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COLUMN/コラム2020.10.28
冷戦時代の 年代、月に人間を 送ろうとする宇宙計画を描く、 ロバート・アルトマン監督の 映画 デビュー作
今回お勧めする映画は、「ハリウッドから最も嫌われ、そして愛された男」ことロバート・アルトマン監督のメジ ャー・デビュー作『宇宙大征服』(68年) です。 アルトマンがSF映画なんか撮ってたの? と驚く人もいると思います。アルトマンの代表作は朝鮮戦争での医療部隊(略称がM.A.S.H)のデタラメぶ りを描いた『M★A★S★H マッシュ』(70年)と、カントリー音楽の殿堂テネシー州ナッシュビルに集まったミュージシャンとファンたちを描く『ナッシュビル』(75年)です。どちらもコメディで、アメリカを皮肉る群集劇です。 この『宇宙大征服』もアポロ計画に対する皮肉なんです。 1950年代から、アメリカとソ連(現在のロシア)は宇宙競争をしていました。どちらが先に月に人を送れるかを競い合っていたんです。ソ連のほうが先に有人宇宙船を打ち上げてしまって、アメリカは慌てて「ジェミニ計画」で追いかけましたが、出だしで遅れていました。で、ソ連に先んじるには、片道でいいから月にロケットで人を送ればいいという案が出ました。月から帰る方法はないけど、その後アポロ計画で迎えに来るまで月で暮らして待つという無茶な計画です。実行されませんでしたが、この『宇宙大征服』はそれを実際にやってしまう映画です。 主人公は2人の宇宙飛行士、ジェー ムズ・カーン扮するリーと、もうひとりはロバート・デュヴァル扮する現役空軍パイロットのチャイズです。チャイズは人類初の月着陸を目指していたんですが、政府が人類初の月着陸には民間人にさせるべきだと、リーを選んでしまいます。実際に月面に人類最初の一歩を残したアポロ11号のアームストロング船長もそうなんですよ。で、選ばれなかったチャイズはリーをいじめ抜きます。 『宇宙大征服』の前に、アルトマンは TVで第二次大戦ドラマ『コンバット』 (62〜67年)を演出していましたが、高視聴率にもかかわらず打ち切られてしまいます。反戦ドラマだったからです。 当時のアメリカはベトナム戦争に突入していたので、反戦的な内容が嫌われたんです。この『宇宙大征服』も宇宙競争という名の戦争の虚しさを描いています。 もともとアルトマンが原作の映画化権を自分で買ったのですが、アポロ計画で月ロケット・ブームだったので、ワーナー・ブラザーズがこの映画を欲しがって出資しました。でも、月面に取り残された主人公が絶望して終わるラストだったので、途中でアルトマンをクビにして、別の監督に希望のある結末を撮り直させました。 陰鬱な内容のため、『宇宙大征服』は興行的に失敗しましたが、今、観直すと、アポロ11号のアームストロング船長を描いた『ファーストマン』(2018 年)そっくりなんですよ。主人公が月に行くことを奥さんに黙っていて夫婦仲が破綻するところから、月に行くまでのシーンをコクピットに座る主人公しか写さず、飛んでいく宇宙船を見せないところまで。デイミアン・チャゼル監督は明らかに『宇宙大征服』を参考にしていますよ! (談/町山智浩) MORE★INFO.●ロバート・アルトマンは、ドキュメンタリー映画『ジェイムス・ディーン物語』(57年)で映画監督デビューし、第2作『The Delinquents』(57年/未公開)以後、気鋭のTV演出家として10年を過ごし、初めてメジャー・スタジオのワーナー・ブラザーズで映画監督に復帰したのが本作。 ●NASAは全面的に映画に協力・便宜を図り、おかげで映画は実際に初の月有人飛行を成功させる1年半前に公開された。●パーティ・シーンや高官たちが言い争う場面で、人物の会話をオーバーラップさせる、後にアルトマン作品のトレードマークとなる演出を、ラッシュで見て怒った当時のワーナー映画の代表ジャック・ワーナーはアルトマンをクビにし、映画を再編集してしまった。 ©︎Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.04.10
正義の代償がデカすぎる!訴訟の裏側を暴く地味だけど豪華な名作 『シビル・アクション』
日本では2000年に劇場公開された(アメリカでは1998年)『シビル・アクション』は、ロバート・デュヴァルがアカデミー賞の助演男優賞に、コンラッド・L・ホールが撮影賞にノミネートされるなど非常に高い評価を得た。しかしながらアメリカでも日本でもヒットしたとは言いがたく、そのクオリティに見合う評価を得られているとは思えない。一体なぜなのか?本作は、1980年代のとある環境汚染訴訟を描いたノンフィクションを原作にしている。プロットはシンプルだ。個人事務所の弁護士が、大企業と大手弁護士事務所を相手に戦いを挑む。奇しくも同年に日本公開された『エリン・ブロコビッチ』(2000)にも似ているが、胸のすくような痛快作だった『エリン・ブロコビッチ』とは対照的に、なんとも苦い後味を残す。決して虚しい敗北を描いた映画ではないのだが、やるせなさの度が過ぎているのだ!(翻って、現実の厳しさをこれでもかとばかりに描ききった傑作ということでもある) ジョン・トラヴォルタ演じる主人公のジャン・シュリクマンは、巨額の和解金をもぎ取る剛腕が売りの民事弁護士。メディアに出る機会も多く、“ボストンで一番結婚したい男”に選ばれた人気者だ。ある日ラジオ番組で法律相談をしていると、ジャン宛てにクレームの電話が入る。白血病で息子を亡くした母親が、土壌汚染の責任を追求して欲しいと連絡したのに、事務所から無視されているというのだ。 実際ジャンは「カネにならない仕事だ」と断るつもりだったのだが、汚染の原因が大企業傘下の皮革工場と知って考えを変える。相手がデカければ和解金もデカい。野心満々で請けた仕事だったが、訴訟相手のベテラン弁護士からタカリのように扱われ、侮蔑を感じたことから訴訟への本気度を増していく。訴訟費用が膨らみ続ける一方、ジャンは取り憑かれたように全面勝訴を求めるようになり、事務所も財産も失っていく……。 弁護士の仕事を描いた映画は山程あるが、これほど「理想と現実」のギャップに注視した作品も珍しい。民事訴訟は有罪を立証するが目的ではなく、和解金のために駆け引きをするもので、弁護士たちは彼らのルールに従ってゲームをしている。そしてゲームの勝敗より正義を求めようとすると、システム全体が牙を向いて襲いかかってくるのである。 “正義を求める”と言っても、ジャンが強欲弁護士から正義の番人に転じたという単純な話ではない。おそらくジャン自身も、どうしてこの訴訟にこだわるのかわかっていない。プライドを傷つけられたからか、被害者を思いやる心が芽生えたか、単に引っ込みがつかなくなったのか。何度妥協点が見つかりそうになってもジャンは首を横に振り続ける。仲間たちもジャンの変貌に戸惑うばかりだ。 この飛びぬけてどんよりした物語に(映像的にもみごとに曇天の場面ばかりだ)不思議と惹き込まれてしまうのは、いぶし銀の撮影と名優のアンサンブルに拠るところが大きい。前述したように撮影監督はコンラッド・L・ホール。60年代には『冷血』(1967)や『明日に向かって撃て!』(1969)で天才ぶりを遺憾なく発揮し、本作の翌年にはサム・メンデスの『アメリカン・ビューティー』(1999)で老いても衰えぬセンスの冴えを見せつけた男だ。本作でも緊張感と格調の高さを兼ね備えた映像が素晴らしく、地味なのにゴージャスという得難い魅力を作り出している。 そして20年以上を経た今になって観直すと、実力派をそろえた超豪華な顔ぶれであることに驚く。主演のトラボルタ、老獪なライバル弁護士を怪演したロバート・デュヴァルに加えて、事務所の経理担当にウィリアム・H・メイシー、皮革工場で働く告発者の一人にジェームズ・ガンドルフィーニ、裁判の判事にジョン・リスゴーとキャシー・ベイツ、企業重役にシドニー・ポラック。原告の女性の痛みと決意をみごとに演じたキャスリーン・クインランもオスカー候補経験者であり、映画ファンなら溜息が出るような面々なのだ。 超一流のスタッフとキャストを監督として束ねたのは、デヴィッド・フィンチャー、マーティン・スコセッシ、リドリー・スコットらの信頼も厚い名脚本家として知られるスティーヴ・ザイリアン。監督作は三本と少ないが、本作を観れば演出の手腕は明らか。改めて、この地味シブな逸品に再評価の光が当たってくれることを願うばかりである。■ 『シビル・アクション』© Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.01.03
アクション映画の歴史を変えたスティーヴ・マックイーンの代表作。『ブリット』
映画史上最高にクールな男スティーヴ・マックイーンが主演した、映画史上最高にクールなアクション映画である。人気テレビ西部劇『拳銃無宿』(‘58~’61)で脚光を浴び、『荒野の七人』(’60)と『大脱走』(’63)で映画界のスターダムを駆け上がったマックイーン。主演作『シンシナティ・キッド』(’65)も大ヒットし、『砲艦サンパブロ』(’66)ではアカデミー主演男優賞候補にもなった。そんな人気絶頂の真っただ中に公開され、全米年間興行収入ランキングで5位のメガヒットを記録した作品が、この『ブリット』(’68)だった。 舞台はサンフランシスコ。ミステリー作家ロバート・L・フィッシュがロバート・L・パイク名義で執筆した原作小説では、東海岸のボストンが舞台となっていたものの、当時のサンフランシスコ市長ジョゼフ・L・アリオートは映画撮影の積極的な誘致に乗り出しており、ロケ撮影にとても協力的だったことから同市が選ばれたという。実際、ここがアメリカ西海岸であることを忘れさせるような、サンフランシスコ市街地のお洒落でヨーロッパ的な佇まいは、スタイリッシュなムードを全面に押し出した本作において、もうひとつの主役とも言えるほど重要だ。 さて、そのサンフランシスコ市警の腕利き警部補ブリット(スティーヴ・マックイーン)が本作の主人公。上院議員チャルマース(ロバート・ヴォーン)に呼び出された彼は、シンジケート撲滅のため上院公聴会で証言する情報屋ジョー・ロスの保護を任される。ところが、チャルマース議員と警察しか知らない隠れ家の安ホテルへ2人組の殺し屋が現れ、ロスに瀕死の重傷を負わせたうえに護衛の刑事まで銃撃する。しかも、どうやらロス自身が殺し屋たちを部屋へ招き入れたらしい。なにかがおかしいと直感したブリットは、医師の協力を得て病院で死亡したロスの死体を隠し、まだ彼が生きていると見せかけて殺し屋をおびき出そうとする。 ストーリー自体は、正直なところ特筆すべきものでもない。謎めいたように思える事件の全容も、蓋を開けてみれば拍子抜けするほど単純だ。それよりも本作の面白さは、その後のハリウッド産アクション映画に多大な影響を与えたと言ってもいい、ピーター・イェーツ監督の徹底的にリアリズムを追究したアクション&バイオレンス描写にあると言えよう。中でも、今や伝説となっているカーチェイス・シーンは全ての映画ファン必見。坂道だらけのサンフランシスコ市街で、殺し屋2人組の乗った1968年型ダッジ・チャージャーと、ブリットが運転する1968年型フォード・マスタングGT390が凄まじい追跡劇を繰り広げるのだ。 そもそも、ピーター・イェーツ監督が本作に起用されたのも、カー・アクション演出の腕前を買われてのことだった。母国イギリスで撮った『大列車強盗』(’67)で、実に15分にも及ぶカーチェイス・シーンを披露したイェーツ監督。同作を見たマックイーン直々に指名された彼は、これが念願のハリウッド・デビューとなった。ロケでは実際にサンフランシスコの道路を封鎖して撮影を敢行。2人のカー・スタントマンがマックイーンの代役としてマスタングを運転しているが、しかしクロースアップではマックイーン本人がハンドルを握っている。なにしろ、カーレーサーとしても活躍した人だけあって、ハンドル捌きはプロのスタントマンも顔負けだ。車内の運転席から撮ったカーチェイス映像も、バックミラーにマックイーンの顔が映っているカットは本人の運転である。 一方、敵のダッジ・チャージャーを運転しているのは、殺し屋役を兼ねたカー・スタントマン、ビル・ヒックマン。彼は『フレンチ・コネクション』(’71)や『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』(’73)でも圧倒的なカーチェイスを披露している。なお、途中でカーチェイスに巻き込まれるバイクを運転しているドライバーは、『大脱走』でマックイーンのバイク・スタントの代役を務めたバド・イーキンズだ。どれもまだCGやVFXが存在しない時代の、文字通り命がけのリアルなスタントばかり。その度肝を抜かれるような迫力は、公開から50年以上を経た今も全く色褪せない。 『ブリット』は『ダーティ・ハリー』のルーツ!? もちろん、主人公ブリット警部補役を演じるスティーヴ・マックイーンの、クールで寡黙でニヒルでスマートなヒーローぶりも抜群にカッコいい。どこまでも冷静沈着で任務に忠実。上からの圧力にも決して折れず、時にはルールを無視することも厭わず、とことんまで犯罪者を追い詰めていく。そんな彼を上司のベネット署長(サイモン・オークランド)も全面的に信頼し、「いざとなったら俺が守ってやる」とまで言ってくれるんだから泣ける。 相棒のデルゲッティ刑事(ドン・ゴードン)ら同僚や部下の多くも、あえて口には出さないけれどブリットに厚い信頼を寄せている様子。この男同士のベタベタしない、暗黙のうちの友情ってのもいいのだよね。いけ好かないチャルマース議員に口うるさく非難されたブリットが、同じくチャルマース議員から人種的偏見で担当を外された黒人医師(ジョージ・スタンフォード・ブラウン)と、さり気なく視線を交わすだけでお互いに理解し合う瞬間の、あのなんとも言えない雰囲気も最高。近所の雑貨屋で買い物をするブリットの姿から、その人となりを雄弁に描くなど、セリフに頼らないイェーツ監督の人間描写・心理描写が素晴らしい。 そんなブリット警部補を演じるにあたってマックイーンが参考にしたのは、当時ゾディアック事件を担当して全米の注目を集めていた、サンフランシスコ市警の名物刑事デイヴ・トッシ。そう、あの『ダーティ・ハリー』(’71)シリーズのハリー・キャラハン警部のモデルにもなった人物だ。映画ポスターにも出てくるブリット愛用のショルダー・ホルスターも、実はトッシ刑事のトレードマークだった。サンフランシスコでのオール・ロケ、ハードなバイオレンス描写、ラロ・シフリンによるファンキーなジャズ・スコアなどを含め、本作は『ダーティ・ハリー』の先駆的な作品とも言えるのではないかと思う。 最後に共演陣にも目を向けてみよう。憎まれ役であるチャルマース議員を演じるロバート・ヴォーンは、これが人気テレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』(‘64~’68)終了後の初仕事だった。『荒野の七人』で共演したマックイーンに説き伏せられての出演だったという。それまでダンディなスパイ・ヒーローを颯爽と演じていた人が、今度は一転して鼻持ちならない傲慢な政治家を演じたのだから勇気が要ったのではないかと思うのだが、よっぽど本作の印象が強かったせいなのか、以降の彼は『タワーリング・インフェルノ』(’74)を筆頭に悪役をオファーされることが多くなる。 ブリットの恋人キャシー役には、その後ハリウッドの美人女優の代名詞ともなるジャクリーン・ビセット。当時はまだ頭角を現し始めた頃で、出番もそれほど多くはないのだが、犯罪捜査の殺伐とした世界に生きるブリットの、ある意味で救いともなるような存在として重要な役割だ。脇役でいい味を出しているのは、何と言ってもベネット署長役のサイモン・オークランドだろう。コワモテだけど頼りになるオヤジさんという雰囲気がいい。マックイーンとは『砲艦サンパブロ』でも共演済み。そういえば、デルゲッティ刑事役のドン・ゴードンも、『パピヨン』(’73)と『タワーリング・インフェルノ』でマックイーンと共演していた。ロバート・デュバルがタクシー運転手役で顔を出しているのも要注目。ちなみに、ブレットがタレコミ屋エディと待ち合わせするシーンで、レストランの席に座っているエディの連れの女性は、フォーク歌手ジョーン・バエズの妹ミミ・ファリーニャである。■ 『ブリット』© Warner Bros. Entertainment Inc., Chad McQueen and Terry McQueen
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COLUMN/コラム2019.09.27
自由を求めたコッポラ監督が設立した「ゾエトロープ」で自由自在に撮った“自分探しの旅”
今回はフランシス・フォード・コッポラ監督の『雨のなかの女』という1969年の映画です。コッポラが設立した製作会社ゾエトロープの第1回作品です。それまでのハリウッドの映画会社によるシステムから離れて、完全に独立のプロダクションを立てて映画を作ったんですね。『雨の中の女』のヒロインは、シャーリー・ナイト演じる専業主婦ナタリーで、ある日突然、母親になって家庭に埋没していく人生が嫌になって、夫に黙って車に乗って家出します。そして、ニューヨークからペンシルバニア、ウエストバージニア、テネシー州のチャタヌガ、ケンタッキー、ネブラスカ……というルートであてもなくアメリカを放浪していくロードムービーです。 『雨の中の女』はキャスティングの段階から、学生時代のジョージ・ルーカスが密着してメイキングを撮影し、今でもYouTubeで観ることができます。それを観るとわかるのは、撮影隊がヒロインと実際に旅をしながら、その場でロケハンをして、即興的にシーンを作っていく方法で撮られたことです。つまり、『雨の中の女』は、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(60年)のような、自由で実験的な映画なのです。 コッポラは、ゴダールに代表されるフランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を強く受けて映画を撮り始めましたが、ハリウッドのメジャーであるワーナー・ブラザースに雇われて、『フィニアンの虹』(68年)というミュージカル映画を作らされてショックを受けました。とにかく撮影所の年老いたベテラン・スタッフが頑固で言うことをきかない。何十年もやってきた撮り方を固守するから、映像がどうしても古臭いんです。 もうハリウッドはダメだ、と思ったコッポラは自分の映画スタジオを立ち上げて、低予算で自由気ままに撮ることにしました。それが『雨の中の女』です。 ヒロインはコッポラ自身の母親をモデルにしています。だからイタリア式の結婚式の回想が入るんです。イタリア系の家庭は男尊女卑がひどくて、特に1950年代まで、女性は専業主婦として、家事と子育てする以外の人生がなかった。それでコッポラの母親は「私って何?」と絶望して家出したそうです。モーテルに一泊しただけで、あきらめて家に帰ったそうですが、『雨の中の女』のヒロインは愛を求めてアメリカの南部や中西部に入っていきます。 彼女はヒッチハイクしていた、たくましい元フットボール選手(ジェームズ・カーン)を拾います。カーンはコッポラの大学時代の友人なのでキャスティングされたんですが、実際に元フットボール選手です。夫以外に男を知らないヒロインは野性的なカーンと一夜の情事を体験しようとしますが、できません。カーンは試合中の事故で脳が壊れていたのです。 次にヒロインは優しい白バイ警官(ロバート・デュヴァル)を好きになりますが、彼も思っていたのとは違う男でした。 原題の「レイン・ピープル」とは、雨に流されて消えてしまう人々、涙でできた悲しく孤独な、この映画の登場人物たちを意味します。 自分自身を探してさまようヒロインには、ハリウッドをはぐれて自由を求めながら、この映画を撮影するコッポラ自身が重ねられています。 『雨の中の女』は興行的には成功しませんでしたが、この映画のジェームズ・カーンとロバート・デュヴァル、それにイタリア式結婚式が、コッポラの代表作『ゴッドファーザー』(72年)につながっていったのです。 ということで、巨匠コッポラの原点、『雨の中の女』、ぜひ、ご覧ください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●シャーリー・ナイト演じるナタリーは妊娠している設定だったのは、ナイトが実際に妊娠していたから。●ロバート・デュヴァル演じるゴードンが失った妻を回想するが、その妻を演じたの監督夫人エレノア(ノー・クレジット)だった。●フィルム・スクールを卒業したてのジョージ・ルーカスが撮影に密着して、後にこの撮影風景を短編『Filmmaker』(68年)に仕上げた。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.08.13
傑作冒険小説の“映画化” 『鷲は舞いおりた』は、見てから読め!
「読んでから見るか 見てから読むか」 50代以上ならば、ほとんどの方が記憶しているであろう、有名なキャッチコピーである。 1970年代後半より、日本映画界に旋風を巻き起こした、「角川映画」の第2弾である、『人間の証明』(1977)公開に当たって、原作(森村誠一の長編推理小説)と映画両方を強力にプッシュする惹句として、テレビやラジオのCMなどで、当時大々的に流された。出版界から映画界に殴り込みを掛けた、プロデューサーの角川春樹お得意の“メディアミックス”戦略の一環だが、結果的に『人間の証明』は、小説も映画も大当たり!このキャッチコピー自体、流行語として巷を大いに席捲した。 このコピーが生み出される以前から、原作のある映画を鑑賞する場合に、「読んでから見るか 見てから読むか」は、映画ファンにとって、常に悩みのタネになってきたことだと言える。原作がベストセラーだったり文学賞を受賞しているなど、大きな評判になっている場合は、特にそうであろう。 第2次世界大戦下を舞台に、ドイツ空挺部隊によるイギリスのチャーチル首相誘拐作戦を描いた、本作『鷲は舞いおりた』の原作(日本での出版タイトルは、『鷲は舞い降りた』)は、イギリスを代表する冒険小説家ジャック・ヒギンズの代表作。1975年7月に英米で出版されるや、半年以上に渡ってベストセラー入りを続けた。 日本でも翌76年、翻訳されて出版。「日本冒険小説協会」のあの内藤陳会長が激賞したのをはじめ、後に専門誌の読者投票でも上位に食い込むなど、長年に渡って非常に人気の高い作品となっている。 これほど話題になり、尚且つ評価の高い作品故に、出版前のゲラ段階から“映画化”の申込みが殺到したというのも、頷ける。結局イギリスのプロダクション「ITC」の製作により、『荒野の七人』(60)『大脱走』(63)などでお馴染みの、アクション映画の名匠ジョン・スタージェスがメガフォンを取っての“映画化”となった。主要キャストは、マイケル・ケイン、ドナルド・サザーランド、ロバート・デュバルといった、当時脂ののった40代の男優たちで、渋いながらも豪華な顔触れ。製作も早々に進み、原作刊行から2年足らずの77年春、英米で公開されて、ヒットを記録している。 そして本作の日本公開は、同年の8月。件の『人間の証明』の公開には2カ月ほど先立つが、当時まさに、「読んでから見るか 見てから読むか」のホットな案件だったと言って、差し支えないだろう。 それから42年の歳月が流れた2019年の夏、これから「ザ・シネマ」で本作を初めて鑑賞しようという方には、私は躊躇なく言いたい。「『鷲は舞いおりた』は、読んでから見るな!見てから読め!!」である。原作本である「鷲は舞い降りた」が、「早川書房」による“文庫版”か“電子書籍版”で今でも入手が容易な状態であるからこそ、敢えて「見てから読む」ことを強く推奨する。 ではその理由を書き連ねるためにも、ここで映画のストーリーを紹介しよう。 1943年9月、ドイツ軍は、イタリアの山中に監禁されていたムッソリーニの救出作戦を決行!見事に成功し、気を良くしたヒトラー総統は、新たなミッションを下した。 それはナチスドイツにとって最大の敵の1人である、イギリスのチャーチル首相の誘拐作戦。実現不可能と思われたが、軍情報局のラードル大佐(演;ロバート・デュバル)の元にスパイから、イギリスの地方であるスタドリ―村で、チャーチルが極秘に静養するとの情報がもたらされ、作戦が現実味を帯び始める。 ラードルは、IRA=アイルランド共和国軍の活動家として反イギリス闘争を行い、現在はベルリンの大学で教鞭を取るリーアム・デブリン(演;ドナルド・サザーランド)を、現地に先乗り潜入する工作員にスカウト。しかしこの作戦に乗り気でない、上官のカナリス提督によって、作戦は中止の憂き目となる。 ところが、捨てる神あれば拾う神あり。と言うよりは、拾う“悪魔”が居た。チャーチル誘拐作戦は、ゲシュタポ=国家秘密警察のヒムラー長官によって、極秘裡に復活!ヒムラーは、ヒトラー総統の署名が入った作戦実行命令書をラードルに渡し、全権を委任した。 ラードルが作戦の実行部隊として白羽の矢を立てたのは、数々の武勲を持つシュタイナー中佐(演;マイケル・ケイン)が率いる空挺部隊。英雄として尊敬を集めていたシュタイナーだったが、ゲシュタポの残虐行為からユダヤ人の少女を救おうとしたことが“反逆行為”と見なされ、部下たちと共に自殺的な特攻任務に就かされていた。 ラードルが持ち掛けた誘拐作戦に対して当初懐疑的だったシュタイナー。しかし説得を受け入れて、部下たちと共に懲罰を解かれ、全員が元の階級に戻される。そしてシュタイナーの部隊は、勇躍作戦に挑むこととなった。 チャーチルがスタドリ―村に静養に訪れる日、シュタイナーたちは落下傘にてその近くの海岸に上陸。連合国の一員であるポーランド義勇軍を装い、先乗りしたデブリンらの手引きによって、スタドリ―村への潜入を果すのだが…。 映画『鷲は舞いおりた』は、今は失われてしまったジャンルとも言える “戦争娯楽アクション”“男性アクション”という範疇に於いて、上々の出来栄えの作品と言える。ナチスが現実に成功させた、ムッソリーニの救出作戦をドキュメンタリー映像で紹介するオープニングから、チャーチルの誘拐作戦という虚構へと踏み込んでいくまでのテンポの良さには、一気に引き込まれる。 俳優陣では、やはりマイケル・ケインのシュタイナー中佐が、格好良い。そしてロバート・デュバルが演じる、隻眼隻腕のラードル大佐の風格が、素晴らしい。冷酷無比なゲシュタポの長ヒムラーを、まるで『007』の“ブロフェルド”のように無表情で演じたドナルド・プレゼンスにも、唸らされる。 ミスキャストとの指摘も散見されるドナルド・サザーランドのデブリンに関しては、IRAの戦士という役どころからも、先にオファーされていたと言われる、リチャード・ハリスに演じて欲しかった気がしなくもないが…。 監督のジョン・スタージェスが特に得意としてきたジャンルは、先に挙げた『荒野の七人』をはじめ、『OK牧場の決斗』(57)『ガンヒルの決斗』(59)『墓石と決闘』(67)などの“西部劇”。本作はドイツ軍人を主人公にした“戦争映画”ながら、登場人物たちの心意気や振舞いに、“西部劇”的な興趣を多分に盛り込んでいる。デブリンが酒場でシュタイナーの部下たちに絡んだ際、窓ガラスを破って表に放り出されるシーンなど、正に端的なそれと言える。 1960年代末より長らく、「スランプ」と言われ続けたスタージェス。結果的に“遺作”となった本作で、「これが最後」と得意技を生かして本領を発揮したように、今となっては思えてくる。 物語の後半、村人たちに正体がバレたシュタイナーたちは、駐留していたアメリカ軍の部隊と一戦を交えることとなる。死を覚悟した部下たちによって脱出させられたシュタイナーは、チャーチルの命を狙って、独り敵陣深くに忍び込んでいくが…。 公開当時「戦争映画の快作」「巨匠スタージェス復活!」などという声も上がった本作だが、それは主に、原作を読まぬまま映画を鑑賞した者たちからの賞賛であった。実は原作を高く評価していた識者たちからは、本作は概して評判が悪い。「箸にも棒にもかからない駄作」などと、これ以上にない酷評までされている。 作戦の発端からシュタイナーがチャーチルに対峙するクライマックスまで、ほぼ原作に忠実な展開である“映画版”なのに、なぜこんな評価となったのであろうか?一つは、数百ページに及ぶ長編小説を、2時間強の映画にするに当たって、どうしても生じてしまうダイジェスト感であろうか。これは如何ともし難いことにも思えるが、スタドリ―村に先に潜入したデブリンが、村の娘と恋に落ちたことが原因となって、ある村人にその正体を見破られるくだりなど、「かなり雑」に省略されている部分も、少なくない。 また各登場人物に関して、原作との相違で大きく気に掛かる部分もある。父はドイツ陸軍少将だが、母はアメリカ人という出自のシュタイナー、戦闘が原因で隻眼隻腕となり、自らの余命が幾ばくも無いことを知るラードルをはじめ、主役から脇役まで、その人物の行動原理になっている設定が、きれいさっぱり取り払われているのである。結果的に主人公たちが、ヒトラーやヒムラーをまるで信用していないにも拘わらず、チャーチル誘拐作戦にのめり込んでいく背景が、些かボヤけてしまっている。 先に「ほぼ原作に忠実な展開」と書いたが、実は物語の幕開けは、全く違っている。原作冒頭は現代に始まり、作者のジャック・ヒギンズ本人が登場。彼は別件の調査に訪れたスタドリ村の教会墓地にて、隠匿されていた墓石を発見する。そこには、「1943年11月6日に戦死せるクルト・シュタイナ中佐とドイツ落下傘部隊員13名、ここに眠る」と刻まれていた。このことがきっかけとなって、ヒギンズが秘められた歴史を掘り起こして執筆したのが、「鷲は舞い降りた」という設定なのである。 このオープニングがあってこそ、「鷲は舞い降りた」は、伝奇ロマンの香りさえ漂わせる、冒険小説の傑作になったとも言える。 作者のヒギンズにとっても、「鷲は舞い降りた」は特別に思い入れのある作品なのであろう。後に登場人物たちのその後を詳しく補完した「鷲は舞い降りた〔完全版〕」が刊行され、更には91年、シュタイナーとデブリンが再び登場して新たなミッションに挑む続編、「鷲は飛び立った」をリリースしている。 このような原作の“映画化”であるが故に、もしも原作を先に読んでから映画を観ると、興を削がれる部分や物足りない部分が、否が応にも目に付くこととなる。しかしその逆に、映画を観た後に原作を読むと、チャーチル誘拐作戦のオペレーションや登場人物の心理や行動原理など、映画では省略されてしまって、語り切れていない部分を、良い意味で補完できるわけである。 だからこそ、私は断言する!『鷲は舞いおりた』は、「見てから読む」べき作品であると。■ © ITC Entertainment Group Limited 1976
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COLUMN/コラム2019.01.07
ロバート・レッドフォードの“キャッチボール”『ナチュラル』
その昔、「お箸の国の人だもの」というCMのフレーズがあったが、その言い方を借りれば、サッカーのJリーグなどが発足するより以前、私の青少年期である1970~80年代頃までの日本の男どもは、「野球の国の人だもの」という感じであった。 様々なスポーツの中でも野球人気は圧倒的で、ゴールデンタイムの巨人戦中継は、連日高視聴率を叩き出していた。そしてこの頃に野球少年だった者の多くが、父親とキャッチボールに興じた思い出を持つであろう。 私の父は仕事の都合で、連日のように帰宅は深夜になり、息子たちが通学する頃にはまだ布団の中というのが、普通であった。しかし私が小学校の高学年になって、野球に熱中し始めると、わざわざ早起きしては、キャッチボールの相手をしてくれるようになった。 息子の投げる球をしっかりと受け止めては、胸元めがけて投げ返す…。その時は何も意識してなかったが、いま振り返ればあのキャッチボールは、普段忙しい父の“想い”が伝わってくる、大切な瞬間であった。孫の顔を見せることもなく、父が早逝してから20年近く。最近になってしみじみと、そんなことを思ったりする。 「野球の国」の元祖であるアメリカにも、そんな父と子の構図が存在するのであろう。名作『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)の終幕、ケヴィン・コスナー扮する主人公が、かつて不仲だった亡父の若き日と出会い、キャッチボールに興じるシーンは、実に感動的である。 そして、『フィールド・オブ・ドリームス』に先駆けること5年。1984年公開の本作『ナチュラル』でも、父と子のキャッチボールが、重要なポイントとなる。 時代は1939年。開巻間もなく汽車に乗る主人公、ロバート・レッドフォード扮するロイ・ハブスの脳裏には、ネブラスカの農場で過ごした少年時代がよぎる。 彼は農夫である父によって、野球に対しては“ナチュラル=天性の才能の持ち主”であることを見出され、毎日コーチを受ける。ノックやピッチング練習以上に、父子にとって至福の時であったのが、キャッチボール。父が野球に臨む心構えを説きながら投げたボールを、息子は嬉しそうに受け止めては、投げ返す。そんなロイの姿を、幼馴染みの女の子アイリスが、ニコニコしながら眺めていた。 ずっと続くかと思われた父子の時間だったが、ある日父は突然倒れ、帰らぬ人となってしまう。その夜にハブス家の農場は、激しい嵐に襲われ、樫の木が雷鳴と共に引き裂かれる。ロイは亡父の遺志を感じたかのように、その木で手製のバットを作り上げ、“ワンダー・ボーイ=神童”という字と、稲妻のマークを刻印する。 それから6年後、青年になったロイは、スカウトに発掘され、大リーグのシカゴ・カブスのテストを受けることとなる。故郷を旅立つ前夜には、アイリスと結婚を誓い合い、2人は初めて結ばれる。 シカゴに向かう道中では、汽車で出会った現役大リーガーの強打者と、ひょんなことから対戦。ロイは三球三振に斬って捨てる。 「あらゆる記録を破るプレイヤーになる」そんな自信に満ち溢れた彼の前途は洋々たるものと思われたが、結局大リーグのマウンドに立つことはなかった。それどころか、カブスのテストを受けることさえ出来なかったのである。 ロイはシカゴに到着して間もなく、汽車で出会って心惹かれた黒服の美女から、ホテルの部屋と導かれる。そこで彼を待っていたのは、銀の銃弾。腹へと撃ち込まれたロイは、そのまま意識を失った…。 それから、16年の歳月が流れた。長く流浪の日々を送ってきたロイだったが、弱小球団のニューヨーク・ナイツの本拠地に、35歳の“オールド・ルーキー”として現れる。ようやく辿り着いた、大リーグ。当初は監督に疎まれたロイだが、いざ出場のチャンスを与えられるや、少年時代に作った、あの“ワンダー・ボーイ”のバットでホームランを打ちまくり、チームの大躍進に貢献する…。 1952年に出版された小説を原作とする本作は、レッドフォードが出演を熱望した作品だという。その理由は、彼のそれまでの歩みが、ロイと重なる部分があることと無関係ではないだろう。 少年時代から、スポーツ万能だったというレッドフォード。中でも野球は得意中の得意で、高校を卒業してコロラド大学に進む際には、野球選手用の奨学金で入学したほどのプレイヤーだった。 しかし、ほどなくして大学をドロップアウトした彼は、絵を習うためにヨーロッパへ。パリやフィレンツェの美術学校に通うが、画家になろうという夢は1年余りで挫折し、アメリカへと戻る。そして21歳の時に、17歳の女性と結婚する。 レッドフォードはその後、ニューヨークの演劇学校へ通って、俳優を志す。ブロードウェイの端役でデビューした後、舞台やTVドラマに出演するが、まったく売れず、2人の生活は、妻が働いて支えた。 やがてニール・サイモン作の舞台「裸足で散歩」の主演で、ブロードウェイで成功を収めるものの、その後に出演した何本かの映画は不発に終わり、結局は30過ぎまで試練の日々が続く。 レッドフォードをスターダムにのし上げたのは、1969年に公開された、“アメリカン・ニューシネマ”の代表的な1本、既に大スターだったポール・ニューマンと共演した、ジョージ・ロイ・ヒル監督の西部劇『明日に向って撃て!』のサンダンス・キッド役。1936年生まれのレッドフォードは、その時33歳。『ナチュラル』の“オールド・ルーキー”ロイ・ハブスと同じく、檜舞台に上がるまでには、短くない時間を要したのである。 さて本作では、ロイは脚光を浴びた後、再び“悪い女”にハマり、成績は下降線に。チームも優勝戦線から、離脱しそうになる。そんな時に救いの女神のように現れるのが、かつての恋人アイリスだった。 ロイの復調と共に、チームの勢いも戻り、遂にはリーグ優勝~ワールドシリーズ進出を目前にする。しかしロイは、銀の弾による古傷の悪化と球団オーナーらの八百長の陰謀によって、現役生活及び生命のピンチへと追い込まれる。 そしてその時彼が取った選択が、新たなる“父子のキャッチボール”へと繋がる。アイリスの笑顔に再び見守られながらの、“至福の時”…。 ロイ・ハブスの最高に誇れる、しかしあまりにも短かった、栄光の瞬間。それに比べれば『明日に向って撃て!』以降、1970年代から長く、ハリウッド屈指の二枚目スターとして活躍し、80年代以降は、監督としても評価が高い作品を発表していくレッドフォードの、栄光の時間は長く続いた。そしてその間に彼は、映画人として数多くの“息子たち”と“キャッチボール”を行い、大切なものを与え続けたのである。 監督デビュー作だった『普通の人々』(1980)で、自身はアカデミー賞監督賞を獲得。と同時に、二十歳の新人だったティモシー・ハットンに、助演男優賞のオスカーをもたらした。 レッドフォ―ドの監督第3作にして、「最高傑作」と推す声も多い『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)では、“ブラピ”ことブラッド・ピットのキャリアを、“レッドフォード2世”と呼ばれるまでに磨き上げ、輝かせた。その後大スターへの道を邁進し、プロデューサーとしても成功を収めるブラピは、レッドフォードのことを、「師匠であり、もう一人の父親のような存在」とまで語っている。 更には、レッドフォードが1978年にスタートさせた、「サンダンス映画祭」。彼の最初の当たり役の名に因むこの映画祭は、新人監督の登竜門として、ちょうど『ナチュラル』が公開となった辺りから、勢いが加速。コーエン兄弟やジム・ジャームッシュ、タランティーノなどから、近年ではデミアン・チャゼルまで、後のアメリカ映画を支える面々が、次々と育っていった。 多分これからの日本映画界をリードしていく1人となる、長久允監督。2017年1月、彼のデビュー短編『そうして私たちはプールに金魚を、』(2016)にグランプリを与え、世界に先駆けて認めたのも、「サンダンス」である。さすれば長久監督も、間接的ではあるが、映画人レッドフォードと“キャッチボール”をした、“息子”の1人と言えるであろう。 2018年8月、80歳を超えたレッドフォードは、俳優業の引退宣言をした。しかしプロデューサーや監督としての活動は、まだまだ続ける意向と聞く。彼との“キャッチボール”で育まれる者が、これからも増えていくことを期待する。■
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COLUMN/コラム2015.12.05
男たちのシネマ愛②愛すべき、味わい深い吹き替え映画(2)
飯森:僕はコメディーも吹き替え向きだと思っています。ギャグの場合は情報量だけじゃなくてタイミングの問題もある。字幕の2行目にオチが出てきちゃって、せっかくのギャグが台無しになっちゃうとかね。それと、これは日本語吹き替え擁護派の第一人者でもある漫画家のとり・みき(注6)先生に取材させて頂いた時に、聞いてなるほどと思ったことなんですが、字幕は画面の邪魔をすると。これって字幕派の人は案外気付いていない。吹き替えがオリジナルと違うというのであれば、なぜ字幕が画面に乗っている状態を良しとするのか。映像に集中したい映画であればあるほど、字幕は目障りになるんですよ。 なかざわ:ちなみに、海外は吹き替えが主流ですよね。アメリカ人なんか字幕っていうだけで敬遠する人が多いですし。 飯森:ヨーロッパでも外国映画は吹き替えが一般的みたいですよ。 なかざわ:吹き替えの事情って国によってまちまちですが、例えばアメリカではボイスアクターという職業自体はありますが、それでも声優を専門にしているわけじゃない。俳優としての仕事が少ないから、声優をやらざるを得ないというケースが多いんですよ。なので、今の日本みたいに最初から声優を目指している人というのはあまりいない。以前に、セス・マクファーレン(注7)が作っている「ファミリー・ガイ」(注8)というテレビアニメの声優さんたちにインタビューしたことがあって、日本では声優の専門学校があるんですけどアメリカにもありますか?って尋ねたところ、そんなの聞いたことないねって言ってましたよ。 飯森:日本もそうだったんですけれどね。それこそ、「厳選!吹き替えシネマ」で取り上げているような昔の作品では、舞台をメインに活躍されていた劇団俳優さんが、声の仕事ももらってやっていた。だから、有名な方の中には声優と呼ばれることを嫌がる人もいて。声だけやってるわけじゃない、総合的な演技者だからと。でも、その後のアニメから発生した声優ブームのおかげもあって、だいぶ意識はかわりましたよね。 なかざわ:面白いのは、イタリアだと日本のオードリー・ヘプバーン(注9)=池田昌子(注10)さん、刑事コロンボ(注11)=小池朝雄(注12)さんみたいな感じで、特定のハリウッド俳優の声は専門の声優が吹き替えるという伝統があったらしいんですよ。今も同じなのかは分かりませんが。で、中にはハリウッド俳優並みにスター扱いされる人もいたらしいですね。 飯森:日本ではマニア用語で「フィックス」と言いますね。シュワルツェネッガー(注13)なら玄田哲章(注14)さんとか。でも、意外と侮れないのが屋良有作(注15)さんなんですよ。屋良さんといえば「ちびまる子ちゃん」(注16)の父ヒロシですけど、「コマンドー」(注17)とか「トータル・リコール」(注18)とかの頃はシュワちゃんもされていました。フィックスといっても、だんだん一本化されていくんでしょうね。あるいは複数の方でフィックスされることもありますし。例えば、ハリソン・フォード(注19)なら村井国夫(注20)さんか磯部勉(注21)さん。村井さんがやるとちょっとチャラく聞こえるけれど、磯部さんは激シブ。同じハリソン・フォードでも印象が全く変わるんです。村井さんの「インディ・ジョーンズ」(注22)はちょっと女たらしでお調子者だけど、磯部さんの「インディ・ジョーンズ」はダンディー極まりない。別の価値を持ったコンテンツとして両方楽しめるんです。賛否両論だと思いますが、吹き替え肯定派にとってはこれがいいんですよ。 なかざわ:最初に述べたように自分は字幕派だけど吹き替えも否定しませんし、オリジナル版よりも面白くなったというケースも実際にあるとはいうものの、それでも引っかかる点はあるんですよ。それがですね、例えば日本語の吹き替えだと悪人はいかにも悪人ぽいしゃべり方をすることって多くありません? その役柄のイメージをステレオタイプに当てはめて演じる声優さんが多いと思うんですよ。でも、アメリカの俳優は絶対にそんな演技はしない。確かに大昔はオーバーアクトな俳優も多かったけれど、今は“演技を演技に見せない演技”というのが良しとされています。なので、日本語吹き替えの大袈裟な台詞回しには違和感を覚えるし、場合によっては作品を台無しにしていると思うんです。 飯森:それは、’60年代後半から’70年代にかけて、アメリカでメソッド演技が主流になったことと関係しますよね。 なかざわ:リー・ストラスバーグ(注23)ですね、アクターズ・スタジオ(注24)の。 飯森:スーザン・ストラスバーグ(注25)のお父さん! なかざわ:いや、それ、我々以外だと分からない人の方が多いと思います(笑)。 飯森:まあ、要はロシアで発明された演技法ですよね。そもそも、古代ギリシアの昔からシェイクスピアやオペラを経て、人類は舞台での演技というのを培ってきたわけです。スポットライトを浴びて、客席に向かって芝居をする。2階席から見ても、何をしているのか分かるような感情表現を磨いてきた。ところが、映像が発明されてクロースアップが出来るようになると、そんな大げさな芝居はいらなくなったわけです。例えば、本当に人間が悲しんでいる時、それこそ芝居みたいに髪をかきむしったりなんかしないじゃないですか。 なかざわ:まあ、イタリア人だったら別かもしれませんけどね(笑)。 飯森:ラテン系の人は置いておいて(笑)。ごく普通の人はそんなことしない。だから、本当に悲しそうな演技をするためにはどうすればいいのか。それをどうすればフィルムに捉えることができるのか。そのノウハウを研究して生まれたのがメソッド演技なわけです。 なかざわ:いわゆるスタニスラフスキー・システム(注26)ですよね。 飯森:そこからアメリカでもニューヨークの演劇界なんかでメソッド演技を研究するようになり、マーロン・ブランド(注27)やアル・パチーノ(注28)ダスティン・ホフマン(注29)などが、そういう演技アプローチを取り始めた。ところが、日本ではそうならなかったわけです。日本は引き続き今でも、舞台演劇をやっている人こそ本格派だという信仰がある。 なかざわ:そのくせ舞台俳優ってあまりお金になりませんけどね。 飯森:僕は仕事柄、最近の邦画をほとんど見ないので、たまに近年の日本映画を見ると、芝居が大きくてビックリしちゃうんですよ。 なかざわ:本当にそうですね。もちろん、全員がそうではないですし、特にインディーズ系の映画だと自然な演技をされる役者さんも多いですけど。やはり演出家のセンスの問題もあるような気がします。 飯森:我々の感情とか生活の延長線上に物語があるんじゃなくて、完全に別物になっちゃっている。だから、そういうものと思って割り切りながら見ないと、僕みたいな洋画派が見るとビックリちやうんですよ。 注6:1958年生まれ。漫画家。代表作「クルクルくりん」「遠くへ行きたい」など。注7:1973年生まれ。映画監督、アニメ作家、俳優。テレビアニメの代表作は「ファミリー・ガイ」、実写映画の代表作は「テッド」(’12)シリーズ。注8:’99年より放送中の長寿テレビアニメ。田舎町に住む家族の日常を、下ネタや差別ネタ満載の過激なブラック・ユーモアで描き、アメリカでは常に保護者から俗悪番組と非難されている。注9:1929年生まれ。女優。代表作はアカデミー主演女優賞に輝いた「ローマの休日」(’53)、「マイ・フェア・レディ」(’64)など。1993年没。注10:声優。オードリー・ヘプバーンやメリル・ストリープの吹き替えで知られる。アニメ「銀河鉄道999」のメーテル役でも有名。注11:’68年から’03年まで制作された同名刑事ドラマ・シリーズの主人公。一貫して俳優ピーター・フォークが演じた。注12:1931年生まれ。俳優。「仁義なき戦い」(’73)シリーズなどの映画で活躍する傍ら、ドラマ「刑事コロンボ」などの吹き替え声優としても活躍。1985年没。注13:1947年生まれ。俳優。代表作は「ターミネーター」(’84)シリーズや「プレデター」(’87)など。注14:1948年生まれ。声優。シュワルツェネッガー本人から専属声優として公認されている。注15:1948年生まれ。声優。「ちびまる子ちゃん」のお父さんや「ゲゲゲの鬼太郎」のぬりかべなどアニメ声優として知られる。注16: さくらももこの原作漫画をアニメ化した国民的テレビアニメ。注17:1985年制作。娘を救うため宿敵と対決する元特殊部隊隊員をシュワルツェネッガーが演じる。マーク・L・レスター監督。注18:1990年制作。偽の記憶を植えつけられた工作員をシュワルツェネッガーが演じる。ポール・バーホーベン監督。注19:1942年生まれ。代表作は「スター・ウォーズ」(’77)シリーズや「インディ・ジョーンズ」(’81)シリーズなど。注20:1944年生まれ。俳優。「日本沈没」(’73)など数多くの映画やドラマで活躍し、声優としても定評がある。注21:1950年生まれ。俳優。NHK大河ドラマ「元禄太平記」などのドラマや映画で活躍。声優としてはハリソン・フォードやチョウ・ユンファでお馴染み。注22:スピルバーグ監督の同名映画シリーズでハリソン・フォードが演じた探検家。注23:1901年生まれ。俳優、演技コーチ。マーロン・ブランドやマリリン・モンロー、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノなど数多くの俳優に演技指導を行い、自らも「ゴッドファーザーPART Ⅱ」(’74)などの映画に出演。1982年没。注24:リー・ストラスバーグが設立したニューヨークの名門演劇学校。注25:1938年生まれ。女優。映画「女優志願」(’58)の主演で清純派スターとして大ブレイク。1999年没。注26:ロシアの演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーが、’30年代に提唱して世界的に普及したリアリズム重視の演技理論。注27:1924年生まれ。俳優。アメリカ映画史で最も重要な俳優の一人。代表作は「波止場」(’54)や「ゴッドファーザー」(’72)など。2004年死去。注28:1940年生まれ。俳優。代表作は「ゴッドファーザー」(’72)シリーズや「スカーフェイス」(’83)、「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」(’92)など。注29:1937年生まれ。俳優。代表作は「卒業」(’67)や「クレイマー、クレイマー」(’79)、「レインマン」(’88)など。 次ページ >> 各国の事情を鑑みると、“オリジナル音声って何なんだ?”って話になる(なかざわ) 『ゴッドファーザー』COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『ゴッドファーザーPART Ⅲ』TM & COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED 『レインマン』RAIN MAN © 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012 『ファール・プレイ』COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2013.01.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年2月】招きネコ
2012年のロンドン・オリンピックの開会式にも登場した様々な理由で史上最も有名かつ愛された伝説のプロボクサー、モハメッド・アリの自伝をまだ現役だった本人が主演(!)して映画化された1977年の作品。アリ自身のドラマティックな半生を、ドラマ部分はロバート・デュバルやアーネスト・ボーグナインと行ったバリバリのハリウッド・スターが共演して作り上げた感動映画ですが、ソニー・リストン戦、ケン・ノートン戦、伝説の試合であるザイールの首都キンシャサでのジョージ・フォアマン戦まで劇中の数々のチャンピオンとの名勝負は当時の実写フィルムで再現して迫力十分、映画とドキュメンタリーのいわばいいとこ取りです。いかにアリがすごいボクサーだったのかということ、名言「蝶のように舞い、ハチのように刺す。。。」意味が実感できます。ちなみに、アントニオ猪木のテーマ曲「猪木ボンバイエ」は、元々この作品のアリのテーマ曲で、アリは対戦した猪木にプレゼントしたもの。映画中でもこの曲がものすごい盛り上がりを見せます。「ボンバイエ」はザイール語で「やっちまえ!」という意味とか。 Copyright © 1977, renewed 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2012.09.21
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年10月】銀輪次郎
ロバート・レッドフォード、グレン・クローズ、ロバート・デュヴァル、キム・ベイシンガーら豪華スターたちが贈る感動の野球映画。35歳にして新人メジャーリーガーになった男ロイの波乱万丈物語。不屈のチャレンジ精神と雷の落ちた木から削りだしたバット『ワンダー・ボーイ』で活躍する主人公のロイ。野球の物語ながらサスペンス的な要素もあって、程よい緊張感を持つ本作は、野球ファンはもちろんのこと、どなたでも楽しめる作品です。ところどころ出てくる“奇跡”については、鑑賞後に「こんなことは起こりえない」やら「あんな展開はない」と色々ツッコミを入れて頂くのも一興。35歳のロイ役を当時48歳のレッドフォードが演じたことにも驚かされる野球映画の秀作!レッドフォードかっこいいぞ! Copyright © 1984 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
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NEWS/ニュース2012.07.02
アクションスター列伝【救出対決】結果発表!
『コマンドー』(アーノルド・シュワルツェネッガー)元特殊作戦部隊コマンドーのリーダーに扮するアーノルド・シュワルツェネッガーが誘拐された娘を救出する。 VS 『ブレイクアウト』(チャールズ・ブロンソン)腕利きパイロットに扮するチャールズ・ブロンソンがメキシコで無実の罪を着せられた実業家を救出する。華麗なアクションで救出ミッションを達成するのはどっちだ!?いざ、対決!肉体派アクション・スターと言えば、1970年代はチャールズ・ブロンソン、80年代ならアーノルド・シュワルツェネッガー。『ブレイクアウト』VS『コマンドー』の救出バトルは、世代を超えたマッチョ俳優対決となった! 『ブレイクアウト』でブロンソンふんするセスナ機パイロットは、美貌の人妻に雇われ、無実の罪でメキシコの刑務所に投獄されたその夫を救出しようとするのだが、なにぶん計画が行き当たりバッタリなもんだから、最初は失敗が続く。自分よりはるかに背の高い相棒ランディ・クエイドを女装させて、看守の目を引けるワケがないだろうに……うかつすぎるぜ、ブロンソン! それでもめげないテキサス魂、軍用ヘリを装ってムショの中庭から救出するという荒技に打って出る。こんな具合に、物語そのものはオフビート・タッチでユーモラス。ブロンソンとヒロインを務める当時の愛妻ジル・アイアランドのほのかなロマンスも盛り込まれていて、テキサス~ラテンののどかな雰囲気さえ漂わせている。 ■ 対する『コマンドー』はむしろシリアス。シュワルツェネッガーふんする元コマンドー隊員は目の中に入れても痛くない、さらわれた愛娘を中米の元独裁者から救おうとするのだから、その切実な気持ちが理解できるし、見ているコチラもアツい闘争心がわいてくる。そんな期待に応えるかのように、主人公は特殊部隊のスキルを活かして一直線に突っ走る。民間人の女性も私的な戦いに巻き込み、ショッピングモールの警備員や警察官をも蹴散らし、さらには敵陣で軍隊を軽く掃射。これをたったひとりでやってのけるなんでフツーに考えると“ありえない”としか思えないのだが、演じるのがシュワだから強引な説得力が宿るというモノ。肩に担いだロケット弾をぶっ放しても反動さえ感じさせない、頼もしすぎる安定感も妙に納得だ。 “華麗なアクションで救出ミッションを達成するのはどっちだ?”という基準からすると、死者や破壊を最小限にとどめたブロンソンの方がスマートで好感も持てる。出演当時54歳という実年齢の経験も、そんな器用な立ち回りに説得力をあたえていると言えるだろう。その点、ひとりの娘を救うにしては壊しまくり&殺しまくりのシュワ(当時38歳)は事を大きくしてしまうという点で不利と言えば不利だが、彼の力技の方がスカッとするのも事実で、悪党を容赦なく蹴散らす姿も痛快そのものだ。アクション映画にカタルシスを求めるとしたら、後者の方が断然、上だろう。というわけで、ここは『コマンドー』に軍配を上げておきたい。以上のように、【救出対決】を制したのは、「コマンドー」のアーノルド・シュワルツェネッガ明日7/3(火)の 『アクションスター列伝』 は【対テロリスト対決】!こちらもお見逃しなく!■ © 1985 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.Copyright © 1975 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.