■ブリットコムの伝統を踏襲しつつ、新しい境地に立つ怪作

 児童作家から犯罪小説家へと転身を図るべく、ビクトリア朝時代の連続殺人事件を研究していた主人公ジャック(サイモン・ペグ)。ところがそのうち「自分も殺人鬼に殺されるのでは?」という妄執に取り憑かれ、引きこもり状態になってしまう。そんなある日、ジャックはエージェントから「ハリウッドの経営幹部があなたの仕事に興味を抱いている」と聞かされ、その重要会議に出るための準備を迫られる。そして彼が家から一歩外へと踏み出したとき、ジャックはさらなる恐怖と直面することになるのだ!

『変態小説家』……いやぁ、それにしても、ため息が漏れるくらいひどい邦題である。原題も“A Fantastic Fear of Everything”(すべての素晴らしい恐怖)と、冒頭のストーリーを踏まえていないと抽象的で理解に困るが、それでもその不忠実さは邦題の比ではない。せめてもうひとつばかし知恵を絞り『妄想小説家』くらいのニュアンスを持たせて欲しかった。それというのも、この要領を得ない邦題のせいで、本作の持ち味がいまひとつ周りに伝わっていない気がするからだ。

 そう、このサイモン・ペグ主演のホラーコメディには、いろいろと楽しい要素が詰まっている。まずパラノイアに陥ったジャックの心象が、彼の手がけた児童文学の形を借り、不条理な世界を形成していく異様な語り口が独特だ。そこへ加え、密室から外界へと舞台が移行していく急展開の妙や、細かな伏線を抜かりなく回収していく「空飛ぶモンティ・パイソン」(69〜74)式の構成など、由緒正しいブリットコム(英国コメディ)の韻を踏まえつつ、この映画ならではの世界を形成しているのだ。そもそも主人公が殺人鬼の影に支配される設定からして、ブラックな笑いを特徴とするイーリング・コメディ(英イーリング撮影所で製作された黄金期のコメディ作品群)の様式をまとい、ブリットコムの古典的な流儀に対して敬意を示しているし、また同時にサイモン・ペグの盟友であるエドガー・ライト監督が成立させた、軽快にリズムを刻むフラッシュ編集を採り入れるなど、ブリットコムの最先端な手法にも目配りしている。そうした性質もあって、本作は『007』シリーズの撮影で知られるイギリスの伝統スタジオ、パインウッドが支援している低予算映画の第一回作品となった(撮影自体はもうひとつの伝統スタジオ、シェパートンで行なわれているのが皮肉だが)。

■笑いの異能者による一人芝居を楽しめ!

 本作を監督したクリスピアン・ミルズは、映画『キングスマン』(14)でも楽曲が使用されている英国ロックバンド「クーラ・シェイカー」のギターボーカルとして知られている。なによりもお父さんが、英国を代表する喜劇役者ピーター・セラーズの主演作を数多く手がけたロイ・ボールティング監督で、ブリットコムの血筋をひいた作り手といえる。事実、これが初監督とは思えぬ堂に入ったコメディ演出や、既知されるコメディ映画に類例のない不思議なお笑い感覚が全編にただよっている。

 また共同監督として、レディオヘッドやザ・ヤング・ナイヴスのMVで知られるPVディレクター&アニメーターのクリス・ホープウェルが共同監督に名を連ね、彼が手がけたレディオヘッド「ゼア・ゼア」のPVに登場した、動物たちのモデルアニメーションが本作でも効果的に使われている。

 だが何にもまして、主人公のジャックを演じたサイモン・ペグ自身の存在が、独特のユーモアとして機能している。特に映画の前半に展開される、彼の一人芝居は圧倒的な見ものだ。常に何かに怯えている狭心なさまや、外界を警戒していたジャックが意を決し、全ての元凶となるコインランドリーに向かうまでの葛藤を、ひたすらハイテンションな演技と、古典落語を演じる噺家のごとき言葉たぐりと感情表現で、観る者を飽きさせることなく劇中へと誘っていく。

 このように主人公が常に不安を抱えた一人芝居は、主人公の女性が検診を受け、結果がわかるまでの感情の揺れ動くさまをリアルタイムで捉えた『5時から7時までのクレオ』(62)や、男性恐怖症の女性が妄執にとらわれていくプロセスを丹念に描いたロマン・ポランスキー監督の『反撥』(65)に近いテイストのものといえる。特に本作の場合、後者である『反撥』からの強い影響は明らかだ。象徴的に挿入される眼球のアップや、同作の主人公キャロルの画面から滲むような焦燥感など、それらを『変態小説家』は劇中で見事なまでに反復している。いちおう本作は『ウィズネイルと僕』(87)で知られるブルース・ロビンソン監督が執筆した小説“Paranoia in the Launderette”を基にしたという指摘があるが、こうした映画を出典とするディテールも、同作のプロデュースを務めているサイモンのオタク的なこだわりを感じさせる。

■実際のサイモン・ペグは、映画とは真逆!?

 そんなふうに、プロデューサーとしてこの映画を成立させ、また劇中でも圧倒的なパフォーマンスを見せるサイモン・ペグだが、筆者が主演作『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!』(07)の宣伝プロモーションで出会ったときの彼は、あの突き抜けて陽性な感じとは程遠い、物静かで知性的な雰囲気をただよわせていた。もちろん、ときおり楽しいコメントを提供し、周囲に笑いをもたらしてくれるが、それは同席したエドガー・ライト監督の談話を補足するような場合がほとんどで、自分から率先して笑いをとるようなことはなかったと記憶している。

『ショーン・オブ・ザ・デッド』(04)や『宇宙人ポール』(11)など、サイモンとの数多いコンビ共演で知られているニック・フロストは、こうしたコメディ俳優の二面性を主演作『カムバック!』(14)で取材したさい、以下のように語っていた。

「コメディ俳優は 実生活も笑いと楽しさにあふれていると思われがちだけど、コメディとドラマを自然体で演じるタイプの役者は、精神的にも相当の負荷がかかるんだよ」(*1)

 もっとも、このコメントは同じ頃に亡くなった名優ロビン・ウィリアムスの訃報に触れたものだったのだが(同作の劇中、ロビン主演のTVコメディ『モークとミンディ』(79)が引用されている)、先のサイモンの印象があまりにも強く残っていたので、筆者は反射的に彼の盟友サイモンのことを連想してしまった。

 スクリーン上のサイモンと現実の彼との隔たりに、精神的負荷が起因していると思うほど短絡的ではないにせよ、フロストの話は笑いを生業とする役者にはテンプレのごとくついてくるものだ。しかしサイモンの場合、こうしたギャップをコントロールし、あえて自身の中で楽しんでいるフシがある。例えば先の『ホットファズ』のインタビューでも、

「僕はイギリスの、あまり事件が起こらない場所で育ったんで、ロンドンの観光地みたいなところで怪奇事件が起きたら面白いと思い、アイディアを膨らましたんだ」(*2)

 と発想のきっかけをこのように話していたし、ジェリー・ブラッカイマーが製作するハリウッド・アクション映画のテイストを拝借したことにも、 「ハリウッド・アクションに決して悪意を抱いているワケじゃなく、二兆拳銃の銃撃戦が田舎のパブで行われている、そんなセッティングのズレに笑ってほしいんだよ」(*3)

 と答えている。なので『変態小説家』で見せた演技も、こうしたギャップにこだわるサイモン自身を体現しているのかもしれない。単にインタビュー当日、虫の居所が悪かっただけかもしれないが、邦題が招く誤解を少しでも和らげるためにも、このようにまとまりよく結ばせてほしい。■

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