アメリカ映画の保存・振興を目的とした、「AFI=アメリカン・フィルム・インスティチュート」という機関がある。この「AFI」が1998年から2008年に掛け、「アメリカ映画100年シリーズ」として、「アメリカ映画ベスト100」「映画スターベスト100」など、様々な「ベスト100」を発表した。
 その中で、2003年に発表されたのが、「ヒーローと悪役ベスト100」。映画史上に輝く、ヒーローと悪役それぞれ50人(人間とは限らないが…)が選出された。
 ヒーローの第1位は、『アラバマ物語』(1962)でグレゴリー・ペックが演じた、人種差別と闘う弁護士、アティカス・フィンチ。続いては、インディ・ジョーンズやジェームズ・ボンド、『カサブランカ』(42)でハンフリー・ボガートが演じたリックなど、錚々たる顔触れが並んでいく。
 ヒーローと銘打ちながらも、闘うヒロインたちも、ランクインしている。第6位『羊たちの沈黙』のクラリス・スターリングを筆頭に、『エイリアン』シリーズ(79~ )のリプリー、『ノーマ・レイ』(79)『テルマ&ルイーズ』(91)のヒロインたち、そして第31位に、本作『エリン・ブロコビッチ』(2000)でジュリア・ロバーツが演じた、タイトルロールが挙がる。
 エリン・ブロコビッチ、それはクラリスやリプリーと違って、実在の人物。本作は、実話の映画化なのである。

 彼女の物語の映画化は、カーラという女性が、カイロプラクティックを受ける時に、施術者から信じがたい話を耳にしたことに始まる。その施術者の友人に、日々の生活費にも困っているような、バツ2で3人の子持ちの女性がいた。そんな彼女が、法律知識はゼロだったにも拘わらず、大企業を相手取った公害訴訟で、数多くの被害者たちのために、莫大な和解金を勝ち取ったというのだ。
 カーラはその話を、自分の夫に伝えた。その夫とは、本作を製作することになる、ジャージー・フィルムズの経営者の1人、マイケル・シャンバーグだった。

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 ロサンゼルス郊外の小さな町ヒンクリーに住む、エリン・ブロコビッチは、今まさに窮地に立たされていた。離婚歴2回で、乳呑み児を含む3人の子どもを抱えたシングルマザーの彼女は、貯金が底を突きそうなのに、高卒で何の資格もないため、就職活動もままならない状態。
 そんな最中、職探しのドライブ中に、信号無視の車に追突されて、鞭打ちになってしまう。老弁護士のエド・アスリーは、相手が一方的に悪いので、賠償金が取れると請け負うが、法廷でのエリンの暴言などから陪審員の心証が悪かったせいか、びた一文得ることができなかった。
 お先真っ暗のエリンは、エドの法律事務所に押し掛け、無理矢理雇用してもらうことに。豊満なバストをはじめ、常にボディラインを強調するような服装の彼女に、同僚たちは良い顔をしなかったが、本人は注意されても言い返し、直そうとはしない。
 ファイルの整理という、誰でもできるような仕事を命じられたエリンは、その中の不動産案件の書類に、引っ掛かるものを感じる。地元の大企業PG&E社が、自社工場の近隣住民の土地を買おうとしているのだが、不審に思える点があったのだ。
 エリンが独自に調査を始めると、その土地が工場からの排出物に混ざった六価クロムによって、汚染されている疑いが強いことがわかる。そして近隣の住民には、癌など健康被害が続出していることが、明らかになる。
 事務所に現れないエリンが、サボっていると誤解して、エドは彼女を解雇する。しかしエリンが探り当てた事実を知ると、最初は及び腰ではあったが、やがて彼女と共に、大企業相手の訴訟に乗り出す。
 新たな恋人となった、隣人のジョージの愛にも支えられながら、エリンの熱い戦いが繰り広げられていく…。

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“六価クロム”は、電気メッキ、酸化剤、金属の洗浄、黄色顔料など、広く使用されている化合物。非常に強い毒性があり、肌に付着すると皮膚炎や腫瘍を起こし、また長期間体内に取り入れると、肝臓障害・貧血・肺がん・大腸がん・胃がんなどの原因になる可能性がある。
 日本でも60歳前後ならば、記憶に残っている方が多いだろう。1970年代前半から後半に掛けて、東京・江東区の化学メーカー工場が、“六価クロム”を排出。近隣の土壌が汚染されて、大きな社会問題となった。
 PG&E社は、そんな有害物を大量に排出しながら、適切な処理を怠り、長年近隣住民を騙し、隠蔽し続けていたのである。エリンとエドは、634人の住民を原告に立ててPG&E社と戦い、1996年に3億3,300万㌦=約350億円という、全米史上最高額(当時)の和解金を勝ち取った。
 一連の顛末を映画化した本作のことを、エリン本人は「実話度98%」と評価する。事実でない残りの2%は、例えば原告となる住民たちが実名ではないことや、エリンが実際には高卒ではなく、カンザス州立大学を卒業しているということなど。いずれにしろそれらの改変は、“実話”である強みを、損なうほどのことではない。

 映画化に当たって、スティーヴン・ソダーバーグ監督へのオファーを決めたのは、マイケル・シャンバーグ、ダニー・デヴィートと共に、ジャージー・フィルムズを経営する、ステイシー・シャー。『アウト・オブ・サイト』(98)で組んだ経験から、「…あまりにもドラマティックでおもしろい…」このストーリーを、「地に足のついた現実的な映画にしてくれる」監督は、ソダーバーグしかないと、白羽の矢を立てたのである。
 1963年生まれのソダーバーグは、20代中盤に撮った長編第1作『セックスと嘘とビデオテープ』(89)が、カンヌ国際映画祭で最高賞=パルム・ドールを獲るという、華々しいデビューを飾った。しかしその後はスランプに陥り、興行的にも作品の評価的にも、暫しの低迷が続いた。
 そんな彼にとって、『アウト・オブ・サイト』は、久々の成功作。そのプロデューサーから依頼された本作の脚本を読んだ時、エリンのストーリーに思わず惹き込まれて、プロジェクトに参加することを決めたという。
 それまでこの訴訟についてはまったく知らなかったソダーバーグは、事実のリサーチを進めていく中で、「…不必要に刺激的にしたり、ドラマティックな効果を狙うためだけのシーンがないようにすることが大切だ…」と見極めた。彼を起用した、プロデューサーの狙い通りとなったわけである。
 本作の内容を精査すると、大企業側からの妨害や、エリンの強烈なキャラによって起こる軋轢などは、実にサラリと描かれている。こうした題材を映画化するに当たっては、通常は強調されるであろう、そうしたエピソードには主眼を置かず、一直線な“ヒーロー譚”に仕立て上げている。それが本作を成功に導いたと言える。

 もちろんそれらは、バッチリとハマったキャスティングによるところも大きい。エリンを演じたジュリア・ロバーツは、本作の10年前に出演した『プリティ・ウーマン』(90)以来、TOPスターの1人として、活躍。30代前半となって、そろそろ大きな“勲章”を手にしたい頃であった。
 そんな時に出会った本作に臨むのに、エリン・ブロコビッチ本人に会ったり、取材したりなどは、一切行わなかったという。本人を真似た役作りではなく、自分自身が『エリン・ブロコビッチ』という作品の中で、そのキャラクターを創り上げるというチョイスを行ったわけである。
 エリンは実在の人物とはいえ、誰もが顔を知っているような存在というわけではなかったので、このアプローチは成立。結果的に、大成功を収めた。
 因みにジュリアがエリン本人と初めて会ったのは、本作の撮影で、ジュリア演じるエリンが、子ども3人を連れて、ダイナーで食事をするシーンだった。このシーンで、エリンがカメオ出演。ウェイトレスを演じている。
 自分が演じている本人とセリフのやり取りをするのは、「…とても奇妙な感じで…」戸惑いを覚えていたというジュリア。ふとエリンの胸元のネームプレートを見たら、“ジュリア”と書いてあって、「…もう少しで気が違うかと…」思ったという。
 何はともかく、ジュリアは本作が代表作の1本となった。そして念願の、“アカデミー賞主演女優賞”の獲得に至った。

 老弁護士エド役のアルバート・フィニーの好演も、ジュリアが栄冠を得るための、大いなるアシストになった。それほどこの作品での、エドとエリンの老若押し引きのコンビネーションは、見事である。
 ソダーバーグは、この役を誰が演じるか話し合った時に、真っ先にフィニーの名を挙げた。1960年代からの彼の長いキャリアをリスペクトしていたというソダーバーグの狙いは、ここでも見事に当たったと言える。惜しむらくはフィニーが、アカデミー賞のノミネートから漏れたことである。
 さてソダーバーグはこの年2000年は、本作に続いて、麻薬戦争を扱った『トラフィック』が公開されて、こちらも大成功を収めた。アカデミー賞では、『エリン・ブロコビッチ』と『トラフィック』両作で、“アカデミー賞監督賞”にノミネートされるという、62年振り2人目の快挙を成し遂げた。即ち5人の監督賞候補者の内、2人分を彼が占めたということである。
 こうなると票が割れて、賞自体を逃すこともありえたが、『トラフィック』の方で、見事に受賞を遂げた。実質的には同年にこの2作があったからこそ、高い評価を得たと言えるだろう。
 その後は度々「引退」を匂わせながらも、現代の巨匠の1人として、活躍を続けているのは、多くの方が知る通り。本作がそのステップに向かう、大きな役割を果たしたことは、疑うべくもない。

 さて「実話度98%」の本作であったが、エリン・ブロコビッチ本人のその後の人生も、なかなか凄まじい。
 本作内ではアーロン・エッカートが演じ、エリンを優しく支える存在として描かれた恋人のジョージは、実際はベビーシッターとしてエリンから報酬を貰っていた上、その後更なる金銭を求めて、彼女を相手に訴訟を起こしている。また本作で描かれる物語以前に別れた夫とも、訴訟沙汰となった。
 本作では、育児もそっちのけで大企業との戦いに奔走する母エリンに、子ども達も理解を示す描写が為されている。実際は十代になった子ども達は、ドラッグ漬けになり、その治療で大変な目に遭ったという。
 その後も環境活動家として、公害企業との戦いに身を投じているエリンだが、2012年には3度目の離婚となった。
 本作で描かれた物語以降も、「事実は小説よりも奇なり」を地で行くエリン・ブロコビッチの人生。また新たに映画化される日が来ても、不思議ではない。■

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