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COLUMN/コラム2023.01.17
映画史に刻まれた、セルジオ・レオーネのモニュメント!『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ【完全版】』
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』日本でのお披露目は、1984年10月6日。旧日劇跡地に建設された、有楽町マリオン内の東宝メイン館「日本劇場」こけら落しの作品として、華々しくロードショー公開された。 ~世界映画史に刻み込む空前の映像モニュメント~ ~アメリカ・激動の世紀―愛する者の涙さえ埋めて男たちは心まで血に染めて生きた~ ~「モッブス」――それは誰も語らなかった男たちの巨大な結社!~ これらは配給の東宝東和が、仰々しく打ち出した惹句の数々だが、本編を観ると、アメリカを動かすほどの“巨大な結社”である筈の「モッブス」とは一体!?…となる。俗に「東宝東和マジック」などと言われる、ゼロから100を生み出す、大嘘宣伝、もとい、十八番とした誇大広告である。 インターネット普及後は、あり得ない手法と言える。しかし当時の東宝東和は、ホラー映画を中心に、この手のプロモーションで、次々と成果を上げていたのだ。 そんなムード作りもあって、大学受験に失敗して二浪の秋を迎えていた私も、「これだけは見逃すまい」という気持ちになっていた。“マカロニ・ウエスタン”の伝説的な巨匠セルジオ・レオーネ監督と、我らがロバート・デ・ニーロの“最新作”というのも、当時の映画少年にとっては、大いなる引きだった。 期待が膨らむ一方で、私は映画雑誌などから得た情報で、不安も大きくなっていた。『ワンス・アポン…』は、4時間近い長尺の作品として完成。「カンヌ国際映画祭」で絶賛を浴びたのに、製作国であるアメリカでは90分近くカットされた、2時間半足らずの再編集版で公開。評判が芳しくなかったという。 では日本では、一体どちらのバージョンが公開されるのか?受験勉強も手に付かなくなるほど心配になった私は、思いあまって、東宝東和に電話で問い合わせてみた。「日本では、3時間を超える長い方をやりますよ」 それが、受話器の向こう側の宣伝部の男性の答だった。気付くと私は、「ありがとうございます!」と、礼を伝えていた。 実際の“日本公開版”は、3時間25分。それまでにヨーロッパなどで公開し、今日では一般的に【完全版】と言われるバージョン=3時間49分からは、細かく削って、20分強短縮している。完全に日本独自の、再編集版であった。 しかし、構成は【完全版】に準じたこのバージョンが観られたことは、当時の日本の観客たちにとっては、幸運なことと言えた。実際問題として“アメリカ公開版”=2時間19分が日本でも採用されていたら、『ワンス・アポン…』が、この年の「キネマ旬報」ベスト10で、洋画の第1位に輝くことはなかったであろう。 ***** 1933年、ニューヨーク。ユダヤ系ギャングの一員だったヌードルス(演:ロバート・デ・ニーロ)は、仲間を警察に密告した。それはリーダー的存在のマックス(演:ジェームズ・ウッズ)の無謀な企てを諦めさせて、彼の命を救うためだった。だがその思惑は、裏目に。マックスはじめ、少年時代からの仲間たち3人は、警察隊に射殺される。 裏切り者として追っ手が掛かったヌードルスは、ニューヨークから逃げ延びる…。 ユダヤ人街で生まれ育ったヌードルスが、マックスと出会ったのは、1923年、17歳の時。目端の利く者同士、仲間たちの力も借りて、裏の仕事で稼げるようになる。しかし、出し抜かれた街の顔役が、ヌードルスたちを襲撃。仲間の1人を殺されたヌードルスは、無我夢中で顔役を刺し殺す。 6年の刑期を経て、ヌードルスがシャバに戻ってきたのは、1931年。禁酒法の時代、マックスたちはもぐり酒場を経営すると共に、強盗や殺しなども請け負っていた。 少年時代から憧れだったデボラ(演:エリザベス・マクガバン)のために海辺のホテルを借り切り、2人きりの時を過ごそうとする、ヌードルス。しかしデボラは、ハリウッドに発って女優になるという。 凶暴な欲望に襲われたヌードルスは、デボラを車中で、無理矢理犯してしまう…。 デボラに去られたヌードルスは、次第にマックスのやり方についていけないものを、感じ始める。そして、「彼のため」と思って行ったタレ込みが、最悪の結果を招く…。 それから、長い月日が流れた。1968年、老境に差し掛かったヌードルスは、何者かにニューヨークへと呼び戻される。 マックスたち殺された仲間は、ヌードルスが建てたことになっているが、彼にはまったく身に覚えがない立派な墓所に葬られていた。そしてそこに置かれた1本の鍵が、ヌードルスを、35年前の“真相”へと導く…。 ***** 冒頭以外ほぼ時の流れの順に、ストーリーを記したが、実際は1968年を基軸にしながら、ヌードルスの回想が巧みに織り交ぜられ、それが謎解きミステリーでもある構成となっている。 セルジオ・レオーネ監督曰く、「私が描きたいのはノスタルジーだ」 老いたヌードルスのあいまいな記憶そのままに、幾つかの時代のシーンを、イメージの連鎖で繋いでいく。それはノスタルジーに縛られた、ヌードルスの彷徨そのものである。 先に記した通り、“アメリカ公開版”は、90分近くの大幅カットが為された。しかもそれは、レオーネが考えに考えた構成を無視して、物語を時系列に並べてしまったという代物だった。 本作は、デボラとのシーンに流れる「アマポーラ」、68年のシーンに流れる「イエスタデイ」など、名曲の使い方が印象的であるが、それと同時にノスタルジックで詩情豊かな、エンニオ・モリコーネの楽曲も、素晴らしい。ところが“アメリカ公開版”は、モリコーネの音楽も響いてこないと言われる。 はっきり言って、「台無し」だ。だがこんな酷いことが起こり、しかも上映時間に幾つものバージョンが存在することになったのには、本作の製作過程も、大いに関係している。 原作は、ハリー・グレイの自伝的作品である、「THE HOODS=ヤクザたち」。1953年アメリカで出版。レオーネ監督の母国イタリアでは、60年代半ばにペーパーブック版がリリースされたという。 64~66年に掛けて、クリント・イーストウッド主演の“ドル箱3部作”を手掛けて、世界的な“マカロニ・ウエスタン”のムーブメントを巻き起こしたレオーネが、この原作と出会ったのは、67年頃。終生アメリカという国に魅了され続けた彼にとって、ユダヤ系ギャングたちが躍動するこの物語を読んで、憧れの国を舞台に、矛盾とパラドックス、更にはバイタリティに溢れた、大人の寓話が描けると踏んだのであろう。 レオーネは、ヘンリー・フォンダらの主演で撮った『ウエスタン』(68)のプロモーションについて話し合いのため渡米した際、ハリー・グレイとの接触に成功。以降折りあるごとに面会を重ね、友人関係になったという。 しかし「THE HOODS」の映画権は、すでに売られてしまっていたことが、判明。その権利を得るための、悪戦苦闘が始まる。 70年前後、レオーネはフランス人のプロデューサーたちと、原作権を獲得するための算段を立てた。この頃想定されたのは、マックスの若き日をジェラール・ドパルデュー、その50~60代はジャン・ギャバンというキャスティングだった。 結局原作権が入手できない内は、動くに動けず、この話はお流れとなる。 75~76年、再び話が動いた。この時はドパルデューが、ヌードルス役の有力候補に。マックス役は、リチャード・ドレイファスだった。 そして77年頃。ようやく映画化権が、レオーネの元に、巡ってきた。レオーネはプロデューサーとして別の監督を立てることも考えたようで、ミロス・フォアマンやジョン・ミリアスと接触している。 そんな中で脚本を、アメリカのノンフィクション小説の革新者と呼ばれた、ノーマン・メイラーに依頼することとなる。しかし彼が書き上げたものは「満足のゆくものではなかった」ため、結局イタリアで「最も才能ある」脚本家たちに書いてもらうこととなった。 その中心となったのが、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(72)などのフランコ・アルカッリ、『地獄に堕ちた勇者ども』(69)などのエンリコ・メディオーリ。レオーネを含めて、6名の脚本家チームによって、82年に300頁近い脚本が完成した。 プロデューサーも、紆余曲折の末、レオーネが80年に出会った、イスラエル出身のアーノン・ミルチャンに決まる。 一方、その頃のキャスティングは、迷走を極めていた。ヌードルス役は、トム・ベレンジャーに若い頃を演じさせ、年老いたらポール・ニューマンになるというアイディアがあった。マックス役の候補に挙がったのは、ダスティン・ホフマン、ジョン・ヴォイト、ハーヴェイ・カイテル、ジョン・マルコヴィッチ等々。 ヒロインのデボラ役には、ライザ・ミネリが有力だったこともある。 そんな中でミルチャンは、ラッド・カンパニー及びワーナー・ブラザーズに話を付け、配給の契約を結ぶ。この時ワーナーは、160分の作品を作る契約をしたと思い込んでいた。しかしレオーネが考えていたのは、4時間を超える作品であった。 82年1月クランクインの予定が延びて、6月のスタートとなる。そしてミルチャンの仲立ちで、レオーネはロバート・デ・ニーロと“再会”する。レオーネは以前、『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)撮影中のデ・ニーロと会って、本作の説明をしたことがあったのだった。 デ・ニーロの出演が決まって、同じ人物の青年期と老年期を、違う俳優が演じるというアイディアを、レオーネは棄てた。そしてデ・ニーロに、ヌードルスとマックス、どちらを演じたいかの、選択権を与えた。 熟考の末、ヌードルス役を選んだデ・ニーロ。早速“デ・ニーロアプローチ”による、役作りへと入る。この役に関しては、ユダヤ系の家族と生活を共にするなどの、アプローチを行った。 老齢期の役作りも、バッチリ。その撮影中は、夜中の3時に起きて、6時間のメイクに取り組んだ。レオーネはそうしたデ・ニーロを見て、「…歳をとる薬でも飲んだのか?」とつぶやいた。 さてヌードルスにデ・ニーロが決まったことによって、彼と共通のアクセントを持った、ニューヨーク出身の俳優を選ぶ必要が生じた。デ・ニーロは友人の俳優たちを、次々とレオーネに紹介したという… そんな中では、例えば宝石店商の妻から、マックスの愛人に転身するキャロル役には、チューズデイ・ウェルドが決まった。この役は、レオーネの『ウエスタン』主演だった、クラウディア・カルディナーレが熱望していたのを抑えての、決定だった。 デ・ニーロは本作に、ジョン・ベルーシに出てもらうことも考えていた。そのため会いに行った翌日、ベルーシはドラッグの過剰摂取で急死。デ・ニーロは、スキャンダルに巻き込まれる結果となった。『レイジング・ブル』でデ・ニーロの弟役をやったジョー・ペシには、プロデューサーのミルチャンが、マックス役を約束してしまった。レオーネは、ペシにはこの役には合わないという理由で、別の役を与えることとなる。 結局マックス役には、200人がオーディションを受けた中から、レオーネが、「成功の一歩手前の性格俳優」であるジェームズ・ウッズを抜擢する。 ウッズは、「世界一の俳優」であるデ・ニーロと相対するのに、覚悟を決めた!「よし、どのシーンでもデ・ニーロと向き合っていこう。そうすれば、彼と同じぐらい骨のある俳優だという証明になるのだから」と、自分に言い聞かせたという。 それが結果として、レオーネ言うところの「同じコインの表と裏」、愛情と壮絶な競争意識を抱いている、マックスとヌードルスの関係を醸し出すことに繋がった。デ・ニーロとウッズは、2人の間に流れる緊張感を獲得するために、アフレコでなく同時録音を提案し、レオーネを説得した。 デ・ニーロが最後まで不満だったと言われるのが、デボラ役のエリザベス・マクガバン。彼女はイリノイ州出身だったため、ニューヨークのアクセントが出せないというわけだ。しかしその少女時代を演じたジェニファー・コネリーと合わせて、ヌードルスが思慕して諦めきれない女性を、見事に演じきっている。 さてこうしたキャストを擁して行われた撮影では、ニューヨーク市のロウアー・イーストサイドの3区画を借りる契約を市側と結び、1920年代の街並みを再現した。店の一軒一軒から消火栓、ポスト、階段まで細かい作り込みを行ったため、そこに住む者たちは数か月の間、通り沿いの窓を塞がれたまま生活することとなった。 しかしその契約期間だけでは、到底撮影が終わりそうもない。そのためそっくり同じセットを、ローマ郊外にも建設したという。他にも、過去のアメリカに映る場所を求めて、ロケはモントリオール、パリ、ロンドン、ヴェネチアなどでも行われた。 当初は20週の撮影で、製作費は1,800万㌦の見積もりだった。しかしスケジュールがどんどん伸びるのに伴って、製作費も3,000万㌦以上まで膨らむ。 そうして上がったフィルムのOKカットを繋ぐと、はじめは10時間にも及んだという。当然それでは公開出来ないので、どんどんハサミを入れていき、最終的には、“3時間49分”の【完全版】にまで辿り着く。 しかしこの「最終的には」は、あくまでもレオーネにとってでしかなく、先に記した通り、その長さを嫌ったアメリカの配給元の主導で、2時間19分のダイジェスト紛いのバージョンまで行き着いてしまったわけである。『ワンス・アポン…』のバージョン違いとして知られるのは、主に5つ。レオーネが最初に完成させたという、“オリジナル版”4時間29分。そして【完全版】、それに準じた“日本公開版”、そして“アメリカ公開版”。更に2012年「カンヌ国際映画祭」で初めて上映され、日本では19年「午前十時の映画祭」で公開された、“ディレクターズ・カット版”4時間11分。 この最新版とでも言うべき、“ディレクターズ・カット版”は、現存しない“オリジナル版”を修復する試みで、レオーネの遺族とマーティン・スコセッシのフィルム・ファウンデーションが、カットされたシーンの復元を、可能な限り行ったものである。 84年公開以来、私が観たことがあるのは、3バージョン。順に挙げれば、「日本劇場」で鑑賞した“日本公開版”、日本ではDVDや放送、配信などでしか観られなかった【完全版】、そして“ディレクターズ・カット版”である。 私見としては、レオーネが望んだ形に最も近い筈の“ディレクターズ・カット版”は、ほぼ全ての辻褄が合うように出来てはいるが、やはり長すぎるし、そこまで説明は要らないという印象が残る。 そういった意味では、今回「ザ・シネマ」で放送される【完全版】が、やはり最高と言えるのではないだろうか? この作品に精力を注ぎ込んだレオーネは、撮影中の82年冬に心臓病を発症。その後ストレスを避けろと医者に忠告されるも、本作の公開を巡って訴訟沙汰となる中、病状は悪化していく。 そして本作公開から5年後の89年、新作の準備中だったにも拘わらず、60歳の若さでこの世を去った。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』が、遺作となってしまったのである。 東宝東和発の本作惹句の中で~世界映画史に刻み込む空前の映像モニュメント~というのは、結果的に誇大広告ではなくなったんだなぁと、しみじみ思ったりもする。■ 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ【完全版】』Motion Picture © 2002 Monarchy Enterprises S.a.r.l. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2018.05.14
ギャング映画というフォーマットを用いて巨匠セルジオ・レオーネが描いた素顔のアメリカ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
制作実現までの長き道のり 言わずと知れた、マカロニ西部劇の巨匠セルジオ・レオーネによるギャング映画の金字塔である。メキシコ革命を背景にした西部劇アクション『夕陽のギャングたち』(’71)以来、およそ13年ぶりの新作として’84年にカンヌ国際映画祭でお披露目された本作。しかし、実は『ウエスタン』(’68)の撮影に入る前の時点から構想は練られており、脚本の執筆だけで12年の歳月をかけたと言われている。ちなみに、原作は自称元ギャングの作家ハリー・グレイが’52年に発表した処女作『The Hood』だ。 ただ、恐らくレオーネ自身は完成までにこれだけ時間がかかるとは考えていなかったに違いない。彼はかなり早い段階からハリウッドのスタジオと交渉するためにイタリアから渡米していたが、なかなか実を結ぶことがなかった。なぜなら、映画会社が巨匠セルジオ・レオーネに期待するのは、ギャング映画ではなく西部劇だったからだ。実際、あともう一本西部劇を撮ったら協力を考えてもいい、と言われたこともあったという。 それでもなお、粘り強くチャンスを待ち続けたレオーネ。いつの間にか10年以上が過ぎてしまったが、ある時カンヌで当時まだ新進気鋭の若手プロデューサーだったアーノン・ミルチャンと出会ったことから、ようやく本作の企画が本格的に動き始める。挨拶のため訪れたミルチャンを目の前に座らせたレオーネは、なんと4時間近くに渡って映画の内容を語り続けたという。ストーリーの流れからセットの配置と距離感、役者の動きやセリフのスピードまで、全て予め計算した上で撮影に臨んでいたと言われるレオーネだが、既にこの時点で彼の頭の中では作品が完成していたのだ。 時の移り変わりに翻弄される友情という名のプラトニック・ラブ 物語の主軸は、ニューヨークの貧民街ロウアー・イーストサイドを舞台にした、ヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)とマックス(ジェームズ・ウッズ)を中心とするユダヤ系ギャングたちの友情ドラマである。ただし、その実態はヌードルスとマックスによる愛と憎しみの軌跡だとも言えよう。男女の恋愛以上に、激しくて深くて濃密な男同士の友情。そこに女の入り込む余地はない。実際、恋愛に不器用なヌードルスは結果的に愛する女性よりも仲間を選ぶし、野心家のマックスはそもそも女性を性欲のはけ口程度にしか見ていない。だいたい、この映画で描かれる男女の関係はレイプか淫行のみ。そこには肉欲こそあれどもロマンスはない。幼馴染デボラ(エリザベス・マクガバン)に対するヌードルスの愛情と憧憬も、結局は女性の愛し方を知らない彼のレイプという行為で破綻してしまう。マックスと愛人キャロル(チューズデイ・ウェルド)の場合は、幸か不幸か彼女が根っからの色情狂マゾだったので成立できたが。いずれにせよ、本作における真の意味でのロマンスは、一心同体の固い絆で結ばれた親友同士のプラトニック・ラブなのだ。 そんな男たちによる栄光と破滅の物語を、貧しい少年時代の1920年代初頭、ギャングとしてのし上がった青年時代の1930年代初頭、そしてたった一人生き残った晩年のヌードルスがニューヨークへ戻ってくる1968年(この部分は原作にはない映画版のオリジナル)と、3つの時間軸を互いに行き来しながら描いていく。 ロウアー・イーストサイドのユダヤ人街で、ギャングの使い走りをしている不良少年たち。そのリーダーであるヌードルスが、ブルックリンから引っ越してきたマックスと意気投合し、彼を仲間に加えたことから徐々に犯罪集団として頭角を現していく。だが、街を牛耳るギャングのバグジー(ジェームズ・ルッソ)に睨まれたことから、ヌードルスが相手を刺殺して刑務所へ入ることに。それから約9年後、出所したヌードルスを迎えた仲間たちは、禁酒法に乗じた密造酒ビジネスや強盗などの犯罪行為で裏社会をのし上がっていくが、やがて狂犬のように乱暴で向こう見ずなマックスにヌードルスはついていけなくなる。ほどなくして禁酒法は撤廃。一攫千金を狙ったマックスは、連邦準備銀行の襲撃という危険な博打に出ようとする。だが、それはほぼ自殺行為に等しい。親友の行く末を案じたヌードルスは、犯行計画を未然に防ぐため警察に密告するものの、その結果、マックスを含む仲間全員が殺されてしまう。裏切りがバレてマフィア組織から命を狙われ、ニューヨークを脱出して身を隠すヌードルス。それから35年後、不可解な手紙を受け取った彼は、その送り主を突き止めるため、再び故郷へ舞い戻ることになる。 こうやって出来事を時系列順に並べてみると、それこそ’30年代にジェームズ・キャグニーやエドワード・G・ロビンソンが主演した伝統的なハリウッド産ギャング映画の延長線上にあるような作品だが、しかし時間軸を自在に交錯させることで長い時の流れが全面的に強調され、壮大なロマンとノスタルジーの芳醇な香りが加味され、ある種のファンタジックな神話性すら宿される。時として分かりづらい、回りくどいと評される本作のストーリー構成だが、しかしこれを抜きにして本作は成立しえなかったとも言えよう。のぞき窓やランプなど、共通するオブジェクトを媒介して時間を移動させるレオーネの演出も、シンプルだからこそかえって効果的だ。 また、本作では往年のハリウッド産ギャング映画にオマージュを捧げつつ、そこでは決して描かれることのなかった裏社会の残酷で醜い現実を赤裸々に暴いていく。確かにヌードルスとマックスの友情は一見すると美しく、時として英雄的ですらあるが、しかし同時に破滅的で破壊的で無秩序で歪んでいる。彼らがまき散らすのは暴力と混沌。挙句の果てに、ヌードルスはマックスとの固い絆の無様な成れの果てを突き付けられる。理想と現実の間に横たわる苦々しいまでの矛盾。そもそも本作の登場人物たちは、彼らを含めて誰もが善と悪の大きな矛盾を抱えている。それは彼らを取り巻く社会も同様だ。 ギャングたちの歩みに映し出されるアメリカの裏現代史、そして微笑みの謎 およそ45年に渡るギャングたちの歩みを描いた本作だが、それはそのまま、組織犯罪が政治やビジネスや社会の隅々にまで侵食していった、20世紀アメリカの裏現代史そのものでもある。ヌードルスたちはジミー(トリート・ウィリアムス)率いる運輸業者組合の用心棒として暗躍するが、実際’30年代に産声を上げたアメリカの労働組合運動は、資本家の勢力に対抗するための必要悪として反社会勢力の力を借りた。アメリカ労組運動の父シドニー・ヒルマンとユダヤ系ギャングの関係、ジミー・ホッファとイタリア系マフィアの関係などが有名だ。そうした裏の協力関係を入り口に、政界や財界の中枢に影響力を持つようになった組織も少なくない。そこには、アメリカン・ドリームなるものの矛盾、アメリカという国家の矛盾が浮かび上がる。 アメリカ文化をこよなく愛したレオーネ監督。ジョン・フォード映画に多大な影響を受けながらも、一連のマカロニ西部劇では従来のハリウッド西部劇が目を背けてきた醜い暴力と抑圧の歴史を直視したように、ここでもギャングというアメリカの現代的な英雄神話を通して、アメリカ現代史の後ろめたい裏側に容赦なく斬り込んでいる。恐らくレオーネは、そのような清濁併せ呑んだアメリカの泥臭い素顔を愛していたのかもしれない。そういう意味で、これはイタリア人セルジオ・レオーネによる、アメリカへの大いなる愛情を込めたラブレターでもあるのだ。 かくして、およそ10時間にも及ぶフィルム素材を、当初は6時間に編集したというレオーネ。前編と後編に分けて上映するつもりだったらしいが、さすがにそれは無茶だと説得されて短くするものの、それでもなお4時間近い長尺に仕上がった。一つ一つのシーンが執拗なまでに長く、全体的にセリフよりも沈黙が多い。言葉による説明は極力省かれ、登場人物の表情や行動、場を包む空気などによって心理や状況が伝えられる。確かに暴力描写や性描写は過激であるものの、いずれも瞬発的で簡潔だ。非常に余白の多い映画だが、その余白こそが豊かな情感を生み、名もなきギャングたちの物語を壮大な叙事詩へと昇華させる。失われた過去の時代を細部まで丁寧に再現したセットも素晴らしいし、エンニオ・モリコーネによる切なくも哀しい音楽スコアがまた、見る者の感情を嫌がおうにも掻き立てる。実に贅沢な映画だと言えよう。 なお、様々な解釈のあるラストのヌードルスの笑顔について。これは正直言って、筆者にもよく分からない。ただ、本編冒頭でアヘンを吸って横たわったヌードルスの姿、それ以降の物語を全て彼が恍惚の中で見た予知夢のようなものと仮定する(それだと別の意味での矛盾や無理が多々発生するのだが)と、貧しくも幸せだった少年時代、マックスとの友情の始まりに想いを馳せた彼の無邪気な微笑みのようにも思える。 通好みの豪華な脇役キャストにはイタリアン・ホラーでお馴染みの女優も 最後に脇役キャストについての注目ポイントを。まず、オープニングでヌードルスを追うマフィアの一味が幻灯を上映しているチャイニーズ劇場に踏み込み、観客席で愛撫し合っている男女に拳銃を突き付けるのだが、このカップルの女性を演じているのがオルガ・カルラトス。そう、ルチオ・フルチのゾンビ映画『サンゲリア』(’80)で眼球を串刺しにされ、『マーダー・ロック』(’84)で謎の殺人鬼に命を狙われるヒロインを演じた女優さんだ。また、ヌードルスの愛人となるイヴ役のダーラン・フリューゲルは、『宇宙の七人』(’80)や『L.A.大捜査線/狼たちの街』(’85)などで当時活躍していた元トップモデル。フェイ・ダナウェイ主演の『アイズ』(’78)でもモデル役で出演していた。ご覧の通りの大変な美人だったが、後に若年性認知症を患って若くして亡くなってしまった。 そして、忘れてはならない少女時代のデボラを演じるジェニファー・コネリー。その神がかり的な美しさときたら!これぞまさしく天使ですな。いったいぜんたい、どうしたら成長するとエリザベス・マクガバンになるのか。解せないファンも多かろう。いや、決してエリザベス・マクガバンが悪いわけじゃない。ただ、ジェニファーがあまりにも美しすぎるのだ。その後、彼女はレオーネの推薦でダリオ・アルジェントの『フェノミナ』(’85)に主演し、スターへの階段を上っていくことになる。 そのほか、ヌードルスを追うマフィア一味の一人にマカロニ西部劇の悪役俳優マリオ・ブレーガ、汚職パワハラ警察署長に当時まだ無名のダニー・アイエロ、イタリア系マフィアのドンにジョー・ペシ、その兄貴分にバート・ヤングなどなど、実に興味深い顔ぶれ。というか激渋(笑)。なお、ヌードルスたちの幼馴染ファット・モー役のラリー・ラップという俳優も、かなりいい味を出して印象的なのだが、その素性はよく分かっていない。imdbでフィルモグラフィーを調べたところ、本作を含めて僅か5本しか出演作がないのだが、引っかかったのはそのいずれもがジョー・ペシとの共演であること。彼の親戚なのか友人なのか、いずれにせよ何かしらの関係者だったのかもしれない。■ © 1984 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存