PROGRAM

放送作品情報

立ち去った女

ANG BABAENG HUMAYO 2016年 フィリピン / 229分 ドラマ

善悪の概念も時間の感覚も消えていく──スロー・シネマの巨匠ラヴ・ディアスが紡ぐ長大な復讐劇
放送日時
2019年07月08日(月) 深夜 02:00 - 06:00
2019年07月19日(金) 06:00 - 10:15
2019年07月28日(日) 06:00 - 10:00
解説

“フィリピンの怪物的映画作家”ラヴ・ディアス監督が、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した一大叙事詩。無実の罪で30年間服役した女性の復讐の旅を、時間の感覚を超越したような長回しで緩やかに写し取る。

ストーリー

1997年のフィリピン。殺人事件の冤罪で30年間服役してきた元教師ホラシアは、彼女に濡れ衣を着せた黒幕が元恋人ロドリゴだったと受刑者仲間から聞かされる。無実を認められ釈放されたホラシアは30年ぶりに自宅へ戻り、そしてロドリゴに復讐するため彼が住む島に向かう。厳重に警備された邸宅の外から復讐のチャンスを伺いながら、様々な社会的弱者たちと出会っては彼らに救いの手を差し伸べていく。

監督・原案・脚本・撮影・編集

ラヴ・ディアス

出演

チャロ・サントス
ジョン・ロイド・クルーズ
マイケル・デ・メッサ
シャマイン・センテネラ=ブエンカミーノ
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
白黒
画面サイズ
ワイド画面
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2019/7/15

    定点にカメラを据えてのロングカットゆえに、画面のすみずみまで観察でき、そして、その情報の質・量共に凄いということに気づかされる。突然猫が駆け抜けたり、クルマのライトが通り過ぎたり、背景にカミナリが光っていたり。夜の中の人物の背中も、無言の表情も。 サスペンスは無いが、全く時間を感じさせない。 でも、人通りのない夜中に卵が売れるのかな。 傑作。

  • 鑑賞日 2019/7/13

    初ラヴ・ディアス

    いまだかつて経験したことのないような映像体験であった。3時間48分。 初ラヴ・ディアス、世界では『怪物的映画作家』と呼ばれており、平均で5~6時間、長い作品で10時間などの映画があるらしいので、本作の3時間48分はラヴ・ディアス的には短い作品のようである(笑) しかし、「凄いものを観た!」という作品。 ワンシーン・ワンカットという言葉は良く聞くが、この映画のワンシーン・ワンカットは半端ではなく、カメラを人物たちがようやく見える少し離れた距離に据えて、延々と登場人物のやりとりが映される。 その際、カメラが動き回ることなく、登場人物の近景も撮らないので、表情が判りづらい。しかも、夜の長回しも多い。 ただ、それら多数の長回し、序盤では「なぜ、こんなに無駄と思える場面を延々と撮るのだろう…?」と思ったが、それらが終盤に物語と繋がるあたりは本当に見事! 例えば、夜間の道端でバロットという物を売っている男の横で、スカートはいたゲイが延々と踊るのだが「なんで、こんな変な踊りを延々と見せられるのか?」と思っていたら、そのシーンでバロット売りは「変なやつだ」というセリフ。「えっ、このセリフを言わせるためだったの?」と思っていたら、これが終盤の殺人事件発生現場で「犯人は…」というセリフに繋がる。 その他、主人公の女性ホラシアが優しくするゲイの怪我を癒したりしているのだが、ゲイの怪我が治って二人で酒を飲むシーンで、ホラシアが「実は、私は刑務所にいたのよ」と言うとゲイは「知っている。書類を読んだ」という場面あり、ここで激怒したホラシアがゲイを拳銃で脅すのだが、この場面で「拳銃なんか持ち出して、ゲイに見せちゃっていいの?」と思っていたら、これがまた終盤に活きてくる。本当に見事。 全体の物語としては、刑務所に30年間収監されていた女性ホラシアは、無実であることが判明して釈放される。そして、彼女に冤罪をなすりつけた元恋人の大金持ちの男ロドリゴへ復讐するため、家を出る。 そして、ホラシアは、貧しい人々・気の毒な人々と出会い、彼ら彼女らに「優しさ」で接する。それは、屋台レストランの女性だったり、家出してきたゲイだったり、バロット売りの男だったり、物乞いする女だったりする。 それらの人々は、ホラシアが男への復讐を思い立たなければ、出会うこともなかったという不思議な運命。これも素敵! ネタバレは記載しないが、最初から最後まで「完璧な構成」と「無駄のない長回し」で構築された傑作中の傑作だと思う。 ただ、個人的に、この映画は、日本公開された一昨年(2017年)に映画館見逃し作品。(確か渋谷イメージフォーラム単館) スクリーンで観たかった…。

  • 鑑賞日 2019/6/9

    ラヴ・ディアス症候群

    ベネチア映画祭で賞を獲得したり、長尺を「ラヴ・ディアス症候群」と呼んだりと専門家諸氏の評価は高いようだが、あまりにも長すぎる。脚本は面白い筋なのでもう少し編集するとわかりやすい。

  • 鑑賞日 2019/3/11

    初ラヴディアス。 実験的な構成で、淡々と進んでいく点には非常に好感が持てたが、この尺は正直なかなか厳しいものがあった。 FIXでヒキ画でほぼ構成されているので、表情がほとんど見えず、さながら観察映画のしつらえ。 観ている側に感情の起伏を集中して読み取らせるという行為は珍しいが、劇場で観ないといけない作品だとも思った。

  • 鑑賞日 2019/2/24

    ヴェネチア国際映画祭

    主人公の心情が細部までモノクロ画面で描かれている。力作ではあるが、3時間50分は長い。長い割には生活背景がわからない箇所が多い。

  • 鑑賞日

    なぜ1997年でなければいけなかったかの説明がない

     原題"Ang Babaeng Humayo"で、女が行くの意。  香港返還の1997年、舞台は誘拐事件の多発するフィリピン・ミンダナオ島。  冒頭、ラジオ・ニュースとともに時代背景が説明されるが、物語はこれとは無関係の老女の復讐話で、なぜこの時代でなければいけなかったかについての説明はない。  30年間、冤罪で服役していた老女(チャロ・サントス・コンシオ)が、真犯人の自白で出所。彼女に罪を擦り付けた元恋人への復讐のため、非合法事業で名士となっている男の住む町にやってくる。  男の情報を得るために貧民たちに金を恵み、優しくしてあげるうちにマザー・テレサのように崇められる。老女は元恋人を教会で銃殺しようとしていた矢先、ゲイ(ジョン・ロイド・クルズ)が暴行されて老女の家に転がり込み復讐を諦めるが、彼女の秘密を知ったゲイが代わりに元恋人を射殺してしまう。  ラストは老女が行方不明の息子をマニラで捜すシーンで終わるが、悪が栄え善が淘汰されるフィリピン社会の不正義な状況に対して、神の不在を問いかける作品となっている。  固定カメラによる長回しを基本にリアリズムを引き出そうとする演出だが、俳優の自然な演技が引き出せたかというと、キャラクター造形の作為性が感じられて、それほどリアルに感じられないのが残念なところ。それもあって各シーンはそれほど濃密でもなく若干の間延びが感じられ、長編4時間が長く感じられてしまう。  原則固定カメラの凝ったコンポジションや、老女が消えたゲイを捜しに浜辺を彷徨うシーンで切り替えられる手持ちカメラ、殺害現場の教会でピントを手前においてぼかすカメラワークなど映像的な見どころは多い。  それでも4時間を費やすに値するものが得られるかとなると、無条件では人に勧められない。ヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞。(キネ旬5位)

  • 鑑賞日 2018/9/7

    ロングショットの美学

     初めてラヴ・ディアスの作品を見たのは、2008年だった。カンヌ映画祭での評判を聞きつけて、『Ebolusyon ng isang pamilyang Pilipino 』(2004)、『Kagadanan sa banwaan ning mga Engkanto』(2007)の2本を輸入盤DVDで手に入れた。それまでリノ・ブロカ、レイモンド・レッド、マリルー・ディアス=アバヤらの社会派やヘラルド・デ・レオン、マイク・デ・レオン親子、叙情派のイシュマエル・ベルナール、個人映画のキッドラット・タヒミック、ロジャー・コーマンの協力者にして多くのフィリピンロケのアメリカ映画を製作したエディ・ロメロなどの作品は、見ていたが、そのどれらとも違うフィリピン映画だった。ロングショットの多用は、侯孝賢を彷彿とさせたが、何よりもその緩やかに進む作品は、まるで、作品を体験しているような錯覚を覚えさせた。奇しくも、この2作品とも9時間を超える作品だったが、少しも飽きることはなかった。その後『Melancholia 』(2008)も手に入れて、ラヴ・ディアスが、1日でも早く日本で見られることを願っていた。『蝶は記憶を持たない』(2009)は、短編ながら東京国際映画祭で見ることができたが、やはり長編を見たかった。『北(ノルテ)― 歴史の終わり』(2013)が、ようやく東京国際映画祭で上映されたが、私事で東京を離れてしまったため見ることが叶わなかった。そしてようやく劇場公開されたのが、本作。親の介護に明け暮れる今の生活では、劇場に行く時間もなかったのですが、やっと見ることができました。その手法は、ますます洗練され、タール・ベラの存在に近づいてきた。これからも、1本でも多く日本でラヴ・ディアス の作品が見られるように願って止まない。

  • 鑑賞日 2018/6/13

    228分だが、実感は180分くらいのリベンジ物語。

    主人公ホラシアは模範囚で、教師だったキャリアから同房の子供達の初等教育を 行っていた。ところが同じ受刑者が真犯人であることを自供、一転無罪放免となった。 冤罪なのだが30年の刑期となっていた。親は死亡、7歳であった娘も37歳。しかも 殺人の教唆はかつての恋人ロドリゴで、ホラシアに罪をなすりつけることにも成功した。 とんでもない犯罪の犠牲者なのだが、出所してからは、社会の底辺に住む人に温かく 接する。なにやら天使の降臨のようだ。しかしロドリゴに対する恨みは深く進行して いたようで、拳銃を買い求める。いつか復讐の機会をうかがっているようだ。 ゲイでてんかん持ちのホランダを保護してから、奇妙な二人暮らしになる。 自殺志向があるホランダは危なっかしい生活で、映画として魅力あるパートとなった。 ホラシアがホランダを世話する一方的な関係だったが、酒を飲み過ぎたある晩に、 ロドリゴの奸計で刑務所暮らしの30年の恨み辛みが吐き出された。ロドリゴの 殺害を決意した晩に、ホランダが瀕死のケガでドアを叩いたことで、ホラシアは 殺人を犯さなかった、と彼に感謝した。 これがホランダがロドリゴを殺害する事件に至るのだが、カトリック教会の中で ゲイが殺人を犯す。神を畏れぬ所業なのだが、取調室でのホランダの強気な態度が、 神もホトケもない30年のアンサーとなり、映画を一気に浮揚させた。 このワンシーンワンカットがいちばん心に残った。 カメラはフィックス、ワンシーンワンカット、BGMはなし、陰影の強いモノクロームで 長回しが基本。さらにはピントの合っていないカットもあり、登場人物がピントの 合っている場所まで移動する。変則的なピン送りさえある。独特の世界観を達成 している。映画は説明的ではなく、ドラマを伝えることよりも、映像美の中に人間が 動くことになる。ともかく長いのが、気になった。

  • 鑑賞日 2018/7/9

    強力な映像で、感情があぶり出される

    コントラストの強いモノクロ、定点ワンカット長回しの映像が脳裏に焼きつく。登場人物たちのセリフの奥の感情が、あぶり出される感じ。

  • 鑑賞日 2018/5/30

    質実のしっかりとした映画。

    白黒でコントラストの強い、ルイス・ブニュエルみたいな映像。カトリック色の強いキリスト教会。なんかメキシコみたいだ。「エル」だな。4時間もあるというので、ところどころ1.5倍速で見たけどあまり違和感を感じなかった。そして、間が長くセリフも途切れ途切れなのにもかかわらず、ストーリーはストレートに進行する(パラレルだったり、回想が混じったりというような複雑なことは何もない)し、意外と短い4時間です。 フィリピンがアメリカの前にスペインに支配されていたため、ローマ・カトリックが多いことや、人の名前が「ホラシア」とか、スペイン語圏みたいだってこと、普通に知っててもおかしくないのに知らなかった(お恥ずかしい)。 主役のホラシアを演じてるチャロ・サントス・コンシオっていう女優さんの存在感がすごいですね。苦労して強くなった本物の大人、って印象。いじめられているゲイの役の人もすごい存在感。日本語の発音がいいし、きっと本物のショーガールなんだろうな。 冤罪。それは、天使のような女性が、30年の刑期の中で悪魔の心を育てるということ。 出所してからも善行を積み続ける彼女の中に大きく育っている黒いものを受け止めたのは、人の悪意のゴミ捨て場のようにされてきたトランスジェンダーの人物、ホランド。ホラシアはホランドに自分の犯罪を背負わせたようでもあります。いつでも重荷を負うのは、一番善良な生き物なのかも。 そしてホラシアは、ロドリゴに贖罪の機会を与えられなかったことを一生胸の中に持ち続けるんだろう。 ホランドは自分が長年受け止め続けてきた多数の人たちの悪意を、その瞬間に全てロドリゴにぶつけることができて、爽快になれたのかもしれない。ロドリゴはその瞬間赦されたと感じたかもしれない。最後の最後に、一番辛いのはまたホラシアなのかも。やさしい人間にとって一番幸せなのは、誰かを喜ばせるとき、誰かを助けているときだ。ホランドはせっかく彼女が幸せを感じていたときに、恩返しのつもりで幸せを奪ってしまったのかも。ホラシアは、誰かを使って憎い人を殺させるという、自分が被せられた罪を、無垢な他人に被せてしまったっていう思いを一生持ち続けるんだ。尋ね人のチラシを何千枚ばらまいても、彼女の生きる目的はもう失われてしまっていて見つけられない。 教会の周りの夜のバイクの音・・・外国に行くと、空港から街に向かうバスの中で聞くのがこの緩やかな喧騒なんだよね。かつて自分が行ったどこか暑い国の、確かに存在している人たちの物語だ、と感じます。

  • 鑑賞日 2018/8/28

    天使と悪魔

     4時間弱に及ぶ尺の長さだけれど、冤罪から釈放された女が自分を嵌めたかつての恋人に復讐を果たそうとするストーリーは、煮詰めれば1時間半少しで収まる内容であろう。でもそれでは30年間もム所暮らしを強いられた女の情念が浮かび上がらない。この尺の長さは監督にとって表現上どうしても必要なものだったのだろう。 概して長尺ものの傾向がある監督らしく、そこから怪物の異名がついたのだろうか。本作などまだ短い方らしい(!)  ロングのワンカット長回しの多用と、美しいモノクロ映像の組み合わせにクラシカルな雰囲気が漂う。特にスラムの町並みや風景に向けて執拗にカメラを回している。バロット売りや酔っ払いのオカマ、いかれたストリート・チルドレン風少女、といった貧民層とロドリゴら富裕層を対比させることで、フィリピンの格差社会の実情が肌で感じ取れてくる。  ホラシアは天使のような優しさを持った女性で困っている人を放っておけない。だから皆彼女を慕う。しかしそんな天使のようなホラシアも内面では復讐というどす黒い怨念を秘めている。彼女がその事をオカマに吐露するシーンに人間の不条理さが浮かび上がる。対照的にロドリゴは今でこそ教会に通い信心深さを装っているが、内面の悪から抜けることができないでいる。二人に人間の善悪を象徴させた文芸映画風な重厚なドラマだけど、何度か寝落ちしそうになったことは確かだった。

  • 鑑賞日 2018/3/29

    一寝入りしても同じカット

    フィリピンの孤高の映画作家によるワンマン映画。長廻しのため、復讐代行という70分で済む話に4時間かけている。終盤でようやくやりたいことが見えてくる。エンディングはポランスキーの「ゴースト・ライター」のようだ。そして「立ち去った女」というタイトルの意味が分かる。

  • 鑑賞日 2018/4/8

    神視点のフィルムノワール

    ラブ・ディアス監督の『立ち去った女』をようやく観た。きちんとした興行としては、昨年日本に初紹介され、その尺の長さと陰影の効いた魔術的映像美で「怪物的映画作家」と大きな話題になった。監督だけでなく撮影、脚本、編集も兼ねているという。これが「目がさめるような」というか、近ごろあまり味わうことのなかった実に斬新な映像体験だった。 かつて小学校の教師だった主人公ホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)は、殺人の罪を着せられ30年もの間、投獄されている。ところがこの殺人、同じ受刑者で友人のペトラが真犯人であることが自白により判明。しかもこの殺人を指示し、ホラシアに罪を着せた黒幕はかつてのホラシアの恋人・ロドリゴだった。釈放されたホラシアのロドリゴへの復讐の旅が始まる。時は1997年。まさに現代のフィルムノワールである。 この作品、独特の語り口を持っている。ワンシーン・ワンカットといってもただのワンシーン・ワンカットではない。キャメラは、登場人物たちをただ冷徹にじっと見つめるだけで何も語らない。それはまさに神の視点。遠藤周作の「沈黙」を彷彿させる。引きの画面の積み重ねからは、監督が人の顔や表情をはっきりと見せることにすら関心を払っていないことが分かる。われわれは、画面に映し出された人物の僅かな動きや佇まいだけでストーリーを追っていくしかない。 物語は、トルストイの短編「神は真実を見給ふ、されど待ち給ふ」に着想を得たとされているが、善と悪、復讐と赦しをテーマにしているとあって、ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」も連想させる。主人公ホラシアにジャン・ヴァルジャンの姿が重なる。標的ロドリゴの暮らす島で過去を伏せて料理店を営むようになるホラシアは、やはり過去を隠して工場を切り盛りし、市長の職にまで上り詰め、なおかつ良心を忘れないジャンの姿が被る。まさに物語からラブ・ディアスの貧しさへの憐れみ、格差への怨念が感じられる。唯一ジャンと異なるのは、神の沈黙のもと30年間囚われの身に甘んじていたホラシアには、神への憧れと忠誠が感じられないところであろうか? 神は試練として人間の営みをこれでもかと打ちのめすが、何一つ語りかけることはない。ただ自らが創造した子らをじっと見つめる。それだけである。この作品、観るべきか?観ざるべきか?3時間48分、その冷徹な視点に耐えようと思うか思わざるかによろう。

  • 鑑賞日 2017/10/15

    半分に縮めてほしい

    ラヴ・ディアスの「立ち去った女」は、「ローサは密告された」でも瞠目させられたフィリピン映画が、ついにヴェネツィアで金獅子賞を獲るまでになったという、底力を痛感する映画ではありますが、いくらなんでも4時間近い尺は長過ぎてしんどい思いだったことは否定できません。 身に覚えのない殺人の罪で30年も服役していた主人公チャロ・サントスが、親しかった囚人仲間のシャマイン・センテネラ=ブエンカミーノから殺したのは自分でそれを指示した黒幕はチャロ・サントスの元恋人で街の実力者だと告白されたのち、センテネラ=ブエンカミーノは自殺し、釈放されたサントスは、元恋人マイケル・デ・メッサに復讐する機会を窺ううち、癇癪持ちのニューハーフ、ジョン・ロイド・クルーズや、夜のバロット売り(バロットというのが何なのか、今いちよく理解できませんでしたが)のノニー・ブエンカミーノと親しくなるというお話を、ワンシーンを固定の長回しで撮るというスタイルに拘ったモノクロ映画。 確固たる演出スタイルの持ち主であることはよくわかりますが、カット尻が長く、全てのシーンが必要不可欠なものには思えず、228分という上映時間が体感的にはそれ以上の長さに感じられてしまうという映画体験。乱暴なことを申し上げれば、半分の尺に縮めてほしいところです。

  • 鑑賞日 2018/1/9

    ラヴ・ディアス監督からの内部告発

    冤罪によって30年間服役していたヒロインが真犯人の告解によって釈放された後、自分を罠にハメた昔の恋人へ復讐していくフィリピン映画。3時間48分というオリジナル全長版で公開してくれた関係各位に深謝したくなるほどの力作であった。 映画の冒頭、刑務所で労働を課せられた囚人たちの様子が映し出される。そこへラジオのニュースで香港返還やフィリピン国内で多発する誘拐事件が伝えられている。そこから元教師らしきヒロインが囚人たちに英語の文法や詩の朗読をしてあげている場面へ続いていくのだが、日常のありふれた風景と刺激的な外の世界とのコントラストが実に鮮やかであった。これはただ者ではない、そんな予感が無理なくこみ上げた見事なすべり出しであった。 30年ぶりにわが家へ戻ったヒロインは住居を管理してくれていた女性に土地の権利書を譲り人生の再出発を促す。ここで思った。ヒロインには死ぬ覚悟があるのだと。帰る家など無くていい、復讐さえ果たせれば・・・。おそらくそんな気持ちだったに違いない。この先描かれる社会的弱者たちとのエピソードからヒロインの優しさや平和主義が伝わってくるのだが、そんな彼女が復讐に凝り固まっている現実は筆舌に尽くしがたい憎悪を浮き彫りにして身震いした。 いつもは護衛に守られているはずの元恋人で街の有力者の男が、不意に一人で外に出て行商から食べ物を買う場面は驚いた。もしこれがアメリカ映画なら実に巧妙な伏線を張り巡らせ家の中からの様子を見せながら、外の人物の行動とを交互にカットバックさせたに違いない。これは何より娯楽作品ではない証拠である。 いつ以来か覚えがないくらい久しぶりに有力者の男は神父に懺悔をする。大勢の人生を狂わせた・・それを見るのが楽しかったのだと・・・しかしこの懺悔が神に届くことは無く男は、ゲイ(ヒロインの献身的看病で心身ともに回復した人物)によって教会で殺される。他力によって本懐を遂げたヒロインは次の生きがいを息子探しに見出したのか、マニラに渡り尋ね人のチラシを撒いていく。 ラストは路上に散乱したチラシの上をサンダル履きのヒロインがグルグルと歩き回る場面で終わっていく。息子は一体どこにいるのか、それ以前に生きているのか。消息も生死もわからないという現実をヒロインは受け入れられるのだろうか。人間の業を見せると同時にフィリピンの今を切り取った内容はある種の内部告発と言えないだろうか。ラヴ・ディアスの次回作を心待ちにしたい。

  • 鑑賞日 2017/12/28

    人物の個性を感じさせない引いた画面。

    無実の罪で30年投獄されていた女性の人生を追体験するかのような4時間弱。人生を棒に振り家族を失った主人公も、貧しいが故に住む場所すら奪われそうな人々も、酷い差別を受ける性的マイノリティも、他人事ではなく、あなた自身なのだとでもいうかのように、引いた画面は登場人物の個性を感じさせない。

  • 鑑賞日 2017/12/24

    師走の慌しい中でも費やす意味のあった3時間48分

    思い切った長尺の作品で、状況説明に乏しい前半は退屈ですらある。でも、単なる復讐劇ではなく、もっと社会や人生を大きな目で捉えた物語であること、そして前半の意味が解る後半に目を見張る。ほとんど固定カメラの1シーン1ショットで通しながらも意外なくらいに長短のメリハリ、リズムがあるのが見易い。すぐにもう一度見直したくなるくらいだ。登場人物をシルエットとして配置する細心に設計されたモノクロ撮影も秀逸。 そして、「ウエストサイド物語」の「サムデイ」に泣かされます。

  • 鑑賞日 2017/12/13

    長回し、モノクロ、3時間48分という長尺。 昔の恋人によって濡れ衣を着せられ30年間も投獄されていたある女の復讐をカメラは追う。 ワンシーンワンカット、4時間弱、狂気の沙汰のような映画であるが、蓋を開けてみれば長い時間を経てからこそ、主人公の喪失した長過ぎる30年間、憎しみと良心の狭間で揺れ動く葛藤を闇に重ね合わすことで感じることが出来た。 特に後半は素晴らしかったし、ラスト45分はスリルも感動もあり感極まった。 主人公の女性の存在感が大きい、ただただ大きいだけではなく、慈悲の心を持ち、弱者に対して優しさと慈しみを持ち接し、途中からは圧倒的な女神のように思えてくる。そして、物語は失われた30年を取り戻すための単なる復讐ではなく、思いも寄らない展開に逸脱していく。 それは、毎日昼と夜の時間の往復、普通の暮らしをして、主人公が毎日違う人(弱者)と出会い、話し、その人たちの暮らしを見て、人生に少なからず関わった時、相手に対して、慈恵の念が生まれ、何かしてやりたい、惜しみない愛を注ぐ母性にこちら側も、ぐっと引き込まれる。寓話的、政治的(フィリピンという国の独裁政治、貧富の差)、哲学的要素を盛り込み、赦しとは、贖罪とは、魂の救済とはということを最終的には考えさせられる。 そして、苦労に苦労を重ね、もはや悟りの境地に達したような、失う者がない者、女の、強さに打ちのめされる。 構図、時間、光と闇、善と悪、幻想と現実、聖と俗、モノクロの美しさ、徹底された長回しに、究極のロングショット、全てに神々しさを漂わせ、崇高な映画であった。

  • 鑑賞日 2017/12/11

    詩情たっぷりのモノクロ映像

    脚本・監督・撮影・編集と全てを一人でこなすラヴ・ディアスの個人映画とも言えるが、作品のテーマに人間の業に対する普遍性を感じ大河ドラマのような風格を感じさせる。個性的な登場人物たちを固定で長廻しのカメラで客観性を持って写し出し、詩情たっぷりのモノクロ映像にじっくりと浸らせてくれる。

  • 鑑賞日 2017/11/3

    まさに体験。

    レビューを書くのを怠っていた空白の1か月…記憶を呼び戻すのがかなり大変だが思い出してみる。うん。長かった。ただただその女とそこにいた。そして様々な体感を、したことは覚えている。今までにない映画体験。まさに。

  • 鑑賞日 2017/10/28

    永遠の階段

     復讐を企てた段階で悲劇になる運命が決まっていたかのような、カトリックの国らしい作品でした。自ら手を下したとしても再び投獄されるのは必至で、図らずも(なのかどうかは微妙ですが)第三者の手を借りて復讐が成し遂げられたとしても、天国への階段を永遠に上り続けることになります。30年という長い年月を奪われたとしても、復讐は許されないのですかね。  形としては民主主義をとっているフィリピンですが、貧困の格差は大きいようですね。ペトラの告白によってロドリゴが黒幕であると分かっても、咎められた様子はありません。ディアスは監督デビューする前に、一時的にアメリカで生活していたようです。そこから客観的に見たフィリピン内の矛盾を問題視し、後進国の発展においてキリスト教の教えは、もはやなじまず、秩序ある社会の必要性を訴えようとしていたのかもしれません。

  • 鑑賞日 2017/11/11

    ここでは一体誰が悪いのか

    格差を招く経済が悪いのか 傲慢な富裕層が悪いのか 復讐を実行しかけた主人公が悪いのか・・・

  • 鑑賞日 2017/11/6

    傍観者の無力感

     全シーン固定カメラによるロングショットで構成され、アップシーンで役者の表情を強調することもなければ、人物がフレームアウトすることもある。この手法が最初から最後まで貫かれる。  これにより、観るものはいわば突き放された感を受ける。物語の登場人物に近づけないのだ。他の映画であれば役者のアップで登場人物の感情の動きをしっかりと伝えようとするところが、この作品にはない。  最初この視点は神の視点かとも思えたが、そうではない。この撮り方によって感じるのは、無力感だからだ。登場人物たちの境遇に疑似的にであっても、近づけないことにより不条理に対するどうしようもないやるせなさを感じるのである。お前たちには何もできない、と。  他の映画作品でもそれは同じことではある。作中の人物たちに我々は何もできない。だが、登場人物たちの心情に近づくことにより、一種シンパシーを覚えることはできる。たとえそれが偽善であったとしても。  だがこの作品ではそれができない。我々は徹頭徹尾、傍観者であり続ける。できることはただ一つ、すなわち彼らのために祈ることのみだ。  傍観者であるがゆえに、我々は登場人物たちよりもよく「見える」。見えるからこそ、また不条理も際立つ。目を逸らしたところで不条理は消えない。冷たいまでの苦しさがそこにある。  神は待つ。我々は祈る。この作品では普遍が垣間見えるのである。

  • 鑑賞日 2017/11/7

    「すごいものを観た!」という実感が残るが、どう評価すればよいのか、まだ分からない…。まったく音楽がなく、ほとんどカメラが動かず(動いていたのは一箇所だけ?)、「いつまで続くの?」と飽きるくらいの長回し、「誰がいるの?」と目を凝らしてしまうくらいのロングショットで、「何だコレ?」だらけだったが、3時間48分は思いのほか短かった。後になってフィジカルに“来る”、忘れがたい怪作。

  • 鑑賞日 2017/10/30

    何と短く感じる3時間48分‼︎ そしてこんなにもモノクロのスクリーンに魅了されるなんて‼︎

    自分にはラヴ・ディアス監督作品が今回初めてだったので、正直かなり高を括っていたのだが、ここまで良い意味でうちのめされるとは!ワンショット、ロングシーンだからこそホラシアの感情が熟成され、光と影によりその機微が映し出されていく。観客におもねる説明的な音楽が一切排除されているのも良い。時折流れるラジオが伝える内容が絶妙なタイミング!俄然、監督の他の作品も観たくなった!

  • 鑑賞日 2017/10/24

    よくぞ鑑賞の機会を与えてくれた

    30年間服役した元女性教師のホラシアは、冤罪だったと判明、釈放され、元恋人が殺人の黒幕と知り、復讐を考えます。 彼女が出会う変わった人々との関わりは、復讐劇と対比させる訳でもなく、彼らの日常での、生きるための苦悩やあきらめの気持ちが、脈絡もなく長尺の映像に浮かびだされてきます。 ただ、意図的なのでしょうが、モノクロの映像は時にハッとするような美しさを見せる一方で、固定カメラだからまだしも、シャドー部分がほぼつぶれてしまっていて、とても見にくい状態を作り出していて、デジタル撮影でいかようにも処理出来る筈なのに、あまり感心は出来ません。 長すぎるようでいて、終わりの先にもまだ一つ二つのエピソードが残っているのではと、すっかりラヴ・ディアス監督の術中にはまってしまったような気分にさせられました。

  • 鑑賞日 2017/10/18

    3時間48分後の衝撃

    最初に言っておくと、館内の室温が、恐らく、30℃を越えていたのではなかろうか。 ほとんどガマン大会で、完全に集中力が欠けていたので、メッセージの理解が十分でないと思います。 ストーリーは30年間 刑務所にいた女が、冤罪とわかり釈放される。 自分を陥れた相手への復讐劇。 モノクロームで綴られるのですが、夜のシーンなんかは表情が全く見えません。 オマケに主人公の女が昼間と感じが違う服装なので、誰が出ているのかわからない。 女の止まった時を表しているのかと思ったのですが、モノクロの効果が伝わってこない。 また、復讐劇といいつつも、ほとんどヒューマンドラマといって良いでしょう。 復讐までに女が出会う人たちは、貧困者や障がい者、LGBTと最近ではありがちのキャラである。 彼らが女の優しさに触れる時、女の復讐が一歩ずつ近づくという逆説的なストーリーが切ないです。 この人間関係が巧みで、上映時間ほどの長さは感じません。 そして、3時間48分後の、思いもかけない結末が衝撃的でした。 たまたまでしょうが、最近は30年が流行っているのでしょうか。 最近の作品では「ナミヤ雑貨店の奇蹟」が33年、「あなた、そこにいてくれますか」「ブレードランナー2049」が30年と、時代を越えた作品がある。 本作も30年という時を刑務所で過ごし、女は人生を失っている。 30年も刑務所にいたら世界は変わり過ぎていて、時代に追い付けないでしょう。 それが冤罪というだけに、焦燥感が想像出来ません。 時代設定は1997年。 フィリピンの歴史はわかりませんが、イギリス領から中国へ香港返還から始まり、当時のフィリピンも混乱があったようです。 そんな時代背景も含めて見ると、もう少し理解が深まったのではないかと思いました。

  • 鑑賞日 2017/10/14

    人生は長い

    個人的に気になっていたラブ・ディアス監督作品を初鑑賞。11時間に及ぶ作品を作ったこともあるという監督からしたら4時間弱というのは短いのかもしれないが、十分長いよ。 思った通りの作劇の仕方だった。カメラをフィックスさせて、基本的に1シーン1カットで芝居を引き画で見せて行く。最近見たクーリンチェよりも人物の顔がわかるし、キャラクター自体の数も少ないので、ストーリーを追うことはできた。刑務所を出所した女が、冤罪を負わせて女の30年を無為にさせた男に復讐するというメインプロットなのだが、これが驚くほど進まない。その代わりにパロットを売り歩く男、教会に通うホームレス女、ひきつけを起こすゲイという、一癖も二癖もあるキャラクターと代わる代わる交感していく様を見せていくことで、観客は徐々に彼女の人生を追体験していく。この冗長とも言える時間の長さこそが人生であり、人生こそが映画である。その意味で本作は非常に映画的であった。劇場からは1時間もしないうちに寝息が聞こえてきたが、確信犯的とも言えるほどに長い上映時間は、再び覚醒した観客を再び彼女の人生へと引き戻したことだろう。観客へのこの挑戦的な姿勢こそがラブ・ディアスなのだろうか。だが、物語が大きく動く時、カメラが動き出し、唯一の劇伴とも言える音楽が流れ出す。それも人生には後から思い起こして劇的になる瞬間があり、その体験を観客に見せるという演出意図なのだろう。

  • 鑑賞日 2017/10/14

    魂の流浪

    ‪#0783 シアター・イメージフォーラム「立ち去った女」。第73回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したフィリピンの「怪物的映画作家」ラブ・ディアス監督作品。冤罪を受け入れ30年を刑務所で過ごし、真犯人の自供で突然釈放された女性の魂の流浪を3時間48分休憩なしで一気に描いている。‬