COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2010.11.11
詐欺映画?それとも感動映画?『マッチスティック・メン』
公開当初、予備知識がほぼない状態で見た『マッチスティック・メン』。分かっていたのはリドリー・スコット監督、ニコラス・ケイジ主演の詐欺映画だということだけだった。そういえば、「どんでん返し」を売りにいていたような気もする。かいつまんであらすじを紹介しよう。詐欺師のロイ(ニコラス・ケイジ)は、あらゆることに対し異様なまでに神経質。薬なしでは平静を保つのが困難なほどの重度の潔癖症は、次第に肝心の“仕事”にまで悪影響を及ぼし始め、やむなく精神分析医を訪れることになる。そんなある日、ひょんなことからロイの実の娘だという14歳の少女アンジェラ(アリソン・ローマン)が目の前に現れる。突然の展開、初めて会う娘にただただ困惑するロイに、こともあうにアンジェラは「詐欺のテクニックを伝授してくれ」とせがむのであった…さて。世の中には、『オーシャンズ~』や『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』等々、詐欺(師)を題材とした映画は数多くある。そして、巨匠リドリー・スコットが撮った“詐欺師映画”である本作。一体どんな仕上がりになっているのかと、当時は期待に胸膨らませて映画館に行ったものだが、見てみると、意外や意外。もちろん、定番の「騙し騙され」や、前評判通りの「どんでん返し」もあった。だが、この映画、どちらかといえば、見ている観客までも巧みなストーリーに騙されるような、いわゆる“トリック・ムービー”ではなく、もっと人間味に溢れたヒューマン・ドラマだったのだ。脚本が、とにかく素晴らしい。「せっかく詐欺の映画を見るのなら、とことん騙されたい」「最後にスカッとした気分で終りたい。」そう思っている人は当然のようにいるだろう。自分の想像を様々な意味で裏切ってくれるトリッキーな映画を見るのは、確かに楽しい。もちろんこの映画にも、そうした要素が無いわけではない。詐欺の手口や騙し合い、ドンデン返しは、確かに出てくる。だが、詐欺を全面に押し出している他の作品とは違った味わいが、この映画には存在する。登場人物のちょっとしたやりとりや会話のはしばしなど、全編を通してみられる、粋な演出。それが、なんとも心地好いのだ。そして、見ている最中、見終わった後、ほんのちょっと幸せな気持ちにさせてくれる、優しさと温もり。それこそが最大の魅力であり、本作がヒューマン・ドラマたる所以である。これ以上は物語の核心に触れてしまいそうなので、あえて具体的には書かないが、とにもかくにも、後味の大変よろしい作品なのであった。確かに、リドリー・スコット監督にしてはアクションやバイオレンスなど派手なシーンのない、中規模の地味な作品ではあるのだが、これは「良い意味でイメージを裏切られた」と言うべきケースだろう。 次に、キャストの話である。主演はニコラス・ケイジ。アクション・スターのイメージがある一方、『リービング・ラスベガス』のベンや『アダプテーション』のカウフマンのような、病的で神経質な役柄をやらせても、彼は上手い。今回のロイ役も、まるで本当に潔癖症なのではないかと思わせるほど、見ていて楽しくなる演技を披露してくれている。オーバーなくらいの演技でも、不思議と自然に受け入れてしまうのは、彼の演技力とキャラクターのなせるわざだろう。だが、ある意味、ニコラス・ケイジよりも存在感を放っていたのが、ロイの娘であるアンジェラを演じたアリソン・ローマンである。 『ホワイト・オランダー』で映画初主演にして素晴らしい演技を見せてくれた彼女。今回の役どころは14歳のティーンエイジャーだ。彼女は本作のオーディションの際、実際に14歳のような服装で、本物の14歳のように振る舞い、リドリー・スコット監督は本人の口から実年齢を聞くまでそう思い込んでいたというから驚きである。ちなみに、撮影当時なんと22歳!日本人から見ればかなり早熟に見える欧米人(特に女の子)だが、まるで違和感がなく、本当に14歳の少女に見えるのだから、アリソン・ローマンという女優はすごい!! 映画史に残る化けっぷりと言うべきで、極論すれば、これを見るためだけでも、本作は必見なのである。■(田村K) TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2010.08.18
【ザ・シネマで放送につき再録】『アクロス・ザ・ユニバース』
※この記事は、2008年、『アクロス・ザ・ユニバース』劇場公開時に執筆したものを、一部、修正したものです。「今年」「昨年」は、あくまで2008年時点の「今年」「昨年」です。問題:2008年いちばん注目のハリウッド新鋭スターは?答え:ジム・スタージェスと、だいぶ時間がたってしまいましたが、例のジム・スタージェス君の注目作その2をご紹介します。『アクロス・ザ・ユニバース』ご存知、ビートルズの曲と同名タイトルですが、この映画そのものが、いくつものビートルズ曲の組み合わせでできてるミュージカルなんです。ってことは、多くの人がメロディをはじめっから知ってるってワケです。知らない曲よりは知ってる曲の方が“ノレる”でしょう。敷居の低さというか、入って行きやすさというか、そこらへんが、まずこの映画の魅力のひとつ。この映画は当初ショボく23館で公開され、そのうち面白さが評判となり、なんと964館まで拡大されたという、昨年の北米興行のダークホース。 我らが文化部系ハリウッド・スターのジム・スタージェス君は、この映画の時点ではほとんど無名で、役者でもありミュージシャンでもある、という、よくいるフワっとした微妙セレブの典型だったのですが、本作をヒットさせて『ラスベガスをぶっつぶせ』の主役をゲットしたのです。日本公開はあとさきが逆になってしまいましたが。出てる人はマイナー。公開規模も極小。でも評判が評判を呼んで大ヒット。氏もなけりゃ素性もないけど実力で天下を切り従えてやったぞザマミロ、みたいなこの手の太閤秀吉系映画は例外なく面白い!ってのは自然の法則・宇宙の摂理であります。さて、映画の舞台は1960年代。スタージェス君はこの映画でも主役はってます。さすがは仲間を集めて自分はVo.G.を担当してる、まさしく文化系なバンドやろうぜ兄貴だけあって、彼は歌うたわせてもスゴいんですね。スタージェス君が演じてるのが、イギリス(しかもリバプール)から夢を追ってアメリカに渡ってきた青年ジュードです。ジュードなんです!ジュードときたら、絶対そのうち“あの曲”が流れるだろうな、と誰でも思うわけですよ。で、アメリカの大学生マックスと意気投合。マックスのお宅にお呼ばれし、そこで彼の妹の美少女と知り合うのです。それがヒロインのルーシー。ルーシーですよ、ルーシー!“あの曲”はいつ流れるんだろ?とういう期待感が、このミュージカルにはいっぱいあります。で、映画のかなり後半まで待たされて、それが意外な使われ方だったりして、「ほほぅ、こうきたか!」みたいなサプライズがあったりして、実に楽しいのです!このジュードとマックスの親友コンビがニューヨークに上京し、2人のまわりにはヒッピーみたいな連中が集まってきます。途中で萌えな妹ルーシーたんも転がり込んできて、音楽やったりアートやったり、みんなでラブ&ピースな共同生活を始めるのです。しかし、マックスが徴兵されちゃうんですねぇ。そこから、物語は怒涛の60’sカウンター・カルチャーモードに突入!レイト60’sのフラワーチルドレン&カウンター・カルチャーまわりの事象をパロったようなシーンのテンコ盛りです。たとえば、ケン・キージーのマジック・バスもどきみたいなのが出てきて(その偽ケン・キージーが実は“ドクター・ロバート”だという設定にニヤリ)、偽ジャニス・ジョップリンや偽ジミヘンみたいなキャラも出てきて、画面はサイケデリックに染め上げられていきます。 さらに、兄貴を兵役にとられたルーシーたんはベトナム反戦運動に身を投じ(反戦学生がデモ隊鎮圧の兵士の銃口に花を挿すお約束のシーンももちろんアリ)、コロンビア大のティーチ・インに参加。そこに警官隊が突入し…って、これがホントの「いちご白書」をもういちど。戦争が人の心を荒ませ、反戦運動は過激化し、とうとう引き裂かれてしまう友人たち。このまま、愛と自由を求めた仲間たちの理想は、暗い時代に押しつぶされてしまうのか…!?といったあたりの終盤が、ドラマ的には大盛り上がりに盛り上がって、たいそう感動させられます。さてさて、この映画の楽しいとこは、ビートルズを知ってる人が「この曲をこう使ったか!」と感心しながら見れる上に、さらに60’sの知識のある人なら「あの事件をこう描いたか!」みたいなマニアな見方もできてしまう、奥の深さでしょう(いや、知らなきゃ知らないで普通に楽しめますけどね)。このエンターテインメント・ミュージカル映画を見てるだけで、60年代末の世相をひととおり追体験できちゃうのです。そう、まさしくこれは、映画でめぐるマジカルでミステリーな60年代ツアーだ!と言っても過言じゃないのです。そこで、2008サマーはサマー・オブ・ラブを『アクロス・ザ・ユニバース』で追体験しよう!ってな見方を、僕としては推奨いたします(そういや、この映画が米本国で公開された去年って、サマー・オブ・ラブ40周年イヤーだったんですよね)。ヒッピーファッションってけっこう周期的にリバイバルしていて、今では流行りすたりと無関係に定番化してますから、当時をリアルタイムで知る団塊の世代以外にも、ヒッピーファッション好きな人なんかは、この作品を特に、120%楽しみ尽くせちゃうのではないでしょうか。または、この映画を見てヒッピーファッションにハマった、なんて人も続出しそうな、それぐらいの魅力を持った作品です。2008年マイ・ベストのトップ3に入ることは、早くも確実な情勢であります。■ ©2007 Revolution Studios Distribution Company,LLC.All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2010.06.30
【ザ・シネマ再登場につき再録】『迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険』と、パイプの話
小生には、行きつけにしている煙草店がある。常連客の紳士たちが燻らせる、葉巻やパイプの馥郁たる紫煙たゆたう店内には、一葉の映画のスチールが飾られている。それは煙草店には似合いの、あの人物のポートレートだ。インバネス・コートに鳥撃ち帽スタイルで、トレードマークのパイプを軽く手に持ち佇んでいる。そう、名探偵シャーロック・ホームズである。扮するは、英国の名優マイケル・ケイン。「もしホームズが実在したなら、まさにこういう風貌だったに違いない」と確信させるに足る、泰然たる雰囲気。飄々とした軽さの裏に秘めた貫禄。流石はマイケル・ケインと言うべきだろう。本場の英国紳士でなければこの存在感は出せまい。ただしこのスチール、確かにシャーロック・ホームズ映画のものに間違いないのだが、かなり異色のホームズものだと言える。1988年製作のこの作品でケイン演じるホームズは、頭を使って物を考えるのが大の苦手、エールかスコッチをあおって四六時中グデングデンか、女の尻を追いかけるだけのお調子者のダメ男、という設定。ホームズの正体は、天才探偵の“フリ”をしている、しがない俳優なのだ。逆に、実はあの愛すべき助手・ワトソン君こそが、明哲なる推理力の持ち主ということに本作ではなっている。演じるのは、『ガンジー』で1982年のアカデミー主演男優賞に輝く名優、ベン・キングズレーである。このワトソン君、地味な灰色の中年男で、まるで華というものがない。そこで落ち目の役者を雇って“シャーロック・ホームズ”なる天才を演じさせ、その華やかなカリスマ性と派手なパフォーマンスを通じて、一般大衆やスコットランド・ヤードの耳目を集め、自らの推理を広く世間に訴えて、大英帝国を揺るがす数々の事件を解決しているのである。要するにこの映画では、ワトソンが黒幕で、我らがホームズは完全にコメディ・リリーフなのだ。そこで本作につけられた邦題が『迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険』である。“名”ではなくて“迷”探偵なのでお間違いなく。そんなマヌケ版ホームズの写真を見て「これぞイメージ通りのホームズ像だ!」と早合点したなら、あの煙草店に通う日本の愛煙家紳士諸兄は、本場の英国紳士マイケル・ケインの放つ存在感によって、それこそ煙に巻かれたのだ、としか言い様がない。いや、実はケインは本場の英国紳士などではない。そこらへんにゴロゴロいる普通の庶民の出なのである。ケインを典型的な門閥のジェントルマンだと思い込んでいる多くの人が、劇中のロンドンっ子同様、俳優ケインの打つ芝居にまんまと騙されている、と言うのが正しいさて、映画は、手柄を全てホームズに持っていかれる現状に不満を抱くワトソン君と、小うるさいお目付け役ワトソン君のせいで窮屈な思いを強いられているホームズ、それぞれ堪忍袋の緒が切れて、コンビ解散に踏み切るところから、話を起こしていく。そして、互いの利益のために、最後にもう一度だけ渋々コンビを再結成し、協力して難事件に挑むさまが描かれていくのである。ケインとキングズレー、名優2人が凸凹コンビに扮し、美しいクイーン・イングリッシュ(この場合のクイーンはエリザベス女王ではなくヴィクトリア女王だが)で繰り広げる、ユーモラスな掛け合い。それは耳にも心地好い、なんとも上質な演技合戦である。また、この作品はもちろんコメディである訳だが、アメリカ映画のそれのような所謂「お馬鹿コメディ」とはかなり毛色が違っており、下品さというものがキレイに排されている。上品な英国流の笑いの層で、推理サスペンスという骨子を幾重にもコーティングした、格調高い喜劇。であると同時に、難解な要素は一片も存在しない、単純明快なエンターテインメント。本作は見事にそうした映画に仕上がっている。そしてエピローグでは「腐れ縁という名の友情の再確認」という気持ちの良い感動要素まで用意され、サブタイトル「最後の冒険」の「最後」の意味も明らかになって、正味1時間47分、この映画の幕はすがすがしく下りていくのである。個人的には、そうとう好きな部類に入る作品だ。7月のザ・シネマの隠れた必見作として、皆様にこの場で是非ともお薦めしておきたい。さて最後に、小生もホームズを気取って、名(迷?)推理をひとつ披露させていただこうかと思うので、ご用とお急ぎでない方は終いまでお付き合い願えれば幸いである。本作でも、ホームズのトレードマークと言えば、あのパイプである。しかし、これは“らしく”見えるようにと、三文役者ホームズが衣装箱から引っ張り出してきたか、あるいは、ワトソン君がホームズに持つよう入れ知恵した、単なる“小道具”にすぎず、ホームズは普段はパイプを常喫していない、と小生は推理する。ホームズのパイプだが、実は、一般的な種類のものではない。一般的なタイプは木の球根(のようなもの)から削り出されているが、ホームズ愛用のタイプは「キャラバッシュ」というヒョウタンの一種から作られている。胴の部分がヒョウタンで、タバコ葉を詰める穴がうがたれた頭の部分は「海泡石」という白い軽石で出来ている。サイズも普通のタイプより一回り大振りだ。 このキャラバッシュ、使い込むほどに色が変わってくる点が、普通のパイプと異なる特徴である。一般にパイプというものは、吸っている最中に、ヤニで茶色味を帯びた微量の水分が、葉を詰めた穴の底に溜まってくる。キャラバッシュ・パイプの場合、この茶色い水が胴のヒョウタン部分に染み込むことによって、色が内側から濃くなってくる。同時に、白い海泡石の頭の部分も、ヘビースモーカーのヤニっ歯のように、長く使っていると煙で黄ばんでくる。ヤニっ歯と違い、キャラバッシュ・パイプの胴と頭の黄ばみは「琥珀色に輝く」とか「アメ色の光を放つ」などと表現され、むしろ美しいものと愛煙家の世界では見なされる。そのため、祖父から父へ、そして孫へと、一族の男子が代を重ね受け継いできた年代物のキャラバッシュほど、色が深まり価値も高まる、と斯界では言われてきたぐらいだ。そこで本作におけるホームズ所有のキャラバッシュを見てみると、これが、まったく色づいていないのである。新品おろしたてのように頭の海泡石の部分は真っ白。ボディーのヒョウタン部分の色からも、深み、年季、重厚感といったものがまるで感じられない。ゆえに、ホームズがこのパイプを日常的には愛用していないことが一目瞭然であり、記者や警察のお歴々、ファンや野次馬の前に姿を現す時のみ、カッコつけとコケ脅し目的でふかしているのだろう、との推理が成り立つのである。本物の名探偵なら、カッコつけはともかくコケ脅しは不要だ。すなわち、この点さえ突き崩せれば、ホームズが天才のフリをしたニセ名探偵であることまで看破するのも、せいぜい“パイプ三服分”程度の難しさのはずだ。小道具と言えど手抜きは命取りである。ロンドンの蚤の市かどこかで、使い込まれた骨董キャラバッシュを見つけてくるべきだった。小生ごとき映画チャンネルの一介の編成マンに見破られるようでは、ワトソン&ホームズのコンビも、まだまだである。■(聴濤斎帆遊) © ITV plc (Granada International)
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NEWS/ニュース2010.03.26
長塚京三さんが語る俳優ジョージ・クルーニーとは、あるいは試写会担当者の雑感
去る3月10日(水)新宿明治安田生命ホールにて、視聴者の皆様をご招待したザ・シネマ主催による新作映画『マイレージ、マイライフ』特別試写会を実施しました!150組300名様ご招待のところ、ナントそのウン十倍の応募数!たくさんのご応募、本当にありがとうございました!今回残念ながら抽選に漏れた方も次の機会にも是非ご応募下さい!さて当日。普段視聴者の方々と直接お会いする事が少ない我々ザ・シネマ編成部員も、この日は貴重な機会としてほぼフルメンバーでスタンバイ!タイトな時間で諸々準備を終えて予定通り18時開場。お客様をお迎えする事が出来ました。いよいよ本番スタート! 今回の試写会では映画上映前のスペシャルイベントとして、長塚京三さんのトークショーを実施。既にご存知の通り、長塚さんは現在ザ・シネマで毎週土曜朝10時からクラシック映画の名作をおおくりする「赤坂シネマ座」で、名作の魅力を紹介するオリジナル解説番組「シネマの中へ 長塚京三 映画の話」のナビゲーター。言わば“ライブ版シネマの中へ”開催です!長塚さんも視聴者の方々に直接お話出来る事に大変喜ばれていて、いつもの番組の雰囲気よりフランクな感じで語り始めました。観客の皆様に純粋な気持ちで映画を楽しんで欲しいと、本作の内容については語らなかった長塚さん。ただし本作主演のジョージ・クルーニーについては「何をやってもブレない。自分自身を笑えるスマートさがある。」と述べ、「平均的なアメリカの明るさを持っているから、彼の映画ならどの作品でも付き合える」と絶賛されました!また、長塚さん自身の“映画体験”についても言及。「3歳ぐらいから父に連れられて映画館に通った。学生の時は家から弁当を持って映画館をハシゴしていました。学校にはほとんど行かず1年に400本近く観てました」という程の映画好きだったそう。 さらには、俳優である自分の師匠も、映画の中のポール・ニューマンやヘンリー・フォンダとのこと。そして一番好きな映画として、ポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』(1967年)を上げられていました。映画『マイレージ、マイライフ』は、アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した『JUNO/ジュノ』(2007年)のジェイソン・ライトマン監督最新作。敏腕リストラ宣告人の人生の転機を描く人間ドラマで、ゴールデングローブ賞最優秀脚本賞など60冠以上を獲得した話題作。ただいま全国公開中です!これに合わせてザ・シネマでは、ジョージ・クルーニー主演のサスペンス・アクション大作『ピースメーカー』を4月10日(土)に放送!こちらも是非ご覧下さい!!■ TM & (c) 2009 DREAMWORKS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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NEWS/ニュース2010.02.26
イケメン俳優グランプリのハリウッド・スター賞、ジョニデも愛用するスカルリング買い付け紀行
イケメングランプリ決定のニュースが東京から入ってきました。1位はわたくしも大好きなジョニデに決まったとの朗報に感激です。でも喜んでいる場合ではありません。早速「彼に縁のあるグッズを探して欲しいワぁ」と東京スタッフからの無茶ぶりです。一体ジョニー様は日頃どんなものを身に付けているのかしらん。リサーチしていくと彼のファッションは独自のセンスで、ほとんどがヴィンテージ物。更に彼の抜群の着こなしがあって、あのお洒落な感じに仕上がるので、ジョニデ”風“な商品はあっても、彼と同じブランドのそれ、がなかなか見つけられません(あっても古い情報ばかり)。あ〜それにしても彼について調べれば調べる程、やっぱり素敵ですよねぇ。うっとり。ナンバー1に輝いてしまうのも、心底納得でございます。ジョニデと言えばアクセサリーを沢山身に付けていることでも知られています。何とかその一つでも彼とお揃いのアクセサリーを手に入れたいところ。が、これまたどうやら彼はデザインを持ち込んでカスタムメイドしているものが大半の様で、同じものを売っている店なんて見当もつかず。もはや諦め&投げやりモードになっていると「あ、そういえば、彼はスカルリングを愛用していたわね」という東京スタッフからの有り難いヒント。手がかりはニューヨークのどこかで特注オーダーで手に入れたらしい、という何とも曖昧な情報のみ。ここからがリサーチャーの腕の見せ所でございます。ニューヨーク、スカルリング、ジョニデ、この3つをキーワードにひたすらリサーチです。そして遂に、遂に、遂に!!!!見つけました。彼が購入したというジュエリーショップを。ジョニデと知り合いだという店主アルフレッドさんを。ジョニデとお揃いのスカルリングを。その店は、マンハッタンはグリニッチ・ヴィレッジの一角にありました。店の名はC'est Magnifique。ゴス調のちょっぴりごついアクセサリーやアンティーク、シルバー製品を多く扱い、1959年創業以来ヘヴィメタルバンド”メタリカ“のギターリスト カーク・ハメットやパンク・シンガー イギー・ポップ、ハードロックバンド”ヴァン・ヘイレン”のヴォーカリスト デイヴィッド・リー・ロスらを顧客に持ち、カスタムデザインを得意としています。そして我らのジョニデ?もここの常連だそうです。「ロサンゼルスから電話しているんですが、ジョニデとお揃いのリングがここで手に入るって聞いたので」と言うと「それはジムスカルリングのことだね。もちろんあるよ。ジョニーのリングはここで作ったんだよ」と嬉しい返答が返ってきました。リングそっちのけで「ええええーーージョニーはよく来るの?いつ会えるの?やっぱり彼はカッコいいの?」と興奮した口調で捲し立てるわたくしに「ふふふ、君もやっぱり女の子だねぇ。彼のことが好きなんだね」と店主アルフレッドさん。女の子、という年齢からは哀しい程にかけ離れてはおりますが、まぁ電話越しですからね。バレないということで、ここは敢えて訂正はせずに。スカルの目のところに宝石を入れるとゴツいながらもキュートさもあっていいのでは、ということで、可愛らしく赤いルビーをお願いしました。 実物を見ないで購入するにはちょっと勇気がいるお値段ですが、ニューヨークです。致し方ございません。とそんな折に、これは単なる偶然か、運命か、神さまからのご褒美なのか。全くの別件の仕事でニューヨークへの出張が決まったのです。このチャンスを逃すわけには参りません。というわけで暖かなハリウッドを後に、真冬のニューヨークへ向けて出発です。まだ見ぬアルフレッドさんと、ジョニデも通うジュエリーショップを目指して。ああ、どうか、ジョニーと偶然のご対面ができますように。マンハッタン。ロサンゼルスの青空とは対照的に、低く曇った冬空と趣きある町並みの中をイエローキャブで通り抜けていくと、見えてきました、C’est Magnitique。見逃してしまう程の小さな間口、ウィンドウ越しに飾られたドクロの形をしたアクセサリーの数々。あぁ、ここにジョニデもやってくるのねぇ?ドアを開けて中に入ると、いました、いました、アルフレッドおじさんが。「ハロー。ロスから飛んできちゃった」そう言うと「お、その声はロサンゼルスの電話のお嬢ちゃんだね」そうです、お嬢ちゃんです。店内にはジョニデやイギー・ポップと共に笑顔で写ったアルフレッドさんのスナップ写真が飾られていました。店の裏に工房があり、息子のアルフレッド・ジュニアがシルバーを磨いています。正真正銘、ジョニデ愛用ジムスカルリングはここで作られたようです(嬉)。アルフレッドさんから、リングにまつわるちょっと素敵な話が聞けました。「ジョニーはね、このリングをはめるちょっと前まで仕事もプライベートも、何をやっても上手くいかない時期があってね。最初、映画『パイレーツオブカリビアン』の小道具として制作会社から、ジムスカルリングのオーダーが入ったんだよ。撮影中に衣装として身に付けていたジョニーがえらく気に入ってね、彼直々にカスタムメイドの発注がきたというわけさ。知っての通りあの映画が大ヒットして、以来彼の人生は、公私共にいい方へと動き出し始めたんだ。以来ジョニーはジムスカルリングを両手に一つずつ、はめていることが多いんだよ。このリングには何か幸運を呼び込むパワーがあると彼は感じているんじゃないのかな」と話すアルフレッドさん。 最近新たにジョニーからアクセサリーの発注がきているとこっそり教えてくれました。まだデザインや材質など細かいところまでは詰めていないということ、詳しいことは聞き出せなかったけれど、近いうちにジョニデのアクセサリーコレクションがまた一つ増えるみたい。「とにかくジョニーはこだわりの男だからね。最終的な発注までにはまだまだ時間がかかると思うよ」と言いながらアメリカ人特有の肩をすくめ、やれやれ、な表情ながらも嬉しそうに笑うアルフレッドさん。ジョニデには会えなかったけれど、赤いほっぺたのアルフレッドさんの笑顔に、はるばるニューヨークまでやってきた甲斐がありました。リングは一つ一つ丁寧に手作りです。シルバーがぴかぴか光っていますが、少し使い込むと味がでてくるのだとか。大きめサイズでオーダーを入れたので一差指にはめたらキュート。ビバリーヒルズで見つけた可愛らしいハート型のキラキラボックスに入れてハリウッドからあなたの自宅へお届けします。ジョニデとお揃いのジムスカルリングが、あなたにも幸運をもたらしてくれますように。■
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NEWS/ニュース2010.01.22
LA発リポート!バレンタイン特集用ハリウッド・セレブ・グッズ買い出し紀行2010
今年もこの季節がやって参りました。『バレンタインSP:チョコを贈りたいのは誰? イケメン俳優グランプリ』。バレンタインデーに合わせて、ザ・シネマでは、チョコを贈りたくなるハリウッドのイケメン・スター8人の作品を特集放送&HP特設サイトで8人の中か「チョコを贈りたい」イケメン俳優を選んで応募すると、ハリウッド直送の素敵な賞品他が抽選でホワイトデーに届く女性限定のプレゼント・キャンペーンを実施します。今年のプレゼント・キャンペーン賞品は昨年にも増してパワーアップを目指します!!!と張り切った発注メールを受信してしまった某日。「ここは“ハリウッドセレブ御用達”の一品で華を添えたいワぁ」と気軽にコメントする東京スタッフの面々。わたくし日頃セレブから程遠い地味な生活をしていますからね、一体何を提案すればよいのやら…。というわけで、恒例のショッピングスタートです。向かった先は、やっぱりロバートソン・ブルーバード。定番中の定番ですが、とにかく大物の出没率が高いエリア。中でも有名なスポットがセレブ御用達レストランで知られる“The Ivy”。ここにくれば必ず(?)誰かに遭遇できる、とあってパパラッチが常に目を光らせています。2003年には当時結婚間近と噂されていたジェニファー・ロペス&ベン・アフレックが揃ってレストランに現れ大騒ぎとなりました。デミ・ムーア、ブラピ、トム・クルーズ、シャロン・ストーン、ペネロペ・クルス、ティム・バートン監督らが訪れ、故マイケル・ジャクソンもここのファンだったとか。映画『ボディーガード』(懐かしい!!)ではホイットニー・ヒューストン演じるレイチェルが、女の子からせがまれたサインに応じるシーンも“The Ivy”が撮影に使われました。肝心のお味の方ですが、正直、まぁお値段の割に普通に美味しいというところでしょうか。“The Ivy”と道を挟んですぐ目の前に“Surly Girl”と書かれた小さな店を発見です。革のカバンや小物アクセサリー、Tシャツなどが飾られ、品揃えは少ないながらもオリジナル感溢れる個性的な商品ばかり。ここのパーティーバッグを片手に、レッドカーペットで満面の笑顔をふりまくセレブの写真の数々が店内に飾られているではありませんか。これぞまさに私が求める“セレブ御用達”!! 聞くところによると元々ここのバッグ、ゴールデングローブ賞やエミー賞の授賞式で手にする女優さんが多く、あっという間に口コミで人気に火がついたのだとか。2005年に店を構え、以来キャメロン・ディアス、ブリトニー・スピアーズ、ビクトリア・ベッカム、パリス・ヒルトンらが“Surly Girl”の商品を手にした写真が度々ゴシップ誌などで掲載されています。セレブのイメージと言えばやはり華やかなパーティーです。ここは是非“Surly Girl”のパーティーバッグをクリスタルの2連ブレスレットとセットでプレゼントしてしまおうではないか!と太っ腹な決定。ピンクやグリーンの革のバッグもちょっと変わっていて素敵だったけれど、やはりキラキラしたシルバーに目がいってしまうわたくし。イタリアから輸入した革を使い、アクセントにスワロフスキー社製クリスタルを一つずつ丁寧に埋め込んだハンドメイドのパーティーバッグは、輝きが違います。よし、これを購入してしまおう!ところが、ランチついでに下見にきただけだったので財布に持ち合わせがなく出直すことに。閉店間近に再び店を訪ねると取り置きをお願いしていたバッグは銀色の粉が手につくことが判明したので売れません、と言うではありませんか。一目惚れした商品です。何としても手に入れたい!平気、平気、大丈夫、銀の粉くらい我慢しますから、と食い下がってはみたものの、店員さん、首を縦に振ってはくれません。「お客さまにお売りする商品は納得のいく品質でなければ」とのこと。偉い!こんなこだわりこそが、セレブの心を掴んでいるのかもしれませんね。でもご安心を。同じ材質の別のキラキラバッグを調達しました。ちょっとしたお出かけも、これがあればセレブゥ〜に変身できること間違いなしです。 追加で昨年好評だったランジェリーショップ“VICTORIA'S SECRET”の商品も入れて欲しいと東京スタッフ。どうやらここのボディーミストが日本で大人気とのことで、これを探して!と熱いリクエスト。ふ〜ん。そんなものが流行っているのね。うちの若手(?)スタッフから、日本未上陸、季節限定Beauty Rushシリーズのボディーミストがお勧めとの情報を入手したので、早速ビバリーヒルズ店へ向かいます。一番人気はパープルボトルのPunchsicle。こちらは在庫切れで入荷待ちですって。よくよく考えたら私はもらえないのだから、ここは潔く妥協して別の香りの商品でいいのです。全然構わないのです。さっさと購入して早いところ仕事を片付けてしまえばいいのです。が、んが、売り切れと言われたら、買い物魂に火がついてしまうもの。在庫待ち?上等です。何週間でも待ちましょう。 折角ならここはセットでと、同じPunchsicleのきらきらラメ入りボディークリームも購入です。しかもこちらは在庫有り。ルンルン気分で持ち帰ったら、何とク、ク、クリームが、蓋がパカっと開いて飛び出ちゃっているじゃありませんか!ビバリーヒルズからザ・シネマUSオフィスまでの道のりでこんなに簡単に中身がもれてしまっては、海を超えた長旅に耐えられるはずがありません。即返品です。アメリカ生活で嬉しいのが、この返品文化。気に入らなければ、すぐに返品も交換も快く応じてくれるところが大半です。そんなわけでクリームの代わりにボディーパウダーをゲットしました。これがまたニクい程に可愛い。キラキラした粉をつけるとほのかに香ります。 赤やピンクがイメージカラーの“VICTORIA'S SECRET”らしい商品をと、★柄のついたパジャマとスリッパもお揃いで選ばせて頂きました。これで日本の自宅にいながらにして、アメリカァンな気分でおくつろぎ頂けるはず。なかなか素敵なギフトセットになりました(嬉)。ショッピング無事終了。いや〜自分のものにならない買い物程寂しいものはございません。■オフィスに戻ると再びの指令メール。今年は営業キャンペーン用にもギフトを用意したい、ということ。はい、はい。じゃあ同じものを追加調達ですね。お易い御用でございます。え?「豪華版で、セレブ御用達で、Surly Girlとかぶらない別の商品だと嬉しいワぁ」と、またしても気軽なコメントの東京スタッフ。だから何度も言いますが、庶民派なわたくしの対義語はセレブリティーです(困)。仕方ない。”豪華“を求めてビバリーヒルズへと参りましょうか。ビバリードライブ沿いを歩いていると気になる文字が目に入ってきました。 “The Organic Pharmacy”、そうオーガニック薬局です。ハリウッドでもオーガニックはちょっとした流行で、レストランやスーパーマーケットなどでオーガニック製品を専門に取り扱う店がここ数年グッと増えています。早速店の中を覗いてみると、小さなボトルで目の飛び出るような値札がついた基礎化粧品の数々。こんな高価な化粧水、一体どんな客層が使っているのでしょうか。聞いてみると、トビー・マグワイアやエディー・マーフィーの奥さま達が頻繁に購入していくとのこと。う〜ん、納得。イギリスはロンドン生まれの“The Organic Pharmacy”、マドンナやグウィネス・パルトロウがここの大ファンで、毎回かなりの大人買いをしていくので有名だとか。本国では既に5店舗を展開中で、遂に一昨年アメリカに進出、ビバリーヒルズに1号店を開いたばかり。店員さんはイギリスからの駐在員ということ、ブリティッシュアクセントの強い英語で「先月ロンドンでグウィネスに会ったけど、彼女肌が透き通る様に白いのよ。しかも高飛車なところが全くなくてフレンドリーで、すっかりファンになっちゃったァ〜」と興奮しておりました。それにしても商品の全てが何だかとっても使い心地が良さそう。試しに手の甲に塗ったクリームはスゥーッと肌に吸い込み柑橘系フルーツの爽やかな匂い。手触りがサラリとしているのに不思議とモッチリと潤う。ミストをシュッと一吹きすると、本物のバラの花を身にまとったかの様に、ふんわりと上品な香りが漂うのです。ほ、欲しい、とっても欲しい。数ある気になる商品の中からプレゼントに選んだのは… ゴージャスなくつろぎを演出するのにピッタリのスパセット、その名もクレオパトラのミルクバス&ボディースクラブ。ミルクバスは粉末でバラやジャスミンが含まれバスタブにスプーン2杯程入れて溶かして使います。スクラブにはハチミツやオリーブオイル、ひまわりのオイルなどが調合され、見た目にも美味しそう。これを入浴前に手足に塗って円を描くようにマッサージした後サッとお湯で流すだけ。バスタイムの雰囲気を盛り上げるのに欠かせないキャンドルもこの際ギフトに入れちゃいましょう。ユーカリやセージなどが含まれたオーガニックキャンドルを灯しながら、クレオパトラのスパセットでリラックス、贅沢なバスタイムこそがセレブへの道の第一歩です。店内の商品はどれもこれも欲しいものばかり。自腹で買ってしまおうと真剣に悩みつつも、お財布と相談したところ「断念した方がいいよ」と小さな心の声が聞こえました。あぁセレブはこんな製品を使っているから、あんなにも輝いているのでしょうか。CATV局視聴者キャンペーン用にも話題の“VICTORIA'S SECRET”のボディーミストは差し上げたいとのこと。何ならここはお風呂上がりにサッと羽織れるワイン色のショート丈ローブとスリッパもセットにしてあげちゃおうか?というビックリな決定に、誰より一番驚いているのは購入担当のこのわたくし。こ、こんなにゴージャスなギフトで大丈夫ですか??? ま、目標に掲げた“昨年にも増してパワーアップ”が達成できたので、何より。これらを手にできる方々を思うと、羨ましいやら、恨めしいやら、恨めしいやら。いいなぁ、これをもらえるあなた。少しでも憧れのセレブに近づければと遠きハリウッドまで遊びにくるのはちょっぴり大変。ならばせめてハリウッドの香りと空気感をお届けできれば、そんな思いと愛をこめて、今年もザ・シネマからあなたへ素敵なホワイトデーの贈り物です。■ ※写真は賞品イメージのため、実物と異なる場合がございます。ご了承ください。
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COLUMN/コラム2009.12.31
なぜ男はマフィア映画を愛するのか?『フェイク』
男はマフィア映画が好きだ。強さ、たくましさ、切なさ、野心、哀愁、友情…。マフィア映画には、それらすべての要素が入っている。以前、このブログで「女性はおしなべて姫になりたがる」と書いたけれど、「男はおしなべてマフィア映画好き」はそれと対をなすと思う。そして、マフィア映画のスターといえば、筆頭はやはり『ゴッドファーザー』『スカーフェイス』のアル・パチーノだろう。 本作『フェイク』では、うだつのあがらないマフィア、レフティを演じている。アル・パチーノほどの役者が、シケたマフィア役にハマるのか心配だったのだが、観た瞬間にその心配は吹っ飛んでしまう。レフティはどう見てもプライドだけが高い、シケたマフィア。なのに存在感がある。もう一人の主役は、FBIの囮捜査官としてレフティに近づくジョニー・デップ演じるジョー。ジョーは、自らをダニーと名乗ってレフティの弟分になることに成功し、常に行動をともにするようになる。FBI本部からの指令を着実にこなしながらも、レフティに全幅の信頼を置かれるようになるジョー。ところが潜入が長引く間に、ジョーは組織を取り仕切るボスのソニーにまで目をかけられはじめ、レフティを差し置いて出世してしまう。プライドを傷つけられながらも、恨みがましいことをいうわけでもないレフティ。その姿に、ジョーはいつしか潜入捜査官という立場でありながら、友情にも近い感情を抱き始めていた。男はマフィア映画をなぜ愛するのか? 僕が思うに、それは“憧れ”という言葉だけでは片付けられない。もっと強い、いわば共感や同情、自己投影といった感情が近いと思う。現実的には、マフィアの世界はほとんどの人にとって縁遠い。だが、本作『フェイク』をはじめとする多くのマフィア映画で描かれるのは、実は自分たちを取り囲んでいる世界とほとんど変わらない。どれだけ嫌であっても従わなければいけない命令があり、媚びへつらわなければいけない相手がいる。どんなことをしてでも、金を稼がなければいけないときがあり、自分が助かるためには仲間を裏切らなければいけないときもある。後輩に出世で追い抜かれることもあり、それでも野心を失うことのできない自分がいる。マフィア映画は男が生きる社会の縮図そのものだ。それゆえ男たちはマフィア映画に共感し、同情し、自分を重ね合わせる。物語の終盤、ソニーとレフティが、ダニーが潜入捜査官であることを示す証拠写真をFBIに突きつけられた後に語るシーンがたまらなくいい。ソニー「ダニーを知らなきゃ、騙されるとこだ」レフティ「ああ、ダニーを知らなきゃな」ソニーはマフィアのボスらしく、誰に対しても用心深い。ところがそんなソニーでさえ、ダニーが自分たちを裏切るわけがないと全幅の信頼を置いている。レフティもソニーの言葉に同意する。ソニーとレフティだけでなく、ダニーも彼らを信頼していなければ、こんな言葉はでてこない。映画『ユー・ガット・メール』にこんな科白がある。「人生に必要なことは全部『ゴッド・ファーザー』に書いてある」『フェイク』もそんな映画のひとつなのである。■ (奥田高大) Copyright © 1997 Mandalay Entertainment. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2009.12.04
憎さあまって可愛さ100倍、『マトリックス』
前回書きかけた、『マトリックス』が大っっっっっっっっキライだった、ということの続きを、今回は書きます。まずワタクシ、基本、エンターテイメントが好きなんです。好きっていうか、スゴいと思う。心から感心する。感動すらする。より多くの人たちに、より満足度の高い娯楽を供給する、っていうミッション・インポッシブルを、商売柄、ワタクシも日々課せられてますんで、常にそれにチャレンジしつづけてる(で、ちゃんと結果だしてる)ハリウッドを、ワタクシ、心底リスペクトしてるのです。100人いたら100人全員を楽しませるってことが、実は一番ムズかしい。逆に、100人全員を楽しませなくていいんだ、って開き直っちゃったような映画、「ミーの高尚なアートがユーに理解できるザマすか?」的な芸術映画だとか、「解るヤツだけオレ様についてこい!ついてこれん落伍者は容赦なく置き去りにするぞ!」的な難解オレ様映画だとかに、まるっきし興味ないです。エゴだよそれは(byアムロ)。そんなワケでして、実はワタクシ、『マトリックス』、好きじゃなかったんです…。公開時にリアルタイムで見てんですが、1は確かに面白かった! 1はまごうかたなきエンターテイメント映画でしたから。お客さんに楽しんでもらって、喜んで映画館から帰ってもらおう、っていうまっとうな商売人としての低姿勢さが、ちゃ~んと感じられた。2で、つまらなくなった。っていうか、監督兄弟が本当にやりたかったのは、エンターテイメントじゃなかったんだ、“オレ様映画”がやりたかったんだ、ってことが、2で分かっちゃった。2公開時、「ストーリー、意味わかんない。でも、最終作の3で全てのナゾが解けるんでしょ?」、的な、むなしい期待論もささやかれてました。でも、そりゃありえないって!とワタクシ思ったもんですわ。もはや明らかに2で方向転換してるじゃんか、「解るヤツだけオレ様についてこい」路線に。で、3公開。ワタクシは期待せずに見に行ったワケですが、案の定、ますますワケわからない状態で、シリーズは終わっちゃった。こうなる未来は2の時すでにワタクシにゃ見えてたのだよ。オラクルのようにね!とまぁ、ここまでは、ワタクシ個人の感想と思い出です。ただ、世間一般的にも、この、「1面白い、2つまらない」という感想は、皆様がかなり共通に抱いたようでして、2がワケわからなすぎて3見る気が失せちゃって、結局、3見ず終い、っつう人が、ワタクシの回りじゃけっこう多かった。ネットで調べてもそういう声は多いようです。今回のザ・シネマでの放送では、そういう人が多いという仮説にのっとり、かつて2まで見てやめちゃった人や、今回初めて『マトリックス』を見るんだけど、やっぱり2で見るのやめちゃうであろう人たちを、いかにして3までつなげるか、という点を、実は当方といたしましては課題としてたんです。 とにかく問題となるのは、2がワケわからなすぎる、ってこと。特に終盤ですよね。アーキテクトなるナゾの白髪翁(マトリックスを作ったヤツ?)が出てきますが、そいつとネオとの、TVモニターがいっぱいある変な部屋(ソース?なにソースって)でのやりとりが、まるで禅問答みたいでMAX意味不明。さらに中盤での、予言者とネオの会話も、かなりワケわかりません。そこらへんが分かって、2で何が描かれ、何が語られたかぜんぶ分かって、はじめて、3を見る気が起こる。3も、見終わった後に意味不明感や消化不良感が残るようじゃ、「面白かった!」という評価にはならんだろ、ここは疑問を残させないぐらいの解説が必要だ!って結論に達したんですわ。そこでまず、シリーズ3本一挙にやる!ことにしました。これ、民放なんかでバラバラに放送されたりしてましたが、ただでさえ難解なものが、それをやっちゃあ致命的に分からなくなる。イッキ見は最低限マストでしょう!! さらに、ウチでは特番つくりました。本編後にはストーリーのおさらいも付けました。あれらは全て、主に、そういう意図にもとづいて作られてたんです。実は、特番などを作るに際し、ワタクシ、『マトリックス』シリーズを通しで8回見ました!1回見ただけじゃ意味分からない。2回目にやっと「そっか!これって、もしかしてこういう意味!?」みたいな発見があり、その漠然とした発見を補強するために、さらに立て続けに見返して、8回目にしてようやく、悟りの境地に達したのであります。後日、番組制作のための打ち合わせの席で、ディレクターの解釈とワタクシの解釈では、かなり喰い違う部分が出てきた。で、そっから議論が勃発!トータルで10時間以上は激論を戦わせましたねぇ。この時から、『マトリックス』はワタクシにとって、映画史上もっとも面白いSF映画となったのです!ディレクターとの激論バトル、これが、何年かぶりぐらいに面白い映画体験だった! そういや学生だった頃、映画ヲタクのワタクシは、よくそんな議論をヲタク仲間どもと繰り広げたもんです。何時間も、とか、夜通し、とか、電話の子機(その時代は家電ってのがあって子機ってもんがあった)の充電が無くなるまで、とかね。映画好きの人の中には、そういう経験がある人って、少なからずいると思うんすよね。ケンケンガクガクの映画談義。いや~、今となっては遠い日の思い出ですわ。でも、社会に出て働きだして、あれやこれやで忙しくなると、そんなことしてるヒマがなくなっちゃった。いや、実は、ヒマなんていくらでもあるのかも。ただ人として萎えてきただけなのかも。 「議論なんか面倒だ」 「疲れるだけだ」 「たかが映画じゃないか」 「映画ごときで声を嗄らして議論するのもバカらしい」…我ながら、イヤ~な年のとり方をしちまいました。悲しいぐらいつまんねーオトナになっちゃってます…。その映画に何が描かれてるか理解するため、全神経を集中させ、頭をフル回転させて、緊張して映画と向き合う。何度も繰り返し見て、どうにかして理解しようと努める。そうやって築いた自分なりの理解も、他人のそれとは喰い違ってるかもしれない。その場合、双方の相違点をとことん徹底的にぶつけ合う。恐れず逃げず、議論する。エキサイティングですよ、これって! っていうか、それがエキサイティングだったっという遠い日の記憶を、ほんと十何年かぶりに思い出させてもらいましたわ、『マトリックス』に!100人中100人を喜ばせるエンターテインメントをリスペクトする、って気持ちは今も変わりません。が、知性を挑発してくるような、知的格闘を強いられるような、“手強い映画”だけが持ってる、楽しさと興奮。そうした楽しさと興奮ってのは、古びる、色褪せる、ってことがありません。『マトリックス』はアクションも売りです。VFXも売りです。ただ残念ながら、それらにゃ賞味期限ってもんがありますよね。特にVFXなんて日進月歩ですから、いずれは色褪せていく運命です。『マトリックス』は作られて10年ぐらいなんで、2009年現在まだ迫力は感じますが、さらに10年、20年、30年と時がたてば、『マトリックス』の特撮やアクションなんて、特に目新しさもなく、大して迫力も感じさせないものなってくことでしょう。でも、知的興奮、知的スリル、その面白さは、けっして賞味期限切れで腐ってくことはない。2020年、2030年、2040年の未来に生きる映画ファンたちも、『マトリックス』が持っている、そうした魅力に興奮させられるだろうことは、間違いないと確信しますね、ワタクシは。『マトリックス』は、まさに、知的に挑発してくる映画です。知的格闘を強いられる映画です。1度見ただけでは分からないと思います(分かったらスゴい!)。けど、2度・3度と見るごとに、どんどんと面白く感じられるようになるハズです。「もう見飽きたよ」ということに、永遠にならない、奇跡のような映画なのです。歴代SF映画のベストに、『マトリックス』を推す人ってのが、けっこういます。つまらない(2以降)という声がある一方、一部で評価が異常に高い!ちなみにアメリカの権威ある映画(などのエンタメ全般)情報誌「エンターテイメント・ウィークリー」誌が、オフィシャルサイトで2007年に選出したベストSF1位も、実は『マトリックス』だったんです。それは、以上のようなワケなんでしょうな。あの、超有名SF大作『×××・××××』も、あの、大ヒットしたSFシリーズ『××××××××』も、ランキング圏外でした。それは、映像の迫力だけに依存しすぎてて、数十年たてば色褪せてくってうら寂しい末路が、なんとなく予想できちゃうからなんでしょう。『マトリックス』は、誰が見ても同じ解釈にはならない映画です。それでいいんです。視聴者の皆々様もきっと、それぞれの解釈(ワタクシのとはまるっきし違う)をお持ちになると思います。それでいいんです。だからこそ、『マトリックス』こそ映画史上最高のSF映画だ、なんです。今日日、ネットで探せば、『マトリックス』の解釈を記してるサイトなんて、山ほど出てきます。そんなのを参考程度に読みつつ、当チャンネルで『マトリックス』シリーズをご覧になった後は、ぜひ、あなた独自の解釈ってのを、試みてみてください。できれば、あなたの解釈を、誰かを相手に、ツバを引っかけ合うような議論でぶっつけてみてください。映画見るってこんなにエキサイティングな行為だったのか!と、『マトリックス』は、あらためて思い出させてくれると思いますよ。■ 『マトリックス レボリューションズ』™ & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2009.09.29
レクター博士を知るためのグレン・グールド入門 『ハンニバル・ライジング』『ハンニバル』
映画史上、人々の記憶に強い印象を与えたキャラクターは少なくないが、ハンニバル・レクターは間違いなくそのリストに名を連ねる一人だろう。彼の名を世に知らしめたのは、言うまでもなくトマス・ハリス原作、ジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』である。ジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスの緊張感あるやりとりは、サスペンスの新しい可能性を感じさせてくれた。その10年後に公開されたのが、リドリー・スコット監督による『ハンニバル』。こちらは監督の美意識が、レクター博士のキャラクターとしっくりはまって、『羊たちの沈黙』の衝撃をうまく引き継いだ見事な続編。ジョディ・フォスター演じたクラリスがジュリアン・ムーアに変わったが、僕はさほど違和感がなかった。続いて公開された『レッド・ドラゴン』は時系列的に言うと『羊たちの沈黙』の前にあたり、レクター博士が男と対峙する唯一の作品。そしてアンソニー・ホプキンスは登場せず、レクター博士の生い立ちから青年期までを描いて、「人食いハンニバル」にいたった理由を明かしたのが『ハンニバル・ライジング』である。さて、こういった続編・シリーズものの場合、どうしても比較してしまうのが人情というものなので、僕も簡単に感想を記してみたい。まず作品としての完成度と受けた衝撃を鑑みると、総合一位はやはり『羊たちの沈黙』。しかし以降の3作品がつまらないかというと、まったくそんなことはない。とくにサスペンスとしての緊張感は、今回お送りする『ハンニバル・ライジング』、『ハンニバル』ともに、「レクターシリーズ」の世界観を壊すことなく、それでいてオリジナリティも持つ優れたサスペンスである。 とくに『ハンニバル・ライジング』でレクター博士の若かりし頃を演じたギャスパー・ウリエル君には拍手を贈りたい。レクターを演じるのは、『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーくらい勇気のいることだったろうにと思う。シリーズ第三作の『レッド・ドラゴン』はたしかに「レクターシリーズ」ではあるのだが、僕個人の意見としてはレクター博士の狂気・怖さを引き立てるには、クラリスや『ハンニバル・ライジング』に登場するレディ・ムラサキのように、女性の存在が不可欠な気がする。アンソニー・ホプキンスが出演しない『ハンニバル・ライジング』を外伝と捉える人も多いが、僕はどちらかというと、『レッド・ドラゴン』を外伝的な作品と捉えている。しかしその“女性問題”さえ気にしなければ、『羊たちの沈黙』に次ぐ完成度かもしれない。とまあ、こんな具合に「レクターシリーズ」はどれを観てもハズレがないのだが、今回は僕の個人的な趣味からレクター博士について音楽の側面から触れてみたい。レクター博士はご存じの通り、人食いで極めて冷酷な殺人鬼である。が、映画を観た人であれば、そこに彼なりの美学を認めないわけにはいかないだろう。それの象徴とも呼べるのが、「レクターシリーズ」の劇中でも印象的に使われる『ゴルドベルク変奏曲』である。『ゴルドベルク変奏曲』とはバッハによる楽曲で、レクター博士お気に入りのクラシックだが、誰の演奏でもいいというわけでなく、グレン・グールドというピアニストによる『ゴルドベルク変奏曲』を愛聴しているのである。グールドはいわゆる天才肌であったが、変人としても知られた。たとえばコンサートが始まっているにもかかわらず、聴衆を待たせて自分が座るピアノ椅子を30分も調整してたとか、真夏でもコートに手袋、マフラーを着用してたとか、人気の絶頂期で生のコンサート演奏からドロップアウトして、以降はスタジオに籠もってレコーディングしていたなど、変人ぶりを示すエピソードをあげればきりがない。ついでに言うと、夏目漱石の『草枕』が愛読書の一つだった。だが、ひとたびグールドがピアノの前に座り、二本の手を鍵盤に載せた瞬間、そこから生まれる音楽は、世界の終わりにただ一つ遺された楽園のように美しかった。すべてが完璧で、研ぎ澄まされており、一片の曇りもなかった。同じように、レクター博士が人をあやめる方法も完璧で美しい。それは一つの哲学と言っても過言ではない。だからこそ、レクター博士が他の誰でもなく、グールドの『ゴルドベルク変奏曲』を好むところに、不謹慎だが僕は二人に共通する何かを感じる。そしてハンニバル・レクターという強烈なキャラクターを象徴する音楽として、グールドの『ゴルドベルク変奏曲』以上に相応しい曲は考えられないのだ。グールドによる『ゴルドベルク変奏曲』は二種類の録音がとくに有名で、『ハンニバル』では1981年録音が、『ハンニバル・ライジング』では『羊たちの沈黙』でも使用された1955年録音が使われている。『レッド・ドラゴン』では僕がボーっとしていてスルーしてしまったのかもしれないが、『ゴルドベルク変奏曲』は使われていなかったように思う。(使われていたらゴメンナサイ)蛇足だが、NASAが1977年に打ち上げた探査機「ボイジャー」にはグールドの演奏が積み込まれた。まだ見ぬ宇宙人へ「地球にはこんなに素晴らしい音楽があるんですよ」と伝えるために。レクター博士の奇妙な美意識を少しでも理解するためにも、ぜひグールドの音楽に耳を傾けながら、『ハンニバル・ライジング』、『ハンニバル』をお楽しみ下さい。■(奥田高大) 『ハンニバル』©2000 UNIVERSAL STUDIOS『ハンニバル・ライジング 』© Delta(Young Hannibal) Limited 2006 and 2006 Artwork © The Weinstein Company
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COLUMN/コラム2009.09.18
たしかに地味かもしれません・・・。でも観てもらいたい『海辺の家』
ある人は野球に、ある人はマラソンに、映画『海辺の家』はそれを家にたとえた物語である。今作ほど家族ドラマという言葉がしっくりくる作品も珍しい。突如、長年勤めてきた建築事務所をクビになり、さらにその当日、癌で余命幾ばくもないという告知を受けるジョージ(ケヴィン・クライン)。ジョージと別れ、今は新しい夫と暮らすロビン(クリスティン・スコット・トーマス)。ロビンに引き取られ、新しい父と一緒に暮らしてはいるものの、パンクとドラッグにのめり込み、ろくに口も聞かないジョージの息子サム(ヘイデン・クリステンセン)。時を経て心が離れ、現実的にも距離を置いていた家族の絆。ジョージは病気をきっかけにそれを取り戻そうとするのである。そのためにジョージは、長年の夢だった海辺に建つ我が家を建て直すことを決意する。言うまでもないことだが、それは彼にとって家族の絆、そして残り少ない人生をもう一度新たに築くことも意味していた。反抗する息子に、この夏だけは一緒にいろと無理矢理手伝わせ、自分の体にも鞭打ちつつ、家を完成に近づけてゆくジョージ。最初は何も手伝わなかったサムもやがて心を開き、家作りに打ち込んでゆく。その姿を見て、ロビンは再びジョージに心を寄り添わせてゆく。正直なところ『海辺の家』はこのようにメロドラマ的であり、ありふれたものであり、目新しい部分はほとんどない。だからこそ、僕は作品を観たあと、取立てて新鮮さのない映画が、どうしてこうも上質な人間ドラマに変貌(あえて変貌と書きたい)したのかを考えることになった。僕が思うに、その理由は『海辺の家』が泣かせどころを意識的かつ徹底的に外しているからではないだろうか。まだ観たことのない方が今作のストーリーを人づてに聞いたとき、僕と同じように「メロドラマ的」で「ありふれていて」「目新しくない」と感じる人は少なくないと思う。しかし幸か不幸か、実際のところ『海辺の家』は手軽な感動が味わえる物語でもなければ、安易に「癒し」を与えるわけでもなく、むしろその対極にある映画である。 その意味は、ケヴィン・クラインとヘイデン・クリステンセンの演技を見れば分かる。ヘイデン・クリステンセンはパンク好き、ドラッグ好きという定番の不良を演じながら、内側に青年期特有の繊細さ、苛立ち、サムが本来持っているであろう優しさを感じさせる。しかしここで大事なのは、あくまでそれらが内側にうっすらと見えることだ。わざわざ説明する場面はほとんどない。ケヴィン・クラインも同じ。物語上、どうしてもセンチメンタルに転びそうなところは演技を抑えてそれを濁し、容易な感動を与えることを徹底的に避けている。あと一言説明してしまったら、演技があと少し大げさだったり過剰だったりしたら、観客の感情が一気にスリップして冷めてしまうところを、『海辺の家』はぎりぎりのところで踏みとどまる。絶妙のさじ加減、というほかない。ラストシーンでも手抜きがない。こういった人間ドラマの(そのなかでも駄作の)場合、最後は気が緩むのか、どうしても説明的で感傷的になり、誰もが予想するシーンをそのまま映像にしがちになる。ところが『海辺の家』のラストシーンでは役者達の表情を見せず、美しい風景を映しながら、彼らの話だけが聞こえてくる方法をとっている。これも感傷的なシーンを徹底して外すという『海辺の家』ルールに基づいている気がしてならない。自分が考えていたり、相手が感じているであろうことを、わざわざ言葉にすると興ざめすることが多々あるが、『海辺の家』はそのあたりのバランス感覚がとりわけ演技面で素晴らしく、地味ではあるけれど、静かに、確かに深い余韻を残す一本になった。「なんかベタそうな映画だなあ」と思っている方(僕もそうでした)は、だまされたと思って、秋の夜長に一度ご覧下さい。ヘイデン・クリステンセンがなぜ『スター・ウォーズ』のアナキンに大抜擢されたのかがわかりますから。(奥田高大) ©2001 New Line Productions,Inc.