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バットマン リターンズ
[PG-12]怪人ペンギンとキャットウーマンの魅力が光る、ティム・バートン監督版の人気シリーズ第2弾
敵役ペンギンとキャットウーマンの“哀しき異形の人”という、ティム・バートン作品ならではの独特なキャラクター造形がますます魅力的に引き立つ!ティム・バートン監督版バットマン第2弾。
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COLUMN/コラム2024.09.20
ティム・バートンが作り上げた、今日まで連なる“アメコミ”ムービーの原点『バットマン』
長らく「子どもの読み物」と揶揄されることが多かった、“アメコミ/アメリカン・コミック”の映画化作品で、最初に大きな成功を収めたのは、リチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴ主演の『スーパーマン』(1978)である。 1938年に生まれた、最古参の“アメコミ”ヒーロー「スーパーマン」を大スクリーンに乗せるこのプロジェクト。脇にマーロン・ブランド、ジーン・ハックマン等々といった大物スターを配した超大作映画として製作され、世界的な大ヒットとなった。 この成功に乗じて、「スーパーマン」と並ぶ「DCコミックス」の人気ヒーロー、「バットマン」を映画化しようという動きも、早速起こる。マイケル・E・ウスランとベンジャミン・メルニカーという2人のプロデューサーが、79年に「DC」から、その権利を買い取ったのである。 当初は『スーパーマン』のシナリオを書いたトム・マンキーウィッツが雇われたが、脚本化は不調に終わる。結局「バットマン」が、実際にその雄姿をスクリーンに躍らせるまでには、それから10年もの歳月を要することになった。 81年、この企画の軸となるプロデューサーが、ピーター・グーバーとジョン・ピーターズへと移る。2人はワーナー・ブラザース映画と契約を結び、製作費1,500万㌦でこの企画を進めることとなった。この予算は83年には、倍の3,000万㌦にまで膨らむ。 そうした中で、新たな脚本家が、雇われては消え雇われては消え…。その数は10人に達したという。 また監督としては、ジョー・ダンテやアイヴァン・ライトマンなどが取り沙汰された。しかしこちらも、なかなか正式決定には至らなかった。 ティム・バートンの名が挙がったのは、長編初監督作品だった『ピーウィーの大冒険』(85/日本では劇場未公開)の成功を受けてのこと。ちょうどその次作である『ビートルジュース』(88)をワーナーの撮影所で準備中だったバートンと会った、プロデューサーのピーターズは、「バットマン」の映画化に対するバートンの情熱と考え方を聞いて、1958年生まれでまだ20代だった彼を、最有力候補とした。 “オタク”出身の代表的な監督のように言われるバートンだが、実は“アメコミ”に夢中になったことは、ほとんどなかった。そんな中で「バットマン」は、バートンが共感できる、ただ1人のコミック・ヒーローだったという。「バットマン」の主人公は、表では大富豪で著名な慈善家であるブルース・ウェインだが、裏では日々“自警活動”で悪を制裁するバットマンであるという、2つの人格を持つ複雑なキャラクター。こうした点に強く惹かれた少年時代のバートンは、アダム・ウェスト主演のTVシリーズ「怪鳥人間バットマン」(66~68)を観るために、放送日は大急ぎで学校から帰宅したという。 また80年代に刊行された、「バットマン」をシリアスでダークな存在として描く、2つのシリーズものコミックには、強く影響を受けた。フランク・ミラーの「ダークナイト・リターンズ」(86)、アラン・ムーアの「ザ・キリング・ジョーク」(88)である。 これらの作品でも描かれる通り、バートンは、ヒーローである“バットマン”と、シリーズを通じて最強のヴィランである“ジョーカー”は、「ワンセット」で、「この2人は基本的に2つのおとぎ話。光と影」であると考えた。そしてそうした解釈に基づいて、「バットマン」の“映画化”にチャレンジしようと決めたのである。 しかし39年の初登場以来、半世紀もの間、大きな人気を得てきた“アメコミ”ヒーローを映画化するには、並大抵ではない覚悟が要る。 バートンは、78年にサンディエゴで開かれたコミコンに参加した際、ショッキングな光景を目の当たりにしていた。公開前の『スーパーマン』について、雄弁に語るリチャード・ドナー監督に対し、熱狂的なファンが、「あんたたちが伝説をぶち壊しにしてるとみんなに言いふらしてやる!」と罵声を浴びせたのである。しかもそれに対し、場内は割れんばかりの拍手喝采で沸きあがった。 そんな体験もあって、「バットマン」の映画化に挑むのは、イコールで「途方もない問題を抱え込むことになる」ことに、自覚的にならざるを得なかった。その上で、あくまでも自分の発想に忠実な映画を作ろうという、決意を固めたのであった。 バートンは、それまでに書かれたシナリオはすべて却下し、ジェリー・ヒックソンによる31頁の準備稿に基づいた新たなシナリオの執筆を、サム・ハムに依頼。『ビートルジュース』製作中にも拘わらず、週末にはハムと会って、脚本についての話し合いを進めたという。 しかしながらこの時点ではまだ、ティム・バートンを監督に据えることに、ワーナー・ブラザースは正式にはOKを出してしていなかった。88年3月、『ビートルジュース』が公開され、予想を超える大ヒットとなった時点で、ようやくGOサインとなったのである。 そしてその年の暮れ、本作『バットマン』(89)は、クランクイン。メインの撮影地は、イギリスのパインウッド・スタジオで、その95エーカーの用地と18のサウンドステージを駆使して、舞台となるゴッサム・シティが建造された。製作費は、3,500万㌦となっていた。 ***** 暴力がはびこる大都市ゴッサム・シティ。しかしこの街のギャングたちの間で、ある噂が囁かれていた。犯罪現場には巨大な蝙蝠の装いをした“バットマン”が現れ、犯罪者たちに制裁を加えては去っていくと…。 その噂を信じて取材を続ける新聞記者ノックスと女性カメラマンのヴィッキー・ベールは、調査の過程で大富豪のブルース・ウェインと出会う。ヴィッキーは謎めいたウェインの佇まいに惹かれるが、孤独な影を持つウェインは、彼女になかなか心を開けない。ヴィッキーが追う“バットマン”の正体が自分であることも、もちろん明かせなかった。 一方でゴッサムの裏社会を仕切るグリソムの右腕ジャック・ネーピアは、ボスの愛人に手を出したことがバレて、罠にハメられる。化学工場で警官隊に追い詰められたジャックの前に、“バットマン”が出現。ジャックは“バットマン”を拳銃で撃つが、強力なバットスーツに跳ね返され、逆に化学薬品のタンクへと突き落とされる。 警察の手を免れて、逃げおおせたジャック。しかし化学薬品の作用で肌は真っ白となり、顔面は極端に引きつった笑い顔に固定され、まるでトランプのジョーカーのようになってしまう。 ジャックは、自ら“ジョーカー”を名乗る。そして、グリソムをはじめ、暗黒街の大物を、次々と血祭りに上げる。 “ジョーカー”は恐るべき犯罪で街を支配。「市政200年記念祭」を乗っ取り “バットマン”に果たし状を叩きつける。ウェインは、“ジョーカー”との過去の因縁に気付き、復讐心を燃やしながら、対決に臨む…。 ***** “バットマン”役の候補となったのは、チャーリー・シーンやメル・ギブソン、ピアース・ブロスナンなど。しかしバートンは、いかにも“ヒーロー”然とした俳優を起用する気は、端からなかった。 “バットマン”が、例えばアーノルド・シュワルツェネッガーのような体格だったとしたら、それを隠すためのスーツなど着る必要はあるまい。バットスーツは、身体を保護するだけでなく、心を守る鎧でもある。そしてその外見に隠された、“人間性”を表せる俳優を求めた。 バートンが最初に思いついたのは、ビル・マーレイ。しかしプロデューサーのピーターズから、別の俳優を提案されると、即座にそちらに切り替えた。それは前作『ビートルジュース』で組んだばかりの、マイケル・キートンだった。 キートンならば、“バットマン”のマスクから覗く眼で、“狂気”を表現してくれるに違いない!彼の身長が175㌢で、筋骨隆々とは遠かったのも、ポイントが高かった。 しかし『ビートルジュース』以前は、『ラブ IN ニューヨーク』(82)や『ミスター・マム』(83)などで“コメディアン”としての印象が強かったキートンの抜擢には、ある意味想定通りのリアクションが起こった。従来の「バットマン」ファンから、ブーイングの嵐が寄せられたのだ。 キートンは原作のようにはアゴが尖ってない上、頭髪も薄いし背も高くない。コミックに引っ掛けて、これこそ究極の「キリング・ジョーク」だなどと嘲られ、抗議の手紙が5万通以上も届いたという。 一方“ジョーカー”役には、クリスチャン・スレイター、デヴィッド・ボウイ、ウィレム・デフォー、ロビン・ウィリアムズなどの名も挙がったが、ジャック・ニコルソンこそ“ジョーカー”に相応しいという声が、当初から高かった。スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(80)で彼が演じた、狂気に陥る主人公とイメージが重なるのも、大きかったと見られる。実際バートンも、ニコルソン以外の“ジョーカー”を考えたことはなかったという。 ニコルソンのギャラは、製作費の6分の1以上を占める600万㌦に加えて、興行収入からの歩合。その上で、仕事時間を自分で決められるという条件付きだった。 監督のバートンを何よりも悩ませたのが、クランク・イン直前になっても出来上がらない、“脚本”だった。固まってないシークセンスが山のようにある中で、ワーナーが土壇場で脚本を書き直すと決定。エンディングは、何度もリライトされることとなった。 因みに脚本の初期段階では、コミックやTVシリーズではお馴染みの、バットマンの相棒ロビンも登場したという。配役としては、エディ・マーフィが候補だったというが、混乱の中でいつしかその存在は消えていった。 撮影開始2日前に、ヴィッキー・ベール役に決まっていたショーン・ヤングが、落馬して鎖骨を折り、出演不能になった。そこで急遽、代役としてキム・ベイシンガーがキャスティングされた(ショーン・ヤングは本作の続編『バットマン リターンズ』(92)で、ヴィランの“キャットウーマン”役を巡ってトラブルを起こすのだが、それはまた別の話)。 クランクイン後にバートンを大混乱に陥れたのは、何と、プロデューサーのジョン・ピーターズだった。撮影現場を訪れては、勝手に脚本の改訂やスタッフの解雇を繰り返すという暴挙に出たのである。 本作クライマックスで、“ジョーカー”はヴィッキー・ベールを人質に取って、鐘楼を上がっていく。この撮影の際ニコルソンがバートンに、「どうして私は階段を上がらなければならないんだ?」と尋ねる一幕があった。それに対してバートンは、「どうしてかな…。とにかく上がってくれ。そこで話し合おう」としか答えられなかったという。 とはいえニコルソンは、バートンに対して寛大な態度を守った。撮影中は、「君の必要としているもの、望んでるものを手に入れろ。そしてただ進み続けるんだ」と、励まし続けた。稀代の名優ニコルソンが、毎日2時間のメイク時間を経て現場に臨むと、6回の演技で6通りの異常者を演じてみせた。バートンはニコルソンに対し、リスペクトの念を強く抱いた。 ・『バットマン』撮影中のティム・バートン監督(左)とジャック・ニコルソン(右) マイケル・キートンに対しては先に記した通り、外部からのプレッシャーが大きかったが、それとは別の意味で、現場では悪戦苦闘の連続だった。基本的に彼は即興的な演技を得意としてきたのに、内向的な役柄とバットスーツで、それらを封印せざるを得なかったからだ。しかもシナリオが絶えず書き換えられ、撮影現場のムードは、ただただ重苦しかったという。「孤独」を強く感じたというキートンは、結果的にそれが“バットマン=ブルース・ウェイン”というキャラを演じる上で「幸いした」と後に述懐している。しかし撮影中はそんな考えに至るわけもなく、何とか眠れるように、「へとへとになるまで夜のロンドンを走った」のだという。 こうしたバートンやキートンの“悪戦苦闘”は、89年6月に本作が公開になると、空前の大ヒットという形で報われた。アメリカでの興収は10日間で1億㌦を超えた初めての映画となり、最終的な興行成績も、当時としては史上5番目にまで達した。 この作品以降、“アメコミ”出身のキャラクターでも、その性格を“人間ドラマ”として重層的に描くことが、「当たり前」となった。その流れは、それから35年経って、“アメコミ”映画が隆盛を極める今日まで続く。 さてバートンはと言うと、映画会社が当然のように望んだ、本作の続編にすぐに取り掛かることはなかった。大ヒットこそしたものの、自分の思い通りにいかなかった本作の内容に、大きな不満が残ったからである。 結局バートンが再びマイケル・キートンを主役に、『バットマン リターンズ』に臨んだのは、本作の3年後。その際は本作の体験に懲りて、要らぬ口出しをハネつけられるように、自ら製作にも当たった。そしてその後は多くの監督作品で、プロデューサーを兼ねるようになったのである。■ 『バットマン』BATMAN and all related characters and elements are TM and © of DC Comics. © 1989 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
バットマン フォーエヴァー
スタッフ・キャストを一新し娯楽性をアップ!バットマンの相棒、ロビンが初登場した人気シリーズ第3弾
監督がジョエル・シューマカーに替わり、ダーク・テイスト漂う前2作とは異なるド派手アクション路線に。2代目バットマンにヴァル・キルマー、怪人役トミー・リー・ジョーンズ&ジム・キャリーなどキャストも豪華。
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COLUMN/コラム2024.09.06
主役は神に遣わされた“名無しの男”。イーストウッド1980年代唯一の西部劇『ペイルライダー』
「私たちのオリジナルと呼べるようなアメリカ固有の芸術形式はほとんどないと言っていい。たいていはヨーロッパから来たものばかりだ。わずかに例外と言えるのが西部劇とジャズまたはブルースだ」 これは1985年、本作『ペイルライダー』公開を前に、インタビューに応えた際の、クリント・イーストウッドの言。ヨーロッパ文化へのリスペクトと同時に、TVの西部劇シリーズ「ローハイド」(1959~65)で注目を集める存在となり、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』(64)『夕陽のガンマン』(65)『続・夕陽のガンマン』(66)の“ドル箱3部作”を機に、“映画スター”の座に就いたイーストウッドの、“自負心”が伝わってくる。『ペイルライダー』は、イーストウッドにとっては、『アウトロー』(76)以来9年振りの西部劇にして、11本目の監督作品。そして結果的には、彼が80年代に撮った、唯一の西部劇となった。 この企画は、『アウトロー』公開から間を置かない、1977年頃から始まっていた。発案は、イーストウッドが監督・主演した刑事アクション『ガントレット』(77)の脚本を書いた、マイケル・バトラーとデニス・シュリアック。日頃から「西部劇が好き」と言っていたこの2人と、イーストウッドはネタ出しを行うことにした。 そのプロセスで、脚本家2人がゴールドラッシュの時代について調査を進めると、鉱夫たちと強力な独占企業の間で対立があったことがわかった。そしてこの事実を手がかりに、本作の前身となる、最初の脚本ができたのだという。 しかしこの企画は暫し、引出しの中で眠ることになる。当時イーストウッド付きだったプロデューサーのフリッツ・マーネイズ曰く、「…ウエスタンに客が入らない時代だし、これより凄いウエスタンが現れて、先を越される心配もなかったから、少し様子を見ようということになった…」。 そうこうする内に1980年、ハリウッドを震撼させる“大事件”が起きる。騒動の主役は、かつてイーストウッド主演の『サンダーボルト』(74)で監督デビュー後、『ディア・ハンター』(78)でアカデミー賞作品賞・監督賞を獲得したマイケル・チミノ。彼が鳴り物入りで完成させた超大作西部劇『天国の門』(80)が、大コケ。製作したユナイテッド・アーティスツが、経営危機に追い込まれてしまったのである。 新たな西部劇を作るタイミングは、益々遠のく。しかし1984年になって、ある晴れた日、イーストウッドはふと思った。「西部劇が見たいな」と。 イーストウッドの作る映画のすべてには、共通する規則があるという。それは、「自分がスクリーンで見たいと思ったものを作る」ということだった。また、すごく魅力的に思える脚本があって、テーマがはっきりと掴めている場合、「他の人にそれを説明するのがめんどう」だと、彼は迷わず自らが監督することを決めるのだという。「機を見るに敏」という言葉があるが、イーストウッドの場合は、「機を待つに敏」とでも言うべきか?彼は眠っていた脚本を引っ張り出して、本作『ペイルライダー』の映画化に取り掛かった。 ***** ゴールド・ラッシュ時代のカリフォルニア、カーボン峡谷。鉱夫たちとその家族が居を構え、金の採掘に挑んでいるが、周辺一帯を仕切り、この峡谷の採掘権も得ようとするラフッド(演:リチャード・ダイサート)の一派の嫌がらせが続いている。 15歳の少女ミーガン(演:シドニー・ペニー)は、母のサラ(演:キャリー・スノッドグレス)と暮らしていたが、ラフッドの手下に愛犬を撃ち殺されてしまう。神に祈りを捧げ、救いを願うミーガン…。 峡谷のリーダー的存在であるハル(演: マイケル・モリアーティ)は、町に物資の調達に出向いた際、ラフッドの手下たちに、襲われる。しかしその場に、見知らぬよそ者の男(演:クリント・イーストウッド)が現れ、鮮やかな手際で、手下たちを叩きのめす。危機を救われたハルは、白馬に乗って去ろうとする男を、自分たちの集落へと誘う。 ミーガンはその男を、“神の使い”だと直感する。ならず者と夕食を共にしたくないと反発したサラも、男が牧師=プリーチャーの服装をしているのを見て、態度を一変する。 “プリーチャー”と呼ばれるようになった男は、お礼参りにやってきた、ラフッドの息子ジョッシュ(演:クリストファー・ペン)と、連れの大男(演:リチャード・ギール)も、軽く一蹴。集落から頼りにされる存在となる。 プリーチャーを懐柔し、集落を買収しようとしたラフッドだったが、交渉は決裂。連邦保安官を務めながら悪名高い、ストックバーン(演:ジョン・ラッセル)とその副官たちを呼び寄せ、一気に蹴りをつけようとする。 ストックバーンの名を聞いて表情をこわばらせたプリーチャーは、一旦峡谷から姿を消す。そして拳銃を携えて、戻ってくる…。 ***** “ドル箱3部作”で演じた“名無しの男”以来、イーストウッドの十八番とも言える、一匹狼の流れ者。本作でもヒゲをたくわえ、目を鋭く光らせるという、お馴染みのスタイルである。 しかし先に記した“ネタ出し“に於いて、聖書の話との対比を広げてゆく内に、イーストウッドの意向として、「…超自然的側面を少しばかり強調してしまうことになった」という。 少女ミーガンが、救いを求める祈りとして暗唱するのは、聖書の中の黙示録第4章。 ~そこで見ていると、見よ、蒼白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者(ペイルライダー)の名は“死”と言い、それに黄泉が従っていた~ イーストウッド曰く、それは「…一種の大天使、神話的人物…」。そして彼が演じる“プリーチャー”は、白い馬に乗って現れることとなった。 “プリーチャー”が着替える際、ハルがその背中に、6つの弾痕があるのを目撃する。イーストウッドは脚本家たちに“プリーチャー”が、「敵役の保安官と過去に関わりがあったようにする方がいい」との示唆もした。それによって“プリーチャー”のキャラクターに奥行が出て、黙示録の騎士というイメージにもぴったり合うという考えだった。 以前から、聖書の話の神話性と西部劇のつながりに、「興味があった」というイーストウッド。本作にそうした側面を盛り込むことによって、今まで沢山の西部劇を観てきた観客が、本作は「一味違う」と感じることを望んだ。その一方でそうした観客が好む、「ノスタルジックなところ」も併せ持つようにすることも忘れなかった。 流れ者が、世話になった一家を救い、殺し屋たちを倒して去って行くストーリーの構造。これはまさに、ジョージ・スティーヴンス監督、アラン・ラッド主演の名作西部劇『シェーン』(53)へのオマージュと言える。 本作のキャスティングで特徴的、というかイーストウッドらしいのは、“プリーチャー”の出現を好ましく思わなかったのに、やがて愛してしまうサラ役に、キャリー・スノッドグレスを起用したこと。イーストウッド曰く、「ジェシカ・ラングやサリー・フィールドやシシー・スパイセクだけが女優じゃない。彼女たちに負けないぐらい才能がある女優が、そこいら中にいる」 本作から40年近く経った今となってはピンと来ないかも知れないが、要はハリウッドが、「今いちばん人気がある俳優ばかり追い回している」ことへの批判である。スノッドグレスのような、「名前を知られていなくても腕のある俳優」を起用するのが、イーストウッド流というわけである。 因みに本作に起用されたことに小躍りしたのは、悪役であるラフッドの息子を演じた、クリストファー・ペン。ショーン・ペンの弟で、当時売り出し中の若手俳優だったが、子どもの頃から西部劇に出たいと思っていた彼にとって、出演作を全部観るほどファンだったイーストウッドとの共演は、まさに夢の実現。憧れの西部劇ヒーローである“名無しの男”に対し、「この町を出ていけ」というセリフを吐くのは、至福の体験だったのである。 撮影は、1984年9月にスタート。アイダホ州サンヴァレーを中心にロケ撮影を行い、イーストウッド流早撮りで、40日足らずでクランク・アップとなった。 80年代中盤は、映画作家としてのイーストウッドの評価が、フランスなどヨーロッパで高いものになりつつあった頃。本作は85年の「カンヌ国際映画祭」の“監督週間”に出品され、大評判となった。『ペイルライダー』は、やはりイーストウッドの監督・主演作である『荒野のストレンジャー』(73)と表裏一体の作品という解釈が、広く為された。『荒野の…』主人公が、死霊≒悪魔を象徴するキャラクターであるのに対し、本作の“プリーチャー”は、神に遣わされた復讐者ということからである。 本国アメリカでは、その年の6月に公開。10日間で2,150万㌦を売り上げ、最終的には興収4,000万㌦を突破する大ヒットとなった。 実は本作に取り掛かる頃、イーストウッドの元には、もう1本西部劇の脚本が届いていた。その中味を気に入ったイーストウッドは、映画化権を取得したが、『ペイルライダー』の製作を優先したため、そちらは一旦ペンディングとなった。 それが日の目を見たのは、7年後の92年。それまで無縁だった、アカデミー賞の作品賞・監督賞をイーストウッドにもたらした、『許されざる者』である。1930年生まれの彼がその主役、足を洗った老齢のガンマンを演じるのに適した、60代になってからの映画化だった。 イーストウッドはまさに、「機を待つに敏」な男である。■ 『ペイルライダー』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲
アーノルド・シュワルツェネッガーが久々の悪役になって登場!ヒーロー・アクション満載のシリーズ第4弾
シュワルツェネッガーが『ターミネーター』以来13年ぶりの悪役に。色男ジョージ・クルーニー演じる3代目バットマンの仲間にバットガールが加わって、前作以上にド派手な個性的キャラクターが大活躍。
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COLUMN/コラム2024.09.04
下らなくてバカバカしいけど憎めない!今なお世界中(?)で愛されるキラートマト軍団の魅力に迫る!『アタック・オブ・ザ・キラートマト』
‘70年代のパロディ映画ブームが生んだ珍作 映画史上屈指の駄作として名高いZ級モンスター映画である。ある日突然、トマトが人間を襲い始めて全米がパニックに陥るというあまりにも下らないストーリー、アマチュアの自主制作映画とほぼ変わらないレベルの貧相で安っぽいビジュアル(なんと、予算はたったの10万ドル!)、見た目も演技力も素人丸出しの役者たちによるショボい芝居(実際にキャストの大半は素人の一般人)などなど、お世辞にも出来の良い映画とは言えないものの、しかしその屈託のないバカバカしさはなんだか妙に憎めないし、古き良き時代のモンスター映画にオマージュを捧げた頭の悪いギャグの数々も嫌いになれない。体に悪いと分かってはいても、ついつい手が出てしまうジャンク・フードみたいな映画。本作が今もなお、世界中でカルト的な人気を誇っている理由はそこにあると言えよう。 とある民家のキッチンで主婦が他殺体で発見され、捜査を担当する刑事たちは遺体に付着した赤い液体がトマトジュースだと知って困惑する。この日を境に、全米各地でトマトが罪のない人々を襲うという凄惨(?)な事件が多発。この異常事態を受け、ペンタゴンでは軍部が科学者を交えて対抗策「アンチ・トマト計画」を急ピッチで進める一方、ワシントンでは諜報部のトップ・エージェント、メイソン・ディクソン(デヴィッド・ミラー)や落下傘部隊出身のウィルバー・フィンレター(スティーブン・ピース)ら特殊部隊が、トマトたちの暴走を食い止めるために動き始める。 さらに、大統領の命を受けたホワイトハウス報道官ジム・リチャードソン(ジョージ・ウィルソン)も国民のパニックを防ぐべくプロパガンダ戦略を練り、政府の動きを察知した女性新聞記者ロイス・フェアチャイルド(シャロン・テイラー)がディクソンらの行動を追跡。だが、そうこうしているうちに狂暴化したトマトたちは巨大モンスターへと進化を遂げ、いよいよ軍が出動せねばならない事態となってしまう…! というのが大まかなあらすじ。古いB級特撮モンスター映画にありがちなプロットのパロディである。軍隊マーチ風の勇壮なサウンドに乗って「キラートマトが襲ってくる!キラートマトが襲ってくる!」と謳いあげるオープニングのテーマ曲からしてバカ丸出し(笑)。クレジットや本編の随所にサニー・ヴェール家具店なるショップの広告テロップ(昔のアメリカのテレビではこういうテロップCMが多かった)が流れたり、『北北西に進路を取れ』(’59)や『ジョーズ』(’75)など名作映画のパロディがあちこちで唐突にぶち込まれたり、そうかと思えば前触れもなく突然ミュージカルが始まったりする。この脈絡のなさときたら!あくまでも、ストーリーは映画としての体裁を整えるための建前みたいなもので、基本的には中学生レベルの下らない一発ギャグを適当に繋げているだけだ。 ちょうど’70年代当時は『ヤング・フランケンシュタイン』(’74)や『新サイコ』(’77)といったメル・ブルックス監督のウルトラ・ナンセンスなパロディ映画が大流行し、その人気に便乗して『名探偵登場』(’76)や『弾丸特急ジェット・バス』(’76)など似たようなパロディ映画が続々と登場した。本作も恐らくそのトレンドに乗って作られたと思うのだが、しかしどこまでも徹底した下らなさと意味のなさは、後のジム・エイブラハムズとザッカー兄弟による『フライングハイ!』(’80)シリーズや『トップ・シークレット』(’84)を先駆けていたとも言えよう。そこにはストーリーテリングの妙だとか、ユーモアに込められたメッセージだとかは一切なし。次から次へとバカバカしいギャグが繰り出されていくだけだ。そういう意味では、ケン・シャピロ監督の『ドムドム・ビジョン』(’74)とかジョン・ランディス監督の『ケンタッキー・フライド・ムービー』(’77)辺りと同列に語られるべき作品かもしれない。 元ネタになった日本映画とは…!? そんな本作を生み出したのは、監督・製作・脚本・編集を手掛けたジョン・デ・ベロ、製作・脚本・第二班撮影・出演(ウィルバー・フィンレター役)を兼ねるスティーブン・ピース、そして原案・脚本・助監督を務めたコンスタンチン・ディロンの3人である。彼らはいずれもカリフォルニア州のサンディエゴ出身で、高校時代から仲良しの映画仲間だった。これに大学で知り合ったマイケル・グラントが加わって4人組となった彼らは、学生映画集団「フォー・スクエア・プロダクションズ」を結成。この時期に『アタック・オブ・ザ・キラートマト』の原点となった自主制作映画を撮っている。それが8ミリフィルムで撮影された短編映画『Attack of the Killer Tomatoes』と『Gone with the Babusuland』の2本だ。 ある日突然、トマトが人間を襲い始めて全米が大パニックになるという基本プロットは長編版と全く同じで、なおかつソックリなシーンも多々あるのがオリジナル短編版『Attack of the Killer Tomatoes』。一方の『Gone with the Babusuland』は、FBIをもじった諜報機関FIA(連邦情報局)の捜査官マット・デリンジャー(まだ細くてイケメンだったデヴィッド・ミラー)と落下傘兵ウィルバー(当時も変わらずアクの強いスティーブン・ピース)の活躍を描いたジェームズ・ボンド風のスパイ・パロディ映画で、これが『アタック・オブ・ザ・キラートマト』におけるディクソン&フィンレターのコンビの元ネタとなったのである。 ちなみに、本編の冒頭テロップでヒッチコックの名作『鳥』(’63)に触れていることから、同作をヒントにした作品ではないかと思われがちだが、実はジョン・デ・ベロ監督らが高校時代にテレビで見た、とある日本の特撮モンスター映画が企画の元ネタになっているという。デ・ベロ監督が「素晴らしいくらい出来の悪い日本のホラー映画」と呼ぶその作品は、他でもない本多猪四郎監督による東宝特撮映画の名作『マタンゴ』(’63)!放射能に汚染されたキノコを食べてしまった人間が、世にも恐ろしいキノコ人間「マタンゴ」となって人間を襲うというお話だ。まあ、確かにプロット自体はバカバカしいかもしれないが、しかし極限状態に置かれた人間の怖さを徹底したリアリズムで描いた脚本の出来は素晴らしく、今ではカルト映画として世界中に熱狂的なファンがいる。 なので、なんだとぉ~!『マタンゴ』が出来の悪い映画とは何事だ!この不届き者め!と文句のひとつでも言いたくなるってもんだが、まあ、仕方あるまい。映画の感想は人それぞれである。しかも、テレビで見たということは、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが配給した英語吹替のトリミング&短縮版である。恐らく安っぽく見えてしまったのだろう。本作に登場する日本人科学者フジ・ノキタファ博士の声だけがアフレコで、なおかつ口の動きとセリフが全く合っていないというのは、かつてアメリカの深夜テレビ放送やドライブイン・シアターを賑わせた、日本製B級娯楽映画の英語吹替版の低クオリティを揶揄したジョークだ。 閑話休題。その『マタンゴ』よりも下らなくてバカバカしい映画を作ろう、ということで生まれたのが、野菜のトマトが人間を襲って食い殺すという珍妙なコンセプト。ただし『マタンゴ』と大きく違ったのは、そこに社会風刺や文明批判などのメッセージを込めるつもりなど、デ・ベロ監督たちには初めからこれっぽっちもなかったことであろう(笑)。 さて、大学を卒業後に「フォー・スクエア・プロダクションズ」を正式な会社とし、主に産業映画やスポーツ映画、テレビ・コマーシャルなどを作っていたデ・ベロ監督たち。その傍らで劇場用映画への進出を模索していた彼らは、大学時代に作った短編映画『Attack of the Killer Tomatoes』と『Gone with the Babusuland』の2本をひとつにまとめてリメイクすることを思いつく。それがこの『アタック・オブ・ザ・キラートマト』だったというわけだ。 劇中のヘリ墜落シーンは本物の事故だった! 友人・知人などから借金してかき集めた予算はたったの10万ドル。キャストやスタッフの大半は学生時代からの映画仲間や家族、親戚、隣人で固め、撮影も全て地元サンディエゴで行った。学生時代の短編版で特撮を担当したマイケル・グラントは、会社の「本業」であるCM制作などのために不参加。一応、客寄せのために有名人キャストも起用されたが、当時テレビの人気シットコム『The Bob Newhart Show』(‘72~’78・日本未放送)で全米に親しまれた喜劇俳優ジャック・ライリー(保安官役)と、映画『ポーキーズ』(’81)シリーズの校長先生役でも知られる名バイプレイヤー、エリック・クリスマス(ポーク上院議員役)の2人のみ。そのジャック・ライリーは「どうせ誰も見ない映画だから、小遣い稼ぎに出とけ」とエージェントから薦められて出演したらしいが、結果としてテレビのニュース番組で大々的に報じられることとなってしまった。どういうことかというと、撮影現場で彼の乗ったヘリコプターが墜落事故を起こしてしまったのだ。 そう、劇中に出てくるヘリコプターの墜落シーンは、なんと「演出」ではなく「ガチ」。本来はパトカーの横にヘリを着陸させるつもりだったが、タイミングを間違えたパイロットが慌てたせいで操縦を誤り、尾部ローターが地面に触れて墜落してしまったのである。乗っていたジャック・ライリーと報道官リチャードソン役のジョージ・ウィルソン、パイロットの3人は奇跡的に無事。この予想外の出来事に監督も撮影監督もビックリ仰天し、思わず撮影を止めてしまったのだが、しかし第2班カメラマンを務めていたスティーブン・ピースだけはカメラを回し続け、ヘリが墜落する様子もライリーたちが脱出する様子も撮影していた。当然、一歩間違えれば死者も出かねなかった事故はテレビのニュースで報道され、無事に生還したライリーは国民的人気トーク番組「トゥナイト・ショー」に招かれ、本来なら出たことを秘密にしておきたかった映画について話す羽目に(笑)。そして、そのライリーが「どうせなら事故映像を本編でそのまま使ったら面白いのでは?」と監督に助言したことから、劇中の迫力満点(?)なヘリ墜落シーンが出来上がったのである。 また、劇中で人気アイドル歌手ロニー・デズモンドの最新ヒット曲として紹介される挿入歌「思春期の恋」にも要注目。実在しない架空の歌手ロニー・デズモンドは、’70年代のアメリカで国民的な人気を誇っていたアイドル歌手ダニー・オズモンドが元ネタで、「思春期の恋」は当時量産されていたティーン向けバブルガム・ポップスを小バカにしたパロディだったという。で、その「思春期の恋」を実際に歌っている歌手としてクレジットされているフー・キャメロンは、当時地元サンディエゴの高校生だった少年マット・キャメロンの偽名。後にロックバンド、サウンドガーデンのドラマーとして高く評価され、さらに’98年以降はパール・ジャムのメンバーとしても活躍、ロックンロールの殿堂入りも果たした大物ミュージシャンである。 そういえば、後に有名になった人物はもう一人。海水浴に興じる若者たちがトマトに襲われる『ジョーズ』のパロディ・シーンで、ヨットに乗っている幼い少年にどこか見覚えがあると思ったら、後にテレビドラマ『ツイン・ピークス』(‘90~’91)のボビー役で有名になる俳優ダナ・アシュブルックだった。彼もまたサンディエゴの出身で、当時はまだ10歳の小学生。その後、テレビドラマのゲストを幾つもこなした彼は、『バタリアン2』(’88)や『ワックスワーク』(’88)などのB級ホラー映画でカルト的な人気を得ることになる。 劇場公開時は各メディアでケチョンケチョンに酷評され、興行的にも決して大成功とは言えなかったという本作。しかし『ロッキー・ホラー・ショー』(’75)との二本立て上映が全米各地で好評を博すなど、いつしか口コミで評判が広まっていき、やがてカルト映画として熱狂的なファンを獲得することになった。デ・ベロ監督らフォー・スクエア・プロダクションズの面々は、これを足掛かりとしてハリウッド進出を図り、人気コメディアンを多数起用したコメディ映画『大爆笑!ビール戦争/ぷっつんU.S.A.』(’86)を発表するも残念ながら失敗。一方、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』は’86年に初めてビデオゲーム化され、さらにはジム・ヘンソン製作の人気テレビ・アニメ『Muppet Babies』(‘84~’91・日本未放送)にキラートマトが登場するなど、カルト映画としての評価と知名度はどんどん高まっていく。そこへ転がり込んだのが、ニューワールド・ピクチャーズによる続編映画のオファーだった。 当初からシリーズ化するつもりなど全くなかったというデ・ベロ監督たち。しかし、当時のハリウッドではB級ホラー映画のフランチャイズ化がブームで、ニューワールド・ピクチャーズも『クリープショー2/怨霊』(’87)や『ガバリン2 タイムトラぶラー』(’87)に続く続編物の企画を探しており、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』に白羽の矢が立てられたのだ。提示された条件が良かったため引き受けたというデ・ベロ監督曰く、「なるべく出来の悪い映画を作ってくれと映画会社から指示されたのは、恐らくハリウッド映画の歴史上で僕らが初めてだろう」とのこと(笑)。かくして完成したジョージ・クルーニー主演(!)の第2弾『リターン・オブ・ザ・キラートマト』(’88)はスマッシュヒットを記録し、さらなる続編『キラートマト/決戦は金曜日』(’90)と『キラートマト 赤いトマトソースの伝説』(’91)も矢継ぎ早に登場。さらに、フィンレターの甥っ子チャドを主人公にしたテレビ・アニメ『Attack of the Killer Tomatoes』(‘90~’91・日本未放送)やコミック版(’08年出版)、ノベライズ版(’23年出版)も作られるなど、今なお根強い人気を誇っている。■ 『アタック・オブ・ザ・キラートマト』© 1978 KILLER TOMATO ENTERTAINMENT
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PROGRAM/放送作品
さまよう魂たち
[PG-12]マイケル・J・フォックスが死神とバトル!ピーター・ジャクソン監督がおくるホラーコメディ
ピーター・ジャクソン監督のハリウッドデビュー作。ロバート・ゼメキスが製作総指揮を務め、ジャクソン監督作らしい恐怖世界に絶妙なユーモアをブレンドしている。マイケル・J・フォックスのコミカルな魅力も光る。
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COLUMN/コラム2024.09.02
‘70年代アメリカ西海岸の甘酸っぱい青春を描いた珠玉の名作『リコリス・ピザ』の見どころを深掘り解説!
『ブギーナイツ』(’97)や『マグノリア』(’99)、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(’05)などで世界中の映画賞を席巻してきた鬼才ポール・トーマス・アンダーソンが、’70年代前半のロサンゼルスを舞台に、世渡り上手な男子高校生と10歳年上の不器用な女性のロマンスを瑞々しいタッチで描いた珠玉の青春映画である。 基本はいたって単純かつ古典的なボーイ・ミーツ・ガールのラブストーリー。とりとめのない日常的なエピソードを繋ぎ合わせつつ、そこかしこに実在の人物および実在の人物をモデルにした人物、実在したレストランやショップなどが次々と登場し、’70年代当時のトレンドやカルチャー、社会情勢が全編に渡って散りばめられている。いわば、虚実入り交じった古き良きロサンゼルスへの甘酸っぱいラブレター。さながらポール・トーマス・アンダーソン版『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』である。もちろん詳しい知識がなくとも十分に楽しめるとは思うが、しかし背景事情を知っていればより一層のこと興味深く鑑賞することが出来るはず。そこで今回は、全体のストーリーの流れに沿いながら、本作を楽しむうえで注目すべきトリビアについて解説していきたい。 主人公ゲイリーとアラナの実在モデルとは? 主な舞台となるのはロサンゼルスのサンフェルナンド・バレー。ハリウッドの北北西に位置するこの地域にはワーナーやユニバーサル、ディズニー、CBSにNBCなど映画&テレビの撮影スタジオが林立し、古くから映画スターやハリウッド関係者が大勢住んでいる。本作のポール・トーマス・アンダーソン監督もそのひとり。しかも、父親が有名なテレビ司会者だった彼にとって、サンフェルナンド・バレーは自身が生まれ育った故郷でもある。代表作の『ブギーナイツ』も『マグノリア』も『パンチドランク・ラブ』(’02)も舞台はサンフェルナンド・バレーだった。それくらい特別な思い入れのある土地の、自身が実際に少年時代を過ごした’70年代の景色を鮮やかに再現したのが本作。まるで、『がんばれベアーズ』(’76)や『ボーイズ・ボーイズ/ケニーと仲間たち』(’76)など’70年代のキッズ・ムービーを見ているような、あの時代の西海岸へタイムスリップして撮って来たような再現度の高さに思わず舌を巻く。 主人公である15歳の高校生ゲイリー・ヴァレンタイン(クーパー・ホフマン)のモデルとなったのは、アンダーソン監督の友人でもある映画プロデューサーのゲイリー・ゴーツマン。トム・ハンクスと共同で製作会社プレイトーンを経営し、『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』(’02)シリーズや『マンマ・ミーア!』(’08)シリーズなどのプロデューサーとして知られるゴーツマンは、劇中のゲイリーと同じくもともとハリウッドの子役スター出身。芸能界で行き詰ったゲイリーがウォーターベッドの販売を始めたり、後の大物映画製作者ジョン・ピーターズの自宅にウォーターベッドを設置したり、ピンボールの解禁に合わせてピンボール店を経営したりといった劇中のエピソードも、全てアンダーソン監督がゴーツマンから聞いた経験談を基にしている実話だ。 劇中でゲイリーが出演した映画『屋根の下』の元ネタは、ゴーツマンが子役時代に出演した映画『合併結婚』(’68)。8人の子供を持つ未亡人と10人の子供を持つ男やもめが再婚したことから巻き起こるドタバタ騒動を描いたコメディだ。主演女優のルーシー・ドゥーリトル(クリスティン・エバーソール)は、同作に主演したルシール・ボールがモデルとなっている。そう、今なお全米で愛される大人気シットコム『アイ・ラブ・ルーシー』(‘51~’57)や『ルーシー・ショー』(‘62~’68)などで、テレビ界の女王として君臨したアメリカの国民的大女優だ。『屋根の下』の子役たちが総出演するニューヨークのテレビ番組は、ビートルズが出演したことでも有名な伝説のバラエティ番組『エド・サリヴァン・ショー』が元ネタ。実際にゴーツマンも『合併結婚』のプロモーションで『エド・サリヴァン・ショー』に出演したことがある。ただし、劇中ではヒロインのアラナがゲイリーの母親に代わって保護者として付き添うが、実際はゴーツマン宅の近所に住んでいたバーレスク・ダンサーが保護者代わりを務めたのだそうだ。 そのアラナ・ケイン(アラナ・ハイム)のモデルとなったのは、高校時代のゴーツマンの彼女で、彼が経営するウォーターベッド販売店の店員でもあったハリウッド女優ケイ・レンツ。アンダーソン監督が本作を撮る際にお手本とした『アメリカン・グラフィティ』(’73)で映画デビューし、クリント・イーストウッドが監督を務めた『愛のそよ風』(’73)のヒッピー娘役で有名になった人だ。ただし、劇中のゲイリーやアラナと違って、レンツはゴーツマンのひとつ年下である。そもそも、本作の舞台は1973年だが、しかしゴーツマンやレンツの高校時代は’60年代末。ほかにも時代設定や時系列の改変が随所で見受けられるが、恐らく’70年代のサンフェルナンド・バレーを描くことが大前提だったためなのだろう。 ではなぜアラナがゲイリーの10歳年上という設定になったのかというと、実は本作の原点となった実際の出来事に由来する。それは2001年のこと。とある中学校を通りがかったアンダーソン監督は、写真撮影のために列をなしていた男子生徒のひとりが、撮影スタッフの女性に声をかけて電話番号を聞き出そうとする様子をたまたま目撃したという。あの2人がもし本当に付き合ったとしたら…?と考えたのが、本作の企画のそもそもの始まりだったらしい。それがオープニングで描かれるゲイリーとアラナの出会いシーン。ロケ地となったポートラ中学校は、アンダーソン監督が実際に中学生男子のナンパ現場を目撃した学校だ。ちなみにゲイリーが写真撮影の列に並んだ理由は、アメリカの学校生活の定番であるイヤーブックのため。日本では「卒業アルバム」と訳されることもあるイヤーブックだが、実際は卒業生だけでなく全校生徒のために毎年作られており、イヤーブックに載せる写真の撮影は毎年の恒例行事となっている。 「アジア人蔑視では?」と物議を醸したシーンも なお、ここでキャスティングについても言及しておきたい。ゲイリー役を演じるクーパー・ホフマンは、アンダーソン監督作品の常連でもあった亡き名優フィリップ・シーモア・ホフマンの息子。撮影当時17歳だった彼は本作が映画デビューだ。対するアラナ役のアラナ・ハイムは、実姉エスティとダニエルと共に結成した人気ポップ・バンド、ハイムのメンバーとして知られている。ハイム家はサンフェルナンド・バレー在住で、姉妹の母親はアンダーソン監督の少年時代の美術の先生。それゆえ長年に渡って家族ぐるみの付き合いがあり、バンドのミュージックビデオもアンダーソン監督が手掛けている。そのアラナの姉2人も、劇中のアラナの姉エスティ&ダニエルとして登場。両親役も姉妹の本当の両親だ。さらに、クーパーの姉妹タルラとウィラも生徒役で顔を出している。 こうしたアンダーソン監督の「身内」の出演も本作の見どころのひとつであろう。ゲイリーがオーディションを受けるキャスティング・ディレクター、ヴィックの助手ゲイルを演じるのは、アンダーソン監督のパートナーであるマヤ・ルドルフ。そのルドルフの継母であり、’70~’80年代にかけて活躍した日本人のジャズ歌手・笠井紀美子が、ゲイリーの行きつけのレストラン「テイル・オコック」の客として顔を出している。また、最近ではクラシック映画専門チャンネルTCMの経営再建のため一致協力するなど、大先輩スティーブン・スピルバーグと親しいアンダーソン監督だが、そのスピルバーグの長女サーシャが冒頭に出てくる写真撮影スタッフのシンディ、次女デストリーが日本料理店ミカドの従業員フリスビーを演じている。 さて、本作の劇場公開時に物議を醸したのが、その日本料理店ミカドにまつわる描写だ。現在もサンフェルナンド・バレーで営業する日本風ホテル・ミカドに、かつて併設されていた実在の日本料理店ミカド。本作に出てくる米国人オーナーのジェローム・フリック(ジョン・マイケル・ヒギンズ)も実在の人物である。問題となったのは、そのフリックが日本人妻に話しかける際、なぜかアジア風アクセントで喋るという描写。で、日本人妻は日本語で返答するのだが、一見したところ2人の会話は成立しているように見えて、実はフリックは妻の話す日本語がまるっきり分かっていなかったというオチが付く。どちらも純然たるギャグとして描かれているのだが、しかしこれが「アジア人蔑視ではないか?」と問題視されたのだ。 そもそも、本作には21世紀現在のアメリカでは決して許されないであろうセクハラ、パワハラ、シモネタが少なからず盛り込まれている。出張写真撮影スタジオのカメラマンはスタッフであるアラナのお尻をドサクサ紛れに触るし、ゲイリーは高校の同級生女子に「手コキ」当番をさせているし、最初に考え付いたウォーターベッドの商品名は「ソギー・ボトム(ぐっしょり下半身)」だし(笑)。もちろん、アンダーソン監督としては’70年代当時の価値観や世相を投影しただけであり、決してそれらの行為や発言を肯定しているわけではないのだが、折しも本作が封切られたコロナ禍のアメリカでは、よりによって合衆国大統領のドナルド・トランプが新型コロナを軽率にも「中国ウィルス」などと呼んだことが原因で、深刻なアジア人差別が蔓延してしまった。そのため、上記の日本語ジョークに関して、良識ある観客の間から疑問の声が沸きあがったのである。 実在したレストランといえば、ゲイリーの行きつけであるテイル・オコック(Tail o’ the Cock)もロサンゼルスの伝説的な名店だ。かつてウェスト・ハリウッドとシャーマン・オークスの2カ所で営業していたが、本作に登場するのはシャーマン・オークス店。すぐ近くにワーナー・スタジオやCBSスタジオ・センターがあったことから、劇中のように映画人のたまり場的な店になっていたという。残念ながら’87年に閉店してしまった。 ‘70年代前半はトレンドや価値観の転換期でもあった 劇中では10代半ばに差し掛かって、徐々に役者としての仕事がなくなってしまうゲイリー。そこで彼は、たまたま街中で見かけたウォーターベッドに商機を見出し、愛するアラナや弟グレッグ、さらには近所のティーンたちを誘ってウォーターベッドの販売代理店を立ち上げるのだが、彼らが最初にウォーターベッドを持ち込んだイベント「ティーンエイジ・フェア」は、かつて実際にハリウッド・パラディアムで毎年行われていたティーン向けコンベンション。テレビ・プロデューサーのアル・バートンが’62年に立ち上げ、10代の青少年をターゲットにしたファッションやトレンド・グッズの展示販売、さらには人気ロックバンドのライブイベントなどが行われていた。会場にはテレビの人気シットコム『マンスターズ』(‘64~’66)のブースが出展されており、主人公ハーマン・マンスターに扮した俳優フレッド・グウィンも登場するが、これを演じているのはアンダーソン監督作品の常連ジョン・C・ライリーである。 ちなみに、ウォーターベッドの宣伝モデルを務める女の子キキから「何しに来たの?」と訊かれたアラナが、とっさに「デヴィッド・キャシディに会いに来た」と返答する場面にも要注目。デヴィッド・キャシディといえば、’70年代のアメリカで空前絶後の人気を誇ったイケメンのティーン・アイドルで、当時は日本でも大人気だった。そのキャシディと電撃結婚を果たし、全米のティーン女子を敵に回したのが、アラナのモデルとなった女優ケイ・レンツ。これは、いわば内輪ネタのジョークである。また、ゲイリーがウォーターベッドを初めて見かけるウィッグ店の店長ミスター・ジャックとして、あのレオナルド・ディカプリオの実父ジョージ・ディカプリオが映画初出演を果たしているのも見逃せない。 さらに、ゲイリーはウォーターベッド販売店「ファット・バーニーズ」(モデルとなったゴーツマンが実際に経営していたウォーターベッド販売店と同名)のラジオCMを放送するのだが、そのFMラジオ局KCCPパサデナのDJとして登場するB・ミッチェル・リード(演じるは声優として有名なレイ・チェイス)も実在の人物だ。’73年当時の西海岸の音楽シーンでは’60年代の反体制的な空気が薄れ、今で言うところのAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)的なソフトで洗練された大人のロックが主流となりつつあった。本作でも当時のウェスト・コースト・サウンドがふんだんに使用されているが、その普及に多大な貢献を果たした名物ラジオDJのひとりがリードだったと言われている。 また、女優活動を始めることになったアラナは、ゲイリーの紹介でタレント・エージェントのメアリー・グレイディ(ハリエット・サンソム・ハリス)と面接するのだが、このグレイディも『大草原の小さな家』のメリッサ・スー・アンダーソンや『フルハウス』のオルセン姉妹を発掘した実在の伝説的な子役エージェントである。このシーンでアラナはグレイディから「ユダヤ人らしい鼻」を褒められるのだが、実はかつてユダヤ人独特の大きな鼻は重大なハンデとなるため、ユダヤ系の女優は売れるために鼻を整形で小さくすることが多かった。この常識を覆したのがミュージカルの女王バーブラ・ストライサンド。むしろその大きな鼻がトレードマークとなったバーブラの大成功によって、「ユダヤ人らしい鼻」がハンデとなる時代は終焉を迎えたのだ。 こうして女優となったアラナがオーディションで知り合うハリウッドのベテラン大物スター、ジャック・ホールデン(ショーン・ペン)は、言わずと知れたオスカー俳優ウィリアム・ホールデンが元ネタ。なぜウィリアム・ホールデンなのかというと、アラナのモデルとなった女優ケイ・レンツが、出世作『愛のそよ風』でホールデンと共演していることもあるが、それ以前にもともとアンダーソン監督自身がホールデンの大ファンなのだという。劇中で言及されるジャックの出演作『トコサンの橋』は、ウィリアム・ホールデンとグレース・ケリーが共演した戦争映画の名作『トコリの橋』(’54)をもじったもの。その監督であるマーク・ロブソンが、ジャックとテイル・オコックで再会する映画監督レックス・ブラウ(トム・ウェイツ)のモデルとなっている。 ハリウッド映画界の悪名高き名物男も登場! やがて、1973年の10月に起きた第四次中東戦争によって第一次オイルショックが発生。OPEC加盟国による石油禁輸措置を伝えるテレビのニュース映像が、本作の時代設定が1973年であることを明確に物語る。ウォーターベッドの素材であるビニールは石油製品。店じまいをせねばならなくなったゲイリーたちが、最後にウォーターベッドを売った相手として登場するのが実在の映画製作者ジョン・ピーターズ(ブラッドリー・クーパー)だ。ピーター・グーバーとのコンビで『フラッシュダンス』(’84)や『レインマン』(’88)、『バットマン』(’89)などを大ヒットさせる一方、業界内では露骨なセクハラやパワハラで悪名を轟かせたピーターズだが、本作の舞台となる’73年当時はまだセレブ御用達の美容師で、なおかつエンタメ界の女王バーブラ・ストライサンドのボーイフレンドとして名を馳せていた。そのバーブラが主演した映画『スター誕生』(’76)でプロデューサーへと転身したのである。昔からハリウッドの美容師にはゲイが多かったのだが、ピーターズは珍しく(?)バリバリにストレートのマッチョ男で、なおかつ顧客を喰いまくることで有名な絶倫プレイボーイ。映画『シャンプー』(’76)でウォーレン・ベイティの演じたヤリ〇ン美容師は彼がモデルと言われている。 先述したように、これはゲイリー・ゴーツマンがピーターズにウォーターベッドを売ったという実話がベースのエピソード。ただし、劇中のピーターズが「もし俺の家を汚したら、お前の弟を目の前で殺してやる」とゲイリーを脅迫したり、車がガス欠になったことに腹を立てたピーターズが暴走したりするシーンは、本人の悪しきイメージをカリカチュアしたアンダーソン監督の脚色である。リメイク版の『アリー/スター誕生』(’18)でピーターズと仕事をしたブラッドリー・クーパーの紹介で、直接本人から実名でのキャラ使用の了承を得たそうだが、よくまあオッケーを貰えたもんだとは思う。なお、その際にピーターズが提示した交換条件は、本人がお気に入りだという「ピーナッツバターサンドは好き?」という女性の口説き文句を劇中で使用することだったらしい(笑)。 やがて、10代の悪ガキたちとつるむことに疑問を抱くようになったアラナは、ロサンゼルス市長選に出馬するリベラルな若手政治家ジョエル・ワックス(ベニー・サフディ)の選挙事務所で、ボランティア・スタッフとして働くようになる。このワックスも実在の人物で、彼がクローゼット・ゲイだったことも事実(後にカミングアウトしている)。’73年と’93年と’01年の3度に渡ってロサンゼルス市長選へ出馬しているが、いずれも残念ながら落選している。 その選挙事務所でアラナの手伝いをしたゲイリーは、それまでロサンゼルスで禁止されていたピンボールが解禁されることをいち早く知り、ピンボールマシンを買い集めてピンボール店を開業するわけだが、これもまた事実に基づいている。かつて、ピンボールマシンはギャンブル性が高いとして、全米各地の大都市で禁止されていた時代があった。ロサンゼルスでも’39年から禁止されていたのだが、しかしマシンの改良によってスキルを磨けば勝てるゲームとなったため、’74年6月にカリフォルニア州の最高裁で禁止が覆されたのである。 さて、『リコリス・ピザ』のトリビア解説もそろそろオシマイなのだが、最後にタイトルについても触れておきたい。これはリコリス(甘草)をトッピングに使ったピザが当時流行っていたから…というわけではなく、’70年代に南カリフォルニアでチェーン展開していたレコード店の名前から取られているという。加えて、アンダーソン監督にとって「リコリス」と「ピザ」は、少年時代の甘酸っぱい思い出と直結するキーワードなのだとか。なるほど、確かにリコリスを使ったキャンディやグミは、昔からアメリカやヨーロッパでは子供たちに人気の高い定番菓子(薬みたいな味が日本人には嫌われるけど)である。なおかつ、ピザはもはやアメリカの国民食みたいなもので、特に子供たちはみんなピザが大好きだ。この2つの言葉には、即座に「あの頃」へと連れ戻してくれる力があるというアンダーソン監督。もはや2度と戻ることのない、古き良きロサンゼルスへの郷愁がたっぷりと込められたタイトルなのだ。■ 『リコリス・ピザ』© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
バラ色の選択
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夢の実現を前に、愛orお金の選択に葛藤する男をマイケル・J・フォックス、彼が思いを寄せる女性店員を美しきガブリエル・アンウォーが演じる。マンハッタンを舞台にした、前向きで元気になれるラブストーリー。
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COLUMN/コラム2024.08.12
誰が『ポルターガイスト』を監督したのか?
「トビー・フーパーは撮影現場にはいたが、演出の実権を握っていたのはスピルバーグだ。(中略)映画には多くの人の協力が必要だが、彼は人の仕事にも手を出したがるんだよ」 クレイグ・リアドン ー『ポルターガイスト』スペシャル・メイクアップ担当(米「Cinefantastique」誌より) ◆『E.T.』と血を分けたサバービア怨霊ホラー ゴーストホラーの偉大なクラシックとして『ポルターガイスト』(1982)は映画史にその名を刻みつけた。郊外のサバービア(新興住宅地)に引っ越してきた、幸福なフリーリング一家に降りかかる心霊現象の数々。やがてそれは猛威を増し、彼らを窮地へと引きずり込んでいく。 映画はそんな一家の恐るべき体験と、怨霊とゴーストハンターたちとの壮絶な戦いを描き、作品は全米興行収入約7000万ドルのヒットを記録した。そして同作はシリーズ化されて2本の続編を生み、2015年にはリメイク版も製作されている。『アクアマン』(2018〜)や『死霊館』(2013〜)シリーズでその名をとどろかす映画監督ジェームズ・ワンも「心霊スリラーの偉大なる傑作」と同作を称え、その影響のもとに彼の数あるホラーフランチャイズは存在する。 だがワンが『ポルターガイスト』に心酔する背景には、自身の敬愛するスティーブン・スピルバーグの作品であるという意識がはたらいているともいえる。もちろん、その考え方に間違いはない。本作を製作したのはスピルバーグであり、氏はこの映画で脚本も兼任している。しかし『ポルターガイスト』には、トビー・フーパというれっきとした監督が存在する。アメリカンホラーの歴史に燦然と輝く『悪魔のいけにえ』(1974)の生みの親であり、フィアメーカー(恐怖の創造者)としてジャンルのトップに立つ偉大なマエストロだ。そんな人物を差し置いて『ポルターガイスト』を、スピルバーグの作品として認識している人は少なくない。 まずは本作が生まれるに至った経緯を記しておきたい。『ポルターガイスト』の創造は、知的生命体とのコンタクトを描いた『未知との遭遇』(1977)の続編として、スピルバーグがコロンビア・ピクチャーズに監督を約束していた企画『ナイト・スカイズ』を起点とする。この企画を実現させるために、スピルバーグはまず脚本家と監督の選出をした。前者は『セコーカス・セブン』(1980)の監督や『ピラニア』(1978)『ハウリング』(1981)の脚本家として知られるジョン・セイルズ、そして後者がトビー・フーパーである。だが平和的ではない、異星人との侵略的な遭遇を描いたはずの『ナイト・スカイズ』の草稿は『E.T.』(1982)へと枝分かれし、こちらはユニバーサルで映画化が決まったのだ。そしてもう片方の枝をMGMに持っていき、こちらが『ポルターガイスト』として映画化が決定したのである。『E.T.』とのバッティングを懸念したスピルバーグは、異星人を悪霊に変えることでどちらも企画を通したのだ。この流れから、両作がサバービアを舞台とする共通の設定に合点がいくだろう。 ただ『E.T.』を監督する関係上、スピルバーグは『ポルターガイスト』では製作に専念し、同作はフーパーの監督作品としてプロジェクトが進行する。しかしユニバーサルで『ファンハウス/惨劇の館』(1981)を監督中だったフーパーと往復書簡で固めたストーリーをもとに、マイケル・グレースとマイク・ピーターが執筆した脚本をスピルバーグは気に入らず、製作のフランク・マーシャルやキャスリーン・ケネディの尽力を経て大幅に改変。ここから彼の作品に対する支配欲が萌芽する。 さらに『E.T.』との差異を強化するため、自身の監督作の座組とは異なるキャストやスタッフを『ポルターガイスト』に配した。だがそれもスピルバーグの意思が細かく絡んだことで、より企画へののめり込みに拍車がかかったのだ。加えて自分が初めてホラージャンルに関わることに対する高揚感が、演出への介入を強く後押ししたともされている。 そして事態をややこしくしたのは、撮影現場における両者の立ち回りだ。スピルバーグは毎日セット入りし、ストーリーボードもほとんどを自身で手がけ、フーパーの指揮権をときに無自覚に、そして無意識のもとに剥奪している。それは特殊効果においても同様で、スピルバーグは多くのアイディアを自分で提案し、そして改善を求め、ただでさえ困難を極めたリチャード・エドランド(視覚効果スーパーバイザー)のVFX/SpFX作業をより煩雑にしたのである。 ◆近年において混沌と化すスピルバーグ説 こうした越権行為はやがて表面化し、スピルバーグとフーパーは互いの領分に関してマスコミを通じて正当性を主張。演出家組合はフーパーの権利を重んじ、スピルバーグに罰金の支払いと、自身が演出しているかのように思わせるプロモーション映像を取り下げるよう指示した。さらに和解策の一つとしてスピルバーグは米「バラエティ」誌の全一面に詫び状を掲載。『ポルターガイスト』の監督はフーパーであることを、よそよそしく触れ回ったのである。 しかし結果として、完成した『ポルターガイスト』は演出やレイアウトや構図の特徴、ならびにキャメラムーブの規則性などが完全にスピルバーグのそれと各シーンで一致したものとなっていた。エディターにマイケル・カーンを起用したことによって、編集の呼吸とタイミングもスピルバーグのメソッドを踏襲しており、『ポルターガイスト』は完全に彼の他の監督作と同期していたのだ。また公開時、顔を掻きむしって皮膚がボロボロと欠落していくグロテスクな描写などをフーパー由来とする指摘もあったが、2024年現在までのフィルモグラフィを俯瞰した場合、その残酷性もスピルバーグに依拠するものと認識されている。 しかし、ここまで大胆に介入していながら、なぜスピルバーグは自身を監督としてクレジットしなかったのか? それは同時に2本以上の監督作を公開することを禁じる全米映画監督協会の取り決めや、ストライキを懸念した急務対応で監督変更の手続きを踏めなかったことなどが起因としてある。 『ポルターガイスト』の公開から42年を経た現在、こうした「監督=スピルバーグ」は、新たな証言によってより混沌としたものとなっているようだ。2017年、『アナベル 死霊館の人形』(2014)の監督として知られるジョン・R・レオネッティは、ブラムハウスのポッドキャスト「Shockwave」に出演したさい、「撮影現場を指揮していたのはスピルバーグ」だと証言(※1)。彼は当時、アシスタントカメラマンとして同作に参加し、撮影監督の兄マシュー・レオネッティを現場でサポートしており、発言にはそれなりの信憑性がある。 だがレオネッティは言葉を付け加え、「それでもトビー・フーパーが偉大な存在であることは疑いようがない」と強調している。 また2022年、米「Vanity Fair」に主演のグレイグ・T・ネルソンとジョベス・ウィリアムズへの最新インタビューがアップされ(※2)、それによると『ポルターガイスト』はスピルバーグの現場介入はあったとしながら、あくまで同作は「フーパーとのコラボレーションの産物」なのだという見解を示している。 ◆それでもトビー・フーパーの名声は揺るぎない こうしたフーパー擁護の動きは世界的に波及し、後年『ポルターガイスト』をフーパーの監督作としてみなす主張も散見されている。たとえば我が国においては『CURE』(1997)『スパイの妻〈劇場版〉』(2020)の名匠・黒沢清が、同作からフーパーの演出の形跡を見い出して検証し、『悪魔のいけにえ』の偉大な監督の名誉回復に努めている。黒沢自身もキャリア初期の自作ホラー『スウィートホーム』(1989)をめぐり、プロデューサーだった伊丹十三と揉めた経緯があり、フーパーの受難をとても他人事とは思えないのだろう。 トビー・フーパーは後年、『ポルターガイスト』における悶着に関して積極的な主張や抗弁を避け、そして2017年8月26日、惜しまれつつこの世を去っている。言明はしていないものの、劇中のゴーストさながらに自らを責め苛んだスピルバーグの存在を、苦衷に感じていたことは想像に難くない。 そもそも、フーパーが『ナイト・スカイズ』から継続して『ポルターガイスト』の監督に起用されたのはなぜか? それはスピルバーグが『エイリアン』(1979)に心酔しており、同作に匹敵するようなホラー映画を撮りたがっていたこと。そして『エイリアン』の監督であるリドリー・スコットが、この映画のリファレンスとして『悪魔のいけにえ』を参考にしたことが、フーパー起用の流れやベースとして指摘できる。 スピルバーグも彼なりにフーパーの存在と、彼が手がけた『悪魔のいけにえ』の重要性を認識していたのだ。■ 『ポルターガイスト』© Turner Entertainment Co. (※1)https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/news/poltergeist-steven-spielberg-director-conspiracy-theory-confirmed-tobe-hooper-a7846651.html (※2)https://www.vanityfair.com/hollywood/2022/09/poltergeist-at-40?utm_source=nl&utm_brand=vf&utm_mailing=VF_HWD_092222&utm_medium=email&bxid=5bd66dcf2ddf9c61943828dc&cndid=16589592&hasha=3ca14bfe2471e504eb115db7a2ff9a91&hashb=96d9312f53605901937a354eea3b47c76deaeeab&hashc=0abd56a6ab006be60ae79d00fb9e9dfb304b62a672a172fab699c03633832c4d&esrc=manage-page&mbid=mbid%3DCRMVYF012019&source=EDT_VYF_NEWSLETTER_0_HWD_ZZ&utm_campaign=VF_HWD_092222&utm_term=VYF_HWD