PROGRAM

放送作品情報

スウィート ヒアアフター

THE SWEET HEREAFTER 1997年 アメリカ / 113分 サスペンス ドラマ

事故で我が子を失った親たちの喪失感を癒やす“嘘”とは──静かな感動に包まれる人間ドラマ
放送日時
2019年05月31日(金) 深夜 04:00 - 06:00
2019年07月01日(月) 07:45 - 09:45
2019年07月01日(月) 深夜 03:30 - 05:30
2019年07月16日(火) 深夜 03:45 - 05:45
2019年07月24日(水) 06:00 - 08:00
解説

『手紙は憶えている』のアトム・エゴヤン監督がカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した人間ドラマ。ラッセル・バンクスの原作小説に童話「ハーメルンの笛吹き男」を重ね、ある悲劇を運命として映し出す。

ストーリー

ある小さな町で凍った道路を走っていたスクールバスが湖へと転落し、運転手ドロレスと少女ニコールを除く20人以上の子供たちが犠牲となる。悲しみに包まれた町へ弁護士スティーブンが訪れ、遺族である親たちにバス会社を訴えるよう説得する。その話し合いの過程で交錯していく、町の人々の複雑な関係。バス会社の責任を追及するには運転手に過失がないことを証明する必要があり、ニコールが証言を求められる。

出演

イアン・ホルム
カーザン・バンクス
サラ・ポーリー
トム・マッカムス
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド画面
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2019/6/1

    ドイツの童話『ハメルンの笛吹き』を現代のカナダに蘇らせたというか、何とも不思議な作品。 ミステリーか法廷ものに発展するかと思ったら、まさかの展開に唖然。結局、田舎は田舎のしきたりがあるって事かいな。 キャストでは、ヒロインで子役の頃のサラ・ポーリーが綺麗。

  • 鑑賞日 2017/12/8

    真実はいらない

    スクールバス事故の被害者家族。 訴訟を買って出た弁護士スティーブンス。 生き残ったが車いす生活となったニコール。運転手ドロレス。 弁護士の娘ゾーイが全体に絡み作品の狙いを定めていく。 閉鎖社会の空虚な人々。 宗教面が描かれないのも救いのなさを強調している。 但し、明確な回答を与えない。 ナイフを片手に構え子守唄を歌う父親。 画像の欺瞞が全てを否定する。

  • 鑑賞日 2016/3/6

    笛吹けど踊らず。

    アメリカ・カナダでは相当数のスクールバスが運行しているから、 このような事故もあったのだろう。冬の凍結路でバスはスリップし、 転落しながら凍った湖に沈んだ。とある弁護士が悲しみに沈む町にやって来る。 彼は悲しみの表情で、集団訴訟を勧めるのであった。 町の住人の群像劇と、弁護士の薬物依存の娘のエピソードが クロスカッティングでつながれ、それぞれが簡単には治まらない事情を抱える。 保守的な田舎町ではあるが一枚岩ではありえない。被害住民の考えはまとまらない。 そして童話「ハメルンの笛ふき」が象徴的に使われる。 この事故も童話と同様に唯一生き残った少女がいた。彼女の証言は値千金の重み。 しかし映画は巧妙に決定的なことを言わない。すべて八分で収める。 この寸止めパンチを不快と受け止めるか、真相なんて簡単には現れないもの、 と受け止めるか、評価の分かれ道。つくづく考えさせられるね。

  • 鑑賞日 1999/2/18

    ハメルンの笛吹き

    米国の作家ラッセル・バンクスの小説をカナダの映画作家アトム・エゴヤンが映画化し、97年度のカンヌ映画祭でグランプリを受賞した作品である。  白一色の雪に包まれた北米のとある小さな町、穏やかな静けさのなかで何事もなくたたずむ町に初老の弁護士が訪ねてくる。  彼は目指す家を一軒一軒丹念に訪ね歩いていく。  そして彼の行動を追っていくことで一見平和そうに見えていた町が実は深い悲しみに沈んでいるのだということがわかってくる。  果たして何があったのか、観客の興味は次第にかきたてられていくが、映画はそれをはぐらかせるかのように時間と空間を目まぐるしくカットバックしていく。  こうして映画は観客を落ち着かない不安感のなかへと誘っていく。  そしてその気持ちを引きずりながら次第に物語の核心部分へと入っていくのである。    ある晴れた朝、雪のなかを一台のスクールバスが大勢の子供たちを乗せて走っていく。  そのバスが突然雪道でスリップしてあっけなく湖の底に沈んでしまう。  そしてこの事故によって大勢の子供が死んでしまう。  当初の弁護士はこの事故を告発しようと各家庭を説得してまわっているのである。  悲しみにうち拉がれた親たちから話を聞いていくなかで次第に日常の裏に隠された事実が明らかになっていく。  町の人々の互いの中傷や憎しみ、不倫、さらには近親相姦といった意外な事実が見えてくる。  同時に弁護士自身の家庭が崩壊しているという事実もカットバックによる回想によって明らかになってくる。  彼の携帯電話にしつこく電話をかけてくる娘が実は麻薬中毒でどうにもならない状態に陥っているということも。  「スウィート・ ヒアアフター」すなわち「穏やかなその後」は果たしてこの町に訪れるのであろうか。  「ハメルンの笛吹き」の詩をくりかえし引用し、不思議な気配を漂わせながら映画は進行していく。  奇妙な味わいをもつ映画なのである。

  • 鑑賞日 1998/8/23

    アトム・エゴヤン

    1998年8月23日に鑑賞。大阪・心斎橋パラダイス・シネマ1にて。前売1500円。 少女サラ・ポーリーいいです。

  • 鑑賞日 2012/11/27

    おとぎ話と現実がシンクロする時に起こる歪み

    カナダの小さな田舎町で起こったスクールバス転落事故を、おとぎ話『ハーメルンの笛吹き』をモチーフに描くドラマ。物語は事故当日(およびその前日)、事故後集団訴訟を起こし賠償金を勝ち取ろうとする弁護士の奮闘、その弁護士の私生活を語る現在(および過去の回想)の3ストーリーが交錯して描かれる。 運転手と年長の少女以外、幼い子供たちが全て死亡するという悲惨な事故は、保守的で閉鎖的な小さなコミュニティーに大きな衝撃をもたらす。事故の責任は運転手にあるのではなく、バスに欠陥があったとし、企業に対して集団訴訟を起こし、賠償金を勝ち取るためにやって来たよそ者の弁護士は、子供を亡くした親を一軒一軒訪ね、訴訟を起こすことを説いて回る。この弁護士はいったい何者か?後から弁護料を巻き上げようとする悪徳弁護士か、それとも自身も麻薬中毒の娘を持ち、幸福な家庭を失った経験から、少しでも遺族の力になろうとしている親切な男なのか?彼こそが町の害獣(ネズミ)を退治してくれる笛吹なのか? このおとぎ話の使い方がとても巧い。唯一生き残った少女ニコール(車椅子生活を余儀なくされる)が事故前夜、ベビシッターとして雇われている家で子供たち(この子供たちも事故で犠牲になる)に読んで聞かせている絵本が『ハーメルンの笛吹』だ。その時点では、この物語が重要なモチーフなっていることはまだ解らない。幼い少年が彼女に問いかける「笛吹は何故、子供たちをさらったの?イジワルなの?」。それに対してニコールは答える「たぶん彼は(正当な報酬が貰えなかったことに)怒っているのよ」と。この答えと、弁護士が子供を亡くした親に言うセリフが重なる「あなたは(子供を失ったことに対して)怒っている。その怒りを正当な相手にぶつけましょう」と。 弁護士が家々を回るうちに、町の人々の様々な秘密や事情が明らかさにされて行く、それぞれの哀しみや怒りや戸惑いも。とりわけ思春期であるニコールの感情の変化がこの悲劇をより大きな悲劇へ導くのが、恐ろしくも哀しい。彼女は父親と近親相姦で結ばれている。彼女にとって父は理想の男性であり、自分の「全て」を受け入れてくれる絶対的な存在だ。しかし身障者となった今では、父親にとって自分は「愛する者」ではなく「憐れむ者」となってしまった。その上、医療費のかかる大きな荷物となってしまったのだ。彼女にとっての笛吹は弁護士ではなく、この父親なのだと思う。子供たちを「楽園」へ導く笛吹。父親がニコールに示した「楽園(幸福な未来)」への道は閉ざされてしまった。おとぎ話で足の悪い子供が1人取り残されたように・・・。そして彼女もまた正当な報酬(父の愛)を貰えなかったことに怒り、笛吹のように復讐に出るのだ。彼女のついた「嘘」がどれほどの波紋を広げるかも考えずに・・・。 訴訟は敗れ、加害者(?)となった運転手は町を去り、人々は口を閉ざす。保守的な町は悪夢は悪夢として封印し、忘れ去ろうとする。しかしその実決して忘れはしないのだ。 ラストシーンのニコールの表情は何を表しているのだろう?後悔に苦しんでいるのでもなく、してやったりとほくそ笑んでいるのでもない。彼女は「無感覚」に陥っている。感受性の高い彼女は心を閉ざすことで新たな「楽園」を手に入れたのだ。 ジワジワとしたサスペンスの盛り上げ方、幸福感に満ちた過去のフラッシュバック、閉じ込めようとしても滲み出てしまう怒りと哀しみ。これらを終始静かな語り口で物語るエゴヤン監督の計算された演出に舌を巻く。カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した見事な群像劇。

  • 鑑賞日 2012/4/2

    大人たちの原罪による子どもの喪失=聖家族たちの崩壊、田舎町の頑なな秩序を守る少女のウソ…といったモチーフに加え、繊細な仕掛けがあちこちに隠されている。その意味で難度が高く,再鑑賞により見えてくるものが多い映画と言える。