土曜字幕、日曜吹き替えで週末よる9時からお届けしているザ・シネマが贈るその週の目玉作品。
まさかのトランプ2期目を予見!?『シビル・ウォー アメリカ最後の日』
2025.11.21
松崎まこと
“シビル・ウォー=Civil War”という言葉は、アメリカでは、奴隷制度廃止などを巡って、1861年から65年に掛けて行われた内戦“南北戦争”を指す。近未来のアメリカが再び、血みどろの“内戦”に突入したという設定の本作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(2024)の、脚本・監督を担当したのは、イギリス人のアレックス・ガーランド。 彼にとっては、4本目の長編監督作品に当たる本作は、2016年にその発想のオリジンがある。この年アメリカでは、ドナルド・トランプが大統領に当選。イギリスでは、ボリス・ジョンソンらの扇動で、ブレグジット=EU離脱が、国民投票で可決されてしまった。 ジョンソンは後年、イギリス首相の座に就く。それ以外にも、イスラエルのネタニヤフやブラジルのボルソナーロなど、世界各国で強権的なポピュリスト政治家が台頭するようになっていった。 こうした世界の変化に思いを巡らせたガーランドは、2020年頃に本作の脚本を執筆。製作・配給会社のA24に諮ると、すぐに映画化が決まったという。
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強権的な大統領の下で分断が進んだ、アメリカ合衆国。連邦政府から19の州が離脱し、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる“西部勢力”と、“政府軍”の間で、“内戦”が勃発した。 戦闘は長期化したが、やがて西部勢力がワシントンD.C.への侵攻を窺う情勢となり、大統領が率いる政府軍の敗色は、日に日に濃くなっていく。 戦場カメラマンのリーと相棒の記者ジョエルは、もう14ヶ月間もマスコミの前に姿を現してない大統領への単独取材の計画を立てる。ニューヨークからD.Cまで1,379㌔。リーの恩師である黒人ジャーナリストのサミーと、リーに憧れる若手カメラマンのジェシーを乗せて、車の旅が始まった。 戦火が渦巻くアメリカで、過酷な“内戦”の実相を目撃していく一行。折々危険に曝され、遂には仲間の1人を失ってしまう。 そうした中で、大統領が立て籠もるホワイトハウスに、西部勢力の攻勢と共に、足を踏み入れる瞬間がやってくるが…。
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ガーランドは政治漫画家の息子で、子どもの頃は、父の友人のジャーナリストに囲まれて育った。彼の名付け親も、その内のひとり。 少年時代の経験から、当初はジャーナリストになることを夢見たガーランドは、20歳の頃、世界各地を旅して特派員の真似事をした。彼はそこで見聞きしたことを、ルポルタージュにまとめることを試みたが、失敗。ジャーナリストになることをあきらめた経緯がある。 方向性を変えたガーランドは、小説を執筆。その小説がダニー・ボイルによって、『ザ・ビーチ』(2000)として映画化されたことが縁となって、映画界に身を投じた。ボイル監督の『28日後…』(02)で脚本家デビューを果し、2015年には『エクス・マキナ』で、監督としてもスタートを切った。 そんなガーランドが、日頃強く感じていたのが、「政府とジャーナリズムは本来、両方ともバランスをとる役割があるけれど、共に今は正常に機能していない」ということ。 自由な国には自由な報道が絶対的に必要なのに、今やジャーナリズムには、昔のような力はなくなった。ジャーナリストたちも、必要な存在と見なされなくなってきている。 1970年代には、「ワシントン・ポスト」紙の2人の記者が、“ウォーターゲート事件”の真相を暴いたことによって、ニクソン大統領を、任期途中での辞任に追い込んだ。しかし今や、ニクソンなどより遥かに多くの悪事を為しているであろうトランプに、報道がトドメを刺すことなど、極めて困難な事態となっている…。
本作では、テキサス州とカリフォルニア州が組んで、大統領の圧政=ファシズムに対抗するという構図になっている。アメリカ政治の知識がある方には自明だが、テキサスはいわゆる“赤い州”。現在トランプが支配している共和党が、圧倒的に強い地域。一報カリフォルニアは“青い州”で、トランプと敵対する、野党民主党の金城湯池である。 というわけで現状に鑑みれば、テキサスとカリフォルニアが組んで、ファシズムに対抗するなどという事態は、非常に想像しにくい。ガーランドが敢えてこうした設定にしたのは、観客に特定のイデオロギーを感じさせないためだたったと思われる。 とはいえ強権的な大統領の振舞いは、イヤでもアメリカの現状を想起させる。本作では“内戦”が起こった原因は、直接的には描かれていないが、大統領が何をやったかは、端的に語られる。 まず注目すべきは、この大統領は、現在“3期目”を迎えているということ。アメリカの憲法では、大統領の任期は“2期=8年”までと、明確に定められている。ということは、何らかの手段を以て、憲法を無視する挙に出て、大統領の椅子に居座り続けているということである。 またこの大統領は、FBI=アメリカ連邦捜査局の解体に踏み切っている。即ち政府の暴走や大統領の犯罪的行為を取り締まる機関が、存在しなくなったというわけだ。また連邦国家であったアメリカに於いて、州を跨いでの犯罪捜査が不可能になってしまい、治安の悪化にも繋がっている。 そしてこの大統領は、アメリカ市民への空爆を実施したことが、語られる。アメリカの三権分立は空文化し、大統領が己の保身と抵抗勢力を踏み躙るためには、「何でもあり」の状態になってしまっているのだ。 この作品がアメリカで公開されたのは、昨年=2024年4月。トランプが大統領選2度目の勝利を収める、7ヶ月も前のこと。元々トランプは、“3期目”を目指すことを、折りに触れては滲み出していたが、今年1月に正式に大統領の座に返り咲くと、FBI長官に己の意のままになる者を就け、大幅な人員削減に着手。トランプ関連の捜査を行っていた、スタッフの首切りを実施している。 そしてトランプは、“治安維持”をお題目に、ロサンゼルスやメンフィス、首都ワシントンなど、野党民主党の勢力が強い都市に、次々と州兵を送り込んでいる…。 恐ろしいほどに、トランプ2期目の今のアメリカと、情勢が重なってくるのだ!
本作の主役と言えるのは、戦場カメラマンの2人の女性。ベテランのリー・スミスと、新人のジェシー・カラン。この2人の名は、ガーランドが尊敬する2人の戦場カメラマン、リー・ミランとドン・マッカランに因んでいる。 キルスティン・ダンストは「(本作の)脚本を読んでドキドキ」し、翌日には監督とミーティングを行っている。そしてリーの役を、「絶対に演じたい」、リスペクトするガーランドと「仕事をしたい」と、強く思ったという。 ジェシー役に抜擢されたのは、ガーランド監督のTVシリーズ「DEVS/デヴス」などに出演していた、若手女優のゲイリー・スピーニー。 ガーランド監督は、ジャーナリストを目指していた頃の若き日の自分を、ジェシーのキャラクターに反映。リーのモデルとなったのは、その当時にガーランドが親しくしていた、経験豊富なジャーナリストだという。 撮影現場では、ダンストとスピーニーは、本作に於けるリーとジェシーのように、日々を絆を深めていった。過酷な撮影の中で、スピーニーはダンストの家に行っては、その家族との交流の中で、癒されていたという。 ダンストにとってスピーニーは、「妹のような存在」となり、ある時に友人であるソフィア・コッポラ監督に紹介。それがきっかけとなって、スピーニーはコッポラの『プリシラ』(23)で、プリシラ・プレスリーを演じることとなった。 リーの相棒ジョエル役には、TVシリーズ「ナルコス」で、実在の麻薬王パブロ・エスコバルを演じた、ワグネル・モウラ。黒人の老ジャーナリスト、サミー役は、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソンが演じた。 さて1シーンだけの出演だが、強烈な印象を残すのは、“虐殺”を主導する正体不明の民兵を演じるジェシー・プレモンス。 彼が放つ一言「What kind of American are you?(お前はどういう種類のアメリカ人だ?)」は、本作を象徴する強烈な名台詞となっているが、一体どんなシチュエーションで吐かれるかは、観てのお楽しみとしておきたい。 実はプレモンスの役は、当初別の俳優が演じることになっていたが、直前に降板。代役に思い悩むガーランド監督に、ダンストが、自分の夫であるプレモンスを、推挙したという流れだった。 撮影5日前に急遽出演が決まったプレモンスは、限りある時間で徹底的にリサーチ。兵士の話を聞きまくったという。因みに彼が掛けている赤いサングラスは、自ら用意した10種類ぐらいのメガネから、現場でピタッとハマったものを選んだという。
ガーランドは、絵コンテなどは用意せず、現場で起こることに即応して、撮影を進めていくタイプの監督。本作では小さな手持ち撮影のカメラを多用したという。 本作の軍事顧問を務めたのは、アメリカ海軍の特殊部隊ネイビー・シールズ出身のレイ・メンドーサ。彼の指導の下、画面に登場する兵士たちは、実際に従軍経験のある者ばかりだった。 クライマックスのホワイトハウス突入のシーンで、監督として兵士役の者たちに伝えたのは、カメラのことは気にしないで「普段通りに行動して」ということだけだったと。セリフも、兵士同士の普段の会話のため、ガーランドは、ドキュメンタリーを撮っているような感覚に陥ったという。 サウンド・デザインで銃器の怖ろしさを表現する工夫を施した本作は、アメリカでは163年前に“南北戦争”が勃発した、2024年の4月12日を選んで、公開。製作・配給のA24作品史上、最高のオープニング興収を樹立し、2週連続で興行ランキング1位を獲得する大ヒットとなった。 日本では大統領選直前の10月に公開となったが、それから1年余。現実を鑑みると、いま観た方が、更にゾッとする展開になっている。■
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』© 2023 Miller Avenue Rights LLC; IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved.
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混沌とする中東情勢の最前線をありのままに描く骨太な大人向けスパイ・アクション『カンダハル 突破せよ』
2025.11.05
なかざわひでゆき
ハリウッド・アクションを牽引する新たな名コンビ
ジョン・フォード監督&ジョン・ウェインの例を出すまでもなく、古今東西の映画界において何本もの作品で繰り返しタッグを組む、いわゆる名コンビと呼ばれる監督と主演俳優の顔合わせは枚挙に暇ない。それはアクション映画のジャンルでも同様のこと。古くはドン・シーゲル監督&クリント・イーストウッドにハル・ニーダム監督&バート・レイノルズ、もっと近いところだとガイ・リッチー監督&ジェイソン・ステイサムやアントワーン・フークア監督&デンゼル・ワシントンあたりか。B級アクション・マニアにはマイケル・ウィナー監督&チャールズ・ブロンソンとか、アーロン・ノリス監督&チャック・ノリスなんかも捨て難かろう。最近のハリウッドであればピーター・バーグ監督&マーク・ウォールバーグ、そして今回のテーマであるリック・ローマン・ウォー監督&ジェラルド・バトラーのコンビも外せまい。
スタントマンとして『リーサル・ウェポン2』(’89)から『デイズ・オブ・サンダー』(’90)、『ラスト・アクション・ヒーロー』(’93)から『60セカンズ』(’00)まで数多くのアクション映画に携わり、監督としてもヴァル・キルマー主演の『プリズン・サバイブ』(’08)やドウェイン・ジョンソン主演の『オーバードライヴ』(’13)などを手掛けたリック・ローマン・ウォー監督。一方のジェラルド・バトラーは『オペラ座の怪人』(’04)のファントム役でスターダムを駆け上がるも、以降は筋骨隆々の肉体美で古代スパルタ王レオニダスを演じた『300(スリーハンドレッド)』(’06)などのアクション映画を中心に活躍する。
そんな2人が初めて出会ったのは、『エンド・オブ・ホワイトハウス』(’13)と『エンド・オブ・キングダム』(’16)に続いて、ジェラルド・バトラーが無敵の米大統領シークレット・サービス、マイク・バニングを演じる大人気アクション映画『エンド・オブ~』シリーズの第3弾『エンド・オブ・ステイツ』(’19)だった。実は、シリーズのテコ入れとして新規路線を打ち出すべく起用されたというウォー監督。アクション映画の主人公は現実離れした無敵のヒーローである必要などない。いや、むしろ欠点や弱点があればこそ観客は主人公に我が身を重ねて共感し、決して完璧ではないヒーローが困難を乗り越えていく姿に勇気と希望をもらえる。常日頃からそう考えていた監督は主人公マイク・バニングを寄る年波や職業病で密かに苦しむ不完全で人間的なヒーローとして描き、アクション・シーンにもリアリズムを持ち込むよう努めたという。
この新たな方向性に共鳴したのが、他でもない主演俳優のジェラルド・バトラー。「一度に50人を殺しても無傷でいられるようなヒーローを演じるのにウンザリしていた」というバトラーは、たとえ悪役であろうと登場人物の人間性を大事にする、物語を安易な勧善懲悪に落とし込まない、アクションをただの見世物にしないというウォー監督の信条に強く感銘を受けたらしい。この『エンド・オブ・ステイツ』ですっかり意気投合した2人は、翌年の『グリーンランド-地球最後の2日間-』(’20)でも再びタッグを組むことに。ここでも「非日常的な状況下でリアルな人間像を描く」ことを目指したウォー監督は、巨大隕石の衝突という地球滅亡の危機から家族を救わんとする主人公を「異常な状況に直面したごく普通の父親」として描き、演じるバトラーもその期待に応えるよう努めたという。そんな名コンビが三度顔を合わせ、今度は緊迫する中東情勢をテーマにしたスパイ・アクション映画が『カンダハル 突破せよ』(’23)である。
身元の割れたスパイ、最悪の危険地帯から脱出なるか!?
主人公はMI6(英国秘密諜報部)の工作員トム・ハリス(ジェラルド・バトラー)。優秀な潜入工作のプロとして信頼されるエリートだが、しかし常に家庭よりも任務を優先させてきたため夫婦関係は破綻し、年頃の娘ともすっかり疎遠になってしまっている。おかげで妻とは離婚することに。せめて娘との関係だけでも修復したいと考えた彼は、CIAに要請されたイランの地下核施設を破壊するための極秘任務を無事に終えると、娘の卒業式に参列するためドバイ経由でロンドンへと向かう。ところが、ドバイ在住のCIA仲介役ローマン(トラヴィス・フィメル)から呼び出され、次なるミッションを依頼される。CIAはイランの核開発を阻止するため、ダイバードの秘密滑走路を奪う計画だった。そこで、まずはアフガニスタンのヘラートへ向かい、そこから再びイランへ潜入して任務を遂行しろというのだ。いや、娘の卒業式があるから…と断ろうとしたトムだったが、しかし断り切れずに引き受けてしまう。やはりこの仕事が好きなのだ。
かくしてアフガニスタン入りしたトム。2021年にアメリカと多国籍軍が完全撤退した同国だが。しかしその後もタリバンやパキスタン、インド、ロシア、中国、さらにはISIS(イスラム国)までもが入り乱れて勢力争いを繰り広げ、もはや冷戦時代のベルリンのような様相を呈していた。工作員にとってはまさに最悪の危険地帯。地元の各言語に精通して土地勘のある優秀なサポート役が必要だ。そこでローマンが白羽の矢を立てたのが、家族と共にアメリカへ移住したアフガニスタン系移民の中年男性モハマド・ダウド(ナヴィド・ネガーバン)である。偽造パスポートで身分を偽って入国したモハマド(通称モー)。バレたら逮捕・拷問は免れない。一般人の彼がなぜそんな危険を冒してまで祖国へ戻り、CIA工作員の通訳を引き受けたのか。実は、ヘラートで学校教師をしている妻の妹が消息を絶ってしまい、その行方を探そうと考えたのである。女性の教育に否定的なタリバンに拘束された可能性があった。
先に現地入りしていたモーと合流したトムは、イランへ潜入する準備を着々と進めていたところ、そこで予期せぬ事態が起きてしまう。国防総省の関係者からリークされた情報をもとに、中東におけるアメリカの秘密工作を取材していた女性記者ルナ・クジャイ(ニーナ・トゥーサント=ホワイト)がイラン革命防衛軍の特殊部隊、通称コッズ部隊によって逮捕され、そこからイラン地下核施設の破壊工作に関与したトムと同僚工作員オリヴァー(トム・リース・ハリーズ)の偽名と顔写真がマスコミに公開されてしまったのだ。イラン国内に留まっていたオリヴァーは殺され、ファルザド・アサディ(バハドール・ファラディ)率いるコッズ部隊はトムを捕らえるべく国境を越えてヘラートへと向かう。そればかりか、地元を支配するタリバンやその支援をするパキスタン軍統合情報部(ISI)工作員カヒル(アリ・ファザル)など各勢力が、トムを捕らえてイランへ高値で売り飛ばすために動き始めるのだった。
すぐに任務中止を指示してトムとモーの脱出を計画するローマン。30時間後にカンダハルのCIA基地から英国機が飛び立つ。それが残された唯一のチャンスだ。かくしてヘラートから640キロ離れたカンダハルへ向かうトムとモー。ローマンもアフガニスタン国陸軍特殊部隊の協力を得て、彼らの脱出を支援するべく現地へ向かう。果たして、トムとモーは無事に生きて家族のもとへ戻れるのか…?
中東情勢の今をリアルに投影したストーリー
脚本を書いたミッチェル・ラフォーチュンは元DIA(アメリカ国防情報局)エージェント。本作は長いことアフガニスタンで諜報活動に携わっていた彼の、実体験をベースにしたフィクションである。最初に脚本を読んでドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』(’15)を連想したというウォー監督。同作が麻薬戦争の最前線を内側からリアルに描いたように、本作も中東における「影の戦争」の最前線を内側からリアルに描いているのだ。ただし、脚本のオリジナル版が執筆されたのは’16年のこと。その後、アフガンからアメリカが完全撤退するなど中東情勢が大きく変化したため、ウォー監督の指導のもとで脚本も書き直されている。
ウォー監督が本作で強くこだわったのは、特定の勢力を悪魔化も英雄化もすることなく、我々と同じ長所も短所もある人間として描くこと。そして、中東情勢における過酷な現実をありのままに描きつつ、決して監督自身の意見を押し付けたりはしないこと。自らの役割は問題を提起して論議のきっかけを作ることであり、その答えは観客自身が導き出すべきだと考えたのである。なので、中東諸国の政情不安を招く原因を作ったアメリカおよび西欧諸国の罪にハッキリと言及しつつも、しかしそれを一方的に断罪したりはしない。我々は「どの陣営にも悪質な個人は存在するが、しかし全員がそうではない」という当たり前の事実を忘れ、集団全体を悪魔化してしまう傾向にあるというウォー監督。本作でも例えば、コッズ部隊のリーダーであるファルザドは一般人を拉致して拷問したり、主人公トムを抹殺するべく執拗に追いかけてきたりするが、しかしプライベートでは妻子を心から愛する良き家庭人であり、なおかつ決して仕事を楽しんでいるわけではない。あくまでも上からの指示に従っているだけ。むしろ、彼自身はできればこんなことしたくないと考えているように見受けられる。
それは主人公トムとて同じこと。彼も基本的には家族や友人を愛する善良な人物だが、しかしイランの地下核施設の破壊工作では、たまたまそこで働いていただけに過ぎない大勢の職員たちを死に至らしめている。確かに彼自身がボタンを押したわけではないが、殺戮に加担してしまったことは間違いないだろう。とはいえ、トムにとってみればそれもまたただの仕事。上から指示された任務を遂行したまでに過ぎない。彼らに共通するのは、幸か不幸かその分野で他者よりも優れた才能を持っていること、なおかつその仕事に生きがいを感じてしまっていること。そのうえ、暴力が暴力を呼ぶ弱肉強食の残酷な「影の戦争」の世界に慣れて感覚が麻痺してしまい、もはや抜け出したくても抜け出せなくなっている。それゆえトムは家族から見放されてしまった。この戦場=職場が自分の居場所、自分のアイデンティティとなってしまった仕事人間たちの戦いに、「影の戦争」に終わりが見えない理由の一端が垣間見えると言えよう。
そうした中で異彩を放つのが、パキスタン軍統合情報部(ISI)の若きエリート工作員カヒルの存在だ。現地で支配を広げるタリバンと祖国のパイプ役を務め、与えられた職務は完璧に遂行するカヒルだが、しかしプライベートでは高級ブランドのファッション・アイテムを好んで電子タバコをたしなみ、最先端のヒップホップを聴いて出会い系アプリを利用してレンジローバーを乗り回す今どきの若者であり、旧態依然とした中東から自由な西欧社会へ脱出する道を模索している。この人物像には、ウォー監督自身がサウジアラビアで体感した中東社会の「今」が投影されているという。
イランやアフガニスタンでの撮影が現実的に不可能であるため、ムハマンド・ビン・サルマン皇太子の主導によって’18年より多方面での自由化が進むサウジアラビアでロケされた本作。脚本家ラフォーチュンと共に一足早く現地入りして製作準備を進めていたウォー監督は、超保守派の旧世代と進歩派の新世代が衝突するさまを目の当たりにしたという。仕事と祈りと睡眠以外の変化を一切望まず伝統的な生活様式を頑なに守らんとする旧世代に対して、自由で近代的で文化的な西洋的価値観を望む新世代。その対立構造がカヒルを通して本作のストーリーにも反映され、観客が中東の在り方を考えるうえで重要な材料の一つとなっている。
すっかりファミリー向けアニメとブロックバスター映画に市場を占拠されてしまった昨今、かつて毎週末映画館で楽しむことの出来た「大人向けアクション映画」の復権を望むリック・ローマン・ウォー監督と、志を同じにするというジェラルド・バトラー。この『カンダハル 突破せよ』は、そんな2人がタッグを組んだ現時点で最良のお手本と言えよう。’26年の年明けには『グリーンランド-地球最後の2日間-』の続編『Greenland 2: Migration』(‘26・日本公開未定)が公開される予定で、今後は『エンド・オブ~』シリーズの第4弾『Night Has Fallen』(スケジュール未定)の企画も控えている。ウォー監督&バトラーの名コンビからますます目が離せなくなりそうだ。■
『カンダハル 突破せよ』© 2022 COLLEAH PRODUCTIONS LIMITED. ALL RIGHTS RESERVED.
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近い将来、本当に起きうる?AI搭載ハイテク少女人形の大暴走!『M3GAN/ミーガン』
2025.09.29
なかざわひでゆき
ハリウッドの2大ヒットメーカーが贈るキラー・ドール系ホラー
『パラノーマル・アクティビティ』(’07~’21)シリーズに『パージ』(’13~)シリーズ、『ハッピー・デス・デイ』(’17~)シリーズに『ハロウィン』(’18~’22)シリーズ、さらには『ゲット・アウト』(’17)や『透明人間』(’20)、『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』(’23)などのホラー映画を次々と大成功させてきた映画製作者ジェイソン・ブラムと、映画監督のみならず製作者としても自身が生んだ『ソウ』(‘04~)シリーズや『死霊館』(‘13~)ユニバースをフランチャイズ化させ、『ライト/オフ』(’16)や『THE MONKEY/ザ・モンキー』(’25)などの話題作をプロデュースしているジェームズ・ワン。そんな21世紀のハリウッド・ホラー映画を牽引する2大ヒットメーカーが製作を手掛け、世界興収1億8000万ドル超えのスマッシュヒットを記録した作品が、AIを搭載したハイテク人形の暴走を描いた『M3GAN/ミーガン』(’22)である。
これまでにも、ワンが1作目と2作目を演出した『インシディアス』(’10~)シリーズや、ブライス・マクガイア監督の『ナイトスイム』(’24)でもタッグを組んだ2人。本作はジェームズ・ワンの製作会社アトミック・モンスターの企画会議で提案された無数のアイディアの中から、ワン自身がピックアップしてジェイソン・ブラムの製作会社ブラムハウスに持ち込んだ企画だったという。テーマはキラー・ドール(殺人人形)。人間を楽しませ癒してくれる玩具の人形が、反対に人間を襲って殺してしまう。そのルーツはトッド・ブラウニング監督の『悪魔の人形』(’36)ともイギリスのオムニバス映画『夢の中の恐怖』(’45)とも言われているが、しかしジャンルとしてポピュラーになったのは’80年代に入ってからのことだ。
口火を切ったのはスチュアート・ゴードン監督の『ドールズ』(’87)。殺人人形の群れが人間を血祭りにあげるという、どこか寓話めいたホラー・ファンタジー映画の佳作だった。同作をプロデュースしたチャールズ・バンドは、殺人人形軍団というコンセプトをそのまま受け継いだ『パペット・マスター』(’89)を製作し、現在までにシリーズ映画15本が作られたばかりか、フィギュアなどの関連グッズも販売されるというフランチャイズ・ビジネスを展開。この成功に味を占めたバンドは、さらなる二番煎じの『デモーニック・トイズ』(‘92~)シリーズもプロデュースしている。
とはいえ、’80年代に興隆したキラー・ドール系ホラー映画の金字塔といえば、間違いなくトム・ホランド監督の『チャイルド・プレイ』(’88)であろう。殺人鬼の魂が乗り移った人形チャッキーはホラー・アイコンとなり、こちらも現在までに8本の映画と1本のテレビシリーズ、さらにはゲームにフィギュアにアトラクションにと関連ビジネスを拡大してきた。そもそもジェームズ・ワン自身、『デッド・サイレンス』(’07)というキラー・ドール映画を撮っているし、代表作『死霊館』シリーズにおいてもアナベルというインパクト強烈な恐怖人形を描いている。ただ、従来のキラー・ドールが主に呪術や魔力で動くスーパーナチュラルな存在だったのに対し、本作に登場するミーガンは人間の少女ソックリに作られた等身大のAI人形。要するにアンドロイドである。
人間に仕えるべく開発されたAIやアンドロイドが、生みの親である人間に対して牙をむく。行き過ぎた科学の発展に警鐘を鳴らすコンセプトは、古くよりサイエンス・フィクションの世界で好まれ多用されてきた。そういう意味において、本作はキラー・ドール系ホラーであると同時に、マイケル・クライトン監督の『ウエストワールド』(’73~’76)シリーズおよびそのテレビリメイク『ウエストワールド』(‘16~’22)、ジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』(’84~)シリーズなどの系譜に属するSFスリラー映画でもあるのだ。
持ち主を守るというミーガンの強い使命感が狂気へと…!
主人公は大手玩具メーカーに勤務し、最先端のハイテク技術を駆使した子供向けのオモチャを開発する技術者ジェマ(アリソン・ウィリアムズ)。目下のところ彼女が秘密裏に取り組んでいるのは、史上初の完全自律型ロボット人形となる「第3型生体アンドロイド(Model 3 Generative ANdroid)」、略してM3GAN(ミーガン)である。しかし、この極秘プロジェクトを知った上司デヴィッド(ロニー・チェン)は激怒。目先の利益にばかり囚われた彼は、ライバル企業との価格競争に打ち勝つべく廉価商品の開発を最優先させ、成功するかどうか定かでない高額なミーガンの研究開発を中止させてしまう。
そんな折、ジェマの姉夫婦がスキー旅行中に交通事故で死亡。ひとりだけ生き残った幼い姪ケイディ(ヴァイオレット・マッグロウ)をジェマが引き取ることとなる。動物や子供はどちらかというと苦手。そもそも人付き合いが得意ではなく恋愛とも縁遠いジェマは、寝ても覚めてもオモチャのことで頭がいっぱいの仕事人間だ。大好きだった姉の代わりにケイディを育てたいという気持ちは強いが、しかしどうやって彼女と接していいのか分からないし、仕事だって山積みである。仕方なくケイディにタブレットを与えて仕事するジェマだが、しかしそれは育児放棄も同然。少なからず罪悪感は拭えない。
そこで彼女に問題解決の糸口を与えてくれたのが、大学時代に開発した遠隔操作型ロボット、ブルースである。仕事部屋に飾ってあったブルースを見つけ、こんなオモチャがあったら他のオモチャなんて一生要らない!と喜ぶケイディ。そこでジェマは一念発起してミーガンの開発を再開。部下のコール(ブライアン・ジョーダン・アルバレス)やテス(ジェン・ヴァン・エップス)の協力を得て、いよいよ念願のAI人形ミーガンを完成させる。頑丈なチタン素材で骨組みが形成され、人間とソックリなシリコン製の肌で覆われたミーガンは、生体工学チップを搭載した高度な知能を持つ人型ロボット。自ら物事を考えて喋ったり行動したりする能力を持つばかりか、学習機能によって常に進化と成長を続けていく。その役割は子供にとって最良の友となり、親にとって最大の協力者となること。子供の世話やしつけをミーガンに任せることで、親は仕事や家事に専念できるのだ。
試作品に与えられた使命はケイディを守ること。両親の死後ふさぎ込んでいたいたケイディはミーガンのおかげですっかり明るくなり、肩の荷が下りたジェマはプロジェクトの成功を確信。上司デヴィッドや経営陣も賛同し、全社を挙げてミーガンの売り出しに力を注ぐことになる。だがその一方で、あまりにも密接なケイディとミーガンの間柄に、児童セラピストのリディア(エイミー・アッシャーウッド)は「このままだとケイディはミーガンをオモチャではなく保護者だと見なしてしまう」と警鐘を鳴らし、部下のテスも「ミーガンは親の支援役であって代役じゃない。子供との触れ合いが減るのは危険だ」と危惧する。
実際、ケイディは周囲の大人よりもミーガンを信頼して精神的に頼り切るようになり、ミーガンもまたケイディを守るという使命を全うするべく極端な行動に出ていく。やがて、ケイディの周辺で相次ぐ不可解な死亡事故。大切なケイディを傷つけようとする相手を、ミーガンが文字通り「排除」していたのだ。そのことに気付いたジェマは、ミーガンの危険な暴走を止めようとするのだが…?
CGをなるべく排したミーガンの特殊効果にも要注目
監督に起用されたのは、世界各国のホラー&ファンタジー系映画祭で受賞したニュージーランド産ホラー・コメディ『ハウスバウンド』(’14)のジェラード・ジョンストーン監督。『マリグナント 狂暴な悪夢』(’21)や『死霊館のシスター 呪いの秘密』(’23)でも組んだ脚本家アケラ・クーパーと原案を書いたジェームズ・ワンは、当初より恐怖とユーモアの要素を併せ持つブラック・コメディ路線を意図しており、その点においてジョンストーン監督は理想的な人材だったという。確かに、ミーガンが突然ミュージカルのように歌い始めたり、クネクネとした奇妙な動きで踊ったり飛び回ったりするシュールな演出はかなりオフビート。だいたい、主人公ジェマが勤める玩具メーカーのファンキという社名だって、実在するアメリカの有名な玩具メーカー、ファンコの明らかなパロディだ。ジェマが開発したファンキのヒット商品ペッツが、昨今世界中でブームのラブブになんとなく似ているのは、まあ、奇妙な偶然みたいなものであろう。
そのジョンストーン監督曰く、本作は「21世紀の子育てについての倫理を問う物語」だという。我が子の相手をしている余裕のない多忙な保護者が、決して教育に良くないと分かっていながらも、ついついスマホやタブレットを与えてしまうのと同じように、お友達AI人形のミーガンを姪っ子ケイディに与えてしまうジェマ。本来ならば子供と向き合って成長を促すべきは、保護者であるジェマの大切な役割であるはずなのだが、しかし忙しさにかまけてその任務を怠ったがために、とんでもなく手痛いしっぺ返しを食らってしまうことになる。
あくまでもテクノロジーは人間の生活を便利に支えるもの。そこに依存してしまうことで様々な弊害が生じることは想像に難くない。ましてや、現実世界の様々な場面で既にAIが活用されている昨今、昔であれば空想科学の領域に過ぎなかったハイテク人形の暴走も、21世紀の現在では「そう遠くない未来に起きうる脅威」として強い説得力を持つ。そう、我々は既にSFの世界を生きているのだ。そういう意味で、ちょっとシャレにならない物語。だからこそ、ブラックなユーモアの要素が必要だったのかもしれない。
もちろん、己の使命に忠実すぎるがゆえに災いを招いていく狂気のAI人形、ミーガンの強烈なキャラクターも本作が成功した大きな要因であろう。もちろん、完全自律型の人型ロボットなどまだ現実には存在しないので、本作に出てくるミーガンも特殊効果の賜物。ただし、監督や製作陣の方針としてプラクティカル・エフェクトにこだわっており、アナログとハイテクを組み合わせたアニマトロニクスの技術が駆使されている。CGは主にワイヤーなど余計なものを除去するため使用。シーンごとにミーガンの上半身や腕など幾つものパーツが用意され、それを技術者たちが手動装置や無線機を用いて操作している。なので、表情の変化や目の瞬きなどもCG加工ではなく機械操作。ただし、ミーガンが飛んだり跳ねたり踊ったりする場面は、物理的にアニマトロニクスでは表現が不可能であるため、撮影当時11歳の子役兼ダンサー、エイミー・ドナルドがミーガンのマスクやカツラを被って演じている。
主演はアメリカで一世を風靡したHBOの女性ドラマ『GIRLS/ガールズ』(‘12~’17)でブレイクし、映画では『ゲット・アウト』のヒロイン役で知られる女優アリソン・ウィリアムズ。しかし圧巻なのは、予期せぬ事故で両親を失った少女ケイディを演じている子役ヴァイオレット・マッグロウだ。もともと「型にはまらない子供」であるため、両親の判断で学校へ通わず自宅学習していたケイディ。ただでさえ繊細で気難しい性格の少女が、両親の死による深いトラウマと悲しみを抱え、それゆえ全てを受け入れてくれる「親友」のミーガンに依存してしまう。その複雑な心情を演じて実に見事だ。■
『M3GAN/ミーガン』© 2023 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.
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トッド・フィールド16年振りの監督復帰作にして、ケイト・ブランシェット史上最高傑作!『TAR/ター』
2025.09.17
松崎まこと
映画監督のトッド・フィールドが、そのオファーを受けたのは、新型コロナのパンデミックが始まった頃だった。それは、クラシック音楽や指揮者を題材とするものであれば何でもいいという、至極漠然とした内容の依頼だった。 フィールドには、ずっと考えていたキャラクターがあった。それは、「子どもの頃に何が何でも自分の夢を叶えると誓うが、叶った途端、悪夢に転じる」という人物。クラシックの指揮者ならば、「ピッタリ」と思えた。 脚本を書き始めると、ある女優の顔がいつも思い浮かぶようになった。そして毎朝、椅子に座って執筆を進める際には、呟いた。「ハイ!ケイト、おはよう」と。彼の意中の人は、ケイト・ブランシェットだった。 ブランシェットは、『アビエイター』(2004)でアカデミー賞の助演女優賞、『ブルージャスミン』(13)で主演女優賞のオスカーを獲得している、現代の大女優。フィールドとは10年ほど前に出会って、主演作の企画を進めたが、諸般の事情で実現に至らなかった。 その際の打合せで、フィールドは知った。ブランシェットは一俳優のレベルを遥かに超えて、映画全体を理解する、フィルムメイカーのような視点を持っていることを。フィールドは彼女のことを、「我々の時代の偉大な知識人の一人」であると認識した。 フィールドは、元々は俳優。ウディ・アレンやスタンリー・キューブリックの作品に出演後、21世紀に入って監督デビューした。 第1作は『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)、続いては、『リトル・チルドレン』(06)。この2作でフィールドは、アカデミー賞脚色賞にノミネートされた。 しかしそれから十数年。映画化を試みた企画は数々あれど、すべてが流れてしまっていた。 今回の脚本は、3ヶ月で書き上げた。しかし、ブランシェットが主役を受けてくれなかったら、きっと「作ることはなかった」と言う。 届いた脚本を読んだブランシェットからは、即座に「出演OK」との連絡が来た。こうしてフィールドの、映画監督としての空白期間が、更に伸びることは避けられたのだった。 ブランシェットが演じる主人公の名前を、そのままタイトルにした、本作『TAR/ター』(2022)は、こうしてトッド・フィールド16年振りの新作として、世に放たれることになった。
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リディア・ターは、もうすぐ50歳。世界的な交響楽団ベルリン・フィル初の女性首席指揮者を務め、“マエストロ”と呼ばれる 彼女は、“EGOT”。テレビのエミー賞、音楽のグラミー賞、映画のオスカー(アカデミー賞)、舞台のトニー賞のすべてを受賞している、数少ない人物の内の1人である。 ベルリン・フィルで唯一録音を果たせていない、マーラーの「交響曲第5番」を、遂にライブ録音し発売する予定が控える。自伝の出版も、間もなくだ。 多忙なターを、公私共に支えるのは、オーケストラのコンサートマスターでヴァイオリン奏者のシャロン。彼女はターの同性の恋人で、養女を一緒に育てている。 ターのアシスタントは、副指揮者を目指すフランチェスカ。ターの厳しい要求に、懸命に応えていた。 そんな時に、ターがかつて指導した若手指揮者クリスタが自殺を遂げる。彼女はターに性的関係を強要され、去って行った者だった。ターはクリスタが指揮者として雇用されるのを妨害するメールを、各所に送っていた。それらのメールは素早く消去したが、時同じくしてターは、夢とも現ともつかない、幻聴や幻影に襲われるようになる。 そんなターは新たに、ロシア人の新人チェロ奏者オルガに心惹かれるようになる。彼女を取り立てるような、ターの言動や行動に、周囲はザワつく。 忠実だと思われたフランチェスカだったが、新たな副指揮者に選ばれなかったことから、ターを裏切る。そしてターのセクハラやパワハラがマスコミで取り上げられ、ネットで炎上するようになる。 クリスタの両親からは告発され、パートナーのシャロンは、養女と共に去っていく。ターは窮地に追い込まれるが…。
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フィールドは、クラシック音楽界に実在する人物や団体、実際の事件や根深い権威主義、性差別をベースにして、脚本を執筆した。監修を務めたのは、高名な指揮者のジョン・マウチェリ。「指揮者は何を考えているか」の著者で、レナード・バーンスタインと親交が深かったことでも知られる。バーンスタインは、アメリカを代表する“マエストロ”で、本作ではターの師匠だったという設定になっている。 準備期間は、コロナ禍の真っ最中だったことから、逆に十分な余裕ができた。実際に撮影に入る9ヶ月前から、フィールドとブランシェットは、ディスカッションを行った。「脚本に登場する人間関係はどれほど取引的なものなのか?」「登場人物全員が力構造に対して無言を貫いているのではないか?」「人は偉大な人物の物語を見るのは好きだが、その人たちが転落していく姿も同じくらい楽しめるものなのか?」等々。こうして、リディア・ターの人物像が、鮮明になった。 フィールド曰くターは、「…芸術に人生を捧げた結果、自分の弱みや嗜好をさらけ出すような体制を築き上げてしまったことに気づく。彼女はまるで全く自覚がないかのように、周囲に自分のルールを強要する」。しかし、「自覚していたとしても、非道は許されない」というわけだ ブランシェットが、役作りの本格的準備に入ったのは、2020年9月。実在の女性指揮者たちに関する文書や映像を、漁った。それと同時に、ターはベルリン・フィルで指揮するアメリカ人という設定なので、オーストラリア出身のブランシェットは、ドイツ語とアメリカ英語のマスターに、勤しんだ。 ピアノと指揮は、プロフェッショナルから本格的に学んだ。ブランシェットは子どもの頃に、ピアノを習っていた。10代半ばに練習をサボったのがバレた際、ピアノの先生から、「あなたはピアニストではなく、俳優だと思う」と言われたことがあったという。ピアノについては、「いつかまた」と思ってはきたが、結局はこの機会まで「映画のためでないと」できなかったというのも、まさに“俳優”と言えるかも知れない。本作に登場するすべての演奏シーンは、ブランシェット本人が演じている。
クランク・インまで、1年足らず。実はその間、『TAR/ター』とは別に、2本の出演作の撮影があった。 ブランシェットは、昼間にそれらの撮影を終えた後、夜になると、フィールドに電話を掛けてくる。そしてその後、役作りのための各レッスンに挑んだのだった。フィールドが言うように、彼女は「独学の達人」であり、ターが「25年かけて身に付けたであろう見事な技術」を、1年足らずで「やってのけた」わけである。 ブランシェットは、夫で劇作家のアンドリュー・アプトンと共に、母国オーストラリアで最も権威がある劇団「シドニー・シアター・カンパニー」の芸術監督を務めていたことがある。こうした権力の座に就いた経験も、ターの役作りに寄与する部分が、少なくなかったという。 2021年8月、遂にクランク・イン!ブランシェットは、オーケストラを指揮するシーンから、撮影に入った。コンサートホールは、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で撮影。ロケ地は、ベルリン、ニューヨークと、東南アジア。 ブランシェットの“独学”は続き、1日の撮影が終わると、「ピアノに直行するか、ドイツ語とアメリカ英語の指導を受けに行くか、あるいは指揮棒の振り方を教わりに」出向いた。また撮影がない日には、スタントマンが運転する8台の車に囲まれながら、時速100キロで滑走する練習を積んだ。
ターの私生活のパートナーで、ヴァイオリン奏者のシャロン役には、ドイツからニーナ・ホス。ターのアシスタント、フランチェスカ役は、フランス人のノエミ・メルランが演じた。 映画の後半、ターの心を泡立たせる存在となる、ロシア人チェロ奏者オルガ役に、フィールド監督は、「ロッテ・レーニャとジャクリーヌ・デュ・プレを合わせたような人」を望んだ。 ロッテ・レーニャは、1920年代から30年代にかけて、ナチス台頭前のドイツのミュージカル舞台で活躍し、「ワイマール文化の名花」と謳われた、オーストリア出身の歌手で女優。映画ファンの中には、『007』シリーズ第2作『ロシアより愛をこめて』(1963)で彼女が演じた、強烈な悪役ローザ・クレッブを思い浮かべる方が少なくないだろう。 ジャクリーヌ・デュ・プレは、国民的な人気を得ながら、不治の病のため早逝したイギリスの女性チェロ奏者。伝記映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(1998)では、エミリー・ワトソンが演じている。 オルガ役のオーディションには、多数の演奏家と俳優が参加した。選ばれたのは、実際にチェロ奏者として活動し、本作が俳優デビューとなる、ソフィー・カウアー。ロンドン郊外に住む、中流家庭出身の19歳だった。 フィールドは彼女のことを当初、オルガとは似ても似つかないと感じたが、演技を始めると、「彼女こそオルガだった」という。 イギリス人のカウアーは、ロシア訛りをYouTubeでマスターして、オーディションに臨んだ。そして役に選ばれた後も、演技への理解を深めるために、YouTubeを活用。名優マイケル・ケインの指導映像を参考にした。また彼女は、これ以上にない手本である、ニーナ・ホスやブランシェットの演技を、自分の撮影がない時もセットに来て、ずっとウォッチしていた。
ブランシェットはター役について、「…もうすぐ50歳で、人生において物理的にも抽象的な意味でも重要な変換期にいます。また、どの指揮者も未だかつて成し遂げたことのない野望も成し遂げようともしていますが、その時点でアーティストであり続ける唯一の方法は、そこから降りることだと悟ります」と語っている。 実際に様々なトラブルや軋轢が噴出することで、ターは名門ベルリン・フィルのTOPの座から降りざるを得なくなる。未見の方にはネタバレにもなるので詳しくは触れないが、ラスト、アジア某国でターが指揮する、ある趣向の演奏会の描写を観て、彼女が栄光の座から滑り置ちた象徴的なシーンと捉える方も少なくないだろう。 ブランシェットも脚本で初めて読んだ時、そのラストを、「なんて悲しいシーンなのか」と思った。しかしいざ撮影してみると、想像していたのとまったく逆で、「生命力にあふれた高揚感」を味わった。そして、「この結末こそ始まりである」と感じたという。 監督の解釈も、ブランシェットと同様で、ターはまだ、「自分の“楽器”を持っている」というものだった。
さてトッド・フィールドの16年振りの監督作となった『TAR/ター』は、完成してみると、「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」と絶賛を集め、彼女に4度目となるゴールデン・グローブ賞、ヴェネチア国際映画祭女優賞、全米・ニューヨーク、ロサンゼルスの各批評家協会賞等々をもたらした。 アカデミー賞では、主演女優賞はもちろん、作品賞・監督賞・脚本賞・撮影賞・編集賞の計6部門でノミネートされた。しかしこの年のアカデミー賞は「エブエブ」旋風が吹き荒れ、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)が、7部門もの大量受賞。その煽りを喰らって、ブランシェットもフィールドも、残念ながらオスカーを手にすることはできなかった。 しかし『TAR/ター』は、クラシック最高峰の楽団指揮者を最高の俳優が演じる、極上の音楽物であり、人間心理の“闇”を暴いた、背筋も凍るサイコ・サスペンスとして、観る者を強く揺さぶる作品。文字通りの「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」として、一見の価値ありなのは、間違いない。■
『TAR/ター』© MMXXII Focus Features LLC. All rights reserved.
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『ドミノ』=ハイコンセプトな心理スリラーの成立
2025.08.08
尾崎一男
「この作品のストーリーとタイトルは、ヒッチコック監督の『めまい』から着想を得ている。『ドミノ』のアイデアは、ロバートが“ヒッチコック風の映画を作りたい”と言ったことから始まったんだ。彼は“もしヒッチコックのキャリアが続いていたら、次にどんな作品を手がけていただろう”と考えたんだ」(※1)
レヴェル・ロドリゲス(『ドミノ』作曲家。ロバート・ロドリゲスとプロデューサーの実子)
◆SF大作から、ウェルメイドな特殊能力映画へ
ハリウッドが持つ資本力と高度なテクノロジーを最大限に活かし、日本の人気コミックを原作とする『アリータ:バトル・エンジェル』(2020/以下『アリータ』)を手がけた監督ロバート・ロドリゲス。ジェームズ・キャメロン(『アバター』シリーズ)が長年抱え続けてきた企画を実現させ、デジタルシネマの第一人者としてキャメロンの希求に応えたロドリゲスだったが、そんな彼が次回作に選んだ本作『ドミノ』は、『アリータ』とはじつに対照的な、小規模で実写ベースの心理スリラーだ。
だがプロットと物語は、かなりツイストの利いたものになっている。ベン・アフレック演じるオースティン警察の刑事ダニー・ロークは、3年前に7歳の娘ミニーが行方不明になり、自責の念を抱え続けていた。 ある日、そんな彼のもとに銀行強盗が計画されているというタレコミが入り、ダニーはその捜査に加わる。だが、現場に現れた謎の男(ウィリアム・フィクナー)を主犯と断定して追い詰めると、同行した警官が暗示をかけられたようにお互いを撃ち殺し、男は屋上から飛び降り姿を消してしまうー。
ダニーは逃走した人物の素性を知るべく、タレコミを入れた占術師ダイアナ(アリシー・ブラガ)に助けを求める。高度な読心能力を持つ彼女によれば、その謎の男はレブ・デルレーンといい、「ヒプノティクス」と呼ばれる精神操作で他者を意のままに操る、ダイアナと同じ秘密政府機関に所属していたというのだ。
映画はこうした出だしに始まり、ダニーは特殊能力で人を操る、脅威的な犯罪者との戦いを強いられていく。その過程で現実と錯覚の境界を揺さぶる世界へと踏み込み、彼は「現実そのものが仕組まれた幻なのでは?」という疑念へと追いやられていく。
◆『めまい』に触発されて生まれた企画
本作のアイディアは、ロドリゲスがアルフレッド・ヒッチコックの古典的ミステリー『めまい』(1958)の1996年復元版を観たことが着想の起点だと語っている。同作は高所恐怖症の元刑事が、死んだ恋人とそっくりな女性に執着し、現実と虚構の狭間で憔悴していくサスペンスのマスターピースだ。ロドリゲスは35mmフィルム2倍の撮像領域を用いて高画質を得る「ヴィスタヴィジョン」を再現した高精細映像バージョンで『めまい』に触れ、創造力を大いに刺激されたのだ。
事実、『ドミノ』は『めまい』と、テーマやドラマ構造において似た点を持つ。主人公の認識の歪みや、幻想と現実の錯綜、失った愛する者への執着など、まさしく同じものを共有している。 しかしいっぽうで、『ドミノ』はロドリゲスらしさを強く主張する。たとえばストーリー前半の展開が後半にかけ、展開が意外な方向へと転じていく本作の構造は、彼が1996年に発表した『フロム・ダスク・ティル・ドーン』を彷彿とさせるものだ。本作も前半が犯罪スリラー、そして後半が吸血鬼ホラーとジャンルを越境していくサスペンスアクションで、『ドミノ』成立の布石として関係性を指摘できる。さらに視野を拡げれば、限られた制作条件をアイディアと表現力でカバーする姿勢は、7000ドルという低予算で制作された快作アクション『エル・マリアッチ』(1992)に通底するものだ。
なにより現実と見紛うバーチャル領域に誘導し、主人公を翻弄するこの映画の世界観そのものが、デジタルのマジックで我々をあざむくロドリゲスの演出スタイルを換言したものといえるだろう。
◆ヒッチコックの嫡流、デ・バルマと共有する世界
それにしても、この『ドミノ』の、巧妙に人をサプライズへと導く手の込みようは尋常ではない。主役のダニー・ローク刑事を演じるベン・アフレックは、今やバットマン/ブルース・ウェインを当たり役に持つ人気俳優であり、おそらく誰もが本作で、彼は悲壮なヒーローを最後までまっとうするものと信じて疑わないだろう。いっぽうダニーを翻弄するトリックスターとして存在感を放つウィリアム・フィクナーは、『ダークナイト』(2009)でジョーカーにシマを荒らされるマフィアの構成員(表向きは銀行マン)が印象的で、その風体にはやがうえにもヴィランのタッチが染み付いている。こうした俳優のパブリックイメージも『ドミノ』の、物語を反転させる高等トリックの成立に一役買っているのである。
さらに面白いことに、『ドミノ』はヒッチコックはもとより、氏の嫡流であるサスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマの諸作と似たテイストを共有している。たとえば娘を誘拐されたことに脅迫観念を抱くダニーのキャラクター像は、デ・パルマが『めまい』に触発されて手がけた『愛のメモリー』(1976)の主人公マイケル(クリフ・ロバートソン)に同種の傾向が見られるし、政府の秘密機関が特殊能力者を手札にしようとたくらむ本作の中心的プロットは、デ・パルマが名優カーク・ダグラス主演で撮った超能力スリラー『フューリー』(1992)と異曲同工な印象を与える。むろんロドリゲスがこれらのテイストを拝借したのではなく(引用の意図は少なかれあったのかもしれないが)、ヒッチコックを創造の親とする彼らの作品が同じ轍を踏むところ、それは宿命的であり、作品がそう深掘りできる要素を含んでいるのを指摘したまでのことだ。
また前述でフィクナーの名を出す関係上『ダークナイト』に触れたが、同作の監督クリストファー・ノーランがハイコンセプトな諸作を連投してきたことが、ロドリゲスの先鋭的なたくらみに観客がすんなりと入り込めるベースを作っている。時間をさかのぼる編集で事件の真相に迫っていく『メメント』(2000)や、順行時間と逆行時間勢力の衝突を描いたタイムSF『TENET テネット』(2020)など、こうした先行者たちの野心的な試みが、奇異極まる『ドミノ』の存在を正当化させるのだ。偶然にも時空の歪みを捉えた同作の視覚表現が、夢の争奪戦を描いたノーランのスパイアクション『インセプション』(2010)のいくつかを連想させ、前掲のような論証への展開をうながしていく。
◆なぜ『ドミノ』なのか?
ちなみに、この映画の原題は先に触れた、人の心を操る「ヒプノティクス」(催眠)が本来のタイトルで、『ドミノ』は日本で独自につけられたものだ。ポスタービジュアルではベン・アフレックの背後にドミノ倒しの画像があしらわれており、それが影響して『ドミノ』が原題だと思っている人も少なくない。ご丁寧にも、このドミノ倒しの映像は劇中にも登場し、相手の心を圧倒的な能力で支配するヒプノティックを、ドミノ効果を持ち出して解説までしている。
しかも、このドミノは物語のサプライズ的な要素を含んでおり(それに関してここでは詳述を控えたい)、原題のわかりにくさをカバーする目的とはいえ、じつに秀逸な邦題だ。 なにより、この『ドミノ』というタイトルは、文頭のレヴェル・ロドリゲスが語るところの、本来のタイトルの目的を破壊することなく換言している。いわく、
「ヒッチコックは常に印象的な一語タイトルを得意としていた。『白い恐怖“Spellbound”』(1945)『めまい“Vertigo”』『サイコ“Psycho”』(1960)のようにね。「ヒプノティクス“Hypnotic”」というタイトルは彼にとって、すぐに浮かんだ素晴らしいアイデアだった。ただ問題は、ロバートがそのタイトルが何を意味するのか、それを必死に考えなければならなかった点だ」(※2)
(※1)(※2)“Hypnotic” Composer Rebel Rodriguez on Scoring The Robert Rodriguez/Ben Affleck Head-Trip Thriller(https://www.motionpictures.org/2023/05/hypnotic-composer-rebel-rodriguez-on-scoring-the-robert-rodriguez-ben-affleck-head-trip-thriller/)
『ドミノ』©2023 Hypnotic Film Holdings LLC. All Rights Reserved.
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