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COLUMN/コラム2017.03.15
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年4月】うず潮
ブリジット・バルドー(BB)、マリリン・モンロー(MM)と並ぶセックスシンボル、クラウディア・カルディナーレ(CC)の主演で描く、年上美女と青年の美しくも切ない愛の物語。 兄の捨てた美女を弟が追い返すシーンから物語が動き出します。「兄貴ひどい!こんな美女を見捨てるなんて!」と思わず叫びたくなりますが、弟君であるジャック・ペランは彼女を見た瞬間、恋に落ちてしまいます。そして、二人の距離は近づいていき…背伸びをした年下男子と遊びからマジになってしまった年上美女の行方はいかに!男女共にそれぞれの視点で楽しめる作品です。 また、劇中で流れる楽曲にも注目で.す。当時のヒット曲『月影のナポリ』 をケンカのシーンで流したり、CCが踊るシーンでは、劇中にあるジュークボックスから映画の主題歌『鞄を持った女』をさりげなく流したりと、素敵な音楽がちリばめられていて、CCの魅力をより引き立てています。イタリア映画界の宝石クラウディア・カルディナーレ(CC)のキュートでコケティッシュな魅力が満載な1本。この機会を逃すと、今度はいつ見られるかわかりませんので是非! @TITANUS 1960
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COLUMN/コラム2017.01.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年2月】キャロル
v動物園の飼育員グリフィンの婚活を、言葉を話せる動物たちが全力でサポートする!?人気コメディアン、ケヴィン・ジェームズ主演で贈るハートウォーミング・ラブコメディ。 奥手な中年男のグリフィンは動物園の飼育員。超イケイケの恋人ケイトに「結婚相手に動物園の飼育員はイヤ」とあっさりプロポーズを断られてしまう。振られたショックを5年も引きずった挙句諦めきれないグリフィンは、再び彼女にアタックするため転職を考える。ところが、自分たちにとって最高の飼育員を失うことに危機を感じた動物園の動物たちは、彼の転職を阻止しようと必死になるあまり、なんと“掟”を破って人間の言葉で彼に話しかけるのだった!ケイトとうまくいけばグリフィンは動物園を辞めずにすむと考えた動物たちは、グリフィンを男前に仕立てるべく一生懸命応援するのだが、動物本能むき出しのアドバイスはどれもこれも的外れ。それどころか、ケイトのハートを射止めるためにイケイケになろうとしたグリフィンは、動物たちの努力むなしく高級車ディーラーに転職してしまう。自分らしさをすっかり失ってしまったグリフィンだったが、ついにケイトから逆プロポーズされる日が来て・・・! 見てくれや社会的地位に振り回されなくても、人間、中身が大切だよね。と、動物たちに教わる心温まるコメディ。それはそれとして十分楽しめるこの作品、実はシルヴェスター・スタローンやニック・ノルティといった超豪華キャストが動物たちの声を熱演しているのです!普段はいぶし銀な彼らの、ファンキーでちょっと笑える演技も見どころ。ぜひ2月のザ・シネマ、バレンタイン特集でお楽しみ下さい! ZOOKEEPER, THE © 2010 ZOOKEEPER PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.10.13
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年11月】キャロル
80年代~ウォール街でウルフ(狼)と呼ばれた実在の人物ジョーダン・ベルフォートの回顧録『ウォール街狂乱日記』を映画化。若くして巨万の富を築いた証券マンの栄光と転落をレオナルド・ディカプリオ&マーティン・スコセッシ監督が5度目のタッグで描く。あらすじはというと・・・学歴もコネもない22歳の青年ジョーダン・ベルフォートは、お金持ちになりたい!という夢を抱きウォール街で株式ブローカーとして働き出します。ところが働き始めてすぐに「ブラックマンデー」と呼ばれる大恐慌が起きて会社は倒産。そこでジョーダンは仲間を集めて証券会社を設立し、巧みな話術を活かしたセールストークと詐欺まがいの株取引で大金を稼ぐようになります。会社を大企業に成長させて自らも億万長者となったジョーダンは、ドラッグとセックスまみれの豪遊生活に明け暮れる・・・。結局、派手にいろいろやりすぎて警察から目を付けられ、投資詐欺で逮捕され服役するのですが・・・その顛末を描いたお話です。(ちなみに出所した彼は、自伝(この映画の原作)を書いたり、セールストークの講演会とか開いたりして現在も大儲けしているそうです。さっすが~!なのか?!)本作は、まぁ、つまるところ酒を浴びまくりドラッグをキメまくり人を騙しまくってカネを儲けまくるという、よくぞ映像にしたものだと思うほど、とにかくクレイジーな映画なのです。(っていうかこれが実話だってことに驚愕!!)それに加えてディカプリオが、ロウソク垂らしてアヒアヒする全裸SMプレイで完全ドMになったり、ドラッグが効き過ぎて涎ダラダラ状態で床を這いつくばったり・・・レオ様ってば、これはいくらなんでもやりすぎでしょ(それほどアカデミー賞欲しいのね?)・・・と思わずにはいられない史上最大級の崩れっぷりが、本当に、スゴイ。そしてこのクレイジーすぎる暴れっぷりラリっぷりは、実在のジョーダン・ベルフォート本人から「実際はこうだった」とアドバイスをもらって再現したもので、本当にぜーんぶ実際に起こった話だっていうんだから、驚きを通り超して呆れてしまいます!!とにかく百聞は一見にしかず。マーティン・スコセッシ監督が「彼は何でも出来る」と絶賛した、レオナルド・ディカプリオの超スゴ演技を11月のザ・シネマで是非ご覧ください!! COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2016.05.18
ドリー・尾崎の映画技術概論 〜第2回:編集〜
■編集の成り立ち 「編集」は、映画を映画たらしめる最大の要素だ。ショットとショットを繋ぐことで、そこに意味を持つドラマやストーリーが生まれる。さらには時間や空間の跳躍を可能にし、無限の表現や可能性をもたらしてくれるのだ。 まず成り立ちだが、アメリカ映画を主体として考えた場合、起源は110年前にさかのぼる。『大列車強盗』(1903)で知られるエドウィン・S・ポーターが、イギリスで発展の途中にあった「ショットとショットを編んでストーリーを語る」という概念を自作に用い、編集のベースを築いたといっていい。さらにそれを『國民の創生』(1915)『イントレランス』(1916)のD・W・グリフィスが精巧に磨き上げた、というのが定説だ。前者は物事を順々に追っていく絵物語的な構成や、別地点を捉えたショットどうしを交差させるパラレル(並行)アクションなどを確立させ、後者は過去回想や、ショットからショットへのよりシームレスな連結、パラレルアクションのさらなる多層化など、ジャンルの草創期において編集技法の基礎を形作っている(グリフィスが「アメリカ映画の父」と称されるゆえんはそこにある)。 併せて1920年代のロシアでは、ショットのつなぎ方によって違う印象を観る者に抱かせる「クレショフの実験効果」や、ショットとショットの衝突が新たな要素や概念を生む「弁証法モンタージュ」など、レフ・クレショフやセルゲイ・エイゼンシュテイン(『戦艦ポチョムキン』(1925))といった映画作家たちの手で、編集が高度に理論化されていく(ロシアで編集理論が発達したのは、識字率の低い民衆に社会主義を啓蒙するためとも、またフィルムが高額だったためとも諸説ある)。 大略ではあるが、こうした世界各地での研究によって映画の編集は様々な方法を確立させ、より完成されたものになっていったのである。 ■アナログ編集からデジタル編集へ 編集の作業だが、映画がフィルムを媒体としていた頃は、フィルムを切り貼りして繋げるアナログなプロセスが踏まえられてきた。撮影したネガから編集用の素材プリントを焼き、それをもとにエディター(編集者)と以下スタッフらによって「粗編集」が施される。さらにはその粗編集を監督やプロデューサー、あるいは撮影監督らの意向にしたがい完成版へと整えていき、最終的には完成した形に沿ってネガを編集していく(ファイナル・カット)。こうしたスタイルの作業を「リニア(線形)編集」といい、「ムビオラ」や「ステインベック」「KEM」といった、スコープで映像を覗きながら編集点をチェックしていく専用機が、それを下支えしてきたのである。 デジタルを媒体とする現在、映画は撮影された映像をHDDに取り込んで管理し、コンピュータ上で専用ソフトを用いて編集作業をする「ノンリニア(非線形)編集」が主流となっている。初めの頃は撮像済みのフィルムをスキャンしてデジタルデータへと変換する必要があったが、カメラ自体がデジタル機器化し、フィルムレスになった現在、フルデジタルによるワークフローが確立されている。 ■デジタル・ノンリニア編集への布石~コッポラの「エレクトロニック・シネマ」構想とルーカスの「EditDroid」~ 映画におけるノンリニア編集の可能性は、デジタルの興隆以前から模索されてきた。初期のものでは1970年代に「CMX」という、ビデオベースのリニア、ならびにノンリニア編集システムが開発されている。しかし映画の世界へと持ち込むにはコストが高く、パフォーマンスも不充分であるなど問題が多かった。 こうしたビデオベースの編集システムが映画に用いられたのは、1982年、フランシス・フォード・コッポラ監督によるミュージカル恋愛劇『ワン・フロム・ザ・ハート』の製作現場においてだ。かねてより「エレクトロニック・シネマ」という構想を抱いてきたコッポラは、撮影から編集まで映画を一貫した体勢のもとに創造できないかという計画を練っていた。同作で実現したそれは、大型トレーラーに音響と映像コントロール機器を搭載し、それをスタジオと連動させることで、撮影から編集までを一括管理のもとに行なえるというものである。編集に関していえば、103CエディターとソニーのベータマックスSLO-383ビデオレコーダーを用い、オフライン編集(ネガ編集のためのデータ作成)を可能とするシステムが組まれている。同作の北米版2枚組DVDに収録された映像特典“Electronic Cinema”の中で、Avid社のデジタル編集システムの共同開発者であるトム・オハニアンは「このコンセプトこそが後のデジタル・ノンリニア編集の先駆け」だと称揚している。 また、そんなコッポラの弟子筋にあたる『スター・ウォーズ』(77〜)シリーズのジョージ・ルーカス監督が開発に関わった「EditDroid」という編集システムも無視できない。これは映像素材をレーザーディスクに保存し、それをコンピュータで操作し編集を実行するというものだった。高額やスローアクセスなどのデメリットもあり、残念ながら普及はしなかったものの、これもデジタル・ノンリニア編集のコンセプトを持ち、後のAvid編集システムのベースとなった重要なシステムといえる。 そう、そして時代はコンピュータとデジタル技術の発展を促し、それをベースとする編集システムを世に送り出していく。1989年、Avid社は自社製ワークステーションとソフトウェアによるノンリニア編集システム「Avid」を開発。映画に新たなデジタル編集の革命をもたらした。膨大な撮影素材に素早くアクセスできることで、作業に格段のスピードを与え、結果、フィルムプリントを繋いでいた頃と比べてショットの組み合わせが多様になり、より巧妙で複雑な編集を可能にしたのだ。 ■デジタル編集の功罪? カオス・シネマ こうしたデジタル編集システムを最大限に活かした監督に、オリバー・ストーンがいる。氏は伝説的ロックグループを描いた映画『ドアーズ』(91)でEditDroidを試験的に用い、最大8台のカメラで撮影した50万フィートに及ぶ素材を140分、約3900ショットにまとめている。さらにはAvidとしのぎを削ったデジタル編集システム「LIGHTWOEKS」を導入し、オプチカル合成ショットだけでなんと2000ものショット数を超える『JFK』(91)を手がけたのだ(ジョー・ハッシングとピエトロ・スカリアは本作で第64回米アカデミー編集賞を受賞)。さらにNFLの試合を圧倒的な迫力で演出した『エニィ・ギブン・サンデー』(99)では、6人もの編集担当が9台のワークステーションを駆使し、全編7000ショットに迫らんとする細切れのショット編集を極めている。70年代には1000~2000ショットを平均としたハリウッド映画に比べると、驚異的ともいうべき数字の膨れ上がり方だ。 こうしたストーンの編集アプローチは、近年「カオス・シネマ」と呼ばれ、一部では揶揄される傾向にあるようだ。『トランスフォーマー』(07〜)シリーズのマイケル・ベイや『ボーン・スプレマシー』(04)『キャプテン・フィリップス』(13)のポール・グリーングラスなど、ショットを細切れにさばいて編集する監督の存在は、今や決して珍しくはない。彼らがトライする、めまぐるしくショットの変わる編集はアクション・シークエンスをエキサイティングに表現し、観客の興奮を大いに高める。だがいっぽうで、一連の動きの流れを分かりづらくしているという批判も存在する。 ただ、デジタル・ノンリニア編集が「カオス・シネマ」の悪しき創造主なのかと問われれば、そこは微妙だ。かつてマイケル・ベイはアクション大作『ザ・ロック』(96)をAvidで編集し、上層部を招いてスクリーン試写をしたところ、ガチャガチャして画面上の状況がわかりづらいという指摘を受け、再編集を余儀なくされるという失敗を経験している。以来、当人はデジタル編集には警戒心を持って臨んでいると語っており、またポール・グリーングラスは「シネマヴェリテ」と呼ばれるドキュドラマの手法のもと『ブラディ・サンデー』(02)を手がけ、もとよりショットを積みかさねて臨場感を出すやり方は自己流のものだ。 映画編集の第一人者であり、Avid編集システムを用いた『イングリッシュ・ペイシェント』(96)で第69回米アカデミー編集賞を受賞したウォルター・マーチは、編集をテーマにした自著「映画の瞬き 映画編集という仕事」の中で以下のように語っている。 「ショット構成の素早い編集は、アメリカ映画において大きな流れとしてあり、CM(コマーシャル)やMV(ミュージックビデオ)など異なる映像分野からの人材起用が一因としてある」 また『カッティング・エッジ 映画編集のすべて』という、ハリウッド映画の編集史にフォーカスを定めた秀逸なドキュメンタリー(2004年制作)において、『未知との遭遇』(77)『シンドラーのリスト』(93)の巨匠スティーブン・スピルバーグは、 「映像が氾濫している時代の若者は、優れた映像処理能力を持っている。それに応じて映画のショット構成も早くなっているのでは?」 と論じ、こうした傾向に理解を示しつつも懐疑的だ。 確かにマーチの指摘どおり、先述したマイケル・ベイや『ゴーン・ガール』(15)のデヴィッド・フィンチャー、あるいは『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16)のザック・スナイダーなど、現在活躍中の監督の多くはCM、MV分野を出自とし、80年代以降のブロックバスター・ムービーに大量投入された流派のクリエイターたちだ。またスピルバーグの論も、その懸念を含めて然りである。映画は構成された画の一つ一つに、読み解くことで成立する独自の記号や文法があり、CMやMVとは異なる編集時間を持つべきだ、とマーチは自著にて綴っている。 ただカメラがデジタル化され、記録容量の増大にともなって映像素材も膨大なものとなった現在、編集ショット数の増加傾向は「大きな流れ」としてあるものといえる。つまり「カオス・シネマ」も、それ自体が時代の趨勢によって確立されたものであり、デジタル・ノンリニア編集が生んだひとつの「成果」といえはしないだろうか? ■映画は観客の要求に応えるもの〜ロブ・コーエンが語る編集の極意〜 先の編集テンポ問題を提示した『カッティング・エッジ』において、ひとり面白い反応を見せていた人物がいる。『ワイルド・スピード』(01)の監督ロブ・コーエンだ。 ヴィン・ディーゼルをスターダムに押し上げた『トリプルX』(02)の中で、コーエン監督はあらゆる角度から捉えたエクストリームアクションのショットを構成し、独自の編集スタイルを打ち立てている。そして敵のレーダーに感知されない最新型ステルス戦闘機のエリート操縦士たちと、人工知能を搭載した無人ステルス戦闘機との壮絶なエアバトルを描いた『ステルス』(05)では、その超音速戦闘シーンを細切れのショット編集で見せ、「カオス・シネマ」を実践した一人といえる。当人はそのことを、以下のように語っている。 「僕の年齢は編集センスは70歳から始まり、どんどん逆行し、今や27歳くらいに思えてならない」 『ステルス』の日本公開時、筆者は来日インタビューで監督本人に会ったさい、先の抽象的な証言の真意を訊ねた。若返っていると感じる編集センスは、デジタル編集システムの恩恵なのか? とー。そこで氏はこう答えてくれたのである。 「デジタルの成果というよりも、若い観客に応えて作品を形成していったら、僕自身の編集センスが自然と若くなっていったのさ。お客さんが喜ぶものに従えば、自分のスタイルや方向性なんて自然と定まってくるものだよ」 編集スタイルの変化を時代の趨勢とせず、観客の声なき希求への返答と捉えたコーエン監督。ちょっとキザったらしく優等生っぽいが、編集という観点から商業映画の本質を捉えた、含蓄ある証言ではないだろうか。 ちなみにこのときのインタビュー、人工知能の反乱をスリリングに描いた点について、名作『2001年宇宙の旅』(68)の続編である『2010年』(84)からの影響ではないかと監督に指摘したところ、 「私を名匠キューブリックではなく、ピーター(ハイアムズ)と比較するのかキミは、ガッハッハ‼︎」 と豪快に笑いつつ、暴走ぎみな毒舌発言を連発していた。まぁ、そこは本テーマどおり「編集」をほどこし、あくまでも綺麗な美談として本項を閉じたい。■ Copyright © 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.04.10
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年4月】キャロル
南北戦争直前のアメリカ南部。黒人奴隷のジャンゴは、賞金稼ぎシュルツの助けで奴隷から解放され、二人で組み金を稼ぐようになる。やがてジャンゴの生き別れた妻が冷酷な大農園主キャンディに売られたことを突き止め、妻を救い出すため二人は身分を偽りキャンディの屋敷に乗り込む・・・というお話。 いや~、ジャンゴの銃さばきがマージでカッコイイ。西部劇の醍醐味である勧善懲悪が実に明快に描かれており、最後の銃撃シーンの爽快感ったらありゃしません。 一方で、これまでのアメリカ映画では決して描かれなかった奴隷虐待がリアルに描かれます。卵を割ってしまっただけなのに皮膚がえぐられ骨が見えるまでムチで打ったり。逃亡未遂の奴隷を犬に食わせて殺したり。奴隷同士を死ぬまで戦わせたり。全裸で灼熱の中に一週間も放置したり。・・・アメリカでは200年もの間、毎日がこうだったのかと思うと身震いさえしてきます。 深みをもたらしているのは間違いなく本役でアカデミー賞助演男優賞を受賞したクリストフ・ヴァルツですが、極めつけはやはりレオナルド・ディカプリオ。圧倒的な存在感で、彼が醸しだす陽気さと無邪気さが、あの異様な緊張感と残酷さを一層際立たせているのです。 アイ・ラブ・西部劇!マカロニ・ウエスタンへの溢れんばかりの愛を詰め込み、痛快すぎる勧善懲悪作品でありながら、差別社会に対する超本気の怒りをミックスさせた、まるで新ジャンルといえる未体験エンタテインメントに仕上げているのはタランティーノ監督の手腕ならでは。 ジャンゴ~ジャンゴ~~♪のメロディと、爽快感と、不快感がミックスされて延々と頭の中に残る、何とも強烈なエンタメ作品です。未見の方は是非!そして2度目、3度目の方も是非、4月のザ・シネマでご堪能下さい! © 2012 Visiona Romantica, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.12.12
死体消失事件をめぐる驚愕の真実を描き、スパニッシュ・スリラー&ミステリーの充実を証明する逸品~『ロスト・ボディ』~
このジャンルにおけるハリウッドやイギリスのクリエイターたちが映画界からTVドラマ界へと活動の場をシフトする傾向が強まるなか、スペイン映画こそが約100分間ひたすらハラハラ&ドキドキする映画を楽しみたい!という私たちの欲求を補完してくれる役目を果たしているのだ。“スパニッシュ”といえば、先頃ザ・シネマでも大々的に特集が組まれた“ホラー”のレベルの高さは広く知られているが、ミステリー&スリラーの充実ぶりも目覚ましいものがある。 近年のスペイン製スリラー&ミステリーの隆盛の元をたどってみると、アレハンドロ・アメナーバル監督の『テシス/次に私が殺される』(1996)、『オープン・ユア・アイズ』(1997)、『アザーズ』(2001)の成功が思い起こされる。とりわけアメリカ資本とタッグを組み、スター女優のニコール・キッドマンを主演に据えた『アザーズ』は、国際的なマーケットにおけるスペイン映画のブランドバリューを高めたエポック・メイキングな作品となった。 その後しばらくブランクは生じるものの、スペイン産の英語作品というパターンのプロジェクトは『[リミット]』(2010)、『レッド・ライト』(2012)、『記憶探偵と鍵のかかった少女』(2013)、『グランドピアノ 狙われた黒鍵』(2013)、『MAMA』(2013)へと受け継がれて現在に至っている。 スペインのジャンル・ムービー事情を語るうえでは『TIME CRIMES タイム・クライムス』(2007)も見落とせない。新人のナチョ・ビガロンド監督が放ったこの奇想天外なタイムパラドックスSFは、低予算作品でありながらスペイン国内で大ヒットを記録し、ファンタスティック系の映画祭で数多くの賞に輝いた。このような興行的な成功例が生まれると、スタジオやスポンサーに「スリラー&ミステリーは客を呼び込める」「海外に打って出ることができる」という自信が芽生え、新たな投資への好循環が沸き起こる。このジャンルで実績を積み重ねたプロデューサーやペドロ・アルモドバル、ギレルモ・デル・トロといった大物監督のバックアップのもと、若い才能たちが次々と育ち、今まさにスペインのジャンル・ムービーは豊かな“収穫期”を迎えている感がある。 ところが日本においては、スペイン製のスリラー&ミステリーが全国的なシネコン・チェーンのスクリーンにかかることは滅多にない。ここ数年、このジャンルの愛好家である筆者が唸らされた『ヒドゥン・フェイス』(2011)、『悪人に平穏なし』(2011)、『ネスト』(2014)、『ブラックハッカー』(2014)、『マーシュランド』(2014)といった快作は、いずれも小劇場や特集上映でひっそりと紹介されるにとどまっている。これらの“宝の山”のほとんどが、今もレンタルショップの片隅で日の目を見ずに眠っているのだ。 前置きが長くなって恐縮だが、今回ピックアップする『ロスト・ボディ』(2012)も“宝の山”の中の1本である。『ロスト・アイズ』(2010)、『ロスト・フロア』(2013)という似たタイトルのスペイン映画があっていささか紛らわしいが、これはどれも『永遠のこどもたち』(2007)のベレン・ルエダが主演を務めたミステリー・スリラーであるということ以外、内容的にはまったく繋がりがない。出来ばえに関しては『ロスト・ボディ』がダントツの面白さである。 日本では特集上映〈シッチェス映画祭セレクション〉で紹介された『ロスト・ボディ』は、ある真夜中、郊外の法医学研究所の死体安置所から製薬会社オーナーである高慢な中年女性マイカの遺体が忽然と消失したところから始まる。心臓発作で急死したマイカにはアレックスという年下の夫がおり、捜査に乗り出したベテランのハイメ警部はアレックスを呼び出し、彼がマイカを殺害して死体を隠蔽したのではないかと疑って事情聴取を始めるのだが……。 映画の比較的早い段階で、ひげ面の容疑者アレックスがマイカ殺しの犯人だという事実がフラッシュバックで観る者に提示される。ミステリーの核となるのは、なぜマイカの遺体が消えたのかという点だ。アレックスは外部にいる若く美しい愛人カルラと携帯で連絡を取りながら、ハイメ警部の厳しい事情聴取をのらりくらりとかわそうとするが、アレックスを取り巻く状況は悪化の一途をたどる。次第に追いつめられたアレックスは、特殊な毒薬を使って殺害したはずのマイカは実は生きていて、自分への復讐を実行しているのではないかという強迫観念に囚われていく。アレックスがマイカの幻影に脅えるシーンは、ほとんどホラー映画のようだ。 そもそも死体安置所を備えた2階建ての法医学研究所という空間を、警察の取調室代わりに仕立てたシチュエーションの妙がすばらしい。おそらく室内シーンの大半はセットで撮られたはずで、ミステリー・スリラーでありながらホラー的なムードを濃厚に漂わせた陰影豊かな美術、照明、撮影が、この映画のクオリティの高さを裏付けている。猛烈な雨が降りしきり、雷鳴の閃光がまたたく濃密な映像世界は、いつ幽霊が出没しても不思議ではない不気味な気配を醸し出している。 こうしたオリオル・パウロ監督率いるスタッフの的確な仕事ぶり、死美人役のベレン・ルエダとホセ・コロナド、ウーゴ・シルヴァらの演技巧者たちの迫真のアンサンブルに加え、何よりこの映画はオリジナル脚本が抜群に優れている。やがて死体消失の怪事件は夜明けの訪れとともに急展開を見せ、矢継ぎ早に意外な真相が明かされていく。いわゆるどんでん返しが待ち受けているわけだが、それは単にサプライズ効果を狙ったトリッキーな仕掛けではなく、登場人物の“情念”と結びついた本格ミステリーの醍醐味を堪能させてくれる。謎だらけの死体消失事件には、ある目的を達成するために恐ろしいほどの執念を燃やす首謀者とその共犯者が存在しているのだ! 巧妙な伏線をちりばめたうえで炸裂する“驚愕の真実”と、ラスト・カットまで持続する並々ならぬ緊迫感に筆者は舌を巻いた。こんな隠れた逸品を目の当たりにするたびに、スペイン製ジャンル・ムービーの発掘はしばらく止められそうもないと感じる今日この頃である。■ ©2012 Rodar y Rodar Cine y Television/A3 Films. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2015.11.30
男たちのシネマ愛①愛すべき、未DVD・ブルーレイ化作品(5)
なかざわ:次は「黄金の眼」の話題に移りましょうか。 飯森:これもルパンですよ。 なかざわ:言ってみればテロリストの話なんですけどね。金持ちから大金をふんだくって、権力の鼻をあかしてやることを信条にしている覆面ヒーロー。 飯森:とにかくおしゃれな音楽がひたすら鳴り響いて、おしゃれな車に乗って美女をはべらせながら盗むだけっていう、極めて無内容な映画なんだけれど、怪盗映画として後世に与えた影響は少なくないと思います。特に驚いたのは、「ルパン三世 カリオストロの城」(注28)がまんまパクっていること。「カリオストロの城」でクラリスに会うため塔をよじ登っていくシーン、ほら、三角屋根の上でライターを拾おうとして転げ落ちるシーン、あそこが「黄金の眼」と全く同じなんですよね。 なかざわ:その塔をよじ登っていくシーンは、ビースティ・ボーイズのミュージックビデオでもそのまま再現されていますよね。実はあの塔って、実際は地面に横たわっていて、そこで俳優が四つん這いになっているだけなんですよ。それを広角レンズを使って絶妙な位置から撮ることで、いかにも遠く下の方に崖があって海があるように見せている。しかも、ご丁寧にヘリコプターを映り込ませているので、カメラが高いところにいるような錯覚を起こさせているわけです。 飯森:そのへんがマリオ・バーヴァ監督(注29)の技ですよね。 なかざわ:そうです。カメラマン出身の監督なので、撮影のアイデアが豊富なんです。他にも、怪盗ディアボリックが犯罪組織の飛行機に乗るシーンがありますよね。飛行場でタラップを上ってプロペラ機に乗り込むわけですけど、実はこのプロペラ機というのが、切り抜いた絵なんです。切り抜きをカメラの一番手前に置いて、本物の俳優やタラップはその遠く向こう側に配置されている。つまり、遠近法を応用することで、切り抜いた飛行機の絵を本物に見立てているわけです。しかも、照明を当てる位置を計算しているため、飛行機はほとんどシルエット状態なので、細部がよく見えないから絵だと分かりにくい。 飯森:映像の魔術師と言われる人は結構いるけど、これこそまさに映像の魔術ですよね。 なかざわ:バーヴァの映画はどれもそうですけど、特にこの作品は、面白い映画をいかに安上がりにつくるかというアイデアが詰まっているんですよ。ディアボリックの秘密基地なんかも、一部を除いてほとんどがマットペイントですから。つまり、手書きの絵ですね。例えば、美女のエヴァが上っていく階段は本物だけど、その先の丸い通路はマットペイント。普通の廊下にイラストを貼っているだけです。 飯森:マットペイントって実物のように見える絵を背景に置くという技術ですけど、実写と見分けが付かないということで最も例に挙げられるのは「ダイ・ハード2」(注30)の空港ですよね。でも、「黄金の眼」のマットペイントも全く分からない。 なかざわ:バーヴァの父親は、イタリアで最初に特撮工房を作った人なんです。その父親から技術のノウハウを学んでしますし、彼自身もトリック撮影が大好きで研究熱心だったようですね。実際、ダリオ・アルジェント監督(注31)の「インフェルノ」(注32)をはじめ、バーヴァがノークレジットで特殊効果を手がけた作品は多い。そんな彼の技術の粋を集めた映画だと思います。「黄金の眼」は。 注28:1979年製作。ルパンが小国カリオストロの王女クラリスを救うために戦う。宮崎駿監督。注29:1914年生まれ。監督。代表作は「血ぬられた墓標」(’60)、「モデル連続殺人」(’64)など。イタリアン・ホラーの父とも呼ばれる。1980年死去。注30:1990年製作。マクレーン刑事が空港でテロに巻き込まれる。ブルース・ウィリス主演。注31:1940年生まれ。監督。代表作は「サスペリア」(’77)、「フェノミナ」(’85)など。イタリアン・ホラーの帝王。注32:1980年製作。ニューヨークの古いアパートに棲む魔女の恐怖を描く。リー・マクロスキー主演。 次ページ >> 誰の視点に立つかによって大きく解釈が変わる(飯森) 「スパニッシュ・アフェア」COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 「ザ・キープ」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「世界殺人公社」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「黄金の眼」COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 「くちづけ」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「ウォーキング・トール」© 2015 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2015.11.28
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年11月】うず潮
『ギャング・オブ・ニューヨーク』でコンビを組んだマーティン・スコセッシ×レオナルド・ディカプリオが再びタッグ!実在した大富豪ハワード・ヒューズの波乱の半生を、スケール満点で描いた伝記大作。 主演のハワード・ヒューズ役のディカプリオは憑依ぶりを発揮し、その存在感はさすがの一言。そして、ヒューズの恋人オスカー女優キャサリン・ヘプバーン役にはケイト・ブランシェット。若きヘプバーンを豪快でどこか可愛らしい彼女を見事に演じきり、アカデミー賞助演女優賞を見事獲得。さらに本作は1920~30年代の車や航空機、ファッションなどその時代を感じられ、ヒューズが製作した映画『地獄の天使』に登場する戦闘機バトルを再現したシーンは迫力満点。 ヒューズは映画の他に航空事業にも乗り出すのですが、軍事用に開発した巨大輸送機の飛行シーンは男子なら、是非見てほしいシーン。ロマンを感じます!この映画を見たあとは、ハワード・ヒューズについてもっと知りたくなりますよー。是非見たあとにググってみてくだい! ザ・シネマでは、こんな飛行機野郎たちが登場する映画を【男たちの大航空時代】と題して特集放送!本作のほか『レッド・バロン』『トラ・トラ・トラ・』を放送します!こちらもお楽しみに! ©2004 IMF. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2015.10.14
【DVD/BD未発売】ゴールドの輝きを放つ埋もれた至宝 オシャレな痛快娯楽活劇〜『黄金の眼』〜
時は、今を遡ること約半世紀前、当時まだ東西冷戦時代さなかの1960年代半ば。 『007/ドクター・ノオ』(62)を皮切りに、御存知、映画『007』シリーズが始まり、世界的に大ヒットしたのを受けて、『電撃フリント』2部作(66/67)や『サイレンサー』シリーズ(66-68)など、ダンディなスパイとセクシーな美女たちが敵味方相乱れて対峙し、華麗にして荒唐無稽な冒険とアヴァンチュールを繰り広げる同種の軽妙な娯楽スパイ映画が続々と登場。TVドラマの世界でも、「0011ナポレオン・ソロ」シリーズ(64-68)、「スパイ大作戦」シリーズ(66-73)など、数多くの模倣・類似作が作られて、60年代のポップで華やかなエンターテインメント文化は、世界中で大いに活況を呈することになる。 「スパイ大作戦」は、いまや周知の通り、トム・クルーズ製作・主演の大ヒット映画『ミッション:インポッシブル』シリーズ(96-)として現代に蘇ったわけだが、そのオリジナルTV版の誕生に、『007』シリーズと並んで大きな影響を与えたのが、こちらはスパイではなく、泥棒一味による大胆不敵な強奪計画の行く末を愉快に綴った映画『トプカピ』(64)。そして、これに続いて、イタリア製の『黄金の七人』(65)や、オードリー・ヘップバーン主演の『おしゃれ泥棒』(66)など、上質の娯楽犯罪喜劇映画も次々と生み出された。 さらには、お馴染みの人気アメコミ・ヒーロー「バットマン」も、実写版TVドラマ・シリーズ(66-68)として全米のお茶の間に復活。フランスからは、往年の人気大衆小説をもとに、覆面の怪盗主人公が『ファントマ』映画3部作 (64-67)で蘇り、さらには、イギリスの新聞連載漫画を原作に、異才ジョゼフ・ロージーが、キャンプ趣味満載の奇妙奇天烈な女スパイ映画『唇からナイフ』(66)を発表するのも、まさにこの頃。 そして、奇しくも日本ではあのモンキー・パンチ原作のお馴染みの人気漫画「ルパン三世」の雑誌連載が始まった1967年、イタリアから、同国の人気コミックを映画化した新たな魅惑作が登場する。それが、今回ここに紹介する痛快娯楽活劇『黄金の眼』(67)だ。 ■イタリア映画界が生んだマエストロ、マリオ・バーヴァの世界へようこそ 『黄金の眼』の監督を手がけたのは、本来“イタリアン・ホラーの父”として名高いマリオ・バーヴァ(1914-80)。遅咲きの長編劇映画監督デビュー作『血ぬられた墓標』(60)で世界的ヒットを飛ばして、イタリア映画界に一躍ホラー映画ブームを巻き起こした彼は、以後も耽美的なゴシック・ホラーの傑作を次々と放つ一方、時代に先駆けて“ジャッロ”と呼ばれる猟奇サスペンスものやスラッシャー映画も手がけて、ホラー映画の新たな地平を切り拓いたマエストロ。独特の様式美に満ちた彼の映像世界に魅せられる映画人たちは数多く、『呪いの館』(66)が、オムニバス映画『世にも怪奇な物語』(68)の中でフェデリコ・フェリーニ監督が演出を手がけた一挿話に、また、SFホラーの『バンパイアの惑星』(65)がリドリー・スコット監督の『エイリアン』(79)に多大な影響を与えたほか、マーティン・スコセッシやティム・バートン、ジョン・カーペンター、そして日本の黒沢清といった錚々たる映画作家たちが、バーヴァ映画の熱烈なファンであることを公言している。 その時々の映画界の流行り廃りに応じて、時には史劇やマカロニ・ウェスタンなど、他ジャンルの作品も手がけることもあったバーヴァ監督にとって、本作は結局、娯楽犯罪活劇に挑む最初で最後の機会となったが、冒頭で列挙したような、同時代のさまざまなエンターテインメント作品のエッセンスを巧みにすくい取って混ぜ合わせつつ、そこに彼ならではの創意工夫に富んだ演出と、卓越したヴィジュアル・センス、そして、一見しただけではなかなか気付かない、さりげないトリック撮影を随所に効果的に盛り込み、誰もが理屈抜きに面白く楽しめて、至福のひと時を味わえること請け合いの、極上の会心作に仕立てている。 『黄金の眼』の物語の内容はいたって単純明快で、神出鬼没の覆面の怪盗ディアボリックが、何とか彼をふん捕まえようと躍起になる警部や大臣ら、お偉方たちの涙ぐましい努力を嘲笑うかのように、高価な宝飾品や金塊を獲物と付け狙っては、大胆不敵にして奇想天外な犯罪計画を次々と立案実行していくというもの。首尾よくことが運んだ際に、ジョン・フィリップ・ロー演じるディアボリックが、してやったりとばかり、ムハハハハ~と上げる高笑いが何とも小気味よく、それを耳にする我々の方まで、ついニヤリと頬が緩んでしまう。単純で強烈なエレキサウンドの印象的なギターリフをはじめ、瞑想的なシタールの音色や、甘い吐息にも似た独特の女声コーラスなど、イタリアが生んだもうひとりの偉大なマエストロたるエンニオ・モリコーネが多彩に奏でる本作の映画音楽も、いつもながら素晴らしい。 そしてまた、主人公のディアボリックが、恋人にして仕事の相棒でもあるセクシーなブロンド美女のエヴァと、時あるごとに甘美で心ときめく愛の戯れを交わす様子を、何とも悩ましい衣裳や小道具、斬新で奇抜なセット、そして絶妙な構図とカメラワークの巧みな連携プレーで、どこまでも遊び心いっぱいに妖艶に描いてみせるバーヴァ監督の演出も、心憎いほどオシャレでエレガントだ(エヴァをセクシーでキュートな魅力満点に演じるオーストリア出身の女優、マリサ・メルの美しい容姿も忘れ難く、とりわけ物語の終盤、彼女の立ち姿を下から仰ぎ見るようにして捉えるショットは、最高にグルーヴィー! ちなみに、エヴァとディアボリックの2人がガラス張りの浴室でシャワーを浴びる場面、そして、無数の高額紙幣で埋め尽くされた回転ベッド上で裸になって抱き合う2人、という本作のオツな名場面は、オタク趣味全開のロマン・コッポラの長編劇映画監督デビュー作『CQ』(2001)の中でも再現されているほか、ジョン・フィリップ・ローその人も、同作に特別出演している)。 ■黄金の眼を持つ男、バーヴァの映像マジックの舞台裏 さらには、あのバットマンの秘密基地よろしく、ディアボリックが地中の洞窟に作り上げた秘密の隠れ家のレトロフューチャーなセット・デザインも実に見事で、本作の大きな見どころの一つといえるが、実はこれは、現実のものでもミニチュアのセットでもなく、実写で人物を映した背景にマットペイントで合成を施して作り上げたもの、と聞いて、さらに驚く人もきっと大勢いるに違いない。 実はバーヴァの父親は、初期のイタリア映画産業において撮影監督、そして特殊効果のパイオニアとして活躍した人物。当初は画家志望だったバーヴァ自身も、やがて映画界に進み、父親直伝の指導の下、特殊効果を活かした撮影トリックや、多彩な色を使った照明法などにも幅広く通じた有能な撮影監督として長年映画作りの現場に関わり、独自のヴィジュアル・センスにより一層磨きをかけるという過去の蓄積があった。 そんなバーヴァ監督だけに、ちょっとしたトリックを使った特殊撮影は、すっかりお手の物。先に例に挙げたディアボリックの秘密の隠れ家の全景だけでなく、ゴツゴツと地肌の露出したその背景や、海辺に聳え立つ古城など、ほかにもバーヴァは本作の随所に、巧みなマット合成や多重露出、疑似夜景など、さまざまな撮影トリックを駆使して、映画魔術師ぶりを遺憾なく発揮している(前時代的でいかにも作り物めいて見えるスクリーン・プロセスは、今日の映画ファンの目からするとちょっと御愛嬌だが、そこがかえって、原作の平面的なコミックの世界に近づけているようにも見える)。映画の中盤、獲物と狙う高価なネックレスを盗み出すべく、古城の内部に忍び入ったディアボリックが、監視カメラのモニター画面をポラロイド写真に巧みにすり替えて、警察の目をまんまと欺くという一場面が登場するが、このときのディボリックは、世界屈指のバーヴァ映画マニア、ティム・ルーカスがいち早く指摘した通り、まさにバーヴァ監督その人の似姿にほかならないと言えるだろう。 ちなみに本作は、イタリアの大物映画プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスの製作のもとに作られたもので、バーヴァ監督に与えられた当初の製作予算は300万ドルと、それまで長年、それよりはるかに低予算での映画作りに慣れていた彼にとっては、桁違いの大金。ところがバーヴァは、結局、わずか40万ドルの製作費で映画を見事完成させてしまったという。それにすっかり感激したプロデューサーが、では残りの予算で次はぜひ続編を、と意気込んだのに対し、バーヴァ監督の方は、大作を引き受けると同時に重い責任を背負い込まされるのはもう御免、と断ってしまったのが、今となっては何とも惜しまれるところだ。 ■やっぱ『バーバレラ』より、バーヴァでしょ なお、デ・ラウレンティスは本作に続いて、フランスのエロティックなSFファンタジー・コミックを映画化した『バーバレラ』(68)を製作・発表。同作の監督ロジェ・ヴァディムの当時の愛妻ジェーン・フォンダが、いきなり冒頭で、何とも奇妙な無重力ストリップを披露するのが評判を呼び、キッチュな珍品としてカルト的人気を集めることになる。今回、いちおう参考のために、筆者も数十年ぶりに『バーバレラ』を見直したが、煩悩に苦しむガキの時分ならばいざ知らず、全篇ひたすらおバカな可愛い子チャンぶったカマトト演技を披露するジェーン・フォンダと、ヴァディム監督の平板で凡庸な演出に早々に飽き飽きして、すっかり退屈・閉口したことを、ここに謹んで報告しておきたい。 それにひきかえ、この『黄金の眼』は、何度見返してもやはり面白い。もうかれこれ約半世紀前に作られた映画だが、今日、『007』や『ミッション:インポッシブル』といったお馴染みの人気映画シリーズの近年の諸作品と並べて見ても、一向に遜色がないどころか、かえってこちらの方が小粒でもキラリと光って素晴らしいと思う、筆者のような変わり種の映画ファンも、案外多そうな気がする。冒頭の方では、本作の誕生にそれなりに寄与したであろう先行作品の名前をざっと列挙したが、それとは逆に、その後、本作の影響を何がしか受けて作られたエンターテインメント作品も、きっと数多くあるに違いない。 例えば、『007/サンダーボール作戦』(65)で鮮烈な悪役演技を披露したアドルフォ・チェリが、本作でも似たような犯罪組織のボス役で登場し、ディアボリックと因縁の対決を繰り広げることになるが、上空の飛行機から2人が飛び降りて相争う本作の場面が、『007』シリーズに再びフィードバックされて、あの『007/ムーンレイカー』(79)の冒頭のよりダイナミックなスカイダイビングの場面に繋がったのかもしれない。 あるいは、『ミッション:インポッシブル』シリーズの第4作『ゴースト・プロトコル』(2011)の中で、トム・クルーズがドバイの超高層ビルの壁面をよじのぼる例の場面。最初はてっきり、これは「スパイダーマン」が発想源だろうと思ったのだが、もしかすると、本作でディアボリックが古城の壁面をよじ登る場面が影響を与えている可能性もなくはない。ちなみに、アメリカの人気ヒップホップ・グループ、ビースティ・ボーイズが1998年に発表した「Body Movin’」という曲のミュージック・ビデオは、この場面を中心にした『黄金の眼』のパロディとなっている。 はたしてお互いに直接的な影響関係があったかどうか、本家本元は一体どちらか、といったマニアックな話は、いったん始めるとなかなかキリがないし、これ以上下手に立ち入ると、とんだ藪蛇にもなりかねないので、とりあえずここらで筆者も話を切り上げ、話の続きは皆さんにお任せすることにしよう。それでは、かつて日本でも劇場公開はされたものの、その後我が国ではなぜか長い間、DVDやブルーレイ化されることはおろか、ビデオソフト化されることもなく今日まできてしまった、この埋もれた逸品をどうか存分にお楽しみあれ!■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. 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COLUMN/コラム2015.09.05
フェデリコという大いなる存在 ~スコーラの見たフェリーニ~
今年6月にエットレ・スコーラ監督の最新作『フェデリコという不思議な存在』(2013)がようやく劇場公開された。1931年北イタリアのトレヴィコ生まれのスコーラは、イタリア式喜劇の正統的な継承者として知られる名匠であり、本作完成時には既に82歳の高齢になる。フェデリコ・フェリーニ(1920年リミニ生まれ)に対する敬愛の情溢れるこの伝記映画でも触れられていたように、スコーラが11歳年長の先輩監督との知遇を得たのは、ユーモア誌『マルカウレリオ』の寄稿家時代だった。 1931年ローマで創刊された『マルカウレリオ』は、戦中の1943年に一時休刊に追い込まれたものの、戦後直ちに復刊され、1958年に廃刊されるまで<ユーモアの殿堂>として屹立した。1947年、まだ16歳の高校生だったスコーラが同誌の編集部に通い始めた時の先輩ライターの中には、フェリーニの他に、ステーファノ・ヴァンツィーナやフリオ・スカルペッリ、ヴィットリオ・メッツら、監督や脚本家として、50年代以降のイタリア式喜劇の中心的なメンバーとして活躍することになる錚々たる面子が揃っていた。ほとんど一回りという年齢差にも関わらず、『マルカウレリオ』誌におけるフェリーニとスコーラの共通点は、ギャグマンとしてのみならず、イラストレーターとして諷刺画(カリカチュア)も手がけ、類希なる造形力の片鱗を覗かせていたことだろう。 実はスコーラが自作の中でフェリーニを登場させたのは、今回が初めてではない。スコーラの代表作『あんなに愛しあったのに』(1974)は、第2次世界大戦中にレジスタンス(対独抵抗運動)の同志だった3人の男性を通して眺められた戦後イタリア史であり、ネオレアリズモの伝統を継承することを改めて宣言した映画である。 そもそもロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』(1945)に端を発するネオレアリズモは、第2次世界大戦末期のレジスタンスから始まり、敗戦直後のイタリア社会の抱える諸問題(失業や戦災孤児)に向き合った作品群を指した。『マルカウレリオ』誌での活動と並行しながら、ラジオや映画へと仕事を広げたフェリーニは、『無防備都市』を始めとするロッセリーニ作品の脚本家を経て、ネオレアリズモの分化が顕著となった1950年代に監督デビューを果たしたのだった。 『あんなに愛しあったのに』の3人の登場人物、実業家として成功するジャンニ(ヴィットリオ・ガスマン)、救命士となるアントニオ(ニーノ・マンフレディ)、売れない映画評論家となるニコラ(ステーファノ・サッタ・フロレス)は、ブルジョアジーとプロレタリアート(労働者)、そしてインテリゲンツァ(知識人)の各階級を代表しながら、ネオレアリズモ以降の戦後史を背負って行く。こうした些か類型的な人物造形が、屡々<自伝的>と称されるフェリーニの諸作にも通じることは明らかだが、<ブーム>と呼ばれたイタリアの高度経済成長期を代表する映画として劇中で取り上げられたのが、フェリー二の『甘い生活』(1959)に他ならない。 故郷のリミニで過ごした自堕落な下積み時代に取材した『青春群像』(1953)、ジャーナリストとして目撃した現代ローマのデカダンスを活写した『甘い生活』、そして映画監督として掴んだ栄光とその失墜に対する恐れと慄きの告白である『81/2』(1963)の3作は、フェリーニの実人生の3つの局面に対応する<自伝的な>側面を備えたフィクションである。なかでも、<パパラッツィ>という言葉を世間に広めた『甘い生活』は、当初『青春群像』の主人公モラルド(フランコ・インテレンギ)の後日談として構想されながら、<ラテンの恋人>マルチェッロ・マストロヤンニが起用されることで、ストーリーの一貫性よりも場面ごとのスペクタクル性が前面に押し出される一方で、ネオレオリズモの方法をイタリア社会から個人の内奥へと転じた傑作となった。 <ブーム>に沸き立つローマを現代のバビロンに見立てた『甘い生活』は、ヘリコプターに吊り下げられたキリスト像という意味深長な開幕の後、魅惑的なスペクタクル・シーンの連続が観客を陶酔の渦に巻き込まずにはおかないだろう。とりわけ、主人公マルチェッロの同行取材の最中に、ハリウッド女優(アニタ・エクバーグ)が深夜の<トレヴィの泉>で水浴びをする件は、嘆息なしに見られない名場面として長く記憶されることとなった。 フェリーニ作品に登場する女性像としては、(私生活における細君でもある)小柄で愛くるしい聖女タイプのジュリエッタ・マシーナと、グラマラスで扇情的な娼婦タイプのエクバーグが双璧をなしているが、スウェーデン出身のセクシー女優に過ぎなかったエクバーグが、永遠のイコンとして映画史に刻まれた瞬間だった。フェリーニ晩年の『インテルビスタ』(1988)では、すっかり歳を召したエクバーグが再登場し、マストロヤン二と一緒に往年の美貌を懐かしがってみせたが、惜しむらくも本年1月に逝去している。 『甘い生活』の15年後に完成された『あんなに愛しあったのに』の中で、スコーラはこの<トレヴィの泉>の撮影現場を再現し、(幾分頭髪の寂しくなりつつあった)フェリーニ本人を登場させるという荒業をやってのけた。若き日のフェリーニは痩身の美男子で、ロッセリーニのエピソード映画『アモーレ』(1948)では、俳優として顔見せしたこともあったほどが、TV用映画『監督ノート』(1969)以降、すっかり恰幅の良くなった体躯をカメラに晒すようになる。<自伝的なフィクション>から、映画の中で映画についての考察を促す<自己反省的なメタ映画>へと、フェリーニの作風が変わりつつあった。 監督本人がスクリーンに登場し、映画製作について(虚実を織り交ぜつつ)あけすけに語り始める。こうしたメタ映画をひとつのジャンルとして定着させたのは、フェリーニの功績と言ってよいだろうし、監督がスター化すると同時に、脚光を浴びたのがチネチッタ撮影所だった。1937年、ムッソリーニ政権下に開設されたチネチッタ撮影所は、50年代から60年代にかけてはハリウッドの大作史劇の製作を支えたものの、映画産業の斜陽化が顕在化した70年代に入ると、経営的な苦境を迎えることとなる。そうした逆風の時代にあって、類まれなる造形力を発揮する工房として、チネチッタを愛用したのがフェリーニであり、フェリーニを敬愛するスコーラであった。 『フェデリコという不思議な存在』では、チネチッタ最大級の第5ステージに焦点が当てられ、背景であるべきスタジオが前景化されている。TV番組のスタジオと化したチネチッタを題材にした『インテルビスタ』は元より、『オーケストラ・リハーサル』、『カサノバ』、『そして船は行く』など、後期のフェリーニ作品は、殆ど撮影所の外に出ることを自ら禁じるかのように演出されている。港町のリミニに生まれたフェリーニの作品では、<海>が重要なモチーフとして繰り返し登場するが、ネオレアリズモの後継者としてロケーションを重用した初期から、巨匠としてチネチッタに君臨した後期まで、フェリーニの描く<海>がどのような変遷を辿るのかに着目してみるのも一興かも知れない。■ (西村安弘) © Rizzoli 1960