◆バンド・デシネ作家の意匠を実写で再現

 ハリウッドスタイルのアクションやハリウッドスターを自国フランスに呼び込むことで、独自の映画様式を築き上げてきた“ヨーロッパ・コープ”。リーアム・ニーソン(『96時間』シリーズ)をシニアのアクションスターとして開眼させ、あるいは『アルティメット』(04)のピエール・モレルや『トランスポーター』(02)のルイ・レテリエら、アクションセンスに長けたフランス人監督を世界に台頭させるなど、いつしかその勢いはハリウッドに「影響を与える側」へと同社を転じさせている。

 そんなヨーロッパ・コープの総帥として、自国フランスはおろかアメリカ映画にも大きな影響を及ぼしてきたのがリュック・ベッソンだ。監督としても潜水に闘志を燃やす男たちの生き様を描いた『グラン・ブルー(グレート・ブルー)』(88)で、おりしの単館系作品ブームと連動するようにカルトな人気を得て、後に『ニキータ』(90)や『レオン』(94)といった哀愁のスナイパーアクション作品で、その名を大きく拡大させた。

 そんなベッソンだが、キャリアの初めは一部のSFファンから熱視線が注がれており、その注目の対象となったのが、1983年に公開された長編映画デビュー作『最後の戦い』である。退廃した未来を舞台に、残された人類が資源をめぐり争う野心作だ。なにより初の劇場作品は、端的なまでに監督の趣意や志向、その後に連なるフィルモグラフィの指標を力強く示している。

『最後の戦い』が筆者の視界に入ってきたのは、SF映画専門誌「日本版スターログ」だった。同誌においてSF/ファンタジー作品を中心にしたアボリアッツ国際ファンタスティック映画祭の記事が掲載され、この映画祭で本作が審査員特別賞と批評家賞を受賞した旨がそこに記述されていた。加えて載っていたのは、主人公の男(ピエール・ジョリベ)の全身を捉えた一枚のスチール写真で、それがもたらすインパクトはあまりにも大きかった。

「こ、これはバンド・デシネだ!」

 バンド・デシネとはフランス漫画の通名で、今や有数のジャンルとして日本の漫画やアメリカンコミックと並び世界の漫画ファンの支持を得ている。とりわけ『最後の戦い』のそれはバンド・デシネの巨匠メビウスことジャン・ジローの諸作を彷彿とさせるもので、氏の独特な描画タッチを実写に置換したかのような外観を、この作品は持っていたのだ。

 さらに本編に触れてみると、その影響は一枚のスチールだけにとどまるものではなかった。特徴的な装飾感覚とレリーフ描写、モノクロによって強調された陰影のコントラストは、まさに「劇場でバンド・デシネを観る」というべき感覚をもたらした。セリフを必要としない設定や展開も、視覚を主体とする自信をおのずと主張し、またポスト黙示録ともいえる設定とストーリーは、メビウスが創刊に尽力したSFコミック誌「メタル・ユルラン」に掲載されてもおかしくないファンタジー性の強さを放っていた。近年『ヘルボーイ』(04)『パシフィック・リム』(13)で知られるギレルモ・デル・トロ監督も、

「『最後の戦い』は生の「メタル・ユルラン」映画だ」

と、ベッソンのデビュー作を正鵠を射た形でツイートしている。

 しかし『最後の戦い』が発表された80年代初めの日本では、バンド・デシネという呼称も今のように周知されたものではなく、メビウスも『エイリアン』(79)や『トロン』(82)といったアメリカ映画の美術デザインなどで活躍の範囲を広げていたものの、かろうじて映画ファンの間で知られる存在だった。ゆえに『最後の戦い』の先述した印象を共有してもらうことが難しく、また同作とバンド・デシネとの関連に触れた文献が当時から見当たらず、プレス資料や92年リバイバル公開時の厚いパンフレット、そして後年に出版された『最後の戦い』を知るうえで良著ともいえるメイキング書『最後の戦い―リュック・ベッソンの世界』(ソニーマガジンズ)においてさえ一点の言及もなかったため、自分の見立てが間違っているのではと疑心暗鬼になった。

 ただベッソンが『最後の戦い』の後に手がけたSFアクション大作『フィフス・エレメント』(97)において、メビウスがコンセプトデザインを担当。これこそがおそらく自分の見立てを立証する根拠だと信じ、機会あれば監督本人に確認してみたいと思い続けていたのだ。


◆べッソン自身に問うたバンド・デシネへの熱情

 そんな『最後の戦い』への膠着した思いが、ついに報われる機会が訪れた。2006年、リュック・ベッソンが手がけた初の3DCG長編アニメーション『アーサーとミニモイの不思議な国』(以下:『アーサー』)の公開にあたり、彼がプロモーション来日を果たし、個別インタビューをすることになったのだ(*1)。奇しくも同作はベッソンが以前より宣言していた「監督作を10本撮ったら引退」の10本目にあたり、なんとか間に合ったという安堵もそこには強くあった。

 なので初めての邂逅に緊張と興奮を覚えつつ、『最後の戦い』について制限時間内に言及することができるかどうか気を揉んだものの、そのチャンスは早々に訪れた。まず初問として「引退を撤回する気はないのか?」と訊くと、ベッソンは筆者の言葉を否定することなく、さまざまな媒体から寄せられたであろう疑問に対して食傷気味に「その話は本当だ。なんせ30年も監督をやらせてもらったんだから、そろそろいいんじゃないかと思ってね」と愛想なく答えた。ところが『アーサー』でアニメに初めて着手した動機を問い「昔からバンド・デシネやアニメが好きだったから」という回答に弾みを得た自分は、

「あなたの長編デビュー作である『最後の戦い』は、バンド・デシネの巨匠メビウスにインスパイアされたものなんですか?

と言うや、ベッソンは晴れたような笑顔を見せて、以下の返答をくれたのである。

「もちろんメビウスだ。彼は僕のアイディアの源泉で、『最後の戦い』は彼の描く世界を実写で置換した実験作といってもいい。名誉なことにメビウスも『最後の戦い』を観てくれていて(*2)、僕の存在を気にかけてくれてたんだ。だから『フィフス・エレメント』で彼をデザイナーに起用できたんだよ」

 もはや『アーサー』の取材を副次的なものだと思うくらい『最後の戦い』とメビウスの存在が確信をもってリンクづけられ、嬉しさのあまり涙腺が決壊しそうになった。しかし、そこは仕事としてグッとこらえ、インタビュー記事の掲載が少年マンガ誌(「週刊少年チャンピオン」)であることを告げ、読者向けにベッソンが勧めるバンド・デシネを訊いてみることにした。すると、

「『フィフス・エレメント』でメビウスと一緒にデザインをお願いしたジャン=クロード・メジエールというアーティストがいるんだけど、彼の連作『ヴァレリアン』シリーズを勧めたいね。日本のコミック読者はレベルが高いから、きっと満足してもらえると思うよ」

 このインタビューから現在までに17年が経過したが、その間にリュック・ベッソンは監督宣言を撤回。2021年の時点で10本の倍に迫ろうかという18本もの長編作品を手がけ、自分の質問を快く裏切った。しかも彼がメビウスと共に勧めてくれたメジエールのバンド・デシネを、自身が映画化(『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(17)するという尾ひれまで華麗にたなびかせて。
 しかし引退が反古となったことで、彼のフィルモグラフィをつらぬくバンド・デシネの軸芯を感じることができた。そして前述したように『最後の戦い』が、監督の志向や、その後に連なるフィルモグラフィの指標となったことを、改めて力強く示してくれたのだ。■

『最後の戦い』© 1983 Gaumont