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PROGRAM/放送作品
夕陽のギャングたち
革命期のメキシコを舞台に、アウトロー野郎が冷血政府軍相手に大立ち回り!これぞマカロニの面白さ!
マカロニ・ウエスタンを確立した男セルジオ・レオーネが得意とする、男の友情、男の生き様と死に様とを描ききった、同監督最高傑作との呼び声も高い一本。革命期のメキシコを2人のアウトロー漢が熱く駆け抜ける!
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COLUMN/コラム2021.01.12
寡作の巨匠エリセの、奇跡のような長編デビュー作『ミツバチのささやき』
1985年春、二浪してようやく大学に入学した私は、映画研究会に入った。映画に関してうるさ型の学生が集まるその部室で、当時1本の映画が大きな話題になっていた。「アナちゃんは撮影の時に、自分が本当にフランケンシュタインに会っていると思ったのよ」 その作品では、劇中で“フランケンシュタイン”の映画を観た主人公の少女が、怪物が実際に存在すると思い込んでしまう。そしてその撮影の場に於いても、主人公を演じた、アナという名のその子役は、特殊メイクで作られたフランケンシュタインと会って、映画内と同様に、本物だと信じてしまったのだ…。 そんなことを、年齢は私と同じながら、大学の年次は2年上の女性が、目を輝かせながら喋っていた。 その作品は、『ミツバチのささやき』。ヒロインのアナ・トレントの名と共に、学生の映画サークル内に限らず、当時の映画ファンの口の端に、頻繁に上ったタイトルである。 日本公開よりは12年前=73年に製作されたスペイン映画『ミツバチの…』ブームの仕掛人は、“シネ・ヴィヴァン六本木”。それまではなかなか観られなかった、世界のアート系映画を次々と公開し、83年のオープンから99年の閉館まで16年間、“ミニシアター文化”隆盛の一翼を担った映画館である。80年代文化をリードした、堤清二氏率いるセゾングループ内でも、異彩を放つ存在だった。 85年2月に公開された『ミツバチの…』は、キャパ185席のシネ・ヴィヴァンで12週間上映。観客動員4万8,000人、興行成績は6,400万円という、堂々たる興行成績を打ち立てた。 この作品の“ツカミ”は、先に挙げた先輩の言のようなことだが、ここで改めてどんな内容であるのか、そのストーリーを紹介する。 スペインでは1936年、血みどろの内戦が勃発した。当時の政府は、人民戦線が率いる、左派政権。それに対して、右派の反乱軍がクーデターを起こし、戦闘に突入したのである。この内戦は“スペイン市民戦争”という名称でも、広く知られる。 両陣営には、外国勢力からの支援や直接参戦などがあった。また、欧米の市民や知識人が、人民戦線政府を応援するために、義勇軍として参戦する動きも広がった。 ノーベル賞作家のアーネスト・ヘミングウェイが、40年に発表した小説「誰がために鐘は鳴る」。ゲイリー・クーパーとイングリッド・バーグマン主演で43年に映画化されたことでも知られるこの小説は、義勇軍に参加した、ヘミングウェイの体験を基に描かれたものである。 内戦は3年近くに及んだが、39年には、反乱軍の勝利に終わる。そのリーダーは、フランシス・フランコ将軍。ヒトラーのナチス・ドイツとも連携した、悪名高きフランコの独裁政治が始まった。『ミツバチの…』の舞台である1940年は、内戦が終わって、日が浅い頃。国土も人心も負った傷が大きく、荒廃した風景がそこかしこに広がっていた。 そんな中で母のテレサは、綴った手紙の文面から、敗れた共和派に近かったことが、窺える。父のフェルナンドに関しては、共和派として知られた、実在の哲学者ウナムーノと2ショットの写真が登場する。このことから、彼も妻のテレサと共に、共和派として挫折したという見方が出来る。 しかしウナムーノは、内戦勃発後はむしろ反乱軍側に足場を置いていたと、指摘される人物。そこでフェルナンドも、内戦中は反乱軍側に与していたのではと、解釈することも可能だ。この場合一つの家庭内で、夫婦のスタンスが対立していたことになる。 いずれにしろ大人たちは、内戦で深く傷つき、そこから抜け出せなくなっている。1940年という時代設定には、こうした意味合いがあるのだ。 そして本作の製作年である、1973年。この頃のスペインでは、内戦終結後30年を超えて、フランコの独裁は、まだ続いていた。表現の自由は厳しく規制され、政府に批判的なクリエイターは、弾圧を受ける運命にあった。 スペインが生み、国際的な評価を得た映画作家と言えば、必ず名が挙がるであろう、ルイス・ブニュエル。彼が独裁政権下の40年代中盤以降、メキシコやフランスなど国外に渡り、そこで数多くの映画を作ったのには、そんな背景がある。 そんな中で本作は、反政府的・反権力的な傾向は明らかと見られながらも、検閲側からそうした烙印が押されないように、直接的な描写は避けている。上映禁止にはならないよう、巧妙に作られているのだ。 本作のヒロインであるアナの両親は、フランコの独裁によって抑圧された社会の中で、抜け殻のように生きている。そんな両親の庇護から、彼女は逃走を図り、ラストでは「私はアナよ」と囁く。 彼女は、希望の存在なのである。そしてその囁きは、“自立”の宣言と捉えられる。エリセをはじめとした、当時の若きスペインのクリエイター達の、想いや願いが籠められているのであろう。
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PROGRAM/放送作品
ミツバチのささやき
現実と幻想が交錯する子どもたちの不思議な世界。ヴィクトル・エリセ監督の詩的な映像に魅入られる名作
名匠ヴィクトル・エリセ監督の長編映画第1作。妖精の存在を信じる少女から見える世界を幻想的な映像美で綴る。純真無垢な少女を演じるアナ・トレントの大きな瞳が印象的。
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COLUMN/コラム2021.01.04
すべてのホラー映画の原点 『悪魔のいけにえ』のホントに怖い顛末
1974年10月1日、アメリカ・テキサス州オースティンのドライブインシアターと映画館で、無名のスタッフ・キャストによる、1本の低予算B級映画が公開された。 その時関係者は誰ひとりとして、予想だにしなかったであろう。その作品が半世紀近く経った2020年代になっても、「ホラー映画のマスターピース」として語り継がれるようになることなど。“芸術性”が高く評価されて、MoMA=ニューヨーク近代美術館にマスターフィルムが永久保存されるという栄誉にも浴した、その作品のタイトルは、“TEXAS CHAINSAW MASSACRE(テキサス自動ノコギリ大虐殺)”。翌75年2月1日に日本でも公開された、本作『悪魔のいけにえ』である。 冒頭、上部にスクロールしていくスーパーで、5人の若者の身に、残酷な運命が待ち受けていることが予告される。続いて「1973年8月18日」と、真夏の出来事であることを示すスーパーが浮かび上がって、物語のスタートである。 テキサスの田舎町で、墓が掘り起こされては、遺体の一部が盗み去られるという事件が頻発する。若い女性サリーと、その兄で車椅子のフランクリンは、祖父の墓が被害に遭ってないかを確認しにやって来た。ワゴン車での旅の同行者は、サリーの恋人ジェリー、友人のカークとその恋人パム。 5人は墓の無事を確認すると、かつてサリーとフランクリンが暮らした、祖父の家へと向かう。しかしその途中に乗せたヒッチハイカーの男によって、彼ら彼女らの行く先に、暗雲が垂れ込め始める。 その男は、ナイフでいきなり自分の掌を傷つけた上、フランクリンに切りつける。そして車を飛び降りると、自らの血で車体に目印のようなものを付けるのだった。 男を追い払い、気を取り直した5人は、ガソリンスタンドへ寄るも、ガソリンは切れていて、夜まで届かないという。仕方なく一行は、今は廃屋のようになっている祖父の家へと向かった。 そこからカークとパムのカップルは、近くの小川で水遊びをしようと出掛ける。その時、一軒の家が目に入る。 ガソリンを分けてもらおうと、彼らが訪れたその家で出くわしたのは、人面から剥いだ皮で作ったマスクをした大男“レザーフェイス”。チェーンソーを振り回して人間を解体する彼と、その家族は皆、シリアルキラーの人肉食ファミリーであった…。 そこからは、ラストのあまりにも有名な“チェンソーダンス”に至るまで、若者たちは次々と絶叫と共に、血祭りに上げられていく。マスクを付けた殺人鬼による、若者大虐殺の展開など、今どきのホラーを見慣れた観客にしてみれば、既視感満載かも知れない。 しかしそれは、当たり前の話だ。『悪魔のいけにえ』こそが、そのすべての始まり、原点の作品だからである。70年代後半以降、ほとんどのホラー映画は、本作の影響下にあると言っても、過言ではない。「『悪魔のいけにえ』のように、宇宙を舞台にした恐怖に支配された映画を作りたい」これはあの『エイリアン』第1作(79)の製作前に、脚本を担当したダン・オバノンが、リドリー・スコット監督に本作を見せて、語った言葉である。 ここで多くの方々の誤解を、解いておこう。本作は首チョンパや内臓ドロドロなど、人体損壊のゴア描写が炸裂するような、いわゆる“スプラッタ映画”では、まったくない。直接的に皮膚に刃物を刺して人を殺すシーンなどは、1カットもないのである。血飛沫が上がるのは、犠牲者が車椅子に乗ったまま、チェンソーで切り刻まれてしまうシーンぐらい。実はTVでも放送出来るように、直接的な残酷描写は、避けて作られている。 それでいながら、いやそれだからこそ、“レザーフェイス”が初めて登場するシーンに代表されるように、予期せぬ突発的な暴力が、我々に大きなダメージを与える。また、ギリギリまで描いて、後は観客の想像に委ねるという手法が、脳内の補完によって、実際に描かれたもの以上に、強烈な印象を残すのである。それが延いては、「とにかく怖かった~」という記憶になっていく。“レザーフェイス”の妙な人間臭さも、実に効果的だ。次から次へと、来訪者=犠牲者が訪れることに泡を喰ったり、ヘマをやらかして、家族に罵倒されたりする描写などがある。『13日の金曜日』のジェイソンや、『エルム街の悪夢』のフレディのような超然とした存在よりも、人間臭い殺人鬼が行う大量殺戮の方が、よりリアルで怖いものかも知れない。 16mmフィルムによる撮影でもたらされた、粒子が粗くザラザラした画面や、BGMは一切使用せず、効果音のみという音響演出も、まるで殺人現場のドキュメンタリーを見ているかのような錯覚を、観客にもたらす。もっとも16mmを使用したのは、単に予算上の問題だったというが、結果的には怪我の功名である。 さて、本作が撮影されたのは、73年の夏。監督のトビー・フーパー(1943~2017)は、まだ30代に突入したばかりだった。 テキサス州オースティンで生まれ育ち、幼い頃からの映画好きだった彼は、テキサス大学在学中には、短編映画や記録映画を手掛けている。その後処女作『Eggshells』(69)が、映画コンテストなどで高く評価されるも、興行的には不発に終わった。 そこでフーパーは、考えた。低予算でも製作し易い、“ホラー映画”で勝負を掛けようと。参考にしたのは、墓を暴いて女性の死体を掘り返しては、それを材料にランプシェードやブレスレットなど作っていた、殺人者エド・ゲインの実話や、監督自身が子どもの頃に親戚から聞いた、怖い噂話など。脚本家のジャック・ヘンケルとの共作で、シナリオは完成した。 経験の浅い映画学生をスタッフに雇い、キャストには、地元の無名俳優を起用。そしていざ、クランク・インとあいなった。 ロケ中心で撮影された本作の撮影現場は、執拗に俳優を追い込むものとなった。リアリティーを追求し、本物の刃物を使ったために、ケガ人が出たり、予算不足から、俳優の顔に直に接着剤を塗って、特殊メイクが行われたり。血糊は口に含んだものを、俳優にぶっ掛けたという。 本作のヒロインで、いわゆる“ラスト・ガール”、最後まで生き延びるサリーを演じたのは、マリリン・バーンズ。役柄とはいえ、固い箒で殴られたり、雑巾を口に押し込められたり、とにかく悲惨な目に遭った。 ガンナー・ハンセン演じる“レザーフェイス”に、チェンソーを振り回されながら追いかけられるシーンでは、監督から「後ろから切られるかもしれないぞ」と、声を掛けられたため、「本当に殺されるかも知れない」と、恐怖に駆られて、本気で走って逃げたという。彼女の臨場感溢れる“絶叫”は、作り物ではなかったのだ。 ロケ地である夏場のテキサスは、外気が40度に上り、照明を当てれば50度以上の暑さとなる。物語上は1日の話である本作だが、撮影は1カ月近く続いた。その間、俳優たちはずっと同じ衣装を、着続けねばならなかった。途中からは、汗臭さを通り越した異臭を放つようになった。 クライマックスで描かれる、殺人一家の食卓シーンは、猛暑の中で閉め切って撮影されたため、卓上の肉料理は、すべて腐っていたという。そんな中での撮影は、カットが掛かる度に、誰かが吐きに行くという惨状を呈した。 こんなことが、本物の動物の死体を大量に解体して作られた、インテリアが散乱する中で行われたわけである。素人主体の現場故に、撮影予定や台本が場当たり的に変更されていく混乱と相まって、撮影途中でスタッフが次々と逃げ出した。 因みにインテリアのみならず、殺人一家の一軒家を作り込んだ、プロダクションデザイナーのロバート・バーンズは、“レザーフェイス”の人面マスクも作成。マスクは3タイプ作られたが、“レザーフェイス”は、局面によってマスクを替えるという設定で、クライマックスの食卓シーンでは、チークを入れるなど化粧を施した分、逆におぞましさが募るマスクで登場する。 さて狂気の撮影が終わって、先に記したような編集と音入れ作業に、フーパーは1年以上を掛けて、『悪魔のいけにえ』は完成。しかし大手配給から怪奇物の名門まで、様々な映画会社に持ち込んで観てもらっても、芳しい評価は得られず、公開のメドはなかなか立たなかった。 本作をようやく引き受けてくれたのは、ニューヨークの独立系配給会社。フーパーはじめ関係者は、ほっと胸を撫で下ろした。 そしてはじめに記した通り、フーパーの地元、テキサス州オースティンで公開されると、ストレートなタイトルと「実話の映画化」という、大ウソの誇大広告が功を奏して、劇場には長蛇の列が。多くの観客が、軽い気持ちで週末のスクリーンに臨んだが、観終わると良くも悪くも打ちのめされ、賛否両論が沸き起こった。 そして上映は、全米各地へと拡大。やがてメジャー製作の大作映画と伍して、ヒットチャートに名を連ねるようになった。“ホラー”への挑戦という、新人監督フーパーの賭けは、大勝利に終わった。…と言いたいところだが、そうは問屋が卸さなかった。 本作の配給を託した独立系配給会社は、実はマフィアが経営する、フロント企業。フーパーたちが要求する、利益の配分に全く応じようとしないという、ある意味映画の内容以上に、怖い顛末が待っていたのである。■
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PROGRAM/放送作品
チャイナタウン
[PG12]監督ロマン・ポランスキー×主演ジャック・ニコルソンによるハードボイルド映画の最高傑作
ロマン・ポランスキー監督が、発展途上だった30年代ロサンゼルスの雰囲気を再現。ジェリー・ゴールドスミスによるノスタルジックなテーマ曲も必聴の、ハードボイルド探偵映画の最高傑作の1本。
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COLUMN/コラム2021.01.04
ダリオ・アルジェントの代表作にしてイタリアン・ホラーの金字塔『サスペリア』
日本でも社会現象となった大ヒット作 イタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの名刺代わりというべき代表作であり、恐らくイタリア映画史上、最も世界的な成功を収めたホラー映画であろう。イタリアを皮切りに公開されたのは1977年。ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』とスティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』によって空前のSF映画ブームが巻き起こり、ジョン・トラヴォルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコ・ブームが頂点に達した年である。改めて振り返ると凄い一年であったと言えよう。 もともとホラー映画があまり一般受けしないイタリア本国で大ヒットしたのは勿論のこと、ここ日本でも「決してひとりでは見ないでください」という秀逸なキャッチコピーの効果もあってたちまち社会現象に。アメリカでは20世紀フォックスが配給権を獲得したものの、血みどろの残酷描写が問題視されるのを恐れたらしく、即席で立ち上げたペーパー会社インターナショナル・クラシックスで配給することとなり、盲目のピアニストが盲導犬に喉元を食いちぎられるシーンなど約8分の映像をカットしたうえで劇場公開したが、こちらもフォックスの予想を遥かに上回る興行成績を記録し、気を良くした同社はアルジェントの次回作『インフェルノ』(’80)に出資することとなる。 アルジェント監督のターニングポイントに そんな本作は、それまで一連のジャッロ映画で鳴らしたアルジェント監督が、初めてスーパーナチュラルなオカルトの世界に挑戦することで、独自の映像美学をとことんまで極めたターニングポイント的な作品でもあった。ジャッロ(日本ではジャーロと表記されることもあるが、本稿では原語の発音に近いジャッロで統一する)とは、’70年代に一世を風靡したイタリア産猟奇サスペンス・ホラーのこと。本来はイタリア語で“黄色”を意味するのだが、昔からイタリアではペーパーバックで売られる犯罪スリラー小説の表紙が黄色に装丁されていたため、いつしか犯罪スリラーのジャンル全体をジャッロと呼ぶようになった。 そのジャッロ映画ブームの口火を切ったのが、アルジェント監督の処女作『歓びの毒牙(きば)』(’70)。女性ばかり狙う連続殺人鬼の正体を追うアメリカ人作家をスタイリッシュな映像美で描いた典型的なジャッロ映画なのだが、これが全米興行収入ランキングで1位という誰も想像しなかったような大ヒットを記録したことから、イタリア中の映画会社がこぞって似たようなジャッロ映画を量産するようになる。アルジェント自身も『わたしは目撃者』(’71)に『4匹の蠅』(’71)とジャッロ映画の秀作を連発。畑違いの歴史ドラマに挑んだ『ビッグ・ファイブ・デイ』(’74)が大コケした後、『サスペリアPART2』(’75・日本では『サスペリア』の大ヒットを受け、勝手に続編と銘打って劇場公開)でジャッロの世界へ戻ったアルジェントは、いい加減に猟奇サスペンス・ホラーの世界から足を洗おうと考える。恐らく、ジャッロ映画の最高峰とも呼ばれる『サスペリアPART2』を以てして、彼としてはやり尽くしてしまった感があったのだろう。 やはり本作でひときわ目を引くのは、けばけばしい極彩色と壮麗な美術セットによって表現された、一種異様なまでに幻惑的なゴシック映像美であろう。さながら、アルジェントのダークでディープなイマジネーションから生まれた悪夢のような異世界。冒頭、ニューヨークからドイツへと到着したスージーは、空港の自動ドアを出た瞬間から、さながら「不思議の国のアリス」の如く、世にも奇妙で残酷で恐ろしいアルジェント・ワールドへと足を踏み入れるのだ。そこでは、全ての事象がアルジェント流のロジックで展開する。そもそも、アルジェント作品は処女作『歓びの毒牙(きば)』の頃からそうした異空間的な傾向が少なからずあり、ストーリーはあくまでも彼の思い描くビジョンをスクリーンに現出させるためのツールに過ぎなかったりするのだが、本作ではオカルトという非現実的かつ非日常的なテーマを手に入れたことによって、その独創的なアルジェント・ワールドを究極まで突き詰めることが出来たと言えるだろう。 中でもアルジェントがこだわったのは、往年のテクニカラー映画を彷彿とさせる鮮烈な色彩。特にディズニー・アニメ『白雪姫』(’37)は、アルジェントと撮影監督ルチアーノ・トヴォリにとって重要なお手本となった。ミケランジェロ・アントニオーニやマルコ・フェレーリ、モーリス・ピアラとのコラボレーションで知られるトヴォリは、もともと日常的なリアリズムを大切にするカメラマンで、なおかつホラー映画には全く関心がなかったため、本作のオファーを受けた当初は大いに戸惑ったそうだが、アルジェントの熱心な説得で引き受けることにしたという。当時既にテクニカラーは時代遅れとなり衰退してしまっていたが、アルジェントの要望に応えるべくトヴォリは発色に優れた映画用フィルム、イーストマン5254を使用。ただし、手に入ったのはテキサスの倉庫に保管されていた40巻のみだったため、現場では各シーンを2テイクまでしか撮影できなかったという。 さらに、照明の基本カラーを三原色の赤・青・緑に指定し、シーンに合わせて黄色などの補色を使用。通常の映画撮影ではあり得ないほど強い照度のカラー照明を、俳優などの被写体のすぐ近くに寄せて当てたのだそうだ。シャープな輪郭を強調するため、照明のディフューザーやカメラのフィルターレンズは不使用。そうして撮影されたフィルムは、当時テクニカラー社のローマ支社に唯一残されていたテクニカラー・プリンターでプリントされた。その仕上がりと完成度はまさに驚異的。同じように原色のカラー照明を多用した撮影は、イタリアン・ホラーの父と呼ばれる大先輩マリオ・バーヴァ監督が『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(’63)や『モデル連続殺人!』(’64)などで既に実践しているが、本作はその進化形と呼んでもいいかもしれない。 強い女性ばかりが揃ったメイン・キャスト なお、もともとヒロインのスージー役にはダリア・ニコロディが想定されていたものの、彼女が主演ではアメリカのマーケットで売れないと映画会社に判断され、アルジェントがブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オム・パラダイス』(’74)を見て気に入っていたジェシカ・ハーパーに白羽の矢が立った。当時、ジェシカはウディ・アレンの『アニー・ホール』(’77)の脇役をオファーされていたが、エージェントからの勧めもあって『サスペリア』を選んだという。その親友となるサラ役には、恋人だったベルナルド・ベルトルッチ監督の『1900年』(’76)でロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューを相手に3Pシーンを演じたステファニア・カッシーニ。性格の悪いオルガ役を演じているバーバラ・マニョルフィは、晩年のルキノ・ヴィスコンティがお気に入りだった美形俳優マルク・ポレルの奥さんだった人だ。 『サスペリア』©1977 SEDA SPETTACOLI S.P.A ©2004 CDE / VIDEA
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PROGRAM/放送作品
悪魔のいけにえ
[R15+]スプラッターホラーの原点にして金字塔!チェーンソーを振り回す殺人鬼レザーフェイスに震えよ
ホラー映画の巨匠トビー・フーパーの監督デビュー作であり、殺人鬼が暴れ回るスプラッター映画の原点。チェーンソーを振り回すレザーフェイスの脅威を、BGMを用いないドキュメンタリータッチでリアルに映す。
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COLUMN/コラム2021.01.04
社会派エンターテインメントの巨匠が挑んだ’70年代らしいエコロジカル・ホラー『プロフェシー/恐怖の予言』
動物パニック映画ブームから派生したエコ・ホラーとは? ‘70年代のハリウッド映画で流行したエコロジカル・ホラー(通称エコ・ホラー)。その基本的なコンセプトは、「地球環境を破壊する人類に対して自然界(主に動物や昆虫)が牙をむく」というもの。これはスティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』(’75)を頂点とする’70年代動物パニック映画ブームにあって、そのサブジャンルとして派生したものと考えられる。 なにしろ、当時のアメリカ映画ではサメだのネズミだのアリだのクモだのと、ありとあらゆる生物が人間に襲いかかってきた。その要因のひとつとして、「環境破壊」という設定は非常に使い勝手が良かったのだろう。しかも、’70年に国家環境政策法が制定され、同じ年に環境保護庁が誕生したアメリカでは、環境破壊に対する危機感や懸念が国民の間で徐々に共有されるようになっていた。光化学スモッグに悩まされた日本をはじめ、当時は世界中の先進国が同様の問題に直面していたと言えよう。つまり、時代的にエコ・ホラーの受ける条件が整っていたのである。 ただ、エコ・ホラーというジャンル自体のルーツは、恐らく『キング・コング』(’33)にまで遡ることが出来るだろう。南海孤島の秘境で発見された巨大なゴリラ、キング・コングが大都会ニューヨークで大暴れするという物語は、まさしく「傲慢な人類」に対する自然界の逆襲に他ならなかった。また、核実験の影響で巨大化したアリとの死闘を描くSFパニック『放射能X』(’54)は、当時懸念されつつあった放射能汚染による環境破壊の問題が背景としてあり、そういう意味で’70年代に興隆するエコ・ホラーの直接的な原点とも言える。 『吸血の群れ』(’72)では環境汚染によって小さな島の爬虫類たちが人間への報復を開始、『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』(’74)では天体の異変によって高度な知性を持ったアリが人間を襲撃し、『アニマル大戦争』(’77)ではオゾン層破壊の影響で狂暴化した動物たちが自然公園のハイキング客たちを殺しまくる。さらに、オーストラリア映画『ロング・ウィークエンド』(’74)では「自然環境」そのものが意志を持って人間を狂気へと追い詰め、日本映画『ゴジラ対ヘドラ』(’71)では海洋汚染の生んだ怪獣ヘドラがゴジラと対決した。かように、’70年代は世界中のホラー映画やモンスター映画で大自然が罪深き人類に対して牙をむいたのである。水質汚染によってミュータント化したクマが、広大な森林で人間を次々と襲う『プロフェシー/恐怖の予言』(’79)もそのひとつだ。 自然豊かなメイン州の森林地帯を恐怖に陥れる巨大モンスター 主人公は大都会で恵まれない貧しい人々のために奔走するロバート・ヴァーン医師(ロバート・フォックスワース)。どれだけ行政に訴えても貧困層の住環境や健康問題が改善されないことに無力感を覚えているロバートは、ある日環境保護庁から自然環境調査の仕事を依頼される。メイン州の広大な森林地帯を地元の製紙会社が森林伐採のため購入したものの、その一帯に暮らす先住民たちが土地の所有権を訴えて裁判を起こし、両者ともに一歩も譲らない状態なのだという。そこで当局の導き出した解決策が、森林地帯の環境汚染状況を把握すること。もし環境汚染が立証されれば先住民側の有利になるし、汚染が確認されなければ製紙会社側の言い分が通る。どちらに転んでも、訴訟問題解決の糸口になると当局は考えたのだ。畑違いの依頼に躊躇するロバートだったが、しかしこれで当局に恩を売れば自身の仕事にも有利になると説得され引き受けることにする。 その頃、メイン州の森林地帯では不可解な出来事が起きていた。森の中で伐採作業中だった作業員たちが行方不明となり、その捜索に駆り出されたレスキュー隊も消息を絶ってしまったのだ。ロバートと妻マギー(タリア・シャイア)を出迎えた製紙会社の現場監督アイズリー氏(リチャード・ダイサート)は、先住民たちによる嫌がらせに違いないと疑っているが、しかし先住民たちは伝説の怪物カターディンが森を守っているのだと主張しているという。両者の対立はまさに一触即発。あくまでも中立を守る立場のロバートとマギーだが、先住民たちへの偏見や差別意識を隠さない製紙会社側の強硬姿勢に眉をひそめるのだった。 やがて調査を開始したロバートは、森林地帯で深刻な環境汚染が進行しているのではないかと疑いを持つ。というのも、川に棲息している鮭やオタマジャクシが異常な大きさへ成長し、性格の大人しいはずのアライグマが狂暴化して人間に襲いかかって来るのだ。しかも、先住民グループのリーダー、ホークス(アーマンド・アサンテ)とその妻ラモナ(ヴィクトリア・ラシモ)によると、森に住む先住民たちの間では健康被害が広がり、妊婦が奇形児を死産するケースも多いという。しかし、いくら当局に訴えても、川の水質検査では異常がないため聞き入れては貰えなかったのだ。 一方、製紙工場側のアイズリー氏は汚染物質の流出を完全に否定するが、しかしロバートは泥濘に溜まった銀色の物質を見逃さなかった。工場から流出する排水の中にメチル水銀が含まれており、それが森林一体の生態系に深刻な影響を及ぼしていたのだ。しかしメチル水銀は重いので川底に沈んでしまう。水質検査で異常がなかったのはそのためだった。事実を知った妻マギーは大きな衝撃を受ける。実は彼女は子供を妊娠しており、知らずに川で獲れた鮭を食べていたからだ。 その頃、森の中でキャンプを楽しんでいたネルソン一家が、醜悪な姿をした巨大モンスターに襲われ皆殺しにされる。それはメチル水銀に汚染された魚を食べてミュータント化したクマだった。しかし、地元の保安官やアイズリー氏は先住民グループの犯行と考え、ホークスらの逮捕に動き出す。事実を確認すべく惨劇の現場へと向かったロバートたち。折からの悪天候で森の中で足止めを食らった彼らに、狂暴な怪物クマが襲いかかる…。 ストーリーのヒントは『ローズマリーの赤ちゃん』!? 本作で最も注目すべきは、あのジョン・フランケンハイマー監督が演出を手掛けている点にあるだろう。『影なき狙撃者』(’64)や『大列車強盗』(’65)、『グラン・プリ』(’66)に『フレンチ・コネクション2』(’75)、『ブラック・サンデー』(’77)などなど、骨太な社会派エンターテインメント映画で一時代を築いた巨匠が、なぜ今さら出尽くした感のあるモンスター映画を!?と当時の映画ファンを大いに戸惑わせた本作。しかも、興行面でも批評面でも全く振るわず、これを機にフランケンハイマー監督のキャリアは下り坂となっていく。ただ、劇場公開から40年以上を経た今、改めて見直すと、決して出来の悪い映画ではないことがよく分かるだろう。 ■撮影中のジョン・フランケンハイマー監督(左) 環境問題や公害問題、先住民問題など、’70年代当時の社会問題を巧みに絡めたストーリー展開は、なるほど“社会派エンターテインメント映画の巨匠”の異名に恥じぬメッセージ性の高さ。むしろ、ミュータント化した巨大クマが巻き起こす阿鼻叫喚の恐怖パニックよりも、そうした社会派的なテーマの方に監督の強い思い入れが込められているように感じられる。醜悪なモンスターの全貌や血生臭い残酷描写をなるべくスクリーンでは見せず、観客の想像力に委ねることで緊張感を煽っていく演出も手馴れたものだし、スコープサイズの超ワイド画面のスケール感を生かしたカメラワークも堂に入っている。さすがは巨匠の映画らしい風格だ。ただ、それゆえ肝心のホラー要素がなおざりにされている印象も拭えない。恐らく、このモンスター映画らしからぬ“生真面目さ”が当時は仇となったのだろう。要するに、観客や批評家が求めるものとのギャップが大きかったのだ。 脚本を担当したのは『オーメン』(’76)で知られるデヴィッド・セルツァー。『オーメン』が劇場公開されて社会現象を巻き起こした直後、フランケンハイマー監督から「ホラー映画の脚本を書いてくれないか」と直々にオファーを受けたというセルツァーは、自身が多大な影響を受けたロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)をヒントにしたのだそうだ。さらに、当時メイン州の郊外に暮らしていた彼は環境問題や先住民問題にも関心があり、日本の水俣病についても勉強していた。当初は「メイン州の大自然を満喫していたキャンプ中の夫婦が、知らず知らずのうちメチル水銀に汚染された魚を食べてしまい、妊娠中の妻が奇形児を生んでしまう」という『悪魔の赤ちゃん』(’74)的なストーリーだったらしいが、脚本会議を重ねていくうちに巨大クマのアイディアが加わったようだ。 ただし、ロケ地となったのはメイン州ではなく、カナダはバンクーバー郊外の森林地帯。今では“ノース・ハリウッド”と呼ばれるカナダ映画産業のメッカで、ハリウッドの映画やテレビドラマが数多く撮影されているバンクーバーだが、本作はその最初期に作られたハリウッド映画と言われている。そういう意味でも興味深い作品と言えよう。目玉となる巨大クマのモンスタースーツは、ミニチュア撮影用とロケ現場用の2種類が製作され、『プレデター』(’87)のスーツアクターとして有名な身長2m20cmのケヴィン・ピーター・ホールと、後に『13日の金曜日 PART6 ジェイソンは生きていた!』(’86)や『ブロス/やつらはときどき帰ってくる』(’91)の監督となるトム・マクローリンが交互に演じている。実はマクローリン、もともとフランスでマルセル・マルソーに師事したパントマイム芸人だったらしい。 なお、モンスタースーツの製作は当初リック・ベイカーに依頼されたが短い納期を理由に断られ、次に声をかけたスタン・ウィンストンとはギャラの金額が折り合わず、最終的にトム・バーマンが引き受けることとなった。このグログロな巨大クマ、チーズの溶けたピザに似ていることから、撮影現場では「ピザ・ベアー」と呼ばれていたそうだ(笑)。■
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PROGRAM/放送作品
SF/ボディ・スナッチャー
巨大な植物、人面犬…特殊効果で魅せる脅威がリアル!宇宙生命体に支配される恐怖を描くSFサスペンス
これまで幾度も映像化されたジャック・フィニイのSF小説「盗まれた街」の2度目の映画版。宇宙から飛来した謎の植物生命体が人間の身体と入れ替わっていく恐怖を、リアルな特殊効果と堅実なサスペンス演出で煽る。
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COLUMN/コラム2020.12.21
マルコム・マクダウェル原案・主演×リンゼイ・アンダーソン監督による「ミック・トラヴィス3部作」の第2弾
今日お勧めの映画は『オー!ラッキーマン』(73年)です。タイトルだけ聞くと、楽しそうな映画かな?と思うでしょうが、主人公が“地獄めぐり”をする話です。 主役はマルコム・マクダウェル。本作の直前にあのスタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』 (71年)で主人公を演じて世界的なス ターになりました。映画自体も全世界でセンセーションを起こし、英国では上映禁止になるくらいのスキャンダルになりました。 この『オー!ラッキーマン』は、『時計 じかけ〜』の裏返しなんです。主人公ミック・トラヴィス役のマクダウェルは心優しい青年です。子どもみたいな笑顔が魅力的で、何をされても怒らない...... と『時計じかけ〜』のアレックスとは全く逆なんですよ。でもこっちのほうがマルコム・マクダウェルに近いんですって。 マルコムはリンゼイ・アンダーソン監督の『if もしも...』(68年)で主役に抜擢され、それを観たキューブリックが『時計じかけ〜』のアレックス役に起用しました。それであまりに有名になったマルコムは、自分もあんな凶暴な人柄だと思われるのが心配になり、自分の若いころをモデルにしたストーリーを書いて、アンダーソン監督に見せました。コーヒー豆のセールスマンから演劇を志しアンダーソン監督に見いだされて映画に出てスターに......と、これが全然面白くない(笑)。 そこで監督は脚本家を呼んで、セー ルスマンからスターになるまでの間に、 なるだけメチャクチャな話をブチ込め るだけブチ込めと、書き直させたのが本作なんです。 主人公のミックは心優しい青年で、何の罪もないのに当時のイギリス社会を象徴するような酷い目に遭っていく......拷問されたり、人体実験されたりね。『時計じかけ〜』もそうですよね。あっちは主人公が極悪人だけど、どちらもイギリス社会の被害者となってボロボロに虐められて、ドン底にまで堕ちていく。どこがラッキーマンやねん! この映画、なぜかオールスター・キャストで、ラルフ・リチャードソンやレイチェル・ロバーツ、若きヘレン・ミレンら有名どころが次々と出て来ますが、彼らがひとりで何役も演じています。何かテーマ的な意味があるのかと思うじゃないですか、ところが何の意味もありません(笑)。撮影中にも脚本が出来ておらず、行き当りばったりで撮影してたんで、俳優のスケジュールだけ押さえて、いろんな役をやらせたんですね(笑)。 この話、実は元ネタがあります。 1759年に発表した『キャンディード』という小説で、世の中や人間とは善いものだと信じている純粋無垢な若者キャ ンディードが世界中を旅しながら戦争や災害や貧困や異端審問や奴隷制度などこの世のありとあらゆる残酷な現実を経験するという話です。『ヤコペッ ティの大残酷』(75年)という映画にもなってます。『世界残酷物語』(61年) のグァルティエロ・ヤコペッティの。 『オー!ラッキーマン』はすごく楽しい歌が全編を飾っていますが演奏はアラン・プライス。アニマルズのメンバーで、「朝日のあたる家」のハモンドオルガンを弾いているのが彼です。 あと、若いころのヘレン・ミレンが マルコムとやたらいちゃいちゃしますが、どうも私生活でもつきあってたらしいですよ! (談/町山智浩) MORE★INFO.。●本作は、『if もしも...』(68年)と『ブリタニア・ホスピタル』(82年)の間に製作された、リンゼイ・アンダーソン監督、デヴィッド・シャーウィン脚本、マルコム・マクダウェル主演の「ミック・トラヴィス3部作」の第2弾。●監督と脚本家のシャーウィンは、80年代半ばに「ミック・トラヴィス」シリーズの第4弾『if もしも...2』の脚本を執筆していた。●2006年、マルコム・マクダウェルの半生を振り返るドキュメンタリーが作られたが、題名が『O Lucky Malcolm!』と本作のパロディになっている。その中でマクダウェルは、本作を「最も愛する出演作で誇りに思っている」と語っている。 ©︎Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.