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ハリウッド・アクションの金字塔『ダイ・ハード』シリーズの魅力に迫る!

なかざわひでゆき

テレビ界の人気者だった俳優ブルース・ウィリスをハリウッド映画界のスーパースターへと押し上げ、25年間に渡って計5本が作られた犯罪アクション『ダイ・ハード』シリーズ。1作目はロサンゼルスにある大企業の本社ビル、2作目は首都ワシントンD.C.の国際空港、3作目は大都会ニューヨークの市街、さらに4作目はアメリカ東海岸全域で5作目はロシアの首都モスクワと、作品ごとに舞台となる場所を変えつつ、「いつも間違った時に間違った場所にいる男」=ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)が、毎回「なんで俺ばかりこんな目に遭わなけりゃならないんだよ!」とぼやきながらも、凶悪かつ狡猾なテロ集団を相手に激しい戦いを繰り広げていく。 1月のザ・シネマでは、新年早々にその『ダイ・ハード』シリーズを一挙放送(※3作目のみ放送なし)。そこで今回は、1作目から順番にシリーズを振り返りつつ、『ダイ・ハード』シリーズが映画ファンから愛され続ける理由について考察してみたい。 <『ダイ・ハード』(1988)> 12月24日、クリスマスイヴのロサンゼルス。ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、別居中の妻ホリー(ボニー・ベデリア)が重役を務める日系企業・ナカトミ商事のオフィスビルを訪れる。仕事優先で家庭を顧みず、妻のキャリアにも理解が乏しい昔気質の男ジョンは、それゆえ夫婦の間に溝を作ってしまっていた。クリスマスを口実に妻との和解を試みるもあえなく撃沈するジョン。すると、ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)率いる武装集団がナカトミ商事のクリスマス・パーティ会場へ乱入し、出席者全員を人質に取ったうえで高層ビル全体を占拠してしまった。 たまたま別室にいて拘束を免れたジョンは、欧州の極左テロ組織を名乗るグルーバーたちの犯行動機がイデオロギーではなく金であることを知り、協力を拒んだタカギ社長(ジェームズ・シゲタ)を射殺する様子を目撃する。このままでは妻ホリーの命も危ない。居ても立ってもいられなくなったジョンは、警察無線で繋がったパトロール警官アル(レジナルド・ヴェルジョンソン)と連絡を取りつつ、敵から奪った武器で反撃を試みる。やがてビルを包囲する警官隊にマスコミに野次馬。周囲が固唾を飲んで状況を見守る中、ジョンはたったひとりでテロ組織を倒して妻を救出することが出来るのか…? ジャパン・マネーが世界経済を席巻したバブル期の世相を背景に、大手日系企業のオフィスビル内で繰り広げられるテロ組織と運の悪い刑事の緊迫した攻防戦。この単純明快なワンシチュエーションの分かりやすさこそ、本作が興行的な成功を収めた最大の理由のひとつであろう。さらに原作小説では3日間の話だったが、映画版では1夜の出来事に短縮することでスピード感も加わった。そのうえで、ビル全体を社会の象徴として捉え、それを破壊することで登場人物たちの素顔や関係性を炙り出していく。シンプルでありながらも中身が濃い。『48時間』(’82)や『コマンドー』(’87)のスティーヴン・E・デ・スーザのソリッドな脚本と、当時『プレデター』(’87)を当てたばかりだったジョン・マクティアナンの軽妙な演出が功を奏している。これをきっかけに、暴走するバスを舞台にした『スピード』(’94)や、洋上に浮かぶ戦艦内部を舞台にした『沈黙の戦艦』(’92)など、本作の影響を受けたワンシチュエーション系アクションが流行ったのも納得だ。 もちろん、主人公ジョン・マクレーン刑事の庶民的で親しみやすいキャラも大きな魅力である。ダーティ・ハリー的なタフガイ・ヒーローではなく、アメリカのどこにでもいる平凡なブルーカラー男性。ことさら志が高かったり勇敢だったりするわけでもなく、それどころか人間的には欠点だらけのダメ男だ。そんな主人公が運悪く事件現場に居合わせたことから、已むに已まれずテロ組織と戦うことになる。観客の共感を得やすい主人公だ。また、そのテロ組織がヨーロッパ系の白人という設定も当時は新鮮だった。なにしろ、’80年代ハリウッド・アクション映画の敵役と言えば、アラブ人のイスラム過激派か南米の麻薬組織というのが定番。もしくは日本のヤクザかニンジャといったところか。そうした中で、厳密には黒人とアジア人が1名ずついるものの、それ以外は主にドイツやフランス出身の白人で、なおかつリーダーはインテリ極左という本作のテロ組織はユニークだった。 ちなみに、本作で「もうひとりの主役」と呼ばれるのが舞台となる高層ビル「ナカトミ・プラザ」。20世紀フォックス(現・20世紀スタジオ)の本社ビルが撮影に使われたことは有名な逸話だ。もともとテキサス辺りで撮影用のビルを探すつもりだったが、しかし準備期間が少ないことから、当時ちょうど完成したばかりだった新しい本社ビルを使うことになった。ビルが建つロサンゼルスのセンチュリー・シティ地区は、同名の巨大ショッピングモールや日本人観光客にもお馴染みのインターコンチネンタル・ホテルなどを擁するビジネス街として有名だが、もとを遡ると周辺一帯が20世紀フォックスの映画撮影所だった。しかし、経営の行き詰まった60年代に土地の大半を売却し、再開発によってロサンゼルス最大級のビジネス街へと生まれ変わったのである。パラマウントやワーナーなどのメジャー他社に比べて、20世紀スタジオの撮影所が小さくてコンパクトなのはそのためだ。 <『ダイ・ハード2』(1990)> あれから1年後のクリスマスイヴ。ジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は出張帰りの妻ホリー(ボニー・ベデリア)を出迎えるため、雪の降り積もるワシントンD.C.の空港へやって来る。空港にはマスコミの取材陣も大勢駆けつけていた。というのも、麻薬密輸の黒幕だった南米某国のエスペランザ将軍(フランコ・ネロ)が、ちょうどこの日にアメリカへ護送されてくるからだ。妻の到着を今か今かと待っているジョンは、貨物室へと忍び込む怪しげな2人組に気付いて追跡したところ銃撃戦になる。実は、反共の英雄でもあったエスペランザ将軍を支持するスチュアート大佐(ウィリアム・サドラー)ら元米陸軍兵グループが、同将軍を救出するべく空港占拠を計画していたのだ。 絶対になにかあるはず。悪い予感のするジョンだったが、しかし空港警察のロレンゾ署長(デニス・フランツ)は全く聞く耳を持たない。やがて空港の管制システムはテロ・グループに乗っ取られ、到着予定の旅客機がいくつも着陸できなくなってしまう。その中にはジョンの妻ホリーの乗った旅客機もあった。乗員乗客を人質に取られ、手も足も出なくなってしまった空港側。敵は必ず近くに隠れているはず。そのアジトを割り出してテロ・グループを一網打尽にしようとするジョンだったが…? 今回の監督は『プリズン』(’87)や『フォード・フェアレーンの冒険』(’90)で高く評価されたフィンランド出身のレニー・ハーリン。特定の空間に舞台を絞ったワンシチュエーションの設定はそのままに、巨大な国際空港とその周辺で物語を展開させることで、前作よりもスペクタクルなスケール感を加味している。偉そうに威張り散らすだけの無能な現場責任者や、特ダネ欲しさのあまり人命を軽視するマスコミなど、権力や権威を揶揄した反骨精神も前作から継承。また、南米から流入するコカインなどの麻薬汚染は、当時のアメリカにとって深刻な社会問題のひとつ。麻薬密輸の黒幕とされるエスペランザ将軍は、恐らく’89年に米海軍特殊部隊によって拘束された南米パナマ共和国の独裁者ノリエガ将軍をモデルにしたのだろう。そうした同時代の世相が、物語の重要なカギとなっているのも前作同様。嫌々ながらテロとの戦いに身を投じるジョン・マクレーン刑事のキャラも含め、監督が代わっても1作目のDNAはしっかりと受け継がれている。ファンが『ダイ・ハード』に何を期待しているのか、製作陣がちゃんと考え抜いた結果なのだろう。 そんな本作の要注目ポイントは管制塔と滑走路のセット。そう、まるで実際に空港の管制塔で撮影したような印象を受けるが、実際は劇中の管制塔もその向こう側に広がる滑走路も、20世紀フォックスの撮影スタジオに建てられたセットだったのである。本物の管制塔は地味で狭くて映画的に見栄えがしないため、もっとスタイリッシュでカッコいいセットを一から作ることに。この実物大の管制塔から見下ろす滑走路はミニチュアで、遠近法を利用することで実物大サイズに見せている。これが、当時としてはハリウッドで前例のないほど巨大なセットとして業界内で話題となり、マーティン・スコセッシをはじめとする映画監督や各メジャー・スタジオの重役たちが見学に訪れたのだそうだ。 <『ダイ・ハード3』(1995年)> ※ザ・シネマでの放送なし 1作目のジョン・マクティアナン監督が復帰したシリーズ第3弾。今回、ザ・シネマでの放送がないため、ここでは簡単にストーリーを振り返るだけに止めたい。 ニューヨークで大規模な爆破テロ事件が発生。サイモンと名乗る正体不明の犯人は、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)を指名して、まるで面白半分としか思えないなぞなぞゲームを仕掛けてくる。しかも、制限時間内に正解を出せなければ、第2・第3の爆破テロが起きてしまう。妻に三下り半を突きつけられたせいで酒に溺れ、警察を停職処分になっていたジョンは、テロリストからニューヨーク市民の安全を守るため、嫌々ながらもなぞなぞゲームに付き合わされることに。さらに、何も知らず善意でジョンの窮地を救った家電修理店の店主ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)までもが、ジョンを助けた罰としてサイモンの命令でゲームに参加させられる。 やがて浮かび上がる犯人の正体。それは、かつてナカトミ・プラザでジョンに倒されたテロ・グループの首謀者、ハンス・グルーバーの兄サイモン・ピーター・グルーバー(ジェレミー・アイアンズ)だった。弟が殺されたことを恨んでの復讐なのか。そう思われた矢先、サイモン率いるテロ組織の隠された本当の目的が明るみとなる…!。 <『ダイ・ハード4.0』(2007)> FBIサイバー対策部の監視システムがハッキングされる事件が発生。これを問題視したFBI副局長ボウマン(クリフ・カーティス)は、全米の名だたるハッカーたちの身柄を拘束し、ワシントンD.C.のFBI本部へ送り届けるよう各捜査機関に通達を出す。その頃、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に過保護ぶりを煙たがられたニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、ニュージャージーに住むハッカーの若者マシュー・ファレル(ジャスティン・ロング)をFBI本部へ護送するよう命じられるのだが、そのマシューの自宅アパートで正体不明の武装集団に襲撃される。 武装集団の正体は、サイバー・テロ組織のリーダーであるトーマス・ガブリエル(ティモシー・オリファント)が差し向けた暗殺部隊。FBIをハッキングするため全米中のハッカーを騙して利用したガブリエルは、その証拠隠滅のため遠隔操作の爆弾で用済みになったハッカーたちを次々と爆殺したのだが、マシューひとりだけが罠に引っかからなかったため暗殺部隊を送り込んだのである。そうとは知らぬジョンとマシューは、激しい攻防戦の末にアパートから脱出。命からがらワシントンD.C.へ到着した彼らが目の当たりにしたのは、サイバー・テロによってインフラ機能が完全に麻痺した首都の光景だった。かつて国防総省の保安責任者だったガブリエルは、国の危機管理システムの脆弱性を訴えたが、上司に無視され退職へ追い込まれていた。「これは国のため」だといって自らの犯行を正当化するガブリエル。しかし、彼の本当の目的が金儲けであると気付いたジョンとマシューは、なんとかしてその計画を阻止しようとするのだったが…? 12年ぶりに復活した『ダイ・ハード』第4弾。またもや間違った時に間違った場所にいたジョン・マクレーン刑事が、運悪くテロ組織の破壊工作に巻き込まれてしまう。しかも今回はテクノロジー社会を象徴するようなサイバー・テロ。かつてはファックスすら使いこなせていなかった超アナログ人間のジョンが、成り行きで相棒となったハッカーの若者マシューに「なんだそれ?俺に分かる言葉で説明しろ!」なんてボヤきながらも、昔ながらのアナログ・パワーをフル稼働してテロ組織に立ち向かっていく。9.11以降のアメリカのセキュリティー社会を投影しつつ、果たしてテクノロジーに頼りっきりで本当に良いのだろうか?と疑問を投げかけるストーリー。本格的なデジタル社会の波が押し寄せつつあった’07年当時、これは非常にタイムリーなテーマだったと言えよう。 監督のレン・ワイズマンも脚本家のマーク・ボンバックも、10代の頃に『ダイ・ハード』1作目を見て多大な影響を受けた世代。当時まだ小学生だったマシュー役のジャスティン・ロングは、親から暴力的な映画を禁止されていたため大人になってからテレビでカット版を見たという。そんな次世代のクリエイターたちが中心となって作り上げた本作。ワイズマン監督が最もこだわったのは、「実写で撮れるものは実写で。CGはその補足」ということ。なので、『ワイルド・スピード』シリーズも真っ青な本作の超絶カー・アクションは、そのほとんどが実際に車を壊して撮影されている。劇中で最もインパクト強烈な、車でヘリを撃ち落とすシーンもケーブルを使った実写だ。CGで付け足したのは回転するヘリのプロペラだけ。あとは、車が激突する直前にヘリから飛び降りるスタントマンも別撮りシーンをデジタル合成している。しかし、それ以外は全て本物。中にはミニチュアと実物大セットを使い分けたシーンもある。こうした昔ならではの特殊効果にこだわったリアルなアクションの数々に、ワイズマン監督の『ダイ・ハード』シリーズへの深い愛情が感じられるだろう。 <『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013)> 長いこと音信不通だった息子ジャック(ジェイ・コートニー)がロシアで殺人事件を起こして逮捕されたと知り、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に見送られてモスクワへと向かったニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)。ところが、到着した裁判所がテロによって爆破されてしまう。何が何だか分からず混乱するジョン。すると息子ジャックが政治犯コマロフ(セバスチャン・コッホ)を連れて裁判所から逃走し、その後を武装したテロ集団が追跡する。実はCIAのスパイだったジャックは、コマロフを救出する極秘任務を任されていたのだ。ロシアの大物政治家チャガーリンの犯罪の証拠を握っており、チャガーリンを危険視するCIAはコマロフをアメリカへ亡命させる代わりに、その証拠であるファイルを手に入れようと考えていたのである。 そんなこととは露知らぬジョンは、追手のテロ集団を撃退するものの、結果としてジャックの任務を邪魔してしまうことに。ひとまずCIAの隠れ家へ駆け込んだジョンとジャック、コマロフの3人は、アメリカへ亡命するならひとり娘を連れて行きたいというコマロフの意向を汲むことにする。待ち合わせ場所の古いホテルへ到着した3人。ところが、そこで待っていたコマロフの娘イリーナ(ユーリヤ・スニギル)によってコマロフが拉致される。テロ集団はチャガーリンがファイルを握りつぶすために差し向けた傭兵部隊で、イリーナはその協力者だったのだ。敵にファイルを奪われてはならない。コマロフのファイルが隠されているチェルノブイリへ向かうジョンとジャック。実はコマロフはただの政治犯ではなく、かつてチャガーリンと組んでチェルノブイリ原発から濃縮ウランを横流し、それを元手にして財を成したオリガルヒだった。コマロフを救出しようとするマクレーン親子。ところが、現地へ到着した2人は思いがけない事実を知ることになる…! オール・アメリカン・ガイのジョン・マクレーン刑事が、初めてアメリカ国外へ飛び出したシリーズ最終章。『ヒットマン』(’07)や『G.I.ジョー』(’09)のスキップ・ウッズによる脚本は、正直なところもう少し捻りがあっても良かったのではないかと思うが、しかし報道カメラマン出身というジョン・ムーア監督の演出は、前作のレン・ワイズマン監督と同様にリアリズムを重視しており、あくまでも本物にこだわった大規模なアクション・シーンで見せる。中でも、ベラルーシで手に入れたという世界最大の輸送ヘリコプターMi-26の実物を使った空中バトルは迫力満点だ。 なお、当初はモスクワで撮影する予定でロケハンも行ったが、しかし現地での街頭ロケはコストがかかり過ぎるという理由で断念。代替地としてモスクワと街並みのよく似たハンガリーのブダペストが選ばれた。イリーナ役のユーリヤ・スニギルにチャガーリン役のセルゲイ・コルスニコフと、ロシアの有名な俳優が出演している本作だが、しかしジョンがロシア人を小バカにするシーンなど、決してロシアに対して好意的な内容ではないことから、現地では少なからず批判に晒されたようだ。実際、ムーア監督がイメージしたのはソヴィエト時代そのままの「陰鬱で荒涼とした」モスクワ。明るくて華やかで賑やかな現実の大都会モスクワとは別物として見た方がいいだろう。 <『ダイ・ハード』シリーズが愛される理由とは?> これはもう、主人公ジョン・マクレーン刑事と演じる俳優ブルース・ウィリスの魅力に尽きるとしか言いようがないであろう。ことさら勇敢なわけでもなければ正義感が強いわけでもない、ぶっちゃけ出世の野心もなければ向上心だってない、愛する家族や友人さえ傍にいてくれればいいという、文字通りどこにでもいる平々凡々とした昔ながらの善良なアメリカ人男性。刑事としての責任感や倫理観は強いものの、しかしその一方で権威や組織に対しては強い不信感を持っており、たとえお偉いさんが相手だろうと一切忖度などしない。そんな反骨精神あふれる庶民派の一匹狼ジョン・マクレーン刑事が、いつも運悪く面倒な事態に巻き込まれてしまい、已むに已まれずテロリスト集団と戦わざるを得なくなる。しかも、人並外れて強いというわけでもないため、最後はいつもボロボロ。このジョン・マクレーン刑事のヒーローらしからぬ弱さ、フツーっぽさ、親しみやすさに、観客は思わず同情&共感するのである。 加えて、もはや演技なのか素なのか分からないほど、役柄と一体化したブルース・ウィリスの人間味たっぷりな芝居も素晴らしい。もともとテレビ・シリーズ『こちらブル―ムーン探偵社』(‘85~’89)の私立探偵デイヴ・アディスン役でブレイクしたウィリス。お喋りでいい加減でだらしがなくて、特にこれといって優秀なわけでも強いわけでもないけど、しかしなぜだか愛さずにはいられないポンコツ・ヒーロー。そんなデイヴ役の延長線上にありつつ、そこへ労働者階級的な男臭さを加味したのがジョン・マクレーン刑事だと言えよう。まさにこれ以上ないほどの適役。当初候補に挙がっていたシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーでは、恐らく第二のランボー、第二のコマンドーで終わってしまったはずだ。 もちろん、重くなり過ぎない軽妙洒脱な語り口やリアリズムを追究したハードなアクション、最前線の苦労を知らない無能で横柄な権力者やマスコミへの痛烈な風刺精神、同時代の世相を巧みにストーリーへ織り込んだ社会性など、1作目でジョン・マクティアナンが打ち出した『ダイ・ハード』らしさを確実に継承した、歴代フィルムメーカーたちの職人技的な演出も高く評価されるべきだろう。彼らはみんな、『ダイ・ハード』ファンがシリーズに何を望んでいるのかを踏まえ、自らの作家的野心よりもファンのニーズに重きを置いて映画を作り上げた。これぞプロの仕事である。 その後、ブルース・ウィリス自身は6作目に意欲を示していたと伝えられるが、しかし高次脳機能障害の一種である失語症を発症したことから’22年に俳優業を引退。おのずと『ダイ・ハード』シリーズにも幕が降ろされることとなった。■ 「ダイ・ハード」© 1988 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード2」© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード4.0」© 2007 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード/ラスト・デイ」© 2013 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.

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S・キングの才能を受け継ぐ息子の創造力と『ドクター・ストレンジ』監督の幼き日の記憶が融合したユニークなホラー映画『ブラック・フォン』

なかざわひでゆき

21世紀のホラー映画界を代表する制作会社ブラムハウスとは? 低予算かつ良質なホラー映画に定評のある、ハリウッドの制作会社ブラムハウス・プロダクションズの放った大ヒット作だ。ご存知の通り、『パラノーマル・アクティビティ』(’07)シリーズや『インシディアス』(’10)シリーズ、『パージ』(’13)シリーズに『ハッピー・デス・デイ』(’17)シリーズなどの人気ホラー・フランチャイズを世に放ち、『ゲット・アウト』(’17)ではホラー映画として珍しいアカデミー賞の作品賞ノミネートも果たしたブラムハウス。この『ブラック・フォン』(’22)も批評面・興行面の両方で大成功を収め、既に続編の劇場公開も決まっている。 近年のハリウッドではブラムハウスだけでなく、サム・ライミ監督のゴースト・ハウス・ピクチャーズやジェームズ・ワン監督のアトミック・モンスター・プロダクションズなどホラー映画に特化した新興スタジオが台頭。エッジの効いたアート系映画でハリウッドに革命を巻き起こしたA24も、アリ・アスター監督の『ヘレディタリー/継承』(’18)に『ミッドサマー』(’19)など芸術性の高いホラー映画に力を入れている。そうした中、この20年余りで200本を超える映画を製作して60億ドル近くの興行収入を稼いだとされ、アメリカのインディペンデント映画をリードする存在とまで言われるブラムハウスとは、いったいどのような会社なのか?まずはそこから話を始めてみたい。 ブラムハウス・プロダクションズの社長ジェイソン・ブラムは、もともと俳優イーサン・ホークが主催するニューヨークの劇団マラパート・シアターの演出家だった人物。その後、インディーズ大手のミラマックスの重役として映画界へ転向した彼は、大学時代のルームメイトだったノア・バームバックの処女作『彼女と僕のいた場所』(’95)でプロデューサーへ進出し、’00年に友人エイミー・イスラエルと共同で製作会社ブラム・イスラエル・プロダクションズを設立する。しかし、’02年にイスラエルと袂を別ったことから、社名をブラムハウス・プロダクションズへ変更したというわけだ。 当初はアート系のドラマ映画やコメディ映画を製作していたブラムハウス。しかし、’07年公開の『パラノーマル・アクティビティ』が、たった21万5000ドルの製作費で1億9400万ドルの興行収入を稼ぐ超メガヒットを記録したことから、これをきっかけにホラー映画を主力とした制作体制を敷くことになる。 ジェイソン・ブラム社長の掲げる制作方針は、①旬のトップスターではないが知名度の高い中堅どころの名優をキャスティングし、②金を出しても口は出さずに作り手の自由を尊重し、③派手なギミックよりもストーリー性を重視した低予算のホラー映画を作ること。もちろん低予算とはいっても、例えばアトミック・モンスターと共同製作した『M3GAN ミーガン』(’22)の予算は1200万ドル(当時の為替相場1$=130円で計算すると15億~16億円)、最新作「スピーク・ノー・イーヴル」(’24)にしたって1500万ドル(現在の為替相場1$=150円で計算して22億~23億円)。10億円を超えたら超大作と呼ばれる日本映画とはちょっと桁が違うのだけれど。 それにしても確かに、ブラムハウス制作のホラー映画といえば、イーサン・ホークにケヴィン・ベーコンのような往年のトップスターや、ヴェラ・ファーミガやフランク・グリロなどの玄人受けする性格俳優、エヴァ・ロンゴリアやアリソン・ウィリアムズなど人気テレビドラマの主演スターといった具合に、一般的な知名度は高いがギャラはそれほど高くないベテラン俳優と無名もしくは無名に近い若手俳優をバランス良く配している作品が多い。また、ブラム社長曰く、監督側にクリエイティブ面の主導権を保証すれば、むしろ気軽に色々な相談をしてくれるようになるのだそうだ。なぜなら、仮に返って来た答えが賛同できないようなものであっても、それをスタジオ側から無理強いされる心配がないと分かっているから。つまり、現場から警戒されずに済むというわけだ。 なので、「映画をより良くするためなら何をしても構いませんよ」というのが現場に対するブラム社長の基本姿勢。相談されれば意見することもあるが、もちろん強制したりなどしない。あくまでも選択肢のひとつに加えてくださいというだけ。そればかりか、例えば会社のスタンスに理解を示して協力してくれる有名俳優をリスト化しており、新人監督にはそこからキャストを選ぶように推薦したりする。また、スターのための個人用トレーラーなどはあえて用意せず、役者は主演クラスも脇役もみんな同じ場所で待機。ロサンゼルス近郊を撮影地に選ぶことが多いため、現場スタッフも勝手を知った常連組が中心。さらに、どの作品も基本はロケ撮影で、スタジオにセットを組むことは滅多にない。そうした諸々の工夫によって、撮影期間も製作費もなるべく節約できるように現場を全面バックアップしているという。 デイミアン・チャゼル監督の出世作『セッション』(’14)やスパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』(’18)など、時にはホラー映画以外のジャンルも手掛けたりするものの、それでもやはりブラムハウスといえばホラー映画。ただしブラム社長自身の認識としては、どれもホラーというジャンルのフォーマットを用いた「ドラマ映画」であり、必ずしも観客を怖がらせることが目的ではないとのこと。それは本作『ブラック・フォン』にも当てはまる理屈であろう。 得体の知れない怪物と対峙した少年の成長譚 舞台は1978年のコロラド州。デンバー北部の小さな田舎町に住む少年フィニー(メイソン・テムズ)は、草野球とロケット作りが得意な文武両道の物静かな優等生だが、しかし心優しくて気の弱いところがあるため、家では飲んだくれの父親による暴力に怯え、学校ではいじめの標的にされている。そんな彼にとって最大の理解者であり、心強い味方なのが負けん気の強い妹グウェン(マデリーン・マックグロウ)。しかし、父親テレンス(ジェレミー・デイヴィス)はそんな彼女にことさら厳しい。なぜなら、亡くなった妻と同様の能力を娘も持っているからだ。母親と同じく予知夢を見るグウェン。しかし、その予知夢に苦しめられた母親は、精神を病んで自殺してしまった。娘も同じ末路を辿るのではないか。そんな不安と恐怖に加えて、妻を亡くした哀しみや怒りが混ぜこぜになったテレンスは、グウェンがちょっとでも予知夢の話をしようものなら、酒に酔った勢いに任せて激しい体罰を加えるのだった。 折しも、町では10代の少年ばかりが次々と姿を消していた。警察は連続誘拐事件と睨んで捜査するも手がかりはなく、人々は犯人を「グラバー(人さらい)」と呼んで恐れている。フィニーの周囲でも草野球のライバル・チームの日系人少年ブルースや地元でも悪名高い不良のヴァンスが行方不明となり、ついには学校でいじめっ子から守ってくれるケンカの強いメキシコ人少年ロビン(ミゲル・カサレス・モーラ)までもが消息を絶ってしまった。そんなある日、学校帰りに妹と別れてひとり歩いていたフィニーは、黒塗りの営業車を停めた手品師に声をかけられ、足を止めた瞬間にクロロフォルムを嗅がされて車へ引きずり込まれる。やがて意識を取り戻したフィニー。そこは薄暗い地下室で、彼は自分がグラバー(イーサン・ホーク)に誘拐されたことを悟るのだった。 鍵のかかった地下室に監禁されたフィニー。そこにあるのは、薄汚れたボロボロのマットレスと、線が途中で切れた古い黒電話だけ。どうやら上はグラバーの住居らしい。ことさら危害を加えるような様子もなく、しかし不気味なマスクを被りながら黙ってフィニーを見つめるグラバー。不安と恐怖を煽って精神的に追い詰めつつ、徐々にいたぶっていくつもりらしい。それはさながら残虐なゲームだ。防音工事の施された地下室からは、どれだけ大声で叫んでも外には聞こえない。鉄格子のついた窓も手の届かない高さだ。圧倒的な絶望感に打ちひしがれるフィニー。すると、断線しているはずの黒電話のベルが不気味に鳴り、フィニーが恐る恐る受話器を取ってみたところ、電話の向こうから子供の声が聞こえる。グラバーに殺された少年たちの幽霊が、ここから脱出するためのヒントをフィニーに教えようとしていたのだ。その中には親友ロビンもいた。 一方その頃、妹グウェンは予知夢を手掛かりにフィニーの行方を掴もうとするのだが、しかし夢の読み解き方が分からず苦戦していた。息子の失踪にショックを受けて気落ちする父親を説き伏せた彼女は、半信半疑の警察の協力も得ながら、なんとかして兄をグラバーの魔手から救い出そうと奔走するのだが…? ジョン・ゲイシーを彷彿とさせる連続殺人鬼グラバーが、少年たちを誘拐して殺していくシリアル・キラー物かと思いきや、やがて殺された少年たちの幽霊が主人公を助けながら復讐を果たすという、リベンジ系のオカルト・ホラーへ展開していく。この意外性がひとつの見どころだが、しかし本作の核となるのは、やはり主人公フィニーの成長譚であろう。家庭内暴力にイジメに凶悪犯罪にと、日常生活が暴力で溢れたアメリカ社会の殺伐たる風景。無垢で繊細でか弱い少年フィニーは、グラバーという得体の知れない怪物と対峙することで恐怖を克服し、弱肉強食のアメリカ社会を生き抜くために必要な知恵と強さを身に付ける。妹グウェンとの絶対的な信頼関係と兄妹愛、殺された少年たちとの固い絆。そんな子供らが一致団結して、邪悪な連続殺人鬼に立ち向かっていく。この、背筋の凍るほど残酷で猟奇的なストーリーの根底に流れる、普遍的な愛と友情の切なくも感動的なドラマこそが、本作が商業的に成功した最大の要因だったのではないかと思う。 中でも、主人公フィニーを取り巻く学校や家庭の描写は圧倒的にリアル。おかげで作品全体にも揺るぎない説得力が生まれた。これは本作が、共同脚本を兼ねたスコット・デリクソン監督の少年時代を投影した、多分に半自伝的な要素の強い作品だからだと言えよう。 主人公フィニーは監督の分身だった 原作はスティーブン・キングの息子である作家ジョー・ヒルが’05年に発表した、短編集「20世紀の幽霊たち」に収録された小説「黒電話」。出版当時に読んで映画向きの内容だと考え、親友の脚本家C・ロバート・カーギルと映画化を検討したデリクソン監督だったが、しかし当時は長編映画として膨らませるためのアイディアが思い浮かばずに断念したという。 それから10年以上が経って、その間に『地球が静止する日』(’08)や『ドクター・ストレンジ』(’16)などの大作映画をヒットさせた彼は、自身の少年時代を映画化しようと思いつく。というのも、フィニーと同じく’70年代のデンバー北部に育ったデリクソン監督は、子供時代に受けた暴力のトラウマを抱えていたらしく、およそ5年に渡って受けたセラピーの過程で、自分の経験を映画にすべきなのではないかと考えたという。当初はフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(’59)のような作品を想定したそうだが、しかし映画として成立させるための印象的なエピソードが足りなかった。そこでカーギルから提案されたのが、かつて映画化を断念した短編小説「黒電話」に自身の少年時代の記憶を混ぜ合わせることだったのである。 原作小説は主人公の少年ジョンがグラバーに誘拐されるところから始まり、物語の大半は2人の会話と少年の回想で構成されている。家庭の描写はあるが学校の描写はなし。家族構成も映画版とは違うし、そもそも原作の舞台は携帯電話の普及した現代である。黒電話で話をするのも、小説では日系人少年ブルースの幽霊のみ。つまり、冒頭の25分はほぼ本作の完全なオリジナルであり、それ以外も脚色された要素が少なくないことになる。 子供の頃の記憶と直接的に結びつく感情は「恐怖」だったと振り返るデリクソン監督。映画の舞台となる’78年は12歳だった。当時のアメリカは経済不況による治安の悪化に加え、ベトナム敗戦やウォーターゲート事件による国家への不信も重なり、社会全体が殺伐としていた時代。デリクソン監督の故郷は貧しい肉体労働者の家庭が多かったそうで、子供たちが日常的に親から体罰を受けるのは当たり前、学校では暴力沙汰のいじめが蔓延り、登下校の最中に血みどろの喧嘩を見かけることも日常茶飯事だったという。 デリクソン監督自身も家庭では短気で暴力的な父親に怯え、学校ではいじめっ子たちから暴力を受けていた。主人公フィニーはまさに監督の分身だ。そして劇中で描かれる体罰やイジメは、どれも監督が経験した実話を基にしている。’70年代のデンバー北部には暴力が溢れていたが、しかしそれは当たり前の「普通」の光景だったという。加えて、当時のアメリカでは刑務所を脱獄した連続殺人鬼テッド・バンディがフロリダを逃亡してマスコミを賑わせ、カルト集団マンソン・ファミリーがもたらした悪夢も記憶に新しく、さらには全米各地で子供や若者の失踪事件が相次いで、これが’80年代に入ると悪魔崇拝カルトの仕業ではないかと噂される。そうした少年時代の暗い記憶が、小説の内容と奇跡的に結びついていった結果が本作の物語だったのである。 そのうえで、デリクソン監督は’70年代後半のアメリカをノスタルジックに描いたり、当時の世相や文化を美化したりすることを避け、子供だった自分が感じた空気をそのまま再現することに注力したという。ロケ地はコロラド州ではなくノース・カロライナ州だが、しかし雰囲気や街並みは当時のデンバー北部にそっくりだったのだとか。グウェンの予知夢を本物のスーパー8で撮影したのも効果的で、より一層のこと’70年代の空気感を表現できたのと同時に、まるでファウンド・フッテージのような薄気味悪さまで醸し出して秀逸だ。このような監督の実体験を投影した濃密な人間ドラマと、あの時代を知る者だからこそのリアリズムに基づいた映像が、単なる作り話にはない強い説得力を物語に与えているのだと言えよう。本作の真の強みはそこにあると思う。 ちなみに、主人公フィニーの父親はデリクソン監督の父親ではなく、近所に住んでいた友達のアルコール中毒の父親がモデル。フィニーをいじめっ子から守ってくれる少年ロビンも、実際にデリクソン監督の親友だったメキシコ人の少年がモデルで、年上の大柄な相手でもボコボコにしてしまうくらいケンカが強かったらしい。トイレでロビンが言う「血が多いほど野次馬に効果がある」というセリフも、その少年が実際に言った言葉をそのまま使ったのだそうだ。 成功のカギは子役たちの名演にあり! フィニー役のメイソン・テムズとグウェン役のマデリーン・マックグロウも素晴らしい。少年らしい無垢な繊細さと、大人びた聡明な思慮深さを兼ね備えたメイソンはまさに逸材で、本作を機にすっかり売れっ子となったのも納得である。特に彼は声が非常に印象的。落ち着いていて優しくて柔らかで、喋り方にも独特の温かみと力強さが感じられる。これはさすがに日本語吹替版では再現できまい。それはマデリーンの芝居も同様で、大人でもない子供でもない少女特有の揺れ動く繊細な感情を、言葉や息遣いの隅々から感じさせる彼女の圧倒的な芝居は、残念ながら大人の声優に表現できるものではないだろう。特に、父親から折檻されるシーンの恐怖と痛みと哀しみと怒りの感情が入れ代わり立ち代わり交錯する複雑なセリフ回しは圧巻。とてつもない才能だ。実は、スケジュールの都合で一度は出演が不可能になったというマデリーンだが、しかし「彼女でなければグウェン役は無理」と考えたデリクソン監督がプロデューサーのジェイソン・ブラムに掛け合い、撮影スタートを5カ月近くも遅らせたというエピソードにも納得である。 もちろん、グラバー役のイーサン・ホークも好演である。『いまを生きる』(’89)や『リアリティ・バイツ』(’94)などの青春映画で一世を風靡し、’90年代のハリウッドを代表するトップスターのひとりとなったホークだが、実はもともとホラー映画が大の苦手だった。初めてホラー映画に出たのは、デリクソン監督がブラムハウスで初めて撮った『フッテージ』(’12)。そういえば、あの作品もスーパー8で撮った映像を効果的に使っていたっけ。これを機に『パージ』や『ストックホルム・ケース』(’18)などブラムハウス作品に出るようになったホークだが、やはりホラー映画が苦手なことには変わりなかったらしく、本作のグラバー役のオファーも当初は渋ったらしい。しかし、脚本を読んで考えを変えたのだとか。 出番の大半でマスクを被っているホーク。見えない表情をカバーするための演劇的なセリフ回しや体の動作が、かえってグラバーという得体の知れない殺人鬼の底知れぬ狂気を表現して秀逸だ。特殊メイクの神様トム・サヴィーニがデザインを手掛けたマスクの仕上がりもインパクト強烈。ジェイソンにしろマイケル・マイヤーズにしろレザーフェイスにしろ、名物ホラー・キャラには個性的なマスクが付きものだが、今やグラバーもその仲間入りを果たしたと言えよう。 実際、原作者のジョー・ヒルもマスクの仕上がりを大絶賛し、これをひと目見た瞬間にシリーズ化を確信したという。なにしろ、小説では「革のマスク」としか書かれておりませんでしたからな。なおかつ興行的にも1億6000万ドルを突破する大ヒットを記録したことから続編企画にゴーサインが出され、’25年10月17日の全米公開を目指して、’24年11月4日よりカナダのトロントで撮影が進行している。ストーリーは今のところまだ詳細不明だが、とりあえずイーサン・ホークにメイソン・テムズ、マデリーン・マックグロウは再登板するとのこと。また、今のところ日本未公開のオムニバス・ホラー映画『V/H/S/85』(’23・原題)に収録されているデリクソン監督の短編「Dreamkill」は、グウェンと同じく予知夢の能力を持つ従兄弟が登場し、実質的に『ブラック・フォン』のスピンオフ作品となっている。続編映画は勿論のこと、こちらの日本上陸も期待したいところだ。■ 『ブラック・フォン』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.

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MCU版『スパイダーマン』シリーズが世界中で愛される理由とは?

なかざわひでゆき

実写版マーベル作品と実写版スパイダーマンの歩み 今やハリウッド業界を代表する巨大フランチャイズと化したマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)。その第1弾はジョン・ファヴロー監督、ロバート・ダウニー・ジュニア主演の『アイアンマン』(’08)だったわけだが、しかしそれ以前のMCUなどまだ存在しない時代から現在に至るまで、数多くのマーベル・コミック・ヒーローたちが映画やテレビで実写化されてきた。その中でも最も実写化に成功したキャラクターと呼ばれるのがスパイダーマンである。 もともとライバルのDCコミックに比べて、自社コミックの実写化にあまり積極的ではなかったマーベル。最古の実写化作品と言われるのは、全15話の連続活劇映画(=シリアル映画)として作られた『Captain America』(’44)である。それっきりマーベルの実写化は暫く途絶えてしまうのだが、やはりDCコミックの『バットマン』(‘66~’68)や『ワンダーウーマン』(‘75~’79)といったTVシリーズのヒットや、世界中で空前のブームとなった映画『スーパーマン』(’78)シリーズの大成功を意識してなのか、マーベルも’70年代半ばよりテレビ向け実写ヒーロー物の製作へ本格的に乗り出す。その最初期の番組が、原作「スパイダーマン」では高校生だった主人公ピーター・パーカーを大学生に設定し直したテレビ版『The Amazing Spider-man』(‘77~’79・日本未公開)だ。 日本では1時間半のパイロット版が映画『スパイダーマン』(’77)として劇場公開された同番組のヒットを契機に、マーベルは日本でも人気を集めたテレビ・シリーズ『超人ハルク』(‘77~’82)、テレビ映画版『Dr. Strange』(’78・日本未公開)に『爆走ライダー!超人キャプテン・アメリカ』(‘79・日本未公開)などのテレビ向け実写ヒーロー物を相次いで製作。ここ日本でも東映がマーベルとライセンス契約を結び、日本独自のキャラクターと物語を設定した特撮ヒーロー番組『スパイダーマン』(’78)が作られている。 その後、チャック・ノリスやチャールズ・ブロンソンのB級アクションを中心に一時代を築いた映画会社キャノン・フィルムズが、’85年に「スパイダーマン」の映画化権を獲得して実写化に乗り出すも、しかしイスラエル出身でアメコミに馴染みの薄い社長メナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスがスパイダーマンのコンセプトを誤解していたこともあって製作は難航。そうこうしているうちに、キャノンが社運を賭けた超大作『スーパーマンⅣ/最強の敵』(’87)が興行的に大惨敗。おのずと実写版「スパイダーマン」の企画も暗礁に乗り上げてしまう。 そのうえ、DCコミックの『バットマン』(’89)シリーズやダーク・ホース・コミックの『マスク』(’94)シリーズが大成功を収める一方、マーベル・コミックの実写化はメナハム・ゴーラン製作の『キャプテン・アメリカ 卍帝国の野望』(’90)がビデオ・スルー扱いになったり、ロジャー・コーマン製作の『The Fantastic Four』(’94)がお蔵入りになったりと不運続き。しかし『ブレイド』(’98)と『X-メン』(’00)の相次ぐ大ヒットによって、徐々に風向きが変わってくる。 そうした中、’99年にソニー傘下のコロンビア・ピクチャーズが「スパイダーマン」の映像化権(実写とアニメを含む)を獲得。少年時代から原作コミックの大ファンだったというサム・ライミがメガホンを取り、トビー・マグワイアがピーター・パーカーを演じた映画『スパイダーマン』トリロジー(‘02~’07)が誕生したのである。CGの進化によってスパイダー・アクションをリアルに映像化できるようなったこともあり、サム・ライミ版トリロジーは世界中で空前の大ヒットを記録。『X-MEN』シリーズと並んでアメコミ・ヒーロー映画人気の立役者となり、さらにはMCU誕生の下地を作ったとも言えよう。 しかし、ライミ監督とソニーの対立が原因で予定されていた4作目が製作中止に。それに伴ってシリーズのリブートが決定し、監督もキャストも変えて作り直した新シリーズが生まれる。それが、当時『ソーシャル・ネットワーク』(’10)で頭角を現していた注目の若手アンドリュー・ガーフィールドをピーター・パーカー役に抜擢した、マーク・ウェブ監督の『アメイジング・スパイダーマン』(’12)だ。ところが、今度はソニーとマーベルが’15年に新たな契約を結び、マーベルとディズニーが展開するMCUへスパイダーマンを組み込むことが決まったため、結果的にマーク・ウェブ版は2作目で終了。まずはトム・ホランド演じる新生ピーター・パーカー/スパイダーマンを『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(’16)で初登場させたうえで、『スパイダーマン:ホームカミング』(’17)に始まるMCU版『スパイダーマン』シリーズが本格始動したというわけだ。 MCU版『スパイダーマン』の流れを総まとめ! まずはMCU版『スパイダーマン』シリーズの流れをザックリと紐解いてみよう。 先述した通り初登場は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』。同作ではバッキーが容疑者となったテロ事件を巡って、キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャース(クリス・エバンス)とアイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・ジュニア)が真っ向から対立。アベンジャーズが内部分裂したため、新たなメンバー候補を探したトニーは、ニューヨークで自警活動に勤しむ様子がSNSで話題の覆面ヒーロー、スパイダーマンに注目し、その正体である15歳の高校生ピーター・パーカー(トム・ホランド)をスカウトする。この時点では、クモに噛まれたせいで特殊能力を得たこと、若くて美人なメイおばさん(マリサ・トメイ)と2人暮らしであること以外に詳しい情報はなし。憧れのアベンジャーズに入れるかもしれないということで張り切ったピーターは、トニーからプレゼントされたハイテク・スーツに身を包んで、アベンジャーズ同士の空港での対決に参戦。しかし、それが終わると普通の生活へ戻るように言われて自宅へ帰される。 その直後から始まるのが第1弾『スパイダーマン:ホームカミング』だ。トニーに認めてもらいたい、アベンジャーズの一員になりたいと、放課後の部活も放り出してスパイダーマン活動に奔走するピーターだが、しかし治安の良い現代のニューヨークでは派手な活躍の場もなし。そんなある日、奇妙なハイテク武器を使ったATM強盗に遭遇したピーターは、その武器の出所を探っていったところ、盗んだ地球外物質を元手に開発した違法な武器を闇で売り捌く秘密組織の存在を知る。組織のボスは巨大な翼を持つハイテク・スーツに身を包んだ悪党バルチャー(マイケル・キートン)。その正体は残骸回収業者のエイドリアン・トゥームス(マイケル・キートン)だ。かつてアベンジャーズが戦った後の残骸回収事業を請け負っていたトゥームスだが、しかしその事業をトニー・スタークと政府の合弁会社に横取りされたことから、家族や仲間を養うため違法ビジネスに手を染めていたのである。自分をスパイダーマンだと知る親友ネッド(ジェイコブ・バタロン)と共にバルチャーの悪事を阻止せんとするピーター。しかし、未熟ゆえ他人を危険に巻き込んだことからトニーにハイテク・スーツを取り上げられ、さらにはトゥームスが片想い相手の美少女リズ(ローラ・ハリアー)の父親だと知って途方に暮れる…。 続いてスパイダーマンが登場したのはアベンジャーズ・シリーズの『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(’18)と『アベンジャーズ/エンドゲーム』(’19)。トニーとドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を助けて活躍したピーターは、晴れてアベンジャーズの一員となってサノス(ジョシュ・ブローリン)との決戦へ臨むのだが、しかし全てのインフィニティ・ストーンを手に入れたサノスのスナップ(指パッチン)によって全宇宙の半分の生命体が消滅。ピーターや親友ネッドなども塵となって消えてしまう。しかしそれから5年後、残りのアベンジャーズたちの活躍で「指パッチン」がリバースされ、ピーターを含む何十億という人々が復活。その代わりにトニーが命を落としてしまった。 この悲劇を受けて始まるのが『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(’19)。恩師トニーを失った悲しみを胸に秘めつつ、平和な日常生活を存分に満喫するピーター。その一方で、アベンジャーズの統率役ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)からの呼び出しを無視し続けている。何故なら、ヒーローの任務よりも青春を謳歌したいから。学校の企画で2週間のヨーロッパ研修旅行へ参加することになったピーターは、片想い中の同級生MJ(ゼンデイヤ)にパリでロマンチックな告白をしようと計画していた。ところが、最初の訪問先ヴェネチアで人型のウォーター・モンスターが出現。すると、どこからともなく現れた謎のヒーロー、ミステリオ(ジェイク・ギレンホール)がモンスターを倒す。予てより、アイアンマンの跡を継ぐのは荷が重いと感じていたピーターは、マルチバースの地球から今の地球を救うために来たというミステリオこそアイアンマンの後継者に相応しいと考え、トニーから受け取った人工知能メガネを譲り渡す。ところが、このミステリオの正体は、かつてトニーに解雇されたスターク社の社員。同じようにトニーに恨みを持つ仲間を集めて、ミステリオなるスーパーヒーローの虚像を作り上げていただけだった。騙されていたことに気付いたピーターは、親友ネッドと同じく自分の素性を知ったMJも仲間に加えて、派手な英雄伝説を作るため自作自演のテロ行為を重ねていくミステリオ一味を阻止しようとするのだが…? そして、実写版「スパイダーマン」映画史上最大のヒットを記録した傑作『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(’22)。前作のクライマックスでマスコミに正体をバラされたうえ、ドローン攻撃を仕掛けてミステリオを殺した犯人という濡れ衣を着せられたスパイダーマン。殺人に飢えた不良高校生、正義を騙るヴィランと罵られたピーターは、証拠不十分のため辛うじて起訴は免れたものの、しかし自分ばかりかメイ叔母さんや親友ネッド、恋人MJまでもが誹謗中傷に晒されたことに胸を痛める。そこで彼はドクター・ストレンジに相談。忘却の魔術「カフカルの魔法陣」を用いて、スパイダーマンの正体を知る全ての人々の記憶を消し去ろうとするのだが、しかし優柔不断なピーターが「やっぱりMJは例外にして」「あとネッドも!」「そうだ、メイおばさんも!」と繰り返し邪魔するためドクター・ストレンジの魔術が失敗。それどころか、マルチバースのあらゆる世界からスパイダーマンの正体を知る人々を集めてしまい、サム・ライミ版シリーズのグリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)やドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)、マーク・ウェブ版シリーズのエレクトロ(ジェイミー・フォックス)などのヴィランが次々と現れる…! トム・ホランドこそMCU版『スパイダーマン』成功のカギ! 同じ世界観をクロスオーバーする『アベンジャーズ』シリーズとの相乗効果もあってか、興行的にも批評的にもサム・ライミ版やマーク・ウェブ版を凌ぐほどの大成功を収めたMCU版『スパイダーマン』シリーズ。実は筆者も、このMCU版シリーズが実写版「スパイダーマン」映画の中で一番好きだったりする。もちろん、サム・ライミ版の偉大さは認めざるを得ないし、マーク・ウェブ版も十分に健闘していたと思うが、しかしこのMCU版シリーズには過去のスパイダーマン映画にはない独特の魅力がある。そのひとつが、明るくて爽やかで楽しい青春ドラマという基本路線を打ち出したジョン・ワッツ監督の明朗快活な演出だ。 ・『~:ノー・ウェイ・ホーム』演出中のジョン・ワッツ監督(左から2番目)と主要キャスト 例えば、従来のスパイダーマン映画におけるピーター・パーカーは、学校でも居場所のないいじめられっ子で友達も少なく、そのうえ自らの浅はかな行動のせいで父親代わりのベンおじさんを死なせてしまうなどの深いトラウマを抱えており、なるほど確かに根は純粋で素直で正義感溢れる若者だが、しかし同時に陰キャや非モテを拗らせたような暗い部分もあって、それゆえ「大いなる力には大いなる責任が伴う」というヒーローとしての宿命的な葛藤に思い悩む。要するに、キラキラとした青春の眩しさや瑞々しさばかりではなく、そのダークサイドにも焦点が当てられていたわけだ。 一方のMCU版シリーズに目を移すと、少なくとも主人公ピーターの日常にはそうした暗くて重い要素は殆どない。なるほど確かに、こちらのピーターも科学オタクのギークで決して学園の人気者とは言えないが、しかしかといっていじめられっ子というわけではないし、親友ネッドだけでなく趣味を同じくするギーク仲間たちにも恵まれている。ピーターにばかり意地悪するフラッシュといういじめっ子もいるにはいるが、しかしこのフラッシュも実のところスクールカーストではピーターと同じギーク仲間だし、そもそも彼に同調してピーターを苛めるヤツもいない。また、ベンおじさんにまつわるエピソードもMCU版シリーズでは描かれず、そもそもベンおじさんが存在したのかどうかも定かではない。むしろ、『ノー・ウェイ・ホーム』でメイおばさんがベンおじさんの役割を兼ね、ピーターの人間的な成長を後押しすることになる。 こうした大幅な設定変更もあって、MCU版シリーズにおけるピーターの青春模様は、少なくとも最大の困難に直面する『ノー・ウェイ・ホーム』までは底抜けに明るい。ピーターも天真爛漫で正直で真っすぐで、思い立ったら吉日の猪突猛進!単細胞なので迷う前に行動へ移してしまう。そのうえ、お喋りでおっちょこちょいなヤンチャ坊主。そうかと思えば、恋愛には意外と不器用なシャイボーイだったりする。良い意味で世間も苦労も疑うことも知らない純朴な15歳の子供である。しかも、とにかくヒーローとして活躍するのが楽しくて仕方ない。1日も早くアベンジャーズの仲間に入りたい!ということで、トニー・スタークに認めてもらうべく必死に自己アピールする健気な姿は、まるでご主人様の注意を惹こうとする子犬の如き可愛らしさだ。 そんなピーターと対峙するのが、理不尽な目に遭って辛酸を舐めてきたせいで心を病み、怒りや憎しみに目がくらんでしまったヴィランの大人たちだ。彼らは人生経験をもとに世界を冷酷非情で不公平なものだと考えており、それが自らの悪事を正当化する言い訳ともなっているのだが、しかし人生経験が浅いからこそ汚れのない真っ直ぐな眼で世界を見ているピーターにその理屈は通用せず、結果的にはスパイダーマンの少年らしい理想論的な正義こそが世界を混沌から救うことになる。この斜に構えたところのないヒーロー像も大きな共感ポイントと言えよう。ワッツ監督は『キャント・バイ・ミー・ラブ』(’87)や『セイ・エニシング』(’89)などのキュートな’80年代青春コメディをドラマ・パートのお手本にしたそうだが、そうか、トム・ホランドがどことなく青春映画アイドル時代のパトリック・デンプシーと似ているのはそのためか(?)。 で、このトム・ホランドをピーター・パーカー役に起用したことの功績もかなり大きいと言えよう。サム・ライミ版のトビー・マグワイアは1作目の時に27歳、マーク・ウェブ版のアンドリュー・ガーフィールドは29歳だったのに対し、MCU版のトム・ホランドは『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の時点で20歳。ピーター・パーカーの年齢設定に最も近い。しかも、その童顔といい高い声といい、まさにティーンの少年そのもの。明るくて元気で愛くるしい個性もピーターを演じるにピッタリだ。これほどのハマリ役もそうそうあるまい。オーディションによって7500人の中から選ばれたそうだが、恐らくトム・ホランドなくしてMCU版『スパイダーマン』シリーズの成功はなかったろうと思う。まさにキャスティングの勝利だ。 もちろん、その他にもMCUの世界観をシェアするヒーローたちとの関わりや、過去シリーズではピーターのお手製だったスパイダーマンスーツのハイテク化など、MCU版シリーズが愛される理由は枚挙に暇ないだろう。青春ドラマ的なワクワク感を前面に出した『スパイダーマン:ホームカミング』、ヨーロッパへ飛び出してアクションもロマンスもスケールアップした『スパイダーマン・ファー・フロム・ホーム』、そして思いがけず切なくて感動的なクライマックスを迎えるスパイダーマン映画の集大成的な『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』と、いずれ劣らぬ完成度の高さ。10月のザ・シネマではその3作品が一挙放送される。是非とも、MCU版「スパイダーマン」だからこその面白さを存分に堪能していただきたい。■ 「スパイダーマン:ホームカミング」(C) 2017 Columbia Pictures Industries, Inc. and LSC Film Corporation. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL 「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(C) 2019 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL 「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(C) 2021 Columbia Pictures Industries, Inc. and Marvel Characters, Inc. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL  

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コロナ禍で追求された、全編アクションの可能性『アンビュランス』

尾崎一男

◆破壊王マイケル・ベイの挑戦  機動力に満ちたカメラワークや、過剰なほどに爆発を散りばめたショットなど、それらを素早い編集で組み合わせ、監督マイケル・ベイはキャリア早期より迫力ある映像サーカスを展開してきた。「ベイヘム」と呼称されるそれは、氏を認識する視覚スタイルとして周知され、皮肉も尊敬も交えて氏を象徴する重要なワードとなっている。1995年の初長編監督作『バッドボーイズ』を起点に、ベイはそのほとんどを破壊的なアクションに費やし、さらには機械生命体が車に変形するSFシリーズ『トランスフォーマー』と関わりを持つことで、ベイヘムを必要不可欠とするステージへと自らを追いやっている。そしてショットの多くをCGキャラクターやVFXに依存する本シリーズにおいて、爆発や破壊のプラクティカルな要素をどこまで追求することができるのか、彼はそれを実践してきたのである。  そんなマイケル・ベイに、大きな試練と挑戦の機会が訪れる。それは2020年に起こった、世界的なパンデミックの拡大だ。いわゆる新型コロナウイルス(COVID-19)の蔓延によって、映画業界全体の作品製作や公開が頓挫してしまったのだ。  しかし、ベイはこうした困難の中で、どれだけ過激なアクション演出を成し遂げられるのかという実験に挑んだのだ。それが2022年に公開された『アンビュランス』である。  病に侵された妻を助けたいと、元軍人のウィル(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)はカリスマ的な犯罪者ダニー(ジェイク・ギレンホール)の誘いにより、3,200万ドルの銀行強盗に加担する。 だがロサンゼルス史上かつてない巨額の奪取に成功したものの、彼らは捜査組織の容赦ない追跡を受けることになる。しかもウィルたちが逃亡のためにジャックしたのは、救命士キャム(エイザ・ゴンザレス)が負傷した警官を救護中のアンビュランス(救急車)だった……。ウィルとダニーは内も外も予断を許さぬ状況下で、二転三転する事態と、重くのしかかる善悪の葛藤に対処せねばならなくなる。  映画はこうした破壊と変転に満ちたカーチェイスを、わずか24時間のオンタイムで描いていく。ベイは配信を発表手段とした前監督作『6アンダーグラウンド』(2019)でも、開巻から延々20分間に及ぶカーチェイスを披露し、その様相は狂気を放っていた。しかし、今回は同作の規模を超えるものが、冒頭から終わりまで絶え間なく続くのである。  新型コロナウイルス感染によるロックダウンのなか、全編アクションの映画を撮影する—。そんな『アンビュランス』の叩き台となった脚本は、2005年にデンマークで製作されたスリラー『25ミニッツ』がベースとなっている。同作は心臓発作の患者を乗せた救急車をジャックした、2人の銀行強盗を主人公にしたものだ。『アンビュランス』の脚本を手がけたクリス・フェダックは、デンマーク人のマネージャーであるミケル・ボンデセンがオプション契約した『25ミニッツ』を紹介されたのだ。 『25ミニッツ』の核となるコンセプトが気に入ったフェダックは、本作をロサンゼルスへと置き変え、考えうる限りのカーチェイスや設定をクレイジーに拡張させたのである。  ミニマルを極めた状況設定から、やがて大きな展開へと発展していくアクション映画。そんな『アンビュランス』のストーリーこそ、ベイはコロナ禍で全編アクションの可能性を追求する、自分のアプローチと完璧にマッチしていると確信。生まれ故郷であるロサンゼルスを中心に、40日間のタイトな撮影を実践しようと、同作の撮影に踏み切ったのだ。 さいわいにも、本作のプロデューサーであるジェームズ・ヴァンダービルトとウィリアム・シェラックは、前プロデュース作品の『スクリーム』(2022)で、パンデミックの制限下における撮影プロトコルを確立させたばかりだった。この方法に従うことを前提にして、『アンビュランス』の製作にゴーサインが出たのである。 ◆FPVドローンをフル活用した撮影  前述どおり、本作の撮影はすべてロサンゼルスとその近郊でおこなわれた。こうした限定空間を安っぽいものに見せぬよう、クルーはエリア照明や色彩、ロケーションや撮影方法に至るまで、過去にないアプローチで手がけることを至上とした。また常時5台のマルチカメラによる態勢はベイのスタイルだが、これは限定空間を多面的に捉えることに役立つことになる。そしてすべての爆発ショットは、関係各部署と綿密なリハーサルを施行し、一秒単位で時間を計って綿密に調整された。カメラクルーには細かな安全装備が施され、さらに管理者が付き添うことで、万全を期した撮影が徹底されたのだ。  さらに今回はドローンを最大限に活用することで、多動的で視覚的な拡がりを持つショットをものにしている。 しかも『アンビュランス』で使用されたドローンは撮影用カメラを吊り下げて動くヘビーリフトタイプのものとは異なり、RED社の超小型6Kシネマカメラ「Komodo」を一体化させた最軽量・高画質の最新鋭ツールだ。それはFPV(ファースト・パーソン・ビークル)ドローンと呼ばれ、カメラと連動したゴーグル越しに操縦して撮像を得る、シミュレーションスタイルの撮影手段を持つギアである。操縦者たちはFPVドローンの操作テクニックと撮影技を競うドローン・レーシングリーグで上位を占める精鋭たちが集められ、例えばカメラアイが時速160キロのスピードでオフィスビルの屋上から壁面をつたい、地上からわずか1フィートスレスレまで潜り込んだり、あるいはロサンゼルス・コンベンションセンターの地下駐車場でのワンショットによるチェイスシーンなど、通常のカメラ撮影では不可能な移動ショットを可能にしたのだ。  このように、FPVドローンの全面投入はパンデミック制限下での撮影に貢献しただけでなく、これまでのアクション映画にない視覚領域へと我々をいざなう、全く新しい空撮の概念を映画の世界にもたらしたのである。 ◆『トランスフォーマー』を凌駕する車の投入  しかしロックダウンのプロトコルに基づく作品とはいえ、本作には30台を超すパトカーやアンダーカバー車、それに主人公の救急車と複数のスタントカーが用意され、車をキーアイテムとする『トランスフォーマー』さえも凌駕する台数が『アンビュランス』に投入されている。  なによりアメリカ国防総省と太いパイプで繋がり、最新の現用兵器や重火器類を自作に投入してきた初物好きのベイらしく、本作で登場する警察と消防要員のオフサイト本部として機能するMCU(移動コマンドユニット)は市場に出ていない最新式だ。加えて同台に複数のモニターを設置し、後部座席やシートポジションをカスタマイズするなど、完全な映画オリジナルにしている。  そして、本作のもうひとりの主人公ともいえる救急車は、民間消防会社の世界的大手・ファルクが所有する最高級クラスのもので、それを2台レンタルし、同時にスタント用のものを3台ほど撮影用にストックされた。しかし激しいアクションに車体をさらしながら、それらすべてを完璧な状態に保って返却せねばならなかったので、プロップマスターは相当神経を使ったという。また救急車の内装は病院同様に白が基調となっており、俳優のライティングが通常のカーアクションよりも難しかった。この問題を解決するため、照明や機器、そしてライトアップスイッチも追加され、こうして大幅に加工した内装も元に戻さねばならなかったのだ。  大破壊のための、細心に支えられた創造心。「ベイヘム」とは、この矛盾を正当化させる、エスプリの宿ったワードといえるかもしれない。『アンビュランス』は、それをさらに確信させる映画となったのだ。■ 『アンビュランス』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.

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『スピード』が、キアヌ・リーヴス“アクションスター”への道を切り開いた!

松崎まこと

 1964年生まれ。今年還暦を迎えたキアヌ・リーヴスの、俳優としてのイメージを問われれば、代表作に『マトリックス』シリーズ(1999~2021)や『ジョン・ウィック』シリーズ(2014~23)等がある、“アクションスター”というのが、大勢だろう。 母はイギリス人、父は中国人とハワイアンのハーフ。東洋系を感じさせる風貌もあって、映画俳優として台頭し始めた20代中盤から、日本ではいち早く人気者となった。しかしその頃のキアヌには、“アクション”のイメージは、ほとんどない。 フィルモグラフィーを覗けば、ロックスターを夢見るおバカ高校生役の『ビルとテッドの大冒険』(89)、親友のリヴァー・フェニックスと共演し、男娼を演じた『マイ・プライベート・アイダホ』(91)、フランシス・フォード・コッポラ監督が手掛けたクラシックホラー『ドラキュラ』(92)、ベルナルド・ベルトルッチ監督の演出の下、仏教の開祖役にチャレンジした『リトル・ブッダ』(94)等々。彼がその頃に出演した中で、“アクション映画”と言えるのは、FBIの潜入捜査官を演じた、『ハートブルー』(91)ぐらいだ。 若き日のキアヌは、エッジが利いた、個性的な役どころを好んで演じていたのである。 そんなキアヌとアクションのイメージを強く結び付け、本人にとっても、恐らく開眼するきっかけになったと思われるのが、本作『スピード』(94)である。 *****  ロサンゼルス。オフィスビルのエレベーターに爆弾が仕掛けられ、乗客達が閉じ込められた。ロス市警SWAT隊員のジャック(演:キアヌ・リーヴス)は、相棒ハリーと、危機一髪で爆弾を除去。乗客達を救出した。 ジャックらは更に、犯人の爆弾魔(演:デニス・ホッパー)を追い詰める。ところが爆弾魔は、強烈な爆発と共に、姿を消す。 数日後、ジャックの眼の前で、知り合いが運転する路線バスが、大爆発。爆弾魔は生きていた。彼はジャックに直接電話を寄越し、別の路線バスにも爆弾を仕掛けた旨を伝え、370万㌦の身代金を要求する。 その爆弾は、バスが時速80㌔を超えると、起爆装置のスイッチが入り、その後は、時速80㌔を下回ると、大爆発を起こす…。 該当するバスに追いつき、ジャックが乗り移ると、すでに起爆装置のスイッチはオンに。更に予想外のアクシデントから、ドライバーが負傷。スピード違反で免停中のため、バス通勤していたアニー(演:サンドラ・ブロック)に、ハンドルを託すことになる。 次から次へとあわや爆発のピンチが訪れる。ジャックは、乗客たちの助けを借りて、危機を何とか乗り越えていく。 爆弾魔の正体が、警察に恨みを抱く元警官で爆発物処理班員だったハワード・ペインと判明。ハリーが逮捕に向かうが、ペインの罠に嵌って命を落とす。 危機を共に乗り越えていく中、ジャックとアニーは、お互いに好感を抱くようになる。 アニーがジャックに言う。「極限状況で始まった恋は長続きしない」 果して、止まれないバスの運命は!? *****  速度を落とすと、乗り物に仕掛けた爆弾が爆発するという設定。『スピード』の日本公開時、海外公開もされた日本映画『新幹線大爆破』(75)に酷似していることが、大きな話題になった。 しかし脚本を書いたグレアム・ヨストによると、元ネタは別。「世界のクロサワ」こと黒澤明監督が、ハリウッド進出作として1960年代後半に準備していた、「暴走機関車」だという。「暴走機関車」は、ブレーキ系統のトラブルによって止める術がなくなり、猛スピードで突っ走り続ける機関車を主軸にした物語。ヘンリー・フォンダが主演する予定だったが、諸事情から頓挫した。 この「暴走機関車」に、ヨストの父が関わっていた。そこで彼はアウトラインを知り、後にシナリオを目にしたのだという。 因みにこのシナリオを原案にして、1985年にアンドレイ・コンチャロフスキー監督、ジョン・ボイド主演の『暴走機関車』が製作されている。オリジナルに様々な改変を加えたこちらの作品については、ヨストは特に参考にすることはなかったという。 それまでTVシリーズの製作や百科事典の執筆などを手掛けていたヨストにとって、『スピード』は、初めて書いた映画の脚本。まずパラマウントに持ち込むものの、ペンディングとなって、最終的に20世紀フォックスに拾われた。 いざ映画化となって、監督候補が何人かいた内から決まったのが、オランダ出身のヤン・デ・ポン。それまでには、『ダイ・ハード』(88)『ブラック・レイン』(89)『氷の微笑』(92) 『リーサル・ウェポン3』(92)等々、多くのアクション映画で撮影を務めてきた。 とはいえ、監督するのは初めてであるヤン・デ・ポンに依頼したことからもわかる通り、本作『スピード』に関してフォックスは、他の映画の穴埋めをするような、小さなB級作品として扱う心積もりだった。当初組まれた予算は、2,600万㌦。最終的には3,000万㌦程度になったが、当時の大作の製作費は、6,000万から6,500万㌦ほど。 更に言えばフォックスは、本作と同じ年に、ジェームズ・キャメロン監督、アーノルド・シュワルツェネッガ―主演の『トゥルーライズ』に、1億2,000万㌦もの製作費を投じていた。それと比べれば、僅か4分の1である。  本作『スピード』主役のジャック役の有力候補だったのは、ジョニー・デップ。しかしデップは、脚本に魅力を感じないという理由で、オファーを蹴る。 その他にも何人かの若手スターが候補になる中で浮上したのが、キアヌ・リーヴス。キアヌは、ストーリーには凄く惹かれながらも、「筋肉ひとつない自分には、到底この役は務まらない」と思ったという。ちょうど前の主演作『リトル・ブッダ』で、ガウタマ・シッダールタ=若き日のお釈迦様を演じた際に、断食をして体力を落としていたタイミングでもあった。 ヤン・デ・ポンは、キアヌの運動能力に不安を感じていた。そこで、それまでのキアヌの出演作で、ほぼ唯一のアクション作品『ハートブルー』(91)での演技をチェック。サーフィンにガンアクション、アメフトにスカイダイビング等々、ほとんどノースタントでこなしたキアヌの姿を見て、「イケる」と判断を下した。 正式にジャック役に決まると、まずは2か月間ジムに通って、ウェイト・トレーニング。と言ってもヤン・デ・ポンは、当時の流行りだった、スタローンやシュワルツェネッガーのような、巨大な筋肉をつけたアクション俳優になって欲しかったわけではない。身体の均整と運動能力を高めるためのトレーニングを課したのである。 キアヌはSWAT隊員を演じるに当たって、本物の警官に会ったり、ビデオを見たりしてその仕事ぶりを研究するのと同時に、ヘアスタイルは、頭皮が見えるくらいまで刈り上げて、監督の前に現れた。それは少々短すぎたが、その時点から撮影まで2週間あったので、ちょうど良い塩梅の、クルーカットになったという。 ヤン・デ・ポンが思い描いた主人公は、観客が感情移入できる、リアルで等身大のアクションヒーロー。鍛えた胸の筋肉を晒すこともなく、悪人をバタバタと殺していくわけでもない。イメージ的には、ヒッチコック作品に於けるケーリー・グラントや、ウィリアム・ホールデンだったという。 ヤン・デ・ポンは、ヨストの脚本にはあった、主人公の暗い過去などはすべてカットした。観客はそんなものを観たいと思ってないし、そもそもキャラクターについて知りたいことは、その行動を見ていれば、「すべてわかるはず」という考えだ。主人公だけでなく、犯人も含めて主要キャラすべての背景や心理状態など、敢えて描かなかったという。 アニー役のサンドラ・ブロックは、1967年生まれ。本作出演時は20代後半で、まだまだ売り出し中の頃。キアヌとのやり取りもフレッシュに映え、一躍ブレイクに至る。因みに彼女は、役のためにバス専用の運転免許を取得したという。 本作のヴィランは、デニス・ホッパー(1936~2010)。監督・主演したアメリカン・ニューシネマ『イージー・ライダー』(69)で天下を取りながら、その後ドラッグ漬けで低迷。『ブルー・ベルベッド』(86)で奇跡の復活を遂げて以来、改めて俳優・監督・写真家として活躍中だった。ホッパーの怪演は、キアヌとのコントラストも良く、インパクト大である。  本作は15週間の撮影スケジュールの内、7週間は大掛かりなバスの走行シーンに費やされた。ロスの空港近くから28㌔に渡って走る、開通前の新しいハイウェイでは、大規模なロケが行われた。 フリーウェイの朝の交通渋滞を再現するため、車に乗った400人のエキストラが集められた。まだ建設中だったため、作業員がコンクリートを流し込んだり、標識を立てている傍で、撮影スタッフが仕事をすることも多々あったという。 そんな中で、バスの走行シーンは通常4~6台のカメラを使用。特に複雑なスタントシーンには、カメラ、照明の他にも様々な機材を装備した、12台の車両を使って撮影が行われた。 メインの舞台はバスだが、この映画のアクションの舞台は3段構え。エレベーターの中で繰り広げられるオープニング・アクション用には、フォックスの敷地内に、地上5階の高さで、実際にエレベーターと、4本のエレベーターシャフトが入ったセットを組んだ。 バスが一段落した後は、爆弾魔が乗っ取った地下鉄で大アクションが繰り広げられる。こちらは、当時新しく完成したメトロレール・レッドラインでロケを行った。  15週に渡る撮影のまさに中盤、8週目に大きなアクシデントが襲った。本作と直接関係ないが、キアヌの親友であるリヴァー・フェニックスが、薬物の過剰摂取のため、23歳の若さで命を落としたのだ。 キアヌのショックを考えて、スケジュールの調整などが行われた。しかしヤン・デ・ポンは、キアヌのことを考えると、逆に忙しくしておくのが最良と考え、撮影を中断せずに、続行した。  ポスト・プロダクション。フォックスの重役たちは大した期待はせずに編集に立ち会って、本作の出来の良さに吃驚した。それまで出し渋っていた、SFXの仕上げに掛かる追加費用を、ポンと手渡すほどに。また公開日も、より良い日程にするため、早めることとなった。『スピード』は1994年6月、アメリカで公開されると、TOPを独走。シーズン最大のヒットとなり、国内で1億2,000万ドル、全世界で3億5,000万ドルの興行収入を上げた。その年の12月に正月映画として公開された日本でも、大ヒット。配給収入45億円は、現在で言えば100億円興行と言っても良いだろう。 フォックスの失態は、本作契約時、続編がある場合の継続契約に、キアヌにサインさせるのを怠っていたこと。そのため、ヤン・デ・ポン監督とサンドラ・ブロックは続投した『スピード2』(97)に、キアヌは出演することなく、同時期に製作された『ディアボロス/悪魔の扉』(97)で、アル・パチーノと共演することを選んでいる。 仕方なく『スピード2』では、本作のセリフ「極限状況で始まった恋は長続きしない」を伏線(?)として、アニーはジャックとすでに別れている設定に。アニーの新たな恋人として、ジェイソン・パトリックが演じる別のSWAT隊員が登場した。 キアヌはこうした経緯について、「サンドラには悪いことをした…」と述懐している。サンドラの方はというと、本作の撮影終盤、ハイな状態が続いてストレスをすごく感じていた時にキアヌだけが、「…黙って隣に座って、そっと背中をなでてくれた」ことなどもあって、根に持つようなことはなかった模様。後に韓国映画のラブストーリーをリメイクした『イルマーレ』(2006)で、2人は再共演を果している。 さて本作に関して当時、「アクション・ヒーローになるつもりはないよ。ジャックのキャラクターもアクション重視の性格ではないからね」などと言ってたキアヌ。『マトリックス』や『ジョン・ウィック』を経た、現在の彼の在り方を考えると、これは恐らく「若気の至り」が言わせたセリフだったのだろう。■ 『スピード』© 1994 Twentieth Century Fox Film Corporation. 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