COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
-
COLUMN/コラム2025.08.08
『ドミノ』=ハイコンセプトな心理スリラーの成立
「この作品のストーリーとタイトルは、ヒッチコック監督の『めまい』から着想を得ている。『ドミノ』のアイデアは、ロバートが“ヒッチコック風の映画を作りたい”と言ったことから始まったんだ。彼は“もしヒッチコックのキャリアが続いていたら、次にどんな作品を手がけていただろう”と考えたんだ」(※1) レヴェル・ロドリゲス(『ドミノ』作曲家。ロバート・ロドリゲスとプロデューサーの実子) ◆SF大作から、ウェルメイドな特殊能力映画へ ハリウッドが持つ資本力と高度なテクノロジーを最大限に活かし、日本の人気コミックを原作とする『アリータ:バトル・エンジェル』(2020/以下『アリータ』)を手がけた監督ロバート・ロドリゲス。ジェームズ・キャメロン(『アバター』シリーズ)が長年抱え続けてきた企画を実現させ、デジタルシネマの第一人者としてキャメロンの希求に応えたロドリゲスだったが、そんな彼が次回作に選んだ本作『ドミノ』は、『アリータ』とはじつに対照的な、小規模で実写ベースの心理スリラーだ。 だがプロットと物語は、かなりツイストの利いたものになっている。ベン・アフレック演じるオースティン警察の刑事ダニー・ロークは、3年前に7歳の娘ミニーが行方不明になり、自責の念を抱え続けていた。 ある日、そんな彼のもとに銀行強盗が計画されているというタレコミが入り、ダニーはその捜査に加わる。だが、現場に現れた謎の男(ウィリアム・フィクナー)を主犯と断定して追い詰めると、同行した警官が暗示をかけられたようにお互いを撃ち殺し、男は屋上から飛び降り姿を消してしまうー。 ダニーは逃走した人物の素性を知るべく、タレコミを入れた占術師ダイアナ(アリシー・ブラガ)に助けを求める。高度な読心能力を持つ彼女によれば、その謎の男はレブ・デルレーンといい、「ヒプノティクス」と呼ばれる精神操作で他者を意のままに操る、ダイアナと同じ秘密政府機関に所属していたというのだ。 映画はこうした出だしに始まり、ダニーは特殊能力で人を操る、脅威的な犯罪者との戦いを強いられていく。その過程で現実と錯覚の境界を揺さぶる世界へと踏み込み、彼は「現実そのものが仕組まれた幻なのでは?」という疑念へと追いやられていく。 ◆『めまい』に触発されて生まれた企画 本作のアイディアは、ロドリゲスがアルフレッド・ヒッチコックの古典的ミステリー『めまい』(1958)の1996年復元版を観たことが着想の起点だと語っている。同作は高所恐怖症の元刑事が、死んだ恋人とそっくりな女性に執着し、現実と虚構の狭間で憔悴していくサスペンスのマスターピースだ。ロドリゲスは35mmフィルム2倍の撮像領域を用いて高画質を得る「ヴィスタヴィジョン」を再現した高精細映像バージョンで『めまい』に触れ、創造力を大いに刺激されたのだ。 事実、『ドミノ』は『めまい』と、テーマやドラマ構造において似た点を持つ。主人公の認識の歪みや、幻想と現実の錯綜、失った愛する者への執着など、まさしく同じものを共有している。 しかしいっぽうで、『ドミノ』はロドリゲスらしさを強く主張する。たとえばストーリー前半の展開が後半にかけ、展開が意外な方向へと転じていく本作の構造は、彼が1996年に発表した『フロム・ダスク・ティル・ドーン』を彷彿とさせるものだ。本作も前半が犯罪スリラー、そして後半が吸血鬼ホラーとジャンルを越境していくサスペンスアクションで、『ドミノ』成立の布石として関係性を指摘できる。さらに視野を拡げれば、限られた制作条件をアイディアと表現力でカバーする姿勢は、7000ドルという低予算で制作された快作アクション『エル・マリアッチ』(1992)に通底するものだ。 なにより現実と見紛うバーチャル領域に誘導し、主人公を翻弄するこの映画の世界観そのものが、デジタルのマジックで我々をあざむくロドリゲスの演出スタイルを換言したものといえるだろう。 ◆ヒッチコックの嫡流、デ・バルマと共有する世界 それにしても、この『ドミノ』の、巧妙に人をサプライズへと導く手の込みようは尋常ではない。主役のダニー・ローク刑事を演じるベン・アフレックは、今やバットマン/ブルース・ウェインを当たり役に持つ人気俳優であり、おそらく誰もが本作で、彼は悲壮なヒーローを最後までまっとうするものと信じて疑わないだろう。いっぽうダニーを翻弄するトリックスターとして存在感を放つウィリアム・フィクナーは、『ダークナイト』(2009)でジョーカーにシマを荒らされるマフィアの構成員(表向きは銀行マン)が印象的で、その風体にはやがうえにもヴィランのタッチが染み付いている。こうした俳優のパブリックイメージも『ドミノ』の、物語を反転させる高等トリックの成立に一役買っているのである。 さらに面白いことに、『ドミノ』はヒッチコックはもとより、氏の嫡流であるサスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマの諸作と似たテイストを共有している。たとえば娘を誘拐されたことに脅迫観念を抱くダニーのキャラクター像は、デ・パルマが『めまい』に触発されて手がけた『愛のメモリー』(1976)の主人公マイケル(クリフ・ロバートソン)に同種の傾向が見られるし、政府の秘密機関が特殊能力者を手札にしようとたくらむ本作の中心的プロットは、デ・パルマが名優カーク・ダグラス主演で撮った超能力スリラー『フューリー』(1992)と異曲同工な印象を与える。むろんロドリゲスがこれらのテイストを拝借したのではなく(引用の意図は少なかれあったのかもしれないが)、ヒッチコックを創造の親とする彼らの作品が同じ轍を踏むところ、それは宿命的であり、作品がそう深掘りできる要素を含んでいるのを指摘したまでのことだ。 また前述でフィクナーの名を出す関係上『ダークナイト』に触れたが、同作の監督クリストファー・ノーランがハイコンセプトな諸作を連投してきたことが、ロドリゲスの先鋭的なたくらみに観客がすんなりと入り込めるベースを作っている。時間をさかのぼる編集で事件の真相に迫っていく『メメント』(2000)や、順行時間と逆行時間勢力の衝突を描いたタイムSF『TENET テネット』(2020)など、こうした先行者たちの野心的な試みが、奇異極まる『ドミノ』の存在を正当化させるのだ。偶然にも時空の歪みを捉えた同作の視覚表現が、夢の争奪戦を描いたノーランのスパイアクション『インセプション』(2010)のいくつかを連想させ、前掲のような論証への展開をうながしていく。 ◆なぜ『ドミノ』なのか? ちなみに、この映画の原題は先に触れた、人の心を操る「ヒプノティクス」(催眠)が本来のタイトルで、『ドミノ』は日本で独自につけられたものだ。ポスタービジュアルではベン・アフレックの背後にドミノ倒しの画像があしらわれており、それが影響して『ドミノ』が原題だと思っている人も少なくない。ご丁寧にも、このドミノ倒しの映像は劇中にも登場し、相手の心を圧倒的な能力で支配するヒプノティックを、ドミノ効果を持ち出して解説までしている。 しかも、このドミノは物語のサプライズ的な要素を含んでおり(それに関してここでは詳述を控えたい)、原題のわかりにくさをカバーする目的とはいえ、じつに秀逸な邦題だ。 なにより、この『ドミノ』というタイトルは、文頭のレヴェル・ロドリゲスが語るところの、本来のタイトルの目的を破壊することなく換言している。いわく、 「ヒッチコックは常に印象的な一語タイトルを得意としていた。『白い恐怖“Spellbound”』(1945)『めまい“Vertigo”』『サイコ“Psycho”』(1960)のようにね。「ヒプノティクス“Hypnotic”」というタイトルは彼にとって、すぐに浮かんだ素晴らしいアイデアだった。ただ問題は、ロバートがそのタイトルが何を意味するのか、それを必死に考えなければならなかった点だ」(※2) (※1)(※2)“Hypnotic” Composer Rebel Rodriguez on Scoring The Robert Rodriguez/Ben Affleck Head-Trip Thriller(https://www.motionpictures.org/2023/05/hypnotic-composer-rebel-rodriguez-on-scoring-the-robert-rodriguez-ben-affleck-head-trip-thriller/) 『ドミノ』©2023 Hypnotic Film Holdings LLC. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2025.08.04
青春ドラマとしても秀逸な‘80年代のスラッシャー映画を代表する傑作!『エルム街の悪夢』
ホラー映画ブームを牽引したスラッシャー映画群 空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代のハリウッド。その背景には特殊メイクの技術革命と、ホームビデオの普及によるビデオソフト・ビジネスの興隆があったとされる。日進月歩で進化する特殊メイクは、かつてなら作り物然としていたモンスターの造形やスプラッター描写にリアリズムをもたらし、人々はより刺激の強い恐怖と残酷を求めるようになる。その結果、リック・ベイカーやトム・サヴィーニ、ロブ・ボッティンといった特殊メイク・アーティストたちが映画の看板としてスター扱いされるように。しかも、テレビ放送ではカットされる過激な恐怖シーンもビデオソフトならノーカットで楽しめるため、おのずとホラー映画の主な二次使用先はテレビからビデオへと移行。さらに、折からのビデオレンタル・ブームがホラー映画人気を後押しした。ゾンビからエイリアン、オカルトから狼男まで様々なサブジャンルがホラー映画の黄金時代を彩ったわけだが、中でも特にブームを牽引する存在だったのは「スラッシャー映画」である。 別名「ボディ・カウント映画」とも呼ばれ、凶暴で凶悪な殺人鬼が罪もない人々(主に能天気でチャラチャラした若者)を片っ端から血祭りにあげていく、その手を変え品を変えの人殺しテクニックでファンを熱狂させたスラッシャー映画群。ブームのルーツはジョン・カーペンター監督の『ハロウィン』(’78)とされているが、しかし起爆剤となったのは間違いなくショーン・S・カニンガム監督の『13日の金曜日』(’80)であろう。それまでのホラー映画というのは、あえて肝心な部分を見せないで不安や恐怖を盛り上げるというのが優れた演出のお手本とされた。特にメジャー・スタジオの映画は品位を保つため、血みどろ描写を見せすぎないことが暗黙のルール。ところが、パラマウント配給の歴然たるメジャー映画だった同作は、残酷な殺人シーンを細部まで見せまくって世界中に大きな衝撃を与えたのである。 関係者の予想をはるかに上回る大ヒットによって、即座にシリーズ化が決定した『13日の金曜日』。たちまち似たようなスラッシャー映画が大量生産されるようになる。しかも、2作目で初登場した連続殺人鬼ジェイソンがまたインパクト強烈で、おのずと第2・第3のジェイソンを狙った有象無象の殺人鬼たちがスクリーンで大暴れ。しかし、急速に盛り上がったブームは醒めるのも早く、ほどなくしてスラッシャー映画は飽和状態に陥ってしまう。そこへ現れたのが、カニンガム監督の愛弟子であるウェス・クレイヴン監督の『エルム街の悪夢』(’84)。夢の中で殺されると本当に死んでしまうという発想の斬新さも然ることながら、夢の世界を支配する変幻自在の殺人鬼フレディ・クルーガーというユニークなキャラクターの独創性、夢だからこそ何でもありの想像力豊かな恐怖シーンの面白さが大いに受け、製作費100万ドル強の低予算映画ながら全米興収5700万ドルを超える大ヒットを記録。傾きかけたスラッシャー映画の人気再燃に大きく貢献することとなったのだ。 少年少女の悪夢に巣食う殺人鬼フレディの正体とは? 舞台はアメリカ中西部の閑静な住宅地エルム街。女子高生ティナ・グレイ(アマンダ・ワイス)は、夜な夜な見る奇妙な悪夢に悩まされていた。鋭利な鉄製の爪がついた手袋をはめた、焼けただれた顔の不気味な男に追い掛け回されるという夢だ。しかも、夢の中で男にネグリジェを切り裂かれたところ、目が覚めると本当にネグリジェがズタズタとなっている。寝ている間に自分で裂いてしまったのか、それとも…?夢を恐れるあまり寝不足となった彼女は、そのことを学校の友人たちに打ち明けたところ、親友のナンシー(ヘザー・ランゲンカンプ)やその恋人グレン(ジョニー・デップ)もまた、同じ男の夢を見ていると知って驚く。 ある晩、ティナの母親がボーイフレンドとの旅行で家を留守にしたため、ひとりでは怖くて夜を過ごせないという彼女のため、ナンシーとグレンがティナの家に泊まることとなる。そこへ、ティナと付き合っている不良少年ロッド(ニック・コリ)が登場。ひとしきりセックスを楽しんだ後、ロッドと一緒に自室で寝ていたティナの夢に再び不気味な男が現れ、いよいよネグリジェだけではなく彼女の肉体を切り裂き始める。ベッドの中でのたうち回り、助けを求めて叫びながら血まみれになるティナ。驚いて飛び起きたロッドの目には、ひとりでもがき苦しむティナの姿しか映らず、何か得体のしれない力によって彼女が殺される様子をただ見ていることしかできなかった。ティナの悲鳴を聞いて駆けつけたナンシーとグレン。ドアを開けた2人はティナの無残な遺体を発見する。 警察は現場から逃走したロッドを殺人の容疑者として指名手配。捜査の責任者はナンシーの父親であるドナルド・トンプソン警部(ジョン・サクソン)だ。ナンシーの両親は離婚しており、彼女は母親と一緒に暮らしているのだが、母親マージ(ロニー・ブレイクリー)はアルコール中毒を抱えていた。しばらく学校を休んでいいというけど、こんな家に居たって気分が滅入るだけ。そう考えたナンシーが登校しようとしたところ、身を隠していたロッドが助けを求めて姿を現し、このチャンスを狙っていたトンプソン警部がロッドを逮捕する。自分を囮に使った父親へ腹を立てるナンシー。それに、いくら不良少年とはいえ、根は善良なロッドが人を殺すとは到底思えなかった。しかも、授業中に気付かぬうち眠ってしまった彼女は、夢の中であの不気味な男に襲われ、間一髪のところで目が覚める。夢の中でわざと火傷を負って、その痛みで眠りから覚めたのだが、気が付くと本当に火傷を負っていて驚くナンシー。夢の中で起きたことが現実になる。だとすれば、ティナを殺した犯人はロッドではなく夢に出てくる男かもしれない。 やがて留置所に入れられたロッドが不可解な死を遂げ、思い余ったナンシーは「夢の中に出てくる男」について両親に打ち明ける。そんなバカバカしい話が現実にあるわけない。寝不足のせいで変な妄想に取りつかれているのではないか。ろくでもない友達に影響されたのだろう。娘の切実な訴えに全く耳を貸さず、むしろ正気を疑うナンシーの両親。ところが、ナンシーから「夢の中の男」の特徴を聞かされた彼らは思わず狼狽する。それは、かつてエルム街の子供たちを次々と殺害し、法の裁きを逃れようとしたためエルム街の親たちによって始末された連続殺人鬼フレディ・クルーガー(ロバート・イングランド)だったのだ…! フレディの人物像や作品の世界観に影響を与えた監督の生い立ち 誰もが寝ている間に見る「夢」。しばしば恐ろしい悪夢を見るという人も少なくないだろう。もしも、その夢の中で起きた出来事が現実世界にも物理的な影響を与えるとしたら、夢で殺された人間が実際に死んでしまうことだってあり得るかもしれない。人間なら誰でも身近に感じる「夢」を、恐怖の根源としたことが成功の一因。しかも、本作では人が夢を見るプロセスや仕組みを正確に踏まえ、現実と似て非なる不条理な「悪夢」の恐怖世界を見事に映像化している。なかなか言葉では説明しづらい夢と現実の曖昧な境界線を、ちょっとした違和感や肌感覚の違いで表現していく映像センスの鋭さに舌を巻く。これは演出家の感性はもちろんのこと、撮影監督の技術力に負うところも大きいだろう。 さらには、自我に目覚め始めた思春期の繊細な若者たちが抱える不安と迷い、そんな我が子をいつまでも子ども扱いしようとする親たちとの深い溝といった、古今東西のどこにでもある普遍的なテーマをきっちりと描いた脚本の妙も見逃せない。しかも、親たちは子供を子供として過小評価し、なおかつ後ろめたい思いもあって重大な事実を隠していたため、大切な我が子らの命を危険にさらしてしまう。そう、かつて自分たちが手にかけた連続殺人鬼フレディ・クルーガーの存在だ。 性教育などはまさしくその好例だと思うが、大人が子供に必要な知識を与えないと不幸な結果を招くことになりかねない。未成年の望まぬ妊娠や性病感染などは知識不足が主な原因だ。子供の身を守りたいのであれば「知識」こそが最大の武器。そこにタブーがあってはならないのだが、しかし過保護な親ほど「子供にとって必要な知識と必要でない知識」を勝手に選別してしまう。そもそも、親とて所詮は長所も短所もある普通の人間。決して完ぺきではないし、常に頼りになるとも限らない。そのことに気付いたナンシーは腹をくくり、自分で自分の身を守るべく殺人鬼フレディに一人で立ち向かっていく。親から守られてきた子供が自立した大人へと成長する過程を、これほどの説得力で描いた作品もなかなかないだろう。 もちろん、冷酷非情な残酷さの中に奇妙なユーモアと愛嬌を併せ持つ殺人鬼フレディのユニークな個性、低予算ながら創意工夫を凝らした特殊メイクや想像力の限りを尽くした恐怖演出の面白さも功を奏したと思うが、しかしやはりどんなジャンルの映画であれ何よりも重要なのは脚本。思春期の悩みや親子間の溝などの普遍的な題材を描いた青春ドラマとして、本作がターゲットである若年層の観客から大いに支持されたであろうことは想像に難くない。実際、日本公開当時に高校生だった筆者は、主人公ナンシーの精神的な成長に我が身を重ねて共感しまくりだった。だからこそ世界中で大ヒットしたのだろうと強く思う。 ちなみに、『エルム街の悪夢』は’70年代末に起きた実際の出来事が元ネタになっているという。当時、ポル・ポト派の虐殺を逃れた若いモン族の移民男性らが、相次いで睡眠中に亡くなるという事件が発生。この不可解な現象をロサンゼルス・タイムズの記事で知ったクレイヴン監督は、中でも最後に読んだ記事のケースが強く印象に残ったという。それは難民キャンプにいた若者。誰かに殺されるという悪夢に悩まされていた彼は、恐怖のあまりもう2度と眠らないと家族に宣言。医者である父親が処方する睡眠薬も密かに捨てていた。しかし、寝ないにしても限度というものがある。ある晩、いよいよ寝落ちしてしまった彼を家族は寝室へ運び、ホッと胸をなで下ろしたのもつかの間、深夜になって叫び声が聞こえたので寝室へ駆けつけると、若者は既に事切れていたのだそうだ。この事件をヒントに生まれたのが、「夢の中で殺されると本当に死んでしまう」という本作の基本コンセプトだった。 殺人鬼フレディの名前は子供の頃のいじめっ子から拝借。クルーガーというドイツ風の苗字は、ナチスを連想させるという理由で採用したらしい。ただし、フレディというキャラクター自体は男性特有の破壊的な傾向、つまり「有害な男性性」の象徴だという。「男というのは守り育てるのではなく壊したがる」と語るクレイヴン監督。そこには、恐らく暴君だった彼自身の父親のイメージが映し出されているのかもしれない。厳格なバプテスト信者の家庭に育ったクレイヴン監督は、タバコやアルコールやダンスはもちろんのこと、映画もまた「悪魔の娯楽」として固く禁じられていたため、大人になるまで映画を見たことがなかった。中でも6歳の時に亡くなった父親は短気で暴力的な人物だったらしく、子供ながらにいつか本当に殺されると怯えていたそうだ。「フレディには危険な父親のイメージが重なる」というクレイヴン監督。そのうえで、「若さへの嫉妬と嫌悪」という中高年男性の典型的な思考パターンをフレディに投影したという。つまり、殺人鬼フレディは「純粋で未来のある若者が憎い」という妬みを原動力に凶行を重ねるのだ。恐らく、本作に出てくる大人たちが子供に対して無理解で独善的なこと、特に父親たちが偏見まみれで頑固で身勝手なのも、そうした監督自身の実体験を基にした大人像や父親像が大きく影響しているように思う。 劇場公開までの苦難の道のり 脚本が出来上がったのは’81~’82年頃(諸説あり)。既に『鮮血の美学』(’72)や『サランドラ』(’77)が興行的に成功していたクレイヴン監督は、ある程度の自信をもって各スタジオへ脚本を売り込んだのだが、しかし当時のスラッシャー映画は供給過多な状況だったため、どこへ行っても断られてしまったという。唯一関心を示したのが、当時まだ弱小の配給会社にしか過ぎなかったニューライン・シネマ。リナ・ウェルトミューラーやベルトラン・ブリエなどヨーロッパの名匠たちによるアート系映画を全米に配給したほか、日本の千葉真一が主演した和製カンフー映画『激突!殺人拳』(’74)シリーズをヒットさせたことでも知られる会社だ。当時はサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』(’81)を配給して大成功したばかり。製作会社としての実績はまだまだ乏しかったが、しかし社長のロバート・シェイは『死霊のはらわた』みたいなホラー映画を自分でも作りたいと思っていた。なので、彼にとっては願ってもないチャンスだったのだ。 ただ、当時のニューライン・シネマには重大な問題があった。資金がまるで無かったのである。そこで、当時すでに妻子のいたシェイは自らの全財産を投入。家族や友人からも金を借りまくり、さらには企業からも出資を募るべく奔走した。スタッフも最初のうちはタダ働き。ライン・プロデューサーのジョン・バロウズは、クレジットカードのキャッシュサービスを利用してスタッフの給料を支払った。当時注目の若手俳優だったチャーリー・シーンがグレン役に関心を示したが、しかし週給3000ドルというニューライン・シネマとしては高額なギャラを要求されて断念。その代わり、無名時代のジョニー・デップを発掘できたのだから結果オーライである。クランクアップ予定日にまで撮影の終わるめどが立たず、かといってスケジュールを延ばせば予算が増えるため、一部シーンの撮影はクレイヴンの師匠ショーン・S・カニンガム監督に頼んだらしい。 さらに、音楽スコアを担当した作曲家チャールズ・バーンスタインへのギャラ支払いが遅れたため音源を渡してもらえず、当時出産したばかりだった共同プロデューサーのサラ・ライシャーが病院からバーンスタインに電話をして説得。これでようやく劇場公開にこぎ着けられる!と思ったら、フィルム現像会社への支払いが滞ったため、封切り1週間前にフィルムが差し押さえられてしまい、シェイ社長がなんとか現像所と話し合いをつけて解決した。そんなこんなで’84年11月9日に公開された『エルム街の悪夢』は前述のとおり大ヒットを記録し、これを足掛かりにしてニューライン・シネマはハリウッド・メジャーの一角を占める大企業へと成長する。その後の『ニンジャ・タートルズ』(’90)シリーズも『ラッシュ・アワー』(’98)シリーズも『ファイナル・デスティネーション』(’00)シリーズも、さらに言えば『ロード・オブ・ザ・リング』(’01)シリーズも『ホビット』(’12)シリーズも『死霊館』(’13)シリーズも、この『エルム街の悪夢』の大成功がなければ存在しなかったかもしれない。■ 『エルム街の悪夢』© The Elm Street Venture
-
COLUMN/コラム2025.07.25
現代の巨匠イーストウッド、監督生活50年のメモリアル『クライ・マッチョ』
ハリウッドの生きる伝説、クリント・イーストウッド。今年5月で、95歳となった。 俳優デビューは1955年。もう、70年も前の話だ。 暫し不遇の時を過ごした後、TVの西部劇シリーズ「ローハイド」(59~65)でブレイク。その後はヨーロッパに渡って、セルジオ・レオーネ監督の“マカロニ・ウエスタン”『荒野の用心棒』(64)『夕陽のガンマン』(65)『続・夕陽のガンマン』(66)の、いわゆる“ドル箱3部作”で、主演俳優の座に就く。 ハリウッド帰還後は、ドン・シーゲル監督の薫陶を受け、最大の当たり役でシリーズ化された『ダーティハリー』(71)などへの出演で、押しも押されぬ大スターとなる。 そして、『ダーティハリー』に主演する直前には、サイコスリラーである、『恐怖のメロディ』(71)で、監督デビューを飾った。 監督として“巨匠”と称されるようになるのは、『許されざる者』(92)以降。この作品と12年後の『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で、2度に渡って、アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞している。 監督生活50年にして、40本目の監督作(別の監督名がクレジットされているが、実質はイーストウッドが演出した作品やTVドラマなども含めると、40数本とカウントされる場合もある…)と謳われたのが、主演も兼ねた、本作『クライ・マッチョ』(2021)である。 実はこの作品が、イーストウッドの監督・主演作として世に出るまでには、長きに渡る紆余曲折があった。 はじまりは1970年代前半。N・リチャード・ナッシュが執筆した、「マッチョ」というタイトルの脚本だった。しかし売り込み先の映画会社に相手にされず、ナッシュはやむなく、「クライ・マッチョ」というタイトルに変えて小説化。75年に出版した。 これを読んで感銘を受けたのが、プロデューサーのアルバート・S・ラディ。『ゴッドファーザー』(72)などで知られる彼が、映画化権を獲得するに至った。 ラディが最初に、イーストウッドの元に『クライ・マッチョ』の企画を持ち込んだのは、1980年頃のこと。イーストウッドは、「登場人物の人間関係」や主人公であるマイク・マイロの「落ちぶれ具合」が気に入り、そんな主人公が、人生を取り戻すチャンスを得るのに、惹かれたという。 しかしこの役を演じるには、50歳の自分はまだ若すぎると、判断。自らは監督に専念して、主演にロバート・ミッチャム(1917~97)を迎えることを、提案した。しかしこのプランは、やがて立ち消えに。 その後『クライ・マッチョ』は、91年にロイ・シャイダー(1932~2008)主演で製作を開始したが、頓挫。2011年には、カリフォルニア州知事の任期を終えたアーノルド・シュワルツェネッガー(1947~ )の俳優復帰作として準備が進められるも、シュワちゃんの不倫・隠し子スキャンダルが祟って、中止の憂き目となった。 それでも映画化が諦めきれなかったラディの元に、1本の電話が入ったのは、2019年。「あの脚本、まだ手元にある?」その声の主は、イーストウッドだった。 最初のオファーから40年が経って、齢90を迎えんとしていた、イーストウッド。「今ならこの役を楽しんで演じられる」と、思ったのだという。 イーストウッドの監督・主演で、遂に映画化が実現することとなった。オリジナル脚本をできるだけ活かすという判断がされ、それ故にメインの時代設定が、1980年となった。 とはいえ、監督の意向を汲んでの、ある程度のリライトは必要となる。オリジナルを書いたナッシュは、2000年に87歳で亡くなっていたため、白羽の矢を立てられたのが、ニック・シェンク。 イーストウッド組には、『グラン・トリノ』(08)『運び屋』(18)に続いて、3度目の参加となるシェンク。彼は期せずして(?)、イーストウッドが自らの監督作で“老人”を演じた、非公式な三部作の、共通の書き手となってしまった。 ***** 1980年のアメリカ・テキサス。 かつてロデオ界のスターだったマイク・マイロは、競技本番での落馬や妻子の事故死など、重なる不幸もあって、いまや落魄の身。孤独な独り暮らしを送っていた。 そんな時マイロは、かつての雇い主で牧場経営者のハワードから、頼まれごとをする。今はメキシコに住む、別れた妻レタに引き取られた14歳の息子ラフォを、テキサスまで連れて来て欲しいという内容だった。 一歩間違えば、“誘拐犯”。しかしハワードに恩義のあるマイロは、断ることができなかった。 ラフォは、男の出入りが激しい母から逃れ、闘鶏用のニワトリ“マッチョ”と、ストリートで生活していた。そんな経緯から、猜疑心や警戒心が強く、迎えに来たマイロに対して、なかなか心を開かない。 そんな2人の、テキサスへの旅が始まった。国境へと向かうも、警察の検問を避け、レタの放った追っ手を躱すために、田舎町へと立ち寄る。 暫しこの地に身を隠すことを決めた2人は、食堂を営む女性マルタと知り合う。そして、何かと世話を焼いてくれる彼女とその家族と、交流を深める。 この町でマイロは、野生の暴れ馬を馴らす仕事を得る。彼は馬の調教を通じて、自分の知識と経験を、ラフォへと惜し気もなく伝える。2人の絆は、ぐっと深まっていった…。 このままこの地に落ち着くのも、悪くない。そんな気持ちも芽生えた2人が、国境を超える日は? ***** 一言で表せば、「老人と少年のロードムービー」である本作は、イーストウッドの様々な過去作を、想起させる作りとなっている。 まずは中年のカントリー歌手とその甥の旅を描く、『センチメンタル・アドベンチャー』(82)。年輩の者が若者に教えを施す、師弟関係を描いた作品としては、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(86)『ルーキー』(90)など。血の繋がりのない寄る辺なき者たちが集って、“疑似家族”を構成していく物語としては、『アウトロー』(76)や『ブロンコ・ビリー』(80)。 “師弟もの”と“疑似家族”のミクスチャーである、『ミリオンダラー・ベイビー』(04)『グラン・トリノ』(08)は、もちろんだ。特に白人の年配者がエスニックの若者を鍛える構図は、『グラン・トリノ』が最も近いかも知れない。 付け加えれば、旅の男マイロと田舎町に暮らすマルタにロマンスが芽生える辺りには、『マディソン郡の橋』(95)を思い起す向きもあるだろう。 マイロがこんなセリフを吐くのにも、イーストウッド過去作とのリンクを感じる。「マッチョってやつは過剰評価されている。人生にはそれより大事なものがある。それに気づいた時には遅すぎるんだ」 イーストウッドは、かつて一線級のアクションスターとして、“マッチョ”に類した役どころを散々演じてきた。しかし歳を重ねるにつれて、それを裏返したような作品を、多く手掛けるようになった。このセリフは、そんな本人の述懐のようで、実に味わい深い。 因みに本作は、イーストウッドが亡きドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げた“最後の西部劇”『許されざる者』以来という、“乗馬シーン”がある。実際に馬に跨るのは30年振りだったという、イーストウッドだが、「あぶみに足をかければ、感覚は戻ってくるものだよ」と、悠然たる構えでチャレンジしている。 とはいえ、このシーンの撮影初日には、スタッフ全員が興奮したというのも、無理はない。ファンにしてみても、「感涙もの」である。 主人公マイロと旅をする14歳の少年ラフォ役に抜擢されたのは、長編映画出演は初めてだった、エドゥアルド・ミネット。はるばるメキシコシティからやって来て、何百人も参加したオーディションを勝ち抜いた。 ミネットは、乗馬の経験はなかったが、トレーニングを受けて、あっと言う間にマスターしたという。 マイロの元雇い主で、息子を連れてくることを頼むハワード役には、高名なカントリー歌手で、映画出演も多いドワイト・ヨーカム。イーストウッド曰くヨーカムには、「馬の扱いに慣れている雰囲気がある」とのこと。 田舎町の食堂の女主人マルタには、メキシコ人女優のナタリア・トラヴェンが、起用された。 タイトルロールである、ニワトリのマッチョは、11羽の調教された雄鶏が演じている。それぞれに得意技があり、あるトリは人の手に乗るシーン、あるトリは、合図と共に襲いかかるシーンといった風に、使い分けられた。 撮影はコロナ禍真っ最中の、2020年後半。イーストウッド組の常連スタッフを集め、あらゆる感染対策を講じて、行われた。ニューメキシコ州をメキシコに見立てた、ロケ撮影がメインだった。 そんな中で、イーストウッドと言えば…の“早撮り”で事は進められた。プロデューサーも兼ねるイーストウッドとしては、“早撮り”は、予算を安く上げるという効果もあるが、それ以上に撮影現場に於いて、「勢いを殺ぎたくない」「やる気やエネルギーを絶やしたくない」という、イーストウッド一流の演出術である。 ラフォ役のミネットはイーストウッドに、「監督の希望通りに演技する」と伝えたという。しかしそれに対する回答は、「いや、君の好きなように、心地良いと思う方法でやってくれ」というものだった。メキシコの新人俳優は“巨匠”から、自分自身でラフォ役を掘り下げる自由を与えられたのだ。 ドワイト・ヨーカムはイーストウッドについて、「…撮り直しを好まないと聞いていたけど、僕のアドリブや思い付きを大歓迎してくれた」と、コメントしている。 ・『クライ・マッチョ』撮影中のクリント・イーストウッド監督 本作は逃走劇でもある筈なのに、追っ手が間抜けで弱すぎることもあって、サスペンスはほぼゼロ。またイーストウッド作品には付き物だった、暴力もほとんど登場しない。 食い足りなさを感じる向きもあるかも知れないが、イギリスの「アイリッシュ・タイムズ」紙に掲載された、次の評論が本質を言い表している気がする。「ほとんどなにもせずにすべてを表現できる彼の才能は、年齢を追うごとに磨きがかかっている」 本作が最後の作品かと言われたイーストウッドだったが、94歳の昨年、本作とはガラっとタッチを変えて、これも十八番と言える“絶望シネマ”調のサスペンス『陪審員2番』(2024)を発表した。今度こそ引退と言われているが、まだまだ嬉しい“裏切り”を待ちたい。■ 『クライ・マッチョ』© 2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
-
COLUMN/コラム2025.07.22
模造ではない、目指すは純正バンド・デシネ映画 ―『フィフス・エレメント』
「リュックは『ヴァレリアン』の読者であり、私と同じく、いくつかの映画が私の作品から、大なり小なり着想を得ていることに気づいていたんだ。SFというジャンルは寄り合い所帯みたいなもので、互いにテーマを借りたり、新しく持ち込んだりして、共通のベースをつくっていく。でも、グラフィックは想像力をはたらかせられる分野だ……それぞれが自分の世界を持っている。 それなのに、私は自分の知らないところで何本もの映画に協力しているような、おかしな気分だった。それに、こんなふうにコピーが横行すると、だんだんとオリジナリティのない定型ができてしまい、ひとつのデザインしか存在しないような状態になってしまう。今ではどのエイリアンも、宇宙船もみんな似たような形をしている。こんなのもったいないじゃないか。SFの素晴らしさは、好きなように想像力をはたらかせ、自由に創作できるごとなのに。 リュックと波長が合うことはすぐにわかったので、彼の星に乗り込む決心をした。壮大なスケールのフランス映画に参加すると思うと、心が踊ったね」 ジャン=クロード・メジエール ◆リュック・ベッソンの憂鬱と怒りが生んだSFアクション大作 西暦2259年、人類は地球に向かい凄まじいスピードで迫り来る、闇の勢力ミスター・シャドーの脅威にさらされていた。善良なる異星人モンドシャワンは、そんな未曾有の災厄を回避するべく、地球上の特別な寺院から5つのエレメント(守護の結晶)をすべて集める必要に迫られる。これらのエレメントのうち4つは何世紀にもわたり存在していたが、最も重要な「フィフス・エレメント」を乗せた彼らの宇宙船が、地球に到着する前に攻撃され、そして破壊されてしまう……。 リュック・ベッソンが1997年に発表した映画『フィフス・エレメント』は、23世紀のニューヨークを起点とし、選ばれし者たちが絶対悪と対峙していくSFアドベンチャー大作だ。地上でタクシー運転手をしている元特殊部隊員コーベン・ダラス(ブルース・ウィリス)は、空から自分の車上に落ちてきた謎の女性リー・ルー(ミラ・ジョヴォヴィッチ)と遭遇する。だがその彼女こそが、地球を救う「フィフス・エレメント」だったのだ。 やがてコーベンとルーは、神父ヴィト・コーネリアス(イアン・ホルム)やアイドルDJルビー・ロッド(クリス・タッカー)らと、4つのエレメントを求めて互いに協力する。いっぽう悪の武器商人ゾーグ(ゲイリー・オールドマン)と背後にいるミスター・シャドーは、その動きを阻止しようと彼らの前に立ちはだかる。 ベッソンはこの極めて黙示録的な要素の強い作品を、それとは対照的にカラフルで明るいものにした。同時期のSF映画に顕著な、宇宙船の暗い通路や薄暗い惑星に飽き飽きしていた彼は、陰鬱なリアリティよりも、このジャンルに陽気なクレイジーさを求めたのだ。 そして何よりもベッソンは、アメリカ映画が長い間、フランスの「バンド・デシネ」(同国におけるコミックの総称。以下:BD)から、グラフィックのインスピレーションを引き出していたことに不満を抱いていたのである。 ベッソンはキャリアの初期から、自作にBDからの影響があることを公言している。彼の初長編監督作『最後の戦い』(1983)は既にその傾向にあり、本作について記したコラム「『最後の戦い』に視認されるフランス・コミックの幻像」に詳述しているので参考にして欲しい。 中でも特に、フランスSFコミックの巨匠ジャン=クロード・メジエールの作調を大いに参考にしていた。彼が持つ、新しい世界を生み出すイマジネーションや、それを説得力をもって視覚化する圧倒的な描画力にベッソンは心酔し、自身が作品を生み出すうえで、メジエールは重要なガイドを担うことになる。 ◆『スター・ウォーズ』も影響された、メジエールのグラフィック ジャン=クロード・メジエール(Jean-Claude Mézières)は1938年9月23日・パリ生まれ。サン=マンデで少年時代を過ごし、戦時中に地下壕で隣人の息子、後の原作者ピエール・クリスタンと出会ったことが、創造者としての大きな転機となる。そしてBDの愛好家である兄の影響で、エルジェの『タンタンの冒険』シリーズに心酔。1953年(15歳)になると、「ムッシュ・カスターマン」誌にカラー16ページで描いた冒険マンガ『大追跡』を送っている。それを見て、メジエールの才能を伸ばすよう奨励したのは、他でもないエルジェだった。 そして同年、エコール・デ・アーツ・アプリケ(応用美術学校)で壁紙や布地のデザインを学ぶ。その2年後、「Coeurs Vaillants」誌に短編を発表。後のメビウスとして知られるジャン・ジローと知己を得る。 その後、アルジェリアでの兵役を経て、広告や雑誌のイラストレーターとして活動を開始。1965年にカウボーイになりたいという夢を追い、渡米してモンタナやアリゾナで移住生活を送り、そこで妻となるアメリカ人女性リンダと出会った。ユタ州ではソルトレイクシティ大学で教鞭をとるクリステンと再会し、初の共作短編『Le Rhum du Punch』(1966)を発表、二人の本格的なコラボレーションの出発点となった そして1967年、二人はフランスSFコミックの金字塔ともいえる『ヴァレリアン』を「Pilote」誌にて連載開始する。異なる時代と惑星の間を移動し、犯罪を追う2人の時空エージェント、ヴァレリアンとローレリーヌの活躍を描いたこのシリーズは、政治・社会的メッセージやユーモアを織り交ぜ、全23巻にわたる長期シリーズとなって国際的に翻訳され、アンゴレーム国際漫画祭グランプリ(1984)を起点に数々の賞を受賞した。 メジエールはBD以外にも、雑誌・新聞の挿絵や広告、フェスティバルのポスター、シルクスクリーンや写真作品など、カテゴリーを問わず幅広く活動。1970年代初頭から仏サン=ドニのパリ 第8大学で漫画制作の講師として、アンドレ・ジュイヤールやレジス・ロワゼルといった後進を育成している。2021年には自身の集大成となりらアートブック『L’Art de Mézières』を出版し、同年「最後の作品宣言」とともに引退 。2022年1月23日に83歳で逝去した。 そんなメジエールのグラフィック・スタイルは、SF漫画の視覚表現を飛躍的に進化させ、「スター・ウォーズ」(1977)を筆頭とする欧米のSF映画にも大きな影響を与えた。同作の監督ジョージ・ルーカスはメジエールとの直接的なコンタクトは避け、その影響を公にすることはなかったが、仏カルチャーサイト「franceinfo」の記事「"Star Wars" a-t-il tout piqué à la BD française ? Le (faux) procès de George Lucas」のような隠しようのない検証も散見される。メジエール自身はこうした潜在的な共通性を「その判断は観客の皆さんに委ねたい」として謙虚な姿勢を見せていたが、ベッソンはそうはいかなかったようだ。いつかフランスが模造ではない、純正BD映画を発表する機会をうかかっていたのである。 そしてベッソンは『フィフス・エレメント』が完成する6年前の1991年11月。『グレート・ブルー』(1988)や『ニキータ』(1990)で組んだプロダクションデザイナーのダン・ウェイルとともに、同作のデザインチームを結成するべく、満を持してメジエールとメビウスに声をかけた。そして二人はこれを承諾し、さらには互いの推薦のもと、5人の若手BDアーティストをプロジェクトに招き入れた。加えて5人を選考のうえ、合計13人のインターナショナルチームを結成していったのだ。彼らは1500平方メートルもある元・縫製工場を拠点に、パリで1年間にわたり映画のビジュアルイメージを構想。そして作業が終わる頃には、ベッソンの物語をあらゆる角度から描いた、約8000枚のスケッチが出来上がった。 中でもメジエールの描いた、高度に様式化された未来都市像はベッソンのイメージを喚起させるものだった。たとえばコーベンとルーが遭遇する場面で、メジエールは『ヴァレリアン』の一編で登場させたエア・キャブ(空飛ぶタクシー)を小さくしのばせておいたところ、ベッソンが「それをもっと大きく描いてみてくれ」と要求。そこでコミック用のタクシーに手を加えて描いたところ、コーベンの設定が最初のロケット工場の労働者から、急きょタクシードライバーへと変更された。こうした形で、メジエールのデザインが設定に影響を及ぼすことも少なくはなかったのだ。 『フィフス・エレメント』に登場するエアキャブは、「Valérian - Tome 15 - Les cercles du pouvoir」にその原型を見ることができる(書影はAmazonより。電子版はこちらにて購入可能)。 しかし、これらのデザインは予算の都合もあり、約半分が切り落とされ、ベッソンの計画も完全に遂行できたとは言い難かった。それでも『フィフス・エレメント』は、見事なまでにメジエールとBDが持つ世界観を実写へと置換し、同スケールのハリウッドSFとは一線を画すものとなった。そして本作をベースに、ベッソンは後年『ヴァレリアン』の実写映画化『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(2017)を実現させ、自身のメジエール対する愛情を究極的な形で示すことになる。 『フィフス・エレメント』は、そんな『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』製作のファーストステップとしても、極めて重要な役割を果たしているのだ。 ちなみに本作のデザイナープロジェクトチームの中には、メビウスのアシスタントを務めていたシルヴァン・デプレがいたことを補足しておきたい。彼はニューヨークの広告業界でアートディレクターとしてのキャリアをスタートさせ、90年代後半にはリドリー・スコット監督に雇われ、『グラディエーター』(2000)の絵コンテを手がけたことで知られている。ハリウッドの、BDからのイメージ借用に楔を打とうとした『フィフス・エレメント』は、後もこうした形で影響を与え続けている。■ 『フィフス・エレメント』©1997 GAUMONT. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2025.07.03
『オペラ座/血の喝采』アルジェント全盛期の最後を飾る傑作ジャッロを109分の4Kリマスター完全版で!
イタリア産B級娯楽映画そのものが衰退期にあった’80年代 ダリオ・アルジェントのキャリアにおいて「最後の完璧な傑作(last full-fledged masterpiece)」とも呼ばれるジャッロ映画である。ご存じの通り、処女作『歓びの毒牙(きば)』(’70)で空前のジャッロ映画ブームを巻き起こし、非の打ちどころなき大傑作『サスペリアPART2』(’75)でブームの頂点を極めたアルジェント。その後、当時のパートナーであった女優ダリア・ニコロディの影響でオカルトに傾倒した彼は、現代ドイツのバレエ学校に巣食う魔女の恐怖を描いた『サスペリア』(’77)がアメリカでも大ヒットを記録し、さらにはジョージ・A・ロメロ監督のメガヒット作『ゾンビ』(’78)の出資・配給を手掛けるなどビジネスマンとしての才能も発揮。久しぶりにジャッロの世界へ戻った『シャドー』(’82)と『フェノミナ』(’85)も評判となり、ランベルト・バーヴァ監督の『デモンズ』(’85)シリーズではプロデューサーとしても成功を収めた。’70~’80年代のアルジェントは、映画人として文字通りの全盛期だったと言えよう。 ところが、ハリウッド資本でアメリカ・ロケを行った『トラウマ/鮮血の叫び』(’93)以降、批評的にも興行的にも著しく失速することとなってしまう。中には『スリープレス』(’01)のような隠れた名作もあるにはあるものの、しかしすっかり往時の才気も輝きも失ったアルジェント映画にファンは失望し続けることに。まあ、それでもアルジェントが新作を撮ったと聞けば、「むむっ、きっと今度こそは…」と微かな期待を抱いてしまうのが哀しきファンの性(さが)なのですけどね…。そんなこんなで、我らの愛するアルジェントがまだ乗りに乗っていた’80年代、その最期を飾った傑作がこの『オペラ座/血の喝采』(’88)だったのである。 なおかつ、当時はイタリア産B級娯楽映画が滅亡の危機に瀕していた時代でもあった。敗戦国イタリアの過酷な現実を徹底したリアリズムで描いた『無防備都市』(‘45)や『自転車泥棒』(’48)など、一連のいわゆるネオレアリスモ映画群で早くも戦後復興を果たしたイタリア映画界。その中からヴィットリオ・デ・シーカやルキノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニなどの世界的な巨匠たちが台頭し、そのフェリーニの『甘い生活』(’60)とミケランジェロ・アントニオーニの『情事』(’60)が、同じ年のカンヌ国際映画祭で前者がグランプリを、後者が審査員特別賞を獲得したことで、いよいよイタリア映画は黄金時代を迎える。 その一方で、’50年代半ばよりハリウッドの各大手スタジオがローマの撮影所チネチッタで映画を撮影するように。当時、スタジオ・システムの崩壊で経営の危機に瀕したハリウッド映画界は人件費削減のため、熟練の職人スタッフをいくらでも安く雇うことができ、なおかつ撮影機材も豊富に揃っている映画大国イタリアに注目したのである。そこでハリウッド式の映画撮影術を学んだ地元イタリアの映画人たちは、わざわざセットを作らなくても古代遺跡がそこらじゅう沢山あるという環境を活かし、古代ギリシャやローマの英雄を主人公にしたハリウッド風の冒険活劇映画を低予算で量産する。その中のひとつ『ヘラクレス』(’58)がアメリカでも爆発的な大ヒットを記録したことから、いわゆる「ソード&サンダル映画」のブームが巻き起こったのだ。これがイタリア産B級娯楽映画の原点だったと言えよう。 その後も、マカロニ・ウエスタンにユーロ・スパイ・アクション、ゴシック・ホラーにジャッロにクライム・アクションにソフト・ポルノにと、世界的なトレンドの傾向を敏感に取り入れながら、ハリウッドを向こうに回して低予算の良質なB級エンターテインメントを世界中のマーケットへ提供したイタリア映画界。ところが、スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスの登場によってハリウッド映画の技術レベルが格段にアップし、なおかつ’80年代に入って『インディ・ジョーンズ』シリーズだの『E.T.』だの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズだのと、ハリウッドのジャンル系娯楽映画が特殊効果をふんだんに使った大作主義にどんどん傾倒していくと、さすがのイタリア映画も太刀打ちできなくなってしまう。例えば『ダーティハリー』(’71)のパクリはイタリアでも作れるが、しかし『ダイ・ハード』(’88)のパクリは技術的にも規模的にも極めて困難だったのである。 それでもなお、なんちゃって『コナン』やなんちゃって『マッド・マックス』、なんちゃって『ニューヨーク1997』などの低予算映画を頑張って作り続けたイタリア映画界だが、それこそ一連のルチオ・フルチ映画を例に出すまでもなく、作品の質はどんどん低下していくばかり。そうした中で唯一、ハリウッドに負けじと気を吐いていたのがアルジェントとその一派(ランベルト・バーヴァやミケーレ・ソアヴィ)だったわけだが、その勢いもそろそろ限界に近付きつつあった。実際、’90年代に入るとイタリアのジャンル系映画はほぼ死滅。職人監督たちは次々とテレビへ移行してしまう。よって、本作『オペラ座/血の喝采』はダリオ・アルジェント全盛期の終焉を象徴する映画であると同時に、長年世界中のファンに愛されたイタリア産B級娯楽映画の終焉を象徴する映画でもあったように思う。 オペラ「マクベス」の不吉なジンクスが血みどろの惨劇を招く…! 舞台はイタリアのミラノ。スカラ座ではヴェルディのオペラ「マクベス」のリハーサルが着々と進んでいる。これが初めてのオペラ演出となるホラー映画監督マルコ(イアン・チャールソン)は、本物のカラスを使用したアヴァンギャルドな演出で観客の度肝を抜こうと考えるが、しかし神経質で気位の高い主演のソプラノ歌手マーラ・チェコーヴァと意見が折り合わず、挙句の果てにリハーサルをキャンセルしたチェコ―ヴァが交通事故で大怪我を負ってしまう。代わりにマクベス夫人役を射止めたのは、チェコ―ヴァのアンダースタディを務める無名の新人歌手ベティ(クリスティナ・マルシラック)。この棚ボタ的な大抜擢に母親代わりのマネージャー、ミラ(ダリア・ニコロディ)は大喜びするも、しかしベティ本人はあまり表情が冴えない。というのも、「マクベス」の舞台は関係者に不幸を招くというジンクスがあるのだ。実際、本来主演するはずだったチェコ―ヴァは事故で重傷を負った。その直後から、ベティのもとには怪しげな電話がかかってくる。よりによってデビュー作が「マクベス」だなんて。ベティは何か不吉なことが起きるのではないかと不安で仕方なかった。 ほどなくしてオペラ「マクベス」は初日を迎え、マクベス夫人を堂々と演じ切ったベティは観客から大喝采を浴びる。スター誕生の瞬間だ。ところがその一方で、立ち入り禁止のボックス席に何者かが侵入し、気付いて追い出そうとした劇場スタッフが惨殺される。警察の捜査を担当するのは、熱心なオペラ・ファンでもあるサンティーニ警部(ウルバノ・バルベリーニ)。その晩、祝賀パーティを抜け出したベティは恋人でもある演出助手ステファノ(ウィリアム・マクナマラ)の自宅で過ごすが、しかしステファノが別室でお茶を入れている間に、正体不明の覆面殺人鬼に襲われる。粘着テープで口を塞がれたうえで柱に縛り付けられ、なおかつ目を閉じることができないよう目の下に針を貼り付けられたベティは、目の前でステファノが殺人鬼に殺される様子を強制的に見せられる。すぐに解放された彼女は、近くの公衆電話から匿名で警察へ通報。自ら名乗らなかった理由は、遠い過去の恐ろしい悪夢だ。幼い頃に有名なオペラ歌手だった母親を殺されたベティは、それ以来夜な夜な悪夢に悩まされたのだが、その夢の中に出てくる覆面の殺人鬼が今回の犯人とソックリだった。監督のマルコだけには真実を打ち明けるベティ。犯人は彼女の知人かもしれないと考えたマルコは、周囲を警戒するようにと忠告する。 その同じ晩、何者かが劇場の衣裳部屋へとこっそり侵入し、興奮して檻から逃げ出したカラスが数羽殺される。警察はその侵入者とステファノ殺しの犯人が同一人物だと考えるが、しかし手掛かりは何一つとして見つからなかった。さらに、同じような方法で衣装係ジュリア(コラリーナ・カタルディ・タッソーニ)が殺され、ベティは再びその一部始終を強制的に見せられる。犯人のターゲットがベティであることは間違いない。サンティーニ警部はベティの自宅に護衛の刑事を待機させるが、しかし警官を装った犯人によってミラが惨殺され、護衛のソアヴィ刑事(ミケーレ・ソアヴィ)も血祭りに挙げられる。自室へ追い込まれて逃げ場を失ったベティだったが、しかし以前からベティを秘かに見守っていた隣家の少女アルマ(フランチェスカ・カッソーラ)に救われ、古い通気口を伝って外へ脱出することに成功する。 なんとしてでも犯人の凶行を止めなくてはならないが、しかし警察はあまりにも頼りにならない。そこでベティとマルコは、劇場スタッフの協力を得て「ある秘策」を実行に移す。どういうことかというと、カラスに犯人捜しをさせようというのだ。高度な知性を持つカラスは、仲間を殺した犯人を覚えているに違いない。そこで、マルコたちは舞台演出を装ってカラスの大群を劇場に放ち、彼らに犯人を襲撃させようと考えたのだ。犯人は必ずや劇場のどこかでベティを見張っているはず。それを狙って罠を仕掛けようというわけだ。果たして、彼らの目論見通りに正体不明の殺人鬼を捕らえることは出来るのか…? 凝りに凝ったビジュアルに要注目! これはアルジェント作品において毎度のことではあるのだが、随所に明らかなご都合主義の目立つ脚本は賛否両論あることだろう。特に、劇場で焼死したはずの犯人が実は生きていました!現場で発見された焼死体をよくよく調べてみたらダミー人形だったのです!という終盤のどんでん返しに、悪い意味で腰を抜かした観客も少なくなかろう。共同脚本のフランコ・フェリーニによると、これは作家トマス・ハリスのハンニバル・レクター・シリーズ第1弾「レッド・ドラゴン」をヒントにした思いついたアイディアだったらしいが、あまりにも唐突過ぎて説得力に欠けたと言えよう。ただし、スイスを舞台にしたダメ押し的なクライマックスは、実のところストーリーの流れ上、必要だったのではないかと思う。どこか寓話的な本作のストーリーにおける本質は、毒親に育てられた主人公ベティが過去のトラウマと向き合い、長いこと自分を苦しめてきた悪夢を克服することで、毒親の呪縛からようやく解放されるという成長譚。その母親と関係のあった連続殺人鬼は、まさに過去から蘇った忌まわしき亡霊そのものであり、オペラ劇場を舞台にした直接的な対峙を経てスイスの大自然を背景に死闘を演じるというプロセスは、そこへ至るまでの彼女の精神的な成長を考えれば、極めて理に適ったものではないかと思う。 ちなみに本作、日本で劇場公開されたのは97分の短縮バージョンだった。これは出資元のオライオン・ピクチャーズが勝手に削ってしまったもので、当時は日本だけでなくアメリカやイギリスでもこのバージョンが上映されたらしいのだが、これがなんとも酷かった。例えば、母親から虐待を受けていると思しき隣家の少女アルマの伏線エピソードがごっそりカットされているため、この短縮バージョンだと唐突に現れた見ず知らずの少女がベティのピンチを救うという、まことに不自然かつご都合主義の極みみたいな展開になってしまう。筆者を含めて、このシーンに思わず首を傾げた観客は多かったはずだ。また、このバージョンではクライマックスの、スイスの大自然に戯れるベティが草むらでトカゲを解放してあげるシーンも削除されており、それゆえ「虐待を受けて育った少女が過去のトラウマから解放されるまでを描いた残酷なおとぎ話」という、アルジェントが本作で描かんとしたストーリーの趣旨も著しく損なわれてしまっている。公開時に賛否両論だった本作が正当な評価を受けるようになったのは、今回ザ・シネマでも放送される完全版がイタリア以外の各国でソフト化されるようになった’00年代以降のことだ。 その一方で、凝りに凝りまくったカメラワークは当時から非常に評価が高かった。本人も認めているように、もともともカメラで遊ぶの大好きなビジュアリストで、常にユニークなアングルや斬新なショットを創意工夫してきたアルジェントだが、本作ほど映像表現に技巧を凝らした作品はないだろう。中でも特にビックリしたのは、ドアの覗き穴を覗いていたベティのマネージャー、ミラが、向こう側の犯人に射殺されるシーン。アルジェントはわざわざ2メートルほどになる覗き穴の拡大模型を作成し、さらにはミラを演じる女優ダリア・ニコロディの右目と後頭部に特殊メイクを施して少量の火薬を仕込み、さらには彼女の遠く背後にある電話にも火薬を仕掛けることで、犯人の拳銃から発射された弾丸が覗き穴のシリンダーを突き破り、覗いているミラの右目から後頭部を貫通し、最終的に後方の電話機に当たるという一連の流れを、なんとスローモーションで一気に見せてしまったのだ。いやはや、変態ですな(笑)。 変態と言えば、犯人がベティの目の下にテープで幾つもの針を張り付けて目を閉じれないようにし、残忍な人殺しの一部始終を無理やり見せるという設定。なんて陰湿かつ変態なんだ!と思った観客も多いはずだが、実はこの設定、残酷シーンで目をつぶったり、手で目を塞いだりするなんてけしからん!せっかく苦労して撮ったのに失礼じゃないか!そんな不届き者の観客に無理やりでも残酷シーンを見せつけてやりたい!というアルジェントの強い憤りと願望から生まれたとのこと。これまた実に変態である。 さらなる見せ場としては、カメラがカラスの視点になって劇場を飛び回る終盤の「犯人捜し」シーンも印象的。ロケ地に使われたのはミラノのスカラ座ではなく、同じような規模で内装のソックリなパルマのレージョ劇場なのだが、このシーンの撮影では劇場の天井中央にあるシャンデリアを取り外し、その穴から複数台のカメラを装着した巨大な回転式クレーンビームを吊り下げて使用している。クレーンビームはリモートコントローラーで上下に移動でき、なおかつカメラもクレーンビームをレール代わりにして移動可能なため、それこそ自由自在に空を飛んでいるカラス視点の映像を撮ることができたのだ。 ショッキングだったのは、ウィリアム・マクナマラ演じる美青年ステファノが惨殺されるシーン。顎からナイフを突き刺す場面は古典的なトリックだとすぐに分かるが、しかしナイフの先が口の中へ突き抜けるクロースアップ・ショットはどうやって撮ったのか不思議だった。実はこれ、演じるマクナマラ本人の口から型抜きして作った、偽物の口を撮影に使用している。要するに、ダミーヘッドならぬダミーマウスだ。なるほど確かに、ブルーレイやDVDの該当シーンで映像を静止すると一目瞭然。よく見ると作り物である。 なお、撮影を担当したのは『ガンジー』(’82)でアカデミー賞に輝く名カメラマン、ロニー・テイラー。実はアルジェント、本作の撮影に入る数カ月前、オーストラリアで自動車メーカー、フィアットのCMを撮ったのだが、その際に広告代理店の手配したカメラマンがテイラーだった。3週間に及ぶ撮影期間中、映画について大いに語り合ったアルジェントとテイラーは意気投合。本作でも引き続きタッグを組むこととなり、以降も『オペラ座の怪人』(’97)と『スリープレス』で顔を合わせている。 大物オペラ歌手が顔を見せない意外な理由とは…? 当初、主人公ベティ役にジェニファー・コネリーを想定していたものの、しかし『フェノミナ』の二番煎じと思われることを恐れてボツにしたというアルジェント。ほかにも当時注目されていたオペラ歌手チェチリア・ガスディアも候補だったとか、一時はミア・サラに決まりかけたなどの諸説あるのだが、いずれにせよ最終的にはアルジェントの友人であるファッション・デザイナー、ジョルジオ・アルマーニの推薦で、スペインの若手女優クリスティナ・マルシラックに白羽の矢が立てられた。ところが彼女、最初からアルジェントに対して反抗的だったらしく、彼にとっては最も扱いづらい女優だったらしい。ただ、関係者のインタビューを総合すると、アルジェントだけでなくベテランのスタッフには同じく反抗的で、しかしウィリアム・マクナマラやコラリーナ・カタルディ・タッソーニなど同世代の若手共演者とは友好的だったらしいので、恐らくもともと「大人」に対して一方的な反感を持っていたのかもしれない。 そんなベティをオペラ歌手として指導し、正体不明の殺人鬼から守ろうとする演出家マルコ役には、『炎のランナー』(’80)で脚光を浴びたシェイクスピア俳優イアン・チャールソン。あのイアン・マッケランやアラン・ベイツも絶賛する天才的な役者だったが、本作の撮影中に交通事故を起こした際の病院検査でHIV感染が発覚し、その3年後に帰らぬ人となってしまった。サンティーニ警部を演じるウルバノ・バルベリーニは、イタリア有数の名門貴族バルベリーニ家の御曹司。『デモンズ』の主演でアルジェントに気に入られ、本作にも声をかけられたのだが、当初は演出助手ステファノ役をオファーされていたらしい。しかし、あっという間に殺されるような役は嫌だとアルジェントに直談判したところ、実年齢よりもだいぶ年上のサンティーニ警部役にキャスティングされたらしい。 そのステファノ役を演じるウィリアム・マクナマラは、『君がいた夏』(’88)や『ステラ』(’90)などで一時期注目されたハリウッドの端正な美少年俳優。当時の彼はイタリアとフランスの合作によるテレビの大型ミニシリーズ『サハラの秘密』(’87)に出演するためローマに滞在しており、招かれた業界パーティでたまたま知り合ったアルジェントに「ちょうど君にピッタリな役があるんだ!」と誘われたという。アメリカ人と言えば、衣装係ジュリアを演じるコラリーナ・カタルディ・タッソーニもニューヨーク生まれのイタリア系アメリカ人。父親がオペラ演出家、母親がオペラ歌手、祖父もプッチーニと組んだオペラ指揮者というオペラ一家の出身で、その父親がイタリアに活動の拠点を移したためローマで育ったという。彼女と言えば、なんといっても『デモンズ2』(’86)で最初にデモンズ化するサリー役のインパクトが強烈なのだが、あの演技を評価したアルジェントが彼女のためにジュリア役を書いてくれたという。これ以降、『オペラ座の怪人』と『サスペリア・テルザ 最後の魔女』(’07)でもアルジェントと組んでいる。 なお、フラッシュバック・シーンで犯人に殺されるブロンド女性は、『デモンズ2』でサリーの友達として顔を出していたマリア・キアラ・サッソ。大物オペラ歌手マーラ・チェコーヴァの助手を演じているイケメン俳優ピーター・ピッシュは、『デモンズ』の不良グループのメンバーだった。オペラの舞台裏シーンでは、その『デモンズ』でヒーローの親友役だったカール・ジニーの姿も。隣家の少女アルマの母親役は、『シャドー』で女性刑事を演じていたカローラ・スタニャーロ。本作の助監督を務めるミケーレ・ソアヴィも刑事とエキストラの1人2役で登場するし、そのソアヴィの無名時代からの親友で『アクエリアス』(’87)と『デモンズ3』(’89)に主演したバルバラ・クピスティも舞台関係者役で顔を出している。演出家マルコの恋人役は、当時アルジェントの恋人だったアントネッラ・ヴィターレ。ミラ役のダリア・ニコロディを含めて、アルジェント・ファミリー総出演という感じですな! ちなみに、結局最後まで顔が一切写らない大物オペラ歌手、マーラ・チェコーヴァだが、この役にはもともと大女優ヴァネッサ・レッドグレーヴが起用され、実際に撮影のため本人もローマまで足を運んでいたらしい。もちろん契約書にもサイン済み。彼女が関わる撮影期間は1週間の予定で、その分のギャラも支払われていた。ところが、1週間経っても出番がないことから、約束の期間が過ぎましたよということでレッドグレーヴはイギリスへ帰国。どうやら、製作陣は撮影開始までの待機期間を計算に入れていなかったらしい。えっ!まだ撮影始まってもいないのに帰っちゃったの!?と慌てても後の祭り。約25万ドルとギャラの金額も大きかったため、代役を立てる予算的な余裕などなかったことから、ミラ役のダリア・ニコロディが1人2役でチェコーヴァを演じることになった。ロングショットや下半身だけで顔を見せないのはそのためだ。 先述したように、オライオン・ピクチャーズが勝手に再編集を行ったことなどもあり、興行的には成功したものの心情的には失敗作だと考えていたというアルジェント。いつも以上に予算と情熱を注ぎこんだ企画だったため、当時はかなり落ち込んでしまったらしいが、今では自身のフィルモグラフィーの中で最も好きな作品の筆頭格だという。■ 『オペラ座/血の喝采』© 1987 RTI
-
COLUMN/コラム2025.07.02
『フェイブルマンズ』と3人の映画監督
◆スピルバーグの半自伝作品 2022年にハリウッド最大のヒットメーカー、スティーヴン・スピルバーグが発表した映画『フェイブルマンズ』は、彼の長い監督生活の起点に触れる“自伝的要素“を含んだ作品であり、それを支えた家族の物語だ。スピルバーグのアバターともいえる主人公サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)は、母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)から買い与えられた8ミリキャメラで、小規模ながらも映画を手がけていく。そして夢を支援する彼女と、現実的な父バート(ポール・ダノ)との間で板挟みになりながら、サミーはさまざまな人との出会いや経験、そして創作活動を経て成長していくのだ。両親の離婚問題や、自身のルーツに依拠する不当ないじめなど深刻なエピソードを交えながら、単なるパーソナルな成功談ではない、ひとりの青年の青春ストーリーとして、映画は広い共感性へと通じていく。もちろん、その過程においてドラマチックな瞬間があり、映画は151分と長尺ながら、ひとときも観る者を飽きさせることはない。 ◆ジョン・フォードとの邂逅 稀代の天才監督は、なぜムービーキャメラを手にして映画の世界を目指したのか——? 作品はあくまでフィクションを建て前にしているが、ストーリーの軌跡や人物関係はスピルバーグの実人生に極めて忠実なものだ。ただその中で、あたかも創作であるかのようなエピソードが、本作のクライマックスとして置かれている。それが偉大な映画監督、ジョン・フォードとの出会いだ。 (以下『フェイブルマンズ』の結末に言及するので、鑑賞後にお読みいただくのが望ましい) 映画業界での働き口を求め、売り込みの手紙をありとあらゆるスタジオに送りつけたサミーは、CBSテレビジョンからの返信を頼りに『OK捕虜収容所』(第二次大戦中のナチス捕虜収容所を舞台にしたシットコム・コメディ)の共同製作者であるバーナード・ファイン(グレッグ・グランバーグ)に会いに行く。そして彼から、第三助手として雇おうかと打診されるのだ。ところが、やや反応が鈍かったサミーにファインは、「本当は映画がやりたんだろ。そうだ、向かいの部屋に史上最高の映画監督がいる」 と伝え、彼をその部屋へと通していく。 いったい「史上最高の映画監督」が誰なのか、サミーは釈然としないまま座って待機していると、背後にあるフレーム入りのポスター群が、その人物をゆっくりと特定していく。『駅馬車』…『我が谷は緑なりき』…『男の敵』…『捜索者』…『三人の名付親』…『静かなる男』…『怒りの葡萄』…『黄色いリボン』そして『リバティ・バランスを射った男』…。 それらを目で追い、高揚するサミーの気持ちを寸断するかのように、アイパッチを目にあてた男が入ってくる。そう、ジョン・フォードだ。秘書はサミーに向かって、「(会話は)5分ならいいそうよ、1分で終わるかもしれないけど」とうそぶき、フォードとの対面を急かす。 そのときのフォードは葉巻を吸い、威嚇的な態度でサミーを一瞥するが、壁にかかっている自作のスチールを指して「地平線はどこにある?」とサミーに質問する。すると彼は「下です」と回答し、別のスチールを指して同様の質問をしたフォードに「上です」と答える。するとフォードは、 「いいか、よく憶えておけ。地平線をいちばん下に置けば面白い画になる。そして地平線を上に置いても面白い画になる。だが地平線を真ん中に置いたら、クソつまらない画になるんだ。わかったか? わかったらとっとと出ていけ!」 と、手荒に助言を放ったのだ。 この『フェイブルマンズ』における印象的なやりとりは、同作において極めて突飛で、フィクション性を強く感じさせるエピソードだ。ところが、じつは全てが事実だというのだから驚かされる。スピルバーグは2011年、イマジン・エンターテインメントのオフィスでおこなわれた映画『カウボーイ & エイリアン』のプロモーションで、同作プロデューサーのブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、そして監督のジョン・ファヴローらと会談し、ジョン・フォードとの最初の出会いを語った。 それによると、スピルバーグはフォードと実際に遭遇したさい、彼は酔って顔全体にキスマークをつけ、オフィスに入って来たところを秘書が慌てて追い、ティッシュで拭き取ったという。そしてフォードは机の上に足をおろし、スピルバーグに「それで、キミは映画監督になりたいと聞いたが?」と訊ね、壁に飾られた絵画から地平線を見つけるよう要求したという。この一連の流れから明らかなように、フォードとの邂逅は、ほぼ映画でそのままに再現されていることがわかるだろう。 ただし細部で違いがあり、スピルバーグがフォードと会ったのはサミーと同じ18歳ではなく、15歳のときであり、さらにそれはファインの紹介によるものではなく、自身のいとこの一人が、たまたま彼の友人の友人の友人であったことから、このありそうもない出会いを得たという。 そもそもスピルバーグの業界入りは、『フェイブルマンズ』で描かれたように正統な手順を踏んでおらず、彼を語る上で伝説化されている。映画監督を志望していたスピルバーグは、ユニバーサル・ピクチャーズの観光ツアーに参加した後、トイレ休憩のときにバックロットに潜入し、半年以上そこで働いているふりをしたという。そのことが布石となり、後年に彼はユニバーサル映画の社長だったシド・シャインバーグに自作の短編映画『アンブリン』(1968)を気に入られ、テレビ監督として同スタジオと契約を交わしたのだ。 ◆デヴィッド・リンチ出演の背景 こうしたジョン・フォードとの出会いをさらに説得力あるものにしているのが、異例ともいる配役だ。スピルバーグはフォード役に、カルト映画の帝王デヴィッド・リンチをオファーしたのだ。 もともとスピルバーグは、フォードのキャスティングに友人のベテラン俳優をあてようと考えていた。しかし脚本を担当したトニー・クシュナーの夫がリンチの起用を提案し、それをスピルバーグは素晴らしいアイディアだと称賛したのである。そして自らリンチに連絡をとり、実現の運びとなったのだ。ところがリンチは自作以外の出演には消極的だったため、スピルバーグはリンチと共通の友人である女優ローラ・ダーンに救いを求め、リンチの説得にあたった。その狙いが功を奏し、リンチはスナック菓子のチートスと、衣装の撮影2週間前からの提供など変わった条件と共に出演を承諾。こうして、あの示唆に富む最後の5分間が誕生したのである。 リンチは英「エンパイア」誌の電話インタビューにおいて、オファーを受けた理由を以下のように語っている(※1)。出演を渋ったことに対しては、「わたしは演技に関して、意図的に距離を置いてきたんだ。ハリソン・フォードやジョージ・クルーニーのような俳優たちに、キャリアのチャンスを与えるべきだと考えていたからね」 とし、それでも出演した決め手を訊かれると、当該シーンが本当に気に入ったからだと述懐している。「ジョン・フォードなら、若い才能に指導をほどこすために、さまざまな知識や経験を活用できただろう。しかし彼は「地平線」のレクチャーを選んだんだ。じっさい画面中央に地平線があるのは、本当にクソつまらない画になるからね」 残念なことに、このインタビューから約一年後 リンチは78歳でこの世を去り、『フェイブルマンズ』は彼の最後のスクリーン出演となった。訃報が遺族からSNSを通じて発表された後、スピルバーグはアンブリン エンターテインメントを通じ、リンチへの感謝を込めた以下の追悼文を発表している(※2)。 「私はデヴィッドの作品の大ファンでした。『ブルー・ベルベット』『マルホランド・ドライブ』そして『エレファント・マン』――。これらは、手作り感あふれる独特の世界観で、彼が唯一無二のヴィジョンを持つ夢想家であることを証明しました。『フェイブルマンズ』でジョン・フォード役を演じてもらったとき、私は彼と知己を得たんです。私のヒーローの一人であるデヴィッド・リンチが、私の別のヒーローを演じる――。それはとても現実離れした、まるで彼自身の映画の一場面のような不思議な体験だったんです。世界はこれほどまでに独創的で、ユニークなヴォイスを失うことになってしまいました。しかし彼の映画は既に時代を超えて生き残っており、これからもずっとそうあり続けるでしょう」 スピルバーグはフォードを崇拝すると同時に、同業者としてリンチに関心を寄せていた。その証として、両者の共同作業ともいえる「地平線」のシーケンスに、スピルバーグは二人を立てるようなオチを添えている。フォードに映画制作のヒントをもらったサミーはオフィスを後にすると、意気揚々とした態度でスタジオのバックロットを歩き出す。そのときの彼を捉えたショットが、なんとフォードが「クソつまらない画」と非難しリンチが共感した、真ん中の地平線を捉えていたのである。そしてキャメラは、それに気づいたかのようにあたふたと、地平線が下に来るようフレーム修正の動きを見せるのだ。 この一連の演出には、スピルバーグらしいユーモアと謙遜の姿勢、そして未熟なサミーが失敗を繰り返しながら、先達から学んだことを糧にして映画界での成功を得る、そんな暗示が機能している。ひるがえってそれは、ジョン・フォードという偉大な映画人に尊崇の念を示しているのだ。 そしてデヴィッド・リンチは、そんなフォードが醸す神秘性と威圧的な存在感を、この『フェイブルマンズ』で見事に体現し、「地平線」のエピソードをじつに説得力あるものにした。それにも増して、ガブリエル・ラベルがスティーヴン・スピルバーグを投影したサミーを演じ、リンチがフォードを演じ、それをスピルバーグ本人が演出するという、巡るようなメタ構造を持つシチュエーションとして、本作を“自伝作品”以上の“映画的価値”を持つものへと発展させたのである。■ (※1)https://www.empireonline.com/movies/news/david-lynch-interview-john-ford-fabelmans-exclusive/ (※2)https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1028510489321633&id=100064880730053&set=a.634279698744716 『フェイブルマンズ』© 2022 STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
-
COLUMN/コラム2025.06.12
世界中で大ヒット!M・ナイト・シャマランの“ある秘密”路線第1弾!!『シックス・センス』
今年4月、俳優のハーレイ・ジョエル・オスメントが、公共の場での酩酊とコカイン所持で逮捕された。そして先頃、週3回の依存症者ミーティングに半年間の出席を義務付けられたというニュースが、飛び込んできた。 今回もそうだが、記事などに取り上げられる場合、必ず「『シックス・センス』…のハーレイ・ジョエル・オスメント」と紹介される。30代後半の今になっても、“天才子役”と謳われた時期の、1999年公開作のタイトルが冠せられるのである。 それはある意味、この作品の監督である、M・ナイト・シャマランにも共通する。彼の場合、その後何本もヒット作を出しているにも拘わらず、「『シックス・センス』…の」と、枕詞のように付いて回る。 これは本作『シックス・センス』が、初公開時にそれほどのインパクトを残した証左とも言える。 “シックス・センス=第六感”。人が備える5つの感覚=視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を超えた、第6番目の感覚を指す。 1970年生まれ、まだ20代でそれまでは低予算作品しか手掛けてなかったシャマランが世に放った、3本目の長編監督作品。原作などはない、自作の“オリジナル脚本”の映画化だった。 日本公開で耳目を攫ったのは、本編上映前にスクリーンに映し出された、次の内容のスーパー。 「この映画のストーリーには“ある秘密”があります。映画をご覧になった皆様は、その秘密をまだご覧になっていない方には決してお話しにならないようお願いします」 この前口上は、主演のブルース・ウィリスとM・ナイト・シャマランの両名によるものという体裁になっていたが、実は日本公開版にだけ付加されていた。これは、70年代後半から80年代に掛け、そのコケオドシ宣伝(失礼!)が、「東宝東和マジック」などと謳われた、本作の配給会社ならではの仕掛けであったことは、想像に難くない。 一部識者などからこの前口上は、「ネタバレを招く」などとも批判を受けた。しかし一般観客へのアピールは強かったようで、口コミの拡散にも大いに繋がったものと思われる。 また、「この映画のストーリーには“ある秘密”があります」というフレーズは、その後のシャマランのフィルモグラフィーを、実に的確に予見もしていた。 ***** 小児精神科医のマルコム(演;ブルース・ウィリス)は、子ども達の心の病を治療する第一人者として、名を馳せていた。 ある時、自宅で妻のアンナ(演:オリビア・ウィリアムズ)とくつろいでいた彼の前に、10年前に治療を担当していたヴィンセントが、現れる。ヴィンセントは「自分を救ってくれなかった」とマルコムをなじり、その腹を銃で撃つ。そして自らも、頭を撃ち抜くのだった。 1年後、ヴィンセントを救えなかったことで自分を責め続けたマルコムは、いつしか妻との間に大きな溝が生まれていた。彼女に話しかけても、すげなくされてしまう…。 そんな彼が新たに担当することになったのは、8歳の少年コール(演: ハーレイ・ジョエル・オスメント)。コールの症状は、かつてのヴィンセントに酷似していた。 実はコールには、死者が見えてしまう“第六感=シックス・センス”があったが、それを周囲に明かせないまま、怯え苦しみ、学校で「化け物」扱いされるまでに。更に、その事情を知らない母親リン(演;トニ・コレット)も、自分の息子の扱いに苦慮していた。 マルコムも、当初は幽霊の存在に懐疑的だったが、やがてコールの言葉を受け入れるようになる。2人は力を合わせて、死者がコールの前に現れる理由を探る。 そうした中でマルコムは、あまりにもショッキングな、“ある秘密”に行き当たる…。 ***** シャマラン監督は、インド生まれのフィラデルフィア育ち。両親とも医者の家庭だった。 8歳の時に8㎜カメラをプレゼントされ、16歳までに、45本の短編映画を監督。高校は首席で卒業し、有名医科大の奨学金にも合格していたが、ニューヨーク大学のアートスクールに進学し、映画の道に向かった。 子どもの頃は、家に帰ってドアが開いていると、「誰かが中に潜んでいるのでは…」と考えてしまうような、大の怖がりだった。『シックス・センス』は、シャマランのそんな幼少時の記憶がベースになっているという。 企画をスタートさせたのは、2本目の長編作品の仕上げ段階だった。シャマランの発言をすべて真に受けるならば、本作はその時点から、“第六感”めいたエピソードに事欠かない。 例えば劇中でコールが言う有名なセリフ~I see dead people=僕には死んだ人が見える~。しかしシャマランは、脚本から一旦削除した。少年のセリフとはいえ、幼すぎると感じたからだ。 しかしその時、「“声”が聞こえた…」のだという。「そのセリフを元に戻せ」と。結果的に~I see dead people~は、多くの観客の口の端に上る流行語となった。 シャマランは監督前作のポスプロ中に、その編集スタッフに、『シックス・センス』という脚本を書こうと思っていると、告げていた。その際に彼は、こんな予言をしていた。「主演はブルース・ウィリスになるよ、きっと」と。 もちろんそのスタッフからは、「あ、そう」と一笑に付された。監督として駆け出しのシャマラン作品に、当時すでにスーパースターだったウィリスが出ることなど、夢物語だったのだ。 シャマランは、『エクソシスト』『シャイニング』『ローズマリーの赤ちゃん』『反撥』などのホラー映画の名作に、様々な形でインスパイアされて、脚本を書き上げた。それをまだ無名な存在の彼自身が監督するという条件付きだったのにも拘わらず、ディズニーに300万㌦の高額で競り落とされた。こうして、ウィリスへの交渉ルートが開けた。 シャマランは、『ダイ・ハード』シリーズ(1988~)などで、一般的にアクションスターのイメージが強いウィリスのことを、「非常に芸域の広い俳優」と評価していた。元々はTVシリーズの「こちらブルームーン探偵社」(1985~89)のコメディ演技で人気となったウィリスを、ドラマティックな役やごく普通の人も演じられると、見込んだのである。 まずはウィリスに脚本を読んでもらった上で、面会という段取りになった。彼の主演を前提とした当て書きをしたシャマランも、さすがに極度の緊張状態に陥った。ところがそこにウィリスが現れると、いきなり「ノー・プロブレム」と口に出し、シャマランを抱きしめたのだという。 当時のウィリスは、悪たれ野郎のイメージが強かった。しかしそれと同時に、クエンティン・タランティーノの出世作『パルプ・フィクション』(94)に出演するなど、有望な新人監督の作品をチョイスする、目利きの側面もあったのだ。 1年前にシャマランの予言を鼻で笑った、件のスタッフは、ブルース・ウィリスが主演に決まった旨の連絡を受けて、ビックリ仰天することとなった。 この頃1本の出演料が2,000万㌦にも達していたウィリスの主演にも拘わらず、『シックス・センス』の製作費は、4,000万㌦程度に抑えられている。それはウィリスが、出演料を100万ドル以下にディスカウントしてくれたからである。その代わりに、映画がヒットして利益が出た場合には、歩合を貰う条件が付いた。結果的にウィリスの懐には、1億㌦以上が転がり込むこととなる。 ウィリスが演じるマルコムと並んで重要だったのは、コール少年役。シャマランは、オーディションで数多くの子役と面会したが、なかなかピンとくるものがなかった。 そんな時にシャマランの前に現れたのが、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)で主人公の息子を演じたことで知られていた、ハーレイ・ジョエル・オスメント。シャマランはその演技を見て、すぐにOKを出した。『シックス・センス』の撮影は、シャマランの生まれ故郷で、アマチュア時代からずっと映画の舞台にしてきたフィラデルフィアで、42日間のスケジュールで行われた。市内の古い市民センターを拠点に、この地区の主な展示施設に、7つのオープンセットが組まれた。 オスメント演じるコールは、己の持つ“シックス・センス”のせいで、不幸でいつも暗い表情。笑顔は見せない。 これまでの作品では、自分の体験との共通項を見出して役を演じてきたというオスメントだったが、本作ではそれが不可能だった。そのため役作りとしては、「脚本を何度も読み返すしかなかった」という。 そこからが、さすが“天才子役”。オスメントは脚本を何度も読み返す内に、コールの考え方が理解できるようになっていった。そして撮影時には、スイッチをON・OFFするかのように、コールになったり自分に戻ったりできるようになったという。普段は普通の10歳の少年であるオスメントが、「“あと5分”で本番の声がかかったとたん、コールになりきってしまう」と、ウィリスも感心しきりだった。 因みにウィリスは撮影中、自分が映ってないショットでも、オスメントの見える所に居て、演技しやすいように協力したという。 さて本作は、1999年8月6日にアメリカで公開されると、5週連続で興行成績TOPを記録。全米で300億円、全世界で700億円稼ぎ出す、特大ヒットとなった。 アカデミー賞でも、作品、監督、脚本、助演男優(オスメント)、助演女優(トニー・コレット)、編集の計6部門でノミネート。“ホラー映画”というジャンルとしては、快挙と言える成果を上げた。 ブルース・ウィリスは本作がメガヒットとなったことについて、その第一の理由として、「ハリウッド映画の90%が何らかのかたちで“原作もの”であるなか、『シックス・センス』は完全に“オリジナル”なストーリーである…」ことを挙げている。しかし本作が、“オリジナル”と言い切れるかどうかは、実は微妙なのである。 さてここからは、日本公開版冒頭で謳われた、“ある秘密”に関わる話となってしまう。本作は非常に有名な作品なので、その“ある秘密=オチ”をご存知の方も多いであろうが、もしもまだ知らないのであれば、この後を読み進むのは、本作鑑賞後にした方が良いかも知れない。 『シックス・センス』の“ある秘密”は、ラストで明かされる。それはマルコムが、実は冒頭で腹を撃たれた時に死んでおり、それを本人が気づいていないということ…。 このプロットはシャマラン自身、TVの子ども向けホラー・シリーズから戴いたことを認めている。しかしそれ以上に、『恐怖の足跡』(62)という、それほど有名ではないホラー作品と「そっくり」であることが、指摘されている。 シャマラン作品はこの後暫し、「実は死んでいた」のバリエーションの如く、“ある秘密”が、物語のクライマックスで明かされるパターンが続いていく。「実は“不死身”だった」「実は“宇宙人”の仕業だった」「実は“現代”だった」等々。 どの作品も、「サプライズなオチ」目掛けて、ストーリーが進んでいく。そしてそれぞれが、元ネタと思しき、先行するB級作品を、識者から指摘されるところまで、同じ轍を踏んでいく。 そうこうする内に、段々とその展開に、強引さや無理矢理な部分が目立つようになっていく。やがてシャマランも、方針転換を余儀なくされ、現在に至るわけだが…。 何はともかく、シャマランの“ある秘密”路線の第一弾だった本作『シックス・センス』。その初公開時の衝撃は、当時の観客にとって、凄まじいものであった。それだけは、紛れもない事実である。■ 『シックス・センス』© Buena Vista Pictures Distribution and Spyglass Entertainment Group, LP. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2025.06.03
オカルト映画ブームを盛り上げたリチャード・ドナー監督の記念すべき出世作『オーメン』
時代の世相を如実に映し出していた’70年代のオカルト映画人気 ‘70年代のオカルト映画ブームを代表する名作である。アカデミー賞で作品賞を含む計10部門にノミネート(受賞は脚色賞と音響賞)されたウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(’73)の大ヒットをきっかけに、たちまち世界中で巻き起こったオカルト映画ブーム。ただし、そのルーツはロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)と言われており、実際に『エクソシスト』も同作の影響を抜きに語ることは出来ない。アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(’60)と並んで、いわゆるモダン・ホラーの金字塔とも称される『ローズマリーの赤ちゃん』だが、しかし公開当時はその成功が大きなムーブメントへと繋がることはなかった。これはひとえにタイミングの問題であろう。 カルト集団マンソン・ファミリーによる残忍な連続殺人事件が、全米はもとより世界中に大きな衝撃を与えたのは’69年夏のこと。折しも’60年代末から’70年代にかけて、アメリカではアントン・ラヴェイ率いるサタン教会が設立されるなどサブカルチャーの一環としてサタニズム(悪魔崇拝)が注目され、’73年には超能力者を自称するユリ・ゲラーがアメリカの国民的トーク番組「トゥナイト・ショー」への出演を機に欧米で大変なブームを巻き起こす。このユリ・ゲラー人気はほどなくして日本へも上陸。奇しくも同じ頃、日本でもベストセラー本「ノストラダムスの大予言」をきっかけに空前のオカルト・ブームが到来していた。ベトナム戦争やオイルショックによる世界的な経済不況、各国で頻発する過激派テロや犯罪増加による治安の悪化、ウォーターゲート事件に代表される権力の腐敗などなど、混沌とする国際情勢への漠然とした不安が、こうしたオカルトへ対する関心を世界中で高める要因になったのかもしれない。いずれにせよ、そういう時代だったのだ。 まさに機は熟した’70年代半ば。ホラー映画としては異例中の異例であるアカデミー作品賞ノミネートを果たし、全米年間興収ランキングでも『スティング』に次いで2位という大ヒットを記録した『エクソシスト』。これを皮切りに『魔鬼雨』(’75)や『悪魔の追跡』(’75)、『家』(’76)に『オードリー・ローズ』(’77)に『センチネル』(’77)に『マニトウ』(’78)に『悪魔の棲む家』(’79)にと、それこそ数えきれないほどのオカルト映画が作られたほか、イタリアの『デアボリカ』(’74)や『レディ・イポリタの恋人/夢魔』(’74)、日本の『犬神の悪霊(たたり)』(’77)にドイツの『ヘルスネーク』(’74)などなど、『エクソシスト』を露骨にパクったエピゴーネン作品も世界中で量産されることに。中には、脚本からカメラワークに至るまで『エクソシスト』を丸ごと完コピ(ただし製作費は本家の1/100くらい)したトルコ映画『Şeytan(悪魔)』(’74・日本未公開)なんて珍品もあった。そんな空前のオカルト映画ブームの真打として登場し、『エクソシスト』にも負けず劣らずの大成功を収めた作品がこの『オーメン』(’76)だった。 この世に恐怖と混乱をもたらす悪魔の子ダミアン それは6月6日午前6時のこと。ローマのアメリカ大使館に勤務するエリート外交官ロバート・ソーン(グレゴリー・ペック)は、出産のために妻キャサリン(リー・レミック)が入院するカトリック系病院へと駆けつける。付き添いのスピレット神父(マーティン・ベンソン)から死産だったことを告げられ、深くうなだれるロバート。長いこと子宝に恵まれなかったソーン夫妻にとって、まさしく待望の初産だったのである。しかも、キャサリンはもう2度と妊娠できない体だという。どうやって妻に伝えればいいのか…。ショックと失望で混乱するロバートに、スピレット神父が養子縁組を持ち掛ける。実は同じ時刻に同じ病院で生まれたものの、母親が死亡して身寄りのなくなった男児がいるというのだ。なんという偶然。これは神の思し召しかもしれない。養子であることを妻に隠して赤ん坊を引き取ったロバートは、この息子をダミアンと名付けて大切に育てるのだった。 それから5年後。ダミアン(ハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス)はいたずらっ子の可愛い少年へと成長し、ソーン家には明るい笑い声が響き渡っていた。そこへロバートの昇進の朗報が。駐英アメリカ大使に任命されてロンドンへ栄転することとなったのだ。このまま順調に行けば、いずれアメリカ合衆国大統領になることも夢ではないかもしれない。ところが、この頃からソーン夫妻とダミアンの周辺で不穏な出来事が重なっていく。盛大に行われたダミアンの5歳の誕生パーティ。そこで若い乳母(ホリー・パランス)が突然「ダミアン、全てはあなたのためよ」と叫び、公衆の面前で首つり自殺を遂げる。屋敷の周辺を徘徊する怪しげなロットワイラー犬。代わりにベイロック夫人(ビリー・ホワイトロー)というベテラン乳母が赴任してくるものの、しかしロバートもキャサリンも新しい乳母を依頼した覚えなどなかった。ソーン夫妻に隠れて「あなたをお守りするために来ました」とダミアンに告げるベイロック夫人、その言葉を聞いて不気味な笑みを浮かべるダミアン。息子の周辺を独断で仕切っていくベイロック夫人にソーン夫妻は困惑する。 一方その頃、ローマからやって来たブレナン神父(パトリック・トラウトン)がアメリカ大使館を訪れ、ダミアンの忌まわしき出生の秘密を知っているとロバートに警告する。当初は狂人の戯言と片付けていたロバートだったが、しかし教会へ向かったダミアンが恐怖のあまりパニックに陥る、動物園の動物たちがダミアンの存在を脅威に感じて暴れるなどの不可解な事件が相次いだため、改めてブレナン神父から話を聞いたところ、彼によればダミアンは悪魔の子供だという。しかも、キャサリンが第二子を妊娠しており、ダミアンと悪魔崇拝者たちは母子共に葬り去るつもりらしい。なんとバカげたことを!そもそも妻はもう妊娠できない体だ!デタラメを言うんじゃない!二度と我々に近づくな!怒りを露わにしたロバートだったが、その直後にブレナン神父は教会の屋根から落ちてきた避雷針が体を貫通して即死。そのうえ、妻キャサリンが本当に妊娠していたことも発覚する。 そんな折、以前より顔見知りだった報道写真家ジェニングス(デヴィッド・ワーナー)からコンタクトがある。首つり自殺をした若い乳母、避雷針が突き刺さったブレナン神父、それぞれ生前の写真に死の「予兆」を示すような影が写っているというのだ。不気味な影はジェニングス自身の写真にも写り込んでいた。まるで彼の死を預言するように。その頃、身重の妻キャサリンが大使公邸の吹抜け2階から転落する。辛うじてキャサリンは一命をとりとめたが、お腹の中の子は流産してしまった。やはりダミアンは本当に悪魔の子なのか。いったいソーン家の周辺で何が起きているのか。真相を確かめるべくローマへ向かったロバートとジェニングス。そこで亡きブレナン神父から聞かされた専門家ブーゲンハーゲン(レオ・マッカーン)に会った彼らは、もはや疑いようのない驚愕の事実と向き合うことになる…。 『オーメン』に成功をもたらした脚本と演出の妙とは? 劇中でも言及される新約聖書の預言書「ヨハネの黙示録」をヒントに、人間として地上に生まれた悪魔の子供が不思議な力と崇拝者たちによって守られ、世の中の混沌に乗じて超大国アメリカの権力中枢へ食い込もうと画策する…というお話。’70年代当時の不穏な世相を背景にした陰謀論的な筋書きは、それゆえ荒唐無稽でありながらどこか奇妙な説得力を持っている。そのうえで、本作はオカルト映画にありがちな超常現象やモンスターの類を一切排除し、徹底したリアリズムを貫くことで物語に信憑性を与えているのだ。ポランスキーが『ローズマリーの赤ちゃん』で採った手法と同じである。 ダミアンの周辺で起きる怪事件の数々は、なるほど確かに悪魔の仕業と言われればそうかもしれないが、しかし単に不幸な偶然が重なっただけとも受け取れる。その結果、ロバートもジェニングスも精神を病んだブレナン神父の妄想をうっかり信じ込んでしまい、不幸な結末へ向けて勝手に暴走してしまった…と解釈することも可能であろう。ローマで発覚する衝撃的な事実の数々だって、実のところ悪魔ではなく悪魔崇拝カルト集団の陰謀に過ぎないと考えることも出来る。もちろん、そうではないことも随所でしっかりと暗示されるわけだが、いずれにせよこのファンタジーとリアルの境界線ギリギリを狙った語り口が非常に上手い。ブームによって数多のオカルト映画が量産される中、本作が『エクソシスト』に匹敵するほどの支持を観客から得ることが出来たのは、この「世相を投影した脚本」と「リアリズムに徹した演出」があったからこそであろう。 本作の生みの親はドキュメンタリー畑出身の映画製作者ハーヴェイ・バーンハード。友人ボブ・マンガーとハリウッドのレストランで食事をしたところ、「もしヨハネの黙示録に出てくる反キリストが幼い少年だったら?」という話題になったという。これは映画のネタになる!と直感したバーンハードは、すぐさまアイディアを10ページほどの企画書にまとめ、ドキュメンタリー時代からの知人であるデヴィッド・セルツァーに脚本を依頼する。実は劇映画の脚本を書いた経験が乏しかったという当時のセルツァー。ドキュメンタリー作家として家族を養うことが厳しくなったため、脚本家としての実績を偽って周囲に売り込みをかけたところ、原作者ロアルド・ダールが降板した『夢のチョコレート工場』(’71)の脚本改訂版をノークレジットで担当したばかりだった。恐らく、バーンハードもその売り込みを信じたのかもしれない。それが結果として吉と出たのだから、まさしく「Fake It Till You Make It(本当に成功するまで成功したふりをしろ)」を地で行くような話ですな(笑)。 当初、主人公ロバート・ソーン役にチャールズ・ブロンソン、監督には『激走!5000キロ』(’76)などのB級アクション映画で知られるスタントマン出身のチャック・ベイルという顔合わせで、『エクソシスト』のワーナー・ブラザーズが出資することになっていたという『オーメン』。スイスでのロケハンも行われていたらしい。ベイル監督がカーチェイス・シーンの話ばかりするため、「一体どんな映画になるのか心配だった」というセルツァー。ところが、当時ワーナーで同時進行していた『エクソシスト2』(’77)に予算がどんどん持っていかれてしまい、最終的に本作の企画自体が暗礁へ乗り上げてしまった。そこで救いの手を差し伸べたのが20世紀フォックスのアラン・ラッド・ジュニア。このラッド・ジュニアの要望で監督がリチャード・ドナーに交代し、主演俳優にも天下の名優グレゴリー・ペックが起用されることとなったというわけだ。 それまで劇場用映画では全くヒットに恵まれず、主にテレビドラマの演出家として活躍していたドナー監督。本作における徹底したリアリズム路線を打ち出したのは彼だったという。実は、もともとセルツァーの書いたオリジナル脚本には超常現象やら魔女やらが登場し、ローマ郊外の墓地のシーンでは半人半獣のモンスターも出てくるはずだったらしい。しかし、物語に説得力を持たせることを最優先に考えたドナー監督は、脚本にあった非現実的な要素を極力排除することに。監督自身は本作をホラー映画ではなく、ヒッチコック・スタイルのサスペンス・スリラーと考えて取り組んだと振り返っている。 また、ベイロック夫人もオリジナル脚本では、一見したところ温厚そうな女性という設定だったが、しかしオーディションを受けた女優ビリー・ホワイトローの芝居に強い感銘を受けたドナー監督の判断で、本作における「悪の権化」を一手に担うようなキャラに変更。そのおかげで、普段は無邪気な少年にしか見えないダミアンの秘められた二面性が、ベイロック夫人の邪悪な存在によって引き出されていくという効果が生まれたようにも思う。そのベイロック夫人の台詞は演じるホワイトロー自身が書き直したとのこと。そうした大胆な路線変更の結果、脚本家のセルツァーをして「出来上がった映画は脚本よりも遥かに素晴らしかった」と言わしめるような作品に仕上がったのだ。 あのSFブロックバスター映画の成功も実は本作のおかげ…? ハリウッド史上屈指の大スターに数えられるオスカー俳優グレゴリー・ペックに、『酒とバラの日々』(’62)でオスカー候補になった名女優リー・レミックという主演陣の顔合わせも功を奏した。当時はまだまだ、ホラー映画がB級C級のジャンルと見做されていた時代である。出演する役者もジャンル系専門のB級スターか、もしくは落ち目の元人気スターと相場は決まっていた。それだけに、グレゴリー・ペックにリー・レミックという超一流キャストは興行的な理由ばかりでなく、観客を登場人物に感情移入させて物語に説得力を持たせるという意味においても効果は絶大だったと言えよう。脇を固めるのもデヴィッド・ワーナーにビリー・ホワイトロー、レオ・マッカーンなど、いずれも知る人ぞ知る英国演劇界の名優ばかり。演出だけでなく役者の芝居にも嘘くささがない。 なお、ホラー映画史上最もショッキングな名場面とも言われる首吊りシーンで強烈な印象を残す、若い乳母役のホリー・パランスは往年の名優ジャック・パランスの愛娘。実は、本作の以前にドナー監督はジャック・パランスとテレビで仕事をしたことがあり、その際に「何か機会があれば娘をよろしく頼む」と言われたそうで、その約束を果たすために声をかけたという。当時まだ駆け出しだったホリーはそのことを全く知らなかったそうで、エージェントの指示でドナー監督と会いに行ったところ、オーディションもカメラテストもなしで採用されたためビックリしたらしい。 一流と言えば、撮影監督を任されたカメラマン、ギルバート・テイラーの存在も忘れてはなるまい。ロマン・ポランスキーやリチャード・レスターとのコラボレーションで知られ、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』(’64)やヒッチコックの『フレンジー』(’72)でも高く評価されたテイラー。当時は映画界からセミ・リタイアして、自身がロンドン郊外に所有する農場で酪農に従事していたそうだが、その農場へ出向いたドナー監督が根気よく口説き落として現役復帰することに。空間のバランスと奥行きを細部まで計算し尽くした画面構図の美しさは、間違いなくテイラーの功績であろう。この極めてスタイリッシュなビジュアルが、映画全体の風格を高めたとも言える。そういえば、スティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』(’75)やジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(’77)あたりを契機に、かつてはBクラス扱いされていたホラーやSFなどのジャンル系映画を、メジャー・スタジオがAクラスの予算と人材を投じて作るようになったわけだが、本作や『エクソシスト』もその流れ作りに大きく貢献したのではないかと思う。 ちなみに、もともと本来のクライマックスではロバートのみならずダミアンも死亡し、エンディングはソーン親子3人全員の葬儀という設定だったのだが、撮影終了後にラフカット版を見たアラン・ラッド・ジュニアが「子供だけ生き残るってのはどうだろう?」と提案。これにドナー監督が同意したことから大急ぎで追加撮影が行われ、あの衝撃的なラストシーンが生まれたのである。ダミアン役のハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス少年は演技未経験の素人。それゆえドナー監督は、演技をさせるのではなく素のリアクションを引き出すことに腐心したそうなのだが、このラストシーンの撮影では「笑っちゃだめだからね!笑うんじゃないよ、笑うんじゃないよ、ぜーったいに笑うんじゃないよ!」とカメラの後ろからわざと煽りまくり、我慢しきれなくなったハーヴェイ少年が思わず笑みをこぼしたところでジ・エンドとなったわけだ。 かくして’76年6月6日に全米主要都市でプレミア上映が行われ、6月25日よりロードショー公開されて爆発的なヒットを記録した『オーメン』。キリスト教において「666」が獣(=悪魔)の数字であることを、世界中で広く知らしめたのは本作の功績のひとつである。脚本家セルツァー自身が書き下ろしたノベライズ本も、劇場公開に先駆けて出版されベストセラーに。2本の続編映画と1本のテレビ用スピンオフ映画、さらには1作目のリメイク版映画や2本のテレビ・シリーズも作られるなどフランチャイズ化され、最近ではダミアンの誕生に至る前日譚を描いた映画『オーメン:ザ・ファースト』(’24)も話題となった。そういえば’06年のリメイク版には、すっかり大人になったハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス(1作目のダミアン役)が取材レポーター役で顔を出していましたな。 本作で初めて劇場用映画の代表作に恵まれたドナー監督は、封切からほどなくして大物製作者アレクサンダー・サルキンドから映画『スーパーマン』(’78)のオファーを受け、そこからさらに『グーニーズ』(’85)や『リーサル・ウェポン』(’87)シリーズの成功へと繋がっていく。また、当時『スター・ウォーズ』の撮影監督ジェフリー・アンスワースが降板してカメラマンを探していたジョージ・ルーカスから問い合わせがあり、ドナー監督は後任として本作のギルバート・テイラーを推薦したという。ただし、テイラーからは「なんてことに巻き込んでくれたんだ!あの若者たちは何も分かっていない!まるでマンガみたいな映画じゃないか!」と文句を言われたのだとか(笑)。さらに、20世紀フォックスのアラン・ラッド・ジュニアは膨れ上がっていく『スター・ウォーズ』の予算を、『オーメン』の莫大な興行収入で賄ったとも言われている。もしかすると、本作の成功がなければ『スター・ウォーズ』も世に出ていなかったかも…?■
-
COLUMN/コラム2025.05.26
パク・フンジョン監督が、3大スターと切り開いた、“韓国ノワール”の『新しき世界』
高校時代に映画好きになったという、1974年生まれのパク・フンジョン監督。映画学校などに通うことはなく、「映画を見て書き起こす」ことで、脚本を学んだという。 ゲームや漫画のシナリオなどを経て、2010年にキム・ジウン監督の『悪魔を見た』、リュ・スンワン監督の『生き残るための3つの取引』という2作の脚本で注目を集める。翌11年にはサスペンス時代劇『血闘』で、念願の監督デビューを果した。 監督第2作となる本作『新しき世界』(2013)は、そんなパク・フンジョンの、“ギャング映画への憧れ”から始まった企画。『ゴッドファーザー』『インファナル・アフェア』『エレクション』等々、洋の東西を問わず、白黒や善悪がはっきり分けられるような単純な世界観ではない、“ノワール映画”が大好きだった彼が、積年の夢を果した監督作品である。 ***** 韓国の巨大犯罪組織ゴールド・ムーン。そのTOPが、謎めいた交通事故で急死した。組織の幹部であるチョンチョンとイ・ジュングの、後継者争いが始まる。 チョンチョンの右腕イ・ジャソンは、実は潜入捜査官。カン課長の命を受け、組織に送り込まれて8年。警察に戻る日を心待ちにしていた。 しかしTOP不在の混乱を機に、組織を壊滅しようと目論んだカン課長が、「新世界プロジェクト」を発動。新たな指令を受けたジャソンは反発するが、逆らう術はなかった。 ジャソンの言葉に決して耳を傾けない、カン課長。それに対しチョンチョンは、同じ“韓国華僑”という出自のジャソンを「ブラザー」と呼び、信頼を寄せていた。任務と友情の板挟みとなったジャソンの苦悩は、日々深まっていく…。 カン課長は、一触即発状態のチョンチョンとイ・ジュングそれぞれに接触。2人の対立を煽る。チョンチョンは、組織に内通者が居ることを直感。その正体を探る。 チョンチョンから人目につかない倉庫に呼び出されたジャソンは、連絡係の女性刑事が瀕死の状態でドラム缶に詰められているのを見て、正体がバレたことを覚悟した。しかしチョンチョンが始末したのは、ジャソンも知らなかった、別の潜入捜査官だった。 本当に気付かれていないのか?ジャソンは、身も心も張り裂けそうになる。 警察の介入で、ゴールド・ムーンの跡目争いはエスカレートしていく。ジャソン、カン課長、チョンチョン…3人の男の運命は!?そして訪れる、“新しき世界”とは!? ***** 数々の“ノワール”の影響が見て取れる本作であるが、特に大きかったと思われるのが、香港作品の『インファナル・アフェア』シリーズ(2002~03)と、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』シリーズ(1972~90)。『インファナル・アフェア』3部作は、潜入捜査官のヤンと、逆に警察組織に送り込まれた、覆面マフィアのラウを主人公にした、香港ノワールの代表的な作品。2006年にはマーティン・スコセッシ監督により、ハリウッドで『ディパーテッド』としてリメイクされ、アカデミー賞の作品賞や監督賞などを受賞している。 イ・ジャソンの、正体は警察官ながら、マフィアに長年身を置いたことで、その仲間に友情やシンパシーを抱き、苦悩を深めるという人物像は、『インファナル・アフェア』でトニー・レオンが演じたヤンにカブるところがある。こうした主人公の中の“二律背反”は、チョウ・ユンファ主演の香港作品『友は風の彼方に』(1987)や、それをパクったタランティーノの監督デビュー作『レザボア・ドッグス』(92)、ジョニー・デップ主演の『フェイク』(97)等々、“潜入捜査官もの”では、定番とも言えるが。 実は『新しき世界』以前は、“潜入捜査官”という設定は、“韓国ノワール”には、ほとんどなかったのだという。そうした意味でも直近の傑作、『インファナル・アフェア』の存在は、大きかったと言える。 一方でそれ以上に色濃く感じられるのが、『ゴッドファーザー』の影響。巨大犯罪組織の跡目争いに、心ならずも巻き込まれていく主人公の苦悩は、『ゴッドファーザー』シリーズでアル・パチーノが演じた、マイケルと重なる。 また『ゴッドファーザー』が、イタリア移民によって構成された“ファミリー”の物語であったのと同様、『新しき世界』では、ジャソンとチョンチョンに、“韓国華僑”という少数派の設定を与えている。“韓国華僑”は韓国内に永住している、唯一の外国籍民族集団で、長らく差別的な扱いを受けてきた歴史がある。 パク・フンジョンは本作に関して、「ファミリーの歴史を叙事詩のように描く“エピック・ノワール”をやってみたかった」と語っているが、これは言い換えれば、自分なりの『ゴッドファーザー』を作ってみたかったということであろう。ネタバレになるので詳しくは述べないが、クライマックスにすべてが決着する“大殺戮”が展開する辺り、監督の「これがやりたかった!」感が、至極伝わってくる。 因みに『新しき世界』は、元は警察と巨大犯罪組織を巡る長いストーリーの構想から成り立っていた。それは「企業型の犯罪組織ゴールド・ムーンの誕生まで」から始まり、「新しいボスを迎えたゴールド・ムーンの内幕と警察の反撃」で終幕を迎える。映画化に当たって、最も商業的に適する部分として、その中間パートを抜き出して脚本化し、1本の作品に仕上げたのだという。 本作の肝となる3人の男、ジャソン、カン課長、チョンチョン。この3人のバランスをどう取るかが、作品の完成度に大きく関わってくる。結果的に、監督が構想していたキャラクターと、「ほぼ100パーセント、シンクロ」するキャスティングが行われた。 カン課長を演じたチェ・ミンシクは、シリアルキラーを演じた『悪魔を見た』で、脚本を担当していたパク・フンジョンと出会った。その際に沢山話をして、「何かを持っている」と感じたミンシクは、フンジョンと連絡を取り続けていた。 そして本作の「土台となる人物」ながら、「目立ってはいけない」黒幕的存在の、カン課長役のオファーを受ける。ミンシクの長いキャリアの中で、映画で警官を演じたのは、「初めて」だったという。 ミンシクは自らの出演が決まると、イ・ジョンジョに直接電話を掛けた。大先輩からの「映画に出ないか?」との誘いに乗って、それまでラブストーリーなどの出演が多かったジョンジェが、ジャソンを演じることとなった。 潜入捜査官のジャソンは、ほとんどのシーンで感情を隠さなければならない役どころ。ジョンジェは、「立っている」「苦悩に満ちる」などとしか書かれていない脚本を徹底的に分析し、監督言うところの「深みのある内面の演技」を見せた。 “静的”なジャソンとは対照的に、極めて“動的”なキャラクターであるチョンチョン役を引き受けたのは、監督の脚本作『生き残るための3つの取引』の主演だった、ファン・ジョンミン。 ソウルで上演中のミュージカル「ラ・マンチャの男」で主演を務めていたジョンミンは、公演のスケジュールと本作の撮影が丸かぶり。芝居が終わると深夜の高速バスで、ロケ地の仁川まで移動し、日中の撮影を終えると、高速鉄道でソウルまで戻って舞台に立つという、ハードな日々を送ることとなった。 イ・ジョンジェ曰く、最初の読み合わせの際に、ファン・ジョンミンの脚本は、もうボロボロになっていたという。ジョンミンは、ヘアスタイルから衣裳、セリフまで、アイディア出しを行い、撮影現場では、アドリブを多用した。 象徴的と言えるのが、チョンチョンの初登場シーン。中国の取引先から戻った彼は、飛行機のスリッパを履いたまま、到着ロビーに現れる。気ままで勝手放題なチョンチョンのキャラクターを表わすこのシーンは、まさにジョンミンのアイディアが元となっている。 チョンチョンは全羅道訛りで、常に悪態をつき続けるが、ジョンミンは脚本を貰った段階で監督に、自分でセリフを全部直すことを申し入れたという。具体的には、その地域の方言を話す者の力を借り、更には、悪口の数をぐっと増やして、最終的には自分の口に馴染むよう、書き直したのだという。 ジャソンが「正体がバレたか?」と震え上がる、裏切者の粛正シーンでは、雨垂れで血が付いた手を洗い、口をすすぐ演技を見せる。これも脚本上では、「後ろ姿を見せる」としか書かれておらず、100%ジョンミンのアドリブだった。 これらのアドリブはもちろん、ジョンミンが悪目立ちするためにやったものではない。チョンチョンがいくら暴れても、主役はジャソンである。助演のチョンチョンがエネルギッシュであればあるほど、静的なジャソンが立つという計算の元に行われた。 本作のラストシーンでは、時代を遡って、イ・ジャソンとチョンチョンの6年前の出会いが描かれるが、実はこちらも脚本には存在しなかった。2人の“絆”を描くために、ジョンジェとジョンミンで話し合って、監督とも相談。クランクアップを迎える日に、急遽撮影されたものだったという。メインキャストの2人が、自分たちなりの“プリクエル=前日譚”を作ってみようと考えて、実現したものだった。 イ・ジョンジェ、チェ・ミンシク、ファン・ジョンミンという3大スターの出演がトントン拍子に決まった際は、「かなり当惑」し、「恐れさえ」感じたというパク・フンジョン監督。しかしキャラクターと「ほぼ100パーセント、シンクロ」する、3人のキャスティングは、最高の化学反応を見せたのである。『新しき世界』は、2013年2月に韓国で公開。すでに旬を過ぎたジャンルと思われていた“ヤクザ映画”が新たな展開を見せたと評価され、470万人を動員する大ヒットを記録した。 ファン・ジョンミンは韓国3大映画祭のひとつ、「青龍芸術大賞」で主演男優賞を受賞。イ・ジョンジェは「大鐘賞」の人気賞に輝いた。 当時ソニー・ピクチャーズによるハリウッドリメイクが決定とのニュースが流れた。しかしこれはご多分に漏れず、その後実現したとの報はない。 それよりも気掛かりなのは、パク・フンジョンが当時語っていた“3部作”構想。先に挙げた通り、本作の“前日譚”として、「企業型の犯罪組織ゴールド・ムーンの誕生まで」、後日談として、「新しいボスを迎えたゴールド・ムーンの内幕と警察の反撃」が存在した筈だったが、いつの間にか立ち消えとなってしまったようだ。 歳月が流れる中、『The Witch 魔女』シリーズ(2018~)で、女性アクションの新生面を開いた、パク・フンジョン監督。メインキャストは男・男・男の、『新しき世界』のシリーズ化は、時勢もあって、もはや関心外なのだろうか?■ 『新しき世界』© 2012 NEXT ENTERTAINMENT WORLD Inc. & SANAI PICTURES Co. Ltd. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2025.05.03
壮大なスケールと奇想天外なストーリー展開で普遍的な家族愛を描いたオスカー7部門制覇の大傑作!『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
独創的で型破りな演出はインディーズ映画の鬼才ダニエルズの十八番 『ムーンライト』(’16)や『ミッドサマー』(’19)、『関心領域』(’23)などの話題作・問題作で高い評価を受ける製作会社A24にとって、同社史上最高額の興行収入(1億4340億ドル)を稼ぎ出す大ヒットを記録し、’23年の第95回アカデミー賞では最多となる11部門にノミネート、そのうち作品賞以下7部門で受賞するという快挙を成し遂げた傑作である。中でも特に授賞式で注目を集めたのは、名もなき平凡な中国系アメリカ人の夫婦を演じたミシェル・ヨー(主演女優賞)とキー・ホイ・クァン(助演男優賞)の2人だ。 香港アクション映画のスーパースターとして活躍した’80年代より、40年に及ぶ輝かしいキャリアを誇ってきたマレーシア出身のベテラン女優ヨーと、ベトナム難民として渡ったアメリカで『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(’84)と『グーニーズ』(’85)に出演して人気が爆発したものの、しかし当時のハリウッドではアジア系の役柄が極めて少なかったために後が続かず、本作が実に20年以上ぶりのカムバック作品となった元名子役クァン。どちらも人生と業界の荒波を乗り越えてきたサバイバーである2人が、ハリウッドにおける年齢や性別や人種の見えない壁を見事に打ち破り、文字通り奇跡のようなオスカー初ノミネート&初受賞を果たしたのだから、本人たちだけでなく映画ファンとしても大いに感慨深いものがあったと言えよう。 なおかつ、これが長編劇映画2作目だった若手監督コンビ、ダニエルズ(ダニエル・クワンとダニエル・シャイナート)による、あまりにも自由で斬新で独創的かつ画期的なストーリーテリング術も多くの映画ファンを驚かせた。無人島で遭難した青年が海岸で発見した死体と共に我が家を目指して大冒険を繰り広げるという、処女作『スイス・アーミー・マン』(’16)も相当にシュールでヘンテコな映画だったが、本作はそれを遥かに上回る奇妙奇天烈なハチャメチャさが際立つ。不条理コメディにSFにホラーにカンフー・アクションにと数多のジャンルをクロスオーバーし、目まぐるしいスピードで縦横無尽にマルチバースを飛び回る天衣無縫なストーリーは一見したところ意味不明で難解だが、しかしその荒唐無稽と混沌の中から「私の人生、本当にこれで良かったのか?」という疑問を抱えたヒロインの様々な想いが走馬灯のように浮かび上がり、慌ただしい日常の中ですれ違う親子や夫婦の愛情と絆を描いた普遍的なファミリー・ドラマへと昇華される。その大胆不敵かつ巧妙な脚本と演出には、恐らく観客の誰もが舌を巻くはずだ。 忙しい日常に疲れ切った平凡な主婦が全宇宙の危機を救う!? ひとまず、なるべく分かりやすく整理しながらストーリーを解説してみたい。主人公はコインランドリーを経営する中国系アメリカ人の中年女性エヴリン(ミシェル・ヨー)。20年前に親の反対を押し切って、夫ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)と駆け落ち同然で結婚して渡米し、ひとり娘ジョイ(ステファニー・スー)をもうけたエヴリンだったが、しかし移民一世としての生活はまさに苦労の連続。辛うじてビジネスは軌道に乗ってきたものの、しかし忙しくて慌ただしい毎日の中で家族との溝は深まるばかり。優しくてお人好しなウェイモンドはいまひとつ頼りにならず、最近では交わす会話も殆んどなくなっている。娘ジョイとはさらに微妙で気まずい間柄。アメリカで生まれ育った移民二世のジョイとはカルチャーギャップがあり、なおかつ彼女がレズビアンであることを頭では分かっても心情的に受け入れられないエヴリンは、たまに娘が恋人ベッキー(タリー・メデル)を連れて実家へ顔を出しても素っ気ない態度を取ってしまう。ジョイもそんな母親に愛憎入り交じる感情を抱いており、あまり実家へ寄り付かなくなっていた。 そんな、ただでさえ訳ありの家族にさらなる問題が発生。コインランドリーが国税庁の監査対象になってしまい、膨大な資料をまとめた書類を提出せねばならなくなったのだ。折しも、高齢で介護の必要になった父親ゴンゴン(ジェームズ・ホン)が中国から来たばかり。本当は息子の欲しかった父親は、幼い頃からエヴリンに対して非常に厳しかった。エヴリンが必死になって働いてきたのは、そんな父親に認めて欲しいという想いもあったからなのだが、しかしいまだ家父長気分の抜けない父親は偉そうにふんぞり返るばかり。税金の申告書作成に加えて、英語も全く話せない我がまま老人の父親の世話、さらには店の切り盛りもせねばならないエヴリンは、もはやストレスと疲労で崩壊寸前だった。 監査官ディアドレ(ジェイミー・リー・カーティス)と面談して書類をチェックしてもらうため、ウェイモンドとゴンゴンを連れて国税庁へとやってきたエヴリン。すると、いきなり豹変したウェイモンドが不可解なことを口走る。自分はアルファバースからやって来たアルファ・ウェイモンド。アルファバースのエヴリンが生んでしまった強大な悪の化身ジョブ・トゥパキが、多元宇宙(マルチバース)の全てにカオスをもたらそうとしている。それを止めることが出来るのは、この世界のエヴリン、つまり君しかいない!というのだ。 なんのことだかさっぱり分からず困惑するエヴリンだったが、しかしそんな彼女の前に別の宇宙から来たジョブ・トゥパキの刺客たちが次々と襲いかかる。これに対抗して全宇宙を救うためには「バース・ジャンプ」が必要だ。これまでの人生で目標を立てては挫折し、夢を抱いては諦めてきたエヴリン。そのたびに枝分かれした「別の人生」の数だけマルチバースが存在する。ある世界ではカンフーの達人、ある世界では映画スター、ある世界では歌手など、様々な才能を開花させている別バージョンのエヴリンたち。何も持たない最低の自分を生きている現世界のエヴリンは、バース・ジャンプによって別世界のエヴリンたちと繋がり、それぞれの特技を自分のモノにしていく必要があるのだが、しかし「最強の変なこと」をしなくてはジャンプすることが出来ない。ありったけの知恵を絞って突拍子もないバカなことを繰り出し、マルチバースを飛び回りながら別世界の自分たちを体験していくエヴリン。そんな彼女の前に現れた邪悪な宿敵ジョブ・トゥパキをひと目見て、エヴリンは思わず愕然とする。それはほかでもない、アルファバースの我が娘ジョイだったからだ…! エヴリン役はミシェル・ヨーにとってキャリアの集大成 親の愛情を得るため期待に応えねばとの重圧に苦しみ、それゆえ夢を諦めて挫折ばかりしてきた現世界のエヴリンが、親の愛情と期待に応えようとして限界まで精神を追い込まれた結果、冷酷で虚無的な怪物ジョブ・トゥパキと化してしまった別世界のジョイと対峙することで、現世界の我が娘ジョイの抱えた孤独や痛みをようやく理解し、断絶していた親子の絆を取り戻していく。と同時に、様々な別世界の「成功した自分」を体験したエヴリンは、結局のところ「理想通りの完璧な人生」などあり得ないことを知り、さらには優しいだけが取り柄の夫ウェイモンドの秘めた「真の強さ」に気付かされ、過去の選択や挫折、果たせなかった夢や希望を悔やむよりも、今ある生活と家族・友人を慈しみ大切にすべきであることに思い至る。奇想天外でぶっ飛んだ壮大なスケールのアクション・エンターテインメントは、実のところ平凡でささやかな日常の有難さを謳いあげた、微笑ましくも心温まるファミリー・ドラマなのだ。 そもそもの発端は、ダニエル・クワン監督が『マトリックス』(’99)と『ファイト・クラブ』(’99)をヒントにして、独自のマルチバース企画を思いついたことだったのだとか。そこへ、自身が中国系アメリカ人であるクワン監督の個人的な経験を基にした、アジア系移民家庭アルアルを詰め込んだ家族のドラマが加わったというわけだ。それにしても、一見したところ脈絡のない展開や意味不明のシュールなギャグ、目まぐるしく変化するスピーディで複雑な編集に困惑させられる観客も多かろうと思うが、しかしよくよく見ていると細かいカットのひとつひとつまで入念に計算されていることが分かる。 実際、脚本にはその場面で使用する全てのカットが詳細に記入されていたらしい。そのうえで、異なるバースをクロスカットで繋ぐなどの工夫を凝らすことで、脈絡のないように見える混沌とした展開の中から、言わんとすることの意味を観客が直感的に汲み取れるよう導いていくのだ。実に巧妙。映像言語をフル稼働した独創的な語り口は本作の醍醐味と言えよう。しかも、ウォン・カーワイやジャッキー・チェン、ガイ・リッチーといったダニエルズが敬愛する映画人や、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』や映画『カンフーハッスル』(’04)、『ジュラシック・パーク』(’90)に『2001年宇宙の旅』(’68)などへのオマージュも盛りだくさん。とりあえず、決して頭で理解しようとせず、映像の流れに身を委ねて感じ取るべし。それが本作の正しい鑑賞法である。 もちろん、主人公エヴリンを演じるミシェル・ヨーも圧倒的に素晴らしい。忙しい日常に疲れ果て、家族との不和に悩まされる平凡な主婦が、バース・ジャンプによって体得した様々な特技を駆使して世界を救わんと戦う。笑いあり涙ありシリアスあり、カンフー・アクションにサスペンスもあり。喜怒哀楽、静と動の全てをいっぺんに詰め込んだエヴリンというキャラクターは、「40年間のキャリアはこの作品のためのリハーサルだった」とミシェル本人が語るように、文字通り役者人生の集大成的な難役だったと言えよう。もともとこの役は男性という設定で、当初はジャッキー・チェンにオファーされたらしい。モデルだった彼女が女優デビューするきっかけとなったのが、ジャッキーと共演したテレビCMだったことを考えると数奇な巡り会わせと言えよう。 ちなみに、バース・ジャンプ中の格闘技大会シーンでミシェル・ヨーに顔を蹴り飛ばされ、続くアクション映画の撮影シーンで同じくミシェルに顔をパンチされる女性は西脇美智子。かつて’80年代に「ボディビル界の百恵ちゃん」として人気を博した日本の元ボディビルダーで、一時期は香港のカンフー映画スターとして活躍したこともあった。’90年代末からはハリウッドを拠点にスタントウーマンとして活動しているが、本作ではミシェルのスタンドイン(撮影準備の代役)を兼ねていたそうだ。■ 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』© 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.