広告代理店で働くサム(ビリー・クラダップ)のもとに飛び込んだ突然の悲報。大学生の息子ジョシュがキャンパス内で発生した銃乱射事件で死亡してしまったのだ。二年後、酒びたりの暮らしを送っていたサムは、ジョシュが自作の曲を書きためていたことを知り、息子の曲を地元のバーで弾き語る。そしてサムの演奏を聴いた若者クエンティン(アントン・イェルチン)から、一緒にバンドをやろうと持ちかけられるのだが……。

  “埋もれた名作”とは、紛うことなくこの映画のことである。実際のところ、『君が生きた証』(2014年)は本国アメリカでも日本でもさしてヒットしておらず、知名度も高くない。しかし、ひとたびこの映画にハマってしまうと、その多層的な魅力に惹き込まれて何回ともなく観てしまうのだ。

  また作品そのもの評価とはズレるが、主演のひとりのアントン・イェルチンが2016年に不幸な事故で亡くなったことで、物語と絡み合ったさらなるレイヤーが生まれてしまったという事情もある。本作は、もはや“観る者の心を平静ではいさせてくれない作品”と言っていい。

 

  多層的、と書いたように、本作をひとつのジャンルで括ることは困難だ。孤独な中年男と若者が織りなす音楽映画であり、(中年男にも青春を許すならば)純度の高い青春映画であり、また「いったい死んだ息子はどんな人間だったのか?」をめぐるミステリーでもある。ネタバレを避けようとすると何も言えなくなってしまうのだが、二度目にはまったく異なる視点から観ることになり、演出と演技の細密さと繊細さに、嘆息せずにいられない。

  監督と共同脚本を務めたのはウィリアム・H・メイシー。コーエン兄弟、ポール・トーマス・アンダーソン、デヴィッド・R・エリスら才能あふれる映画監督たちに重宝されてきた名優であり、捨てられた犬みたいな困り顔がトレードマークのベテランである。

  そのメイシーが監督業に挑戦したいと考えていたところに、たまたま送られてきたのが本作の脚本だった。オクラホマ在住の無名コンビ、ケイシー・トゥウェンターとジェフ・ロビソンが書いた物語に可能性を見出したメイシーは、二人と共同で一年以上かけて改稿を重ね、“遺族である父親の再生”という当初の構想よりも、はるかに複雑なテーマを含んだ決定稿を完成させた。

  メイシーが本作を選んだ理由のひとつに“音楽”があった。メイシーは実は大の音楽好きで、ギターやピアノを嗜み、撮影現場では出演者みんなにウクレレをプレゼントしたという。

 メイシーが関わる以前に『ナッシュビル』(1975年)のキース・キャラダインとシンガーソングライターのベン・クウェラーが主演する話が進んでいたこともあったらしいが(キャラダインも俳優兼ミュージシャンだ)、サム役には『あの頃ペニー・レインと』(2000年)でロックスターを演じたビリー・クラダップに、クエンティン役は『スター・トレック』(2009年)でロシア系の操縦士チェコフを演じていたアントン・イェルチンに決まる。

 

  主人公サム役のクラダップには『あの頃ペニー・レインと』の時にギターを猛特訓した経験があったが、今回はギターだけでなく本格的に歌に挑戦することになった。イェルチンは私生活でバンド活動をしており、歌にもギターにも心得があった。ドラマー役のライアン・ディーンはイェルチンのバンド仲間。そして一時はクエンティン役の候補だったミュージシャンのベン・クウェラーが、ベーシストのウィリー役で参加。この四人は実際に劇中のバンド“ラダレス(Rudderless)”として演奏を担当することになる。

 クラダップとイェルチンの心を震わせる歌声、サポート役に徹したクウェラーの巧みなコーラス、そして四人の演奏が一体となったライブシーンは本作のハイライトだ。ジョシュが遺した楽曲はシンプルで味わい深い名曲ぞろいだが、歌詞にはどこかしらに孤独や不安感が宿っている。しかし四人が演奏することで楽曲は喜びの翼を与えられ、劇中でも“ラダレス”は地元で評判の存在へとなっていく(この「地元で評判」という匙加減の絶妙さも、本作に得難い説得力を与えている)。

 この映画のミステリーが「死んだ息子はどんな人間だったのか?」であるということは先にも書いた。ジョシュは映画の冒頭で亡くなってしまい、回想シーンは一切ない。したがってミステリーを解くカギは“ラダレス”が演奏する曲の中にしかない。

 ストーリーの主軸はサムとクエンティンが育む疑似親子的な絆へと移っていき、ジョシュの“謎”がはっきりと明かされることはない。だからこそ、歌の行間を読もうとして、何度も観て、聴いてしまう。そして咀嚼しようとすればするほど、新しい解釈が浮かび上がってくる。観賞を重ねるごとに豊かさを増すエンドレスな映画体験。筆者などは何度観返したかもはや思い出せないが、ラストの暗転後にこみあげる涙の理由を、いまだに測り兼ねているのである。

追記:2019年3月12日に、メイシーの実生活の妻で、『君が生きた証』ではサムの元妻を演じていた女優のフェリシティ・ハフマンがFBIに逮捕されたとのニュース速報が駆け巡った。娘を名門大学に入学させるために、大量裏口入学事件に関わった容疑で起訴されたのだ。メイシーもある程度は関与していたようだが、現時点で起訴には至っていない。いずれにせよ、この不名誉な事態のせいで『君が生きた証』がさらに“埋もれた”存在になってしまう可能性が大いにある。そもそも『気が生きた証』が「親は子供に対してどうあるべきか?」というテーマを含んでいることを思うと大きな皮肉を感じるほかないが、作品の価値や俳優陣の演技の素晴らしさが損なわれるものではないので、「親バカがバカなことしやがって!」という叱咤の気持ちを抱えつつ、平静に今後の展開を注視していこうと思っています。(2019年3月15日)■