PROGRAM

放送作品情報

オール・アバウト・マイ・マザー

TODO SOBRE MI MADRE 1998年 スペイン / 102分 ドラマ

息子を失った母親が哀しみを乗り越えるまでを描く、女性賛歌に満ちた感動のヒューマン・ドラマ
放送日時
2018年11月09日(金) 15:00 - 17:00
2018年11月14日(水) 深夜 04:00 - 06:00
解説

スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルによる感動のヒューマン・ドラマ。最愛の息子を失った母親が、様々な人々と出会うことで哀しみを乗り越えるまでを描いた、女性賛歌に満ちた作品。アカデミー外国語映画賞受賞。

ストーリー

女手ひとつで息子を育ててきたマヌエラ。作家志望の息子は母親のことを書こうとしていたが、マヌエラは別れた夫の話をなかなかしたがらなかった。息子の17歳の誕生日、2人は一緒に大女優ウマが主演する舞台を観に行くが、終演後、ウマにサインを貰おうと道路に飛び出した息子が、車にはねられ、この世を去ってしまう。失意のマヌエラは別れた夫に息子の死を知らせるため、仕事を辞めてバルセロナへと向かうのだが…。

出演

セシリア・ロス
マリサ・パレデス
ペネロペ・クルス
アントニア・サン・フアン
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2018/9/27

    授業の一環で鑑賞。 監督の色彩やトーンなどをコントロールする熱量がすごいと思った。 話の展開にはわりと驚かされるばかりだった。

  • 鑑賞日 2018/9/17

    女は愚かで男は馬鹿

    1999年のアカデミー外国語映画賞を受賞したスペイン映画です。何となく小説家なにかを映画化した作品のような印象を持ちました。一つ一つのシーンに直接語られていないストーリーが隠されているように感じたからです。 そう感じたのは劇中に登場する映画「イヴの総て」と舞台劇「欲望という名の電車」という2つの作品が本作のテーマの背景として骨子を担っているのに、自分がこの2作品とも観たことがないからでしょう。知らずに観ている分にはその登場シーンが思わせぶりで、何か重要な意味を持っているんだろうなというのは分かりますが、何を表現しているのかまでは分からず、ちょっとモヤモヤしてしまいます。 鑑賞後ではありますが、そのモヤモヤ解消のため2作品についてちょっと調べてみました。 「イヴの総て」 1950年の作品賞をはじめ6部門のアカデミー賞を受賞した映画。 田舎から出てきた女優志望のイヴが、ひょんなことから憧れの大女優マーゴの住み込みの付き人となる。イヴはマーゴの世話を利発的に行うが、次第に批評家やマーゴの周りにいる人々に取り入るようになり、遂にはマーゴの代役として舞台に立ち大成功をおさめた。マーゴや取り入った人々をも踏み台にして演劇界最高の賞を受賞するまでに昇りつめるが、それも大物批評家の掌の上で踊らされたことだった。そして頂点に立ったイヴの傍らには第2のイヴとも言うべき女優志望の少女がいた…。 まだ無名だったマリリン・モンローが脇役で出演しているそうです。 「欲望という名の電車」 後にピューリッツァー賞を受賞し、映画化やドラマ化、オペラ化もされたテネシー・ウィリアムズによる1947年発表の戯曲。 南部のかつての名家に生まれたブランチは未亡人となり、貧しい職工スタンリーと結婚した妹のステラを頼ってニューオリンズの下町にやって来る。しかし気位の高いブランチは粗暴なスタンリーとはそりが合わない。スタンリーの同僚のミッチと結婚しようとするブランチだったが、スタンリーに故郷を出てきた理由を知られミッチに暴露されてしまう。それは夫が同性愛者で、死後に精神を患って多くの男たちと関係を持った末に、少年を誘惑したことで街にいられなくなったというもの。ブランチはミッチに関係を絶たれた上にスタンリーにレイプされてしまう。完全に発狂してしまったブランチは精神病院に送られるのだった。 映画化作品はヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドの共演、アカデミー賞も4部門受賞の名作なので、こちらの方で一般的には知られているのかもしれません。 こうしてみると、本作が「イヴの総て」と「欲望という名の電車」をマッシュアップさせたようなストーリーになっているのが分かります。マヌエラはイヴでありブランチというわけですね。 特にストーリー展開においては「イヴの総て」がその下敷きとなって参照されています。しかし元ネタとなった2作品のような陰鬱さや殺伐さ、狂気や悲惨さといったものはありません。 本作の登場人物はアグラードやロラも含めてほぼ全員女性です。彼女たちは皆欠点だらけで、人間としても問題のある愚かな女ばかり。それは3作品とも共通しています。 大きく違うのは元ネタの2作品は虚栄心や自己満足、欲望、もしくは他人への依存といったものにまみれ、困難から目を背けた自分本位の女たちであるのに対し、本作では試練に打ちのめされたとしても、自分自身を受け入れているところです。 だからこそ愚かであってもどこか滑稽で、陽気さや輝きが滲み出てくるのでしょう。マヌエラの部屋でロサ、アグラード、ウマが集まってのガールズトークなんかは下ネタ言って笑ってるくだらない時間ですが、素敵なシーンでした。 主人公マヌエラの山あり谷ありの人生は実に波乱万丈。愛した男が女性として生きる道を選び、彼の子供を1人で産んで同じエステバンと名付けて育てたものの事故で亡くし、そしてまた同じくエステバンと名付けられた彼のもう1人の子供を引き取って育てる。これだけでも奇妙な人生じゃないですか。 そんな彼女の人生に関わる女性たちもまた一筋縄ではいかない人物ばかりです。結果的にマヌエラが手助けすることで彼女たちはそれぞれ自分自身を受け入れ、人生を取り戻していきます。同時にそれが一人息子のエステバンを失った心の傷を癒やし乗り越えることになっていくわけで、人生の相互作用が見どころでもあるのではないでしょうか。 素晴らしいのは元ネタを知らずとも、本作が持つ群像劇としてのドラマ性や描いているテーマを損なってはいなかったこと。どうしてもよく分からないシーンや展開が無いわけでもないですが、本質には何ら影響はありません。 とは言ってもやはり観てる側にとってはテンポ感には影響はあるので、そこはちょっとハンデ。元ネタ2作とも名作なんで観てない方が悪いと言えば悪いのかもしれませんが。 そうだとしても一人息子のエステバンが存命中の冒頭部は実際テンポが悪い気がします。エステバンが何かを隠してるような感じがするのもちょっと余計なところだったかな、と。 全体から見ると些細なことではありますけどね。 それとアグラードを演じていた役者さん、あまりのハマりっぷりに本物のゲイか男優が演じていると思っていたら、なんとれっきとした女優さんだとか。これは本当にビックリしました。

  • 鑑賞日 2018/9/7

    冒頭で事故死する女性主人公の息子以外は主要キャストに普通の男性が一人も出てこない、いわば徹底した女性映画といえる傑作。 主人公のマヌエラ以下、登場する女性が皆個性的で生き生きと描かれる脚本が素晴らしい。特に本来は男性であるオカマのアグリードのキャラが面白く、重くなりがちなこの手の話を明るくしている。 女性虐待の要素もある『欲望という名の電車』を舞台劇のネタにしたのも良かった。劇中に出る映画『イヴの総て』を含め、色々な名作を観た上で鑑賞すると、更に作品の深みが理解できる。

  • 鑑賞日 2018/9/3

    純然たる男はどこに?

    2005年、2007年に見て以来、いろいろ勉強して来た。 《ブロークバック・マウンテン》《ブエノスアイレス》を見たことが大きいかな? LGBTへの理解は「生産性」を語るクソ国会議員が涌いていても日本でさえも進んでいると信じたい。だがこの映画で描かれる男性器を残したまま巨乳になり女装する人達、以前のレビューでは「おかま」と呼んでしまったが、シーメイル、she-male, she-man, she-he と呼ばれる彼彼女達の性嗜好、指向はどっちなの?ゲイの気持ちはわかってもシーメイルの気持ちはわからない。 マヌエラの恋人ロラがマヌエラとロサと2度、エステバンを身篭らせた。マヌエラとは男としてロサとは女の外見で。カトリックの修道女ロサはどんな気持ちでロラと交わったのだ? この映画の主要男優: 主人公マヌエラの息子エステバン。17歳の誕生日に事故死してしまい冒頭にしか登場しない。 ロサの父親。認知症で犬を散歩させることしかできない。娘のこともわからない。 アグラドとロラ。ペニスとシリコンの巨乳を持つシーメイル。アグラド、男優が演じていると思ってたが女優だったんだ! というように普通の「男」が登場しない。映画中劇《欲望という名の電車》のコワルスキー役の男優ぐらいか?ただこいつはアグラドに楽屋でフェラをせがむ情け無い男である。 結局アルモドバルは「母が、女が世界を回している」と言いたいんだね。母がいなければ世界は存在しない。 その母性は自分の子供の命が失われようとする時に最も強く現れるのか?エステバンが事故に遭い、死に、臓器移植の手続きをし、移植された人の姿を見に行くマヌエラ。すごい演技だし、彼女がロサの息子エステバンを抱く姿には女性という「はぐくみ育てる性」に感謝し頭を下げるほかない。 「女は子供を産めなくなったら生きている価値がない」と数々の妄言の中でも最強に愚劣な発言を都知事時代にした、石原慎太郎はこういう映画を見て勉強して欲しいよ。 ロサの母親のように『化け物』と呼ぶだけだろうか?

  • 鑑賞日 2012/9/4

    全ての女性を元気にしてくれる映画。序盤は妻・母として観るにはつらいシーンも多いけれど、新しい出会いや、古くからの友人との結びつきで女性は強く生きていけるんだと感じました。脳死移植の問題やエイズ、オネエ(ゲイ?)の恋愛など、重いテーマもありますが、前向きになれるように描かれていて、後味は良かったです。

  • 鑑賞日 2018/7/7

    女達の人生を穏やかにつづる

    映画の最後に出るテロップの言葉のようにこの作品は様々な境遇の女と母を登場させる。彼女らは、時には洗い言葉を口にするが、概ね穏やかで、知的で、他者と交わる。ここには男の存在はない。 女性たちに力を与える作品なのかもしれない。

  • 鑑賞日 2018/4/3

    ムーベルヴァーグを彷彿とさせる

    監督の映画キャリアがそうさせたのだろう。 ヨーロッパという土壌や、カトリックとの関係、それらがアートとしての映画且つ、2018年に観ても映像美は色あせない。 編集や登場人物のキャラクターも面白かったりするのだが、 ではストーリーはどうかと言うと、 そこもアート映画で。 エンターテイメントでもリアリスティックでもない、 何ともつかみどころのない内容ではある。

  • 鑑賞日 2018/1/11

    三人のエステバン

    女や元男の女達の群像劇。 母子家庭。舞台劇「欲望という名の電車」鑑賞。 誕生日のエステバンは主演女優のサインを欲しがる。事故。 掘り下げがしっかり為されていて人格が浮き彫りになっている。 「ロルカへの讃歌」舞台を巡る女達の心模様。 ヒューマンドラマとして面白味もあり心の動きがハーフトーン且つストレートに描かれている。 ヒロインの潔さは出色。 女性の生き様と呼吸を伝える秀作。

  • 鑑賞日 2018/1/9

    女性向けかな

    はまらず

  • 鑑賞日 2018/1/1

    2018年1本目は、世の女性に向けて作ったペドロ・アルモドバル監督の初期の代表作。 ポスターが印象的で見た事があったが、どんな映画かは知らずに初鑑賞。 まだ、あんまりエロさのないペネロペクルスが出演している。 重々しくならずに、母、父、女、男、それぞれの形を見せていく。 ペネロペクルスと父との対面するシーンがとても切なかった。

  • 鑑賞日

    好きな映画のひとつ

    最近、鑑賞録を登録し始め、昔観て自分が好きだったと思い出した映画も登録していますが、その中の一つです。とても好きな映画だったことを覚えています。 私はペドロ・アルモドバルの初期の作品が好きです。性への直結、狂気とも言える愛の描き方が、正直だと感じるからです。

  • 鑑賞日

    哀れなオトコオンナの娼婦を演じるのは男?それとも女か

     原題"Todo sobre mi madre"で、英題"All About My Mother"に同じ。劇中に登場する映画『イヴの総て』(All About Eve )のオマージュとなっている。本作では劇中劇として『欲望という名の電車』も演じられる。  プロローグでは、シングルマザーに育てられた息子が父親について教えてもらう寸前、交通事故死してしまう。ここまではタイトル通りに息子の視点で語られるため、それ以降は幽霊となって語るのかと思うが、そうならないのが残念。  母(セシリア・ロス)は息子の死を知らせるためにマドリードからバルセロナに向い、父親を探す。最初に出会うのがゲイの娼婦で、父親もまたゲイらしいことがわかる。もっともこの二人は豊胸手術をしただけの両刀遣いで、生物学的な女、男から変身した女、オトコオンナを愛する女、女を演じる女と、さまざまな女たちが描かれていく。  そうした点で、本作は「母の総て」であると同時に「女の総て」の物語で、女であるとはどういうことか? 女とは何か? がテーマではあるが、正直、女はやっぱりよくわからない、という結論しか導き出せず、試みとしては面白いが、作品として成功しているかどうかは疑わしい。  母は『イヴの総て』同様、息子の事故死のきっかけとなった女優(マリサ・パレデス)の付き人となり、女優の恋人で相手役の女の代役で舞台を演じて成功する。伏線として、実はかつてアマチュア劇団にいた時にこの劇『欲望という名の電車』を演じていて、相手役の男優の子を身籠った。  これが事故死した息子なのだが、淫乱な父(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)はエイズとなり、修道女(ペネロペ・クルス)を孕ませ、その赤ん坊を息子を亡くした母が引き取って終わる。  淫乱な父の名はエステバンで、死んだ息子と赤ん坊の名もエステバン。つまりは、男は聖母マリアの腕に抱かれて育ち生きるという、何となく母性信仰の結論で、設定が突飛なのがアルモドバルらしいところ。  女になりたいと願うエステバン1世も聖母になることができず、罪だけを垂れ流す存在だが、哀れなオトコオンナの娼婦がキャラクター的に際立っていて、これを女優のアントニア・サン・フアンが演じて上手い。(キネ旬2位)

  • 鑑賞日 2015/12/18

    テネシー・ウィリアムズが観たら、何て言うかな。

    男性性器を持ったまま、豊胸や女性化手術をする人物が二人も出てくる、 それも重要な役割で。オープニングは臓器提供の物語かと思わせて、 重要なテーマに向かって歩み始める。 事故死で亡くなった息子の父親に会いに、 バルセロナへ到着する一人になってしまった母親。 親切に説明されたストーリーでないので、想像力を駆り立てて観ることになる。 男性と女性の違いなど吹き飛ばすユーモア。女優を演じる女優の虚構性。 その中で、母親になる女性の強さを訴える。 それも生んだ本人でなく、母親になる決心をした主人公に物語は舞い戻る。 赤ん坊が順調に育って行くラストで、初めて作品の意味が伝わってくる。 複雑な仕掛けだけれど、シンプルなメッセージが得難い魅力となって、 われわれの心にしみわたって来る。

  • 鑑賞日 2005/6/1

    産道を通ってバルセロナへ

    強烈な展開、死んだ息子の父親は性転換して娼婦になってる!に驚かされるが、結局は人間の生きざまに感動させられる。初のアルモドバル作品。 PCより移行 すごい。展開のしかたもすごいし、お話そのものもおもしろい。 強烈。せっかく女手ひとつで育て、可能性をいっぱい秘めた好青年に育ってきた息子が突然、事故死。別れた父親に知らせにバルセロナに来た母親。世話になった修道女をはらませた相手が女になったもとの夫でエイズを修道女にもうつす。 「欲望という名の電車」の舞台を絡めて主演女優と友人の娼婦(オッパイを付けた男)などもからめて母性を賛美する。ペドロ・アルモドバル自身もゲイとのことなのだが、女性に対する目はとてもやさしい。 ただのやさしさではなく、だが。 バルセロナへの行き返りのトンネルは産道のイメージ。 部屋のインテリア、壁の色がすごく印象的。

  • 鑑賞日 2015/5/9

    欧州映画はどうも…。

    ヨーロッパの映画はどうも好きになれない その理由はこの映画に全て現れている。 ストーリーの歪さ、難解さ、暗さ…etc、etc。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    女たち

     アルモドバル監督作品は「私の生きる肌」「トーク・トゥ・ハー」しか知らないけどいずれも肉体への執着と倒錯した愛が描かれているのが特徴で、本作も冒頭から臓器移植とか同性愛、性転換といったテーマがちらつき彼の作品らしさを醸し出している。使用される音楽が擬古典趣味風なところも似通っている。  まだ見ぬ父を慕う息子の話かと思いきや彼は早々に事故死してしまい、それからはその死を受け止めきれない母マヌエラ(セシリア・ロス)の物語となる。親子で見た「イヴの総て」を下敷きにしたようなストーリー展開でマヌエラの謎の過去が次第に明らかにされていく。  舞台女優のウマ(マリサ・バレデス)と彼女の同性の恋人ニナ、マヌエラの昔の友人でゲイの娼婦アグラード、修道女ロサ(P・クルス)と彼女の母・・と登場する主要な人物はすべて女性もしくは男性であってもゲイである。自身、同性愛者であるらしい監督の嗜好なのか男性的なものは極力排除されているか、薄い描き込みしかなされていない。そのため全編が女性的なるもので覆い尽くされている感じだ。それは最後に登場するマヌエラの元夫の姿でダメを押されることになる。息子のノートに書かれた父への憧憬とすべての事実を受け入れる覚悟が性の垣根を限りなく消し去る。

  • 鑑賞日 2015/3/22

    息子から見た自分の母親の一生を描く話かと思っていたら、いきなりその最愛の息子が交通事故で死亡してしまい、彼の父親(訳ありの男であったことは母子の会話から容易に察せられる)に知らせる為に昔を思い出しバルセロナを訪ねて行く。そこで出会う色々な女たちの生き様を通じ、女とは何か、女を演ずるとは何かの問いかけがなされていく。いわゆる“オカマ”も出てきて、それもかなり重要な役どころであり、女という性の不思議さを考えさせられる。劇中劇で出てくる「欲望という名の電車」や最初に母子がTVで観ている映画が「イブの総て」であったり、途中ギャグで「百万長者と結婚する方法」など、(いろいろなタイプの女を描いている)昔の映画を引き合いに出しているところなど、名作に対するオマージュも込められているのだろう。若きペネロペ・クルスの愛らしさと美しさは眩しいほど。

  • 鑑賞日 2015/3/2

    色々なものを引き受けていく物語

    ベティ・デイビス、ジーナ・ローランズ、ロミー・シュナイダー達にこの映画は捧げられている。監督が日本映画を観ていたら、杉村春子さんの名前も付け加えたかも。 杉村さんの当り役だったブランチみたいに、この映画に出てくる女性は歯に衣着せず、言いたい事を言う。色んな悩み苦しみがあるだろうに明け透けに本人に面と向かって口に出す。それはやさしさや思いやりがないからじゃなくヨーロッパが日本みたいに気を遣って言わないでいる文化ではないからだ。でも言う方も言われる方もタフだ。タフでなければ子供という命を引き受けていけないからだな。大切な家族を喪った主人公が色々なものを引き受けていく物語とも言える。 ペネロペ・クルスが横たわるベッドからカメラはパンして右上の窓の外に『昇天』する。カメラワークに泣かされました。

  • 鑑賞日 2015/2/17

    女性賛歌三部作第一作。

    スペインの女性たちは強く逞しく生きていく。

  • 鑑賞日 2000/6/3

    素養不足

    主人公の波乱万丈の人生譚を観ていて飽きることはないし、その前向きな生き様には惹かれるものがある。ただ、映画としてはそれ以上でも以下でもなく、当方の感性不足や素養不足ともあいまって、イマイチ世評の高さがピンとこなかった映画のひとつ。

  • 鑑賞日

    母親の再生

    序盤でいきなり愛する息子エステバンが交通事故で脳死するという悲劇が起こります。母マヌエラは臓器ドナーの承諾書に泣く泣くサインをして、息子の死を受け止めます。 その訃報を知らせるために17年に音信不通だった息子の父親ロラに会いに行くのですが…。 そこからが問題です( ̄□ ̄;)それがアルモドバル監督なのです。 もう、どう表現して良いのか分かりませんが私が想像できない世界に連れてってくれます。父ロラとその友人アグラードは女性へと転換しており、それが原因でマヌエラはロラから逃げ出したことが明らかになります。 性倒錯者のことは分かりませんが、息子を亡くしたことによりマヌエラが過去に遡り自己を見つめ直す物語です。その過去にどれだけ苦い思い出があっても…。 着いた先ではシスターのロサや舞台女優のウマに会い、話を彩ります。 ロサはなんとロタと関係して、妊娠してエイズにまで感染します。性の問題をとことん根っこから描写するアルモドバル監督らしさが出てます。 ウマは息子エステバンがファンだった女優です。息子の死によって、マヌエラとウマは近づきます。そこにも人の縁の妙が描写されてました。 とにかくアクの強い作品です。現代的な性と命の問題を絡めた怪作と言えますね。

  • 鑑賞日 2014/1/25

    いい映画。女の強さを感じる。やや展開の都合良さのきらいはあるが。

  • 鑑賞日 2005/3/24

    映像は美しいが、理解不能な展開

    ペドロ・アルモドバル監督作品。 色彩面では美しい映像だったが、物語が日本人には理解しづらいものではないだろうか。 突然、別れた夫(しかも軽蔑している男)にわざわざ再会しに行く気持ちが理解不能、そして唐突にその男がゲイって???

  • 鑑賞日 2013/9/8

    原色の赤・黄・緑が鮮やかに画面を彩るのと対照的に、登場する女性たちは一様に傷つき厳しい現実に向き合っています。名状しがたい感動を抱きました。

  • 鑑賞日 2013/7/7

    女の映画

    元夫を探し行き着いた先で出会う人々との交流。 派手派手しい原色の色彩が強烈で印象に残る。 レズ、女装男、妊娠した修道女などキャラクター達の個性も強烈。 そんな彼女たちを包み込むマヌエラの母性愛。 作品としてのクオリティは高いとは思うが、自分の好みではないかな。

  • 鑑賞日 2013/8/9

    スペインの女たち

    息子を交通事故で亡くた主人公マニュエラ。その事故のきっかけになった女優ウマ。息子の死を伝えようと行ったバルセロナの友人アントニア。仕事探しを手伝ってくれるロサ。ロサはマニュエラの元夫を関係を持ち妊娠している。しかむ元夫はゲイでエイズ感染者。ロサは子供を残して死に、再会した元夫も死を迎えている。話は悲惨なのだが、スペイン女性の生き様はエネルギッシュだ。ロサが残した子供を連れてマニュエラは再び故郷の窓リッドへ旅発つ。1999年作の映画。エイズやゲイは社会や文化に大きな影響を与える問題だったのだろう。エイズにかかってもワクチンの投与で普通に生活できるようになり、ゲイ同士の結婚も求める国も現れた現在。この映画はどう受け止められて行くのだろうか。

  • 鑑賞日 2001/3/21

    逞しい女性たち

    スペインの鬼才、ぺトロ・アルモドバル監督といえば「神経衰弱ぎりぎりの女たち」「ハイヒール」「キカ」といった作品が示すように世間の常識からはみ出したいっぷう変わった映画を作ることで知られている。  で、この作品だが、底に流れるものは同じだが、これまでの作品とはいささか異なって語り口が平明でわかりやすい。  だがその淡々とした語りが重っていくにしたがって次第に力強いものを感じ始める。  そして最後には大きな感動のなかへと引き込まれていってしまう。  これまでのアルモドバル監督の映画は正直言っていまひとつついていけないところがあった。  そりが合わないというか、嗜好の違いというか、いつも途中で退屈してしまうのだ。  どの作品も意欲作であることは認めるが、どうもうまが合わない監督だというふうに思っていた。  だがこの映画ではその印象が違い、まったく退屈せず素直に感動したのである。  重要な登場人物がみんな女性だというのはやはりこれまでどおり。  またそれぞれが大きな欠点や暗い過去や傷をもち、しかも世間からつまはじきにあっている女性たちで、さらにゲイが重要な存在としてからんでくるといったところも同様である。  そんな彼女や彼たちが世間の偏見や冷たい目に晒されようとたくましく前向きに生きていく。  どんなに欠落したものを抱えていようと、ありのままの自分を受け入れて生きていく。  そんな力強い生き方には教えられるところが多い。  前向きに生きていかなければという勇気を与えられる。  こういう映画を見ると人間が愛しく思え、ほんとうに人間が好きになれるのだ。

  • 鑑賞日 2000/5/20

    ペドロ・アルモドバルの秀作

    2000年5月15日に鑑賞。大阪・テアトル梅田1にて。 ペネロプ・クルスがすばらしい。セシリア・ロスもいい。 「イヴの総て」「欲望という名の電車」。ベティ・デイビス、ジーナ・ローランズ、ロミー・シュナイダーすべての女優に捧ぐ。

  • 鑑賞日 2013/5/29

    不幸のどん底から這い上がろうとする女性の真摯な生き方を描く

     劇作家志望の一人息子エステバンと一緒に暮らすシングルマザーのマヌエラ(セシリア・ロス)は、マドリードの病院で看護師・移植カウンセラーの仕事をしていた。エステバンはさかんに父親のことを知りたがったが、マヌエラは話そうとはしなかった。  息子が十七歳の誕生日に二人で「欲望という名の電車」を観劇した帰りに、主役の大女優ウマ・ロッホ(マリサ・パでレス)が楽屋から出てきたところに出くわす。エステバンは土砂降りの雨の中、サインをもらおうとウマ・ロッホが乗った車を追いかけたところを横合いから来た車にはねられてしまう。治療の甲斐むなしくエステバンは死んでしまい、彼の心臓はマヌエラ同意のもと、ある地方の中年男性に提供される。  失意のマヌエラは、18年前に暮らしたバルセロナを訪ね、エステバンの父ロラに会おうと思い立つ。バルセロナにやってきてマヌエラは偶然、当時ロラとオカマ仲間のアグラード(アントニア・サンファン)に会ったのだが、ロラはもうバルセロナにはいないということを聞かされる。マヌエラはアグラードを介してソーシャルワーカーとして働いていたロサ(ペネロペ・クルス)という若い女性と知り合い懇意になるが、彼女は妊娠しており、しかも彼女の口から父親はロラだと聞いて愕然とする。ロサは産科で血液検査を受けたところエイズであることが判明する。マヌエラはロサを母親から話したほうがよいと思い、自分のアパートで一緒に暮らし始める。その後、ロラとの再会、ロサの出産と死などを経て、マヌエラはロサの赤子を引き取って育てることを決意する。  豊胸手術を施したオカマの男性と愛し合い子供を儲け一人で育てるという設定がきわめて特殊でどぎついが、それはそれでとてもシリアスな要素が一杯だ。不慮の事故で最愛の一人息子を亡くしてしまったことでの絶望的な悩み、必死で不幸な境遇から抜け出そうともがく姿、昔過ごしたバルセロナに戻りそこでの新たな出会いと旅立ち、など、一人の女性の生きることに対する真摯な姿勢が感動的。

  • 鑑賞日 2012/5/27

    どんな目にあっても生き抜いていく

     独特なペドロ・アルモドバルの世界。  いきなり、目の前で息子が死んでしまう所から、予想外の世界が展開する。

  • 鑑賞日

    この監督の作品は初めて見ましたが、大河ドラマのような内容をこれだけ短時間にまとめて、こえだけゆったりとしたリズムで描写できるなんて凄い。

    オール・アバウト・・・とくれば、だいたい想像できるんですが、予想をはるかに上回る出来でした。それと、せっかくワイドスクリーンならやっぱりビデオではなくて映画館で出会いたかったですね。 ペドロ・アルモドバルはスペインの大御所です。この作品の10年前に『神経衰弱ぎりぎりの女たち』という作品がヴェネチアで注目を浴びています。コメディタッチの映画のようですが、ここでも男女の熱い感情のぶつかり合いで別離が映画の中心にあるような作品でした。 本作『オール・アバウト・マイ・マザー』においても別離とその後の互いの変化について細かく描写されています。スペイン映画に接する機会は少ないのですが、この情熱的な感情のぶつかり合いと、それを克服する強い女性と男性のホモセクシュアリティは日本人としてはわかりにくい面もあるが、心の底を締め付けるような感動をもたらしてくれますね。素晴らしい作品でした。 所詮この世には男女しかいない。しかしその互いの性が一度ずれてしまうとスパイラルに陥ってしまう。親は勝手だ。しかし子供にそれが影響することの辛さ。そして死。この相関関係に難しさを覚える。 日本人的にはまだまだ隔世の念を抱く面もあるが、現実は同じ人間である。愛する者が妻であれ夫であれ、夫婦という関係と性という概念は必ずしも常識を堅持しているものではない。では常識とは何なのだ。夫が女であることを常識とするのか。分かれた夫がホモであることを常識と認めるのか。そのあたりの非常識さが、この映画の見所であり楽しいところでもありますね。

  • 鑑賞日 2013/4/12

    女でよかった!

    女であることの辛さや楽しさ、素晴らしさが全て描かれている。女でよかった! 困難の方が多い物語だけど、スペイン語の軽妙なやり取りがポジティブさを与えてくれる。 演技の中で、演ずること。女であることを演ずること。女優陣の演技に圧巻。 『イヴの総て』や『欲望という名の列車で』など素晴らしい作品がオマージュされていて、監督の感性の深さを感じた。 野原での売春には、びっくりした。あんな感じなのか。

  • 鑑賞日 2012/12/13

    あまり想像できなかったセンスで、面白いエキゾチックさ

    このタイトルを見て「イヴの総て」って映画を思い出したんだけど、冒頭すぐのところでまさにその白黒映画を主人公たちが家のテレビで見ている場面が出てきます。あれは、大女優のところに野心をもった若い女優が近づいてきて、やがてのしあがっていくという映画。 この映画の中で、その後「欲望という名の電車」が繰り返し出てきます。こっち見てないんでちょっと損した感じ。。 ・・・で、その2本のストーリーとパラレルに、この映画の中の時間が進んでいきます。とてもペースの速い映画で、むずかしいわけでも複雑なわけでもないけど、なんていうんでしょう・・・重層的。なんとなく、南米の作家の小説のような、不思議な寓話的な豊かさがありますね。 大きな乳房をもった男、3人のエステバン、臓器移植コーディネイター、舞台女優、ソーシャルワーカー、突然の事故死、と“全部盛り”的。 最後のエンドロールが画面いっぱいに、巨大すぎるフォントでぐわぁっと広がって行くのも、あまり想像できなかったセンスで、面白いエキゾチックさです。「外国語映画賞」をあげたくなる気持ちもわかる、名作というか怪作です。映画を見過ぎた人に、むずがゆいような不思議な面白さを求めている人に、お勧めします。以上。

  • 鑑賞日 2007/7/18

    母親賛歌

    マヌエラは強い。 どんなに苦しいことが起こっても、しっかりと前向きにひたむきに生きていこうとしている。 全て包んで許してしまう、大いなる母の愛。 息子、娘の皆さん!親に感謝しなくてもいいですが、先に逝っちゃダメですよ。 監督さんはゲイらしい。だから作品にそっち系のヒトがよく出てくるのかな。 ゲイのアグラード、イキイキとしててめっちゃキュートだった。 (アグラードは女性が演じている。 体型を考えてみれば当たり前の事なのに鑑賞中はすっかり男の人だと思っていた。すごいなぁ。) この監督の描く母親像って割と好き。スペインのおかあさんってこんな感じなのかなぁ。 母は強い!今回もそう思った。監督はおかあさんが好きなんだと思う。 この映画は母親賛歌なのだ。 ゲイであろうとなかろうと、息子と母の関係って特別なんだと思う。 マザコンだ、なんだというのではなく息子にとって母親って特別な存在。 娘と母親との関係とはちょっと違うみたい。 (私には娘がいないのだけど、自分と自分の母親との関係を考えるとそう思う。)

  • 鑑賞日 2012/9/16

    ドラマチック過ぎだが

    ドラマ性過多なのにちゃんと納得できる物語になってるのがすごい!いつもながら! こってりラテン女子たちも全然見飽きない!

  • 鑑賞日 2010/7/22

    初アルモドバル。たしか見た当初はあんまり面白くなかった。きっかけがあったらもう一度見たい。

  • 鑑賞日

    よく考えると、すごい稀な設定なのに、親子愛という普遍的な愛情をオーソドックスに描いていて、アンバランス感が絶妙な秀作です。アルモドバルの赤の使い方を知らしめた有名作品ですねよ!