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アルゴ
CIAがニセの映画をでっち上げて人質救出に挑む!衝撃の実話に迫るアカデミー作品賞受賞のサスペンス
1979年に起きたイラン米国大使館人質事件の裏側をベン・アフレックが監督・主演で映画化。CIAがハリウッドと架空の映画をでっち上げるなど驚きの逸話をスリリングに描く。作品賞ほかアカデミー賞3部門受賞。
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COLUMN/コラム2024.12.05
ティム・バートンとジョニー・デップ アメリカ映画史に残る、パートナーシップの始まり『シザーハンズ』
幼き日から、古いホラー映画が大好き。漫画を描き、ゴジラの着ぐるみを纏う俳優になることを夢見る少年だった。元マイナーリーグの野球選手だった父は、そんな内向的な息子のことが、理解できなかった。 ティーンエージャーの頃、誰とも心を通い合わせることができず、長続きする関係が持てなかった。それはもちろん、家族を含めて。彼は孤独だった。 20代。ディズニー・スタジオのアニメーターになった彼は、ストップモーションアニメや、モノクロ実写のダークファンタジーの短編作品を監督。それがきっかけとなって、26歳の時、実写の長編作品の監督デビューを果す。 その作品『ピーウィーの大冒険』(1985/日本では劇場未公開)は、製作費700万㌦の低予算ながら、4,000万㌦以上の興収を稼ぎ出した。彼=ティム・バートンは、一躍注目の存在となった。 2歳年上の作家、キャラロイン・トンプソンに出会ったのは、次作『ビートルジュース』(88)に取り掛かる、少し前。トンプソンは、『ピーウィーの大冒険』がお気に入りだった。そしてバートンは、彼女が書いた、中絶された胎児が甦る内容のホラー小説に、魅了された。 バートンは、自分の考えていることを他者に伝えることが、至極苦手だった。しかしトンプソンは、そんなバートンが発する曖昧な言葉から、彼の想いを易々と汲み取ってみせた。波長がぴったり合う2人は、姉と弟のような関係になった。 ある時バートンは、バーでトンプソンに、自分が10代の頃に描いた、「手の代わりにハサミを持つ若者」の話をした。骸骨のように痩せた身体で、くしゃくしゃの髪。全身を黒い革で包み、指の代わりに付いた長く鋭いハサミの刃で、近づく者を皆、傷つけてしまう。その目に深い悲しみをたたえた、孤独な若者の話を…。 明らかに、バートン本人が投影されたキャラクターだった。そう感じると同時に、これは映画になると考えたトンプソンは、帰宅するとすぐに、70頁に及ぶ準備稿を書き上げた。 それが本作『シザーハンズ』(90)のベースとなった。 ***** 寒い冬の夜、ベッドに眠る孫娘を、寝かしつける老女。「雪はなぜ降るの?」と孫に聞かれた老女は、「昔々…」と、ある“おとぎ話”を始めた…。 郊外の住宅地に住む主婦ペグは、化粧品のセールスレディ。ある日思い立った彼女は、町はずれの山の上に在る、古城のような屋敷へとセールスを掛ける。 そこに居たのは、両手がハサミの若者エドワード。彼は、以前この屋敷に住んでいた発明家が生み出した、人造人間だった。年老いた発明家は、エドワードの手の完成直前に急逝。それ以来彼は、ひとりぼっちだったのだ。 ペグはエドワードを、不憫に思った。そして我が家へと、連れ帰る。 手がハサミの彼は、食事も思い通りにいかない。しかしそのハサミで、植木を美しく整えたり、ペットのトリミングを行ったり、主婦たちの髪を独創的にカットするなどしている内に、町の人気者となっていく。 エドワードは、ある女性に恋心を抱くようになる。それはペグの娘で、高校ではチアリーダーを務めるキムだった。 アメフト部のスターであるジムと付き合っていたキムは、当初はエドワードのことを疎ましく思う。しかしその優しさに触れる内に、段々と心惹かれていく。 ある時エドワードは、ジムに泥棒の濡れ衣を着せられる。逮捕されても、キムに累が及ばないよう、彼は真実を語らなかった。 それをきっかけに、町の人々はエドワードを避けるようになる。やがて事態はエスカレート。誤解も重なって“怪物”扱いされた彼は、逃亡を余儀なくされ、古城へと帰る。 後を追ったのは、今や彼を愛するキム。そして嫉妬に狂い、銃を携えたジムだった…。 ***** トンプソンは、バートンが青春時代に味わった苦しみを、寓話へとアレンジ。その際には、一応は現代を舞台としながらも、“おとぎ話”の手法を用いた。 “おとぎ話”であるならば、本来は「あり得ない」と突っ込まれたり批判されかねない描写も、問題なく盛り込める。 例えば、郊外の住宅地のすぐそばに、なぜ大きな古城が在るのか?人造人間は一体、どんな仕組みで動いているのか?そしてエドワードは、彫刻に使う氷を一体どこから調達したのか? バートン曰く、「おとぎ話は不条理を許容する。だが、ある面では現実より現実的だ」 先にも記した通りエドワードは、バートン自身が投影されたキャラクター。トンプソンに言わせれば、「現実の世の中にフィットしないアーティストのメタファー」である。 そしてバートンはこのキャラクターに、フランケンシュタインやオペラ座の怪人、ノートルダムのせむし男にキング・コング、大アマゾンの半魚人等々といった、彼が少年時代から愛して止まなかった、モンスターたちを重ね合わせた。彼らは愛を乞うているだけなのに、“怪物”として駆逐されてしまう…。 物語の舞台は、バートンが幼い頃に暮らした、郊外の町バーバンクがモデル。バートン曰く「芸術をたしなむ文化が欠落している」ような場所だ。 トンプソンは脚本執筆のため、バーバンクの住宅地の片隅に住み込み、そこで経験したことを、脚本へと盛り込んだ。例えば、ちょっとした事件が起きると、みんながいちいち家から出てきては見物する描写などが、それである。 バートンは本作を当初、ミュージカル仕立てにしようと考えた。脚本も準備稿の段階では、劇中歌まで書き込まれていたという。結局そのアイディアは放棄されたが、本作は15年後=2005年に、イギリスのコンテンポラリーダンス演出家で振付師のマシュー・ボーンによって、ミュージカルとして舞台化されている。『ビートルジュース』が大ヒットとなり、その後の『バットマン』(99)のクランクインが近づく頃、バートンは本作を製作する映画会社探しを、本格化。トンプソンの脚本のギャラを数千㌦に抑えれば、800~900万㌦ほどの製作費でイケると見込んだ。 バートンは、候補に決めた映画会社に、オファー。その際には、『バットマン』の製作過程での様々な苦闘を教訓に、映画製作に関する決定権が、すべてバートンにあるという条件を付けた。返答の期限は、2週間後。『ビートルジュース』『バットマン』を製作したワーナーは、先買権を持ちながらも、本作の映画化を拒否した。結局この話に乗ったのは、20世紀フォックス。 しかし『バットマン』製作中に、フォックスの経営陣が一新され、本作の製作を決めた者が居なくなってしまうというハプニングが起こる。ところがこれが、幸いする。 新たにフォックスのTOPとなったジョー・ロスが、この企画に前経営陣以上の熱意を示したのだ。彼曰く、「エドワードはフレディ・クルーガー(『エルム街の悪夢』シリーズに登場する殺人鬼)の手をしたピノキオであり、『スプラッシュ』や『E.T.』のように新しい世界に合わせようとして苦しむ人間のかたちをした訪問者だ」 そして本作の製作費は、当初の800万㌦からその2.5倍にアップ。2,000万㌦が用意された。 最初に決まったキャストは、キム役のウィノナ・ライダー。『ビートルジュース』でバートンのお気に入りとなった彼女だが、ブロンドのカツラを付けてのチアリーダーのキムは、学生時代にそうした華やかな存在のクラスメートに悩まされた、オタク気質のウィノナにとっては、非常に演じにくい役であった。 このことが象徴するように、キャスティングは、すべてが意図的にズラされている。キムと付き合うアメフト部員のジム役には、アンソニー・マイケル・ホール。『すてきな片想い』(84)『ときめきサイエンス』(85)など、80年代中盤からハリウッドを席捲した、ジョン・ヒューズ監督の青春もので売り出した俳優である。本作での彼はいつもと真逆で、飲んだくれのろくでなし。凶暴性も秘めた役どころだった。 エドワードを我が家に連れ帰るペグには、ダイアン・ウィースト、その夫にはアラン・アーキンと、名脇役をキャスティングした。 エドワードの生みの親である老発明家役には、ロジャー・コーマン監督によるエドガー・アラン・ポー原作ものをはじめ、数多のホラー作品に出演し、バートンが少年時代から憧れの人だった、ヴィンセント・プライス。 バートンは初監督作で6分の短編『ヴィンセント』(82)で、プライスにナレーションを務めてもらって以来、彼との友情を温めてきた。本作の後には、プライスの一生を綴った伝記映画を準備していたが、彼は93年に他界。結果的に本作が、遺作となった。 一向に決まらなかったのが、肝心の主演。エドワード・シザーハンズ役だった。 フォックスが推したのは、トム・クルーズ。バートンのイメージには合わなかったが、人気絶頂の若手スターを起用して大ヒットを狙うフォックス側の気持ちも理解できたので、何度かミーティングを行った。しかし回を重ねる毎に、クルーズの方も違和感を抱くようになって、この話はポシャった。 他には、ウィリアム・ハートやトム・ハンクス、ロバート・ダウニー・Jr、更にはマイケル・ジャクソンの名まで挙がった。しかしいずれも、バートンにはしっくり来なかった。 候補のリストには名前が載っていなかった、TVドラマの人気シリーズに主演する若手俳優から、バートンに「会いたい」という連絡があった。バートンはそのドラマ「21ジャンプストリート」(87~90)を観たことがなかったし、その俳優ジョニー・デップに関しても、ティーンのアイドルで、気難し屋という噂ぐらいしか知らなかった。 そんなこともあって気乗りしなかったが、まだエドワード役のメドが立っていなかったので、とりあえず会うことにした。 エージェントから渡された『シザーハンズ』の脚本を読んで、「赤ん坊のように泣いた」というデップ。この役を絶対手に入れたいと思い、バートンとコンタクトを取った。そして面会が決まると、バートンの過去作をすべて鑑賞。本作出演への思いを益々強くして、その日に臨んだ。 デップはバートンの顔などまったく知らなかったが、面会の場に赴くと、テーブルに並んだ中に、「色白でひょろっとした、悲しい目の男」を見つけて、すべてを理解した。エドワード・シザーハンズは、「バートン自身なんだ!」と。 初対面だったにも拘わらず、バートンとデップは、まるで旧知の友のようだった。2人は“はみだし者”談義で大いに盛り上がり、意気投合した。 バートンはデップが、大いに気に入った。しかし踏ん切りがつかず、デップの直前の主演作『クライ・ベイビー』(90)の編集室に、その監督のジョン・ウォーターズを訪ねた。そこでデップが映るフィルムを何時間も見つめて、遂に心を決めた。 面会から数週間後、デップに電話が掛かる。バートンの声だった。「ジョニー、君がエドワード・シザーハンズだ」 これが『エド・ウッド』(94)『チャーリーとチョコレート工場』(2005)等々に続いていく、現代アメリカ映画を代表する、監督と俳優のパートナーシップの始まりだった。 エドワード役は主演ながら、主要出演者の中で、最もセリフが少ない。デップは、バートンが起用する決め手になったという“目の演技”や“身体を使った演技”を駆使。そのために、サイレント映画時代からの代表的な喜劇王チャールズ・チャップリンの演技を研究したという。 また演技をしている間は、「昔飼っていた犬の顔を思い浮かべていた……」。家に帰るとルーティンにしたのが、25㌢のハサミの刃を手に付けて、ぎこちなく日々の雑事をこなすことだった。 先にも紹介した通り、バートンは自分の考えを他者に伝えることが至極苦手で、撮影現場での指示も、尻切れトンボのようになってしまう。俳優陣は、激しく腕を振り回すバートンの、支離滅裂な思い付きによる、ほぼ直感的な演出に対応しなければならない。デップはそんなバートンの言を、まるで第六感でもあるかのように、あっさりと読み解いた。 因みにデップも、ヴィンセント・プライスに対して、バートンのようなリスペクトの念を抱いた。デップはプライスから、この世界の厳しさを聞き、「型にはまった役者にはなるな」と諭された。ホラー俳優のイメージがあまりにも強く、それが悩みの種だったプライスからの、自分を反面教師にしろというアドバイスだった。 その当時、デップはウィノナ・ライダーと熱愛中だった。ウィノナは本作の直前に、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90)を、体調不良で降板したのだが、実はジョニー・デップと共演するためだったというゴシップ記事が流れた。先にも記した通り、本作ではウィノナの方が先に出演が決まっていたので、これは根も葉もないデタラメだったが。 バートン曰く、「スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンを不良にしたようなカップル」だったデップとウィノナは、悲しいラブストーリーを演じ切った。 ゴシック様式の古城のような屋敷は、20世紀フォックスの撮影所敷地内に建てられたが、メインのロケは、町のモデルとなったバーバンクからは遠く離れた、フロリダ州パスコ郡デイドシティの郊外に在る50世帯の協力を得て、行われた。 実際の住人には3カ月間、近くのモーテルに仮住まいしてもらい、借り受けた家々には、様々なパステル調の彩色や、窓を小さくするなどの加工を行った。そしてそれらの庭には、エドワードが刈ってデザインしたという設定の、恐竜、象、バレリーナ、馬、人間などを象った、風変わりな植木を搬入した。こうして、どの時代のどの場所にも属さないような、郊外の町が創り出された。 日中の気温が43度まで上がり、酷い湿気がまるで糊のようにまとわりつくこの地で、スタッフやキャストが悲鳴を上げたのは、虫の大量発生だった。時には空を黒く埋め尽くし、撮影ができなくなるほどだったという。虫が嫌いではないバートンは、まったく平気の平左だったというが。 ギレルモ・デル・トロ監督が、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)で人間と半魚人の恋を描き、アカデミー賞の作品賞や監督賞を獲った時に、遂にこんな時代がやって来たと感銘を受けた。思えばその先鞭をつけたのが本作、ティム・バートンの『シザーハンズ』だった。 バートンのキャリアの中では、『バットマン』ほどの大ヒットを記録したわけではない。しかし彼の代表作と言えば、必ずこの作品の名が挙がる。製作から30数年経って、その輝きは年々増すばかりの傑作である。■ 『シザーハンズ』© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
宇宙人ポール
[PG12]映画ファンをニヤリとさせる名作SFのパロディ満載!宇宙人とオタクの奇妙な旅を描くコメディ
『ワールズ・エンド酔っぱらいが世界を救う!』などの名コンビ、S・ペッグ&N・フロストが脚本と主演を兼任。下ネタ全開の陽気な宇宙人を魅力的に描きつつ、往年のSF映画へのオマージュの数々でニヤリとさせる。
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COLUMN/コラム2024.12.04
誰もが童心に帰るレイ・ハリーハウゼンの傑作ファンタジー・アドベンチャー「シンドバッド3部作」の見どころを解説!
ストップモーション・アニメーションを駆使した創造性の豊かな特撮映画で一時代を築き、ことSF映画やファンタジー映画のジャンルに多大な影響を及ぼした映像クリエイター、レイ・ハリーハウゼン。少年時代に見た映画『キング・コング』(’33)に衝撃を受け、ミニチュアとモデル人形を用いたコマ撮りの技術によって、この世に存在しないクリーチャーたちに命を吹き込むストップモーション・アニメの世界に魅了された彼は、その『キング・コング』の特殊効果を手掛けたウィリス・オブライエンに影響されてアニメーターの道へ。高校時代から自主制作でストップモーション・アニメを製作していた彼は、南カリフォルニア大学を経て映画界へ入り、尊敬するオブライエンが特撮監修を務めた怪獣映画『猿人ジョー・ヤング』(’49)にアシスタントとして参加し、同作のアカデミー特殊効果賞獲得に大きく貢献する。 一般的には「特殊効果マン」として認識されているハリーハウゼンだが、しかし実際には特撮シーンの製作・演出・撮影はもとより、作品の基本コンセプトから脚本の執筆、実写部分の撮影にも大きく関わっており、映画監督組合の規定によって本編では実写部分の演出家が監督としてクレジットされていたものの、しかし実質的には彼こそが作品全体を主導する「監督」の役割を担っていることが多かった。初めて特殊効果の責任者を任されたのは日本の『ゴジラ』(’54)にも影響を与えたとされる『原子怪獣現る』(’53)。その次の『水爆と深海の怪物』(’55)で出会ったコロムビア映画のプロデューサー、チャールズ・H・シニアとタッグを組み、『地球へ2千万マイル』(’57)のようなSFモンスター映画から『アルゴ探検隊の大冒険』(’60)に代表されるファンタジー映画、英国のハマー・フィルムに招かれた『恐竜100万年』(’66)に端を発する恐竜映画などを次々と手掛けたハリーハウゼン。ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグを筆頭に、ジェームズ・キャメロンにティム・バートン、ギレルモ・デル・トロにピーター・ジャクソンなどなど、彼に影響を受けて尊敬していることを公言する映像作家は枚挙に暇ない。もちろん、フィル・ティペットにジョン・ダイクストラ、デニス・ミュレンなど特殊視覚効果のレジェンドたちもハリーハウゼンを師と仰いでいる。 そんな偉大なアニメーターにしてフィルムメーカーだったレイ・ハリーハウゼンの、恐らくライフワークと呼んでも過言ではない代表作「シンドバッド三部作」が12月のザ・シネマにお目見えする。同じく放送される『アルゴ探検隊の大冒険』と並んで、特撮ファンタジー映画の金字塔として熱烈なファンの多い「シンドバッド三部作」。今回はその見どころや舞台裏エピソードをご紹介しよう。 『シンバッド七回目の航海』(1958) シンドバッドの英語表記「Sinbad」に倣って邦題でもシンバッドの呼称が使われた本作は、「シンドバッド三部作」の記念すべき第1弾にして、ハリーハウゼンにとって初めてのカラー映画。なおかつ、ハリーハウゼン映画のトレードマークである「ダイナメーション」を宣伝文句に使った最初の映画でもある。ダイナメンション(立体)とアニメーションを結び合わせた造語であり、ハリーハウゼンが得意とするストップモーション・アニメとライブ・アクションを融合させた特撮技術を指す「ダイナメーション」。従来のストップモーション・アニメーションという単語だと、いわゆる漫画アニメと混同してしまう観客や批評家が多かったため、何か新しいキャッチーな呼び方が必要だと考えていたハリーハウゼンのため、相棒のシニアがドライブ中に思いついたのだそうだ。 そんな本作の企画が生まれたのは、ハリーハウゼンが『原子怪獣現る』の撮影を終えた頃のこと。フランスの画家ギュスターヴ・ドレの絵画をヒントに、「アラビアン・ナイト」の英雄シンドバッドと骸骨が剣を交えて戦う場面を連想したハリーハウゼンは、そのアイディアを基にした「Sinbad the Sailor(船乗りシンドバッド)」という長編映画を企画。いくつか考えた特撮シーンのコンセプト画と簡単な企画書を持って、各映画会社やプロデューサーのもとを回ったが、しかし当時はまだ具体的なストーリーがなかったせいか、どこへ持ち込んでもアッサリ断られてしまったという。 その後、『水爆と深海の怪物』に『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(’56)、『地球へ2万マイル』と立て続けにSF特撮映画を作ったハリーハウゼンだったが、おかげで巨大生物が暴れまわったり都市が破壊されたりするような映画に飽きてしまった。そこで思い出したのが「船乗りシンドバッド」の企画だったという。とはいえ、当時はRKO製作のシンドバッド映画『四十人の女盗賊』(’55)が大惨敗したばかりで、ハリウッドではコスチュームプレイは時代遅れで当たらないという認識が広まっていた。そのうえ歴史物なので、それまでの映画に比べて遥かに予算がかかる。またもや門前払いを食らうのではないかと心配したハリーハウゼンだったが、しかし彼の描いたコンセプト画を見てヒットの可能性を見抜いたシニアは、映画会社の幹部を説得しやすいように実現可能なアイディアのみをまとめた企画書を作り直し、見事にコロムビア映画から製作許可を得たのである。 まずは特撮と合成の準備に取り掛かったハリーハウゼン。彼の作品は基本的に特撮シーンありきであるため、脚本は特殊効果と予算の兼ね合いを検討しながら改稿を繰り返していくのが通常だった。一般的に特撮は脚本を基にして準備が進められ、脚本の内容に従って製作されるものと考えられがちだが、ハリーハウゼン作品はその逆だったのだ。テレビドラマの人気脚本家だったケネス・コルブを雇い、ハリーハウゼンとシニアを交えた3人で会議を重ねた末に、およそ半年をかけて脚本が完成。映画の成功も失敗も特殊効果次第だと考えたシニアは、ハリーハウゼンの手に100万ドルの保険をかけたのだそうだ。 ストーリーは実にシンプル。異国の姫君パリサ(キャスリン・グラント)と婚約し、船長を務める船で故郷のバグダッドへ戻ることになったシンドバッド王子(カーウィン・マシューズ)は、その途中に立ち寄った謎の島コロッサで一つ目の巨人サイクロプスに襲われる魔術師ソクラ(トリン・サッチャー)を救出する。ところがこのソクラは邪悪な魔術師で、島では宝物庫から魔法のランプを盗もうとしてサイクロプスに追いかけられていたのだ。魔法のランプを諦められないソクラは、魔術を使ってパリサ姫を親指サイズの小人に変えてしまう。慌てたシンドバッドが犯人と知らずソクラに助けを求めたところ、パリサ姫を元へ戻すにはコロッサ島の巨大な怪鳥ロックの卵が必要不可欠だという。そう、ソクラはシンドバッドにコロッサ島へ戻る船を出させるため、パリサ姫に魔術をかけたのだ。かくして、謎多き島へ再び上陸したシンドバッド一行の前に、サイクロプスや双頭の怪鳥ロック、さらには火を噴く怪獣ドラゴンなどが立ちはだかる。 先述した通り、ストーリーはあくまでも特撮シーンの見せ場を軸にして構成されており、なおかつ子供向けの冒険活劇が基本コンセプトであるため、正直なところ脚本自体はあまり出来が良いとは言えない。だいたい、サイクロプスなんてギリシャ神話のキャラクターであり、本来なら「アラビアン・ナイト」の世界とは無関係。いい加減といえばいい加減である。やはり最大の目玉はハリーハウゼンの「ダイナメーション」だろう。中でも、企画の発端となったシンドバッドと骸骨の剣戟アクションは、両者の剣さばきが見事にマッチした素晴らしい出来栄え。モデル人形と俳優を「接触」させる映像を撮るのはこれが初めてだったため、ハリーハウゼンは自らフェンシングの訓練コースを受けて正しい剣さばきを勉強し、さらには剣戟の振り付けを担当するフェンシングの元オリンピック・イタリア代表選手エンツォ・ムスメッキ・グレコと打ち合わせを重ね、アニメート作業を念頭に置いたリズミカルな振り付けを考案したという。骸骨のモデル人形は体部分がラテックスを沁み込ませた綿、頭部はレジン(合成樹脂)で出来ており、『アルゴ探検隊の大冒険』の骸骨軍団のひとつとしても再登場する。 もちろん、サイクロプスとドラゴンの造形も見事で、両者が死闘を演じるクライマックスはなかなかの迫力だ。当初、サイクロプスをもっと人間みたいなデザインにするつもりだったハリーハウゼンだが、しかし観客から俳優が演じているものと勘違いされることを避けるため、『地球へ2千万マイル』の怪獣イミールの初期デザインを応用したモンスターに仕上げた。恩師ウィリス・オブライエンに言われた「現実に撮影できるものを作ろうとするのはやめるべきだ」というアドバイスも恐らく念頭にあったのだろう。 ちなみに、もともとのコンセプトだとコロッサ島はサイクロプスの居住地で、他にも大勢のサイクロプスが存在するという設定だったのだとか。実際、シンドバッドの部下の水兵がサイクロプスに捕まって丸焼きにされそうになるシーンで、2体のサイクロプスが「ご馳走」を巡って殴り合いの喧嘩をするというユーモラスな場面も予定されていたが、しかし時間と予算の都合で諦めたのだそうだ。また、ドラゴンが火を噴くシーンの撮影もコストがかかるため、本来ならもっと火を噴かせたかったが2回だけで断念。また、脚本執筆の段階では、人魚の姿をした女性の精霊セイレーンが嵐の岩場に現れたり、魔術師ソクラの洞窟で巨大ネズミの群れに襲われたりするシーンも存在したそうだが、前者は時間的な余裕がなかったため、後者は子供向け映画としては怖すぎるため削除された。 やはり本作で最大の難関だったのはカラー撮影である。というのも、当時はまだCGもデジタル合成も存在しない時代。ストップモーション・アニメとライブ・アクションの映像を合成するには、手前にモデル人形やミニチュアセットを配置し、背景のスクリーンに実写映像を投影(リアプロジェクション)しながらひとコマずつ撮影していく、いわゆる「スクリーンプロセス」の手法が用いられていた。ご想像の通り、それだとスクリーンに投影された実写映像をもう一度撮影することになるため、当たり前だがその部分だけ解像度が著しく落ちてしまう。これがモノクロ撮影だと画質や色の違いもなんとか誤魔化せるが、しかしカラーではハッキリと目立ってしまうのだ。ただでさえカラー撮影は費用がかさむうえ、そうした技術的な問題も孕んでいる。なので、もともとハリーハウゼンはモノクロでの撮影を考えていたが、しかし相棒シニアが「『アラビアン・ナイト』の世界にモノクロはそぐわない」とカラーでの撮影を主張し、ハリーハウゼンも「確かにその通りだ」と考えを改めたのである。 そこで、ハリーハウゼンはコロムビア現像所の所長ジェラルド・ラケットに相談し、複製ネガの画質がマスターポジに劣らないイーストマン・コダック社の新製品フィルム「カラーストック5253」をリアプロジェクション用に採用。さらに、当時の映画フィルムは撮影の際にマスキングされていたのだが、ハリーハウゼンはそれを外して露光領域を全て使うことを考案。これでリアプロジェクション映像を撮影すると。画像サイズが大きくなった分だけ解像度も上がり、画質や色の違いが少なく抑えられるというわけだ。ただし、カラーフィルムは温度変化に敏感で、例えばアニメート撮影を途中で切り上げて翌日に回したりすると、その間にフィルムの明度が変わってしまうため、ひとつのカットを一気に撮影せねばならなかったそうだ。 また、当時のハリウッド映画の歴史物はロサンゼルスのスタジオに巨大セットを作って撮影されることが多かったが、本作は製作費の節約のため人件費の安いスペインでロケを敢行。グラナダのアルハンブラ宮殿やコスタ・ブラーバのサガロ、マジョルカ島の洞窟などを使って実写映像を撮影しているのだが、これが実にエキゾチックかつ風光明媚な魅力を作品に与えて大正解。ロケハンのためスペインを訪れたハリーハウゼンはすっかり気に入ってしまい、以降もたびたび自作のロケ地としてスペインを選んだばかりか、一時期はスペインに住んでいたこともある。 監督として実写部分の演出を担当したのは『地球へ2万マイル』でも組んだネイサン・ジュラン。自分自身を「映画監督が天職というタイプではない」「映画に恋をしたようなこともない」と語っていたジュランは、自らの職務についても「スケジュールと予算をきちんと守ったうえで、脚本の内容を映像化する技術者」だと割り切っていた。それゆえ、ハリーハウゼンやシニアにとっては仕事をしやすい相手だったようだ。しかももともとは美術監督の出身であるため、本作では異国情緒溢れるゴージャスな映像美にその才能を発揮している。また、シンドバッド役のカーウィン・マシューズは当時コロムビア映画が猛プッシュしていた若手スターで、ハリーハウゼン曰く、目に見えないモンスターを想像しながら演技するのが非常に巧かったという。 最終的な製作費はたったの65万ドルだったが、コロムビア映画の派手なプロモーション効果もあってか大ヒットを記録。これを機にハリーハウゼンとシニアは大きな予算を確保できるようになり、いわゆるB級映画の世界から抜け出すことが出来たそうだ。 『シンドバッド黄金の航海』(1973) 本作も始まりはレイ・ハリーハウゼンの描いたイラストだった。再び「アラビアン・ナイト」の世界を映画化したいと考えた彼は、ケンタウロスとグリフォンの戦いなど何枚かのイラストを描いていた。1963~64年頃のことだ。しかし、当時はストーリーまでは思いつかなかったため企画を温存することにした。その後、何度か脚本家を雇ってアウトラインを考えたが実を結ばず。結局、興行的に不発だった『恐竜グワンジ』(’69)の完成後に、自身の手でシンドバッド映画第2弾のアウトラインを書くことになる。これを読んだ相棒のチャールズ・H・シニアは、『女子大生・恐怖のサイクリングバカンス』(’70)や『見えない恐怖』(’71)などの優れた英国サスペンスで知られるブライアン・クレメンスを脚本家として雇い、およそ1年間をかけて脚本会議を重ねながらストーリーを構成していく。そうやって最終稿が仕上がったのは1972年6月のことだった。 部下の水兵たちを伴って航海の旅を続ける船乗りシンドバッド(ジョン・フィリップ・ロー)は、ある時、船の上空を飛来した奇妙な生き物を射落とそうとしたところ、その生き物が運んでいた黄金のタブレットを手に入れる。すると、シンドバッドの目の前に美しい女性の幻が現れ、そのうえ奇妙な嵐に見舞われた一行は、気が付くと航路から大きく外れたマラビア王国へと辿り着く。上陸したシンドバッドから黄金のタブレットを奪おうとする魔術師クーラ(トム・ベイカー)。実は、タブレットを落としていった奇妙な生物は、魔術師クーラがマンドレイクの根から作った翼を持つ小型の人造人間ホムンクルスだった。王国軍によって助けられたシンドバッドは、クーラによって顔に火傷を負ったため黄金のマスクを被った宰相ビジエル(ダグラス・ウィルマー)に宮殿へ招かれる。 その宰相ビジエルによると、黄金のタブレットは3枚で構成されたパズルのひとつで、その全てを揃えた者は何か強大なパワーを得ることが出来るという。魔術師クーラはそれを狙っているのだ。実は宰相ビジエルも黄金のタブレットを持っており、シンドバッドのタブレットと併せてみたところ、それが伝説の島レムリアの位置を示す航海図であることに気付く。恐らく、そこに3枚目のタブレットがあるのだろう。宰相ビジエルと共にレムリア島へ向かうことにしたシンドバッドは、さらに幻で見た美女と瓜二つの女奴隷マルギアナ(キャロライン・マンロー)と商人の放蕩息子ハローン(カート・クリスチャン)を連れて航海の旅に出るのだが、その動きを察知した魔術師クーラが横取りしようと画策する…。 『シンバッド七回目の航海』よりも大人向けに仕上がった本作は、それゆえビジュアルもお伽噺風の煌びやかさや派手な色彩が抑えられ、全体的にどこかダークで神秘的なムードが漂う。中でもそれが顕著なのは、カンボジアのアンコール遺跡を参考にしたというレムリア島のデザインであろう。そのレムリア島の元ネタは、19世紀の動物学者フィリップ・ㇲクレーターが存在を主張した幻の大陸レムリア。かつてインド洋にあったとされていることから、ハリーハウゼンは本作もインドでロケ撮影しようと考えたが、しかし当時のインドでは官僚主義やお役所仕事で映画の撮影がなかなか進まず、そのうえ現地エキストラは複数の仕事を掛け持ちしているので平気で現場をすっぽかすとの悪評を聞いて断念する。なにしろ、ハリーハウゼン作品では撮影スケジュールと予算の厳守は必須だ。そのため、結局は前作と同じようにスペインで撮影をしている。 やはり本作の最大の見どころは、レムリア島の寺院に祀られたヒンドゥー教の陰母神カーリーの巨大な青銅像が動き出し、シンドバッド一行と激しい戦いを繰り広げるシーンであろう。実在しないクリーチャーに命を吹き込むこと以上に惹かれるのが、本来なら命を持たないただのモノに命を吹き込むことだというハリーハウゼン。そんな彼にとって、本作のカーリーは最も満足した仕事のひとつだったようだ。ただし、カーリーとシンドバッドたちのチャンバラ合戦は『アルゴ探検隊の大冒険』の骸骨軍団との戦いと同じくらい、複雑かつ困難なアニメート作業と合成が必要だったため、実写部分の撮影ではハリーハウゼン自身が最終的な完成映像を念頭に置いて役者の動きを指導したという。また、カーリーが踊り出すシーンではインドの舞踏家スーリャ・クマリに振り付けを依頼し、フィルム撮影された踊りを基にしてアニメート作業を行った。 もうひとつ、命を吹き込まれた命のないモノが、シンドバッドの船の船首像である。セイレーンをモデルにした船首像が、夜の暗闇で不気味に動き出すシーンは鳥肌ものの不気味さとカッコ良さ!また、サイクロプスの要素を取り込んだひとつ目のケンタウロスもデザインがユニークだし、そのケンタウロスとグリフォン(上半身が鷲で下半身がライオンという伝説のクリーチャー)の戦いも大きな見どころである。なお、本作ではダイナメーションに代わってダイナラマという新しい名称が使用されているが、これは映画会社の宣伝戦略で呼び方を変えただけだ。 監督に起用されたのは、AIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)で『呪われた棺』(’69)や『バンパイアキラーの謎』(’70)などのカルト・ホラーを手掛けたゴードン・ヘスラー。ファンタジーの世界にも造詣が深かった彼は、脚本会議にも途中から参加して様々なアイディアを提供し、ハリーハウゼンを大いに満足させたという。ダークで神秘的な世界観もホラー畑出身のヘスラーにはピッタリだった。シンドバッド役は『バーバレラ』(’68)や『黄金の眼』(’68)で有名なジョン・フィリップ・ロー。マッチョ過ぎないシュッとした体格はハリーハウゼンの理想通りだったが、しかしシニア曰く、前作のカーウィン・マシューズほど剣戟アクションが上手くないのは不満だったようだ。 ヒロインのマルギアナを演じるキャロライン・マンローは、当時ハマー・フィルムでクレメンスが撮り終えたばかりの初監督作『吸血鬼ハンター』(’73)の主演女優で、そのクレメンスの推薦で本作に起用された。従来のハリーハウゼン作品らしからぬセクシーなヒロイン像に、当時は胸をときめかせた映画少年も多かったようだ。また、魔術師クーラ役のトム・ベイカーは、かのローレンス・オリヴィエにも才能を評価されたシェイクスピア俳優だったが、しかし本作のオーディションを受けた当時は土木作業員のアルバイトをしながら食いつないでいたそうで、このクーラ役をステップにイギリスの国民的長寿SF番組『ドクター・フー』の4代目ドクター役に抜擢される。また、マカロニ・ウエスタンの悪役俳優アルド・サンブレルが、シンドバッドの腹心オマール役で顔を出しているのも見逃せない。 なお、井戸から現れる毛むくじゃらの預言者役は、もともとオーソン・ウェルズがキャスティングされていたものの、撮影直前になってエージェントがギャラの値段を吊り上げたために断念。その代わり、当時たまたまスペインで休暇中だった名優ロバート・ショーに出演してもらった。撮影はたったの1日で済んだそうだ。 『シンドバッド虎の目大冒険』(1977) 『シンドバッド黄金の航海』の完成後、次なる企画として「コナン」や「ホビットの冒険」などを検討していたというハリーハウゼンとシニア。しかし、同作が予想を上回る大ヒットを記録したことから、引き続きシンドバッド物を踏襲することになる。この勢いに乗っておかない手はないと考えたわけだ。ただし、単純な続編にすることは意図的に避けた。前作で使おうと思ったアイディアが幾つも残っていたため、それを基にして全くの独立したストーリーを考えたのである。そのひとつが、前作のアウトラインに含まれていた「人間が魔法で猿に変えられてしまう」という設定。これを土台にして話を膨らませ、大まかなあらすじを考えたハリーハウゼンは、1974年の5月にアウトラインを相棒シニアに送っている。 脚本執筆に起用されたのは『アルゴ探検隊の大冒険』でも組んだビヴァリー・クロス。脚本会議を重ねてもなかなか結末が決まらなかったそうだが、最終的にクロスが相応しいクライマックスを考えてくれたという。決定稿が出来上がったのは1975年6月。またもや1年以上かかってしまったのである。 物語の始まりはアラビアの都シャロック。先代のカリフが崩御し、その息子であるカシム王子(ダミアン・トーマス)の戴冠式が行われるのだが、実子ラフィ(カート・クリスチャン)を王位に就けたい継母ゼノビア(マーガレット・ホワイティング)の魔法によって、なんとカシム王子はヒヒに変えられてしまう。実は、ゼノビアは黒魔術を操る邪悪な魔女だったのだ。その頃、冒険の旅を終えた船乗りシンドバッド(パトリック・ウェイン)がシャロックを訪れる。カシム王子の妹ファラー姫(ジェーン・セイモア)と結婚するためだ。ところが、都は夜間外出禁止令が出ていて中へ入れない。そればかりか、ゼノビアとラフィの仕掛けた罠にまんまとハマって、シンドバッドと仲間たちは餓鬼グールや軍隊に襲撃される。 なんとか敵を倒してファラー姫を救出し、船へと戻ったシンドバッド。ファラー姫から事情を聞いた彼は、親友でもあるカシム王子を助けようと考える。7ヶ月以内に王子を元の姿に戻さねばラフィが王位に就いてしまう。高名な錬金術師メランシアス(パトリック・トラウトン)ならば何か分かるに違いないと思いついたシンドバッドは、ファラー姫やヒヒになったカシム王子を連れて、メランシアスが住むというギリシャのカスガル島を目指して旅に出る。そうと知った魔女ゼノビアもまた、息子ラフィや機械仕掛けの従者ミナトンと共にシンドバッド一行の後を追う。カスガル島で錬金術師メランシアスとその娘ディオーネ(タリン・パワー)と面会したシンドバッドらは、氷河に覆われた幻の大陸ヒュペルボレイオスに存在する、失われた民族アリマスピの神殿に呪いを解くヒントがあると教えられる。メランシアスとディオーネを旅の仲間に加え、極北の地を目指すシンドバッド一行。しかし、そんな彼らの行く手に魔女ゼノビアが立ちふさがる…! サイクロプスやドラゴン、ケンタウロスにグリフォンなど神話や伝説のクリーチャーがスクリーンを賑わせた前2作と違って、巨大なセイウチやサーベルタイガー、ネアンデルタール人トロッグにヒヒなど、実在の生物を基にしたクリーチャーが大半を占める本作。一応、機械仕掛けの従者ミナトンはギリシャ神話に出てくる半人半牛の怪物ミノタウロスが元ネタだが、しかし見た目は殆んどロボットである。おかげで、「アラビアン・ナイト」をベースにしたファンタジー活劇というよりも。エドガー・ライス・バローズやヘンリー・ライダー・ハガードの書いたSF冒険小説の世界に近くなったように思う。そこは恐らく賛否の別れるポイントだ。 その一方で、前作が大ヒットしたおかげで予算が跳ね上がり、コロムビア映画から350万ドルという破格の製作費を割り当てられたおかげもあって、実写シーンでは従来のスペイン・ロケに加えて、北極の氷河を横断するシーンはピレネーのピコス・デ・エウロパ、錬金術師メランシアスが住むカスガルはヨルダンのペトラ遺跡、シンドバッドの船やヒュペルボレイオスの神殿などの屋外セットはマルタ島といった具合に、世界各地で大規模な撮影を行っている。ただし、ピレネーやヨルダンのロケはキャストや監督が決まる前にハリーハウゼンが第2班を率いて撮っているため、ロングショットで本編に移っている登場人物たちはみんな代役だったそうだ。反対にクロースアップショットはスタジオで撮影されており、周りの風景がロケ映像のフィルムを使った移動マット合成であることが見て取れる。 監督は俳優としても有名なサム・ワナメイカー。シンドバッド役は続編のイメージを避けるというハリーハウゼンの意図に加え、さらにコロムビア映画が新しい俳優を望んでいたこともあって、ジョン・フィリップ・ローではなくハリウッド映画の王様ジョン・ウェインの息子パトリック・ウェインが起用された。ディオーネ役のタリン・パワーも往年の大スター、タイロン・パワーの娘。こうした2世スターの起用は良い宣伝材料になったという。ヒロインのファラー姫には『007/死ぬのは奴らだ』(’73)のボンドガールでブレイクしたジェーン・セイモア。ただし、クレジット上はタリン・パワーがパトリック・ウェインと並ぶ主演扱いで、自分がヒロインだと聞かされていたジェーンは撮影現場で脚本の決定稿を渡され、中身を読んだところ自分の出番が大幅に削られていてビックリしたという。ジェーン曰く、2世スター同士の顔合わせで売り出したい映画会社の意向だったそうだ。まあ、パトリック・ウェインもタリン・パワーもほどなくして映画界から消え、貧乏くじを引いたジェーン・セイモアは長く輝かしいキャリアを誇ることになるのだが。 ハリーハウゼンが最も満足したというのが魔女ゼノビア役のマーガレット・ホワイティング。ありきたりなケバケバしい魔女ではなく、威厳のある邪悪さを持ったコンラート・ファイトの女性版を望んだハリーハウゼンは、コーラル・ブラウンやヴィヴェカ・リンドフォースくらいの演技力を持った名女優でないと務まらないと考えたそうだ。そこで、アン・バクスターやマーセデス・マッケンブリッジ、パトリシア・ニールなどのベテラン女優を検討した末、ハリーハウゼンがゼノビア役をオファーしたのは映画史上屈指の大女優ベティ・デイヴィス。しかし提示されたギャラがあまりにも高すぎたため断念せざるを得ず、その代わりにウェスト・エンドの大物シェイクスピア女優ホワイティングに白羽の矢が立てられた。これが結果的に幸いしたとハリーハウゼンは振り返る。 1977年の夏休みシーズンに世界中で一斉公開された本作だが、映画会社が期待したほどの大成功には結びつかなかった。恐らくその最大の理由は、同時期に公開された『スター・ウォーズ』(’77)であろう。これを機にハリウッドでは最先端の特撮技術を駆使したスペクタクルなSF大作映画のブームが訪れ、ストップモーション・アニメを使った古式ゆかしいファンタジー映画は急速に時代遅れとなっていく。新たに特撮映画のジャンルを牽引するようになったのは、ハリーハウゼンの映画を夢中で見て育ったジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグの世代。まさに時代の節目だったのである。■ 「シンドバッド7回目の航海」© 1958, renewed 1986 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.「シンドバッド黄金の航海」© 1973, renewed 2001 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.「シンドバッド虎の目大冒険」© 1977, renewed 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
インデペンデンス・デイ:リサージェンス
エイリアンとの死闘から20年…侵略者たちがパワーアップして再び地球を襲う!大ヒットSF超大作の続編
1996年のヒット作『インデペンデンス・デイ』の20年後を、前作に続いてローランド・エメリッヒ監督が映画化。20年前から進化したデジタル技術を駆使し、エイリアンの侵略をよりスケールたっぷりに描き出す。
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COLUMN/コラム2024.12.03
S・キングの才能を受け継ぐ息子の創造力と『ドクター・ストレンジ』監督の幼き日の記憶が融合したユニークなホラー映画『ブラック・フォン』
21世紀のホラー映画界を代表する制作会社ブラムハウスとは? 低予算かつ良質なホラー映画に定評のある、ハリウッドの制作会社ブラムハウス・プロダクションズの放った大ヒット作だ。ご存知の通り、『パラノーマル・アクティビティ』(’07)シリーズや『インシディアス』(’10)シリーズ、『パージ』(’13)シリーズに『ハッピー・デス・デイ』(’17)シリーズなどの人気ホラー・フランチャイズを世に放ち、『ゲット・アウト』(’17)ではホラー映画として珍しいアカデミー賞の作品賞ノミネートも果たしたブラムハウス。この『ブラック・フォン』(’22)も批評面・興行面の両方で大成功を収め、既に続編の劇場公開も決まっている。 近年のハリウッドではブラムハウスだけでなく、サム・ライミ監督のゴースト・ハウス・ピクチャーズやジェームズ・ワン監督のアトミック・モンスター・プロダクションズなどホラー映画に特化した新興スタジオが台頭。エッジの効いたアート系映画でハリウッドに革命を巻き起こしたA24も、アリ・アスター監督の『ヘレディタリー/継承』(’18)に『ミッドサマー』(’19)など芸術性の高いホラー映画に力を入れている。そうした中、この20年余りで200本を超える映画を製作して60億ドル近くの興行収入を稼いだとされ、アメリカのインディペンデント映画をリードする存在とまで言われるブラムハウスとは、いったいどのような会社なのか?まずはそこから話を始めてみたい。 ブラムハウス・プロダクションズの社長ジェイソン・ブラムは、もともと俳優イーサン・ホークが主催するニューヨークの劇団マラパート・シアターの演出家だった人物。その後、インディーズ大手のミラマックスの重役として映画界へ転向した彼は、大学時代のルームメイトだったノア・バームバックの処女作『彼女と僕のいた場所』(’95)でプロデューサーへ進出し、’00年に友人エイミー・イスラエルと共同で製作会社ブラム・イスラエル・プロダクションズを設立する。しかし、’02年にイスラエルと袂を別ったことから、社名をブラムハウス・プロダクションズへ変更したというわけだ。 当初はアート系のドラマ映画やコメディ映画を製作していたブラムハウス。しかし、’07年公開の『パラノーマル・アクティビティ』が、たった21万5000ドルの製作費で1億9400万ドルの興行収入を稼ぐ超メガヒットを記録したことから、これをきっかけにホラー映画を主力とした制作体制を敷くことになる。 ジェイソン・ブラム社長の掲げる制作方針は、①旬のトップスターではないが知名度の高い中堅どころの名優をキャスティングし、②金を出しても口は出さずに作り手の自由を尊重し、③派手なギミックよりもストーリー性を重視した低予算のホラー映画を作ること。もちろん低予算とはいっても、例えばアトミック・モンスターと共同製作した『M3GAN ミーガン』(’22)の予算は1200万ドル(当時の為替相場1$=130円で計算すると15億~16億円)、最新作「スピーク・ノー・イーヴル」(’24)にしたって1500万ドル(現在の為替相場1$=150円で計算して22億~23億円)。10億円を超えたら超大作と呼ばれる日本映画とはちょっと桁が違うのだけれど。 それにしても確かに、ブラムハウス制作のホラー映画といえば、イーサン・ホークにケヴィン・ベーコンのような往年のトップスターや、ヴェラ・ファーミガやフランク・グリロなどの玄人受けする性格俳優、エヴァ・ロンゴリアやアリソン・ウィリアムズなど人気テレビドラマの主演スターといった具合に、一般的な知名度は高いがギャラはそれほど高くないベテラン俳優と無名もしくは無名に近い若手俳優をバランス良く配している作品が多い。また、ブラム社長曰く、監督側にクリエイティブ面の主導権を保証すれば、むしろ気軽に色々な相談をしてくれるようになるのだそうだ。なぜなら、仮に返って来た答えが賛同できないようなものであっても、それをスタジオ側から無理強いされる心配がないと分かっているから。つまり、現場から警戒されずに済むというわけだ。 なので、「映画をより良くするためなら何をしても構いませんよ」というのが現場に対するブラム社長の基本姿勢。相談されれば意見することもあるが、もちろん強制したりなどしない。あくまでも選択肢のひとつに加えてくださいというだけ。そればかりか、例えば会社のスタンスに理解を示して協力してくれる有名俳優をリスト化しており、新人監督にはそこからキャストを選ぶように推薦したりする。また、スターのための個人用トレーラーなどはあえて用意せず、役者は主演クラスも脇役もみんな同じ場所で待機。ロサンゼルス近郊を撮影地に選ぶことが多いため、現場スタッフも勝手を知った常連組が中心。さらに、どの作品も基本はロケ撮影で、スタジオにセットを組むことは滅多にない。そうした諸々の工夫によって、撮影期間も製作費もなるべく節約できるように現場を全面バックアップしているという。 デイミアン・チャゼル監督の出世作『セッション』(’14)やスパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』(’18)など、時にはホラー映画以外のジャンルも手掛けたりするものの、それでもやはりブラムハウスといえばホラー映画。ただしブラム社長自身の認識としては、どれもホラーというジャンルのフォーマットを用いた「ドラマ映画」であり、必ずしも観客を怖がらせることが目的ではないとのこと。それは本作『ブラック・フォン』にも当てはまる理屈であろう。 得体の知れない怪物と対峙した少年の成長譚 舞台は1978年のコロラド州。デンバー北部の小さな田舎町に住む少年フィニー(メイソン・テムズ)は、草野球とロケット作りが得意な文武両道の物静かな優等生だが、しかし心優しくて気の弱いところがあるため、家では飲んだくれの父親による暴力に怯え、学校ではいじめの標的にされている。そんな彼にとって最大の理解者であり、心強い味方なのが負けん気の強い妹グウェン(マデリーン・マックグロウ)。しかし、父親テレンス(ジェレミー・デイヴィス)はそんな彼女にことさら厳しい。なぜなら、亡くなった妻と同様の能力を娘も持っているからだ。母親と同じく予知夢を見るグウェン。しかし、その予知夢に苦しめられた母親は、精神を病んで自殺してしまった。娘も同じ末路を辿るのではないか。そんな不安と恐怖に加えて、妻を亡くした哀しみや怒りが混ぜこぜになったテレンスは、グウェンがちょっとでも予知夢の話をしようものなら、酒に酔った勢いに任せて激しい体罰を加えるのだった。 折しも、町では10代の少年ばかりが次々と姿を消していた。警察は連続誘拐事件と睨んで捜査するも手がかりはなく、人々は犯人を「グラバー(人さらい)」と呼んで恐れている。フィニーの周囲でも草野球のライバル・チームの日系人少年ブルースや地元でも悪名高い不良のヴァンスが行方不明となり、ついには学校でいじめっ子から守ってくれるケンカの強いメキシコ人少年ロビン(ミゲル・カサレス・モーラ)までもが消息を絶ってしまった。そんなある日、学校帰りに妹と別れてひとり歩いていたフィニーは、黒塗りの営業車を停めた手品師に声をかけられ、足を止めた瞬間にクロロフォルムを嗅がされて車へ引きずり込まれる。やがて意識を取り戻したフィニー。そこは薄暗い地下室で、彼は自分がグラバー(イーサン・ホーク)に誘拐されたことを悟るのだった。 鍵のかかった地下室に監禁されたフィニー。そこにあるのは、薄汚れたボロボロのマットレスと、線が途中で切れた古い黒電話だけ。どうやら上はグラバーの住居らしい。ことさら危害を加えるような様子もなく、しかし不気味なマスクを被りながら黙ってフィニーを見つめるグラバー。不安と恐怖を煽って精神的に追い詰めつつ、徐々にいたぶっていくつもりらしい。それはさながら残虐なゲームだ。防音工事の施された地下室からは、どれだけ大声で叫んでも外には聞こえない。鉄格子のついた窓も手の届かない高さだ。圧倒的な絶望感に打ちひしがれるフィニー。すると、断線しているはずの黒電話のベルが不気味に鳴り、フィニーが恐る恐る受話器を取ってみたところ、電話の向こうから子供の声が聞こえる。グラバーに殺された少年たちの幽霊が、ここから脱出するためのヒントをフィニーに教えようとしていたのだ。その中には親友ロビンもいた。 一方その頃、妹グウェンは予知夢を手掛かりにフィニーの行方を掴もうとするのだが、しかし夢の読み解き方が分からず苦戦していた。息子の失踪にショックを受けて気落ちする父親を説き伏せた彼女は、半信半疑の警察の協力も得ながら、なんとかして兄をグラバーの魔手から救い出そうと奔走するのだが…? ジョン・ゲイシーを彷彿とさせる連続殺人鬼グラバーが、少年たちを誘拐して殺していくシリアル・キラー物かと思いきや、やがて殺された少年たちの幽霊が主人公を助けながら復讐を果たすという、リベンジ系のオカルト・ホラーへ展開していく。この意外性がひとつの見どころだが、しかし本作の核となるのは、やはり主人公フィニーの成長譚であろう。家庭内暴力にイジメに凶悪犯罪にと、日常生活が暴力で溢れたアメリカ社会の殺伐たる風景。無垢で繊細でか弱い少年フィニーは、グラバーという得体の知れない怪物と対峙することで恐怖を克服し、弱肉強食のアメリカ社会を生き抜くために必要な知恵と強さを身に付ける。妹グウェンとの絶対的な信頼関係と兄妹愛、殺された少年たちとの固い絆。そんな子供らが一致団結して、邪悪な連続殺人鬼に立ち向かっていく。この、背筋の凍るほど残酷で猟奇的なストーリーの根底に流れる、普遍的な愛と友情の切なくも感動的なドラマこそが、本作が商業的に成功した最大の要因だったのではないかと思う。 中でも、主人公フィニーを取り巻く学校や家庭の描写は圧倒的にリアル。おかげで作品全体にも揺るぎない説得力が生まれた。これは本作が、共同脚本を兼ねたスコット・デリクソン監督の少年時代を投影した、多分に半自伝的な要素の強い作品だからだと言えよう。 主人公フィニーは監督の分身だった 原作はスティーブン・キングの息子である作家ジョー・ヒルが’05年に発表した、短編集「20世紀の幽霊たち」に収録された小説「黒電話」。出版当時に読んで映画向きの内容だと考え、親友の脚本家C・ロバート・カーギルと映画化を検討したデリクソン監督だったが、しかし当時は長編映画として膨らませるためのアイディアが思い浮かばずに断念したという。 それから10年以上が経って、その間に『地球が静止する日』(’08)や『ドクター・ストレンジ』(’16)などの大作映画をヒットさせた彼は、自身の少年時代を映画化しようと思いつく。というのも、フィニーと同じく’70年代のデンバー北部に育ったデリクソン監督は、子供時代に受けた暴力のトラウマを抱えていたらしく、およそ5年に渡って受けたセラピーの過程で、自分の経験を映画にすべきなのではないかと考えたという。当初はフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(’59)のような作品を想定したそうだが、しかし映画として成立させるための印象的なエピソードが足りなかった。そこでカーギルから提案されたのが、かつて映画化を断念した短編小説「黒電話」に自身の少年時代の記憶を混ぜ合わせることだったのである。 原作小説は主人公の少年ジョンがグラバーに誘拐されるところから始まり、物語の大半は2人の会話と少年の回想で構成されている。家庭の描写はあるが学校の描写はなし。家族構成も映画版とは違うし、そもそも原作の舞台は携帯電話の普及した現代である。黒電話で話をするのも、小説では日系人少年ブルースの幽霊のみ。つまり、冒頭の25分はほぼ本作の完全なオリジナルであり、それ以外も脚色された要素が少なくないことになる。 子供の頃の記憶と直接的に結びつく感情は「恐怖」だったと振り返るデリクソン監督。映画の舞台となる’78年は12歳だった。当時のアメリカは経済不況による治安の悪化に加え、ベトナム敗戦やウォーターゲート事件による国家への不信も重なり、社会全体が殺伐としていた時代。デリクソン監督の故郷は貧しい肉体労働者の家庭が多かったそうで、子供たちが日常的に親から体罰を受けるのは当たり前、学校では暴力沙汰のいじめが蔓延り、登下校の最中に血みどろの喧嘩を見かけることも日常茶飯事だったという。 デリクソン監督自身も家庭では短気で暴力的な父親に怯え、学校ではいじめっ子たちから暴力を受けていた。主人公フィニーはまさに監督の分身だ。そして劇中で描かれる体罰やイジメは、どれも監督が経験した実話を基にしている。’70年代のデンバー北部には暴力が溢れていたが、しかしそれは当たり前の「普通」の光景だったという。加えて、当時のアメリカでは刑務所を脱獄した連続殺人鬼テッド・バンディがフロリダを逃亡してマスコミを賑わせ、カルト集団マンソン・ファミリーがもたらした悪夢も記憶に新しく、さらには全米各地で子供や若者の失踪事件が相次いで、これが’80年代に入ると悪魔崇拝カルトの仕業ではないかと噂される。そうした少年時代の暗い記憶が、小説の内容と奇跡的に結びついていった結果が本作の物語だったのである。 そのうえで、デリクソン監督は’70年代後半のアメリカをノスタルジックに描いたり、当時の世相や文化を美化したりすることを避け、子供だった自分が感じた空気をそのまま再現することに注力したという。ロケ地はコロラド州ではなくノース・カロライナ州だが、しかし雰囲気や街並みは当時のデンバー北部にそっくりだったのだとか。グウェンの予知夢を本物のスーパー8で撮影したのも効果的で、より一層のこと’70年代の空気感を表現できたのと同時に、まるでファウンド・フッテージのような薄気味悪さまで醸し出して秀逸だ。このような監督の実体験を投影した濃密な人間ドラマと、あの時代を知る者だからこそのリアリズムに基づいた映像が、単なる作り話にはない強い説得力を物語に与えているのだと言えよう。本作の真の強みはそこにあると思う。 ちなみに、主人公フィニーの父親はデリクソン監督の父親ではなく、近所に住んでいた友達のアルコール中毒の父親がモデル。フィニーをいじめっ子から守ってくれる少年ロビンも、実際にデリクソン監督の親友だったメキシコ人の少年がモデルで、年上の大柄な相手でもボコボコにしてしまうくらいケンカが強かったらしい。トイレでロビンが言う「血が多いほど野次馬に効果がある」というセリフも、その少年が実際に言った言葉をそのまま使ったのだそうだ。 成功のカギは子役たちの名演にあり! フィニー役のメイソン・テムズとグウェン役のマデリーン・マックグロウも素晴らしい。少年らしい無垢な繊細さと、大人びた聡明な思慮深さを兼ね備えたメイソンはまさに逸材で、本作を機にすっかり売れっ子となったのも納得である。特に彼は声が非常に印象的。落ち着いていて優しくて柔らかで、喋り方にも独特の温かみと力強さが感じられる。これはさすがに日本語吹替版では再現できまい。それはマデリーンの芝居も同様で、大人でもない子供でもない少女特有の揺れ動く繊細な感情を、言葉や息遣いの隅々から感じさせる彼女の圧倒的な芝居は、残念ながら大人の声優に表現できるものではないだろう。特に、父親から折檻されるシーンの恐怖と痛みと哀しみと怒りの感情が入れ代わり立ち代わり交錯する複雑なセリフ回しは圧巻。とてつもない才能だ。実は、スケジュールの都合で一度は出演が不可能になったというマデリーンだが、しかし「彼女でなければグウェン役は無理」と考えたデリクソン監督がプロデューサーのジェイソン・ブラムに掛け合い、撮影スタートを5カ月近くも遅らせたというエピソードにも納得である。 もちろん、グラバー役のイーサン・ホークも好演である。『いまを生きる』(’89)や『リアリティ・バイツ』(’94)などの青春映画で一世を風靡し、’90年代のハリウッドを代表するトップスターのひとりとなったホークだが、実はもともとホラー映画が大の苦手だった。初めてホラー映画に出たのは、デリクソン監督がブラムハウスで初めて撮った『フッテージ』(’12)。そういえば、あの作品もスーパー8で撮った映像を効果的に使っていたっけ。これを機に『パージ』や『ストックホルム・ケース』(’18)などブラムハウス作品に出るようになったホークだが、やはりホラー映画が苦手なことには変わりなかったらしく、本作のグラバー役のオファーも当初は渋ったらしい。しかし、脚本を読んで考えを変えたのだとか。 出番の大半でマスクを被っているホーク。見えない表情をカバーするための演劇的なセリフ回しや体の動作が、かえってグラバーという得体の知れない殺人鬼の底知れぬ狂気を表現して秀逸だ。特殊メイクの神様トム・サヴィーニがデザインを手掛けたマスクの仕上がりもインパクト強烈。ジェイソンにしろマイケル・マイヤーズにしろレザーフェイスにしろ、名物ホラー・キャラには個性的なマスクが付きものだが、今やグラバーもその仲間入りを果たしたと言えよう。 実際、原作者のジョー・ヒルもマスクの仕上がりを大絶賛し、これをひと目見た瞬間にシリーズ化を確信したという。なにしろ、小説では「革のマスク」としか書かれておりませんでしたからな。なおかつ興行的にも1億6000万ドルを突破する大ヒットを記録したことから続編企画にゴーサインが出され、’25年10月17日の全米公開を目指して、’24年11月4日よりカナダのトロントで撮影が進行している。ストーリーは今のところまだ詳細不明だが、とりあえずイーサン・ホークにメイソン・テムズ、マデリーン・マックグロウは再登板するとのこと。また、今のところ日本未公開のオムニバス・ホラー映画『V/H/S/85』(’23・原題)に収録されているデリクソン監督の短編「Dreamkill」は、グウェンと同じく予知夢の能力を持つ従兄弟が登場し、実質的に『ブラック・フォン』のスピンオフ作品となっている。続編映画は勿論のこと、こちらの日本上陸も期待したいところだ。■ 『ブラック・フォン』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.
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信心深い一家が不可解な事件に追い詰められていく…魔女の呪いが迫る恐怖を描いたダークミステリー
魔女の存在への疑いをきっかけに、信仰心の厚い一家が崩壊していく様を、ニューイングランドの深い森を舞台に描く。魔女の疑いをかけられた一家の長女を『スプリット』のアニャ・テイラー=ジョイが好演。
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COLUMN/コラム2024.11.11
フランチャイズを避けた監督の「続編」秘史『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』
◆続編嫌いを返上して手がけたパート2 「僕は続編ものが嫌いなんだ。もし撮れと言われたならば、いっそホームドラマでも手がけたほうがいいと思っているよ」 この発言は、筆者(尾崎)が映画『2012』(2009)の取材で監督のローランド・エメリッヒにインタビューしたさい、「自作の続編をやる気はないのですか?」という問いに、ユーモアを交えて答えたものだ。じつはこの質問の前に「あなたは映画の中でいろんなものを壊してきたから、もう破壊する対象など残ってないですね」と訊いたところ、「そうだね、これからは心を入れ替え、ホームドラマにでも着手するしかないのかも」とおどけながら答えており、それを枕にして「自分は続編映画を監督しない主義」というのを主張したのだ。 意外に思われるかもしれないが、彼は『スペースノア』(1984)を起点とする自身のフィルモグラフィにおいて、2015年の『ストーンウォール』の時点まで、続編映画を手がけたことが一度もなかった。もっとも、同作はLGBT社会運動の嚆矢と定義されている"ストーンウォールの反乱"を描いたもので、エメリッヒが言うところのホームドラマには近いのかもしれない。だがそうした歩み寄りとは対照的に、他自作の別なくシリーズに着手することに関して、頑なに拒み続けてきたのだ。 しかし例外的に続編製作が囁かれていた作品が『インデペンデンス・デイ』(以下『ID4』)である。エメリッヒにとって初のハリウッドメジャー進出作品であり、20世紀フォックスを大いにうるおわせた、世界的な大ヒット映画だ。エイリアンの地球侵略をかつてないスケールで描き、また黙示録のような終末的世界観を提供しながら、そんな深刻さとは裏腹な呆然とさせる展開など、その独自性が多くの観客の心を奪ったのである。 続編『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』は、前作から20年という製作スパンを劇中に活かし、著しく発展した設定が観客の耳目をさらう。エイリアンの科学技術力を取得し、地球防衛を強固にしてきた人類と、さらに凶暴なテクノロジーを我が物にし、リベンジをかけるエイリアンとの、エスカレートを極めた激戦が繰り広げられるのだ。 ◆続編が動いていた『GODZILLA』 前チャプターでエメリッヒは筆者に「続編は好きではない」と告げたが、まったく開発に関与していないかというと、さにあらずだ。彼は『ID4』の後に発表した監督作『GODZILLA』(1998)の続編開発をしていたことが明らかにされている。 というのも、ソニーがゴジラのキャラクターを中心に映画を制作する権利を取得したとき、同社はフランチャイズ化を企図していた。そして映画公開に併せ、続編に関するプリプロダクションをデヴリンとエメリッヒは始めている。続編にはマシュー・ブロデリック演じるニック・タトプロスが続投し、前作に布石として示されていたら複数のゴジラと、モスラとラドンが登場するプロットが開発されていた。 しかし肝心の映画はアメリカ国内で1億3631万ドルのトータル収益しか得られず(製作費は1億3000万ドル)、ソニーは大幅に予算を抑えて続編を推し進めたが、これにデヴリンとエメリッヒは興味を失いプロジェクトを離脱。エメリッヒはSFジャンルに固執していたことによるストレスとキャリアに箔をつけるため、現実に基づく歴史大作に着手することを標榜。『ミッドウェイ』と、アメリカ独立戦争を描いた『パトリオット』を開発し、ソニーは代わりに後者を監督するよう依頼したのが実際の流れだ(後者は2019年に映画化)。 こうした経緯から推測するに、続編製作に良い思い出がないというのも、冒頭の発言に遠因していると思われる。 ◆三部作構想だった『リサージェンス』 そもそも『インデペンデンス・デイ』は後に三部作として構想され、単に正続という解釈には収まらないところ、エメリッヒの続編アレルギーには説得力がない。 『リサージェンス』のプロジェクトが動き出したのは、2011年6月。エメリッヒとプロデューサーのディーン・デヴリンは『ID4』を3部作として再構築するための、2つの続編のスクリプトを書いたことをマスコミに触れ回った(タイトルは“ID:Forever PART I“ならびに“ID:Forever PART II“)。ところが前作でヒラー大尉を演じたウィル・スミスが、続投のために5000万ドルのギャラを要求し、20世紀フォックスがこれを拒否。企画は暗礁に乗り上げる。 だがエメリッヒはウィルの関与に関係なく、映画の製作を遂行することを公にし、続編は『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』とタイトルを変えて正式に発表されたのだ。 余談だが、先述したこの三部作構想。ジェフ・ゴールドブラムのインタビューで彼が証言者して語っており、「ローランドは僕にもシリーズの構造に関して話をしてくれていて、今の段階ではまだ誰にも言えないんだけど、興奮するようなアイディアを彼はいっぱい持っている。今回の作品が成功すれば、3作目の製作も大きく進展すると思うよ」と話してくれた。 ◆望まれる再評価 『リサージェンス』は2016年6月24日に公開され、1億6500万ドルの製作費に対して全米興行成績が1億300万ドルと、大幅な赤字となった。また批評面に関しても賛否が分かれ、たとえば「ロジャー・エバート.com」のクリスティ・レミールは「望んでいなかった、あるいは必要とされていなかった続編。(中略)エメリッヒは、これらすべてのさまざまなキャラクターとストーリーラインを、ペースや一貫性の感覚をほとんどなく横断している」(※1)と手厳しいものや、米「バラエティ」のガイ・ロッジのように「本作はエメリッヒ監督が、現代映画で最もポップコーン・カオスの気鋭の指揮者であることを裏付けている。おそらく彼は作品のターゲットとなる観客にとって“遠い記憶“であるはずの前作のレガシーを盛り上げることに気を遣っているのだろうが、この映画的ビッグマックは、それ自体の良さで十分に楽しませてくれる」(※2)と称賛するものなどまちまちだ。 さらには後年、新作『ミッドウェイ』のプロモーション時にエメリッヒは、ウィル・スミスが『リサージェンス』に出ないと知った段階で、続編の制作を中止するべきだったと米「yahoo! entertainment」に述べた(※3)。監督はヒラー大尉が劇中に登場する当初の脚本のほうがはるかに優れていると言葉を費やし、ウィルの撤退に伴うリライトが映画の不調の原因に繋がったと後悔の念を示している。そのせいもあって、本作はすっかり失敗作として世間に周知されているようだ。 しかし、筆者は本作を決して悪いようには解釈していない。 例えば『リサージェンス』にはセカンドユニットを置かず、エメリッヒを筆頭とするメインユニットだけで撮影をおこなった作品として画期性を放っている。通常、本作のような規模の映画ではセカンドユニットやサードユニットが撮影して編集素材をカバーするものだが、監督は今回それを廃し、全てのショットを自身の管理下に置くことで、作家的な純度の高いものにしている。 そしてプロダクションデザインの数々も秀逸で、地球人が勝利を手にした『ID4』から20年間に及ぶ世界観の推移や発展、そしてレガシーの数々を、飛躍せず丹念に描いていて違和感がない。敵の科学技術で防衛網を強化した人類の、新型兵器や迎撃システム類などは機能美と創意にあふれ、それらは決して見飽きることがない。 なにより前回の、アナログとデジタルの混在したVFXが完全デジタルになったことで、物理法則を無視した破壊がリアルに描写され、そこにも驚きを禁じえない。特にエイリアンが街ごと引っぺがし、それを逆落としする凄まじい攻撃シーンや、クライマックスで登場するエイリアン女王は、その巨大さと暴れっぷりで、果たせなかった『GODZILLA』の続編を仮想的に展開させているかのようだ。 このように、大状況的なドラマとは真逆な細心さをもって、映画は充分に作り込まれているのだ。 なによりエメリッヒの、こうしたミニマムに収めようとする管理体制は、インデペンデントをホームとしながら大作規模の作品製作を可能にし、後の『ミッドウェイ』や『ムーンフォール』(2022)へと繋げる良好なスタイルを導き出している。当人が卑下するほどに、この『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』は決して悪いものではないのだ。■ (※1)https://www.rogerebert.com/reviews/independence-day-resurgence-2016 (※2)https://variety.com/2016/film/reviews/independence-day-resurgence-review-1201800114/ (※3)https://www.yahoo.com/entertainment/independence-day-director-roland-emmerich-regrets-making-sequel-170655100.html 『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』© 2016 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ヴィジョン/暗闇の来訪者
屋敷で起きる怪現象は幻覚か?それとも…『ソウ』シリーズのスタッフが放つ衝撃のサスペンスホラー
『ソウ』シリーズで編集や監督を務めたケヴィン・グルタートが、屋敷で起きる怪現象とその驚きの正体を巧みな恐怖演出で描き出す。自分にしか見えない怪現象に追い詰められる主人公をアイラ・フィッシャーが熱演。
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COLUMN/コラム2024.11.11
インハウスで可視化された「幼年期の終わり」──『インデペンデンス・デイ』の独立性(インデペンデント)
「その一瞬 ── 永遠とも思える一瞬ののち、ラインホールドが見守り、そして全世界が見守るうちに、その巨大な宇宙船の群は圧倒的な威厳をもって降下してきた。そして、ついに彼の耳にも、それらが成層圏の稀薄な大気の中を通過するかすかな悲鳴のような音が聞こえてきた」 アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」(福島正美:訳 早川書房)より ◆A picture is worth a thousand, words.(1枚の絵は1000の言葉に値する) 1996年に公開された侵略SFスペクタクル『インデペンデンス・デイ』(以下『ID4』)を観たとき、世界主要都市上空に降り立つ異星からの訪問者──巨大デストロイヤー艦の登場ショットに、文頭に掲げた小説のプロローグが脳内をよぎった。稀代のSF作家アーサー・C・クラークが、持てる叙述力と知性あふれる表現力を費やして描いた異星人コンタクトを、この映画はものの見事に視覚化していたのだ。これこそまさに英語の慣用句「一枚の絵は1000の言葉に相当す」を示した格好のケースといえるだろう。 もっとも、劇中の展開はクラークの代表作のようにスノッブでもなければ深遠なものでもない。そこには愛国心を高らかに謳う、エイリアン対人類の一大決戦が描かれる。むろん、その迫力あるスペクタクルシーンこそが本作の売りであり、そして目玉であるのだが。 ヒット作だけに多くの人がストーリーを既知しているだろうが、改めて概説しておきたい。1996年7月2日、無数の巨大なスペースクラフトが世界各国の上空に出現。アメリカ合衆国ホイットモア大統領(ビル・プルマン)は未知の来訪者とのコンタクトをはかるも、地球侵略を目的とする彼らは主要都市を一斉攻撃する。都市は大破し機能を失い、ヒラー大尉(ウィル・スミス)率いるF-18戦闘機の攻撃チームは報復を開始するも、無数のデストロイヤー機の襲撃を受けてあえなく撤退し、人類の命運は尽きたかに見えた。 映画はコンピュータ技師デイビッド(ジェフ・ゴールドブラム)の機転で難を逃れた大統領と、からくも生き残ったヒラーらがエイリアンの極秘研究を進めるネバダ州エリア51に集結し、そこで再攻撃のための計画を進めていく。そしてアメリカの独立記念日7月4日、人類の存亡を賭けた最終決戦がおこなわれるのである。 本作の監督ローランド・エメリッヒは、母国ドイツのミュンヘン映画学校でプロダクション・デザインを学び、監督業に着手して学生映画『スペースノア』(1984)を発表。同作はべルリン映画祭で上映されるや絶賛を浴び、世界20カ国以上で公開された。 その後、米独合作による2本目の監督作『MOON44』(1981)に出演したディーン・デヴリンと「セントロポリス・フィルム・プロダクション」という製作会社を設立し、ジャン=クロード・ヴァン・ダムとドルフ・ラングレンの共演による『ユニバーサル・ソルジャー』(1992)で世界市場を相手とした商業映画製作に乗り出す。そして同作のヒットを機にアメリカへと創作の拠点を移し、砂漠の惑星を舞台にした時空間SFスペクタクル『スターゲイト』(1994)を手がけ、多様なVFXが内外の話題を呼び映画は大ヒットとなった。 ◆インハウスによる視覚効果への取り組み そんなエメリッヒにとって、『ID4』は初のメジャー(20世紀フォックス)資本による映画となったが、企画を買う代わりとして製作費7.000万ドルという、低い額を必須としたのである。 しかし彼は『スターゲイト』で、一億ドルはかかると試算された同作を5000万ドルで仕上げた実績を持ち、要求は想定内だった。そこでエメリッヒは製作にあたり、視覚効果を当時主流だったILMやデジタルドメイン、ソニーピクチャーズイメージワークスといった既存のVFXのスタジオに外注するのではなく、インハウス(社内)で製作することにしたのだ。 加えて20世紀フォックスが宣伝効果をねらって劇場公開を1996年7月4日(アメリカ独立記念日)に設定したため、製作日程は1年あまりに限られてしまう。うち視覚効果ショットの撮影準備期間は、わずか3カ月しかなかったのである。 そこでエメリッヒは一点集中によって生産効率が高まることを熟慮し、模型制作部やハイスピード&モーションコントロールのミニチュア撮影ステージ、編集室に製作オフィスをすべてをカリフォルニア州カルバー・シティのヒューズ空港跡地にまとめようとした。同時にそこのいくつかの格納庫にセットが作られ、周辺地域でロケ撮影を組むことで、慌ただしい撮影スケジュールの間も、あらゆる側面に目を配ることができると考えたのだ。 まずは映画の視覚的な方向性を決定するために、『スターゲイト』でコンセプチュアルイラストレーターを務めたパトリック・タトプロスとオリヴァー・ショールをプロダクションデザイナーとして起用。ショールはエメリッヒのドイツ時代からの友人で、『MOON44』ではプロダクションデザイナーを担当。いっぽうタトプロスはヨーロッパでコミックアーティストとイラストレーターを兼任し、アメリカに渡ってからは『ドラキュラ』(1992)や『デモリションマン』(1993)『ダークシティ』(1998)などさまざまな映画でコンセプチュアルイラストレーターを担当。エメリッヒがエイリアンの宇宙船にストレートなUFO型のイメージを要求してきたものを、ひとつの都市が隠れるくらい巨大にしたのはタトポロスの提案によるものだ。 それらを可視化する特殊効果スーパーバイザーに、『ユニバーサル・ソルジャー』でモデルユニットを担当したヴォルカー・エンゲルと、ジェームズ・キャメロン監督の諜報コメディアクション『トゥルー・ライズ』(1994)でモーションコントロールの撮影監督をつとめたダグラス・スミスが就任した。特に後者の採用は重要で、当時はまだデジタルによる合成処理などにコストがかかることと、合成素材に必要な、露出を保ちながら撮影するにはモーションコトロールが不可欠だったからだ。 そんな両者が時間を有効に使うために仕事を分担して進めるよう指示。前者はF-18戦闘機とエイリアン・アタッカーとの空中戦や、マザーシップの屋内と屋外場面、それ以外の地球側とエイリアン側のさまざまな航空機などだった。後者はクルーとデストロイヤーのモーションコントロール撮影とハイスピード撮影による合成ショット、他には都市破壊や戦闘機や宇宙船を飛ばすなどプラクティカル・エフェクトを担当した。 撮影期間はわずか7カ月。その間にエンゲルとスミスの撮影班は4チームに分けられ、400種ものミニチュアショットを期限内に完成させた。合成素材は8パーフォレーションのヴィスタヴィジョンではなく、4パーフォレーションのスーパー35フィルムを用いることでコストを抑え、粒状性の問題は高感度フィルムを用途に応じて使い分けて解決へと導いている。 しかし撮影開始と同時に、デヴリンとエメリッヒはデジタル合成の必要性に直面し、デジタル効果スーパーバイザー兼プロデューサーのトリシア・アシュフォードに、社内で臨時のコンピュータ・グラフィックスの施設を作るよう要請。データ輸送の手間を惜しみ、合成作業の大半を依頼してあったパシフィック・オーシャン・ポスト社(以下 POP)の中に部門を設けた。 それでもCG効果ショットの数は日ましに増え、アシュフォードはCG画像と合成作業の監督をいくつかの会社に振り分けた。350ショットに及ぶ合成作業はPOPでおこない、うち200はコダック、デジスープ、ポストグループ、OCSそれぞれが担当し、ヴィジョン・アートがそれを引き受けた。 いっぽうで本編の撮影は1995年7月28日にニューヨーク市で開始。その後カリフォルニア州フォンタナの旧カイザー製鉄所に移ってロサンゼルス攻撃後のシーンを撮影する前に、ニュージャージー州近くのクリフサイドパークで撮影。併せてセカンドユニットがワシントンD.C.のマンハッタン、アリゾナ州フラッグスタッフのRVコミュニティ、ニューメキシコ州サンアグスティン平原でプレートショットを撮るという効率的、かつ効果的な撮影がおこなわれている。 ◆爆破の芸術 また視覚効果に戻って言及を続けるなら、本作の素晴らしいポイントは、地球全体で一斉にエイリアンの攻撃が始まるシークエンスだろう。デストロイヤーによるパイロエフェクト(爆破効果)を駆使した都市の大破壊は、火薬技術の第一人者であるジョー・ヴィスコシルと彼のクルーが手がけたものだ。 火球がごうごうと盛り上がりながら、エンパイア・ステート・ビルやホワイトハウスに迫り来る破壊ショットを作るために、ヴィスコシルは火が上昇する性質を活用。ミニチュアセットを90度に傾け、その下に火薬を配置し、セット上から構えるカメラで高速度撮影をおこなった。それを正常再生することで、フェティッシュな破壊映像が得られるのだ。こうして生まれたシーンの影響力は絶大で、日本でも『ガメラ3 邪神覚醒』(1999)の渋谷で起こった巨大怪獣による都市破壊のシーンで、本作に触発されたとおぼしきパイロエフェクトを見ることができる。そしてなにより、映画は第69回(1997)米アカデミー賞の視覚効果賞を受賞し、『ID4』のインハウスによる特殊効果のアプローチは、アカデミックな場でその価値を認められたのである。 そんな『インデペンデンス・デイ』が公開されて、はや28年の歳月が経つ。当時はエイリアン侵略SFの先鋒たる輝きを放っていたが、もはや同ジャンルを代表する立派なクラシックだ。そして監督エメリッヒは本作を機に『デイ・アフター・トゥモロー』(2004)や『ムーンフォール』(2022)などデザスタームービーの量産者となり、愛憎込めて「破壊王」の名を欲しいままにしている。 本作の成功の後、デブリンとエメリッヒは、監督を降りたヤン・デ・ボンに代わって『GODZILLA』(1998)のプロジェクトに参加。同作を8.000万ドルで仕上げることをプレゼンし、エメリッヒは監督の座についた。ゴジラが登場するエリアをニューヨークに限定するなど、設定をマイナーチェンジしてコストダウンをはかり、『ID4』で活用した手段を活かし、(最終的には1億2000万ドルかかった)、肝心のゴジラが日本のものと大きくかけ離れていたために、多くのファンから否定的見解を示されたが、スケールの巨大な怪獣映画として観た場合、そこに『インデペンデンス・デイ』の独立性(インデペンデント)が正しく活かされていると肯定的に捉えられるだろう。■ 『インデペンデンス・デイ』© 2016 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.