「リュックは『ヴァレリアン』の読者であり、私と同じく、いくつかの映画が私の作品から、大なり小なり着想を得ていることに気づいていたんだ。SFというジャンルは寄り合い所帯みたいなもので、互いにテーマを借りたり、新しく持ち込んだりして、共通のベースをつくっていく。でも、グラフィックは想像力をはたらかせられる分野だ……それぞれが自分の世界を持っている。
それなのに、私は自分の知らないところで何本もの映画に協力しているような、おかしな気分だった。それに、こんなふうにコピーが横行すると、だんだんとオリジナリティのない定型ができてしまい、ひとつのデザインしか存在しないような状態になってしまう。今ではどのエイリアンも、宇宙船もみんな似たような形をしている。こんなのもったいないじゃないか。SFの素晴らしさは、好きなように想像力をはたらかせ、自由に創作できるごとなのに。
リュックと波長が合うことはすぐにわかったので、彼の星に乗り込む決心をした。壮大なスケールのフランス映画に参加すると思うと、心が踊ったね」
ジャン=クロード・メジエール
◆リュック・ベッソンの憂鬱と怒りが生んだSFアクション大作
西暦2259年、人類は地球に向かい凄まじいスピードで迫り来る、闇の勢力ミスター・シャドーの脅威にさらされていた。善良なる異星人モンドシャワンは、そんな未曾有の災厄を回避するべく、地球上の特別な寺院から5つのエレメント(守護の結晶)をすべて集める必要に迫られる。これらのエレメントのうち4つは何世紀にもわたり存在していたが、最も重要な「フィフス・エレメント」を乗せた彼らの宇宙船が、地球に到着する前に攻撃され、そして破壊されてしまう……。
リュック・ベッソンが1997年に発表した映画『フィフス・エレメント』は、23世紀のニューヨークを起点とし、選ばれし者たちが絶対悪と対峙していくSFアドベンチャー大作だ。地上でタクシー運転手をしている元特殊部隊員コーベン・ダラス(ブルース・ウィリス)は、空から自分の車上に落ちてきた謎の女性リー・ルー(ミラ・ジョヴォヴィッチ)と遭遇する。だがその彼女こそが、地球を救う「フィフス・エレメント」だったのだ。
やがてコーベンとルーは、神父ヴィト・コーネリアス(イアン・ホルム)やアイドルDJルビー・ロッド(クリス・タッカー)らと、4つのエレメントを求めて互いに協力する。いっぽう悪の武器商人ゾーグ(ゲイリー・オールドマン)と背後にいるミスター・シャドーは、その動きを阻止しようと彼らの前に立ちはだかる。
ベッソンはこの極めて黙示録的な要素の強い作品を、それとは対照的にカラフルで明るいものにした。同時期のSF映画に顕著な、宇宙船の暗い通路や薄暗い惑星に飽き飽きしていた彼は、陰鬱なリアリティよりも、このジャンルに陽気なクレイジーさを求めたのだ。
そして何よりもベッソンは、アメリカ映画が長い間、フランスの「バンド・デシネ」(同国におけるコミックの総称。以下:BD)から、グラフィックのインスピレーションを引き出していたことに不満を抱いていたのである。
ベッソンはキャリアの初期から、自作にBDからの影響があることを公言している。彼の初長編監督作『最後の戦い』(1983)は既にその傾向にあり、本作について記したコラム「『最後の戦い』に視認されるフランス・コミックの幻像」に詳述しているので参考にして欲しい。
中でも特に、フランスSFコミックの巨匠ジャン=クロード・メジエールの作調を大いに参考にしていた。彼が持つ、新しい世界を生み出すイマジネーションや、それを説得力をもって視覚化する圧倒的な描画力にベッソンは心酔し、自身が作品を生み出すうえで、メジエールは重要なガイドを担うことになる。
◆『スター・ウォーズ』も影響された、メジエールのグラフィック
ジャン=クロード・メジエール(Jean-Claude Mézières)は1938年9月23日・パリ生まれ。サン=マンデで少年時代を過ごし、戦時中に地下壕で隣人の息子、後の原作者ピエール・クリスタンと出会ったことが、創造者としての大きな転機となる。そしてBDの愛好家である兄の影響で、エルジェの『タンタンの冒険』シリーズに心酔。1953年(15歳)になると、「ムッシュ・カスターマン」誌にカラー16ページで描いた冒険マンガ『大追跡』を送っている。それを見て、メジエールの才能を伸ばすよう奨励したのは、他でもないエルジェだった。
そして同年、エコール・デ・アーツ・アプリケ(応用美術学校)で壁紙や布地のデザインを学ぶ。その2年後、「Coeurs Vaillants」誌に短編を発表。後のメビウスとして知られるジャン・ジローと知己を得る。
その後、アルジェリアでの兵役を経て、広告や雑誌のイラストレーターとして活動を開始。1965年にカウボーイになりたいという夢を追い、渡米してモンタナやアリゾナで移住生活を送り、そこで妻となるアメリカ人女性リンダと出会った。ユタ州ではソルトレイクシティ大学で教鞭をとるクリステンと再会し、初の共作短編『Le Rhum du Punch』(1966)を発表、二人の本格的なコラボレーションの出発点となった
そして1967年、二人はフランスSFコミックの金字塔ともいえる『ヴァレリアン』を「Pilote」誌にて連載開始する。異なる時代と惑星の間を移動し、犯罪を追う2人の時空エージェント、ヴァレリアンとローレリーヌの活躍を描いたこのシリーズは、政治・社会的メッセージやユーモアを織り交ぜ、全23巻にわたる長期シリーズとなって国際的に翻訳され、アンゴレーム国際漫画祭グランプリ(1984)を起点に数々の賞を受賞した。
メジエールはBD以外にも、雑誌・新聞の挿絵や広告、フェスティバルのポスター、シルクスクリーンや写真作品など、カテゴリーを問わず幅広く活動。1970年代初頭から仏サン=ドニのパリ 第8大学で漫画制作の講師として、アンドレ・ジュイヤールやレジス・ロワゼルといった後進を育成している。2021年には自身の集大成となりらアートブック『L’Art de Mézières』を出版し、同年「最後の作品宣言」とともに引退 。2022年1月23日に83歳で逝去した。
そんなメジエールのグラフィック・スタイルは、SF漫画の視覚表現を飛躍的に進化させ、「スター・ウォーズ」(1977)を筆頭とする欧米のSF映画にも大きな影響を与えた。同作の監督ジョージ・ルーカスはメジエールとの直接的なコンタクトは避け、その影響を公にすることはなかったが、仏カルチャーサイト「franceinfo」の記事「"Star Wars" a-t-il tout piqué à la BD française ? Le (faux) procès de George Lucas」のような隠しようのない検証も散見される。メジエール自身はこうした潜在的な共通性を「その判断は観客の皆さんに委ねたい」として謙虚な姿勢を見せていたが、ベッソンはそうはいかなかったようだ。いつかフランスが模造ではない、純正BD映画を発表する機会をうかかっていたのである。
そしてベッソンは『フィフス・エレメント』が完成する6年前の1991年11月。『グレート・ブルー』(1988)や『ニキータ』(1990)で組んだプロダクションデザイナーのダン・ウェイルとともに、同作のデザインチームを結成するべく、満を持してメジエールとメビウスに声をかけた。そして二人はこれを承諾し、さらには互いの推薦のもと、5人の若手BDアーティストをプロジェクトに招き入れた。加えて5人を選考のうえ、合計13人のインターナショナルチームを結成していったのだ。彼らは1500平方メートルもある元・縫製工場を拠点に、パリで1年間にわたり映画のビジュアルイメージを構想。そして作業が終わる頃には、ベッソンの物語をあらゆる角度から描いた、約8000枚のスケッチが出来上がった。
中でもメジエールの描いた、高度に様式化された未来都市像はベッソンのイメージを喚起させるものだった。たとえばコーベンとルーが遭遇する場面で、メジエールは『ヴァレリアン』の一編で登場させたエア・キャブ(空飛ぶタクシー)を小さくしのばせておいたところ、ベッソンが「それをもっと大きく描いてみてくれ」と要求。そこでコミック用のタクシーに手を加えて描いたところ、コーベンの設定が最初のロケット工場の労働者から、急きょタクシードライバーへと変更された。こうした形で、メジエールのデザインが設定に影響を及ぼすことも少なくはなかったのだ。
『フィフス・エレメント』に登場するエアキャブは、「Valérian - Tome 15 - Les cercles du pouvoir」にその原型を見ることができる(書影はAmazonより。電子版はこちらにて購入可能)。
しかし、これらのデザインは予算の都合もあり、約半分が切り落とされ、ベッソンの計画も完全に遂行できたとは言い難かった。それでも『フィフス・エレメント』は、見事なまでにメジエールとBDが持つ世界観を実写へと置換し、同スケールのハリウッドSFとは一線を画すものとなった。そして本作をベースに、ベッソンは後年『ヴァレリアン』の実写映画化『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(2017)を実現させ、自身のメジエール対する愛情を究極的な形で示すことになる。
『フィフス・エレメント』は、そんな『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』製作のファーストステップとしても、極めて重要な役割を果たしているのだ。
ちなみに本作のデザイナープロジェクトチームの中には、メビウスのアシスタントを務めていたシルヴァン・デプレがいたことを補足しておきたい。彼はニューヨークの広告業界でアートディレクターとしてのキャリアをスタートさせ、90年代後半にはリドリー・スコット監督に雇われ、『グラディエーター』(2000)の絵コンテを手がけたことで知られている。ハリウッドの、BDからのイメージ借用に楔を打とうとした『フィフス・エレメント』は、後もこうした形で影響を与え続けている。■
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