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『フェイブルマンズ』と3人の映画監督
2025.07.02
尾崎一男
◆スピルバーグの半自伝作品
2022年に稀代のヒットメーカー、スティーヴン・スピルバーグが発表した映画『フェイブルマンズ』は、彼の長い監督生活の起点に触れる“自伝的要素“を含んだ作品であり、それを支えた家族の物語だ。スピルバーグのアバターともいえる主人公サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)は、母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)から買い与えられた8ミリキャメラで、小規模ながらも映画を手がけていく。そして夢を支援する彼女と、現実的な父バート(ポール・ダノ)との間で板挟みになりながら、サミーはさまざまな人との出会いや経験、そして創作活動を経て成長していくのだ。両親の離婚問題や、自身のルーツに依拠する不当ないじめなど深刻なエピソードを交えながら、単なるパーソナルな成功談ではない、ひとりの青年の青春物語として映画は広い共感性へと通じていく。もちろん、その過程においてドラマチックな瞬間があり、映画は151分と長尺ながら、ひとときも観る者を飽きさせることはない。
◆ジョン・フォードとの邂逅
稀代の天才監督は、なぜムービーキャメラを手にして映画の世界を目指したのか——? 作品はあくまでフィクションを建て前にしているが、ストーリーの軌跡や人間関係はスピルバーグの実人生に極めて忠実なものだ。ただその中で、あたかも創作であるかのようなエピソードが、本作のクライマックスとして置かれている。それが偉大な映画監督、ジョン・フォードとの出会いだ。
(以下『フェイブルマンズ』の結末に言及するので、鑑賞後にお読みいただくのが望ましい)
映画業界での働き口を求め、売り込みの手紙をありとあらゆるスタジオに送りつけたサミーは、CBSテレビジョンからの返信を頼りに『OK捕虜収容所』(第二次大戦中のナチス捕虜収容所を舞台にしたシットコム・コメディ)の共同製作者であるバーナード・ファイン(グレッグ・グランバーグ)に会いに行く。そして彼から、第三助手として雇おうかと打診されるのだ。ところが、やや反応が鈍かったサミーにファインは、「本当は映画がやりたんだろ。そうだ、向かいの部屋に史上最高の映画監督がいる」 と伝え、彼をその部屋へと通すのだ。
いったい「史上最高の映画監督」が誰なのか、サミーは釈然としないまま座って待機していると、背後にあるフレーム入りのポスター群が、その人物をゆっくりと特定していく。『駅馬車』…『我が谷は緑なりき』…『男の敵』…『捜索者』…『三人の名付親』…『静かなる男』…『怒りの葡萄』…『黄色いリボン』そして『リバティ・バランスを射った男』…。
それらを目で追い、高揚するサミーの気持ちを寸断するかのように、アイパッチを目にあてた男が入ってくる。そう、ジョン・フォードだ。秘書はサミーに向かって、「(会話は)5分ならいいそうよ、1分で終わるかもしれないけど」と言って、フォードとの対面を急かす。
そのときのフォードは葉巻を吸い、威嚇的な態度でサミーを一瞥するが、壁にかかっている自作のスチールを指して「地平線はどこにある?」とサミーに質問する。すると彼は「下です」と回答し、別のスチールを指して同様の質問をしたフォードに「上です」と答える。するとフォードは、
「いいか、よく憶えておけ。地平線をいちばん下に置けば面白い画になる。そして地平線を上に置いても面白い画になる。だが地平性を真ん中に置いたら、クソつまらない画になるんだ。わかったか? わかったらとっとと出ていけ!」
と、手荒に助言を放つのだ。
この『フェイブルマンズ』における印象的なクライマックスは、同作において極めて突飛で、フィクション性を強く感じさせるエピソードだ。ところが、じつは全てが事実だというのだから驚かされる。スピルバーグは2011年、イマジン・エンターテインメントのオフィスでおこなわれた映画『カウボーイ & エイリアン』のプロモーションで、同作プロデューサーのブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、そして監督のジョン・ファヴローらと会談し、ジョン・フォードとの最初の出会いを語った。
それによると、スピルバーグはフォードと実際に遭遇したさい、彼は酔って顔全体にキスマークをつけ、オフィスに入って来たところを秘書が慌てて追い、ティッシュで拭き取ったという。そしてフォードは机の上に足をおろし、スピルバーグに対し「それで、キミは映画監督になりたいと聞いたが?」と訊ね、壁に飾られた絵画から地平線を見つけるよう要求したという。この一連のやり取りからもわかるとおり、フォードとの邂逅は、ほぼ映画でそのままに再現されていることがわかるだろう。
ただし細部で違いがあり、スピルバーグがフォードと会ったのはサミーと同じ18歳ではなく、15歳のときであり、さらにそれはファインの紹介によるものではなく、自身のいとこの一人が、たまたま彼の友人の友人の友人であったことから、このありそうもない出会いを得たという。 そもそもスピルバーグの業界入りは、『フェイブルマンズ』で描かれたように正統な手順を踏んでおらず、彼を語る上で伝説化されている。映画監督を志望していたスピルバーグは、ユニバーサル・ピクチャーズの観光ツアーに参加した後、トイレ休憩のときにバックロットに潜入し、半年以上そこで働いているふりをしたという。そのことが布石となり、後年に彼はユニバーサル映画の社長だったシド・シャインバーグに自作の短編映画『アンブリン』(1968)を気に入られ、テレビ監督として契約を交わしたのだ。
◆デヴィッド・リンチ出演の背景
こうしたジョン・フォードとの出会いをさらに説得力あるものにしているのが、異例ともいる配役だ。スピルバーグはフォード役に、カルト映画の帝王デヴィッド・リンチをオファーしたのだ。
もともとスピルバーグは、フォードのキャスティングに友人のベテラン俳優をあてようと考えていた。しかし脚本を担当したトニー・クシュナーの夫がリンチの起用を提案し、それをスピルバーグは素晴らしいアイディアだと称賛したのだ。そして自らリンチに連絡をとり、実現の運びとなったのである。ところがリンチは自作以外の出演には消極的だったため、スピルバーグはリンチと共通の友人である女優ローラ・ダーンに救いを求め、リンチの説得にあたったのだ。その狙いが功を奏し、リンチはスナック菓子のチートスと、衣装の撮影2週間前からの提供など変わった条件と共に出演を承諾。こうして、あの示唆に富む最後の5分間が生まれたのである。
リンチは英「エンパイア」誌の電話インタビューにおいて、オファーを受けた理由を以下のように語っている(※1)。出演を渋ったことに対しては、「わたしは演技に関して、意図的に距離を置いてきたんだ。ハリソン・フォードやジョージ・クルーニーのような俳優たちに、キャリアのチャンスを与えるべきだと考えていたからね」 とし、それでも出演した決め手を訊かれると、当該シーンが本当に気に入ったからだと述懐している。「ジョン・フォードなら、若い才能に指導をほどこすために、さまざまな知識や経験を活用できただろう。しかし彼は「地平線」のレクチャーを選んだんだ。じっさい画面中央に地平線があるのは、本当にクソつまらない画になるからね」
残念なことに、このインタビューから約一年後 リンチは78歳でこの世を去り、『フェイブルマンズ』は彼の最後のスクリーン出演となった。訃報が遺族からSNSを通じて発表された後、スピルバーグはアンブリン エンターテインメントを通じ、リンチへの感謝を込めた以下の追悼文を発表している(※2)。
「私はデヴィッドの作品の大ファンでした。『ブルー・ベルベット』『マルホランド・ドライブ』そして『エレファント・マン』――。これらは、手作り感あふれる独特の世界観で、彼が唯一無二のヴィジョンを持つ夢想家であることを証明しました。『フェイブルマンズ』でジョン・フォード役を演じてもらったとき、私は彼と知己を得ました。私のヒーローの一人であるデヴィッド・リンチが、私の別のヒーローを演じる――。それはとても現実離れした、まるで彼自身の映画の一場面のような不思議な体験だったんです。世界はこれほどまでに独創的で、ユニークなヴォイスを失うことになってしまったんです。彼の映画は既に時代を超えて生き残っており、これからもずっとそうあり続けるでしょう」
スピルバーグはフォードを崇拝すると同時に、同業者としてリンチに関心を寄せていた。その証として、両者の共同作業ともいえる「地平線」のシーケンスに、スピルバーグは二人を立てるようなオチを添えている。フォードに映画制作のヒントをもらったサミーはオフィスを後にすると、意気揚々とした態度でスタジオのバックロットを歩き出す。そのときの彼を捉えたショットが、なんとフォードが「クソつまらない画」と非難しリンチが共感した、真ん中の地平線を捉えていたのだ。そしてキャメラは、それに気づいたかのようにあたふたと、地平線が下に来るようフレーム修正の動きを見せるのだ。 この一連の演出には、スピルバーグらしいユーモアと謙遜の姿勢、そして未熟なサミーが失敗を繰り返しながら、先達から学んだことを糧にして映画界での成功を得る、そんな暗示が機能している。ひるがえってそれは、ジョン・フォードという偉大な映画人に尊崇の念を示しているのだ。
そしてデヴィッド・リンチは、そんなフォードが醸す神秘性と威圧的な存在感を、この『フェイブルマンズ』で見事に体現し、「地平線」のエピソードを説得力あるものにした。それにも増して、ガブリエル・ラベルがスティーブン・スピルバーグを投影したサミーを演じ、リンチがフォードを演じ、それをスピルバーグ本人が演出するという、巡るようなメタ構造を持つシチュエーションとして、本作を自伝作品以上の映画的価値を持つものへと発展させたのである。■
(※1)https://www.empireonline.com/movies/news/david-lynch-interview-john-ford-fabelmans-exclusive/
(※2)https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1028510489321633&id=100064880730053&set=a.634279698744716
『フェイブルマンズ』© 2022 STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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世界中で大ヒット!M・ナイト・シャマランの“ある秘密”路線第1弾!!『シックス・センス』
2025.06.12
松崎まこと
今年4月、俳優のハーレイ・ジョエル・オスメントが、公共の場での酩酊とコカイン所持で逮捕された。そして先頃、週3回の依存症者ミーティングに半年間の出席を義務付けられたというニュースが、飛び込んできた。 今回もそうだが、記事などに取り上げられる場合、必ず「『シックス・センス』…のハーレイ・ジョエル・オスメント」と紹介される。30代後半の今になっても、“天才子役”と謳われた時期の、1999年公開作のタイトルが冠せられるのである。 それはある意味、この作品の監督である、M・ナイト・シャマランにも共通する。彼の場合、その後何本もヒット作を出しているにも拘わらず、「『シックス・センス』…の」と、枕詞のように付いて回る。 これは本作『シックス・センス』が、初公開時にそれほどのインパクトを残した証左とも言える。 “シックス・センス=第六感”。人が備える5つの感覚=視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を超えた、第6番目の感覚を指す。 1970年生まれ、まだ20代でそれまでは低予算作品しか手掛けてなかったシャマランが世に放った、3本目の長編監督作品。原作などはない、自作の“オリジナル脚本”の映画化だった。 日本公開で耳目を攫ったのは、本編上映前にスクリーンに映し出された、次の内容のスーパー。「この映画のストーリーには“ある秘密”があります。映画をご覧になった皆様は、その秘密をまだご覧になっていない方には決してお話しにならないようお願いします」 この前口上は、主演のブルース・ウィリスとM・ナイト・シャマランの両名によるものという体裁になっていたが、実は日本公開版にだけ付加されていた。これは、70年代後半から80年代に掛け、そのコケオドシ宣伝(失礼!)が、「東宝東和マジック」などと謳われた、本作の配給会社ならではの仕掛けであったことは、想像に難くない。 一部識者などからこの前口上は、「ネタバレを招く」などとも批判を受けた。しかし一般観客へのアピールは強かったようで、口コミの拡散にも大いに繋がったものと思われる。 また、「この映画のストーリーには“ある秘密”があります」というフレーズは、その後のシャマランのフィルモグラフィーを、実に的確に予見もしていた。
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小児精神科医のマルコム(演;ブルース・ウィリス)は、子ども達の心の病を治療する第一人者として、名を馳せていた。 ある時、自宅で妻のアンナ(演:オリビア・ウィリアムズ)とくつろいでいた彼の前に、10年前に治療を担当していたヴィンセントが、現れる。ヴィンセントは「自分を救ってくれなかった」とマルコムをなじり、その腹を銃で撃つ。そして自らも、頭を撃ち抜くのだった。 1年後、ヴィンセントを救えなかったことで自分を責め続けたマルコムは、いつしか妻との間に大きな溝が生まれていた。彼女に話しかけても、すげなくされてしまう…。 そんな彼が新たに担当することになったのは、8歳の少年コール(演: ハーレイ・ジョエル・オスメント)。コールの症状は、かつてのヴィンセントに酷似していた。 実はコールには、死者が見えてしまう“第六感=シックス・センス”があったが、それを周囲に明かせないまま、怯え苦しみ、学校で「化け物」扱いされるまでに。更に、その事情を知らない母親リン(演;トニ・コレット)も、自分の息子の扱いに苦慮していた。 マルコムも、当初は幽霊の存在に懐疑的だったが、やがてコールの言葉を受け入れるようになる。2人は力を合わせて、死者がコールの前に現れる理由を探る。 そうした中でマルコムは、あまりにもショッキングな、“ある秘密”に行き当たる…。
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シャマラン監督は、インド生まれのフィラデルフィア育ち。両親とも医者の家庭だった。 8歳の時に8㎜カメラをプレゼントされ、16歳までに、45本の短編映画を監督。高校は首席で卒業し、有名医科大の奨学金にも合格していたが、ニューヨーク大学のアートスクールに進学し、映画の道に向かった。 子どもの頃は、家に帰ってドアが開いていると、「誰かが中に潜んでいるのでは…」と考えてしまうような、大の怖がりだった。『シックス・センス』は、シャマランのそんな幼少時の記憶がベースになっているという。 企画をスタートさせたのは、2本目の長編作品の仕上げ段階だった。シャマランの発言をすべて真に受けるならば、本作はその時点から、“第六感”めいたエピソードに事欠かない。 例えば劇中でコールが言う有名なセリフ~I see dead people=僕には死んだ人が見える~。しかしシャマランは、脚本から一旦削除した。少年のセリフとはいえ、幼すぎると感じたからだ。 しかしその時、「“声”が聞こえた…」のだという。「そのセリフを元に戻せ」と。結果的に~I see dead people~は、多くの観客の口の端に上る流行語となった。 シャマランは監督前作のポスプロ中に、その編集スタッフに、『シックス・センス』という脚本を書こうと思っていると、告げていた。その際に彼は、こんな予言をしていた。「主演はブルース・ウィリスになるよ、きっと」と。 もちろんそのスタッフからは、「あ、そう」と一笑に付された。監督として駆け出しのシャマラン作品に、当時すでにスーパースターだったウィリスが出ることなど、夢物語だったのだ。
シャマランは、『エクソシスト』『シャイニング』『ローズマリーの赤ちゃん』『反撥』などのホラー映画の名作に、様々な形でインスパイアされて、脚本を書き上げた。それをまだ無名な存在の彼自身が監督するという条件付きだったのにも拘わらず、ディズニーに300万㌦の高額で競り落とされた。こうして、ウィリスへの交渉ルートが開けた。 シャマランは、『ダイ・ハード』シリーズ(1988~)などで、一般的にアクションスターのイメージが強いウィリスのことを、「非常に芸域の広い俳優」と評価していた。元々はTVシリーズの「こちらブルームーン探偵社」(1985~89)のコメディ演技で人気となったウィリスを、ドラマティックな役やごく普通の人も演じられると、見込んだのである。 まずはウィリスに脚本を読んでもらった上で、面会という段取りになった。彼の主演を前提とした当て書きをしたシャマランも、さすがに極度の緊張状態に陥った。ところがそこにウィリスが現れると、いきなり「ノー・プロブレム」と口に出し、シャマランを抱きしめたのだという。 当時のウィリスは、悪たれ野郎のイメージが強かった。しかしそれと同時に、クエンティン・タランティーノの出世作『パルプ・フィクション』(94)に出演するなど、有望な新人監督の作品をチョイスする、目利きの側面もあったのだ。 1年前にシャマランの予言を鼻で笑った、件のスタッフは、ブルース・ウィリスが主演に決まった旨の連絡を受けて、ビックリ仰天することとなった。 この頃1本の出演料が2,000万㌦にも達していたウィリスの主演にも拘わらず、『シックス・センス』の製作費は、4,000万㌦程度に抑えられている。それはウィリスが、出演料を100万ドル以下にディスカウントしてくれたからである。その代わりに、映画がヒットして利益が出た場合には、歩合を貰う条件が付いた。結果的にウィリスの懐には、1億㌦以上が転がり込むこととなる。
ウィリスが演じるマルコムと並んで重要だったのは、コール少年役。シャマランは、オーディションで数多くの子役と面会したが、なかなかピンとくるものがなかった。 そんな時にシャマランの前に現れたのが、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)で主人公の息子を演じたことで知られていた、ハーレイ・ジョエル・オスメント。シャマランはその演技を見て、すぐにOKを出した。『シックス・センス』の撮影は、シャマランの生まれ故郷で、アマチュア時代からずっと映画の舞台にしてきたフィラデルフィアで、42日間のスケジュールで行われた。市内の古い市民センターを拠点に、この地区の主な展示施設に、7つのオープンセットが組まれた。 オスメント演じるコールは、己の持つ“シックス・センス”のせいで、不幸でいつも暗い表情。笑顔は見せない。 これまでの作品では、自分の体験との共通項を見出して役を演じてきたというオスメントだったが、本作ではそれが不可能だった。そのため役作りとしては、「脚本を何度も読み返すしかなかった」という。 そこからが、さすが“天才子役”。オスメントは脚本を何度も読み返す内に、コールの考え方が理解できるようになっていった。そして撮影時には、スイッチをON・OFFするかのように、コールになったり自分に戻ったりできるようになったという。普段は普通の10歳の少年であるオスメントが、「“あと5分”で本番の声がかかったとたん、コールになりきってしまう」と、ウィリスも感心しきりだった。 因みにウィリスは撮影中、自分が映ってないショットでも、オスメントの見える所に居て、演技しやすいように協力したという。
さて本作は、1999年8月6日にアメリカで公開されると、5週連続で興行成績TOPを記録。全米で300億円、全世界で700億円稼ぎ出す、特大ヒットとなった。 アカデミー賞でも、作品、監督、脚本、助演男優(オスメント)、助演女優(トニー・コレット)、編集の計6部門でノミネート。“ホラー映画”というジャンルとしては、快挙と言える成果を上げた。 ブルース・ウィリスは本作がメガヒットとなったことについて、その第一の理由として、「ハリウッド映画の90%が何らかのかたちで“原作もの”であるなか、『シックス・センス』は完全に“オリジナル”なストーリーである…」ことを挙げている。しかし本作が、“オリジナル”と言い切れるかどうかは、実は微妙なのである。 さてここからは、日本公開版冒頭で謳われた、“ある秘密”に関わる話となってしまう。本作は非常に有名な作品なので、その“ある秘密=オチ”をご存知の方も多いであろうが、もしもまだ知らないのであれば、この後を読み進むのは、本作鑑賞後にした方が良いかも知れない。
『シックス・センス』の“ある秘密”は、ラストで明かされる。それはマルコムが、実は冒頭で腹を撃たれた時に死んでおり、それを本人が気づいていないということ…。 このプロットはシャマラン自身、TVの子ども向けホラー・シリーズから戴いたことを認めている。しかしそれ以上に、『恐怖の足跡』(62)という、それほど有名ではないホラー作品と「そっくり」であることが、指摘されている。 シャマラン作品はこの後暫し、「実は死んでいた」のバリエーションの如く、“ある秘密”が、物語のクライマックスで明かされるパターンが続いていく。「実は“不死身”だった」「実は“宇宙人”の仕業だった」「実は“現代”だった」等々。 どの作品も、「サプライズなオチ」目掛けて、ストーリーが進んでいく。そしてそれぞれが、元ネタと思しき、先行するB級作品を、識者から指摘されるところまで、同じ轍を踏んでいく。 そうこうする内に、段々とその展開に、強引さや無理矢理な部分が目立つようになっていく。やがてシャマランも、方針転換を余儀なくされ、現在に至るわけだが…。 何はともかく、シャマランの“ある秘密”路線の第一弾だった本作『シックス・センス』。その初公開時の衝撃は、当時の観客にとって、凄まじいものであった。それだけは、紛れもない事実である。■
『シックス・センス』© Buena Vista Pictures Distribution and Spyglass Entertainment Group, LP. All rights reserved.
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壮大なスケールと奇想天外なストーリー展開で普遍的な家族愛を描いたオスカー7部門制覇の大傑作!『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
2025.05.03
なかざわひでゆき
独創的で型破りな演出はインディーズ映画の鬼才ダニエルズの十八番
『ムーンライト』(’16)や『ミッドサマー』(’19)、『関心領域』(’23)などの話題作・問題作で高い評価を受ける製作会社A24にとって、同社史上最高額の興行収入(1億4340億ドル)を稼ぎ出す大ヒットを記録し、’23年の第95回アカデミー賞では最多となる11部門にノミネート、そのうち作品賞以下7部門で受賞するという快挙を成し遂げた傑作である。中でも特に授賞式で注目を集めたのは、名もなき平凡な中国系アメリカ人の夫婦を演じたミシェル・ヨー(主演女優賞)とキー・ホイ・クァン(助演男優賞)の2人だ。
香港アクション映画のスーパースターとして活躍した’80年代より、40年に及ぶ輝かしいキャリアを誇ってきたマレーシア出身のベテラン女優ヨーと、ベトナム難民として渡ったアメリカで『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(’84)と『グーニーズ』(’85)に出演して人気が爆発したものの、しかし当時のハリウッドではアジア系の役柄が極めて少なかったために後が続かず、本作が実に20年以上ぶりのカムバック作品となった元名子役クァン。どちらも人生と業界の荒波を乗り越えてきたサバイバーである2人が、ハリウッドにおける年齢や性別や人種の見えない壁を見事に打ち破り、文字通り奇跡のようなオスカー初ノミネート&初受賞を果たしたのだから、本人たちだけでなく映画ファンとしても大いに感慨深いものがあったと言えよう。
なおかつ、これが長編劇映画2作目だった若手監督コンビ、ダニエルズ(ダニエル・クワンとダニエル・シャイナート)による、あまりにも自由で斬新で独創的かつ画期的なストーリーテリング術も多くの映画ファンを驚かせた。無人島で遭難した青年が海岸で発見した死体と共に我が家を目指して大冒険を繰り広げるという、処女作『スイス・アーミー・マン』(’16)も相当にシュールでヘンテコな映画だったが、本作はそれを遥かに上回る奇妙奇天烈なハチャメチャさが際立つ。不条理コメディにSFにホラーにカンフー・アクションにと数多のジャンルをクロスオーバーし、目まぐるしいスピードで縦横無尽にマルチバースを飛び回る天衣無縫なストーリーは一見したところ意味不明で難解だが、しかしその荒唐無稽と混沌の中から「私の人生、本当にこれで良かったのか?」という疑問を抱えたヒロインの様々な想いが走馬灯のように浮かび上がり、慌ただしい日常の中ですれ違う親子や夫婦の愛情と絆を描いた普遍的なファミリー・ドラマへと昇華される。その大胆不敵かつ巧妙な脚本と演出には、恐らく観客の誰もが舌を巻くはずだ。
忙しい日常に疲れ切った平凡な主婦が全宇宙の危機を救う!?
ひとまず、なるべく分かりやすく整理しながらストーリーを解説してみたい。主人公はコインランドリーを経営する中国系アメリカ人の中年女性エヴリン(ミシェル・ヨー)。20年前に親の反対を押し切って、夫ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)と駆け落ち同然で結婚して渡米し、ひとり娘ジョイ(ステファニー・スー)をもうけたエヴリンだったが、しかし移民一世としての生活はまさに苦労の連続。辛うじてビジネスは軌道に乗ってきたものの、しかし忙しくて慌ただしい毎日の中で家族との溝は深まるばかり。優しくてお人好しなウェイモンドはいまひとつ頼りにならず、最近では交わす会話も殆んどなくなっている。娘ジョイとはさらに微妙で気まずい間柄。アメリカで生まれ育った移民二世のジョイとはカルチャーギャップがあり、なおかつ彼女がレズビアンであることを頭では分かっても心情的に受け入れられないエヴリンは、たまに娘が恋人ベッキー(タリー・メデル)を連れて実家へ顔を出しても素っ気ない態度を取ってしまう。ジョイもそんな母親に愛憎入り交じる感情を抱いており、あまり実家へ寄り付かなくなっていた。
そんな、ただでさえ訳ありの家族にさらなる問題が発生。コインランドリーが国税庁の監査対象になってしまい、膨大な資料をまとめた書類を提出せねばならなくなったのだ。折しも、高齢で介護の必要になった父親ゴンゴン(ジェームズ・ホン)が中国から来たばかり。本当は息子の欲しかった父親は、幼い頃からエヴリンに対して非常に厳しかった。エヴリンが必死になって働いてきたのは、そんな父親に認めて欲しいという想いもあったからなのだが、しかしいまだ家父長気分の抜けない父親は偉そうにふんぞり返るばかり。税金の申告書作成に加えて、英語も全く話せない我がまま老人の父親の世話、さらには店の切り盛りもせねばならないエヴリンは、もはやストレスと疲労で崩壊寸前だった。
監査官ディアドレ(ジェイミー・リー・カーティス)と面談して書類をチェックしてもらうため、ウェイモンドとゴンゴンを連れて国税庁へとやってきたエヴリン。すると、いきなり豹変したウェイモンドが不可解なことを口走る。自分はアルファバースからやって来たアルファ・ウェイモンド。アルファバースのエヴリンが生んでしまった強大な悪の化身ジョブ・トゥパキが、多元宇宙(マルチバース)の全てにカオスをもたらそうとしている。それを止めることが出来るのは、この世界のエヴリン、つまり君しかいない!というのだ。
なんのことだかさっぱり分からず困惑するエヴリンだったが、しかしそんな彼女の前に別の宇宙から来たジョブ・トゥパキの刺客たちが次々と襲いかかる。これに対抗して全宇宙を救うためには「バース・ジャンプ」が必要だ。これまでの人生で目標を立てては挫折し、夢を抱いては諦めてきたエヴリン。そのたびに枝分かれした「別の人生」の数だけマルチバースが存在する。ある世界ではカンフーの達人、ある世界では映画スター、ある世界では歌手など、様々な才能を開花させている別バージョンのエヴリンたち。何も持たない最低の自分を生きている現世界のエヴリンは、バース・ジャンプによって別世界のエヴリンたちと繋がり、それぞれの特技を自分のモノにしていく必要があるのだが、しかし「最強の変なこと」をしなくてはジャンプすることが出来ない。ありったけの知恵を絞って突拍子もないバカなことを繰り出し、マルチバースを飛び回りながら別世界の自分たちを体験していくエヴリン。そんな彼女の前に現れた邪悪な宿敵ジョブ・トゥパキをひと目見て、エヴリンは思わず愕然とする。それはほかでもない、アルファバースの我が娘ジョイだったからだ…!
エヴリン役はミシェル・ヨーにとってキャリアの集大成
親の愛情を得るため期待に応えねばとの重圧に苦しみ、それゆえ夢を諦めて挫折ばかりしてきた現世界のエヴリンが、親の愛情と期待に応えようとして限界まで精神を追い込まれた結果、冷酷で虚無的な怪物ジョブ・トゥパキと化してしまった別世界のジョイと対峙することで、現世界の我が娘ジョイの抱えた孤独や痛みをようやく理解し、断絶していた親子の絆を取り戻していく。と同時に、様々な別世界の「成功した自分」を体験したエヴリンは、結局のところ「理想通りの完璧な人生」などあり得ないことを知り、さらには優しいだけが取り柄の夫ウェイモンドの秘めた「真の強さ」に気付かされ、過去の選択や挫折、果たせなかった夢や希望を悔やむよりも、今ある生活と家族・友人を慈しみ大切にすべきであることに思い至る。奇想天外でぶっ飛んだ壮大なスケールのアクション・エンターテインメントは、実のところ平凡でささやかな日常の有難さを謳いあげた、微笑ましくも心温まるファミリー・ドラマなのだ。
そもそもの発端は、ダニエル・クワン監督が『マトリックス』(’99)と『ファイト・クラブ』(’99)をヒントにして、独自のマルチバース企画を思いついたことだったのだとか。そこへ、自身が中国系アメリカ人であるクワン監督の個人的な経験を基にした、アジア系移民家庭アルアルを詰め込んだ家族のドラマが加わったというわけだ。それにしても、一見したところ脈絡のない展開や意味不明のシュールなギャグ、目まぐるしく変化するスピーディで複雑な編集に困惑させられる観客も多かろうと思うが、しかしよくよく見ていると細かいカットのひとつひとつまで入念に計算されていることが分かる。
実際、脚本にはその場面で使用する全てのカットが詳細に記入されていたらしい。そのうえで、異なるバースをクロスカットで繋ぐなどの工夫を凝らすことで、脈絡のないように見える混沌とした展開の中から、言わんとすることの意味を観客が直感的に汲み取れるよう導いていくのだ。実に巧妙。映像言語をフル稼働した独創的な語り口は本作の醍醐味と言えよう。しかも、ウォン・カーワイやジャッキー・チェン、ガイ・リッチーといったダニエルズが敬愛する映画人や、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』や映画『カンフーハッスル』(’04)、『ジュラシック・パーク』(’90)に『2001年宇宙の旅』(’68)などへのオマージュも盛りだくさん。とりあえず、決して頭で理解しようとせず、映像の流れに身を委ねて感じ取るべし。それが本作の正しい鑑賞法である。
もちろん、主人公エヴリンを演じるミシェル・ヨーも圧倒的に素晴らしい。忙しい日常に疲れ果て、家族との不和に悩まされる平凡な主婦が、バース・ジャンプによって体得した様々な特技を駆使して世界を救わんと戦う。笑いあり涙ありシリアスあり、カンフー・アクションにサスペンスもあり。喜怒哀楽、静と動の全てをいっぺんに詰め込んだエヴリンというキャラクターは、「40年間のキャリアはこの作品のためのリハーサルだった」とミシェル本人が語るように、文字通り役者人生の集大成的な難役だったと言えよう。もともとこの役は男性という設定で、当初はジャッキー・チェンにオファーされたらしい。モデルだった彼女が女優デビューするきっかけとなったのが、ジャッキーと共演したテレビCMだったことを考えると数奇な巡り会わせと言えよう。
ちなみに、バース・ジャンプ中の格闘技大会シーンでミシェル・ヨーに顔を蹴り飛ばされ、続くアクション映画の撮影シーンで同じくミシェルに顔をパンチされる女性は西脇美智子。かつて’80年代に「ボディビル界の百恵ちゃん」として人気を博した日本の元ボディビルダーで、一時期は香港のカンフー映画スターとして活躍したこともあった。’90年代末からはハリウッドを拠点にスタントウーマンとして活動しているが、本作ではミシェルのスタンドイン(撮影準備の代役)を兼ねていたそうだ。■
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』© 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
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現代の巨匠イーストウッドが、実在の英雄を通して捉えた“イラク戦争”『アメリカン・スナイパー』
2025.03.06
松崎まこと
クリス・カイル、1974年生まれのテキサス州出身。8歳の時に、初めての銃を父親からプレゼントされて、ハンティングを行った。 カウボーイに憧れて育ち、ロデオに勤しんだが、やがて軍入りを希望。ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が、国際テロ組織アルカーイダが関与する自爆テロで攻撃されるなど、祖国が外敵から攻撃されていることに触発されて、アメリカ海軍の特殊部隊“ネイビー・シールズ”を志願した。 2003年にイラク戦争が始まると、09年に除隊するまで4回、イラクへ派遣された。そこでは主に“スナイパ-”として活躍し、166人の敵を射殺。これは米軍の公式記録として、最多と言われる。 味方からは「レジェンド〜伝説の狙撃手」と賞賛されたカイルは、イラクの反政府武装勢力からは、「ラマディの悪魔」と恐れられ憎悪された。そしてその首には、賞金が掛けられた。 4度ものイラク行きは、カイルの心身を蝕み、精神科医からPTSDの診断を受けた。カイルは民間軍事支援会社を起こし、それと同時に、自分と同じような境遇に居る帰還兵たちのサポートに取り組んだ。彼らを救うことが、自分自身の癒やしにもなると考えたのである。 兵士は銃に愛着があるため、それがセラピーになる場合がある。カイルは帰還兵に同行して牧場に行き、射撃を行ったり、話を聞いたりした…。
こうした歩みをカイル本人が、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリスと共に著した“自伝”は、2012年に出版。100万部を超えるベストセラーとなった。 脚本家のジェイソン・ホールは、カイルの人生に注目。2010年にテキサス州へと訪ねた。 その後カイルと話し合いながら、脚本の執筆を進めた。彼が自伝を書いているのも、そのプロセスで知ったが、結果的にそれが原作にもなった。 ホールは、俳優のブラッドリー・クーパーに、映画化話を持ち込む。クーパーは、『ハングオーバー』シリーズ(2009〜13)でブレイク。『世界にひとつのプレイブック』(12)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、まさに“旬“を迎えていた。 クーパーはこの企画の権利を、ワーナー・ブラザースと共に購入。映画化のプロジェクトがスタートした。 当初はクーパーの初監督作として検討されたが、いきなりこの題材では、荷が重い。続いて『世界にひとつのプレイブック』や『アメリカン・ハッスル』(13)でクーパーと組んだデヴィッド・O・ラッセルが候補になるが、これも実現しなかった。
その後、スティーブン・スピルバーグが監督することとなった。当初積極的にこの企画に取り組んだスピルバーグだったが、シナリオ作りが難航すると、降板。 そこで登場するのが、現代ハリウッドの巨匠クリント・イーストウッド!一説には、スピルバーグが後任を依頼するため連絡を取ったという話があるが、イーストウッド本人は、「おれはスピルバーグの後始末屋と思われているけど、それは偶然だ」などと発言しているので、真偽のほどは不明である。 イーストウッドによると、依頼が来た時は他の映画の撮影中。仕事とは関係なく、本作の原作を読んでいるところだった。 カイルは父親から、「人間には三種類ある。羊と狼と番犬だ。お前は番犬になれ」と言われて、育った。そのため、羊のような人々を狼から守ることこそ、自分の使命だと考えていた。 それが延いては、家族と一緒にいたいという気持ちと、戦友を助けたいという気持ちの板挟みになっていく。この葛藤はドラマチックで、映画になると、イーストウッドは思った。 まずは「脚本を読ませてくれ」と返答。その際依頼者から、プロデューサーと主演を兼ねるクーパーが、「ぜひクリントに監督をお願いしたい」と言ってると聞いて、話が決まったという。
クーパーは幼少の頃から、いつか仕事をしてみたいと思っていた俳優が、2人いた。それは、ロバート・デ・ニーロとクリント・イーストウッドだった。 デ・ニーロとの共演は、『世界にひとつのプレイブック』で実現した。イーストウッドについては、『父親たちの星条旗』(06)以降、いつも彼の監督作のオーディションに応募してきた。本作で遂に、夢が叶うこととなったのである。 こうして、本作にとってはクーパー曰く、「完璧な監督」を得ることとなった。実は、この物語の主人公であるクリス・カイル自身も、もし映画化するなら、「イーストウッドに監督してもらいたい」と、希望していたという。 イーストウッドが監督に決まった頃、ジェイソン・ホールは脚本を一旦完成。クーパーら製作陣に、渡した。 その翌日=2013年2月2日、クリス・カイルが、殺害された。犯人は、イラク派遣でPTSDとなった、元兵士の男。カイルは男の母親から頼まれて、救いの手を差し伸べた。ところが、セラピーとして連れ出した射撃練習場で、その男に銃撃され、命を落としてしまったのである。 クーパーもイーストウッドも、まだカイルと、会っていなかった。対面する機会は、永遠に失われた。 脚本に加え、製作総指揮も務めることになっていたジェイソン・ホールは、葬儀後にカイルの妻タヤと、何時間も電話で話をした。タヤは言った。「もし映画を作るなら、正しく作ってほしい」
イーストウッドが監督に就いたことと、この衝撃的な事件が重なって、映画化の方向性は決まり、脚本は変更となった。焦点となるのは、PTSD。戦場で次々と人を殺している内に、カイルが壊れていく姿が、描かれることとなった。 イラクへの派遣で、カイルの最初の標的となるのは、自爆テロをしようとした、母親とその幼い息子。原作のカイルは、母親の方だけを射殺するが、実際は母子ともに、撃っていた。 原作に書かなかったのは、子どもを殺すのは、読者に理解されないだろうと、カイルが考えたからだった。しかしイーストウッドは、それではダメだと、本作で子どもを狙撃する描写を入れた。 後にカイルには、再び子どもに照準を合わさなければならない局面が訪れる。その際、イラク人たちを「野蛮人」と呼び、狙撃を繰り返してきたような男にも、激しい内的葛藤が起こる。そして彼が、実はトラウマを抱えていたことが、詳らかになる。 もう一つ、原作との大きな相違点として挙げられるのが、敵方の凄腕スナイパー、ムスタファ。原作では一行程度しか出てこない存在だったが、イーストウッドは彼を、カイルのライバルに設定。その上で、その妻子まで登場させる。 即ち、ムスタファもカイルと同様に、「仲間を守るために戦う父親」ということである。この辺り、太平洋戦争に於ける激戦“硫黄島の戦い”を題材に、アメリカ兵たちの物語『父親たちの星条旗』(06)と、それを迎え撃つ日本兵たちを描いた『硫黄島からの手紙』(06)を続けて監督した、イーストウッドならではの演出と言えるだろう。
ブラッドリー・クーパーは、カイルになり切るために、肉体改造を行った。クーパーとカイルは、ほぼ同じ身長・年齢で、靴のサイズまで同じだったが、クーパーが84㌔ほどだったのに対し、筋肉質のクリスは105㌔と、体重が大きく違ったのである。 そのためクーパーは、成人男性が1日に必要なカロリーの約4倍である、8,000キロカロリーを毎日摂取。1日5食に加え、エネルギー補給のために、パワーバーやサプリメント飲料などを取り入れる生活を送った。 筋肉質に仕上げるため、数か月の間は、朝5時に起床して、約4時間のトレーニングを実施。それで20㌔近くの増量に成功した。 撮影に入っても、体重を落とさないための努力が続く。いつも手にチョコバーを握り、食べ物を口に押し込んだり、シェイクを飲んだり。撮影最終日にクーパーが、「助かった、これでもう食べなくて済む!」と呟くのを、イーストウッドは耳にしたという。
役作りは、もちろん増量だけではない。“ネイビー・シールズ”と共に、本物さながらの家宅捜査や、実弾での訓練などを行った。細かい部分では、クリス・カイルが実際に聴いていた音楽のプレイリストをかけ、常時リスニングしていたという。 こうした粉骨砕身の努力が実り、クーパーのカイルは、その家族や友人らが驚くほど、“激似”に仕上がった。 カイルの妻タヤ役に決まったのは、シエラ・ミラー。イーストウッド作品は、撮影前の練習期間がほとんどなくて、リハーサルもしない。クーパーは撮影までに、タヤ役のシエナ・ミラーとスカイプで何度か話して、夕食を1度一緒に食べた。その時彼女は妊娠していたが、それが2人の絆を深めることにも繋がったという。 クーパーとミラーはタヤ本人から、夫が戦地に居た時に2人の間で交わしたEメールをすべて見せてもらった。ミラーは目を通すと思わず、口に出してしまった。「すごい、あなたは彼のことを本当に愛していたのね」 これにより、カイル夫妻のリアルな夫婦関係を演じるためのベースができた。そのため撮影が終わって数週間、ミラーは役から抜け出すのに、本当に悲しい気持ちになってしまったという。
撮影は、2014年3月から初夏に掛けて行われた。戦争で荒廃したイラクでの撮影は難しかったため、代わりのロケ地となったのは、モロッコ。クーパーはじめ“ネイビー・シールズ”を演じる面々は、アメリカ国内で撮影して毎日自宅に帰るよりも、共に過ごす時間がずっと長くなったため、本物の“戦友”のようになったという。 その他のシーンは、カリフォルニアのオープンセットやスタジオを利用して、撮影された。 イラクの戦場に居るカイルと、テキサスに居るタヤが電話で会話するシーン。クーパーとミラーはお互いの演技のために、電話を通じて本当に喋っていた。 妊娠しているタヤが病院から出て来て、携帯電話でカイルに、「男の子よ」と言った後のシーンは、ミラーにとっては、それまでの俳優人生の中で、最も「大変だった」。喜びを伝える電話の向こう側から、銃声が響き渡る。それは愛する夫が、死の危険に曝されているということ…。 脚本のジェイソン・ホールの言う、「兵士の妻や家族たちにとって、戦争とは、リビングルームでの体験だった」ということが、最も象徴的に表わされたシーンだった。 因みにミラーが、演技する時に複雑に考えすぎていると、イーストウッドは、「ただ言ってみればいい」とだけ、彼女に囁いた。ミラーにとっては、「最高のレッスン」になったという。 脚本には、カイルが運命の日に、銃弾に倒れてしまうシーンも存在した。しかし遺族にとってはあまりにもショッキングな出来事であるため、最終的にカットされることになった。 完成した本作を観て、カイルの妻タヤは、「…私の夫を生き返らせてくれた。私は、夫と2時間半を過ごした」と、泣きながら感想を述べた。
本作はアメリカでは、賞レースに参加するため、2014年12月25日に限定公開。明けて15年1月16日に拡大公開となった。 世界興収で5億4,742万ドルを超えるメガヒットとなり、イーストウッド監督作品史上、最大の興行収入を上げた。 その内容を巡っては、保守派とリベラル派との間で「戦争賛美か否か」の大論争が起こった。イラク戦争を正当化しようとする映画だという批判に対してイーストウッドは、「個人的に私はイラク戦争には賛成できなかった」と、以前からの主張を繰り返した。 そして「これは戦争を賛美する映画ではない。むしろ終わりのない戦争に多くの人が従事しいのちすら失う姿を描いているという意味では、反戦映画とも言える」と発言している。 この作品のエンドクレジットでは、クリス・カイルの実際の葬儀の模様を映し出した後、後半部分はまったくの“無音”になる。そこにイーストウッドの、“イラク戦争”そして出征した“兵士たち”への想いが、滲み出ている。■
『アメリカン・スナイパー』© 2014 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited and Ratpac-Dune Entertainment LLC
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ド迫力のパニック描写と感動の人間ドラマで一気に見せる韓流ディザスター映画の傑作!『奈落のマイホーム』
2025.02.05
なかざわひでゆき
メインテーマは韓国でも日本でも深刻なシンクホール問題
韓国で近年社会問題となっているのがシンクホール。シンクホールとは地下水による土壌の浸食などが原因で地中に空洞が発生し、最終的に地上の表面が崩壊して出来てしまう陥没穴のこと。日本でも先ごろ(’25年1月28日)埼玉県八潮市で起きた交差点道路陥没事故が記憶に新しいだろう。以前にも’16年の福岡県博多市で起きた博多駅前道路陥没事故が大きなニュースとなったが、国土交通省の調べによると近年は日本全国で年間1万件前後もの道路陥没事故が起きているそうで、意外にも日本は知られざるシンクホール大国だったりする。
一方の韓国では、もともと朝鮮半島の大部分が花崗岩・片麻岩で構成されていることもあって、相対的にシンクホール発生の心配は少ないと考えられていたが、しかしこの十数年ほどで大都市圏を中心にシンクホール発生が頻発するようになったという。韓国国土交通部の統計によると、近ごろでは毎年100個以上のシンクホールが韓国各地で発生しているそうで、’19~’23年までの5年間の合計は957カ所に及ぶらしい。
ソウルや釜山、光州など韓国の大都市圏で発生するシンクホールの主な要因としては、地下水の流れの変化や上下水管の損傷による漏水、軟弱な地盤などが挙げられるそうだが、中でも最も多い(半数以上の57.4%)のが上下水管の損傷だという。その最大の原因は、やはりパイプの老朽化とのこと。また、人口の密集する大都市圏では、おのずと鉄道や商店街などの大規模施設を地下に増築することとなるが、その際に地下水の流れが変わって空洞が生じてしまうケースも少なくない。いずれにせよ、韓国で近年急増しているシンクホールは、大都市圏における無分別な地下空間開発が招いた「人災」だと言われている。そして、このタイムリーな社会問題をメインテーマとして取り上げ、ハリウッド映画も顔負けの手に汗握るディザスター映画へと昇華したのが、韓国で’21年度の年間興行収入ランキング2位の大ヒットを記録した『奈落のマイホーム』(’21)である。
夢にまで見た念願のマイホームが奈落の底へ…!?
舞台は大都会ソウル。中堅企業で中間管理職を務める平凡なサラリーマン、ドンウォン(キム・ソンギュン)は、地方からソウルへ移って苦節11年目にして、ようやく念願のマイホームをローンで手に入れる。ソウル市内 の下町に出来たささやかな新築マンションだ。優しくておっとりとした妻ヨンイ(クォン・ソヒョン)、誰にでも礼儀正しく挨拶する可愛い盛りの息子スチャン(キム・ゴヌ)を連れて引っ越しを終え、憧れのマイホームでキラキラの新生活を始めてウキウキのドンウォン。ぶっきらぼうで失礼な態度がイラつく何でも屋マンス(チャ・スンウォン)を除けば、隣人たちも朗らかで親切な人ばかりである。ただ気になるのは、マンションの安全性について。入居前には全く気付かなかったものの、いざ実際に生活してみると床が斜めだったり、共有部分の壁に亀裂が入っていたりするのだ。もしかすると欠陥住宅ではないのか?一抹の不安がよぎったドンウォンは、住民たちと相談して今後の対策を考え始めていた。
そんな矢先、週末に会社の部下たちを自宅へ招いて、引っ越し祝いのパーティを開くことになったドンウォン。日頃の不満が爆発したキム代理(イ・グァンス)とインターンのウンジュ(キム・ヘジュン)が酔いつぶれて泊っていく。その翌朝、爆睡しているドンウォンたちをそのままにして買い物に出かける妻ヨンイと息子スチャン。しかし荷物が大量で重たいことから、スチャンがショッピングカートを取りにひとりでマンションへ戻る。一方その頃、マンションでは深夜からの断水に困った住人たちの多くが朝から外出し、残ったマンスが断水の原因を調べようとしていた。その瞬間、大きな揺れと轟音が近隣一帯に響き渡り、大都会ソウルの住宅街に巨大シンクホールが発生。ドンウォンの住むマンションを丸ごと吞み込んでしまう。
すぐさま当局の救援隊が駆けつけて対策本部が設置され、テレビのニュース番組でも大々的に報じられた巨大シンクホール事故。しかし陥没は地下500メートルにまで達しており、携帯電話の電波はもとよりドローンのGPS信号すら届かないため、対策本部でも生存者の確認と救出をいかにして進めるのか頭を悩ませる。
一方、地底の奥深くまで一気に落下して大破したマンション。なんとか怪我をせずに済んだドンウォンとキム代理、ウンジュの3人は、こちらも屋上にて奇跡的に助かったマンスとその反抗期の息子スンテ(ナム・ダルム)と合流する。マンスから妻子が外出する姿を見かけたと聞いて安堵するドンウォン。必ず助けが来る。それまでなんとか持ちこたえねばと一致団結する5人だったが、しかしマンションの落下はさらに進んで次々と危機が襲い来る。そうした中、地上から届いた衛星電話で息子スチャンがマンション内にいることを知ったドンウォンは、危険を顧みず自ら救出へ向かうことに。しかも、他にもマンションに取り残された住人たちがいることも分かる。なんとかして、一人でも多くの命を救わねば。強い使命感に駆られるドンウォンだったが、折からの悪天候でシンクホールに大量の雨水が流れ込んでしまう…!
大都会ソウルの住宅事情やご近所事情から垣間見える現代韓国の世相
さながら人情コメディ×ディザスター・パニック×アドベンチャー・アクション。大胆不敵にジャンルをクロスオーバーしながら、これでもかと見どころを詰め込んだエンターテインメント性の高さは、さすが韓国映画!と言いたくなるところであろう。しかも、冒頭で言及したシンクホール問題だけでなく、大都会ソウルの住宅事情やご近所付き合いなど、我々日本人にとっても決して他人事ではない、現代韓国を取り巻く様々な社会問題への風刺も盛り込まれている。脚本が実に上手い。
ご存知の通り、人口が密集する大都会ソウルでは超高層マンションが次々と建設され、それに伴って不動産価格もうなぎ上りに高騰。劇中では主人公ドンウォンと部下たちが、遠くにそびえ立つ超高層マンションを眺めて溜息をつく場面があるが、そうした高級物件に手が届くのはごく一部の限られた富裕層や外国人のみ。日本の東京と似たような状況だ。ドンウォンのように平均的なサラリーマンにしてみれば、下町の小ぶりなマンションを買うだけで精いっぱいだ。それでも、実際にローンを組めるまでに11年もかかってしまった。キム代理が意中の同僚女性に告白できないでいるのも、恋敵の自宅マンションが家族から相続した持ち家なのに対し、自分は賃貸のワンルームマンション住まいだから。もはや、ソウルで理想の我が家を買うなんて夢のまた夢。そんなしがない庶民がようやく手に入れた念願のマイホームが、あろうことか無計画な地下空間開発によって発生した巨大シンクホールに吞み込まれてしまう。なんたる皮肉!なんたる悲哀!これこそが本作の核心と言えよう。
さらに、東京と同じく希薄になりがちな大都会ソウルのご近所付き合い。昔は濃密だったソウルの地域共同体も、昨今では50%以上の市民が隣人に挨拶することすらなくなったという。そもそも競争社会に揉まれる庶民は毎日の生活に精いっぱいで、なかなか周囲に気を配るだけの余裕がない。本作に出てくるマンションの住人や会社員も同様。みんな表面上は慇懃無礼で愛想よく振る舞ってはいるものの、しかし実際にはお互いに深入りせず距離を保っている。一緒に働いている同僚同士だって、実のところあまりお互いのことは知らない。一見したところ不愛想で図々しいマンスなどは、むしろ正直で裏表がない人間とも言えるだろう。そんな中で突然発生した未曽有の巨大シンクホール事故。取り残された人々は必然的に協力し合い、手を取り合って決死のサバイバルに挑む。
また、救出作戦の一環で隣接するマンションの一部を破壊する必要が生じるのだが、住民説明会に参加した居住者たちは、苦労して手に入れた我が家を守ることばかりに気を取られ、シンクホールに呑み込まれた人々の窮状にまで想像が及ばず、それゆえ救出作戦に真っ向から反対してしまう。だが、そこで一人の老人が声をあげる。隣のマンションが地中へ落下する瞬間に立ち会い、呑み込まれていく隣人の恐怖と絶望の表情を見てしまった老人。確かにこの家を買うのに20年もかかった。しかし、ここで反対したら天罰を受けるかもしれない。困っている誰かに手を差し伸べること、隣人の痛みや苦しみに想像を働かせること。スリルとサスペンスとスペクタクルを盛り上げながら、現代人が忘れがちな他者への共感や連帯の大切さを描いていく後半のサバイバル劇がまた感動的だ。観客の心を嫌がおうにも揺り動かすヒューマニズム。このエモーショナルな作劇の上手さも韓国映画ならではだろう。
監督と脚本を手掛けたのは、海洋モンスター映画『第7鉱区』(’11)や韓国版『タワーリング・インフェルノ』と呼ぶべき『ザ・タワー 超高層ビル大火災』(’12)を大ヒットさせたキム・ジフン。地下500メートルものシンクホールが韓国で発生することは現実的にあり得ない話だが、しかし’07年に南米グアテマラで深さ100メートルのシンクホールが発生したと知ったキム監督は、もしも同じくらいかそれ以上の規模のシンクホールが韓国で発生したらどうなるか?を想像してストーリーを考えたという。
やはり最大の見どころは最先端のCGを駆使した、迫力満点の大規模なディザスター・シーンだが、実は舞台となるソウル市内の住宅街はCGでもロケでもなく、撮影スタジオの敷地内に建設された実物大の巨大セット。つまり、住宅街の一角を丸ごとオープンセットとして一から建ててしまったのである。シンクホールにマンションが落下していくシーンはさすがにCGだが、しかし実際に俳優たちが演技をするマンション内部もまた実物大のセット。「CG技術がどれだけ優れていても、俳優や監督にとって最も重要なのは空間です」というキム監督は、役者が芝居に集中するためにはリアルな空間を作ることが大切だと考え、20種類以上もの実物大セットを組み合わせながら地下500メートルに転落したマンションを撮影スタジオに再現したのである。
‘19年の夏から秋にかけて撮影された本作。当初は’20年のチュソク(お盆)の大型連休に合わせて公開されるはずだったが、しかし折からのコロナ禍で延期となってしまう。改めて’21年8月6日にスイスの第74回ロカルノ映画祭で初お披露目された本作は、同年8月11日より韓国で封切り。公開6日目で早くも観客動員数100万人を突破し、年間興収ランキングでも『モガディシュ 脱出までの14日間』(’21)に次ぐ堂々の第2位を記録したというわけだ。■
『奈落のマイホーム』© 2021 SHOWBOX AND THE TOWER PICTURES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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