PROGRAM

放送作品情報

いちご白書

THE STRAWBERRY STATEMENT 1970年 アメリカ / 字幕 : 102分 / 吹き替え : 86分 ドラマ

フォークの名曲のタイトルにもなった、今や視聴困難な伝説の激レア映画。アメリカン・ニューシネマの代名詞
放送日時
2019年12月08日(日) 23:15 - 深夜 01:00
2019年12月10日(火) 06:00 - 08:00
2019年12月12日(木) 08:15 - 10:00
解説

公民権運動とベトナム反戦に端を発したカウンター・カルチャーが頂点に達した68年にNYの大学で起きた学園紛争を抵抗の聖地サンフランシスコに舞台を移し映画化。全共闘世代最高の青春映画で今の香港ともダブる。

ストーリー

1968年、サンフランシスコの某大学。部活動に打ち込むサイモンは、多くの学生が熱を上げている学生運動に対しては冷めていた。だが、通りすがりのデモでミニスカートの女学生に惹かれ、講堂を占拠する学生デモ隊に衝動的に飛び入り参加。学園紛争よりその娘との恋の行方が重要な彼だったが、体制派学生の横柄な態度と警察の強圧的な姿勢に、次第に義憤を覚え始める。そして、講堂への機動隊突入の瞬間は、日一日と迫っていた。

出演

※(声優)は吹き替え版作品が放送される場合の情報です。
字幕版、吹き替え版については、放送日時横のアイコンでご確認ください。

ブルース・デイヴィソン (富山敬)
キム・ダービー (岡本茉莉)
ボブ・バラバン (田中亮一)
ほか

字幕/吹替
字幕 吹替
掲載制限
なし
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド画面
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2019/10/17

    ザ・シネマのオンエア(16:9)の高画質版は、なぜか6分50秒短い。

    ザ・シネマ版、1時間41分50秒。 ツタヤテレビ、DMM/ビデオマーケット版、1時間48分40秒。 ザ・シネマ版は、16:9で高画質、音も良くなってるのだが、他の方のレビューで短くなっているというので見てみた。 最後の肝心の大学講堂のシーンだけで、1分12秒短くなっている。 ここだけ、ツタヤテレビ・DMM/ビデオマーケットの長尺版(4:3)と見比べてみた。 はっきり気が付いたのは、真上から撮られた円形スクラムの一番最初のショット。 リーダーの号令のもと、円形を形作っていくカット、これが無い。 最初であり、花が開いていくような動きがあるので、これが切られているのは解せない。 そして、もっと驚いたのは、ラストのブルース・デイヴィソンのストップ・モーションから直ぐに字幕へ移行していること。 長尺版は、ストップ・モーションから、総集篇みたいなデイヴィソンのモンタージュが30秒ぐらい続いて、ストロベリー・ステイツメントの字が奥から大きくなって出てきて、クレジットが始まるのである。 まぁ、ここは好き嫌いが分かれる所かもしれない。 2011年に劇場リバイバルされたデジタル・リマスター・プリントは果たしてどちらのヴァージョンだったのだろう? 作品的には、キム・ダービーとデイヴィソンの学生運動に対する真剣さの違い(温度差)から別れ、そして再会する流れが良く解った。 なんで、今までピンと来なかったのかな。 ノンポリ学生の心理を、真面目に描いていて、いい。 ボート部の右翼(?)で、デイブンスンをいじめる(?)奴が、突然、籠城組に加わっているのは、確かによく分からない。 彼が警官隊(?)に殴られて入院しているのを見て、デイヴィソンの気持ちが高まるのだから、重要なファクターなのだが。 モンタージュ的には、ほんとに《あの頃》映画で、あゝ、こういう映画が多かったなと思わせる素人臭さ。 ラストの《機動隊》のショットが、中盤までに、突然、挿し込まれて出て来たり。 しかし、世界は今、混乱の極みにある。 トルコがクルド人たちに戦争をしかける(?)し、香港はどうなるか分らんし、アメリカはあの人が大統領を続けているし、日本じゃ選挙へ行かない人が多いし、温暖化が進んでるのか台風は強力化してるし・・・。 私たちが知らず知らずのうちに使っているレアメタルの為に、コンゴは地獄と化していたり。  (特に、女性にとっては。) 一個人が、どうやって行動を起こせばいいのだろう。

  • 鑑賞日 2019/10/5

    もう若くないさと、君に言いわけしたね

    バンバンの『いちご白書をもう一度』は大嫌いな歌で、映画《いちご白書》を冒涜するような歌だと思ってた。 特に『就職が決まって 髪を切って来た時 もう若くないさと 君に言いわけしたね』というくだりが吐き気を催すほど嫌だった。後年、ユーミンが好きになって彼女の作詞作曲だと知った時、かなりショックだった。《いちご白書》みたいな映画はノスタルジーの中に追いやってはいけないと思う。 16歳、高校2年で名画座で二回見たが二回とも激しく感動してラストシークエンスは号泣した。催涙ガスを浴びせられ警棒で殴られる学生に自分を投影していたのだろう。 あれから48年、今はあの学生達の親の世代だ。末っ子は大学二年生で映画のサイモンと同じ20歳、ボートでもなく勉強でもなくバイトに精を出していて、もう1週間も家に帰ってこない。 映画の中で『国そのものが最悪になっている』と言われているが、2019年、アメリカも日本もさらに悪くなっているのではないか?そして香港はアメリカ、日本以上に深刻な状況だ。沖縄辺野古も同じかもしれない。国家権力が警察という力を使って反権力の市民を排除する。昨日(2019/10/4)は香港で14歳の少年が警官に撃たれたという。 『皆が無関心でこの街が腐っている。腐った街の腐った警官が平和を願う者たちを殴っている。殴るべきは戦争屋やヘイターだ!』というサイモンの叫びは誰かに届いたのか? 警官隊が大学体育館に突入する時、金網の外に見守る市民達が”Sympathy for students! No Violence.”というプラカードを持って見守っている。 警官隊突入の学生排除暴行シークエンスとラストのストップモーション、そこにかぶさる『サークルゲーム』の歌で終わるのは実にいい。緊迫感に溢れ、学生VS警官隊の構図が権力の横暴無慈悲を暴いている。だけど、実は老年に達して見返すと本篇があまり面白くないのだ。ドラマがなくノンポリ学生のままごとじみたスト活動の点描ばかりで食い足りないのである。 サイモンが活動にのめり込むようになったきっかけは? サイモンを殴りつけ、”You are Comi!”と罵った体制側の学生、彼はなぜ活動家になった?で、どうして骨折だらけで入院してるのだ? ドラマが薄いのである。そこが、スケッチ風の描き方がいいのかもしれないが、この程度の問題提起では社会は変わらないのではないか?と60代の爺いは感じる。 16歳の俺はたしかにこの映画によって生き方を方向づけられたのではあるが。あと《素晴らしき戦争》。 今回、見えたのは時代背景。ロバート・ケネディが暗殺され(68年夏)”Remember Boby!”、ニクソンが大統領になっている。ウォーターゲート事件の2年前。サイモンの部屋にはロバート・ケネディのポスターだけでなく、《2001年宇宙の旅》のポスターも貼ってある。 体制派の学生達はストライキの学生達を「ヒッピー、アカ」と呼び”Kill puke!”と公言する。あからさまな敵意。 活動家達の「ストライキ」=学長室占拠は無秩序と混乱、指示系統は乱れ組織化されていない。チェ・ゲバラ気取りの嫌味なリーダーや終盤にやってくるブラックパンサーじみた黒人、ゲバラや毛沢東のポスターがベタベタ貼られゴミが散乱している。『(タバコの)灰を床に落とすな!』という女子学生の意見は『反戦平和のためのストライキなんだから、そんなの関係ない!』と別の女子学生に一蹴されてしまう。 これだから革命は成就しないのだ。いくら立派な大義名分(ヴェトナムに平和を!黒人の子供に公園を!等々)を唱えても、身近な行動で悪を為していたら大義名分なんて意味がなくなるのだ。 16歳の時ほど泣けなかったが、それでも涙涙だったので高校生のころの気持ちがまだ残っているのだろう。 若い頃見て感動した映画、もっと見ていこう。

  • 鑑賞日 2019/10/3

    ザ・シネマのは編集版でガッカリだよ

    細々と編集されてましたが、一番印象に残っている講堂で円をつくる場面がカットされていたのは残念でした。編集した意図は分かりませんが、編集版を放送するならそのように表記してもらいたいです。 画質は昔アナログ地上波深夜枠で放送した吹き替え版の録画vhsと同程度だったのでいっそそちらをHD化して放送して欲しいです。

  • 鑑賞日 2011/12/12

    瘡蓋は疼いたか

    40年前の映画がリバイバルされた。映画『いちご白書』はバンバンの歌が大ヒットした際、中学の担任に教えてもらった。 その頃はいっぱしの映画好きを自認していたのだが、この映画のことは知らなかった。おそらく正式にロードショウ館でリバイバル上映されていなかったのだろう。 荒井由実が ♪いつか君といった映画がまた来る~ と書いたのは名画座に『いちご白書』が回ってきたときにインスピレーションが湧いたのだと思う。 そのバンバンの『いちご白書よもう一度』は1975年の発売なので、映画の公開から5年後のことだった。 学生運動が華やかし頃へのノスタルジーとしても、まだ当時の若者たちには挫折した闘争の傷が生々しく膿んでいたに違いない。  師走の新宿武蔵館の最終回。席はガラガラだと思っていたところ、還暦過ぎのおじさんたちでそこそこ埋まっていた。 膿んでいた傷はかさぶたすらも残っていないだろうが、映画を観ながら消えてしまった傷痕を疼かせていたのではないだろうか。 それにしても夜の上映という事情もあるが、女性客は驚くほどまばらだった。 この調子では ♪君も観るだろうか いちご白書を~ はおじさんたちだけのメモリーになっていたのかもしれない。 ラジオでの受け売りで、女は思い出を「上書き保存」してしまうが、男は「名前をつけて保存」するという話は頷けなくもない。男と女ではメモリーの機能が違うのだろう。  そんな保存された記憶がそこかしてこで疼いているような館内で、当然にして私はどこか疎外感を味わうことになる。  映画は後追いながらテレビで観ていた。バフィー・セント=メリーの主題歌「サークル・ゲーム」も何度か聴いた。歌が流れた時は懐かしいとも思った。  やはり曲と映像が寄り添っている映画は、今、この映画を観ているのだという臨場感が味わえるのが有難く、このことは「午前十時の映画祭」でも痛感している。 しかし、やはり『いちご白書』は自分の映画ではなかった。  大学の時、学生運動の記録フィルムの上映会に出掛けたことがあった。  東大や日大での大学立法粉砕デモや国際反戦デー、新宿のフォークゲリラの映像を見ながら、十年前の日本はこんなに熱かったのかと目を瞠る思いがしたものの、所詮、我々は全共闘、学園紛争を冷めた目で見てきた世代ではある。  そういえば校門前でマスクをした学生が配っていたアジビラを職員が回収する大学を受験したとき、「ダメだこの大学は」と思ったし、いざ自分の大学でも、ある事件が勃発して学内が騒然として、今までろくに授業に顔を出さずにだらだらしていた奴が、嬉々としてシュプレーヒコールをしているのを眺めながら「ダメだこいつは」とも思ったものだった。私は『いちご白書』の主人公にはあらかじめ共感できない前提があったと思う。  逆にいえば、その分だけ『いちご白書』を冷静に観ることが出来たつもりでもいる。  35mmニュープリントの綺麗な画面はそれほどの古さを感じさせなかった。  今、電車の中でつけ睫毛をする女の子たちを大勢見かけるように、流行サイクルがちょうど70年当時にシンクロしていることもあるかもしれない。  各国で起こっている民主化運動のデモや騒動のニュース映像がしばらく続き、政治状況も当時と似ているということもある。  バリケードで封鎖された大学構内の場面なども大した違和感もなく観ることができるが、もし十年前に『いちご白書』を観たらもっと古めかしく感じていたのだろうか。  もともと革命思想に燃えたぎる若者たちを描く映画ではない。  舞台はサンフランシスコ郊外のわりと牧歌的なキャンパス。一応、部屋には流行としてチェ・ゲバラや毛沢東の拡大写真を貼っているが、学園構内でアジっている学生たちをぼんやりと眺めていたボート部所属のサイモン。  おそらく、貧しい子供たちの遊び場になっている土地に、予備将校訓練隊のビルを建てようとした学校側を糾弾するというスローガンにも興味を持てなかったのだろう。  ところが彼はキュートなリンダにひと目惚れしてしまい学生運動に参加する。  サイモンが紛争に巻き込まれていくのはそんな他愛のない動機がきっかけだったが、何か若者らしい衝動を欲しがっていたこともあったのだと思う。  『いちご白書』の特筆すべきは、まさにその時代の渦中に作られているということで、ノスタルジーとは別の次元で学生運動を描いているということだ。  ベトナムがあって反戦があって、そこに資本の横暴を見出した若者たちがムードに乗って雪崩現象を引き起こしたというのが闘争の実際なのだとすれば、映画は時代の空気をよく描いていたと思う。  このたびのリバイバルために作られた公式HPで「アメリカン・ニューシネマを代表する1本」と紹介されている。  実はこの映画をニューシネマとした記事に初めてお目にかかり、一瞬「え?」と思う。  おそらく製作者もニューシネマとして作ったのではないだろうし、日本での封切りも配給会社の宣伝はニューシネマとしては売らなかっただろう。  しかし、なるほど「時代の中で生まれ、時代に翻弄されて、時代に消されていく」のがニューシネマの定義だとすれば、『いちご白書』は間違いなくニューシネマだった。  洋楽に対する知識が浅く、バフィー・セント=メリー「サークル・ゲーム」は別としても、ジョニー・ミッチェルもC、S、N&Yも知らないので作中に氾濫する音楽には少なからず退屈させられたが、学生たちが大学構内の体育館に輪を作って立てこもり、床を鳴らして抗議するところを突入した武装警察に蹴散らされる場面は今観ても迫力十分だ。  それまで音楽に合わせて映像をスナップショットのように重ねていく牧歌的な展開だっただけに、ひたすら暴力によって狩られていく学生たちをドキュメンタリーのようにリアルに映し出したクライマックスと、警官に棍棒で殴られたリンダめがけてダイブしたサイモンのストップモーションで終わるラストはそれなりに衝撃的だった。  上映が終わり、館内が明るくなって席を立つおじさんたちに、『いちご白書』のラストがどう映ったのかは知る由もないが、彼らがサイモンたちと同じ若者だったという記憶まで35mmニュープリントリマスター版で再現されていればいいな、とふと思った。

  • 鑑賞日 2018/2/19

    久しぶり、42年ぶりに見た。

     2011年にデジタル・リマスターで劇場公開されたらしいが、無理やり上下にマスクをかけた為、ラストシーンでブルース・デイヴィソンの顔が切れたらしい。 (AmazonのDVDレビューより。)  2011年11月25日に、ツタヤオンデマンドでDVD発売されている。4:3 字幕は消せないビデオ素材のものか。   (復刻シネマライブラリー=ツタヤオンラインのページから)  2018年2月19日現在は、ツタヤTVとビデオマーケットの配信で見れる。  ツタヤTVで見たのだが、レコーダーからアクセスして見れた。(要、クレジットカード)  4:3のスタンダード画面。レストアしたような形跡もないが、それほどの退色もなくVHSに準じた画質ではあるが、まぁ見れた。(ネット状態が良くないのか、5回ぐらい音が切れた。戻って再生すると正常だったが。)  映画はMGM制作だが、ガチガチのニューシネマ・タッチ。  曲の使い方、モンタージュ、どこを取っても素人臭い映像。    キム・ダービーとブルース・デイヴィソンの淡い恋も、よく分かんないうちに消えかかったりして、よく言えばリアルな若者の恋の描写だ。  だが終盤の、機動隊導入のシーンになると別物のように迫力が出てくる。  歌(ジョン・レノンのらしい。)を唄いながら床を叩き続ける学生。カメラは時に真上の天井から、円形スクラムの学生たちを映す。  まるでバスビー・バークレーの幾何学模様だが、あれと違って、こちらは悲壮な迫力だ。  学生の叫び声と、催涙ガス噴霧器の無機質な音が響くだけ。  音楽なし。  サークルゲームの歌が流れだすラストクレジットまで、秀逸な演出・流れであった。   主題歌はバフィ・セイント・メリー。(彼女の歌声は「ソルジャーブルー」でも聴ける。)    映画は実録で、舞台は1968年4月のコロンビア大学。  日本公開は1970年9月。  私がテアトル新宿で見たのが、1972年8月。  学園紛争の嵐は、とうに吹き去った後であった。 「サークルゲーム」訳詞   洋楽和訳めったpops より転載      ツタヤTVより転載 昨日 外に出てきた子供が不思議がってた    昨日 子供が外に遊びに行った yesterday, a child came to wonder トンボをつかまえて瓶の中に入れて見てた    瓶の中にはトンボが一匹 caught a dragonfly inside a jar 雷の音が鳴り響く空を怖がって         大変だ 雷が鳴ってる fwarful when the sky was full of thunder そして流れ星を見て たくさん涙をためて    流れ星を見たら涙がにじんで and tearful at the falling of a star そしてその子供にも季節は10回巡っていった  それから季節は10回巡り then, the chaild moved ten times 'round the seasons 凍った川でのスケートも10回経験したのね   氷の小川で10回すべった skated over ten clear frozen streams 「大人になったら」って言葉で納得するしかなくて 少年は大人になるのが待ち遠しかった words like, "when you're older", must appease him 「いつかね」って約束で夢見ていったのよ    少年は未来を夢見た and promises of someday make his dreams *そして季節は巡り巡っていく          季節は巡り木馬ははねる and the seasons they go 'round and 'round  彩られた木馬たちも上に行ったり下に行ったり  and the painted ponies go up and down  私たちは時間の回転木馬に捕らえられているのね  時のメリーゴーランドに捕らわれて we're captive on the carousel of time  私たちは戻れない                でも戻れない we can't return  そして私たちができるのは            振り返るだけ we can only look behind  歩んできたこの道を振り返るだけ from where we came  そして何度も何度もくり返すの           巡って巡って 回転木馬 and go round and round and round  このサークルゲームを in the circle game  そして大人になっていくのよ 16回目の春と夏が今過ぎていった         16回の春と夏が過ぎ   sixteen springs and sixteen summers gone now 街では馬車に代わって車が走るようになった     馬車は自動車に変わった cart wheels lost to car wheels through the town まるでこう言ってるみたい and you tell him 「ゆっくり行きな もうすぐだよ       楽しむんだ 人生は長くないのだから "take your time, it wom't be long now 君が足を引きずって             時の流れが遅くなり 'til you drag your feet to slow the circles down" このサークルゲームは ゆっくりになるからさ」  そして止まるまで さらに年月は流れ あの少年はもうはたち    明日を夢見る少年はもうはたち so the year spin by and now, the boy is twenty いくつかの愛を失う一方            夢は消えたけれど though his dreams have lost いくつかの大きなことは実現したの       雄大さは本当に some grandeur coming true 新しい夢も生まれてくる            きっと新しい夢が there'll be new dreams, もっと素敵な夢がたくさん         もっと素敵な夢が一杯 maybe better dreams and plenty 最後の思春期が過ぎていくその前に     季節が巡り終わる前に before the last revolving year is through  

  • 鑑賞日 2012/7/7

    いちご白書をもう一度

    フォークソングのタイトルとしてなら知っている『いちご白書』というものが こういう作品だったんだなと知ることが出来ました。 何となく始めた奴と真剣に打ち込んでる奴とがいる学生運動が こんな凄いラストを迎えるなんて… ラストを迎えるまでは意外と淡々としてて、抑揚も何もない感じがしたけど 体育館(だよねあの場所)に集まった学生たちを一斉検挙する警察の暴力と ほぼ無抵抗に引き剥がされていく学生の輪が、スローモーション的な映像と共に 迫力&悲しく映し出されて圧倒的でした。 同時期の日本の学生運動を描いた作品での『頭でっかち』な日本の論理先行な学生運動とはちょっと質が違うように感じました。 当時の流れを汲み取って日本でも行われていた運動と 『いちご白書』で描かれる運動との違いを感じる事が出来たのが何より良かったと思います。

  • 鑑賞日

    サンフランシスコorニューヨーク

    原作どおりに、コロンビア大学を舞台に作ったらどうなっていたんだろと夢想するが、甘ちょろいボーイ・ミーツ・ガール映画とするなら、サンフランシスコは正解。 とあれ、映画「いちご白書」は、長崎に住む映画と勉強しかない中学生に、アメリカ大学生の生活を妄想させ、大きな影響を与えた。この映画なければ、CSN&Yも知らないままの10代で、大学でボート部に入ることもなかったのはまちがいない。 河の水面、公園、遊園地そして坂道の光と風。フリーセックス、ゲイ、学生運動...サンフランシスコの空気をたくさん吸わせてくれました。 そして、”All we are saying is give peace a chance"のラストは、すこし感傷的な気持ちにさせてくれます...これじゃまるで あの歌そのものですねえ(苦笑) 若者と体制の...のは、おいといて、21世紀のいまでも、70年台はじめの西海岸の風景と音楽(もちろんキムダービーも)が素敵な映画です。 場所は長崎(今はなき)新世界劇場、時は夏休み前 併映は「エルビス・オン・ステージ」、そして高校生で満員でした。

  • 鑑賞日 1976/1/8

    カットひどし

    ラスト、ストップモーションになってから、メリーゴーラウンドのショットがカットされてる。

  • 鑑賞日 2017/1/30

    USバージョンDVD

    5年前(2012年)にリマスターされ劇場でリバイバル公開され、のちに高品質なパッケージがリリースされるのではと期待していたが全くその気配なし。 今回はUSバージョンのDVDにて鑑賞 繰り返し鑑賞しているため字幕なしでもほぼ問題なし いかんせんVHSなみの画質はなんとかできないものだろうか 国内ではTSUTAYAがオンデマンド方式のDVDを販売しているが画質に期待できそうにない。 いつになったら今時の画質の本作品に巡り会えるのだろうか。 作品内容としては40数年前に感じたみずみずしさをいまだに感じさてくれる。コントロールされないカメラの動きや編集の気持ちよさは現在の映画では味わえない新鮮さを保っている。

  • 鑑賞日 2016/7/24

    とても新鮮だった

    「いちご白書をもう一度」の「いちご白書」。 「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」に出てくる「卒業」と同様、こどもの頃に大人の世界として憧れたものをやっと見られて嬉しいです。 とても新鮮ですね。普通のあっけらかんとした若造が、わりとたまたま、好奇心で学生運動に入り込んでいって、予想外に傷つけられてしまう。学校が悪い、社会が悪い、警察が悪い、というより、好奇心半分で危険な活動に飛び込んでしまって痛い目にあう若者、という印象も受けます。だって、学長室を占拠とかいって中で遊んでるだけなのが何かの”活動”なのか?って気もするし。 その一方で、大人としてこの映画を見ると、若気の至りで反抗した若者たちをここまで痛めつける必要がどこにあるんだろう?この国には信じたいことを信じる自由があったはずなのに、おもしろくないというだけで、管理するものがここまで残酷になれる統治のやり方を恐ろしく感じます。 音楽もとても新鮮。ニール・ヤングも、「サークル・ゲーム」も、そのほかのこの頃の初々しいアメリカの音楽が美しく流れます。Thunderclap Newmanって人の「Something in the Air」がいちばん気に入った。 二回見たら、最初のほうのおちゃらけた学生の感じがあまりに無邪気で、なにか悪い気配が漂い始めてることにまったく気づいてないことが切なく思えてきた。最後の執拗な警察の暴力は、やっぱり、この頃に起きた、警察に学生が殺されてしまった事件を示唆してるのかな。 わたしはこの人たちの無邪気さがとっても好きだ。黎明期のマイクロソフトとかグーグルとかと似たような感じ、じゃないかな??

  • 鑑賞日 1971/11/3

    またまた泣き。大泣き。

    In together, out together, in together, out together! Stroke! Stroke! Stroke! Stroke! 1st シーンのボート漕ぎの印象等、5ページにわたってびっしり感想を記した高校時代のわたくし。 終わって一緒に見てたT君が「おい、大丈夫か?」と心配してくれた。

  • 鑑賞日 1971/5/16

    映画で初めて泣いた

    ラストシーン、州兵の学生達への暴行に号泣している。

  • 鑑賞日

    もう一度♪

    これを見て遅ればせながら「学生運動」ってものを少し理解した。ラストの長々しい暴力のシーンは強力な印象を受ける。♪”サークル・ゲーム”もヒットしました。

  • 鑑賞日

    「いちご白書」をもう一度

    イージーライダーと共にアメリカン・ニューシネマの代表的作品の一つ。1970年前後、全世界的に学生運動が盛んであったが、学生運動をテーマにした映画は意外に少ないが、この映画はその中で貴重な良作である。 他のニューシネマと同様、既成の音楽の使い方が素晴らしく、最後のバフィーセントメリーの「サークルゲーム」も良かったが、ジョンレノンの「平和を我等に」をみんなで床を叩きながら合唱して抵抗する場面が特に印象的だった。極端な言い方をすれば、これは「平和を我等に」のPVで、それまでの長い話は単にPVを導くプロローグに過ぎなかったのではないか、と思えるくらいこの映画の雰囲気にすごく合っていた。

  • 鑑賞日

    季節外れ

     私が10代の頃この作品はとても話題になっていたし、主題歌の「サークル・ゲーム」も大ヒットした。しかし、その頃私はこの作品を観ていない。私が大学に入った時には学生運動は一部の学生のサークル活動のような感じになっていて、教条的主張を繰り返すだけの彼らが時代遅れのように感じていた。そういう事もあって、イマイチ積極的に観たいという気持ちにならなかったこともあるが、たまたま上映されていなかったから、というのが本当のところかもしれない。公開されて40年以上たって初めて観たが、流れてくる曲はとても懐かしかったが、人物像や話す内容には時代の差を感じて、それほど共感を覚えなかった。若い頃に観ていたならもっと切実に心に感じるものがあったのかもしれないが、さすがにこの年になってしまっては季節外れになってしまったということだろうか。

  • 鑑賞日

    学園紛争

    監督はテレビ出身の新人スチュアート・ハグマン。1968年に実際にあった学園紛争の渦中にいた、ジェームズ・クーネンという男子学生の体験記を、新進劇作家イスラエル・ホロヴィッツが脚色。1970年カンヌ映画祭で審査員賞を受賞しました。 【あらすじ】 サイモン(ブルース・デイヴィソン)は大学でボート部に所属し、練習に励んでいる。彼の通う大学は学生によるストライキ中だ。学園闘争への憧れや好奇心から、サイモンはある日、見物がてら警備線の張りめぐらされた大学構内に入って行った。特に思想を持っていなかったサイモンだが、リンダ(キム・ダービー)という女性解放委員に惹かれ、積極的に闘争に参加するようになる。しかし、リンダは、闘争に対するサイモンの真剣みに欠ける態度が気に入らず、彼から去って行ってしまった。…それからいろいろ思うところがあり、サイモンは運動の渦中に入っていき、それに生きがいを感じるようになる。リンダも戻ってきた。やがて、学生の怒りは奔流となってあふれ出し、ついに、当局は実力行使を決定…。学生の反抗は、圧倒的な武力の前に鎮圧されてしまった。 全編に渡って学園紛争を描いた作品で、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(←好きです)やバフィ・セント・メリー、ニール・ヤングなどの珠玉の音楽が散りばめられていて嬉しいです。テレビ出身の新人監督らしい斬新な(と言うより何でもありの)カメラワーク(激しいズームや目が回るようなパンの多様)が学園紛争の雰囲気によく似合っていると思いました。ラストのストップモーションもばっちり決まっています。 ラストの警察が乱入する直前、学生たちは最後の抵抗として、床を叩きながら、ジョン・レノンの「平和を我等に」を合唱します。学園闘争にかけた学生たちの生の姿、彼らの夢や憧れ、若さ、それぞれの思いをリアルに描き出し、それらが権力の行使の前に敗れ去る様を、感傷抜きで見せつけて映画は終わります。 

  • 鑑賞日

    バンバンで有名に

    フランスではパリ5月革命。日本では新宿騒擾。お隣中国では 文化大革命と何だか物々しい革命ブームの政治の季節であった 頃の作品です。 (ふと、新谷のり子のフランシーヌの場合が脳内BGMで 流れてしまいました。ふるーい!) 背景は1968年4月、アメリカはコロンビア大学の 学園闘争。その渦中にいたジェームズ・クーネンの実体験基に したものです。 ノンポリ体育会学生サイモン(ブラッド・デイヴィソン)が、 一目惚れした女子学生リンダ(キム・ダービー)目当てで 信条とは関係なく学生運動へのめり込んでいくんですが、 最後は熱き闘士となっている。その過程がしっかりと描かれて いてサイモンに思いっきり感情移入しちゃいました。 何しろ、展開が自然でテンポもいい。 キム・ダービーが美人でないところがいい。 校内で大きな胸をさらけ出し男子学生に性的奉仕する ブロンド女性はもっといい。 とにかく、政治的見解とは別にして純粋に熱い青春だなーと 共感できます。ラスト、体育館に籠城する学生を警官隊が 実力排除するシーンの迫力。凄いです。どういうわけか 悔しくて涙が出てきました。(僕の世代では金八先生の 直江喜一演じる加藤が機動隊に捕まる腐ったみかんの方程式 を思い出しちゃいますね。挿入歌だった中島みゆきの 「世情」に涙ぐんだ世代です) バフィ・セント・メリーの歌う主題歌“サークル・ゲーム”を はじめ音楽も気が利いていて胸に響きます。 余韻も心地よくて年を取ってからも感動を覚える 青春映画ですね。監督のスチュワート・ハグマン。 若干28歳で、事実上もうこの作品しかないのですけど、 一世一代のセンスのいい作品を撮ったものだと感心します。 *御承知の通り、バンバンの「いちご白書をもう一度」は この映画をモチーフとしているんですが、この名曲さえ 知らない人が増えてきているんでしょうね。 いつか~君と行った~映画が~また来る~♪

  • 鑑賞日 1976/1/8

    東京12チャンの放送。

     2時間枠の、短縮吹替え版。   キム・ダービーは、1967年映画館で「0011ナポレオン・ソロ ミニコプター作戦」を見てて、覚えていた。

  • 鑑賞日

    デモ排除

    ドキュメンタリータッチでデモ排除の様子が撮影されてます。 すごい迫力でリアル感あります。 これはすごいですよね、だって撮影されてるのはサンフランシスコ市庁舎のところですよ。大学に見えるけど、実はそれらしい所で撮影されたもの、映像の力は大きい。

  • 鑑賞日 1972/8/15

    有名な主題歌だった。バフィー・セイントメリー「サークルゲーム」

     しかし、ラストシーンに、いまいちノレない俺がいた。       1972年、もはや日本に学生運動はなかった。  過激派の殺人騒動しかなかった。        浅間山荘事件1972.2.19~2.28     1975年「いちご白書をもう一度」がヒットする。     松任谷由実さんは1954年の早生まれ、1953年遅生まれの僕とは、同学年になる。

  • 鑑賞日

    学生運動という響きが今でこそそぐわなくなりましたが、この若人のいらいら感が集団となって闘争へとつながっている。最後のメロディーにも心を震わされました。→ユーミン→バンバンへ 点数で何事も判断される人間の苦悩が世代間の戦争へとつながる世界を恋愛に重ねて描いています。

  • 鑑賞日 1999/3/29

    1970年代

    邦題自体も青春という感じですが、話もアメリカの当時の学生の行き方を凝縮しているような感じでした。 日本でも昔は学生運動が盛んな時期もあったと聞いていますが、日本の学生もこんな感じだったんだろうか?などと考えた作品でした。

  • 鑑賞日 2011/12/1

    かつてここに一つの青春があった

    食料調達係りとなってドラッグストアで買い物を済ませた二人が、食べ物でいっぱいになったカートを押しながら走るシーン。キム・ダービーの可愛らしさが際立つ、このさわやかで、疾走感あふれるロマンティックなシーンと、ラストの権力による暴力シーンとの圧倒的対比。このモチーフから、何と多くの作品が、日本でも生まれたことだろう。滝沢解原作・芳谷圭児作画の「高校さすらい派」、佐々木守原作・みやはら啓一作画の「ぼくたちの伝説」。この二つのマンガは、「いちご白書」へのオマージュとしても、また少年マンガ雑誌にここまでの作品が掲載されたということでも長く記憶されるべきであろう。転向と裏切りの青春を、甘い叙情のオブラートに包んだインチキソング「『いちご白書』をもう一度」が唾棄すべき存在であるように。

  • 鑑賞日 2012/1/20

    名作

     高校生の頃名画座で見た時には、つまらない映画だと思っていましたが、年取った今観れば、学生運動に参加していた青年の心の機微が良くわかりました。16mm風の画質も意図されたものでした。少し大人になってから観るべき映画でしょう。

  • 鑑賞日 2012/6/17

    ひとりぼっち

    人生3回目のスクリーン独占状態。でもアメリカンニューシネマは大好き‼ やけに振り回すカメラワークがかっこ良くて、8ミリでマネしていたことを思い出しました…。

  • 鑑賞日 2012/6/17

    青春映画

    70年代初頭の空気を切り取ってそのまま閉じ込めたかのような映画。当時の学生運動についてはあまりよく知らないので理解しづらい所もあるのだけど、主人公の成長と挫折を描く青春映画として、痛々しくてキラキラしてて、普遍の切なさがあると思う。音楽とカメラワークがすごく良かった。バッド・コートの出演シーンが意外と少なくて残念。

  • 鑑賞日 2011/11/23

    一度見てみたかった映画。まさか、音楽満載とは…。 時代が違うんだなと思う。思想とか、入れ込んでいる人達の感覚をわかるのは、難しい。

  • 鑑賞日 2012/2/21

    やっと観れた

    圧倒されて、かなりのショックを受けた。。 この時代のエネルギーってほんと凄い。 いろいろと考えこんでしまう映画だった。 映画館で観れてよかった!

  • 鑑賞日 2012/2/15

    (デジタルリマスター版)@キネカ大森

  • 鑑賞日 2012/3/5

    トラウマになります

    まだ世界を自分たちの力で変えられると信じていた時代、情報操作が今ほど巧みではなかった時代、そういう時代にもどれないのは、そのときこの映画のように徹底的に暴力によって弾圧された記憶が深く刻まれているからなんだなと感じた。

  • 鑑賞日 2012/2/11

    学生闘争

    ヘンリー・ハサウェイの「勇気ある追跡」のあのキム・ダービーが女闘志に。好奇心から学生運動に参加したブルース・デイヴィソンとの恋模様もなかなか。彼の部屋のラジオでシャロン・テート殺害のことが流れていて時代を感じる。

  • 鑑賞日 2012/1/21

    語り継ぎたい映画

    「語り継ぎたい映画シリーズ」としてリバイバル上映。DVD化されておらず、初めて鑑賞(最近TSUTAYAのオンデマンドDVDでソフト化された模様)。自分の生まれた年に製作された作品。雰囲気と音楽が良かった。【ニューシネマ】って今観ても【ニュー】であることを改めて認識させてくれた。