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アメコミの世界観をM・ナイト・シャマラン流に換骨奪胎した『アンブレイカブル』三部作
2024.04.01
なかざわひでゆき
驚きの結末で話題をさらった心霊ミステリー『シックス・センス』(’99)の大ヒットで一躍ハリウッドの注目株となったM・ナイト・シャマラン監督が、矢継ぎ早に放ったスーパーヒーロー映画らしからぬ印象のスーパーヒーロー映画『アンブレイカブル』(’00)。どこにでもいるごく平凡な中年男性が、己に秘められた超人的なパワーに目覚めていく姿を、極めてリアリスティックな人間ドラマとして描いた同作は、「映画史上最も優れたスーパーヒーロー映画のひとつ」と呼ばれるほど高く評価された。おのずと続編の可能性も噂され、実際に主演のブルース・ウィリスやサミュエル・L・ジャクソンはインタビューで続編への期待に言及し、シャマラン監督自身も続編の構想をほのめかしていたものの、しかし当時はそれっきり全く進展することがなかった。
ところが、それから16年後に公開された多重人格ホラー『スプリット』(’16)が、本編のクライマックスで実は『アンブレイカブル』の続編であったことが判明。この予期せぬサプライズに映画ファンが湧きたつ中、シャマラン監督自身が三部作の構想を正式に発表し、ほどなくして最終作となる異色のスーパーヒーロー映画『ミスター・ガラス』(’19)が完成したのである。この『アンブレイカブル』三部作がザ・シネマにて一挙放送。そこで、改めてシリーズの全貌を振り返ってみたい。
<アンブレイカブル>
物語の始まりは1961年。フィラデルフィアのデパートで妊娠中の女性客が産気づき、店員に補助されて自力で出産する。生まれた男の子をイライジャと名付ける母親プライス夫人(シャーレーン・ウッダード)。しかし、激しく泣き続ける赤ん坊の様子を変に感じた彼女は、遅れて駆けつけた産婦人科医にイライジャを診てもらったところ、胎内にいた時から既に両腕と両脚を骨折していたようだと聞かされて大きなショックを受ける。
時は移って現代。ニューヨークからフィラデルフィアへ向かう特急列車が脱線事故を起こし、乗員乗客131名が命を落とす。助かったのはたったのひとりだけ。アメフト・スタジアムの警備員として働く平凡な中年男性デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)だ。あれだけの凄惨な列車事故に遭遇しながら、かすり傷ひとつないデヴィッドの様子に首を傾げる医師。デヴィッド自身もまた、なぜ自分ひとりだけが無事だったのかと困惑する。そんなある日、彼のもとに一通の手紙が届く。そこに記されていたのは「あなたは今までの人生で何日間病気になりましたか?」という疑問。送り主はリミテッド・エディションという画廊を経営する男性イライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)。そう、40年近く前に両腕両脚を骨折した状態で生まれた人物だ。
コミックは歴史を伝える手段であり、そこに描かれる内容は誰かが実際に体験した事実だと主張するイライジャ。骨形成不全症という先天性疾患のせいで、全身の骨がガラスのように壊れやすい体質の彼は、それならば自分と正反対に決して病気や怪我などしない強靭な人間もいるに違いないと考え、大事故に遭っても無傷だったデヴィッドこそがその「スーパーヒーロー」ではないかと睨んだのである。そんなバカバカしい話があるもんかと一笑に付すデヴィッドだが、しかし実は思い当たる節が幾つもあった。
確かにこれまで一度も病気や怪我などした記憶がない。学生時代に交通事故で怪我をして、将来を有望視されていたアメフト選手を引退したことになっているが、しかしそれは妻オードリー(ロビン・ライト)と結婚するための口実に過ぎず、実際はかすり傷ひとつ負わなかった。そればかりか、彼には他人の体に触れるだけで相手が危険人物かどうかを察知する不思議な能力が備わっていた。もしかすると、自分の本当の使命はスーパーパワーを使って他人を助けることなのではないか?そう考えると、日常的に抱いている漠然とした不満の原因も見えてくる。自分のなすべきことに気付いていなかったからだ。おかげで、妻オードリーや息子ジョセフ(スペンサー・トリート・クラーク)との関係もギクシャクしてしまった。徐々に自らの秘めたパワーを自覚したデヴィッドは、自分の可能性を信じてくれる息子にも背中を押され、スーパーヒーローとしての第一歩を踏み出すのだが…?
映画の冒頭、平均的なコミックは1冊35ページ、コマ数124、価格は1冊1ドルから14万ドル以上まで幅があり、米国では1日17万2000部のコミックが販売されている云々と、いきなりアメコミに関する基本情報が淡々と紹介されて「一体なんのこっちゃ?」と思っていると、物語が進むに従って徐々に、本作がアメコミの世界をベースにしていることが見えてくる。ただし、どこまでも限りなく荒唐無稽を排した、いわば「大人向け」のアメコミ・ワールド。イライジャの経営する画廊リミテッド・エディションで、コミックの原画を買おうとした客が子供にプレゼントするつもりだと知り、コミックをバカにするんじゃねえ!と怒ったイライジャがその客を追い返す場面が出てくるが、あれはまさに本作の基本姿勢を象徴する重要なシーンだと言えよう。
そのうえで、本作はあえて「ヒーローであることを主人公が自覚するまで」の物語しか描かない。いわば、スーパーヒーロー誕生秘話である。一応、当初はヒーローとして覚醒した主人公が悪を相手に戦って大活躍するという「ありがち」な展開も考えていたシャマラン監督だが、しかしどうしても興味が湧かないためボツにしてしまったという。よくあるスーパーヒーロー映画であれば、まさにここから主人公の活躍が本格的に始まるというタイミングでジ・エンドとなる本作。しかしここで重要なのは、どこにでもいる平凡で疲れた冴えない中年のオジサンが、自分の中に眠っていた本当の自分を発見することで人生に意味を見出すこと。誰にだって何かしらの人と違った特別な才能があるはずで、その「ありのまま」の自分を肯定することによって人は初めて真価を発揮することが出来る。それこそが核心的なテーマではないかと考えると、本作の物語がここで終わることも十分に納得が出来るだろう。これはあくまでも、アメコミの世界観を応用したドメスティックな自分探しの物語。その先を描くと蛇足になってしまうからだ。
と同時に、本作はスーパーヒーローと敵対するスーパーヴィランの誕生秘話でもある。イライジャが自分と正反対の強靭な肉体を持った人間を探し求め、ようやく見つけたデヴィッドがヒーローとして覚醒するよう仕向けるのは、己の中に眠る本当の自分=ヴィランを覚醒させるため。なぜなら、善がいなければ悪は成立しないからだ。もちろん、その逆もまた真なり。いずれにせよ、物語のクライマックスではイライジャがスーパーヴィランとしての正体を現し、ガラスのように壊れやすい肉体に邪悪な魂を宿らせたミスター・ガラスとして自己を確立することになる。
ちなみに、本作のビジュアルや衣装のデザインは大きく分けて2つのカラートーンで構成されている。ひとつはデヴィッドの世界を表現するグリーンを基調とした暖かなカラー、そしてもうひとつがイライジャの世界を表現するパープルを基調とした冷たいカラー。しかし、デヴィッドが己の秘めたるパワーに気付いていくにつれ、アメコミ的なハッキリとした原色カラーが増えていく。それもまた、本作の基本設定がコミックに根差していることの象徴だ。
<スプリット>
原作のないコミック映画でありながら、あえてコミック映画を名乗らなかった『アンブレイカブル』。そこには、ストーリーのリアルな世界観を尊重するという意図もあったと思うが、しかし宣伝戦略において「コミック」や「スーパーヒーロー」のワードを使わなかったのは、それが映画会社タッチストーンによって禁止されていたからだという。なぜなら、本作が公開された’00年当時はまだMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)もDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)も存在せず、マーケットがニッチなコミック映画は客層が限定されてしまうと考えられていたからだ。しかしそれから16年後、ハリウッド映画界でアイアンマンやキャプテン・アメリカなどコミック由来のスーパーヒーローたちが大活躍する中で登場した『スプリット』もまた、その実態がコミック映画であることをばかりか、実は『アンブレイカブル』の続編であることすらオクビにも出さず公開されたのである。
大好きだった父親を亡くし、保護者となった叔父から性的虐待を受けて育った女子高生ケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)は、それゆえ幸せな家庭に恵まれた同級生たちとは馴染めず、孤独で辛い毎日を過ごしていた。そんなある日、クラスメイトのクレア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の誕生会に招かれた彼女は、クレアの父親の車で家まで送り届けて貰うことになったのだが、そこへいきなり乗り込んできた正体不明の男によって、クレアやマルシア(ジェシカ・スーラ)と一緒に誘拐されてしまう。気付くと窓のない部屋に監禁されていた3人の少女たち。怯える彼女たちの前に誘拐犯が姿を現す。
犯人はケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)という見ず知らずの若者。だが、なぜか姿を現すたびに名前も性格も性別や年齢もコロコロと変わることから、勘の鋭いケイシーは彼が解離性同一性障害、いわゆる多重人格であることに気付く。3歳の時に父親が家を出て行き、ストレスを溜めた母親から虐待を受けて育ったケヴィンは、壊れかけた心を守るために23もの人格を持つ多重人格者となってしまったのだ。そして今、超人的なパワーを持つ24番目の人格「ビースト」が目覚めようとしており、副人格のデニスとパトリシアはその「ビースト」の生贄にするため少女たちを誘拐したのだ。そのことに気付いて脱走方法を模索する3人。ケイシーは9歳の少年人格ヘドウィグと親しくなり、なんとか脱走の手助けをさせようとする。一方その頃、ケヴィンの主治医である精神科医フレッチャー(ベティ・バックリー)は、セラピーへ訪れる彼の様子がいつもと違うことから、何か不穏な事態が起きていることを察知し始めるのだが…?
というわけで、とりあえず表向きはサイコパスの多重人格者に誘拐・監禁された少女たちの恐怖と脱走劇を描く猟奇ホラー。しかし、その実態は『アンブレイカブル』と同じく変化球的なコミック映画であり、クライマックスにブルース・ウィリス演じるデヴィッドが登場することで示されるように同作の続編映画でもある。注目すべきはフレッチャー医師が劇中で披露する仮説だろう。曰く、解離性同一性障害は思考ばかりか肉体の化学反応まで変わってしまう。つまり、人間は望めば自分がそうだと信じる「完全な別人」へ変身することが出来る。それこそが、実は超能力(=スーパーパワー)の由来なのではないか。要するに、人間は誰もがスーパーヒーローやスーパーヴィランになれる可能性を秘めているというわけだ。そして実際、本作の主人公ケヴィンは野獣的な怪物である24番目の人格ビーストへと変貌し、超人的なパワーを発揮することになるのだ。
ちなみに、もともとケヴィンは『アンブレイカブル』の脚本から削除されたキャラクターで、実はスタジアムで警備中のデヴィッドとすれ違う母親と少年(母親から虐待を受けていることが示唆される)が幼少期のケヴィンとその母親だとされている。長いことこのキャラクターが脳裏から離れなかったというシャマラン監督は、改めて彼を主人公とした新しい脚本を書きおろし、かつて頓挫した『アンブレイカブル』の続編にしたというわけだ。
なお、本作はA24配給のインディーズ・ホラー『ウィッチ』(’15)で注目された女優アニャ・テイラー=ジョイにとって、初めてメジャー・ヒットとなった出演作でもある。これで彼女を知ったという映画ファンも少なくなかろう。また、フレッチャー医師役をベティ・バックリーが演じていることも見逃せない。ミュージカル『キャッツ』でトニー賞の主演女優賞に輝くブロードウェイの大女優だが、古くからの映画ファンにとってバックリーといえば『キャリー』(’76)の体育教師コリンズ先生であろう。基本的に舞台が中心で映画出演の少ない人だが、シャマラン監督と組むのは『ハプニング』(‘08)に続いてこれが2度目である。
<ミスター・ガラス>
『アンブレイカブル』の8分の1の予算で作られた『スプリット』が、興行収入では同作を大きく上回ったことから、予てよりブルース・ウィリスやサミュエル・L・ジャクソンから提案されていた三部作の完結編に着手したシャマラン監督。問題は『アンブレイカブル』の権利元がディズニー(当時の配給元タッチストーンの親会社)、一方の『スプリット』はユニバーサルが権利を持っているため、両者のキャラや設定をブレンドするとなると著作権がバッティングしてしまうことだったが、しかしシャマラン監督がディズニーのCEOショーン・ベイリーに相談したところ、ユニバーサルとの共同制作を条件に『アンブレイカブル』のキャラクターおよび映像の使用を許可される。おかげで実現したのが、『アンブレイカブル』のデヴィッド・ダンとイライジャ・プライス、そして『スプリット』のケヴィン・ウェンデル・クラムの3者が集結した『ミスター・ガラス』だった。
超人的な怪力と強靭な肉体で犯罪者を次々と成敗し、世間から「監視人(オーバーシーヤー)」と呼ばれている謎のスーパーヒーロー。その正体は平凡な中年男デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)である。かつてアメフト・スタジアムの警備員だったデヴィッドは独立して電気店を経営しつつ、相手に触れるだけで危険人物かどうか見分けられる特殊能力を活かし、息子ジョセフ(スペンサー・トリート・クラーク)の協力で犯罪の撲滅に尽力していたのである。そんな彼が現在追っているのは、24の人格が共存することから「群れ(ホード)」と呼ばれている解離性同一性障害のサイコパス、ケヴィン・ウェンデル・クラム(ジェームズ・マカヴォイ)だ。ある日、デヴィッドは偶然すれ違った風変わりな青年がケヴィンだと気付き、後を追ったところ倉庫の廃墟で彼に誘拐された生贄の女子高生たちを発見する。すぐに彼女らを解放するデヴィッド。すると、そこへ怪物的なスーパーヴィランの副人格ビーストへ変貌したケヴィンが現れ、デヴィッドと凄まじいバトルを繰り広げる。やがて、気が付くと武装した警官隊に囲まれていた2人。先頭に立つ女性科学者ステイプル博士(サラ・ポールソン)によって、彼らは身柄を拘束されてしまう。
厳重な警備体制の敷かれたレイヴン・ヒル記念病院へ送られたデヴィッドとケヴィン。そこにはなんと、薬物治療のせいで半ば廃人と化した悪漢ミスター・グラスことイライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)も収容されていた。ステイプル博士が彼らを拘束した目的は精神治療。この世にコミックのようなヒーローやヴィランなど存在しないという彼女は、あなたたちは自分に特殊能力があると思っているかもしれないが、それは精神疾患による思い込みに過ぎないとして、彼ら自身がスーパーパワーの存在を否定するよう仕向けて行く。本人のためだとして、ジェイソンやケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)、プライス夫人(シャーレーン・ウッダード)にも協力させるステイプル博士。デヴィッドおよびケヴィンの人格たちは、次第に「そうなのかもしれない…」と思い始める。一方、実は廃人のふりをしていただけのイライジャは、世間にヒーローやヴィランの存在を知らしめるための計画を実行するべく、ステイプル博士や病院スタッフの目を盗んで秘かに脱走を準備していた。果たして、彼は何をしようと計画しているのか。さらに、ステイプル博士の意外な正体と真の目的も明らかとなっていく…。
最終章にしてようやく「スーパーヒーロー」を全面的に押し出した本作。コミックは実際に起きたことを娯楽として表現した歴史の記録であり、とりあえずコミックのように派手な見た目やパワーはないかもしれないが、しかしそれでも超人的な能力を持つヒーローもヴィランも現実に存在するのだというテーマは、1作目『アンブレイカブル』の時よりも明確となっている。そういう意味で、これは「コミック映画」というよりも「コミックについての映画」と呼ぶべきであろう。そして今回もまた、よそのスーパーヒーロー映画であればここからが本番!というタイミングで終わりを迎える。なぜなら、これはスーパーヒーローについての映画ではなくコミックについての映画だから。さらに言えば、人間はみんなそれぞれに特殊な才能がある、それを否定する権利など誰にもないというメッセージこそが、実は恐らく三部作を通してのストーリー的な核心であり、だからこそ結果的にシリーズ全体がヒーローとヴィランの覚醒を描く「誕生秘話」となったのではないかと思う。
こうして一応の完成を見た『アンブレイカブル』三部作。完結編の『ミスター・ガラス』も興行的に大成功したことから、このままシリーズ続行もあり得るのではないかと噂されたが、しかしシャマラン監督本人はそれを全面的に否定している。確かに本作の結末を考えると、まあ、そこから話を続けること自体はいくらでも可能だと思うが、しかし全く意味のないものになってしまうであろうことは想像に難くない。■
『アンブレイカブル』© 2000 Touchstone Pictures
『スプリット』© 2017 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.
『ミスター・ガラス』© 2022 Universal Studios and Buena Vista International, Inc. All Rights Reserved.
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マブリーの魅力が炸裂する韓流クライム・アクション・シリーズ!『犯罪都市』『犯罪都市 THE ROUNDUP』
2023.09.29
なかざわひでゆき
遅咲きのスーパースター、マ・ドンソクとは?
今や韓国を代表する国際的スターへと成長した俳優マ・ドンソク(ハリウッドではドン・リー名義)。ボクシング仕込みの人並外れたマッチョな体格と、親しみやすくて愛らしい個性のギャップから、韓国ではマブリー(マ・ドンソク×ラブリー)という相性も定着。「気は優しくて力持ち」なヒーローを演じたら右に出る者はなく、アクション映画だけでなくコメディや人間ドラマもいけるところが強みだ。諸外国では「韓国のドウェイン・ジョンソン」と呼ばれているそうだが、しかしどこか昭和の映画スター、勝新太郎を彷彿とさせるような泥臭い魅力もある。その辺りが日本でも絶大な人気を誇る理由かもしれない。
生まれも育ちも韓国のソウルで、15歳の時に見た映画『ロッキー』に触発されてプロ・ボクサーを目指すものの、しかし父親の事業が傾いて家庭が困窮したことから、18歳でモンタナ州に住む親戚を頼って渡米。アメリカの大学で体育学を学びつつ、レストランの皿洗いからビルの清掃員、雑貨屋のレジ係から粉ミルクのセールスマン、さらにはナイトクラブの用心棒にフィットネスジムのトレーナーなど、数えきれないほどの職を転々とした苦労人だ。
総合格闘家のマーク・コールマンやケヴィン・ランデルマンのパーソナル・トレーナーを経て、’02年にオーディションを受けて合格したSF歴史大作『天軍』(’05)で本格的に俳優へ転向。あいにく同作の完成が遅れたため、出演2作目に当たる『風の伝説』(’04)がデビュー作となったものの、いずれにせよ「アクション俳優になる」という少年時代の夢を叶えるためとはいえ、30歳を過ぎてからのキャリア・チェンジは大きな決断だったはずだ。さらに、規格外の体型ゆえに適した役がなかなかなく、俳優として軌道に乗るまで時間もかかってしまった。
・『犯罪都市』('17)
大きなブレイクを果たしたのは、世界的な大ヒットを記録したゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(’16)。見た目は厳ついけど心優しくて正義感が強い男性で、身重の妻を守るためゾンビの犠牲になるという役どころはまさに「儲け役」で、これを機に韓国のみならず世界から注目を集めることになる。以降、アメリカでのリメイクも決まった韓流ノワール『悪人伝』(’18)などの主演作が続々と作られ、マーベル映画『エターナルズ』(’21)では念願のハリウッド進出も果たしたマ・ドンソク。そんな彼の代表作にしてライフワークとも呼べるのが、韓国の年間興収ランキングで3位をマークした『犯罪都市』(’17)に始まるバイオレンス・アクション映画「犯罪都市」シリーズである。
実は苦労人同士の友情から生まれた企画だった!
まずは記念すべき1作目から振り返ってみよう。
舞台は’04年のソウル。クムチョン警察の凶悪犯罪対策部署「強力班」に所属するマ・ソクト副班長(マ・ドンソク)は、相手が屈強な男でもパンチ一撃で失神させるほどの怪力の持ち主だ。彼が管轄とするのはカリボンドン地区のチャイナタウン。ここは’90年代に中国から大勢の同胞が移住した街で、今では乱立する朝鮮族の暴力団が縄張りを巡って争っている。基本的に、警察とヤクザは持ちつ持たれつの間柄。血気盛んな暴力団員たちが一線を超えぬよう睨みをきかせつつ、パワーバランスの均衡とチャイナタウンの平和を守るのが強力班の主な役割だ。ところが、そんな折に朝鮮族系暴力団・毒蛇組の組長がバラバラ死体で発見され、地域最大の韓国系暴力団の縄張りまで荒らされてしまう。
犯人は中国のハルビンを根城にする朝鮮族系チャイニーズ・マフィア、黒竜組のボス、チャン・チェン(ユン・ゲサン)。幹部2人と借金の取り立てに密入国したチャンは、毒蛇組の組長を殺害して組織を乗っ取り、チャイナタウンで乱暴狼藉の限りを尽くしていく。その狂犬のごとき残忍さと無鉄砲な横暴さには、さすがのマ副班長も手を焼いてしまうのだった。警察上層部から一刻も早い解決を迫られる強力班。そこでマ副班長はチャイナタウンの住民たちに協力を仰ぎ、チャンに乗っ取られた毒蛇組の一斉検挙に乗り出そうとするのだが…?
・『犯罪都市』('17)
いやあ、これはまんま’70年代東映の実録ヤクザ路線ですな!その辣腕で暴力団組織と真っ向から対峙しつつ、一方で賄賂や接待も平然と受けている不良刑事役のマ・ドンソクは、さながら『県警対組織暴力』(’75)の菅原文太である。必要とあれば、暴行尋問に不法侵入などの違法捜査なんぞ朝飯前。清廉潔白なヒーローとは口が裂けても言えないが、しかしその反面、部下思いで女性や子供にも優しく、杓子定規なルールよりも人情を重んじる懐の深い刑事だ。しかも、ハンパなく強いのだよね!どれだけ凶暴かつ凶悪なヤクザだろうとも、マ副班長の超重量級パンチや背負い投げを食らったらひとたまりもない。『イコライザー』シリーズのデンゼル・ワシントン同様、絶対に負けない男だ。マ・ドンソクが最も得意とする「気は優しくて力持ち」を極めたような、最高に愛すべきスーパー・ダーティ・ヒーロー。このキャラクターを主人公に据えた時点で、本作の成功は約束されたも同然だったと言えよう。
2004年のクムチョン警察による朝鮮族系組織の一掃作戦を基にしたフィクション、と冒頭テロップで解説されている通り、実際に起きた事件からヒントを得た作品。ただし、劇中の黒竜組のモデルになったチャイニーズ・マフィア、黒死病組の検挙は’07年のことだったという。恐らく、現実には映画よりも長いスパンがかかったのだろう。チャイニーズ・マフィアの連中がカラオケボックスで従業員の片腕を切り落としたのも、チャイナタウンの住民が警察の捜査に協力したのも実話。そういう意味でも、本作は韓国版・実録ヤクザ映画と呼ぶに相応しいだろう。
監督と脚本を手掛けたのはマ・ドンソクと同い年で、お互いに無名時代からの親友だったカン・ユンソン。’98年に留学先のアメリカで撮った短編映画が釜山国際映画祭などで高く評価されたカン監督は、韓国の投資会社から出資の申し出を受けてメキシコを舞台にした長編映画を企画するものの、あろうことか投資会社の会長が逮捕されたために断念。その後、再び持ち上がった長編映画のプロジェクトも投資会社の倒産でお蔵入りし、奥さんと衣料品店を経営しながら映画製作のチャンスを待ち続けたところ、準備に3年をかけた本作『犯罪都市』で念願の長編デビューを果たしたという苦労人だ。まさに3度目の正直というヤツですな。そもそも、本作の企画自体がマ・ドンソクの提案だったそうなので、恐らく長年の親友の監督デビューを手助けしたいという気持ちもあったのだろう。清濁併せ呑んだマ副班長ら強力班チーム面々の、少々荒っぽくも人間味があって憎めない魅力は、世の酸いも甘いも噛み分けたカン監督だからこそ、説得力を持って描くことが出来たのかもしれない。
ちなみに、実際のカリボンドンのチャイナタウンは賑やかな商店街で、さすがに映画のロケ撮影を行うのは難しかったため、ちょうど再開発中だったシンギルドン地区の空き地に本物ソックリのチャイナタウンを丸ごと再現したのだそうだ。さすがは韓国映画、やることが大胆である。
・『犯罪都市 THE ROUNDUP』('22)
2作目はユーモアもバイオレンスも格段にスケールアップ!
先述したように、韓国ではその年の年間興収ランキングで3位という大ヒットを記録した『犯罪都市』。実は、マ・ドンソクによると当初からシリーズ化の構想はあったらしく、自身が韓国で設立した製作会社ビッグ・パンチ・ピクチャーズも制作に加わり、マ副班長と強力班メンバーのその後を描いた続編『犯罪都市 THE ROUNDUP』(’22)が完成する。
前作から4年後の2008年。かつてカリボンドンの宝石強盗事件に関わった下っ端のチンピラ、ジョンフンが、なぜか逃亡先であるベトナムのホーチミンで自首したとの報告が入り、クムチョン警察強力班のマ・ソクト副班長(マ・ドンソク)は、上司のチョン・イルマン班長(チェ・グィファ)の付き添いとして、凶悪犯罪者の引き渡しのために現地へ赴くことになる。「いやあ、海外出張なんて久しぶりだね!」「休暇を兼ねて思い切り羽を伸ばそうぜ!」とルンルン気分の2人。しかし、実際にジョンフンを目の前にしたマ副班長は、優秀なベテラン刑事としての鋭い勘が働く。こいつ、何か隠してやがるな。白を切り続けるジョフンにイラっとした彼は、チョン班長の積極的な黙認のもとで得意の暴行尋問を決行。その結果、ジョンフンがベトナムで韓国人の誘拐殺人事件に関わっていたことが判明する。
韓国では年間300人を超える犯罪者が海外へ逃亡し、その多くは東南アジアに潜伏。同胞の韓国人を狙った犯罪を引き起こしているという。ジョンフンもそんな逃亡犯のひとり。今回、ベトナムに潜伏していた彼は、同じような韓国人逃亡犯カン・ヘサン(ソン・ソック)と組んで、ベトナムで派手に金を使っていた韓国の青年実業家チェ・ヨンギを誘拐したのだが、しかし残忍極まりないサイコパスのカンは逃げようとした人質を呆気なく殺害。その後先を考えない凶暴さに恐れをなしたジョンフンは、韓国領事館に自首することで自分の身を守ろうとしたのだ。そうと知ったマ副班長とチョン班長は、韓国警察に捜査権のないベトナムで勝手に独自の捜査を開始。すると、チェ・ヨンギを含む4名の遺体が発見される。カンは他にも人を殺していたのだ。
その頃、カンはチェ・ヨンギが既に死んでいることを隠し、その父親である大企業経営者チェ・チャンベクに身代金を要求。しかし裏社会に通じたチェ社長は脅しに屈する相手ではなく、それどころか反対にカンを抹殺するべくプロの殺し屋組織をベトナムへ送り込んでいた。潜伏先のアパートを見つけ出し、カンとその相棒に襲い掛かる殺し屋一味。ところが、狂犬のようなカンたちは見境なく暴れまくり、たった2人で大勢の敵を皆殺しにしてしまう。そこへ乗り込んできたマ副班長とチョン班長だが、あと一歩のところでカンを取り逃がしてしまった。彼が韓国へ密入国したとの情報を得た2人は、すぐさま帰国して捜査網を張り巡らせるのだったが…?
『犯罪都市 THE ROUNDUP』('22)
国際規模にスケールアップしたシリーズ第2弾。前作と同様、今度もストーリーの元ネタとなった実際の事件がある。それが’08~’12年にかけてフィリピンで起きた韓国人の連続誘拐殺人事件。フィリピンへ逃げた韓国人の殺人犯たちが誘拐グループを組織し、同胞である韓国人の旅行者を誘拐しては身代金を要求していたという。事件として表面化した犯行は19件だが、実際はそれを遥かに上回る未発覚の余罪があるとのこと。一部の被害者は身代金の支払い後に解放されたが、しかし殺されてしまった被害者も多かったそうで、その正確な数はいまだに掴めていないらしい。
演出は前作のカン・ユンソン監督から、その助監督だったイ・サンヨンへとバトンタッチ。要するに、2作続けて新人監督が演出を担当している。シニカルなブラック・ユーモアとハードなバイオレンスを絶妙なバランスで交えつつ、いかにもアジア的で湿度の高い義理人情の世界を描いていた前作に対し、本作はよりハリウッド的とも言えるドライなアプローチが印象的だ。中でも、ルール無視の暴れん坊刑事・マ副班長と、なにかと愚痴をこぼしながらも意外と積極的に協力する上司・チョン班長の、『リーサル・ウェポン』さながらの名コンビっぷりは最高だ。何を考えているのか全く分からない狂犬カン・ヘサンの、未知の怪物的な得体の知れなさも強烈である。
なお、ストーリー前半でベトナムを舞台にしている本作だが、実は撮影に入る前の段階でコロナ感染が拡大してしまい、当初予定されていたベトナム・ロケを一旦延期。海外スタッフを集めた現地の撮影部隊を別途編成し、イ・サンヨン監督ら韓国のメイン部隊がリモートで指示を送り、その通りに撮影されたベトナムの風景映像に役者をCGで合成して仕上げたという。つまり、従来の意味における現地ロケは行っていないのである。いやあ、これは全く気付きませんでしたな!
かくして、韓国歴代興行収入ランキング3位という前作以上の大ヒットを記録し、コロナ禍の影響で停滞していた韓国映画界が再び活性化する起爆剤になったとも言われる『犯罪都市 THE ROUNDUP』。本国では既に青木崇高や國村隼も出演している3作目『犯罪都市3』(‘23・邦題未定)も公開済み。来年には4作目の公開も控えている。最終的にはシリーズ8本、スピンオフ2本の合計10本が作られる予定で、韓国版『ワイルド・スピード』的なフランチャイズ化を目指しているのだそうだ。■
『犯罪都市』© 2017 KIWI MEDIA GROUP & VANTAGE E&M. ALL RIGHTS RESERVED『犯罪都市 THE ROUNDUP』© 2022 ABO Entertainment Co., Ltd. & BIGPUNCH PICTURES & HONG FILM & B.A.ENTERTAINMENT CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED.
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平凡な兵士の勇気と戦場の悪夢を全編ノンストップで描いた戦争映画大作『1917 命をかけた伝令』
2022.09.05
なかざわひでゆき
サム・メンデス監督の祖父の記憶をヒントに生まれたストーリー
処女作『アメリカン・ビューティ』(’99)がオスカーの作品賞や監督賞など主要5部門を独占し、以降も『ロード・トゥ・パーディション』(’02)や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(’08)などで賞レースを賑わせた名匠サム・メンデス。さらに、『007 スカイフォール』(’12)に『007 スペクター』(’15)と、立て続けに2本のジェームズ・ボンド映画をメガヒットさせたわけだが、しかしそれっきり撮りたいと思うような作品がなくなったという。どの脚本を読んでも、いまひとつ気に入らなかったメンデス監督。そんな折、プロデューサーのピッパ・ハリスから「それなら自分で脚本を書いてみたら?」と勧められ、真っ先に思い浮かんだのが、子供の頃より祖父から聞いていた第一次世界大戦の思い出話だったという。
サム・メンデス監督の祖父とは、トリニダード・トバゴ出身の作家アルフレッド・ヒューバート・メンデス。15歳でイギリスへ渡って教育を受けた祖父アルフレッドは、1917年に19歳で第一次世界大戦へ出征し、キングス・ロイヤル・ライフル連隊の第1大隊に配属されている。その任務は各指揮所に指示を伝える伝令役。身長163センチと非常に小柄だったため、敵に見つかることなく無人地帯を駆け抜けることが出来たらしい。その当時の様々な思い出話を、祖父の膝の上で聞いて育ったというメンデス監督。いずれは映画化したいと考えていたそうだが、今まさにそのタイミングが訪れたというわけだ。
ただし、それまで映画の脚本を手掛けたことがなかった彼は、自身が製作総指揮を務めたテレビシリーズ『ペニー・ドレッドフル 〜ナイトメア 血塗られた秘密〜』(‘14~’16)のスタッフライターだったクリスティ・ウィルソン=ケアンズに執筆協力を依頼。早くから彼女の才能を高く買っていたメンデスは、それまでにも幾度となく共同プロジェクトを準備していたが、しかし実現にまで至ったのは本作が初めてだった。メンデスが祖父から聞いた逸話の断片と、クリスティが膨大な資料の中から選んだ複数のエピソードを繋ぎ合わせ、ひとつの脚本にまとめあげたという。それがアカデミー賞10部門にノミネートされ、撮影賞など3部門に輝いた戦争映画『1917 命をかけた伝令』だった。
仲間の命を救うため戦場を駆け抜けた若者たち
時は1917年4月6日。フランスの西部戦線ではドイツ軍が後退し、連合国軍はこの機に乗じて総攻撃を仕掛けるつもりだったが、しかしこれはドイツ軍による巧妙な罠だった。航空写真によって、敵が秘かに待ち伏せしていることを確認したイギリス陸軍。明朝に突撃する予定のデヴォンシャー連隊第2大隊に一刻も早く伝えねばならないが、しかし肝心の電話線がドイツ軍によって切断されていた。そこで指揮官のエリンモア将軍(コリン・ファース)は、14.5キロ先の第2大隊へ伝令役を派遣することを決める。
この大役を任せられたのが若き下士官のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)。実際に指名されたのは、兄ジョセフ(リチャード・マッデン)が第2大隊に所属するブレイクで、スコフィールドは彼の親友であることから同行することになった。第2大隊の指揮官マッケンジー中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)に作戦中止の命令を伝え、兵士1600名の命を救わねばならない。タイムリミットは明朝。そこかしこに遺体の散らばった無人地帯を乗り越え、いつどこで敵兵と遭遇するか分からない戦場を突き進むスコフィールドとブレイク。だが、そんな彼らの前に次々と過酷な試練や困難が待ち受ける…。
味方の部隊に重大な指令を伝えるため、2人の若い兵士が命がけで戦場を駆け抜けるという極めてシンプルなプロット。そんな彼らが行く先々で目の当たりにする光景や、敵味方を含めた人々との遭遇を通じて、あまりにも不条理であまりにも残酷な戦争の現実が、まるで悪夢のように描かれていく。ストーリーそのものはフィクションだが、そこに散りばめられた逸話の数々は、メンデス監督の祖父をはじめとする当事者たちの実体験に基づいているのだ。
第二次世界大戦に比べると、映画の題材となることの少ない第一次世界大戦。その理由のひとつは恐らく、悪の権化たるナチスや大日本帝国を倒すという人類共通の大義名分があった第二次世界大戦に対して、第一次世界大戦にはそうした純然たる悪が存在しなかったからなのだろう。しかし見方を変えれば、だからこそ戦争の愚かさがよりハッキリと浮き彫りになる。要するに、未来ある若者を戦地へ送り込んだ各国リーダーの罪深さ、それこそが第一次世界大戦における本質的な悪だったとも言えるのだ。
それゆえ、本作では敵のドイツ軍兵士も残虐非道な悪人などではなく、放り込まれた戦場での殺し合いに右往左往し、直面する死に恐れおののく平凡な人間として描かれる。「自分がたまたまイギリス人だから主人公も英国兵だけれど、実際はどこの国の兵士が主人公でも通用する物語だ」というメンデス監督。きっとイギリスだけではなく、ドイツにもフランスにもロシアにも、彼らのように仲間を救うため命をかける兵士たちがいたに違いない。この時代も国境も越えた揺るぎない普遍性こそが、この映画に備わった真の強みなのであろう。
細部まで計算し尽くされた疑似ワンカット演出
劇場公開時には、全編ワンカットの臨場感あふれる映像が大きな話題となった本作。観客に戦争を追体験させることで、人類の負の歴史を次世代へ語り継ぎたいと考えたメンデス監督と製作陣。そのために最も有効な手法と考えられたのが、カメラが最初から最後まで切れ目なく主人公と一緒に戦場を疾走するワンカット演出だったのである。ただし、実際は複数の長回しショットをつなぎ目が分からないように編集した疑似ワンカット。例えば、ドイツ軍塹壕の室内はスタジオセットだが、実は出口の直前で屋外セットのロケ映像に切り替わっている。また、スコフィールドが川へ飛び込んでからの映像も、激流に呑み込まれるシーンはラフティング施設で撮影されているが、滝に落ちてから先はティーズ川でロケされている(ちなみにロケ地は全てイギリス国内)。
とはいえ、シークエンスによっては10分~20分もノンストップでカメラを回さねばならず、なおかつ被写体を後ろから追ったかと思えば前方に回ったり、クロースアップのため接近したかと思えば引きのロングショットで背景を捉えたりと、カメラワークも流動的で非常に複雑。そればかりか、クレーンショットにステディカムショット、ジープやバイクを使った移動ショットなど、ひとつのシークエンスで幾つものカメラ技法を駆使している。そのため、撮影に際しては一連のカメラや役者の動きを具体的に細かく指示した図面を作成。それを基に入念なリハーサルを繰り返したという。
さらに、リハーサルでは移動やセリフにかかる時間も細かく記録し、それに合わせてセットの寸法サイズなどを決定。例えば冒頭の塹壕シーン。まずは何もない平地で役者とカメラを動かして何度もリハーサルを行い、シークエンス全体に必要な通路の長さや避難壕の広さを計算している。その際、ハプニングが起きる場所ごとに立ち位置をマーキング。それらの記録をベースにして、塹壕セットを建設したのだそうだ。もちろん、果樹園と農家のセットなども同様の方法で建設。そう、まるで100年以上もそこに建っているかのような生活感の漂う農家も、実は本作の撮影のため更地に作られたセットだったのである。
このようにして、まるで観客自身がその場に居合わせているような、臨場感と没入感のある映像を作り上げていったサム・メンデスと撮影監督のロジャー・ディーキンス。ただ、この手法には大きな弊害もあった。照明を使えなかったのである。なにしろ、カメラは絶え間なく移動しているうえ、縦横無尽に向きを変えるため、現場に余計な機材を置くとカメラに映り込んでしまう。それでも屋外シーンでは自然光を使えるが、問題は室内シーンと夜間シーンである。そのため、ドイツ軍塹壕の室内では懐中電灯を照明代わりに使用。また、戦火に見舞われた町エクーストを舞台にした夜間シーンでは、燃え盛る教会の炎(実は巨大照明が仕込まれている)と照明弾が暗闇を明るく照らしている。
このエク―ストの巨大セットがまた素晴らしい出来栄え!もともとは破壊される前の街並みを丸ごとセットとして建設。それを撮影のためにわざわざ壊したのだそうだ。なんとも贅沢な話である。しかも、ただ照明弾を打ち上げてセットを照らすのではなく、俳優やカメラの動きと調和するようにタイミングを計算して発射。その甲斐あって、まるで夢とも現実ともつかぬ幻想的で神秘的なシーンに仕上がっている。
さらに本作は、主人公スコフィールドとブレイクのキャスティングも良かった。観客がすんなりと感情移入できるよう、メンデス監督はあえて一般的な知名度の低い若手俳優を起用。スコフィールド役のジョージ・マッケイにブレイク役のディーン=チャールズ・チャップマンと、どちらも子役時代から活躍している優れた役者だが、しかし本作以前は決してメジャーな存在とは言えなかった。中でも、古風な顔立ちと素朴な佇まいのマッケイは、100年前の若者を演じるにはピッタリ。繊細で内向的な個性と少年のように無垢な表情が、ナイーブで実直なスコフィールドの苦悩と哀しみと勇気を見事に体現している。一方のチャップマンも鬼気迫るような大熱演を披露。ブレイクがドイツ兵に腹を刺され、段々と血の気が引いて顔が青ざめていくシーンは、メイクでも加工でもなく純然たる演技だというのだから驚く。
かくして、全編ワンカットという映像的な技巧に甘んずることも頼ることもなく、悪夢のような戦争の記憶を未来へと語り継ぐ力強い反戦映画を作り上げたサム・メンデス監督。’22年12月に全米封切り予定の次回作『Empire of Light』(’22)は、’80年代を舞台にした恋愛映画とのことだが、初めて単独でオリジナル脚本を手掛けているのは、恐らくこの『1917 命をかけた伝令』で培った経験と自信あってこそなのだろう。■
『1917 命をかけた伝令』© 2019 Storyteller Distribution Co., LLC and NR 1917 Film Holdings LLC. All Rights Reserved.
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本家シリーズとは一味違うスパイアクション系のバディ・ムービー『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』
2021.10.11
なかざわひでゆき
犬猿の仲のホブスとデッカードが迷コンビに!?
映画史上最も成功したフランチャイズのひとつとも呼ばれる『ワイルド・スピード』シリーズ。これはその初めてとなるスピンオフ映画だ。主人公は元DSS(アメリカ外交保安部)捜査官のルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)と、元MI6(イギリス秘密諜報部)エージェントのデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)。お互いに顔を合わせれば憎まれ口ばかり叩く犬猿の仲の2人が、人類の滅亡を招く危険なウィルスを巡って、謎の巨大ハイテク組織の陰謀を阻止するべくタッグを組む。当初はストリートレース物としてスタートしながらも、作品を重ねるごとに『ミッション:インポッシブル』化の進んでいる本家シリーズだが、本作などはまさにスパイ映画の王道とも呼ぶべき作品に仕上がっている。
もともとは本家5作目『ワイルド・スピード MEGA MAX』(’11)で、国際指名手配されたドミニク(ヴィン・ディーゼル)とブライアン(ポール・ウォーカー)を追いつめる捜査官として登場したホブス。一方のデッカードは、6作目『ワイルド・スピード EURO MISSION』(’13)のメイン・ヴィラン、オーウェン・ショウ(ルーク・エヴァンズ)の兄としてクライマックスに登場し、次作『ワイルド・スピード SKY MISSION』(’15)では大怪我をした弟の復讐のため主人公たちの前に立ちはだかった。それが、どちらも紆余曲折を経てドミニクらファミリーとタッグを組むことに。8作目『ワイルド・スピード ICE BREAK』(’17)では、ひょんなことから行動を共にするようになったホブスとデッカードのコミカルないがみ合いが大きな見どころのひとつとなった。
このホブスとデッカードの凸凹コンビの面白さにプロデューサー陣が着目したことから、兼ねてより計画されていたシリーズ初のスピンオフ映画を、ホブスとデッカードのコンビで作ることが決まったのだという。ただ、この2人を主人公とすることには本家シリーズのレギュラー・キャストから異論もあったらしく、ヴィン・ディーゼルとドウェイン・ジョンソンが仲違いする原因になったとも伝えられている。本家シリーズのプロデューサーでもあるディーゼルが本作には参加せず、最新作『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』(’21)にジョンソンが出演しなかった理由もそこにあるのかもしれない。
殺人ウィルスの脅威から世界を守れ!
舞台はイギリスのロンドン。MI6の特殊部隊がハイテク・テロ組織「エティオン」のトラックを襲撃する。正体不明の黒幕「ディレクター」が率いるエティオンは、テクノロジーで人類の未来を救うという目標を掲げており、そのために邪魔な弱者を抹殺する殺人ウィルスを開発していた。特殊部隊の使命はその殺人ウィルスを奪うことだったが、しかしそこへエティオンによって肉体改造された無敵の暗殺者ブリクストン(イドリス・エルバ)が現れ、チームは皆殺しにされてしまう。唯一生き残ったMI6工作員ハッティ(ヴァネッサ・カービー)は、ウィルスを自らの体内に注入して逃走。ところが、エティオンの情報操作によって裏切り者に仕立てられ、指名手配されることとなってしまう。
一刻も早くウィルスを回収せねば人類は存亡の危機に瀕する。合同で捜査に当たることとなったCIAとMI6は、ハッティを生け捕りにするために2人の最強エージェントに協力を要請する。元DSSのルーク・ホブスと元MI6のデッカード・ショウだ。しかしこの2人、顔を合わせればお互いに悪態をつかずにはいられない犬猿の仲。たちまち罵り合いとなり、けんか別れしてしまう。だが、実は逃亡中のハッティはデッカードの妹。真相を探るべく妹の部屋へ忍び込んだ彼は、エティオンの一味に襲撃され、ハッティが罠にはめられたことに気付く。一方、ロンドン市内の監視カメラをチェックしたホブスは、ハッティの行動を先読みして捕らえることに成功する。
CIAのロンドン・オフィスでハッティを尋問するホブス。妹を助けようと乗り込んで来るデッカード。するとそこへ、ブリクストン率いるエティオンの特殊部隊が乱入し、ハッティを連れ去ろうとする。なんとか彼女を取り戻し、激しいカーチェイスの末に逃げおおせたホブスとデッカードだったが、しかしまたもやエティオンはメディア報道を操作し、彼らをテロ計画の主犯格に仕立ててしまう。今や揃ってお尋ね者となったホブスとデッカード、ハッティの3人。ウィルスを開発したロシア人科学者アンドレイコ(エディ・マーサン)から情報を得た彼らは、ハッティの体内からウィルスを抽出して保管するための装置を略奪すべく、ウクライナにあるエティオンの秘密研究所へ忍び込もうとするのだが…!?
サモアの全面対決では日本映画へのオマージュも!
『ワイルド・スピード』シリーズらしい派手なカーチェイスを交えつつも、本家とは違ったスピンオフならではの路線を摸索し、スパイアクション系のバディ物に仕上げたのは『アトミック・ブロンド』(’17)や『デッドプール2』(’18)のデヴィッド・リーチ監督。ノークレジットで『ジョン・ウィック』(’14)の共同監督を務めたのはご存知の通り。『ファイト・クラブ』(’99)や『オーシャンズ11』(’01)などでブラッド・ピットのボディダブルを担当し、『300<スリーハンドレッド>』(’07)や『ボーン・アルティメイタム』(’07)にも参加した元スタントマンだけあって、特にファイト・シーンの演出が凝っている。中でも見ものは、スプリットスクリーンを交えながら同時進行する2つのアクションを交互に見せることで、登場人物たちの個性や特徴を際立たせていく手法であろう。
例えば、ロサンゼルスのホブスとロンドンのデッカードが、それぞれ犯罪組織のアジトを襲撃する冒頭シーン。腕力と勢いでアジア系ギャングをなぎ倒していくホブスと、華麗な格闘技でクールにロシアン・マフィアを一網打尽にするデッカードの対比は、2人がまるで正反対な個性の持ち主であることを如実に表している。前者が華やかな暖色系で後者がスタイリッシュなネオンカラーと、使用されるライティングも対照的だ。しかし、よく見るとその戦術には不思議と共通するものがあり、本質的には2人が似た者同士であるということも示唆される。だからこそ、お互いのことが疎ましく感じられるのだろう。また、ハッティの部屋でエティオンの一味と戦うデッカード、裏通りで待ち伏せしていたホブスと戦うハッティの対比も、そのよく似た格闘スタイルから2人が兄妹であることがよく分かる。さらにこのシーンでは、まるでペアダンスを踊るように息の合ったホブスとハッティの戦いっぷりを通して、いずれ2人の関係が親密になるであろうことも予想させる。どちらもスタントマン出身のデヴィッド・リーチ監督だからこその、アクションがただのアクションに終わらない名シーンと言えるだろう。
そのホブスとハッティの関係性を友達以上恋人未満のままに止め、あえて余計な恋愛要素を絡めなかったクリス・モーガンの脚本も賢明だ。あくまでも本作の主軸はホブスとデッカードのちょい捻くれたブロマンス。男女の色恋はそこに水を差すことになってしまう。そもそも、ハッティはホブスやデッカードに負けないほど強くて賢い女性。3人が対等な関係を築くうえでも、恋愛要素は邪魔になるだけだ。その代わりと言ってはなんだが、本作の裏テーマ(?)と呼ぶべきなのが「ファミリーの絆」であろう。これは本家シリーズから継承された大切な要素。デッカードとハッティの母親マグダレーン(ヘレン・ミレン)も登場し、過去の誤解が原因で断ち切られた息子と娘の関係修復を願う。だが、さらに大きくフォーカスされるのはホブスのファミリー。本作では初めて彼のルーツが明かされる。
実は南太平洋の島国サモアの出身だったホブス。終盤では数十年ぶりにサモアへ戻ったホブスが家族と和解し、デッカードやハッティとも協力して宿敵ブリクストン一味との全面対決に挑む。ご存じの通り、演じるドウェイン・ジョンソン自身も国籍・出身こそアメリカだが、しかし家族のルーツはサモア。父親のロッキー・ジョンソンはアフリカ系アメリカ人だったが、しかし母方の祖父ピーター・メイビアはサモア出身の移民一世で、サモア系プロレスの名門アノアイ・ファミリーの一員でもあった伝説的なプロレスラーだ。サモアでの対決シーンでは、ホブスが敵の顔面に噛みつく場面があるのだが、実はこれが祖父へのオマージュなのだという。かつて2度に渡って来日したことのあるメイビアは、東京の居酒屋で飲んでいた際に別のレスラーと喧嘩騒ぎを起こし、相手の顔面に噛みついたことがあったらしい。この武勇伝(?)をジョンソンは本作で再現したのである。さらに、アノアイ・ファミリーの仲間で遠縁の親戚でもあるプロレスラー、ジョー・アノアイ(別名ロマン・レインズ)がホブスの弟役で登場。ロケ撮影にはジョンソンの母親も見学に訪れたらしいが、これはホブスだけでなくドウェイン・ジョンソンにとっても、自らのルーツにリスペクトを捧げる重要なストーリーラインだったと言えよう。
なお、サモアのシーンはハワイでの撮影。ホブスたちが敵を迎え撃つため、島の砂糖工場跡に罠を仕掛けるという筋書きは、デヴィッド・リーチ監督が大好きだという日本映画『十三人の刺客』(恐らく三池崇史版)へのオマージュだ。また、前半のハイライトであるロンドン市街でのカーチェイスは主にグラスゴーで撮影され、さらにロサンゼルスのユニバーサル・スタジオに組んだオープンセットでの追加撮影映像を編集で混ぜ込んでいる。リーチ監督によると、オリジナルのディレクターズ・カットは2時間40分にも及んだらしい。
果たして、邪悪なテロ組織エティオンを操るディレクターとは一体何者なのか?という大きな謎を残して終わる本作。当然ながら続編となる第2弾も予定されており、既に企画も動き出しているという。脚本にはクリス・モーガンが再登板。撮影時期や公開時期は未定だが、そもそも本家シリーズでシャーリーズ・セロンが演じた悪女サイファーが主人公のスピンオフも控えているため、どちらが先になるのか気になるところだ。■
『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』© 2019 UNIVERSAL CITY STUDIOS PRODUCTIONS LLLP. ALL RIGHTS RESERVED.
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ピーター・ジャクソンが製作を手掛けたスチームパンクなアドベンチャー大作『移動都市/モータル・エンジン』
2021.08.11
なかざわひでゆき
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『ホビット』シリーズの製作チームが再集結したスチームパンク系のファンタジー・アドベンチャーである。原作はイギリスのSF作家&イラストレーターのフィリップ・リーヴが発表した小説「移動都市」4部作の第1弾『移動都市』。荒野を移動する巨大都市が小さな都市を捕食し、さらに巨大化していくという独創的なコンセプトのもと、争いに明け暮れる弱肉強食の世界で自由と共存を求める反逆者たちの物語を描く。
人物関係や設定が複雑に入り組んだ作品ゆえ、本稿ではなるべく全体像が掴みやすくなるよう、背景を含めたストーリーをかみ砕きながら説明していこう。なお、一部ネタバレが含まれているため、なるべく本編鑑賞後にお読み頂きたい。
巨大移動都市が荒野を駆け巡る西方捕食時代の物語
舞台は遠い未来のこと。高度に発達した人類の文明は、2118年に起きた「60分戦争」によって滅亡。生き残った人々の多くはノマド(放浪民)となり、エンジンと車輪を用いた都市を形成して移動するようになる。これが「偉大なる西方捕食時代」の幕開け。人類の文明はハイテクからアナログへと後退し、人々は限りある食料やエネルギーを奪い合い、弱者は狩られて強者は勢力を拡大していった。
それからおよそ1600年後、かつてヨーロッパだった広大な荒野を支配し、小さな都市を次々と捕食していくのは巨大移動都市ロンドン。彼らは捕食した都市の資源を再利用し、そこに暮らしていた人々を奴隷化することで、さらに大きく成長し続けていた。ロンドンの内部は7つの層で構成されており、階層を上がるごとに住民の生活も豊かになっていく。いわば未来の新階級制度だ。最上層では特権階級の人々が暮らし、セント・ポール大聖堂などの歴史的建造物がそびえ立ち、失われたハイテク文明(通称オールドテク)の遺物を展示する博物館も存在する。その博物館で働く歴史家見習いの青年が、最下層出身者のトム・ナッツワーシー(ロバート・シーアン)だ。
そんなある日、逃げ遅れた小さな採掘都市がロンドンに捕食される。そこに紛れ込んでいたのが、ロンドンの史学ギルド長ヴァレンタイン(ヒューゴ・ウィーヴィング)に復讐を誓う少女ヘスター・ショウ(ヘラ・ヒルマー)だ。ロンドンの人々から尊敬される博識な歴史学者で、今やロンドン市長(パトリック・マラハイド)に次ぐナンバー2の権力を持つヴァレンタインだったが、実は他人に知られてはならない裏の顔と暗い過去があった。
かつて同じ考古学者仲間のパンドラ・ショウ(カレン・ピストリアス)と深く愛し合い、小さな島で一緒に暮らしていたヴァレンタインだったが、ある時パンドラが発見した「あるもの」を巡って激しい口論となる。いずれ捕食する都市がなくなれば西方捕食時代も終わりを告げるだろう。来るべき新たな時代を切り拓くため、ヴァレンタインはその「あるもの」を必要としたのだが、しかしパンドラは彼の考え方を危険視する。激しく抵抗するパンドラを躊躇せず殺害し、「あるもの」を強引に奪い取ったヴァレンタイン。その光景を目撃したのが、当時まだ8歳だったパンドラの娘へスターだったのである。
ロンドンの最下層へ降りてきたヴァレンタインを発見したヘスターは、迷うことなく宿敵である彼に襲いかかる。ところが、たまたまその場に居合わせたトムが、尊敬するヴァレンタインを守ろうとヘスターを制止し、逃走する彼女の後を追いかける。何も事情を知らないトムに「ヴァレンタインは私の母親を殺した」と告げ、外の世界へと逃げ去るヘスター。すると、トムに秘密を知られたことに気付いたヴァレンタインは、命の恩人である若者を無情にもロンドンの外へと突き落とす。
広大な荒野に2人だけ残されたヘスターとトム。厳しい世界を生き抜いてきたヘスターは、世間知らずでお人好しなトムを最初は足手まといに感じるが、しかし実直で正義感の強い彼の人柄に心を開いていく。なにより、トムもまた幼い頃に親を失っていた。やがて、人身売買組織に捕らえられて競売にかけられる2人。そこへ救出に現れたのが、反移動都市同盟のリーダー、アナ・ファン(ジヘ)だった。
反移動都市同盟とは、「60分戦争」の後でノマドの生活を選ばなかった人々の末裔。「楯の壁」と呼ばれる巨大な防壁を守り、その向こうに広がる自然豊かな静止都市シャングオを拠点とする彼らは、自由と共存と平和の理念を掲げており、それゆえ弱肉強食と争いの象徴である巨大移動都市ロンドンに抵抗していたのだ。真っ赤な飛行船ジェニー・ハニヴァー号に乗って大空を駆け巡るリーダーのアナ・ファンは、実はヘスターの母親パンドラの古い友人だった。卓越した戦闘能力を駆使して、ヘスターとトムを救い出すアナ。すると、今度はヘスターを執拗に追いかけるストーカー(復活者)のシュライク(スティーブン・ラング)が出現する。
ストーカー(復活者)とは、何百年も前に人類が開発した人間と機械のハイブリッド。人間だった頃の記憶も感情も心臓も持たない彼らは、人間を狩り殺すことを目的に作られた。その最後の生き残りがシュライクなのだが、実は母親を殺されて行き倒れになった幼い頃のヘスターを発見し、まるで拾った人形を愛でるようにして育ったのが彼だったのだ。この世に絶望した少女時代のヘスターは、自分も手術を受けてシュライクのように記憶や感情を持たぬ機械人間になることを約束。ところが、ロンドンがすぐ近くに接近したことを知った彼女は、ヴァレンタインに復讐を果たすためシュライクとの約束を破ったのだ。これに激怒した彼は、裏切り者を抹殺するべくヘスターを追いかけてきたのである。
その頃、トムと親しかったヴァレンタインの娘キャサリン(レイラ・ジョージ)は、父親が何かを隠していることに気付き始めていた。トムの親友ベヴィス(ロナン・ラフテリー)から、父親がトムを外へ突き落したことを聞いて大きなショックを受けるキャサリン。ヴァレンタインが一部の部下たちを抱き込み、セント・ポール大聖堂の中で極秘プロジェクトを進めていることを知った彼女は、ベヴィスと共に事実を確かめるべく内部へ潜入する。そこで彼らが見たのは、かつてパンドラが発見した「あるもの」を利用して作られた巨大装置。実は、「あるもの」とはコンピューターの心臓部で、ヴァレンタインが作り上げた巨大装置の正体は、かつて人類を「60分戦争」で破滅へ追いやった量子エネルギー兵器メドゥーサだったのだ。
人類は「戦争」という過ちを再び繰り返さぬよう、ハイテク技術を捨て去ったはずだった。しかし、資源の枯渇で西方捕食時代が終わりを迎えることを予見したヴァレンタインは、「楯の壁」を破壊して静止都市シャングオを侵略するべく、メデューサを用いて戦争を仕掛けようと画策していたのだ。その頃、ヴァレンタインの計略に気付いて「楯の壁」の防御を固める反移動都市同盟とヘスター、トムたち。果たして、彼らは迫りくる戦争の危機を阻止することが出来るのか…?
VFX工房WETAデジタルの底力を感じさせる圧巻のビジュアル
歴史学者が過去の歴史から学ぶことを放棄し、いわば「自国ファースト」の大義名分のもと、限りある資源を略奪するために愚かな戦争へ突き進んでいく。原作小説が出版されたのは’01年のことだが、しかし’18年製作の映画版自体は明らかにトランプ時代以降の、各地で全体主義と民族主義が台頭する世界情勢を念頭に置いているように思われる。かつてドイツのナチズムや日本の軍国主義がどんな結果を招いたのかを忘れ、世界は再び同じような過ちを繰り返そうとしているのではないか。いつの時代にも通用する戦争への警鐘を含みつつ、そうした現代社会へ対する危機感が作品の根底に流れているように感じられる。
もともと映画版の企画がスタートしたのは’05年頃のこと。しかし陣頭指揮を執るピーター・ジャクソン監督が『ホビット』三部作の制作に取り掛かったため、『移動都市』の映画化企画はいったん中断することとなってしまう。再開したのは’14年に最終章『ホビット 決戦のゆくえ』が劇場公開されてから。長年のパートナーであるフラン・ウォルシュやフィリッパ・ボウエンと脚本の執筆に着手したジャクソンは、自身の長編処女作『バッド・テイスト』(’87)からの付き合いである特殊効果マン、クリスチャン・リヴァーズに演出を任せることにする。
ジャクソン監督の『キング・コング』(’05)でアカデミー賞の視覚効果賞を獲得したリヴァーズは、その傍らで『ホビット』シリーズでは助監督を、『ピートと秘密の友達』(’16)では第2班監督を務めており、映画監督としての素地は既に出来上がっていた。そんな彼に以前から監督として独り立ちするチャンスを与えようと考えていたというジャクソンだが、しかし最大の理由は「クリスチャンが監督してくれれば、僕は観客として楽しむことが出来るから」だったそうだ(笑)。
ロケ地は多くのピーター・ジャクソン監督作品と同じく母国ニュージーランド。原作本と同じくヴィクトリア朝時代のスチームパンクをコンセプトとした美術デザインは素晴らしく、デジタルの3Dモデルとフィジカルな実物大&縮小セットを駆使して作り上げられた巨大移動都市ロンドンや空中都市エアヘイヴンなどのビジュアルも壮観!ジャクソンが設立したVFX工房WETAデジタルの底力がひしひしと感じられる。残念ながら劇場公開時は興行的に奮わなかったものの、恐らくそれは先述したような人物関係や設定の複雑さが原因だったように思う。是非とも2度、3度と繰り返しての鑑賞をお勧めする。きっとストーリー以外にも様々な発見があるはずだ。■
『移動都市/モータル・エンジン』© 2018 MRC II Distribution Company L.P. and Universal City Studios Production LLLP. All Rights Reserved.
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