◆スピルバーグの半自伝作品

 2022年に稀代のヒットメーカー、スティーヴン・スピルバーグが発表した映画『フェイブルマンズ』は、彼の長い監督生活の起点に触れる“自伝的要素“を含んだ作品であり、それを支えた家族の物語だ。スピルバーグのアバターともいえる主人公サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)は、母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)から買い与えられた8ミリキャメラで、小規模ながらも映画を手がけていく。そして夢を支援する彼女と、現実的な父バート(ポール・ダノ)との間で板挟みになりながら、サミーはさまざまな人との出会いや経験、そして創作活動を経て成長していくのだ。両親の離婚問題や、自身のルーツに依拠する不当ないじめなど深刻なエピソードを交えながら、単なるパーソナルな成功談ではない、ひとりの青年の青春物語として映画は広い共感性へと通じていく。もちろん、その過程においてドラマチックな瞬間があり、映画は151分と長尺ながら、ひとときも観る者を飽きさせることはない。

◆ジョン・フォードとの邂逅

 稀代の天才監督は、なぜムービーキャメラを手にして映画の世界を目指したのか——? 作品はあくまでフィクションを建て前にしているが、ストーリーの軌跡や人間関係はスピルバーグの実人生に極めて忠実なものだ。ただその中で、あたかも創作であるかのようなエピソードが、本作のクライマックスとして置かれている。それが偉大な映画監督、ジョン・フォードとの出会いだ。

(以下『フェイブルマンズ』の結末に言及するので、鑑賞後にお読みいただくのが望ましい)

 映画業界での働き口を求め、売り込みの手紙をありとあらゆるスタジオに送りつけたサミーは、CBSテレビジョンからの返信を頼りに『OK捕虜収容所』(第二次大戦中のナチス捕虜収容所を舞台にしたシットコム・コメディ)の共同製作者であるバーナード・ファイン(グレッグ・グランバーグ)に会いに行く。そして彼から、第三助手として雇おうかと打診されるのだ。ところが、やや反応が鈍かったサミーにファインは、
「本当は映画がやりたんだろ。そうだ、向かいの部屋に史上最高の映画監督がいる」
 と伝え、彼をその部屋へと通すのだ。

 いったい「史上最高の映画監督」が誰なのか、サミーは釈然としないまま座って待機していると、背後にあるフレーム入りのポスター群が、その人物をゆっくりと特定していく。『駅馬車』…『我が谷は緑なりき』…『男の敵』…『捜索者』…『三人の名付親』…『静かなる男』…『怒りの葡萄』…『黄色いリボン』そして『リバティ・バランスを射った男』…。

 それらを目で追い、高揚するサミーの気持ちを寸断するかのように、アイパッチを目にあてた男が入ってくる。そう、ジョン・フォードだ。秘書はサミーに向かって、「(会話は)5分ならいいそうよ、1分で終わるかもしれないけど」と言って、フォードとの対面を急かす。

 そのときのフォードは葉巻を吸い、威嚇的な態度でサミーを一瞥するが、壁にかかっている自作のスチールを指して「地平線はどこにある?」とサミーに質問する。すると彼は「下です」と回答し、別のスチールを指して同様の質問をしたフォードに「上です」と答える。するとフォードは、

「いいか、よく憶えておけ。地平線をいちばん下に置けば面白い画になる。そして地平線を上に置いても面白い画になる。だが地平性を真ん中に置いたら、クソつまらない画になるんだ。わかったか? わかったらとっとと出ていけ!」

 と、手荒に助言を放つのだ。

 この『フェイブルマンズ』における印象的なクライマックスは、同作において極めて突飛で、フィクション性を強く感じさせるエピソードだ。ところが、じつは全てが事実だというのだから驚かされる。スピルバーグは2011年、イマジン・エンターテインメントのオフィスでおこなわれた映画『カウボーイ & エイリアン』のプロモーションで、同作プロデューサーのブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、そして監督のジョン・ファヴローらと会談し、ジョン・フォードとの最初の出会いを語った。

 それによると、スピルバーグはフォードと実際に遭遇したさい、彼は酔って顔全体にキスマークをつけ、オフィスに入って来たところを秘書が慌てて追い、ティッシュで拭き取ったという。そしてフォードは机の上に足をおろし、スピルバーグに対し「それで、キミは映画監督になりたいと聞いたが?」と訊ね、壁に飾られた絵画から地平線を見つけるよう要求したという。この一連のやり取りからもわかるとおり、フォードとの邂逅は、ほぼ映画でそのままに再現されていることがわかるだろう。

 ただし細部で違いがあり、スピルバーグがフォードと会ったのはサミーと同じ18歳ではなく、15歳のときであり、さらにそれはファインの紹介によるものではなく、自身のいとこの一人が、たまたま彼の友人の友人の友人であったことから、このありそうもない出会いを得たという。
 そもそもスピルバーグの業界入りは、『フェイブルマンズ』で描かれたように正統な手順を踏んでおらず、彼を語る上で伝説化されている。映画監督を志望していたスピルバーグは、ユニバーサル・ピクチャーズの観光ツアーに参加した後、トイレ休憩のときにバックロットに潜入し、半年以上そこで働いているふりをしたという。そのことが布石となり、後年に彼はユニバーサル映画の社長だったシド・シャインバーグに自作の短編映画『アンブリン』(1968)を気に入られ、テレビ監督として契約を交わしたのだ。

◆デヴィッド・リンチ出演の背景

 こうしたジョン・フォードとの出会いをさらに説得力あるものにしているのが、異例ともいる配役だ。スピルバーグはフォード役に、カルト映画の帝王デヴィッド・リンチをオファーしたのだ。

 もともとスピルバーグは、フォードのキャスティングに友人のベテラン俳優をあてようと考えていた。しかし脚本を担当したトニー・クシュナーの夫がリンチの起用を提案し、それをスピルバーグは素晴らしいアイディアだと称賛したのだ。そして自らリンチに連絡をとり、実現の運びとなったのである。ところがリンチは自作以外の出演には消極的だったため、スピルバーグはリンチと共通の友人である女優ローラ・ダーンに救いを求め、リンチの説得にあたったのだ。その狙いが功を奏し、リンチはスナック菓子のチートスと、衣装の撮影2週間前からの提供など変わった条件と共に出演を承諾。こうして、あの示唆に富む最後の5分間が生まれたのである。

 リンチは英「エンパイア」誌の電話インタビューにおいて、オファーを受けた理由を以下のように語っている(※1)。出演を渋ったことに対しては、
「わたしは演技に関して、意図的に距離を置いてきたんだ。ハリソン・フォードやジョージ・クルーニーのような俳優たちに、キャリアのチャンスを与えるべきだと考えていたからね」
 とし、それでも出演した決め手を訊かれると、当該シーンが本当に気に入ったからだと述懐している。
「ジョン・フォードなら、若い才能に指導をほどこすために、さまざまな知識や経験を活用できただろう。しかし彼は「地平線」のレクチャーを選んだんだ。じっさい画面中央に地平線があるのは、本当にクソつまらない画になるからね」

 残念なことに、このインタビューから約一年後 リンチは78歳でこの世を去り、『フェイブルマンズ』は彼の最後のスクリーン出演となった。訃報が遺族からSNSを通じて発表された後、スピルバーグはアンブリン エンターテインメントを通じ、リンチへの感謝を込めた以下の追悼文を発表している(※2)。

「私はデヴィッドの作品の大ファンでした。『ブルー・ベルベット』『マルホランド・ドライブ』そして『エレファント・マン』――。これらは、手作り感あふれる独特の世界観で、彼が唯一無二のヴィジョンを持つ夢想家であることを証明しました。『フェイブルマンズ』でジョン・フォード役を演じてもらったとき、私は彼と知己を得ました。私のヒーローの一人であるデヴィッド・リンチが、私の別のヒーローを演じる――。それはとても現実離れした、まるで彼自身の映画の一場面のような不思議な体験だったんです。世界はこれほどまでに独創的で、ユニークなヴォイスを失うことになってしまったんです。彼の映画は既に時代を超えて生き残っており、これからもずっとそうあり続けるでしょう」

 スピルバーグはフォードを崇拝すると同時に、同業者としてリンチに関心を寄せていた。その証として、両者の共同作業ともいえる「地平線」のシーケンスに、スピルバーグは二人を立てるようなオチを添えている。フォードに映画制作のヒントをもらったサミーはオフィスを後にすると、意気揚々とした態度でスタジオのバックロットを歩き出す。そのときの彼を捉えたショットが、なんとフォードが「クソつまらない画」と非難しリンチが共感した、真ん中の地平線を捉えていたのだ。そしてキャメラは、それに気づいたかのようにあたふたと、地平線が下に来るようフレーム修正の動きを見せるのだ。
 この一連の演出には、スピルバーグらしいユーモアと謙遜の姿勢、そして未熟なサミーが失敗を繰り返しながら、先達から学んだことを糧にして映画界での成功を得る、そんな暗示が機能している。ひるがえってそれは、ジョン・フォードという偉大な映画人に尊崇の念を示しているのだ。

 そしてデヴィッド・リンチは、そんなフォードが醸す神秘性と威圧的な存在感を、この『フェイブルマンズ』で見事に体現し、「地平線」のエピソードを説得力あるものにした。それにも増して、ガブリエル・ラベルがスティーブン・スピルバーグを投影したサミーを演じ、リンチがフォードを演じ、それをスピルバーグ本人が演出するという、巡るようなメタ構造を持つシチュエーションとして、本作を自伝作品以上の映画的価値を持つものへと発展させたのである。■

(※1)https://www.empireonline.com/movies/news/david-lynch-interview-john-ford-fabelmans-exclusive/

(※2)https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1028510489321633&id=100064880730053&set=a.634279698744716

 

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