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土曜字幕、日曜吹き替えで週末よる9時からお届けしているザ・シネマが贈るその週の目玉作品。

『クリムゾン・ピーク』② 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え

飯森盛良

~大脱線~ 宮崎駿『カリオストロの城』の話、他  以下しばらく余談が続く。デル・トロ監督のアトリエ「荒涼館」も、改築を繰り返し、古風なインテリアにしつらえられており、そこに、グロテスクなコレクションが所狭しと陳列されている(YouTube動画「ギレルモ・デル・トロ - 荒涼館へようこそ」参照)。自作に登場した小道具まで、制作費を監督自身が一部負担することで、撮影後に貰い受け、そこに飾っているのだ。元祖ウォルポールと同じ普請道楽と蒐集癖にデル・トロもまた血道を上げているのである。自作をそこで創造している点も同じ。趣味人の道楽が創作意欲へとつながり、偉大な仕事として結実している。  余談、其の二。『オトラント城奇譚』は、作者ウォルポールがくだんのレプリカ城にてある明け方に見た夢をもとに、寝食も忘れ一気呵成に書き上げた、シュールレアリスムの萌芽のようなお話。怪人めいた城主の息子に異国の姫が輿入れする当日、天から自動車ほどもある巨大な兜が落ちてきて(シュール!)、新郎が下敷きになり圧死するところから物語は始まる(忌まわしい婚礼)。怪人城主は、不肖の息子は死んでも惜しくないが跡取りが途絶えるのは御家の一大事と、自分が妻と離縁して義理の娘と再婚し子作りに励むと言い出す。城内に閉じ込められそうになった姫は、舅とのおぞましい近親婚を忌避して秘密の地下室から辛くも脱走し、その後の展開で、城主一族の呪われた秘密、超巨大ヘルメットの謎が明かされていく、という因縁譚である。  これを素材に、チェコの魔術的ストップモーションアニメの作り手ヤン・シュヴァンクマイエルが、1973~79年にかけて(制作が難航した)20分弱のショートフィルム『オトラントの城』を監督している。歴史家が『オトラント城奇譚』は実話に基づいているとのトンデモ学説を実写パートで解説するフェイクドキュメンタリーで、『オトラント城奇譚』のあらすじ紹介パートはアニメで描かれる。『オトラント城奇譚』の古書から切り抜かれコラージュされた銅版画挿絵がカクカク動くその映像は、悪夢じみていてトラウマ的だ(彼の作品は全てそうだが)。手っ取り早く『オトラント城奇譚』の梗概に触れたい向きにはうってつけの短編映画である。シュヴァンクマイエル監督は実際シュールレアリストなのだから、題材との相性は良い。  そもそも、大雑把に言うと「夢の中のヴィジョンの再現を試みた芸術運動」となるシュールレアリスムと、その具体的実践法として、心に浮かんだことを滅茶苦茶に一心不乱に書きつけて意識下を形にとどめようというオートマティスムは、1924年に詩人ブルトンが、夢から着想を得たウォルポールの『オトラント城奇譚』執筆という160年前の故事に倣って創始したものなのである。整理すると、作家ウォルポールによる1764年の文芸創作→詩人ブルトンによる1924年のシュールレアリスム宣言→シュールレアリスト監督シュヴァンクマイエルによる1973~79年のウォルポール作品映像化、の順で連関しているわけだ。ゴシックロマンスと『オトラント城奇譚』を知ると、シュールレアリスムの源流にたどり着く。  さらに余談。アニメつながりで言えば、ご存知『カリオストロの城』(1979年)もまた、宮崎駿が意図したものか偶然かは定かではないが、実はゴシックロマンスなのである。何世代も増改築が繰り返され迷路と化した古城(ゴシック様式の特徴も部分的に見受けられる。モデルは1952年のフランスのアニメ『やぶにらみの暴君』だが)、秘密の地下室と屋根裏部屋、閉じ込められたお姫様、怪人めいた城主、一族の呪われた秘密、忌まわしい婚礼、おぞましい近親相姦(クラリスと伯爵は親戚)…全てゴシックロマンスの定石どおりだと分かるだろう。ただ、およそこのジャンルには似つかわしくないルパンが、アクションで軽口まじりの大立ち回りをコミカルに演じるせいと、決してダークすぎに描いてはいない絵づらの匙加減のせいと、TVシリーズからも盛大に流用された大野雄二のお馴染みの劇伴の印象のせいで(“っぽい”BGMは唯一、地下の華燭の典で流れるパイプオルガンの調べ、バッハのパストラーレ ヘ長調 BWV590だけだ)、まさかあれがゴシックロマンスだとは一見して気づきづらいのだが、完全にこのジャンルのフォーマットを換骨奪胎しているのである。そう考えると、「ゴート札」、「死滅したゴート文字」、「古いゴートの血が流れている」といったセリフも、実はヒントだったのかもしれない。中世の城に隠された宝は、蛮族ゴート人が滅ぼした古典古代のローマの美そのものだ(アルセーヌ・リュパン・シリーズ小説『緑の目の令嬢』からの引用でもあるが)。もう一つ、怪人めいた主人が城内の私設印刷所で大規模な凸版印刷事業を営んでいる点は、元祖ウォルポールへと繋がる別の手がかりだったのかもしれない。  ようやく閑話休題。嚆矢とされる1764年の『オトラント城奇譚』以降、ゴシックロマンスは半世紀にわたって流行し続け、あまたのエピゴーネンが現れ、ブームは英国から海を渡り欧州本土やアメリカにまで飛び火した。ブームの最後の頃に本家英国で発表された重要な2作品が、ジェーン・オースティンによる『ノーサンガー・アビー』(1817年)と、メアリー・シェリーのお馴染み『フランケンシュタイン』(1818年)である。(続く)   <次ページ『クリムゾン・ピーク』③~ジェーン・オースティン作『ノーサンガー・アビー』(1817年)~> © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存

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『クリムゾン・ピーク』① 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え

飯森盛良

 日本の漫画・アニメ・特撮をこよなく愛するヲタク監督ギレルモ・デル・トロ。サブカル愛あふれるジャンル映画しか作らない男の『シェイプ・オブ・ウォーター』が今年(2017年度)、アカデミー作品賞・監督賞ほかに見事輝いた。そんなデル・トロが、この『クリムゾン・ピーク』(2015年)では怪奇映画愛を炸裂させている。 「プラチナ・シネマ」は第1回がタランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』だったが、このギレルモ・デル・トロの『クリムゾン・ピーク』なら、最終回に相応しいだろう。  6月「プラチナ・シネマ」について何か書く、ということで他に4作について書いてきたが、最後となる本稿は、他の倍以上の長さとなってしまいそうだ。個人的に好きだからではなく、書くべきことが膨大にあるからだ。つまりこの映画、奥が深い!  だがその前に、まずはあらすじから。 20世紀元年の米国。ゼネコン成金の令嬢で、怪奇小説家志望のうら若き女性イーディス・カッシング(ミア・ワシコウスカ)は、作家としての芽が出ず行き詰まっていた。そんな彼女の前に、英国貴族シャープ姉弟が現れる。シャープ家領地で採土される深紅(クリムゾン)色の赤粘土は王室御用達の上質な赤レンガの材料であり、姉弟は掘削設備の新規導入に投資してくれる出資者を募るためにはるばる渡米してきたのだった。弟のトーマス・シャープ準男爵(トム・ヒドルストン)はイーディスの父に出資を打診するが色よい返事は得られない。しかしイーディスと準男爵が恋に落ち、やがて結婚の運びとなる。シャープ夫人の座に収まったイーディスは渡英し、赤土の丘に建つ古い屋敷で共に暮らし始めるが、そこで、恐ろしい義姉ルシール・シャープ(ジェシカ・チャステイン)と同居することに。吹雪が吹きすさび、積もる雪に溶け出た赤土が血のように滲んで、辺り一面が「クリムゾン・ピーク(深紅の丘)」と化す時、イーディスの恐怖と危機もピークに達するのだった。  デル・トロ監督は言う。 「ハロウィンの時期に公開されたからホラーとして宣伝されたが、実際は違う。ホラー映画の様式とはかけ離れていて、おとぎ話の空気が漂うゴシックロマンスだ」  監督は本作で、「ゴシックロマンス」という18世紀後半~19世紀初めにかけて流行った文芸ジャンルの再生と進化を図ろうとしているのである。   ゴシックロマンスとは何か  あるブームがピークに達した後、次にその反動が来るのは世の常。中世の迷妄を恥じギリシア・ローマの古典古代を鑑とした17~18世紀の古典主義、啓蒙思想、近代合理精神や理性崇拝。それらが広まりきったなら、次の時代には必ずその揺り戻しが来る。人間本来の激情や恋愛を賛美し、滅び去った神秘や迷信に代わるオカルト趣味を偏愛し、中世を再評価し懐かしむようなカウンタームーブメントが現れたことは、歴史の必然だった。それが大きくは「ロマン主義」であり(古典主義⇔ロマン主義は対概念)、その中の下位分類として、特にオカルト趣味に偏った文芸運動がゴシックロマンスだ。 「ゴシック」+「ロマンス」、2つの語を足して、ゴシックロマンス。「古城や貴族のお屋敷に閉じ込められた純真無垢なお嬢様が、夜ごとの心霊現象、秘密の地下室と屋根裏部屋、怪人めいた当主、恐ろしい狂人、忌まわしい婚礼、一族の呪われた秘密、おぞましい近親相姦といった、建物に染み付いた深い闇に怯える」という怪奇ジャンルである。はたして本作『クリムゾン・ピーク』には、このうち幾つが当てはまるのか、または当てはまらないのか、ぜひカウントしてみていただきたい。  ゴシックロマンスの「ロマンス」は、現代語のロマンスというニュアンスではなく、「物語」とか「お話」といった広義の意味であって、狭義の恋愛モノには必ずしも限定されない(それも一要素だが)。おとぎ話的な性格の強い娯楽読み物を指す。それに対し、キャラクターの内奥を掘り下げて人物描写するリアリズムのフィクションが、次の時代にさらなるカウンターとして登場し流行った「ノベル」なのだと、近代文学史では区別されている。ロマンス⇔ノベルも対立概念であり、「通俗小説」⇔「純文学」の違いに近い(「通俗小説」が悪いと言っているわけではない)。 『イギリスの老男爵』(1777年)という初期のゴシックロマンスで知られる女流作家クララ・リーヴは、「ロマンスは、伝説上の人物や出来事を扱うヒロイックな寓話。ノベルは、現実の生活と習慣、そして執筆時点の同時代を写実的に描くもの。またロマンスは、高尚で格調高い文体で、かつて起こったこともなく、今後も起こりそうにないことを描く。対してノベルは、我々の目の前で我々自身や我々の友の身に日々起きている出来事を描く」と定義している。   さて、ゴシックロマンスのもう一方「ゴシック」は、高校世界史の文化史ページで習う建築・美術用語であり、中世ヨーロッパで流行した。ゴシックロマンスの読み物が英国で流行したのは18世紀後半なので、ゴシックはその時点から500年も昔の建築様式であり、当時は即「廃墟」、「荒城」、「遺棄された僧院」といったイメージと結びついた。  ゲルマン民族大移動により西ローマ帝国が滅亡。古代が終わり中世が始まるが、そのゲルマン民族の有力な一派に「ゴート族」があり、現スペインに西ゴート王国、現イタリアに東ゴート王国を建国するなど一時は強勢を誇った。「ゴシック」とは「ゴートチック」、すなわち本来は「ゴート的な」という語義であり、ただちに中世を連想させる形容詞だった。  日本の民放の旅番組などではよく「中世ヨーロッパの息吹きを今に伝える古都ホニャララ」のようにポジティブなイメージで使われるが、当のヨーロッパの歴史観においては「中世」とは本来、ダークでネガティブなイメージが基礎となる。ローマが確立した古典古代の美と知性と秩序が、蛮族の侵冦によって崩壊。光は失われ、続く混乱と殺戮、その後の教会支配による狂信によって覆われた、永き闇の時代。それが中世だと認識されているのだ。ゆえに別名「暗黒時代」。その記憶はまさに怪奇モノのモチーフに相応しい。ローマ=古典古代⇔ゴート=中世もまた対概念だ。  そこから発して「ゴシック」の語は今日では「ゴス」と略され、ほぼ「ダークテイストな貴族風の」といった程度の気軽なニュアンスで日常的に用いられ、80年代にはロックのいちジャンルとなり、さらにティーンファッションの一派を形成。それが我が国にも輸入されてアニメ文化と混淆し日本語の「ゴスロリ」となって、今度はそれが欧米にクールジャパンなkawaiiカルチャーとして逆輸入され、新たな興隆を見せているのである(ゴスの歴史をたったの5分でサクッと学べるTED動画もあるので、そちらもご参照いただきたい)。  さて、ゴシックロマンスの舞台は、建て増しに建て増しを繰り返し迷宮化した先祖伝来の城館、と相場が決まっている。中世の冷気がまだ暗がりに残留していそうな古い建物。ゴシックロマンスの元祖『オトラント城奇譚』(1764年)の作者で、大英帝国初代首相の息子であるホレス・ウォルポール自身が、中世のダークな浪漫と大昔のゴシック建築に惹かれ、憑かれたように別荘をゴシック風に何十年もかけ改装した。このレプリカ建築が最初の「ゴシック・リヴァイヴァル様式」となった。 ウォルポールによるゴシック風レプリカ城  本作『クリムゾン・ピーク』の幽霊屋敷もこの様式だ。かの有名なロンドン観光2大名所、ロンドン橋と勘違いされがちなタワーブリッジの二つの塔と、時計塔ビッグベンまで含むウエストミンスター宮殿(=英国国会議事堂)もまたこの様式なのだから(お隣のウエストミンスター寺院は本物の中世ゴシック建築だが)、日本人が英国建築と聞いてまず真っ先にイメージするのがこのゴシック・リヴァイヴァル様式ではないだろうか。 本作『クリムゾン・ピーク』の幽霊屋敷 タワーブリッジの二つの塔 時計塔ビッグベンまで含むウエストミンスター宮殿  貴族作家ウォルポールは、そのこだわりの元祖ゴシック・リヴァイヴァル建築の館内に、珍奇な文物や浩瀚な稀覯本を蒐集し陳列してアトラクション化したのだが、それだけでは飽き足らず、夢想してやまない中世の古城を舞台にした怪奇物語『オトラント城奇譚』を執筆し、このジャンルの祖となったのである。さらには城内に印刷所も併設して、そこで自著の印刷出版まで行った。(続く)   <『クリムゾン・ピーク』②~大脱線~ 宮崎駿『カリオストロの城』の話、他> © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存

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『ツーリスト』6/23(土)字幕、24(日)吹き替え

飯森盛良

 アンジー×ジョニデの大型共演が話題を呼んだ本作。アンジーが企画を主導しドイツ人監督に白羽の矢を立て、その監督が、アンジーと吊り合う相方にはブラピを除けばもうハリウッドにはジョニデしか存在しないと切望してジョニデに打診したのだ。しかし、ジョニデの『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』撮入時期との兼ね合いで、脚本を起稿してからジョニデの撮影を終えるまで5ヶ月間、編集して映画を完成させるまででもトータル11ヶ月間しか制作期間がなかったという。ものすごい早撮りで作られた映画だ。  以下、あらすじ。 パリでスコットランドヤードの監視対象となっているエリーズ(アンジェリーナ・ジョリー)。超大物犯罪者の情婦だからだ。大物を警察も追っているしマフィアも追っている。大物は整形して今どんな顔なのか誰も知らないので、エリーズを張っていればそのうち接触してくると警察は踏んでいる。その通りの展開になり、「ヴェネチアに向かえ、俺と背格好が似た男に接近して警察の目をくらませ」との秘密指示を受けたエリーズは、ヴェネチア行きの特急の中で米国人ツーリストの平凡な男フランク(ジョニー・デップ)に接近。2人してヴェネチアに向かうのだが、その後を警察とマフィアも追ってくる。  アンジーとジョニデの初共演を華麗に彩るのが、普段はティム・バートン組のコスチューム・デザイナー(ジョニデが連れてきた?)コリーン・アトウッドによる衣装だ。ゴージャス!特にアンジーは大物犯罪者の情婦役にもかかわらず、なぜかハリウッド黄金期の大女優か、あるいは往年のヘップバーンもかくやというハイファッションに身を包んでいる。芝居も極端なハイソ女の演技で、仕草も過剰に優雅。ディスっているのではない。これは確信犯でわざとやっているのだ。  一方のジョニデは数学教師の冴えない男ということで、ファッションは、冒頭はカジュアルなジャケットスタイル。ジョニデの超カッコいいジャケットカジュアルスタイルといえば、知的色気がダダ漏れの稀覯本専門古書店オーナー役を演じた『ナインスゲート』を思い出すが、本作もあの衣装の雰囲気と似ている。そちらではラッキーストライクを口角でくわえタバコしていて、それも大変カッコよかったが、本作では先端がLEDで赤く光る電子タバコで禁煙しており、ちょっと滑稽。  ジョニデがスッピンで出ているというのも珍しい。ジョニデが男子がアイライナーを引くブームを始め「ガイライナー」という言葉まで生んだ。最近も日本のビールのCMでアイメイクばりばりでギターを弾いていたが、しかし!本作でも結局いつの間にか、なし崩し的にほんのりアイラインを下まぶただけ引きはじめるのである!それがいつの瞬間かを見極めていただきたい。本作ではアンジーの方もアイメイクは尋常じゃない濃さだが、実はそれは、地味な中年男性数学教師の旅人がなぜかアイメイクし始める不自然さから目をそらすための陽動作戦ではないのか?なお、同じくなし崩し的に、滑稽電子タバコから本物のタバコに戻す瞬間にも注目である。もちろんこれも確信犯でやっている。  なぜ確信犯と分かるかというと、本作が確信犯的にコメディ映画として作られているからだが、それについては後述する。  キャストは他も豪華で、開始早々、ルーファス・シーウェル(ヴェネチア舞台の歴史映画『娼婦ベロニカ』にも出ていた)とポール・ベタニーという『ROCK YOU!』コンビが出てきて、さらにティモシー・ダルトンまで出てきて(この映画の観光映画っぽさは007を彷彿させる。ヴェネツィアは007でも何度か舞台になっているし)、並々ならぬオールスター映画感がみなぎる。これら主演スター級の脇役が、はたしてどういう活躍を見せるのか?(あるいは見せないのか?)にもご注目いただきたい。  しかし、この映画の主役は何と言っても、やはりヴェネツィアの街だろう。スター映画であると同時にヴェネツィアを舞台にした観光映画でもあるのだ。わざわざこんな↓宣材写真まで撮ってきているほど。こういう単なる風景写真が宣材として用意されていることは極めて異例。  本作は、ソフィー・マルソーとイヴァン・アタル共演のフランス映画『アントニー・ジマー』(2005)のわずか数年後のリメイクだ。それを、豪華絢爛に盛って盛って盛りまくり、オリジナルとはだいぶ趣きを異にする映画に仕上げている。スタッフが、とにかくゴージャス方向に作った、とインタビューで語っている。わざとなのだ。  フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督に至っては「この映画を作るからには、美の極みを目指すしかない!」とまで豪語している。「美の極み」というのもまた凄い言葉だ。監督は、初の長編監督作であるドイツ映画の大傑作『善き人のためのソナタ』で、33歳にしてアカデミー外国語映画賞を受賞した天才。貴族の名家の出身でもある。ヴィスコンティもそうだが、本物の貴族が描くと映画でリアルな貴族趣味と高級感を再現できているような気がするのは庶民の引け目だろうか?  オリジナル『アントニー・ジマー』も南仏ニースが舞台の観光映画ではあったが、本作よりは地に足のついたリアルな情景。一方の本作は、絵になる観光絵葉書的なヴェネツィアの風景だけをつないだリッチさが1シーンたりとも途切れることがない。『アントニー・ジマー』ではありふれた地下駐車場で悪漢の乗用車に追われていたチェイスシーンも、本作になるとヴェネツィアの水路でのモーターボートを使ったチェイスに置き換えられていたり。それにソフィー・マルソーも良い女だったが、本作のアンジーほどハイソ感は漂わせていなかったし、衣装も常識的レベルのゴージャスさだった。本作は、わざと意図的に浮世離れさせている。なにせ美の極みなので!  オリジナルの方は真剣なサスペンスだったのだが、本作の方は、どこまでが本気でどこからが狙いかわからないコミカルさも魅力だ。本作の制作スタンスはコミカル&ゴージャス。どちらもわざと、確信犯でやっているのだと重ねて強調しておきたい。監督は、とにかく軽い映画にしたいとも心がけ、時に“ミスディレクション”して(『善き人のためのソナタ』ばりに)真面目モードで撮ってしまった時もあるが、そういう場合にはわざわざ撮り直しまでした、とも語っている。  しかし、そもそもが上質で重い人間ドラマ『善き人のためのソナタ』で評判を得た監督で、名家の出なのである。本作にまつわるインタビューでは真面目な人柄が隠そうにもにじみ出ていて、口数も少なく、朴訥な印象の人だ。そんな、いいとこのおぼっちゃまの高学歴の超優等生が、面白い奴と証明しようと無理しておチャラけている、という、若干の無理も感じられ、それが滑稽さにつながり、アメリカン・コメディの爆笑とはまた違うたぐいの、えも言われぬ独特のぬるたい味わいが生まれている。  ということで、本作は見事、ゴールデングローブ賞のコメディ部門に、作品賞、主演男優賞、主演女優賞でノミネートされ、授賞式当日も司会者に大きく取り上げられて大変な話題となった。軽い気持ちで、街の美しさ、スターの華やかさに見とれるという見方が正解で、大真面目なサスペンス・スリラーを期待してはいけない。公開時にはボタンのかけ違いで「サスペンス・スリラーだと思って見に来たのに!」といった声も聞かれたが、最初から、コミカル&ゴージャスの2点が見どころなんだと思って、まったり見ていただきたい。  最後に。スコットランドヤードの警部役ポール・ベタニーは、劇中ではあまりジョニデとの絡みはないものの、プロモーションでは漫才コンビのような好相性を見せ、後に『トランセンデンス』と『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』でも再共演を果たす。特にジョニデがプロデュースしベタニーに自らお声がけしたという『チャーリー・モルデカイ』の方は、この2人の軽妙な掛け合いがメインディッシュとなっているほど。むしろジョニデ×アンジーよりもジョニデ×ベタニーのBLカップリングのケミストリーを生み出したことの方が、本作『ツーリスト』の功績ではなかっただろうか。今後も、このコンビでどんどん映画を作っていってもらいたい。■ © 2010 GK Films, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存

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『LUCY』 6/16(土)字幕、17(日)吹き替え

飯森盛良

 まず、あらすじ。 台湾に留学中の女性ルーシーは、元カレから謎の荷物の運び屋仕事を強引に押し付けられる。不安的中、中身は麻薬で、しかも届け先で韓国系ヤクザに拉致され昏睡させられ外科手術までされ、体内に麻薬のビニールを詰められる。飛行機で某所に密輸しろというのだ。挙げ句、暴行され腹部を蹴られた衝撃で体内で袋が破裂してしまう。人間の脳は通常10%しか使われていないが、その結果、彼女の脳の不活性領域は活性化し、彼女は超人化していく。  その超人化がほとんど超サイヤ人レベル。ザ・シネマがこのところ大量にお届けしている“最強オヤジ”ことセガールだが、彼の偉大なる発見は、ヒーローがひたすら一方的に強い映画は見ていて気持ちが良い、という映画の禁じ手に気づいてしまったことである(コマンドーの発展的解釈)。絶対ピンチに陥らない。一度はボロ負けし雪辱のため歯を食いしばり鍛え直し逆転という、ロッキー的なドラマ性も無い。そういうスリルや感動は無いかもしれないが、とにかく最初から最後まで一方的にヒーローが悪者をブチのめし続けていけば、見ている側としてはこの上もなく快感なのだ。本作『LUCY』はそれにも通じる、脳の快楽中枢を直接刺激してくるようなドーパミンがドバドバの痛快さがあり、そのため見ているこっちの脳の不活性領域までもが活性化しそうになってくる。  まず、体内でビニール袋が破れ麻薬を超オーバードースしてしまった直後、映画開始25分頃、浮く!早くも物理法則を無視できる能力をルーシーは身につけてフォースの覚醒。ここで第2幕の幕が上がる。2幕目では覚醒のプロセスが描かれていく。  34分頃にはお母さんに電話し、「地球の自転を感じる」とか「重力を感じる」とか、“嗚呼、時が見える”系の禅問答発言を連発。ニュータイプの覚醒だ。そして“時が見える”は、冗談ではなくて本当に終盤のキーワードになってくる。つまり本作、ここらへんから、哲学SFの趣きになっていく。  …のだが、この先の展開を記すと若干のネタバレに踏み込まざるをえなくなっていくので、まずは、キャスト・スタッフの話から先に済ませておこう。  主演のスカヨハと言えば『アベンジャーズ』のブラック・ウィドウが超最高だが、実は『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』に『her/世界でひとつの彼女』に本作と、他のSFに出る場合はSFアクション系よりも哲学SF系への出演が目立っているように思う。『アイランド』と『ゴースト・イン・ザ・シェル』にも、アクション要素も多いものの哲学SFのムードだって色濃い。ヒロインが持つ豊満な肉体美×物語が持つ深い思索性、というミスマッチが互いに引き立て合うから?とにかく、スイカに塩のごとく相性が良い。なお、本作で吹き替えを担当するのは『プロメテウス[ザ・シネマ新録吹き替え版]』でお馴染み、我らが佐古真弓だ。  さらに個人的な感想を述べると、本作はスカヨハの衣装も良い。チープで逆に良い。ベッソン組オリヴィエ・ベリオ氏のグッジョブだ。豹柄フェイクファーのライダースジャケット、その中もド派手プリントのボディコンで、大阪のオバチャンもかくやという凶悪なセンス。マニキュアはムラに剥げ、雑にブロンドに染めた髪はプリンでパサパサと、登場時からただごとならぬチープ感を全身にみなぎらせているのだが、逆にムラッとくるお水的な魅力がある。拉致られ強制外科手術された後の、トロロ昆布状態まで生地と襟ぐりがクタって黒ブラが透けている白T×激安レーヨン混ジーンズの上下姿もまた、大いに結構!良い女、良い体、グラマラス、というLUX的オーラで普段は巧みに目をくらまされているが、実は、田舎のヤンキーっぽさはスカヨハの身上だと個人的には信じている。本作は珍しく、そんな天性のDQN美を隠すことなく全身から発散してくれており、実に眼福である。  一方、モーガン・フリーマンが、Eテレの教養番組シリーズ『モーガン・フリーマン 時空を超えて』まんまの役で出演している。脳科学について講義する博士の役で、いなくても物語上まったく問題ない役なのだが、Eテレのお堅い教養番組的な知的風格をこの映画が醸し出す上で効果的に機能している。『時空を超えて』は米本国で2010年にスタートし17年まで毎年作られており、『LUCY』が2014年製作なので、どう考えてもモーフリの本作への起用は『時空を超えて』でのイメージを踏まえた上でのことだろう。吹き替えは、Eテレの菅生隆之ではなく本作では坂口芳貞が担当しているが、坂口モーフリにはやはり安定のFIX感があり、こっちはこっちで実に鼓膜が気持ち良い。  そしてチェ・ミンシクが、韓国麻薬ヤクザ役で、韓国暴力映画から抜け出してきたような役どころを演じており(下のスチール↓は決して『悪いやつら』の宣材ではありません。お間違いなく)、しかも英語なりを一切しゃべらず韓国語だけで押し通す(なので吹き替え版でも本人セリフ原音ママイキ)という力押しで国際デビューを果たしている。韓国ヤクザのセリフは字幕も無く、ヤクザ同士のドスのきいた会話の内容は観客にもさっぱり分からなくて逆に猛烈に怖いのだが(「パリパリ」というのが「急げ」という意味なんだろうとは推測できた)、とにかく、チェ・ミンシク大兄の世界デビューは、人ごとながら、韓国人ほどではないかもしれないが、日本の映画ファンとしても、これはかなり嬉しい!『シュリ』以来20年ぐらい日本の映画ファンもずっと注目し続けてきた俳優なので、そんな彼の国際的な活躍は、半分我が事のように嬉しい。「世界よ、気づくの遅かったね」って感じだ。まして私こと筆者は英語弱者なので、「母国語だけでも力押しでどうにかなるんだ!」と、(間違った)希望を抱かせてくれて、心強い。  監督は、ご存知リュック・ベッソン。90分前後のサクッとお気軽に楽しめる英語の娯楽アクション作品を大量生産しているフランスの映画会社ヨーロッパ・コープの首領(ドン)でもあり、最近ザ・シネマではそこの映画をよく流しているが、近頃ではベッソンはプロデュースと脚本に回って、メガホンは子分の中堅どころの職人監督に委ねるケースが多い。自身が監督も務めた作品としては、最近だと『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』という、『アバター』のような『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のような原色キラキラのサイケSFで、「歴史修正主義、ダメ。ゼッタイ。」もしくは「歴史修正主義やめますか?それとも人間やめますか?」という、意外にも高潔なメッセージが込められた映画があったばかりだが、やはり、何と言っても最高傑作が『レオン』であることは論を待たないだろう(絶賛放送中)。ちょっと作品ごとに毀誉褒貶いちじるしいクリエイターではあるものの、『LUCY』は個人的には彼の近年のベストワークだと評価している。この痛快さ、とにかく堪らない!  ヨーロッパ・コープ社のトレードマークと言えば無茶苦茶なカーアクション。ハリウッド映画を軽く凌駕しているのだが、本作でもそれは健在で後半に凄い見せ場が用意されており、「TAXi」シリーズや「トランスポーター」シリーズ(こちらは絶賛放送中)で蓄積されたノウハウが惜しげもなく投入されているのだろう。  そもそも『TAXi』第1作(1997)製作時、15年間お世話になった世界最古のフランスの映画会社ゴーモンと揉めたことが、ベッソンが01年にヨーロッパ・コープ社を立ち上げたきっかけだ。ベッソン側の主張によると、ゴーモン社は『TAXi』で彼がプロデュースに回り監督を人任せにすることが不満だったという。  ベッソンという漢は現場叩き上げだ。高校を中退しゴーモンの門を叩き映画業界に飛び込んでまずアシスタントから始め、後に渡米して武者修行。帰仏してまたゴーモン社のご厄介になり、監督デビュー後、『サブウェイ』(1985)以降の作品をずっと撮ってきたのだが、そのすったもんだで袂を分かった。  なお、『LUCY』の大詰めの銃撃戦で、ソルボンヌ大学の研究所にある坐像が銃弾の雨あられで木っ端微塵にされるシーンがあるが、それは創設者ソルボンさんの像。ベッソンはこのクライマックスシーンについて「高校中退の俺が、“知”についての映画を撮るために“知”の象徴ソルボンヌをブッ壊してやったぜガーッハッハ!!」と豪語しており、たいへん好感が持てる人柄である。  ただ、ここで残念なお知らせがひとつ。「人間の脳は普段は最大でも10%しか使われていない」という、この映画の大前提となる、そして我々もどこかで聞いたことのある説が、実は、良く言ってもトンデモ系疑似科学、悪く言えば単なる都市伝説であることが、こんにちでは科学的に証明されているのである!  10%しか使っていないのであれば、残りの90%の部分に外傷的ダメージや脳梗塞で損傷を受けても支障は一切無い、それまで通り普通に生活できるということになり、「そんな訳ないだろ!」とは素人でも少し考えれば考えつく。私ごとき素人の言うことなんか信用できないって?ならば以下をご参照あれ。 ・脳の10パーセント神話(Wiki)→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E3%81%AE10%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1 ・あなたは脳の何%を使ってる?(TED動画)→ https://www.youtube.com/watch?v=5NubJ2ThK_U&feature=youtu.be  話の出発点からしてそもそも根本的に間違っていたということで、いやはやベッソン、なんともオチャメな、憎みきれないウッカリ屋さんである。もはや好感しか持ちようがない人柄だ。  さて、そろそろ、あらすじ紹介を再開しよう。 【この先ネタバレが含まれます。】 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓  映画開始から55分後頃に脳の50%が活性化。またここで物語の位相が変わってクライマックスである3幕目に突入する。活性化率はまだ半分なのだが、この時点でもはや凄いことになっており、救世主ネオの域に達し、さらにDr.マンハッタン、イデの発動、アルティメットまどか路線を突き進んでいく。もちろん、とっくに韓国ヤクザごときが束になっても敵う相手ではなくなっており、もはや、人か!?神か!?という存在になっていくのである。  そして最後にはスターゲート・コリドーが彼女を待っているのだ。かの映画で(どの映画だ!)ボーマン船長は宇宙の成り立ちを高次の存在に垣間見せられ新人類への進化を許されたが、本作では、脳が進化しすぎたスカヨハが勝手にスターゲート・コリドー幻視までたどり着き、ついに最初の人類である原始猿人ルーシーと“時空を超えて”めぐりあい、宇宙の始まりを見て(これぞまさしく、めぐりあい宇宙!)、スカヨハ自身が高次の存在へと自力で進化を遂げるのである。ちなみに、最初の人類とされる300万年前のアウストラロピテクス化石が「ルーシー」と名付けられているのだ。  と、こういう映画である。公開時にはオチだけを見て日本では「『攻殻』に似てる!」という感想ばかり聞こえてきたが、その他の様々な和洋のSF作品とも豊かにリンクしているのだ。ここまで、『攻殻』以外はあえてタイトルを伏せてきたが、元ネタ探しに興じはじめたら、この作品は何度でも楽しく見返していただけること請け合いだ。■ © 2014 EUROPACORP-TF1 FILMS PRODUCTION - GRIVE PRODUCTIONS. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存

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『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 6/2 (土) 字幕、3 (日) 吹き替え

飯森盛良

 最初に、あらすじから。 近未来。人類は機械軍に滅ぼされかけたが、英雄ジョン・コナーが現れ反撃に転じ機械軍を逆に壊滅寸前に追い詰めた。機械軍は、タイムマシンでジョン・コナー誕生前にさかのぼりその母サラ・コナーを殺せば歴史改変で一発逆転できると、暗殺用アンドロイド「ターミネーター」を84年に送り込む(ここまで『ターミネーター』第1作目と全く同じ展開)。 (ここからが怒涛の新展開)だが84年に現れた途端ターミネーターは、もともとその時代で待ち構えていた同型ターミネーターと、屈強な女戦士サラ・コナーに襲撃される!! 一方、未来のジョン・コナー司令官は母親が84年に殺される事態を阻止するため、腹心の部下カイル・リースをその時代にボディガードとしてタイムマシンで送り込むが、そこでカイル・リースも、姿を変えられる液体金属型ターミネーターT-1000の待ち伏せ攻撃を受ける。 一体全体、何がどうなっているのか!?  このように、しょっぱなから構成の妙で魅せる本作。懐かしの第1作をなぞる冒頭パートで若い頃のシュワが出てきて、思わず目を疑う。どうやって撮った!? しかも若いシュワvs年取ったシュワの格闘シーンまであるのだが(本当にどうやって撮った!!!!!)、若いシュワは実はフルCGなのだ。『ターミネーター4』(2009)でも終盤で若いシュワが出てきて刮目したが、あれはボディビルダーの身体に若いシュワの顔だけデジタル合成したもの。それでも大したものだったが、本作はフルCG(下画像)。これが、CGだと意識して見ていても全く見分けがつかない超絶クオリティ(本当に下画像↓はCGなんです!)。特撮会社ムービング・ピクチャー・カンパニー公式垢がYouTubeに上げている動画を見ると、何も無い空間にCGで若いシュワがマッピングされていくプロセスをつぶさに確かめることができ、恐い!このテクノロジーがあれば、ある人物が実際にはやっていない犯罪的行為をやっている映像だって余裕で捏造できるのでは…?これってスカイネット級にヤバくないか…?『コングレス未来学会議』(2013)の世界はもうすぐそこだ。  本作は2015年の映画で、2017年という“超近未来”が後半の舞台。タイトルにもなっている「ジェニシス」とは架空の商品名で、その2017年に発表されるという設定の、スマホ・タブレット・コンピュータ共通のAI型OSみたいなもの。カーナビにも軍のネットワークにも、ありとあらゆる物にIoT的にインストールされている。こいつが、人類を滅ぼす!  Genesisとは旧約聖書のド頭、「はじめに神は天と地とを創造された」から始まる、日本語だと「創世記」のことだ。SFファンには『スター・トレック』旧シリーズのIIとIIIで耳馴染みがある。あのシリーズにおいては「ジェネシス計画」という、月のような岩石だらけの不毛な惑星を一発で緑・水・大気が存在する居住可能惑星にテラフォーミングする秘密計画の暗号名だった。  しかし本作は、スペルが違う。正しくはGenesisだが本作はGenisysだ。本作のタイトルも当初は正しいスペルでいく予定だったが、途中でモジった「ジェニ・シス」表記に変更された。「シス」はSYSなので「システム」の「シス」だろう。「ジェニ」のGENIは、軽く調べたが確実なことは分からなかったものの、「genius(天才)」のgeniではないかとの一意見がネット上にあった。Genesisを「天才システム」とも読める間違ったモジり方でGenisysと表記したのではないだろうか。  ここからはキャスト・スタッフの話。本作でサラ・コナー役を演じるのは、「ゲーム・オブ・スローンズ」で大人気、“焼けずのデナーリス”ことエミリア・クラーク。ちなみにTVシリーズ「ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ」ではサーセイことレナ・ヘディがサラ・コナー役だった。ターガリエン家とラニスター家がサラ・コナー役を取り合っている?デナーリスが歳とるとサーセイ顔になるのか?という楽しみ方もGOTファンならできるが、もちろん「ゲーム・オブ・スローンズ」を見ていない人だって、そんなこと一切気にせずとも楽しめる内容であることは言うまでもない。  本作の監督さんはTV畑の人で、まさにその「ゲーム・オブ・スローンズ」も演出している。映画は本作と『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』ぐらいしか撮っていない。TVドラマ監督ということは一般論として、独特の持ち味とか作家性を前面に出すタイプではなく、雇われ監督だけど手堅い仕事をし、エンタテインメント商品としてカッチリ仕上げて納品してくる、優れた職人さんだということ。これは「ターミネーター」シリーズがフォーマットとしてすでに完成されていることの証しだ。腕のある人になら誰に任せたとしても回していけるということ。映画だとヨーロッパ・コープ映画のような、マーベル映画のような、盤石のフォーマットだと言える。  イ・ビョンホンが液体金属型ターミネーターT-1000役でチラッと登場するが、『G.I.ジョー』(2009)以降順調にハリウッドでもキャリアを重ねていってくれていることは、人ごとながら、韓国人ほどではないかもしれないが、日本の映画ファンとしても、これはかなり嬉しい!『JSA』以来20年ぐらい日本の映画ファンもずっと注目し続けてきた俳優なので、そんな彼の国際的な活躍は、半分我が事のように嬉しい。「ハリウッドよ、気づくの遅かったね」って感じだ。  イ・ビョンホンだけでなく、カイル・リース役とジョン・コナー役(『エベレスト』のジェイソン・クラーク扮演)の2人はオージーで、シュワはオーストリア(「ラ」が無い方)出身、エミリア・クラークは英国人ということで、ちょい役JKシモンズを除く主要キャストは全員が非アメリカ人だが、にもかかわらず典型的な娯楽ハリウッド大作に見える。  それはスカイダンス・メディアというプロダクションの持ち味もあるかもしれない。スカイダンス社は「ミッション:インポッシブル」、「G.I.ジョー」、「新スタトレ」、「ジャック・リーチャー」などパラマウント社の人気娯楽アクションシリーズを製作している、That’sハリウッドなイメージのプロダクションだ。とは言えしかし、よく考えると、多国籍スタッフ・キャストが英語で娯楽映画作りすることこそが、ハリウッドの伝統そのものであり、その伝統に正統に連なる典型なのだとも言える。  来年には新作もくる。キャメロンがプロデュースで『デッドプール』の監督、シュワとリンダ・ハミルトンがまさかの再共演で、2019年公開予定とのこと。その前に本作を見ておいてほしい!■   © 2018 Paramount Pictures. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存

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