本作『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997)の主人公で、ブラピことブラッド・ピットが演じるハインリヒ・ハラーは、実在の人物である。1912年にオーストリアのケルンテルンに生まれ、グラーツ大学で地理学を専攻した。
 36年にはスキーヤーとして、オリンピック選手団の一員に。翌年には世界学生選手権の滑降競技で優勝を飾った。
 そして38年、アルプスのアイガー北壁の登攀に成功。その功績によって、当時オーストリアを支配していた、ナチス・ドイツのヒマラヤ遠征隊への参加を認められる。映画のストーリーが始まるのは、ここからである。

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 1939年秋、オーストリアの登山家ハラーの頭は、ヒマラヤ遠征のことでいっぱいだった。傲慢な性格の彼は、妊娠中の妻のことを顧みず、家庭不和を抱えたまま旅立つ。
 ハラーが参加したドイツの遠征隊は、“魔の山”とも呼ばれる高峰ナンガ・パルバットに挑む。しかし雪崩のために、中途で断念せざるを得なくなる。
 折しも第2次世界大戦、イギリスがドイツに宣戦布告したタイミング。イギリスの植民地であるインドに居た遠征隊一行は捕らえられ、捕虜収容所へと収容される。幾度となく脱走を図るハラーだったが、失敗が続いた。
 そんな彼に、妻から手紙が届く。その封筒には、“離婚届”が同封されていた。
 収容から2年経った42年、ハラーは遠征隊の仲間と共に、ようやく脱走に成功した。そこからは単独行を選ぶが、やがて遠征隊の隊長だったアウフシュタイナー(演:デヴィッド・シューリス)と再会。2人は衝突を繰り返しながらも、逃避行の旅を助け合った。
 45年、2人は外国人にとっては禁断の地、チベットの聖都ラサに辿り着く。政治階層のツァロン(演:マコ岩松)、大臣秘書のンガワン・ジグメ(演:B・D・ウォン)らが、救いの手を差し伸べてくれた。
 持てる知識と技術を提供しながら、素朴なチベットの人々と風土に、心が癒やされていく、ハラー。そんな時チベットの政治・宗教の最高権威者であるダライ・ラマ14世(演:ジャムヤン・ジャムツォ・ワンジュク)が、ハラーの存在に興味を持つ。
 ハラーはダライ・ラマに謁見。その日から、まだ10代の少年だったダライ・ラマとの交流が始まる。ハラーは、ダライ・ラマを敬いつつも、故郷のまだ会ったことのない息子への思慕を代替するかのように、彼のことを慈しむのだった。
 しかしやがて、毛沢東によって建国された、中華人民共和国の軍靴の音が、チベットの平穏を揺るがしていく…。

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 原作はハラー自らが著した、「チベットの七年」。映画は前半、若き野心家だったハラーの冒険行と挫折、そして命懸けの逃亡生活を描く。後半はタイトル通り、「チベットの七年=セブン・イヤーズ・イン・チベット」。チベットで暮らし、若きチベット仏教の法王との間に友情を育て、やがて故郷に帰るまでの物語である。
 ジャン=ジャック・アノー監督が、この題材に惹かれた理由は、想像に難くない。フランス人である彼だが、そのデビュー作『ブラック・アンド・ホワイト・イン・カラー』(76)は、第一次世界大戦時のアフリカが舞台。続いて、『人類創世』(81)で旧石器時代、『薔薇の名前』(86)で14世紀北イタリア、『子熊物語』(88)でロッキー山脈、『愛人/ラマン』(92)で1929年の仏領インドシナ、『愛と勇気の翼』(95)では1930年代のアルゼンチン、『スターリングラード』(00)で独ソ戦、『トゥー・ブラザーズ』は1920年代のカンボジアといったように、そのフィルモグラフィーには1本たりとも、フランス本土を舞台にした作品がないのである。時制が“現代”である作品も、見当たらない。
 異境の地、そして今ではない時代に、登場人物が歴史のうねりに翻弄されながらも、運命に抗わんとする姿を、スケール感たっぷりの大作仕立てで描く。アノー作品のこうした特徴を記すと、デヴィッド・リーンがキャリアの後半に手掛けた、大作群に重なるところもある。実際に80年代後半から2000年代前半までは、アノーを語る際には、“巨匠”と冠することも、少なくなかった。
 そんなアノーにとって、ハインリヒ・ハラーの、1940年代前後の軌跡は、正に「格好の題材」であったのだ。アノーは本作公開時のインタビューで、次のように語っている。

~ハインリヒ・ハラーの本に心が惹かれたのは、500ページに及ぶ、7年間の生活の記録が書かれているけれども、彼の心情については触れられていないことだ。…脚本家のベッキーには、実在のハインリヒや映画会社の誰にも束縛されることなく、自由にわれわれの感じたことを表現して欲しいと頼んだ~

 結果としてそれが、ハラーの実像に近づくことに繋がったなどと、アノーは結論づけている。しかしこれはあくまでも「表向き」のことで、額面通りに受け取れない。というのは、「誰にも束縛されることなく、自由に」脚色を行った際に、実在のハラーが“独身”だったのを、本作では、まだ会えぬ我が子に思いを寄せる“父親”に改変してしまっているのである。
 原作「チベットの七年」は、第2次世界大戦前後の激動の時代に、秘境の地チベットを訪れた冒険記や日記文学として、主に価値が見出されている。それをアノーと脚本家のベッキー・ジョンストンは、大胆に再構成。わがまま勝手で罪深い若者が、異郷での辛苦と癒やしを経て、自らを再発見。ダライ・ラマとの出会いから救済を得て、やがて実の我が子とも邂逅。新しい人生を歩んでいこうとする物語に、仕立て上げてしまった。
 詳細は観て確認していただきたいが、チベットを去るハラーに対し、ダライ・ラマが贈る感動的な言葉も、即ち映画に於ける創作ということになる。
 史実を改変することが、どこまで許されるのか?本作で、監督が描かんとする方向に舵を切るため、実在の人物に、架空の妻子を持たせてしまったことなど、賛否は付きまとうであろう。この辺りの是非の判断は、観る方1人1人にお任せする。
 いずれにしても「チベットの七年」という題材を生かして、アノーがやりたかったことは、正にコレだったのだ!それが、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』という映画作品である。

 本作で、スターと言える出演者は、主演のブラピただ1人。ブラピは、アノーとの最初のミーティングからノリノリで、撮影現場でも文句ひとつなく、時には危険なスタントも、自らやってのけた。
 この背景には、彼の前作『デビル』(97)が、トラブル続きだったこともある。共演のハリソン・フォードとの、自尊心の強いスター同士の意地の張り合いや、脚本の相次ぐ変更などによって、撮影が大幅に遅れてしまったのである。
 それに対して本作では、製作費の1割以上が自分のギャラとして用意された。共演のデヴィッド・シューリスとも、山登りをはじめ様々なトレーニングを共にしながら、終始良好な関係だったという。
 因みに本作のキャストは、プロの俳優と言える者は、ごく一部。ダライ・ラマ役の少年をはじめ、ほとんどが、インドなど世界各地から集められた、演技面では素人のチベット人たちだった。
 本作は、チベットを侵略した中国を批判する内容であるため、その支配下となっていたチベットでは、もちろん撮影はできない。そのためロケ地として白羽の矢が立てられたのは、ダライ・ラマ14世が、1959年以来亡命生活を送るインドだった。しかしインド政府は、友好関係にある中国に気を使い、撮影を拒否。
 そこで、インドからは地球の裏側に当たる、アルゼンチンにチベットの聖都ラサを再現し、そこでメインの撮影を行うこととなった。多くのチベット人たちは、世界中から南米へと運ばれて、撮影に参加したのである。
 その上でアノーは更に、冒険的な試みを行っている。それはスタッフ及びブラピとシューリスのそれぞれ代役を、チベットに潜入させ、自らはアルゼンチンからFAXや電話で指示を出しての極秘撮影。こうして本作中には、かなり多くの部分で、本物のチベットのシーンを収めることに成功した。

 中国関連以外にも、本作には政治的な問題が付きまとった。公開が近づいた頃、ドイツのニュース雑誌「シュテルン」が、原作者のハラーがかつてナチスの親衛隊員で、曹長に当たる階級だったことを、写真付きですっぱ抜いたのである。
 この件では、ナチスの戦犯追及で有名な「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が調査に乗り出した。その結果、ハラーがドイツによるオーストリア併合を支持し、ヒトラー個人にも好意的な内容の手紙を送っていたことが判明。そのため、ユダヤ系団体から本作の内容に対する批判や、上映ボイコット騒動が沸き起こった。
 その一方で、ハラーは一介のスポーツ・インストラクターに過ぎず、ユダヤ人に対する残虐行為に加担した証拠がないことも、明らかになった。これらを受けてハラー本人は、「私の良心は一点の曇りもない」と、コメント。アノーやブラピはこの件に関しては、ただただ沈黙を守る他はなかったが。
 ハインリヒ・ハラーは2006年、93歳でこの世を去った。お互いチベットを離れた後も、度々友情を温め合う機会を持ったダライ・ラマは、この時ハラーに、哀悼の言葉を捧げている。
 中国によるチベット支配はいまだ強権的に続けられ、弾圧は止む気配がない。そんな中で本作によって、中国側のブラックリストに載った筈のジャン=ジャック・アノーは、2015年に中国に招かれ、『神なるオオカミ』という作品を監督している。
 文革期の1967年、内モンゴルの草原を舞台に、下放された北京出身の知識人の青年が主人公であるこの作品は、題材的には確かにアノー向きと言える。しかしチベットに於いて、深刻な人権蹂躙が続く中で、一体どんな事情と心境の変化があって、この作品を引き受けたのだろうか?
 心境の変化という点で言えば、アノーの最新作は、今年3月にフランスで公開された、『Notre-Dame brûle』。タイトル通り、2019年4月15日に起こった、パリのノートルダム大聖堂の火災を題材にした作品である。そしてこれがアノーにとっては初めて、“フランス本土”そして“現代”を舞台にした作品となった。
 アノーは、“変節”したのか?それとも、70代にして、まだまだ転がる石ということなのか?最新作を含め、2000年代後半以降にアノーが監督した4作品中3作品が、今のところ日本未公開故、判断は保留せざるを得ないが。■

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