PROGRAM

放送作品情報

アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち

THE EICHMANN SHOW 2015年イギリス / 97分 / ドラマ

必ず真実を伝える!ナチス戦犯裁判の放送に尽力したTVマンたちの戦いを再現したヒューマンドラマ
放送日時
2018年08月15日(水) 深夜 04:00 - 06:00
解説

1961年に行われたナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を放映したTVマンの実話を映画化。マーティン・フリーマンら実力派俳優の演技と、実際の裁判や強制収容所内の映像を交え、真実の記録として描き出す。

ストーリー

1961年、ホロコーストを指揮していた元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンが逮捕され、イスラエルで裁かれることに。生存者たちの証言を通じてホロコーストの真実を伝えたい──。そう決意した野心家のTVプロデューサー、フルックマンはドキュメンタリー監督フルヴィッツら最高のスタッフを集め、裁判を撮影し世界中で放送しようと計画。彼らの元に脅迫状が届いたり政治的な圧力が掛かる中、ついに裁判が開廷する。

出演

マーティン・フリーマン
アンソニー・ラパリア
レベッカ・フロント
アンディ・ナイマン
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド画面
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2018/3/1

    終り方が??

    アイヒマンを組織の中の個人としてフルヴィッツは見ていたのであろう。それ故に、証言者や検察官の証言や論説に反応しないアイヒマンにいらだちを覚えたであろう。裁判に対して妨害を図るナチ信奉者やTVプロデューサのミルトンへの脅しが出てくるが、この描写はもっと重く扱った方が、アイヒマンの態度との対比で生きて来たのではないか。裁判の描写は、記録フィルムを入れることで重みを増した。一方で、終わり方が余りにもあっけなかったように思う。

  • 鑑賞日 2017/11/18

    映像のチカラ、万人の心を震わせる。

    アイヒマン裁判をテレビ実況中継しようと企てるテレビマンの姿を描く。プロデューサー のミルトン・フルックマンは赤狩りで干上がっていた映画監督レオ・フルヴィッツを イスラエルに招く。テレビ創成期、全世界注目の裁判を中継する歴史的意義の中で ミルトンたちは熱気に包まれる。裁判長の心証を良くするため、テレビカメラは大工仕事 でカモフラージュされ、隠し撮りに近い形にする。準備は万端整ったが、裁判自体を潰す ナチスシンパの動きもミルトン達に迫る。娯楽映画的サスペンスも用意される。しかし テレビの相手は大衆そのもの、ソ連のガガーリンの宇宙飛行やキューバ危機で、 視聴率争いの伏兵に悩まされる。ここまでは普通の歴史ドラマ…。 レオはファシズムがごく普通の社会を蝕み、誰もがアイヒマンになる可能性がある、 として鉄面皮の下に揺れる人間性をとらえることを目標とする。ミルトンとレオの微妙な スタンスの違いが浮き彫りになる。ユダヤ人カメラマンはリアルな証人発言で、精神的 に追い詰められ、仕事にも支障をきたす。アイヒマンに注視するレオは、証人がショック で気絶する決定的シーンを撮りそこねる。裁判の異常さがすべての波長を狂わす。 映画も実写フィルムの挿入と証人の証言で、一気にドラマから歴史ドキュメントの 勢いに呑まれていく。計算済みの演出だが、実写フィルムの強烈さが、われを失い、 映画の枠を超えて狼狽してしまう。(こりゃ、あかんわ、レビューどころではない)。 やはり映像のチカラを感じる。この中継がアイヒマンの動画を歴史に残したわけだ。 ホロコーストの凄まじさ、アイヒマンの冷酷さに、肝心のドラマが機能喪失に至った。 そこを思考のチカラで咀嚼した「ハンナ・アーレント」の方が凄い、と証明を引き出して 終わりとする。

  • 鑑賞日 2017/11/3

    もう1つの【夜と霧】

    テイッシュの箱をそばに置いて見ないと駄目だった。 強烈の一言。 ☆ジャーナリズムというものが持ついかがわしさ。 それでもなお、"Dennoch"の重要性。 "Because of You!"あなたのおかげでみんなが私の話を聞いてくれ、関心を持つようになってくれた。 ☆イスラエルという国家の欺瞞。「ここは元々パレスチナの土地だったよね?」 ☆誰でもがファシストになり得る危険性。収容所から生還したユダヤ人は「私は絶対にならない!」と断言するのだが。 深刻な内容の映画だが実に面白く作られている。 記録映像につけられてたのはグレツキの第3交響曲だった。

  • 鑑賞日 2017/11/3

    ホロコースト後日談を題材にした熱血テレビマンの話。 自分は今の日本の地上波テレビのドラマやバラエティに、スタッフからアナウンサー達までをバカにして一切見てないけど、こんな魂のこもった仕事をする人達の作るものなら有料でも観たいものだ。 何度か別作品で見たことがある、アウシュビッツの実録映像は痛ましいとしか言いようがない。当時だったら、宇宙遊泳ライブよりもこちらの番組の方を選んで観るだろう。

  • 鑑賞日 2017/6/7

    実際の映像の破壊力に全部もっていかれる

    アイヒマンと言えばホロコーストを指揮した男として有名ですし、アイヒマンテストとしても名をつけられているように、平凡な人間でもとんでもない非人道的なことをすることが出来てしまうという心理現象でも有名。 しかし彼の戦犯としての裁判がこういう風に世界に中継されたとは知りませんでした。しかもユダヤの国であるイスラエルで。 そしてこの裁判と中継によってようやくナチスによるユダヤ人に対する所業が世界に対して明るみになったということも。 このアイヒマン裁判の中継に全てを懸けて取り組むテレビマン達の奮闘という、舞台裏からの視点というのはなかなか面白い目線です。テレビ自体が黎明期である当時の苦労も新鮮。 ただ、その題材であるアイヒマン裁判自体がハードなものであり、特に中継映像では当時の実際の映像が使われていたり、裁判の証拠として流された収容所の映像の破壊力が凄すぎて、テレビマン達のドラマが負けてしまってる気がします。 テレビマン達自身の多くがユダヤ人で、少なからず戦争での心の傷が癒えていない当事者でもあるという難しい立場であることも描かれているものの、そちらの重さや深さというものが伝わりきらない気がしました。 特にレオがアイヒマンの反応にこだわるくだりが、何故そこまで執着するのかがピンと来なくて。 アイヒマン裁判がどんなものであったのか、当時どういう影響があったのか、というのを知るには非常に勉強になる作品ではあります。

  • 鑑賞日 2017/6/4

    ガガーリンと時を同じくして

    昭和36年アイヒマン裁判。 当時の映像を多用した実録ドラマ。 撮影報道班から捉えた裁判。撮影に至る状況。伝える為の努力。 証言による進行。追及。映像の中心。 アイヒマンの人柄と収容所の実態が証言され世界に拡散する。 全編に切迫感がありシリアス。 人類史に影響を与えた20世紀の偉業と言える。

  • 鑑賞日 2017/5/24

    ユダヤ人虐殺の指揮を執った「怪物」の内面をあぶり出すことこそ重要だとする監督、収容所での真実を語ることをゆるされたと感謝する"生存者"、どちらも真実なのだよね。

  • 鑑賞日 2017/4/29

    裁判中継を通じて世界にホロコーストが伝えられたこと、それまで生存者が収容所について話しても信じて貰えなかったというくだりに驚く。子ども達が虐殺される実際の映像に改めて戦慄した。それにしても撮影中の現場に堂々と飛び込んできた監督の妻子は何なんだよ。

  • 鑑賞日 2017/4/15

    残念

    製作の意図はわかるが、テレビクルーの裏の苦労よりも実際に観るアイヒマン裁判の実写映像が印象に残った。

  • 鑑賞日 2017/2/4

    説得力のある映像は全て当時撮影されたもの。「映像の力」を強調する映画が申し訳程度に力のない映像を流すだけというのは、何というか皮肉だ。

  • 鑑賞日 2017/1/16

    まだ、世界がユダヤ虐殺を理解していなかった頃

    今では、さまざまな資料や証言が蓄積され、ユダヤ人虐殺について何があったか、簡単に知ることができる。しかし、まだその準備が整っていなかった時代、アイヒマン裁判で語られた証人たちの生の声はどれだけ衝撃的だったのだろう。しかも、TV放送で。プロデューサーや監督が、テレビマンとして、また、個人として感情が揺れ動くさまがみごたえがあった。

  • 鑑賞日

    いろんなことを考えさせられた,良作です。

  • 鑑賞日 2016/10/31

    歴史を映した。

    子供のころはTVで流れる映像はすべて真実だと思っていた。 だから当時この裁判をTVで観た人々は驚いただろうと思う。 アイヒマンという人物がどんな人間だったか。もちろんその 全貌が語られるわけではないが映像を通して彼の実像に迫る ことは出来ていると思う。さすが赤狩り被害にあった監督の レオ・フルヴィッツという感じ。ただ映画としてはドラマと ドキュメンタリー映像が入り混じることによって物語の部分 が圧倒的に弱くなり、彼ら報道関係者の努力を超え裁判映像 が占める。特に証言台に立った人の畏怖表情は忘れられない。

  • 鑑賞日 2016/11/1

    裁判がお茶の間に

    第二次大戦中、ユダヤ人の収容所送りと大虐殺の実行犯と目されていたアドルフ・アイヒマンの裁判を全世界にテレビ中継した時の舞台裏もの。当時のドキュメンタリー映像も沢山入れながら、裁判の同時テレビ中継という前例のないことに挑戦したプロデューサー&スタッフ達の苦労話を描きました。 アイヒマンについては「悪の凡庸さ」と喝破したハンナ・アーレントの伝記的映画も最近上映されましたが結局観ていません。でも2、3年前に渋谷ユーロスペースで上映された「スペシャリスト・自覚なき殺戮者」という当時のドキュメンタリーそのものの再編集は鑑賞しました。アイヒマン本人の印象は其方の方が掴みやすかった気がします。その意味では「アイヒマンショー」の方はテレビという媒体が当時はまだ新しかったこと(法廷にテレビカメラを置くことを裁判所側が反対するので壁に穴を開けてカメラを隠したなどの苦労話)、制作側も裁判をショーとして意識していたらしいこと辺りが見どころと感じました。 「スペシャリスト」を観た時にも感じたことでしたが、検察官の風貌がちょっとアイヒマンに似ていたような…そしてナチ政権時代の新聞写真のアイヒマンとアルゼンチンに隠れていた所を捕えられてイスラエルに引っ張り出されたアイヒマンの風貌があまりに違うのも気に引っかかりました。ビフォー&アフターの画像を比べてみると、眼つきが変わるのは置かれた状況の影響があるとしても、鼻の形がちょっと違うような気がするのは気のせい? ちなみに映画では法廷全体を映すべきか、アイヒマン個人のアップを流して心理の変化を捉えるべきか、制作スタッフの間で意見が分かれていた所を映していたのも印象深かったです。法廷自体が茶番と化している所があることを見抜いたチーフが世界の恥曝しにならないようアイヒマンだけを映すよう指示したのではと裏読み勘ぐってしまいました。もっとも収容所送りになったユダヤ人達の報道映像もあり、やはり正視に耐えがたいものでした(どうやって撮ったのか気になりましたが)。 ハンナ・アーレントは「そもそもホロコーストなんて嘘ではないか。軍事的に合理性がない」等とも言っていた人で、全体主義を研究した政治哲学者としては素晴らしい人だと思うけれど人間的にはどうも私は…(あっオフレコ!)。本作には登場していなかった気がします。ただ、この裁判記録をもとに書かれた『イエサレムのアイヒマン』は機会があれば読んでおきたいとは思いました。特に、裁判を茶番のように感じた私の直感と同じものを彼女も感じていたのだとしたら…(私はホロコーストが嘘だったとは思っていないけれど、ユダヤ人達の怒りを鎮める為にでっち上げの人物を引っ張り出してきた裁判だった可能性はあるかもしれないとは)。 あとトリビアですが。カメラマンの一人ミレク役を演じていたのが「ジャージーボーイズ」のボブ・ゴーディオ役の Erich Bergen にそっくり!パンフでもIMDB.comでもクレジットされているのは Ed Birch という無名の別人ですが… ドキュメンタリーとして興味があるなら「スペシャリスト」を観るべきだと思いますが、人間ドラマとしても興味あるならお薦め。

  • 鑑賞日 2016/10/13

    視聴率かホロコーストか

     アイヒマンについては最近では「ハンナ・アーレント」で「凡庸なる一小役人にすぎない」とアーレントが分析、それに対してユダヤ社会から反発が起きるというエピソードで描かれていた。この映画でも似たような描写が見られる。裁判のドキュメントを撮影することになったレオ(アンソニー・ラバリア)は大量殺人を指揮したとされるこの男に最初から執着する。しかし狂気の片鱗を見せるどころかいたって冷静な対応を見せるアイヒマンを見て、「誰でもファシストになりうる」とつぶやく。その言を硬く拒絶するスタッフとの対立。あの映画と同じ感想を得る。  600万人もの大量殺人の責任をアイヒマンひとりに押し付けるがごとく見守るユダヤの人々の怒りのやり場のなさが画面に映し出される。片やガガーリンやキューバ危機といった世界が注目する話題を横目に見ながら裁判の視聴率を上げようと奔走するスタッフの苦労が描かれるけど、そこに挟まれる実際のホロコーストの映像があまりに衝撃的であってすべてを押し流してしまうだろう。映画の主題はテレビスタッフの苦労話などにあるはずではなく、あくまでこのホロコーストがなぜ起こってしまったかを分析することになければ何の意味もなさない。だからこそレオのつぶやきは重要なのだが、プロデューサーを初めとしたスタッフらの描写に逃げてしまっていてどうも焦点がぼやけた感じがした。

  • 鑑賞日 2016/10/8

    無知すぎる自分の頬を叩かれる

    彼を暴いてやろうとカメラを向ける監督の、「何者なんだ」が響く。蘇る恐怖を滲ませる証言でも動じないアイヒマンは、自身をどう捉えているのか。彼が行ったことが『最終解決』と表されていることを初めて知って、言い方に違和感を覚えた。最近彼然りヒトラー然り題材にされているが、自分はまだまだ無知だ。

  • 鑑賞日 2016/8/29

    アイヒマン裁判のテレビ放送クルー

    イスラエルで行なわれたナチ戦犯アイヒマンの裁判のことは「ハンナ・アーレント」('12)で知っていたし、裁判の映像が映画にも使われていたので知っていたが、この裁判をテレビ放送した側には思いが至らなかった。テレビ放映に当たって映像監督として赤狩りの対象となったユダヤ人のドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツという人物を起用していたことは、この映画で初めて知った。緊迫感あふれる良作。【真実を報道する人々の二本立て:併映「スポットライト 世紀のスクープ」】

  • 鑑賞日 2016/8/10

    ホロコースト実行犯としての最高責任者、アドルフ・アイヒマン逮捕後の、ユダヤでの裁判をTV放送した人たちの話。抑えた演出は、きっと元であるアイヒマン裁判の放映フィルムを踏襲したものなんだろうなあ。 ほんとにもう、終始平坦に物語は進むの。冒頭からアクシデントはいっぱいあるんだよ、招聘された監督の政治的思想、放送の許可、脅迫、PTSD、重要シーンの撮り逃し…そしてそれらに対する監督とプロデューサーの対立や協力などなど。でもどれも盛り上げないでサラッと流す。 それと同じように、劇中ではプロデューサーが監督に憤ってる。「もっと証人や判事を映せ。アイヒマンばかりを撮るな。早いカットで切り替えろ。これはTVショーなんだから」と。対する監督は「アイヒマンの鎧が外れて素の人間性を出すのが重要なんだ」。 けれどアイヒマンは崩れず、監督は苛立つ。それを乗り越えてやがて訪れる、決定的な証言とそれによって下される判決。そこで物語は幕を下ろすのだけど、食い足りない気持ちと厳粛に重たくなる気持ちと両方を抱えることになる。とりあえず私は見終えて無性に肉が食べたくなった。なぜだ。 あと、元になった本人たちの写真と役者さんたちの顔がびっくりするほど似ていない…これは笑うところなの? ってくらい。いやまあ、演技力で選んだってことなんだろうけれど。フォックスキャッチャーもそうだったしなー。

  • 鑑賞日 2016/7/27

    アイヒマン裁判ではなくアイヒマン・ショー

     1961年、元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンが捕まりイスラエルで裁判にかけられることとなったが、その模様をテレビ中継する権利を得たテレビ局のプロディーサーのフルックマンと監督のフルヴィッツが準備から中継に至る奮闘記。  この裁判でホロコーストが世界に知られるようになったと言われていますが、その裁判で証言したユダヤ人たちの葛藤は一切描かれていませんでした。また戦争犯罪人に対する裁判が戦争終結後ずいぶん経った後に中立国ではない場所で行われることの不平等さに関する意見もありませんでした。どちらかといえば撮影に関わる監督はアイヒマンの人間としての弱さとかを映し出したかったし、プロディーサーは視聴率を気にして証言者の表情を写すよう指示したかったようだ。そういったテレビマンの葛藤劇なんですが、その割には題材が重すぎたし題材への向かいかたも中途半端だったように感じちゃいました。確かにアイヒマン裁判ではなくアイヒマン・ショーなんですよね。現在だとアメリカのゴールデンタイムに合わせて開廷時間を調整しろなんて要求が来ちゃうんでしょうかねえ。

  • 鑑賞日 2016/6/24

    アイヒマンの無表情が怖い

    ナチスのホロコーストが世に知られるようになったのは、このアイヒマン裁判がテレビで放映されてからとの事。1961年に行われたということだが、私が生まれた年だ。戦争が終わって16年目の事。これが遅い裁判だったのかどうかは微妙なところ。虐殺の事実は加害者、被害者共に語りにくい惨事だったから、これでも早かったのかも知れない。 アイヒマンに対する憎しみやテレビ放映の意義を問うテレビクルーの物語。登場人物の掘り下げよりも裁判の行方をドキュメンタリータッチで描く。そこがちょっとしんどい。でも96分なのでダラけることは無かった。

  • 鑑賞日 2016/7/8

    当時の状況に迫る

    よく出来た作品です。テーマは扱いが難しかったと思いますが、主人公目線での裁判を映し出していてその点は良かったです。全体を通して抑揚があまり無かったかな。

  • 鑑賞日 2016/6/27

    テレビマンの情熱と攻防

    ミーハーながらシャーロックからのファンであるマーティンフリーマン出演で、テレビなどでやっていても必ずチェックする第二次世界大戦ものということで鑑賞しました。第二次世界大戦ものといっても終戦後のお話です。 完全にレオ監督の存在感と役どころ(実在する人物ですが)に目を惹きつけられました。他のスタッフが体調を崩したり目を背けるなか、監督だけはアイヒマンの表情や仕草の変化から一切目をそらさず、記録映像の撮影を通してどうにか事実を引き出そうとする。ですが事実を認めはしたものの、人間らしさを映し出すことはできず…実話が元になっているため描かれることはありませんが、アイヒマンが戦時中のことをどう思っているのかは不明なままです。 実際の裁判映像やホロコーストでの残酷な所業の数々も使われておりますが、戦争の残酷さというよりもそんなことが当たり前に行われていたという戦争という状況の異常性をとても強く感じました。

  • 鑑賞日 2016/5/24

    心の闇は解明されず

    1961年にイスラエルで行われた元ナチス親衛隊アイヒマンの裁判を、全世界に放送するために集まった制作チームの奮闘ぶりが描かれたヒューマンドラマ。 ドキュメンタリー映画の監督がアイヒマンの仮面を切り崩し、平凡な男をホロコーストに駆り立てた核心部分をフィルムに収めようと目論むのだが、当の本人は無罪を主張したままで監督の目的は最後まで完遂することはなかった。 目立つという理由で法廷内にカメラを据えられないと通告された制作チームが、壁をくりぬいて隠し撮りという手段に出たり、手榴弾を持った男が警備の間隙をついて侵入したり、スリリングな場面も印象的だった。 アイヒマン自身は本人の証言が重要な証拠となり絞首刑になるのだが、彼の心の奥底は最後まで闇の中であった。実話ゆえにこの終わり方は仕方ないだろう。

  • 鑑賞日 2016/6/14

    作品紹介(映画.com)より

    ナチスドイツによるホロコーストの実態を全世界に伝えるために奔走したテレビマンたちの実話を、テレビドラマ「SHERLOCK シャーロック」のワトソン役で知られるマーティン・フリーマン主演により映画化。1961年に開廷した、元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判。ナチスのユダヤ人たちに対する蛮行の数々とはどういうものだったのか、法廷で生存者たちから語られる証言は、ホロコーストの実態を明らかにする絶好の機会だった。テレビプロデューサーのミルトン・フルックマンとドキュメンタリー監督レオ・フルビッツは、真実を全世界に知らせるために、この「世紀の裁判」を撮影し、その映像を世界へ届けるという一大プロジェクトを計画する。プロデューサー役をフリーマン、ドキュメンタリー監督役をテレビシリーズ「WITHOUT A TRACE FBI 失踪者を追え!」のアンソニー・ラパリアがそれぞれ演じる。監督は「アンコール!!」のポール・アンドリュー・ウィリアムズ。 アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち The Eichmann Show 2015年/イギリス 配給:ポニーキャニオン

  • 鑑賞日 2016/6/6

    あいひまんしょー

    本日1本目。 今日はイギリス映画デーです。 第二次世界大戦下ドイツでのホロコーストについて映画は、割と観てきたと思います。 色んな立場、国、時間の視点で。 今回、初めて実際の映像が出てきました。 裁判なのでそりゃそうでしょうけど。 なんというか、今まで見てたのはあくまで創作物だったんだなって、改めて思い知らされました。 人って、あんなに骨と皮になれるもんなんだな、と。 ただひたすらに、衝撃でした。 アイヒマンに対して、一貫してヒトとして扱おうとしているのを感じました。 誰しも、彼の立場になり得る。 化物としてではなく、ヒトとして扱うことによって、警告をしていたのだと思います。 さて、映画について。 レオがアイヒマンに興味を持っていく過程が、曖昧すぎて引き込まれにくいと感じました。 導入が甘い。 テーマは裁判だと分かってるんですが、そこをしっかり描いたらもっと厚みがでるのになと思いました。 ただ、裁判のシーンは素晴らしいです。 流れているのが本当の映像がなのか、それとも撮ったのか、わからなくなるくらい良かったです。 とっても疲れた。 ショッキングな映像が出てくるので、苦手な人は注意です。 私は顔を背けてしまった場面が何度かありました………。

  • 鑑賞日 2016/5/1

    ハンナ・アーレントのほうが面白い

    ユダヤ人大量殺害の最高責任者と目されたナチ高官に対する裁判を世界中に中継したTVマンの映画は、どうも画面がせせこましいというか、人物を捉えるフレーミングが映画というよりTV的だと思ったら、案の定エンドクレジットを観るとBBCの放送用に作られたものだったようです。 総統と同じ名前を持った男アドルフ・アイヒマンのイスラエルで開かれる裁判を中継するため、米国から赤狩りに遭った記録映画監督がディレクターとして招かれ、彼は裁判の過程でアイヒマンの素顔を暴こうと躍起になる(表面上は平凡な中年男に見えるこのアイヒマンという男が、なぜあのように非人間的な残虐行為を指導したのか、という秘密を、裁判中の被告の表情変化から読み取ろうと、公判の過程で盛んにアイヒマンのクローズアップを挟みます)一方、プロデューサーのほうは、ガガーリンやキューバ危機に流れた視聴者を取り戻せと、数字に執着するところは、世界共通のTV野郎です。 しかし、裁判を中継する男たちより、被告として裁かれているアイヒマンのほうが興味深いのですし、裁判の過程で彼自身の個性を見せることがなかったアイヒマンより、その裁判傍聴紀を書いたハンナ・アーレントを描いた映画のほうが面白かった、というのが正直なところです。

  • 鑑賞日 2016/4/23

    淡々と進んでいく物語だが、核となる部分にもう少し厚みが欲しい。。

    第二次世界大戦下、ナチス・ドイツの手で行われたユダヤ人の虐殺。この歴史的悲劇を主導した元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判を、テレビ放映しようと奔走した男たちを描いたドラマ。このときの映像素材は今日でも様々なドキュメンタリーにも使われ(映画では、「スペシャリスト~自覚なき殺戮者~」が有名)、劇映画の中でも2013年に公開された「ハンナ・アーレント」でも活用されていたことを覚えています。映像としてもエポックメイクな、このフィルムを撮影していった裏方にも熱い話があったというお話になっています。監督は、「アンコール!!」のポール・アンドリュー・ウィリアムズ。 まず、本作を観た第一印象はとにかく淡々としているということ。もちろん、アイヒマンを撮りたいという1つの意思に動かれていく人々によって物語が紡がれていくので当然なのですが、この映画の前に観た「スポットライト 世紀のスクープ」が同じ淡々とした印象でも、1つの大きな闇(教会による隠ぺいという事件の闇の部分)に挑んでいくというミステリー要素があり、そこに面白さが惹きつけられた感があるのですが、本作は1つのTVショーを作っていくというだけのお話に終始してしまっているように思え、どうも私の食いつきが悪かったです。無論、ホロコーストで行われた悲劇と、アイヒマンという独特な人物に対峙するという大きなテーマはあるのですが、それについては「ハンナ・アーレント」のほうが描きこみ方も何倍も上を行っているように思います。 しかし、現在でも語り継がれている、この歴史的な裁判劇を撮るという単純とも思える行為の中に、様々な困難があったということを知れたのはよかった。プロデューサー役を演じたマーティン・フリーマンはどこかで観た俳優だなーとずっと思っていましたが、あの「ホビット」シリーズのビルボ役を演じた方だったんですね。ビルボで演じた飄々としたキャラクター像が、どこまでも前向きに物事を見ていくプロデューサーのまなざしと上手く被っていて、よい配役だと感じました。

  • 鑑賞日 2016/5/31

    歴史を記録する男の戦い

    記録が後世に残される。だが、記録した人間の戦いもあった。実写はいたたまれない映像の連続で見るに堪えられないものだった。

  • 鑑賞日 2016/5/8

    一般の人たちはほとんど知らなかった

    「ハンナ・アーレント」でも出てきたイスラエルで開かれたアイヒマン裁判をテレビ中継したスタッフの話で、1961年当時赤狩りで仕事がなかった映画監督が招かれて地元のスタッフの上に立ってディレクターを務めることになり、政府からは独立した裁判所の判事の許可を取り付けて中継がはじまるけど、ちょうどガガーリンのニュースと重なって記者がいなくなったり、検事の冒頭陳述が長すぎて飽きられかけたりするけど、収容所からの生存者の証言がはじまると、始めて聞くその内容が衝撃的に受け取られる、という流れや、その証言を淡々と聞き続けるアイヒマンの表情の変化をカメラに収めようと執念を燃やすディレクターや、ナチスの残党からプロデューサーが脅迫を受けていたりなど、その歴史的な記録を遺す裏側にはこのようなことがあったのか、といろいろと勉強になりましたね。あと実際に遺された映像をシンクロさせているのはなかなか効果的ですが、やはり本物の映像の凄みが目立ちますね。それにしても、ホロコーストで何が起こったのか、ということは、今は様々な映画などで我々は知っていますが、1961年のこの裁判の証言まで一般の人たちはほとんど知らなかった、というのは驚きで、最近公開の「顔のないヒトラー」もそのような背景があったのか、と解りましたし、映画のこともちょっと調べてみたら、これ以前はアラン・レネのドキュメンタリー「夜と霧」くらいしかなくて、これ以降も1964年、シドニー・ルメットの「質屋」があるくらいで、本格的に映像化されていくのは1970年代以降になってからということが分かって、ちょっと衝撃的でしたね。

  • 鑑賞日 2016/5/22

    目まぐるしい衝撃

    前半、裁判の生中継が許可されるまでの準備作業の描写はテンポいい、というかめまぐるしかった。 アイヒマン裁判の中継に力を尽くした男たちが主人公なのだが、どうしてもアイヒマンに意識がいってしまう。 この映画で初めて知ったことも多い。 100分ほどの作品。もうちょっと観たかった。そういうテーマだと思う。

  • 鑑賞日 2016/5/20

    「作り手」の主観

    イスラエルの司法当局がナチスによるホロコーストを主導したアドルフ・アイヒマンを裁いた裁判を記録したテレビドキュメンタリー製作者たち。それぞれの強すぎる個性に引き込まれる時間でした。 実際に撮影された裁判映像やその中で資料として提出されたホロコーストの被害映像はとても強いので観たことのない人は注意が必要かも。 ファシストは特別な人間ではなく、普通の人間がなる。だから「知ること」によってその誘惑から身を守らねばならないというメッセージにはとても共感しました。 番組プロデューサーを演じたマーティン・フリーマンが素晴らしい。その心の揺れを見事表現した脚本もよいです。 一方、赤狩りでブラックリストに載り、復帰をかけるフルウィッツアイヒマンに対するこだわりという名の妄執がちょっと不快に感じてしまった。アイヒマンの心境がこれまで撮った人と同じように変わらないと苛立つ姿は傲慢そのもの。 ドキュメンタリーは「事実」を切り取るというより、作り手の意図や主観が入った「現実」の断片の集合体だから、見る側にも受け止めるための準備があっていいと強く感じました。 一方で、ナチスによって生か死かの極限追い込まれた生存者たちが長く虐げられ、当時を証言することすらままならなかったというのは初めて知りました。人間は忘れたい動物だということをその事実が最も強く教えてくれたような気がします。

  • 鑑賞日 2016/4/27

    何故イスラエルが・・・

    心情的には分かるが法的には何故イスラエルに裁く権利があるのだろうか。納得が行かない。

  • 鑑賞日 2016/5/6

    1961年のイスラエルが舞台。 元ナチス将校の裁判をテレビ放送する人々を描いている。 戦後初めてホロコーストについて世界中の人々に伝えるという、非常に重要な事件。 実際に証拠として使用された映像や、証人の証言が衝撃的。 プロデューサー妻の「卑怯者に屈するの」というセリフや、ホテルオーナーの「あなたのおかげ」というセリフに感動。

  • 鑑賞日 2016/5/3

    Because of you.

    監督のレオとプロデューサーのミルトン。 ふたりの考え方、立場の違いが興味深い。 ドキュメンタリー作家として、アイヒマンの内側に迫りたい、それを暴くことがこの放送の意義だとするレオ。 ホロコーストというシステムを世界に知らしめるため、裁判の全てを記録するのがこの放送の意義だとするミルトン。 アイヒマンや彼の裁判自体については『スペシャリスト』のほうが詳しい。 本作はそれを伝えようとし、見せつけられた人々の物語。 繰り返されるBecause of you.の意味を深く噛みしめる。

  • 鑑賞日 2016/5/5

    繰り返し登場するアイヒマン裁判の映像、それを撮った男たちの工夫と葛藤を描き出す良作

    第二次大戦終結から15年、ユダヤ人虐殺の罪でアイヒマンがエルサレムの法廷に立つことになった。「テレビ史上最大のショウ」になりそうなネタに己を賭け裁判録画中継に乗り出したプロデューサーと、ユダヤ人で赤狩りによりハリウッドを追われ、しかしシオニズムに共感することもできない映画監督を中心とした、「アイヒマン裁判」中継のメイキングドラマがこの映画である。 人類史上最悪のトラウマを抱えた強制収容所の生存者たちが、この裁判TV中継よりも以前にはその替えがたい記憶を語ることははばかられていた(語った相手の反応は大抵「そんな事があるわけはない」というものだったという!)という事実には驚いた。監督は「それでも同じ人間だ、収容所の映像を見ている時には表情が変わるに違いない」と信じ、アイヒマンの表情を追い続ける。残念ながらアイヒマンの表情は残酷と絶望に満ちたフィルムを見ている間も終始変わることはなく、監督は敗北感に打ちのめされる。だが、それは彼が怪物であるからではなく、人間であるが故なのだ。システムが命じるならば自らの人間性を踏みにじれる、それこそが他ならぬ人間を人間たらしめる特徴であり「人間性」の証左なのだと言えるだろう。

  • 鑑賞日 2016/5/5

    事実の強さ?

    最初から息もつかせない展開で圧倒されてしまいました。 これは、映画の作りなのか、それとも事実の重さなのか、半分ドキュメンタリー的なのに、それを組み込んで効果的に見せていくものだから、ホロコーストのフィルムを普通に見る以上に臨場感を持って見せられた感じです。 アイヒマンがどうかはさておき、この放送が収容所にいた方々に対する見方や、彼らの意識を大きく変えたということは良くわかりました。歴史認識という言葉は良く使われますが、いろんなイベントを経て形成されるということを改めて考えさせられる内容でした。 大変迫力のある映画でした。

  • 鑑賞日 2016/5/3

    作品が訴えたかったことは

    この作品が訴えたかったことは何だろう?裁判の内容そのものに焦点を当て、ナチスの犯罪を断罪すること?それとも撮影チームの活躍?どちらも中途半端で観る者への訴求が不足している。

  • 鑑賞日 2016/4/30

    同時代の実話が持つ重み

    アイヒマン裁判の背景を描いた映画  イスラエルの建国間もない頃、アイヒマンが捕まり裁判をテレビ放映する事で何かを変えられると思ったプロデューサー。でもイスラエルの判事の許可が得られず苦労したり、残党ナチに襲撃されたり、虐殺の事実に向き合う事で精神的に病んでしまったり。 私はあくまでも時代が違って文化的背景も違う傍観者でしかないなと。彼らのもつ苦しみや哀しみを理解するには未熟なんだろうと思った。 映画の構成は淡々としていて奇をてらったものではないと思う。演技力とかそこにこだわるのではなく、あくまでもこういう事実があった事を伝えたかったのだなと。

  • 鑑賞日 2016/4/25

    もう一本、大きな意味でのジャーナリズム映画。アイヒマン裁判を通して、映像の本質を描く。実際の裁判映像や資料映像も織り交ぜ、はじめてあの裁判を見る感覚に陥るから、ものすごく辛い。

  • 鑑賞日

    何が人をここまで残虐にしたのか?

    1961年にイスラエルで行われた、ナチの「ユダヤ人問題の最終的解決(=ホロコースト、ユダヤ人の大量虐殺)」の責任者アドルフ・アイヒマンの裁判をテレビ放映した男たちの物語。 この当時アイヒマンの裁判が全世界にテレビ放映されていたという事実そのものも、この作品を通じて知った訳だが、この前代未聞の企画を思いつき、何とか実現にこぎつけようと奔走するプロデューサーを「シャーロック」や「ホビット」で人気のマーティン・フリーマンが熱演している。 映画を見ている我々は、劇中で放映される中継放送を見る形で当時を追体験することになる。裁判で語られるアウシュビッツで生き残った人たちの証言や、裁判に証拠資料として提出された当時の絶滅収容所のあまりの悲惨さに、思わずスクリーンに向けて手を合わせた。考えられないほどやせ細った全裸の死体の山がブルドーザーに押されていく。当時の人たちも、この裁判での証言で、証拠映像で、初めて真実を知ったのだ。(そして、その映像を残したのは「サウルの息子」で描かれていたゾンダーコマンドの生き残りだ) この作品は、本編は映像を制作する人々のドラマを追いながら、挿入される白黒映像は実際の当時の映像なので、フィクションでありながら、極めてドキュメンタリー性が高い。 監督は執拗に裁判中のアイヒマンを狙うが、アイヒマンはほとんど表情も変えない。何が人をここまで残虐にしたのか? 作品の最後に「たった一度でも、肌の色で、信じる神の違いで、人を差別したことのある人間は、誰でも悪魔になりうるのだ」といった趣旨の言葉が流れたが、全世界が右傾化する今、トランプ氏にこそ聞かせたい言葉だと思った。

  • 鑑賞日 2016/5/3

    ファシズムは死なない

    ドキュメンタリー映画「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」を見た者にとっては、この作品は見逃したくないものだ。イスラエルのアイヒマン裁判がどのように撮影されたのか。どんな苦労があったのか。内容は、「スペシャリスト」には語られなかった話がたくさんあって、とても興味深いものだった。  ドキュメンタリー映画では、普通の裁判所か議会のような場所で裁判が行われていたように思ってたのだが、何と劇場のような場所だった。なぜそのような場所だったのかは、話が進むにつれてわかってきた。  ドキュメンタリーでは裁判の周囲の状況が一切わからなかったのだが、実はガガーリンの宇宙飛行やキューバ危機など、大きな世界情勢のうねりが裁判中に行われていた。そして何より、スエズ運河を巡ってイスラエルとアラブ諸国、パレスチナとが争う第一次中東紛争が始まろうとしていた時期だったのだ。  つまり、今度はユダヤ人自らが、他民族と争い挑もうとしていた真っ只中で、民族虐殺を裁く裁判が行われようとしていたのだ。それはあまりストレートには描かれていないのだが、撮影の監督が暗に、自分たちがナチと同じことをするかもしれない危惧をユダヤ国家に向けている演出から、歴史を知っている観客なら汲み取ることができる。  実はドキュメンタリー版では不思議に感じたことがあった。それは、アイヒマンの表情ばかりをとらえた映像が、やたらと多いことだった。実は、この裁判の撮影はトータルで500時間もあり、現存しているフィルムはその内の300時間分である。おそらく、その半分くらいがアイヒマンの表情のみを追ったものだ。その執念深い撮影の意味も、この映画から読み取ることができた。それは、アイヒマンがあまりに凡庸すぎて、顔色ひとつ変えないことに対する意味の追求だったのだ。  この作品から見えてくるのは、アイヒマンのような人間が現れる組織や社会は、どこにでも存在することだ。民族や国家に対する憎悪や敵意識が芽生えたときに、またふたたびナチのような組織や社会が現れ出ることへの警鐘を、映画全編から訴えかけている。ファシズムは今も密かに、どこかで息をしているのである。

  • 鑑賞日 2016/5/3

    怪物を生み出すのは

     第二次世界大戦下におけるドイツのユダヤ人虐殺について私が初めて知ったのは中学生のときで確か日曜洋画劇場で放映された「ニュールンベルグ裁判」という映画だった。  劇中、映し出された収容所の記録映画を見て「どうしてこんなことができるのか」と怒りと悲しみで涙がこみあげてきた。以降、ホロコーストを描いた映画を観ると、この時の思いが蘇る。  このニュールンベルク裁判から15年後にユダヤ人虐殺の首謀者の一人として被告人となったアドルフ・アイヒマンの裁判を描いた「アイヒマン・ショー」でもあの忌まわしきドキュメントが映し出される。ただ、この映画の主たるテーマは、虐殺の実態を示したり、アイヒマンの罪状を明らかにすることではなく、世紀の裁判をいかにして全世界にテレビ放送したかである。  そこには、全世界の視聴者を前にしたプロデューサーの野心や、反骨の映画作家の主観的な演出など、個人の思惑も見え隠れする。  しかし、結果として我々が目にしたのは、虐殺を免れ生き延びた証人の悲痛な証言を聞いても、目を覆いたくなる収容所の記録映画を目の当たりにしても、他人事のように冷徹な表情をしているアイヒマンの姿であった。  この映画は強制収容所開放70周年のモニュメントとしてイギリスで製作されたとのこと。1961年当時のテレビマンの苦労がよく伝わってくる。そして、このような映像を残したスタッフがいたことを知ることができて良かったと思う。  「なぜこのようなことが人間にできたのか」、その謎は私にはまだ解けない。映画に登場する監督のレオは、「何が普通の人間が何千人もの子どもを殺すことに駆り立てたのか」という視点でアイヒマンの表情を捉えようとしていたが、普通であれ怪物であれ人間が人間に対してしたことであることは忘れてはいけない。レオの姿勢に対して、イスラエルのカメラマンが「私はアイヒマンのようには絶対にならない」と断言していたが、自らがならずともそのような怪物を作りだしてもいけないのだということも肝に銘じておこう。

  • 鑑賞日 2016/4/29

    裏側に迫る、部分では。

    ナチス、ホロコーストものだとは認識していましたが、それを世界に発信する裏側のストーリーでもあったとは、観ているうちに知り、かなりのめり込みました。裏側モノ、という意味では最近観た「スポットライト」を思い出しました。ファシズムはだれにでも起こり得る要素である、というようなことばが印象に残りました。そしてすべて人間がした、人間にされたことなのです。人間の定義って、なんでしょうね。生物的なモノ?

  • 鑑賞日 2016/4/27

    怪物の顔

    ユダヤ人大量虐殺の戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を、テレビ中継するテレビマンに迫ったドラマ。 しかし、アイヒマン裁判の内容があまりにも重いため、テレビマンのドラマに魅力を感じません。 私にとっての本作のポイントは2点。 アイヒマンの顔と、収容所のユダヤ人の生き残りの言葉。 収容所の生き残りのユダヤ人の証言。 ユダヤ人じゃないにしても、辛い過去を話すのは勇気がいる。 その上、生き残ったことでナチス側の人間ではないかと、その言葉を信じてもらえない悲しさ。 彼らは法廷という舞台で、終わらない過去と戦っているようでした。 また、話だけではなく、記録映像も映し出されている。 これまでいくつかのホロコースト作品を見てきましたが、この記録映像を見てしまっては、もう何も言えなくなってしまう。 あまりにも残酷で見るに耐え難い映像で、この映像をテレビ中継したのなら、この映像を見た人たちはどのように感じたのだろうかと思います。 裁判を通じて映し出されるアイヒマンの顔。 どんなに酷い証言を聞いても、表情が変わらない。 自分とは関係のない、他人事のような雰囲気がある。 しかし、人はいくら他人事であったとしても、ある程度の閾値を越えたら表情は変わるはず。 この男には感情がないのか、それとも精神障害を負っているのか。 戦争という特殊な状況下で、周りの雰囲気に飲み込まれることはあるかもしれないが、このアイヒマンという男だけは周りに流される男ではないと思います。 テレビという映像において表面的な表情を捉えることは出来なかったが、内面的な冷酷な表情は捉えたと思います。

  • 鑑賞日 2016/4/26

    ❶本作で、アウシュビッツを生き延びた一人の女性が語る。 「初めは思い出したくなかった。誰にも言いたくなかった。 しかし、誰かが言わねばと、思い切って話したら、誰も信じてくれなかった。 今回、ようやく信じてもらえる。」 ➋これは、戦争、犯罪、事故、災害等で深い傷を負った人々に共通する心理のようだ。 我が日本の広島、長崎の原爆被害者も同様だった。 ➌被害者が沈黙することは加害者の思う壺になってしまう。 世間も、すぐ忘れてしまう。 悲しく、辛く、苦しいが、当事者自らが行動しないと事態は良くならない。 ❹それを支援し、後押しするのがジャーナリストや弁護士の役割だと思う。 それをやり遂げた、ミルトン・フルックマン(TVプロデューサー)と、レオ・フルヴィッツ(ドキュメンタリー監督)と、本作のポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督以下のクルーに敬意を表したい。 ❺ひとたび大きな壁を乗り越えた被害者たちは、理不尽な悲劇の歴史を訴え、記録し、拡散し、伝承している。 ❻近年の「3.11」も同様だ。 ①福島県の震災関連死の認定は2千人を超えている。 ②しかし、自民党政調会長が「原発事故で亡くなった人はいない」と発言する。 ③そして、避難指示区域の解除や支援・賠償の打ち切りが計画されている。 ④そんな中で、原発事故訴訟が進んでいる。 『「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団』の参加原告団の数は21、原告者数は9,500名に上っている。 ⑤検察庁が2度も「不起訴」にした東電幹部に対し、市民による検察審査会は先月「強制起訴」を決めた。 ⑥更に先月には、関西電力の高浜原発3、4号機の運転差し止めを求める仮処分申し立てで、大津地方裁判所は滋賀県の住民の主張を認め、「運転差し止め仮処分」の決定を出した。 ❼理不尽な世の中を変えるには「裁判に勝つ」、「選挙に勝つ」の2つしかないことを肝に銘じたい。 ❽アウシュヴィッツは、良き市民、優しい隣人による犯罪だった。 彼等は上からの命令に従っただけだと弁解する。 しかし、人間なら、非人道的行為に対しては、「NO」と言う義務があるのだ。 そのことを、この映画は教えてくれる。 ❾ここで思い出すのが、2013年に公開された『ハンナ・アーレント(2012独・ルクセンブルグ・仏)/4B○★★★★★』。 ホロコーストを生き延びたユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは、本作に描かれたアイヒマンの裁判(1961)に立ち会い(本作には登場しないが)、その傍聴記を発表する。 アイヒマンのことを「思考することを放棄して命令に従っただけの凡庸な小役人」と評し、更に、ユダヤ人自治組織の指導者がアイヒマンに協力していたことにも言及したレポート『イェルサレムのアイヒマン』は、ユダヤ人社会からの激しいバッシングに晒され、彼女は苦境に立たされる。 親しかった友からは非難され、大学からは退職を勧告される。 それでも「絶対に辞めません」と毅然と対決する。 映画のラスト、アーレントが教壇に立ち、学生を前にして渾身のスピーチを行う。 (以下、『ハンナ・アーレント』「採録シナリオ」より) 「彼(アイヒマン)のようなナチの犯罪者は、人間というものを否定したのです。そこに罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検察に反論しました。……“自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ”と」。 「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は『悪の凡庸さ』と名づけました」。 「人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。……“思考の嵐”がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。」 ❿善良な市民が戦争では狂人と化し、非道な犯罪を犯した実例は枚挙に暇がない。 中でも、世界一の民主主義国家と言われるアメリカが、ベトナム戦争中の1968年に起こしたソンミ村虐殺事件は、兵士が殺した村民の首を手で誇らしげにぶら下げている写真が一流紙に掲載されたことで、世界中から批判の嵐を浴びて、今なお記憶に新しい。 この事件はウィリアム・カリー中尉率いる小隊が、南ベトナム・クアンガイ省ソンミ村(人口507人)を襲撃し、無抵抗の村民504人(男149人、妊婦を含む女183人、乳幼児を含む子供173人)を無差別射撃などで虐殺したもの。 ⓫それが戦争なのだ。 「正義の戦争」、「平和を守るための戦争」などはどこにもない。 だから、いかなる戦争もやってはいけないのだ。 ⓬先日発覚した「三菱自動車の燃費偽装」、昨年の「VW排ガス不正」や「三井住友建設/旭化成建材のデータ改ざん」等、世界には不正問題が後を絶たない。不正をした社員は、どう考えて行動したのだろうか? 多分、自分の良心より、上司の指示を優先させたのだろう。 ハンナ・アーレントが言った「悪の凡庸さ」は今でもなくならない。 「駄目なことは駄目」ときっぱり言う勇気を持ちたいと思う。

  • 鑑賞日 2016/4/24

    鉄仮面の被告

    #0371 YEBISU GARDEN CINEMA「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」。ホロコーストを主導し南米逃亡後1960年に逮捕された元ナチス親衛隊員のエルサレムでの戦犯裁判をTV中継したミルトン・フルックマンプロデューサーとレオ・フルヴィッツ監督の実録ドラマである。最後まで本心を隠した被告の仮面の厚さは想像以上だったようである。

  • 鑑賞日 2016/4/24

    「ハンナ・アーレント」が“悪の凡庸”と解析したアイヒマン。今回はそのアイヒマンの裁判をTV放送し世界に訴えようとした男達の物語。実際のニュース映像と組み合わされた裁判シーンではナチスの行った残虐行為が結構そのまま使われている。人間とは思えないほど痩せ衰えた人達の死体が幾重に重なり埋められていく映像はかなり強烈。戦争という狂気と異常の世界に於いて、人は生きていく為に人間としての普通の感覚は捨てなければやっていけないことがあるのかもしれない。アイヒマンという一人の人間だけが起こしたホロコーストではないにせよ、時に人は自分でも気づかぬうちに悪魔になる(又は悪魔の手先になる)ということかもしれない。昨年が戦後70周年といういことから、昨年からヒットラー、ナチスをテーマに取り上げている映画が多いが、こうして観てみると、旧日本陸軍が行ったであろうとされている行為も正視に耐えないものであったのではないかと想像出来る。ただ、日本ではそのテーマを取り上げて映画を撮ることはあまりなさそうだが、本当は独のように客観的に自己批判、自己反省する勇気も必要な気がしてならない。

  • 鑑賞日

    テレビドラマのため総花的になったのが残念

     原題""The Eichmann Show""で、アイヒマンのテレビ番組の意。  1960年にアルゼンチンでモサドに逮捕された元ナチ親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンの裁判の実況をテレビ放送した男たちの物語。  BBCが制作・放送したもので、歴史ドラマとしてテレビで放送する分にはよくできているが、映画としてはやはり軽量感は否めない。  本作の目玉は『ホビット』シリーズのビルボ役、マーティン・フリーマンがアメリカのテレビ・プロデューサーを演じていること。  視聴率を気にするプロデューサーに対し、ディレクター(アンソニー・ラパーリア)の狙いは、誰でもがファシストになれることを実証すること。そのために、裁判中の検事や証人よりもアイヒマンの表情の変化を追い続けるが、アイヒマンの表情は微動だにしない。人間なのか、それとも怪物なのか? というところで、記録フィルムを見せられたアイヒマンがわずかに表情を変え、ディレクターの狙いは成功する。  ・・・というはずだが、裁判シーンは基本的に裁判の実際の映像を使っているために、アイヒマンの表情が変わったように見えないのが残念。全体には、アイヒマン裁判の様子や収容所の記録フィルムや写真を多用して、ホロコーストの実態にも重点を置いたために、アイヒマン対ディレクターという対決構図も希薄にしか描かれない。  興味深いのは、当時収容所から生還したユダヤ人たちがナチに協力した卑怯者と見做され、イスラエルでホロコーストの実態を話しても信じてもらえなかったというエピソードで、カメラマンとホテルの女主人もその一人。むしろ、彼らを中心に据えた方が、テレビ放送で名誉を回復できたという、ドラマ的には芯が通ったものになったかもしれない。  テレビ局が制作したために、テレビとテレビマンをヒーローにしたドラマに拘ったのが、作品を総花的にした。  ホロコーストの記録フィルムは結構エグイので、見る際は要注意。

  • 鑑賞日 2016/4/19

    「あなたのおかげよ」

    1961年にイスラエルで開廷した元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判を記録し、テレビで報道した男たちの奮闘を描く。裁判は、アイヒマンがホロコーストにおける自らの責任についてどのように言及するか、そして、ユダヤ人がナチスの戦犯を公平に裁くことができるのかが注目された。 何と言っても、実際の映像で映し出される、アイヒマンのほとんど動かない表情が強烈に印象に残る。裁判中のアイヒマンの顔は、「ハンナ・アーレント」でも映し出されていたし、裁判の場面を淡々と映し出した「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」でもたっぷり観たのだが、改めてこの映画で観ると、とても冷血な人物に思える。 アイヒマンが侵した行為を、アーレントは、誰もが侵しうる「凡庸な悪」であると表現した。本作で描かれる、裁判を記録したドキュメンタリー監督も、裁判中のアイヒマンの表情を映し出すことで、誰もがアイヒマンになり得ることを訴えようとした。私は「スペシャリスト」で観たアイヒマンの供述がいかにも役人らしい答弁を繰り返していたので、誰もが侵しうる「凡庸な悪」の意味を理解したつもりでいた。 しかし、本作を観て、心が揺らいだ。どんなに残虐な証言を聞き、映像を見せられても、アイヒマンの表情は動かない。それがとても恐ろしい。アイヒマンがした行為は「凡庸な悪」であったかもしれないが、アイヒマン自身は特異な人物ではないかと思えてしまう。だが、きっと違うのだ。彼は、おそらく理性を失ったままなのだ。未だに、自らの行為が招いた帰結の残虐さも感じない、狂気のさなかにいるのではないか。 ホロコーストの狂気について改めて考えさせられる作品だ。ただし、この裁判を記録し、報道する側のドラマとしては、厚みに欠け、物足りなく感じた。いっそTVプロデューサー本人や関係者のインタビューと裁判の映像で構成して、ドキュメンタリーとして見せた方が、インパクトがあったのではないかと思う。