8年間の紆余曲折が結実した名作

1980年代のイタリア、木漏れ日の眩しい緑豊かな田舎の避暑地、ゆったりと過ぎていくのどかで平和な時間、初めて出会った17歳の少年と24歳の青年が、生涯忘れられぬひと夏の恋を経験する。思春期の若者の揺れ動く感情と抑えきれぬ性の衝動、誰もが一度は経験する初恋のときめきと興奮と喜び、そして否応なく訪れる別れの痛みと哀しみとほろ苦さ。そんな世代や性別を問わず共感できる普遍的なラブストーリーを、これほど瑞々しく鮮やかに描き出した作品はなかなかないだろう。

原作はエジプト出身でニューヨーク在住の文学研究者アドレ・アシマンが’07年に発表した同名小説。出版と同時に全米のメディアで称賛され、優れたLGBTQ文学に贈られるラムダ文学賞にも輝く同作に強い感銘を受けた人々の中に、『花嫁のパパ』や『天使のくれた時間』のプロデューサー、ハワード・ローゼンマンと元俳優の脚本家ピーター・スピアーズがいた。’08年に共同で映画化権を取得した2人は、スピアーズの友人でもあるイタリアの監督ルカ・グァダニーノに演出をオファーするものの、当時多忙だった彼はプロデュースのみで関わることにしたという。そこでローゼンマンとスピアーズは他を当たることになるのだが、なかなか先へ進まないまま時間だけが経ってしまった。

そんな本作の企画に大きな動きがあったのは’14年のこと。『眺めのいい部屋』や『モーリス』、『ハワーズ・エンド』、『日の名残り』などで知られる巨匠ジェームズ・アイヴォリーが脚本を執筆することになったのだ。さらにグァダニーノ監督のスケジュールも調整がつき、当初はアイヴォリーとの共同監督という案もあったものの、最終的に監督は1人の方がいいという判断から、グァダニーノが単独で演出を手掛けることとなる。その後も相次いでキャストやスタッフ、ロケ地も決まるが、しかしストーリーの都合で夏にしか撮影できないという制限があったため、関係者のスケジュールが変わるたびに撮影が延期され、ようやく着手できたのは’16年の夏だったという。

それはいつもと変わらぬ夏休みのはずだった…

時は1983年の夏、場所は北イタリアの風光明媚な田舎町。ギリシャ=ローマ美術史の教授サミュエル(マイケル・スタールバー)を父に、幾つもの言語に精通した翻訳家アネラ(アミラ・カサール)を母に持つ17歳の少年エリオ(ティモシー・シャラメ)は、自身もイタリア語に英語、フランス語を自在に操るマルチリンガルで、ピアノやギターの優れた演奏家でもあり、文学と音楽をこよなく愛する知的で感受性の豊かな思春期の少年だ。17世紀に建てられた先祖代々受け継がれる美しいヴィラに暮らし、眩い太陽の光と緑豊かな自然に囲まれて読書や音楽を楽しみ、フランス人のマルシア(エステール・ガレル)やキアラ(ヴィクトワール・デュボワ)など近所の幼馴染らと無邪気に戯れながら長いバカンス・シーズンを過ごすエリオ。それはいつもと変わらぬ夏休みのはずだった。

そんなある日、24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)がアメリカからやって来る。エリオの父親は自身の研究活動を手伝ってもらうため、毎年アメリカから大学院生をインターンとして受け入れ、自宅に6週間滞在させていたのだ。ハンサムで知的で自信に満ち溢れたオリヴァーに、これまでのインターンとは違う何かを感じて惹きつけられるエリオ。オリヴァーもまた、聡明で繊細なエリオに好感を抱いている様子で、積極的にスキンシップをとって来るのだが、エリオはついつい本心とは裏腹に意地悪な態度を取ってしまう。そればかりか、ダンスパーティでキアラと親しげに踊るオリヴァーを見たエリオは嫉妬し、わざとマルシアとのデートを自慢して彼を挑発する。当然ながらオリヴァーはエリオと距離を置くように。それがまたエリオには苛立たしい。

とある晩、親子3人の団欒の場で母アネラが、16世紀フランスの小説をドイツ語でエリオに読み聞かせる。それは身分違いの王女に恋した騎士の話。その想いを王女に告白すべきか否か。翌朝、自転車に乗ってオリヴァーと2人で町へ出かけたエリオは、意を決して彼に自らの素直な気持ちを打ち明ける。それを口にしちゃいけないと年下のエリオをけん制しつつも、自らも同じ想いであることを否定しないオリヴァー。これを境にエリオとオリヴァーの距離はだんだんと縮まり、2人はかけがえのない幸福な時間を過ごすのだが、しかし夏の終わりは少しずつ、だが確実に近づいていた…。

あるべき大人の姿が物語の屋台骨を支える

恐らく本作の最も特筆すべき点は、男性同士の恋愛を男女のそれと全く変わらぬものとして、ごくごく自然な筆致で描いていることであろう。なので、LGBTQを題材にした映画でよくあるような、差別や偏見との闘いや葛藤などはほとんど存在しないに等しい。もちろん、全くないというわけじゃない。現にエリオもオリヴァーも、自分たちの関係を周囲には隠し通そうとする。恐らく理解されないと考えているのだろう。しかし、恋に落ちた2人だけの煌めく世界には迷いも苦悩も罪悪感も一切ない。ただひたすら、心から純粋に愛し愛されることの歓喜と幸福に満ちているのだ。

そんな彼らを温かな目で見守るのが、優しくて落ち着いていてユーモアのセンスがあり、息子の知性や意思をきちんと尊重して受け止める、エリオの進歩的で教養豊かな両親だ。ゲイ・カップルと家族ぐるみの付き合いをしているくらいだから、当時としてはかなりリベラルなインテリ夫婦なのだろう。息子とオリヴァーの関係だって、言われずともすべてお見通し。それでいて、息子が必要とする時に支えるだけで、それ以外は一切口出しをしない。まさに大人とはかくあるべし。一歩間違えれば綺麗ごとになりかねないキャラクターだが、しかし終盤で父親サミュエル(原作者の父親がモデルだという)がエリオに語る含蓄に溢れる言葉が、この映画の意図するところを明確にし、絵空事にならない豊かな説得力を両親の役割に与えている。

自分が若かった頃に必要だった人間になること。それが次世代の若者の手本となり、やがては彼らが生きやすい社会を形成することにもつながるだろう。映画もまた然り。相手が誰であろうと人を心から愛することに優劣はないし、ましてや恥ずべきことでは決してない。そもそも愛情とは人間にとってごく自然な感情であり、その喜びも哀しみも痛みもすべてをひっくるめて、かけがえのないほど素晴らしいものなんだ。そんなメッセージを持った映画を若い頃に求めていた作り手たちが、次世代の若者たちへ向けて贈る人生の指標的な物語。それがこの『君の名前で僕を呼んで』なのだと言えよう。

古き良き時代ののどかで素朴な北イタリア、のんびりと流れていく贅沢な時間。その中で一進一退を繰り返しながらも、確かな愛情の絆を育んでいくエリオとオリヴァー。その全てを端正な映像美と穏やかなテンポで描いていくルカ・グァダニーノの監督の演出がまた筆舌に尽くしがたい。特に、’80年代当時に思春期真っ盛りだった世代の映画ファンにとっては、本作の驚くほどリアルで鮮やかな時代の再現力には息を吞むはずだ。グァダニーノ監督が参考にしたというモーリス・ピアラ監督の名作『愛の記念に』(’83)や『ラ・ブーム』(’82)など、当時のヨーロッパ産青春映画のノスタルジックで甘酸っぱい世界そのもの。また、監督の地元であるロンバルディア州の町クレマとその近郊で撮影されたというロケーションには、どこかベルナルド・ベルトルッチ作品を彷彿とさせるものも感じられる。

さらに、イタリア語に英語、フランス語、ドイツ語など多言語が自在にポンポンと飛び交うセリフも、主人公の育った環境の豊かさや登場人物たちの教養の高さ、そしてヨーロッパの地政学的な背景を雄弁に物語る。これは日本語吹替版ではなかなか伝わらない要素なので、やはり字幕版で見るべき作品なのかもしれない。

‘80年代ヨーロッパを彩った名曲の数々にも注目

加えて、’80年代ノスタルジーを一層のこと掻き立てるのが、全編に渡って散りばめられたBGMの数々である。アメリカのシンガー・ソングライター、スフィアン・スティーヴンスのオリジナル曲を中盤とエンディングに使用している本作だが、それ以外では’80年代当時のヒット曲が様々な場面で流れる。この選曲がまた極めてヨーロッパ的で面白い。

今以上にヒットチャートのローカル色が強かった当時、アメリカとヨーロッパでは上位にランキングされる楽曲やアーティストのメンツもかなり異なっていた。ヨーロッパで一世を風靡するような大ヒット曲が、アメリカでは全く受けないなんてことはザラだったし、もちろんその逆もまた然り。本作のサントラはグァダニーノ監督自身が選曲したそうだが、恐らくアメリカ人の監督だったらこうはならなかったであろう。そこで、最後は劇中で使用された印象的な楽曲を幾つか紹介して、本稿の締めくくりとさせていただきたい。


「Paris Latino」Bandolero
フランス出身の一発屋ディスコ・バンド、バンドレロが’83年にリリースしたデビュー曲。タイトル通りのラテン風ユーロディスコ・ナンバーで、フランスやベルギーなどフランス語圏を中心にヨーロッパ各国で大ヒット。その大きな波を受けて、アメリカやイギリスでもヴァージン・レコードから発売されたがパッとしなかった。劇中では、オリヴァーに肩を触られたエリオがドギマギするバレーボールのシーンで使用されている。

「Lady Lady Lady」Giorgio Moroder featuring Joe Esposito
ドナ・サマーのプロデューサーとして一時代を築いたジョルジオ・モロダーが、そのドナの大ヒット曲「バッド・ガールズ」などの共同ソングライターだったジョー・エスポジートをボーカルに迎えて発表したバラード曲。もともとは映画『フラッシュダンス』のサントラ用にレコーディングされ、同年発売されたモロダーとエスポジートのコラボ・アルバム「Solitary Man(邦題『レディ・レディ・レディ』)」にも収録された。アメリカでは全米チャート86位と振るわなかったが、ヨーロッパ各国ではトップ10入りするヒットに。劇中ではダンスパーティのチークタイム曲として使用されている。

「Love My Way」The Psychedelic Furs
その「Lady Lady Lady」に続いて流れるダンス・ナンバーが、’80年代に日本でも人気だったUKのポストパンク・バンド、ザ・サイケデリック・ファーズが’82年に出したシングル「Love My Way(邦題『ラヴ・マイ・ウェイ』)」。彼らといえば、後に映画『プリティ・イン・ピンク』で使用された同名曲(’81年発売)が恐らく最も有名だと思うのだが、こちらを選ぶあたりは大ファンを自認するグァダニーノ監督らしいセンスと言うべきだろうか。

「Words」F.R. David
エリオがマルシアと屋根裏部屋でセックスをするシーンで、ラジオから流れてくる甘く切ないポップ・バラードが、フランス出身のシンガー・ソングライター、F・R・デヴィッドの代表曲「Words(邦題『ワーズ』)」。これは当時、日本のディスコでもかなり流行ったので、ご存知の方も少なくないかもしれない。’82年にリリースされるやヨーロッパ各国のヒットチャートで1位を独占し、全英チャートでも最高2位をマーク。今なお’80年代を代表する名曲としてヨーロッパで愛され、幾度となくリミックス盤もリバイバル・ヒットしているのだが、なぜかアメリカでは不発に終わってしまった。■

『君の名前で僕を呼んで』© Frenesy, La Cinefacture