暮れも押し迫ったクリスマスの日。発明家のランドール(ホイト・アクストン)は息子のビリー(ザック・ギャリガン)にプレゼントを贈るため、チャイナタウンの奇妙な店から、モグワイと呼ばれる可愛らしくもエキゾチックなペットを購入する。彼らはその生き物を親しみ込めて「ギズモ」と名づけたが、飼うにはいくつかの条件を守らねばならなかった。それは明るい光を避けること、モグワイを決して濡らさないこと、そして真夜中すぎて餌を与えないことー。

 1984年製作の映画『グレムリン』は、これらの厳しいルールに対するビリーたちの不注意が、モグワイをいたずらに増殖させたあげく、街を大騒動に導く小さな凶暴モンスター=グレムリンへと変貌させ、混乱した事態の収拾を余儀なくされるクリーチャーコメディだ。

 同作の監督を務めたジョー・ダンテは、彼の忠実なプロデューサーであるマイケル・フィネルとともに、新しいプロジェクトを模索していた。当時ダンテは『ハウリング』(1981)という、リアルな狼男の変身シーンが話題を呼んだダークコメディをヒットさせたものの、契約上の問題で自身に満足のいく成果がもたらされなかったのだ。

 そんなある日、彼のもとにアンブリン・エンターテインメントという製作会社から、スティーブン・スピルバーグの名のついた郵便物が送られてくる。中に入っていたのは『グレムリン』というタイトルの脚本で、執筆者はクリス・コロンバスという、二十代半ばの若者のものだったのだ。

 ダンテはスピルバーグのようなビッグネームから、そのような脚本を送られてくる理由がわからなかった。しかし過去に彼は『ピラニア』(1978)という、殺人魚が人を襲う動物パニックを手がけたとき、雨後の筍のごとく出てきた『ジョーズ』(1975)のエピゴーネンの中で唯一「アイディアが秀逸で面白い」とスピルバーグからお墨付きをもらっていたのである。なにより『ピラニア』はヤノット・シュワルツ監督の『ジョーズ2』(1978)と競合する形でユナイテッド・アーティスツが公開を決めていた作品で、そんな商売敵でもスピルバーグは称賛したというのだから筋金入りだ(フィネルの発言によると、スピルバーグは『ハウリング』を依頼の動機としている)。


 しかし、それでも『グレムリン』の脚本がスピルバーグから直接届けられたとき、監督は明らかに配送ミスだと思ったという。しかしこの配送ミスは、逆にハリウッドで目にモノ見せるための啓示なのだとダンテは考え、停滞したキャリアの打開策になるのではと、監督依頼に前向きな姿勢を示したのだ。

 まず指名をしてくれたスピルバーグに演出の実力を示す段取りは、一緒に参加したオムニバスムービー『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1983)が可能とした。しかし、それでもダンテの決断を鈍らせていたのは、スピルバーグが製作総指揮を担った『ポルターガイスト』(1982)の噂だった。いわく、同作の撮影中にハリウッドの一部で広まっていた、スピルバーグの危険な干渉と越権行為、それによって監督のトビー・フーパーが、現場での指揮権を奪われたというものだ。

 そこでダンテは『グレムリン』の監督依頼に同意するとき、「自分はあくまで、キミの映画のパロディを作るつもりだ」とスピルバーグに宣言し、彼を共犯者として引き込むことで、余計な干渉をガードしたのだ。映画の冒頭シーンから『インディ・ジョーンズ』シリーズのパロディを披露したり、また発明品評会のシーンでスピルバーグをカメオ出演させたりと、積極的に作品に参加させて懐柔していったのである。

 またクリス・コロンバスの手がけた初稿は、ザック・ギャリガン演じる青年ビリーが主人公ではなく、13歳の少年を想定していた(その役割はコリー・フェルドマン演じるキャラクターに組み込まれた)。しかし血なまぐさいホラーの要素が強く、グレムリンはその名のとおり貪欲で、犬を食べたり登場人物たちの命を危険にさらしたり、あげくビリーの母親の生首が転がるような描写もあったという。それが13歳の子どもを中心に展開するというのだから、相当に穏やかではなかったのだ。そのため脚本は大幅な改稿を強いられ、『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』の開発に影響が出たというのは、同作のコラム(https://www.thecinema.jp/article/130)で記しているとおりだ。

 しかしこうした大幅な変更に直面しながらも、ダンテはこの映画の隠れた幼稚性や残虐性を正当化し、「予期せぬものがルールを無視して日常に侵入する」という、コロンバスの脚本の精神を損ねることはなかったのである。

 それでもなお、レイティングの厳しい等級づけを免れないだろうと危惧していたところ、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)制作時にスピルバーグとジョージ・ルーカスがMPAAに掛け合い、新たな等級「PG−13」を設けられたことで、多少のハードな描写も寛容に対処してもらえたのである。

◆愛らしきスパーキャラクター「ギズモ」の誕生

 そして『グレムリン』の存在を永遠のものにしたのは、劇中に登場するクリーチャー、モグワイたちの創造に尽きるだろう。とりわけ「ギズモ」の存在は特別だ。本作のコンセプトデザイナーである特殊メイクアーティストのクリス・ウェイラスが、クルーと共におよそ100体に及ぶモグワイの実物大パペットを開発し、スクリーン上でのパフォーマンスをすべて操作したのである。スピルバーグはプロダクションデザインの準備期間をたっぷりと確保し、できる限りの予算を調達することで、素晴らしいデザインのグレムリンたちを生み出すことに成功したのだ。しかし彼は撮影直前の段階で、ギズモを映画の主人公として最後まで登場させるよう変更し、そのためウェイラスはギズモの表情や目の動きを細かく撮影せざるを得なくなり、メカニカル操作の比重を大きく置くことになった。とはいえ、こうしたスピルバーグの大きな決断は、ギズモをこの映画のスペシャルなヒーローに変身させ、現在も愛され続けるキャラクターとして見事に世に誕生させたのである。

 なによりCG技術がそこまで発展していなかった時代、プラクティカルなエフェクトで創り出したグレムリンのフィジカルな存在感こそ、キャラクターの命として大きく作用したのだ。加えてそのローテクなアプローチは、たまらないノスタルジーを観る者に覚えさせる。同時にスタジオセットを中心に撮影した本作の人工性は、奇しくもクリスマスムービーの古典である『素晴らしき哉、人生』(1946)を復唱するものとなり、『グレムリン』は「自分はこのような人生を送るはずではなかった」という、同作のテーマを変奏するのである。

◆トラウマを残す、フィービー・ケイツのモノローグ

 そして『グレムリン』を語る上で、ギズモよりも忘れられない印象を残したのが、劇中でフィービー・ケイツが滔々と語る、残酷で悲劇的なモノローグだろう。

 フィービー演じるケートがクリスマスに対する憎悪と、その起因となった父親のおぞましいエピソードについて語るシーンは、製作内部で物議を醸し、同作のプロデューサーであるテリー・セメルを筆頭に、ワーナーの上層部たちは削除するよう指示した。編集のティナ・ハーシュもそれに従おうとしたうえ、スピルバーグでさえもが同シーンを嫌い、ダンテの演出を擁護しなかったのである。しかしダンテはカットを許さず編集を強行し、本編に残したのである。その判断が正しかったのは、同シーンが『グレムリン』において外せないものとなった現況からも明らかだ。

 奇しくも『グレムリン』の劇場公開から1年後。ダンテは本作のベースに『素晴らしき哉、人生』があることを、同作の監督フランク・キャプラに直接説明する機会を得られた。そのときキャプラから、フィービーのモノローグがあまりにも悪趣味なことに絡め、
「ジョー、きみは私の大事な映画を笑い物にしすぎだ」
 と苦笑されたという。ダンテは自分の意図を完全に読みきった巨匠キャプラに敬服すると同時に、オマージュを捧げた作品の監督から否定され、複雑な心境に陥ってしまったと語っている(フランク・キャプラはその6年後、1991年に死去)。■

『グレムリン』© Warner Bros. Entertainment Inc.