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PROGRAM/放送作品
レザボア・ドッグス
クエンティン・タランティーノ監督の鬼才伝説はここから始まった!衝撃クライム・アクション
本筋と関係なく延々と続く会話、生々しい暴力、絶妙に選ばれた楽曲…。監督第1作にしてクエンティン・タランティーノが持ち味を確立。黒ずくめのチンピラが3すくみで銃を構えあう場面など、映像もスタイリッシュ。
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COLUMN/コラム2022.05.24
『トップガン』 - 革命的なジェット戦闘機アクション誕生の背景 -
◆戦闘機版『地獄の黙示録』を起点とした企画 インパクトと主張の強さを覚えるタイトルは、アメリカ海軍パイロットのエリート養成訓練校を示す俗称だ。この一握の精鋭たちが属するアカデミーが舞台の映画『トップガン』は、海軍飛行兵の精鋭ピート“マーヴェリック”ミッチェル(トム・クルーズ)を主人公に、彼が戦闘機訓練や軍人としての人間関係を経て成長していく姿を描いた、1986年製作のアクションロマンスである。 ロックとポップソングで構成されたサウンドトラック、そして洗練されたビジュアルスタイルやハイテンポな編集はMTVカルチャーとの並走により築き上げられたもので、このアプローチを牽引力に、本作は視覚的にも音響的にも現代アクションのメルクマールとなった。結果として映画はヤング層を魅了し、世界規模において大ヒットを記録。当時はまだ駆け出しの若手俳優だったトム・クルーズのキャリアを一気にスーパースターへと押し上げた。同時にその口当たりのいい表層的なアプローチが「ポップコーンムービー」などと称され、外観に凝り中身のない作品だと揶揄される言説も過去にはうかがえた。だが映画史において画期的な作品であることは、改めてここで示しておかないといけないだろう。 なによりも『トップガン』は、ジェット戦闘機をフィーチャーしたミリタリーものとして最大の特徴を有し、同ジャンルを開拓した映画として並々ならぬ価値を放つ。当時、現物のジェット戦闘機を主体とした作品自体が少なく、かろうじて挙げられるのはデヴィッド・リーン(『アラビアのロレンス』(62)『ドクトル・ジバゴ(65))が1952年に発表した『超音ジェット機』か、あるいはロケット機ベルX-1が音速の壁を破るシーンを描いた米宇宙開拓史映画『ライトスタッフ』(83)くらいしかなかった。理由は複合的なもので、大きくは映画に必要な現用機は軍事機密の塊で、商業映画に用いるのに米国防総省=ペンタゴンが難色を示していたこと。そして技術的な点では、飛行ショットをカメラに収めるのが非常に難しいことなどが挙げられた。 この企画を始動させたのは、当時『フラッシュダンス』(83)『ビバリーヒルズ・コップ』(84)などの慧眼に満ちた諸作で、パラマウント映画のヒットに貢献していたプロデューサーのジェリー・ブラッカイマー。彼は1983年、米カリフォルニア・マガジン5月号に掲載されたエフド・ヨネイのノンフィクションルポ「TOP GUNS」を目にし、海軍戦闘機兵学校の訓練プログラムを受けるF-14パイロットに迫ったその内容に惹かれ、映画化を切望。ペンタゴンを説得し、映画の実現へとこぎつけていったのだ。 そして本作が視覚性を重視することから、監督はトニー・スコットに白羽の矢を立てた。スコットは当時、テレビコマーシャルの世界を経て優れた映像スタイリストであることを示しており、またデヴィッド・ボウイ主演の吸血鬼映画『ハンガー』(83)で商業長編映画デビューを果たしている。だがその内容は観念的で重苦しく、およそ娯楽的な要素からはかけ離れたものだった。そのため戦闘機アクションというテーマに難色を示していたが、先に商業映画デビューを果たしていた兄リドリー・スコット(『エイリアン』(79)『ブレードランナー』(82))に触発され、自身もメジャーの大きな舞台に立とうとプロジェクトに挑んだのだ。 しかしやはりというか、プリプロダクションの時点では『ハンガー』に程近い、戦いのためのエリート部隊の苦衷を描く暗いテイストの内容だったようだ。ヨネイの記事がリアリティを重視した迫真的なものだったことから、企画当初はフランシス・コッポラが手がけたベトナム戦争映画『地獄の黙示録』(79)のように混沌とした戦闘スペクタクルが検討されていたともいう。しかしペンタゴンの協力を経るため、幾度かのプロット見直しがはかられ、海軍への入隊を促進させるような、プロパガンダ的な性質を持つストーリーへと加工ががなされていったのである。 ◆困難だった機内撮影を可能にしたもの そんな『トップガン』が『地獄の黙示録』志向の戦争スペクタクルだったことを示すものとして、作品のフォーマットが挙げられる。加えてそれが前掲の、困難といわれた機内撮影への突破口を開いたのだ。 契機となったのは、スーパー35mmという規格のフィルムである。ブラッカイマーとスコットは、同作の空戦シーンをダイナミックな幅広のワイドスクリーンで展開しようと企図していた。そのため65mmフィルムでの撮影や、圧縮した撮像をレンズで戻して横長画面を得るアナモルフィックレンズでの全編撮影が検討されたのだ。しかし前者は65m撮影用の大型カメラがコクピット内に収められず、後者は6Gにも達する飛行時の圧力によってカメラレンズが歪み、まったく使い物にならなかったのだ。 そこで用いられたのがスーパー35mmである。同フィルムは1コマに露光される撮像領域を最大限に活かした撮影が可能で、そこから用途に応じたアスペクト比を切り出すことができる。これによって本作は通常の35mmカメラでのコクピット撮影を可能にし、ワイドスクリーンを実現のものとしたのである。 ちなみに当時のスーパー35mmは通常の35mmとの混同を避けるため、歪像に対して平面ということから「フラット・ネガ」とも呼称されていた。当時、製作元のパラマウントはビデオ市場への目配りとして、同フィルムでの撮影を推奨しており、まさにうってつけの題材が見つかったというわけだ。 ちなみにトニーが本作で同フォーマットの有効性を示したことに感化され、兄リドリーが日本を舞台にした刑事アクション『ブラック・レイン』(89)で自らもスーパー35を使用。兄からトム・クルーズを自作に紹介してもらったことに対し、技術供与という形で返礼を果たしている(本作におけるトム・クルーズの起用は、以前に筆者が手がけた『レジェンド/光と闇の伝説』(85)のコラム[リンク]に詳しい)。 こうして『トップガン』は制作上の大きな問題点を克服したが、リアリティを追求した結果、あまりいい効果を得られなかった部分もある。それは可変翼戦闘機F-14の聴覚を刺激する飛行音など、サウンドエフェクト面でのことだ。 音響編集のジョン・ファサルと共に、本作の音響の共同監修をつとめたセシリア・ホールは、実際のF−14の飛行音や駆動音を採取したものの、意図にそぐわぬ退屈で味気ないものだったとドキュメンタリー映画『ようこそ映画音響の世界へ』の作中で述懐している。そこで彼女は動物の咆哮を転調させてエンジン音と重ねることにより、迫力と攻撃性の高いサウンド効果を創造したのだ。 この大胆な試行によって、ホールは女性の音響効果担当として初の米アカデミー賞にノミネートされ、女性がこの分野において貢献的な役割を果たす先駆けとなった。サウンド面でのこうしたこだわりは36年ぶりの続編となった『トップガン:マーヴェリック』でも受け継がれ、同作はオーディオの没入感と臨場感をより高めるために、サウンドデザイナーの大家であるゲイリー・ライドストロームがコンサルタントとなり、ホールの偉業を発展させる形で迫力のあるサウンドデザインに取り組んでいる。 ◆その意志は、36年ぶりの続編へと受け継がれる 他にも『トップガン:マーヴェリック』にこのタイミングで触れるのならば、無視できない要素がある。タイトルキャラクターであるマーヴェリックが教官となり、古巣に戻ってくる同タイトルは、新世代のアカデミー卒業生たちに焦点を定め、無人化する軍事において戦闘パイロットの存在を再定義していく。 監督のジョセフ・コシンスキーは、今回の主要機となる戦闘機F/A-18のコックピット内に、ソニーと共同開発したVENICE 6K シネマカメラを実装。そして世界で最も規格の大きな視覚フォーマット、IMAXを本作に導入している。これは機内撮影を成功させた『トップガン』のコクピット撮影を発展させたものであり、スーパー35mmで問題解決を得た、前作の技術的挑戦を反復するものと言えるだろう。コシンスキーは続編の撮影にあたり、偉大な前作への賞賛を惜しまない。 「トニーは大作を製作していたが、それをまるでアート映画のように撮ったんだ。照明やグラデーションフィルター、そしてフレーミング。この映画には、彼の映画のスタイルに対するオマージュのような瞬間がいくつかある」 『トップガン:マーヴェリック』は、トニー・スコットに謝意が捧げられている。彼の存在無くしては、この画期的な戦闘機映画は生まれなかったのだ。■ 『トップガン』© 2022 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
スニーカーズ
ハイテクのプロ集団が世界を救うミッションに挑む!ロバート・レッドフォード主演の痛快クライム・ムービー
IT創世期の1990年代前半というハイテク前夜を舞台に、プロ集団が華麗に連携するハッキングをスリリングに描く。ロバート・レッドフォードやリヴァー・フェニックスらプロ集団に扮する豪華キャストにも注目。
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COLUMN/コラム2022.05.09
ヒッチコックが嫉妬!世界中の度肝を抜いた、フランス製スリラー映画のマスターピース『悪魔のような女』
年配の方にはお馴染みだった、テレビ時代劇の「必殺シリーズ」。その顔である藤田まことが主演した中に、「江戸プロフェッショナル 必殺商売人」(1978年/全26話)というシリーズがある。凝った構成や展開が多い作劇だったが、その内の一編「殺して怯えた三人の女」というエピソードが、当時10代の私に、強烈な印象を残した。 呉服問屋の後家と義理の娘、女中の3人が、色悪な番頭に弄ばれる。そこで女たちは共謀して、番頭を殺害。池に沈めるも、その後まるで番頭が生きてるかのような奇怪な出来事が次々と起こり、3人は次第に追い詰められていく…。 初見時、ただただ感心して視聴したのだが、後年に本作『悪魔のような女』(1955)を観て、気付いた。ああ、これだったか! TV時代劇の黄金期は、過去の名作洋画を良く言えばインスパイア、悪く言えばパクった内容の作品が数多くあった。私が至極感心した、「必殺」の1エピソードは、明らかに本作の影響を受けたものだったのだ。 ***** 舞台は、パリ郊外に在る全寮制の寄宿学校。校長のミシェル(演:ポール・ムーリス)は、妻で教師のクリスティーナ(演:ヴェラ・クルーゾー)の資産を利用して、現在の地位を得た男だった。それにも拘らず、吝嗇で勝手し放題。心臓が弱い妻を、日々いたぶっていた。 教師の1人ニコール(演:シモーヌ・シニョレ)は、ミシェルの公然の愛人。やはりクリスティーナ同様、彼の暴君のような振舞いに嫌気がさしていた。 奇妙な連帯感で結ばれた妻と愛人は、共謀。寄宿学校から遠く離れたニコールの自宅にミシェルを秘かに呼び出して、強い睡眠薬を盛り、そのまま浴槽に沈めて殺害した。 車で死体を運んだ2人は、季節外れで使われていない、寄宿学校のプールに死体を投げ入れる。酔った挙句に、足を滑らせて溺死したように見せかける計画だった。 ところが、何日か過ぎても死体は発見されない。そこで2人は図って、プールの水を、用務員が抜くように仕向ける。 しかし、空になったプールからは、何も出てこなかった。ミシェルの死体は、忽然と消えてしまったのだ。 その後まるで、ミシェルが生きているかのような、奇怪な出来事が次々と続く。更には、セーヌ川に浮かんだ身元不明の死体を、もしやと思ってクリスティーナが確認しに行ったことがきっかけで、退職した警察官のフィシェ(演:シャルル・ヴァネル)に目を付けられ、纏わりつかれるようになる。 2人の女は、徐々に追い詰められていく。特に心臓に病を抱える、クリスティーナの疲弊はひどく…。 ***** 本作『悪魔のような女』には、原作がある。フランスのミステリー界の重鎮だったピエール・ポワローとトマ・ナルスジャック初めての共作で1952年に出版された、「CELLE QUI N'EAIT PLUS=その女の正体」(日本では現在「悪魔のような女」というタイトルで出版されている)だ。 こちらは、平凡なセールスマンの男と、その愛人の女医が共謀。男の妻を殺して、保険金をせしめようとする話である。 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督はここから、殺害とアリバイ作りのトリックや、死体が消えて、まるで生きているかのような痕跡を残していく中で、犯人たちが徐々に追い詰められていく展開等を抽出。先に紹介したように、寄宿学校をメインの舞台に、横暴な男をその妻と愛人が葬ろうとする話へと設定を変えて、脚色を行った。 1955年の公開時、大いに話題になったのは、オープニングのスーパー。 「これからこの映画を御覧になるお友達の興味を殺がないように―どうぞこの映画の筋はお話にならないで下さい」 本国フランスの首都パリでは、公開時にストーリー自体を発表しなかった。日本では、結末だけを伏せておく“宣伝戦略”が取られた。それは物語の〆に、衝撃的などんでん返しが待ち構えているからである。 映画史的にあまりにも有名な作品なので、ご存じの方も多いとは思う。しかし本稿では初公開時に倣って、未見の方のために、ショッキングなラストは、「観てのお楽しみ」としておく。 フランスをはじめ、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本でも大いに話題になった本作。谷崎潤一郎は随筆「過酸化マンガン水の夢」の中で、本作について記している。 谷崎は、「要するにこれは見物人を一時脅かすだけの映画にて、おどかしの種が分ってしまへば浅はかな拵へ物であるに過ぎない」と指摘。本作を貶めているのかと思いきや、「しかしこの絵が評判になり多くの映画ファンの好評を博したのは、しまひには一杯食はされることになるけれども、観客をそこまで引き擦って行く手順の巧妙さと俳優の演技に依る」と、娯楽作として実は高く評価をしている。 特に気になったのは、ニコール役のシモーヌ・シニョレだったようで、「-あゝ云ふタイプを主役に持って来なければあの絵が狙う凄味は出せない。あの女なら情夫の頭を両手で摑んで水槽に押し込むことくらゐ出来さうに思へる」と、記述。またクリスティーナ役のヴェラ・クルーゾーに関しても、適役と評している。 文豪谷崎が、本作を大いに楽しんだのは間違いないようで、映画のストーリーを微に入り細に入り、かなり詳しく書き記している。ラストのネタばらしまで行っているのは、まあルール違反であるが…。 世界的に評判になった本作だが、実はその原作は、“サスペンスの神様”アルフレッド・ヒッチコックも、映画化を熱望。権利を買おうとしたものの、クルーゾー監督に先を越されたと言われている。 そうした経緯から、本作の大成功を見て、ヒッチコックは相当に悔しかったらしく、原作者のポワロー&ナルスジャックが次に書いた小説の映画化権を、早々に取得。これがヒッチコックのフィルモグラフィーの中でも、現在では名作の誉れが高い、『めまい』(58)となった。 更に『サイコ』(60)を製作・監督した際には、『悪魔のような女』を徹底的に研究。本作と同じモノクロ画像の陰鬱なムードの中で、浴室で恐るべき犯罪が行われる展開に挑戦した。また公開時のプロモーションでは、「途中入場禁止」のキャンペーンを行って、衝撃のラストへの期待感を、大いに煽ったのである。 さて『悪魔のような女』は、その後アメリカで2度ほどTVムービーとしてリメイク。本作から40年余後の1996年には、再び劇場用作品が、製作された。 こちらはポワロー&ナルスジャックの小説ではなく、クルーゾー監督・脚本による本作を原作とするもの。寄宿学校を舞台に、シニョレがやった役をシャロン・スートン、ヴェラ・クルーゾーの役をイザベル・アジャーニが演じている。 オリジナルでは、男性のシャルル・ヴァネルが演じた元刑事を、女性に変えて、キャシー・ベイツをキャスティングするなどの変更はあれど、リメイク版の構成や展開は、本作とさほど変わらない。大きく違うのは、オリジナルのどんでん返しに加えて、更にもう1回どんでん返しを重ねるところである。 それが成功しているか否かは、本稿では触れない。いずれにしてもリメイク版は、今日ではほぼ忘れられた存在となっている。 実は日本でも、最初に挙げた「必殺」のようなインスパイアものではなく、原作小説の映像化権を正式に得て、製作された作品が存在する。元祖2時間サスペンスの「土曜ワイド劇場」で、2005年に放送された、「悪魔のような女」である。 ヒロインは菅野美穂が演じる、心臓に疾患を抱えたガラス工芸作家。その親友の女医が浅野ゆう子、夫が仲村トオル、元刑事が串田和美というキャスティングで、テレビの「世にも奇妙な物語」や映画『パラサイト・イブ』(97)『催眠』(99)などの落合正幸が、監督を務めた。 最初は優しげな振舞いをしていた夫が、結婚後に本性を現し、ヒロインが亡き親から継いだ大邸宅を狙う。そこでヒロインは、夫の愛人でもあった女医の力を借りて…という筋立て。 原作小説及び映画化作品から、様々な趣向を選りすぐりながら、なかなか巧みにアレンジした一編となっている。しかしながらラストで、殺された者の幽霊が登場して犯人を呪い殺すという、Jホラーさながらの展開となるのには、仰天。オリジナルと違った意味で、吃驚させられた。「呪い」つながりで言えば、オリジナルの『悪魔のような女』自体が、呪われているのでは?と騒がれたことがある。 ヒロインのクリスティーナを演じたヴェラ・クルーゾーには、実際に心臓疾患があったのだが、本作の5年後、パリのホテルの浴室で、変死しているのを発見される。折しも、彼女の夫だったアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督と、女優のブリジット・バルドーの不倫による、三角関係がスキャンダルになっている渦中であった…。■ 『悪魔のような女』© 1954 - TF1 DROITS AUDIOVISUELS - VERA FILMS
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PROGRAM/放送作品
ターミネーター2
ターミネーター対ターミネーターの壮絶バトル!SFXアクション最高潮の第2作!
『タイタニック』『アバター』のジェームズ・キャメロン監督が放った大ヒット作!シュワルツェネッガー演じるT-800型ターミネーターが、液体金属でできた最強の敵T-1000型ターミネーターと対決する!
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COLUMN/コラム2022.05.02
‘70年代ブラックスプロイテーション映画ブームが生んだ異色の犯罪アクション映画『110番街交差点』
「ブラック・パワー」ムーブメントから生まれたブラックスプロイテーション映画 いわゆるブラックスプロイテーション映画を代表する名作のひとつである。’70年代前半のハリウッドで巻き起こったブラックスプロイテーション映画のブーム。折しも公民権運動や左翼革命の嵐が吹き荒れた当時のアメリカにあって、ファンキーなソウル・ミュージックに乗せて反権力的な黒人ヒーローが活躍するブラックスプロイテーション映画は、黒人だけでなく白人の若者たちからも熱狂的に支持された。まずは、そのブラックスプロイテーション映画の歴史から簡単に紐解いてみよう。 ご存知の通り、もともとハリウッド業界では、カメラの前でも後でも黒人の地位が低かった。なにしろ、サイレント期には白人俳優が黒塗りで黒人を演じる「ブラックフェイス」が当たり前にまかり通っていたくらいだ。『風と共に去りぬ』(’39)ではスカーレット・オハラの乳母を演じた女優ハッティ・マクダニエルが、黒人として史上初のオスカーを獲得するものの、それで黒人俳優に大きな役が回ってくるようなこともなかった。彼らに割り当てられるのは、良くて白人の引き立て役かコミック・リリーフ。その一方で、黒人観客層に向けて黒人キャストを揃えた「人種映画」も作られたが、その殆どが弱小スタジオによるマイナー映画で、上映される映画館も非常に限られていた。 やがて、’50年代に入ると公民権運動の気運が徐々に高まり、ハリウッドでも遂に本格的な黒人の映画スターが登場する。シドニー・ポワチエだ。紳士的でクリーンなイメージのポワチエは、キング牧師が推し進めた当時の公民権運動における、「黒人も白人と同じ普通の人間だ」という主張を体現するような存在だったと言えよう。しかし、こうした穏健派の活動には限界があり、’65年に公民権法は制定されたものの、しかし人種差別が収まる気配は全くなかった。そのうえ、指導者であるマルコムXとキング牧師が相次いで暗殺され、やがて目的のためなら暴力も辞さない急進派の活動家が台頭していく。その象徴がマルコムXの影響を受けたブラック・パンサー党だ。彼らはむしろ「黒人は白人と違う」「黒人は美しい」と主張し、長いこと虐げられてきた黒人の民族的な誇りを取り戻そうとした。いわゆる「ブラック・パワー」の時代の到来だ。 そうした中、1本の映画が公開される。ブラックスプロイテーション映画第1号と呼ばれる、黒人監督メルヴィン・ヴァン・ピープルズの名作『スウィート・スウィートバック』(’71)だ。白人警官殺しの容疑で追われる貧しい黒人青年の逃避行を描いたこの映画は、反体制的な「ブラック・パワー」のムーブメントに後押しされるようにして大ヒットを記録。ヴァン・ピープルズ監督が私財を投じたインディーズ映画ながら、1500万ドルという大作映画も顔負けの興行収入を稼ぎ出した。その数か月後には、黒人アクション映画『黒いジャガー』(’71)も興収ランキング1位を獲得。かくしてメジャーからインディーズまで、ハリウッドの各スタジオが競うようにして黒人映画、すなわちブラックスプロイテーション映画を作るようになったのである。 ブラックスプロイテーション映画の定義とは? それでは、何をもってブラックスプロイテーション映画と定義するのか。舞台の多くはニューヨークやロサンゼルスなどの大都会。主人公は刑事から私立探偵、麻薬の売人からヒットマンまで様々だが、いずれも既存の価値観やルールに縛られないアンチヒーローで、ハーレムやスラム街に蔓延る悪を相手に戦うこととなる。敵は必ずしも白人ばかりではなく、むしろ同胞を搾取する黒人の犯罪者も多かった。基本的には大衆向けの娯楽映画だが、しかし物語の背景には多かれ少なかれ黒人を取り巻く貧困や差別などの社会問題が投影され、白人の作り上げた資本主義社会や格差社会に対する痛烈な批判が含まれていることも多い。ブームが広がるにしたがってジャンルも多様化し、犯罪アクションのみならずセックス・コメディやホラー映画なども作られるようになった。 もちろん、キャストは黒人俳優がメイン。その中から、フレッド・ウィリアムソンやリチャード・ラウンドツリー、ロン・オニール、ジム・ブラウンなどのタフガイ的な黒人スターが次々と登場。パム・グリアやグロリア・ヘンドリーなど女優の活躍も目立つようになる。その一方で、作り手は黒人でないことの方が多かった。メルヴィン・ヴァン・ピープルズやゴードン・パークス、オシー・デイヴィスなど重要な役割を果たした黒人監督もいるにはいたが、しかし当時のハリウッドではまだ経験豊富な黒人フィルムメーカーが不足していたため、ジャック・スターレットやラリー・コーエン、ジャック・ヒルなど、既に実績のある白人監督が起用されがちだったのである。 そして、ブラックスプロイテーション映画を語るうえで絶対に外せないのが音楽である。『スウィート・スウィートバック』ではアース・ウィンド&ファイア、『黒いジャガー』ではアイザック・ヘイズ、『スーパーフライ』(’72)ではカーティス・メイフィールド、『コフィー』(’73)ではロイ・エイヤーズといった具合に、今を時めく大物黒人アーティストがテーマ曲や音楽スコアを担当。それらのファンキーなサウンドも、ブラックスプロイテーション映画が人気を博した大きな理由のひとつだった。 ハーレムの悲惨な日常をリアルに映し出す社会派映画 いよいよここからが本題。大手ユナイテッド・アーティスツがフレッド・ウィリアムソン主演の『ハンマー』(’72)に続いて配給したブラックスプロイテーション映画『110番街交差点』である。舞台はニューヨークのハーレム。アパートの一室が警官に変装した黒人3人組の強盗に襲撃され、イタリアン・マフィアの裏金30万ドルが奪われてしまう。ニューヨーク市警のベテラン刑事マテリ警部(アンソニー・クイン)が現場に駆け付けるも、地元住民は警察を嫌っているため有力な情報は出てこない。そればかりか、事件が人種問題に発展することを恐れた上層部の指示で、大学出のエリート黒人刑事ポープ警部(ヤフェット・コット―)が捜査の陣頭指揮を任されることに。暴行や恐喝など朝飯前の昔気質な叩き上げ刑事マテリと、ルールや人権を尊重するリベラル派のインテリ刑事ポープは、その捜査方針の違いからたびたび衝突することになる。 一方、110番街交差点を挟んでセントラルパークの反対側に拠点を構えるイタリアン・マフィアは、現金を奪い返して組織の威厳を回復するため、ボスの娘婿ニック(アンソニー・フランシオサ)をハーレムへ送り込む。出来の悪いニックは組織の厄介者で、これが彼に与えられた最後のチャンスだった。そんな彼を迎え入れるのは、ハーレムを仕切る黒人ギャングのボス、ドック・ジョンソン(リチャード・ウォード)。彼らもまた現金強奪事件で痛手を負っていた。とはいえ、あくまでもイタリアン・マフィアの下働き。それゆえニックは偉そうな態度を取るのだが、もちろんドックはそれが気に食わない。ここは俺たちのシマだ。お前らに好き勝手などさせない。所詮は金だけで繋がった組織同士、決して一枚岩ではなかったのだ。 その頃、現金強奪事件の犯人たちは、何事もなかったように普段通りの生活を送っていた。恋人に食わせてもらっている前科者ジム(ポール・ベンジャミン)にクリーニング店員ジョー(エド・バーナード)、そして無職の妻子持ちジョンソン(アントニオ・ファーガス)。彼らはみんなハーレムに生まれ育った幼馴染みだった。夢も希望もないこの街から出ていきたい。しかし、学歴も資格もない無教養な彼らには、外の世界で人生を立て直すだけの資金もなかった。そんな3人にとって、現金強奪はまさに最後の賭けだったのである。ほとぼりが冷めるまで静かにしているはずだったが、しかし調子に乗って浮かれたジョンソンが派手に女遊びを始めたことから、ニックとドックの一味に存在を気付かれてしまう。マフィアよりも先に犯人グループを逮捕せんとする警察だったが…? どん底の経済不況と犯罪の増加に悩まされた’70年代初頭のニューヨーク。中でも黒人居住区ハーレムの治安悪化は深刻で、余裕のある中流層はクイーンズやブルックリン、ブロンクスなどへ移り住んでしまった。つまり、当時のハーレム住民の大半は、本作の現金強奪犯グループと同様、ハーレムから出たくても出られない、ここ以外に住む場所のない最底辺の貧困層ばかりだったのだ。そんな暗い世相を背景にした本作では、白人マフィアが黒人ギャングを搾取し、その黒人ギャングが同胞である黒人住民を搾取するという、まるでアメリカ社会の縮図のような構造が浮き彫りになっていく。しかも移民の歴史が浅いイタリア系は、支配階級の白人層から見れば差別の対象であった。要するにこれは、弱者がさらなる弱者を抑圧するという負のサイクルを描いた作品でもあるのだ。 この人種間および階級間の軋轢と衝突は、警察組織にもおおよそ当てはめることが出来る。その象徴が、主人公であるハーレム分署のマテリ警部とポープ警部だ。容疑者には殴る蹴るの暴行を加えて自白を強要し、ギャングには軽犯罪を見逃す代わりとして賄賂を要求するマテリ警部。汚職まみれの典型的な不良刑事だが、しかし根っからの悪人ではない。警部という役職など名ばかり。安月給で朝から晩までこき使われ、守っているはずの住民からは嫌われる。心が荒んでしまうのも不思議ではない。しかも、50代にさしかかって昇進も見込めないマテリ警部は、ここ以外に行く当てがない。つまり、彼もまたハーレムから出たくても出られないのである。 そこへ、外部からやって来たエリート刑事に捜査の指揮権を奪われたのだから、心穏やかではいられないだろう。しかも、相手は普段から彼が見下している黒人だ。そのポープ警部は大学出のインテリ・リベラル。政治家や警察上層部からの覚えもめでたく、出世コースは約束されたも同然だ。そもそも立派な身なりからして違う。粗野でみすぼらしいマテリ警部とはまるで正反対だ。しかしそんなポープ警部も、自らの崇高な理想がまるで通用しないハーレムの現実に阻まれ、警察官としての強い信念が少しずつ揺らいでいく。この2人の対立と和解が、モラルの崩壊した世界における正義の在り方を見る者に問いかけるのだ。 ブラックスプロイテーション映画の枠に収まらない特異な作品 こうして見ると、本作は当時作られた数多のブラックスプロイテーション映画群にあって、かなりユニークな立ち位置にある作品だと言えよう。確かにキャストの大半は黒人だし、ハーレムに暮らす貧しい黒人を取り巻く様々な問題に焦点を当てている。血生臭いハードなバイオレンス描写や、ボビー・ウーマックによるソウルフルなテーマ曲と音楽スコアもブラックスプロイテーション映画のトレードマークみたいなものだ。しかしその一方で、社会の底辺に生きる庶民の日常を、徹底したリアリズムで描いていくバリー・シアー監督の演出は、ジュールズ・ダッシン監督の『裸の町』(’48)に代表される社会派フィルムノワールの影響を強く感じさせる。優等生の黒人警官と堕落した白人警官の組み合わせはシドニー・ポワチエ主演の『夜の大捜査線』(’67)を、ニューヨーク市警の腐敗や暴力に斬り込む視点はフランク・シナトラ主演の『刑事』(’68)を彷彿とさせるだろう。 これは恐らく、本作がもともとはブラックスプロイテーション映画として企画されたわけではないからなのだろう。ユナイテッド・アーティスツがウォリー・フェリスの原作小説の権利を入手したのは’70年の夏。同年9月には俳優アンソニー・クインが製作総指揮に関わることが決まったが、しかしマテリ警部役のキャスティングは難航した。第1候補のジョン・ウェインに却下され、さらにはバート・ランカスターやカーク・ダグラスにも断られ、仕方なくクイン自らが演じることになった。また、ポープ警部役も当初はシドニー・ポワチエの予定だったが、黒人コミュニティからの「イメージに相応しくない」との声を受けて変更されている。白人であるバリー・シアー監督の登板にも疑問の声があったようだ。さらに、ハーレムでのロケ撮影や黒人住民の描写について、ニューヨークの様々な黒人団体と事前に協議を重ね、意見を取り入れる必要があった。こうした事情から準備に時間がかかり、そうこうしているうちブラックスプロイテーション映画のブームが到来。やはりジャンル的に意識せざるを得ない…というのが実際のところだったようだ。 劇場公開時は賛否両論。残酷すぎる暴力描写に批判が集まったものの、しかし当時のブラックスプロイテーション映画群の多くがB級エンターテインメントに徹していたのに対し、シリアスな社会派ドラマを志向した本作は、特に黒人の批評家や知識人から高い評価を受けている。ボビー・ウーマックのテーマ曲もビルボードのR&Bチャートで19位をマーク。クエンティン・タランティーノ監督がブラックスプロイテーション映画にオマージュを捧げた『ジャッキー・ブラウン』(‘97)のサントラでも使用されている。■ 『110番街交差点』© 1972 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
フィフス・エレメント
『レオン』のリュック・ベッソン監督がブルース・ウィリスを主演に迎えて贈るSFアクション大作
『グラン・ブルー』『レオン』のリュック・ベッソン監督がブルース・ウィリスを主演に迎えて作り上げたSFアクション大作。100億円の予算を投じたビジュアルが観るものを圧倒する。
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COLUMN/コラム2022.05.02
スペイン作品をトム・クルーズ仕様にリメイク!『バニラ・スカイ』で生まれた恋の行方
本作『バニラ・スカイ』(2001)の企画がスタートしたのは、2000年のとある日、アメリカの某所で行われた、あるスペイン映画の試写であったと言われる。その試写は、プロデューサーとしても活躍する、ハリウッドのTOPスターに向けてのもの。スクリーンに対峙するその男性は、トム・クルーズだった。 原題『Abre los ojos』、英語タイトル及び邦題は『オープン・ユア・アイズ』(1997)は、スペインの俊英アレハンドロ・アメナーバルが、20代中盤に監督した作品。ヒッチコックの『めまい』(58)にインスパイアされたと監督が語る通り、『オープン…』の主人公は“高所恐怖症”の青年で、そんな彼の、夢か現か判然としない経験をサスペンスタッチで描いている。 アメナーバル初の長編作品は、その前に撮った、『テシス 次に私が殺される』(95)。国内で大ヒットを記録した上、スペインのアカデミー賞と言われる“ゴヤ賞”で、最優秀作品賞を含む7部門受賞という、鮮烈なデビューを飾った。 続く『オープン・ユア・アイズ』は、「ベルリン国際映画祭」などで高評価を得た後、98年に開催された「第11回東京国際映画祭」では、最高賞の“東京グランプリ”に輝いている。 そんな作品の、自分向けの試写が終わるや否や、トムは“再映画化権”獲得に乗り出す。話は早かった。その時点で彼は、アメナーバルのハリウッドデビュー作となる『アザーズ』(01)のプロデュースを手掛けており、その主演に、当時の妻だったニコール・キッドマンを据えていたのである。 トムは『オープン…』の、何がそんなに気に入ったのか?それは主人公が愛する女性を演じた、ペネロペ・クルスだったと言われる。そしてトムは、“リメイク版”の同じ役を、再びペネロペに演じて欲しいと、アメナーバルに伝えたという。 この辺り、劇場用プログラムなどには、「この役を演じられるのは自分しかいない」と、ペネロペ自ら売り込んだと記されている。どちらが真実かは、この場で判断する材料はない。 しかしトムが、ペネロペに大いに惹きつけられたのは、間違いなかろう。それはニコール・キッドマンが、オーストラリア時代に主演した『デッド・カーム/戦慄の航海』(89~日本では劇場未公開)を、トムが偶然観たことから、ニコールのハリウッド入りが決まった時のように。 ニコールは、トムの主演作『デイズ・オブ・サンダー』(90)の相手役に招かれ、やがて彼と恋に落ちた。そして2人は、1990年に結婚している…。 さて『オープン・ユア・アイズ』転じて、トム主演作の『バニラ・スカイ』は、ヒロインにペネロペを迎えて、2000年11月にクランクイン。6週間の撮影が、行われた。 ***** 仮面を付けた男が、取調室のような場所で、精神分析医に、自らの回想を語っている…。 美貌と富と才能を併せ持った、デヴィッド(演:トム・クルーズ)。彼は若くして、亡き父から継いだ出版社のTOPを務め、人生を謳歌しているように、周囲からは思われていた。 プレイボーイの彼は、昨晩も美女のジュリー(演:キャメロン・ディアス)と一夜を共にした。親友の作家ブライアンに羨ましがられるも、デヴィッドはジュリーを、「ただの“セックスフレンド”」と、冗談めかしながら言い切る。 デヴィッドの誕生パーティが、彼の自宅で開かれた。ごった返すその場に、ブライアンがソフィア(演:ペネロペ・クルス)という女性を連れてくる。デヴィッドは彼女に、強く惹かれるものを感じる。 いつもとは勝手が違い、簡単に手を出すことは出来ないまま、ソフィアへの想いが強くなっていくデヴィッド。そんな彼の態度に気付いたジュリーは、デヴィッドを待ち伏せし、車の助手席に乗せると、いきなり暴走を始める。 無理心中を図って車を橋からダイビングさせたジュリーは、死亡。デヴィッドは3週間の昏睡状態を経て、一命を取り留めるも、身体は深く傷つき、その美貌を失ってしまう。 歪んだ心身を奮い起こして、愛するソフィアへと会いに行ったデヴィッドは、デートの約束を取り付ける。しかしここから、現実なのか妄想なのかはっきりとわからない、悪夢のような日々が始まった…。 ***** 本作『バニラ・スカイ』の監督を務めたのは、キャメロン・クロウ。トムがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた、『ザ・エージェント』(96)の際の手腕を買われてのことだった。 リサーチ魔であるクロウは、1本の作品を完成させるのに、大体4年の歳月を掛けて準備する。しかし本作に関しては、前作『あの頃ペニー・レインと』(00)公開の翌年に、完成させている。 それはそうだろう。『バニラ・スカイ』は、オリジナルである『オープン・ユア・アイズ』と、構成も展開もほとんど変わらないのだから。 しかしながら、スペインのローカル作品を、ハリウッド映画にリメイクするに当たっては、様々な趣向を凝らしている。スーパースターのトム・クルーズ主演作の仕様に。 例えば開巻間もなく、アパートメントで目覚めた主人公が街へと出ると、行けども行けども人影ひとつ見えないというシーンがある。これがハリウッド版だと、ニューヨークのど真ん中、無人のタイムズスクエアを、トムがどこまでも彷徨っていく…。このシーンはニューヨーク市の許可を得て、実際にタイムズスクエアを封鎖して撮影されたというから、驚きである。 そんなオープニングに代表されるように、美術や造形、VFXなどは、オリジナルとは比べものにならないほどの巨費が投じられている。 キャメロン・クロウらしさが特に際立つのは、音楽面。クロウは幼い頃より音楽に傾倒し、16歳で『ローリング・ストーン』誌の記者となって、様々なミュージシャンと交友を深めた強者である。そんなクロウが手掛けた本作には、ポール・マッカトニーとR.E.M.が新曲を提供。それに加えて、レディオヘッド、ボブ・ディラン、モンキーズ等々の楽曲がフィーチャーされている。 更には出演者のキャメロン・ディアスが、役名のジュリー・ジアーニで、レコーディングに挑戦。当時クロウの妻だったナンシー・ウィルソンの楽曲「アイ・フォール・アパート」を歌唱している。 さてそんな形でアレンジが施されていった『バニラ・スカイ』に、オリジナルに続いて同じ役で参加したペネロペ・クルス。主演のトムとの相性は、どうだったであったか? それは後にクロウが語った、こんなコメントが端的に表している。「…初めて関係者だけで試写をしたときは、観終わったあとに、『ああ、この二人、本当に愛し合ってたな』っていう実感が伝わってきたよ。フィクションが現実になるのに、時間はかからなかったね」 トムはペネロペと、真剣な恋愛関係となった。そして元より不和が噂されていたニコール・キッドマンとの結婚生活は、一気に破局へと向かう…。 …とはいえ本作は、トムとペネロペの“公私混同”を見るための作品などでは、決してない。キャメロン・ディアスや精神分析医を演じるカート・ラッセルなども、見事な演技を見せている。また本作より後の出演作で存在感を強めていく、ティモシー・スポールやティルダ・スウィントン、マイケル・シャノンといった脇役陣が、それぞれ短い出番ながら、強烈な印象を残しているのも、いま観る面白さであろう。 ここでタイトルに関しても、触れておこう。『オープン・ユア・アイズ』転じて、なぜ『バニラ・スカイ』になったのか? これはオリジナルにはない、本作に付加された設定に、由来する。デヴィッドの部屋には、モネの絵画が飾られており、その色使いは「キャンバスに広がるバニラ色の空」として説明される。 “バニラ”には、「シンプルな」「まっさらな」という意味もあって、実は本作の中で、デヴィッドがさすらう世界が、現実なのか?それとも、妄想や夢なのか? “バニラ色の空”は、それを見極める鍵となってくるのである。 公開時に「難解」との評もあった本作だが、その辺りを念頭に置くと、意外にシンプルに構成されていることもわかってくる。彷徨う主人公が一体どこに辿り着くかも含めて、これ以上は、観てのお楽しみとしたい。 余談になるがペネロペ・クルスにとっては、『バニラ・スカイ』がハリウッドデビュー作というわけではない。しかしトムとのロマンスもあって、本作で知名度が抜群にアップしたのは、紛れもない事実だ。 一時は「結婚間近」とも報じられたトムとの仲は、3年後=2004年に破局。その後ペネロペは、ウディ・アレン監督の『それでも恋するバルセロナ』(08)で、アカデミー賞助演女優賞を受賞した。これはスペイン人女優としては、初の栄冠であった。 思えばトムの妻だったニコール・キッドマンも、彼とのロマンスで名を成した。そして離婚後に出演した『めぐりあう時間たち』(02)で、アカデミー賞主演女優賞を受賞している。 ニコールもペネロペも、トムと破局に至った大きな理由として挙げられるのが、彼が熱心に信仰するサイエントロジー教会。2人とも、それに対して懐疑心を持ったことが、トムとの別れにつながったと言われる。 ニコールはその後、オーストラリア出身のシンガー、キース・アーバンと再婚した。ペネロペは、長年の友人だったスペイン人俳優のハビエル・バルデムと、ゴールイン。それぞれ出身地が同じパートナーを得て、幸せな結婚生活を送っていると伝えられる。 一方トムは、『マグノリア』(99)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたのを最後に、オスカーとはとんと縁遠くなってしまった。また2006年に結婚したケイティ・ホームズとも、一女を成しながら、結局はサイエントロジーがネックになって、6年間の結婚生活を終えている。 悪趣味と誹られるかも知れないが、そんなアレコレに思いを馳せながら鑑賞するのも、本作を楽しむ方法の一つであろう。■ 『バニラ・スカイ』TM & Copyright © 2022 Paramount Pictures. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ゲット・ショーティ
映画界で成り上がりたければクールになれ!オフビート感覚で描くジョン・トラヴォルタ主演の犯罪コメディ
ジョン・トラヴォルタが映画マニアのマフィアというユニークなキャラクターをお茶目かつクールに好演。ジーン・ハックマンら豪華スターの競演に、映画業界の裏話や映画ネタを散りばめるなど楽しい見どころが満載。
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COLUMN/コラム2022.04.28
「スウィンギン・ロンドン」前夜の自由な空気を今に伝えるお洒落でシュールなコメディ『ナック』
ユース・カルチャーが台頭した’60年代半ばのロンドン 時代の空気と息吹を鮮やかに封じ込めた、さながらタイムカプセルのような映画である。時は1960年代半ば、場所はイギリスのロンドン。ヨーロッパ諸国に比べて第二次世界大戦後の経済復興が遅れたイギリスだが、しかし’60年代に入ると国民生活も次第に豊かとなり、さらにベビーブーム世代に当たる中流層の若者が経済力を持つことで、本格的な消費社会が到来する。’64年にはそれまでの保守党に代わって、中道左派の労働党政権が誕生。そうした中でファッションやポピュラー音楽などの若者文化が大きく花開き、首都ロンドンは世界に冠たるトレンド発信地へと成長する。 ビートルズにミニスカート、モッズ・カルチャーにカーナビー・ストリート。いわゆる「スウィンギン・ロンドン」の時代だ。’50年代を通して重苦しい空気に包まれたロンドンは、見違えるほど華やかでカラフルな街へと生まれ変わる。欧米のマスコミがロンドンをスウィンギン・シティ(イケてる都市)と呼ぶようになるのは’65~’66年にかけてのこと。’64年に撮影されて’65年に公開された映画『ナック』は、新たな時代へ向けて急速に変わりゆくロンドンの、若さ溢れる楽天的なエネルギーを思う存分に吸い込んだ作品だったのである。 主人公はちょっとばかり神経質な若き学校教師コリン(マイケル・クロフォード)。自宅の部屋を他人に貸している彼は、女性の出入りが激しいモテ男の下宿人トーレン(レイ・ブルックス)にイラっとしており、そのせいで無関係な女性たちにも厳しく当たってしまうのだが、しかし本音を言うと自分もモテたくて仕方がない。女性をゲットするにはどうすればいいのか。このままじゃ将来は欲求不満のスケベおじさんになってしまう! 思いつめた彼は恥を忍んで、トーレンに女性からモテる「コツ(英語でナック)」を伝授してもらおうとする。ところが、面倒くさがりで無責任なトーレンは、「んー、やっぱ食い物じゃね? チーズとかミルクとか肉とか。要するにプロテインよ」「っていうか、直感は大事だよね。でも、こればっかりは生まれつきの才能だからなあ」とテキトーなことばかり。最終的に「女は強気で支配するに限るね」などと言い出す。 その頃、故郷の田舎から長距離バスでロンドンへやって来た若い女性ナンシー(リタ・トゥシンハム)。右も左も分からない大都会に少々面喰いつつも、とりあえずYWCA(キリスト教女子青年会)を探して歩き回るナンシーだったが、しかしなかなか辿り着くことが出来ない。すれ違う人々に道を尋ねても、知らないと首を横に振られたり、間違った道順を教えられたり。そればかりか、見るからに田舎者といった感じの彼女を言いくるめて騙そうとしたり、バカにして軽んじたりする威圧的な男性ばかりに出会う。とはいえ、純朴そうに見えて実は意外としたたかなナンシーは、天性の勘と機転で「女性の危機」を上手いことやり過ごしていく。 一方、女性にモテたいならまずはベッドを大きくしなくちゃね!というナゾ理論に落ち着いたコリンは、部屋を真っ白に塗り替えないと気が済まない新たな下宿人トム(ドナル・ドネリー)に付き添われてベッドを新調することに。スクラップ置場で理想の中古ベッドを発見した彼は、そこへ迷い込んできたナンシーと仲良くなり、3人で意気揚々とロンドンの街を駆け抜けながら自宅へベッドを運ぶ。そこへ現れたトーレンはナンシーに興味津々。コリンも彼女に気があるものの、そんなこと全くお構いなしのトーレンは、チョロそうな田舎娘ナンシーを強気で口説こうとするのだが…!? 新進気鋭の鬼才リチャード・レスターとフリー・シネマの総本山ウッドフォール 本作の基になったのはアン・ジェリコーの同名舞台劇。’62年にロンドンのロイヤル・コートで初演されて評判になった同作は、古い貞操観念や男女の役割に凝り固まった旧世代の保守的なモラルを笑い飛ばす風刺喜劇だった。この舞台版をプロデュースしたのがオスカー・レウェンスタイン。ロンドンの有名な舞台製作者だったレウェンスタインは、その一方で友人トニー・リチャードソンやジョン・オズボーンの設立した映画会社ウッドフォール・フィルムにも深く関わっていた。 ウッドフォール・フィルムといえば、『怒りをこめて振り返れ』(’56)や『土曜の夜と日曜の朝』(’60)、『長距離ランナーの孤独』(’62)などの名作を次々と生み出し、同時期に起きたフランスのヌーヴェルヴァーグと並ぶ重要な映画運動「フリー・シネマ」の中心的な役割を果たしたスタジオである。この舞台版を見て映画化を思いついたリチャードソンは、舞台演出家時代から気心の知れたレウェンスタインに映画版のプロデュースも任せることに。そんな彼らが本作の演出に白羽の矢を立てたのが、当時ビートルズ映画で大当たりを取っていた新進気鋭の映画監督リチャード・レスターだった。 フィラデルフィアで生まれた生粋のアメリカ人だが、少年時代からハリウッド映画よりもヨーロッパ映画を好んで育ったというレスター。19歳で大学を卒業して大手テレビ局CBSに就職したものの、なんとなくアメリカの水が肌に合わないと感じていた彼は、’55年に開局したイギリスのテレビ局ITVの立ち上げに携わり、そのまま同局の番組ディレクターとしてロンドンに居ついてしまう。やがてテレビCMの世界にも進出し、仕事を通じてピーター・セラーズと意気投合したレスターは、セラーズ主演の短編コメディ『とんだりはねたりとまったり』(’59)で映画監督デビュー。そして、この映画の大ファンだったビートルズの指名によって、『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(’64)と『ヘルプ!4人はアイドル』(’65)の監督に起用され、テレビCMで培ったポップで斬新な映像感覚が注目される。本作はその合間に手掛けた作品だった。 当時まだ32歳のフレッシュな才能リチャード・レスターと、フリー・シネマの総本山ウッドフォール・フィルム。「スウィンギン・ロンドン」時代の幕開けを告げる映画として、これほど理想的な顔合わせはないだろう。根っからのビジュアリストであるレスター監督は、原作の舞台劇をそのまま映画化するのではなく大胆に改変。重要な要素である「性の解放」と「世代間ギャップ」というテーマはしっかり残しつつ、現実と妄想が巧みに交錯するシュールでお洒落なブラック・コメディへと昇華させている。 早回しや逆再生、ジャンプカットなどの映像技法を凝らした自由奔放な演出は、まさしくビートルズ映画で世に知らしめた当時の彼のトレードマーク。早口で飛び交うリズミカルなセリフのやり取りは、まるでメロディのないミュージカル映画のようだ。バスター・キートンやジャック・タチを彷彿とさせる、とぼけたビジュアル・ギャグの数々も皮肉が効いている。自分たちを縛ろうとする固定概念にノーを突きつけ、今まさに生まれ変わろうとするロンドンの街を、自由気ままに駆け抜けていく4人の若い男女に思わずウキウキワクワク。そんな彼らを見て眉をひそめ、陰口をたたくオジサンやオバサンたちの様子がまた面白い。実はこれ、ロケ現場でたまたま居合わせた通行人を隠し撮りした映像を使っている。そこへ後からセリフを被せているのだ。当時のイギリスの中高年層が、ベビーブーム世代の若者たちをどのような目で見ていたのか分かるだろう。 ヒロインのナンシーを演じるのは、舞台版に引き続いてのリタ・トゥシンハム。当時の彼女はトニー・リチャードソンの『蜜の味』(’61)やデズモンド・デイヴィスの『みどりの瞳』(’64)に主演し、文字通り「フリー・シネマのミューズ」とも呼ぶべき存在だった。そういえば彼女、’60年代のロンドンを描いた『ラストナイト・イン・ソーホー』(’21)にも出ていたが、あの映画のヒロイン、エリーとサンディは本作のナンシーの暗黒バージョンみたいなものと言えよう。後にロンドンとブロードウェイの初演版『オペラ座の怪人』などに主演し、ミュージカル界の大スターとなるマイケル・クロフォードもウルトラ・チャーミング。そのピュアな少年っぽさは、どことなくエディ・レッドメインを彷彿とさせる。 さらに本作は、無名時代のジェーン・バーキンにジャクリーン・ビセット、シャーロット・ランプリングが出演していることでも知られている。夢とも現実ともつかぬオープニング・シーンで、モテ男トーレンに会うため階段にズラリと並んで列を作っている美女たち。ドアを開けたコリンの目の前に立っている女性がジャクリーン・ビセットだ。さらに、コリンの部屋に椅子を借りに来て、その後トーレンのバイクに乗って颯爽と去っていく美女がジェーン・バーキン。また、トーレンやコリンと水上スキーを楽しむダイビングスーツ美女2人の片割れがシャーロット・ランプリングである。 同年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールと青少年向映画国際批評家賞の2部門に輝き、リチャード・レスター監督の名声を決定的なものにした『ナック』。当時は斬新だった映像技法やユーモアも、時代と共に色褪せてしまった感は否めないものの、しかし「スウィンギン・ロンドン」前夜の活気溢れるロンドンの空気を今に伝える作品として、映画ファンならずとも見逃せない作品だ。■ 『ナック』© 1965 Woodfall Film Productions Limited. All Rights Reserved.