合装置としてのみ使用した。『ブレードランナー 2049』で確立された、現場で完結する露出管理や色彩決定、照明リズムの設計がなければ、『1917 命をかけた伝令』の撮影は成立しなかったと言っていい。 『ブレードランナー 2049』は、ディーキンスのキャリアにおける到達点ではない。フィルム的な思考をデジタル環境で再定義し、撮影監督の職能を再び映画制作の中核へ引き戻したという点で、本作は明確な転換点である。視覚的な壮観さの背後には、徹底した工程管理と撮影という行為への揺るぎない信念が存在している。それこそが、本作が単なる続編ではなく、21世紀映画撮影の指標として語り継がれる理由なのだ。■ 『ブレードランナー 2049』(C) 2017 Alcon Entertainment, LLC. All Rights Reserved.