飯森:次にご紹介するのが、先月の『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』と同じく、これが恐らく本邦初公開となる激レア未公開作品で邦題もまだ付いてない『MOVE』ですね。

なかざわ:のっけから人を食ったような展開で、思わず呆気にとられましたよ(笑)。マーヴィン・ハムリッシュによる、いかにも’70年代らしいポップなテーマ曲がまた良いんだよなあ。

飯森:マーヴィン・ハムリッシュとは?

なかざわ:作曲家です。恐らく一番有名なのはバーブラ・ストレイサンド主演の『追憶』と、ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォードの『スティング』ですかね。あとはブロードウェイ・ミュージカル『コーラスライン』の音楽も彼の仕事ですよ。

飯森:うわっ!ものすごい超大物じゃないですか!! この映画では、それほど耳に残る音楽がなかったような気もしますけど…(笑)。

なかざわ:いや、僕はこういう’70年代的なイージーリスニング風の爽やかサウンドは好きですね。確かに『追憶』や『スティング』ほどの強烈なインパクトはないかもしれませんが。で、冒頭で主演のエリオット・グールドが道を歩いていると、反対側から道路工事のローラー車が近づいてきて、とんでもないことになっちゃう。

飯森:両足がアスファルトにくっついちゃって動けなくなる。そこへローラー車がどんどんと近づいてきて、「動けねーよー!」と叫んでいるうちにペッチャンコに轢き潰されるという(笑)。まるっきし漫画。あれって夢落ちでしたっけ?

なかざわ:いや、これが白日夢というか、要するにストレスを抱えた主人公の妄想で、全編に渡ってあちこちで、こういった妄想が差し込まれるんですよ。

飯森:しかも、どこまでが現実でどこからが妄想なのか、その境界線が全く分からないような描き方がわざとされていますよね。

なかざわ:そう!他にもほら、近所の奥さんが赤ちゃんにオッパイをあげていると…

飯森:胸が3つあるという。『トータル・リコール』かっつーの(笑)。赤ん坊嫌いという意味なのか、エリオット・グールドいつもイラついてますからね。

なかざわ:現実と妄想の線引きが全くなされないまま、いきなりあれが出てくるからビックリしますよ。これが『暴力脱獄』や『マシンガン・パニック』のスチュアート・ローゼンバーグ監督の作品だっていうんだから、なおさら狐につままれたような気分になっちゃいます。

飯森:以前になかざわさんとの対談でも語った『マジック・クリスチャン』に通じる雰囲気がありますよね。あの時代特有のシュールな空気感は似ているんだけど、でもあそこまでぶっ飛んでいるわけでもない。本作には物語のすじはちゃんとありますからね。エリオット・グールド扮する主人公は脚本家を目指しているんだけどスランプ気味で、今現在はエロ小説の執筆で生計を立てている。それと犬の散歩バイト。

なかざわ:犬の散歩のアルバイトって他の映画でも見たことあるんですけど、実際にああいう仕事があるんですかね?

飯森:それがアメリカでは今もバリバリあるらしいです。中堅以下の大学を卒業しても就職口が見つからない、とはいえ学費ローンは卒業後すぐから返済せねばならない、ということで卒業して犬の散歩師になった若者の話題を、どこかの経済ニュースでここ数年以内に見た記憶がありますから。お客さんから預かったペットの犬を外へ連れ出し、散歩がてらウンチやオシッコをさせる仕事らしんですが、アメリカは家の中に犬用のトイレはないのかよ!?と。

なかざわ:ない方がおかしいような気もしますけどね。

飯森:でしょ?にしても、当時の日本では考えられないことですよね。今だと普通ですが。

なかざわ:確かに、昔のマンションはペット厳禁のところが多かったと思います。

飯森:さすがアメリカは進んでいて、あの頃からすでにマンハッタンのマンションでは大型犬が飼われていた。

なかざわ:その依頼人のお婆ちゃんをメエ・クェステルがやっているんですよね。アニメの『ベティ・ブープ』の声優として有名な。

飯森:ああ!そういえば、そんな声のお婆ちゃん出てきましたね。

なかざわ:彼女は晩年にウディ・アレンの『ニューヨーク・ストーリー』にも出ているので、恐らくニューヨーク在住だったんでしょうね。

飯森:で、まあ、エロ小説書いて犬を散歩させて、それで食っていけて本人も自由で楽しい人生だと言うんだったら別に一向に構わないと思うんですけど、彼自身は「こんな人生クソだ…」と、あせりとイラ立ちを覚えてる。

なかざわ:上昇志向というか、より豊かな生活をしたいという野心は強いんでしょうね。というのも、これからもっと広いアパートに引っ越しをするという設定じゃないですか。

飯森:美人の奥さんもいますし、いずれ子供もできるかもしれないし、エロ小説と犬の散歩だけで一家を養っていくというのは、さすがに自由奔放すぎるかもしれない、それじゃダメだと。脚本家として認められたいと思いつつ、嫌々ながらも食うために今の仕事をやっているんですよね。しかもエロ小説書いてるわりに自身の下半身はインポ。そういう環境の中で自信を失っているのかな。

なかざわ:男性としてってことですね。

飯森:それでも奥さんは文句を言わない。いい奥さんなんですよね。自分で仕事も持っていて。旦那さんに「もっと稼いできなさいよ!」なんてガミガミ言うこともないし。むしろ、夫がインポ気味でセックスレスになっていることに寂しさを感じている。とても優しい奥さんなんだけど、エリオット・グールドはイライラして八つ当たりするんですよね。で、よりによってそんな時に引っ越しをしようとしている。

なかざわ:で、よりによってその引っ越し屋がなかなか来ない(笑)。そればかりか、彼の思い通りにならないようなことが次から次に起きる。

飯森:あれを見ていて『インサイド・ヘッド』を思い出したんですけど、あの映画でも引っ越し屋が約束の日になかなか来ないじゃないですか。

なかざわ:日本だったらあり得ませんね。そんな業者はすぐに廃業ですよ。

飯森:確かに、賃貸契約が明日までっていう時に引っ越し屋が来なかったら大事になっちゃいますもんね。そういうわけで、主人公が引っ越したいのに肝心の引っ越し屋は来ず、家中段ボールだらけで困った!という中でイライラもますます募り、しかも現状の自分には不満だし性的にも萎えちゃっている。そんな八方塞がりで悩んでいる時に、すげえ良い女から逆ナンされちゃうわけですけど、あのシーンって現実なんですかね?妄想なんですかね?

なかざわ:それがこの映画だと分からないんです。あと、ちょいちょい社会風刺をぶっ込んでくるじゃないですか。

飯森:拳銃夫婦とかね。これ最近だと笑うに笑えないタイムリーすぎるギャグになっちゃってるんだけど、当時NYは治安が凄まじく悪かったじゃないですか、’60年代に政治の季節で荒れた名残りで。で、ここら辺は物騒だから銃規制すべき!ではなくて、むしろ物騒だから逆に銃武装しよう!という、アメリカ人以外には納得しづらいワイルドウエストの論理で拳銃を持った夫婦が、アパートで賊と銃撃戦を始めちゃう。

なかざわ:40年以上経った今もアメリカそこは全く変わってませんね。

飯森:ってか200年変わってない(笑)。せめてこの時代に手を打っていればねぇ…。でも、この映画の良いところは、そういうこと言っている奴らをおちょくっている点ですよ。エリオット・グールドが買い物から帰ってくると、アパートの踊り場で、拳銃夫婦の奥さんがどっかの田舎州の元ミスだったからとミスコンの格好をしていて、旦那の方は西部劇のガンマンみたいないで立ちで、同じく西部のアウトローみたいな格好しているチンピラと銃撃戦していて、自衛のために銃武装ってお前ら西部劇か!と風刺している。このシーンは現実ではなく妄想だって分かりやすいんですけど、そういう社会風刺的な見どころも多いですね。

なかざわ:この映画って’70年の7月にアメリカで封切られていて、ちょうど『ボブ&キャロル&テッド&アリス』や『M★A★S★H』でエリオット・グールドがブレイクしたばかりの時期なんですよね。それにもかかわらず、なぜかアメリカ本国でも滅多に見ることが出来ない。

飯森:そうなんですよ。残念ながら今回はあまり画質が良いとは言えない4:3の、つまりブラウン管時代の古いTV用マスターかVHSマスターで放送するんですが、その理由はアメリカ本国でもワイドのニューマスターのテープを作っていないから。それだけ貴重な作品をウチが発掘してきたということの証ではあるのですけどね。

なかざわ:もしかすると、当時の観客もこれを見て困惑してしまったのかな。それが理由でマイナーのまま?

飯森:いや、’70年代の観客であれば、この映画を理解できるだけのリテラシーは持ち合わせていたと思いますよ。

なかざわ:とはいえ、IMDbのユーザー・レビューも数えるほどしかない。よっぽど見ている人が少ないんでしょうね。

飯森:僕的には、「そんな映画も見れるザ・シネマって凄くないですか!?」とは、声を大にして訴えたい。そういえば、逆ナンしてくる女の子を演じているジュヌヴィエーヴ・ウェイトって、『ジョアンナ』に出ていた女優さんですよね。あの娘も’60年代~’70年代らしいというか、あまり肉感的ではなくて、ツィッギーみたいに細くてキュートな娘なんだけど、ここでは惜しげもなくヌードを披露している。

なかざわ:しかもエリオット・グールド相手に(笑)。

飯森:背中まで毛だらけで、あれは衝撃的!でも、エリオット・グールドがカッコいいっていうのも、いかにも’70年代っぽいですよね。

なかざわ:服を着ていても脱いでも、どこからどう見たってただのメタボ気味なオッサン。今のハリウッドではあり得ない体型ですよ。

飯森:でも、あの斜に構えたところと、その中に漂うシニカルな知性というのが、’70年代ならではの「いい男」なんでしょうね。彼とか『ソルジャー・ボーイ』のジョー・ドン・ベイカーとか、ブサイクなモッサいオッサンが最高にカッコ良かった、古き良き時代。俺もあの頃生まれていたら相当モテてたな(笑)、なんて言ったら怒られますが。

なかざわ:’70年代に持て囃されたスターたちって、’80年代以降の落ちぶれ方が激しい人も多いですもんね。エリオット・グールドだって、最近でこそテレビドラマで復活していますけど、一時期はまるでそっぽ向かれていましたから。

飯森:’70年年代後半、『スター・ウォーズ』とか日本だとピンク・レディーとか、あそこらへんを境に時代の求める顔や性格がガラリと一変しましたよね。それこそ、反体制の知的なムードやニヒリズムを売りにしていた人は、’80年代以降は悲惨だったかもしれない。エリオット・グールドだって、反体制的でやさぐれた感じが売りでしたからね。

なかざわ:そう、その不健康な感じが’80年代以降、彼にとって不利になったのかもしれません。

飯森:それにしても、こういうナンセンスな不条理コメディってのも、最近ではすっかり見かけなくなりましたねぇ…。

なかざわ:僕の記憶にある限りでは『マルコビッチの穴』が最後ですかね。

飯森:それだってもうずいぶん昔ですよ。

なかざわ:そういうちょっと首を傾げるようなユーモアの中にこそ、実は社会風刺なり人間風刺なりを滑り込ませやすいと思うんですけどね。そう考えると、これは非常に知的で様々な解釈を許容する大人向けの不条理コメディと言えるかもしれません。

飯森:この映画って、最後の終わり方もまたちょっと不思議なんですよね。ここから先はネタバレですけど、

 

【この先ネタバレが含まれます。】



















引っ越し業者が来ないせいで無駄に何日も過ごしてしまい、外泊したエリオット・グールドが自宅へ帰ってみたら荷物はなくなっているし、奥さんの姿もないし、次の入居者がもう入っちゃってた。どうしよう!俺の居場所はもうない!とパニクって、一応ためしに新居の方を覗いてみたら、既に引っ越しは終わっていて奥さんがお風呂に入って待っていて、彼はなあんだとホッとする。

なかざわ:あの奥さん役の女優、ポーラ・プレンティスっていう’60年代の青春映画のスターだったんですよ。コニー・フランシスの主題歌で有名な『ボーイハント』とか。コメディエンヌとしても人気で、ピーター・セラーズの映画にも出ていましたね。

飯森:本作の頃にはいい具合に熟してます(笑)。その奥さんとエリオット・グールドが仲良く泡風呂で体を洗いっこしていると、カメラが俯瞰で真上から2人の姿を捉えながらグーッと上昇していってTHE ENDとなるんですが、カメラはいつまでも天井に突き当らず無限に上昇していく。浴室の四方の壁もそれにともなってビョ~ンと上に伸びていくんですよね。つまり、天井高が数百メートルもある縦穴みたいなありえない形の浴室で、最初は役者の数メートル上にあったカメラが、上昇して浴槽の夫婦からどんどん遠ざかり、穴の底の2人は点みたいになっていく。

 これって、とりあえず引っ越しは終わったし、何か差し迫って困っているわけでもない、食ってはいけてるんだし、新居で夫婦水入らずで、幸せだから別にいいんじゃないの?ってことなんですかね?世界の底の狭い穴蔵に2人きりだけど、案外これも良いもんじゃないか、と。

なかざわ:いずれにせよ、この映画が非常に寓話的であることを物語るシーンですよね。

飯森:僕としては、『フランソワの青春』と同じテーマを逆から描いて正反対の結論に持っていってる映画だという気がするんですよ。要するに、閉塞感。閉塞感のある日常がまた無限に繰り返されて、主人公は脚本家として成功することもなく、これまで通り不本意なエロ小説の執筆と犬の散歩をずっと続けていくのかもしれないけれど、ちょっとMOVEして気分も変わり、今の俺の人生にも満足すべき要素だってあるじゃないか、そこに喜びを見出せばいいじゃないか、ってことに気が付いた。奥さんの存在ですね。

なかざわ:ささやかな幸せを噛み締めるというやつですね。

飯森:そう、閉塞感とささやかな幸せって、実は≒なのかもしれませんよね。日々激動するドラマチックすぎる人生に、ささやかな幸せなんて無いでしょう?『フランソワの青春』でネガティヴに描かれたテーマを、ここでは「それもまた良し」とポジティヴに描いている。その違いのように思うんですよね。だから、この2本はセットで見ていただいて確かめてもらえるといいかもしれませんね。

 最後に、今回僕が20世紀フォックスから貰った画像の中にはなくて、本編の中でも出てこないんですけど、この映画の宣材写真で、奥さんのポーラ・プレンティスがヌードになっているお宝カットをネット上で発見したんですよ。エリオット・グールドと一緒に泡風呂に入っていて、泡にまみれながらオッパイ丸出しでカメラ目線。これがまた形の良いオッパイなんだ!さすがに商売柄、ネットで拾ってきた画像をここに著作権侵害で晒すわけにもいきませんので、リンクを貼ったツイートを僕のツイッターのトップに期間限定で4月いっぱい固定しておきますから、見たい人は見にきてください(笑)。

なかざわ:そうだ、あと今回も『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』と同様に、邦題も決めなければいけないんだった!しかし、これは難しいですね…。

飯森:僕も今回は降参ですわ。原題の『MOVE』には「動き出す」という意味と、「引っ越し」という意味の両方が含まれているわけですが、この英語のダブルミーニングを上手いこと邦題に生かそうとするのは無理!もう『MOVE』のまんまでいいんじゃないかと。

なかざわ:それは私も同感です。前回、飯森さんが仰っていたように、独創的過ぎるタイトルを考えても配給元からNGを喰らう可能性がありますしね。■

 

© 1970 Pandro S. Berman Productions, Inc. and Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation and Pandro S. Berman Productions, Inc. All rights reserved.

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